このHPを見つけてから、批判材料探しのために改めて創竜伝を読みなおしています。しかし改めてみてみると、批判すべき個所があまりにも多すぎる!! 社会評論のほとんど全てが批判材料ですね。朝日新聞社説など目じゃありません。そんなわけで、1巻から順番に読んでいったほうが賢明と考え、少しずつ読んでいき、作品批判も1巻から始めたいと思います。
そんなわけで(どんなわけだ!?)、今日は田中芳樹作品のゲーム業界における影響について考察してみたいと思います。ちなみに田中芳樹作品がゲーム化したものもありますが、なんかクソゲーが多いような気がします。
田中芳樹作品がゲームに影響を与えられるとすれば、ファンタジー系のRPGかSLG・RPGでしょう。私が知っている限りでは、「ファイアーエムブレム」(FC・SFC)「風の伝説ザナドゥ」(PCエンジン)「ラングリッサー」(多くの機種(^^;))の3つが多かれ少なかれ影響を受けていると考えています(ちなみに全てシリーズものです)。
「ファイアーエムブレム」はSFCの1・2の合成版しかやっていないのですが(最新作の聖戦のなんとかはやっていません)、これは主人公マルスが1国の王子で、幼少の頃に同盟国に裏切られて竜族の国に国を奪われ、16歳になって仲間たちと協力して国の奪回と敵国の打倒をめざすというもので、これはアルスラーン戦記のパクリですね。聖剣ファルシオンを手に邪竜を封印するというシナリオも、宝剣ルクナバードが元ネタのようにみえますし。それとも逆にアルスラーン戦記の方がパクッたのかな?
「風の伝説ザナドゥ」は登場人物自体がすでにアルスラーン戦記のコピーです。登場キャラクターの性格・設定がそっくりで、おまけに起用している声優さんまでがアニメ版とほとんど同じです。アルスラーン戦記のファンならばぜひやってみる価値があるのですが、このソフト、PCエンジンのソフトですからもう絶版状態なんです。このソフトの製造主である日本ファルコムさんがどこかのゲーム機種に移植してくれれば良いのですが。
今でも手軽にできるソフトといえば、やはり「ラングリッサー」シリーズでしょう。これは非常に多くのゲーム機種で移植されており、全シリーズのパックも売られていますので手に入りやすいと思います。このゲーム、聖剣ラングリッサーと魔剣アルハザードをめぐって様々な争いを繰り広げるというSLG・RPGですが、1と3の序盤のシナリオはファイアーエムブレムと同じで、2と4は選択肢によってストーリーが分岐し、5で一応完結しているゲームです。このゲームは政治的・軍事的な思想が銀英伝とよく似ていて、特に2はストーリー分岐によって所属する陣営が変わるので、その陣営の視点からものを見ることができ、一元的で一方的ななものの見方ができないようになっています。これがこのゲームの中で一番気に入っています。またキャラクターも銀英伝とよく似たキャラクターがいます。特に4のウィラー提督とセレナ将軍は、ヤン・ウェンリーとフレデリカの完全なパクリと断定できます。この2人を見たとき、思わずニンマリとしてしまったものです(^_^)。
こうやって見てみると、アルスラーン戦記と銀英伝の影響を受けたゲームソフトはあっても、創竜伝の影響を受けたゲームソフトはほとんどありませんね。こちらは私が見た限りでは全くありません。誰か知らないでしょうか。
>冒険風ライダーさん
ファイアーエムブレムの初回作、「暗黒竜と光の剣」の発売は'88。アルスラーンの一巻の発売は86'で、二巻が'87です。任天堂がゲームの開発にかける期間は普通2年以上ですから、パクリと言うのはあんまりです。そもそも、聖剣を以って悪い竜を退治する、と言うストーリーはファンタジーの王道です。又、作中にはヒロインが敵方の兵士を「貴方は神を信じますか?」と言って勧誘するシーンもあったりします(SFC版ではカット)。取り敢えず、あの作品は断じてパクリではないと思います。
それと、田中芳樹のパクリは某四角な会社が良くやります。しかも表層のみのそりゃあもうひどいのを…。ロマンシング・サ・ガ2なんて、良い例ですね。出てくる軍師が皇帝に向かって「帝国が繁栄しつづけるため」の方法を説くシーンでは、パッドを画面に投げつけましたよ。10巻のユリアンの台詞まんまのパクリです。オチは「そして帝国は共和国となりましたとさ」です(何の伏線もなく、歴史的な必然をも描かず)。それにしても、私が気になるのは、四角の例をあげるまでも無く、表層的なパクリで終わっている点です。何故銀英伝やアルスラーンに習って、重層的な人物描写や世界観を描けないんでしょうかね?この辺は、ゲームと言う文化の未熟さでしょうが…
ちなみに、創竜伝がパクられないのは単に「主人公が無敵じゃゲームにならない」と言うのが全てだと思います。「マジンガーZがロボット対戦で
全然強くない」事を批判されている様に、ゲーム性と両立させては、再現できないからでしょう。ま、最近のRPGの主人公達は軒並み竜堂兄弟の如く一方的にザコ敵を大虐殺してますが。(あ、創竜伝はそう言う意味があったのか!(笑)機動隊や自衛隊は「一山いくら」の雑魚敵で、牛種はラスボス。そう言えば目的もそれっぽいし。)
以下脱線。
「今、世界は大いなる危機に直面していた。悪の牛種は帝国を操り世界を破滅に直面させる。愚かな民衆はその悪の帝国に欺かれ、僕と化して破滅に手を貸している。しかし、希望は絶えていなかった!数千年の時を越えて、封じられた勇者が復活する!ゆけ、使命の子らよ。数千年の永きに渡る封印は今解き放たれた。今、世界の命運を賭けた戦いが始まる…ドラゴン・ファンタジー12Comming Soon !」
……もう少し捻りたい所ですね。
途中から完全に脱線してしまいました。すいません、って最近こればっか。
田中作品とゲームとの影響とのことでしたが、それは「田中作品に影響を受けている」旨制作者なり開発会社なりが発言していたんでしょうか?
他のゲームについてはよく知りませんが、ファイアーエムブレムについてはそんなに似ているとは思えないのですが。
1.同盟国の裏切りにあった亡国の王子が国を取り戻すために立ち上がり、
2.旅の過程で神剣ファルシオンを手に入れ、
3.悪の竜族メディウスを倒す。
……だけでは似ているとする根拠に欠けるような気がするんですが。
使っている道具は同じですが「貴種流離」ものでは珍しくない設定だと思います。
(すみません、田中芳樹を撃つ!の本筋から離れてますね)
う~ん、様々な方からたたかれていますね~。申し訳ありません。ファイアーエムブレムと聖剣のことについては私の見当はずれでした。ファイアーエムブレムはだいぶ前にSFC版をやっただけでしたので、かなりうろ覚えな所がありました。1988年に出ていたのですね。私は1990年頃かと思っていました。う~ん、なれない事はするものではありませんね。変な事を主張した事をお詫び致します。しかし残りの2つについては結構やりこんでいましたので、こちらには自信があります。「ラングリッサー」シリーズはお勧めですよ。もっとも、もうやってしまってそう評価しているのかもしれませんが。それでしたらすいませんね。
それと
<創竜伝がパクられないのは単に「主人公が無敵じゃゲームにならない」と言うのが全てだと思います>
なるほど、そういう事でしたか。私はてっきりあの「イデオロギー絶対主義」的なところが避けられている理由だと考えていました。発想の転換が全然なっていませんね、私。
「イデオロギー絶対主義」といえば、「サクラ大戦」シリーズがそうですね。あのゲームのストーリーは善と悪がはっきり分かれすぎている上、主人公達が自分達の使命に酔っているさま(「帝都を守るために悪と戦う」というような事を言っているのがその典型。あんたらは完全な善なんかい!)が鼻につき、個人的に私は好きではありません。しかも敵が悪党として書かれすぎていて同情の余地がまるでありません。「敵には敵の主張と正義がある」「味方の主張と正義にも誤りがある」「一方が全面的に正しく、他方が全面的に誤っているということはない」などという視点が全くないのです。「サクラ対戦」のゲームのシステムとキャラクター性はかなり評価できるのですが‥‥。あかほりさとる氏のシナリオはみんなこうなのでしょうか?
‥‥ハッ、なに私はこんなゲームの話ばかりしているのでしょうか。しかも大きく脱線してるし(^^;)。ドロ改さんとりえさん、私のしょうもない雑談に付き合い、しかも間違いを訂正してくださり、さらにドロ改さんにはパクリソフトの情報まで教えてくださってありがとうございます。私の失点は、これからの我流の田中芳樹作品批判で回復したいと思います。どこまでできるか分かりませんが(^^;)、言いたいことはいっぱいありますので。
>朝日新聞社説など目じゃありません
あはははは(^_^)。私も創竜伝の気になる部分に付箋を貼ってますが、付箋のせいで本の厚みが変わるほどです^_^;
>ファイアーエムブレム
パクリではないでしょうが(台詞の傾向とか全然違うし)、雰囲気が似ている部分は確かにあると思います。私も勝手にアルスラーンとダブらせて楽しんでました。キャラクタをリネームする機能があったら、ぜったいヤバい事になっていたでしょう(^_^;)
>某四角な会社
>ロマンシング・サ・ガ2
>ゲームと言う文化の未熟
このへんについては言いたいことが腐るほどあるのですが、それに触れるとまたホームページが出来てしまいそうなので(^_^;)、あえてやめておきます。わざわざ作らなくても、批判ページもたくさんありますしね。
ただ、ロマサガ1は私的には愛すら覚える名作だったので、あれ以降の作品は目にするだけでいたたまれませんね。
>あかほりさとる
田中芳樹は優れた作品を過去に書いていながら、現在はやる気のない駄作を連発しているところにふざけた部分を感じるのですが、この人の場合ははじめからアレなので別にいいと思います。
余談なんですが、田中芳樹は「創竜伝」を風刺のつもりで書いているんでしょうか?
風刺だったら、だんご三兄弟の替え歌の方がよっぽど優れてますよ(ところでチェーンメイル来ましたか?^_^;;
の軍師のセリフって、アルスラーンのパクリと言えばパクリですけど、(そのセリフを)アルスラーンにパクられた三国志の立場は一体’(笑)。
本題から外れますけど、彼の書いたものが面白いと思われる方いらっしゃいますか?「機動戦艦ナデシコ」のテレビ放送をわざわざビデオに撮ってまで最初から最後まで見たんですけど、ついに何が面白いのか理解できなかったんですわ。これが面白がられる、ってのは、私の感覚がもう古くてずれているのかな?と悩まないでもなかったです。でも、例えばですけどエヴァンゲリオンは騒がれてから夜中に再放送したのを見ましたけど、後半から最後が破綻しているのを除けばまあまあ面白いと思ったし、スレイヤーズも原作は割と面白かったので、そんなにずれているのかな?とも思わないでもないんですよ。みなさんどう思います?
うーむ、まさか不沈戦艦さんからくるとは思わなかった、意外(失礼)
>「機動戦艦ナデシコ」
これに関しては、当時の先輩から「あのアニメは見ると頭が悪くなるから見ないように」と忠告されたのが印象的でした。
ところで、昨年夏の交通安全のポスター(ルリルリがシートベルトを締めているヤツ)はキてましたね。あれ、警察庁がらみですよ。全国の交番や警察署に貼ってありました。どう考えても、現実の警察に創竜伝の警察ほどの甲斐性(もちろん皮肉ですよ)があるとは思えんと思った出来事でしたね。
オウムの指名手配のポスター「平田 意外とでかい」とか、最近の警察のポスターは妙に同人センスです(良くも悪くも)
ところで、あのアニメってぽりりん噛んでましたっけ(>あまり興味がなかったので詳しくない)
まずはじめに言っておきますがサターン限定なんで解る人少ないんじゃないかと思いますがもう設定がまんまパクっているのがあります。そのゲーム名はシャイニングフォース3といいまして古くからセガの誇る大作SLGなんですが3の設定を見たときはほんとにもう「やっちゃったー」って感じでした。おおまかなストーリーを説明しますとデストニア帝国とアスピニア共和国の戦争から黒幕のブルザム教を倒す戦いへとなり共和国の勇者と帝国の王子と流れ者の傭兵が力をあわせて戦うという話でシナリオ1、2、3と3回にわけて発売されたソフトで楽しむというものでした。ゲーム自体はFEと並ぶほど面白いのですが設定がパクリそのものです。まず暴君である皇帝に反旗をひるがえしてできた共和国。二国間の戦争の間に帝国から独立を認められた商業国家サラバント。そのサラバントの領主が実は戦争を裏で操り、ブルザム教という邪教と密接な繋がりがあって陰謀をめぐらす...。フー、こんなのよくだせたなーと思うがさすがに似ているだけあって面白いです。機会があればプレーされるのをお薦めします。
>「イデオロギー絶対主義」といえば、「サクラ対戦」シリーズがそうですね。
冒険風ライダーさんはじめまして。
>敵が悪党として書かれすぎていて同情の余地がまるでありません。「敵には敵の主張と正義がある」「味方の主張と正義にも誤りがある」「一方が全面的に正しく、他方が全面的に誤っているということはない」などという視点が全くないのです。
確かにその通りで僕も1をやった時にはそう思いました。しかし今では「これはこれでいいんじゃないか?ここまでストレートな勧善懲悪だったら無邪気に楽しむぶんにはこれでなくっちゃ」とまで思うようになりました。僕がいまだに金曜ロードショーがあればビデオを持っているくせについつい見てしまう天空の城ラピュタと見る感覚は同じです。「ムスカは不治の病を持つ妹を治すためにラピュタの力を手にいれようとしたのじゃよ」なーんて設定があったらパズーに肩入れして素直に楽しめないじゃないですか(笑)。サクラ大戦も似たようなもんじゃないですか?
「走れ光速の帝国華撃団、唸れ衝撃の帝国華撃団ー」は前の僕の携帯の着メロです(笑)
私はそんなに勧善懲悪を否定する気は起きないんですよ。カップラーメンが海原雄山的に考えればバカで不誠実な食べ物であるにもかかわらず、なんとなく好きなのと同じような感覚で(笑)。
だから、やったことがないので誤解があるのかも知れませんが、それを恐れずにいってしまえば、サクラ大戦の勧善懲悪はそれはそれでいいと思います。たぶん、戦隊モノのノリだと思うから(>違っていたらツッコんでください<m(__)m>)。これは、映画館の売店でカップラーメンが売られているようなもので、それはそれなりに正しい売り方だと思います。
問題なのは、自然食レストランを標榜する店で、カップラーメンが出てきた場合で、これは不誠実だと言いきっていいし、怒らなくてはならないですよね。
創竜伝は、これにあたると思います。
評論部分や台詞で散々「正義は一面的に相手を否定するから悪い」だとか「抵抗できない相手に暴力を振るうのは想像力の欠如で人間性の欠如だ」という類の説教を垂れているくせに、自分がその絶対的正義そのものなのですからね。
不沈戦艦さん、あかほりさとるのシナリオは、政治的な主義主張に目をつぶればおもしろいものですよ。ギャグがかなりありますしね。私もサクラ大戦をそうやって楽しんでいました。彼は政治的な主張をするシナリオを作らずに、どたばたコメディーの方面に集中すれば良いと思うのですが。
そうそう、銀英伝の名からパクッたとしか思えない「銀河お嬢様伝説ユナ」という名のシリーズもののソフトがPCエンジンにありました。このソフト、2作目からあかほりさとるがシナリオを担当しましたが、それから全く面白くなくなりましたね。あの男の趣味でストーリーが構成され(あの男が名前のモデルであるというポリリーナというキャラが登場する)、3作目以降、ストーリーに大きな矛盾が発生しています。1作目が結構名作だったので、あかほりさとるがシナリオを構成すべきではなかったですね。あれには私も失望したものです。
なぞの高校生さん、こちらこそ始めまして。これからよろしくお願いします。
「シャイニングフォース」という名前は聞いた事がありますね。しかしSLGだったのですか。RPGと考えていましたし、FXゲームに集中していましたからサターンの情報はなかなか入ってこなかったのですよ。私はいろいろな機種をもっていますので、中古でもあったら見てみましょうか。
後、「サクラ大戦」はストーリーは好きではありませんでしたが、私も水準以上のソフトだと思います。結構楽しめましたですしね。ただ、クリアまでの時間が非常に長いので、全ての女性の攻略が気力の問題で力尽きてしまうのがたまに傷でしたが‥‥。それと1をやった頃は、私は「左」の方に思考が傾いていましたので、「何で戦前の帝都を守るのが正義なんだ!」と、今にして思えばアホな事を考えていたものです。若気の至りってやつですか? う~ん、なつかし~。(ほんの2,3年前の事ですけどね)
管理人さん、サクラ大戦が戦隊モノのノリであるのはまさにその通りです(なんと決めポーズまであります(^^;))。それと勧善懲悪も全く間違ってはいないでしょう。ただ、私は「自分達が絶対に正しい」と信じて「一致団結」し、敵の立場や信条を「悪」と決めつけて全否定するのは余り好きではないんですね。気色悪いですもの(^^;)。サクラ大戦で私が嫌いなのはまさにそこです(特に2)。創竜伝の竜堂兄弟と同じような空気を感じましたよ。
引越しなどの理由でちょっぴりあいだが開いてしまいました。しばらく見ないでいると数多くの書き込みがされていてすごいですね。
サクラ大戦の話が出ていたので一言。あのゲーム私もプレーしましたが、政治的思想がどうの、勧善懲悪がこうのという前に、よくも悪くもプレイヤーの欲求を満たす「お約束」でなりたっているゲームという感想でした。
自分が格好の良い海軍士官になって(陸戦指揮なのに)、女性からなる部下を率いて悪と戦う、というのは入り込めれば楽しいです。何が悲しゅうてロボットで市街戦せにゃならんのだ、とか、野砲や航空支援はないんかい、なんて考えてしまう人には入り込めなかったんで1回しかクリアしなかったですが。
だから、カップラーメンの例えは賛成です。少なくとも売り手も買い手もわかってやってるとしか思えませんから。創竜伝の場合はどうでしょうね。わかってやってるのだと思いたいところですが。
>オチは「そして帝国は共和国となりましたとさ」です(何の伏線もなく、歴史的な必然をも描かず)。
昨今は余り見かけませんが、一昔前のライトファンタジーでは良くあったオチです。
しかし民主主義を実現する王様が、大抵は立派な人格者で、何だって民主主義を導入しなきゃならないのかがさっぱり分からないのが普通でしたね。
まあ「この作者は『衆愚政治』と言う言葉を知らないらしい」と突っ込むぐらいに留めておきますが。
ただ、こういった作品が少なくなったのは銀英伝の功績が大きいと思いますので、この点は田中氏を評価してます。
>田中芳樹は「創竜伝」を風刺のつもりで書いているんでしょうか?
私見ですが、以前に非難した「ガンダムW」と同じで「作り手は真面目に訴えているつもりだが、読み手にはとてもそうは見えない」と言うやつではないでしょうか。
風刺なら対象を打倒してしまうのは厳禁です。
また主役はあくまでも為政者か民衆(被害者とは限りません。「たくましい民衆と間抜けな為政者」を描くモノは結構あります)でなければなりません。両者を超越した存在を出してしまったら「風刺」ではなく「活劇」です。
前に言った「架空戦記」における「リアルなシミュレーション」と同じなのですが「活劇的な面白さ」と「風刺」はかなりの程度、相反する存在です。
もちろん手がないわけでもありません。反権力的な作品をよく読んでる人は見当がつくと思いますけど、権力者を「越えられぬ壁」として描き、それにぶつかった主人公が足掻きながらも破れるのなら良いわけです。
実際、これまでの反権力を描いた作品は、どちらかと言えばそんなオチが多かったと思います。
古典では「水滸伝」が筆頭ですし、アニメの「太陽の牙ダグラム」、漫画の「男組(雁谷哲)」、「ワイルド7(望月三起也)」、「光る風(山上たつひこ)」のように権力の前に敗北してしまうのは珍しくありません。
(なお昔の「熱血スポーツ漫画」もアンハッピーエンドが多いのですが、当時の作者たちには、まだ「越えられぬ壁」の存在が実感されてたのでしょうね)
結局のところ田中氏をはじめ、昨今の反権力ものは「活劇的な面白さ」と「権力への風刺」と「ハッピーエンド」を全てやろうとするばかりに、どっちつかずの話にしてしまっています。
しかも故意かどうかわかりませんが「フィクションの話」なのか「現実への批判」なのか境界が曖昧にされているのは読んでいて首を捻らざるを得ません(こんなところも「架空戦記」と同じです)。
>評論部分や台詞で散々「正義は一面的に相手を否定するから悪い」だとか「抵抗できない相手に暴力を振るうのは想像力の欠如で人間性の欠如だ」という類の説教を垂れているくせに、自分がその絶対的正義そのものなのですからね。
こういった「非難した相手の悪いところを真似ているが、本人はそれに気づいていない」というのはよくある話です。
特定の対象を否定すると、当然「~はあり得ない」事になります。しかし人間の考えることなど立場はどうあれ、たかがしれています。否定する側にも、その対象と同じような要素が含まれているのはむしろ当然です(政治腐敗を糾弾する政治勢力が、権力を握ったときに腐敗しないと誰が保証できるでしょうか)。
しかし「~はあり得ない」ことになってしまうと、それに対応することはできません。
たとえば最近の例としてはIOCが挙げられましょう。IOCではいかに会計が不明瞭であろうと、これまで全く問題にされてきませんでした。なぜなら建前上IOCは「金と無関係」だから、そんなことをする必要が無いのです。
それどころか「会計の正常化」を訴えることは、それまで「会計が正常でなかった」ことを認めることになりますから、なおさら手が着けられず自浄能力が働きません。
そんなわけで「金と無関係な、善意と良心の団体」は、いともたやすく腐敗してしまいます。これは「金」を「権力」や「暴力」と言い換えても同じ事です(って、銀英伝2巻のパクリだな)。
またこの手の論理を振りかざし始めると、手段と目的の区別が付かず、より悪い事態になることを理解、というか直視できないことも珍しくありません(この点を正面から描いたのが「太陽の牙ダグラム」のクライマックスでした)。
たとえば最近は事実上消滅した非武装中立論において「外国に侵略されれば降伏すればよい」との主張が展開されてました。
ここには重大な矛盾が存在します。元々「非武装の理念」は軍事力に対する不信感から成り立つ存在です。
しかし「降伏論」では「自前で軍隊を持つぐらいなら、外国の軍隊に占領された方がまし」と言ってるわけですから、要するに「日本国民で構成され、日本政府の指揮下にある軍隊」よりも「言葉もろくに通じない、日本国民の管理も及ばない他国の軍隊」の方が信頼できると言ってるも同じことでしょう。
こんな論理が多くの政治家や識者によってまことしやかに流布されていたのが戦後日本の現実です。「非武装の理念」という絵空事を、現実に当てはめようとするとこんな馬鹿げた矛盾を抱え込まねばならなくなるわけです。
まあ田中氏の主張はここまで極端に現実離れしているわけではありませんが、特別悪い例として挙げておきます。
とは言え銀英伝2巻の救国軍事委員会にて、その手の連中を痛烈に非難しておきながら、田中氏自身がその落とし穴に落ち込んでしまうとは、「妖精事件」のコナン・ドイルを彷彿とさせますね。
>あかほりさとる
> ところで、あのアニメってぽりりん噛んでましたっけ(>あまり興味がなかったので詳しくない)
からんでたかどうかはよく知りませんが、私の分類ではあの手の作品は“あかほり系”のカテゴリーに入ります(笑)。
って、実はあかほり氏の作品はほとんど見て(読んで)ないんで偏見があったらすみませんが。
たしか創竜伝のアニメのシナリオは書いてましたっけ?
と思ったら・・・
>政治的な主義主張に目をつぶればおもしろいものですよ。ギャグがかなりありますしね。
>私もサクラ大戦をそうやって楽しんでいました。
>彼は政治的な主張をするシナリオを作らずに、どたばたコメディーの方面に集中すれば良いと思うのですが。
げげーっ、「政治的な主張」なんてしてるんですかあ!?ちーとも知らんかった(^^;;;)
何せ私はアニメに関しては頭の中が80年代で止まってますので(爆)「ブレンパワード」や「ガサラキ」は見ても、今風のやつには馴染めんのです。
「ナデシコ」はメカが80年代風だったので見てたけどちっとも面白くなかったし。
そういう意味では
>私の感覚がもう古くてずれているのかな?と悩まないでもなかったです。
というのは私も同様です(TT)。
すいません、言い方が悪かったです。政治的な主張といってもイデオロギーのような物ではなく、「自分の陣営が絶対に正しく、悪の打倒のために一致団結して戦う」と、後「弱者救済絶対主義」という主張です。彼の作品にはそういうのがたくさんあります。味方も敵も分裂して戦い、第3勢力が介入するという事がほとんどありません。敵もひたすら悪く書かれています。
それとあかほりさとるは、田中芳樹の「ウェディングドレスに赤いバラ」のCDドラマでシナリオを担当した事があります。あの2人のコンビは面白そうです。どんな話なのやら。でもそのCDは聞いてませんけどね(--)。
>しかし民主主義を実現する王様が、大抵は立派な人格者で、何だって民主主義を導入しなきゃならないのかがさっぱり分からないのが普通でしたね。
昔話で悪人がコロリとお坊さんに参ってしまう話がありますが、これと同じようなものじゃないでしょうか。つまり、彼らにとっては民主主義は単なるイデオロギーを超えた絶対肯定するべき宗教なのでしょう。それが、どれだけ民主主義を毒しているかも考えずに。
>結局のところ田中氏をはじめ、昨今の反権力ものは「活劇的な面白さ」と「権力への風刺」と「ハッピーエンド」を全てやろうとするばかりに、どっちつかずの話にしてしまっています。
詳しい説明をありがとうございます。納得です。
>否定する側にも、その対象と同じような要素が含まれているのはむしろ当然です(政治腐敗を糾弾する政治勢力が、権力を握ったときに腐敗しないと誰が保証できるでしょうか)。
まさにこの行動原理がファシズムでありスターリニズムそのものなのですよね。ファシズムは創竜伝では悪の代名詞扱いされていますが、当然ながら本来は政治学のタームです。
原理的には、創竜伝はファシズム小説そのものなんですよ。
>>私の感覚がもう古くてずれているのかな?と悩まないでもなかったです。
>
>というのは私も同様です(TT)。
ナデシコやブレンパワードを若者感覚の代表とされてしまったら、若者の立場がないですがな(^_^;)
皆様、こんにちは。久しぶりに暇ができてROMしまくりました。
「ブレンパワード」や「ナデシコ」といったアニメはどうも年代的に受け付けないのですが、「サクラ大戦」はやったことがあります。あれを見ていると私などは「タイムボカンシリーズ」を思い出しました。
子供向けの勧善懲悪ものであり、30分のうちに一話が完結し、必ず「正義は勝つ」の決めゼリフで締めてました。シリーズが何作まで続いたのかは知りませんが正義の味方は次々変わるのですが悪役トリオは変わりませんでしたね(声優が)。悪役の3人の方が子供たちには人気があったのではないでしょうか。
でも当時は悪役3人が爆発して飛んで行ってもかわいそうとは思わなかったし不思議には思いませんでした。それは彼らが悪役だったからです。で、なぜ彼らが悪なのかというと、それは彼らが悪いことをするからではありません。彼らが「自分たちが悪である」と自覚していたからです。(歌詞に”悪いこと大好き~”のようなフレーズが入ってました)
水戸黄門も昔は(印篭を出さずに「先の中納言」と名乗っていたことを知ってますか?今はつまらないので見ていません)悪役はどこまでも悪でした。悪役面で山吹色のお菓子をはさんで「そちも悪よのう」「いえいえ、・・・・」と自分たちの悪を自己主張していましたし、それを叩くのに黄門様たちも深く考える必要はありませんでした。
要は勧善懲悪を行うためには相手が悪であると自認している必要があり「盗人にも三分の理」ということを視聴者に考えさせてはいけないのです。上で挙げたものはあくまでもフィクションであり、パロディであるのでそれが娯楽となるのですが、現実もしくはリアルさを追求しようとするのであれば両者ともが正義であり、悪を追求して行動する人も居ないので勧善懲悪は成立しません。しかし、困ったことには世の中にはパロディと現実の区別がつかない人や分かっていて人に混同させようとする輩がいますね。
私は以上のような理由で「サクラ大戦」をパロディとして楽しみました。最近の低レベルな相対主義で敵味方の立場の裏を読ませ、お涙を頂戴させようとするくせに、そのせいで作品全体を破綻させてしまうゲームやアニメよりはよっぽど娯楽性が遭ったと思います。(でも、最後は昨今の悪しき風潮に片足突っ込んでいたような・・・最後まであのノリを捨ててほしくなかった)
最後に水戸黄門の余談ですが昔、某週刊誌で連載してた「江戸むらさき」は面白かった。本来「パロディ」である時代劇の裏をわざと読むことで「風刺的パロディ」に仕立てていた。(私は小○館の廻し者ではありません。念のため)
>北村賢志さんへ
>風刺なら対象を打倒してしまうのは厳禁です。
とするとやっぱり、創竜伝の本質は「風刺」ではなく「架空戦記の左翼版」なんでしょうね。
そう考えると“卑小で低劣な人格の政治家・保守論客”のキャラクターも、トンデモ架空戦記によく登場する“信じられない程無能な米大統領or司令官”や“日本人を「糞猿」よばわりする米軍人”といったキャラに通底してるのでしょう。
カリカチュアと意識してやってる分まだ田中氏の方がマシ、と言えなくもないですけど・・・。
実際、非現実的な超パワー(=超兵器)で保守派や権力者や権力の「イヌ」を叩きのめす主人公たちの活躍に胸のすく思いをしたり溜飲を下げたりするさよっきーや元さよっきーも多いと思います。
「これはフィクションです。」と開き直る一方で現実や歴史への文句をたれる姿も某センセイとそっくりですし。
>管理人さん
>ナデシコやブレンパワードを若者感覚の代表とされてしまったら、若者の立場がないですがな(^_^;)
「ブレン」と「ガサラキ」を挙げたのは、“80年代のテイストが感じられるので個人的に口に合う”作品の例としてです。
(前の書き込み訂正 「今風のやつ」の前に「その他多くの」が付きます。)
もちろんこの2作が飛び抜けて面白いとは思いませんが、何せ監督が監督なので(笑)。
殆どパブロフの犬状態。
「昔はよかった」なんて言うつもりは毛頭ないし、今でも優れた作品は多々あるとは思いますが、そもそも食指が動かないんですよねー。(「ウテナ」とかも見てない)
「アニメへの関心が薄れた」
と言ってしまえばそれまでかもしれませんけど。
お久しぶりです。
田中作品の影響はドイツ臭い世界観を持った作品を増殖させたという点も注目されます。
ゲームのシュヴァルツシルトシリーズはまさにそうで、1989年の「帝国ノ背信」では「ゲルーマン」という敵国があり、その名の通り指導者もドイツ臭い顔をしていました。 (そのほかにも「イストラムー」「モンゴリアン」の指導者は民族衣装を着て登場します。しかしイストラムー王はイスラム教というよりもローマ教皇ぽかったなあ)
1987年に登場したシュヴァルツシルトシリーズは大ヒットしていて現在も続いています。(先日、アキバで積み上げられているのを見た。WINDOWSネイティヴ版は何作出ていますか?)
シュヴァルツシルトの影響で銀英伝ゲームがシミユレーションになったという話を聞いたことがあります。
その他の影響とはキャラクターにドイツ風の名前が多く出てきて書き切れませんが