田中芳樹と民主主義、その政治認識に関連して、管理人さんの本論10への反論、という形で書こうと思っていたのですが、創竜伝を読み返していると、田中氏擁護の論陣を張った長文を書くのが苦痛になってきたので、これも短めに。
アドルフ・ヒトラーの言葉が「田中芳樹のようにバブル日本の増長への警句として使うのには、これほどふさわしくない言葉は他にあるまい。」というのと同様に、ベストセラー作家である田中芳樹を、画家に成り損なった髭の伍長アドルフ・ヒトラーになぞらえるのはふさわしくない、と感じます。
田中芳樹には全体主義の要素の一つ「過度な平等主義」といったものは感じられません。「田中芳樹のように「資本」「金持ち」を悪とする思想の持ち主」、これは違うのではないでしょうか。「夏の魔術」に登場する北本氏は典型的な不労所得者ですし、「晴れた空から突然に…」に登場する飛行船会社社長の有本泰造氏は「汚い手段で金を稼いだ」人物ではあっても好意的に描かれています。
竜堂兄弟の「懲らしめ」の発想の危険性、には同意しますが、結論部分はいかがなものでしょうか。
>202 heinkelさん
<アドルフ・ヒトラーの言葉が「田中芳樹のようにバブル日本の増長への警句として使うのには、これほどふさわしくない言葉は他にあるまい。」というのと同様に、ベストセラー作家である田中芳樹を、画家に成り損なった髭の伍長アドルフ・ヒトラーになぞらえるのはふさわしくない、と感じます。>
う~ん、あの評論はどう読んでも「ベストセラー作家としての田中芳樹」と「画家に成り損なった髭の伍長アドルフ・ヒトラー」との比較ではないと思いますよ。あくまでも「両者の思想的な類似性」という観点からの比較検証なのであって、その観点から「ここまでよく似た両者はどう違うというのだろうか」と言っているのではないでしょうか。
<田中芳樹には全体主義の要素の一つ「過度な平等主義」といったものは感じられません。「田中芳樹のように「資本」「金持ち」を悪とする思想の持ち主」、これは違うのではないでしょうか。「夏の魔術」に登場する北本氏は典型的な不労所得者ですし、「晴れた空から突然に…」に登場する飛行船会社社長の有本泰造氏は「汚い手段で金を稼いだ」人物ではあっても好意的に描かれています。
竜堂兄弟の「懲らしめ」の発想の危険性、には同意しますが、結論部分はいかがなものでしょうか。>
その手の資産家は「夢幻都市」の東堂伸彦、「地球儀シリーズ」の倉橋浩之介などがいますが、実は彼らには共通点があるのです。それは「彼らは常に資産家としては異端者として描かれている」というものです。
北本氏はバブル期に不正な土地ころがしをせず、しかも銀行家を嫌っているという設定ですし、有本泰造は財界の嫌われ者、東堂伸彦は文化を保護したり強権的な父親に反発している理想主義者、倉橋浩之介は偉人であるといったように、とにかく「他の資産家とは違う」という事をくどいまでに強調しています。そして彼らを相対化するかのように、常に「卑俗に描かれた本来の資産家」なるものが登場します。
つまり田中芳樹に言わせれば、比較的良心的に描かれている彼らは資産家としてはあくまでも例外的な存在であり、基本路線はやはり創竜伝に見られるような「資産家=悪」であるというものでしょう。そしてそちらが本音であるという事は、創竜伝のあのしつこいまでの社会評論や文庫本での対談・あとがきを見れば一目瞭然です。この点で管理人さんの主張は間違ってはいないと思います。
> う~ん、あの評論はどう読んでも「ベストセラー作家としての田中芳樹」と「画家に成り損なった髭の伍長アドルフ・ヒトラー」との比較ではないと思いますよ。あくまでも「両者の思想的な類似性」という観点からの比較検証なのであって、その観点から「ここまでよく似た両者はどう違うというのだろうか」と言っているのではないでしょうか。
もちろん思想内容を問うているのですよ。「貧困は犯罪を生む大きな原因である。」として、ヒトラーを生むことになった当時の経済状況を無視すべきでない、というのなら、ベストセラー作家の田中芳樹がなんでヒトラーのようなメンタリティを持ったりするの?という意味。まあ、ここは本筋ではありませんが。
> つまり田中芳樹に言わせれば、比較的良心的に描かれている彼らは資産家としてはあくまでも例外的な存在であり、基本路線はやはり創竜伝に見られるような「資産家=悪」であるというものでしょう。そしてそちらが本音であるという事は、創竜伝のあのしつこいまでの社会評論や文庫本での対談・あとがきを見れば一目瞭然です。この点で管理人さんの主張は間違ってはいないと思います。
創竜伝のことを言われるとつらいのですが(こればっかだな)。とにかく、好悪の区別を付けているのだから、「金持ちならすべて悪」というひがみ根性の持ち主ではなかろう、ということです。
heinkelさんは書きました
> > う~ん、あの評論はどう読んでも「ベストセラー作家としての田中芳樹」と「画家に成り損なった髭の伍長アドルフ・ヒトラー」との比較ではないと思いますよ。あくまでも「両者の思想的な類似性」という観点からの比較検証なのであって、その観点から「ここまでよく似た両者はどう違うというのだろうか」と言っているのではないでしょうか。
>
> もちろん思想内容を問うているのですよ。「貧困は犯罪を生む大きな原因である。」として、ヒトラーを生むことになった当時の経済状況を無視すべきでない、というのなら、ベストセラー作家の田中芳樹がなんでヒトラーのようなメンタリティを持ったりするの?という意味。まあ、ここは本筋ではありませんが。
はじめまして、仕立て屋と申します。
まず、はっきりさせておくべきは、田中氏自身が自らを、その作中で登場させるようなステロタイプな悪の資本家であるとは認識していない点であろう。彼は、まっとうな手段でお金を稼ぐこと自体には特に嫌悪感を示さないはずである。当然、自らの創作活動を、才能を生かした生業と規定し、まっとうな職業だと思っているはずだ。つまりベストセラー作家になったというのはまっとうな生業の結果に過ぎないということだ。
ヒトラーと田中氏のメンタリティー面における類似性の指摘に関しては、以下述べたい。
当時の貧困が対ユダヤ国際主義殲滅の思想を標榜するナチスを台頭させたように、環境がある種の思想、メンタリティーを増長させるというのはありえない話ではない。しかし、ナチスの政策的支柱である反国際ユダヤ主義が単に当時の貧困という社会状況を背景にして台頭してきた、と見るだけでは不充分であり、本質を捉えているとは言いがたい。普遍性にかけるからだ。貧者が富者を排除したいと望むのは、つきつめてみれば、貧者が富者に搾取されているというように、「自己保存」に対する脅威がその精神性の根底にあるのである。この自己保存、自存自衛という感情は人間の本能であり、それは状況を選ばず、発動される。ナチスの台頭をゆるした当時のドイツやオーストリアでは、ユダヤは自存自衛に対する挑戦者であるという一般的アーリア系ドイツ人、オーストリア人が無意識のうちに抱いていた反国際ユダヤ主義の思想をナチスが纏め上げ、「自存自衛」の名のもとに制限無く拡大していった結果があの忌まわしいホロコーストへとつながってしまった。一方、創竜伝における竜堂兄弟を例にあげれば、「自存自衛」を理由に権力者およびその関係者を過剰なほど無制限に打ちのめしていくという場面が繰り返される。ナチスも竜堂兄弟もおかれている状況こそ違えど、その根底には「自存自衛」の名の元であれば一切の行為は際限無く正当化され得る、という誰もが普遍的に持っている行動理念が働いている。そして、共にその過剰さを剥き出しにしているという共通点を踏まえた上で、そうした行動理念の理論的バックボーンとなる田中氏やヒトラーの精神性における類似性を管理人さんは指摘しているのだと思う。
「自存自衛」の無制限な拡大は、時に厄介なものとなる。その考え方の出自からして、「自存自衛」は絶対正義に陥りやすく、歯止めの掛かりにくい代物である。そしてそれは、状況を選ばない、つまりいかなる場面でも適用されやすいという点で、その発動は人類の歴史にたびたび見られる。そして、「自存自衛」は絶対正義であるという考え方は状況を選ばず適用可能であるため、田中氏とヒトラーの類似性を指摘する上で、考慮するには何ら問題ないであろう。
>アドルフ・ヒトラーの言葉が「田中芳樹のようにバブル日本の増長への警句として使うのには、これほどふさわしくない言葉は他にあるまい。」というのと同様に、ベストセラー作家である田中芳樹を、画家に成り損なった髭の伍長アドルフ・ヒトラーになぞらえるのはふさわしくない、と感じます。
すでに冒険風ライダーさんと仕立て屋さんに解説していただいているので、私としては重複しないところを説明したいと思います(冒険風ライダーさんの、田中芳樹が善意に解釈する金持ちの解析は意外な方向からの射撃で感心させていただきました)。
まず、『「田中芳樹のように「資本」「金持ち」を悪とする思想の持ち主」、これは違うのではないでしょうか』に付いては、冒険風ライダーさんが語られたように、彼の作品の中では例外、珍しい存在であることが挙げられます。
しかしながら、その上で言っておきたいのは、本論10にて私が挙げた本意は、「金持ちに対する当時のドイツ人と田中芳樹の反応の類似性」ではないということです。類似性については、当時のドイツ人にとって、金持ちや資本家(特にユダヤ人の)は自らの存在意義を侵害する脅威であったと言うことであり、それが、権力者を武力や資本によって自らの固有性を侵害する脅威だと思った(正確には勝手に思っている、だが…)竜堂兄弟と共通していると言うことです。
> 仕立屋さん
どうも、はじめまして。
先に書いたように、私としても竜堂兄弟の発想の危険性については同意見です。第1巻で既に嫌悪感を覚えました。「自存自衛」、まさに遺伝子に基づく絶対正義。これを自問する発想が「ない」ことを竜堂兄弟は自慢すらしています。
また、この発想のナチスドイツとの類似性についても同感です。「自存自衛」を軸にすればわかりやすいですね(丁寧な説明ありがとうございます)。
ただ、これらの事をふまえた上でも、独裁者を支持した背景、発想と独裁者個人のキャラクターは別だという意味で、またヒトラーの(作り上げられた部分も含めた)イメージを考慮すると、田中氏個人をヒトラーになぞらえるのは不適切ではないかと考えたのですが、これは竜堂兄弟とナチスドイツの発想の類似性を強調するための表現でしょうから、先の指摘をするにとどめておきます。
> 管理人さん
> 本論10にて私が挙げた本意は、「金持ちに対する当時のドイツ人と田中芳樹の反応の類似性」ではないということです。類似性については、当時のドイツ人にとって、金持ちや資本家(特にユダヤ人の)は自らの存在意義を侵害する脅威であったと言うことであり、それが、権力者を武力や資本によって自らの固有性を侵害する脅威だと思った(正確には勝手に思っている、だが…)竜堂兄弟と共通していると言うことです。
了解しました。最初の部分の問いかけはちょっと言葉尻をつかまえて、的なところがあって心苦しかったのですが、一応確認の意味で。
しかし、この発想の危険性に対して、田中氏がどんな認識を持っているかは別にしても、あのまま竜堂兄弟の「懲らしめ」を続けていても陰惨になるばかり、と途中で気付いたのかもしれない。そう感させるのがあの「小早川奈津子嬢」の登場です。なんか、奈津子嬢のおかげでかなり救われてる気がします。