山本弘トンデモ資料展
2009年度版3-E


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山本弘のSF秘密基地BLOG
2009年04月06日 18:18

「月をなめるな」






 もう9年も前の話である。
 以前から一部で有名な話だったらしいんだけど、僕は知ったのはつい最近である。2000年頃と言ったら、まだ接続が遅かったせいで、インターネットはほとんどやっていなかったのだ。

「間歇日記」
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ray_fyk/diary/dr0010_3.htm#001026

『その日の試験は“グループディスカッション”でした。
採用希望者が何人か集まって、与えられたテーマについて議論する。
審査官は黙ってその様子をチェックする、という試験です。
私が部屋に入ると、そこには一人の審査官と、7人の大学生がいました。
最初に全員の自己紹介。いわゆる“名門大学”の学生も何人か混じっていたのを覚えています。
自己紹介が終わると、審査官は一枚の紙を全員に配りました。そこに記されていたのは以下のリストです。

・酸素ボンベ(40kg×8)
・飲料水(30L×8)
・パラシュート
・4平方メートルの白い布
・ビスケット
・粉ミルク
・非常用信号弾
・宇宙食
・ライター
・45口径の拳銃
・方位磁石
・無線機(受信のみ)
・救急用医療セット

なんだこりゃ、と私が顔をあげると、審査官は宣言しました。
「あなた方8人が乗っていた宇宙船が故障し、月面に不時着することになりました。
着陸の際の衝撃で宇宙船は大破。あなた方にお渡ししたのは、中から持ち出すことができた品物のリストです。救助隊とのランデブー地点まで180km、あなた方はその距離を自らの足で進まなければなりません。現在の状況下でリストの品物に優先順位をつけてください。質問は一切受け付けません」』

 これ、以前から新人研修や就職試験でよく出る問題だったらしい。(知り合いにも「やった」という人がいる)
 細かいことを言えば、これはずいぶんアバウトな問題である。「質問は一切受け付けません」というのは、ちと困る。この宇宙服はヘルメットをかぶったまま水を飲んだり宇宙食を食べたりできる仕様になっているのか、通信機はどれぐらいの重さで周波帯は何ヘルツなのか、そもそもここは月のニアサイドなのかファーサイドなのか、今は月の昼なのか夜なのか……といった条件が分からないと、必要かどうか判断できないものが多いのだ。天文学や宇宙開発に詳しい人ほど悩むかもしれない。
 しかし、この場合、大学生たちの反応は予想の斜め上を行っていた。

『まさか就職活動中に月面で遭難することになろうとは。
予想外の展開に、私はわくわくする心を抑えられませんでした。
まず、これらの品物は宇宙空間仕様になっているのかを考えねばなるまい。そうでなかったら、ライター、拳銃は使い物にならない。おそらく信号弾もだめだろう。そしてさらに重要な点として、装着している宇宙服は、外部から食料を供給することが可能なのかという問題がある。月面で顔をむきだしにしたらどうなるかなんて考えたくもない。

といったことを私が一人で考えていると、他のメンバーが手をあげて自分の主張を始めました。
……その内容は、驚くべきものでした。
「パラシュートはあったほうがいいでしょう。崖があったら降りられない」
「この白い布ですけど、ライターで燃やせば救助隊への目印になりますよね」
「酸素ボンベは重すぎて持ち運べない。海にもぐる必要はないだろうし、おいていきましょう」
「水も最小限でいいんじゃないですか? 足りなくなったら途中でくめばいい」

途中まではジョークに違いないと思いながら聞いていましたが、誰もにこりともしません。
どうやら彼等は本気のようです。
やがて私の番がまわってきたとき、すでに私は冷静さを失っていたのでしょう。
「月をなめるな」
それが私の第一声でした。
その後、えんえんと月面について語り、そのままタイムアップ。
当然のように不合格でしたとも。ええ』


 今ならこのリストに「GPS機能つき携帯電話」を入れてもいいかもしれない。「これは持って行きましょう。地球と電話で話せるし、GPSで現在位置も分かるし」とか言い出す奴が絶対いると思う。
 日本の大学生だけではない。アメリカでも似たような「月の哲学者」という話がある。

http://www.dianahsieh.com/blog/2003_08_10_weekly.html#106055564229502302

(試訳。英語は苦手なので、間違いがあるかもしれませんが、ご容赦)
 6~7年前のこと、僕はマディソンウィスコンシン大学(科学/工業系の良い学校です)の哲学のクラスにいました。TA(教育助手)はデカルトについて説明していました。彼は物事は必ずしも思った通りになるわけではないということを説明しようとして、こう言いました。地球でペンを放せばいつでも下に落ちる。しかし、月では漂い出してしまう、と。
 僕の顎はがくっと落ちました。「何で!」と口走りました。部屋を見回すと、僕の友人のマークと、もう一人の学生だけが、TAの言葉に混乱していました。他の17人の学生は、「何か問題でも?」という顔で僕を見ていました。
「だって、月でペンを落としても下に落ちますよ、すごくゆっくりだけど」と僕は抗議しました。
「いや、違うよ」TAは穏やかに説明しました。「だって地球の重力から遠く離れているからね」
 考えろ、考えろ、そうだ!「アポロの宇宙飛行士が月面を歩いているのを見たことがあるでしょう?」僕は言い返しました。「なぜ彼らは漂って行かなかったんですか?」「それは重いブーツを履いてたからさ」完全に筋が通っているかのように、彼は答えました。(思い出してください。彼は多くの論理学のクラスを受け持つ哲学のTAなのです)
 僕はあきらめました。僕たちは完全に別々の世界に住んでいて、自分たちとは異なる言語を理解できないのだと。部屋を出る時、友人のマークは激怒していました。「何てこった! あの連中はどうやってあそこまで愚かになれるんだ!」
 僕は理解しようとしました。「マーク、彼らも一時はこうしたことを知っていたんだよ。でも、彼らの基本的な世界観の一部じゃないので、忘れてしまったのさ。ほとんどの人々がたぶん同じ誤解をしてるよ」僕たちは寮の部屋に戻ってくると、僕の論点を証明するために、キャンパス用の電話帳から名前をランダムに選択し、約30人に電話をして、こんな質問をしました。

1. あなたは月面でペンを持って立っています。それを放したらどうなりますか? a)遠くまで漂ってゆく。b)その場に浮かんでいる。c)地面に落ちる。

 約47パーセントがこの質問に正解しました。間違っていた人に対して、僕たちは追加の質問をしました。

2. あなたはアポロの宇宙飛行士が月を歩き回っているフィルムを見たでしょう。彼らはなぜ漂い出さなかったのですか?

 これを聴くと、約20パーセントの人は最初の質問の答えを変えました! しかし、最も驚くべきなのは、彼らの約半分が自信たっぷりにこう答えたことです。「彼らは重いブーツを履いてたんだ」


「いくら何でもこんなのはネタだろ?」と思われる人も多いかもしれない。僕はそうは思わない。科学に興味のない一般人の、天文学や物理学に関する知識の欠如については、実例をいっぱい見てきたからだ。
 スペースシャトルや宇宙ステーションの中が無重力なのは「地球の引力が届かないほど遠いからだ」と思っている人。
 小惑星帯には見渡すかぎり無数の岩のかけらが漂っていると思っている人。
 彗星の尾は進行方向と反対方向にたなびくと思っている人。
 彗星と流星の区別がついていない人。
 夏が暑いのは、地球が太陽に近づくからだと思っている人……。
 僕はそういう誤解をさんざん見てきた。
 ちょうど今、フィリップ・プレイト『イケナイ宇宙学』(楽工社)という本が出ている。素人が誤解しがちな天文学の常識を解説した本なのだが、これによると、欧米では「月の裏側はいつも暗い」と思っている人や、「夜空でいちばん明るい星は北極星」だとか「空が青いのは海の色を反射しているからだ」とかと思っている人も多いらしい。

 当然のことながら、「宇宙で写真を撮ったら必ず星が写る」と思っている人も多い。そういう人たちがアポロの月面写真に星が写っていないのを見て、「捏造だ!」と言い出すわけである。(『イケナイ宇宙学』の中でも、ひとつの章がアポロ陰謀説への論破に当てられている)

 つい先日も、アポロ陰謀説の信者とまではいかなくても、疑問を抱いている人に出会ったばかり。某有名小説誌の編集者である。
「アポロで撮られた写真が嘘だっていう話、あれはどうなんですかねえ? 影の向きがバラバラなのは、ライトがいくつもあるからだっていうのは」
 と訊ねられたので、遠近法や地面の凹凸によって影の向きが平行にならないこともあるのだと説明し、
「だいたい、光源がいくつもあったら、影もいくつもできなきゃおかしいでしょ」
 と言うと、
「ああ、言われてみればそうですねえ」
 と、おおげさに感心していた。
 光源が複数あったら影も複数できる……という当たり前のことでも、言われるまで気がつかない人がいるのである。
 ちなみに、その人がアポロ捏造説に初めて接したのは、例のビートたけしの番組だそうだ。

 これが陰謀説信者となると、さらにひどい。今、mixiの「人類は月に行っていない!?」というコミュに入っているのだが、陰謀説信者の知識の欠如ときたら、まさに絶望的。
 ほんの一例を示すと、アポロの月着陸船の写真を貼りつけて、「NASAが発表したこんなちゃちな宇宙船で、月面に降りたり、月面から地球に向けて飛び立ったり、地球に着陸したりできるかな」などという人がいるのだ。この人はアポロの飛行士たちが月着陸船に乗って地球まで戻ってきて、地球に「着陸」したと思っているのだ!
 中学生程度の計算もできない連中も何人もいる。きちんと計算を示してやっても、「数字なんか信じられない」「直感で十分」と開き直られるので、まったく手がつけられない。
 彼らは天文学や物理学や宇宙開発について完璧なまでに無知であり、自分で計算もできないのに、アポロの映像に科学的な間違いを指摘できると思い上がっている。

 無知そのものはしかたがない。僕もそうだが、一人の人間は世の中のことの一万分の一も知らないものだ。分からないことは調べればいい。それでも分からないことは、判断を保留しておけばいい。
 必要なのは謙虚さだと思う。「専門家ではない無知な自分には理解できないことが多いのだ」と思うこと。専門家ではない人間の言葉は疑ってかかること。それがトンデモ説にひっかからない秘訣だろう。
この記事へのコメント
 ニコニコ大百科の某編集者が自分のユーザー記事にてこれを取り上げて「これはひどい」「こんなこと(注:月がどんなところか)すら知らないのは常識知らずもいいところだろう」などと言っていたら、そのユーザー記事掲示板で「アメリカ人の物の知らなさをナメてはいけない。町山智浩の日記や書籍を読むことをオススメする」と突っ込まれてました。

 自分が言いたいのは、もう、何かがおかしいですよ…ということです。
 私は別のサイトでこの問題を提起してきます。そこでどんな反応が返ってくるのか。様子を見てみたいと思います。
Posted by Xbeta at 2009年04月06日 21:08
私の母(66歳)も、つい最近同様な体験をしたそうです。
二人の友人(仮にA、Bとします)と紅葉狩りに出かけた時のことです。
母「空気が澄んでいるから月もきれいよね」
A「そうね~、でも不思議よね?、どうして太陽と月は衝突しないのかしら?」
母、B「「…は?」」
A「だって、お日様も月もいっしょに地球の周りを回っているんでしょ? ぶつかってもおかしくないわよね~」
母「地球が太陽の周りを回っているのよ!!」
B「太陽と月とじゃ、距離も全然ちがうわよ!!」
身近な人間が、天動説の世界に生きていたことにすごいショックを受けたとのことでした。
Posted by HO at 2009年04月06日 22:54
こんばんは。ちょっと考えさせられる事だったのでコメントさせてもらいます。
私の事で恐縮ですが、私はまず自分を信用しません。
ああ、今まで自分の感情の思うまま行動してどんなにハズかしい思いをしてきたことか。いや、今でも直ってないですね。……はい、ちょっとずつ直している最中です。
私は、自分がいかにアホでダメでどうしようもない人間であることを知っているが故に、この記事がズッシリ来ます、イタタタタ。
でも、だからこそ、どうすれば自分が理想とする人間になるための道が見えてきているような気がするわけで。
ほら、どんな優れたカーナビでも現在地が分からなきゃ道順は示せないわけで。
と言うことで全国にいる「私」に私も言いたいです。自分をもっと見て!自分が知らないと言うことに、まず気づこう!とか。「他から笑われたから気づく」では悲しいし苦しいし、その悲しみや苦しみから逃れるために他を攻撃しては社会が上手く機能して行かなくなりそうだし。
書いてる内に自己反省機能が動き出したので、同じ言葉を自分に言い聞かせながら寝るとします。
追伸:アイの物語を買いました。次の作品も楽しみにしています。
Posted by 恥ずかしいので名無しでひとつ……すみません。 at 2009年04月07日 00:29
はじめまして。はてなブックマーク経由で参りました。『トンデモ本の世界』シ
リーズは愛読させていただいておりました。

このネタは数年前に知りました。ひとしきり笑った後で考えたのですが、なぜ
「月をなめるな」と発言した学生さんは落とされたのでしょうか?

思うに、この企業が採用したかった人は、正確な科学知識を持つ人ではなく、当
人に知識はなくとも、自分以外の人のさまざまな意見の当否を判断し、そして皆
の合意をなるべく正しい方向に持って行ける人だったのではないでしょうか?

現代社会に必要な知識というのは高度に専門化していて、ジャンルが違えば何も
分からないことが普通になってきました。私自身、自然科学系ならある程度分か
りますが、民法とか会計とか、ぜんぜん分かりません。そういう人間同士が協業
しなければならない時代なのだと思います。

あと、このように科学知識の無い人を見ると、科学屋さんは、何か大切なものを
貶められたような怒りを感じることがあります。私もよくあります。しかし、法
律屋さんや経理屋さんなども、一般人に対して似た感情を持つ場合があるらしい
のです。「現代の日本社会で働いていて、なんでその仕組みを知らないの?」と
いう。

きっと小説屋さんやマンガ屋さん、音楽屋さんなど、あらゆる専門家に同じこと
があるのではないでしょうか?(よく聞くのは、PCや自動車を知らない人に困ら
される、という話ですね)

おそらく同じような意見がたくさんすでに投稿されていると思いますが、あつか
ましくも書かせていただきました。では失礼いたします。
Posted by no-name at 2009年04月07日 13:21
失礼ながら、吹き出してしまった。
本題とはずれますが、むちゃくちゃ面白かったです。
Posted by ♪ at 2009年04月07日 22:10
地球以外を舞台とした物理の話は、日常感覚と全く違ってしまうので、説明されないと直感的理解は難しいと思います。
その、雑誌の編集者さんのように。

私も先日、彗星の写真を見せられて「ところで、太陽はどっち?」ときかれて、反射的に尾の伸びていない方を指さして思いっきり馬鹿にされるという体験をしましたし。

知識として学んだことがあっても、それが適切な時にロードされてくれるかは、別問題なのだと思います。
Posted by snow-windsnow-wind at 2009年05月04日 17:14
サイト運営し始めた者なんですが、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
http://hikaku-lin.com/link/register.html
こちらより、相互リンクしていただけると嬉しいです。
まだまだ、未熟なサイトですが、少しずつコンテンツを充実させていきたいと思ってます。
突然、失礼しました。
c7CJkI45
Posted by hikaku at 2009年05月08日 10:16
上の「月をなめるな」のエピソードを読んでいて、
堀晃氏の『マッド・サイエンス入門』の
第12章「月は地獄か極楽か」の冒頭(新潮文庫版の198ページ)に、
ほぼ同内容のエピソードの紹介があったのを思い出しました。

ちなみに堀氏のエッセイは昭和52~53年のSFマガジンに連載されたものです。
(ただし、新潮文庫版は大幅な加筆修正がされているので、
 上のエピソード自体の初出は昭和61年の可能性もあります)
Posted by カスガ at 2009年05月13日 19:08
最近、たまたま(mixi Radioで)ユンナの「ほうき星」(ブリーチのED)を聞いたのですが、出だしが「ほうき星を見たが、一瞬ではじけて消えた」と言う内容でした。
もちろん、歌詞のレトリックが科学的である必要は無いんですが、これは完全に勘違いでしょうねぇ。
素直に「流れ星」にしときゃいいのに。
Posted by Rick=T at 2009年05月24日 15:24
初めまして。
もしかして「砂漠で遭難」が元ネタではないか、と思います。元ネタはまっとうなものでした。脳内変換者が介在?と思います。
別件で、ニ三年前、柳田氏が光合成シートを開発し、琵琶湖程度の面積に広げれば、日本の二酸化炭素削減義務分くらい吸収できると、言ってました。
できた大量の有機物は?焼却処分?より、計算間違いが笑えました。一桁間違えた可能性もありますが、一年365日、24時間晴れた夏の真昼が続くとして計算したようにも思えます。
Posted by 理力不足 at 2009年06月08日 10:43

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