久しぶりに書き込みます.
創竜伝1巻,ようやく読み終えました.
しかしまあ,読んでいて嫌になる本なんて始めてでした.
各所に気に入らない点がありましたが,最も気に入らなかったのは
田中芳樹氏の武道に対する認識の甘さです.
(田中氏は軍事的な認識も甘いそうですがね)
私,武道家の一人として,合気道をやっておりますが,
あの武道を低く見ている態度にははっきり言って腹が立ちます.
小説中,田中氏は竜堂4兄弟との戦いにおいては”武道の精神的修行”は
全く役に立たないなどと言っておりますが,私に言わせれば,
「なに,訳の分からんことをいっとるんだ.馬鹿者」と言いたい気分です.
まあ,武道論を言い出したらきりがありませんから,結果だけを言うと,
私があの竜堂4兄弟と闘ったら,現段階において,1対1なら,まず私が勝つでしょう.
”武道における肉体-精神体系を馬鹿にするな!”って感じです.
しかしまあ,小説という物語を書くのに,あんな姿勢でいいんですかねえ.
他のどんな力を持ってしても,竜堂4兄弟の超能力には勝てないなんて...
私には物語として成立していること自体不思議でなりません.
普通,均衡する2つの勢力があって,その勢力のうち正しい方が勝つというのが
物語の原則ではないのでしょうか?
(まあ,こんなに単純ではないのはわかっておりますが,原則としてね)
何もしないのに,竜堂家の血を引いているから強いなんて,一体何なんでしょう?
田中氏には努力という概念は存在しないのでしょうか?
私は創竜伝を読んで,才能のない奴は才能のある人間には絶対勝てないと言っているようにも
聞こえます.
なぜ,あんな小説がうけるのでしょうか?
恐ろしい限りです.
戦うエンジニアさん、こんにちは
>創竜伝1巻,ようやく読み終えました.
>しかしまあ,読んでいて嫌になる本なんて始めてでした.
この先もっと嫌になりますよ(^^;)。挫折しないように頑張って下さい。
>各所に気に入らない点がありましたが,最も気に入らなかったのは
田中芳樹氏の武道に対する認識の甘さです.
(田中氏は軍事的な認識も甘いそうですがね)
>私,武道家の一人として,合気道をやっておりますが,
>あの武道を低く見ている態度にははっきり言って腹が立ちます.
1巻には居合の達人が登場していたんでしたっけ。まあ、武道に限らず理系人間への偏見も相当なものです。
要するに自分の価値観や感性にそぐわないものは全て「くだらないもの」ということなんでしょう。ここまでご自分の主張と矛盾することを平然と書きちらせる厚顔ぶりは感動的ですらあります。
氏は中国の人名表記等について他人がいい加減なことを書くとねちねちと批判するのですが、そう言うご当人はというとアメリカの原子力空母に突拍子もない名前をつけて平然としています(笑)。
まあ、これはわざとでしょうが。
>小説中,田中氏は竜堂4兄弟との戦いにおいては”武道の精神的修行”は
全く役に立たないなどと言っておりますが,私に言わせれば,
「なに,訳の分からんことをいっとるんだ.馬鹿者」と言いたい気分です.
>まあ,武道論を言い出したらきりがありませんから,結果だけを言うと,
私があの竜堂4兄弟と闘ったら,現段階において,1対1なら,まず私が勝つでしょう.
”武道における肉体-精神体系を馬鹿にするな!”って感じです.
いや、あの、お怒りは重々ご尤もですが、何しろ彼らは「超能力者」で「竜の化身」ですからこればかりは致し方ないかと・・・。
後の巻ではたしか機関銃の弾も弾き返してますし(^^;)。
「ガンダム」に対して
「戦車や航空機がモビルスーツに敵わないなんてふざけるな!」
とおっしゃってるようなものだと思いますが・・・。
>なぜ,あんな小説がうけるのでしょうか?
>恐ろしい限りです.
「元気でかっこいい男の子を4人以上出せば読者にはウケます(by吉岡平)。」
お好みのタイプをどーぞ。という訳です。
あと、管理人さんの書いてらっしゃる通り「架空戦記の左翼版」という側面もあるかもしれません。現実には絶対に敵わない相手をフィクションの中でボコボコにやっつける、という。
>創竜伝1巻,ようやく読み終えました.
>しかしまあ,読んでいて嫌になる本なんて始めてでした.
私も昔はこめかみに青筋浮かべて読んでいましたが、今では楽しく読んでいます。
真面目に読むから、腹が立つのです。所詮、これは何も知らない考えない人間が書いたトンデモ本だと割り切って読むと、これほど「楽しめる」本はありません。
>小説中,田中氏は竜堂4兄弟との戦いにおいては”武道の精神的修行”は
>全く役に立たない
あの小説に出てくる武道家はほぼ敵役ですからね。とはいっても、田中作品全体で武道に肯定的な評価がされていることはほとんど無いですけどね。多分、武道の封建的(というか、戦前的、反民主的)な雰囲気が嫌いなんじゃないですか。創竜伝には、武道を右翼(しかも、創竜伝だとイコールでサディスト)の温床と思っているフシもあります。もっとも、スケジュールからみてもわかるほどだらしのない田中氏が武道の厳しさに耐えられるか疑問ですけどね。
>まあ,武道論を言い出したらきりがありませんから,結果だけを言うと,
>私があの竜堂4兄弟と闘ったら,現段階において,1対1なら,まず私が勝つでしょう.
いやいや、残念ながらやっぱり無理でしょう(ネタだったらすみません)。でも全然恥じることはないですけどね。
小説のキャラクターの生き方に文句を付ける愚を承知で言うと、「こんな力は欲しくなかった」とほざく主人公達は笑止です。自分たちの好き勝手な行動や発言が、何によって保証されているか考えたことは無いのでしょうかね。
もし、彼らの望むように彼らに超人的な力がなかったら、と創造すると、私は楽しくてゾクゾクするのですよ(うーむ、我ながらまだまだ未熟だ)。
>何もしないのに,竜堂家の血を引いているから強いなんて,一体何なんでしょう?
>田中氏には努力という概念は存在しないのでしょうか?
>私は創竜伝を読んで,才能のない奴は才能のある人間には絶対勝てないと言っているようにも
>聞こえます.
そのくせ、こんなセリフを肯定的に言わせているんですよ。
「一部の神秘主義者たちは、自分たちのご先祖をおとしめるのがよほど好きなのね。人類が原始の段階から苦労して知識を獲得するというのは尊いことなのに。超古代からの英知を受けつぐだけで、自分たちの手で何も創造しないほうがえらいなんて、倒錯してるわよ」
知識ではこんなことを言わせているのに、武道(というか運動)においてはこの限りではないようですね。強い人間しか強くなれないのなら、武道には価値がない。弱い人間が努力して強くなれる体系だから尊いのに。
結局、何であの兄弟に腹が立つかというと、あの兄弟、自分で積み上げたものが何もないのですよ。祖父からそれなりの資産を受け継ぎ、地位を受け継ぎ、何よりも超人的な戦闘能力を何の努力もせずに受け継いでいる。愚かな小人とはいえ、鳥羽靖一郎のほうがよっぽと自分の地位を獲得したり維持するのに努力しているし(娘婿であるとしても、それを選択したのも含めて)、粗暴なボンボンである古田義国にしても、賞賛できない努力であるにしても、暴力による支配のために努力している。それを生まれついての能力でもって小馬鹿にする兄弟は、義国以上に世の中をナメたボンボンと言っても過言ではありますまい。
>特に超人的な生命力と天才的な頭脳に教養を持ち合わせた(という設定の)神格化された四兄弟や冷酷非情の恐るべき敵キャラが言うとまるで真実のような現実感がある。
あまりに揚げ足っぽいので本文では書かなかったんですが、竜堂兄弟って、敵キャラ並か、もしかするとそれよりも残酷なことをしているんですよね。
例えば、機動隊が過激派の顎の中に警棒を突っ込んで歯や顎を折るのをいかにもサディスト的だと批判しています。
さて、主人公達は、相手を無力化するのに、相手の膝を蹴り折ったりしています。多分、それを行った当の本人(=作者)はアバラを折るのと同じような感覚で折ったのでしょう。
格闘技やケンカの経験がある人なら判ると思いますが、関節への打撃は非常に危険です。特に、膝関節への攻撃は、ほぼ全ての空手流派が反則や禁じ手にしています。何故かというと、膝を折られると、一生足を引きずって生きていくことになるからです。現在では整形外科が発達したおかげで治る可能性もありますが、それでも五分五分。
顎を折られるなんていうのは、クセにはなるかも知れないですが、別に一生障害者として生きていくなんてことはありません。
「サディスト」の敵と、襲われても悪びれない竜堂兄弟、どっちが残酷でなのでしょう?
知らないって事は恐ろしいですね。武道や喧嘩で強くなった人は、その過程で痛みを学びます。膝を蹴られると危ないということも判ります。だから、膝への打撃を避けるのだし、もしも蹴る場合は相手が障害者にすることを意識して蹴ります。中には、マジモンのサディストがいて、相手を不具にすることを楽しみにして蹴る奴もいるかも知れませんが、それでも、そのことを認識して蹴っているだけ、無意識に蹴っている竜堂兄弟よりもまだマシだと思います。努力しないで手に入れた強さというのは、ちょっと前のバタフライナイフで弱さを隠した少年達に通じるアブなさがあると思うのは、私だけでしょうか。
以上の他にも、物語の「殺陣」としての演出なのだろうけど、無駄な反撃が多すぎますね。
例えば、さらわれた首相を助けに来た機動隊員などは職務なのだから、あんなに全員叩きのめす必要はないですよ。
喧嘩や武道の達人…すなわち、兵法を体得している人…なら、自分たちの超絶的な力を見せつけて(例えばコンクリートの柱をへし折るとか)、相手を威圧し、無益な戦いは避けますよ。でも、竜堂兄弟は避けられる戦い(しかも、絶対勝てることが判っている戦い)に敢えて首を突っ込み、そのくせ被害者面をしているようにしか見えません。
野生の獣だって、自分が生きるため以上の殺傷はしないものです。
ドラゴンっていうのは、凶獣ですか?
最後に私見(ナマイキ)ですけど、私は、武道というものは、勝つための技術ではなく、負けないための技術だと思っています(この両者、似ていて全く非なるものなので、考えてみると面白いですよ)。生き残るための技術だと言ってもいい。
生き残るためには、避けられる戦いは避ける。そのために、戦う技術を身につけるのだと思います。
竜堂兄弟なんて、あれだけの力を持っていれば、自宅や従姉妹を守る戦いのような守るべきもののための戦いは別にして、その他の戦いなどはいくらでも避けられるはずなのですがね。
作者は、それを敢えて避けず、叩きのめすことで鬱憤晴らしの快感を得ているのでしょうか? だとしたら、サディストはどちらです?
>あの小説に出てくる武道家はほぼ敵役ですからね。とは
>いっても、田中作品全体で武道に肯定的
>武道を右翼(しかも、創竜伝だとイコールでサディスト)
>の温床と思っているフシもあります。
私なんかとても武道家などと言えないですが、それでも一月前、いい大人のクセしてガタイのでかい中坊に交じり、ボロボロになりながら柔道の黒帯を取れた、って喜んでた人間から見ても、あの小説での武道の扱い方はアレですな。
ただ、あえて弁護に回るとすれば「強い武道家に勝った竜堂兄弟は、ものすごくスゴイんだ」と言うことを表現したいのかもしれないし、また現実の保守政治家に、武道の有段者(かなりの達人)が多いことも何がしか影響あるのでしょう(「柔道」金丸、竹下、山崎拓、「剣道」橋龍、宇野など)。だけどなぁ・・・創竜伝にもあったが「ポスターで子供を抱く独裁者が多い」のは「子供を抱くような奴が独裁者になり易いから」ではなく
「独裁者が、自分の本性を隠すためにプラスイメージの子供を利用したがるから」でしょう。武道と政治家の関係もこれと同じだと思うが・・・
よく佐高信が「(悪徳政治家)がよく引用・愛好するから司馬遼太郎や孔子はダメだ」というが、これも同じだ。
>しかしまあ,小説という物語を書くのに,あんな姿勢でいいんですかねえ.
>他のどんな力を持ってしても,竜堂4兄弟の超能力には勝てないなんて...
>私には物語として成立していること自体不思議でなりません.
小説として見てみると、ここまで「圧倒的な力」を持って敵をボコボコにするというのは新機軸だったのかもしれない(「ウルフガイ」との類似性はよく解らないが)。
「圧倒的な(先天的)超能力」が、「努力して鍛えた技」より、少年少女の心を捉えるのかなあ。このへんはジャンプ漫画の主人公なんかも関係した、大きな流れかも。
「先天性(前世の因縁)の、桁外れの超能力」「世界を背後から操る巨大組織」「社会隅々まで行き渡った陰謀」などが、ある種の傾向を与えかねない(いわゆるトンデモ)ことを、田中氏はかなり危惧していたことは間違いあるまい。その努力の跡はかなり感じるから。ただ、登場人物が如何に辛辣にオカルト的選民感覚やら陰謀論を非難しても、それが作品の根本を支えているから(笑)、どうしても(作品世界での)整合性の点で狂ってきちゃうんだよね。それが「月面の旗」にも表れたんでしょうね。
>また現実の保守政治家に、武道の有段者(かなりの達人)が多いことも何がしか影響あるのでしょう(「柔道」金丸、竹下、山崎拓、「剣道」橋龍、宇野など)。だけどなぁ・・・創竜伝にもあったが「ポスターで子供を抱く独裁者が多い」のは「子供を抱くような奴が独裁者になり易いから」ではなく
>「独裁者が、自分の本性を隠すためにプラスイメージの子供を利用したがるから」でしょう。武道と政治家の関係もこれと同じだと思うが・・・
武道の世界が政治家をはじめとする名声や権威に弱いのは、確かに恥部だと思う。橋龍はホントに強いらしいけど、三塚とか小渕なんてホントに強いのか?(確か合気道の高段者)
政治家とか有名人(もちろん、全てではないが)の武道何段というのは、得てして「名誉何段」というものだ。
ホントかウソか判らないが、三島由紀夫は大して剣がうまくなかったが、武道界が三島の名声に「名誉~段」をいろいろと贈ったせいで、いわゆる「ハク」が付いてしまい、それが三島をあのアクションまで追いつめたという説を聞いたことがある。
最近では、どこかの空手の流派がマイケルジャクソンに名誉の高段を与えていたなぁ。やれやれ。
揚げ足取りみたいな、しかもくだらんハナシで恐縮ですが、雑談として受け取ってください。
創竜伝で、続が使う、硬貨を指ではじいて弾丸として使う技法を、嘉義少林拳の秘術「指弾」としているけど、「指弾」というのは、日本少林寺拳法の呼び方で、中国武術では「如意珠」と呼ぶはずなんだけど。
まあ、中国武術は流派が星の数ほどあるから、断言は出来ないですが。
みなさん,レスありがとうございます.
第2巻を読み始めて,最初の数ページでいきなり挫折してしまった闘うエンジニアです.
さて,管理人さんは“いやいや、残念ながらやっぱり無理でしょう”とおっしゃっておられますが,“私があの竜堂4兄弟と闘ったら,現段階において,1対1なら,まず私が勝つでしょう”と言った,その理由を簡単に書いておきましょう.
まず,その第1の理由は,鎌倉の御前なる親父が,中国の何とか言う村で竜族の娘を殺害できたと言うことです.
つまり,あの竜堂4兄弟も無敵ではないと言うことです.
油断すれば充分勝てる相手であると言うことです.
私に言わせれば,竜堂4兄弟の超能力なんて,「心技体」の所詮は技術レベルのものです.
簡単に言えば,いい武器を持っている程度のものです.
使い方がなってないし,どうしようもありませんね.
勝つためには道具を使う前にやっつけてしまうことです.
ついでにいうと,強力な武器ですから,戦うんだったら,使わせないように(あの4兄弟の場合なら)殺すしかないでしょう.
ただし,何らかの方法で超能力を使わずにできるならそうするでしょうがね.
具体的には,私が闘う場合,何知らぬ顔をして近づき,一気に殺します.
あんな,何にも考えず,ディズニーランドもどきのところに行くような奴らの目をあざむくなんて簡単です.
だいたい,日本には銃刀法というのもあるが,本質的に危険なものは持っているだけで罪なんです.
もし,将来,私がかなり強くなって,あんなの(竜堂4兄弟みたいなの)がでてきて,国の偉い人か何かに何とかしてくれとかいわれたら,おそらく殺すでしょうなあ.
しかしまあ,普通の人の武道家のイメージって,「武道と言うものをやっていて,段とか持っている人」のことを言うのか.
なるほどなあ.
私の認識している「武道家」とは大分違いますね.
私にとっては,武道での段持ちはただの“段を持っている人”ですし,武道やっている人はただの“やっている人”と言う認識でしかありません.
私にとっての武道家とは言い方にもよりますが,最低でも「武道を通して悟りを得ようとする人」のことです.
武の道ですからね.
ということで,段持ちの政治家なんて,私の認識では武道家ではありません.
ちなみに言いますが,私の現在,通っている道場において,私が武道家と呼べるのは私とブラジル人の友人(どちらとも現在6級)だけです.
私の先生も,“指導者資格を持っていて,合気道の型のことをよく知っている合気道のうまい人”ですし,他の人は段を持っていようと“合気道をやっている人”に過ぎません.
武道家ではありません.
しかしまあ(何か愚痴ばっかりだが),竜堂家の家訓であるそうな「恩は2倍にして返せ.仇は10倍にして返せ」って,一体何なんだ?
これも主人公達に言わせているんだから,田中氏の思想に近いんだろうが,中国通らしい田中氏は誰の言葉からこんなことを考えたんだろうか?
私の知る範囲,孔子,孟子,老子,荘子,ついでに墨子や陽明学でもこんなことは言っていないだろうが(ちなみに以上は私がちょっとだけ勉強した中国の思想家達,そう言えば荘子はほとんど名前しか知らんな),一体何なんでしょう?
私が,もしこれをいうなら「恩は万倍にして返せ.仇は忘れろ」と言うのだが,はっきり言って田中氏はアホですね.
少なくとも思想的にはいかれています.
(まあ,いかれているのが誉め言葉の場合もあるが,この場合は逆です)
この前も言いましたが,やっぱり,こんなのを読んで喜んでいる奴は駄目ですね.
本当に,どうにか,ならんものでしょうか?
おそらく創竜伝の根本的な矛盾というか、破綻というか、なんでもいいのですが、「超人的な先天的能力」を前提にした「竜王」に、「民主主義賛美」をさせるというのが、そもそもの間違いではないでしょうか?
もし、「皇帝」のラインハルトが民主主義は素晴らしいというような事を言いだしたら、銀英伝はたちまち興ざめですよ。それと同じようなことを、創竜伝ではやっているような気がします。
そもそも、もし竜堂兄弟のような超人が実在したら、人権思想というのは根底から覆される可能性がありますよ(人権が付与される前提である「人間」であるとはどういうことか、とか、人間が平等であるという前提の崩壊とか。超人的不死的な能力があれば、法の下の平等なんか簡単に覆ることは、実際に竜堂兄弟が実践しているし)。
そのうえで、単純な民主主義賛美とか人権思想擁護などの評論を小説に織りまぜるというのは、あまりにも無自覚であると思います。