失礼いたします。
どうも、皆様のハイレベルな議論と真摯な読書姿勢に
圧倒されてロムばっかりしてました。
ただ、過去ログを読んでてどうも疑問に思ったことが
あったので拙い説ですが開陳させて頂きたいと思います。
疑問に思ったのは、「お前が戦争に行け論」の部分です。
田中氏は、銀英伝外伝2巻でこう書いています。
「近代以降、戦争を精神的に指導してきた文化人や言論人が
最前線で戦死した例はない」(銀英伝外伝2巻・120ページ)
これは、田中氏の文章の中で数少ない(笑)真実ではないか、と
私は考えております。
上記「お前が~論」(失礼とは存じますが省略させて頂きます)では、
政治家について専ら論ぜられていたようですが、
文化人や言論人についてはあまり論ぜられてなかったようなので…
確かに、政治家や高級軍人には一兵士として銃を取るよりも
国策としての戦争を成功させるべく努力してもらうほうがはるかに重要ですし、
軍需産業の関係者にはより優れた(いろいろな面で)兵器を開発してもらうほうがはるかに重要です。
それに、万が一戦争に負けた際に戦争犯罪人として戦勝国や
国民の鬱憤のはけ口になってもらう必要もありましょうし。
これは某総参謀長の受け売りですが。
ただ、文化人や言論人はどうでしょう?
これは私の偏見ですが、彼らは当然最前線で剣林弾雨の前に立つこともなく、
また敗戦の責任を取って戦争犯罪人として断罪されることもありません。
ただ、我々が(いざ戦争になったら、一兵士として最前線に送られるのは当然私達一般市民です)
敵の銃弾に当たって、または南方の孤島で飢えにより、さもなくば
マラリアやアメーバ赤痢によって名誉の戦死を遂げている最中、
彼らは美酒にも美食にも美女にも不自由せずに安全なシェルターの中で
わが世の春を謳歌することでしょう。
そして、戦争に勝てば彼らはその功績を誇称し、戦争に負ければ
「私たちは、このような戦争には最初から反対していた」と
当初とは正反対の主張をしているであろうことは目に見えます。
翻って日本を見ると、このような輩がうじゃうじゃといるように
思えてきます。
坊主憎けりゃ、の批判は甘んじて受けますが、彼らを支持している
人達さえも色眼鏡で見てしまうことがあります。
ここでも、小林よしのり氏について「自分の人生を戦場にしているようなもの」
という評価がありましたが、それはちょっと無理な擁護ではないでしょうか?
実際に戦争が起きてみなくちゃ、小林氏が日本の誇りを守るために
自ら戦いに赴くか、あるいは我々の犠牲の上に美酒と美食と美女に
おぼれるか分からんでしょうし。
なお、私は平和ボケした一個のダメ日本人ですが、日本が不当な侵略を
受けた場合には自ら銃を取って戦いに赴くだけの覚悟はあります。
少なくとも、自分の大切な人間が外国の暴力によって害されんとする、
あるいは害された場合にはその報復に積極的に加担します。
こんなもん愛国心ではなく、ただの個人の感情の発露でしかありませんが。
ただ、それを自ら死地に赴くことのない、そして自ら死地に赴くよりも
重要な職務を持っていない輩に強制されるのが嫌なだけです。
長々と書いてしまい、失礼致しました。
この駄文中に事実誤認等がありましたら、遠慮なくご指摘ください。
なんか懐かしいな。「お前が戦争に行け論」はこのサイトでもかなり初期の書き込みだね。
今読むと、とくに前半の文章が(眠さで)かなりへろへろなんで、文章自体は書き直したいけど内容は今でも変わらないね。
久しぶりに覗いた時にこれが話題になったのも何かの縁ということで、ご返事を。
> 疑問に思ったのは、「お前が戦争に行け論」の部分です。
> 田中氏は、銀英伝外伝2巻でこう書いています。
> 「近代以降、戦争を精神的に指導してきた文化人や言論人が
> 最前線で戦死した例はない」(銀英伝外伝2巻・120ページ)
> これは、田中氏の文章の中で数少ない(笑)真実ではないか、と
> 私は考えております。
> 上記「お前が~論」(失礼とは存じますが省略させて頂きます)では、
> 政治家について専ら論ぜられていたようですが、
> 文化人や言論人についてはあまり論ぜられてなかったようなので…
あまり、この二つを分けて考える必要は感じませんね。
> 確かに、政治家や高級軍人には一兵士として銃を取るよりも
> 国策としての戦争を成功させるべく努力してもらうほうがはるかに重要ですし、
> 軍需産業の関係者にはより優れた(いろいろな面で)兵器を開発してもらうほうがはるかに重要です。
しかり。
> ただ、文化人や言論人はどうでしょう?
これも「一兵士として銃を取るよりも国策としての戦争を成功させるべく広くその意義を訴え、鼓舞してもらう方がいい」
> これは私の偏見ですが、彼らは当然最前線で・・・こともありません。
> ただ、我々が・・・・って名誉の戦死を遂げている最中・・・安全なシェルターの中でわが世の春を謳歌・・・
「リスクを最も負うのは最前線の人間じゃないか」という議論に関しては、それは等しく政治家、軍需産業関係者、いや軍人でも司令官や補給担当さえも対象になるというのは、過去ログの「イゼルローンには薔薇の騎士でなく、ヤン司令ご自身が偽装して乗り込んでください」という話になるでしょう。
いや、反戦活動家もそうです。かつて宮本顕二氏が戦時中の獄中生活(傷害致死罪)を振り返り、「食べるものはジャガイモで、釈放時の体重は60キロだった」と話しているのを聞いた、同年代の元軍人(フィリピンを転戦、その後捕虜)が「ジャガイモ食って、体重60キロ?夢のような生活だったじゃねーか!!」と怒ったなどという例があります(笑)。
> そして、戦争に勝てば彼らはその功績を誇称し、戦争に負ければ
> 「私たちは、このような戦争には最初から反対していた」と
> 当初とは正反対の主張をしているであろうことは目に見えます。
これは言論人の主張がどうとかではなく、単に変節漢はけしからん、という話でまた別の問題ですね。例えば反戦派知識人が
>「戦争に負ければ彼らはその先見の名を誇称し、戦争に勝てば「私たちは、この戦争には絶対反対ではなかった」と言い出す」
場合はやっぱりけしからんわけで。
続く
>戦争を精神的に指導してきた文化人や言論人が最前線で戦死した例はない
これは戦争を唱導する者に懐疑的であれという趣旨であって
本人が戦死すればよいという意味では全くないと思います。
新Q太郎様、ご返事感謝いたします。
それと、レスが遅くなってしまったことお詫び申し上げます。
> > 政治家について専ら論ぜられていたようですが、
> > 文化人や言論人についてはあまり論ぜられてなかったようなので…
>
> あまり、この二つを分けて考える必要は感じませんね。
そうでしょうか?
少なくとも、政治家には戦争に対する責任があります。
対して、文化人や言論人にはありません。
彼らは自分の発言に対する責任も取らず言いたいことを言うだけです。
私の中に彼らに対する偏見があることは認めますが。
> > ただ、文化人や言論人はどうでしょう?
> これも「一兵士として銃を取るよりも国策としての戦争を成功させるべく広くその意義を訴え、鼓舞してもらう方がいい」
確かにそれも重要な役割ですが、それは政治家の職務の一部分では
ないでしょうか?
> 「リスクを最も負うのは最前線の人間じゃないか」という議論に関しては、
> それは等しく政治家、軍需産業関係者、いや軍人でも司令官や補給担当さえも対象になるというのは、
> 過去ログの「イゼルローンには薔薇の騎士でなく、ヤン司令ご自身が偽装して乗り込んでください」という話になるでしょう。
> いや、反戦活動家もそうです。かつて宮本顕二氏が戦時中の獄中生活(傷害致死罪)を振り返り、
> 「食べるものはジャガイモで、釈放時の体重は60キロだった」と話しているのを聞いた、
> 同年代の元軍人(フィリピンを転戦、その後捕虜)が
> 「ジャガイモ食って、体重60キロ?夢のような生活だったじゃねーか!!」と怒ったなどという例があります(笑)。
ここについては、言葉が足りませんでしたね。
私が言いたかったのは、「最前線の人間がリスクを負う」という
話ではなく、もっと卑俗なレベルの話です。
ぶっちゃけた話、「俺たちが戦ってるのに自分はいいもん食って
いい酒飲んでいい女とヤってんじゃねえ!」という…(下品陳謝)
要するに、彼らも何らかの犠牲を払うべきだろう、ということです。
別に最前線に立たずとも、私財をなげうって戦争に協力するとか
いろいろと方法はあるはずです。
それにしても、宮本氏のエピソードは面白いですね。
そりゃ夢のような生活だわ(笑)
でも、主戦派の文化人や言論人はもっとええもん食ってたのではないでしょうか?
ちなみに、私はこの飽食の時代に体重が60kg割ってます。
ただの不摂生です。
以上、稚拙なレスですが掲示板の片隅を汚させていただきました。
> それと、レスが遅くなってしまったことお詫び申し上げます。
あたくしも、(続く)後をまだ書いてませんので。ここに少し後編のアイデアを流用しますが
> 少なくとも、政治家には戦争に対する責任があります。
> 対して、文化人や言論人にはありません。
> 彼らは自分の発言に対する責任も取らず言いたいことを言うだけです。
しかし、責任うんぬんを言うなら税金制度にしても環境問題にしても、政治家には責任があるが言論人にはない。言いたいことをいうだけだ---という議論は成立します。
また、「反戦」の議論も、「闘っているのは俺たちだ(もしくは亡命者が「あの国と平和共存して、そこで続く圧制に苦しむのは俺たちの家族だ」)。お前らは責任をとらずにいいたいことを言っている」と一蹴できてしまうのですよ。これはジェシカの集会を蹴散らした軍人と、ヤンの言説を比較した「ザ・ベスト」の拙稿をお読みください。
> > > ただ、文化人や言論人はどうでしょう?
> > これも「一兵士として銃を取るよりも国策としての戦争を成功させるべく広くその意義を訴え、鼓舞してもらう方がいい」
> 確かにそれも重要な役割ですが、それは政治家の職務の一部分ではないでしょうか?
政治家の言葉なんて、面白くないから人は聞かない(笑)。
・・・というのも偏見ですが、少なくとも民主主義とメディアが二人三脚で有る以上、メディアで意見を表明し、訴えるという人はそれなりの「職務」として存在します。それは彼らの職務です。
> ぶっちゃけた話、「俺たちが戦ってるのに自分はいいもん食って
> いい酒飲んでいい女とヤってんじゃねえ!」という…(下品陳謝)
> 要するに、彼らも何らかの犠牲を払うべきだろう、ということです。
> 別に最前線に立たずとも、私財をなげうって戦争に協力するとか
> いろいろと方法はあるはずです。
さて、そこで後編に書くつもりだった。小林よしのり氏について。
> ここでも、小林よしのり氏について「自分の人生を戦場にしているようなもの」
> という評価がありましたが、それはちょっと無理な擁護ではないでしょうか?
> 実際に戦争が起きてみなくちゃ、小林氏が日本の誇りを守るために
> 自ら戦いに赴くか、あるいは我々の犠牲の上に美酒と美食と美女に
> おぼれるか分からんでしょうし。
「自分の人生が戦場」というのはおそらく、彼が実際に宗教テロ集団「オウム真理教」にその言説がもとで命を狙われ、実際に暗殺者が喫茶店の後ろのテーブルに武器(VXガス)を手に座るところまで来ていた・・・ということから来ているのでしょう。。統一協会その他もありますが、それは煩雑なのでおいておきましょう。
偶然だとか本人もそこまで考えたわけじゃないとか言う人もいるでしょうが、少なくとも平和日本の言論人の中で、自分の表現・評論でそれだけ具体的なリスクを負った人は(幸いにも)少数派です。
少なくとも私や田中芳樹氏以上にリスクを小林よしのりは言論に命を賭けた、と言えるわけですな。
さらに言えば
> 別に最前線に立たずとも、私財をなげうって戦争に協力するとか
に呼応するかのように、阪神大震災において、小林よしのりは震災をテーマにした連載二回分の原稿料をそのまま寄付しました。具体的にいくらかは知りませんが、おそらく私が寄付した金額の**倍でしょう(笑)。
さて、そうすると・・・小林よしのりは「お前ら、ワシの言論に反対だというなら、言論で命を狙われた実績があるのか?いくら震災復興のために寄付したんじゃ?ゴーマンかましてよかとですか?まず、そんな経験をしてからワシに反対せい!!」と言ってしまえば、それで皆納得するでしょうか。
「俺たちが具体的に犠牲を払うかと、言ってることが正しいかどうかは別でしょ?」といいたくなるのではありませんか。そして、それは正しい反論であると考えます。
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追伸
その阪神大震災時、田中の康夫ちゃんは原付バイクでボランティアをしてたのですが、小林に「あなたも現地で配ってよと行ったらそれを断った。金ではなくなぜ実際に被災地で物資を配らないのか!」と論難していました。
んで、ハト派?の田中氏がそういうのと同様、タカ派?の曽野綾子氏も「私はボランティアで発展途上国に何度も足を運んでいるが(たしかに間違いなく、彼女は現役の日本人作家でもっとも危険な地域に足を運んだ経験のある一人でしょう)、他の若い作家を誘ってもちっとも来ようとしない。その人たちがしたり顔で福祉や援助について意見を語っている」といってます。
だからザ・ベストの「お前が行け論」にもこの二人を引き合いに出しました。田中芳樹は、この二人を前に持論を展開できるか?
初めまして。文月と申します。
田中芳樹先生の本を買っていないのでファンと名乗る資格はないのですがこちらを見つけて過去ログを読ませていただいております。
既出でしたら申し訳ありませんが「お前が戦争にいけ」と「文民統制」との関係について疑問が出てきました。
ここでいう「文民統制」は「軍人は政治に口をださない」と定義しております。
> 銀英伝のテーマのひとつとなっている民主主義とシビリアン・コントロール。その民主主義とシビリアン・コントロール下における政府と軍人との関係を、ヤンは次のように定義しています。
>
> 銀英伝7巻 P194下段~P195上段
> <「ユリアン、吾々は軍人だ。そして民主共和政体とは、しばしば銃口から生まれる。軍事力は民主政治を産み落としながら、その功績を誇ることは許されない。なぜなら民主主義とは力を持った者の自制にこそ真髄があるからだ。強者の自制を法律と機構によって制度化したのが民主主義なのだ。そして軍隊が自制しなければ、誰にも自制の必要などない」
> ヤンの黒い瞳が次第に熱を発した。ユリアンにだけは理解してほしかったのだ。
> 「自分たち自身を基本的には否定する政治体制のために戦う。その矛盾した構造を、民主主義の軍隊は受容しなくてはならない。軍隊が政府に要求してよいのは、せいぜい年金と有給休暇をよこせ、というくらいさ。つまり労働者としての権利。それ以上はけっして許されない」>
上記は「銀英伝考察2 ヤンが殉じたシビリアンコントロールの実態 過去ログA」の一部をコピーしました。シビリアンコントロールに関しては様々な意見があるのですがヤン(田中芳樹自身?)はシビリアンコントロールを軍人は政治に口出ししてはいけない=軍人は政治家になってはいけないと私は解釈しております。
戦争に行く人=軍人と考えてしまうと矛盾が生じてしまうのです。戦争に賛成する政治家は戦場に行くべきだとヤンは考えていたと思うのですが政治家が戦場に行った時点で軍人になってしまって政治に口出ししてはいけない→政治家を辞めなければいけない???
お年を召された政治家は息子を戦場にいかせるべきだという流れになって養子をもらってその子に戦場に行ってもらうなどというズルもあるでしょう。お年寄りを戦場に送る時点で前線も戦争を馬鹿にしているのかなどと起こる気もしますが(笑)。
人を戦争に行けと命令するなら自分が行く覚悟をということでしょうが矛盾を感じてしまいました。
極端な話だとは思うのですが過去ログを読んでいてふと思いついてしまいました。
反銀英伝・思想批判編 1-A お前が戦争に行け論(1)も
参考にしていただけたら幸いです。
自分自身で消化しきれていない部分もあると思いますが不愉快にさせないように気をつけたつもりです。
ご不明な点などたくさんあると思いますが指摘いただければ修正させていただくつもりです。よろしくお願いします。
はじめまして。
こちらこそよろしくお願い致します。
<戦争に行く人=軍人と考えてしまうと矛盾が生じてしまうのです。戦争に賛成する政治家は戦場に行くべきだとヤンは考えていたと思うのですが政治家が戦場に行った時点で軍人になってしまって政治に口出ししてはいけない→政治家を辞めなければいけない???>
ヤン=田中芳樹的には「軍人=現役の職業軍人」で、「戦争に賛成する政治家は戦場に行くべき=過去に戦争を自身で経験した政治家のみが主戦論を主張する資格がある」ということになっているのではないでしょうか。銀英伝の作中でも、退役軍人が政治家に転身するというパターンがいくつか描写されていたりしますし、それについては(好意的には見ていないにしても)別に「シビリアン・コントロール違反だ」と否定されてはいないのですから。
過去の経歴に従軍経験があるアメリカの政治家辺りだと「お前が戦争に行け」論が通用しないということがさすがの田中芳樹にも分かってきたのか、最近ではマスコミや文化人、それに「日本の」政治家に対してこの手の台詞を主張することが多いですね。批判対象を代えたところで主張内容が愚劣なことには変わりないのですが。
<お年を召された政治家は息子を戦場にいかせるべきだという流れになって養子をもらってその子に戦場に行ってもらうなどというズルもあるでしょう。お年寄りを戦場に送る時点で前線も戦争を馬鹿にしているのかなどと起こる気もしますが(笑)。>
実際似たようなことは「戦争に賛成する政治家が自分の子供を戦場に送ったりした例はない」という形で銀英伝でも創竜伝でも言われていますね。養子という抜け道はともかく、「お年を召された政治家は息子を戦場にいかせるべきだという流れ」自体はむしろ田中芳樹的には推奨すべきこととして位置づけられているのではないかと。
あと、田中芳樹は「西風の戦記」という作品で、軍人経験のない生粋の文官である人物が、敵に敗北した現場の軍人達を無能と罵り倒した挙句に自分で前線指揮を行い、結果勝てたはずの戦いで(自分が罵っていた軍人達以上に壊滅的な)惨敗を喫する様を描写していたことがあります。それから考えれば、「お前が戦争に行け」論が非現実的だということを田中芳樹が理解できないことはないはずなのですが、しかし現実には最近の著書の中でさえ「お前が戦争に行け」論を相変わらず主張していたりする始末。
自分でも破綻していると理解できるであろう主張を、それと承知でなお他者罵倒の道具として使用し続けている辺り、田中芳樹にはこの主張を放棄することができない裏の事情でもあるのですかね~((>_<))。
ご意見ありがとうございます。
> ヤン=田中芳樹的には「軍人=現役の職業軍人」で、「戦争に賛成する政治家は戦場に行くべき=過去に戦争を自身で経験した政治家のみが主戦論を主張する資格がある」ということになっているのではないでしょうか。銀英伝の作中でも、退役軍人が政治家に転身するというパターンがいくつか描写されていたりしますし、それについては(好意的には見ていないにしても)別に「シビリアン・コントロール違反だ」と否定されてはいないのですから。
上の意見に納得いたしました。
「お前が戦争に行け」とシビリアンコントロールの関係のせいで
銀河英雄伝説でのジェシカの名セリフ「私の婚約者は戦場で死にました。あなたはどこにいるの?」に対して「私は政治家だから戦場に行きたくてもいけない」と返答することが可能となってしまったのでもやもやしていたのが晴れました。
> <お年を召された政治家は息子を戦場にいかせるべきだという流れになって養子をもらってその子に戦場に行ってもらうなどというズルもあるでしょう。お年寄りを戦場に送る時点で前線も戦争を馬鹿にしているのかなどと起こる気もしますが(笑)。>
これはトリューニヒトならこういう手を考え出すんじゃないかと思って書きました。
1.戦場に行くため死ぬかも知れないので自分の後継ぎとしてなどという理由で少年Aを養子をもらう
2.養子になった少年Aの弱みを握って自分の代わりに戦場に行かせる
3.マスコミには少年Aが「貴方はまだやるべきことがあるのだから」と言って自らトリューニヒトの代わりに戦場に行くことを決意したと宣伝
4.少年A戦死
5.少年Aの戦死を政治的に利用する
これくらいトリューニヒトなら考えてくれそうな気がしたので(笑)
毎日新聞で公約の進展のチェックを1面でしておりましたがこのことに対して「お前が戦争に行け」と主張されている田中芳樹先生がどのように反応されるか楽しみです。
こちらのサイトを見ていてここまで小説の中で社会評論をしていたことに驚いております。
創竜伝などの論でも気になることがあるのでまた書きこませていただきます。
> 「お前が戦争に行け」とシビリアンコントロールの関係のせいで
> 銀河英雄伝説でのジェシカの名セリフ「私の婚約者は戦場で死にました。あなたはどこにいるの?」に対して「私は政治家だから戦場に行きたくてもいけない」と返答することが可能となってしまったのでもやもやしていたのが晴れました。
あと、これはヤンの理想に偏った教条論になりますが
「『軍事力の行使は国家の最終手段、そこに軍事力たる軍人が異を唱える事は国家の存亡上許されない』のだから、文官は『まず最終手段=軍事力の行使に訴える』前に外交なり富国策なりに全力を注げ。特にトリューニヒト、お前の国防策で煽り以外を私は聞いた事がないぞ」
という主張でもありましょう。
>> これはトリューニヒトならこういう手を考え出すんじゃないかと思って書きました。
後ろ盾のフェザーンと地球教の思惑もありますが、実は既に1巻の帝国遠征決議でトリューニヒトには立派な言い分が出来ています。
「私は民主主義を尊び専制を憎む者だが、これは常に主戦論を唱える事を意味しない。どうかこの事を覚えていてもらいたい」と遠征反対に票を投じる事で「『煽り』だけが私の仕事ではないのだよ。判っているかな?特にヤン・ウェンリー」と。