山本弘トンデモ資料展
2006年度版2-C


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[懐疑論者の集い-反擬似科学同盟-] トピック
2006年05月21日
08:59
 ダ・ヴィンチ・コード
  杜畝紀
 今話題のダ・ヴィンチ・コードについてその信憑性はどうなのでしょうか?
 詳しい人がいれば教えてもらえないでしょうか?
 もしくは、ダ・ヴィンチ・コードをについて信頼できる検証しているサイトがあれば教えて下さい。

書き込み
全てを表示  [ 1 2 ]  最新の10件を表示
2006年05月21日
09:28
    1: べべ
はじめまして。
と学会の皆神龍太郎氏が『ダ・ヴィンチ・コード最終解読』(文芸社)を出されています。他にもいろいろと検証本は出ていると思いますよ。
2006年05月21日
09:34
    2: ヴィー
wikipediaに「シオン修道会」の項目ができました。
関連の項目もかなりありますので、それなりに参考になるんじゃないでしょうか。
2006年05月21日
09:44
    3: phoque
あれはフィクションであって、別に研究書じゃないと思うんですが。
2006年05月21日
10:31
    4: コレコレ
>phoqueさん
ところが本の冒頭には「内容は事実です」って書いてあるし、昨日のSP番組でも「「最後の晩餐」に描かれているのはマグダラのマリア」「キリストは結婚してた」ということを事実であるように断定して放送していましたね……だからこそ、『最終解読』等の検証本は読まれるべきだと思うのです。
2006年05月21日
13:02
    5: 西鬼(北猫)
 シオン修道会の部分は嘘だとしても、最期の晩餐に聖杯が描かれていないこととかは事実では?
 また、ナイフを立てている手や、女性に見える使徒が描かれているのも事実でしょ?
 個人的には本の信憑性としては「フィクションでしょ」レベルですが、指摘していることは「なるほどね。そういうこともあるのか」というレベル。
 キリストは(法レベルではなく事実婚レベルでの)結婚していたとしても別に問題はないと思う。
 キリスト教徒の方々には「有り得ない」話でしょうけどね。
 フィクションの中でそういう指摘はあっても問題はないでしょ?
 全てを事実として受け入れるのは問題だと思いますが、殊更に否定するのもどうかと思いますよ。
2006年05月21日
17:31
    6: phoque
フィクションの中での指摘はあっても問題ない、という考え方を
否定するわけじゃなりませんが、
「事実である」と主張したいのであれば、
フィクションの中で事実としてとりあげるという方法は
フェアじゃないよな、と思うわけですよ。
というか、ダ・ヴィンチ・コードという小説(と映画)は、
歴史上宗教上の謎を舞台装置として使っているフィクションの筈なのに、
なぜか「キリスト教の隠された真実を暴く」的側面ばかりが
強調されてるのはなんかおかしいんじゃない?って思うんです。

謎というか仮説について読み手が勝手に検証したりする楽しみ方は
当然アリだと思うし、
私も今朝「最終解読」アマゾンで頼んじゃいましたが、
トピ主さんの質問は、「ダ・ヴィンチ・コード」の「信憑性」で、
そこのところにちょっと違和感を覚えたってコトで。
2006年05月21日
17:38
    7: 山本弘
『ダ・ヴィンチ・コード最終解読』読めば分かることですから、まずお読みになってはいかがですか?

 僕はダン・ブラウンの前作『天使と悪魔』を読んで、いきなりX33とイルミナティと反物質が出てくる展開にひっくり返って喜んだクチです。この人は荒唐無稽な大ボラを大真面目に語る作家なんだな、という印象を受けました。
 だから『ダ・ヴィンチ・コード』も、「嘘のつき方がうまいなあ」と感心しながら読みました。

 その昔、小松左京『日本沈没』がベストセラーになった時、本気で心配して「わしの土地はだいじょうぶでっしゃろか」と電話をかけていた人がいたという逸話があります。フィクションとは嘘である、という当たり前の事を理解できない人が、けっこういるんですよね。困ったことだと思います。
2006年05月21日
17:56
    8: 西鬼(北猫)
 フィクションという本の中で『「事実である」という表現が問題である。』というのは「嘘つきが『私は正直である』というのは問題だ」というのと同じでは?
 フィクションを事実として誤認するかどうかは読み手の問題でしょう?
 また、元々、小説は1%の嘘(虚構)を自然に読ませるために90%以上の事実と9%の正当な推測を織り込むモノでは?
 (この割合は作者と作品によって変わるでしょうけどね)
 フィクションの中に書かれたコト全てが、照らし合わせたときに事実と違うということを問題とする必要性が私には理解できませんね。
2006年05月21日
18:09
    9: バレッタ
MMRですから。アレは。
MMRだって一応フィクションであると冒頭に書かれておりますよ。
2006年05月21日
18:15
   10: 杉山真大
2chの幸福の科学統合スレをここんとこROMってますけど、『ダ・ヴィンチ・コード』の書かれていた内容って数年前に幸福の科学(=大川隆法)が「解明した!」って言っていた内容なんですよね。

この『ダ・ヴィンチ・コード』のブーム、幸福の科学の信者はどう見ているんだろ?公開時期がズレていたら(『永遠の法』の観客層と少なからず重なっていただけに)悪魔呼ばわりされていたかも・・・・・
http://www.eien-movie.jp/
2006年05月21日
18:56
   11: phoque
西鬼(北猫)さま
> フィクションの中に書かれたコト全てが、照らし合わせたときに事実と違うということを問題とする必要性が私には理解できませんね。

ごめんなさい。これって私に向けられてます?
だとしたら誤解です。
私がいいたいのは
「フィクションの中に書かれていることについて、信憑性がどうのという観点から“のみ”捕らえるのは、フィクションの楽しみ方としてどうなのか」
ということです。だから西鬼(北猫)さんのおっしゃってるところと、それほどの違いはないと思うんですけど。
2006年05月21日
19:00
   12: ちゅり
去年のトンデモ本大賞で,皆神さん,嘘暴き解説楽しそうでしたねぇ.本にまとめてはったんですね.映画も公開されたし,今年のコメントが楽しみです.
2006年05月21日
19:07
   13: 杜畝紀
みなさん コメントありがとうございます。
 皆神龍太郎 『ダ・ヴィンチ・コード最終解読』(文芸社)は近いうちに買って読ませてもらいますね。

 読んでからまだ疑問があれば、投稿したほうが建設的な話ができるでしょうから。

 皆さんありがとうございます。
2006年05月21日
19:35
   14: 西鬼(北猫)
 >11: phoque
 そういう主旨ならば同意です。
 まぁ、作者自身が「フィクションだ」といい、形態としても小説というフィクションそのものであるのに、「事実だ」と騒ぐのは滑稽でしょう。
 WebやここMixiの中の日記でも冷ややかな意見が多いようですから、そんなに大衆はマスコミには踊らされてはいないようですよ。
 では……
2006年05月21日
19:36
   15: デバンカー♪
>最期の晩餐に聖杯が描かれていないこととかは事実では?
>また、ナイフを立てている手や、女性に見える使徒が描か
>れているのも事実でしょ?

それも事実であるかどうか、検証をしてますので、とりあえず、読んでみてください。

以上、筆者からのお知らせでした!
2006年05月22日
01:06
   16: ペンパル募集
やっぱり、『ダ・ヴィンチ・コード』という小説そのものより、裏で小さなウソが積み重なって最終的にダン・ブラウンが大儲けしたという事実の方が、、、ファンタジーですねー

小説は面白いともよくできてるとも、個人的にはあまり感じませんでしたが、好事家としてはその裏の部分の方が100万倍面白かったです。

シオン修道会という”素敵な”秘密結社を世に紹介した功績も大きいと思いますし。

よくわからんのはダン・ブラウンがその事を知っていて「ウソ」をエンタメとして文学に持ち込んだのか?それともマジボケ、、、マジボケ・コードだったのか?って部分。

さあ、映画観にいくゾ!誰かいっしょにいかないw
2006年05月22日
02:53
   17: タグリ
映画を見てきましたがあっさりしてて冗長でした。
原作のトンデモ度から期待してMMRのような
ΩΩΩ<ナンダッテー
みたいなものを期待していたのですが・・

時々出てくる昔の再現場面が”奇跡体験!アンビリバボー”の再現ドラマ並にショボかったのが気になりましたw
2006年05月22日
11:57
   18: blue light
以前『最後の晩餐』の修復のテレビ特番が流されて「謎の手」はとっくに解明されていたような気がします。デジタル化と勘違いしてたらゴメンナサイ。
「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」(岩波文庫)は、こういう機会に読むものなのですね。

「男神=破壊」「女神=平和」というステレオタイプ思考に昔の「女性の時代」と喧伝されていた頃を思いだしました。
「それは男の発想ね」て、よく言われたなあ。あれは何だったんだろう。

小説は面白いですが、やっぱり「教養書」としての批判本(あ、これ『ダ・ヴィンチ・コード』を教養小説と紹介された有名な歴史の先生への皮肉ですから(笑))を合わせ読むのが十倍面白いと思います。
ちなみに私が読んだのは

『「反」ダ・ヴィンチ・コード』ホセ・アントニオ・ウリャテ・ファボ 早川書房
カソリックサイドからの反論ですが、聖書に関する記述の間違いの指摘(パウロとシラスは地震で脱獄していない)などは興味深いです。

『ダ・ヴィンチ・コード最終解読』皆神龍太郎 文芸社
「と学会」皆神さんの著書。
小説の根幹である「シオン修道会」をよくもまあ、こんなに詳しく……ひょっとして、お友達?
巻末の竹下節子さんとの対談が面白かったので、竹下さんの本も読んでみようかな。
2006年05月22日
15:52
   19: かずめ
『ダ・ヴィンチ・コード最終解読』他の研究本は面白そうですね。それぞれの仮説については、真義のほどは置くとしても面白いと思うので、そういうトピックを取り上げたこと自体は評価しても良いと思ってます。(物語構成に有効かどうかはまた別として)

ただこの作品の問題は、悪役としてヴァチカンならびにその内部組織オプス・ディの名前を挙げちゃったということですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060419-00000032-san-int

同じようなことをしているフィクションは過去にもいくつもありますが、もっとあからさまに荒唐無稽なので、読者/視聴者も「そんなわけなかろ」と笑い飛ばして見られたのですね。(007シリーズとかルパン3世とか)
普通なら実在の団体に配慮して「この映画はフィクションであり実在の人物・団体とは関係はありません」と書くところを、「ダ・ヴィンチ・コード」はご丁寧に「内容は事実です」と書いちゃった。これは実在のカトリック系団体とのトラブルのリスクよりも、宣伝効果を取ったということでしょうか。

ところで今後、「シオン修道会」の「レンヌ・ル・シャトー文書捏造事件」の顛末の方を小説や映画にして欲しいな、と私は思っているのですが。
2006年05月22日
17:16
   20: ペンパル募集
> ところで今後、「シオン修道会」の
> 「レンヌ・ル・シャトー文書捏造事件」の
> 顛末の方を小説や映画にして欲しいな、
> と私は思っているのですが。

同感です。

(以下、妄想)
2000年、ピエール・プランタールがパリで寂しく死ぬ場面でこの映画は終わる。
悲壮な音楽をバックにスタッフロールが終わった後、
ブラックアウトした画面にそっと浮かび上がるテロップ

「2003年、シオン修道会を題材としたダン・ブラウンの小説『ダ・ヴィンチ・コード』が大ベストセラーとなり、彼は巨額の富を得ることになった」

泣けます!!
2006年05月22日
17:44
   21: ナカイサヤカ
>デバンカー♪さま

『ダ・ヴィンチ・コード最終解読』、夫が図書館で見つけてきてくれました。(買わなくてごめんなさい。)

洋書の解読本から、どうもそんなことではないかと思っていたんですが、すっきりしました。「ある伝説」が作られていく過程がここまで検証できた希有な例ですし、面白いですねえ。こういうの大好きです。
2006年05月22日
17:50
   22: 夜帆。@××マスター
 まあ、『タイム・トンネル』 の日本未放映部分を初め、海外のドラマって、結構シャレにならないのがありますからね~。
2006年05月22日
18:19
   23: 白飴姫
>19 かずめ さん
> 普通なら実在の団体に配慮して「この映画はフィクションであり
> 実在の人物・団体とは関係はありません」と書くところを、
> 「ダ・ヴィンチ・コード」はご丁寧に「内容は事実です」と書い
> ちゃった。これは実在のカトリック系団体とのトラブルのリスク
> よりも、宣伝効果を取ったということでしょうか。

 手元にある,邦訳文庫版『ダ・ヴィンチ・コード(上)』( p.5 )を見る限り,「この小説における芸術作品,建築物,文書,秘密儀式に関する記述は,すべて事実に基づいている」とあります. したがって,カトリック教会がシオン修道会関係者を弾圧したという>出来事・業<とかオープス・ディが女性の地位について問題ある扱いをしているという>出来事・業<*等については,同書では(それらは芸術作品,建築物,文書,秘密儀式の何れにも当たらないので)真偽について述べておらず,「小説」と銘打たれている以上,明記されていない事柄についてはフィクションの可能性が大いにあることを著者自身認めている,と読むのが穏当でしょう. したがって,上記クレジットからカトリック系団体が同書で描かれた事を現になしているという宣言を読み取ることは,歪曲に思われます.

 * 上記引用の直前段落で「ヴァチカンに認可された属人区でああるオプス・デイは,きわめて敬虔なカトリックの一派だが,洗脳や強制的勧誘,そして”肉の苦行”と呼ばれる危険な修行を実施していると報道され,昨今では論争を巻き起こしている.」と著者は述べています. それらの事をしていると「報道され」「論争を巻き起こしている」のは事実であり,他方著者はそれらが「現に実施されている」とは述べていませんから,ここでも著者は注意深く名誉毀損等の行為を避けようとし(それが法的に成功しているか否かは知りませんが,少なくとも忌避を意図しているのは明らか)事実性の明言を避けていることは疑いえません.

 同書における事実性について,仮に論争の余地があるとすれば,事実であるとされた「秘密儀礼に関する儀式」に相当するであろう,テンプル騎士団のバフォメット崇拝等( これらはカトリック教会側の審問記録では騎士団員達が現にそれらを行ったことを自白したことが明記されているそうですが,それらは激しい拷問の末に強引にとった自白であり任意性のない真偽が疑わしいものだ,というのが平均的な中世史家の評価だそうです )が事実ではない,といった僅かな事柄に限られてしまう,と思われます.
2006年05月22日
18:53
   24: かずめ
>白飴姫様

ありがとうございます。
なるほど、「ダ・ヴィンチ・コード」側も注意深く「事実」の範囲を限定しているのですね。
ただ、「秘密儀式」については現実のオプス・ディの「業」と混同される可能性を含む(と、読者・視聴者に誤認させる)ようにも思うのですが。もし本格的にこの問題が司法の場で争われるとしたら、そうした誤認を生じたかどうか、という所が争点になるのでしょうね。
#ちなみにオプス・ディは確かに「苦行」を奨励しているそうですが、体に負担をかけすぎないように回数や方法を限定する指導もしているようです。勿論、個々の「苦行」の現場で実際にどうか、というところまでは漏れ聞こえてくる話だけでは分かりませんが、あんまり刺激的な物を期待しすぎないほうがよさそう。

確かに普通に考えれば「小説」でフィクションが盛り込まれているのは当然なのですが、限定的にであれわざわざ「事実に基づく」と書いた所には、敢えてセンセーショナルな効果を狙ったと見えます。
となると、わざわざ限定的に書いている以上、嘘ではないにしても、かなり割り引いて解釈した方が良さそうですな。
2006年05月22日
19:22
   25: かずめ
>ペンパル募集様

>>2000年、ピエール・プランタールがパリで寂しく死ぬ場面でこの映画は終わる。

全編ピエール・プランタールと「シオン修道会」一味の視点から描いたらどうかな、などと思ったり。
組織を大きくして、宣伝活動して、中世の文献の書式なんか調べながらいそいそと捏造古文書作ったり(それともプロに外注するのかな)して話をでかくしていって、ついにはイギリスのテレビ局の取材まで来ちゃう。疑いもせずにドキュメンタリー番組も出来上がって流されちゃう。その頃には、嘘と知っている仲間の中にも、半ば本当のことと信じて生活していく者もいたりして。
が、それが疑われ始め、当初は反論するもぼろぼろ嘘がばれていく。「一体どうしてこんなことを!」暗転。

 すっかり脳内妄想でございます。
2006年05月23日
19:34
   26: ペンパル募集
かずめさま

プランタール役はロベルト・ベニーニ(イタリア人だけど)がいいなあ。

プランタール(http://www.aramisr.freeserve.co.uk/page9.html)
ロベルト・ベニーニ(http://www.flix.co.jp/page/N0007210)

すいませんトピずれで。
2006年05月23日
22:52
   27: しおざわ
>「小説」でフィクションが盛り込まれているのは当然

「小説」は、「フィクション」の日本語訳ですよね。

>「この小説における・・・は,事実に基づいている」

「このフィクションにおける・・・は、事実に基づいている」ってことですよね。
2006年05月28日
17:10
   28: 杜畝紀
 トピ主の杜畝紀です。
 皆さんの意見を興味深く読まさせてもらいました。ありがとうございます。

 「ダ・ヴィンチ・コード最終解読」皆神龍太郎氏 文芸社 を買って読んでます。 半分くらい読んだところで、「ダ・ヴィンチ・コード」の肝である シオン修道会について書かれているところを読んでいる途中です。
 また読んだら、感想や疑問をUPしたいと思います。
2006年05月29日
15:33
   29: デバンカー♪
昨日、やっと映画『ダ・ヴィンチ・コード』を見てきました。

ダヴィンチコードのひねくれオタクである私的に最高に受けシーンは、ラングドンとソフィーがバスに乗って図書館に向かうところでした。

そのバスの真ん中当たりの左側に、何喰わぬ顔で乗っていたのが、リン・ピグネット!

ああ、こんなところにちょい役で出演させることで、口封じを謀ったか!

ロン・ハワードさすがだ・・・
2006年05月29日
17:47
   30: ニセ受験生
はじめまして。最近参加させていただいた者です。
> 杜畝紀さん
トンデモ本のメッカ・たま出版の子会社である文芸社が、と学会員の本を出しているとは!
さっそく今度、書店で探してみようと思います。
2006年05月29日
18:30
   31: 杜畝紀
ニセ受験生さん
 この本はおもしろいですよ。それに歴史や芸術に詳しくない人も読みやすく理解できるように書かれてます。
 文芸社はたま出版の子会社なんですね。はじめて知りました。もう売れたら、なんでもいい。という感じなのでしょうかね。それとも子会社だから、出版するジャンルが違うのかな。
2006年05月29日
22:23
   32: k
>何喰わぬ顔で乗っていたのが、リン・ピグネット!

PicknettとPrince、二人ともという話ですが、、、。
月初めの映画の日に見に行く予定にしてます。
2006年05月29日
22:30
   33: デバンカー♪
そうそう、二人とも乗ってましたよ。
だから正確にはリンピグネットら、ということですね。

>もう売れたら、なんでもいい。という感じなのでしょうかね。

いえ、文芸社の編集さんが私のマイミクさんにおりまして、以前、mixiに書いた私の日記を見て、本にしたら、とアドバイスをしてくれたので、できた本なんです。
そういう意味では、一種の『ミクシィ本』ともいえるかもしれませんね。

とにかく、協力出版にならなくてよかったですけどね(笑)
2006年05月30日
00:42
   34: ニセ受験生
デバンカ~♪さん
ご本人だったようですね!驚いてしまいました。
世間知らずの学生かつミクシィ初心者のご無礼をお許しいただければ…と。
そして、晴れて企画出版の本、拝見しようと思います。
2006年06月05日
19:38
   35: 杜畝紀
トピ主でございます。
 やっとこさ、「ダ・ヴィンチ・コード最終解読」を読まさせてもらいました。おもしろく、分かりやすく書いていたので「ダ・ヴィンチ・コード」のインチキ振りがよく分かりました。
 しかし、シオン修道会を創設したプランタールのトホホな行動ぶりと、壮大な想像力はすばらしいものがありす。あの想像力と行動力を違うことに使ったらよかったのに。
 紹介してくれた皆様ありがとうございます。

 1つ質問です。ナショナル・ジオグラフィックのテレビで、マグダラノマリアは実は娼婦ではなく、娼婦である名も無きマリアと混同されていたこと。
 また591年に教皇グレゴリウス1世がマグダラのマリアが娼婦であるとしてしまったこと。を放映していました。
 
 これらの情報は本当なのでしょうか?また本当としたら教皇グレゴリウス1世はなぜマグダラのマリアを娼婦としたのですか?

 誰か教えて下さい。
2006年06月05日
22:16
   36: 白飴姫
 マグダラのマリアは新約聖書とされた諸文書(四福音書)にはイエスの処刑時と復活時にしか言及されていません. ( 一箇所,その中で『ルカ福音書』の無名の著者が「このマグダラのマリアはかつてイエスに七つの悪霊を追い出してもらったのである」とあるだけです.). それを除いて一切由来も出自も,事跡も,末期も不明なのです. 

 ところで,イエスに香油を注ぎ髪でそれをふき取った無名の女の話と,姦淫の故に引き出されイエスに「この女は姦淫をしました. 律法の規定では石うちですが,どうするべきでしょうか」と問われてイエスが「この中でまず罪のないものから,石打ちしなさい」と言い返されて誰も石打ちが出来なかった,無名の姦淫の女の話とがあります. 姦淫→きっと淫猥だったので,髪が長く結ばれていない→不品行の娼婦だ,という連想と,無名の女と,名のみ記されて行いがわからないマグダラのマリアとの結びつけが教父時代にすでに成立していました. 結局,東方教会では伝承にとりいれられないままきえていったのですが,西方教会では伝承の一部となって,改悛した女の逸話として長らく常識化していました――なので,>改悛し涙ぐむマグダラのマリア< は西欧名画の代表的テーマの一つです.
2006年06月06日
07:41
   37: ちゅり
杜畝紀さま,

懐疑主義的には「ダ・ヴィンチ・コード最終解読」を自分で調べずに全部信じ込んではいけないと思いますよ.
あの本は巻末を見れば分かりますが,引用している参考文献の一覧の数が非常に少ないです.途中で五島勉さんの本のような印象を受けました.
未邦訳の書籍が日本語で引用されてるっぽいところがあるかもしれないので,一次文献にあたるのが大変そうです.

...なんてタテマエを書きつつ,皆神さんのファンなのでほとんど信じちゃってるんですけど(笑)

トンデモ本大賞2006の最後で,「個人的にはダビンチ・コードも出ても良いと思ったんですけどね」とボソッとコメントを言って下さったのも面白かったです.
2006年06月06日
08:20
   38: 杜畝紀
ちゅりさん

 たしかに、真実かどうかを見極めるには、元の資料一つ一つを自分の目で確かめるのが確かだということは、そのとおりだと思います。
 現実には全ての疑問に元の資料から確かめていくのは不可能ですから、私のようなレベルの人間はある疑問について賛否両論の意見を聞いたり読んだりしながら、自分なりに判断していくしかないわけですね。

 多くの人は、TVの流す情報を疑わず丸ごと信じたり、自分が賛同している情報しか読まない訳で。それよりかは、ましかと・・・

 そのうち「ダ・ヴィンチ・コード最終解読の、最後の解読」なんて本が出てくるかも。
2006年06月06日
08:24
   39: 杜畝紀
 情報ありがとう。

>姦淫→きっと淫猥だったので,髪が長く結ばれていない→不品行の娼婦だ,という連想と,無名の女と,名のみ記されて行いがわからないマグダラのマリアとの結びつけが教父時代にすでに成立していました.

 なるほど、こうした理由でマグダラのマリアが娼婦に結び付けれていったんですね。

 しかし、 なぜ教皇グレゴリウス1世はわざわざマグダラのマリアが娼婦だと宣言したのでしょうか?
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