|
全レビュー *** 1件 が該当しました。 |
|
山本弘 |
レビュー |
「りこうなハンス」については、ご存知の方も多いだろう。20世紀初頭のドイツで、計算能力を持っていると評判になったウマである。計算問題を出すと、その答の数だけ前足で地面を叩いて答える。単純な加減乗除ばかりか、分数や小数点の概念をも理解し、やはり地面を叩く数で文章を綴ることさえできた。
この謎を解いたのが、医学博士で心理学者のオスカル・プフングストである。
そのエピソードは多くの本に引用されているが、まさかプフングスト自身の著書が100年も経ってから日本に訳されるとは思わなかった。
読んでみて感心したのは、ハンスの能力を調査する彼の手法が、実に論理的かつ緻密であったこと。
まず、誰かがハンスに手がかりを与えているのではないかという仮説の元に、質問者や実験に同席した人間が誰も正解を知らない問題と、同じ問題で正解を知っている人間がいる場合とで、正解率を比較した(対照実験である)。その結果、前者での正解率は偶然で説明できるレベルだったが、後者ではかなりの高率で正解した。
次に、何が手がかりとなっているのかを検証していった。すると、正解を知っている人間がハンスの視野の中にいる場合のみ、ハンスの的中率が上がることが分かった。
プフングストは観察を重ね、人間のわずかな頭の動きがポイントであることを発見する。ハンスが床を叩いている間、人はハンスの足元に注目するため、わずかに頭部が前傾する。ハンスが正解の数を叩いた瞬間、頭部がわずかに上がる。それをハンスは「やめろ」という合図だと学習していたのだ。
……と、ここまでは多くの本に書いてあることだが、プフングストはさらに研究を進めていたのである。
たとえば、質問者の頭部に、頭の傾きや回転運動を増幅して記録する装置を装着し、ハンスが床を叩いた瞬間を記録したグラフと比較する。電子機器なんかない時代に、こんな実験ができたというのは驚きだ。
また、頭部の前傾角度を意図的に変化させたり、同席する人間の人数、ハンスへの質問のしかたなど、実験条件を様々に変化させ、それによってハンスの成績がどう変わるかを調べた。
さらにプフングストは、人間を対象にして実験を行なう。自分がハンスの役になり、被験者に「右」「左」のどちらかを思い浮かべてもらう。そして、「私はこれから、あなたがどちらの観念を抱いているのかを推測してみるつもりなのだが、その結果を言葉では表現しない、その代わりに、『右』だと思えば、腕を下へ向け、『左』なら腕を上に動かして示す」と説明した。
最初の数回はまぐれでしか当たらない。だが、まもなく被験者は、「右」を考えた時に目が下を、「左」を考えた時に上を向くようになる。対面しているプフングストの腕に注目してしまうためだが、この動きは本人も自覚していない。その結果、プフングストはある実験では、40回中32回も、被験者が選んだのが右か左かを正確に推測することができたのである!
現代でも透視能力者とかダウザーとか呼ばれる人が、本人が隠していることを正確に言い当てることがあるが、その何割かは、こうした「りこうなハンス効果」を利用しているのかもしれない。
面白いのは、当時、ハンスをめぐって様々な説が乱れ飛んでいたこと。たとえば、ハンスがごく単純な問題を間違えると、「機嫌が悪かったのだ」とか「故意のウィットだ」と解釈する者がいた。(現代でも、超能力の信奉者は、よくそういう言い方をする)
一方、ハンスの計算能力を否定する者たちもまた、見当はずれの仮説をばらまいていた。飼い主のフォン・オステンが故意にサインを発していると考えている者が大勢いた。ある者はフォン・オステンのかぶっているベレー帽を怪しみ、ある者はハンスが鋭敏な聴力で合図を聞き取っていると説明し、ある者は地面に埋められた電線を通じてハンスに電気刺激が送られていると主張していた。
中には、「飼い主の脳から放射される思考波を受信している」と結論する自然哲学者もいた。人間の出す磁気の作用だとか、N線だとか、催眠だとか、暗示だとかいう説(まったく説明になっていない)もあった。
僕は何度も口をすっぱくして言っているのだが、懐疑論と否定論は違うのだ。
mixiでも、「懐疑論者」を自称しながら、根拠のない否定論を書きこむ人がいる。陰謀論と懐疑論の区別のつかない人もいる。
超能力者のパフォーマンスを見て、ろくに検証もせずに「TV局のスタッフがグルに違いない」と決めつけるのは、裏づけがない限り、単なる陰謀論にすぎない。根拠もなしに自分の印象だけで結論に飛びつくという点では、「WTCは仕掛けられた爆弾で倒壊した」という説と、何ら変わらないのである。
本当の懐疑論者とは、プフングストのような人を言うのだ。 |
|
作成日時 |
|
満足度 |
|
他のレビューを見る
|
|