このページは田中芳樹批判のぺーじですよね?
しかし、掲示板で論争を始めて引用を多用
するためには氏の著作を買わねばなりません。
それに対する論を展開する人もまた同じです。
となると、結局は氏の懐を肥やすことになり
ませんか?
むしろ、思いっきり倒錯的で自己陶酔の入
った一般人が引くようなファンサイトを
作ったり、紹介したりした方が
「田中芳樹を撃つ」
という目的に貢献しそうな気がするんですけど、どうでしょう。
あ、それとブックオフで買っても、図書館で
借りても、本屋から万引きしても同じですよ。
流通を知らない方は少ないでしょうけど
念のため。
掲示板過去ログ読み終えました。
いやはや、憑きもの落としてもらった気分です(別のものが憑いたような気も……)。
んで、感想と言うより読みながら思ったことをば。
「撃つ」ことにより「心理に楔を打ち込む」と解釈したのですが、敢えて主目的を限定するならどちらなのでしょう?それによって、このサイトの在り方や方向性がよりはっきりするのでは、と思いましたもので。「心理に楔を打ち込んで需要側の意識改革を促し、もって氏の創作姿勢をただしてゆく」でもいいんですが……。壮大な包囲殲滅作戦には違いない(笑)、時間かかりすぎるけど。
以上、タワゴトでした。管理人さん、お忙しいとは存じますが、タワゴトに付き合っていただければ幸いです。
……ひとりだけ主旨取り違えてる可能性大?
>(別のものが憑いたような気も……)
これで結構です。田中芳樹への反動で無条件に信じていただくよりは、考えるきっかけにしていただく方が管理人の冥利に尽きます。
>「撃つ」ことにより「心理に楔を打ち込む」と解釈したのですが、敢えて主目的を限定するならどちらなのでしょう?
このような問いにお答えするならば、後者が主目的と言えます。m since kさんが『「撃つ」ことにより』と書かれているとおり、前者は後者のための手段です。むろん、『「撃つ」ために「心理に楔を打ち込む」』ことも表裏一体で同時に目的なのですけれども、これを主にしては本末転倒だと思います。
単に打つだけならば、No.293で匿名希望さんが述べられているとおり、バカなファンを演じてほめ殺しをした方が戦術的には有効かも知れないと思います(判る人だけが判るマニアックな話題で恐縮ですが、セガBBSにおけるセガ狂信者たちを想起されたい)。
しかし、m since k さんが指摘するように、「心理に楔を打ち込んで需要側の意識改革を促し、もって氏の創作姿勢をただしてゆく」という戦略目標を考えた場合、先の方法は戦術的に有効であっても戦略的には必ず行き詰まります。
一見遠回りですが、最終的には近道なのではないかと思っています。
P.S.
実は「偽装信者のほめ殺し」や「セミドキュメントファン論」的な本論も書いたり構想したのですが、あまりにイヤミ度皮肉度が高かったり、挑発的なので封印しています。幻の本論は、一応あるのです。
No.308にお答えの一部になることを書いておきましたので、ご覧ください。
> あ、それとブックオフで買っても、図書館で
> 借りても、本屋から万引きしても同じですよ。
> 流通を知らない方は少ないでしょうけど
> 念のため。
確か、印税は部数で入るんですよね。現制度では、図書館やブックオフは確実に印税を圧迫します。その方法が絶対に正しいとは言い切れないところなんですけどね。新刊を買ってケナシ代を払うという考え方もありますし。
管理人さんへ
まず、私はこのHPの趣旨には大賛成です。
プロフィールを読ませていただくとかなり重
なる点も多く、とても他人事とは思えない部
分もありました。
過去ログもなかなか楽しく読んでいました。
そして途中まで来て、ふと思ったんです。
「この人達、買いなおしたのか?」
でまぁ、あの書き込みとなりました。
はっきり言って他意はありません。
> 確か、印税は部数で入るんですよね。現制度では、
>図書館やブックオフは確実に印税を圧迫します。
印税は出版総数×1冊あたりの印税+α
です。
理想を言えば、ブックオフでもはけず、図
書館も利用率が低くリクエストも入らずかと。
はけてしまえば出版社は次回も同じ部数を
制作し、印税は変わらず、結果氏がますます
潤うということになるのではないかと思い
ます。
このままの路線で行けば、世間に詳しくな
い方は純粋に喜んで買い、ちょっと知ってい
る方は批判のために買いでは、田中氏の書体
が変わるはずもなく。
本ページの趣旨とは若干ずれますが
もし、「田中氏」の意識に楔を打ち込むと
すればそれは大幅な売り上げ減による年収の
減少だけだと思っています。
不躾な質問に対して丁寧にお答えいただき感謝します。調子にのって、もうひとつ質問をば。
運動それじたいを目的にしたくない、と仰られる識見には敬服いたしました。しかし、なにを以て氏が正道に立ち返ったと判断なされるのでしょう?解消されるべきは「指摘した点のすべて」なのでしょうか、「指摘した点のいくつか」なのでしょうか。ファンの側からも判断できる明確な基準がないように思えました。
ものすごく極端な喩えですが、さすがは田中芳樹だ、という充実した内容でアルスラーンとタイタニアと七都市物語を完結させ、真摯に原典や資料にあたっておもしろい中国物を書く、一方で創竜伝は今のまま(まあ、120パーセントありえないけど)。なんて状況になったとき、ファンは「正道に立ち返った」と言うでしょう、「立ち返ったのにこのHPは中傷を続けている」と。
つまるところぼくが言いたいのは、泥棒を見てから縄をなうのでは説得力が希薄になるので、避けた方がいいのではないかということです。
もうひとつ言うと、具体的な基準を用意しておけば管理人さんもある意味、気を楽にもつことができ、さらに広い視野からの「田中芳樹批判」が可能になるのでは、とこちらが勝手に期待しているわけです。
う~ん、なんか偉そうなこと言ってる(苦笑)。
> (判る人だけが判るマニアックな話題で恐縮ですが、セガBBSにおけるセガ狂信者たちを想起されたい)。
想起できませんでした(笑)
> P.S.
> 実は「偽装信者のほめ殺し」や「セミドキュメントファン論」的な本論も書いたり構想したのですが、あまりにイヤミ度皮肉度が高かったり、挑発的なので封印しています。幻の本論は、一応あるのです。
タイトルだけで読む意欲が湧いてきますね(笑)。ほんとにコンテンツに加えてもらえないかな~。
> このままの路線で行けば、世間に詳しくな
> い方は純粋に喜んで買い、ちょっと知ってい
> る方は批判のために買いでは、田中氏の書体
> が変わるはずもなく。
このあたりは批判のパラドックスとも言えますね。商業出版では「買ってはいけないは買ってはいけない」が顕著に体現していますが。
まあ、図書館の場合、リクエストが絶対ではないですから(公的書庫ですからね。住民サービスの一環として人気作を増やすのは良いのですが)、立ち読みが書店への負担になる以上は、図書館がベストなのでしょうかねぇ…
> 本ページの趣旨とは若干ずれますが
> もし、「田中氏」の意識に楔を打ち込むと
> すればそれは大幅な売り上げ減による年収の
> 減少だけだと思っています。
サルでもエサを減らされれば判りますから、「意識」に楔を打ち込む以上、人間であるなら 出来るだけ「理」で認識してもらいたいのですが。
これまでの作品は、「銀河英雄伝説」をはじめ、同じ超能力ものでも未来の宇宙などが舞台でしたが、今度は現代の日本が舞台。意図的にですか。
「おっかなびっくりという面もありますが、日本を舞台にという発想は以前から持っていました。ただ、いざ始めてみると、現実感覚が強くつきまとうので、小説独自の世界をつくりだすのが、なかなかの難物。作者としては、成功したのかどうか、身の縮む思いで読者の判定を待っているところです」
新しく加わった現実感覚、社会正義的要素は、自分の体験からのものもありますか。
「ほとんどが想像の世界の産物です。エンターテイメントで行くというのが僕の基本姿勢ですから。面白く仕立てるために、政治家や官僚を登場させたんです。もっとも、学校のこと、教育の問題に関しては、ちょっとニュアンスが違うんですが…」
具体的には、その違いとはどんなことですか。
「僕は就職という経験がないためか、いまだに学生気分が抜けず、学校の問題となると敏感になる部分があるんです。そのせいで、歪んだ権力構造としての現在の日本の学校教育の姿は、これは粉砕しなければならない対象だと思うんです。やたらと校則を作り、履いた靴下の端は三つ折りにとか、下着の色は白と決めてあるからと、教師たちが女生徒のスカートを脱がせてパンティーの色を確かめるというようなことが現実にある。これは怒りをぶつける相手だと思うんです。それで、その辺はそれなりに書きこんであるわけです」
ところで、竜堂家の、始、続、終、余の超能力四兄弟が活躍する今度の作品も、やがてシリーズ化されるものと期待していいのでしょうか。
「僕自身は姉が一人いるだけ。それで、いまでも、男の兄弟が四人くらいいたら良かったなあと思う気持ちがあるんです。だから、今後もぜひ続けたいと思っています。
過去ログ大体読み終わりました。
で、ある仮定を導いてみました。
大前提その一
現時点では田中氏の作品は商業的に成功
している。
大前提その二
氏の作品には思想的に矛盾点が多い。
疑問点
氏は誰でも指摘できるほど精神構造が
幼く、文筆家として調査が甘く、かつ
思想体系が混沌としているのか?
仮定
氏は自分の作品内に矛盾や事実錯誤がある
ことを自覚している。
氏の目的は作品の市場供給による経済的
成功。
市場で文学作品が商業的に成功するには
セックスや暴力を題材にすることが有効で
あることを理解し、おもに、後者を重視。
主人公(読者に感情移入させる人物)に
暴力をふるわせるための理屈付けとして思想
を使用。
故に思想上の矛盾は(ない方がいいにせよ)軽視されるべき問題。
手品の種をあかすようではエンターテイナー
として失格なので対(鼎)談やインタビュー
でもその事実には触れず、正面からの反論も
せず受け流すことに専念。
ただし、良心が咎めるために遅筆。
以上です。
90210さん、早速使用させていただきます。
> 市場で文学作品が商業的に成功するにはセックスや暴力を題材にすることが有効であることを理解し、おもに、後者を重視。
> 主人公(読者に感情移入させる人物)に暴力をふるわせるための理屈付けとして思想を使用。
> 故に思想上の矛盾は(ない方がいいにせよ)軽視されるべき問題。
> 手品の種をあかすようではエンターテイナーとして失格なので対(鼎)談やインタビューでもその事実には触れず、正面からの反論もせず受け流すことに専念。
田中芳樹
「ほとんどが想像の世界の産物です。エンターテイメントで行くというのが僕の基本姿勢ですから。面白く仕立てるために、政治家や官僚を登場させたんです。もっとも、学校のこと、教育の問題に関しては、ちょっとニュアンスが違うんですが…」
種明かしは最初からしていますね。ただ「暴力をふるわせるための理屈付けとして思想を使用」するにしても、当人が理屈として正当に思わないものを使いますかね。
田中芳樹
「僕は就職という経験がないためか、いまだに学生気分が抜けず、学校の問題となると敏感になる部分があるんです。そのせいで、歪んだ権力構造としての現在の日本の学校教育の姿は、これは粉砕しなければならない対象だと思うんです。やたらと校則を作り、履いた靴下の端は三つ折りにとか、下着の色は白と決めてあるからと、教師たちが女生徒のスカートを脱がせてパンティーの色を確かめるというようなことが現実にある。これは怒りをぶつける相手だと思うんです。それで、その辺はそれなりに書きこんであるわけです」
あんまり受け流してはないですね・・・。この辺などは当人の思想なのでしょうね。管理人さんの本論5で引用しているところなどをみると、エンターテイメント性とは無縁です(それにしても、上のお言葉・・・いや、ここではふれないでおこう)。
> ただし、良心が咎めるために遅筆。
だったらいいんですけどねぇ。創竜伝文庫版10巻のあとがきを見ると・・・。
タイタニアも、灼熱の竜騎兵も、良心が咎めてるんですかね(なんの?)。
あ、そうそう。前の投稿で恐縮ですが、匿名希望さんに質問です。
> 奪おうとしているのは佐藤大輔氏を挙げます。
これ、どういう意味で使ったのでしょう。佐藤氏が、タナカ朝ノベルズ帝国を簒奪しようとしている?(笑)
だとすれば楽しいのですけど、今のところ佐藤氏は仮想戦記星系の王者に留まってますね。匿名希望さんには何らかの将来予測があるとか?私的には「地球連邦の興亡」などに期待するところ大です。
毎回資料の紹介ありがとうございます。お疲れさまです。
>エンターテイメントで行くというのが僕の基本姿勢ですから。面白く仕立てるために、政治家や官僚を登場させたんです。
はい、残念でした。基本姿勢に反してます。ってこのサイトでは何回も述べてきましたね。ただ、あえて数ピコグラム分の酌量の余地を汲めば、読者が「作者としては、成功したのかどうか、身の縮む思いで読者の判定を待っているところです」という最初の判定をパスさせてしまったことが後々までの方向を決定させてしまったとも言えるのでしょうけどね。
>もっとも、学校のこと、教育の問題に関しては、ちょっとニュアンスが違うんですが…」
>具体的には、その違いとはどんなことですか。
>「僕は就職という経験がないためか、いまだに学生気分が抜けず、学校の問題となると敏感になる部分があるんです。そのせいで、歪んだ権力構造としての現在の日本の学校教育の姿は、これは粉砕しなければならない対象だと思うんです。
「歪んだ権力構造としての現在の日本の学校教育の姿は、これは粉砕しなければならない」って、その手段が創竜伝? わはははは! これはフィクション(虚偽)をもって世の中を変える社会運動家そのものですね。いつからセンセはマキャベリストになったんでしょうか?
本当に世の中を変えるつもりなら、この手段が最低最悪の戦術だと気づかないのでしょうかねぇ
> 種明かしは最初からしていますね。ただ「暴力をふるわせるための理屈付けとして思想を使用」するにしても、当人が理屈として正当に思わないものを使いますかね。
「種明かし」についてエンターテイメントに徹するという部分では確かにそのとおりです。
ただ、他の点、
・徹底した市場主義
・エンターテイメントの手段としての暴力描写重視
・その実現のための思想使用
については言及してないように読めますけど、どうでしょうか?
後者については、
もちろん田中氏が己の思想の破綻に
気付いていない可能性もありえます。
でも、気付いてないと思いますか?
うまく説明できなくてごめんなさい。m(_ _)m
また後日にでも。
> あんまり受け流してはないですね・・・。この辺などは当人の思想なのでしょうね。管理人さんの本論5で引用しているところなどをみると、エンターテイメント性とは無縁です(それにしても、上のお言葉・・・いや、ここではふれないでおこう)。
見解が180度違いました。私はこれが典型的な受け流しと理解しました。
もし、田中氏が学校教育と向き合ってその改革を指向していたら、こんなことは言わないと思うんですよ。少なくとも代案を語るでしょうし、そもそも小説を手段にはしないはずです。
自分の理想の教育論を体系化して書籍として出版するもよし、著書で得た印税で学校法人を買収するもよし、予備校や塾を開くのもいいでしょう。
一教師としてどこかの高校で教鞭をふるうのもいいかもしれません。
といってもこの対談自体が本音で言っているように思えませんが。
氏の対談は大抵そうですけどね。(笑)
で、本音はこんなとこかなというのが前回の”仮定”です。
> だったらいいんですけどねぇ。創竜伝文庫版10巻のあとがきを見ると・・・。
> タイタニアも、灼熱の竜騎兵も、良心が咎めてるんですかね(なんの?)。
主人公がいかに上手に暴力をふるうかというちょっと低俗なテーマで書いているという一文芸愛好家としての良心です。
「こんなの書いて食ってていいのだろうか?
たとえ売れなくても…
大多数の読者がつまらないと言っても…
本当に好きな物をやった方が。」
と思っても不思議ではありません。
> > 奪おうとしているのは佐藤大輔氏を挙げます。
>
> これ、どういう意味で使ったのでしょう。
軽いオマージュでアンチテーゼを提示し
田中氏のシェアを奪おうとしているという意味です。
佐藤氏の作品もよく見れば思想的な矛盾が
ありますけどね。
> 匿名希望さん
ところで先の投稿は、どの作品についての仮定か書いてませんでしたが、基本的に「創竜伝」についてですよね。こっちはその前提で書いてましたが(^^;
>「種明かし」についてエンターテイメントに徹するという部分では確かにそのとおりです。
> ただ、他の点、
・徹底した市場主義
・エンターテイメントの手段としての暴力描写重視
・その実現のための思想使用
については言及してないように読めますけど、どうでしょうか?
そこまでは言及していませんね。その意味では匿名希望さんの表現は正しいです。ただ私的にはこの部分を違う意味での「受け流し」と感じました。つまり「これは、あくまでフィクションだから」という言い訳の意味で。
> 後者については、もちろん田中氏が己の思想の破綻に気付いていない可能性もありえます。
>でも、気付いてないと思いますか?
気付いてない部分、気付いている部分、途中で気付いた部分(笑)があるでしょう。
ですが、たとえエンターテイメントを目的として破綻を理解した上で書いていることであっても、当人の本音と全く反対のことは書かないでしょう。
本論5の批判対象などは「その実現のための思想使用」にもなってません。もし、そうだとしても、田中氏は本当は教科書検定が正しいと思っているのに、作品の売れ行きのためにあえて文部省を批判した、そんなことはないわけで(笑)
本論7の部分など見ると、つまりは思想の破綻以前に、まともに推考していない、というのが真相じゃないですか。
「売れている」という前提を重視するあまり、すべてを田中氏の策略とする「陰謀史観」に陥ってるような気が(笑)
とはいえ、匿名希望の言わんとすることもわかるつもりです。
つまりはこういうことでしょうか。あくまで「目的」は「商売」であり、批評はその「手段」にすぎないので、その部分を批判しても当人はこたえない。ゆえに「「田中氏」の意識に楔を打ち込むとすればそれは大幅な売り上げ減による年収の減少だけ」であり「理」では困難だと。私もちょっと本ページの主旨から離れて(オイオイ)「田中氏」の意識に楔を打ち込むことを考えてみたい・・・のですが、
> うまく説明できなくてごめんなさい。m(_ _)m
また後日にでも。
ということで、私もまるっきり誤解しているかもしれないので、また後日に。
後半部分についてはちょっと反論など。
> 見解が180度違いました。私はこれが典型的な受け流しと理解しました。
受け流すのならば、後半のあんなハズカシイ言葉は言う必要はないのでは?ハズカシイ言葉も販売戦略の一つなのかな(笑)
> もし、田中氏が学校教育と向き合ってその改革を指向していたら、こんなことは言わないと思うんですよ。少なくとも代案を語るでしょうし、そもそも小説を手段にはしないはずです。
自分の理想の教育論を体系化して書籍として出版するもよし、著書で得た印税で学校法人を買収するもよし、予備校や塾を開くのもいいでしょう。
一教師としてどこかの高校で教鞭をふるうのもいいかもしれません。
まさかこれが「本気」だとはいってませんよ。でも「本音」だと思いますよ。上でいったような意味で。
ただ、これを「学校教育と向き合ってその改革を指向」しているがゆえに、とはいいません。
田中氏の良心の咎めについては大いに疑問ですね。
> 主人公がいかに上手に暴力をふるうかというちょっと低俗なテーマで書いているという一文芸愛好家としての良心です。
一番良心の咎めるはずの「創竜伝」が、一番順調に出版されているような気がするのですが(^^;
ちなみにこれはネット上の情報ですけど、現在田中氏が執筆中なのは「薬師寺涼子」で次は「創竜伝」だそうです。そんなに良心が咎めそうなものばかり書かなくても(^^;;
> 「こんなの書いて食ってていいのだろうか? たとえ売れなくても… 大多数の読者がつまらないと言っても… 本当に好きな物をやった方が。」
と思っても不思議ではありません。
「大多数の読者がつまらないと言う、本当に好きな物」はもう書いてるじゃないですか(笑)ヤマザキパンこと中国歴史ものを。
・・・佐藤話についてもまた後日に(笑)
> ところで先の投稿は、どの作品についての仮定か書いてませんでしたが、基本的に「創竜伝」についてですよね。こっちはその前提で書いてましたが(^^;
あ、そうですね。えーと、「銀河英雄伝説」や「アルスラーン戦記」も含みます。
誤解の無いように申し上げますが、前述の仮定で作られたからその作品は悪いという意味ではありません。むしろ、ろくに市場調査もせず作者の内部で終結してしまった作品や、思想に凝り固まって自縄自縛になったもの方がよほど他者からは理解されにくい(できない)ケースもあります。
ではその種の作品は鑑賞する価値がないのかというと、そうとも限りません。
その時代の市場の評価を受けなくても後世に評価される場合もありえると思います。
私には「創竜伝」と”「銀河英雄伝説」や「アルスラーン戦記」”の明確な作者のスタンスの違いは分かりません。後者の方がより破綻が少なく、小説にとって重要である嘘のつきかたがうまいと言うこと、それと何より、後者の方が個人的におもしろいぐらいですね。
疑問点
氏は誰でも指摘できるほど精神構造が幼く、文筆家として調査が甘く、かつ
思想体系が混沌としているのか?
この疑問点に対し、私は「違うのではないか。」と言う仮定をたてました。
理由は氏の文章構成能力や引用から察せられる原典の読書量から氏の知性や知識がそれほど低いものとは思えなかったからです。
もちろん、その部分についてのミスが存在している事も過去ログにより承知していますが、作品全般的に見ればかなり高いレベルと考えてよいのではないかと思います。
では何故、氏がちょっと考えれば誰でも指摘できるほど稚拙な思想的矛盾を内包する作品を世に送り出しているのか? と言う疑問に突き当たります。
で、出てきたのが前回の”仮定”です。
しかし、”heinkelさん”ご指摘の如く結論を急ぎすぎてしまっている感はあります。実は私自身あの結論には十全の自信はなかったのです。
ですから”仮定”にしたのです。
誤解を招く表現であったことをお詫びいたします。m(_ _)m
他に導き出せる結論としては
実は田中氏の作品は複数合作だから。
表面に見えるものと全く別の意図があるから。
思想部分の破綻だけを許容する精神構造だから。
某国の陰謀で無理矢理書かされている。
などもあったのですが、一番可能性が高いと思われるものとして”市場主義のため思想的合理性は敢えて切り捨てているから”と言うものを残しました。
実はその他に全く別の意図をもって書いているのかもしれないと思いあたったのですがこれはまた後日。
> 受け流すのならば、後半のあんなハズカシイ言葉は言う必要はないのでは?ハズカシイ言葉も販売戦略の一つなのかな(笑)
販売戦略の一つなのでしょう。 ”仮定”が正しいとするとですけど。なるべくセンセーショナルで目立つ発言をした方が宣伝になり、目的には合致しますから。
> 本論5の批判対象などは「その実現のための思想使用」にもなってません。もし、そうだとしても、田中氏は本当は教科書検定が正しいと思っているのに、作品の売れ行きのためにあえて文部省を批判した、そんなことはないわけで(笑)
うーんどうでしょう。市場調査の結果メインの読者を学生(中高生)に絞ったとすれば、
敵役にして無難、かつ部数が望めるのは、政治家や教師、学校、いわゆる官僚等と考えられるのではないでしょうか?
特に校則を押しつける学校とそれを統括している文部省を叩くのはメインの読者のニーズに答えた見事な選択ではないかと。
> 一番良心の咎めるはずの「創竜伝」が、一番順調に出版されているような気がするのですが(^^;
いやぁ、だって矛盾を少なくする努力がない方が書く方は楽ですから、当然刊行ペースはよくなるでしょ。
> 本論7の部分など見ると、つまりは思想の破綻以前に、まともに推考していない、というのが真相じゃないですか
このへんも早い理由かな。
> 「大多数の読者がつまらないと言う、本当に好きな物」はもう書いてるじゃないですか(笑)ヤマザキパンこと中国歴史ものを。
これは読んでいないので前回言及しませんでしたが、この作品が本当に好きなものだとしたら氏は満足でしょう。たとえ売れなくてもです。
来月新刊予定の佐藤氏話はここでやると本来の趣旨からはずれますのでどこか適当な掲示板を教えていただけるとありがたいです。
>私もちょっと本ページの主旨から離れて
最後に、私の一連の書き込みは本ページの設立当初の目的とは若干ずれがあることは自覚しております。しかしその趣旨からはずれているとは思っていません。
とりあえず、ログNo.308本ページ管理人さん”目的”に対する意見提示ということで
ご理解ください。m(_ _)m
長文の書き込みをお許しください。
匿名希望さんは書きました
>
> 疑問点
>
> 氏は誰でも指摘できるほど精神構造が幼く、文筆家として調査が甘く、かつ
> 思想体系が混沌としているのか?
>
私もこの点については疑問を感じていたんですよね。
あんまりにも「銀英伝」と「創竜伝」の落差が激しすぎるもんで、これは意図的にやっているんじゃないかと。
私は田中作品はこの二つしか読んでません。田中芳樹ファンではなく、銀英伝ファンですから。
だから検証するようなこともできないんで、あくまで疑問の域を出ないものだったんですが。
うーん、でもやっぱりよくわからん。
> Merkatzさん
> > 疑問点
> > 氏は誰でも指摘できるほど精神構造が幼く、文筆家として調査が甘く、かつ思想体系が混沌としているのか?
> 私もこの点については疑問を感じていたんですよね。
あんまりにも「銀英伝」と「創竜伝」の落差が激しすぎるもんで、これは意図的にやっているんじゃないかと。
私は田中作品はこの二つしか読んでません。田中芳樹ファンではなく、銀英伝ファンですから。
だから検証するようなこともできないんで、あくまで疑問の域を出ないものだったんですが。
「創竜伝」の場合は主人公がなみいる敵をバッタバッタと倒していく勧善懲悪物語ですから、「銀英伝」のような「後世の歴史家」の視点による抑制された筆致はまったく必要ないわけで、「敵」も主人公と同レベルの知能と道義心を持ち合わせている必要もなく、上から下へと悪の階層構造を成していて、下っ端の「日本の権力者」は悲しいほど極端に卑小化されて描かれています。さらに、あろうことか現実の人物や出来事に対する評論を、この「創竜伝」に登場する卑小な悪役になぞらえて行っていますが、この辺も匿名希望さんの言われるように、暴力を正当化するため、そして読者(中高生)の共感を得るために意図的に挿入している部分かもしれません。
ただ、それだけに留まっていないのもまた事実で、作者の評論それ自体が目的の部分もまま見受けられて、それが物語の設定をぶちこわしているのですけれども、この辺は意図したこと、と言うよりは意図した物語と作者の思想が齟齬をきたしていると感じます。
むしろ匿名希望さんの言われるような「徹底した市場主義」のみで書いていればここまでめちゃくちゃな作品にはならなかったであろうと思われます。
> 匿名希望さん
> 誤解を招く表現であったことをお詫びいたします。m(_ _)m
こちらこそ、ちょっとあげ足取りみたいなレスで申し訳ないです。でも、もう一つだけご勘弁を。
> > 一番良心の咎めるはずの「創竜伝」が、一番順調に出版されているような気がするのですが(^^;
> いやぁ、だって矛盾を少なくする努力がない方が書く方は楽ですから、当然刊行ペースはよくなるでしょ。
つまり、「良心が咎めるために遅筆。」という仮定は誤りであることに、同意していただけたわけですね(笑)
それから、匿名希望さんの仮定をした場合に疑問なのは、田中氏は一方で「いつまでも子供相手のノベルズ作家じゃいられないぜ」「もっと権威のあるハードカバー作家になりたいぜ」と思っているのではないか、という話が以前でてましたけど、その場合に「市場重視」で書いたこの作品が大きな仇になるのではないかと(笑)。まあ、こんな作品を書いてる人ですから「名誉」よりは「市場」を重んじる人なんでしょうけどね。
> 佐藤話
> 軽いオマージュでアンチテーゼを提示し田中氏のシェアを奪おうとしているという意味です。
オマージュ。そう、パクリでも、パロディでもなくオマージュですね。田中芳樹を意識しているのではないか、と感じる部分もままあります。
実際シェアは奪えてるのでしょうか。人気度で言えば、参考に
http://omnistory.com/index.shtml
↑ここの「ファンタジー・幻想・異世界」ランキングなど見ると「創竜伝」「アル戦」の上位に「十二国記」「デルフィニア戦記」がきてますね。読んだことないので、内容的にも「奪って」いるのか比較できませんが。
・・・この辺に「皇国の守護者」が入れば楽しいですけど(あれファンタジーなのか?)。
> 佐藤氏の作品もよく見れば思想的な矛盾がありますけどね。
佐藤氏の作品のそういう部分を読む人は少ないでしょう。兵器の性能などには、容赦なくつっこみが入りますけどね(^^;
> 来月新刊予定の佐藤氏話はここでやると本来の趣旨からはずれますのでどこか適当な掲示板を教えていただけるとありがたいです。
田中氏との比較検討ならばここのほうが適当だと思われますが、それ以外なら・・・いきなり別の掲示板におじゃまするのも何ですし・・・こんど無料掲示板でも借りたらお知らせします。趣旨違いをやりがちなのは私の方なので(^^;
でも、多少の脱線はこのサイトにも資するものと思われますが(オイオイ)。
> 管理人さん
↑上で勝手なこと言ってますが、ご容赦くださいませ(^^;;
昨日古書店で情報を仕入れてきましたが、ノベルズは全然回転しないとのこと。問題は、買う読者が限定されているからとのことでした。
本当に一般受けする作品なら、ハードカバーか文庫から出してもいいはずなのに、どうして中途半端なサイズになっているのか。やはりハードや文庫ほどは売れないからだと見るべきでしょう。ノベルズの読者は、極めて限定されているファン層に限られていると、考えても良いようです。
つまり読者が限定されている以上、作家も彼らだけに受ける(売れる)ネタだけを書いていればいい(生活が保障される)。これでは向上欲なんて、出るわけがないでしょう。
極端な話、ノベルズの作家って「プロの同人誌作家」という立場が妥当なんでしょうね。
追伸 なおノベルズでいい値がつくのは、鮎川哲也のアンソロジー(光文社)とか、コナン・ドイル未公開短編集(中公)です。
> > 来月新刊予定の佐藤氏話はここでやると本来の趣旨からはずれますのでどこか適当な掲示板を教えていただけるとありがたいです。
>
> 田中氏との比較検討ならばここのほうが適当だと思われますが、それ以外なら・・・いきなり別の掲示板におじゃまするのも何ですし・・・こんど無料掲示板でも借りたらお知らせします。趣旨違いをやりがちなのは私の方なので(^^;
> でも、多少の脱線はこのサイトにも資するものと思われますが(オイオイ)。
>
>
> > 管理人さん
>
> ↑上で勝手なこと言ってますが、ご容赦くださいませ(^^;;
佐藤大輔との比較などは私も興味がありますね。横山信義との比較も興味がありますが(笑)
あまり極端な脱線でなければ、どんどんお願いします。
> 昨日古書店で情報を仕入れてきましたが、ノベルズは全然回転しないとのこと。問題は、買う読者が限定されているからとのことでした。
> 本当に一般受けする作品なら、ハードカバーか文庫から出してもいいはずなのに、どうして中途半端なサイズになっているのか。やはりハードや文庫ほどは売れないからだと見るべきでしょう。ノベルズの読者は、極めて限定されているファン層に限られていると、考えても良いようです。
新刊でも、ノベルズは雑誌扱いになって、ハードカバーとは作家にとって重さが違うという話を聞いたことがあります。
立て続けの書き込みで申し訳ない。田中芳樹問題からは若干離れますが、昨今小生は、どうもノベルズという出版の形態そのものに疑問を持ってきました。
413で書いたとおり、ノベルズとは「ハードカバーにする価値が無く、文庫ほど売れない」本と見ていいでしょう。
いしいひさいちの「広岡達三シリーズ」で、「再販五〇〇部」とかありますが、純文学では当たり前とも聞きます。「珠玉の短編集」なんて、初版刷り切りの三〇〇〇出せれば御の字。あの「サラダ記念日」も、たしか初版五〇〇〇ぐらいだったのでは。
一方、文庫になると桁が一つ異なります。会社の規模にもよりますが、新潮では五万ぐらい。徳間でも三万は出しているはずでしょう。
一方ノベルズの初版ですが、「紺碧の艦隊」は二万三千とあります。ちょうどハードカバーと文庫の中間ですな。
さて書籍も、出版社=編集者にとってはビジネスです。まず企画を出す場合、「売れる企画」を考えるのは当然ですが、同時に価格や購買層、必要経費などもすべて計算しています。
極端な例えですが、ハードカバーを「オーダーメイド」とすれば、文庫は「量販」ということでしょうか。前者は単価が高くさほど売れないが、少数だが確実に購入する層がいて、値段も高めに設定できる。後者は薄利多売。購入する層が広く見込めるために値段を下げられ、数で勝負できるということです。
となると両者の中間に位置するノベルズの立場は微妙でしょう。購入する読者は確実にいるが、文庫ほどは多くない。またハードカバーの読者ほど金銭的はゆとりもないが、文庫にすると回収できる見込みがない……。
これが出版社サイドから見たノベルズが生まれた土壌だと推測できます。
面白い例は、佐藤大輔の『レッドサン・ブラッククロス』でしょう。シリーズ初期は徳間文庫書き下ろし、別冊が徳間ノベルズ。そしてしばらくの中断の後、中公からノベルズで復活しました。シリーズ途上で、文庫からノベルズに移行したというのは、かなり希な例ではないのでしょうか。
興味深いことに、文庫一巻(九三年巻)は五版もかかっています。しかし幾つかの大手書店をリサーチしたのですが、なんと初版を見つけてしまいました。
他方、中公から出た一巻(九月刊)は、たしか日版のベストセラーに入っていたのに、いまだ書店には初版しか置かれていません。同時期に出た山崎豊子女史は、ハードカバーにも関わらず三版まで出ているにも関わらずにです。
これは何を意味しているのでしょう?
・徳間の文庫一巻は、架空戦記ブームに乗って「出せば売れるだろう」と編集者が判断し、強気で文庫書き下ろしにした(文庫書き下ろしは、非常にリスクのある冒険。しかも佐藤大輔はデビューしたてだった)。
だがいきなり抜擢しても、徳間の規模では五万は出せない。かなり少な目(推測では半分)で様子を見たのではないか。
ところが、予想よりも売れ行きは良かった。それで早めに増刷をかけたのだろう。
おそらくその後の巻は、一巻よりも多めに刷ったと思われる。
・しかし問題が発生した。中公の現象でも見られるとおり、最初にファンが集中して買っただけで、思ったほど読者層が広くなかった。
だからどれだけ増販を刷っても、売れ残った初版が書店の棚にあるという奇妙な現象が発生したのではないか。
・それで中公に移籍後、書き下ろし文庫というリスクの多い形態から、確実に(多くても三万ぐらいの)読者を拾えるノベルズに移行したのではないか……。
つまりノベルズとは、作家や出版社=編集者にとって読者数の“読める”ジャンル。ある程度の部数は確実に掃け、失敗しない(失敗の少ない)形態なのでしょう。
前回小生が書いたように、その読者が買えば=喜べば、作家は食えて、出版社も損はしない。
三方丸く収まっているのでしょうね。
このように考えると、ノベルズって小説と呼ぶに相応しいものなのでしょうか? このように小生は考えるに至った次第です。
確かに「創竜伝」はヒドイ。最近のミステリは読んでませんが、架空戦記などクズ揃いです。
ですが、小説としての価値などを求めていない作家や読者たちに、他の出版形態からの正論をぶつけても、彼らには聞く耳を持たないのではないでしょうか?
追伸 「レッドサン・ブラッククロス」って、架空戦記ファンの間では名作と言われていますが、そうでしょうか?
どうも小生、「ドイツがヨーロッパを席巻して云々」という作品は生理的に読めないのです。
そんなことをすれば、全ヨーロッパのユダヤ人、ジプシー、それに心身の障害者が虐殺されていたことでしょう(なお小生には、障害者の友人が二名もいます)。また民族同一化政策の徒花、レーベンス・ボルン(生命の泉計画)は、どうなっているのでしょう?こんなことを考えれば、「小説を素直に楽しむ」ことなんか出来ません。
それとも架空戦記を楽しむには、まず思考停止をしないといけないのかなぁ(それならシミュレーションではない!)。
速水右近さんは書きました
> このように考えると、ノベルズって小説と呼ぶに相応しいものなのでしょうか? このように小生は考えるに至った次第です。
確かに「創竜伝」はヒドイ。最近のミステリは読んでませんが、架空戦記などクズ揃いです。
ですが、小説としての価値などを求めていない作家や読者たちに、他の出版形態からの正論をぶつけても、彼らには聞く耳を持たないのではないでしょうか?
小説と呼ぶにふさわしい物しか存在意義はないというのは、随分狭量な考えのように思えます。
ノベルズという形態が存在しなかったのならば、あの「銀河英雄伝説」も生まれなかったかもしれない。
私は「創竜伝」も「クズな仮想戦記」も、その存在自体は許容します。
いや、その前に文庫でも、ハードカバーでもクズのような作品は数えるほどあります。ノベルズ作家を「小説としての価値などを求めていない作家」と決めつける根拠をその出版形態にのみ求めるのはいかがなものでしょうか。
> 追伸 「レッドサン・ブラッククロス」って、架空戦記ファンの間では名作と言われていますが、そうでしょうか?
どうも小生、「ドイツがヨーロッパを席巻して云々」という作品は生理的に読めないのです。
そんなことをすれば、全ヨーロッパのユダヤ人、ジプシー、それに心身の障害者が虐殺されていたことでしょう(なお小生には、障害者の友人が二名もいます)。また民族同一化政策の徒花、レーベンス・ボルン(生命の泉計画)は、どうなっているのでしょう?こんなことを考えれば、「小説を素直に楽しむ」ことなんか出来ません。
それとも架空戦記を楽しむには、まず思考停止をしないといけないのかなぁ(それならシミュレーションではない!)。
「レッドサン・ブラッククロス」世界ではドイツがイスラエル建国を認めユダヤ人をそこへ追い出して「最終的解決」を図った、ということになっていて、虐殺は起こってません。まあ、これこそご都合主義で「シミュレーション」ではないんですけどね。
実際「仮想戦記」という物は、まず、描きたい場面が先にあって、それに併せて歴史改変を行う物ですから「シミュレーション」と呼べる物ではありません。ただその辺の嘘の付き方が他の作家に比べてうまい、ということで評価されてるのが佐藤大輔氏なのですけど。
あまりほめられた趣味ではありませんが、その辺はファンも認識しているところです。
Heinkel氏へ
「小説と呼ぶにふさわしい物」かどうかは、個人の主観が入ってしまいます。それは十人十色の考えがあってもいいでしょう。
それこそ小生も「創竜伝」も「クズ仮想戦記」の存在自体は許容していますし、クズの文庫やハードカバーの作品だって多数知っているつもりです。
しかしノベルズの作家(の多く)は、小説家としての誠意が見えてこない人が多く写ります。
多少技術的に下手でも、一生懸命やっていると読者に思わせるのも、プロの芸ではありませんか? 小生には、どうもそれすら感じられない作家が多いと思うのですよ。
嫌な言い方をすれば、「この程度の読者には、この程度の物を与えていりゃ喜ぶんだろ」ってやる気のなさが見えてしまうんです(もっともFやKの文庫にも多いですけどね)。
もっとどぎつい表現をするなら、小説を読んでいて、作家が書いているのが楽しそうじゃないと感じてしまいます。「あくまで商売」と割り切っているって感覚ですかね。
そんな作家にとって一番都合がいいのが、ノベルズという形態になってしまっている。さほど努力しなくても、一定の部数は確実に掃けるんですから(「プロの同人誌作家」と書いたことです)。
小生は「銀英伝」の時代とは違って、ここ数年の流れの話をしているつもりなんですけども(それこそ私の好きな鮎川哲也責任編纂の推理アンソロジーは、二〇年前の話ですぜ)。
また、ここは「レッドサン・ブラッククロス」
についての批判は述べる場所ではないでしょうが一つ二つ。
「ユダヤ人の虐殺」はなくても、ジプシーや障害者は虐殺されているんではないでしょうか。またレーベンス・ボルンは、どうなっているのでしょう?
ユダヤ人などの迫害があったからこそ、ナチスの狙ったナショナリズム高揚が成功したはずです。もしユダヤ人国家を認めるほどヒトラーがいい人だったら、他の迫害政策もなかったということでしょうか。でもそれなら、どうしてナチスが戦争を求めたのかという意味まで、なくなってしまいませんか(「戦争しなければならない」必然性がなくなるか、史実とは全然異なってしまいますよ)?
ある程度の御都合主義は、どんな小説にも必要悪でしょう。しかし小生から見た佐藤氏の作品は、「うまい」というより「あくどい」という言葉のほうを強く感じてしまいます(それより他の作家が下手ってことですけど)。
捕捉すると……
川又千秋氏の「ラバウル烈風」が打ち切りって噂です。また○○の出している架空戦記ですが、ある程度の売れ行きがなければ即シリーズ打ち切りという、ジャンプ並みの厳しさって聞きした。ですから展開はやたら大きくなるのに、作品の完成度は低下してしまうという状況になっています。
地道でこつこつとした長編よりも、ハデハテな展開のほうが読者には喜ばれるということですかね(内容なんか読んでいないのかも……)。
現状では、いきなりの新人が「銀英伝」級の長編を引っさげても、デビューし辛いのではないでしょうか?
この辺り、それこそ管理人氏の意見を聞きたいと思います。
>あんまりにも「銀英伝」と「創竜伝」の落差が激しすぎるもんで、
>「銀英伝」のような「後世の歴史家」の視点による抑制された筆致
このへんはちょっとズレがあるようです。私にとってはどちらも本質的な氏のスタンスは同じと考えています。
「銀河英雄伝説」もエスエフ風味冒険小説であり、主人公のかっこよくかつ正当な暴力を表現することにより現代人のストレスの発散させる目的の文字の連なりと認識しています。
そういう意味では「創竜伝」は「銀河英雄伝説」より出来が悪い(おそらくはより社会をしらない方向けの)社会風刺風味冒険小説であるものの、両者の本質は一緒ではないかと思っています。
>それから、匿名希望さんの仮定をした場合に疑問なのは、田中氏は一方で「いつまでも子供相手のノベルズ作家じゃいられないぜ」「もっと権威のあるハードカバー作家になりたいぜ」と思っているのではないか、という話が以前でてましたけど、その場合に「市場重視」で書いたこの作品が大きな仇になるのではないかと(笑)。
えぇ、だから遅筆なんじゃないかと思ったのです。
本音はノベルズなどもう書きたくない。
しかし書かなければ「快適な生活」「出版社との良好な関係の維持」等が不可能。
仕方が無く書き続けるがこんなものを書くのはどうにも良心が咎めて仕方がない。
で、遅筆なんじゃないかと。「創竜伝」も手を抜いている分早いにせよ、ノベルズとしては遅筆の範疇に入る刊行ペースだと思いますが?
まぁ、遅筆の理由については材料が少なすぎるので、これだという答えはおそらくでないと思います。
ただ、氏の作品ならば何でも買うファンがいて一定の部数を見込める以上、出版社は中堅の下ぐらいの作家よりも氏のハードカバーの発行に前向きであるであろう事だけ付け加えておきます。
>佐藤大輔との比較などは私も興味がありますね。横山信義との比較も興味がありますが(笑)
あまり極端な脱線でなければ、どんどんお願いします。
やはり脱線しそうなので止めておきます。(^^;)
それに”田中氏とは?”と言う定義付けの基礎すらまだ私に出来ない以上、他の作家との比較もあまり意味がないと思うので。
>この辺り、それこそ管理人氏の意見を聞きたいと思います。
>書籍も、出版社=編集者にとってはビジネスです。まず企画を出す場合、「売れる企画」を考えるのは当然
>小説としての価値などを求めていない作家や読者たちに、他の出版形態からの正論をぶつけても、彼らには聞く耳を持たないのではないでしょうか?
市場での評価が絡む部分では、かつてのファン論争を彷彿するような話題ですね。売り上げによる読者の需要は決して軽視するべきではありませんね。しかし、なおかつ売れていることと作品内容の評価は等価ではありません。場合によっては反比例することも少なくない。
この二つの基準は矛盾なく両立できると思うのですが、どうでしょう。
個人的には、漫画やアニメ、映画などの映像文化の隆盛に迎合する形で、現代の大衆小説が軽薄化しているんだと思います。その場合、文字の場合は「読む」ということ自体に労力が伴うために、より内容も文章も軽くしてしまってきた…いや、より内容も文章も軽くすればいいと勘違いする輩が大量出現したと言うべきですかね。
ちなみに売れた人間が好き勝手やっているのは、小説に限らず商業誌全般に見られますよね。
某ジャンプの萩原やら富樫やらは酷いモンです。
私的見解ですが、もしも出版の形態で分類するのであれば、ご指摘の非難はハードカバーの方がよりふさわしいと思います。芥川賞受賞作とやらを読むたびに開いた口がふさがらないのは私だけじゃないと思うのですが……
> 追伸 「レッドサン・ブラッククロス」って、架空戦記ファンの間では名作と言われていますが、そうでしょうか?
> どうも小生、「ドイツがヨーロッパを席巻して云々」という作品は生理的に読めないのです。
> そんなことをすれば、全ヨーロッパのユダヤ人、ジプシー、それに心身の障害者が虐殺されていたことでしょう(なお小生には、障害者の友人が二名もいます)。また民族同一化政策の徒花、レーベンス・ボルン(生命の泉計画)は、どうなっているのでしょう?こんなことを考えれば、「小説を素直に楽しむ」ことなんか出来ません。
> それとも架空戦記を楽しむには、まず思考停止をしないといけないのかなぁ(それならシミュレーションではない!)。
確かにナチスドイツのやったことは、情状酌量の悲劇を考えても悪そのものなんですけど(あえて悪と決めつけたるぜ>田中芳樹)、しかし、だからといってドイツ軍の魅力まで否定するのは妙だと思います。
ミスコンに反対する堺市の女性団体のオバサンが「戦争で人殺すのがうまくて権力者になった豊臣秀吉みたいな人間を賞賛する歴史教育は何事だ」みたいなことをいっていましたが、極端な話、これは変でしょう?
まあ、イスラエル云々は姑息だと思いますし、もちろん、戦争に至るまでの政治戦略の整合性がおかしければ、氏の作品の性質上そこはさんざんに叩かれてもしかるべきだとは思います(レッドサンブラッククロスに関しては「主砲準備よし」で読んだだけなのであまり多くのことはいえないのですけれど)。
私のいとこは半分ユダヤ人なんですけど、私はドイツが活躍するWWIIの作品をよく楽しみますよ。所詮ゲームですから。
もしホンモノのナチスが再び台頭するようなことがあったら万難を排して戦うでしょう。
はじめまして。ずーーっとROMしてた者です。ようやく書けそうなネタがあったんで横レスですが失礼して。
heinkelさんは書きました
> 実際シェアは奪えてるのでしょうか。人気度で言えば、参考に
http://omnistory.com/index.shtml
↑ここの「ファンタジー・幻想・異世界」ランキングなど見ると「創竜伝」「アル戦」の上位に「十二国記」「デルフィニア戦記」がきてますね。読んだことないので、内容的にも「奪って」いるのか比較できませんが。
・・・この辺に「皇国の守護者」が入れば楽しいですけど(あれファンタジーなのか?)。
「十二国記」について
これは中国神話をもとにしっかりとした設定のファンタジーでして、ホワイトハートということでジュビナイル小説なんですが、かなりハードですよ。田中作品とはちょっとダブりませんねぇ。
「デルフィニア戦記」について
これはアルスラーンとかなりダブります。西洋っぽい世界を舞台にした架空歴史小説になるかな。テイストとしては、アルスラーンからキャラだけ抜き取った感じ(笑)水滸伝風にどんどん人材が集まってくるところとか、ひねくれたキャラ同士で皮肉のやりとりをするところとか、戦闘が一騎打ちできまるところとか、勧善懲悪なところとか。ちょっと同人誌ノリが強いのでその辺が鼻につきますが。
創竜伝は好きだけどアルスラーンが小難しいという人はこっちに行くと思う。
「皇国の守護者」について
ファンタジーかと言われてみると・・・ドラゴンがでてきて魔法(テレパシー)もあるし、一応ファンタジー?
佐藤氏の田中氏との共通点としては、無能な奴に対する冷たい視線(笑)ぐらいで、こだわりを見せるところが全然違うわなぁ。
佐藤氏は戦略面に経済を重視するけど、田中氏は・・・うーん、経済は音痴だ。国取りゲーム的な視点とでも評しておきます。
他には人物の描き方、佐藤氏は軽快な台詞のやりとりというより、ねちっこく内面を書くことにより人物を描くけど、田中氏は、上っ面ぐらいしかさわらない。ま、これは文章作法としての神の視点の位置の置き方の違いなのだろうけど。多分両者ともそのようにしか書けないのでしょうねぇってこれは失礼な言い方。得意なんでしょう。
しかし田中氏の表現方法はいい加減あきます。特に皮肉系キャラは同じ価値観、同じ語彙で喋るから別作品のキャラクターと入れ替わっても気付かないでしょう(笑)
ちょっと場違いな話題だったかもしれませんが、戯言ということで、
では
お返事、有り難うございます。
まず小生の「読み誤り」から。
どうやら初期のノベルズは、「ハードカバーにする価値がなく、さりとて文庫ほど売れない」本に光を当てるために出来たみたいです。
それが管理人氏の仰るとおり、他の「文化に迎合する形で、現在の大衆小説が軽薄化し」、今の状況になったのでしょうね。
この辺りはほぼ見解の一致を見ているのですが、それら迎合した大衆小説家にとって、やはりノベルズとは住み易い環境だと思うのです。
本来、(商業ベースに乗った)小説とは、「不特定多数の読者」を対象に売られる=書かれるべきものなのに、現状のノベルズでは「特定多数の読者」を露骨に狙った作品が増えていますし(それが「創竜伝」や「紺碧の艦隊」のような、政治評論もどきの作品を産み出したのでしょうな)……。
まぁ読者と作家のレベル低下は、ニワトリとタマゴの関係なのでしょうがね。
でもやっぱり、「銀英伝」は昔のノベルズだからこそ出せた作品でしょう。また「創竜伝」も現在だから出る作品ではないでしょうか。無論、作品の出来不出来はともかくですが。
どちらにせよいきなりハードカバー、いきなり文庫では、しんどいですよ。
Re440については、別の機会に。
小生は、「生理的に読めない」作品と「評価しない作品」は分けているつもりです。「レッドサン」は、「生理的に読めないし、評価もできない」部類なんですよ。
やはり(架空戦記的な)小説では、戦闘場面だけではなく、文明的・文化的な部分まで踏み込まざろう得ない“宿命”にあるはずです(これは、SFマガジンかどこかで喜多哲士氏が書いていたと思います)。またそれが出来ないのならば、欧米の冒険小説的なものに逃げれば済むのです。
しかし「レッドサン」の場合(に、限らず架空戦記の大半か)、イスラエル云々だけで、踏み込みも逃げも中途半端です。虐殺があったなら、正々堂々と書けばいいんですよ。それこそ小生は読みませんが、その勇気(愚行?)は評価したいですから。
ともかく小生の評価では、佐藤大輔はまったく技術のない作家ではないでしょう。しかし「ある」とも言い切れません。
彼の長けている「技術」は「読者に技術があるように見せる技術」だけなのです(こう考える小生も屈折してますけどね)。
追伸1 大陸書房から出した佐藤大輔の戦争シミュレーションもの(これは小説には入らないでしょう)など、ひどさの極地です。
個々の知識はあるのですが、知識の間のリンクがまったくなっていない。これを読んだだけで、小生には「もう結構」でしたよ。
まぁ架空戦記ファンの大半は、知識に対する劣等感が激しい割りに向上欲があまりなく、そのくせ嫉妬心が凄い(悪く書き過ぎか?)から、彼ぐらいで納得できるのでしょうけど。
2 ドイツの兵器ではないのですが、軍服には「ゲルマン優越主義」という思想というか情念が隠っていることを、日本の本はほとんど書いていませんね。
あれは機能性なんか二の次で、「とにかく格好いいもの」を作らせた結果なのですよ。つまりナチスも「おたく」だったということですか。
ドイツ製の兵器がおたくに評価が高い理由は、こんなところにあると小生は愚考しますが。
> レッドサン・ブラッククロス
一応補足しますと、この世界でも「反ユダヤ主義」そのものが無いわけではありません。「結果として」パレスチナ強制移住から、イスラエル建国を許すことになってしまった、という設定です。それからこの作品では日露戦争から歴史改変を行っていますから、40年代のこの世界は史実とは大分状況が違います。
こちらも説明不足で申し訳有りませんが、作品名を挙げて批判する以上は、とりあえず読んでからにしたほうがよいと思いますが。
「この作品は日露戦争から……」そこが、駄目なんですよ。まず肝心の、弄っていく過程がほとんど欠落しているではありませんか。
そして正しいとか間違いではなく、「そこまで歴史を弄って書かねばならない作品か」というのが最初に感じてしまうんです。
結局、史実を上手いこと弄って、日本とドイツを(安心して?)戦わしたいというのが、見え見えなのです。あれだけ弄れば、「この作品世界では豚が空を飛んでも……」不思議ではありませんね。
それに彼の大陸書房から出した「シミュレーション」には、同様な御都合主義満載で、読んでいて失笑を禁じ得なかったですよ(これは断じて、「小説」ではありませんね)。
小生には、佐藤やファンのそういう甘ったれた考えこそが、歴史を冒涜していると思えるんですよ。
もっとも小生が「レッドサン」を例としてあげたのは「売れ行き」に関してであって、「内容」は個人的な感想を纏めただけだったはずですが。
むしろheinkel氏。「内容」について以上に、どうして途中で文庫(書き下ろし)からノベルズになったのかという小生の考察への感想のほうを伺いたかったですけどね。
> このへんはちょっとズレがあるようです。私にとってはどちらも本質的な氏のスタンスは同じと考えています。
「銀河英雄伝説」もエスエフ風味冒険小説であり、主人公のかっこよくかつ正当な暴力を表現することにより現代人のストレスの発散させる目的の文字の連なりと認識しています。
そういう意味では「創竜伝」は「銀河英雄伝説」より出来が悪い(おそらくはより社会をしらない方向けの)社会風刺風味冒険小説であるものの、両者の本質は一緒ではないかと思っています。
本質を突き詰めればそうなるのでしょうが、ここではその「出来の悪さ」について説明しているのですから、重視すべきは外見上の体裁でしょう。その体裁が「出来の悪さ」に関係していると思いますから。
「同じコンビニの海苔弁と鮭弁で、どうしてこんなに味が違うのか」と論じているところに、「両者の本質は弁当であり、客の空腹を満たして代金を得るためのものである」と言われても困ってしまいますよ。
あ、いや、先にタナカ・デイリーストアの販売戦略について論じているところで、弁当の味について語ったこっちが悪いですね。
私も本質は同じだと思います。
それにしても「現代人のストレスの発散させる目的の文字の連なり」、・・・ロコツですねー(*^^*;
どうも、はじめまして。説明ありがとうございます。
> 「十二国記」について
> これは中国神話をもとにしっかりとした設定のファンタジーでして、ホワイトハートということでジュビナイル小説なんですが、かなりハードですよ。田中作品とはちょっとダブりませんねぇ。
前に例に出されていた方がいたので、多少重なっているのかとも思っていました。
> 「デルフィニア戦記」について
> これはアルスラーンとかなりダブります。西洋っぽい世界を舞台にした架空歴史小説になるかな。テイストとしては、アルスラーンからキャラだけ抜き取った感じ(笑)水滸伝風にどんどん人材が集まってくるところとか、ひねくれたキャラ同士で皮肉のやりとりをするところとか、戦闘が一騎打ちできまるところとか、勧善懲悪なところとか。ちょっと同人誌ノリが強いのでその辺が鼻につきますが。
創竜伝は好きだけどアルスラーンが小難しいという人はこっちに行くと思う。
アンチテーゼの提供ではなくて、同様の趣向を用意するのもまた「奪う」ことにもなりますが、アルスラーンが小難しいと感じた人が行き着いてあの人気ですか・・・。まあ、難しければいいってものでもないんですけどね。
> しかし田中氏の表現方法はいい加減あきます。特に皮肉系キャラは同じ価値観、同じ語彙で喋るから別作品のキャラクターと入れ替わっても気付かないでしょう(笑)
耕平&来夢は希少な例外だと思う。とくに来夢、願わくば、大人になっても「皮肉系キャラ」にはならないでほしい・・・。
佐藤氏の場合、特に最近の作品ではコブシが回りに回って充実していますね。「連邦」のキャラなんかいい味だしてます。