この掲示板が「創竜伝」ばかりというのもアレなので、「銀河英雄伝説」にも絡む内容のことを取り上げてみたい。
が、その前にやはり銀英伝は面白い。一人一人のキャラクターの練り上げや陰翳の付け方、適度に気を抜かせるコメディタッチのエピソードなど。批判の為を忘れて、結構夢中に読んでしまった。(管理人氏のように、ファンからの罵声を浴びないように逃げをうってるのかと言われそうだが、まあ3割くらいはそうである(笑)。)
ついでに言うと、銀英伝を読む限り田中氏が作品内の時制や世界観、その統一性などを重んじていないとはとても思えない。何しろこの作品では話に関わらない歴代皇帝の通称まで考えていたのだ。だから創竜伝、やっぱり単に手ェ抜いてんと違うか(笑)。
-----------------
で、本題。銀英伝で重要なヒロインになるジェシカ・エドワーズがトリューニヒトに「私の婚約者は戦場で死にました。あなたはどこにいるの(自分は戦争に行かないの)?」と尋ねるシーンがある。これと同じ論理はヤンの査問委員会など、また創竜伝でも繰り返し繰り返し登場してくる。この議論、確かに単純なだけに素朴で強い説得力を持ち迫ってくる。私とて感情的には「その通り!」と思ってしまう。しかし、その議論は本当に正しいのか。
(続く、多分)
管理人さんへ。
実は下の議論を私はかつて、浅羽通明氏(見えない大学本舗主催者、呉智英氏の弟子として「以費塾」をプロデュース。また小林よしのりの友人として「ゴー宣」にも登場)にぶつけたことがあります。
浅羽氏は、自分の発行するニューズレター「流行神」で読者と対話したり、興味のあるテーマを取り上げて論じたりしているのですが、その内2回を費やして、彼はこの問題を原理的に論じました。
もし興味をお持ちでしたら、このコピーをお譲りいたします。(FAXがあれば、簡単ですが・・・)
メールでご連絡ください。
214の続き、「お前が戦場に行け」という議論」少し重複するし、これの参考にした浅羽通明氏の論文を管理人さんに送ったので、もっと整理されて紹介されることもあるかもしれない。ここでは自分なりの考えも含め、まとめて書きます。
-----------------------
銀英伝で重要なヒロインになるジェシカ・エドワーズがトリューニヒトに「私の婚約者は戦場で死にました。あなたはどこにいるの(自分は戦争に行かないの)?①、要約」と尋ねるシーンがある。これと同じ論理はヤンへの査問委員会
(「主戦派の政治家、官僚、文化人、財界人で『愛国連隊』でもつくり、いざ帝国軍が攻めてきた、というとき、まっさきに敵に突進なさったらいいでしょう。まず、安全な首都から最前線のイゼルローン要塞内にご住居を移されたらいかがです?場所は充分にありますが」③、p154)
など、また創竜伝でも繰り返し繰り返し登場してくる。この議論、確かに単純なだけに素朴で強い説得力を持ち迫ってくる。私とて感情的には「その通り!」と思ってしまう。しかし、その議論は本当に正しいのか。(以上、214を再録)
まずジャブから。権力者や言論人、またその家族が、その主張を自ら実践すべきというご意見は大したものである。・・・さてところで田中氏、創竜伝中で発展途上国に赴きボランティア活動をする人々を称え、「彼らこそ日本の誇り」なんてな事をおっしゃっておられる(どこだったかなあ)。
・・・当然、田中氏は自ら途上国に赴いて、泥にまみれて無償で働いたことがあるのでしょうね(笑)。
「人間の行為の中で、何がもっとも卑劣で恥知らずか。それは権力を持った人間、権力に媚を売る人間が、安全な場所に隠れて(ボランティア)を賛美し、他人には(人道)や(人類愛)を(扇動)して(途上国)へ送り込むことです。」某魔術師の科白を、カッコ内だけ変えてみました(^^:)。
まあこれは無茶な話だ。実際に現地のそこここへ出向くのは田中康夫ちゃんや曽野綾子船舶振興会会長に任せて、田中芳氏は書斎でシリーズの続きを書いてもらい(早く!)その印税を寄付して頂いたほうがよっぽど有益だろう。
それは社長も大臣も基本的には変わらない。彼らは自分の場所でベストを尽くすべきだし(引用は避けるが、始さんが好きな「孟子」にも『為政者も畑を耕すべきか』という論争があったでしょ?)、
それに軍や国家の最高司令官は負けた戦争でも最後まで生き残って、降伏や停戦を自らの権限で決定しない限り、指揮系統を通じた正式な降伏もできず下っ端の敗残兵はひたすら殺されるしかないのだ。知ってるだろう彼もこんなこたあ。
とはいえ、自分や家族の直接的な死を恐れる人々が政治指導者として信頼を得られない、というのは普遍的なものがある。クリントンが徴兵忌避問題で窮地に追い込まれたこともあるし、毛沢東や乃木将軍、ドール、ブッシュ、ネタニヤフやベギンなどは家族に戦死者が出たことや戦場で負傷したことを政治的資産にしている政治家も多い。
ただ、よく見て欲しい。これらの政治家は必ずしも平和主義者ではなかった。むしろ好戦的、と言ってもいい人もいる。そして彼らを批判する人が、戦場を経験していない、と言うことも多かったのだ。こういう場合、戦場帰りの人々がこの言葉を投げつける。
「戦場を本当に知らないくせに・・・」「自分が行ってみろ」田中芳樹の作品なら、ハト派の軍人がタカ派の政治家に投げつける科白だが、実際はその逆のほうが多いのである。(ちょっと違うけど映画「アンタッチャブル」で違法捜査を咎められたコネリーが一言「シカゴへ来てみるんだな」と答えるのを想起されたい)
山本七平(彼こそ『本当に戦場へ行った人』だ)はこういう発想を「生きながら死者の特権を持つ」とし、これこそ帝国陸軍の支配と権力の源泉だとした(「一下級将校の見た帝国陸軍」文春文庫)。キサマ、死ぬ覚悟があるのか、ないならダマットレ!というのが如何に危険であるか。
これは田中氏自身も「スタジアムの虐殺」時の、ジェシカとクリスチアン大佐のやり取り(「死ぬ覚悟があれば、どんな酷いこと、愚かな事をやってもいいの?」)を見る限り気が付いていた筈である。ただ、惜しむらくは田中氏は、クリスチアンの論法とヤンの論法の共通点には気が付かなかったようだ。
(おわり、かな?)
新Q太郎さん、こんにちは
たいへん興味深い命題なので面白く読ませていただきました。
私自身、小林よしのり氏の主張等を聞く度に,
その一部には賛同しつつも、片方でヤンやジェシカの言葉が脳裏をよぎるのも事実ですからね。(こりゃ完全なマインドコントロール症状だな(^^;))
あ、小林氏自身がどうこうということじゃありませんよ。あの人は銃弾の飛んでくる戦場にこそ行ったことはないけど自分の人生そのものを戦場にしてる人ですからね。
「権力側」「体制側」に寝返ったとされる小林氏がありとあらゆる批判・罵声・攻撃・中傷にさらされ、「反権力」「被支配側」を自任する
田中氏が「自分は絶対に傷つかない所で他者を攻撃し」、良識ある善意の作家として賞賛と尊敬と名誉だけを享受する。
やはり戦後日本の奇妙な「ねじれ」を体現した二人、という気がしますね。
>「お前が戦場に行け」論
政治家や将校クラスの人間は、世襲やそれに準ずる登用がなされていることが多く、そうした既得権益にあぐらをかいているものです。その辺を突っつくには一番効果的でしょう。
「戦争は外交の一手段である」というのは一面の真理ですが、人間を消耗品扱いするという事実に現実味を持てない人間の発想じゃないかと。
ジェシカの話題が出ていたので少しだけ。「お前が戦争に行け」論に関してですけど、ジェシカが婚約者のラップ少佐の死によって反戦平和に傾倒したのはいいですけど、それを以って自分の行動を「絶対的な正義」と確信してトリューニヒトを「あなたは戦争に行かない」と糾弾するのはかなり自分勝手だと思います。なぜなら、ラップやヤンは「もず(by 日本ちゃちゃちゃクラブ)」君流に言うなら「軍人という、人間として最低最悪の恥知らずな職業」を自ら選択した訳でしょう?それは、誰にも強制された訳ではありません。二人は徴兵されたんじゃなくて、自分の意思で士官学校に入ったんですから。「軍人になる」ってことは(しかも戦争中)、戦死する場合も覚悟している、って意味です。「タダで勉強が出来る」という利益を享受したのですから、戦死したとしても、国家や指導者を恨むのは筋違いではないでしょうか。「命を掛ける」つもりはなかった、というのなら最初から上級学校への進学を諦めればいいだけの話です。
ジェシカに関しても、軍人を婚約者として自ら選択した(これも誰かが強制した訳ではない)のですから、戦死する事態あり得る、と当然考慮すべきでした。どうもこのへん、危機管理能力が欠如している戦後日本人の思想そのものですね。「戦死する」という最悪の可能性に関して、ヤンやラップ、ジェシカなどはあまり真面目に考えていないように見受けられますから。
それに対して、トリューニヒトは職業軍人を選択したりはしていません。無責任は無責任(愛国的行動を囃しているだけで、実効的に戦争に勝つ為の手段はほとんどやっていない)ですが(政治家がこれじゃ困りますけど)ラップと同列に並べてトリューニヒトに恨みをぶつけるのは筋違い(悲しむな、とは言いませんが)だとは思いませんか?
仮に、兵器開発の技術者が、トリューニヒトと同じように愛国的戦争推進論者(言うだけでも)だった場合、「お前が戦争に行け」と非難することは正しいでしょうか?そんな事をさせるより、兵器開発に没頭してもらった方が、よほど勝利の為に貢献できると思いますけど。トリューニヒトも同じ事だと思います。仮に戦場に連れ出してもあまり役に立ちそうにありませんし。国民の志気を鼓舞するのをやってもらっていた方が、役に立つのではありませんか?銀英伝の話の中で、夫や息子を戦場で失っているのに、更に孫までも「いずれは軍人に」と言って「英雄ヤン」に声を掛けきた老婦人がいましたよね。こういう人もいるんですから。
「お前が戦争に行け!」というのは、要は感情論ですから、論理的な反駁というのは、あまり意味が無いような感じもしますね。指弾する相手を実際に戦場に連れていって、それで戦果が上がるはずもありませんが、だからこの糾弾が意味が無い、ともならないでしょうし。ジェシカはそもそも勝ち負けに興味はないようで、戦争を止めること自体に意義を見出しているはず。戦争に勝ったら勝ったで、「それでもあの人は帰ってきません…」とか言い出しそうですよね。
軍人になっておいて、戦死の可能性を考えないのは、確かに怠慢ですが、徴兵されないまでも、言説に煽られるがまま、という人は多そうだし(小林よしのり氏、大ウケですし)、誰かに死なれて初めて悟る人も多いでしょう。そして、それを「仕方がなかった」と諦めきれない人も。
死ぬ/死なれる、というのは、当然ながら悲しいことなので、そこに理屈づけが欲しくなる。戦時中なら「お国のため」というのが一番ストレートでしょう。だから、お国の上層部が信用できない、というのは我慢がならない。
「お前が戦争に行け!」というのは、「お前は兵士たちの気持ちが判っているのか!」と翻案した方が良いかもしれません。トリューニヒトは確かに考えてなさそうだし。
まあ、ヤンだって、兵士を駒のようにしか扱っていないのですけどね。ヤンの命令でラップが戦死したとしたら、ジェシカはどう反応したのだろう。田中氏は「ヤンの戦争責任」については、仄めかしつつもうまくごまかしている印象があります。
>「タダで勉強が出来る」という利益を享受した
人様の税金を使って学校に通いながら、自衛官にならずに就職する防衛大生のようですな。
>仮に、兵器開発の技術者が、トリューニヒトと同じように愛国的戦争推進論者(言うだけでも)だった場合、「お前が戦争に行け」と非難することは正しいでしょうか?そんな事をさせるより、兵器開発に没頭してもらった方が、よほど勝利の為に貢献できると思いますけど。トリューニヒトも同じ事だと思います。仮に戦場に連れ出してもあまり役に立ちそうにありませんし。国民の志気を鼓舞するのをやってもらっていた方が、役に立つのではありませんか?
「お前は戦場に行け」という論理は、その構成上、エスカレートさせていくと、「戦場にいるったって、安全な要塞のなかにいるだけだろ。お前が前線に出ろ」→「前線といったって戦艦の中じゃねえか。スパルタニアンに乗れ」というように発展していくことになります。
しかし、キャゼルヌをスパルタニアンに乗せて、役に立ちますかね。否、当然、イゼルローンあたりで事務処理でもやらせていた方が役に立つのは明らかです。もっと皮肉を言えば、イゼルローンを落とす時、ローゼンリッターが「俺らが一番危ない立場じゃないか。なんだ、あんたは安全な旗艦にいるくせに。そんな危険な役、あんたが自分でやればいいだろ」と言ったら、ヤン個人では説得も反論も不可能なのです。
イゼルローンは、ローゼンリッターがヤンに対して「個人の自由と人権」を放棄したからこそ、落とすことが出来たわけですね。
指導者と兵士の関係もこれと同じようなものであって、職能ということを考えれば、ただ「お前が戦場に行け」といっても、そうそう説得力があるものではないわけです(ただ、徴兵のがれ等は、平等な義務であるだけ、別ですね)。
>ジェシカの戦い
私も私の親も肉親や親しい人を戦争で亡くしたことはないのでジェシカのような人に対しては本当にお気の毒ですとしか言えないのですが・・・、たしか彼女のお父さんは士官学校の偉いさんでしたよね。
いわば教え子を戦場に送る立場の人なわけで。
当然戦死した人も百や二百ではきかないでしょう。もしそれらの遺族の人が自分のお父さんに向かって同じことを言ったら彼女どう思ったかな?
文春新書「戦争学」を読んでいたら考えさせられるくだりが。
英独戦のバトル・オブ・ブリテンを例に出して、作者の松村氏は論じています。
”ヒトラーは・・・・・攻撃目標をロンドン空襲に変更した。・・・ロンドンの市民は、ロンドン防空を軍に要求した、しかしドーデリングは、制空権の奪取を優先して、航空部隊と対空火器舞台を運用した。高射砲の主力は「航空基地防空」に配置された。彼は制空権を失えば、すべての防空を失うと考えたのである。市民の生命を直接守るのか、航空戦力を守って間接的に市民をまもるのかの選択は・・・”
ヤン艦隊停戦時、ユリアンたちが論じていた「無抵抗の市民に銃を向けるか?」といった問いやレベロの「ヤン暗殺是か非か?」は、ある意味単純すぎて簡単に?答えが出せる。しかし、上気の英独ジレンマは如何?私は戦史は詳しくないが、バトルオブブリテンに負けると英国はそれこそ胸突き八丁の場面だったんでしょ確か?
これをね、是にせよ非にせよ例えば「あんたやあんたの息子が、爆撃で死ぬ心配がないからロンドン防空を後回しにしろなんていえるんだろう」と言ったら、たぶん言った側の負けじゃないかと思う、この場合。
> これをね、是にせよ非にせよ例えば「あんたやあんたの息子が、爆撃で死ぬ心配がないからロンドン防空を後回しにしろなんていえるんだろう」と言ったら、たぶん言った側の負けじゃないかと思う、この場合。
といいますか、軍略の決定において感情論が通っちゃった時点で、その国は(実際の勝敗にかかわらず)負けているんじゃないかと思いますね。
ずいぶんとお久しぶりでございます。
初期によく書かせていただきました、新Q太郎と申します。
(現在は、別のブログなどで活動していますが)
大したことではないのですが、
以前私が書いた文章を「ザ・ベスト」の中で「お前が行け論は有効か?」という1コーナーにしていただいています。
この中で
「浅羽通明氏・・・ニューズレター「流行神」で・・・2回を費やして、彼はこの問題を原理的に論じました」
というくだりがあります。
これはニューズレターという性格上、広く皆さんに読んでいただくことは不可能だったのですが、今年ようやく、この文章を収録した本が一般書籍として出版されました。
天皇・反戦・日本―浅羽通明同時代論集
治国平天下篇 (単行本・幻冬舎)
該当部分はP145から161です。
以前から、何とか多くの人に読んでもらえればと思っていたので個人的にはつかえが取れた感があります。
一応、ザ・ベストの補足情報としてお知らせしました。