獅子帝ラインハルトによって建国されたローエングラム朝銀河帝国の崩壊から四半世紀が過ぎた今、幾多の新資料の発掘により、我々人類が恣意的な歪んだ歴史を学んでいたことが明らかになって久しい。
しかしながら市井レベルでは未だ伝説が一人歩きしており、昨年も『銀河英雄伝説』なる歴史小説が国民的レベルで愛読されたように、その固定観念を打破するには未だ容易ならざる前途が待ち受けていると思われる。
本稿はそれら俗説を少しでも啓蒙せんという意図をもって世に送られる。
読者諸兄各位が抱いているであろう伝説を終わらせ、歴史が始まらんことを。
宇宙歴1021年 チュン・タァナカ記す
(編註 これはタァナカ氏の遺稿となった)
-------------------------------------------------------
・・・帝国政府(ローエングラム朝のこと。以下同)の歴史資料の改竄は広範囲にわたっていたが、中でも時の同盟政府指導者であるトリューニヒトと、末期における同盟軍内の実力者ヤン提督に対するそれは捏造といえるほどのレベルにあり、特筆するに価する。
長年国防関係に親しみ、また無謀な帝国領進攻作戦に単身反対するなど軍事的識見に富み、活力溢れる若きカリスマ政治家として同時代に知られた存在だったトリューニヒト。帝国は彼を卑劣漢、売国奴として後世に伝えた。
彼に倣う存在が出て来ては困るからであった。
そう、同盟滅亡後も飽くことなく精力的に帝国そのものの民主主義化を図っていたトリューニヒトは、帝国当局にとり、イゼルローン武装勢力よりよほど危険な存在であった。
意外に思われるかもしれない。巷間ではイゼルローン要塞に篭城したヤンと彼の軍隊こそ、民主共和主義政体存続をかけた最後の希望であったと信じられているからだ。
が、当時、複数の帝国高官が言明している通り、彼等の影響力は極微細なもので、その軍事力を最大限に用いてすら一有人星系の維持すら危ういものに過ぎなかった。彼等の存在が本質的なレベルで軍事力に依拠している以上、より強大な軍事力を持つ帝国にとり、とりたてて危険な存在ではなかったのである。
そう、彼等イゼルローン武装勢力の主体的行動による新帝国の国家的危機など本来ありえなかった。(この時期の獅子帝については次章にて詳述する)
これに引き換え、トリューニヒトが帝国内部で行っていた合法・非合法とり混ぜた様々な政治工作は、建国間もない新帝国にとって劇薬そのものであった。
彼は人類の存在する全ての領域に強力なネットワークを維持していた二つの組織、フェザーン経済界、及び地球教と水面下で協定を結び、新帝国の緩やかな共和化、立憲君主制への移行を進めようとしていた。
そしてこれはかなりの成功を見せつつあった。
当時、獅子帝によって進められた民政の改革は旧帝国においてこれまで脆弱な経済的基盤しか持たなかった中産階級の台頭を促していたが、トリューニヒトはこの中産階級台頭に着目した。
質量ともに強化された中産階級が自らの政治的発言力を体現する場を求めるのは西暦時代からの歴史的必然といえたが、トリューニヒトはこれを利用して帝国の統治機構に議会制度の導入させることを計画していたのである。
この構想は帝国を実質的に運営していた官僚たちの欲求にも合致していた。
当初、獅子帝が旧帝国時代の旧弊を一掃したことを歓迎し、新体制支持で纏っていた官僚団であったが、新帝国もまた皇帝親政の名のもとに皇帝個人の私物として扱われる玩具に過ぎないという現実を、多くの若い官僚たちは苦く噛み締めつつあったのだ。事実、獅子帝のイゼルローン出兵に多くの官僚たちは批判的だったのである。(当時の官僚団を代表する立場にあったブラッケの手記にもそれは窺える)
彼等は(獅子帝にとって皮肉なことではあったが)有能であるがゆえに皇帝権力の弱体化を期待していたのである。少なくともそれをある程度掣肘できる公的機構を待望していた。
獅子帝の権力基盤である軍部においてですら、これに同調する動きはあった。事実、重臣であったオーベルシュタインの発言に皇帝の軽視が散見される。獅子帝を神聖視していた軍令と違い、軍政関係者には皇帝の行為に疑念を持ったものも多かった模様である。
なお、このころ軍令と軍政の組織的対立は、互いのトップであるミッタ-マイヤー宇宙艦隊司令長官とオーベルシュタイン軍務尚書の個人的レベルでの確執も手伝い深刻なものとなっていた。
新帝国は平和的手段(言い方を変えれば陰謀)によって、国家の本質そのものを変体させられかねない危機にあったのだ。これに比べればイゼルローン武装勢力など大河の前の水溜りに過ぎない。
が、一時は新帝国を根幹から覆す寸前まで進んだトリューニヒトの計画が最終的に失敗したのは、彼自身の思わぬ死が直接の原因だった。
フェザーン経済界、地球教、旧同盟各勢力、帝国官僚団の複雑に絡まった利害関係と意思を無難に調整出来るほどの逸材は当時トリューニヒトを除いて存在しなかった。彼の稀有な政治的才能のみがこのいびつな共同体をひとつの方向に牽引していたのだから。
彼の死後、計画は船頭を失った船のごとく迷走し、瓦解。そのごく一部がルビンスキーの火祭りと称される自暴自棄なテロ計画や地球教による皇帝暗殺未遂に発展することになる。
なお、この時期、すでにイゼルローン武装勢力は指導者であったヤンを失ったことにより、以前からの軍閥的色彩をさらに強め、実質的な世襲体制(民主的的選挙によることも無く、ヤンとの個人的繋がりのみを根拠として彼の妻子が全権を掌握していた)に移行していたから、トリューニヒトの死をもって同盟建国以来の正統的な民主主義政治の火が一旦失われたと結論づけても良かろうと考えられる。
…以下はトリューニヒトに協力した民主主義政治家たちの顛末である。
イゼルローン武装勢力が主体になって建設されたバーラト共和国が、銀河の楽園との言葉とは裏腹に神秘的な全体主義国家だったことは、今では明らかになっているが、近年の研究によればバーラト共和国建国当時、トリューニヒト計画に関わってきた多数の政治家、テクノクラートたちが極秘裏に入国を果たしていたらしい。(これらの中には世襲に疑問をもち、一旦離脱したムライ提督の一派も含まれていたようである)
民主主義国家再建を期して入国してきた彼等旧トリューニヒト派の要人たちは当初、バーラト政府により歓迎された。
が、やがて「再教育」の名のもとに大半が粛清され、生き残った少数も、のちのヤン主義革命においてことごとく「反動分子」とされ非業の死を遂げたという。
これにより帝国内部の共和主義者は一掃された。
バーラト共和国は帝国当局との密約どおり、危険な共和主義者たちの活動家を捕囚する収容所国家としての役割を忠実に果たしたのだ。
-------------------------------------------------------------
どうでしょうか(笑)
才能無いのでいまいち出来が悪いですが。(^^;
最後のオチは新Q太郎さんのバーラト共和国のあれに繋げてみました。
好評であれば続編も考えます。では!
これもサイコー(笑)。
特に
> そう、彼等イゼルローン武装勢力の主体的行動による新帝国の国家的危機など本来ありえなかった。(この時期の獅子帝については次章にて詳述する)
> これに引き換え、トリューニヒトが帝国内部で行っていた合法・非合法とり混ぜた様々な政治工作は、建国間もない新帝国にとって劇薬そのものであった。
これ↑はするどい見方ですね。
帝国の史家たちはヤンを持ち上げる一方で体制にとって真に危険なトリューニヒトを貶めることでその戦略自体も抹殺したかった!?
これ、おもしろいですわ。
過去の史観と言えば、よくヤンはこんな意味の述懐を呟きますね。
「ハンネセン(や、その時代の民主主義)は尊敬しているが、今の同盟は……」
意図的にか、ハイネセンとその一派は理想的共和(民主)主義者として描かれていますね。だから、あたかも孔子が周公の時代を理想の引き合いに出すがごとく、先程のヤンのつぶやきが出てくるのです。
「恣意的な歪んだ歴史」というのなら、ヤンが拠り所にしていた歴史自体が恣意的に変更されていた可能性が高いと私は考えます。
ハイネセン一派が理想的共和主義だったというのが相当怪しい。
ロンゲストマーチのような非常にシビアな状態では、強烈な専制的なリーダーシップが無いと絶対に目標は達成できないこと、そのためにパルチザンはセクト的になること(もちろん粛正もつきもの)が必然的なのは、それこそ「歴史が証明」しているからです。
たぶん、ロンゲストマーチの最中に、ちょっと執行部に異論を挟んだために「貴様の思想は帝国主義的だ!」「この帝国シンパめ!」「総括しろ!」とか言われて粛正された人は多かったんじゃないでしょうか。逆にそうでなかったら帝国の策謀によって壊滅していたんじゃないでしょうか。
私の与太ネタがきっかけになったとするなら大変光栄ですが、
これはストーリー・シミレーション的にも大変面白いし、知的にも興奮させられます。
前者に関していえば、同じ「正典(キャノン)」から離れた偽史でも、この手の話には架空の人物、架空のモチーフを用いて結果を書き替えるもの(「大逆転・リップシュタット」はそうですね)の他に、結論(最終的な結果)は変わらないものの、その過程や裏面には、こういうお話があったんだよ…とするタイプがありますよね。
(ダルタニアンが清教徒革命時に英国王を救おうとする話、山田風太郎の一連の明治物、「ジャッカルの日」…など。「帝都物語」は前半が後者で後半は前者ですね。田中氏の中国物もこれが多い)
この場合は、基本的な事実、表面的な事実は改変できず、逆に自分の持っていきたい結論にうまく「正典」の事実を利用しなきゃいけない。密室殺人とアリバイ物のどちらが難しいかというようなものですが、これは別の魅力があります。
その点で、正典ではトリューニヒトの怪物的不気味さの証明だった「帝国内での立憲運動」や、色が違えど帝国を別方向から守ったというオーベル・ミッター対立、「一仕事を終えて去っていく」というムライの潔さ…などが、ここではオセロのように一気に反対色に染まっていくのですね。
それを、後世の在野の歴史家が、のちの権力によって隠蔽された歴史を暴いていくという形にしたのも皮肉で秀逸です。
むろん、この「真―」の面白さは銀英伝が「正史」たり得ているからこその面白さ(きちんとした歴史だからこそ善悪が引っくり返ると面白い)であり、銀英伝の価値を逆方向から照らすものだと思います。
レスありがとうございます。
>小村損三郎さん
ありがとうございます。
この疑問点は私が銀英伝初読のころから引きずっていたものです。まがりなりにも形に出来て、あまつさえ反応があるとは非常に嬉しいです。
>管理人さん
投稿ミスを何度か繰り返して、申し訳ございませんでした。
ハイネセン関連も色々出来そうですね。長征中の出来事は絶対歪曲されて後世に伝えられているでしょう。上手く纏ればネタにしてみたいと思います。
>新Q太郎さん
あのバーラト共和国がきっかけで、一気にこの宇宙史観が固まりました。ありがとうございます。確かにあの面々で国家建設に乗り出すとああなりかねんなぁと笑うやら納得するやら。
あと、田中芳樹が三国志演義を評して「曹操の死の際の詩を勘繰ると、三国志の表面的な勧善懲悪的な色彩が覆る」というような大意の文を書いておりまして、それなら銀英伝でもそれが可能だなと思い至ったのが、そもそものはじまりであります。
もっと続けて下さーい。これは今まで私がこの掲示板で見た中で最高に面白かったです。列伝などの形で収容所惑星で死んでいった人や脱出に成功して長征した人々などの記録を読みたいです。
> ロンゲストマーチのような非常にシビアな状態では、強烈な専制的なリーダーシップが無いと絶対に目標は達成できないこと、そのためにパルチザンはセクト的になること(もちろん粛正もつきもの)が必然的なのは、それこそ「歴史が証明」しているからです。
> たぶん、ロンゲストマーチの最中に、ちょっと執行部に異論を挟んだために「貴様の思想は帝国主義的だ!」「この帝国シンパめ!」「総括しろ!」とか言われて粛正された人は多かったんじゃないでしょうか。逆にそうでなかったら帝国の策謀によって壊滅していたんじゃないでしょうか。
末期にはリヴァイアス状態だったりして(笑)。
ハイネセン「おれたちが共和主義者の法律になるんだ!」
グエン「こんなの・・・、こんなのおかしいだろ!ハイネセン。」
ハイネセン「お前の正論はイタすぎんだよ!」