今日はラインハルトの命日だそうなので、彼が死ぬ間際にいった一言について
「宇宙を手に入れたら、みんなで・・・。」
この後につづく言葉を考えれば「みんなでゆっくりと・・・」とか「楽しく・・・」などが考えられるのではないかと思います。
これらを考えると彼にとって専制政治はあくまで「誰からも命令されなくていい力」を得るためのものであったと考えます。そしてラインハルトにとって専制政治の存続は二の次、あるいはどうでも良かったのではないであろうかとおもうのです。
それと比してルドルフには当時の政治体制を何とかしなければならないという感があり、自身が独裁体制を整えた後にも「下らぬ共和主義に戻らせないために」(それが良いかどうかは別として)と言う意味でゴールデンバウム王朝が存続できるだけの体制を整えています。新Q太郎さんがおっしゃる通り、初代の為政者には後世への責任があることを考えればどちらが拠り優秀な為政者であったかは(しつこく言っておくとそれがいいか悪いかはまた別なんですが)いうまでもないとおもいます。
これらのことを考えて、単なる権力志向者であったラインハルトと政治体制の腐敗から全く新しい政治体制を作り出す事で人類全体を活性化させようとしたルドルフ。しかしながら、より良い政治を進めた事によって臣民を健全な生活に導いたラインハルト、信念のあまり臣民を苦しめる結果となったルドルフ。
歴史は一体どちらに正義があったと判断するのでしょう。
随分久々の書き込みになります。
覗きには来てたのですが、ね。
*satokoさん
>歴史はいったいどちらに正義があったと判断するのでしょう。
歴史が正義とみなすのはラインハルトの方だと思います。動機が「不当に奪われた姉を取り戻すため」という個人的なものだったにしても、ラインハルトは虐げられていた平民を救いました。権力を握った者の責任を理想的な形でちゃんと果たしたわけです。一方ルドルフは、人類全体の未来を憂い、政治の腐敗を一掃しようとしたにせよ、結果として多くの平民を苦しめることになりました。体制の維持のため自らを神聖視し、「劣悪遺伝子排除法」という身勝手極まりない法律まで制定しました。
歴史が評価するのはあくまで「結果」ではないでしょうか。何を考えて行動したかではなく、「何を行ってその結果がどうなったか」に尽きるのだと思います。ですから、一部特権階級のみが多大な恩恵に浴し、臣民の自由が妨げられるような体制を作ったルドルフではなく、臣民に公平な税制度と裁判をもたらしたラインハルトが「正義」と判断されるのではないでしょうか。
ベルクアイサル改め、ベルクです。
ヤンと民主主義について話題を振っておきながら、ご無沙汰してしまいました。
さて、正義対決!ラインハルトVSルドルフですが、コイツは難しいですね。
まず公平を期すために、ラインハルトが興した王朝の顛末を考えます。
ローエングラム王朝の顛末・・・・簒奪第一世代が存命の間は盤石。しかしその後については王朝の維持すらも危うい。
これは、開明君主の発生する割合があまりに低いこと、および王朝を維持するための整備がされていないことから、
おそらく間違いないでしょう。数百年の間に王朝は腐敗し、弱体化してしまうことでしょう。
ラインハルトについて考える場合、彼の死後の歴史展開について責任の所在をどこに置くかがキーとなります。
死後すらもラインハルトの責任とするなら、彼の評価は低くなります。
ココで難しいのは、ラインハルトがあまりにも早く亡くなっているため、死後の責任を負わせるのが酷であるのと同時に、彼には王朝の維持や安寧に全くと言っていいほど興味がなかったため、長く生きることがあっても自らの死後をにらんだ国家整備を行うかは疑問である点です。
あ~なんだかワケが解らなくなってきたので、実績ポイントの計測はこの辺でヤメます。
単純化してみると、責任感重大・結果がトホホのルドルフ、責任感希薄・結果はおそらくトホホのラインハルトと評価は定まるでしょう。
単純に正義感だけなら、ルドルフの圧勝。生涯の功績という意味で正義度を測るならばボロが出る前に死んだラインハルトの勝ちでしょう。
ただ、ルドルフは民主政体から皇帝に選任されたため明確な敵を得られず、しかも行き詰まっていた銀河連合の以後の歴史に対する責任を、一身に背負う羽目となったのに対し、ラインハルトは富の偏在を是正するなどの比較的簡単な方策を実行するだけで莫大な正義ポイントを稼ぐことができました。
同じ皇帝となった2人ですが、民主政体から引き継いだ故に、正義ポイントの獲得が難しかったルドルフに対し、旧貴族という明確な粛正の対象を得ていたラインハルト。
この勝負はそもそも公平ではないかもしれません。
結論としては、正義という極めて心情的な物差しで測るなら、明確な悪を得ていたラインハルトの勝ちだと思います。
勝ちと言うよりは、「状況的に絶対勝ってしまう」といった感じでしょうか?
余談:私、ルドルフの能力というのはラインハルトとヤンを足しても太刀打ちできない超人だと思っています。
余談2:あ!ラインハルトとヤンは足したら却って弱くなりそうな気が?
ラインハルトとルドルフの正義なんて
比較する意味あんのかね?
ラインハルトの皇帝即位は、
たんに作者のシナ趣味で
「易姓革命」を描きたかっただけでしょ。
そのためにはラインハルトに倒される
先行王朝が必要だから、
なんで現代の民主社会から王朝ができたのかという説明がいる。
そこでしかたなくナポレオン型の王朝発祥
説話が要請された。
だからルドルフは必要に迫られしかたなく
アリバイ的にちょこっと書き加えられた
存在にすぎない。
それでも偏狭で残虐な独裁者ということにはなってたけど。
シナ趣味の田中としては易姓革命の君主は
英雄だけど
民主主義ばんざいの田中としてはヒトラーやナポレオンは嫌いなの。
だから田中はルドルフを主役にした物語は
かかないわけ。
…とかなんとか、という議論をするところじゃなかったの?
オタク話はFCに行ってやってくれ。
>まむし連さんへ
あの~、もうさきに狙いばらしちゃうと後続かなくなると思ったのですがとりあえず。
ルドルフの存在って田中氏の中国趣味を出すためのアリバイとかそういう単純なものではないと思うんですよね。
民主主義の観点、というかそこから引いての田中氏の考え方から見たらラインハルトよりルドルフの方に正義があるって、田中氏が常々言ってるとこから検証するつもりだったのと、ルドルフと比較すれば専制という政治形態と民主制と言う政治形態を比べるよりラインハルトの政治の長所が見つかりやすいので政治論争にいたりそうな銀英伝の論争もう少しはなしの方で進めやすくなるかと思ったのですが。
もういいやと思ったのですが、レスを返してくださった方の名誉のためにも書いときます。
>ラインハルトとルドルフの正義について
銀英伝(というか田中芳樹作品全般)に貫かれている思想として、戦争は正義と正義のぶつかり合いだとか、人間は正義を語るときにもっとも残虐になるという正義相対論があります。
これは一面の真実をついていて、私も今に至るまで影響を受けていますが、一方で、人間は純粋に正義を否定できるほど強い存在ではないと思うんですね。すなわち、正義を否定する正義、というパラドックスを克服できないと思うのですよ。この矛盾がもっともみっともないところに行き着いたのが、竜堂兄弟の『口では悪を名乗っていて実体は正義そのもの』という事態でしょうね。どうせ正義の名の下に好き放題をやるのなら、言行一致しているだけ(田中芳樹が正義の代表として真っ先に批判する)アメリカの方がまともだとすら思います。
さて、田中作品の理論(正義相対論)に基づけば「ラインハルトとルドルフのどちらが正義か」ではなく「ルドルフは自らの正義の為に数多くの人間を抹殺した」というような言説が正しいのでしょうが、やはりみなさんはそれだけでは納得できない…と考えてよろしいのでしょうか?
ちなみに、私は正義相対論を越える正義はあると思っています。ただ、ラインハルトとルドルフの比較には相当な考察が必要なのですぐに答えを出せといわれると窮するのですが。