作者だけでなく創竜伝の読者(僕も含めて)は、自分で自分の体を鍛える気もなく、実在する汚職政治家等を苦々しく思っていても、何とかしようとは思わずに、(自分達の代わりに)四人兄弟が『何とか』するのをみて鬱憤を晴らしているのではないでしょうか?
実際自分で動こうとする人間のほうが少ないですからね。そのほうが当然『らく』ですし。
小説って自分が出来ない事を登場人物がしているのを「みて」楽しむものであるはずです。
(現実との区別がつかなくなるような輩は問題外ですけど。)
以上(てきとうですいません)
>作者だけでなく創竜伝の読者(僕も含めて)は、自分で自分の体を鍛える気もなく、実在する汚職政治家等を苦々しく思っていても、何とかしようとは思わずに、(自分達の代わりに)四人兄弟が『何とか』するのをみて鬱憤を晴らしているのではないでしょうか?
と言うことなのですが、創竜伝を面白いと思ったことのある人は創竜伝のどの部分が面白いと思ったのでしょう?(詰問とかじゃなくて、単純な質問です)
この掲示板に来たファンの方に、「創竜伝は面白いけど、評論部分はどうでもいい」という方が結構多かったのがちょっと気になっていたもので、この機会に聞いてみたいと思います。
ちなみに、昔、私が田中芳樹ファンだったときに、唯一(いや、「地球儀」もあるが)「違和感」を感じていたのが創竜伝でした。今思うと、心の奥底で「いくら何でもこんな評論ねーよなぁ」とでも感じていたのかも知れませんが、当時の私は盲目的に田中作品を読んでましたから、その違和感を「アクの強さ」と解釈(誤魔化)して、すっかり田中理論を信じていました。田中理論の受け売りを得意げに吹聴したこともあります。
個人的には、創竜伝の魅力は、やはり、あの評論や主人公達の「正論」に対するカタルシスの部分が大きいと思っています。あと、花井夫人と小早川奈津子(笑)。
というわけで、ファンとしての私にとっては、創竜伝は評論とハナキン・コバナツが面白いと思う理由であって、主人公やストーリーに関しては、特に面白いと思っていたわけではありませんでした。
そういうわけで、 「創竜伝は面白いけど、評論部分はどうでもいい」的な意見は、私にとって結構驚きでした。
もし、よろしかったら、皆さんの「私は創竜伝をこう読んだ」みたいなことを教えてください。
創竜伝ですか。難しいです。足元で巻き添えを食っている人の事など考えもせずに破壊シーンのみを楽しむ(われながらすごい問題発言だな)って訳にはいきませんねえ(特にココのページを読んだ後だと)んでも、それ考えてると最近の推理小説とか「人が死なないと成立しない物語」をよめなくなるんで、冒頭の読み方で問題はないと思って居ます。もちろん僕だけかもしれませんが。
中でどんな事をしようが、どんな発言をしようが、小説は小説に過ぎません。後は読者の問題(笑)
以上
私が創竜伝を読んだのは、銀英、アルスラーンと来て三番目。評論部分はあまり読まないで「続さんカッコイイ!」とか騒いでいただけでしたね(^^;
「評論なんてどうでもいい」という意見、管理人様は不思議に思われているようですが、女の子のミーハー心理ということに限定すればあまり違和感を感じません。読み手が中学生くらいなら格好いい人がでてきて活躍すればそれだけで満足ですから。絵的に綺麗ならそれでよし。もっというなら竜堂兄弟の私的な部分が見てみたい。このあたりは同人誌を読む心理ですか(^^)
ただ、ミーハー心理が先立っていてもしっかり田中思想にはかぶれました。なにせ創竜伝は現実世界の話(「特にお断り」してあってもね)です。実在の人物と思われる政治家をこき下ろし、巨悪を倒し、世の迫害に耐え逃避行を続ける主人公たち(笑) もともと好きなキャラクターがああだこうだ言ってれば傾倒してしまいますよ。感化されやすい年頃なんですから。
当時の私にとって創竜伝はミーハー心を満たしてくれる小説と同時に一種の教科書でした。世の中に疎い中学生はあれが世の中だと思いこんでしまっていたのです。恐いですね。
幸い、すぐに帰ってきましたが(--;
なんだか話がずれてるような気がしますが、私の読み方はそんな感じです。
>りえさん
早速のお答え、ありがとうございます。
>私が創竜伝を読んだのは、銀英、アルスラーンと来て三番目。評論部分はあまり読まないで「続さんカッコイイ!」とか騒いでいただけでしたね(^^;
私は上記三作で言えば、アル戦>銀英>創竜伝の順でした。アル戦で興味を持ち、銀英伝で心酔したから、創竜伝を抵抗無く読めたのであって、最初に創竜伝を読んでいたら、今のような拒絶反応を起こすことはなかったにしろ、「他の作品を読んでみようかな」と思うことはなかったと思います。
>「評論なんてどうでもいい」という意見、管理人様は不思議に思われているようですが、女の子のミーハー心理ということに限定すればあまり違和感を感じません。読み手が中学生くらいなら格好いい人がでてきて活躍すればそれだけで満足ですから。絵的に綺麗ならそれでよし。もっというなら竜堂兄弟の私的な部分が見てみたい。このあたりは同人誌を読む心理ですか(^^)
>ただ、ミーハー心理が先立っていてもしっかり田中思想にはかぶれました。なにせ創竜伝は現実世界の話(「特にお断り」してあってもね)です。実在の人物と思われる政治家をこき下ろし、巨悪を倒し、世の迫害に耐え逃避行を続ける主人公たち(笑) もともと好きなキャラクターがああだこうだ言ってれば傾倒してしまいますよ。感化されやすい年頃なんですから。
>当時の私にとって創竜伝はミーハー心を満たしてくれる小説と同時に一種の教科書でした。世の中に疎い中学生はあれが世の中だと思いこんでしまっていたのです。恐いですね。
なんか、判るような気がしますね。私の場合は「始さん」「続さん」の外見は(当然)どうでも良かったのですが、ヤンの人格には一時期心酔しましたから(うーむ、恥ずかしい…)。中高生くらいの頃だと(人によってはそれ以降も、か?)、好きなキャラクターの影響をモロに受けますね。
その自分の経緯を考えると、「創竜伝の評論はどうでも良い」と言いつつもモロに影響を受けている人たちの思考も腑に落ちる感じがします。
つまり、「始さん、続さんの言っていることだから」という形での影響であり、評論部分はそれを補強する部分であるということでしょうか。ま、よく考えれば当然のことですが、かなり「ウマい」やり方だと思いますね。
但し、まるで、トリューニヒトが自分の外見やイメージをフル活用しているようなやりかたですが。
私は妹が買ってきた(ビジュアル目的)1巻で初めて田中氏小説を読み始めました。
読書感想は「マジかよ、コレ」でした。「まさか世の中こんなもんじゃないだろ、でもありそうだし。やっぱ、所詮世の中こんなもんかあ。ああヤダヤダ。いつも損するのは庶民だけだぜ」とか小市民丸出しの、思いこみしてました。(後に何巻かの対談でT氏が「世の中こんなものと感じるのはまちがってる」とか言ってたのにムカツキました)
それで、四兄弟が圧倒的武力を誇る巨悪を身体能力だけでぶちのめすのを読んで結構痛快でしたが、どうも読後の後味が悪く自分で買う気にはなれませんでした。妹も7巻で「頭が痛くなる」といって凍結しました。一度妹に「女の子は政治的な部分どう読んでるんだろうか?」と聞いたところ「無視。終君がでればよし」と答えました。
さいわい、ミーハーなライトノベルをよく読むくちだった私にとって「創竜伝」はワンオブゼムでしかなく、はまることはなく歴史小説や政治系、軍事系の本に興味がうつり「創竜伝」に疑問を持つようになりました。それでまた買うようになりました。自己の中の田中理論肯定を否定するためです。ただ、「創竜伝」遅筆な分緻密にかかれてるので、いまだ完全に成功してません。
ここの凄いページを読んで、再び「創竜伝」に挑戦する気になりました。やっぱし「創竜伝」はギャグ小説として、ハナキンや偉大なる奈津子様の言動を愉しむべきと個人的に思ってます。
初めて書き込ませていただきます。タイトルが少々過激なので不安だったのですが、過去ログを拝見する限りなかなか内容の濃い議論がなされていて非常に面白かったです。特に、パソコン版銀英伝4がパソコンを始めるきっかけだった者として、「反銀英伝」の議論は興味深いものがありました。
私は高校生の時にアップフェルラントから始め、銀英伝、アルスラーン、マヴァールと読み、創竜伝で読まなくなってしまいました。なので、創竜伝と中国物に関してはアンチの立場に近いのですが、先の作品と七都市物語については、それなりに敬意は払っています。(最近は佐藤大輔しか読まないため、ファンだと断言できるほどではありません。)
このような立場を明言した上で、挨拶代わりに考えたことを述べさせていただきます。御無礼がありましたらお許し下さい。
まず、創竜伝を読んでいた理由です。今では読む気が全く起きませんが、確かに高校の時は面白いと感じていました。それは、作品中での日本、および社会評論じみた物(当時はそう思っていなかったのですが)により主人公達と同様の悲しみ、不安、憤りをおぼえ、更に、主人公のとる行動に同調することが出来たからです。
それが、毎回発展拡大しながら繰り返される状況に負の感情を抱くよりも先に苦痛をおぼえるようになり、さらに大学に入って多少視野が広くなると、主人公サイドでしか語られない一面的な感情と行動に疑いを持ってしまい、読む気がしなくなったのです。
これが創竜伝と他作品の違いだと思います。他の作品ならば主人公の行動に疑いを抱いてもその行動に対する評価が複数あるため、自分が抱く気持ちの立場があります。創竜伝にはそれがありません。そのため、同調できるならば非常に楽しいのですが(作品中ではいい役ですから)同調できなければ読めなくなるのだと考えています。
また、主人公が置かれる状況や「社会評論のような物」についてなのですが、それが読者に許容範囲内で負の感情を抱かせるかぎり、現実から効力限定で逃避する道具でしかないと思います。それこそ「娯楽」と呼ぶべき代物でしょう。「たとえ悪夢であったとしても、それが現実をより良く見せることがある」という考え方はそれなりに真実なのではないかと思います。
そして、もし娯楽の範囲内にあるならば、作者の主張が多大の影響を与え、現実に深く入り込むということはまずないでしょう。無論、影響皆無とはもうしませんが浅いレベルで止まり、娯楽レベルでの現実逃避に使って、いやでも現実は見ることになります。「ノストラダムスの大予言」を読んで何となく不安になった、と言う人は(端から見れば馬鹿馬鹿しいのですが)確かにいます。しかし、そのような人でも悲観して自殺したり遊びほうける人は(いたとしても)わずかでしょう。これも同様に、不安が現実逃避という「娯楽」に留まっているからではないかと思います。
長々と書き込みました。諸先輩方からすれば穴だらけの考え方かとは思いますがお許し下さい。また機会あれば拝見させていただきたいと思います。
>もし、よろしかったら、皆さんの「私は創竜伝をこう読んだ」みたいなことを教えてください。
「封神演義」(当時はまだマイナーだった。)、「何とか奇説余話」といったタネ本を基にした世界観や設定には興味をそそられましたね。
以前誰かが言ってた通り「田中芳樹版幻魔大戦」という感じで、銀英伝とはまた違った意味でスケール感が感じられる大仰な構想「だけ」は気に入ってました。まさかあんな下らないギャグに走ってしまうとは思ってなかった・・・。
個人的にはむしろ4巻あたりまでの頃の方が政治評論や歴史認識談義なんかはどぎつかったような印象があるんですが。
ドクター・タモザワのようなトンデモなキャラも居たし・・・(実写版のキャストは安○英か?アニメの声はドクロベーだったけど(笑))。
>私は妹が買ってきた(ビジュアル目的)1巻で初めて田中氏小説を読み始めました。
ビジュアル目的ということは文庫本でしょうか? それにしても、初体験が創竜伝とはなかなか強烈なファーストインパクトではないでしょうか(いろんな意味で)。
>やっぱし「創竜伝」はギャグ小説
天然ですけどね。
>ゲインフルさん
はじめまして。
>作品中での日本、および社会評論じみた物(当時はそう思っていなかったのですが)により主人公達と同様の悲しみ、不安、憤りをおぼえ、更に、主人公のとる行動に同調することが出来たからです。
なるほど、いわれてみれば。
何か、ゴーマニズム宣言を読んで薬害エイズに怒りを覚えた小林よしのりファンと似ているような気もしますね。
> そして、もし娯楽の範囲内にあるならば、作者の主張が多大の影響を与え、現実に深く入り込むということはまずないでしょう。無論、影響皆無とはもうしませんが浅いレベルで止まり、娯楽レベルでの現実逃避に使って、いやでも現実は見ることになります。「ノストラダムスの大予言」を読んで何となく不安になった、と言う人は(端から見れば馬鹿馬鹿しいのですが)確かにいます。しかし、そのような人でも悲観して自殺したり遊びほうける人は(いたとしても)わずかでしょう。これも同様に、不安が現実逃避という「娯楽」に留まっているからではないかと思います。
このあたりの田中芳樹の影響については、中高生に実態調査してみたいですね。私には出来ないけど。
誰か、やってくれないかなぁ。
>「封神演義」(当時はまだマイナーだった。)、「何とか奇説余話」といったタネ本を基にした世界観や設定には興味をそそられましたね。
>銀英伝とはまた違った意味でスケール感が感じられる大仰な構想「だけ」は気に入ってました。まさかあんな下らないギャグに走ってしまうとは思ってなかった・・・
確かに、構想には見るべきものがあると思います。それがああいうカタチになるってのも、ある意味凄いことですが。
結局、あの構想は田中芳樹の衒学趣味ぐらいにしかなっていない気がします。それと、あの独特の厚かましいアジテーションとが相まって、尋常ではない様相を呈していますが。
管理人さん、早速のご返事有り難う御座います。インターネットで掲示板に書き込むのはこれが初めてだったのですが、ご返事があるとやはり嬉しいものですね。
>何か、ゴーマニズム宣言を読んで薬害エイズに怒りを覚えた小林よしのりファンと似ているような気もしますね。
確かに似たようなものがあると思います。ただ、「ゴーマニズム宣言」のほうが、現実の行動に与えた影響は大きいです。本ページでは、小林氏の実名を出す等、現実に対し責任をとろうとする態度が支持されていましたが、それは読者に対し「創竜伝」と比較してはるかに現実という認識を持たせる分、影響がより大きくなるという面を持つことにもなるかと思います。
それと一つ気になることがあります。管理人さんを始め、他のアンチの方々は「創竜伝」がいまだ売れ続けている点をどうお考えでしょうか。幾つか挙げられた「田中芳樹というネームバリュー」「作者と出版社の力関係」という説は、本が「出る」理由にはなりますが「売れる」理由としては弱いように思います。供給側だけではなく需要側の視点も必要ではないでしょうか。
「読者が何を求めているのか」という認識の差が「作者の与えうる影響」の認識の差として、アンチとファンの方々との議論に現れているように見受けられます。アンチの立場では影響を危惧して批判していますが、ファンの立場では「小説なのだから」と不愉快に感じるわけです。そこを詰めてみるのも面白いかと思います。
まだ2回目の書き込みでこのような書き込みは生意気かも知れませんがお許し下さい。また機会があれば拝見させて頂きます。
創竜伝を読んだのも、もうかなり昔だなあ(遠い目)。ワタシ的には、銀英・アルスラーンの次に読んだので期待は大きかったのです・・・が、オイオイでした。もちろん評論部分への違和感が最大ですが、もともと私が好む冒険小説は主人公が「能力」では勝てない相手に絶体絶命の状況に追いつめられて「アイデア」で逆転するというもの(「インディー・ジョーンズ3」なら息子でなく親爺(S=コネリー)のほうを好む)だったので、」その点でも無敵の超能力ですべて解決するという展開は不満でした。
ただ、こういう「最後は絶対無敵の力を爆発させ、チョン」というのは逆に意表を突いた、フレッシュな設定かもしれん、というのと、悪の陰謀を企む組織(先進国だけ残し、後は戦争で人口を減らす、だっけ?)がそれまでよりは多少リアリティを持っているかな、という評価はしてました。(と言っても鉄人28号がマジンガーになったくらいのリアルさだが)。
ただ何と言っても読み続けたのは当時田中氏の作品がまだ少なく、銀英伝の余韻が残っていたから、に尽きます。
本当はファン論としてまとめて書きたいのですが、近々といいつつ、このままではいつ書けるか判らない状態なので(田中芳樹と変わらん)、掲示板にちょびちょびと書いていくことになりそうです。
>アンチの方々は「創竜伝」がいまだ売れ続けている点をどうお考えでしょうか
この辺の所はかなり重大なテーマでして、田中芳樹だけに特化して考えられないですよね。
小室哲哉は馬鹿売れしているけど音楽通は陳腐だと嫌うし、映画マニアはハリウッド映画を馬鹿にするし、コンピュータマニアはWindowsNTよりもLinuxを好むし、ゲームマニアは今至るところでFF8を貶しているし、マンガ通はジャンプよりもコミックトムを読んでたし。
つまり、売れているということは作品の評価につながるのか? というところから考えなくてはならないですよね。
売れ行きというのは作品を評価する尺度の一つにはなるけど、売れ行きだけで作品を評価する事は出来ないということだと思います。
ただ、出版社だって資本主義社会で商売で本を出しているわけですから、売れ行きだけで作品を評価しなければならない面があるわけです。結局、創竜伝は、その作中で散々けなしている「金第一主義」におんぶでだっこじゃないと、評価がガラッと変わってしまうのではないでしょうか。
> 「読者が何を求めているのか」という認識の差が「作者の与えうる影響」の認識の差として、アンチとファンの方々との議論に現れているように見受けられます。
売れる理由としてでもあるわけですが、いわゆる「ミーハー」のファンの要求にあざとく迎合する要素があるって所でしょうね。過去ログにもいくつか指摘されていますが、美少年をタイプ別に用意しておいて、さあ好きなの選んでくださいってな感じだとか。
傾向として、最近の内輪ネタ傾倒ぶりだとか、ミーハーの為の同人誌にかなり近いものがあると思います。
(続く、か、推敲するか…)
みなさんの意見によれば、『創竜伝』の人気の秘訣は、キャラクターにあり、というわけですね。その思想は二の次だと。
江川達也氏の漫画がウケるのと似たような理由なのかな。作者は、あの面倒くさい思想面に共感を得ているから、と信じているのかもしれないが、大部分は「女の子がエロ」という理由で読み続けているような気がする。
創竜伝には無数の陰謀がでてきます。ストーリーの中核も「軍産複合体陰謀説」によってなりたってます。まさに「陰謀がいっぱいー創竜伝」といったところでこれが若い人を中心に人気がある原因なのではないでしょうか。
つまり、現実世界が実は巨大な陰謀によって動いているという説を恐怖しながら好奇心にそそられて読みすすめ、厭世感を持ちながら優越感に浸って、好奇心で続きを買ってしまう・・・といった具合です。
ここら辺はカルトが信者を集めるのと同じ手段で、しかも効果的です。やっぱし、ビジュアルだけであれだけ売れてるとは思えません。(特に男性には)陰謀説にハマって、そのうち洗脳されてT教祖にお布施するようになるのではないでしょうか?売れてるものは大同小異ほとんど陰謀論が入ってますし。エヴァとかM◯Rとか 矢追◯一とか・・・
というわけで「創竜伝を研究批判するために陰謀論から分析する」というのをやっては如何でしょうか?(またおしつけてる(TT)
皆さんの意見やファンサイトの書き込みなんかを見てみても、やはりテーマだの評論だのよりもキャラ「萌え」(←ヤな言葉)なファンの方が多数派なんですかね。
まあ、たしかにキャラ造形の巧みさ・思想や価値観は画一的なのにもかかわらず、ディテールでもって各人の個性を際立たせるテクニックは非常に見事なものがあります。
(もっとも最近はやや飽きられてるようですが。)
私の勝手な見方で申訳ありませんが、どうも女性読者の方が割り切って楽しんでる人が多いような気がする。
信仰するにしてもアンチに回るにしても、こういうのに関しては意外と男性の方が執拗なんですかね(^^;)。
インタビューでも、
聞き手:「(読者からの手紙で)ご意見型は男性が多いでしょ?」
田中 :「圧倒的にそうです。」
というやりとりがありましたし(^^;)。
>その点でも無敵の超能力ですべて解決するという展開は不満でした。
あ、同感。戦闘シーンとかは、手に汗握るんじゃなくて、イジメの実況中継みたいで、信者の頃から読むのはいやでした。そのくせ、イジめている側が「俺達は被害者だから身を守るのは良いんだ~」みたいな言い訳を口にしているのも、気にくわなかったですね。お前ら、そんな風に自己正当化しないと何もできないのか? って感じで。
>『創竜伝』の人気の秘訣は、キャラクターにあり、というわけですね。その思想は二の次だと。
男のファン(知人)も「竜堂兄弟の掛け合いが面白い」って言ってましたから、キャラクターというのは馬鹿に出来ないと思います。
が、カエルサルさんが触れているように、やっぱりヤローはキャラ好きな「だけ」じゃないよなぁ。
>やはりテーマだの評論だのよりもキャラ「萌え」(←ヤな言葉)なファンの方が多数派なんですかね。
例えばですね、もしもヒロスエなんかが「消費税なんて許せない! みんな、自由党に票を入れよーよ」ってイベントやテレビ・ラジオなんか(それがプロパガンダや宣伝でなく、何気ない言葉ならなおさら)で言ったら、けっこう自由党の票が伸びると思いますよ。
この仮定の場合では、ヒロスエのグッズ集めや追っかけと同質のところに政治や思想があるわけです。
創竜伝の場合は、これじゃないですかね。つまり、人気の第一がキャラ萌えだとしたら、なおさらのこと、あんなに評論を入れる行為はあざといと思うのですが(つまり、誤解を恐れずに平たく言えば、創竜伝の手法は、ゲッペルスの手法の血の濃い子孫だし、ヴラド計画の尖兵でしょう?)。
管理人さんをはじめとする皆様方、「創竜伝」がなぜ売れ続けているのか、という私の問いにお答えいただきありがとうございました。
おおむね「キャラクター目当て」という意見が主流のようでしたが、カエルサルさんの指摘された
>現実世界が実は巨大な陰謀によって動いているという説を恐怖しながら好奇心にそそられて読みすすめ、厭世感を持ちながら優越感に浸って、好奇心で続きを買ってしまう
という「隠謀に対する好奇心」説は私も思い付きませんでした。この部分は賛成です。また、管理人さんのかかれた
>戦闘シーンとかは、手に汗握るんじゃなくて、イジメの実況中継みたいで、信者の頃から読むのはいやでした。そのくせ、イジめている側が「俺達は被害者だから身を守るのは良いんだ~」みたいな言い訳を口にしているのも、気にくわなかったですね。お前ら、そんな風に自己正当化しないと何もできないのか? って感じで。
という部分なのですが、読み手が実際にイジメ(ないしそれに類するもの)を受けている立場であれば、いつもと逆の立場を主人公の立場に同調することで味わえる、という面があったということに今更ながら気づきました。(なんというかここらへんは実体験です)この分析にも、違う立場からの見方の必要性について改めて考えさせていただきました。感謝いたします。
もっとも、ここから作者の主義主張に読者が躍らされていくかどうか、という点に関しては皆様と多少意見が違います。以前書き込ませていただいたとおり、私は影響度は小さいと考えています。確かに、娯楽の中に政治宣伝を混ぜ込んで流すのは最良のプロパガンダですが、田中作品による影響の大きさがどの程度かを実証する方法を思い付かない限りこの証明はやはり難しいでしょう。(「創竜伝」読者とその投票行動の相関関係、学生運動をしている人の中に読者がどのくらいいるか等々。有意性や実行可能性は大いに疑問ですが)
ただ、この違いの認識が批判をしていく上で重要ではないかと思います。キャラクターの外観、会話、厭世観に浸れる社会評論みたいな何か「だけ」が目当てで読む人もいます。それ以外の何かを求めた人もいます。もちろん期待外れに終わってアンチになる人もいます。その「自分が何を求め、作品の何を受け入れられなかったのか」という疑問がなければ、対立陣営(ファン)の存在と考え方を理解していない「なんでこんな本読んでるんだ」調の一方的な批判に陥ります。これでは「創竜伝」の批判と同じ構造です。
違いがあることを踏まえた上での「ファンの人は気にしないかもしれないけれどこの主張や表現はおかしい」という批判であれば、作者を信じているファンでも自分の頭で考えたり、そこから反論も生まれていくのではないかと思うのです。
少々批判の方法論めいたものを書きましたが、あとは管理人さんやアンチの方々の腕次第です。期待します。がんばってください。私もアンチというか懐疑派としてこれからも拝見させていただきます。
お久しぶりです。最近はなかなかこちらにまで書きこめませんで。
さて、表題に関してですが、四兄弟の戦闘というか暴れまくるシーンには、私も最初から違和感ありましたね。連中を物理的に殺すことなんてできないでしょう?確か、至近距離で超小型中性子爆弾を炸裂させても、ドラゴン化するだけで何の効果もなかったですよね。こんな連中が暴れてたら、悪人たちの方が可哀想ですよ。ドラゴン兄弟が怖がるのは「天使のなっちゃん」だけで、しかもどっちかってーと生理的嫌悪感でしょう。本気で戦ったら、「なっちゃん」でも勝てませんよ。それが暴れたら強い、と言われてもねぇ・・・・
それとですね、創竜伝も話の運びを考えれば、まともな小説になったんじゃないですかね?主題を「四人姉妹VSドラゴン兄弟」だけに絞って、余計な政治批判や歴史非難なんかはすっぱりやめれば。牛種VS竜種のオカルト的な戦いにしたら、まだ読めたんかも知れません。いまさら言っても手遅れですけど。
>、読み手が実際にイジメ(ないしそれに類するもの)を受けている立場であれば、いつもと逆の立場を主人公の立場に同調することで味わえる、という面があったということに今更ながら気づきました。(なんというかここらへんは実体験です)この分析にも、違う立場からの見方の必要性について改めて考えさせていただきました。
このような酸っぱいブドウというか、ルサンチマンの要素というのは、結構無視できないで田中作品にあると思います。現実世界の政財官界に対する愚痴(以上のものではない)を書き連ねて喜んでいるような精神性も、この延長線上にある行動だと思います。
余談ですけど、この人も青島都知事と同じですよね。偉そうに与党政治を批判を言っているけど、いざ自分が政治を任されたら、悪政しかできないと思います。反対するだけで、明確な代案のビジョンをもってないんだもん。
>その「自分が何を求め、作品の何を受け入れられなかったのか」という疑問がなければ、対立陣営(ファン)の存在と考え方を理解していない「なんでこんな本読んでるんだ」調の一方的な批判に陥ります。
その通りだと思います。批判本や批判サイトで「こんなの読んで満足できるなんて、人生経験がよっぽど貧しいんだね。老婆心ながら、もっといろんな本を読んで素晴らしい経験を積んだ方がいいよ」みたいな批判に陥っているものが多くありますが、この論理に陥ったら宗教と変わりませんからね。
常に自戒は必要ですね。