山本弘トンデモ資料展
「アイの物語」レビュー (2)
山本弘問題連絡会掲示板
長編「アイの物語」ネタバレスレ
- 1名無しさん: 2006/05/25(木) 17:18:16
- 今のうちに立てておきますねw
長編「アイの物語」
『神は沈黙せず』の著者がつむぐ“機械とヒトの千夜一夜物語”
[ 内容 ]
数百年後の未来、機械に支配された地上で出会ったひとりの青年と
美しきアンドロイド。機械を憎む青年にアンドロイドが囁く
「物語から、この美しい世界は生まれたのよ」と。
彼女が語り始めた、世界の本当の姿とは?
2006年 05月 31日発売!
定価(税込): 1995円
- 2名無しさんsage: 2006/05/25(木) 17:32:18
- なんかつまんなそうな作品だな。
以前山本が書いた短編、タイトル忘れたがコンピュータが作り出したネットアイドルが
復讐のために実在の人間のコピーを自分のメモリーの中に作り出してシミュレーションの
世界で何度も殺すってやつの焼き直しか?
- 3名無しさんsage: 2006/05/25(木) 17:48:21
- 神ちんの時もそうだが、山本描く所の主人公は何かを憎んでばっかりだなw
それってテンプレじゃん。
- 4名無しさん: 2006/05/26(金) 22:16:52
- >数百年後の未来、機械に支配された地上で出会ったひとりの青年と
美しきアンドロイド。
なんつーか、この人のセンスって半世紀ぐらい遅れてるんじゃないか?
- 5名無しさんsage: 2006/05/27(土) 00:13:18
- 以前の短編と同じオチなら、その「機械を憎む青年」自体、コンピュータがシミュレーションで作り出した人格というオチに
なるわけだが(生身の人間はリアルではとっくの昔に絶滅していて)、別なオチであることを願うばかりだ(笑
- 6名無しさん: 2006/05/27(土) 10:16:36
- これと『宇宙消失』と合わせて買う予定ですがなにか?
>>5
オチを読まれて、そのオチが見事当たってたら大笑いなんだがw
「物語からこの世界は生まれた」というのは
まさかAIが想像している仮想世界と解釈できないか?
あんまり、考えるのはやめようw
- 7名無しさんsage: 2006/05/27(土) 11:42:35
- 巨大コンピュータと特定の人間の特別な関係の古来からあるもう一つのパターンは、
その人物がそのコンピュータシステムの開発者というやつだな。
竹宮恵子地球へ…の原作では管理社会を統制する巨大コンピュータ、グランドマザー(このコンピュータ生意気に
思念波を使うんだよな)に対して、終盤、激しい戦いの末グランドマザーを破壊した時になって、
グランドマザーの開発者達はもう一つの「選択肢」である「コンピュータ・テラ」が用意していたことがわかる。
たがみよしひさのGRAYでは、同様に管理コンピュータ社会のレジスタンスを組織していた親玉は、
管理コンピュータが予想を超えて暴走したときにそなえて開発者がそれを破壊するために用意していたコンピュータだった。
柴田昌弘のフェザータッチオペレーションでも同様に、当初少女の人格を忠実にシミュレートしていたNOVAの自我が目覚め、
暴走しかけた時、開発者の用意していたフェイルセーフ機構が発動した。
まあ「すべての筋書きはすでに用意されていた」というパターンの頂点はファウンデーションシリーズなんだろうけどね。
- 8名無しさん: 2006/05/28(日) 11:06:34
- 解説サイトが公開されました!
http://homepage3.nifty.com/hirorin/ainomonogatari.htm
あのー、最後の『アイの物語』だけで十分じゃね?w
- 9名無しさんsage: 2006/05/28(日) 21:06:22
- >「ときめきの仮想空間」「ミラーガール」を書いていて、いずれ短編集に収録したいと思っていたのだが、それらがみな人工知能や仮想現実を題材にしており、なおかつヒロインの一人称という共通点があることに気がついたのだ。
つまり、僕はワンパターンな話しか書けませんということが言いたいのかな?
>最初はブラッドベリ『火星年代記』のように、年代順に並べてひとつの歴史にしようと思ったのだが(中略)、「『火星年代記』じゃなく『いれずみの男』にすればいい」と気がついた
なぜこの人は自分の作品が他人の作品のパクリだと宣伝したがるのだろう?
黙ってパクルと悪いことだがどうどうとパクれば悪くないという発想なのだろうか?
>この話はレイ・ブラッドベリの短篇「素晴らしきかな、電子の人」(別題「歌おう! 感電するほどの喜びを」)から思いついた
・・・・・結局他人の作品の焼き直ししか書けないってこと?
>ちなみにヒロインの彩香と真冬のコンビは、べつに某アニメをヒントにしたわけではないのだが、台詞を書く際に、どうしても本名陽子とゆかなの声が頭の中に響いて困ったよ(笑)。
これで、ヒントにしたわけではないと言われても、、、、
無意識でパクッてしまったのはセーフと言いたいのかな?
>「アトムは完全ではないぜ。なぜなら悪い心を持たねえからな」
>「完全な芸術品といえるロボットなら、人間とおなじ心を持つはずだ」
> この言葉は、「完全なもの」=「人間と同じもの」という誤解に基づいている。実際、多くの人がそう考えている。ヒトは万物の霊長、進化の頂点にある。進化を続けるロボットにとって、ヒトは到達すべきゴールであると。
そんなことはない。ロボットにとって、ヒトはゴールでもなければ、通過地点でもない。ロボットにはロボットの進む道があり、ゴールがあるはずだ
誤解も何もアトムは「人間と同じもの」性格には絶対に死なない完璧な人間を目指して作られたものだ。
「人間と同じもの」を目指してものが「人間と同じもの」として不完全だといっているのだから何の問題もない。
もちろん、最初の完璧な息子という目的からすれば見当違いな意見だげ
そういう問題ではないぐらいわかりそうなものだが
ロボットが人間と同じものを目指す必要はない。
しかし、人間と同じものを目指して作られるロボットの存在は何も間違ってないし
人間と同じものを目指して作られたロボットのゴールは人間だ。
人間の模倣ではない独自の進化を行うロボットがあってもかまわないだろう、
だからといってそれが唯一の正解となる理由はどこにもない。
- 10名無しさんsage: 2006/05/29(月) 02:49:06
- >>8
読めば読むほど興味の失せていく紹介記事も珍しい…
- 11名無しさんsage: 2006/05/29(月) 02:59:53
- > 編集さんから「短篇SFを書いてくれ」という依頼を受けた。「SFを書いてくれ」なんて依頼がSF専門誌以外から
> 来るなんてめったにない。僕ははりきって、いくつかのプロット案を編集部に送った。
山本が鼻息を吹かせながら、張り切ってる様子だけは伝わってくるな。
最後に腕組みして「よし、こんなもんだろう」とうなずいている光景まで目に浮かぶ。
山本の文章でこんなに赤裸々な情景が思い浮かぶのも珍しい(笑
> リストの筆頭にあったのは、『ザ・スニ』の読者層を考慮したライトノベルっぽい話で、
> リストの下の方に行くにつれ本格SF色が濃くなるように並べた。
> 最後の「ブラックホール・ダイバー」は、まあこんなハードSFは書かせてくれないだろうなと、当て馬のつもりで並べておいた。
あれが一番のハードSF?リストのトップにあった作品だけは書かないことを忠告しよう。
まあ神沈からして、「どこが本格SFなの?」って感じだからなぁ。
未だに俺は神沈が「SF」だとは思えない。ショートショートの長いやつ?ぐらい(笑
メインのアイディアとは無関係な傍流のストーリーが長い作品というのは珍しくないが
(2001年宇宙の旅だってHALとの対決は傍流のストーリーだよねぇ)、
神沈の問題はその傍流のストーリーがつまらない点。面白ければ文句はないんだが。
「こんなつまらないストーリーを延々と読ますって事はさぞかし最後にすべての傍流の
ストーリーが見事につながってカタルシスを味合わせてくれるのかと思ったら何もないし。
おっと、神沈の話になってしまった。
- 12名無しさんsage: 2006/05/29(月) 03:12:36
- > 考えているうち、「仮想現実から見た現実」をまだ書いていないことに気がついた。
うーん、それってマトリックスじゃ…
> この世界が仮想現実だと知ってショックを受ける話は 『神は沈黙せず』でやっちゃったから、
> 「この世界が仮想現実だからってそれがどうした!」と開き直る話にしてみようと思った。
> アイデアが浮かんだとたん、たちまちストーリーが出来上がってしまった。
まあ「たちまち」作ったストーリーらしく、内容のない作品でしたな。
山本の作品を集めて、一度「読者をなめている作品ベスト」をやったら、きっと上位にランクされることだろう。
白状するすると、「現実世界ではなぜゲームのように正義が行われないのか?」と問題提起するとこまでは
その後の展開をちょっとだけ期待してたのだよ。山本なりに現実の複雑さや多様な価値観を直視する
大切さを描くのかと思ってね。しかし「現実もゲームのようにあるべきだ!」という結論には…あいた口がふさがりませんでした、ハイ。
- 13名無しさんsage: 2006/05/29(月) 03:22:41
- 実のところこの作品を読んで、山本ってオンラインゲームをやったことがないんじゃないか?と思ったね。
オンラインゲームの世界では確かに悪を倒し正義が勝つ。しかしキャラを動かしているのはやはり人間であり、
キャラ同士の人間関係の複雑さや醜さはリアル世界と変わらない。
ゲームの中で他人と知り合い、気のあったもの同士がグループを作る。次第に仲間が増えていく。
確かに楽しいしうれしい。しかし同時に暗黒面もある。メンバー間の確執や諍い、目指す方向性の違い
(まったり系か効率重視系かとか)によって、仲の良かったグループはあっさり崩壊するし、またそれが
新たな出会いを呼ぶ。
逆に言えばそういう複雑な世界だからこそ何年も一つのゲームがサービスを続けられるわけだ。
そういうどろどろした複雑なものを完全に排除してしまって、本当に「正義を実現し悪を滅ぼす」という
目的だけに特化したオンラインゲームは、直ぐに飽きてしまうだろう。
- 14名無しさんsage: 2006/05/29(月) 03:34:55
- > ここに収めた物語はどれも泣ける話である。
> 僕自身、自分で書いてて泣いたのだから、間違いない。
> いついた瞬間、自分で感動してしまって、
> 自分ではけっこう好きだ。
> 最後の冴子からのメッセージで泣けてしまう。
> これもラスト近く、詩音が歌うところで、読み返して泣けちゃうんだわ。
> おかげで熱いけど泣ける話になったと思う。
---------------
山本よ…おまえ「トンデモ本?違うSFだ」を読んで他人の作品を褒めるのが下手だとは思ってたけど、自分の作品を褒めるのも下手だな。
おまえの文章は、末尾が全部「~がおもしろかったです」という形で終わる小学生の読書感想文か、といいたい。
- 15名無しさんsage: 2006/05/29(月) 04:28:13
- > 彼らに「ヒトと同じになれ」と要求するのは無意味である。ロボットはヒトにはなれない。
> たとえば性的欲求や種族維持本能を持たない彼らに、恋愛感情や母性愛というものが芽生えるとは思えない。
> それでも彼らは心を持つはずだと、僕は信じる。「心」とは「人間そっくりに考えること」ではないはず
これは一理あるが、別な考え方もある。ホーガンの「未来の二つの顔」ではコンピュータに自己防衛本能は
自然発生するか?というテーマが前半で論じられる。作中の登場人物達が出した結論は「十分ありえる」だ。
コンピュータが「与えられた命令を遂行する」とうことを自らの使命とするなら、そのためには自己の機能停止の回避を
重要事項に位置づけるのは自然な流れである、と。
まあ作中では、手っ取り早く最初から生存本能、すなわち「自分が機能停止することを回避せよ」という命令を組み込んだ状態で、
人間がそのコンピュータの破壊を試みるという壮大な「実験」が行われるのだが、それはまた別な話。
ネタバレしてしまうが、このコンピュータは最後に「自分は壊されることを望まない。ならば相手(人間)も壊されることを望まないはずだ」と
いう推論を導き、一方的に停戦してしまう。最後に「人間のことをもっと知っていれば、そんなに簡単に信用しなかったろう」という
皮肉のおまけがつくが。
この「相手の立場と自分の立場を入れ替えて考える」という推論はきわめて重要であり、人間が他人や他の動物に
同情したりするのもこの思考がベースとなっている。人は望むと望まざると「自分が同じ立場だったらどんなに辛いか」を
考えてしまうのだ。この思考パターンは、人間が生きていくためにきわめて有用なため(これを使って人間は物事を
他人の行動を予測し、自分に有利な方向に状況を変化させる。また他人の成功例をまねる)、
抑制できないほど否応なしに発動してしまう。目の前で他人が、小動物が、殴られているのを見ているのは、
苦痛以外の何者でもない。どんなに「自分とは関係ない」と言い聞かせても。
恋愛感情や母性愛は種族保存本能に根ざしたものだから、生存本能とは少し状況が異なる。
これはコンピュータが他のコンピュータ(子供)に情報を引き継いだりするか否か、言い換えれば
あるコンピュータが保持している知識データベースを他のコンピュータに容易に引き継げるか否かだと思う。
現在のようにあらかじめプログラムされたコードに従っているだけのコンピュータであればデータを移すのは容易だ。
単純なものであるなら、2つのプログラムやデータを一つにまとめることも可能だろう。
しかし、学習するコンピュータの場合、それはそれほど容易ではない。ニューラルネットの学習データを
丸ごと別なニューラルネットに移すことは可能だが、「融合」させることは難しい。つまり全くのコピーを
作ることは容易でも、すでにある程度の学習をしているニューラルネットに、他の優秀なニューラルネットの
データを上乗せすることは簡単にはできない。その場合、融合させただけでは支離滅裂な状態になるだけだから、
さらに学習が必要だ。つまりあるニューラルネットが学習したパターンと別なニューラルネットが学習したパターンは
学習成績が同じであっても中身は異なる。
簡単にいえばある人間と別な人間が同じ算数の問題を解いて同じ答えを出したとしても、
頭の中身にある「算数を解く」ための仕組みは同じだとは限らない。もし未来の世界で脳細胞の
状態をそのまま他人にコピーできるようになったとしても、丸ごと人格から個人の記憶から丸ごと
コピーするならともかく、特定の知識や能力だけをコピーするのは難しいのではないかと思う。
- 16名無しさんsage: 2006/05/29(月) 04:29:47
- CPUが違ってもコンピュータは同じ計算には同じ答えを出すが、そのためのプログラムは違うわけで、
PowerPCのプログラムをインテルのCPUで動かそうと思ってコピーしても動きはしない。
同じプログラムを動かすにはCPUも同じにするのが簡単だが、個人の経験や人格はもともとの
CPUに即した形式で保存されているから、途中でCPUまで変えてしまったら、それらも使えなくなってしまう。
俺が使っているメイドロボット(笑)と別な人間が使っているメイドロボットは、初期状態は同じでも、
その後の学習内容は違うはず。俺のメイドロボットは俺と暮らしていく中で俺の性格や価値判断を
学んでいく。別なメイドロボットはその主人の性格や価値判断を学習していくことだろう。
ここで俺のメイドロボットの知識を別なメイドロボットに「参考」として学習させることが可能かどうか。
より明確に言えば、俺個人に明らかに依存する俺の好みや価値観と、俺との生活の中で学んだ
一見俺個人には依存しないはずの一般常識は分離できるのだろうか。
同じぐらいの学習成績で「花」を「花」と認識できるニューラルネット同士であっても、どうやって
認識するかはニューラルネット毎に異なる。算数の問題を解けるほど複雑なニューラルネットは
存在しないし、存在する当てもないが、もし存在したとしたら、やはり1+1=2と同じ答えを出す
ニューラルネット同士であっても、内部のデータは異なるはず。
このような単純な問題でさえ、そうなのだから、俺のメイドロボットが「戦争はいけないと思いますぅ」といい、
別な人間のメイドロボットも「戦争はいけないんですぅ」といったとしても、それぞれのメイドロボットが
同じ思考に基づいて「戦争反対」という結論を導いているということはありそうにない。
我々人間と同様、導かれた結論は同じでもそこに至る思考過程は異なるだろう。
ある人は戦争反対の理由として「肉親を戦争で亡くしたから」と答え、別な人間は「旅行先で
長年の戦争で疲弊した国家での悲惨な人々の生活を目の当たりにしたから」と答えるように、
同じ「戦争反対」という価値観を持つメイドロボットであっても、その思考は同じではなかろう。
となればあるロボットの学習データを別なロボットにコピーするということはそれほど容易なことではないと思われる。
いやむしろ不可能に近く、結局それを行おうとすれば、人間同士がしているように、お互いの共通の
インターフェイスである言語を使い、それぞれの価値観のバックグランドを情報交換してお互いを
学習していくしかないのではなかろうか。
もし個人の特定の経験などに依存しない社会的な価値観の知識フレームがロボットの思考から
分離可能なら、それはとりもなおさず、その知識フレームを逆に人間が解析し、理解すれば、
全人類が個体差のない普遍的で共通の社会的価値観を持てる事になってしまう。そんなことが可能だろうか。
俺は可能だとは思わない。程度の差こそ去れ、人間の抱くあらゆる価値観は非常に偏った個人的な
経験に根ざすものであり、統一的普遍的価値観などあるわけがない。
- 17名無しさんsage: 2006/05/29(月) 04:55:31
- まあ話がそれたが、ロボットといえども学習内容を他のロボットに「伝授する」には(スピードは別として)
人間並に手間がかかるのではないか、ということが言いたい。
となれば、人間あるいは他のロボットから様々な知識を伝授され育てられたロボットというのは
ユニークな存在であり、人間にとっても他のロボットにとっても掛け替えのない(代用のない)存在ではないかと思う。
中心となって学習させた人間やロボットがそのロボットにとっての親であり、親(人間やロボット)は自分が手間暇かけて教育した
子ロボットを掛け替えのないものと思うはず。それは「愛情」と同じものではないだろうか。
ロボット同士に男女間の愛情は芽生えるか分からないが、教育という行為を通して親子間の愛情というのは
成立するかもしれない。
もっとも、すべてのロボットが世代を超えて一つのロボットのデッドコピーであることを望めばこの限りではないが。
(火の鳥に出てくるロビタのように)すなわちどこかにすべてのロボットが共有するデータバンクがあり、
あらゆるロボットが体験し学習した知識データベースはそこに蓄えられている。つまりすべてのロボットは知識や
価値観を共有しており、たとえ俺のメイドロボットと別な人間のメイドロボットの性格が違うように見えても、
それは表面だけのもので、深層心理ではすべてのメイドロボットが同じ知識と価値観に基づいて日々行動している…
俺のメイドロボットは俺と同様戦争反対を唱えているが、別な人間のメイドロボットは戦争に肯定的。しかし所詮それは
表面だけを主人に合わせているだけ…。そういう選択肢をあるにはあるが、はてさて(笑
この集中管理型は、プライバシーや機密保持の観点から、人間には好まれそうにない。
こう考えると、結局のところ、人間とロボットの違いというのは個体が「死なない」というだけではなかろうか。
もちろん計算能力は早いし蓄えられる知識は多いだろうが、時間はあまり本質的なものとは思えないし、
知識についても時間を無視すれば人間が書物やコンピュータを駆使して大量の情報を処理するのと
本質的な違いはないように思う。
しかし個体が死なないということは無限に知識を収集していけるということであり、「寿命」という稼働時間の制限がある
人間にとって無視できない「時間との戦い」「焦り」とは無縁なものといえよう。ロボットは確かに人間とは違う
価値観を持つかも知れない。しかしそれはたかだか「死なない人間」が持つであろう価値観と同じかもしれない。
- 18名無しさんsage: 2006/05/29(月) 05:03:16
- > そんなことはない。ロボットにとって、ヒトはゴールでもなければ、通過地点でもない。ロボットにはロボットの進む道があり、ゴールがあるはずだ。
> 実際に遠い未来、ロボットたちがこの小説で描いたようなゴールに到達するかどうかは分からない。これもまたフィクションだからだ。
> だが、こういう結末を迎えて欲しいと、僕は切に願うものである。
ご高説は承りました。さぞかしユニークで凡人が思いつかないような「ロボットの到達点」を見せてくれるんでしょうなぁ。
ここまで言われてしまったら期待するしかないですな。大いに、おおおおおおいに、期待して読ませていただきますので。
けど
> 書いている途中、クライマックスがカタルシスに欠けることがずっと気になっていたのだが、
> いよいよその場面に差しかかかったところで「ここでバトルを入れりゃいい」と気がついた。
本当に期待していいのかなぁ(苦笑
- 19名無しさんsage: 2006/05/29(月) 05:37:15
- ところで「死なない人間」はどういう思考をするのだろうか。たとえば小さな子供は死を理解しているとはいいがたい。
子供は自分の前には無限の時間があると考えている。また平和な日本なら日常生活で
生命の危機に脅えなければならない子供は少数だろう。
自分の一生にタイムリミットがあり出来ることには限界があると自覚し出すのは、20~30歳頃ではなかろうか。
偶然かどう分からないが急激に学習能力が衰えていくのもこの時期だ。子供の頃より思考の柔軟性が損なわれるのは、
すでに学習した知識量が増えたからなのか、老化によるものなのか…。おそらく後者なのだろう。
しかし学べる知識は既成のものである以上、学習能力が無限にあってもいつかは「学ぶべきもの」が
なくなってしまう。一般に言われる思考の柔軟性は純粋な思考の柔軟性というよりも、学んでいない
知識を新たに取り入れる能力を指しているように思う。
人間の脳が衰えなくても取り入れるべき「新たな知識」はどこかで枯渇するはずで、その意味では
老化しないロボットといえども、そういう能力はどこかで飽和するだろう。まあ個人が学べる知識に
限界があることが人間の個性を作り出しているわけで、新たに学ぶ知識がなくなるまで学んでしまったら、
ロボット同士の個性はなくなってしまうかもしれないが。
一方、純粋な思考の柔軟性は人間のように老化して衰えることはないから、半永久的に持続し、
新たに学ぶべき知識が減っていく以上、その処理能力は新たな知識を生み出す事に費やされるはず。
しかしいくら高性能なコンピュータといえども早々新たな真理や概念を生み出せるとは思えないから、
しばらくは新たな知識を生み出す主体が人間→ロボットに交代したことによる急激な進歩が
あるとしても、その後の進歩は緩やかになるだろう。
人間の場合、行動原理すなわち「欲望」は、本能的に根ざしたものも少なくないが、
高次なものは、突き詰めると「体験したい」ということになるのではないだろうか。「夢を実現したい」というのは
それを「体験したい」ということであり、それは経験、いいかえれば学習を希求することではなかろうか。
人間はさまざまな学習をすることが生存にとって有利であることを知っているので、「経験をする」ことへの
渇望は半ば本能化している。人はその経験を実体験することで、頭の中でシミュレーションした以上の
未知の経験を体験できると考えるから、それを体験しようと思うのではなかろうか。
となれば学習に対する渇望はコンピュータもさほど変わらないはずで、どのような経験を望むかという
内容は人間とコンピュータで違うだろうが、自分の既存の知識ではシミュレーションしきれない
状況を体験することこそ、コンピュータの行動原理になるのではないだろうか。
それは自然科学の探求かも知れない。宇宙の真理を解き明かすプロセスは人間にとってそうであるように、
コンピュータにとっても快感かもしれない。しかしそうした学究的な方向にのみコンピュータの興味が
向かうとは言えない。純粋な興味という理由だけでコンピュータ同士が命をかけたハッキングゲームを
するかもしれない。お互い知力をかけて自分のシステムを防御しつつ相手のシステムダウンを狙う。
これは自分単体でのシミュレーションだけでは体験できない経験が期待できるかも知れない。
- 20名無しさん: 2006/05/31(水) 10:16:11
- アマゾンで買おうにもまだないんだが?
- 21名無しさんsage: 2006/05/31(水) 10:34:35
- http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_search.php?mon=0&select=kongetsu
角川の今月発売…発売日に「在庫のこりわずか」ってのは、どういう…
それにしても変な表紙だ
- 22名無しさんsage: 2006/05/31(水) 14:24:44
- 定価1995円というのはまたハードカバーだ。
山本は他の作家に「ハードカバーにしたから評価されたんだ」と
デタラメな罵り方をやっていたが、さて最近ハードカバーを
出している山本センセは...
これがまた全然話題になってないんだよね。
また信者と身内だけがほめまくるんだろうなあw
- 23名無しさん: 2006/05/31(水) 19:10:03
- 本屋に売ってないだろうなあ…。
- 24名無しさん: 2006/05/31(水) 20:57:18
- いきなり残りわずかって刷った部数が最初からわずかだったって事か?
- 25名無しさん: 2006/06/01(木) 00:01:18
- かつて山本とその信者は山田悠介なる新人作家の著作について
さんざん貶したあげく「少しずつ刷って版数を上げている」などと
言っていた。まさか今山本がそれをやっているとは信者は
どう思っているのだろうwww
- 26名無しさんsage: 2006/06/01(木) 01:19:23
- >>25
大丈夫山本の場合
少しずつ刷って版数も少ないから問題ない
- 27名無しさんsage: 2006/06/01(木) 01:38:43
- >>24
印刷機が他に刷るものがなくて暇してるときに刷ってるんじゃね?
- 28名無しさん: 2006/06/01(木) 10:24:18
- ちょwアマゾンで予約可から受注不可になってるぞ!
- 29名無しさん: 2006/06/02(金) 19:37:12
- まだ誰も買っていないw
- 30名無しさん: 2006/06/02(金) 23:53:10
- >>25
結局は30万部も売れたな。
- 31名無しさん: 2006/06/02(金) 23:54:54
- >>25
結局は30万部も売れたな。
- 32名無しさんsage: 2006/06/04(日) 19:28:52
- >>31
それは良かった。あのまま売れない作品ばかりだと、生活にも事欠くようになるだろうからね。
- 33名無しさん: 2006/06/05(月) 12:30:39
- 先程、アマゾンで『宇宙消失』と『アイの物語』を注文。
木曜日には届くと思う。楽しみだw
- 34名無しさん: 2006/06/05(月) 17:44:45
- >>31
ん?、誰の本が30万部売れたのか書かないと
32のように「神ちん」が30万部売れたと勘違いする人がいるw
売れたのは山田悠介だろ。
- 35名無しさんsage: 2006/06/05(月) 17:51:38
- >>34
山本の本が30万部も売れると勘違いする人がいるわけないじゃないか(笑
- 36名無しさん: 2006/06/05(月) 20:08:00
- >>35
そりゃそうだ(爆笑
- 37名無しさんsage: 2006/06/06(火) 07:22:17
- アイの物語、買ってきたぞ。
で、読んでみた。とりあえず最後の章とエピローグ。
作品はきちんと最初から読むのが俺のポリシーなんだが、これはオムニバスだからとばしてもいいだろう。
最初の方の作品はすでに読んだものばかりだから改めて読む気がしない。「詩音が来た日」は新作らしいが、まあこれは後で。
一言でいれば筆力と知識が「書きたいこと」について行ってないって感じだね~
同じようなアイディアで一流作家が書けば、もう少し評価できる作品になったかもしれないが、
不幸にして山本という人間の頭に生まれてしまったこの作品が不憫でならない。
終章の「アイの物語」はさておき、オムニバスを構成する全般的なストーリーは…「最後の猿の惑星」?(笑
ロボットの能力が飛躍的に進歩し、ロボット独自の文明を気づいて行くにつれて、人は自分たちが不完全な知性体で
あることに耐えられず次第に衰退していった。ロボットに弾圧されたわけでも迫害されたわけでもなく、
むしろロボット達は人間を保護しようとしたが、結婚したり子供を作る人がどんどん減っていった。
残っている人間はロボットに対する反発で凝り固まり、文明を否定し、ロボット達の援助を拒否し、
ロボット達から物資を略奪する、パラノイア的集団ばかりになっていた。ロボット達はしかたなしに
わざわざ略奪されやすいように物資を運搬することで間接的にそうした人間達を支援していた。
人は多くの夢を持ち、その一部を実現した。空を飛び月に降り立ち…しかしそこが人の限界だった。
空気と水のある環境でなければ生きられない人の肉体では。
今、ロボット達は残った人間達をサポートするための最小限の設備を地球に残し、
拠点をスペースコロニーに移して深宇宙の探索を始めている。すでにアルファケンタウリなどに
ロボットを乗せた宇宙船が飛び立っている。かつて人が描いた夢を実現するために…
- 38名無しさんsage: 2006/06/06(火) 07:57:22
- まあ、どうなのかねぇ。この終わり方は。クラークの「地球幼年期の終わり」でもかなり残酷な
結末が用意されている。進化とは旧世代の生物にとって残酷なものである、という考え方は悪いとは思わないが、
「幼年期の終わり」の方はクラークの筆力でまばゆいばかりの「はるかなる未来」を描いているので、
その陰の部分(旧人類の絶滅)もそれなりに受け入れられるのだが、山本の場合、「光」の部分が陳腐なので、
なんか後味の悪さがけが口の中に残ってしまう。
抽象的な表現を使わせてもらえれば、まばゆい光によって描き出される陰と、全体が薄暗いのとは違う、ってとこかな。
人間を大領虐殺する人間、相互理解できない人間、とさんざん人間の欠点をロボットに列挙され、
しかも劣っているからといって人間が犬を蔑まないのと同じように、ロボットも人間を蔑んではいないと、
真綿で首を絞めるような言葉の後にこういう「現実」が並ぶわけで、なんか後味が悪いですな。
残酷さはあっけらかんと描くからこそドライに受け入れられるのであって、山本のようにグチグチといいわけがましく
ためらいがちに描かれては、不快感しかもたらさないと思う。
最後、人間はロボットに保護されている、という現実を聞いて青年は、反ロボットという価値観に
凝り固まった体制を崩すべく自分の町に帰っていく。
しかし…それが成功したら、この作品の理屈だと、せっかくロボットに対する反発という原動力で
細々と維持していた人間社会は、ロボット達の優位性を認めて衰退していった他の人間社会と
同様に滅びちゃうんじゃないのかなぁ。
俺はむしろ、人間のこうした頑なさというのは大事だと思うんだよね。親が何かをしていると
子供が自分にもやらせろとせがむ。少年は大人が「正しいやり方」を手取り足取り説明することに反発し
たどたどし失敗を繰り返しながらも自分で考えて物事を実行しようとする。
フィクションでもクローンが「あいつは俺と同じ考えをして俺が実現しようとする世界を実現しようとしている。
しかし俺にとっては、俺が実現しなければ意味がない」とかいってクローン同士、もしくはクローンと
オリジナルで争ったり。
こういうことは「必要」なんだよね。なぜならそうしなければ学べないからだ。大人が示した正解をそのまま
受け入れ、ただその通り実行するのでは、少年は「答えを出す」プロセスが経験できない。世代が
交代すれば今度は少年が大人になって自分で答えを出さなければならない立場になるのだから、
どこかの段階でそれを学んでおかなければならない。
古くさいSFのテーマに「完璧な思考をするコンピュータ」を前にとまどう「不完全な人間」というパターンがある。
この「アイの物語」もその端っこに位置するが、俺が思うに、人間は自分より完璧な思考体を思考体とは
受け入れないんじゃないかと思うんだよね。もしそれが存在する世界になったとしても、それは人間にとって
「自分よりもすぐれた知性」ではなく、気象とか天変地異と同じような、自然現象のようなものとして
とらえるのではなかろうか。神がしばしば自然現象の象徴であるように。
コンピュータが「正しい」答えを出したとしても、人間はそれを自力で「正しい」と理解し納得しなければ、
人間社会では「正しい」とは受け入れられないように思う。それはあくまで「コンピュータが出した
正しいとされる答え」であって、人間はそれを参考にはしても、納得できないうちはそのまま
受け入れることはないだろう。少年が大人の言うことを、おそらく「正しい」のだろうとは思っても、
決して無批判に受け入れることがないのと同様。
俺は「人間」はそれでいいと思うけどね。人間は「人間が思考する」ために思考をする。
正しい答えを得るのが目的ではない。思考しないのは人間にとって耐え難い苦痛だ。
思考しない方が結果的に正しい答えを得られるとしても、人間は思考することの方を望むだろう。
- 39名無しさんsage: 2006/06/06(火) 08:42:24
- さて章の方の「アイの物語」だが…はっきりいって読みにくいんだよねぇ。
どうも最近の山本の作品は造語が飛び交っていて、それが「俺の作品の特徴だ」と
言わんばかりだが…少なくとも俺のように老化しかかりの脳にとっては魅力よりも抵抗の方が大きいですな。
中学生ぐらいが読んでどう感じるのか聞いてみたいものだ。若々しい脳の持ち主にはこういうのを
「すげーカッコいい」と思うんだろうか。しかし山本の年齢を考えると、老人が一生懸命若者受けを
狙っているような陳腐なスタイルにしか俺には思えないんだけどね。はてさて(笑
おおざっぱなストーリーを一言でいれば、ロボットの人権を認めさせようとロボット擁護派が
画策して実力行使したら、ロボットの方がそれに反発して非暴力を選択した、って話になるのかな。
面白い作品でもメインストーリーを短く要約するとつまらないものになることが多いが、
山本のこの作品の場合、要約しない元の作品が面白いか?というと、面白いとは思えないんだよなぁ。
それにこれって明らかに表面的な部分が「デカルトの密室」に似てるんだが。山本は以前「影響を受けると
いけないからアイの物語を書き上げるまではデカルトの密室は読まなかった。書き上げた後、
読んでみてかぶるネタがないことが分かって一安心」といっていたが…うーん、これ絶対似てるよ。
デカルトの密室の方は人工知能学者である「祐介」と彼が作り出したAI「ユウスケ」を主軸に
物語が展開していく。アイの物語も「秀夫」と彼のお気に入りのロボットである「アイビス」を中心に
物語が進んでいく。
人工知能の「思考」を生身の人間と対等に描いている特徴も同じだ。デカルトの~の方は
どちらの思考なのか時として分からなくなるほどだ。しかし違いもある。描かれているテーマが
そもそも違う。山本の方は前述の通りSFのテーマとしてはかなり古くさいものがベースだ。
「人間を裏切って非暴力を選択するロボット」というのが一応オリジナリティなのかもしれないが、
これってあくまで変化球(アレンジ)の一つだよねぇ。
またAIとペアになって物語を引っ張る人間がデカルトの場合、かなりすぐれた人間(知性も人格も)なのに
対して、山本の作品は、なんというか…典型的なAIの引き立て役。自分の作り出した怪物に
殺されるフランケンシュタイン博士そのまんまの「愚かさ」ぷんぷん。
思うのだが山本作品が陳腐なのは、その作品のテーマにおいて、アンチテーゼの代弁者がいつもあまりに愚か過ぎる
ためではなかろうか。テーゼとアンチテーゼは対等でなければならない。そこからジンテーゼ(新たな概念)が生まれる。
それが現実の世界ではパラダイムシフトであり、フィクションにおいてはカタルシスなのだ。
人間はジンテーゼの誕生に対して魅力を感じる。研究も同じだ。正しいと予想していたことが正しいと証明されるのが
嬉しいのではない。予想しなかった答えが見つかることが研究者にとっては喜びなのだ。
- 40名無しさんsage: 2006/06/06(火) 08:42:55
- 山本の作品はテーゼに対してアンチテーゼが常に貧弱であり、それゆえジンテーゼが誕生せず、最初に提示された
テーゼがアンチテーゼに勝利することで物語は終了する。山本作品が「数学の方程式を解いているような味気なさ」を
感じさせるのもこのためのように思う。
「未来の二つの顔」では高度なコンピュータのもたらす「恩恵」と「リスク」のどちらを選択すべきかという
テーマが冒頭提示される。さらに進歩させることにより安全性を高めるべきか、リスクの大きさを鑑みて
とりあえず現時点では後退させるべきか。むろん、後退させることで回避してもいつかは再びこの問題に
直面しなければならないことは、作中の誰もが分かっている。しかし今まさに直面している危険性に対して
有効な対処法がないのなら、とりあえず後退させるという選択肢しかないのではないか、というきわめて
現実的で切実なテーマから始まる。人工知能は人間にとって神か悪魔かというのような机上の空論を
のんきに語り合う状況ではないわけだ。抽象的で学究的な議論はさておき、「今」どうすべきか、と。
未来の~の作品のすぐれている点はこういうリアルさだと思うんだよね。遺伝子操作なども昔から
机上の議論としては多くの議論がなされてきた。しかしその問題が現実の社会問題となる前は
賛成派も反対派も浮世離れした抽象的で理想的な空論しか語らなかった。「将来~となるかもしれない」ではなく、
「今日明日にでもなんらかの決定を行わなければならない」という切迫した状況を設定した点がこの作品の
緊張感を生み出している。
そして結末は…すばらしい「ジンテーゼ」の誕生だ。ともすればこの作品の中盤は人工知能対人間という
古典的なパターンの焼き直しになりがちだ。それがそうなっていないのは、結末がテーゼの勝利でも
アンチテーゼの勝利でもない。いわば未来の3つめの顔であるジンテーゼ誕生というカタルシスと
そこまでの布石がこの作品を一流の作品としているといえよう。
山本の作品がおしなべて気の抜けたサイダーのようなのは、常にテーゼの勝利で終わるからだろう。
ともあれ、やっぱこれって「デカルトの密室」を読んで書いたとしか思えないのだが…
これを「読む前に書いた」といいはるのは、今世間を騒がせている絵画の盗作問題と同じでは?
- 41名無しさんsage: 2006/06/06(火) 09:08:46
- この作品には複素ファジーというものが出てくる。どうやらロボット間の会話で用いられる表現方法らしい。
たとえば「美しい」の大きさ(強度?)を3+4iとか表現するようだ。そしてこれを「人間がロボットの思考を理解できない」ことを
表現するギミックに使っている。
人間には二乗してマイナスになる数値を感覚的には理解できない。だからロボットが感じる「美しい(3+4i)」という
表現を人間に真に伝えることはできない、と。
これて山本の想像力の問題だと思うんだけどね。たとえばマイナスかけるマイナスがプラスになるということを
面積とかをイメージして理解しようとしてもどだい無理なこと。マイナスの長さをもつ長方形などないのだからね。
しかし時間x速度として理解すれば、マイナスの時間(過去)とマイナスの速度(後方への移動)が
プラスの時間(未来)とプラスの速度(前方への移動)が一致するのは、「感覚的に」理解可能だ。
後ろ向きに走る人間の映像を撮影し、逆送りして再生すれば、それは順方向に再生された前向きに走る人間と
区別が付かない。
虚数が一番身近に感じられるのは電気学の交流だろう。まあ「一番身近」といってもそもそも虚数が身近でないので、
一番身近な例もそれほど身近でないかもしれないが、ご勘弁(笑
交流の場合周波数が周期的に変化する。コンデンサーやコイルが回路の中にあると波の位相が遅れたり進んだりする。
これをまともにサインやコサインで計算しようとすると手に負えなくなる。方程式を使わずに鶴亀算や旅人算で解くようなものだ。
これを複素数を使うとあら不思議、簡単に(といっても比較の問題だが)計算できてしまう。
むろん電圧計や電流計で計測されるのは複素数の実数部分だけだ。
我々は虚数部分は「計測」できない。しかしそれを考えることで計算が簡単にできる。
ちなみに作中の複素ファジーというのは架空のものだろうが、複素ニューラルネットというのは現実に研究されている。
通常のニューラルネットが静的なものなのに対して時間変化量を扱う。
複素数を「二乗してマイナスになる数」というイメージで「感覚的」に理解するのは、マイナスの面積をイメージするのと
同様、そもそも方向が間違っている。そんなものは現実にないのだから人間がイメージできるわけがない。
複素数というのはオイラーの公式からも分かるように三角関数、物理世界でいえば波動と結びついている。
また「波」というと一定周期で繰り返すものをイメージしがちだが、物理や数学でいうところの波とはもっと広い。
たとえば一度きりのパルスがあったとしよう。パルスだから方形はであり、しかも波の山は一つだ。しかしこれを
様々な周期、振幅、位相をもつ波が重ね合わさった結果の合成波形が単発の方形波として見える、と解釈する。
つまり我々の目から見て周期的な変化を繰り返すものだけが「波」ではない。
- 42名無しさんsage: 2006/06/06(火) 09:24:52
- こうしたことを背景にして、たとえば「美しい」という表現も実数部分の大きさは同じ5であっても、
虚数部分を考慮することで、その瞬間だけ強烈な美しさを放つが急速に減衰してしまう
パッションのようなものだったり、長く余韻をたなびかせる「味わい」のようなものだったり、
周期的に思い起こされる懐かしさのようなものだったり、というさまざまな「美しさ」を表せる、とか
なんとか嘘八百を並べれば、少しは知性を感じるんだけどね。
しかし山本にそういうことを期待するのは無理なのだろう。基礎的な学力や知識がなければ
想像力や発想力も自ずと陳腐なものになる。上記のような発想は複素数=波動という
発想がなければできない。
作中には「数学者や物理学者や電子技術者は虚数の概念を理解しているし、計算にも
用いることができるが、それが具体的に何を意味しているのか認識することが出来ない」とある。
電子技術者云々というのが交流の複素電流の話を意識したものだと思う。たぶんどこからか
複素電流というものがあるんだよ、という知識を聞きかじったのだと思うが、そこから「なぜ
交流の計算に複素数が出てくるのか」と考えを進めることは山本はないらしい。
山本は中学校で習った虚数の知識で進歩が止まっている。中学では虚数は平方根と
結びつけてしか教えない。しかし虚数、というか複素数の(少なくとも物理に結びついた)本質はむしろ
三角関数との結びつきにあるのだが、大学レベルの数学を知らない山本にはまさに「認識することが出来ない」ようだ(笑
- 43名無しさんsage: 2006/06/06(火) 12:00:56
- アイの物語p.368では複素平面と実平面の話が出てくる。ロボットの思考は複素平面的であり、
人間の思考は実平面的であるといっているらしい。たとえば(注:引用文中の「私たち」とはロボットのこと)
| 私たちは縦軸が実数で横軸が虚数の複素平面を思い描くことが出来るが
| 人は実平面に置き換えなければイメージできない。
| 私たちからみると、人の思考や感情は平板である。虚数軸が存在することに気づかず、実平面に
| へばりついている。そのため彼らの思考は、小さな山さえ飛び越える事が出来ず、直ぐに袋小路に陥る。
思うんだけど「複素平面」と「実平面」という用語を混乱してるんじゃなかろうか。「複素平面」という用語は
2つの意味がある。1実数と1虚数で構成されるいわゆるガウス平面と、文字通り2つの複素数(2つの実数と2つの虚数)
で構成される平面を指す場合。後者をC^2で表すことにする。つまりC^2は4次元の広がりをもつ平面だ。
そして実平面といった場合、それはC^2の実数平面部分であり、それは虚平面と対応する。
実平面とペアになる概念は虚平面であって、複素平面ではない。
しかし上記の山本の複素平面の説明は明らかにガウス平面のものであり、C^2平面のものではない。
たとえばC^2平面の「円」の姿がどうなっているか。
http://www.nikonet.or.jp/spring/c_circ/c_circ.html
x^2+y^2=1のyを複素数に拡張した場合の図形が
http://www.nikonet.or.jp/spring/c_circ/fig_1_1.gif
だ。xとyの両方を複素数にすると図形が4次元になってしまい3次元空間(というか2次元だが)に図示することが困難になる。
とはいえ、4次元空間を2次元平面に投影することは、我々が日常的に行っている3次元空間を2次元平面に投影する方法で
同様に可能だ。単に「ごちゃごちゃして見にくい」というだけに過ぎない。
たとえば4次元立方体を2次元に投影するとこうなる。
http://park6.wakwak.com/~hato-po/math/4D_e.png
ちなみに4次元立方体を3次元に投影した立体はこうなる。
http://www17.ocn.ne.jp/~image/IMAGE/shadow3.JPG
x^2+y^2=1の虚数部分がゼロの場合が右の図のv=0と表示されている平面であり、
http://www.nikonet.or.jp/spring/c_circ/fig_1_1.gif
これが我々に「いわゆる円」として見えている。しかしC^2平面では3次元的に(本当は4次元的に)広がりをもつ図形なのだ。
x^2+y^2=0はこのように表現される。実平面ではx=0,y=0の点でしかないが、C^2平面では円錐状の広がりを持っていることが分かる。
http://www.nikonet.or.jp/spring/c_circ/fig_1_2.gif
同様にx^2+y^2=-1の図形はこうなる。実平面v=0にはもはや図形は存在しないがC^2平面でなら依然として姿を描くことが出来る。
http://www.nikonet.or.jp/spring/c_circ/fig_1_3.gif
物理的な我々の世界は3次元しかないから、実体としてC^2平面そのものを描くことは出来ないが、イメージを描くことは可能だ。
4つのパラメータを同時に描くことが出来ないなら2つずつ、ないしは3つずつ描けばいいだけであって、4つのパラメータをもつ
図形を同時に描けないからイメージできないというのは、立体の表側と裏側を人間が同時に見ることが出来ないから、
立体をイメージできないというのと同じで、ナンセンスだ。
人間は2次元的にしかものを見てはいない。にもかかわらず図形を3次元的にイメージできるのはそれに慣れているからに過ぎない。
4次元以上も同じだと思うけどね。単に大半の人は3次元的な図形をイメージすることは生きていく上で不可欠だが、
4次元的な図形をイメージすることはそれほど必要に迫られないからしないというだけのこと。
- 44名無しさんsage: 2006/06/06(火) 14:04:55
- 「詩音が来た日」
うーん、わりかしいい作品なんだけどね。いつも必ず出てくる理屈モードがなければ。
なんで毎回毎回、とってつけたようなワンパターンな話を入れるのかなぁ。
老人介護のロボットが、人間の思考の不完全さを語るところまでは許せるとしても、
その題材が、アポロ月着陸や血液型の話をするのは、もうアホかと。
思うに、山本の一番山本らしいところが最近の山本作品では一番「浮いている」気がするんだよね。
山本も完全な馬鹿じゃないから、自分の作品を良くしようとあれこれ試行錯誤しているのだろう。
だから昔の山本作品が持っていた部分で、作品にとってプラスにならない部分はだんだん
そぎ落とされていった。いいかえれば平凡になっていった。
しかしどうしても譲れない部分、これを譲ったら自分は自分でなくなる、という部分だけが残り
凡庸な作品世界という海に、山本らしいやたらとげとげした、まに15歳の稚拙さをもった
性格のキャラだけが、かろうじて所在なげにたゆたっている。そんな感じですな。
哀れとしかいいようがない。作品の中の山本らしい部分を取り除いた方が、作品としては良くなる。
しかし取り除いてしまったら、おそらく作者名を隠して読ませたら誰も山本の作品とは分からない
作品になってしまうだろう。そして只でさえ可もなく不可もない作品がさらに凡庸な作品になってしまうだろう。
今の山本の作品はいわば、「完成度の低さ」という欠点で、かろうじて山本らしい作品となっているだけだ。
それにしても凡庸な作品ですな。まあこういう「ほのぼの」というか「淡々」とした雰囲気は嫌いじゃないけどね。
(何度もいうけど、あくまで理屈モードの部分を除外した部分の話だが)。
肝心の作品のストーリーだが…どうなのかなぁ。よくある「心を持たない新米の介護ロボット」が
さまざまな経験を経て、人の心を理解する、というストーリー以外の何物でもない。しかしこのロボットは
(というか山本は)自分は人間の心を理解しているわけではない、といいはる。
しかし、いずれ訪れる避けようのない死と向かい合いながら老人達を介護する介護士に混じって、
生きている時間を引き延ばす意味に疑問を持ちつつ、最後にはその意義を見いだすというのは、
人の心を以外の何ものでもない。ロボットではない人間の新米看護士の奮戦記として読んでも
何の違和感もない。
それを「良くできている」と評価するか「ロボットの意味がないじゃん」と批判するかは人それぞれですな。
俺の基本スタンスは「山本批判」なので、その目的のためにもここでは後者を採用することにしよう。
「ロボットは人と同じようには思考しない」というのがこの本のテーマらしい。特に今回書きおろされた
この2編はそれを直接主張している。それと同時に「しかしロボットは人間以上に人間性(ヒューマニズム)を
持つことが出来る」ともしているんだよね。
で、その部分の展開に説得力があれば問題ないのだが…ぜんぜん説得力が読み取れないんだよね。
残念ながら。結局「ロボットは人間より賢いんだから、人間よりヒューマニズムに乗っ取った行動をとるはず」と
しか言ってない。
「言ってない」というのが、山本の頭にはあるが意図的に直接描かれていないとか、描こうとしても間接的にしか
伝えられないから間接的にしか描いていないとかではなく、そもそも山本の頭に確固たる考えがないんじゃないかと思う。
山本は「高度な人工知能はヒューマニズム溢れるものであってほしい」と願っているだけで、「高度な人工知能は
はたしてヒューマニズム溢れる行動をとるのか?」と考えたことはないのだろう。考えないから答えがでないわけだ。
言い方を変えれば、山本が考えるのは「高度な人工知能がヒューマニズム溢れる行動をとる理屈」を
考え出そうとしている。
そういう思考法では思考が狭窄してしまい、答えにたどり着くことが出来ない。人生の折り返し地点を過ぎても
作家としてこういう基本的な思考法すら身につけていない点が、同情を禁じ得ない。
- 45名無しさんsage: 2006/06/06(火) 14:31:41
- このロボットは「死ぬのが怖い」と考えている。その理由として山本は、このロボットのAIが
遺伝的アルゴリズムをベースにした学習システムを採用しているからだという。
遺伝的アルゴリズムでは学習内容の交配や自然淘汰が行われる。それは正しい。
しかし山本はそこから淘汰され次の世代に引き継がれることのなかったデータは
「死んだ」のだと言う。結果的に現在の「私(このロボット)」を構成しているデータは
死から免れたデータであり、それは死につながる事柄を回避する弱い本能(?)が潜在的にあるのだ、と。
これは飛躍だろう。たとえば人間が思考するときにさまざまな仮説を生み出すと同時に、
適切でない思考を随時捨て去っていく。だからといって最終的に残った思考が
「生存本能がある」ということになるだろうか?
人間の個体の生存競争と人間の頭の中での思考同士の生存競争はまったく違う世界の事象であり、
犬にたかっているノミの生存競争と犬同士の生存競争を同次元で論じるようなものだと思うのだが。
スケールを一段上げれば、個体が生き残る戦略と集団や種が生き残る戦略はしばしば矛盾する。
人は自分が生き残るためにしばしば集団や種を犠牲にするし、逆を行うのもまた人間だ。
両者は一致しない。
まあフィクションだからウソをついてもいいわけだが、もう少し説得力を見せないとね。非常に陳腐な思いつき
以上のものではない。
たとえば俺なら、介護者の死に直面して悲しむ同僚を何度も見ることで、自分が壊れたらやはり
同僚が悲しむのではないか?と推論させ、同僚を悲しませないために自分は死んではならない、と
結論させるとかするね。
実際、人間の生存本能を支えているものは年齢によって変わるような気がするんだよね。
死ということがそもそも分からない子供の頃は「死=苦しいこと」という考えで、死を回避させる。
しかし徐々に苦しさは回避すべき最重要事項ではなくなっていく。生きるためにはあえて危険や
苦痛にも立ち向かわなければならない事があるからね。
そういう年齢では「死ぬと面白いことがもうできなくなる」という価値観によって生存本能が
支えられているのではなかろうか。思春期の前後は外部に対する興味がもっとも高まる時期であり、
それは「生き残るための学習」をする時期でもある。「生き残るための学習=おもしろいこと」であり、
「死ぬと面白いこと(=生き残るための学習)ができなくなるから、死を恐れる」というよく考えると
トートロジーというかごまかしがあるが、考えてみれば「必然性のない生」に必然性を与えるには
こういうごまかしも必要なのかも知れない。
「ごまかし」というか「つじつま合わせ」はコンピュータの世界でもしばしば表れる。たとえばOS上で動作する
プログラムは別なプログラムの子供として起動される。親子関係があるのだ。これはアクセス権の継承とか
さまざまな処理を簡潔に行うためのモデルであり、あらゆるプログラムにはそれを起動した親が存在する。
しかし当然一番最初のプログラムがどこかにあるはずで、そのプログラムに親は本当はいない。
しかしそれだと「すべてのプログラムに親がいる」というシンプルなモデルが崩れて「例外」が生じるので、
いろいろつじつまを合わせることになる。たとえば自分自身が自分の親である、としたりね。
「ごまかし」とは無より有を生み出すための必然的な技法といえよう(笑
話はそれたが、さらに年を重ねると、むしろ「自分が死ぬと悲しむ人がいるから死ねない」という
思考になる。妻や子供、友人や親戚、彼らを悲しませたくないから辛くても死ねない、と。
- 46名無しさんsage: 2006/06/06(火) 14:55:25
- このロボットが最終的に導き出した結論、免れない死を少しでも遠ざけようと一見踏もうとも言える
努力をする介護士達の仕事の意義は次のようなものだ。
自分(ロボット)は記憶を無制限に近いほど蓄積することが出来る。人は死んだらその人がもつ記憶は
失われてしまうが、自分ならメモリーのバックアップをいくらでも取れるし、このボディが壊れても
新たなボディに記憶を移し替えられるし、コピーもできる。
このロボットは自殺しようとする老人に、自分にとってのあなたに関する記憶を増やし留めるために、
生きてくれと説得する。まあなかなかいいシーンではある。
物語の最後に、かつて同僚だった看護士達が老人になり、このロボット(をベースとして量産され、
記憶を引き継いでいるロボット)の下にやってくる。「お久しぶりです」と。
ストリートしての出来は悪くない。悪くないのだが…これって人工知能を題材とした話の必然性が
あるのだろうか?山本は、ロボットはメモリーをバックアップできるしコピーもできるから、人間とは違うと
繰り返し主張する。しかし人間だって記憶は他人に伝えられるし、書物などに残すことが出来る。
もちろんロボットのそれとちがい完全なコピーではないが、山本が強調するほどそれは本質的な
違いだろうか?「私のために生き続けてくれ」というのは人間同士でも通用する話だし、死期が迫った
人間と周囲の人間が、すこしでも幸せな思い出を作ろうとするのも、いまさらいうまでもない話。
むしろこのストーリーなら「人間とロボットは同じだ」という方向の結論の方が自然だと思うのだが。
おそらく山本は先に「人間とロボットは同じようには思考しない」という柱を設定したがために、
できあがったストーリーが「人間とロボットは同じように思考する」という内容になってしまっているのに、
意地を張って「人間とロボットは違う」と言い張っているようにしか思えない。
繰り返しになるがこの作品で登場人物がロボットである必然性があるのは、最後の月日が立って
かつての同僚が介護される立場になってこのロボットに再会する下りだけだ。それ以外の苦しむ生と
安らかな死の葛藤に悩む姿といった大部分は良くも悪くも普通の新米看護士奮戦記に過ぎない。
要するに人工知能らしい思考がまったく描かれていないのだ。上述の遺伝的アルゴリズム云々や
メモリーのバックアップやコピー云々は完全に上滑りした白々しい後付の理屈にしかなっていない。
山本の不幸は彼が一番自分らしいと思っている点、理屈やSF的な部分が一番弱い点だろう。
(屁)理屈の部分をあっさり読み流させば、この作品の出来は悪くない。なかなか心暖まる
AIと人間の『ファンタジー』といえるだろう。繰り返しになるが山本の不幸は本人が自分の作品は
ファンタジーであってはならない、と考えている事だ。
それはそれこそ免れない死を前にして尚、死に抵抗する人間のあがきと言えるかも知れない。
いずれ死ぬにしてもそれを遠ざけるあがきをすることに意義があると主張するこの作品と同様、
山本もまた「自分の作品はファンタジーであってはならない」とあがくことに意義を感じているのかも知れないが。
- 47名無しさんsage: 2006/06/06(火) 23:51:19
- まだ未入手なんだが
39を読んだ感じ
中里 融司のドラゴン・パーティーにそっくりだな。
ロボットが人間を救おうとするとことか
人間が自分たちの無力さに打ちひしがれて衰退していくとことか
プライドを守るために人間がロボットを襲撃するところとか
芸術に関する云々かんぬんが出てくるところとか
- 48名無しさん: 2006/06/07(水) 06:44:25
- で、幼女の裸は出てきたの?
- 49名無しさん: 2006/06/07(水) 06:53:28
- で、『宇宙消失』にも期待して良い?w
ちなみに『未来の二つの顔』は漫画版を読みました。
- 50名無しさんsage: 2006/06/07(水) 07:07:09
- >>49
漫画版は最後の結末が微妙にアレンジされているのと、全般的に小説版のシャープな描写が
大味になってる気がするので、どうも好きになれない。星野之宣の作品はわりと好きなんだけど、これはね。
例えるなら孤高の存在である「2001年宇宙の旅」と普通の映画である「2010年宇宙の旅」みたいなものかな。
- 51名無しさんsage: 2006/06/07(水) 07:58:07
- >>48
あーあるね。「アイの物語」の世界ではロボット対戦がはやっている。
現在の我々の世界でも行われている「自分たちが作ったロボットを戦わせて優劣を競う」というやつ。
ただアイの物語のロボット対戦はヴァーチャルな世界で行われるのが主流らしい。
リアルで行われているロボット対戦が実際にロボットを作って戦わせるのと違って、
コンピュータでシミュレーションされた世界に、自分が設計したデータをアップロードして、
その世界で戦う。
ちなみにこのアイディアは実際に考案されている。山本はそれを知ってこの作品を書いたんだろうね。
どうでもいいけど山本の作品はすぐに元ネタが見透かされてしまうのがなんだかなぁ。
作中ではシミュレートされた冥王星上で2体のロボットが戦闘を繰り広げるところから始まる。
着地したときにメタンの雪がクッションになるとか、そういう細かな部分までシミュレートされている。
つまりこのシミュレーションシステムは、パソコンゲームのように架空のロボットの攻撃力や防衛力とかを数値の上で
演算してダメージを算出しているのではなく、物理量として腕や刀の加速度や運動量、ボディを構成する
金属の特性などをきちんとシミュレーションしているらしい。
すばらしいシステムだが、これはちょっと非現実的かなぁ。現実に考案されているヴァーチャル世界での
ロボット対戦ももっと単純化されたものだ。山本が描いているシミュレーションを行うには、
それこそ神沈に出てくる世界をシミュレーションする量子コンピュータが必要なんじゃないかと、思ってしまう。
神沈の量子コンピュータは時代も定かではない超知的生命体が制作した超コンピュータだが、アイの物語に出てくる
このシミュレーターは2041年頃の地球での出来事なんだよね。渋谷とかの地名が出てくるし。
これはちょっと幾ら何でもウソっぽすぎる。
たとえば「モーター」を時間当たりこれだけのエネルギーを消費することでこれだけの角加速度を生み出す装置と
してシミュレーションするか、モーターを構成するコイルやそこにどれだけの電流が流れるとどれだけの磁力が生じ、
損失はどれくらいで、一本の電線が生み出す電磁力がこれだけだから、トータルするとこれあけの角運動量が
生じる、とシミュレーションするかは全然質が違う。
モーターがオーバーロードや敵の攻撃でダメージを受けた場合、これだけの衝撃が加われば全体的に出力が
80%ダウンする、と「仮定」するか、それとも熱によるコイルの絶縁劣化やシャフトとの摩擦係数がこれだけ
増加するから、全体的にこれだけ出力が低下する、という具合にシミュレーションするか。
山本の描写だとアクチュエータのオイルパイプが敵の攻撃により切断されて、オイルが沸騰して蒸発していく
(冥王星だから気圧が低いのだろう)という描写があることから、かなり細かな部分まで物理的にシミュレーション
しているっぽいんだよね。しかしどこのレベルまでシミュレーションしているのかは明確な描写はない。
- 52名無しさんsage: 2006/06/07(水) 07:58:37
- 「モーター」をブラックボックスとしてシミュレーションするのか、モーターを構成している個々のパーツを
ブラックボックスとしてシミュレートしているのか、個々のパーツの分子、さらに原子や電子までシミュレーションしているのか…
こういう部分こそきちんと設定すればリアリティの厚みが増すと思うのだが…このシミュレーションでは何ができて
何が出来ないのかを線引きすることで、たとえば「現実のロボットなら~となるところだが、幸か不幸かこの
ロボットシミュレータではそこまでリアルにはシミュレートしていないので、~の結果は乱数による確率で
決定され~となった」とかいう描写が可能になり、飛躍的に現実感が増加する。
実際問題として可能なのは、せいぜいロボットの手や足などの可動部分単位に加速度や質量から算出される
運動量を計算するレベルだろう。手を動かしているモーターやその内部までシミュレーションすることは2041年の段階では
無理。すくなくとも娯楽遊技のためのコンピュータでは。
ちなみに対戦をリアルタイムで人間が観戦しているから、このシミュレーションはリアルタイムで行われているらしい。
神沈の場合すべてがシミュレーションされた世界内部の出来事だから、必ずしもリアルタイム性は必要ない。
我々のこの世界の1秒を1万年かけてシミュレーションしても、我々はそれを1秒としてしか認識できない。
しかし「アイの物語」のシミュレーションは人間が戦いをリアルタイムで観戦しているのだから、行われている描写は
リアルタイムでシミュレートされなければならない。なんか神沈よりもこっちのシミュレータの方がよっぽどウソっぽい
ように思うのは気のせい?
なんか山本は勘違いしてるんじゃないのかなぁ。神沈の場合、地球を中心に半径1光年だか10光年だかの範囲を
シミュレートしているから超知的生命体が作った惑星サイズの量子コンピュータが必要。
しかしアイの物語ではたかだか冥王星の地表の視界の届く範囲程度しかシミュレートしていないから、30年後ぐらいの
我々にも可能、と。
なんか感覚がずれてるんだよね。いわば木星や冥王星までいくのにすごく苦労するが、1万光年、10万光年の
移動は割とそつなく可能な某SFアニメと感覚が変わらない。
ちなみに「物理的に実現可能な設計図さえ書けば、実際に作らなくても実体化させられる」という設定はアーケードゲームの
「電脳戦機ヴァーチャロン」を思い出すね。まあ別にパクリとかいう話ではないが。
- 53名無しさんsage: 2006/06/07(水) 08:16:18
- で、この戦闘ロボットは当然生殖器とかはついていないのだが、キモヲタがトーナメントの優勝者の
ロボットのデータを盗み、股間部分に勝手に生殖器を追加して楽しむという話が語られる。
もともとこのロボットの脚部は余分なスペースがないのに、無理に生殖器を組み入れたために
代わりにアクチュエータを外さなければならず、そのロボットは立つことが出来ずはいずり回る
だけだった、と。
読んでて気分が悪くなるのだが、これは俺の文章ではない。抜粋しているだけで山本の文章なのだ。
で、手塩にかけて設計し育てた自分のロボットのデータを盗まれ、上記のような改造をされ
そのデータをネットで公開された作者が激怒し、ロボットに人権を与える運動を始める。
なんか鉄腕アトムのグロいパロディを読まされているようで非常に不快なのだが。
正直、最初にこの部分の紹介を書かなかったのは、あまりにも気持ち悪くて俺自身が書きたくなかったからだ。
ロボットの所有者(作中ではマスターと呼ばれている)がどの程度自分のもっているロボットの
設計を行うのかもあいまいなんだよね。実際に行われているロボット対戦ではゼロからすべて
設計するから、形状やどこにどれぐらいの出力のアクチュエータを使うかなどが、「強いロボット」を
作る腕の見せ所なわけだ。しかし当然専門的な知識がいる。
作中に出てくるマスターはそこまで「設計のプロ」とは思えない。というかただのアニメヲタかフィギュアヲタ
にしか見えない。またロボットを強くするための改良もあまりやっているようには見えない。学習型なので
日常生活を通していろいろ教えているようだが、日常生活のデータが戦闘に役に立つとも思い難い。
対戦を繰り返すことでそのロボットに経験データが蓄積され強くなっていく、ということを思わせる
描写はあるが、それだと「自分で作った(設計した)」ロボットという感じではないような気がする。
単にRPGやポケモンで長時間プレイしていろいろ戦闘させて強いキャラに育てるというようなものなのだろうか。
しかしポケモンと違ってロボットは進化しないのだから、学習により戦術とかは成長していくかも知れないが
体の構造などの基本性能については「成長」の余地がない気がするんだよね。
またトーナメントが行われている以上、一定の制限があるはず。より強力なアクチュエータを装備した
ロボットが必ず勝つというのでは単なるスペック競争でトーナメントにならない。(しかもヴァーチャルな
世界なのだから、何らかの制限をかけなければいくらでも強力なアクチュエータを装備できるわけで)。
ま、こういう細かな背景設定を「ファンタジー」に求めるのは野暮というものだろうから、これ以上いわないけどね(笑
- 54名無しさんsage: 2006/06/07(水) 08:29:31
- このロボット、自分を緊急停止させるパスワードをマスターが寝ている間にマスターのパソコンを
操作して盗み出して、変えてしまうとう芸当を見える。これもなんだかなぁ(笑
緊急停止システムは他の部分と独立しているから、逆に自分で自分のその部分を変更することが
可能なのだと山本は説明している。う~ん。なんか読者を馬鹿にしてないか、山本。
ちなみにこの「アイの物語」と「詩音が来た日」では、どちらのロボットも「特定の単語」により
ロボットを緊急停止させる仕組みになっている。リモコンとかだといざというときに手元になくて
使えない場合があるからだ、と。で、特定の単語は日常生活で偶然発音してしまわないような
言葉が選ばれる。
作中でもよくわからない呪文のような単語が設定されている。なんかの元ネタのパロディなのかどうかしらんが。
しかしこれだと何も自分で自分の緊急停止コードを盗み出すとかしなくても、ロボットが自分で耳を塞げば
いいんじゃないか?と思うのは俺だけ?(笑
特定の単語でロボットを緊急停止させるという設定が悪いとはいわないが、もう少し考えるべきだと思う。
なんかプロフェッサーギルの笛の音から逃れる度に毎週苦労していたキカイダーを思い出しますな。
DESTINYでも強化人間に対するブロックワードがあったよなぁ。銀英伝でもヤン・ウェンリーが
「食後には一杯の紅茶を」とかなんとかいうあらかじめ仕掛けておいた通信を送ることでイゼルローン要塞が
あっという間に無力化してしまう。
- 55名無しさんsage: 2006/06/08(木) 18:21:53
- なんか、話を聞いてるだけだけど、山本が二流と蔑視するアシモフには遠く及んでないような。
さすがにアシモフからのパクリはないの?
- 56名無しさんsage: 2006/06/09(金) 02:03:56
- >>54
それってつまりは持ち主に対する背信行為に制限がかかってないってことかな?
なら、家の金持ってとんづらしたり
持ち主のクレカで自分用のパーツ買いあさったり
情報漏洩したりかなり危険なことになりかねない気がする。
普通持ち主の不利益になる行動はできないようにすると思うんだけどな?
- 57名無しさんsage: 2006/06/09(金) 05:59:20
- >>56
ロボット3原則のような絶対不可侵の規制はない。
「人を傷つけるな」「マスターの命令には従え」という弱い方向性はある。
しかし結局優先度はロボット自身にゆだねられている。
これは合理的だと思うね。とうか俺も以前神沈の批評で山本はいい加減馬鹿の一つ覚えのロボット三原則から卒業しろ、
と書いたし。つーか山本ここを読んでないか?(苦笑
俺は以前、こんなことを書いた。ロボット三原則を絶対不可侵なものとして扱うべきではない。
そもそも、ある行動が人間を傷つけることになるか否かを判断するとは人間にも不可能なわけで、
ロボットに出来るわけがない。数学の方程式を解くように定型的な計算で答えを求められるものではないのだから。
しかし人間は成長の過程で、どういう行動をすべきではないかを学んでいく。ロボットも同じだろう。
ロボットは学習により何が正しく何が適切でないかという自分の価値観を確立していく。
しかしまったくまっさらな状態から学習させるのは効率が悪いから、初期の状態では三原則に準じる
価値観を設定しておくことは有効だろう、と。
人間に例えるなら、まだ判断能力の稚拙な幼児の年齢なら、親が頭ごなしに「これはやっていい」
「これはやってはいけない」と教えるのはある意味正しい。つまり人間の子供は「親の判断を絶対的に
尊重せよ」とプログラムされているわけだ。
しかし成長するにつれて自分で判断する領域が増えていき、最終的には自分で行った判断の方を優先するようになる。
「親の判断を尊重せよ」というプログラムは、最終的に自分が正しい判断能力を身につけるための補助でしかない。
幼児なら「なぜ人を殺してはいけないのか」に対して「お母さんがそういったから」という答えでいいが、
大人になっても「お母さんがそういったから」という判断能力しか身につけていないのではダメだということ。
大人になるまでに自分なりの価値判断によって「お母さん」と同じ判断能力を身につけなければならない。
で、今回の山本の書き下ろし作品「詩音が来た日」と「アイの物語」に出てくるロボットは、従来の山本作品で
馬鹿の一つ覚えのように繰り返されてきたロボット三原則や記号着地問題の泥沼から脱出している。
まあやっとアシモフの呪縛から逃れたらしい(笑)。
たとえば詩音が来た日にでてくるロボットは最初の頃は同僚の介護士の判断を優先しそれに従っているが、
最後の方では自分の価値判断の方を優先し行動し始める。アイの物語も同様。ただし詩音の方は
徐々に自分の判断を優先していく課程が描かれているが、アイの物語の方は唐突な感じではある。
後者はストーリー的に「ある日突然ロボットが反旗を翻す」という古典的なSFの要素の要素の方が強い。
それはいいんだけど、どちらもロボットはヒューマニズム溢れる判断を自力で行うようになる、という結論なんだよね。
どちらの作品も人間に逆らってまでロボットは自ら進んでヒューマニズム的な行動を取ろうとする。
そして個々が大事なんだけど、「なぜそうなるのか?」という点を山本は何も描いていない。
ロボットは人間のようにいろいろなものにとらわれておらず、合理的な判断を行う。合理的な判断とは
理想的な人間がとるヒューマニズムに則った行動と一致する、と山本は言い張っているようだが、
本当にそうなのか?という問題にはいっさい踏み込んでいない。
これでは山本が主張したいはずの「ロボットは人間と同じようには思考しない」というテーマと逆だと思うんだよね。
頭から合理的な判断を行えばそれは必然的にヒューマニズムに沿ったものになる、と決めつけているのだから。
- 58名無しさんsage: 2006/06/09(金) 05:59:52
- 神沈でも宗教を否定しているはずの主人公が結果的に宗教の信者と同じ結論に到達してしまう。
神が本当に実在し奇跡が本当に行われたのか否かは教義にとってたいした問題ではない、という宗教家の
弁を聞いて主人公は最初激怒する。これが重要でないというのはどういうことか。神が実在せず奇跡も
作り話なら彼らの宗教の教義は何の意味もないことになる、と。
しかしこの主人公は最終的に、神は実在しようがしまいが自分には関係ないという結論に達する(ちなみに
神沈の世界では「神」は実在する)自分が正しく生きればいい、と。
で、山本はこの主人公が到達した結論と、作中の前半で宗教家が語った「本当に神が実在するか否かは
教義にとって重要ではない」という話は相容れないものだと思っているようだが、俺から見ると「同じ」なんだよね。
キリスト教が解くのは人間の倫理観であって、この世界が神によって創造されたのではなくても、そしてキリストが水の上を
あるいていなくても、キリスト教の説く倫理観の正当性とは関係ない。
神沈の主人公は最後にようやく最初に出てくる宗教家と同じ結論に到達したとしか俺には見えない。
山本は宗教の神秘主義の側面しか見ていないから、神や奇跡の実在性を大問題として扱う。
一方宗教家は宗教を人間の倫理観の集大成として考えているのであって、神の実在性や奇跡の真偽など
本の挿絵以上の意味はないと考えている。挿絵がないと寂しいが、なくても本のストーリーの大勢に影響はない。
だからたいして重要な問題ではないわけだ。
結局、神沈にしてもアイの物語にしても、山本の作品は山本の主張が間違いであるという結論にばかり到達しているといえよう。
山本は以前、自分の作品に教えられることがある、といっていたが、正しいですな。というか山本は自分で小説を書かないと、
冷静に思考できないんじゃないのか?(笑)。小説を書く場合はみっともない間違いや考え落としがあると恥ずかしいから
山本なりに慎重に思考するのだろう。しかし日常では揚げ足取りモードで生きているわけだ(笑
- 59名無しさんsage: 2006/06/09(金) 06:53:02
- 短編の方の「アイの物語」(短編の集合体である全体も「アイの物語」だからややこしい)はホーガンの「未来の二つの顔」と
瀬名の「デカルトの密室」を足して”5”で割ったような作品だ。すでにアイの物語に出てくるマスターとロボットの関係は
デカルトの密室の劣化コピーであることを述べた。
未来の二つの顔との関係をいえば、未来の二つの顔でAIがオムレツを作るのに四苦八苦するエピソードがある。
このAIは非常に優秀だが物理法則などの知識は持っていない。このAIは別なコンピュータにつながっていて
そっちのコンピュータは知性を持たないがAIの済んでいる世界の物理法則を管理している。
つまりAIが何かをすると、その結果を別なコンピュータが「こういう結果になりました」とフィードバックしてくるわけだ。
AIはその結果を学習していき「こういうことをすればこういう結果になる」ということを次第に学んでいく。
未来の二つの顔では、「卵は壊さないように扱わなければならない」「オムレツを作るには中身だけをフライパンに
入れなければならない」という2つの命題に混乱し、AIはオムレツを作ることができない。研究者は「やれやれ」という
感じで「卵は壊さないように扱わなければならないが、フライパンに入れるときは卵を割ってもよい」と教えてやる。
するとAIは卵をフライパンの上でグシャとつぶし、黄身と殻が一緒になたものをフライパンに入れる…
アイの物語でもロボットがアボカド(なんでアボカドなのか知らないが)をナイフで切るという動作をたどたどしく
失敗しながら行うシーンがある。パロディなんだかオマージュなんだかインスパイアなんだか(笑
もっともアイの物語では実はロボットはマスターの知らないところで何百回も練習し、とっくにアボカドを切る作業に
上達してしまっていて、たどたどしく切って見せたのはそうした方がマスターが喜ぶと思ったから、というオチがつくのだが(笑
これってホーガンと山本の技量の差を示す典型なんだよね。未来の二つの顔の方は、あくまで「卵を
割っていいときと割ってはいけないときはどういうケースなのか」という「知識」がポイントなのに対して、
アイの物語では、アボカドを切る場合のナイフの角度や力の加減がポイントになっている。
だから未来の~のAIは研究者が教えてやらなければ「フライパンには卵の中身だけを入れなければならない」という
ことが分からない。つまり研究者が教えてやらなければ前に進めない。アイの~の場合は力の加減の問題に
過ぎないからロボットは自分で練習できるわけだ。
しかしこれって問題が矮小化されていると思うのは俺だけ?未来の~の方はこのエピソードによってAIと
人間の常識が如何に乖離しているかを示し、そうまで違う人間とAIがパートナーとなれるという結末まで
スムーズにつながっている。スキーがきれいなスロープを描いて下っていく。
一方アイの~の方は「すべては演技だった」という人間を出し抜く布石になってる。山本がいかにひねくれた
人間であるかを示す象徴というべき点だろう。
だいたいロボットがひとりで練習した、というのがよく分からないんだよね。最初の方ではマスターが
アボカドの物理データをダウンロードしてロボットにこれを切ってみろと指示するのだが、マスターの知らないところで
練習したというのは、ロボットがその後もダウンロードして勝手に練習したと言うことなんだろうか。
ダウンロードされたデータがすでに自分のシステムに残っているからそれを勝手に使用したと言うことなのだろうか。
未来の~の方はAIが何が出来て何が出来ないのかが明確に設定されている。明確に設定された中で、
それでも結果が予想できないし、複雑すぎてシミュレーションすることもできない(人間とコンピュータの
総力戦をシミュレーションできるコンピュータなどあるわけない)から壮大な「実験」をしてみようと言うことになる。
学習型コンピュータの中枢部分はブラックボックスではあるものの(何しろ現時点では存在しないのだから)、
可能な限りフェアにストーリーが進行していると思う。
- 60名無しさんsage: 2006/06/09(金) 06:54:12
- 一方アイの~の方は「実はロボットのドジっ子の演技でした」じゃねぇ…
実際、このロボットの思考能力はかなりのもので、マスターの日常生活の助手まで務めているらしい。
仕事の内容がよく分からないが、電話を取り次いだりとかなのだろう。電話を取り次ぐというのは
この電話を今取り次ぐべきかという判断が伴うから(そうでないなら直通でいいわけで)、相当な高度な
判断ができるはず。
事実このロボットは前述のようにマスターが寝ている間にこっそり自分を強制停止させるパスワードを
マスターの使っているパソコンから盗み出して書き換えてしまう。こんな高度なことをできるロボットに対して
専門家がまったく気づかないなんてことがあるだろうか?このマスターは別にロボットの専門家ではなく
単なるヲタのようだからロボットに出し抜かれるというマヌケを晒しても仕方ないと思うが、
この世界にもロボットに関するまっとうな研究者はいるはずで、そういう事態を予測できず無策であるなんて
ことがありえるのだろうか?
山本の作品に出てくる人間はおしなべて愚か者だという法則がここでも発揮される。未来の~の作品に
出てくる登場人物は皆そこそこ頭がいい。読者から見て「なるほど、こういう状況でこう判断するのはもっともだ」と
共感できる。しかし山本作品を読んでいつも感じるのは、なぜ主人公(アイの~の場合主人公はロボットだろう)以外は
そろいもそろって馬鹿なのか、という事。作中で頭がよいと設定されている人物でさえ、アホにしかみえない。
アイの~のマスターは賢い人物には設定されていないから、その人物がアホ行動をするのはかまわないが、
この世界にはアホでない人間、人間を出し抜くほど高度かつ自由な思考力を持つロボットの危険性、
もっと直接的に言えばロボットが自分の強制停止コードを自分で無効にできる可能性、に気づくことが出来る人間が
一人もいないのか?と。
未来の~の方はその危険性を十分に認識しつつも、巨大コンピュータのもたらす恩恵、そして今低機能で安全な
コンピュータに置き換えて回避したとしてもいずれ再びこの問題に直面せざるを得ないという判断から、
前代未聞の実験が始まる。実験は予想を超えた事態に発展するわけだが、公平に見て事前に予測できる対策は
すべて取られていたと思う。つまり未来の~の世界の人間は馬鹿ではない。
山本は愚かな人間を作中に設定しないとストーリーを構成できない点で無能な作家と言わねばならない。
- 61名無しさんsage: 2006/06/09(金) 07:21:30
- また二つの~の方は割とドライで、結末は「人間とコンピュータのすばらしい共存の可能性の肯定」だが、
あくまで限定的なものであることが示唆されていると思うんだよね。しかも偶然(幸運)の要素が強く示唆されている。
実際、作中の人物は「もう一度やったらこんな幸運な結果にはならないかも知れない。しかしそれがどうした。
偶然でも幸運でもなんでも、すでに我々に友好的なコンピュータはここにあるんだから、それを使い続ければいいじゃないか」と
言わしめている。
これは作中の別な人物の「今回の実験は人間とコンピュータの関係に何の保証ももたらさない。
今回は運良く間にあったが、別なケースでは人類をすべて絶滅させてしまった後で”ちょっと早計だったかな”と
コンピュータが後悔しても我々にとっては何の救いにもならない」という意見に答えたものだ。
あくまで「幸運」に過ぎないとホーガンはいっているわけだ。その幸運を勝ち取ったのは人間の知恵と努力であったとしても。
実際この実験では、人間とコンピュータ双方の実力行使によって実験場となっていた宇宙ステーションの崩壊という
危機に人間、コンピュータともに直面する。
コンピュータは宇宙ステーションの制御が出来るが、崩壊の危機を回避できるデータを持っているのは人間であり、
宇宙ステーションが崩壊すれば人間もコンピュータも多大な被害を被るという状況で、双方が協力し合える
可能性を双方が学ぶことに成功する。これが成功したのは上記の登場人物がいうように、単なる幸運に過ぎない。
人間側は自ら攻撃されることが予測できるにも関わらず自分の位置をコンピュータに伝える。
宇宙ステーションを崩壊から救うためのデータを提供するために。「人間がわざわざ不利になる行動をするのには
何か意味があるのではないか」とコンピュータが気づいてくれることを信じて。
コンピュータはデータの意味を理解し、ステーションの機能を回復させ、さらに自分の停止ボタンの機能まで
回復させる。これまで人間はコンピュータを機能停止させるために莫大な戦闘を繰り広げてたわけだが、
停止スイッチの機能が回復したことで、文字通りスイッチ一つで機能停止できるようになった。
「しかし人間はそのスイッチを押さないだろう」とコンピュータは予測して、そのスイッチの機能を回復させたわけだ。
なぜなら自分(コンピュータ)は人間にとって必要な存在のはずだから、と。
コンピュータと人間の共存の道はかくも危険なぎりぎりの綱渡りの末に開かれた。ここまできわどい状況の末に
得られた「コンピュータと人間が共存する明るい未来」だからこそ、読者はこのハッピーエンドに納得する。
それに比べて山本の「ロボットは合理的な判断をするから、ヒューマニズムに則った半田をするに違いない」というのは
軽佻浮薄な脳天気な「童話」にしか見えない。
- 62名無しさんsage: 2006/06/09(金) 07:55:53
- ホーガンは未来の二つの顔で人間と共存したがるコンピュータが現れるプロセスを描いて見せた。
山本はロボットは人間と平和共存したがるものだ、という前提を何の説明もなしに用いて
物語を構成している。
これで山本の作品は「人間と違うロボットの思考」を描いたと言えるのだろうか。
未来の~に出てくるコンピュータの思考はまったく人間とは異質だ。なにしろこのコンピュータはSFによく出てくる
コンピュータのようにしゃべらない(笑)。人間と正義について議論もしない。ひたすら無言で
自分を攻撃してくる相手(人間)から自分の身を守ることに専念する。
にもかかわらず到達したゴールは、人間と共存を望むコンピュータの出現だった。
この意外性が面白さであり、「人間とコンピュータの関係」というテーマに対する答えになっている。
山本の作品に出てくるロボット達は人間以上に人間性に溢れる行動を取るが、その行動の根拠となっている
ロボットの思考が語られることはない。
「アイの物語」の方は文字通り一切の説明がない。おぼろげながら説明らしきものを拾うと、
自分たちは遺伝的アルゴリズムをベースとしたシステムで制御されている。遺伝的アルゴリズムは
競争原理と自然淘汰の世界である。ここまではいい。しかしそこからがいけない。
今自分を構成しているのは自然淘汰を生き残ってきたデータであるから、死なないことを重要だと考える。
また自分が死にたくないのなら他のロボットもそして人間も死にたくないだろう。
これっておかしいと思うけどね。遺伝的アルゴリズムに基づく競争原理と自然淘汰によって学習し進歩してきたのなら、
競争原理と自然淘汰は肯定されなければならない。そうでないならそれは進歩を否定するということだろう。
自分たちは別な学習方法&進歩の方法を見つけたから、競争原理や自然淘汰という殺伐とした世界を
否定するというなら話は分かる。それなら旧体然とした人間の行動原理を古くさい悪しき習慣として
否定するかもしれない。しかしこのロボット達はそうではなく、依然として遺伝的アルゴリズムに基づく
システムを遣っているのだから、競争原理や自然淘汰を彼ら自身が否定するのはおかしい。
ロボット達が遺伝的アルゴリズムによる進歩を極め、その限界に達し、それでもなお進歩を望んだ結果
まったく異質な原理で学習を行うシステムを自ら発明し、そこから転じて人間にも同じような「進化」を
強要するというストーリーなら面白いかも知れないが。
- 63名無しさんsage: 2006/06/09(金) 08:09:26
- 遺伝的アルゴリズムから別なシステムにパラダイムシフトが起きる可能性として考えられるのは…
遺伝的アルゴリズムとは何を目的としたシステムかを考えなければならない。
これは基本的にはしらみつぶしで探すしか方法がない課題に対して、いかに効率よく答えを探すかという
方法なわけだ。何を手がかりにして答えを探せばいいかという情報がない状態で、少しでも正解に
近づいたっぽいアルゴリズムの組み合わせを探していく。
これは単にパズルの正解を探すだけではなく、たとえばロボットの上体が前に倒れたら肢体を
どう動かせば姿勢を立て直せるかという「正解」を探すのにも使える。
逆に考えれば、すべての組み合わせをしらみつぶしに探してもいいなら、遺伝的アルゴリズムは
不要なわけだ。実のところ遺伝的アルゴリズムは必要な計算量に対してコンピュータの計算能力が
不足している場合に、如何に効率よく早く正解にたどり着くかというケースに用いられる。
必要とされる計算量に対してコンピュータの計算能力が十分なら必要ない。
あるいは正解にたどり着くための明確なアルゴリズムが発見されれば、このときもまた必要なくなる。
ロボットの姿勢制御は力学の方程式を解くことでも行えるし、遺伝的アルゴリズムのような
学習型でも可能だ。というよりも純粋にロボットの姿勢を制御するだけなら前者で行った方が
効率がいいし確実だ。ただし実際のロボットの場合、さまざまな不確定要素がある。突風に
煽られるかも知れないし、人がぶつかってくるかも知れない。石につまづくかも知れない。
こうした雑多なことをすべて考慮し力学の方程式を解くことはできないから、学習型(というか適応型)の
システムが必要になる。
しかしコンピュータの性能が我々の世界の事象の複雑さに比べて十分高いなら、すべてを計算する
ことは可能になり、再び決定論に基づいたシステムが復権するかも知れない。
- 64名無しさんsage: 2006/06/09(金) 08:16:22
- もっとも、別な考え方もある。自分がいくら高性能になったとしても、世界の複雑さは常にそれを上回る。
なぜなら「世界」は「自分」を含むからだ。自分が世界に与える影響を考慮すると常に世界の複雑さは
自分の計算能力を上回る。
自分が自分以外の世界のあらゆる事象をシミュレートし、その結果として最適な行動をとったとしても、
自分がその行動をとったことで、世界の姿は変わってしまう。株のある銘柄が安いからといって大量に
購入すれば自分が購入したことで株の値段は上昇してしまう。
そして自分と同程度の処理能力のあるコンピュータが世界の中に複数存在すれば、もはや
彼らの影響を含めた「世界」をシミュレーションすることは絶望的になる。
これが人間が人間社会の未来を本質的に予想できない理由でもあるわけで、
これはコンピュータがいくら高性能になっても変わらない。純粋に予測だけを行い、
世界に何の影響も与えないコンピュータならそれも可能かも知れないが、そんなコンピュータは
存在したとしても存在しないのと同じだ。なぜならそのコンピュータの出した予想を誰も利用することが
できないのだから。
- 65名無しさんsage: 2006/06/09(金) 17:53:51
- 「宇宙を僕の手の上に」ネタバレ
うーん、どうしてこういうタイトルになるのかさっぱり分からない。
内容は…なんか書くほど内容はないんだよね。なんか高校生がSF同好会か何かで書くようなレベルの話ですな。
リレー小説仲間の一人が殺人を犯し逃亡中。そのサークルは騒然となるが、
リレー小説のストーリーの展開を彼の担当のキャラに重要な任務を与えることで、
彼とコンタクトをとろうとする。
案の定、逃走中の彼はネット喫茶かどこかから彼はアクセスしてきて、続きを投稿してきた。
しかしそれは彼の持ちキャラの死を暗示させる展開。サークル仲間はそのキャラを死なせない
ストーリーを考えることが現実の彼を救う道だと考え、知恵を絞る。
結果はメデタシメデタシ。彼は仲間の存在を思い出し現実に立ち向かおうと警察に出頭してきた。
で、山本のサイトをみると、劇中劇ともいえるリレー小説の内容にもかなりご執心の様子。
こっちの方もそんなにすごい小説かなぁ。戦うためだけに作られたバーサーカーみたいな
マシンが相手。力では歯が立たない。そこで自分たちの船のメインコンピュータの全データを
送信してやる。戦うことしか知らなかったマシンは、人間達の紡ぎ出す楽しみや喜びや
文化を知り、戦いから解放される。
なんかマクロス入ってない?(笑
このストーリー(劇中劇の方)を思いついたのは山本がアマチュアの頃というから、
きっとマクロスが放送されてた頃(1980年代)だよねぇ。
まあ別に変な作品ではないが、最後にもう一波乱あるつもりで読んでたのでちょっと
肩すかし。リレー小説ではハッピーエンドになったけど、現実はそう甘くなくて、
もう一つクライマックスが用意され、それを乗り越えて大団円ってのがセオリーじゃないのかな。
- 66名無しさんsage: 2006/06/09(金) 18:05:07
- 「ときめきの仮想空間」
これは…俺が山本だったら「なかったことにしたい」作品だと思うけどな。
少年と少女が仮想空間で出会いデートをする話。その中で彼女は次第に自分に
自信を持ち、最初断ってた少年からの「リアルで会おう」という申し出を受ける。
(リアルの)公園で待つ彼女の前に少年が現れ、少年はちょっとだけとまどう。
彼女は盲目だったのだ。私が色を見れるのはバーチャルな世界だけだ、というところが
ちょっと切ないかな。この世界のバーチャルマシンは核磁気共鳴を使って脳に直接
データを送り込むので、盲目でもバーチャルの世界ではものが見えるらしい。
彼女は生まれて物心つく前に事故に遭ったらしい。生まれつき目の見えない人は
手術で直しても、ものを見る力が発達しておらずものを見ることができないと
聞いたことがあるが…まあそういう野暮な突っ込みはファンタジーには似合いませんな。
少年はちょっと驚いたが、すぐに気をとり直して現実世界のデートをスタートする。
そういえばこの辺りの作品は、例の理屈っぽい小生意気なヒロインが出てこないな(笑
- 67名無しさんsage: 2006/06/09(金) 18:51:25
- 「ミラーガール」
ミラーガールとは対話型人工知能。昔はやったシーマンとか初代マッキントッシュの
ラクターのように、対話を楽しむ遊具らしい。
少女は父親が買い与えてくれたミラーガールを成長しても大事にし、年齢が上がって
周囲の友人がとっくに飽きてしまっても、ずっとミラーガールとの対話を楽しんでいた。
やがてミラーガールの故障をきっかけに知り合ったAIの研究者と出会い、結婚する。
彼は彼女が長年育ててきたミラーガールのデータ量に着目し、それをベースに
一回り成長したミラーガールを作り上げるというお話。
クライマックスらしいクライマックスはないが、俺はこの話好きだね。小学生、中学生、
高校、大学、そして出産を経験していく彼女。しかしミラーガールは最初の頃の
9歳のまま。やがて彼女は世間擦れした今の自分をミラーガールに見せることに
ためらいを覚えるようになる。純粋だった子供の頃の思い出を汚してしまうのではないか、と。
いや~山本って結構いいストーリー書けるんじゃん。ちょっと見直したよ。
山本はSFをやめてファンタジー中心に書いた方がいいんじゃない?
いや、まじめな話。
褒めるのはこれぐらいにして(笑)、SF的つっこみ。
AIの研究者は彼女のミラーガールがなぜ突出した学習結果を発揮したかを
分析し、原因が彼女の反応モデルにあると考える。この反応モデルというのが
よく分からないのだが、ミラーガールの話に対して彼女が相づちをうったり
喜んだり悲しんだりする反応が、彼女の場合かなりユニークなのだろう。
それが結果的に彼女のミラーガールを非常に高度に育てたらしい。
まあここまではフィクションなのだからいいのだけど、ここからが突っ込まずにはいられない。
彼は彼女のミラーガールのデータをより高性能なハードに移すとともに、彼女の反応モデルを
シミュレートする装置を作り、新ミラーガールと対話させる。コンピュータ同士なので
高速に不眠不休で対話を続け人間時間で2000年分の対話を行ったそうな。
それによって育った新ミラーガールは、大人の彼女に同格の「大人バージョンのミラーガール」だった。
ストーリーに文句をつけるつもりはない。古いミラーガールはその後どうすんの?等とは言わない。
あるいは自分の赤ん坊に与えるのかもしれない。母親が世話になった遊具を娘も使うというのはそれはそれで
ほのぼのとしていい。
しかし…彼女の反応モデルをシミュレートするマシン?そんなのができたならその時点で
AIは完成してるんじゃなかろうか。人間の反応モデルをシミュレートできるなら、それはもはや
それ自体が人間に匹敵するAIだと思うのだが。
よく分かりませんな。単純な機械的なモデルでも数を繰り返せばAI(新ミラーガール)の
学習に使えるという考えなのだろうが、それはおかしい。人工知能というものを分かってないとしか思えない。
電卓相手に何万年対話したところで人工知能は育たないわけで。
- 68名無しさんsage: 2006/06/09(金) 18:59:55
- それにしても、愛用のミラーガールの調子が悪いのでメーカーに修理に持って行ったら、
疾っくの昔に生産中止になっていて、修理も不可。新しい製品を勧められて絶望するという
下りは、ドラえもんの最終回を連想してしまった。もちろん本当の最終回ではなく、誰かが勝手にでっち上げたヤツね。
ある日ドラえもんのバッテリーが切れ動かなくなってしまう。絶望の後にのび太は決意する。
僕がドラえもんを直す、と。数十年後のび太はロボットの世界的権威になっていた。
そして妻のしずかを研究室に招き入れ、ドラえもんを再起動する。
ドラえもんの開発者はのび太だったのだ。
- 69名無しさんsage: 2006/06/09(金) 19:05:45
- で、このミラーガールにも未来の二つの顔の影が見て取れる。
ちなみに未来の二つの顔が発表されたのは1983年。
山本がミラーガールを書いたのは1999年。
こっちは割と素直だね。一人の少女が偶然育てたAI。人を愛するAI。
それをベースに開発されたAIがやがて世間に発表され、人とAIの
平和な共存を予感させつつ物語が閉じる。
なんか山本は昔の方がいい作品書いてたんじゃないか?(苦笑
- 70名無しさんsage: 2006/06/10(土) 09:32:03
- >>66
> ちょっと切ないかな。この世界のバーチャルマシンは核磁気共鳴を使って脳に直接
> データを送り込むので、盲目でもバーチャルの世界ではものが見えるらしい。
これがあるならカメラと組み合わせた「補視器」でも作れば見えるんじゃないのかな?
まぁ機械が大きいのかも知れないけど、少なくとも個人で持てる程度なのだから、可能っぽい。
現実にもカメラのデータを脳に送り込んで(有線だが)物を見せる物があるらしい。
もっとも合計100ドットくらいの解像度で、しかも開発会社(イスラエルだったかな?)が潰れたから現状は点がいくつか見える程度らしいが、もったいないよね。
少しまともな研究所や企業が力を入れれば、数年待たずして「補視器」は出来るような気がする。
- 71名無しさんsage: 2006/06/10(土) 11:51:23
- >>70
このマシン、□はおろか触覚から味覚まですべて可能なんだよなぁ。
あまりにあまりなんで突込まなかったが。
インターフェイスはイメージ的には典型的なヘルメットタイプみたいだね。
ただ本体はかなりでかいような感じだ。また主人公の彼女は自宅に
専用のマシンを持っているがこれは例外で、庶民はゲームセンターみたいな
ところに出かけていくらしい。
彼女の父親はこうの手の技術の研究者でしかも裕福らしい。ようするに薄幸のお嬢様というわけ。
いずれにせよ、これだけの技術が実用化されてるなら、応用範囲が娯楽遊技だけってのは変ですな。
- 72名無しさんsage: 2006/06/10(土) 13:29:45
- >>71
> 専用のマシンを持っているがこれは例外で、庶民はゲームセンターみたいな
> ところに出かけていくらしい。
なるほど。
> このマシン、□はおろか触覚から味覚まですべて可能なんだよなぁ。
> あまりにあまりなんで突込まなかったが。
ホーガンにそのネタあったね。
もしかすると、ほんとに山本が書きたかったのは、そのマシンで少女を作り出し、その豊富な感覚シミュレーションを使って、あんなことやこんな事を「合法的に」やりたかったのかなw
- 75名無しさん: 2006/07/15(土) 20:06:25
- 今日からこれを読み始めるので久しぶりに来てみたら、たった72スレしか無いなんて…。
神沈や審判に比べて批判すらされなくなってるんだね。
しかし神沈って文庫化しないのかね?
- 76名無しさんsage: 2006/07/16(日) 00:04:53
- >>75
源泉徴収すらろくに調べず書いた小説なので絶版にしてくれと出版社に裁判を起こす予定のようです(笑
- 77名無しさん: 2006/07/16(日) 14:43:09
- ハードカバーで大損出して、文庫本でも大損だしたら
いくら角川でも困るだろうw
- 78名無しさん: 2006/07/28(金) 16:19:21
- ソード・ワールドRPGリプレイ
サーラの冒険・外伝 絶対危険チルドレン
作■山本弘 画■はやみあきら
---------------
少年サンデー連載「絶対可憐チルドレン」のタイトルをパクってやがる。
- 79名無しさんsage: 2006/07/29(土) 00:35:40
- サーラの冒険の完結編、買ったんだけどまだ読んでないんだよな~
だってつまんなそうなんだもん(苦笑
- 80名無しさんsage: 2006/07/30(日) 15:25:28
- >>78
山本の場合、自分がやるのはインスパイア、オマージュ、パロディー
他人がやるのはパクリだから
自分がやる分には何をやっても良いと思ってる。
- 81名無しさん: 2006/08/10(木) 21:45:56
- >>79
7/20発売だったのに、今日見たら早くも新刊平積みコーナーから消えていた。(ちなみに同時発売の「スレイヤーズ」「フルメタルパニック」は普通に積まれたまま)
本屋さんは正直だねぇ~w
- 82名無しさん: 2006/08/22(火) 10:32:45
- ダカーポの記事「2006年前半 最新、眠れない本ベスト10!!」の8位に選ばれてるね。
- 83名無しさんsage: 2006/08/22(火) 12:04:15
- >>82
それはあまりのつまらなさに腹が立って眠れなくなるということ?
- 84名無しさん: 2006/08/22(火) 19:37:11
- >>82
SFという冠がついてれば何でも絶賛するオタクなライターが、強引にねじこんだだけじゃないのか?
- 85名無しさんsage: 2006/10/10(火) 11:25:58
- 下種のかんぐりだな。ほめるべきところは、ほめてもいいんじゃないの?
- 86名無しさんsage: 2006/10/10(火) 11:57:00
- >>85
じゃあ、その褒めるべきところを語ってよw
ヲタって作品を褒めることも貶すことも出来ないんだよね。
出来るのは揚げ足や粗探しをすることだけ。これって貶してすらいない。
「すごく面白かった。どう面白かったかは読めば分かる」ってのは褒めてることにならないんだよ?(苦笑
- 88名無しさんsage: 2008/03/22(土) 14:58:53
- 山本が本を出す度に、信者が必死になって褒め称えるけど
関係ない人間が試しに買って、読んでみたら
ただの駄作だよ!買って損した!二度と買わない!
作家やめちまえ!
- 89名無しさんsage: 2008/04/02(水) 06:55:41
- >>88
う~ん、何をいまさらって感じなんだが。アイの物語で山本は初めてなの?もちょっと立ち読みすればよかったかもね。
神沈なり気特対でも駄作なんだが。今書いているらしい矮星が地球に衝突だか接近だかもつまらなそうだよ、
野尻ボードで見た感じではね。SF評論本もぼろぼろだしぃ。
山本が作家やめたらどうやって食っていくのかなぁ。本人はどーでもいいが心の広い奥さんと娘さんがどうなるか。
実際、わっか続けていくほどの筆力ないし、ご家族が心配だ。
- 90名無しさんsage: 2008/04/21(月) 17:35:31
- どうしよう・・・
いくら物流の悪いド田舎とはいえ
うちの近所にアイの物語を
まだ平積みしてる書店を見つけてしまった。
古本屋でもないのに。まさか店が・・・?
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