所で、新年なんでちょっと新しいネタを。思想云々はともかく田中芳樹の書く小説の、戦略・戦術面でのリアリティと思考実験的楽しさは、私には突っ込み様の無い素晴らしいものに思えるのですが、どうでしょうか?
この点に関しての、批判的レスお待ちします。田中芳樹の思想に関しても、昔私はこう考えていた訳なので、その固定観念に一石を投じる新しい見方、お待ちしています。
皆さん、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
実家からの送信なので、一部うまくいかない所がありましたらご容赦下さい。
>思想云々はともかく田中芳樹の書く小説の、戦略・戦術面でのリアリティと思考実験的楽しさは、私には突っ込み様の無い素晴らしいものに思えるのですが、どうでしょうか?
銀英伝の戦術描写についてですが、戦史に詳しい田中氏だけに、元ネタには不自由しないでしょう。
1巻のイゼルローン攻略作戦については全く同じ話が「太平記」にあります。さらにたぐれば、氏の好きな中国の古典にも元ネタになったエピソードがあるのかもしれません。
バーミリオン会戦の展開なんかは、川中島の戦いかワーテルローの戦いのアレンジでしょう。
その他の戦いについてもモデルの心当たりがある方は是非ご教授下さい。
あ、言っておきますが、私は「パクリだからダメだ」なんて言うつもりは全くありませんよ。
むしろ「へえ、上手く取り入れているなあ。」と感心した位です。(もっとも「イゼルローン攻略」については、赤坂城みたいな小城ならともかく、あんな人工惑星みたいな巨大要塞を司令官1人人質にした位で乗っ取れるはずないと思いますが。ま、「小説だったら許される」でしょう。)
小村損三郎さん
>その他の戦いについてもモデルの心当たりがある方は是非ご教授下さい。
恐らく7巻のイゼルローン攻略戦とマル・アデッタ会戦はレイテ沖海戦の捷一号作戦が元ネタだと思います(日本軍は失敗しましたけど)。
本来の主力がおとりとなって敵の目を引きつけ、その間に別口で戦略的目標を達成する。そして共通点として「囮と別口の両者とにも互いの行動を把握しておらず、結果としてそうなった」というところでしょう。
後、アスターテ会戦は第一次大戦時の西部戦線が元ネタだそうですが、そのあたりは詳しくないのでどなたかご存じの方はおられないでしょうか。
はじめまして。ゲオルグと申します。(北村さんとは以前違うHNで別の掲示板でお会いしてますが)
さてアスターテ会戦ですがこれは第一次世界大戦東部戦線のタンネンベルク会戦がモトネタでしょう。
ドイツ軍が機動力を駆使してロシア軍の3倍の兵力的優位を覆した戦いです。(作戦立案者は大戦当時最高の用兵家と思われるマックス・ホフマン。彼はヤン・ウェンリーのモデルの一人だと思います)
このときのロシア軍指揮官は日露戦争で将官同士の殴り合いを演じるほど険悪な仲だったサムソノフとレンネンカンプで、サムソノフは自責の念からか自決、レンネンカンプは敗走のあまりの速さから部下に『レンネン・フォン・カンプ』(独語で戦闘から逃げ出すの意)と呼ばれています。
しかし私には同盟軍が兵力を三分した意味がわからないです。包囲殲滅を企図したにしても二分でOKでしょう。そうすれば少なくとも一方的な敗北はなかったでしょうに。
>はじめまして。ゲオルグと申します。(北村さんとは以前違うHNで別の掲示板でお会いしてますが)
>さてアスターテ会戦ですがこれは第一次世界大戦東部戦線のタンネンベルク会戦がモトネタでしょう。
>ドイツ軍が機動力を駆使してロシア軍の3倍の兵力的優位を覆した戦いです。(作戦立案者は大戦当時最
>高の用兵家と思われるマックス・ホフマン。彼はヤン・ウェンリーのモデルの一人だと思います)
丁寧なご返答有り難うございます。
そうですか東部戦線でしたか。名前は忘れましたが最初の作戦参謀は戦力不利だけを見て「状況は絶望的」と報告したのに対し、参謀を替えたところ、見事な各個撃破で大勝利をおさめたところまで同じだったはずです。
で、私がこの戦いを知ったのは旧日本軍関係の本でした。
実は旧日本陸軍はこの戦いを「戦力的に不利でも、好機を見て攻勢に出れば勝利をつかめる」戦訓としました。
まあそこまでは間違っていないのですが、太平洋戦争中に「とにかく楽観的な情報だけ見て、攻勢に出ろ」と言う意味になってしまい、このため各所の戦闘で、敵と直接相対している前線部隊からの敵情報告を退け、実行不可能な攻勢を要求する事態となりました。
このあたりは大本営情報参謀を務めた、堀栄三氏の一連の著作「大本営参謀の情報戦記」等に詳しいです。実際、堀氏はフィリピン攻防戦にて、正確な情報を何度も大本営に報告しているのに、ことごとく握りつぶされ、非難に晒されたあげく「お前は(上記の失敗した)ドイツ軍参謀と同じだ。二度と大本営に戻れると思うな」と酷評されたそうです。
しかもまずいことに旧日本軍では守勢に回ると、どれだけ奮戦しても「なぜ攻勢に出ないのか」と非難に晒される(沖縄戦がよい例)が、攻勢に出て失敗しても「積極的に戦ったから」と大して問題視されない悪弊があり、多くの戦闘で無為な犠牲を出すことに繋がりました。
このあたりは、やっぱり日本軍は負けて当然だったとしか言いようがありません。
捷一号やタンネンベルク会戦を巧みに引用し、自分の物語を作る手腕には、今更ながら感心せざるを得ないですね。
しかし、これだけの知識を持ちながら、なぜ創竜伝に行き着いてしまうのかが、今更なから疑問ですね。
>太平洋戦争中に「とにかく楽観的な情報だけ見て、攻勢に出ろ」と言う意味になってしまい、このため各所の戦闘で、敵と直接相対している前線部隊からの敵情報告を退け、実行不可能な攻勢を要求する事態となりました。
> このあたりは大本営情報参謀を務めた、堀栄三氏の一連の著作「大本営参謀の情報戦記」等に詳しいです。実際、堀氏はフィリピン攻防戦にて、正確な情報を何度も大本営に報告しているのに、ことごとく握りつぶされ、非難に晒されたあげく「お前は(上記の失敗した)ドイツ軍参謀と同じだ。二度と大本営に戻れると思うな」と酷評されたそうです。
こ、これは「日本人のコトダマ信仰の害」の典型例・・(^^;;)。
>レンネンカンプは敗走のあまりの速さから部下に『レンネン・フォン・カンプ』(独語で戦闘から逃げ出すの意)と呼ばれています。
この人って「坂の上の雲」では割と良い役でしたっけ?
>本来の主力がおとりとなって敵の目を引きつけ、その間に別口で戦略的目標を達成する。そして共通点として「囮と別口の両者とにも互いの行動を把握しておらず、結果としてそうなった」というところでしょう。
捷一号作戦はたしか、初めから小沢艦隊が囮役を引き受けることを前提にした作戦ではありませんでしたっけ。
「互いに行動を把握していなかった」というのは作戦が始まってからのことでは?
小村さん
>この人って「坂の上の雲」では割と良い役でしたっけ?
いや、あの作品は有能・無能の色分けが銀英伝以上にはっきりしてまして、彼はサムソノフともども《馬鹿》として描かれています(笑)
>いや、あの作品は有能・無能の色分けが銀英伝以上にはっきりしてまして、彼はサムソノフともども《馬鹿》として描かれています(笑)
そうでしたね。
良い役だったのはコンドラチェンコ少将でした。
“レンネンカンプ”同様徳間ノベルスの某作品に同名のキャラが登場してましたので混同してました(笑)。
モデルか?
小村損三郎さん
>捷一号作戦はたしか、初めから小沢艦隊が囮役を引き受けることを前提にした作戦ではありませんでしたっけ。
>「互いに行動を把握していなかった」というのは作戦が始まってからのことでは?
仰るとおりではあるのですが、実は栗田よりも小沢が先任であったため、栗田の指揮下に小沢を入れることが出来ず、編成上両艦隊は別個の存在でした。「日本の命運を賭けた一大決戦」の割には何ともお粗末な運用としか言いようがありません。
まあそれはともかくとして、相違点はあるにせよ共通する所も多いので、アル・マデッタ会戦の元ネタは捷一号作戦だろうなと思った次第です。
小村さん>
私は荒巻義雄の「要塞」シリーズかと思ってました(汗)
司馬さんの著作ですか。とりあえず坂の上の雲は是非にも書いていてもらいたいですが、それよりあの世界での創竜伝を読んでみたいような(^^;)