トンデモ小説が売れる責任の所在
1-A

説教・反省を好む日本人体質の是非(1)

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コンテンツの総収録投稿数21件の内、1~21件目の投稿を掲載

収録投稿1件目
board1 - No.605

はじめまして。ファン・・・かな?

投稿者:
1999年01月23日(土) 14時07分

最近の本は読んでない。思想が間違ってる云々の前につまらんからです。私が今でも愛してるのは銀英伝だけ。(同人誌で遊ばせて貰ってる位だ。オタク嫌いの方いらしたらごめんなさい)他のって別に面白くないな。
エンターテインメントは説教臭いのは駄目!偉そうなのも駄目!これからもちょくちょく遊びに来ますね。

収録投稿2件目
board1 - No.609

説教臭くなくなると…

投稿者:ドロ改
1999年01月24日(日) 23時07分

>エンターテインメントは説教臭いのは駄目!偉そうなのも駄目!

私自身も在る意味共感しますが(説教臭くても面白いのはあるし。初期の創竜伝とか{爆})、一般的にはどうもそうじゃないみたいです。創元社の「エイプリルに恋して」と言う、イギリスのヤングアダルト(と言っても、あっちでのこのジャンルの定義は、「主人公が若者で、露骨なセックス・暴力描写がない」事なのでいいかげんなものではない)小説の後書きに書いてあったんですけど、日本のジュブナイル(あっちでは、以下同上)でヒットするものの条件は、「クールでかっこいい人間が、はっきりしない奴に偉そうに説教するもの」なのだそうです。事の真偽はともかく、田中芳樹の一部の小説は、もろにこの軌道に乗っていると思いませんか?
意図しているかどうかはともかく、田中芳樹の書くものはジュブナイル小説のニーズに合致しているのでしょう。つまり、このページで批判されている田中芳樹のそういった「説教臭さ」は「売れている」事と表裏一体であり、正にエンターテイメントの一部と化しているのではないでしょうか?つまり、批判されている点を取り除くと、田中芳樹は唯の売れない作家になってしまいかねない、と。だとしたら、批判すべきは田中芳樹ではなく、それを読む人間であり(説教されたいの、説教して~と言う人間?)ひいてはそんなに元を生み出している…等となってしまいますね。冗談はさておき、本当にどっちが悪いんでしょうか?ひどい物をリリースする作者と、ベストセラーにのし上げる読者と…
当人の無責任さは別次元の問題でしょうが。

収録投稿3件目
board1 - No.610

日本人は説教されるのが好き?>ドロ改さんへ

投稿者:不沈戦艦
1999年01月25日(月) 00時29分

 なのかも知れません。まあここで歴史観がどうのこうのという話は適当ではないのでやめますが、日本人の性質(もちろん個人個人によって差はありますが、おおざっぱな傾向とでも言いましょうか)からすると、「サルにも反省させる(日光猿軍団を見よ!)」ほど反省好きです。国民的性質とも言えますね。

 まあ、これは、歴史的に長い間に育まれたものだと思います。大陸から進んだ文化が流入する一方で、向こうの方が圧倒的に先進国だった時期が長かった訳です。そういったあり方に反発を感じないでもなかったんでしょうが、そういう状況に長い間置かれればどうしても、基本的に「反省」的にはなるのではないでしょうか。先進の文化が次々と流入し、自分たちがいかに遅れているかを痛感され続けるのですから。「自分たちはやはり間違っていた。進んだ文化を受け入れて、やり直さねば」と、何度も反省しているうちに、それに慣らされたのでしょう。それが「説教されるのが好き」に繋がっていると思います。戦後はその面がいい方向に働きまして、モノ作りの方法をアメリカからどんどん取り入れ、「これじゃ駄目だ、改良の余地はある筈」と自分たちで勝手に改良していって(「カイゼン」は英語でも通じるとか)、一時(80年代)は「日本はアメリカを追い抜いた」とまでに言わしめるようになったんですから。

 また、この傾向も国によって違うもので、お隣の韓国では逆に「自分たちは偉大であり世界一だ」という意識が強いそうです。彼らの「恨(ハン)」という心情も、「自分たちはこんな筈じゃない。もっともっと優れているのが本当の姿だ。負けてたまるか」とマイナスのエネルギーをプラスに転じさせる為のものだとか。非常に近い国でもこんなに民族的なものの考え方が違うものなのかと、実に面白い点だと思っています。

 途中から、日韓文化の違いについての話になっちゃいましたけど、上のように考えるのが日本人ですから、「説教臭い小説が売れる」ってなことになるのかも知れませんよ。ある意味で精神的マゾヒストが多いからこそ、創竜伝が受けるのかも知れませんね。「日本の社会も政府も官僚も政治家も駄目なものばかりで腐りきっている」と言われるのが、精神的マゾヒストには快感なのかな?

収録投稿4件目
board1 - No.613

「自虐」は果たしてマゾなのか

投稿者:石井由助
1999年01月25日(月) 01時56分

 本来の意味での自虐はさておき、>「日本の社会も政府も官僚も政治家も駄目なものばかりで腐りきっている」という類の「自虐」は本当にマゾヒズムなのでしょうか?
 私個人の経験で普遍性のない体験談ですが、恥ずかしながら田中芳樹を盲信していた頃の私も、「日本の社会も政府も官僚も政治家も駄目なものばかりで腐りきっている」と毎日のようにほざいていたものでした。ですが、その時の「日本」には、自分は絶対に含まれていなかったことをよく覚えています。
 端的にいってしまえば、「ったく日本人は駄目だよな。まっ、俺は違うけど。俺をそこらのダメ日本人とひとくくりにするなよな」という認識でしたね(おっ、ボスセブンのCMみたいだ)。
 こんな風に思っていたのは私だけだ、という可能性は皆無ではありませんが、しかし、今でも創竜伝を読むにつけ、「こりゃ、そういう方向に誘導されるよなぁ」と思わずにはいられません(すごい恥をさらしてます)。
 田中芳樹は選民意識や差別主義、エリート意識を批判していますが、これらを否定した(つもり)の人間が、未だに選民意識や差別主義、エリート意識を持っている人間を差別し、ダメ民族だと決めつけるという、思考のドツボに見事はまっている気がしますね。
 エーリッヒ・フロムによると、この状態が「ファシズム」だということらしいのですがね。

追伸
「反省」は日光猿軍団ではないです。猿使い太郎さんのところの次郎君のはず(^_^;

収録投稿5件目
board1 - No.614

楽しく学ぶ

投稿者:やぶにらみ
1999年01月25日(月) 10時57分

田中芳樹氏の作品は、自虐嗜好に訴えかけるよりも、エリート志向をくすぐるようなところがありますね。
彼の日本人批判を、読者は自分を含めずに読んでいる、という指摘は、自分自身の経験から言っても正しいと思います。反体制運動って奴は、しばしば自分も体制を構成するパーツであることを忘れてしまいますから。

あと「お説教」というよりは「お勉強」て感じかなと。それこそ教科書で教えない中国史やら公民やら兵法やら、たくさん載っていますから。
単純に知識が増えるのって楽しいじゃないですか。もっとも、さらに知識が増えていくと、そこに如何にバイアスがかかっていたかも見えてくるのですけどね。

収録投稿6件目
board1 - No.615

いや、そこが日本人的だと思いますよ

投稿者:不沈戦艦
1999年01月25日(月) 11時09分

>「自虐」は果たしてマゾなのか

 管理人さんの「『日本』には自分は含まれないつもり」ってのは、田中芳樹を盲信する人が陥りやすい心理状態をよく顕わしていると思います。普遍性は充分あると思いますよ。だとしても、それは充分「精神的マゾヒズム」だと思います。「日本人は駄目だな、俺は違うけど」と馬鹿にする対象が何で「日本人(俺以外)」となるんでしょーか?

 えら~く差別的に言いますけど(私が考えている訳じゃないですよ)、例えば「韓国人は駄目だな・アメリカ人は駄目だな・中国人は駄目だな、俺たち日本人とは違って」でも良くありませんか?他者を貶めて優越感に浸りたいのならば。なぜわざわざ自分が属する「日本人」でなければならないのか。

 ここなんですよ。優越感に浸りたい場合ですら、自分を除外しても先ず矛先が自らが属する「日本人」に向かってしまうところが「精神的マゾヒズム」なんです。日本人以外では、先ずは優越感に浸るために貶める対象が他民族に向かうのではないでしょうか。決して「自分だけを除外した自民族」には向かわないと思います。韓国で「悲しき日本人(原題・日本はない)」って本がベストセラーになった事がありましたが、日本で「醜い韓国人(真相は知りませんが、一応韓国人の著書ということになっています。ただ文体や内容が韓国人のものと思えないとのことで、日本人の偽書説あり)」が出版された時は、国を挙げての大騒ぎ(著者、つまり犯人探し)になってしまいました。どっちかと言うと、この韓国の反応は「犯人探し」をするところはどうかしていますが、「悲しき日本人」で日本を馬鹿にして楽しむ、ってところは別に変な反応ではありません。優越感に浸りたいのは、どこの人間でもある話ですから。先ずは他民族をあげつらうのが普通ですよ。いくら自分が入っていないつもりでも、あげつらっているのは自分たち「日本人」ですからね。無意識の領域で「精神的マゾヒズム」だと思います。

>猿軍団と次郎君
 こりゃ大間違いですね。ご修正に感謝します。同じかと思いこんでいました。

収録投稿7件目
board1 - No.616

日本人と自虐性

投稿者:カエルサル
1999年01月25日(月) 18時50分

田麗玉著の「日本はない」は「日本では若い娘もセックスについて節度が無く、野放図に振る舞っている」、「日本は精神的には豊かでいいくらしをしているが、精神的や道徳的な面ではひどく貧しい国だ」とか書いてるらしいですけど。・・ううっ反論できない・・ってこれが自虐なのかな。
それはさておき、過去の日本の戦争について、確かに反省がなされてないと思います。とはいっても道義的ではなく、何故ここで負けたか、どんなところが国の矛盾であったか、どうすれば次にかてるか、といった教訓的な反省をイデオロギーに関係せずするべきです。極端な話「戦前はすいませんでした。なぜならまけたからです。今度からは絶対勝ちますから、よろしくお願いします」という感じのはいいと思います。(爆)
それで創竜伝=田中芳樹、創竜伝教信者は自虐というより一種の信仰を持ってるのだと思います。教義は善が非権力、反権力、悪魔が権力すべて、企業(資本主義の本質自体)で、日本を嫌うのは「日本は歴史的、文化的、風土的に盲従的で善の性質を持ち合わせていない。だから悪魔が栄える最悪の土地だ。」と解釈しているためではないでしょうか?それで「我々は強大な悪魔(権力)の見えざる力に日々呪われ、永久に不幸になるしかない。この呪われた状態はごく最近現れた。助かるには人智を越えた絶対の存在メシア(=四兄弟)に救世していただくしかない。そしてその時生き残れるのは創竜伝教の教え(絶対反権力)を信じる者だけだ」と定義している。彼らは「自分は神聖な教え(反権力)をわきまえているから、それをわきまえてないせいであらゆる愚かな性質を備えているこの世を悪くする悪で悪魔の手先で最後には無惨に処刑されるくず(そのモデルが花井欣子、タウゼント)とは違うと潜在的に考えているのでは?なお、ここでいう創竜伝教信者とは田中芳樹の思想をしじしていた自分の実例にもとずいた「田中芳樹思想シンパ」のことです。気を悪くした方がいたらいたら謝ります。

収録投稿8件目
board1 - No.617

クリエイターの矛盾

投稿者:小村損三郎
1999年01月25日(月) 22時44分

>日本人は説教されるのが好き

オウム信者の若者に入信の動機を尋ねると、麻原について
「あんなにハッキリと叱ってくれたり説教してくれた人は初めて」
と答える者が多いそうですね。

>端的にいってしまえば、「ったく日本人は駄目だよな。まっ、俺は違うけど。俺をそこらのダメ日本人とひとくくりにするなよな」という認識でしたね(おっ、ボスセブンのCMみたいだ)。

自分たちは現世の醜さと愚かさに気づいた精神的に高いステージにある人間だ。自分達の属する社会の醜悪さに気づかない馬鹿な日本人はいずれポアされる、なんて論法になっていったりなんて・・・(苦笑)。

収録投稿9件目
board1 - No.618

自虐?

投稿者:ドロ改
1999年01月25日(月) 23時09分

>えら~く差別的に言いますけど(私が考えている訳じゃないですよ)、例えば「韓国人は駄目だな・アメリカ人は駄目だな・中国人は駄目だな、俺たち日本人とは違って」でも良くありませんか?他者を貶めて優越感に浸りたいのならば。なぜわざわざ自分が属する「日本人」でなければならないのか。

それは、一番「近い」からだと思います。差別の本質とは行かないまでも重要なファクターは、「利益(権利)の防衛を名目とする言いがかり」だと思います。つまりここで、「手前等みたいな奴ばっかりだから日本人はだめなんだよ!」と言うのは、「汚い移民のイエローマンキー共さえ居なければ俺達は職をなくさずすんだんだ」とか「嫌らしいユダヤ人共がこの国を牛耳って居やがるから、いくら働いても暮らしが良くならないんだ」とか言うのと、同じ事なのではないでしょうか?ついでに、一番「近い」異民族(?)のアメリカ人は、文化的・物質的影響が大きすぎて全否定の対象とはなりにくいのが大きいのでは?更に田中芳樹の場合、

1、政治家の腐敗が許せない
2、でも民主主義は素晴らしい
3、よって、悪いのは運用者たる日本国民(の大多数)

という3段論法を好んで使って(と言うか、思想そのものか?)いますから、自虐とはやはり違うのでは?単に、日本社会を非難する際は、スケープゴートに出来る異民族が居ない、という…(勿論、そう言う異民族が居たら田中芳樹がその人達をスケープゴートにしただろう、などと言う無茶苦茶を言うつもりは在りません)
でも、公平を期すために言っておくと、「公共事業に~兆円」、「就職率更に低下」、年金制度の破綻は回避不能」なんて記事を並べて見せられてると、田中芳樹の言うことを全く否定することは出来ないと思いませんか?少なくとも、政治家が無能なのも、国民が政治に無関心なのも、それ故に更に政治が…と言う悪循環は、誰の目にも明らかでしょうし。(無能だなんて何様のつもりだ?と言われそうですが、返す当てのない借金をしてそれを子供に押し付ける親は、有能といえるのでしょうか?少なくとも過半数は無能だった、と言うことの様に思えます)
最後に少々論旨が外れしまいました事をお詫びいたします。

収録投稿10件目
board1 - No.619

久しぶりにまとめレスなど

投稿者:本ページ管理人
1999年01月26日(火) 02時34分

>田中芳樹氏の作品は、自虐嗜好に訴えかけるよりも、エリート志向をくすぐるようなところがありますね。

 同感。この点、田中氏が忌み嫌うサラリーマン向けのハウトゥー本(「上杉謙信に学ぶ経営の心」という類の本)とそっくりですね。ちなみに、歴史を自分の価値観にあてはめて寸詰まりの解釈をしているところも一緒(って前に小村さんが指摘してたっけか)。

>田麗玉著の「日本はない」は「日本では若い娘もセックスについて節度が無く、野放図に振る舞っている」、「日本は精神的には豊かでいいくらしをしているが、精神的や道徳的な面ではひどく貧しい国だ」とか書いてるらしいですけど。・・ううっ反論できない・・ってこれが自虐なのかな。

 ちょっと田中芳樹から外れてしまいますが、日本はもともと開放的な性風俗をもっている民族なんですよ。歌舞伎はもともと売春and演劇だし(歌舞伎=傾き。昔、ジャンプに連載されていた花の慶次で紹介されていたアレ)浮世絵なんかも、「なんでたかがポルノ絵がこんなに芸術的なんだ!?」というのが、泰西名画の巨匠に与えた衝撃だったのですから。そのような開放的な性風俗が否定されるようになったのは、明治になってキリスト教文明が流入してきてからで、そのあたりの様子は北村透谷などに詳しいですね。
 ま、明治以降の「処女=純潔」的な性風俗が、如何に明治以降の女性を抑圧してきたか(ひょっとして今もか?)と問うことも出来ますし(余談でいえば、女性を縛り付ける封建的遺制と思われている「家」制度だって明治以降の近代のもの)、そもそも人様の文化の歴史も知らず、自分の価値観で切り裂いて喜んでいるあたりが俗物本なのでしょうね。

>自分たちは現世の醜さと愚かさに気づいた精神的に高いステージにある人間だ。自分達の属する社会の醜悪さに気づかない馬鹿な日本人はいずれポアされる、なんて論法になっていったりなんて・・・(苦笑)。

 自分からポアしようとはしないでしょうけど、「さっさと滅んでしまえばいいのに(こう書くと何かエヴァっぽい?)」と言わんばかりの記述は創竜伝の至る所に見られますね。

>創竜伝教信者は自虐というより一種の信仰を持ってるのだと思います。

 宗教的要素としては、教義(善が反権力、悪が権力)に対してまったく無検証に信じていることでしょうね。

>でも、公平を期すために言っておくと、「公共事業に~兆円」、「就職率更に低下」、年金制度の破綻は回避不能」なんて記事を並べて見せられてると、田中芳樹の言うことを全く否定することは出来ないと思いませんか?少なくとも、政治家が無能なのも、国民が政治に無関心なのも、それ故に更に政治が…と言う悪循環は、誰の目にも明らかでしょうし。(無能だなんて何様のつもりだ?と言われそうですが、返す当てのない借金をしてそれを子供に押し付ける親は、有能といえるのでしょうか?少なくとも過半数は無能だった、と言うことの様に思えます)

 確かに、これらの政策が酷いのはそのとおりです。でも、これらは保革問わず批判されていること。なのに、批判しているのは自分や自分が共感する集団ばかりで、他の集団(特に保守勢力)は政府に対して批判をしないどころか、政府の太鼓保ちをして批判を封殺しようとする…という、事実を異様に歪めた記述は批判されて当然だと思います。
 もし、田中芳樹の目に本当に社会がこういう風に映っているのだとしたら、事実が認識できないと言う点で新興宗教の集団と大して変わらないんじゃないでしょうか。

収録投稿11件目
board1 - No.622

スケープゴートにできる異民族その他

投稿者:不沈戦艦
1999年01月26日(火) 11時48分

 いちいちあげなくてもお解りですよね。山ほど日本国内にいるじゃないですか。「在日コリアン」が。まあ、そんなことをやったら「差別者」の烙印を押されてそれまで、になってしまいますが。一応私の論は、田中芳樹というよりも、自国の政治や社会を貶められて喜んでいる、読者側の心理に関してです。実際は、在日に対する差別も部落差別(日本人同士ですら)もありますが、それは暗い情熱でしかない、って事はやっている人も解っている筈です。ところが、自国の政府や社会の悪口は嬉々としてやっています(創竜伝に限った話ではない)よね。「差別がいかん」と言うのなら、例えばアメリカ政府に対する悪口でも、韓国政府に対する悪口でも、中国政府に対する悪口でもいいじゃないですか。先ず最初に「日本政府に対する悪口」になってしまう(しかも喜んで)心理は、「日本人の中に巣くう反省病」とでも言うしかありませんと思いますがどうでしょうか。納得できない人は、自分の理性を信じすぎではないですかな?「いや、俺はそんなこと考えたこともない」って。私は明確に意識して「日本政府を糾弾するのが嬉しいと思っている」と言っているのではないです。「無意識」の範疇で、何となくそう思ってしまうのでは、ということですけど。

 たとえ話ですけど、井沢元彦氏(作家)が言っている「言霊」という概念があります。「日本人は、口に出した言葉に現実が影響されると信じている」と言われると、九分九厘の人が「そんな馬鹿な、非科学的だよ」と言いますよね。「アフリカかどっかの未開の民族じゃないんだから。呪術の世界に生きているんじゃないんだぜ」と。でも、このセリフは比較的すーっと出てきますよね。日本人なら経験があるはずです。「ほら、お前がそんなこと言っているから、雨になっちゃったじゃないか」ってのは。皆さん覚えがありませんか?遠足や運動会の前の日に、天の邪鬼な事を言って、当日に雨になってしまった場合に。さて、雨が降るのは「お前がそんなことを言った」為なのでしょうか?それこそ馬鹿な話です。雨は暖かい空気と冷たい空気の境目に前線ができて上昇気流が発生し、雨雲ができることにより降ってくる、って理科の時間に習いましたよね。その科学知識はあるのに、何で平気で「お前がそんなことを言っているから雨が降っちゃった」などという寝言が簡単に出るのでしょうか。どう考えても、「お前がそんなことを言った」と「雨が降った」の間に因果関係があると信じているから、という解釈以外不可能ではありませんか。でも、「お前がそんなことを言ったから雨が降った」と言った人は、「お前がそんなことを言った」と「雨が降った」に因果関係があると確信して言った訳ではありません。何となく、無意識に刷り込まれていて信じているだけなんですよ。これと同じだと思いませんか?「何となく、無意識に『反省病』が刷り込まれて」いるからこそ、説教臭い自国を貶めるような記述が「何となく」嬉しく、正しいと思うようになってしまうのではないでしょうか。

収録投稿12件目
board1 - No.623

面白いHPを見つけました

投稿者:小村損三郎
1999年01月26日(火) 22時46分

>「日本人は駄目だな、俺は違うけど」と馬鹿にする対象が何で「日本人(俺以外)」となるんでしょーか?

「自国の歴史の暗部であっても目をそらさず、直視して追及していくことこそ真に勇気と誇りと良識のある、賞賛されるべき姿勢なのだ。」という心理が大きいのでしょう。
要するに文化大革命時、自分の親を当局に訴えた紅衛兵と同じ精神体質なんだと思います。
もちろん、単に「他人の悪口はいけないが、身内はおとしめてもかまわない」という日本人独特の“和の精神”もあるんでしょうけど。

収録投稿13件目
board1 - No.632

反省?

投稿者:やぶにらみ
1999年01月27日(水) 10時28分

まず「反省」すること自体は大切だし必要だというのが、前提です。

次に、日本人が他民族に比べて自分のことを悪く言う性質がある、とは思わないのですけれど。アメリカなら、最近の大統領弾劾裁判とか、昔のベトナム反戦運動とか。反体制文学も、ピンチョンのような主流文学からミステリーに至るまで枚挙に暇がありません。

単に自分の国のことを悪く言う人間は愛国心が欠けている、というのなら、歴史上の政治的偉人の大部分はひっかかるでしょう。それ自体は健全なことです。体制の無謬を盲信する人の方が病的ではないですか。

問題は「反省」の内容でしょうね。「自虐」という自由主義史観用語には、「他国に強要された不当な反省」といったニュアンスが濃厚ですが、つまらないことでぐちぐち自罰的になったり仲間を撃っているとすれば、それは問題だな、とは思います。

ただ、それが日本人に固有の性質とはあまり思えないのです。この点については、むしろ田中氏寄りの立場に立ってしまうのですが、例えば彼なら「日本人は、過去の戦争ひとつとってもまだまだ反省が足りない」と言うでしょうね。要は、日本人と一口に言ってもいろいろでしょう。だからこれほど論議があちこちであるわけで、無理に「日本人とは…」と構えなくても良いのでは。

不沈戦艦さんの言説は、自虐よりは他民族の差別の方が普通だし健全だという風に取れてしまう怖れがあります。それがナショナリズムの内包する性質だとするならば、そんなの解体してしまっても全然構わないと、私は思ってしまいますね。同じ日本人でも間違っていると思えば非難するし、外国人でも正しいと思えば味方したいですよ。
(田中氏の場合、日本人批判が裏返しの中国人贔屓にしかならない点が問題ではないかと)
実際に差別を受ける在日コリアンの人達からすれば、日本人は自虐的という論議は、説得力ないでしょうしね。

そもそも、差別と自民族を罰する性向を並べることに違和感があります。差別というのは、基本的に根拠が無いというか、感情的なものが土台であるのだから。もちろん不沈戦艦さんは、「反省」の性向もまた根拠の無い感覚的なものに過ぎないと指摘しているのですが、ただ、田中氏的言説については、このサイトのように論理的に検証してくことが大切でしょうが、差別主義者相手なら「だまれ、ボケ」で済ませてしまって構わないと思うのですね。どだい言説としてすら成り立っていないと言いますか。
(まあ、最近の田中氏の「言説」もかなり酷いのですけれどね)

収録投稿14件目
board1 - No.633

ふむふむ>Re:反省?、やぶにらみ氏へ

投稿者:不沈戦艦
1999年01月27日(水) 13時13分

 私がやぶにらみ氏の反応を見て思ったことは、「誤解している面がある」「理解していない面がある」でした。

 先ずは「不沈戦艦さんの言説は、自虐よりは他民族の差別の方が普通だし健全だという風に取れてしまう怖れがあります」に関してですけど、私は一応断っておきましたよね。「えら~く差別的に言いますけど(私が考えている訳じゃないですよ)」って。そう言っているにも関わらず、なぜ、差別を助長する考えではないか?という風に受け取られてしまうんでしょうか。この、やぶにらみ氏のレスを見て、昔あったある事を思い出しましたよ。作家の三浦朱門氏が公職(文化庁だかどっかの庁の長官だったような)についている時、「強姦自体は恥ずべき行為だが、男が強姦をする体力がないのはもっと恥ずべき事だ」と放言したら、さあたいへん、非難轟々。女性団体らや人権団体やらがぞろぞろ出てきて結構な騒ぎになりました。どうでしょう?この件と似ていませんか。この時、三浦朱門氏に「強姦はいいことだから、どんどんやるべきだ」という意図があったと思いますか?そんな訳ありませんよね。「出した例が適当ではない」と言われればまあ確かにそうですが、だからと言って差別を助長しているのではないか、などと受け取られたら迷惑ですよ。またそれに、「愛国心」に関しては、そりゃあった方がいいとは思いますが、おそらくやぶにらみ氏が想定しているであろう(私の勝手な邪推かも知れませんが)、戦前の日本(戦争期)の超国家主義的なものや、銀英伝のトリューニヒト的なものがいいだなんて考えていませんが。論に出しいない「愛国心」についてどうのこうの言われましてもねー。自由主義史観的な考え方に関してはどうのこうのも言っていませんし。そりゃ、そういう論が嫌いな訳ではないですが、このサイトで論ずるべき問題ではないでしょう。だから私は最初から除外しているでしょう?「日本人の歴史に誇りを持て」とか「愛国心を持て」とか言いましたっけ?そういう話は無理に持ち出さなくても言いと思いますが。この辺は誤解なさっていると思いますよ。

 また、理解なさっていないと思われる点は、「日本人が他民族と比べて自分のことを悪く言う性質がある、とは思わない」と書かれていますし、「日本人と一口に言ってもいろいろでしょう」とも書かれていますので、そう思いました。おそらく(これも邪推か?)、やぶにらみ氏は、「モノの考え方など個人個人で違うもの、民族的傾向などありはしない」とお考えではないかと思ったんですが違いますか?それに関しては、一例を出しましょうか。

 また、井沢元彦氏の言説からになってしまいますが、「穢れ」という概念があります。難しいことより、簡単な例で行きましょう。箸と茶碗です。「これは、私が20年使った箸と茶碗です。この通り、何回も洗浄して煮沸消毒し、保健所のお墨付きが出るほど汚れをはらったものです。これをあなたにあげますから、大事に使って下さい」と誰かに言われたらどう思いますか?「いらない」って言いますよね。「なぜ?」と反問されたら「キタナイ」と言うのではありませんか?でも、物理的な汚れは完全に除去してあるんですよ。新しい割り箸よりよっぽどきれいでしょう。それなのにどうして「キタナイ」のでしょうか?でも自分で使うなら、新しい割り箸の方がいいに決まっていますよね(何とかフェチ、の特殊な趣味の人は除きますよ)。また、このやりとりは、やぶにらみ氏以外の日本人が同じように言われたとしても、同じように答えるのではないでしょうか?これは結局日本人が普遍的に持っている宗教的感情だからなんです。精神的に「キタナイ」訳でして。「自分は他人の箸や茶碗でも平気で使うよ」だなんておっしゃらないで下さいね。これも面白いもので、洋食器なら平気なんですよ。他人のフォークやスプーン、皿でも。

 どうでしょう?この考え方、矛盾があると思いますか?それと同様に「日本人には自省的な(宗教的)性質がある」と言っている訳です。それに関して、「バチカン」と「セリカ国(中国なのは明白ですけど)」の話はいいサンプルだと思いましたよ。

 仮にこの二つの事件が、並んで新聞の三面記事になっていたとしましょうか。それを読んだ「普通の日本人」はどう思うでしょうか?「ああ恥ずかしい。旅の恥は掻き捨て、だなんて日本人だけだぜ。海外にまで恥を晒しにいくくらいだったら旅行なんてやめちまえ」「ああ恥ずかしい。いくら何でも中国人だけ出入り禁止にするだんて人種差別もいいところだ。なんて日本人は情けないんだ」、と考えませんか。

 日本人(加害者)→バチカン(対抗措置)
 中国人(加害者)→日本人(対抗措置)

 完全に逆の話ですよね。論理的に思考するのなら、(加害者)の側が正しいと思ったら、(対抗措置)の側が悪いと思わなければおかしいし、(対抗措置)の側が正しいと思ったら、(加害者)の側が悪いと思わなければおかしい。ところが、どっちも先ず「日本人」の側が悪いと「何となく」思いませんか。深く考えていなかったら。そこが、「反省病」だと私は思います。そういう意味で、恰好のサンプル事例でしたね。

 まあ、それでもやぶにらみ氏が「日本人が民族的に取る一定の行動、一定の思考は存在しない」と考えたい、と思われるのでしたらそれはそれでいいとは思います。100人が100人、賛同してくれるとも思っていませんので。

収録投稿15件目
board1 - No.634

レス

投稿者:やぶにらみ
1999年01月27日(水) 14時17分

不沈戦艦さま

まず、前回の書込みが不沈戦艦さんに対してだけのものでなかったことをお断りしておきます。ナショナリズムは、謎の転校生さんの用いた言葉です。個別にレスをつけるべきでした。この点に関して、不沈戦艦さんと謎の転校生さんに対してお詫びします。

さて、不沈戦艦さんは、自民族よりも他民族を批判する方が自然である、ということを前提にしていますね。自然=善だと書かれていない以上、不沈戦艦さんに差別増長の意図が無いことは明白ですが、それでも、ここから日本人の「反省」傾向が不自然であるのを批判しているのですし、「自民族の悪口より他民族の悪口を言うのが当たり前」と曲解する人も出てくるのではないかと危惧したのです。不沈戦艦さんの口から改めて否定してもらえて恐縮です。

私自身は、こうした前提自体を疑ってかかるべきでないか、と考えてはいます。

(ところで三浦氏の発言ですが、強姦を助長する意図は無いにせよ、強姦という非道な行為に対する想像力の欠けたもので、批判されるのは当然でしょう。しかしどういう文脈で出てきたのでしょうね)

話を戻しますが、問題は「日本人に自罰的傾向があるか否か」ではなくて、その傾向に妥当性があるか、ということだと思います。
(たとえば田中芳樹氏なら、日本人には後暗い過去がたくさんあるのだから、反省するのは当たり前、と考えているのでしょう)

井沢さんの喩えですが、私にはピンときません。完全消毒したトイレの床を舐めろといわれれば躊躇しますが、自分の手のひらなら、洗う前でも舐められます。科学的真実と生活上の感覚がかけ離れていることは、「穢れ」という日本的(?)発想を持ち出すまでもなく、よくあることではないでしょうか。

収録投稿16件目
board1 - No.635

RE.632,633  余談として

投稿者:石井由助
1999年01月27日(水) 15時19分

>仮にこの二つの事件が、並んで新聞の三面記事になっていたとしましょうか。それを読んだ「普通の日本人」はどう思うでしょうか?……「ああ恥ずかしい。いくら何でも中国人だけ出入り禁止にするだんて人種差別もいいところだ。なんて日本人は情けないんだ」、と考えませんか。

 まあ、この種の問題ってのは、万引きの対抗策がどこまで許されるかというのと同じで(やりすぎだって感じる店、ありますよね)、結局、店側の対抗策がどこまで許されるかという問題だとは思うのですが、確かに差別的、排他的な話であることに間違いはありません。が、実のところ、実際はもっと怪奇なんですよ。この話は。
 何故か。
 その種の統計を見て貰えれば一発で判ると思うのですが、パチンコ屋の大部分は「在日コリアン」です。風呂屋の件は別にしても、パチンコ屋の件に関しては、明らかにコリアン(「朝鮮人」だと現在では南北の誤解が生まれそうなので、敢えてこう書く)の排他性、中国人差別の問題なはずです。
 ところが、これに関して日本人の側はどうでしょうか?
 93年11月2日  朝日新聞
「『中国人拒否の動き』
 『中国人の入店禁止』など、外国人を締め出す張り紙が、埼玉県内のパチンコ店やパチスロ店で目立っている。中国人が玉が多く出る細工をしている、というのが理由だ。(後略)」
 という本文のあとに、外国人人権センターの弁護士とやらの「こういう風潮が怖い」というコメントが付け加えられています。
 もちろん、この記事を書いた記者や、外国人人権センターの弁護士は、「『コリアンの』こういう風潮が怖い」と言いたいわけではありませんね。「『日本人の』こういう風潮が怖い」と言いたいわけです。この記事のすぐ下には、ご丁寧にも関連記事のような配置で「中国人慰安婦」の調査について書かれていますしね。
 朝日だからねぇ…という言葉が聞こえてきそうですが、国民新聞じゃなかった(笑)読売新聞にも、このことに触れて「日本人の排他性が恥ずかしい」という意見が読者欄に載っていました。
 不沈戦艦さんの「日本人は民族的に自虐」という説には正直言って肯えないのですが、現在の日本人がある種の自虐思想(というか、田中芳樹的「被差別者は偉く、清く、正しく、美しい」思想の裏返しとしての自虐であると思う)にとりつかれているのは、事実であると思いますよ。

>差別主義者相手なら「だまれ、ボケ」で済ませてしまって構わないと思うのですね。どだい言説としてすら成り立っていないと言いますか。

 これは、病的な差別摘発運動などのように、差別そのものの隠蔽や差別の実相から目をそらす事(上記の例なんてまさにそれ)になると思うので、私は反対です。やはり、遠回りのようでも、論理的に解体して行くしかないと思います。

収録投稿17件目
board1 - No.636

うーむ、なかなかご理解頂けないようです

投稿者:不沈戦艦
1999年01月27日(水) 23時48分

>やぶにらみさんへ

 「自民族より他民族を批判する方が自然である」と言うより、日本以外ではその方が一般的ではないか?という話ですね。特に優越感に浸りたい場合は。ここで、実はやぶにらみさんも、その傾向に駆られているのでは?と思いますよ。なぜかと言うと、やぶにらみさんは「何となく」、「自民族より他民族を批判することは反倫理的なのではないか?」と考えているのではないかと思いますが違いますか?それよりは、「自民族を批判した方が」精神的に落ち着く訳です。先に他民族を批判すると「何か良くないことをしている」というような不安感に囚われているのではありませんか?それこそが、「反省的(あんまり自虐的、という言葉はここでは使いたくないですね。歴史論争ではないので。実際、私は使っていませんよ)」な日本人の心性だと思います。揚げ足を取って喜んでいる訳ではないので、誤解のなきように。このケースのやぶにらみさんのように、

「先ずは自民族批判に矛先が向くことが、日本人としては自然な感情だと感じてしまうのだ。しかもそれは無意識に、自分の精神が落ち着く方向で行われるので、実際言っている本人に自覚は全く無い」

 一応これが、私の論の集約です。そして、これに対する批判と言うより、「日本人はこういったモノの考え方を持っている」と自覚したほうがいい、という話です。病状の診断を間違えたら、その間違いを元にどんな治療をしても、効果がありませんからね。だから、あまり自分の理性を信じ過ぎない方がいい、と言った訳です。つい「科学的」に考えてしまい、自分の理性では認識していないことを言われると理解できない、というのはよくあることです。これに関しては、共産主義思想がどうのこうの言う以前に、福沢諭吉の思想によるものも大きいと思います。彼の幼年時代のエピソードに、神社に飾っている御神体の石を、周囲の大人が有難がっているのを馬鹿じゃないかと思って夜中に勝手に他の石と替えてしまったが、周囲の誰一人それに気付かず、前と同じように御神体として有難がっているのを見て、ますます周囲の大人は馬鹿だという確信を深めた、という話があったと思います。つまりこれ、不合理な宗教感情を馬鹿にしている訳ですよ。そして明治維新後は、それがある程度「科学的」な態度を取ろうとする人間の間では常識と化してしまい、今に至っている訳です。更に、戦後蔓延った唯物史観で増幅された、というのはありますが。やぶにらみさんや管理人さんが「どうも不沈戦艦氏の意見は肯定できない」と考えてしまうのも、これらの影響だと思います。つい「科学的」に考えてしまう為、自分では認識していない無意識の宗教的(精神的、心理的)感情などがあると実感できない、という訳なんです。

 また、井沢氏の「穢れ」に関してですけど、残念ですが自分の手は「穢れ」ではありません。あくまで「他人」でなければ「穢れ」にはなりませんよ。もちろん、その他人との関係にもよりますが(恋人だったら、穢れとは思わないでしょう)。やぶにらみさん、どうです?あなたの両親が20年使った箸と茶碗、何回も洗浄し煮沸消毒したとしても、抵抗無く使える心理になれますか?やっぱり「何となく嫌だ」と思いませんか?その煮沸消毒した箸と茶碗、買ってきた割り箸と茶碗、これらのどっちか使って飯を食え、と言われたら買ってきた方を選ぶんじゃないでしょうか?「穢れ」の概念は他人からのものですので、自分の手を例に出しても無意味だと思います。トイレの便器は言うまでもありません。

 また、全然関係無い話ですけど、前に山本七平氏が、

「日本人とユダヤ人が遺跡の発掘調査をしていた。そうしたら、大量の人骨が出土した。その後、ユダヤ人はなんともなかったのだが、日本人は熱を出して寝込む者が続出。作業にならなくなってしまった。どうやら、日本人たちには『おはらい』が必要だったようだ」

 という事を言っていたことがありました。これなんかも、いかに「無意識の宗教感情」に日本人が突き動かされるか、という好例でしょう。そんな馬鹿な、と思われるかもしれませんが、今でも建築する場合は「地鎮祭」を必ずやりますよね。日本人には不合理な宗教感情もある、とある程度ご理解頂けたら、と思います。もちろん、韓国人なら根底には儒教(キリスト教徒もいますが)、中国人なら儒教と道教、インド人ならヒンズー教、中東ならイスラム教、欧米はキリスト教と、「無意識に刷り込まれている宗教」は世界のどこへいってもある、というのは言うまでもありません。

 三浦朱門氏の件に関しては、どういう文脈で出てきた話かは忘れてしまいましたね。でも多分、いわゆる「人権屋」を挑発するつもりで言ったのでは?と想像しますけど。「人権屋」に対するイヤミのつもりだったんじゃないでしょうか。でも、つまんない事を言ったもんだと思いますね。「現代の男に体力が無い」と言いたいのなら、他にいくらでも言いようはありますので、わざわざ犯罪行為を例に持ち出すこともないと思いますから。

>管理人さんへ

 まあ、「日本人の反省指向」は絶対正しく、認めないのは愚か者だ。いい加減解らんか!、などと言うつもりはサラサラありませんので、「肯えない」のももっともだとは思います(やぶにらみさんも)。ただ、一応上に「何でやぶにらみさんや管理人さんはそう考えるか」も書いていますので、ご一読されれば、ある程度理解してくださるのでは、と思います。また、「現代の日本人がある種の自虐思想に」とりつかれている」のは、二次大戦の敗戦も影響しているでしょう。あの後、占領軍は「日本は全て誤っていた」という刷り込みを強烈にやったでしょう。それが、元々持っている「反省指向」にズバリ適合したのではないかと思います。「そうか、我々は間違っていたんだ。進んだアメリカの文化を取り入れてやり直さねば(中には、対象が唯物思想の人もいますが)」と、日本人にとって精神的に落ち着く心理になったことが、現在まで響いているというのはあると思いますよ。それゆえの「自虐(あんまり使いたくないんだけど)」なのでしょうね。田中芳樹などはその好例でしょう。

収録投稿18件目
board1 - No.640

日本人の習性

投稿者:カエルサル
1999年01月28日(木) 02時10分

日本人と不文律、宗教意識の拘束については故山本七平氏の「空気の研究」(文春文庫)が興味深いです。日本人が自虐だとは書いてないけど

収録投稿19件目
board1 - No.644

日本人は自虐か云々・・・

投稿者:仕立て屋
1999年01月28日(木) 04時15分

一連の”現代の日本人にある傾向としての自虐性”については自虐という言葉を当てはめることに問題があるように思います。"バチカンの日本人排除"や"中国人を銭湯に入れないよ事件?"に対して一般的な日本人が他国人よりもむしろ日本人を問題視するのは自虐でもなんでもなく至極当然なことのように思えます。よそ様の国に行ってそこでその国の文化慣習を無視すれば、日本人の郷にいれば郷に従えの見地から日本の恥さらしになるわけで、負い目のある国の人を排除すれば、日本人の判官贔屓的な気質からこれまた、日本の恥さらしと感じるわけです("大よりも小を贔屓するー>小は大になにをしても許される/小から派生して負い目のある中国人が日本人の銭湯に迷惑をかけても許される"という図式です。中国人がアメリカ人ならそれほど問題にはならないでしょう)
ともすれば自虐的にみえる日本人の特性をこうした伝統的な日本人の気質によるものだと考えれば、負い目のある国に対して弱腰であったり、それに伴う先ずは自己反省という姿勢もごく自然なことのように感じられませんか?いわゆる自虐とは実現象は同じでもその源泉はまったくの別物だということが理解できると思います(ナショナリズムが希薄な人でもサッカー日本代表を熱烈に応援し日の丸をふり回せるのはこの日本人の気質に反しないからです) また、景気が悪くなればすぐ落ち込んで自己反省一辺倒になるのも"文化は(良いものは)常に外部からやってきて、自分は劣ってる”という時代背景と島国の特殊性からきているものと思われます。やっと外部に追いついたとおもって外部に向かって飛び出して行く度に、失敗して島国に閉じこもり反省の時を過ごす、というものです。アングロ=サクソンが同じ島国でありながらこの反省病を克服できたのは外部進出に成功したからだと言えるでしょう。現在の日本の落ち込みようを見てるとなんか2000年間未だに同じことを繰り返してるんですねぇ(いつになったら精神的外部進出に成功するんでしょうか)。ま、これも日本の反省病であって決して自己を貶めるという意味での自虐とはちょっと違うように感じられます(ちょっと話が脱線してしまいましたね、ゴメンなさい)
 問題はこうした日本人の気質を自著で日本人を貶めるために?都合よくつまみ食いをする田中氏の姿勢とそれを喜ぶ読者の自虐性に問題があるのではないでしょうか?

収録投稿20件目
board1 - No.647

RES:636&644

投稿者:やぶにらみ
1999年01月28日(木) 10時07分

不沈戦艦さん、こんにちは。

私は「自覚」を持っている、という主張に対して、あなたは気づいていないが、宗教的に方向づけられている、と返されると、泥試合にならざるを得ないですね。ギヴ・アップしてしまいます。

とりあえず、私は「反省」がア・プリオリに正しい、と信じているのではなく、理性的に考えて、その方が正しい場合が多いのでは、と判断しているのだ、と思っています。

ただ、これでは不沈戦艦さんを説得できないのですね。うむ。

「穢れ」についてですが、確かに私も他人の茶碗は使いたくないですね。フォークだったら共有するのに抵抗はないのに。

「トイレと手のひら」の喩えで言いたかったのは、何が不浄で何が清潔かを判断する根拠は科学的ではない、ということです。

不沈戦艦さんは「宗教的感情」とおっしゃっていますが、これは日本人に限ったことではない。外国人だって日本食に親しめば、そうした傾向が生まれるはずで、日本民族固有とするには、恣意的なただの「習慣」ではないかかと。

ただ、そうした傾向が、日本人に多い、という指摘は納得しました。ささいな習慣が集まって、日本人的なある種の性質を象っているのかもしれません。
この点は、私も考え直さないといけませんね。

遺跡発掘の話は興味深いですね。こういう「怖れ」をバチカンでも持っていてくれれば、立ち入り禁止、なんて問題は起きなかったかもしれません。

仕立て屋さん、こんにちは

ご指摘ありがとうございます。確かに、「日本人の性質」というものは、いろいろ想定し得ますね。それを「反省」とか「自虐」と言う言葉で単純化することに、反撥を覚えていたのかもしれません。

いや、不沈戦艦さんの主張に、今では結構、納得してしまっているのです。とりえあず自己反省します。

収録投稿21件目
board1 - No.648

>やぶにらみさんへ、まとめ

投稿者:不沈戦艦
1999年01月28日(木) 12時57分

>やぶにらみさん

 「自覚」を持った反省だというあなたの主張、「無意識の心性」による反省だという私の主張。どっちが正しい、という客観的判断基準はありません。勝ち負けを決めなければならない問題でもありませんし。お互い、相手の言わんとすることを理解する、ということでよろしいんじゃないでしょうか。相手の言うことが正しいと思ったら説得されればいいんですし。まとめとしてはこんなところでしょう。

 「穢れ」に関しては、外国人にはないと思います。かなりアニミズム的なものですので。日本食に親しんでも、食器の個人化には行き着かないと思いますよ。「日本ではこれが習慣だ」とでも言えば、そうするかも知れませんけど。洋食器を例に出しましたけど、あれ、個人用を識別する目印など無いですよね。そういうモノの考え方が存在しない証拠だと思いますけど(少なくとも欧米は)。箸と茶碗の話を外国人にしたら、不思議がるのではないでしょうか?私だって不思議ですね。理屈は解っていても、他人の箸や茶碗を使う気にはなれませんよ。「何が不浄で何が清潔かを判断する根拠は科学的ではない」ってのはまったく同感です。主観そのものによる判断でしかないですから。度が過ぎた例が、最近の若者の清潔志向(潔癖症とでも言うべきか)ではないでしょうか。何でも抗菌モノを使うとか。「そうした傾向が、日本人には多い」という点はご理解頂けて幸いです。

 引用話ばかりですので、最近身近であった「穢れ」の例を言いましょう。私の母親なんですけど、知り合いが突然交通事故で亡くなって、通夜の葬式のと大騒ぎになりました。また、ほとんど同時に、家で飼っている猫(まだ子供、黒猫)が、うめき声をあげて倒れてしまい、タクシーを呼んで獣医に連れていくこれも本人にしてみれば大騒動(可愛がっているもんで)。実は、さかりがついただけだったみたいなのですが、何で倒れたか(さかりがついても何とかしてくれる雄猫などいないもので、ストレスが溜まったようでした)解らなかった母親にしてみれば、「タダでさえ葬式で縁起が悪いのに、黒猫まで同時に死んだりしたらたまったもんじゃない」と思ったそうですよ。それらのため(お節介な方なので、葬式に駆けずり廻っていましたから)、疲れ切ってグッタリしていたんですよ。ところが、風呂に入って塩もみ(塩を全身にまぶす。特に頭を念入りに)をしたら、「ああ、さっぱりした。疲れも重苦しいのも一気に取れた」と言って元気になって出てきたんですよ。その言いようを聞いて、「やっぱり『日本人』だね~、塩もみで気分が良くなるってのは、塩分による化学的な効果の他に、『清め』の精神的な効果もあるんだよ」と教えたんですが、本人はあんまり解らなかったみたいです。「えーっ、でもホントに塩は効くのよ」としか言わないですから。私に言わせれば「少なくとも『塩もみ』で気分が良くなった効果の半分は、自覚していない精神的効果だ」ということになるんですけど、「そういうもんなの」くらいの理解でした。葬式で付いた「死穢」を塩できれいさっぱり洗い流せた訳です。「塩」が浄化に役立つ、という考えはみなさんご存じですよね。葬式から帰ったら、玄関に塩を撒く習慣がありますから。

 実際、こんな話も身近で起こりますので、「日本人の無意識な宗教感情」てのは面白いな~、といつも思っております。カエルサルさんが「空気の研究」をあげておられるけど、この本も必読だと思いますよ。「日本人の心性」に対する理解にはかなり役立つと思います。

 えー、最後に「自己反省」まではいらないのではないでしょうか。私の言っているような考え方もある、と理解して下されば充分ですよ。それが正しいと思うか正しくないと思うかは、それこそ個人個人の問題ですから。「日本人の反省的傾向」について、おつき合い頂きありがとうございました。

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