創竜伝でもそうですが、アルスラーン戦記では特にそうですね。ルシタニアの描写は、まるっきり十字軍。昔の欧州のキリスト教国のつもりなのでしょう。イアルダポート(でしたっけ?)神への熱烈な信仰とともに異教徒を殺してまわる姿はそうとしか思えません。それに対し、文明国として描かれているパルスは多神教だったと思いました。創竜伝でも牛種だか蛇種だか達は、欧米キリスト教文明に寄生しています。作中で中国に対しては親愛なる情を示すのに、欧米に対しては毛嫌いしか抱いていないようにしか思えません。
でも、おそらく田中芳樹が信奉しているであろう民主主義(少なくとも銀英伝を読んだ限りでは)は、キリスト教文明から出てきたものです。絶対的な権威である「神」の前には人は平等。この思想はキリスト教からしか出てきませんでした。平等思想も人権思想も、みな欧米製のものです。
田中芳樹の愛する中国は儒教。科挙に受かった「士」と無知蒙昧なる「民」には絶望的な差があり、間違ったってここから平等思想や人権思想、民主主義などが出てくる訳はありません。むしろ、無知蒙昧なる「民」どもは政治に口を出す権利はない、という考え方です。欧米についてはあれだけ悪し様に書くくせに、民主主義は肯定し、民主主義につながる思想のカケラも出しはしなかった中国には親愛の情を示す。アルスラーン戦記でも、「絹の国」(誰がどう見たって中国でしょ)は遠方の憧れの文明国。この矛盾はいったい何なのでしょうか。
それとも、民主主義など全く支持しておらず、絶対君主が統治する帝政の方がいいとでも考えているんでしょうか。どうもイメージと表面だけの理解で書いているような気がしてならないんですが。
大伴家持引き出して公安馬鹿にしてるけど、今時「非国民」なんて言うヤツいるか?要するに今のアメリカべったりはだめで昔の、中国に臣従していた日本が良いって訳か。大伴家持公や菅原道真公が葬竜伝読んだら怒るだろうよ。昔から有る「売国奴」ッテね。
>それとも、民主主義など全く支持しておらず、絶対君主が統治する帝政の方がいいとでも考えているんでしょうか。どうもイメージと表面だけの理解で書いているような気がしてならないんですが。
多分、逆ですね。民主主義を信じているけど、中国について観光客的な興味しか持っていないということではないでしょうか。たとえ中国にどんなに詳しいとしても観光客には中国の一部分しか判らないのですよ。観光客は自分のイメージに適合した部分の現実だけを見ていても許されますが、住民は否応なく現実の光も闇も併せ呑まなければならないですからね。
>イスラームはどう思ってるんだろう?
確か、イランだかイラクだかが毒ガス兵器を使ったのは、唯一神への信仰という絶対的正義があるからだという記述が創竜伝にあったと思います。
それにしても、正義Vs正義を批判するなら、ユダヤVsイスラム以上の題材はないと思うのに、どうも取り上げられないのは何故でしょう? やっぱり、ユダヤ人には「ヒトラーに虐殺された」という絶対弱者としての経歴があるからかしらん。ナチス批判や差別批判でよくユダヤ人が使われているし、絶対弱者という正義は、正義相対論をも超越する正義って事なのか?
(以上、今回は根拠なしの妄文です)。
こんにちは。初めて書き込みさせてもらいます。
今日、約半日かけて、本文と過去の掲示板全てを読ませてもらいました(年末の大掃除もしなくちゃならないのに…この貴重な時間をどうしてくれよう)。なかなか楽しかったですよ。
ずっと読ませてもらっていて、私と田中芳樹という人の関わりを少し書かせてもらおうのもいいんじゃないかと思いました。多分、ここに参加されている方々の経歴に重なることも多いのではないかと感じながら。
私も遠いむかし、そうあの頃はまだ無知な高校生でした(笑)、コバルト文庫か赤川次郎ぐらいしか読まなかった私が、銀英伝を知り、それまで触れたことのなかったその壮大なスケールの世界観に感動させられたものでした。しかしその頃、銀英伝という小説を知っている友人はごくわずかで(しかも、かなりオタッキーな奴等と目されていたし)、その存在のマイナーさを自認しながら黙々と他作品をも読みつづけ、他に議論する場もなく、とうとう田中流政治論にしっかりと色づけされた高校生ができあがりました。
私はそれを、決して悪いことではなかったと今に至っては思います。世の中、政治や社会現象に全く興味を示さない学生がいかに多いことか。少なくとも、私の周りはそうでした。新聞などテレビ欄しか見ない、テレビは歌番とドラマだけ、NHKなど絶対見ない。政治なんかどうでもいい、明日の日本より、とりあえず2時間目の英語の予習ノートを誰に写させてもらうかが問題だ、という人たちが非常に多かったのです。私は田中作品を陰でこつこつ読みながら、この環境には密かに憤りを覚えましたし、今でも同じ思いはあります…今では冷静に、自分に対しても、ですが(それについて、学生さんたちが…管理人さんをも含め、この場所でさまざまな議論をされていることには大変心強く感じます)。そういった環境の中で、高校生時代という大切な時期を、単一の視点であったにせよ、社会問題に目をむけてその是非を自分なりに問うきっかけを与えてくれた作品群であったと思います。
当然、その頃はこの場であがっているような議論とはまったく対象外の観念の上で読んでいました。もちろん、田中先生の言い分はほぼ100パーセント信じていました。星条旗がはためいていることについての論議がありましたが、私は全く疑問に思いませんでしたよ(笑)。もちろん、頻繁に登場する政治屋さんたちが明らかな誇張であることは読み取っていましたが、政治家に異常な嫌悪感を感じていたことは確かです。宗教も嫌いになり、葬式で仏壇に手を合わせることもためらうようになりました(田中先生の宗教観についてはここではあまり言及されていませんが、決して肯定的ではないと私は受けて止めています)。自民党支持派で「みんながそうだからそれでいいんだ」的な考え方の父親とは、生活の中にあふれる慣習的な矛盾の一つ一つに対してまでいちいち反抗したくなって議論(いわゆるへ理屈)をふっかけ、良識ある大人を閉口させることも多かったと思います。そう言えば「ヤン・ウェンリーごっこ」(しょうもない演説の後に、周りに合わせて立って拍手をせず、座ったまま腕を組んでいるというもの)も仲間内ではやりましたね。(それはそれで面白いんだけどな…今の職場でもやってみたいけど、さすがに大人げないし、生活かかってるからできない。情けないが)。
とにかく、すっかり田中芳樹至上主義なった自分に異議を見出すようになったのは、大学生になってからのことだったと思います。皆さんと同じく、創竜伝を読み進むうちに情けなくなってきた、というのが、やはり一番大きなきっかけだったと思いますが…。それ以外にも、大学生活でさまざまな「自己満足的な主張」に触れて憤りながら、自分が持っていた田中先生流の主張もあの程度のものだったんだ、と改めて認識した結果だったのではないか、と思っています。
以降は(中国ものに限れば)陳舜臣先生や宮城谷先生、ちょっとだけ司馬遼太郎先生などいろんな方の文章を読むようになりました。管理人さんも推薦されていましたが、浅田次郎先生の「蒼穹の昴」も、面白かったですよ。田中先生の世界を潜り抜けて、いろんな方の文章を読むようになり、世界が広がったように思います。
田中芳樹という人は、私の一番多感で一番理想を追求できる時期にかなり大きな影響を与えた人でありました。自分自身はわりと淡白で物事に打ち込まない性格なのに、これだけよく染まったなあ、と今になって感心するくらいです。幾度も危惧されていますが、やはり、田中芳樹という人は一般に考えられている以上に絶大な影響力のある思想家だと思います。それは私の学生時代が私自身に対して証明しています。彼が私に与えた思想はかなり偏っていましたし、学生であったにせよ、先生の言葉を借りてかなり無責任な発言をしたことも多々ありました。(まあ、私は学生だったら許される、なんて甘っちょろい考え方は嫌いですが、学生の頃は物理的な制限も少ないし頭も柔らかくて自由な議論ができたというのはありましたね。インターネットなんて代物はなかったし)。
ま、そういった影響力のある人が創竜伝のような現実と架空の境界を曖昧にした作品を提供することには私も抵抗を感じますね。田中芳樹を撃つ!とは言っても、皆さんが一番撃ちたいのはやはりそこだろうと思うし、私が創竜伝を読まなくなったのは、やはりそこだったし。それは作品がおもしろいだのおもしろくないだのという次元の世界ではなく、もっと言えば作品が売れているか売れていないかの話ではなく、小説家としてのプライド、そして社会的な責任の問題なんじゃないかとまで思えてしまいます。
私にとっては、孔子がどう言ったかとか、戦争に対する知識量とか、中国びいきだとかはどうでもいいんです。そんなのはまあ、作家個人の力量であり考え方だし、私も稚拙ながら小説を書く人間なので、勉強不足や個人的趣味が入るのはご容赦願いたいと思ってしまいます。単に田中芳樹論として読むのは面白いですがね。そこにかかる偏った思想の是非は読者の側の判断に委ねたいし、どこかで躓いた人は他の作品と相殺し、さらに読書量をつんで自分なりに解決を図ることを期待したいのです。私自身が、そしてこの場におられるほとんどの方が(おそらく)そうしたように。
まあいろいろあって、田中先生を一時期嫌いになりながらも、今では冷静に先生の作品を読むことができるようになりました。やはり創竜伝は続きを読む気にはなれませんが、アップフェルラントや七都市を推薦する声が聞こえるのはうれしい限りですね。
この場も、最初のほうはかなり過激で、あげ足取りかなあと思えるような議論もなきにしもあらずでしたが、それ以降はみなさん紳士的に議論されてますし、「反銀英伝」みたいな楽しい論議も出てきて前向きな感じでよいなあと思えます。そして、やっぱりみんな、なんだかんだ言って田中先生が気になる存在なんだなあと。ははは。
大変すばらしいHPでした。このような議論の場が冷静かつ建設的に経営され、管理人さんの望まれる効果が正しく反映されることを切に願っております。
長々と書いて申し訳ありませんでした。
榊屋本舗さんへ
>宗教も嫌いになり、葬式で仏壇に手を合わせることもためらうようになりました
>(田中先生の宗教観についてはここではあまり言及されていませんが、決して肯定的ではないと私は受けて止めています)。
宗教についてですが、不沈戦艦さんが以前に書いてらっしゃる通り、兎に角一神教が大嫌いなことは確かですね(自分でも広言してるか?)。
氏の大好きな近代民主主義は「唯一絶対の神の下では全ての人間は平等」という発想が基になってるはずなのに。(まあ、それ故「異教徒に人権は無い」ってことにもなっちゃうんでしょうけど)
「アルスラーン戦記を読んでいたら、クリスチャンの知り合いに「こんな本を読んではイカン」と取り上げられた。」
という読者からの手紙を自慢気に紹介してたこともありましたね。
クリスチャンの人にとっては「アル戦」は創竜伝なんか問題にならないくらい不快なんだろーなー(^^;)。
創竜伝でも西洋に逃れた牛種はキリスト教を通して自分たちを崇拝させ、一元的価値観の元に人界の支配を企んだ、という設定になってますし。(あ、あくまで「小説」の設定として、ですよ。クリスチャンの人、怒らないでね)
銀英伝ではキリスト教は「既に滅び去った太古の宗教」とされていますが、いくら千数百年後でもそういうことにまでなってるかなあ。地球教があるんだから他にも宗教団体は当然存在するんでしょうけど。(キリスト教が滅びてもT教会は生き残ってたりして・・・)
まあ、田中氏が宗教を嫌いなのもキリスト教なんか無くなってしまえ、と思うのも自由だし、個人の趣味の問題ですが、人間の歴史にも発想にも行動にも宗教や信仰の要素が大きく影響を与え、左右してきたのは氏が好むと好まざるとに関わらず厳然たる事実ですよね。現代の感覚でそれを「間違ってる!」と言ったって仕方ないし、それを無視して歴史を語ると様々な所で無理が生じてしまう。(井沢元彦氏の言う「宗教的・呪術的側面の無視ないし軽視」ということですね。)
全共闘世代で、レーニンや毛沢東に憧れた(であろう)人にしてみれば「宗教はアヘン」という抜き難い信念があることでしょうが。
>私も遠いむかし、そうあの頃はまだ無知な高校生でした(笑)、コバルト文庫か赤川次郎ぐらいしか読まなかった私が、銀英伝を知り、それまで触れたことのなかったその壮大なスケールの世界観に感動させられたものでした。
>しかしその頃、銀英伝という小説を知っている友人はごくわずかで(しかも、かなりオタッキーな奴等と目されていたし)、その存在のマイナーさを自認しながら黙々と他作品をも読みつづけ、他に議論する場もなく、とうとう田中流政治論にしっかりと色づけされた高校生ができあがりました。
私は銀英伝を初めて読んだ時はもう高3でしたし、小学生の時に岩波少年文庫の「三国志」や子供向けの「太平記」を読んで忠君愛国思想に染められていたので(笑)、田中作品は小説として面白いと思い、影響は受けつつも、その思想に染まるということはありませんでした。
伏待さんがおっしゃるように、「偏った見方」というのは創作意欲の原動力であり、モチベーションを維持する上でも必要なもの、というのは確かにそうです。早乙女貢氏なんて、ある意味田中氏なんか問題にならない位の偏り方だし(^^;;;)。
が、田中氏が特殊なのは(小説でもエッセイでも)文中で明確に他者を批判・攻撃している点であり、これについては一々反論・反撃されても当然ですよね。
>榊屋本舗さん
>大変すばらしいHPでした。このような議論の場が冷静かつ建設的に経営され、管理人さんの望まれる効果が正しく反映されることを切に願っております。
ありがとうございます。ボリュームのある力の入ったご意見は非常に参考になりました。
>そう言えば「ヤン・ウェンリーごっこ」(しょうもない演説の後に、周りに合わせて立って拍手をせず、座ったまま腕を組んでいるというもの)も仲間内ではやりましたね。
あ、私もやりました、それ(笑)。
でも、私は中高生の頃に、創竜伝も含めて田中作品に触れられて良かったと思うのです。あの頃の傾倒ぶりと、それに対する止揚がなかったら、大学の変なサークルや、会社の変な労組にオルグられたとき、もしかしたら耐性がないせいで傾倒してしまうかも知れなかったから。
尾崎豊の歌とかと同じで、田中芳樹の思想は「はしか」だと、私的には思っています。
>田中芳樹の宗教観
確かに、見本として展示したいくらい典型的な唯物史観ですね。
>人間の歴史にも発想にも行動にも宗教や信仰の要素が大きく影響を与え、左右してきたのは氏が好むと好まざるとに関わらず厳然たる事実ですよね。現代の感覚でそれを「間違ってる!」と言ったって仕方ないし、それを無視して歴史を語ると様々な所で無理が生じてしまう。
その通り! 田中氏の歴史小説が決定的に平面的でダメな部分が、まさにここだと思います。いや、歴史物はまだ良いとして、現実に呪術の世界に生きているファンタジー作品のキャラクターが唯物史観論者なのは、どうにも、ねぇ。
それにしても、キリスト教ってエッセンスがわかりやすいためか、よくサブカルで使われてますよね(あの「エヴァ」もそうだし、他にも「バスタード」とかいろいろ)。で、私が見た限りでは、サブカルはプチ田中芳樹が多いためか、田中芳樹的なキリスト教批判(絶対的な正義を唱えるものは残酷だという奴)と一体になっていることが多いですね。
こういうのを見たり読んだりしてキリスト教を分かったつもりになる人も多いみたいですけど、キリスト教徒じゃない私からしてもイヤですね。みっともない。
それをしたいのなら、やっぱり、最低でも聖書くらいは読むべきだと思うし、スコラ学(アンセルムスあたり)なんかの凄さとおぞましさを感じてみるべきだとも思います(ちょっと偉そうだな;)