私が初めて「銀河英雄伝説」を読んだとき、「トリューニヒトけしからん!エドワーズその通り!」と思ったものでした。しかし、最近、考えを改めるようになりました。(トリューニヒトは相変わらず嫌いですが)
トリューニヒトの権力の源泉は華麗な演説能力にあるとされています。国民を煽動する能力にたけていたからこそ、彼はクーデターまで起こされても、バーラトの和約によって祖国を裏切るまで国民や軍部の圧倒的な支持をうけていたのでした、と銀英伝ではされています。
しかし、華麗な演説能力だけで国民はついてくるものでしょうか?たとえば、極東の某国の首相・小○氏のことを考えて見ましょう。彼は就任当初、9割もの支持率を誇っていましたが、今では単なる口先男であることがわかり、人気は下降の一途をたどっています。口先だけではトリューニヒトといえども、せいぜい人気はもって1年。クーデターが鎮圧された時点で国民の人気は急降下でしょう。ところが、彼はその後も国民や軍部から熱狂的な支持を受けています。
そこで、私はトリューニヒトという人は実はマメな人ではないかと思います。すなわち、一般の政治家が目を向けない軍隊内の兵卒や下級士官・亡命者・貧民の中に分け入って、彼らの話に耳を傾けるタイプの政治家です。(たとえば、鈴木○男のような)そのことが伺える挿話が銀英伝のなかにあります。トリューニヒトが人気取りのために行いの正しい少年少女4人に勲章を授けたというエピソードです。ヤンはあざとい行為だと鼻で笑いましたが、目立たないところで地道に活動する少年少女をトリューニヒトはどうやって探し出したのでしょうか。私は日ごろのトリューニヒトの政治活動のなかで知り合った少年少女であるような気がしてなりません。それほど、彼の活動はマメであったと・・・。そういえば、ビッテンフェルトがラインハルトに一番の戦功のあった者として、病院船の乗組員を推薦した話が美談となっていたはずですが、ビッテンフェルトとトリューニヒトの扱いの違いは何でしょうか?
何を言いたいかというと、トリューニヒトというのは兵士から見れば、他の政治家と違って自分たちのなかに入ってきてくれる政治家なのではないかと。だから、ジェシカの自分ばかりは安全なところにいて愛国心を鼓舞する卑怯者というトリューニヒトへの批判は一般兵士から見れば、現実から遊離した、世間知らずのお嬢さんのたわごとでしかなかったのではないかということです。そして、それに同調したヤンも一般の兵士の心情を知らない世間知らずではなかったかということです。トリューニヒトを支持した国民の無知を笑うのは簡単ですが、実はヤンやジェシカそしてトリューニヒト排除を叫んだ救国軍事会議こそが末端の人々の現実を直視しない、自分の言葉に酔ったナルシストではなかったかという見方も可能だと思います。これは田中氏に限らず文化人の諸先生方にも言えることですが。
イッチーさん、はじめまして。
トリューニヒト(とジェシカ)についてのご意見を、読ませていただきました。たいへん賛同できる部分があります。特に、ジェシカが言っていることは、「現実から遊離した、世間知らずのお嬢さんのたわごと」というのは、残念ながらそのとおりだと思います。彼女は、反戦を訴えるにせよ、それでは銀河帝国の侵略にどう対処すべきか、戦争に代わる代案を出すべきですね。(ただし、私、アニメの方のジェシカは大好きで、ほとんど恋してます。:-))
トリューニヒトが非常にまめな人、というのもそのとおりでしょう。第2巻第9章「さらば、遠き日」のⅥ節に、ヤンに対するトリューニヒトの考えが、述べられています。
>いずれはしたがわせるか、排除するか、選択を迫られるだろう。願わくは、前者を選びたいものだ。
[中略]
>そのためには、惜しみなく、たとえ小さな手でも打っておくべきであろう。
ただ、辞職勧告を出された某議員とトリューニヒトでは、ずいぶん異なると思います。某議員は、比例区でしか当選できないことで分かるように、あの人の支持基盤は、あくまでも「政・官・業」であって、一般庶民ではありませんからね。
以下は、イッチーさんへのレスというより、トリューニヒトのモデルについて、私が思っていることです。
銀英伝の中で、自由惑星同盟の政情を表すのに「衆愚政治」という語が、繰り返し出てきます。多くの人は、末期の古代アテネの歴史を学んだときに、この言葉を知ったのではないでしょうか?おそらく、トリューニヒトのモデルは、古代アテネの扇動政治家でしょう。銀河帝国と自由惑星同盟の抗争自体も、当初私は米ソ冷戦がモデルだと思いましたが、むしろ古代ギリシャのスパルタとアテネの戦いのほうが、より近いように思えます。
スパルタとアテネが戦っていたころ、アテネにアルキビアデスという政治家がいましたが、彼こそトリューニヒトの一番のモデルではないか、と考えています。以下は、堺屋太一著「現代を見る歴史」からの情報です。
>彼は名門の生まれで、ペロポネソス戦争初期の指導者ペリクレスの家で養育され、ソクラテスとも
>交わり愛された美青年であった。才気煥発で雄弁、行動は果敢、立居振舞いは上品といういかに
>女もてのする「庶民の英雄」らしい人物だ。
このアルキビアデスは、対スパルタ強硬論の急先鋒で、和平派のニキアスを攻撃して人気を集めます。アテネ衰亡の原因となったシシリア遠征では、この両者が指揮官になりますが、もともと遠征に反対だったニキアスが最後まで指揮官の務めを果たして、最後は遠征先で殺されたのに、アルキビアデスはあっさりとスパルタに寝返って、対アテネ作戦の顧問になります。やがてスパルタ王妃との密通がばれると、次に彼は、ペルシャに走り、アテネとスパルタの戦いを長引かせて、漁夫の利を得ることを進言し、ペルシャでも勢力を得ます。さらに、ペルシャをアテネの味方につけてやるから、自分を指導者として迎えろとアテネに要求し、結局これが通って、アルキビアデスはアテネに凱旋を果たします。しかし、彼が指導するアテネ軍は、やがてスパルタに大敗し、ついにアルキビアデスの政治生命も尽きます。
アルキビアデスが、「次々と宿主を取り替え、宿主を枯死させるやどりぎ」の役割を果たしている間に、アテネもスパルタも、長引く戦争の中でどんどん衰退し、ほどなくギリシャ世界の覇者ではなくなります。
再び、イッチーさんへのレスになりますが、アルキビアデスも、容姿と雄弁を武器にするだけでなく、いろいろ細かい配慮をしていたのでしょうね。
Kenさま、レスありがとうございます
> トリューニヒト(とジェシカ)についてのご意見を、読ませていただきました。たいへん賛同できる部分があります。特に、ジェシカが言っていることは、「現実から遊離した、世間知らずのお嬢さんのたわごと」というのは、残念ながらそのとおりだと思います。彼女は、反戦を訴えるにせよ、それでは銀河帝国の侵略にどう対処すべきか、戦争に代わる代案を出すべきですね。(ただし、私、アニメの方のジェシカは大好きで、ほとんど恋してます。:-))
ジェシカの発言に説得力がない理由の一つはKenさんがおっしゃるように、ジェシカの発言には論理性がないことです。ジェシカはどのような過程で帝国との講和を実現するのかが言及せず、ただ、状況に応じてヒステリックに反応しているだけです。(まるで旧社会党や現社民党の女性議員のように)はっきり言って、彼女には政治家の素質はゼロだと思います。彼女の非論理性が最悪の結果をもたらしたのが、「スタジアムの虐殺」で、あの状況下で反戦集会を開けば、救国軍事会議の弾圧を受けることは目に見えていたはずです。にもかかわらず、彼女は集会を強行して、結果として多くの市民を犠牲にしてしまいました。その結果責任から彼女は免れないと思います。(さらに救いようがないことに、救国軍事会議を崩壊させたのはジェシカの英雄的行為ではなく、ヤン艦隊の武力だったということ)
ほかに私がジェシカの発言が説得力を持たないと考えた理由は、おそらくジェシカは士官学校卒の高級将校と反戦運動のメンバーぐらいしか知己がいないであろうこと。それにたいして、トリューニヒトは下級兵士が何を食べているかまで知っているであろうということです。下級兵士が置かれた状況を知りもせず(そして知ろうともせず)、自分の恋人が戦死したという個人的な理由で反戦を唱える彼女は存在は兵士にとってみれば、イライラさせられる存在だったのではないでしょうか。
> トリューニヒトが非常にまめな人、というのもそのとおりでしょう。第2巻第9章「さらば、遠き日」のⅥ節に、ヤンに対するトリューニヒトの考えが、述べられています。
>
> >いずれはしたがわせるか、排除するか、選択を迫られるだろう。願わくは、前者を選びたいものだ。
> [中略]
> >そのためには、惜しみなく、たとえ小さな手でも打っておくべきであろう。
>
> ただ、辞職勧告を出された某議員とトリューニヒトでは、ずいぶん異なると思います。某議員は、比例区でしか当選できないことで分かるように、あの人の支持基盤は、あくまでも「政・官・業」であって、一般庶民ではありませんからね。
トリューニヒトは日本の政治家で例えれば、○男よりも田中角栄とか原敬に近いと思います。「実績はほとんどないのに国民的人気は高い」という点で。そういえば、田中は演説やスピーチの天才として知られていますし。ヤンを取り込むためにユリアンを昇進させるというのは確かにトリューニヒトのマメさを物語るもので、真面目だけが取り柄のレベロや文句だけのジェシカやヤンには真似の出来ない芸当です。そこに、反戦派(または慎重派)の無力の原因があると思います。
> 以下は、イッチーさんへのレスというより、トリューニヒトのモデルについて、私が思っていることです。
>
> 銀英伝の中で、自由惑星同盟の政情を表すのに「衆愚政治」という語が、繰り返し出てきます。多くの人は、末期の古代アテネの歴史を学んだときに、この言葉を知ったのではないでしょうか?おそらく、トリューニヒトのモデルは、古代アテネの扇動政治家でしょう。銀河帝国と自由惑星同盟の抗争自体も、当初私は米ソ冷戦がモデルだと思いましたが、むしろ古代ギリシャのスパルタとアテネの戦いのほうが、より近いように思えます。
>
> スパルタとアテネが戦っていたころ、アテネにアルキビアデスという政治家がいましたが、彼こそトリューニヒトの一番のモデルではないか、と考えています。以下は、堺屋太一著「現代を見る歴史」からの情報です。
>
> >彼は名門の生まれで、ペロポネソス戦争初期の指導者ペリクレスの家で養育され、ソクラテスとも
> >交わり愛された美青年であった。才気煥発で雄弁、行動は果敢、立居振舞いは上品といういかに
> >女もてのする「庶民の英雄」らしい人物だ。
>
> このアルキビアデスは、対スパルタ強硬論の急先鋒で、和平派のニキアスを攻撃して人気を集めます。アテネ衰亡の原因となったシシリア遠征では、この両者が指揮官になりますが、もともと遠征に反対だったニキアスが最後まで指揮官の務めを果たして、最後は遠征先で殺されたのに、アルキビアデスはあっさりとスパルタに寝返って、対アテネ作戦の顧問になります。やがてスパルタ王妃との密通がばれると、次に彼は、ペルシャに走り、アテネとスパルタの戦いを長引かせて、漁夫の利を得ることを進言し、ペルシャでも勢力を得ます。さらに、ペルシャをアテネの味方につけてやるから、自分を指導者として迎えろとアテネに要求し、結局これが通って、アルキビアデスはアテネに凱旋を果たします。しかし、彼が指導するアテネ軍は、やがてスパルタに大敗し、ついにアルキビアデスの政治生命も尽きます。
>
> アルキビアデスが、「次々と宿主を取り替え、宿主を枯死させるやどりぎ」の役割を果たしている間に、アテネもスパルタも、長引く戦争の中でどんどん衰退し、ほどなくギリシャ世界の覇者ではなくなります。
ギリシアの話、大変興味深く拝見しました。確かによく似ています。そして、そこが銀英伝の最大の弱点だと思います。すなわち、古代史の設定を未来世界に持ち込んでいることで社会経済などの設定に大きな齟齬を生じさせているということです。同じ民主政治と言っても古代アテネと現代アメリカではまるっきり中身は違いますし・・・。
私がトリューニヒトに近いと思っているのは、フランスのタレーランとフーシェです。二人はフランス革命の際、革命派として活躍し、総裁政府でタレーランは外相に、フーシェは警察相に任命されました。(フーシェは国王処刑反対の公約で国民議会議員に当選し、議会の投票では国王処刑に賛成し、その後はジャコバン左派に転向。テルミドールの反動以後は穏健派に擦り寄った)しかし、ブリュメール18日のクーデターではナポレオンに協力し、総裁政府を倒すのに功あり、二人はナポレオンに重用されます。しかし、ナポレオンが落ち目になると今度は王党派に近づき、ルイ18世のもとに仕える・・・。特にフーシェは左派から王党派へと悪びれもせず転向したところから「風見鶏」と呼ばれ、当時の人々に嫌われました。そういえば、「反銀英伝・思考実験編5-D」に収録されている私の書き込みではトリューニヒトのモデルと考えた中曽根も自民党内の指導者から指導者へと渡り歩いたために「風見鶏」と呼ばれました。
> 再び、イッチーさんへのレスになりますが、アルキビアデスも、容姿と雄弁を武器にするだけでなく、いろいろ細かい配慮をしていたのでしょうね。
マメさのない人間は政治家に向かない(どんな政体であれ)と私は思っています。
はじめまして、いつも大変興味深くは意見させていただいていますが、はじめて書き込みをします。
今回のイッチーサンとKenさんの書きこみを見ていて気になったのですが、ジェシカは戦争に変わる案を出すべきであり、単に戦争に反対しているのでは世間知らずのお嬢さんの意見でしかないとおっしゃられているように見受けられます。もしそうでなければご容赦を。これは今の日本の自衛隊の話と似ていると思うのですが、自衛隊をいらないというなら攻められたらどうすんねん!!これが自衛隊必要派の方が必ずおっしゃる台詞です。この論旨と共通しますね。私は絶対戦争反対で、戦争を起こすことの出来る武器はすべて破棄すべきであると考えています。隣国との関係がよくない状態で破棄すれば攻められるというのはわかりますが、それでは事態は改善しません。まず自国が戦争を放棄し、その上で対話の席につくべきです。必ず世界の民衆は戦争は帰国を支持するはずです。そのために戦争反対を叫ぶ人は必ず必要であり、存在価値は大変高いと考えます。しかも自国が軍事的狂気に侵されているときに戦争反対を叫べる方は大変な勇気と、民衆を集めることの出来るカリスマの持ち主であると思います。私はそうなりたい。
何が言いたいかわかっていただけたでしょうか?すごく意味の取りにくい文章になってしまって申し訳ございません。出来うるならば皆様のご意見をお聞きしたいと思っております。
優馬です。
> トリューニヒトは日本の政治家で例えれば、○男よりも田中角栄とか原敬に近いと思います。「実績はほとんどないのに国民的人気は高い」という点で。
私はトリューニヒトは小泉純一郎に似てるなぁ、と思っています。
トリューニヒト氏も高揚感のあるスピーチをするのが得意だったようですし。
あ、私は小泉純一郎、今のところまだ支持しています。
ふと憶測が浮かびました。
田中芳樹氏の思想傾向から言うと、小泉政権は嫌いである可能性が強いと思われます。そうすると
小泉っぽい人物を批判する創竜伝を書く
↓
「いや、先生、それじゃ売れません・・」と出版社が尻込みする。
↓
結果的に新刊が出ない。
うがちすぎですかね?
> はじめまして、いつも大変興味深くは意見させていただいていますが、はじめて書き込みをします。
> 今回のイッチーサンとKenさんの書きこみを見ていて気になったのですが、ジェシカは戦争に変わる案を出すべきであり、単に戦争に反対しているのでは世間知らずのお嬢さんの意見でしかないとおっしゃられているように見受けられます。もしそうでなければご容赦を。これは今の日本の自衛隊の話と似ていると思うのですが、自衛隊をいらないというなら攻められたらどうすんねん!!これが自衛隊必要派の方が必ずおっしゃる台詞です。この論旨と共通しますね。私は絶対戦争反対で、戦争を起こすことの出来る武器はすべて破棄すべきであると考えています。隣国との関係がよくない状態で破棄すれば攻められるというのはわかりますが、それでは事態は改善しません。まず自国が戦争を放棄し、その上で対話の席につくべきです。必ず世界の民衆は戦争は帰国を支持するはずです。そのために戦争反対を叫ぶ人は必ず必要であり、存在価値は大変高いと考えます。しかも自国が軍事的狂気に侵されているときに戦争反対を叫べる方は大変な勇気と、民衆を集めることの出来るカリスマの持ち主であると思います。私はそうなりたい。
> 何が言いたいかわかっていただけたでしょうか?すごく意味の取りにくい文章になってしまって申し訳ございません。出来うるならば皆様のご意見をお聞きしたいと思っております。
世論が軍国主義に向かう中で戦争反対を唱える人の存在は歯止めとして必要であるという考え方には賛成です。しかし、私がジェシカの主張に批判的なのは彼女の主張に論理性がないという理由だけではなく、次の理由もあります。
1.ジェシカが反戦運動に参加した動機が恋人の戦死であったこと。それではラップが戦死しなければ、彼女は帝国との戦争に賛成し続けていたのでしょうか?それはあまりにも身勝手では。それにたとえば、警察官が強盗に刺されて殺されたとして、警察官の遺族は「警察制度は間違いだ。廃止すべきだ」とは思わないでしょう。
2.下級兵士の声も聞かないで、ただ大所高所から「戦争反対」を叫ぶのでは、幅広い支持は得られないでしょう。それこそ、彼女がトリューニヒトに言った「あなたはどこにいます?」というセリフが彼女自身に突きつけられなければならないのでは。
3.彼女が勇気ある人である事は認めますが、スタジアムの虐殺のときも自分ひとりで反対を唱えればよかったわけで、市民を巻き添えにした責任を彼女は免れ得ないと思います。
イッチー様、
レスありがとうございます。また、フランス革命の話、面白かったです。ひょっとして、フランス革命では、このような変節漢が多く現れ、人々が疑心暗鬼になった結果、王党派たるを革命派たるを問わない、ギロチン地獄になったのでしょうか?・・・・・・
ちょっとだけ、ジェシカの弁護を。(私、人間として、女性としての彼女は、大好きなんです)
ご存知のように、ヤンには、帝国との講和にいたる具体的な構想がありました。イゼルローンを占領すれば、軍事的に優位に立て、帝国が同盟に侵攻する手段がなくなるから、和平を提案すれば応じるだろう、というものです。小説の中には出てきませんが、ジェシカはヤンの構想を支持し、政策として訴えていたのかもしれません。二人の仲の緊密さからすれば、じゅうぶんありうることだと思います。
それと、ジェシカに糾弾された、当時の同盟の戦争政策はたしかにひどいもので、単に帝国の侵略を排除するという以上の意味をもっていました。(純粋な国防が目的なら、ヤン構想が最善でしょう。)要するに、トリューニヒトと彼の一派にとっては、戦争は権力獲得と維持のために利用すべきものであり、したがって、どんなかたちにせよ、彼らは平和など望んでいなかったのです。
平和へいたる現実的な道があるのに、権力維持のために戦いを続ける、というのはいくらでも実例があると思います。早い話が、中東紛争がそうではないでしょうか。
かつては、和平など絶望的と思われた争いが、多くの人の努力により、オスロ、デイトン、キャンプデービッドと話し合いを重ねて、本当にあと一歩で平和が実現するところまできた。ところがアラファトは、ユダヤ教徒の国イスラエルが絶対に承服できないのを承知で、エルサレムをよこせと言い張って、講和の完成を妨げ、シャロンはアラブ民衆を暴発に追いやるのを承知の上で、これみよがしに聖地を訪問しました。それ以降は流血が拡大するばかりなのは、ご存知のとおりです。
私は、アラファトやシャロンの行動の背景にあるのは、愛国心などではなく、相手への憎悪ですらないと考えています。彼らと彼らの派閥は、戦争指導者として権力の座についているのであり、自らの権力基盤を崩す和平など望んでいないのでしょう。戦争が終わったとたんに、権力の座を追われたチャーチルの事例も反面教師としているはずです。「下衆の勘繰り」と非難されるかもしれませんが、私は、イスラエル軍が虐殺を繰り返すのを内心一番喜んでいるのはアラファトだし、爆弾テロが市民を殺すたびに小躍りしているのはシャロンではないか、との疑いをぬぐうことができません。ついでに言えば、アメリカがアフガンやイラクを攻撃するのを、「もっとやれ!」と応援しているのは、(生存しているとすれば)ビン・ラディンかも。
政治家としてのジェシカに話を戻せば、彼女がトリューニヒトに対抗するためには、
1.政治活動ができない軍人ヤンの代弁者として、彼の構想への支持をうったえる。
2.レベロやホワン・ルイと連帯し、トリューニヒトの派閥に対抗する。
3.ビュコックやクブルスリーと親交を深め、軍の内情に常に注意を払っておく。
ことをすべきだった、と思います。そうしてこそ「世間知らずのお嬢さん」から、真の指導者になれたはずだと。
わたしのつたない論旨に対する真摯な対応本当に有難うございます。
私も私なりに頑張って論陣を張るのでどうかお付き合いください。
> 1.ジェシカが反戦運動に参加した動機が恋人の戦死であったこと。それではラップが戦死しなければ、彼女は帝国との戦争に賛成し続けていたのでしょうか?それはあまりにも身勝手では。それにたとえば、警察官が強盗に刺されて殺されたとして、警察官の遺族は「警察制度は間違いだ。廃止すべきだ」とは思わないでしょう。
動機の多くは個人的な経験から来るものだと思います。私も人から批判されてはじめて気づく事、自分のみに振りかかってから初めて気づく事ばかりです。でも多分人の視野はそれほど広くないので、仕方ないのでは。問題はその問題点に気づいた後の対応のしかたでしょう。そう言う意味でジェシカの活動はたとえ自分の個人的経験に端を発していたとしても十分に意味のあることだと思えます。
> 2.下級兵士の声も聞かないで、ただ大所高所から「戦争反対」を叫ぶのでは、幅広い支持は得られないでしょう。それこそ、彼女がトリューニヒトに言った「あなたはどこにいます?」というセリフが彼女自身に突きつけられなければならないのでは。
私が思うに戦争の悲惨さは多くの人間が死ぬことにあります。それも弱い立場の人間から。ここでいう弱い立場とは権力を持たないという意味です。そしてそれらの人間が苦しみ、死んで行く傍ら金を儲け、自分の影響力を伸ばして行く人間がいる事は事実でしょう。人間同士の対立は話し合いで解決しなくてはならない。そのための言語ではないかと思います。真摯に向かい合い、話し合えば理解し会う事は不可能ではないでしょう。それを暴力に訴えようと決意する人間は責められるべきだと思います。その責め方のひとつに、戦争したいならまず自分が前面に立て!!というやりかたがあるのではないでしょうか?
> 3.彼女が勇気ある人である事は認めますが、スタジアムの虐殺のときも自分ひとりで反対を唱えればよかったわけで、市民を巻き添えにした責任を彼女は免れ得ないと思います。
うーん、確かに市民を巻き添えにしてしまったという事実はあります。でもこれは結果ではないですか?私は責められるべきはあくまで救国軍事会議(でしたっけ?)のほう、特にエバンス大佐(??でしたっけ??)であると思います。いい例えかどうかわかりませんがアメリカの独立戦争を率いたワシントン、アメリカ軍側にも多くの死傷者が出たでしょうが、その事でワシントンは非難されるでしょうか?(私は非難する見かたがあってもいいとは思うのですが)
ジェシカ…あまり深く考えたことがなかったんですが、そう言えば、確かに彼女の言動は未熟なのかも知れないですね。
OVA版では、救国軍事委員会のクーデター失敗後、ハイネセンにはジェシカの像が建てられたようです。
何とはなく気になっていたことがひとつ。ジェシカがトリューニヒトらを指して、「あなたがたはどこにいたんですか!」と糾弾した時、私は思わず「あなたこそどこにいたんですか」と突っ込んでました。
やっぱり、あのような台詞が無意識にでも許されるのはやはり女性だからでしょうか。男だったらそれこそ、「おまえこそどこにいたんだ!」という反撃を当たり前のものとして予想するからそうそうあのようなことは言えないものですけど。
銀河英雄伝説は同盟側の事情を描く時、基本的にヤン・ウェンリーの視点に立ってなされてますから、意図的にではなくともおのずと除去されている視点もあります。
例えば、ヤンやジェシカの和平案を仮に推し進めていったとして、それは同時に帝国の現状を容認するということに他ならないんですね。まあ、それはそれでいいのかも知れませんが、一方でおびただしく帝国内に存在するであろう政治犯、弱者差別などを容認することでもある、それはそれで分かって欲しいと私は思います。
戦争は確かに嫌なものですが、大きな戦争を避けるために小さな戦争をしなければならないという例は歴史上いくつもあります。
国際政治においては被害者はそれ自体が悪という考えもあります。
歴史を学ぶということは岩波パンフレットを数冊読むことではないです。左翼の人はしばしば右派を指して「歴史認識が足りない」といいますが、私はむしろ左派に「歴史認識の不足」を感じます(もちろん右派もたいしたことはないのですが)。
優馬さま、レスありがとうございます。
> 私はトリューニヒトは小泉純一郎に似てるなぁ、と思っています。
> トリューニヒト氏も高揚感のあるスピーチをするのが得意だったようですし。
田中角栄は演説やスピーチの名手であったらしく、彼の演説やスピーチで活字に残っているものを読むと今でも面白く、心に残ります。一方、中曽根康弘は演説・スピーチよりもパフォーマンスのうまさが目立った政治家であったと思われます。小泉首相は印象に残る短い言葉を巧みに利用するのは上手ですが、演説ははっきり言って下手だと思います。小泉もパフォーマンス型でしょう。
で、トリューニヒトはどうかと言うと、彼の演説ははっきり言って心に残るものではありません。それよりも、クーデター鎮圧記念式典でヤンと握手するなど、パフォーマンス型のような気がします。しかし、彼が最も得意とするのは、限られた空間で式場にいる人々の興奮を最大限に盛り上げる手法であったように思われます。(よい例がジェシカが登場した戦没者追悼式典・・・道原かつみが会場の異常さをよく描写しています)案外、彼はテレビで国民に訴えるやり方は苦手で、そのため、帝国軍が侵攻してきたときから国民に訴える必要があるときに雲隠れしたのかもしれません。それは政治家として致命的ですが・・・。(苦笑)
> ちょっとだけ、ジェシカの弁護を。(私、人間として、女性としての彼女は、大好きなんです)
>
> ご存知のように、ヤンには、帝国との講和にいたる具体的な構想がありました。イゼルローンを占領すれば、軍事的に優位に立て、帝国が同盟に侵攻する手段がなくなるから、和平を提案すれば応じるだろう、というものです。小説の中には出てきませんが、ジェシカはヤンの構想を支持し、政策として訴えていたのかもしれません。二人の仲の緊密さからすれば、じゅうぶんありうることだと思います。
ジェシカが国会議員になったシーンというのが、小説・マンガ版とアニメ版では微妙に異なるのです。
小説・マンガ版では、ヤンがイゼルローン要塞を攻略している間にジェシカが代議員に当選し、そのことをヤンは帰国したあと、グリーンヒルから聞かされることになっています。
アニメ版ではヤンが母校の士官学校を訪ねると、その街では補欠選挙が行われていて、ジェシカが反戦派の候補の選挙運動を手伝っています。やがて、候補者が何者か(おそらく、憂国騎士団)に殺害されて、急遽、ジェシカが候補に祭り上げられ、同情票を集めて当選するという設定になっています。
私は後者の方が可能性が高いと思います。(いきなりジェシカが国会議員候補になれると思わないので)そして、後者の場合だとヤンとジェシカが連携をとる余地があったと思います。前者だとヤンとジェシカの間で連絡がほとんどないことが暗示され、連携の可能性は低くなると思います。
> それと、ジェシカに糾弾された、当時の同盟の戦争政策はたしかにひどいもので、単に帝国の侵略を排除するという以上の意味をもっていました。(純粋な国防が目的なら、ヤン構想が最善でしょう。)要するに、トリューニヒトと彼の一派にとっては、戦争は権力獲得と維持のために利用すべきものであり、したがって、どんなかたちにせよ、彼らは平和など望んでいなかったのです。
少なくとも、トリューニヒトは平和を望んでいたと思います。ただし、それは同盟が帝国を打倒し、自らが全宇宙の支配者となる形での平和です。マンガ版だと、トリューニヒトは元首代行になったときに「帝国を打倒した史上最高の指導者・・・悪くない」といったようなことを言っています。トリューニヒトは帝国領侵攻作戦に反対していますし。ただ、あえてそれを阻止しようともしなかったのは、作戦が失敗して、サンフォードの辞任を引き出そうとしたのでしょう。同盟指導部の問題は戦争を政争の道具にしていた点です。それは同盟の存続自体を質にいれて、権力を引き出そうとするようなもので、このような火遊びをし続けているうちに感覚が麻痺して言ったのが同盟の最大の問題でしょう。
> 政治家としてのジェシカに話を戻せば、彼女がトリューニヒトに対抗するためには、
>
> 1.政治活動ができない軍人ヤンの代弁者として、彼の構想への支持をうったえる。
> 2.レベロやホワン・ルイと連帯し、トリューニヒトの派閥に対抗する。
> 3.ビュコックやクブルスリーと親交を深め、軍の内情に常に注意を払っておく。
>
> ことをすべきだった、と思います。そうしてこそ「世間知らずのお嬢さん」から、真の指導者になれたはずだと。
代議員1年生のジェシカにそこまで要求するのは本当はないものねだりなんですけどね。(苦笑)ただ、ヤンという強力な後ろ盾があった以上、ジェシカには上記3つは可能だったと思います。ただ、問題は反戦派の指導部が「政府と癒着するのはけしからん」と原則論をふりまわさないかということです。
> 動機の多くは個人的な経験から来るものだと思います。私も人から
> 批判されてはじめて気づく事、自分のみに振りかかってから初めて気づく事ばかりです。でも多分人の視野はそれほど広くないので、仕方ないのでは。問題はその問題点に気づいた後の対応のしかたでしょう。荘言う意味でジェシカの活動はたとえ自分の個人的経験に端を発していたとしても十分に意味のあることだと思えます。
ジェシカの視野は狭いと思いますし、それが彼女が批判される大きな要因です。私には恋人の死による精神的な打撃から「反戦のための反戦運動」をしているようにしか見えません。
まともな精神状態ならアムリッツァでの大敗以降も反戦を唱えるような愚かな女性じゃなかったはずです。アムリッツァ以降の同盟が終戦を望むなら降伏以外の道はないのですから。
> 私が思うに戦争の悲惨さは多くの人間が死ぬことにあります。それも弱い立場の人間から。ここでいう弱い立場とは権力を持たないという意味です。そしてそれらの人間が苦しみ、死んで行く傍ら金を儲け、自分の影響力を伸ばして行く人間がいる事は事実でしょう。人間同士の対立は話し合いで解決しなくてはならない。そのための言語ではないかと思います。真摯に向かい合い、話し合えば理解し会う事は不可能ではないでしょう。それを暴力に訴えようと決意する人間は責められるべきだと思います。その責め方のひとつに、戦争したいならまず自分が前面に立て!!というやりかたがあるのではないでしょうか?
貴方の発言を一部改編します。不愉快でしょうがお読みください。「人間同士の対立は話し合いで解決しなくてはならない。そのための言語ではないかと思います。真摯に向かい合い、話し合えば理解し会う事は不可能ではないでしょう。それを『裁判』に訴えようと決意する人間は責められるべきだと思います。」どうでしょうか?話し合いで何でも解決できるというのは幻想に過ぎないと思います。そもそも、同盟対帝国の戦争は帝国が問答無用でしかけてきたものです。同盟の存在を感知すると同時に見敵必戦(サーチアンドデストロイ)とばかりに攻めてきました。
スタジアム虐殺については巻き込まれた市民たちも自分の意思でやったことなので自己責任でありジェシカが責められるべきだとは思いません。ただ、危険性を予測できなかったのは軽率です。(これは市民についても言えることです。)
集会自体は危険を承知でやる価値があったと思います。ハイネセン市民が軍事委員会に服従したのではないことを示すことは政治的に意味があります。今後のクーデターを抑止する効果がありますし、何よりも解放軍が第2の軍事委員会になることを防げます。シェーンコップはそれに近いことをヤンにそそのかしていましたし。
この集会については何故か「ワルシャワ蜂起」を連想しました。「どの道助かるのに何故命をかけてまで支配者に抵抗するのか」という点で。
> 動機の多くは個人的な経験から来るものだと思います。私も人から批判されてはじめて気づく事、自分のみに振りかかってから初めて気づく事ばかりです。でも多分人の視野はそれほど広くないので、仕方ないのでは。問題はその問題点に気づいた後の対応のしかたでしょう。そう言う意味でジェシカの活動はたとえ自分の個人的経験に端を発していたとしても十分に意味のあることだと思えます。
このような反論が返ってくるであろうことは予測していました。この点に関しては私は異論ありません。ただ、ジェシカが恋人の死という個人的な理由から反戦運動にはいったとしても、反戦運動を単なる個人の復讐から宇宙の平和を確立する実践的な運動へと発展し得たかという点は検証されるべきだと思います。
> 私が思うに戦争の悲惨さは多くの人間が死ぬことにあります。それも弱い立場の人間から。ここでいう弱い立場とは権力を持たないという意味です。そしてそれらの人間が苦しみ、死んで行く傍ら金を儲け、自分の影響力を伸ばして行く人間がいる事は事実でしょう。人間同士の対立は話し合いで解決しなくてはならない。そのための言語ではないかと思います。真摯に向かい合い、話し合えば理解し会う事は不可能ではないでしょう。それを暴力に訴えようと決意する人間は責められるべきだと思います。その責め方のひとつに、戦争したいならまず自分が前面に立て!!というやりかたがあるのではないでしょうか?
ジェシカはなぜ、同盟国民が戦争を支持しているのか、トリューニヒトをなぜ支持しているのかということを考えるべきだったと思います。もし、ジェシカが同盟国民がトリューニヒトの演説に惑わされていると思っていたとしたら、それは国民を馬鹿にした考えです。国民はそこまで馬鹿ではありません。人間は本当に困っているときに助けてもらったり、優しい声をかけてもらった恩は一生忘れません。一方、テレビで偉そうなことを言っているだけの人間は信用しません。ジェシカはマスコミに出るだけでなく、トリューニヒトの支持基盤になっている人たちが何を望んでいるのか、飛び込んでいって彼らの声に耳を傾けるべきだったと思います。
> うーん、確かに市民を巻き添えにしてしまったという事実はあります。でもこれは結果ではないですか?私は責められるべきはあくまで救国軍事会議(でしたっけ?)のほう、特にエバンス大佐(??でしたっけ??)であると思います。いい例えかどうかわかりませんがアメリカの独立戦争を率いたワシントン、アメリカ軍側にも多くの死傷者が出たでしょうが、その事でワシントンは非難されるでしょうか?(私は非難する見かたがあってもいいとは思うのですが)
救国軍事会議が集会を弾圧することは目に見えていたわけで、にもかかわらず集会を強行したジェシカの責任は重大です。軍隊を率いたワシントンと一般市民を軍隊に立ち向かわせたジェシカは同列で比べられないと思います。
いつも、ROMばかりで、ここに投稿するのはずいぶん久しぶりになります。
私の意見としては、ほぼイッチーさんと同様ですが、細部について指摘したいと思います。
> 1.ジェシカが反戦運動に参加した動機が恋人の戦死であったこと。それではラップが戦死しなければ、彼女は帝国との戦争に賛成し続けていたのでしょうか?
ジェシカは、ラップの戦死以前は帝国軍との戦争に賛成だったのでしょうか?
私の憶えている限りでは、ラップの生前にそういった意見を発した事はなかった筈ですが。
> 3.彼女が勇気ある人である事は認めますが、スタジアムの虐殺のときも自分ひとりで反対を唱えればよかったわけで、市民を巻き添えにした責任を彼女は免れ得ないと思います。
彼女に全く責任がないとは思いませんが、そもそも同盟史上、クーデターが起きたのはこの救国軍事会議が初めてではないでしょうか。
だから、軍が非武装の民間人に対して銃を向ける可能性について考え方が甘くなっていたのかもしれません。
また、クーデターの首謀者が穏健派のグリーンヒル大将だったため、いきなり銃撃戦になるなどとは思わなかったのではないでしょうか。
ジェシカ自身はそこまで思慮が及んでいたとは思いませんが、一般参加者が十万人も集まったのは上記の理由によるものでは?と
推測します。
ちなみに、ジェシカを殴り殺したのはクリスティアン大佐という名前だったと記憶しています。
IKさん、こんにちは、
>あのような台詞が無意識にでも許されるのはやはり女性だからでしょうか
というよりも、トリューニトという男の卑怯さを強調し、銀英伝読者&視聴者の共感を得るには、糾弾者が女性の方が効果的、という作者の計算があったに違いない、と思います。
ただし、筋論からいえば、ジェシカがトリューニヒトに「あなたはどこにいますか」と言うのは正当でも、同じ言葉を彼女に言うのは不当で、これには男女は関係ないでしょう。なぜなら、ジェシカは、彼女や彼女の婚約者を含めて、誰も戦場へ送るべきではないと主張しているのに対し、トリューニヒトは、自分では行こうとしない戦場へ、他人を大量に送ろうとしているわけですから。つまり、あの場に限っていえば、ジェシカがなじっているのは、トリューニヒトの主戦論ではなく、彼のダブル・スタンダードなのです。
私が残念に思うのは、ジェシカの対抗者として物語に出てくるのが、トリューニヒトのように、戦争を権力獲得の道具と考える人物か、もしくは救国軍事会議のように、勝つためには人権を無視してもよいと考える連中だけだったことです。読者&視聴者にとって、この争いは、はじめからモラル面でジェシカが勝っていたのだし、作者はそうすることで、「同盟は帝国と戦うべきか、それとも和すべきか」という最も本質的な議論の場に、ジェシカを一度も立たせることなく、物語から退場させてしまいました。
もしもジェシカが長生きしていれば、ラインハルトの覇権樹立後に、ヤンやその後継者たちが、イゼルローンに拠って、民主政治のために戦い続けたときこそ、彼女の思想信条の真価を問われたでしょう。ジェシカに恋する(^^)私としては、そうなったらジェシカはヤンやユリアンを支持したはず、と思いたいところですが。
>大きな戦争を避けるために小さな戦争をしなければならないという例は歴史上いくつもあります。
おそらくそうなのでしょう。
「大きな戦争を避けるため」だけでなく、この世には、戦争にうったえても守らねばならないものがある、という考えに私も賛成します。そして、そのことは銀英伝の作者の考えでもあり、だからこそ、ヤンたちは、ラインハルトが築いた体制の下で、全人類が当面はつつがなく暮らせることを承知の上で、なおイゼルローンに拠って戦い続けたのでしょう。
Kenさん、こんにちは。
> というよりも、トリューニトという男の卑怯さを強調し、銀英伝読者&視聴者の共感を得るには、糾弾者が女性の方が効果的、という作者の計算があったに違いない、と思います。
そういう計算はあったかも知れないですね。私だったら実際に戦場に立ったことない女性ではなくて、老兵などに言わせたほうが抵抗感がないですけど。こういっては何ですが、私は彼女の台詞に「守って貰って当然」という意識を感じたのだと思います。あんまり言うと膨大な「論文」になってしまうのでやめますが。
> ただし、筋論からいえば、ジェシカがトリューニヒトに「あなたはどこにいますか」と言うのは正当でも、同じ言葉を彼女に言うのは不当で、これには男女は関係ないでしょう。なぜなら、ジェシカは、彼女や彼女の婚約者を含めて、誰も戦場へ送るべきではないと主張しているのに対し、トリューニヒトは、自分では行こうとしない戦場へ、他人を大量に送ろうとしているわけですから。つまり、あの場に限っていえば、ジェシカがなじっているのは、トリューニヒトのダブルスタンダード…
これについてはそうそうダブルスタンダードだとも思いませんよ。トリューニヒトは元首なんだから、前線で銃を取るよりもやるべき仕事があるはずで、それを実戦に出ていないから駄目だというのは「生活感あふれた」矮小化だと思いますけど。
兵を戦場に送るなという議論はジェシカ・エドワーズ個人の見解なのですよね。トリューニヒトはまったくそうは思っていない訳だし、その見解のもと国民に選ばれている訳です。
彼女が非難すべきなのはトリューニヒトではなく同盟市民ではないでしょうか。非難に値するのだとすれば、の話ですが。
>ジェシカに恋する(^^)私としては、そうなったらジェシカはヤンやユリアンを支持したはず、と思いたいところですが。
ああ、でもジェシカ自体は私もかなり好きです。
「出ておいき、おまえたちのいるべきではない場所から!」
読むたびに背筋をきりきりとさせる台詞ですね。彼女がある種の勇者であったことは決して否定しません。
> > 大きな戦争を避けるために小さな戦争をしなければならないという例は歴史上いくつもあります。
>
> おそらくそうなのでしょう。
> 「大きな戦争を避けるため」だけでなく、この世には、戦争にうったえても守らねばならないものがある、という考えに私も賛成します。そして、そのことは銀英伝の作者の考えでもあり、だからこそ、ヤンたちは、ラインハルトが築いた体制の下で、全人類が当面はつつがなく暮らせることを承知の上で、なおイゼルローンに拠って戦い続けたのでしょう。
国家が戦争に訴えてでも守るべきものは国民の生命と自由、そして財産、これしかありません。これが侵食されるのを座視したがために、全力で叩き潰さなければならないほどに事態が悪化した例を上の文章は指しています。
ゆえにヤン・イレギュラーズと8月の新政府の行動に対する評価は今のところ保留とさせて下さい。
> ジェシカ…あまり深く考えたことがなかったんですが、そう言えば、確かに彼女の言動は未熟なのかも知れないですね。
> OVA版では、救国軍事委員会のクーデター失敗後、ハイネセンにはジェシカの像が建てられたようです。
>
> 例えば、ヤンやジェシカの和平案を仮に推し進めていったとして、それは同時に帝国の現状を容認するということに他ならないんですね。まあ、それはそれでいいのかも知れませんが、一方でおびただしく帝国内に存在するであろう政治犯、弱者差別などを容認することでもある、それはそれで分かって欲しいと私は思います。
トリューニヒトなら、したり顔で「おお!彼女こそ同盟国民の鏡」とか言って像を建てて、自分の支持拡大に利用しそうです。(彼女はそんなことを望まないでしょうが)
しかし、私は政治にはそういうしたたかさも必要だと思います。で、私が不満なのはジェシカやヤンのような反戦派にはそういったしたたかさがないことです。彼女らは正面から権力にぶつかっていき、散っていきましたが、それは単なる自己陶酔に過ぎなかったと思います。理想家のラインハルトですら、オーベルシュタインという策士を使ったように、権力を得るために(あるいは自らの理想を確立するため)にはある程度のしたたかさをもって策略を使うことは必要不可欠であるのに、敢えてそれをしませんでした。ただ、視野の広さに限界のあるジェシカや根っからの武人であるビュコックにそういった役割を求めるのは酷なような気がしてきました。やはり、ここはヤンが一肌脱ぐべきだったと思います。なぜなら、彼はすべてを見通していたわけですから。それに彼のもとにはシェーンコップやバグダッシュ(クーデター以後の参加ですが)といった策略を練って実行できる部下もいたわけですし。ヤンは自分は権力を求めるつもりはないとして、誰か代わりに実行できる政治家の出現を待っていましたが、それならば、レベロなりルイなり自分の理想を代わりに実行できる政治家を積極的に実行できる部下を探すべきでした。
ヤン最大の懸念はラインハルトを倒すことによって帝国国民を途端の苦しみに突き落とすことだったことのように思われますが、ならば、クーデター発生の危険を同盟軍内部に喚起して同盟の団結を固めた上でフェザーンを占領し、銀河帝国の航路図を入手。帝国の内戦に際しては中立を宣言し、ラインハルトの覇権確立を妨害せず、ラインハルト覇権成立後は帝国と講和を結ぶという過程を踏めば、帝国・同盟共にある程度満足出来る(国内体制的には)結果に終わったのではないでしょうか。
> 何とはなく気になっていたことがひとつ。ジェシカがトリューニヒトらを指して、「あなたがたはどこにいたんですか!」と糾弾した時、私は思わず「あなたこそどこにいたんですか」と突っ込んでました。
> やっぱり、あのような台詞が無意識にでも許されるのはやはり女性だからでしょうか。男だったらそれこそ、「おまえこそどこにいたんだ!」という反撃を当たり前のものとして予想するからそうそうあのようなことは言えないものですけど。
同盟軍は女性も参加できますから、「じゃあ、今度はおまえが戦争に行け」と言われる可能性もありますよね。世の中には自分が安全なところにいて、弱者にばかり犠牲を強いる人間はいくらでもいますから、ジェシカのような追及はあってもいいと思います。(例えて言うならば、バブルを散々あおっておきながら、今度は改革の痛みに耐えよとか言っている今日の日本の経済官僚・政治家・経済評論家等)ただ、それがトリューニヒトにあてはまるかどうかというのは疑問です。彼が軍隊内であそこまで絶対的な支持を集めることが出来たのは、かなりマメに末端の兵士から高級将校に至るまで声をかけ、いろいろ世話をしてきたからでしょう。クーデター派に参加しながらトリューニヒト逃亡を助けたベイ大佐ももしかしたらトリューニヒトになにか恩義があったのかもしれません。トリューニヒト派を単なる利権集団とだけ見るのはまちがいかもしれません。
> いつも、ROMばかりで、ここに投稿するのはずいぶん久しぶりになります。
A・Naさま、初めまして。
> 私の意見としては、ほぼイッチーさんと同様ですが、細部について指摘したいと思います。
>
> > 1.ジェシカが反戦運動に参加した動機が恋人の戦死であったこと。それではラップが戦死しなければ、彼女は帝国との戦争に賛成し続けていたのでしょうか?
>
> ジェシカは、ラップの戦死以前は帝国軍との戦争に賛成だったのでしょうか?
> 私の憶えている限りでは、ラップの生前にそういった意見を発した事はなかった筈ですが。
帝国との戦争に反対する人(反戦派)が軍人と婚約するでしょうか?結婚したら、ラップは軍人を辞め、夫婦で平和運動に邁進するという設定もなかったような気がしますが・・・。
> > 3.彼女が勇気ある人である事は認めますが、スタジアムの虐殺のときも自分ひとりで反対を唱えればよかったわけで、市民を巻き添えにした責任を彼女は免れ得ないと思います。
>
> 彼女に全く責任がないとは思いませんが、そもそも同盟史上、クーデターが起きたのはこの救国軍事会議が初めてではないでしょうか。
> だから、軍が非武装の民間人に対して銃を向ける可能性について考え方が甘くなっていたのかもしれません。
>
> また、クーデターの首謀者が穏健派のグリーンヒル大将だったため、いきなり銃撃戦になるなどとは思わなかったのではないでしょうか。
> ジェシカ自身はそこまで思慮が及んでいたとは思いませんが、一般参加者が十万人も集まったのは上記の理由によるものでは?と
> 推測します。
救国軍事会議が集会・結社の自由の廃止を布告している以上、断固たる措置をとることは目に見えていたでしょう。おそらく、市民たちはヤン艦隊勝利のニュースをどこからともなく聞いて今にも救国軍事会議が崩壊さするような錯覚を抱いたのでしょう。ジェシカの役割はそのような市民をたきつけることではなく、自省を呼びかけることだったと思われます。
> ちなみに、ジェシカを殴り殺したのはクリスティアン大佐という名前だったと記憶しています。
そのとおりです。クリスチアン大佐です。エベンスは経済統制担当の将校です。