概ね、蜃気楼さんと同じ意見なのですが、一点だけ気になった点を。
> スタジアム虐殺については巻き込まれた市民たちも自分の意思でやったことなので自己責任でありジェシカが責められるべきだとは思いません。ただ、危険性を予測できなかったのは軽率です。(これは市民についても言えることです。)
> 集会自体は危険を承知でやる価値があったと思います。ハイネセン市民が軍事委員会に服従したのではないことを示すことは政治的に意味があります。今後のクーデターを抑止する効果がありますし、何よりも解放軍が第2の軍事委員会になることを防げます。シェーンコップはそれに近いことをヤンにそそのかしていましたし。
> この集会については何故か「ワルシャワ蜂起」を連想しました。「どの道助かるのに何故命をかけてまで支配者に抵抗するのか」という点で。
私はあの時点で市民集会を開いたのは早すぎたと思います。一番のタイミングは少し小ずるいですが、ヤン艦隊と救国軍事会議の戦闘がハイネセン上空で始まったときだと思います。(実際には戦闘にならずにアルテミスの首飾りをヤンが破壊したので、その直後でも可)そのときに一斉に市民を蜂起させれば、ハイネセン市民が救国軍事会議を支持していなかったことを証明できるうえに、ハイネセンを市民独自の力で解放することによって解放軍にたいして、市民側も対等な地位を要求できます。救国軍事会議はヤン艦隊との戦闘に躍起になっていて、とても弾圧までには兵をまわせないでしょうから、被害も最小限ですみます。私が一番がっかりしたのはトリューニヒトがなぜそれをやらなかったかということです。解放後にのこのこ出てきても「逃げていた」という印象はぬぐいきれないですし、ヤンが密かにトリューニヒトを始末してしまう(ヤンはやらないでしょうが)可能性だってあります。ワルシャワ蜂起はソ連軍が迫っているという状況を見越して行われたはずです。ただ、ソ連軍は市民側の意図を見抜いて、わざと見殺しにしましたが。
蜃気楼様
私のへたくそで難解な文章への返答大変有難うございます。
嬉しく思います。調子に乗るなといわれそうですが、
またまた自分の考えを述べさせていただきます。
よろしければお読みください。
> ジェシカの視野は狭いと思いますし、それが彼女が批判される大きな要因です。私には恋人の死による精神的な打撃から「反戦のための反戦運動」をしているようにしか見えません。
> まともな精神状態ならアムリッツァでの大敗以降も反戦を唱えるような愚かな女性じゃなかったはずです。アムリッツァ以降の同盟が終戦を望むなら降伏以外の道はないのですから。
反戦のための反戦運動。結構なことだと思います。戦争を止める事は戦争を続けることよりもはるかに意味のある、建設的な行為だと信じるからです。例え戦争を終わらせるに降伏しかなければ降伏するべきでしょう。そのままずるずる泥沼状態に陥るより決断を下し、その上で国民の命をできうる限り守るのが為政者の仕事となると思います。
> 貴方の発言を一部改編します。不愉快でしょうがお読みください。「人間同士の対立は話し合いで解決しなくてはならない。そのための言語ではないかと思います。真摯に向かい合い、話し合えば理解し会う事は不可能ではないでしょう。それを『裁判』に訴えようと決意する人間は責められるべきだと思います。」どうでしょうか?話し合いで何でも解決できるというのは幻想に過ぎないと思います。そもそも、同盟対帝国の戦争は帝国が問答無用でしかけてきたものです。同盟の存在を感知すると同時に見敵必戦(サーチアンドデストロイ)とばかりに攻めてきました。
幻想…。確かに理想、幻想です。だからなんでしょうか?はじめから理想、幻想を捨てて話し合いでは解決できないと思ってしまってはなんの変化もありません。例え向こうが好戦的であれ、それに対応してしまったら自陣も同じ立場に立つのです。確かにすべての戦いを放棄せよとは私も思いません。しかし、停戦、講和のチャンスを探しつづける努力は絶対に必要です。お互いの国にそのように考える人間が多くなれば、機運が高まり話し合いの場を持つ事が出来るようになるでしょう。そのためにこそ戦争手段の放棄を訴えつづけ、話し合いによる解決を望む必要があると思います。
えーと、また横スレになってしまうのですが、ひとつだけお伺いしたくて…。以下の引用文は概ね私も賛成するのですが、最後の「そのためにこそ戦争手段の放棄を訴え続け…」という文のつながりがよく分かりません。戦争を避ける努力と戦争手段を放棄するということは何の前提もなしに=で結びつけてよいのでしょうか? この点のご見解をもう少し詳しく説明いただけたら、この鳥頭めにも合点がいくのですが。
>幻想…。確かに理想、幻想です。だからなんでしょうか?はじめから理想、幻想を捨てて話し合いでは解決できないと思ってしまってはなんの変化もありません。例え向こうが好戦的であれ、それに対応してしまったら自陣も同じ立場に立つのです。確かにすべての戦いを放棄せよとは私も思いません。しかし、停戦、講和のチャンスを探しつづける努力は絶対に必要です。お互いの国にそのように考える人間が多くなれば、機運が高まり話し合いの場を持つ事が出来るようになるでしょう。そのためにこそ戦争手段の放棄を訴えつづけ、話し合いによる解決を望む必要があると思います。
> 反戦のための反戦運動。結構なことだと思います。戦争を止める事は戦争を続けることよりもはるかに意味のある、建設的な行為だと信じるからです。例え戦争を終わらせるに降伏しかなければ降伏するべきでしょう。そのままずるずる泥沼状態に陥るより決断を下し、その上で国民の命をできうる限り守るのが為政者の仕事となると思います。
降伏した結果国民が大虐殺されたらどうするのですか?帝国は100万人もの市民を核兵器で焼き殺したり、政治的な目的のためにあえてそれを阻止しないような国家ですよ?ついでに言えば建国時には粛清に次ぐ粛清で総人口は大幅に減少していますし、今でも共和主義者は政治犯として過酷な強制労働をさせられているはずです。
ジェシカとその支持者たちは「降伏してもいい」なんて一言もいってなかったはずです。それにも関わらず「反戦」を唱えるから批判されるのです。そもそも貴方の発言は同盟の存在意義を根本から否定するものであり同盟市民からの支持は得られないと思います。
>幻想…。確かに理想、幻想です。だからなんでしょうか?はじめから理想、幻想を捨てて話し合いでは解決できないと思ってしまってはなんの変化もありません。例え向こうが好戦的であれ、それに対応してしまったら自陣も同じ立場に立つのです。確かにすべての戦いを放棄せよとは私も思いません。しかし、停戦、講和のチャンスを探しつづける努力は絶対に必要です。お互いの国にそのように考える人間が多くなれば、機運が高まり話し合いの場を持つ事が出来るようになるでしょう。そのためにこそ戦争手段の放棄を訴えつづけ、話し合いによる解決を望む必要があると思います。
「話し合いで何でも解決できる」という幻想を捨てることは話し合いでは解決できないと思ってしまうことではありません。(これは別の幻想をもつことです)
話し合いで解決できないこともあるというまっとうな認識を持つことです。
IK様、蜃気楼様まだまだお付き合いくださいまして有難うございます。
まずIK様、私は武力を持つからこそ戦争が起こると思うのです。
また自陣が武装しておいて、戦争を止めようというよりもまず自陣が
武装を放棄し、お互いに歩みより、話し合いをしようと呼びかけるほうが説得力、大義名分ともに高いと考えているからです。
今気づいたのですが、銀英伝から話がずれてきてしまってますね。
> 降伏した結果国民が大虐殺されたらどうするのですか?帝国は100万人もの市民を核兵器で焼き殺したり、政治的な目的のためにあえてそれを阻止しないような国家ですよ?ついでに言えば建国時には粛清に次ぐ粛清で総人口は大幅に減少していますし、今でも共和主義者は政治犯として過酷な強制労働をさせられているはずです。
この論旨をよく聞きます。現実の例では日本の自衛隊の話で、
自衛隊に反対したら朝鮮が責めてきたらどうするとよく言われます。
でもまずなぜ対立しているか、これは思想、信条の違いからでしょう?
思想、信条は命をかけてまで守るべきものなのですか?
私はどうしてもそうは思えません。思想とは人間の生き方、つまりは
どのようにすれば自分が(そして皆が)幸福になれるかというためにこそあるべきだと考えています。私は戦争をする前に、なぜぶつかるかを
徹底的に話し合い、そして武力の行使にまでいたらないうちにお互いを理解するべきだと申しているのです。
> ジェシカとその支持者たちは「降伏してもいい」なんて一言もいってなかったはずです。それにも関わらず「反戦」を唱えるから批判されるのです。そもそも貴方の発言は同盟の存在意義を根本から否定するものであり同盟市民からの支持は得られないと思います。
うーん、ここに関しては反論できません。実際の同盟市民の考えがわからないので。ちなみに同盟の存在意義とはなんですか?民主的な政治体制を確立することでしょう?(ち、違っていたらすいません)ではそれこそ国という形式にとらわれなくても、と思うのですが。いや、はじめのルドルフの独裁政治に対する抵抗は必要だったと思います。
しかしあのころの情勢では帝国にラインハルトという開明的な独裁者が現れ始めているので、戦争という手段以外にも方法はあると思うのですがね。
> 「話し合いで何でも解決できる」という幻想を捨てることは話し合いでは解決できないと思ってしまうことではありません。(これは別の幻想をもつことです)
> 話し合いで解決できないこともあるというまっとうな認識を持つことです。
持っていますよ。ただし、話し合いではどうにもならないとあきらめるのは本当の最終手段にするべきであるといっているのです。知った風に話し合いでは解決できないなんて言って、話し合いで解決する努力を放棄する事は私はしたくないといっているのです。
> ジェシカはなぜ、同盟国民が戦争を支持しているのか、トリューニヒトをなぜ支持しているのかということを考えるべきだったと思います。もし、ジェシカが同盟国民がトリューニヒトの演説に惑わされていると思っていたとしたら、それは国民を馬鹿にした考えです。国民はそこまで馬鹿ではありません。
いや、確かにそうですね。ジェシカが国民よ目を覚ませ!!なんて言ってたらそれはアジテートであり、自分の価値観を人に押し付ける悪しき独裁的思想ですね。でも私はほんとに市民がトリューニヒトを、というか戦争を指示していたとは思えないのですが…。こんな事を議論していてもしかたないですね。 ただスタジアムの虐殺のときジェシカはその場にいました。そしてトリューニヒトは地下にもぐってわが身の安全を図っていました。どちらが市民と近いかは自明であると思われます。
> 救国軍事会議が集会を弾圧することは目に見えていたわけで、にもかかわらず集会を強行したジェシカの責任は重大です。
イッチーサンの言をお借りしますとスタジアムで民衆が巻き込まれたのはジェシカのせいだと言うのは民衆を馬鹿にした発言ではないでしょうか?ジェシカはけして強制をしたわけではありません。反対行動を募ったのです。そしてそれに共感した市民達が集合したわけですからもちろん危険性も自覚していたはずです。その危険を押してまで反対行動をする意味があると皆が考えたからこそあれだけの人数が集まったのでしょう。
> 軍隊を率いたワシントンと一般市民を軍隊に立ち向かわせたジェシカは同列で比べられないと思います。
確かにそうです。やはりいい例ではありませんでした。未熟なもので思い浮かばなかったのです。何が言いたいのか余計にわからなくしてしまいました。申し訳ございません。
ちなみにエバンスではなく、クリスチアンでしたね。ご指摘有難うございます。偉そうに書きこんでおきながら間違うなんて汗顔の至りです。どうぞお見捨てなく参加させていただけたら嬉しいです。
Ken様、IK様
横レス大変申し訳ございません。
> > > 大きな戦争を避けるために小さな戦争をしなければならないという例は歴史上いくつもあります。
> >
> > おそらくそうなのでしょう。
> > 「大きな戦争を避けるため」だけでなく、この世には、戦争にうったえても守らねばならないものがある、という考えに私も賛成します。そして、そのことは銀英伝の作者の考えでもあり、だからこそ、ヤンたちは、ラインハルトが築いた体制の下で、全人類が当面はつつがなく暮らせることを承知の上で、なおイゼルローンに拠って戦い続けたのでしょう。
>
> 国家が戦争に訴えてでも守るべきものは国民の生命と自由、そして財産、これしかありません。これが侵食されるのを座視したがために、全力で叩き潰さなければならないほどに事態が悪化した例を上の文章は指しています。
お二人のお言葉、大変素晴らしいと思います。いいたい事をこれだけばちっとお言葉に出来る。羨ましい限りです。私も精進せねば。
確かに力に訴えてでも守らなくてはならないものもありますよね。それは確かにそうです。しかしそう考えると悲しいですね。なぜそこまでして相手に干渉するのでしょう?お互いがお互いを認め、尊重しあえば争いは話し合いで解決できると信じているのですが、難しい事ですね。
>> 降伏した結果国民が大虐殺されたらどうするのですか?帝国は100万人もの市民を核兵器で焼き殺したり、政治的な目的のためにあえてそれを阻止しないような国家ですよ?ついでに言えば建国時には粛清に次ぐ粛清で総人口は大幅に減少していますし、今でも共和主義者は政治犯として過酷な強制労働をさせられているはずです。
>この論旨をよく聞きます。現実の例では日本の自衛隊の話で、
>自衛隊に反対したら朝鮮が責めてきたらどうするとよく言われます。
>でもまずなぜ対立しているか、これは思想、信条の違いからでしょう?
思想、信条の違いだけが戦争の理由ではありません。日本と北朝鮮に関して言えば向こうが勝手に敵対してきているだけです。日本からは一発の銃弾も打ち込んでいません。国民を誘拐されても何もしないという非常識なまでに抑制された態度をとっています。
>思想、信条は命をかけてまで守るべきものなのですか?私はどうしてもそうは思えません。
そう考えるのはあなたの自由ですが、そういった人間が増えると暴力で政治を動かそうとする人間にとってはやりやすくなるでしょうね。5・15や2・26で政治家が萎縮したのが軍部の暴走を招いた一因であることを指摘しておきます。
>思想とは人間の生き方、つまりはどのようにすれば自分が(そして皆が)幸福になれるかというためにこそあるべきだと考えています。私は戦争をする前に、なぜぶつかるかを
>徹底的に話し合い、そして武力の行使にまでいたらないうちにお互いを理解するべきだと申しているのです。
だからそれは相手もこちらを理解しようとしているしいつかは必ず理解し合えると言う前提での話でしょ?もし違ったらどうしますか?話し合いのためにさける時間は無限ではありませんし、理解しあえてもお互いに主張を譲れないかもしれません。中東問題なんかこの典型だと思うのですが。
>> ジェシカとその支持者たちは「降伏してもいい」なんて一言もいってなかったはずです。それにも関わらず「反戦」を唱えるから批判されるのです。そもそも貴方の発言は同盟の存在意義を根本から否定するものであり同盟市民からの支持は得られないと思います。
> うーん、ここに関しては反論できません。実際の同盟市民の考えがわからないので。ちなみに同盟の存在意義とはなんですか?民主的な政治体制を確立することでしょう?(ち、違っていたらすいません)ではそれこそ国という形式にとらわれなくても、と思うのですが。いや、はじめのルドルフの独裁政治に対する抵抗は必要だったと思います。
>しかしあのころの情勢では帝国にラインハルトという開明的な独裁者が現れ始めているので、戦争という手段以外にも方法はあると思うのですがね。
国家という形式にとらわれないと言うのは、帝国の民主化を指しているのですか?だったらそれが出来なかったからこそ共和主義者たちは強制労働をさせられたのだし、おそらくそれは今でも続いていることを指摘しておきます。
ラインハルトは開明的な独裁者ですが同時に戦争大好き人間でもありますよ?彼と和平を結びたいのなら帝国郡を完膚なきまでに打ち破る必要があります。例えそれに成功しても帝国軍が再建されるまでの一時的なものにしかなりえません。
>持っていますよ。ただし、話し合いではどうにもならないとあきらめるのは本当の最終手段にするべきであるといっているのです。知った風に話し合いでは解決できないなんて言って、話し合いで解決する努力を放棄する事は私はしたくないといっているのです。
交渉においては決裂時のための備えは必要ですし、「決裂」と言うオプションがこちら側にないことを知られれば相手側は足元を見て理不尽な条件を突きつけてくるでしょう。
無論、交渉をまとめるための努力は最大限するべきです。
IKさん、そしてみなさん、
なんだか、すごく大きなツリーになってきましたね。枝分かれが多くて、私の粗雑な頭では、フォローするのが大変です。
私、IKさんの言われることは、よく理解できるつもりだし、おおむね賛同します。ですから、ここでは「ちょっと賛同できないな」という点のみ、問題にさせていただきます。
>ダブルスタンダードだとも思いませんよ。トリューニヒトは元首なんだから
アニメの中で、アッテンボローがヤンに語るところでは、トリューニヒトは自分が徴兵されたとき、後方勤務ができるように工作をしたそうです。また、エドワーズ委員会の調査では、「政界、財界、官界の重要人物たち」(つまりトリューニヒト一派のことですが)の子弟のうち、軍隊に入ったのは15パーセント、前線へ送られたのは1パーセントでした。やっぱり、ダブル・スタンダードだと思います。
>彼女が非難すべきなのはトリューニヒトではなく同盟市民ではないでしょうか
原則的には、そのとおりなのですが、ただ、トリューニヒトは、同盟市民が政治指導者と政策を、自由に選ぶ権利を行使するのを、可能な限り妨害していたのも事実です。憂国騎士団はそのための重要な手駒で、政敵を暴力や脅迫で黙らせたし、ヤンが将来政敵になると思えば、秘密の査問会で精神的リンチにかけたりしました。そして、ジャーナリズムもトリューニヒトに牛耳られているおかげで、一般の同盟市民は、このようなことを知らされていないのです。それを思えば、トリューニヒトを元首にしたことの責任を、全面的に市民に負わせるのは、気の毒な気がします。
ケスラセラさま、いつもレスありがとうございます。
> いや、確かにそうですね。ジェシカが国民よ目を覚ませ!!なんて言ってたらそれはアジテートであり、自分の価値観を人に押し付ける悪しき独裁的思想ですね。でも私はほんとに市民がトリューニヒトを、というか戦争を指示していたとは思えないのですが…。こんな事を議論していてもしかたないですね。 ただスタジアムの虐殺のときジェシカはその場にいました。そしてトリューニヒトは地下にもぐってわが身の安全を図っていました。どちらが市民と近いかは自明であると思われます。
仮に同盟国民の多数派が戦争反対だったとしても、政治というのは組織化されていない多数派の声より組織化された少数派の声を重視するものです。トリューニヒトの支持基盤は軍人と亡命者だと思われますが、それらは最も組織化された集団です。ジェシカがそれに対抗するには、トリューニヒトの支持基盤を突き崩すか、浮動標的反戦派を結集する必要があります。
実はクーデター以後の同盟国民というのは私に不可解な存在で、クーデター中隠れていたトリューニヒトは国家元首への復帰は絶望的でしょう。(二・二六事件中女中部屋に隠れていた岡田首相が辞任に追い込まれたように)にもかかわらず、トリューニヒトは国民に支持され、銀河帝国正統政府の樹立まで支持するなんてあまりにも馬鹿すぎます。田中氏が大衆という存在を蔑視していたとしか思えません。
> イッチーサンの言をお借りしますとスタジアムで民衆が巻き込まれたのはジェシカのせいだと言うのは民衆を馬鹿にした発言ではないでしょうか?ジェシカはけして強制をしたわけではありません。反対行動を募ったのです。そしてそれに共感した市民達が集合したわけですからもちろん危険性も自覚していたはずです。その危険を押してまで反対行動をする意味があると皆が考えたからこそあれだけの人数が集まったのでしょう。
市民たちが集会に参加したのは、ヤン艦隊がドーリア星域会戦で勝利したという情報が報道管制をかいくぐって伝わったためであろうと思われます。それでさも解放が近いかのように思った市民たちにジェシカは平静を呼びかけるべきでした。たとえ、一人一人の意識がしっかりしていても集団になればどんな不測自体が発生するかわからないということをジェシカが知らなかったとすれば、あまりにもうかつとしか言いようがありません。
IKさんあてのレスのようですが、少し気になったことを。
> アニメの中で、アッテンボローがヤンに語るところでは、トリューニヒトは自分が徴兵されたとき、後方勤務ができるように工作をしたそうです。また、エドワーズ委員会の調査では、「政界、財界、官界の重要人物たち」(つまりトリューニヒト一派のことですが)の子弟のうち、軍隊に入ったのは15パーセント、前線へ送られたのは1パーセントでした。やっぱり、ダブル・スタンダードだと思います。
トリューニヒトが徴兵されたとき、後方勤務にまわるように工作したのは、彼が体が弱かったとか運動神経が鈍かったとかいった理由があるのではないでしょうか。体が弱かったりおとなしい人物がそのことにコンプレックスを持ち、逆にタカ派になるということはままあるものです。あと、「政界・官界・財界の重要人物」といってもそれらがみんなトリューニヒト派とは限らないでしょう。むしろ、そういった人たちの子弟が後方勤務になるよう口利きをすることで今日の権力をトリューニヒトがきずいた可能性があります。
> 原則的には、そのとおりなのですが、ただ、トリューニヒトは、同盟市民が政治指導者と政策を、自由に選ぶ権利を行使するのを、可能な限り妨害していたのも事実です。憂国騎士団はそのための重要な手駒で、政敵を暴力や脅迫で黙らせたし、ヤンが将来政敵になると思えば、秘密の査問会で精神的リンチにかけたりしました。そして、ジャーナリズムもトリューニヒトに牛耳られているおかげで、一般の同盟市民は、このようなことを知らされていないのです。それを思えば、トリューニヒトを元首にしたことの責任を、全面的に市民に負わせるのは、気の毒な気がします。
憂国騎士団の存在は一般国民にも認知されていました。にもかかわらず、その存在に目をつむったこと。ジャーナリズムが御用機関に成り下がっていたこと、それ自体が同盟国民の腐敗と堕落を表すものです。国民の責任は免れないと思います。
どうも蜃気楼さん、はじめまして。八木といいます。
横レス、しかもどーでもいいかもしれない所にちょっと疑問がありまして書かせていただきます。
>そもそも、同盟対帝国の戦争は帝国が問答無用でしかけてきたものです。同盟の存在を感知すると同時に見敵必戦(サーチアンドデストロイ)とばかりに攻めてきました。
帝国と同盟との150年に渡る戦争は、宣戦布告がないままに始まりました。確かに帝国は同盟の存在を知るやいなや攻めてきました。
しかし元々は同盟戦艦と帝国戦艦の偶然の遭遇戦から起きました。この戦いは、これあるを覚悟していた同盟側が無警戒の帝国側に勝ったものの、破壊された帝国戦艦が本国に連絡を送ったことから戦争が始まりました。しかしこのことから同盟は、帝国と最初から外交交渉ではなく対決姿勢を決めていたと想定されます。まぁ同盟の建国の歴史を考えると、これは仕方がないかもしれませんが…。
帝国とていきなり自分たちの戦艦が撃沈され、逃亡した奴隷達の子孫が生きていると知れば、まず報復を与えようとするでしょう。
つまり、国家ではなく叛徒どもと考えたからです。結局、討伐艦隊を送ったものの敗れましたが。
このことから、この長い戦争の発火点はどちらが悪いと言えるのか。同盟のことをまるで知らなかった帝国。外交交渉の余地を最初から示すことがなかった同盟。帝国の姿勢は問題外かもしれませんが、同盟の方にも同じく問題があり、蜃気楼さんが言う問答無用で帝国が攻めてきたとは言えないと思えます。
どれがどのスレなのかプレーンで読んでいるとこんがらがってしょうがないです(笑)。
えーと、有力者の子弟が後方勤務に回されることはよくある話です。アメリカの例で言えば、反戦運動に身を投じることでそれなりにリスクを犯したクリントン氏はともかく、前回の大統領選挙で泥仕合を演じたアル・ゴア前副大統領にしても、ジョージ・ブッシュ現大統領にしても、明らかに父親のコネクションを利用して徴兵を逃れています。
アメリカもその前の世代の政治指導者は前線で戦った人も多かったのですけれどね。この辺り、確かに衰亡の兆しが見て取れます。
トリューニヒトの件ですが、私は何も彼を好いているわけではないのです(こういうとラインハルトみたいですが)。ただし、彼は自由惑星同盟の国家元首である。彼の性格すべてを乗り越えて、元首という属性を最重要視しているのです。そのような卑怯な男が元首になれる国家となってしまった責任はトリューニヒト氏ひとりにかぶせる訳にはいかないと思います。
トリューニヒトのありようを含めて、それが同盟のありようならば、そこを突付かなければどうにもならないと思うのですが。いつの時代にもトリューニヒトは存在するのですから。
ジェシカについて思うのは、まず自分のことを省みて欲しいということです。軍人の父親を持ち、軍人の婚約者を持ち、軍人を慕っている。決して軍人を敵視するものではないですが、彼女の生活費、教育費は軍事機構の出費の上に成り立ってきたのではないでしょうか。
ジャン・ピエールの戦死ではたまたま彼女は遺族になりましたが、これまでその膨大な数の遺族を生み出してきた機構によって彼女は生かされてきたのではないですか。
まあ、きっとおそらくジェシカ自身は内部でそのような自省もし、ゆえに決意も固めたのでしょうが、内面は少なくとも小説には描かれていませんね。そこがない限り、ただ他人を批判するだけでは正直鼻白んでしまいます。
はじめまして。そして横レス失礼いたします。
> 私は武力を持つからこそ戦争が起こると思うのです。
ケセラセラさま、一般的に、戦争の目的って何だと思いますか?武力を使いたいから戦争を起こすのではありませんよ(人類史上、そんな戦争聞いた事ない)。ある主体(だいたい国家)が自らの欲求を実現するための手段して戦争を選択するのです。武力はその戦争を実行するための手段に過ぎません。
つまり、欲求という根が存在する限り、いくら武力という枝を切っても無駄です。
> また自陣が武装しておいて、戦争を止めようというよりもまず自陣が
> 武装を放棄し、お互いに歩みより、話し合いをしようと呼びかけるほうが説得力、大義名分ともに高いと考えているからです。
相手が歩みよってこなかったら?こっちが武装放棄したのをこれ幸いと攻めこんできたら?そしてその結果自国の国民の生命・身体・財産が害されたらどう責任をとるんです?
> この論旨をよく聞きます。現実の例では日本の自衛隊の話で、
> 自衛隊に反対したら朝鮮が責めてきたらどうするとよく言われます。
> でもまずなぜ対立しているか、これは思想、信条の違いからでしょう?
違います。思想・信条の違いだけで起きた戦争はむしろ少数ですよ。
米ソ冷戦だって例外ではない。経済的な問題を含め、様々な対立要素がある。しかしそれらは口に出して言うには生生しすぎるから「思想」を全面に押し出していたに過ぎません。
そもそも戦争や対立の原因は一つであるなどと考える事自体が間違っているのです。
> 思想、信条は命をかけてまで守るべきものなのですか?
> 私はどうしてもそうは思えません。思想とは人間の生き方、つまりは
> どのようにすれば自分が(そして皆が)幸福になれるかというためにこそあるべきだと考えています。私は戦争をする前に、なぜぶつかるかを
> 徹底的に話し合い、そして武力の行使にまでいたらないうちにお互いを理解するべきだと申しているのです。
まず一つ。あなたが「思想とはこうあるべきである」と考えている事と、一般的に「思想とはこういうものである」という事は全く別です。
思想は命を賭けて守るべきものではない、とおっしゃる。ならばあなたは銃を突きつけられナチズムを信奉しろと言われたときどうしますか?
命を守るためにナチズムを信奉しますか?
それから、理解したとして、戦争が回避できるとは限りませんよ。湾岸戦争の時誰もがイラクがクウェートを領有したがっていることは理解していましたし、イラクも多国籍軍諸国がクウェートの領有を認めるつもりが無い事を理解していました。で、実際に戦争は回避されましたか?
> 持っていますよ。ただし、話し合いではどうにもならないとあきらめるのは本当の最終手段にするべきであるといっているのです。知った風に話し合いでは解決できないなんて言って、話し合いで解決する努力を放棄する事は私はしたくないといっているのです。
戦争を始める前に、基本的にはどこの国も話し合いで解決する努力はしていますよ。実際にドンパチやるより話し合いで解決した方が往々にして安上がりですから。諦めるのは最終手段?当たり前です。
では努力するのはいいとして、それで解決できなかったら?戦争はだからこそ起こるのですよ。
はじめましてカリプトゲナと申します。
数週間前にこのHPを発見し、以来何度も拝見していますが書き込むのは初めてです。
なんか日本と北朝鮮との問題になぞらえた「戦争と話し合い」に関する話が書かれていましたが僕の意見はこうです。
戦争とは話し合いの延長線上にあり、戦争が起きるときはたいがいその前に話し合いが幾度となくおこなわれます。
しかしこのとき片方の国が戦争の準備をしていなかった場合その国は戦争という手段を断たれた状態で話し合いを行わなければならないので、話し合いが非常に不利になります。
そういった意味で軍事力を持つことはそれを行使せずとも非常に意味のあることだと思います。またそれは巨大であればあるほど意味が大きくなります。
これを抑止力という。
大きな武力を持っていれば他国から戦争を吹っかけられることはないのです。
そういう意味で小泉の「日本は軍事力を背景にした外交をしない」という発言はナンセンス極まりないでしょう。
それにしてもジェシカは軍事力なくして平和が訪れると思っていたのだろうか?戦争が慢性的に起きている国の議員の見識としてはお粗末なような気がします。
> IK様、蜃気楼様まだまだお付き合いくださいまして有難うございます。
> まずIK様、私は武力を持つからこそ戦争が起こると思うのです。
> また自陣が武装しておいて、戦争を止めようというよりもまず自陣が
> 武装を放棄し、お互いに歩みより、話し合いをしようと呼びかけるほうが説得力、大義名分ともに高いと考えているからです。
> 今気づいたのですが、銀英伝から話がずれてきてしまってますね。
>
> > 降伏した結果国民が大虐殺されたらどうするのですか?帝国は100万人もの市民を核兵器で焼き殺したり、政治的な目的のためにあえてそれを阻止しないような国家ですよ?ついでに言えば建国時には粛清に次ぐ粛清で総人口は大幅に減少していますし、今でも共和主義者は政治犯として過酷な強制労働をさせられているはずです。
>
> この論旨をよく聞きます。現実の例では日本の自衛隊の話で、
> 自衛隊に反対したら朝鮮が責めてきたらどうするとよく言われます。
> でもまずなぜ対立しているか、これは思想、信条の違いからでしょう?
> 思想、信条は命をかけてまで守るべきものなのですか?
> 私はどうしてもそうは思えません。思想とは人間の生き方、つまりは
> どのようにすれば自分が(そして皆が)幸福になれるかというためにこそあるべきだと考えています。私は戦争をする前に、なぜぶつかるかを
> 徹底的に話し合い、そして武力の行使にまでいたらないうちにお互いを理解するべきだと申しているのです。
>
> > ジェシカとその支持者たちは「降伏してもいい」なんて一言もいってなかったはずです。それにも関わらず「反戦」を唱えるから批判されるのです。そもそも貴方の発言は同盟の存在意義を根本から否定するものであり同盟市民からの支持は得られないと思います。
> >
> うーん、ここに関しては反論できません。実際の同盟市民の考えがわからないので。ちなみに同盟の存在意義とはなんですか?民主的な政治体制を確立することでしょう?(ち、違っていたらすいません)ではそれこそ国という形式にとらわれなくても、と思うのですが。いや、はじめのルドルフの独裁政治に対する抵抗は必要だったと思います。
> しかしあのころの情勢では帝国にラインハルトという開明的な独裁者が現れ始めているので、戦争という手段以外にも方法はあると思うのですがね。
>
> 「話し合いで何でも解決できる」という幻想を捨てることは話し合いでは解決できないと思ってしまうことではありません。(これは別の幻想をもつことです)
> > 話し合いで解決できないこともあるというまっとうな認識を持つことです。
>
> 持っていますよ。ただし、話し合いではどうにもならないとあきらめるのは本当の最終手段にするべきであるといっているのです。知った風に話し合いでは解決できないなんて言って、話し合いで解決する努力を放棄する事は私はしたくないといっているのです。
ところで、「全宇宙を我が手に」と「自分を守って死んだ親友との誓い」などという個人的事情によって思い詰めた、「戦争して勝ちたい病」に罹患している、ラインハルト・フォン・ローエングラムという独裁者相手に、果たして「話し合い」が通じるものでしょうか?で、それって、「同盟が武力を持っているから」戦争が起こるんだ、と思います?同盟が武力を持っていようと持っていまいと、ラインハルト・フォン・ローエングラムは同盟に侵攻しますよ。征服されておしまい、というだけで、「話し合い」なんか発生しようがありません。この手の独裁者には、相手の言うことを聞く耳なんかないんですから。
征服されたくなければ、武力をもって抵抗するしかなく、相手が「力」しか理解しないのでは、それもやむを得ません。10巻の最後の戦闘(ユリアンたちに、ブリュンヒルトに突入されたところ)でも、「余のところまで来られないような相手なら、話を聞いてやる必要もない」とまで言い放っていたのがラインハルトです。「力」しか理解しない戦争狂、としか言いようがありませんよ。
また、いかに開明的な独裁者だと言っても、「民主共和制」を信じている者にとっては、そんなもの受け入れられる筈はないじゃありませんか。それだったら、そもそもアルタイルの奴隷たちが、命がけで逃げ出して同盟を建国する必要など、最初からなかった筈です。ゴールデンバウム王朝にだって、開明的な君主が全く居なかった訳でもないんですから。主義主張が正面衝突してお互い譲れない場合、嫌でも戦いになりますよ。こればかりは、どうしようもないですね。パレスチナなどを見ての通りです。
ケスラセラさんに。
先日はレス、ありがとうございました。
それで合点がいったかというと、うーん、残念ながらそうは言えません。これについては私は蜃気楼さんと考えが近いようです。ケスラセラさんのおっしゃることに頷ければいいのですが、とは申し上げておきましょう。自慢めいて聞こえるかも知れませんが、そうなるには私は少しばかり知り過ぎているようです。
敢えて解説は申し上げませんが、国際関係において被害者は悪、という見解について考えて見てください。
ただし、常に理性でもって和平の道を探る用意をしておくのは重要なことです。戦争に至った時点で政治は挫折したことをしっかりと自覚しておくべきでしょう。
日中戦争の最中、近衛文麿首相が出した「蒋介石を相手にせず」という宣言などはもってのほかです。
中公文庫にロバート・ケネディ著の「13日間」という本が収められています。キューバ危機において米ソ両首脳がいかに理性を働かせて巨大な戦争へと突き進もうとする運動を食い止めたかという記録です。よろしければ、ケスラセラさん、蜃気楼さん、不沈空母さんのご一読をお勧めします。