初めてこのサイトに書き込みをさせて頂きます。
今更の話ではありますが、創竜伝の事実上の凍結…許し難いです
「時々、完結まで作品を書く作家」…矛盾しているでしょう!
我々は1巻を買う時に「この本は完結まで刊行されるのか?」と気にしながら選ばなければならないのでしょうか?
出版社が倒産する、大病を患う、それなら何も文句は言いません。
他の本を執筆し、執筆活動以外にも精力的に動かれているのに、何一つ説明もなく13巻まで続いたシリーズを凍結するなんて正気とは思えません。
作家様というのはそんなに偉いのですか?
数多くの読者がいるからこそ今の田中氏があるのではないのですか?
創竜伝以外はちゃんと書いてるからいいじゃん、とでも言いたいのでしょうか?
遅筆?それはただの言い訳です、打ち切りの理由にはなりません。
私は特定の作家の、しかも特定の作品しか読まないので、
この業界は凍結や打ち切りなんて当たり前で騒ぐほどの物じゃないという意見もあるのかも知れません。
しかし1巻~13巻まで買った読者はどうすばいいのですか?
運が悪かった、と古本屋に二束三文で売れというのですか?
もう一度言います、作家はそれほど偉いのですか?
作中に、最低の教師は最低の人間だ、という一文がありましたが…最低の作家も最低の人間です!
小学校で最低の教師にあたっても中学校でやり直しがきく場合もありますが、
13巻で凍結になったからといって本屋に持っていっても返金はしてくれませんからね、教師よりたちが悪い人種です。
最後に、ホロコーストでの犠牲者数が誇張しすぎです、
登場人物の口を借りてでないと自分の主張が言えないなら、最初から書くのは止めた方がいいですね。
>バルトレックスさん
はじめまして。
よろしくお願いします。
<今更の話ではありますが、創竜伝の事実上の凍結…許し難いです
「時々、完結まで作品を書く作家」…矛盾しているでしょう!>
しかもその「事実上の凍結」ですら、公式に発表しているわけですらなく、内輪的にコソコソと発言して既成事実化を狙うという、何とも姑息かつ曖昧な態度に終始する始末ですからねぇ(>_<)。
社長氏のブログで記事をひとつ作るなり、らいとすたっふの公式サイトに発表文を掲載するなり、すくなくとも手間はそんなにかからないはずなのですが。
さらに創竜伝の作中では、こんなタワゴトを竜堂続が発言していたり↓
創竜伝8巻 P161下段
<「小説を書く作家もいる、とか、試合に出るプロ野球選手もいる、とかいう表現をしますか。しやしませんよ。当然の職業上の義務ですからね。政治家だけがその義務を果たさなくていいわけがありません」>
その「当然の職業上の義務」とやらを全く守らない作家様に、すくなくともかつての自民党政権時代の政治家達を批判する資格などないのではないかと思えてならないのですけどねぇ(苦笑)。
立派に小説を書く作家だっているんですよ、ねぇ田中センセイ(爆)。
<作家様というのはそんなに偉いのですか?
数多くの読者がいるからこそ今の田中氏があるのではないのですか?
創竜伝以外はちゃんと書いてるからいいじゃん、とでも言いたいのでしょうか?
遅筆?それはただの言い訳です、打ち切りの理由にはなりません。>
私はむしろ逆に「書けないのならば書けないと公に宣言するべきだ」と思いますね。
創竜伝14巻刊行無期限延期の時のような「逃げ」の態度を取るのではなく。
もちろん、それは他ならぬ田中芳樹自身が創竜伝で明言しているように「当然の職業上の義務」の放棄に当たるわけですし、非難は当然のごとく巻き起こるでしょう。
しかし今の田中芳樹は、そうでもしないと作品を完結することができない状況に陥っているようにしか思えないんですよね。
田中芳樹も年を取った上に病気を患ったり健康面で不安定な生活を余儀なくされたりしているようですし、体力的な問題から言ってさえ不安が出てくる始末なのですから。
全てのシリーズを完結させられるとは、当の田中芳樹や社長氏ですらもはや全く考えてなどいないでしょう。
今の惨状で何故田中芳樹がギブアップ&一点集中宣言をやらないのか、それが何とも不思議に思えてならないくらいなのですが。
<最後に、ホロコーストでの犠牲者数が誇張しすぎです、
登場人物の口を借りてでないと自分の主張が言えないなら、最初から書くのは止めた方がいいですね。>
最近の小説では「主人公を物語進行の語り部にして、その視点に基づいたストーリーを描く」という手法にやたらとこだわっていたりしますからねぇ、田中芳樹は。
これだと作中の地の文なども「主人公が独自の視点で語っていることですから」と言い逃れできたりする(つまり「フィクションだから」という言い逃れをさらに強化できる)わけで、「何と姑息な」と私などは思ったくらいなのですけどね。
まあ、そこで語られる社会評論なども、創竜伝や評論&対談本などで語られている内容と大同小異ですから、今更そんなことをやっても手遅れだろうとは思うのですが。
私は田中先生のファンであり遅筆は気にしていません。
早く出すこと、それよりも作品を大事にして欲しいから。
例えば、田中先生と水野良先生を同じ状態であるとは言いがたいかもしれませんが、
今三十路なかばの私が、ロードスを読み始めたのが小学校低学年で、
完結したのは高校生活も折り返しを過ぎた頃でした。
(リアルタイムです)
最終巻は当然買いましたし、既刊も色褪せたものがきちんと本棚にありました。おもしろかったですし、まった分の感慨も一入でした。
執筆が早い作家は良い作家、かもしれません。
ですが、ここのログをみまして思うのは、遅筆だから最低の作家だというのは少し違うんじゃないかと思います。
13巻まで集めたものを売れというのか、と書き込んだ人もいますが、13巻をまとめて買った人は少数だと思うので、
それを前提に書きます。
一巻ないし一冊がでた時に読んだ読了感やその時間はプライスレスじゃないのでしょうか?
いやしい話ですがその時1000円分楽しめたなら、一冊買取に出したときの金額が10円でも十分な元がとれた、といえるはずです。
映画がつまらなかったから金返せ、と同レベルの暴論に感じました。
映画はつまらなければ、同じ監督の作品を見るときに気をつければ良いのですし、
作家であるのなら読了感が価格を下回ると思ったら買い控えても良いでしょう。
また凍結も同じことだと考えます。
自分もタイタニアの続きが読みたいですが、3巻まで買ってやったんだから4巻を書け、とは思いません。
もちろん出して欲しいですが、ニュアンスが違います。
そんな義務感でだした作品が読みたいわけではないですし、
そうした焦りやプレッシャーから書いた続巻で尻すぼみになった作品を幾つもみてきました。
ひとつのアンチとして直前のログの話をとりましたが、
ここの皆さんは義務感からだして、その次の巻ないしその巻で明確に打ち切った作品でも新刊さえ出れば良いのでしょうか?
正直、創竜伝は読んでませんが、
彼らの(四兄弟)伝説はまだ終わらない。で締めくくられて、満足でしょうか、良く完結させたとなるのでしょうか?
私は、「こうしてタイタニアと反タイタニアの叙情詩が始まる…」なんてナレで完結する続巻を明日だされるよりも、今の物語がきちんと収束するところみたいと思っています。
作家は偉いのか。
偉くはないでしょう…が読者(購入者)だから偉いわけじゃないと思います。一つの作品とは作家と読者が対等な所で創っていくものだと思っています。もちろん対等も何も意見が反映される訳じゃないなどという反論もここならなおさらあるでしょうが、
サッカーでいう、選手を含めたクラブとサポーターの関係が理想なんだと思います。対等だけど対等じゃない所もふくめて、立ち居地の違うフロント(作家)とファンが同じクラブ(作品)を愛して支えることが理想だと思ってます。
失礼ながらここでのファンはHPの題名どおりのフーリガンが多くいらっしゃるようなので、田中先生の作品が好きなものの一人として一足残させていただきました。
YOUさん、全くの勘違いですよ。
遅筆=最低なのではなく、現在進行しているシリーズがあり、それを待っている読者がいると知りながら、
事実上の凍結をして作者として何一つ発表することなく素知らぬ顔をしている事が最低だと言っているのです。
>映画がつまらなかったから金返せ、と同レベルの暴論に感じました。
映画は2時間乃至3時間で完結します、駄作だろうが何だろうが最後まで見られるのです。
また、映画は監督だけで作っているのですか?
俳優・脚本家・原作者…それこそ何十人もの人が一つの作品を作るために関わっているのです。
映画が駄作なのを監督一人のせいにすることこそ暴論でしょう。
つまり、映画と小説を同列に語ること自体がナンセンスなのです、同じ土俵に上げようがないのですから。
さて創竜伝で言うなら、13巻までは良い作品だと思って買っていましたよ。
ですから、何の発表もなく事実上の執筆放棄をする田中氏に憤りを感じるのです。
続巻を出すのを義務感と仰いますが、それなら巻末に一言書くなり、公式に「創竜伝の続編は未定」と発表すべきです。
例えば、全3巻の本で1巻目で満足すれば2巻を買う必要はありません、2巻はどういう展開かな…
と思うからこそ購入するのであって、書店で一々次の巻を立ち読みしてから買わないでしょう(笑)
その積み重ねが13巻にも亘る創竜伝という作品であり、
13巻を読んで次が読みたいと思った読者は当然14巻の発売を待っているのです。
当たり前ですね、巻末に続くと書いてあるのですから(笑)
続くと書いたのは作者でしょう、義務感であろうが何であろうが続くと書いたなら続くと読者は思うのです。
諸事情で無理ならそのように発表すればいいのです。
その程度の責任は作家という職種に関係なく社会人として当然ではないでしょうか?
お客様は神様ではありません、しかし自社製品に不備があれば何がしかの発表を行うのが社会のルールです。
サッカーに例えれば、クラブの運営方針が変わればフロントはファンに対して説明しなければいけません。
JFLからJ2への昇格条件には、順位以外にも観客動員数があるのをご存知ですか?
何度も言いますが、作家云々以前に社会のルールなのですよ。
まぁ、反対意見=フーリガンと決め付けてらっしゃる何方かには、雑音にしか聞こえないのでしょうが(笑)
>映画は2時間乃至3時間で完結します、駄作だろうが何だろうが最後まで見られるのです。
>また、映画は監督だけで作っているのですか?
>俳優・脚本家・原作者…それこそ何十人もの人が一つの作品を作るために関わっているのです。
>映画が駄作なのを監督一人のせいにすることこそ暴論でしょう。
ですが、どこをスポンサーにするのか(うるさく口を挟む人もいるでしょう、金をだしてるからとか)とか役者は誰を使うのかとか、
監督とはそれらを統括する立場にいるのですから、作品の良し悪しを自身の能力として取られてしかるべきです。
良い作品はみんなのおかげ、作品が悪ければマネジメントも含めて自身の不徳、そういう気概がないならば監督になんてならなければ良いんじゃないでしょうか?
もしスポーツで、連敗や降格をフロントや選手のせいにする監督がいたらどん引きだと思いますが、どうでしょう?
それともクラブは、広報やスタッフやコーチや選手も含めてクラブなんだから監督は、俺のせいじゃないよねで良いんでしょうか?
でもまぁ、いいたい事はそこじゃないので、映画に関してはこれでおわりです。
>映画がつまらなかったから金返せ、と同レベルの暴論に感じました。
まぁ、料理がまずかったから、金返せと同レベルの暴論でもいいです。
さて、続くとある本に関しての私見ですが…
前述のとおり私は、創竜伝は読んでいませんので自身が読んだものを前提で意見を書かせてもらいます。
まずもう完結していますが夏の魔術がでた時に読了後、
あまり大円団ではないなと思いましたが、そもそもシリーズものだと思ってませんでした。(巻末や帯や広報など見ないもので)
一種のホラー作品なので、ヒロインとヒーローが助かって終わりの結末もこんなもんかという感じでした。
物語は春の魔術で大円団を迎えますが、ぶっちゃけ夏で終わっていても田中先生今回はこけたな、くらいで満足のいくものでした。
じゃぁ、明らかに続くだろうという夏→秋の、窓辺には夜の歌で終わっていたらどうだろうかという話になれば、それでも満足のいく仕上がりだったように思います。
逆に、これがでた時は、今はもう人気作の常道っぽいですがゲームでいうファンディスク的な立ち居地の作品だと思っていたので、
ヒロインのその後がしれて良かったけど、ファンサービス過多だなっていう印象でしかありませんでした。
むしろ春での大円団はいい意味で裏切られた、といってもいいでしょう。
さて、タイタニアと薬師寺の続きを主にまっていますが、
薬師寺はまぁあれなので、タイタニアに例えます。
これも完結していません。
それはタイタニアという叙情詩で見た場合は確かに完結にはいたっていませんが、何とか戦役とか何星系の政争と見た場合決着にいたっています。
当たり前の話のようですが、四季シリーズで言いたかった事もここに帰結します。
全体の物語は終わっていませんが、一つの物語としては完結しているという事です。
>全3巻の本で1巻目で満足すれば2巻を買う必要はありません、2巻はどういう展開かな…
>と思うからこそ購入するのであって、書店で一々次の巻を立ち読みしてから買わないでしょう(笑)
それは長編を出したかったら、最後まで執筆してから分冊して売れ、というのでしょうか?
それでは作家は食べていけませんし、連作長編なんて書けません。結局みんな一冊で何処からも突っ込まれず完結する本しか世に出なくなるのではないでしょうか?
明確な一つの事件を扱った上下編の上巻しかでてないのとちがうんです。
ルールについていうと、もう飽きたから書かないと、書けないの間には雲泥の差があると思います。
田中先生がもう創竜伝は食傷気味だからいいよ、というのであれば発表する必要もあるのでしょう。
ですが書きたくても書けない。
自身の納得するファンが喜ぶ形での物語が出てこないなら、他の作品の執筆や遅筆も仕方がないのではないかという事。
執筆は閃きが秘める部分があるのなら、薬師寺を書いている時間も創竜伝の肥やしになっているともいえます。
逆も然り。
他の作品の執筆をしてることへの私見。
もしこの先幾つかの新たな新作を出すことを得て、既刊と同レベルかより秀逸な続巻を出しえるなら凍結も良いのではないかという事。
凍結と投げの違いです。
同じ事を繰り返すようですが、物語をぶち壊す14巻目でも読みたいと思う人が大勢いるのでしょうか?
そして一冊一冊を読んだ時の感動や読了感は何処へ行くのかということに尽きます。
作家の最低限の仕事とは、その一冊で値段分楽しませること、感情を動かさせること、であると思います。
正直、こんなつまらないの次々よくだすなという作家。
一巻が面白かったのに、二巻で凡作、三巻で駄作という作家はラノベでよくみます。
田中先生にそういう事をして欲しくないというのが私の私見です。
そもそも、そういう話になっていても、バルトレックスさんは買い続けたのでしょうか?
13巻を買い進めるうちに凡作もあったでのしょうが、最低限値段分は楽しめていたから買い進めたのですよね?
それではいけないのですか?
長々とすみません。
あるいは自身は都合の良いファンなのかもしれません。
アンチじゃないファンの代表だと言うつもりもありません。
ある作家の一人のファンとしての私見です。
>YOUさん
はじめまして。
ファンとして擁護する立場からの投稿、タナウツ管理人として歓迎致します。
<一巻ないし一冊がでた時に読んだ読了感やその時間はプライスレスじゃないのでしょうか?
いやしい話ですがその時1000円分楽しめたなら、一冊買取に出したときの金額が10円でも十分な元がとれた、といえるはずです。
映画がつまらなかったから金返せ、と同レベルの暴論に感じました。
映画はつまらなければ、同じ監督の作品を見るときに気をつければ良いのですし、
作家であるのなら読了感が価格を下回ると思ったら買い控えても良いでしょう。
また凍結も同じことだと考えます。>
映画にせよ小説にせよ、客側は少なからずお金を支払って観賞するわけですよね。
それがゴミな出来だったりしたら、客側には作品をクソミソに酷評する権利くらい【カネを払った対価として】普通にあると思うのですが。
ちなみに「映画がつまらなかったから金返せ」と【映画に対する最悪の評価として】考えたことなら、私も何度かあったりしますけど。
<自分もタイタニアの続きが読みたいですが、3巻まで買ってやったんだから4巻を書け、とは思いません。
もちろん出して欲しいですが、ニュアンスが違います。
そんな義務感でだした作品が読みたいわけではないですし、
そうした焦りやプレッシャーから書いた続巻で尻すぼみになった作品を幾つもみてきました。>
タイタニアや創竜伝の続巻については、他ならぬ田中芳樹自身および「らいとすたっふ」の公式発表という形で「続きを書きます」という宣言がなされているのですが↓
http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2006/01/post_fe56.html
(2006年初頭の社長氏ブログ記事)
<昨年、長篇4冊、短篇1本という「けっこうな仕事量」をこなした田中さんですが、今年は『薬師寺涼子の怪奇事件簿』『アルスラーン戦記』『創竜伝』の順番で執筆する予定になっています。>
http://ceron.jp/url/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100416-00000013-mantan-ent
<テレビアニメ化もされた田中芳樹さんのSF小説「タイタニア」の続編が、約20年ぶりに出ることが明らかとなった。徳間書店から91年6月に3巻が出て以来で、田中さんは今年4月発売のセット版の後記に「完成度の高いアニメから強く深い刺激を受けまして、冬眠がしだいにとけていきました」とアニメが最新作執筆のきっかけだったと明かしている。>
誰に頼まれたわけでもなく自発的にこんな「公約」を掲げている以上、それを守るのは作家として以前に社会人として至極当然のことなのでは?
一般的な企業でさえ「納期」というものがあって、万が一にも新製品の発売予定が延期にでもなろうものならば大々的に広告を打って「お詫び記事」を出したりもするのですし、それですら客からの非難を受けたり企業としての損害を出すことも珍しくないのです。
ましてや、他ならぬ自分達の手で「公約」をこっそりと闇に葬ろうとする田中芳樹および「らいとすたっふ」のスタンスは論外もいいところとしか……。
<彼らの(四兄弟)伝説はまだ終わらない。で締めくくられて、満足でしょうか、良く完結させたとなるのでしょうか?
私は、「こうしてタイタニアと反タイタニアの叙情詩が始まる…」なんてナレで完結する続巻を明日だされるよりも、今の物語がきちんと収束するところみたいと思っています。>
タイタニアに限らず、未だ未完結の田中作品って、その全てが「こうしてタイタニアと反タイタニアの叙情詩が始まる…」的なところで終わっているのが実情でしょう。
まさにそんな「ジャンプの打ち切り漫画」的な形で終わって欲しくないからこそ、「続きを出せ」という声も少なからずあるわけですし、特に切羽詰った理由も公表されていないのに続巻を書かないという田中芳樹の行為には、作家としての職業倫理にもとる無責任と不誠実ぶりを感じずにはいられないわけです。
銀英伝が5年弱で完結しているという事例を見ても、今の作品停滞は「作家としてのやる気と責任意識が全く垣間見られない」状態にあるとしか評しようがないのですが。
冒険風ライダー(管理人)さん、返信ありがとうございます。
> 映画にせよ小説にせよ、客側は少なからずお金を支払って観賞するわけですよね。
> それがゴミな出来だったりしたら、客側には作品をクソミソに酷評する権利くらい【カネを払った対価として】普通にあると思うのですが。
> ちなみに「映画がつまらなかったから金返せ」と【映画に対する最悪の評価として】考えたことなら、私も何度かあったりしますけど。
私のスタンスとして、つまらない映画(小説)を酷評するのを悪いと考えているわけではありません。
でも映画も小説も誰もがつまらない作品でしょうか?
私はネットでのお勧めの小説で面白かったものもあれば、つまらなかったものもありました。
でもつまらなかった作品も進めた人が騙したわけじゃなく、その人との感性や求めている読了感の違いだと思います。
なので、私個人としては知人に感想を聞かれたのなら、最悪の映画だった、見ると損するなというのはありでも不特定多数の方がみるようなレビューサイトではなしだという事です。
何も高い点をつけろ、というのでなく一切の主観を省いて技術・物語・構成・演技力などを語るべきであり、それでもあくまで個人の感想でしかないことを訴えるべきなのです。
私のスタンスを明確にしますと、
長編も短編も含めて(長編なら既刊も続巻も関係なしに)買ったその一冊が値段分読ませるのが良い作家であり、買って損した読んだ時間がもったいないと思わせるのが最悪の作家であり、商品として売り物になっているか、いないかのボーダーであると思います。
確かに一冊としての出来と続編の有無は無関係ではないのでしょう。
しかし、だからといってそれまで楽しんだ作品の評価が180度も変わるのでは手のひら返しすぎでは、と感じられるのです。
今は平均的な価格で、文庫600新書が900ってところでしょうか?
私はその本(一冊)が900円分楽しめれば良い本だと思っています。
延期については、プロ意識のゆるさを問われるのかもしれません。
ですが、それと一冊の本になったものの評価をだからダメな本だったとはしたくないのです。
田中先生のプロ意識と田中先生の作品の出来はわけて考えられるべきなのだと思います。
私も人間田中のファンではなく作家田中のファンですらない。
田中作品群のファンなのですから。
ゆえに、ここに集約されるわけです、その本は値段分の価値があったのかどうか、と…。
そして明らかに価値がなければ買い控えれば良い、それは購入者の権利ですから。
そんな人が大勢になれば作家田中は淘汰される、それはルールですから。
正直、私だって次の全くの新作がでたら、長編であれば完結や続巻のスパンを疑います。
でもそれが私のストライクゾーンを掠める話なら買いますし、
そして一つの物語や事件を通して面白ければ続巻を待つシリーズが増え、つまらなければ今後その続巻を買わない。
それだけなのです。
YOUさん…理論が破綻していますよ。
>まぁ、料理がまずかったから、金返せと同レベルの暴論でもいいです。
YOUさんが言われているのは、
料理が頼んでいたコースの途中で終わった!と文句をつけている客がいる、
しかしシェフが義務感でメインディッシュを出すほうが失礼に当たるので、オードブルとスープで満足できたならメインはいつか作るだろうから待て!と言っているのと同じですよ(笑)
さてさて、どちらが暴論なのでしょうかね(笑)
何度も言いますが、映画も料理も中座さえしなければエンドロールやデザートまで出てくるのです。
創竜伝と違い、客は希望すれば最後まで堪能することができて、『その上での感想』なのですよ。
>ですが書きたくても書けない。
>自身の納得するファンが喜ぶ形での物語が出てこないなら、他の作品の執筆や遅筆も仕方がないのではないかという事。
聞き捨てならないことを仰いますね…。
これは創竜伝に関して公式に発表された田中氏の発言なのですか?
それとも信者(笑)の方が先生はこのような状態に追い込まれているに違いない!と勝手に考えられているのですか?
書きたくても書けない?…どうしてそのような内情が分かるのです?
物語が出てこない?…YOUさんはアシスタントの方なのですか?
他人をフーリガン呼ばわりなさるのは勝手ですが、
ソースも無くご自分の妄想だけで作家の心情を述べるのは勘弁して頂きたいものです(笑)
まさか30代半ばにもなる方が、妄想や憶測だけで掲示板に投稿される筈はありませんから、
上記のご発言についてのソースをお示し頂けるものと信じてお待ちしております(笑)
私情ですが今日は時間がないので、意見ではなく反論だけさせてもらいます。
>しかし1巻~13巻まで買った読者はどうすばいいのですか?
>運が悪かった、と古本屋に二束三文で売れというのですか?
>もう一度言います、作家はそれほど偉いのですか?
に対しての、料理がまずかったから、金返せと同レベルの暴論に感じました、である事を明記しておきます。
14巻が出ないことをコースの途中だとおっしゃられてるようですが、しかしバルトレックスさんが金を払ってるのはオードブル(13巻)までですよね?
仮に、創竜伝の本当の完結が20巻として、900x20で18000円のフルコース分払われてるわけじゃないんですから。
つまり、まだお腹はすいているから、金なら払う用意があるからメニューに載ってない美味しい料理を出せ、といってるに等しいんじゃないでしょうか?
例えば、今が秋なら冬の限定メニューを食わせろと。
だって既刊のレジュメにない品目なんですから。
もちろんオードブルとスープは不味かったかもしれませんよ(ただ13巻まで楽しんだ、と書かれていたようですが)。
でも不味いから金返せというのはどうでしょうか?
良識ある行為でしょうか?
私なら黙って勘定し、次からその店を利用しないだけですが。
この場合で、私が途中だと思うのは、900円払って頼んだはずの一人前のオードブル(例えば一つの事件にしましょうか)が全300ページの本だとして、後ろ50ページが意図して白紙で、解決編が抜かれていたならそれは詐欺だと思いますけどね。
でもアンフェアな推理で、それまでの物語をぶち壊していても300ページ書かれていたなら、
推理ものとしてどんなに駄作でも、読み終わってから(食い終わってから)金返せとはならないんじゃないですか?
>書きたくても書けない?…どうしてそのような内情が分かるのです?
>これは創竜伝に関して公式に発表された田中氏の発言なのですか?
>それとも信者(笑)の方が先生はこのような状態に追い込まれているに違いない!と勝手に考えられているのですか?
この場合は、まぁ反論というかなんというか…
本が出ないのは出版社的な理由でなく、印刷する原本がないのであれば、田中先生が書かないか、書けないかしかないわけですよね?
ここまではいいですか?
そして散々公式のアナウンスがないとわめかれている。
では何故、構想があり書けるのに[意図して]書いてないんだ、と言われるのかその根拠をお聞かせ下さい。
それがあるのなら、
私は、すぐにでも書けるのに、書かないはさすがにないだろうから、あぁ田中先生は書けないんだなという論法なので、わたしの勘違いで田中先生は書かない人で結構です。
ps 仮に凍結が本当に公式に掲げられたとしても、凍結とはあくまでも書けない状態であるという事をお忘れなく。
凍結:物事を[一時的に]保留にする事。
広辞苑より抜粋。
つまり論点は、
書かないのか?
書けないのか?
だと、いうことです。
私が信者であるかはともかく、この二択なら、そして公式のアナウンスがないなら、普通は書けない、なのではないでしょうか?
書かないを選ぶ根拠があり得るのなら、論破されたと認めます。
というか、凍結って体のいい打ち切りじゃん。
出版社側はリスクの高い長編なんか抱えたくない。
最近じゃあ、ゆるふわ4コマ系のいつでも打ち切り出来そうなのが主流じゃん。
メディアミックスのときも売り上げ予測出来る作品で、
失敗しても長編じゃあない方が損が少ない方がいい。
そもそも、未だに政治家を悪役に書いちゃうのは、是非はともかくも、古いよね。新規読者を期待出来ない作家に連載任すほど出版社も甘くないんだよ。
・凍結の理由が出版社にあるのか、田中氏本人にあるのか…
・そもそも、凍結なのか創竜伝と言うシリーズの打ち切りなのか…
全て公式での発表がないのですよ
良いも悪いも、公式で続巻について何一つ発表されていないということは、
「ここまではいいですか?」のスタート地点すらない状態なのですよ。
お分かりですか?
鬼の首を取ったように広辞苑から凍結という文言を拾ってきてらっしゃったようですが(笑)
凍結か打ち切りか、それすら明らかでない状態で論破もクソもないでしょうに…。
論点・論法とご自分の世界に浸るのがお好きなようですが、基本は田中氏サイドの公式発表なのです。
・公式発表もなく続巻が発売されない
・では絶筆かと言うと、それ以外のシリーズは書いている
書かないのか書けないのか、それは分からないのです、分かりようがないのですよ。
ただ一つ言えることは、どのような事情があろうとも公式発表くらいしろよ!と言うことです。
<確かに一冊としての出来と続編の有無は無関係ではないのでしょう。
しかし、だからといってそれまで楽しんだ作品の評価が180度も変わるのでは手のひら返しすぎでは、と感じられるのです。>
<延期については、プロ意識のゆるさを問われるのかもしれません。
ですが、それと一冊の本になったものの評価をだからダメな本だったとはしたくないのです。
田中先生のプロ意識と田中先生の作品の出来はわけて考えられるべきなのだと思います。>
これについては、田中芳樹自身による銀英伝10巻あとがきが何よりも雄弁に語っているのではないでしょうか↓
銀英伝10巻あとがき
<それにしても、ほんとに、まったく、ようやく、やっと、どうにか、ついに、終わりました。これで「銀英伝」も小説になれました。これまでは【小説】(【】は傍点で強調)でしたから。完結していない作品など、屋根のない家も同様で、細部がどんなによくできていても、全体的な評価をしていただくわけにはいきません。これで悪いなら悪いなりに、全体像を批評していただくことができます。>
当の田中芳樹がかつてこう明言しているのに、まさに<「屋根のない家」の「細部」が良く出来ているから>と遅筆を擁護するのはいかがなものかと。
個別の本の出来とシリーズ全体像としての評価はそれこそ分けて考えるべきですし、特に後者はシリーズが完結しないと評価できる段階にすら到達しえないのですが。
個別の本の出来以上に「シリーズ作品の全体像」を早く知りたい&評価したいからこそ、読者も首を長くして続巻を待ち続けているのです。
シリーズ作品を何年も放置する田中芳樹のスタンスが問題視されるのもそのためなのですけどね。
<つまり論点は、
書かないのか?
書けないのか?
だと、いうことです。>
それは論点でも何でもありません。
書かなかろうが書けなかろうが、「シリーズ作品を長年にわたって放置している」という結果はどちらも全く同じなのですから。
さらに言えば、創竜伝14巻刊行については、他ならぬ田中芳樹サイドが「2006年内に出す」と発表していながら勝手に撤回された挙句、そのことに対する理由の説明や謝罪などといった公式発表すらもないという態度に終始しているのですが。
自分から進んで「書く」と言った以上、内情がどうだろうが自身の発言に責任を持つのは当然のことだというのに。
理由がどうであれ、ああいう「逃げ」の態度は、プロの作家どころか社会人としてあるまじき行為としか評価のしようがないのですけどね。
>というか、凍結って体のいい打ち切りじゃん。
これを言うのなら、
これは出版社側の事情ですよね?
不況時に、売れないかもしれないから、長編を抱えたくない。
これなら、なおさら、田中先生のせいじゃないんじゃないですか?
>良いも悪いも、公式で続巻について何一つ発表されていないということは、
>「ここまではいいですか?」のスタート地点すらない状態なのですよ。
>書かないのか書けないのか、それは分からないのです、分かりようがないのですよ。
>ただ一つ言えることは、どのような事情があろうとも公式発表くらいしろよ!と言うことです。
いつでるかはともかく、続編を書く意思がある事は、
このHPじたいにも書かれていたはずですが、
>昨年、長篇4冊、短篇1本という「けっこうな仕事量」をこなした田中さんですが、今年は『薬師寺涼子の怪奇事件簿』『アルスラーン戦記』『創竜伝』の順番で執筆する予定になっています。
さて、とっくの昔に本が出ているはずの納期が破られているという話と、
そもそも納期すらしめされていないという、
>公式で[続巻について何一つ発表されていない]ということは、
>「ここまではいいですか?」のスタート地点すらない状態なのですよ。
この時点で矛盾してますが?
>今年は『薬師寺涼子の怪奇事件簿』『アルスラーン戦記』『創竜伝』の順番で執筆する予定になっています。
そしてこのソースを信じて、
解釈するのなら、予定通りのペースで執筆する事ができなかったという事じゃないんですか?
予定通り[書け]なかったんじゃないんですか?
>未だに政治家を悪役に書いちゃうのは、是非はともかくも、古いよね。新規読者を期待出来ない作家に連載任すほど出版社も甘くないんだよ。
ここの住人の多くは、
先生の作品の議論をするのが好きな人の集まりじゃなく、
先生を否定するのが好きらしいから。
じゃぁ、いいです。
ここの好みに合わせて、先生の創竜伝は手法が古くて打ち切られたとしましょうか。
打ち切られた先生が悪いから、
>しかし1巻~13巻まで買った読者はどうすばいいのですか?
>運が悪かった、と古本屋に二束三文で売れというのですか?
>もう一度言います、作家はそれほど偉いのですか?
>作中に、最低の教師は最低の人間だ、という一文がありましたが…最低の作家も最低の人間です!
>小学校で最低の教師にあたっても中学校でやり直しがきく場合もありますが、
>13巻で凍結になったからといって本屋に持っていっても返金はしてくれませんからね、教師よりたちが悪い人種です。
この一文は当たり前なんですか?
打ち切られたのなら、これは暴論ではなく、正論だと、そう言われるのですか?
続き物であろうと、なかろうと、
一冊の本の価値というのは、その本が値段分楽しめたかどうかという事じゃないんですか?
つまり何が言いたいのかと、言うと。
1巻を買って面白かったから、2巻を買ったのであれば、
この時点で1巻が二束三文の売値にしかならなくても損をしていないはずですよね。
だって次の巻を買いたくなるほど面白く読めたのでしょうから。
2巻で駄作になったのであれば、当然3巻が出ていても買わないですよね、普通は。
1巻が面白かったから買ったのに、何だこの続編はというのであれば。
その場合2巻分の金額は損をした、といわれてもいいでしょう。
3巻が買いたくなる程度にも面白くなかった、のでしょうから。
では、ここからが本題です。
2巻も面白かった、3巻が欲しい。
そう思わせる事ができたのなら、3巻が出なかったとしても、作家は購入者に損はさせていないはずです。
購入者は2巻までの金額しか支払っていないんですから。
もちろん、3巻を書く努力をする責任はあるのでしょう。
ですが、少なくとも出ている巻までは読める作品であったのなら最低限の仕事は果たされているはず。
なのに、ここで打ち切られたら、最低の人間だったとまで言われてしかるべきなのですか?
私もタイタニアの続巻を望んでいます。
リアルタイムで読んでいたわけではないですが、それでも数年は経過していますし、あるいは今後でないのかもしれません。
それでも払った金額以上に十分楽しめましたし、
こんなに面白いタイタニアを書いた作家を凄いとも思ってます。
それが信者であるというのなら、
そして、最低の人間だとまでいうのがファンのマジョリティーであるのなら、
私は信者で結構です。
横から失礼します。
冒険風ライダーさんも仰っておられますが、1冊の本としての出来とシリーズ作品としての出来は区別して考えねばならないでしょう。
それに2巻が面白くなくても、3巻を買おうとする読者も少なからずいますよ。
何故なら、『どうやってオトすのか、落としどころをどこへ持って行くのか』、シリーズとしての構成を楽しみにして読んでいる読者もいるからです。
YOUさんの投稿を拝見する限りでは、そのような読み方をなさってはおられないようですけど。
少なくとも、『シリーズ』として始めた以上、書けようが書けなかろうが『完結』させるのが大前提であり、作家の最低限の義務であると自分は考えます。(だから、栗本薫さんが亡くなった時、正直『グインどーすんの?』と思いましたし、『アルスラーンと創竜伝完結させるまでは頼むから死んでくれるなよ』と思いましたもの)
プロである以上、『シリーズだけど、もう書けない。ここまでは面白かったんだからいいよね。もう書かなくても』は通用しません。
勿論、『夏の魔術』や『薬師寺涼子』のようにシリーズでありながら、物語に連続性がなく、それぞれの本の中で話が完結しているような場合は別ですけど。
それをせずに新しいものを書き始めるから『新しいの書くなら、止まってるシリーズを先に書いてよ』と田中芳樹は批判されるわけですよ。
よしんば、何らかの理由があって『これ以上書けない』というのなら、せっかく公式サイトがあるのですから『これこれこういう理由によりこのシリーズについては続刊は未定です』なり何なり釈明はすべきでしょう。それで読者が納得するかどうかは別にして。
それに1冊の本として出来がよければ、続刊されなくても購入者に損はさせていないだろうという旨の意見をお書きですが、自分は違うと思います。
YOUさんのように、1冊1冊のクォリティが高くて楽しめさえすれば、シリーズが完結しなくても別に気にしない、という方には当てはまる考え方でしょうが、1巻から最終巻までを合わせて『1つの物語』として楽しみたい自分のような人間にとっては、『折角、ここまで楽しみにして買い続けて来たのに何で続きが出ない!?今まで買った分損させやがって』と文句の一つも言いたくなります。
アルスラーンや創竜伝がまさにそうです。1冊1冊のクォリティは高くても(創竜伝は違いますけど)、話が完結してないわけですから、今後続きが出ないということであれば、読者としては損をさせられた気になりますね。
今まで買って来た分が無駄になるわけですから。
>個別の本の出来とシリーズ全体像としての評価はそれこそ分けて考えるべきですし、特に後者はシリーズが完結しないと評価できる段階にすら到達しえないのですが。
>個別の本の出来以上に「シリーズ作品の全体像」を早く知りたい&評価したいからこそ、読者も首を長くして続巻を待ち続けているのです。
> シリーズ作品を何年も放置する田中芳樹のスタンスが問題視されるのもそのためなのですけどね。
>全体像と個別をわけて考える事と、
個別の本を不当に貶める事が=では、ないんじゃないですか?
先生の発言の揚げ足を取ってるだけ、のように思えます。
全体像がはっきりしないから、個別の作品も最低だ。
そう言われても仕方がない、本人が言っているんだ、こういう事ですよね。
でも、それをいうのなら冒険風ライダー(管理人)さんは、
個別の本がどんなにつまらなくても、定期的にきちんと刊行さえされていたのなら、完結までは買い続けるんですよね?
>個別の本の出来以上に「シリーズ作品の全体像」を早く知りたい&評価したい。
管理人さんの中では、個別の評価<全体像の評価、なのですよね。
だったら個別の本がそれぞれつまらなくても、全体像は素晴らしいかもしれないから、あつめてみるまでは評価のしようがないのですから。
でも、あり得ますか、そんな事。
もし手をつけたシリーズの1巻がつまらなくても我慢強く買い続けたりしますでしょうか?
でも、ここで見限っては個別の評価と全体の評価を混同しているってことですよね?
個別がつまらないから、全体もつまらない、と。
そうでなければ、途中の巻で見限った時、何の評価もなくただ買うのを止めた、となるのですから。
先生の不用意な発言はともかく、結局作品の評価は個別の作品の積み重ねでしかないと思うのですが。
個別の評価≒全体像の評価
>YOUさんへ
いや、別にただ田中芳樹を悪いと言っているのではないのですよ。
ただ単に最近の若者はピンとこないのでは?
と言っただけです。
いや、バルトレックスさんや、冒険風ライダーさんが
田中芳樹氏だけの責任だと言っていたので、
そのことに対する返信のつもりだったのです。
まあ、ここの人たちは作家を
ただの下請け企業とはお考えでないようなので、
そこら辺を暗に指摘したつもりだったのです。
>2巻も面白かった、3巻が欲しい。
>そう思わせる事ができたのなら、3巻が出なかったとしても、作家は購入者に損はさせていないはずです。
それは作家サイドが考えることではありません
また、読者の総意でもありません
このサイトが存在するようにYOUさんの個人的見解です、誤解なさらないよう
>購入者は2巻までの金額しか支払っていないんですから。
>もちろん、3巻を書く努力をする責任はあるのでしょう。
続くと巻末にあり公式発表がない以上、続巻は書かないといけないのです
ネタが尽きた・体調不良・出版社の事情・社会情勢云々…事情があれば発表するべきです
巻末に続くと書かなければいけない義務が無いのに続くと書く以上、続けられないのであれば説明する義務が生じます
>ですが、少なくとも出ている巻までは読める作品であったのなら最低限の仕事は果たされているはず。
最低限の仕事とは続巻を書くこと乃至、公式に事情を説明して打ち切り・凍結発表をすることです
作家といえど一人の社会人です、特別な存在ではありません
例えば、全5話のドラマで3話から主役が降板して代役が立ったとしましょう
視聴者は俳優目当てかストーリー目当てか、そのドラマを見て次回予告も見ているのです
その上で主役が降板・交代となれば、製作サイドに説明責任が生じるのは当然です、
場合によっては降板した俳優サイドにもです
それはYOUさんのようなスタンスの人が100人中99人だったとしても、
残りの1人が違うスタンスで無い可能性を否定できない以上、事情を説明しなければいけないのです
>なのに、ここで打ち切られたら、最低の人間だったとまで言われてしかるべきなのですか?
しかるべきですよ
打ち切ったからではありません、打ち切り・凍結どちらにしても発表する場があり、
代わりに発表してくれる会社があり、本人が自分の意思を言える状態であるのに何も言わないからです
それは社会人として最も恥ずべき行為です
待ち合わせに遅れるなら相手に一報入れるでしょう?
何も言わずに遅刻すれば、相手は遅刻したことよりも一報も入れなかったことに対して怒りを覚えるのではないですか?
<これを言うのなら、
これは出版社側の事情ですよね?
不況時に、売れないかもしれないから、長編を抱えたくない。
これなら、なおさら、田中先生のせいじゃないんじゃないですか?>
自分が出したシリーズ作品の版権を何回も別の出版社に移動させたりしている田中芳樹&「らいとすたっふ」サイドが、出版社側の「打ち切り」なんてシロモノに左右されるとはとても思えませんけどね。
角川と徳間から出版された本なんて、軒並み版権を引き上げられてしまっていますよ。
しかもその版権移動のほとんどは、田中芳樹の遅筆が常識のように語られるようになってしまった21世紀に入ってから頻発しています。
また出版社側にとっても、昔からの固定ファンがいる田中芳樹であれば、すくなくとも「これから新規読者を確保しなければならない無名の新人作家」よりも「即戦力になる」という点ではるかに受け入れやすいでしょう。
そして出版社にしてみれば、新規シリーズなどよりも既存の人気シリーズを出してもらった方が儲けも出せるはずですし、むしろ田中芳樹の尻を叩いてでも続巻を催促するのが当然の企業活動というものです。
今の田中芳樹の遅筆な惨状は、むしろ逆に「出版社側の意向を完全に無視して好き勝手にできる」状況から生まれているのではないかと。
そもそも遅筆の責任を出版社側に押し付けられるのであれば、田中芳樹サイドも喜んでその旨公式発表するでしょうしね(苦笑)。
> >今年は『薬師寺涼子の怪奇事件簿』『アルスラーン戦記』『創竜伝』の順番で執筆する予定になっています。
>
> そしてこのソースを信じて、
> 解釈するのなら、予定通りのペースで執筆する事ができなかったという事じゃないんですか?
> 予定通り[書け]なかったんじゃないんですか?
全然違います。
2006年初頭に発表された執筆スケジュールの問題は、創竜伝14巻の執筆予定そのものを【なかったこと】にして全く別の作品を執筆し始め、しかもそのことに対する理由の説明どころか公式発表すらも全く行わなかったことにあるのです。
公約違反な上に説明責任をも放棄した、これが問題の本質です。
遅筆のシリーズ作品というだけなら他にもあるのに、バルトレックスさんが一番最初の投稿で「創竜伝の事実上の凍結」のみを特に取り上げて田中芳樹を批判している理由もそこにあるのですけどね。
<全体像がはっきりしないから、個別の作品も最低だ。
そう言われても仕方がない、本人が言っているんだ、こういう事ですよね。>
<だったら個別の本がそれぞれつまらなくても、全体像は素晴らしいかもしれないから、あつめてみるまでは評価のしようがないのですから。
でも、あり得ますか、そんな事。
もし手をつけたシリーズの1巻がつまらなくても我慢強く買い続けたりしますでしょうか?
でも、ここで見限っては個別の評価と全体の評価を混同しているってことですよね?
個別がつまらないから、全体もつまらない、と。
そうでなければ、途中の巻で見限った時、何の評価もなくただ買うのを止めた、となるのですから。>
一体どこからそんな発想が出てきたのですか?
「個別の作品も最低だ」などとは、私も田中芳樹も全く述べてなどおりませんが。
例の田中芳樹の発言は、完結していないシリーズ作品は「物語・作品として不完全(田中芳樹の言葉を借りれば「屋根のない家」)な状態」であり、「完成されたひとつの物語・作品」として他者から評価してもらうことができない、という極々当たり前の常識を述べているに過ぎません。
しかし、「物語・作品として不完全な状態」だからといって、シリーズ全体の評価ができないわけではもちろんありません。
完結していない(屋根が【まだ】ない)のはとりあえず置いた上で、その他の「完成している細部」を総合した全体像、つまり「1巻から既存最新巻までの【暫定的なシリーズ全体の評価】」は当然可能なのです。
これで作品を評価するからこそ、ダイスさんが仰っているように途中の巻がつまらなくても「シリーズとしての構成」に楽しみや面白さを見出して引き続き続巻を買う人もいるわけです。
しかしそれは所詮、田中芳樹自身が明言するように「屋根のない家」のごとき建設途上の暫定的・未完成な状態でしかなく、だからこそ読者はシリーズの完結を望むのですし、作家側にはその読者の期待に応えて「完成されたひとつの物語・作品」を構築しなければならない義務があるのです。
それに対して「書かない」どころか「書けない」なんて一種の「泣き言」は通用しませんし、それでもあくまで作品を放置するというのであれば、その旨を読者に向けて公式に発表するべきでしょう。
それこそが、作家が本来やるべき「責任の取り方」というものではないかと思うのですが。
創竜伝については
竜堂兄弟の口を借りて~巻完結、~巻番外という具体的な冊数まで言っています
登場人物に言わせていようが、他に何一つ公式発表が無いのならそれが最新のスケジュールなのです
何度も何度も言いますが、予定はあくまで予定であり変更すること自体に問題はありません
それが13巻続いたシリーズの打ち切り・凍結であってもです
ちゃんと打ち切りの発表が作者からなされた後で「話が違う!」と騒ぐのは無茶苦茶ですからね、
作者といえど人間です、歳もとれば病気にもなるでしょうから
しかし同時に言えるのは、作家といえど社会の一員としてルールは守れよ!ということです
予定を変更せざるを得ない事情があるなら仕方が無い、但しちゃんと発表してよ…子供同士の約束レベルですよ(笑)
1冊の本の内容の良し悪しだけを錦の御旗のように掲げる方がいらっしゃいますが、
これはそれ以前の子供でも分かる常識レベルの話なのです