私も、このページを作ってみて(どうやら本邦初だそうです)、いかに現在の田中芳樹の言動に不愉快な人が多いかをはじめて知りました。
それにしても、Webに限らず、田中氏への批判ってものはホントに無いですよね。このようなイエスマンばかりの環境が、健全なノーを突きつけられることのない環境が、どれだけ人間の精神を蝕むか。田中氏の行動の変節ぶりは、この良い実証例だと思います。
>私も、このページを作ってみて(どうやら本邦初だそうです)、いかに現在の田中芳樹の言動に不愉快な人が多いかをはじめて知りました。
>それにしても、Webに限らず、田中氏への批判ってものはホントに無いですよね。このようなイエスマンばかりの環境が、健全なノーを突きつけられることのない環境が、どれだけ人間の精神を蝕むか。田中氏の行動の変節ぶりは、この良い実証例だと思います。
なまじ銀英伝という大傑作小説(断言)をものしてしまったが為に、その光彩に幻惑され、その後の氏の主張・発言に違和感を感じつつも表立って批判する気になれない、という空気が醸し出されてしまったのかもしれませんね。
「田中芳樹の主張に反発を感じてしまう俺には銀英伝の政治家や創竜伝の悪役に通じる部分があるんだろうか?」
↓
「いや、そんなバカな。
あんな醜悪な連中と共通した心理があるなんてことは耐えられない。」
↓
「卑怯者たちに通じるような考え方なんかしてはいけない。
そんな発想が湧いてくるのは権力者と文部省と御用マスコミに洗脳されているからだ!
田中芳樹の訴えに疑問を抱いたりしてはいけない!」
なんてな感じ・・・。
そういった心理が「何となく」蔓延していた為に田中氏に対する表立った批判の声というのはあまり無かったのではないでしょうか。
そんな状況下で「王様は裸だ!」と喝破したこのサイトの意義は非常に大きなものだったと思います。
あ、もちろんドロ改さんややぶにらみさんがおっしゃるように体制や権力者が無謬のものである訳は無いし、常に批判的な見方が必要だというのは勿論です。
しかし、まあそれは田中芳樹に充分教えてもらったから(笑)、ここでちょっと振り返って見るってのも良いんではないかと(^^)。
こんにちは。初めまして。田中氏がらみのサイトでこんなに辛辣なところがあるとは思ってもみませんでした…実は「田中芳樹」で検索して最初に辿り着いたのがこのサイトなんです。三年ほど前に銀英伝に夢中になって以来、氏の作品はあらかた読み尽くしたのですが、最近氏の作風に疑問を抱くようになりまして。具体的には創竜伝のことですが。最初のうちはかなり面白いと思ってたんですが、次第に銀英伝と比較してしまいまして、するとどうしても卑小にみえるんですよね。「どんな作家も処女作を超えることはできない」という格言を思い出して自分なりに納得していたのですが、このサイトの方々の意見をみて氏の作風に違和感(もしくは反感)を抱いているのは自分だけやないことを知りました。で、創竜伝なんですけどあれは要は相関関係が破綻してるんですよね。話が進むにつれてどんどん混乱していってたんですけど、問題は自分の読解能力でなくあの無意味な社会評論にあったんですね。日本と西洋では西洋が善、竜種と牛種では牛種が悪。で、善の西洋と悪の牛種がかぶっているのでああいう分かりにくい話になるんですね。ということは物語一本に絞ればそれなりに面白く-銀英伝の足元にも及ばないにしても-なるかもしれませんね。まあかなり軽めの娯楽小説としてでしょうが。
>松緒 耕治さん
こんにちは。
もともと、このサイトを設立した目的は、その当時、田中芳樹関連のサイトと言えば、ほとんど礼賛的なファンサイトしか見当たらなかった事への違和感によるものが大きくあります。
このサイトにこれだけの人が集まっているというのは、そもそもの需要(つまり、潜在的な不満層)があってのことだと思います。