本ページ管理人氏をはじめ、このHPをご覧になる多くの皆様、はじめまして。恵と申します、若輩者ですが今後よろしくお願い致します。
これまで、ずっと傍観者として様々な人々の発言を眺めていました。田中芳樹氏のことは感情的には別に好きでも嫌いでもなく、内容はともかく「文体が読みやすい」(個人的に。他の人はどうか知らないですケド)「中国物に興味がある」(これも内容はともかく、文章の流れが他の歴史作家よりとっつきやすく感じたから)という理由で彼の著作を購読しています。ファンのような熱意はなく、「暇つぶしに丁度いい」という程度です。まあ、だからといってアンチという立場でもなく、なるべくギアをニュートラル状態にした状態で彼の著作を読んでいるつもりです。(感じたりすることは自分の主観ですが)
本来、このサイトで自分が発言することはないと思っていました。管理人氏や常連の方々の田中芳樹氏批判の全てが正しいとは思いませんでしたが(そんなことは本人方も望んでおられないことは想像に難くありませんが)、9割がたくらいは筋が通っていると私は判断します。後、このサイトを大きく評価したいのは「オープンであること」ですね。やや感情的になる場面も見受けますが、なるべく論旨をはっきりさせようと発言されているところも好ましいですね。
ただ、一つだけ過去の批判で恵が感じたことがあるので、この場をお借りして発言したいと思います。(もやもやしたことは、はっきりさせるのが私の性分なのです)それが「ぴるる」表現についてです。
まず、先に述べておきたいのは田中芳樹氏はかなり誤解のある文章でこの表現についての言及をしたことは間違いないでしょう。この際、彼の批評がパクリかどうかという問題は置いておくとして、彼はかなり重要な情報を我々読者に伝えなかったことに恵は気づきました。
(前略)人間が多様であるように教育も多様であるはずだ。のびのび教育とかスパルタ教育とかいろいろなやりかたがある。花を育てるにしても、寒い地方で春に咲く花と、熱帯雨林に咲く花とを、同じ栽培法で育てるわけにはいかない。それをむりやり一律に統制し、力ずくで押しつけようとする文部省のやりかたを、司は心から嫌っていた。
以前、国語の教科書に小学生の詩が掲載されようとしたことがある。これは小川の流れる水音を、「ぴるる」と表現したもので、その感性と表現性が高く評価されたのだが、文部省は掲載を許さなかった。
「小川の水が流れる音は、さらさらと表現せねぱならない。それ以外の表現は絶対に詐さない。この詩をのせるなら、この教科書は検定で不合格にする」
というのである。こうしてこの詩は、教科書からはずされてしまった。
その事実を知ったとき、司は皮肉っぽく友人に語ったものだ。
「やれやれ、そのうち、すやすやと眠らない赤ん坊や、しくしくと泣かない女の子は、文部省にとりしまられることになりそうだな」
と。 (創竜伝6巻より抜粋)
この「ぴるる」問題は過去に「自己崩壊する田中芳樹の思想」で明確に批判されていましたが、恵は思います。この創竜伝6巻に掲載された「ぴるる」に関する田中芳樹氏の批評(としか恵には判断できませんのであえてそう呼びます)は、固有言語における定型という認識での批判の対象にする前に、情報の欠如があり、そもそも批判すらしかねると。
文中でも「以前、国語の教科書に小学生の詩が掲載されようとしたことがある」としながらも、田中芳樹氏はただ「国語の教科書」としか書かず、「小学生の教科書」とは言っていないことです。これはかなり重要なことで、「ぴるる」という表現が誰を対象にした教科書で採用されなかったのか、実は田中芳樹氏本人にしかわからないということです。また、氏は中国歴史小説ではなるべく披露した知識の原典がわかるように引用した書物を明記するよう努力している跡が感じられるのに対して、創竜伝にはまったくと言っていいほどその形跡がありません。必然性を認めていないからかもしれませんが、正直、この件に関しては恵にはかなり不誠実な態度に見えます。「創竜伝では勝手に言いたいことを言ってるだけだから、あんまり気にしなさんな」と思っているなら読者に明言するべきでしょう。ファンの人ならそれで納得するでしょうし、恵も「ふうん、そうなの」で読み流せるんですケド。そうでないと、どこまで本気で書いてるのか読み手はまったくわかりません。少なくとも、恵はネ。
話が逸れましたが、「誰を対象にした教科書」で「ぴるる」表現は却下されたのでしょうか?小学校低学年が対象であるなら、定型という概念から掲載されないのはむしろ自然なことですが、中学生または高校生を対象にしているのなら話はまったく違います。水の音が「さらさら」と表現されることは既成の概念として多くの生徒は理解しているでしょうから、「ぴるる」と表現された小学生の詩の存在を教科書で知れば「なるほど、同じ日本語でも人によってこういう表現もあるのか」と感じるだけで、まさか小学生作の詩を読んで「今後、水の音はぴるると表現しなければいけない!」とは思わないでしょう?まあ、「ぴるる」という表現自体には賛否両論でしょうが、感性は人それぞれなので、おのずと感じ方は違うでしょう。この場合、「日本語の基礎をある程度理解している、感受性が豊かな年代」の生徒に対して初歩的な定型しか教えないのはどうだろうか、という田中芳樹氏の批評も成立する余地が生まれるようにも感じます。
何度もいいますが、氏は「もっとも重要な情報を我々読者に伝えなかった」のですから、どちらにしても仮定でしかありませんが、管理人氏は元ネタを知っておられるような記述があったのでもしかすると、この仮定が前者であることを知っている上で、批判されたかもしれません。ただ恵の感想としては、「もっとも重要な情報を我々読者に伝えなかった」田中芳樹氏のミスが目について、とても批判する気になれませんでした。最低限、正確な情報を元にしてでないと、読者は共感も批判もできないのでは?と思っただけです。
P.S. 今後も管理人氏、その他常連やそうでない方々の様々な発言を楽しく読ませてもらいますネ。それでは失礼致します。
優馬です。恵さん、いらっしゃいませ。
さて「ぴるる」問題ですが、恵さんに指摘されてふと思いました。
> その事実を知ったとき、司は皮肉っぽく友人に語ったものだ。
> 「やれやれ、そのうち、すやすやと眠らない赤ん坊や、しくしくと泣かない女の子は、文部省にとりしまられることになりそうだなと。
実は田中芳樹先生、この警句が書きたかっただけで、「文部省ウンヌン」は、はっきり言って後から適当に考えているんじゃないか?
「ぴるる」の話は、似たようなことが教科書検定で本当にあったことかもしれないです(なんか、類似の話を聞いたことがあるような気がするもので)。
でも教科書検定官は「小川の水が流れる音は、さらさらと表現せねぱならない。それ以外の表現は絶対に詐さない。」なんて、頭の悪いことはそれこそ「絶対」言わないと思う。この部分は間違いなく作者の(適当な)創作ですよ。
警句自体は、けっこう気が利いていると思うんですよね。それ自体、なかなか面白い。
問題は、「警句が言いたい」→「都合の良いように経緯を創作する」という手法です。銀英伝やアルスラーンのような架空歴史話では何にも問題がないのですが、創竜伝は現代モノ、結果的に大嘘を書いていることになります。当人は、他の作品と同じ発想で同じ手法を使っているだけなんで、「罪悪感」は感じてないと思うけど。
「聞いた風な口を叩く」のが田中キャラの魅力であり、警句を抜いてしまったら作品がスッカラカンになってしまいます。思えば、銀英伝なんかでも、警句を言わせたいがためのストーリー展開が、かなりあったような気がいたしますが、いかがでしょうか?
そういうわけで、「正確な情報」を伝えるという気が、もともと作者にはなかったのではないか、というのが私の正直な意見です。この「悪辣きわまりない無邪気さ」というのが、創竜伝の特徴ですなぁ。
恵さん、考える機会を与えてくださって、ありがとうございました。
> その事実を知ったとき、司は皮肉っぽく友人に語ったものだ。
> 「やれやれ、そのうち、すやすやと眠らない赤ん坊や、しくしくと泣かない女の子は、文部省にとりしまられることになりそうだなと
http://www.seiryojoho-h.ed.jp/webt/syoukai/kouka/kouka.htm
こんな校歌はとりしまらないのでしょうか。しかも県立ですよ。県立。
文部省がファシズム発動して福島県がそれに対抗して第二次戊辰戦争が起きる事態になったらたまらないなぁ(笑) そうなったら、イエスに従ったパウロのように、私は田中芳樹の使徒になりましょう。やんやん♪
優馬です。
いやぁ、管理人さん、スゴイモノを発掘していただいて(笑)
ここ↓に行って悶絶してしまいました。
>http://www.seiryojoho-h.ed.jp/webt/syoukai/kouka/kouka.htm
いやあ、すごい。
一番「発信 ゆんゆん」二番「受信 よんよん」三番「交信 やんやん」
んでもって、曲名が『宇宙の奥の宇宙まで』!!
脱帽です。
ちなみにこの学校は、わりと新しい情報系の高校で、学校のホームページにBBSがあります。そこにあったOBとおぼしきお方の書き込み。
「未だに校歌覚えてるわ・・・。あんなフレーズ忘れないぞきっと 爆爆」
そっかー、キミたちも苦労してるのね・・・(シミジミ)
> 文部省がファシズム発動して福島県がそれに対抗して第二次戊辰戦争>が起きる事態になったらたまらないなぁ(笑) そうなったら、イエス
>に従ったパウロのように、私は田中芳樹の使徒になりましょう。やん
>やん♪
そんときゃ私はペテロになりましょうかね。ゆんゆん♪
地元の、結構レベルの高い高校なのですが、こんなものすげー校歌だとは知らなかった…新設校ってみんなこんな歌詞なのか?
校歌といえば。
私が卒業した県立高校(高山樗牛の母校)では、校歌は三番までありましたが、生徒手帳には幻の4番5番が掲載されており、4番の歌詞に
皇国の為に尽しなば などか偉業の成らざらむ
とありました。これを歌わせぬ「チカラ」はどこからかかっていたのやら。
> http://www.seiryojoho-h.ed.jp/webt/syoukai/kouka/kouka.htm
>
> こんな校歌はとりしまらないのでしょうか。しかも県立ですよ。県立。
> 文部省がファシズム発動して福島県がそれに対抗して第二次戊辰戦争が起きる事態になったらたまらないなぁ(笑) そうなったら、イエスに従ったパウロのように、私は田中芳樹の使徒になりましょう。やんやん♪
歌詞見て頭痛くなりました。歌聴いてまた頭痛くなりました。
こういう校歌を採用されても始君はまだ教師続けるのでしょうか?
モトラさま。
> 皇国の為に尽しなば などか偉業の成らざらむ
>
> とありました。これを歌わせぬ「チカラ」はどこからかかっていたのやら。
私の母校(九州)では戦後もずっと
皇国の為に世の為に
という校歌を熱唱しておりました。
あの手の「チカラ」は東京の山の手圏を中心に分布しているようで、地の果て・九州まで来るとかなり減衰するようです。個人的には、幸いなことと思っています。
本ページ管理人さんは書きました
> > その事実を知ったとき、司は皮肉っぽく友人に語ったものだ。
> > 「やれやれ、そのうち、すやすやと眠らない赤ん坊や、しくしくと泣かない女の子は、文部省にとりしまられることになりそうだなと
>
> http://www.seiryojoho-h.ed.jp/webt/syoukai/kouka/kouka.htm
>
> こんな校歌はとりしまらないのでしょうか。しかも県立ですよ。県立。
> 文部省がファシズム発動して福島県がそれに対抗して第二次戊辰戦争が起きる事態になったらたまらないなぁ(笑) そうなったら、イエスに従ったパウロのように、私は田中芳樹の使徒になりましょう。やんやん♪
うわあ、すげぇ(笑)。
作詞者の方は若いんでしょうか?なんか無理して若者の感性を表現したという感じが・・・。
『宇宙の奥の宇宙まで』って、アニメ銀英伝の歴代EDソングのタイトルみたいですね。
向こうは小椋桂が手がける非常な名曲なんですが。
『光の橋を越えて』がイチオシですね。
それだったら校歌にしてもいいと思う。
優馬さん、そして管理人氏や皆さん、恵が書いた「ぴるる」を話のネタにしてもらえて、嬉しいです、どうもありがとうございます。特に最初に反応してくださった優馬さんには感謝♪で、あなた方のような学識のありそうな方々に考える機会なんてまったく大げさなものじゃないと思いますケド、無視されなくてよかったです。(無視されそうな所だったら、最初から書き込まなかったですケドね)
ただ、本当は管理人氏が「自己崩壊する田中芳樹の思想」の中で
>確かに、小川の流れの擬音を「さらさら」とだけに固定化するのはつまらないことだ。しかし、「さらさら」という擬音は、一種の定型である。つまり、日本語を判る人なら「さらさら」と聞けば「あ、水の流れる音だな」と理解できる言葉である(「ぴるる」ではこうはいかない)。このような定型を定型として教えることには、それなりの意味がある。
例えば、我々非英語圏の人間が英語を習うとき、水のはねる音は「splash」であると教えられる。それが、英語の水の擬音の定型だからである。「いーや、水のはねる音は絶対splashなんて聞こえねぇ。俺にはPiruruって聞こえるからそう言い通すね」といったら、それは英語の教育にはならない。英語だけでなく、日本語(すなわち「国語」)でもそれは同じである。
と述べられていたので、この部分だけを恵はずっと「うーん」と思い、定型云々は「誰(どんな年代)を対象にしているか」によってはあまりこだわらなくてもいいのでは、と感じただけですネ。ですから、田中芳樹氏が「キャラクターに聞いた風な口をたたかせる」という意見は恵もまったくそう思います。すいません、思ったことを書いただけだったので、何に一番疑問を感じたのか、読んだ人はわかりずらかったと思います。なにぶん、こういう書き込みは前回が初めての体験でしたので、平にご容赦いただけると幸いです。
話は変わりますが、皆さんは田中芳樹氏を活字以外で(対談やインタビューなど)ご覧になったことがあるでしょうか?恵は田中芳樹氏のアニメビデオで唯一、創竜伝だけを1巻分だけ鑑賞したことがあるのですが、そこには田中芳樹氏のインタビューが収録されていると書いてありました。正直、恵は田中芳樹氏のあとがきは好きだったので、生身の彼はどんな考えを語り、どんな魅力的な人物なのだろうと、かなり期待してレンタルしたのですが、結果的にはかなり落胆したのをよく覚えています。
まず、何をしゃべっているのかわかりずらく、(ぼそぼそした話し方からだったのか、話がとりとめなかったのかはよく覚えていませんが)5分も経つ頃には見続けることに苦痛を感じ、途中で切ってしまいました。悪口や中傷で言うつもりはないのですが、恵にとっては生身の田中芳樹氏がまったく魅力的でない人物のように感じました。もちろん、田中芳樹氏はプロの作家ですから、作品とは関係ない本人の人物像にどうのこうのと言うのはよくないとわかっていますが、純粋に「ああ、マニアックそう(かなり悪く言うとおたくっぽい)で遊び方とか知らなさそうな人だあ」と思ってしまいました。ファンの方々には申し訳ありませんが、恵は天然にそう思いました。これって「禁句」なのでしょうか?でも、そう感じた後も田中芳樹氏の著作は変わらず購読していますし、ただの個人的な感想だと恵は信じますケド。
最後に常連の方々の田中作品のパロディ、楽しく読んでいます。冒険風ライダーさんや優馬さんも書かないのかな?もし書いていらっしゃるなら、教えてくださいネ。特に優馬さんバージョンはぜひ読んでみたいです。(書いてくれたら、ファンになりそう)
優馬です。恵さん、面白い問題提起をありがとう。
私は田中芳樹の「元ファン」です。面白いものを書いてくだされば、再転向してパオロのような使徒になってもかまいません。ただ、現状は、元ファンとしては「一言いわずにはおれない」体たらく。「好きだ(った)から文句言わせてもらうよ」というスタンスです。
> 話は変わりますが、皆さんは田中芳樹氏を活字以外で(対談やインタビューなど)ご覧になったことがあるでしょうか?恵は田中芳樹氏のアニメビデオで唯一、創竜伝だけを1巻分だけ鑑賞したことがあるのですが、そこには田中芳樹氏のインタビューが収録されていると書いてありました。正直、恵は田中芳樹氏のあとがきは好きだったので、生身の彼はどんな考えを語り、どんな魅力的な人物なのだろうと、かなり期待してレンタルしたのですが、結果的にはかなり落胆したのをよく覚えています。
> まず、何をしゃべっているのかわかりずらく、(ぼそぼそした話し方からだったのか、話がとりとめなかったのかはよく覚えていませんが)5分も経つ頃には見続けることに苦痛を感じ、途中で切ってしまいました。悪口や中傷で言うつもりはないのですが、恵にとっては生身の田中芳樹氏がまったく魅力的でない人物のように感じました。もちろん、田中芳樹氏はプロの作家ですから、作品とは関係ない本人の人物像にどうのこうのと言うのはよくないとわかっていますが、純粋に「ああ、マニアックそう(かなり悪く言うとおたくっぽい)で遊び方とか知らなさそうな人だあ」と思ってしまいました。ファンの方々には申し訳ありませんが、恵は天然にそう思いました。これって「禁句」なのでしょうか?でも、そう感じた後も田中芳樹氏の著作は変わらず購読していますし、ただの個人的な感想だと恵は信じますケド。
うーん、実に鋭いところを突かれますね。
実は、田中作品を論じる上で、「作者の人柄」という部分は避けて通れないのではないかと思います。従って作者への「人格攻撃」ではないことを予めお断わり申し上げた上で、作品論として申し上げたい。
私も、個人的にお付き合いしたことがあるわけではないのですが、知りうる情報を総合して判断するに、田中芳樹という人はとても「いい人」のようです。威張らないし、目下に対してもやさしくて腰も低い。「エゴの固まり」のような人物が多い作家の中では、かなり付き合いやすい人物のようです。
ただ、問題なのはこの「いい人」という部分が、人柄が未熟であるがゆえの「自信のなさ」から来ている部分が多いということです。田中キャラの「モラトリアム性」は当サイトの議論で何度も指摘されているところですが、本人が一番モラトリアムなのです。「女性が描けない」「悪役に深みと凄みがない」というこれまた定番の指摘も、本人の人生経験の乏しさから来ている。
実人生における葛藤から逃避して、一段高い位置から「社会」や「歴史」を俯瞰しようとするのが青年期モラトリアム心理の特徴です。実はこのようなスタンスは朝日新聞に代表される戦後進歩主義思想の中に強く内在化されている構造です。現実よりも一段高い位置に架空の理想像を設定して、その高みから現実を斬りまくるというのは、安全かつ痛快です。しかし、そのようなことをしていても現実の問題解決に何の役にも立たないということは、人生経験を積めばわかって来るので、人はどこかの段階で(恥ずかしくなって)「きいたふうな口をきく」のを止めるのが普通です。しかし人生経験が乏しければいつまでも脱却出来ないわけで、田中芳樹が朝日新聞的な戦後進歩主義思想に強く固着するのは、まさにこの点にあると思われます。
今日、戦後進歩主義思想の欺瞞性はかなり顕わになっており、そういう思想に依拠する「創竜伝」のメチャクチャさ加減は、当サイトで何度も指摘されているとおりです。しかし、「架空の高みから醜い現実を斬りまくる」というモラトリアム性は、常に一定の若い読者を惹きつけるようです。これが、「田中芳樹はなぜ売れる」という問いに対する、一番根本的な答えだと思います。
2ch的にまとめると「中年厨房が書いた厨房向け小説が、精神年齢が厨房な連中に買われている」ということでしょうか。うーん、なんか寂しいぞ。
考えてみれば、若くして「銀英伝」でベストセラー作家になったということが田中芳樹にとって良かったのかどうか。人生万事塞翁が馬ではありますが。
P.S.「竜堂家の食卓」については、しばしご猶予を。作者の考え方をそのままトレースするのが苦痛なのもので、なかなか良いネタを構成できずにおります。でも「ザ・ベスト」にまとめていただいたことだし(ありがとうございました!)、また書きたいとは思っているのですが・・
またまたお邪魔します、恵です。
<うーん、実に鋭いところを突かれますね。
実は、田中作品を論じる上で、「作者の人柄」という部分は避けて通れないのではないかと思います。従って作者への「人格攻撃」ではないことを予めお断わり申し上げた上で、作品論として申し上げたい。
私も、個人的にお付き合いしたことがあるわけではないのですが、知りうる情報を総合して判断するに、田中芳樹という人はとても「いい人」のようです。威張らないし、目下に対してもやさしくて腰も低い。「エゴの固まり」のような人物が多い作家の中では、かなり付き合いやすい人物のようです。
ただ、問題なのはこの「いい人」という部分が、人柄が未熟であるがゆえの「自信のなさ」から来ている部分が多いということです。田中キャラの「モラトリアム性」は当サイトの議論で何度も指摘されているところですが、本人が一番モラトリアムなのです。「女性が描けない」「悪役に深みと凄みがない」というこれまた定番の指摘も、本人の人生経験の乏しさから来ている。
実人生における葛藤から逃避して、一段高い位置から「社会」や「歴史」を俯瞰しようとするのが青年期モラトリアム心理の特徴です。実はこのようなスタンスは朝日新聞に代表される戦後進歩主義思想の中に強く内在化されている構造です。現実よりも一段高い位置に架空の理想像を設定して、その高みから現実を斬りまくるというのは、安全かつ痛快です。しかし、そのようなことをしていても現実の問題解決に何の役にも立たないということは、人生経験を積めばわかって来るので、人はどこかの段階で(恥ずかしくなって)「きいたふうな口をきく」のを止めるのが普通です。しかし人生経験が乏しければいつまでも脱却出来ないわけで、田中芳樹が朝日新聞的な戦後進歩主義思想に強く固着するのは、まさにこの点にあると思われます。
今日、戦後進歩主義思想の欺瞞性はかなり顕わになっており、そういう思想に依拠する「創竜伝」のメチャクチャさ加減は、当サイトで何度も指摘されているとおりです。しかし、「架空の高みから醜い現実を斬りまくる」というモラトリアム性は、常に一定の若い読者を惹きつけるようです。これが、「田中芳樹はなぜ売れる」という問いに対する、一番根本的な答えだと思います。
2ch的にまとめると「中年厨房が書いた厨房向け小説が、精神年齢が厨房な連中に買われている」ということでしょうか。うーん、なんか寂しいぞ。
考えてみれば、若くして「銀英伝」でベストセラー作家になったということが田中芳樹にとって良かったのかどうか。人生万事塞翁が馬ではありますが。
優馬さんと同じく、田中芳樹氏への「人格攻撃」ではないことをお断わりさせていただいた上で思うのですが、田中芳樹氏って常々「女性が描けない」という趣旨のことがこのサイトでも言われてますよね?そして、妙に氏の描く女性ヒロインたちが良妻賢母というのもなんだかな、と。
これは優馬さんのおっしゃる通り、田中芳樹氏の「人生経験の乏しさから来ている」と恵は思ったりします。良いか悪いかは別にして、恋愛経験の一環として、浮気や不倫、二股・三股なんかを直接体験したことがある人なら、女性や男性の心理をもう少し深く描写できてもいいはず。それなのに、田中芳樹氏はあえてドロドロした描写を避けて(逃げて、かな?)「元気が取り柄のヒロイン」ばかりを作品に登場させておられます。
作家さんの傾向としては別に悪いことじゃないと恵も思いますが、なんだか画一的すぎて、(どなたか金太郎飴と評されてましたね)「あれ、作品中では個性や創造力の素晴らしさを述べられておられるのに、ど~してご自分は画一的すぎて逆に無個性な人物ばかり量産するの??」
と、思わずにはいられません。田中芳樹氏の作家としての問題は「余計な綺麗事を作品中(特に創竜伝)で述べすぎ」かな?周りにもよくいますよね、これと似たようなタイプの男の人。物事を始める前から「俺はすごいんだぜ~」的なことを宣言し、失敗してから周囲が気まずくなっちゃうって人。そういう人、最後に逆ギレする傾向があると恵は思いますが、まあこれは余談ですね。
話を戻すと、このサイトでは常に議論されていますが、田中芳樹氏はご自分で作品中で述べられていることと、ご自分がやっていることに明らかに矛盾があります。恵が残念なのは、余計な綺麗事を作品中で述べてさえいなければ、多分このサイトでの田中芳樹氏の評価はまったく違うものになったはずなのに、ということです~。皆さんが問題にされているのはまさにこの部分でしょうし、恵も田中芳樹氏が「みんなの個性大事!お前、独創性がないゾ!(悪役に対してよくそう言ってますよね?)」と連呼していなければ、女性キャラの描写はそれこそ作家さんの個性として受け入れられるんですケドね。田中芳樹氏、一度竜堂兄弟あたりにきつく指摘されたらどう思うんでしょうか? BUT、ご自分には甘そうだから笑って誤魔化しそうですネ。あっ、だからタチが悪いんだな~(^^;)
はじめまして、こんばんは。
私の通っていた千葉県の某市立小学校は、
りんごの芯がはじけるよーで歌が始まり、タンタン、シュウシュウ、 ゴォォゴォォなど意味不明の擬音?が入る奇怪な校歌をもっていました。
こんな校歌を六年間頭に叩き込まれて育った私は中学生のときに創竜伝のぴるる表現の部分を読んだ時に、「ぴるる?どこがおかしいんだ?まったく文部省の役人どもはなんでも禁止すれば言いと思ってやがる。」と思ってました。
小学生には定型的な表現を教えたほうが良いとおもいます。
表現を斬新と思えるかどうかは相対的なものですから、
いきなり強烈なものから入ると後で斬新な表現に感動できなくなってしまいますからね。