田中氏の他の作品と言えば、小説ではありませんが。
早川文庫から出版されている、アイザック・アシモフの「ファウンデーションの誕生」下巻の最後にある解説を田中芳樹が書いています(まさか、同姓同名の別人ではあるまいな^^;)。
はっきり言って、私はこれで田中ファンをやめました(笑)。
全七頁の内約半分、三頁がグチャグチャと小理屈をこね回している様な悪文で、この人は本当にプロの作家か?と首を傾げたくなるような代物でした。
他にも一頁程『銀河帝国興亡史』の細部について批判をしているのですが思わず首を傾げてしまいました。
例えば。
「(前略)とはいっても、ファウンデーションがハンザ自由都市であるのかフリーメーソンであるのかは、やはり気になるところである。後者としての印象がしばしばちらつくのは、惑星セタンダでの殺戮が示すような一面を読まされるからだ。全人類の利益と称して100万人単位の生命が犠牲とされる。それが正当化されるとしたら、ファウンデーションの理想とは何なのだろう。」
とあります。
まず、作品中にファウンデーションは二つ存在します。
セタンダの虐殺に関与しているのは第二ファウンデーションですが、ハンザ自由都市のイメージと言ったら第一ファウンデーションで、第二ファウンデーションにはそういう印象は無いと思います。
この二つは独立した組織なのに、田中氏はひとまとめにしている様ですが、田中氏は『銀河帝国興亡史』シリーズをちゃんと読んでいるのでしょうか?
第二に、田中氏曰く「セタンダの虐殺」で、これに似たシチュエーションが田中作品内に存在します。
銀英伝の、ヴェスターラントへの核攻撃のことですが、ラインハルトは、「銀河帝国全体のために」というオーベルシュタインの意見をいれて、核攻撃を阻止しませんでした。
同様に、第二ファウンデーションもミュールがセタンダの住人を虐殺するのを阻止しなかったのですが、田中氏が第二ファウンデーションをフリーメーソンと呼ぶなら、ローエングラム元帥府もフリーメーソンということになってしまいますが。
田中氏はそのあたり、どのように考えているのやら。
A.Naさん、こんにちは。
>田中氏は『銀河帝国興亡史』シリーズをちゃんと読んでいるのでしょうか?
「ちゃんと」読んだかどうかは判断できませんが、少なくとも銀英伝以前に書かれたアジモフ作品を、田中先生が読まれたことは、間違いないでしょう。そもそも、銀英伝自体が、アジモフから多大な影響を受けているのですから。
1.宇宙を舞台にした人類の未来史。(アジモフの作品全体)
2.描かれる社会は、古代・中世的。(「ファウンデーション」シリーズ)
3.地球の没落(「鋼鉄の洞窟」他)と、狂信的宗教の発生(「Pebble in the Sky」)
4.辺境に、文明(民主政治)の種子を残す発想(ファウンデーションはイセルローン共和政府か?)
アジモフの熱心なファンが銀英伝を読めば、換骨奪胎と言って騒ぐのではないかな?
> アジモフの熱心なファンが銀英伝を読めば、換骨奪胎と言って騒ぐのではないかな?
言ってます(笑)。私はアシモフの熱心な読者ですけど、田中さんのあの解説にはアッタマにきましたね。見方が皮相的過ぎる。だいたい解説でしょ、自説を延々と展開してどうするんじゃい! と。
銀英伝の世界でロボットが登場しないのは、ダニール・オリヴォーが第零原則を守るべく、ロボット工学の発展を阻止しているからではなかろうか(笑)。
> 銀英伝の世界でロボットが登場しないのは、ダニール・オリヴォーが第零原則を守るべく、ロボット工学の発展を阻止しているからではなかろうか(笑)。
さらに「永遠(エターニティ)」が「現実調整」を行って歴史を調整しているとか・・(笑)。
>言ってます(笑)。私はアシモフの熱心な読者ですけど、田中さんのあの解説にはアッタマにきましたね。見方が皮相的過ぎる。だいたい解説でしょ、自説を延々と展開してどうするんじゃい! と。
あぁ、良かった、あの解説に不満を抱いたのは私だけじゃなかったんですね。
先日のアップでは書きませんでしたが、私が一番頭にきたのはイライジャ・ベイリの臨終のシーンにケチをつけたことです。
ガイアを全体主義だと批判するだけなら、まだ見解の相違と言えるのですが、どうして、『この文脈で、かのイライジャ・ベイリの台詞を思いおこすと、ちょっと憂ウツになる』んでしょうね。
イライジャはダニールを案じただけで、別に『人類全体のためなら、一人の人間の命などどうでも良い』などと一言も言ってないはずなのに、この辺りの田中氏が何を考えているのか、さっぱり理解できません。
この、イライジャとダニールの最後の別れは、このシリーズの中でも特に好きなシーンだったのに、こんな意味不明なケチをつけられるとは、思いもしませんでした。
逆に一番笑えたのは、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』を『疑似宗教小説』と決めつけた部分でした。
『(前略)「宇宙意識との融合等による個の喪失こそが進化である」などという、SFの衣をまとった疑似宗教小説はどうも苦手だ。クラークの『幼年期の終わり』は作品としてはとても好きだが、私は「進化」なんぞしたくない。何だって私が巨人ファンやナスビ好きの人たちと意識を共有せねばならんのだ。』
『幼年期の終わり』においては、「進化」することで、人間としてのアイデンティティはすべて失われます。
したがって、意識を共有する相手は巨人ファンでもナスビ好きでもなくなっていますし、そもそも人間ではありません。
第一、この作品では「進化」するのは10歳未満の子供だけで、それ以上の年齢は人類最後の世代として滅びる運命にあるはずですけど。田中氏の様な中年のオッさんは例え「進化」したくてもできません。
「田中さん、あんたは一体、自分自身の年齢を幾つだと思っているんですか?」と思わずツッコミを入れたくなります(笑)。
田中さん、もういいから少年少女達に混じって「長い踊り」でも踊ってらっしゃい(笑)。
> この、イライジャとダニールの最後の別れは、このシリーズの中でも特に好きなシーンだったのに、こんな意味不明なケチをつけられるとは、思いもしませんでした。
人間を大きなタペストリの一部に例えた、イライジャ最後の訥々と
した台詞ですね・・。
> 田中さん、もういいから少年少女達に混じって「長い踊り」でも踊ってらっしゃい(笑)。
・・意外と取り残されてしまい、
カレルレン司令が、田中さんのために解説をしてくれるんでしょうか・・・(--;;;
「われわれは、あれを”長い踊り”と呼んでいる。意味はまだ分かっていない」
> ガイアを全体主義だと批判するだけなら、まだ見解の相違と言えるのですが、どうして、『この文脈で、かのイライジャ・ベイリの台詞を思いおこすと、ちょっと憂ウツになる』んでしょうね。
> イライジャはダニールを案じただけで、別に『人類全体のためなら、一人の人間の命などどうでも良い』などと一言も言ってないはずなのに、この辺りの田中氏が何を考えているのか、さっぱり理解できません。
>
> この、イライジャとダニールの最後の別れは、このシリーズの中でも特に好きなシーンだったのに、こんな意味不明なケチをつけられるとは、思いもしませんでした。
まったくあれをどう読んだらああなるのか…。ああいう強引な決め付けが可能ならば銀英伝などは「好戦的な軍国主義を賞賛している」とでも言えるではないですか。別に銀英伝だけじゃなくて、なんだってそうなりますね。
例えば、「源氏物語」を「差別主義者による社会的問題意識の欠如した官能小説」ということも出来ますし、「嵐が丘」を「情念の赴くままの暴力を礼賛した陰惨な非理性的な小説」ということさえ可能です。
こういうのは解釈でさえない、インネンというべきでしょう。
> 「田中さん、あんたは一体、自分自身の年齢を幾つだと思っているんですか?」と思わずツッコミを入れたくなります(笑)。
>
> 田中さん、もういいから少年少女達に混じって「長い踊り」でも踊ってらっしゃい(笑)。
彼の周囲には諫言してくれる編集者などはいないのでしょうか。それはそれで気の毒な話です。私は田中さんを見ているとアメリカ人みたいだなと思うことがありますね。アメリカではどんな意見だろうと自分の意見を持つと言うことが礼賛されるので、取り敢えずとんでもない意見(常識や知識がまったく欠如した)でさえ、言ってみるというか声高に主張するということがありますね。まずは自分の中で咀嚼してみろといいたいです。
別にアシモフを神格化するつもりはありませんが、事実として知の巨人であり、SFの中興の祖のひとりであるアシモフに対して、相応の敬意を払って貰いたいと感じます。
自分の意見を展開するために、アシモフの作品を強引に利用しないで貰いたいです。
IKさんへ、
すみません。全体のご趣旨には賛同した上で、あえて言葉尻のみ捉えさせていただきます。
>アメリカではどんな意見だろうと自分の意見を持つと言うことが
>礼賛されるので、取り敢えずとんでもない意見(常識や知識が
>まったく欠如した)でさえ、言ってみるというか声高に主張する
>ということがありますね。
うーーーーーーむ・・・・・・
私は、通算で5年アメリカで暮らしたことがあり、多くの友人を作ったつもりですが・・・おっしゃるとおりなのでしょうか?
それぞれの社会によって、「常識」の内容に少しずつ違いがあるのはたしかだと思いますが、その社会の常識にはずれた意見が、日本よりもアメリカでより頻繁に出てくる、という印象は、少なくとも私は持ちませんでした。
IKさんが、どのような具体事例を念頭において、アメリカには常識はずれの意見が多い、と言われたのか分かりませんので、勝手に想像するしかありませんが(的外れの想像をしていたら、大変申し訳ありません)、例えば、日米が互いに相手を見て「非常識」と感じることに「差別」の問題があるかもしれません。
日本人が最も敏感になるのは、「障害者」への差別で、おかげて人間の身体的・精神的な障害を表す用語で、公共の場で用いられる語彙から追放されたものが多くあります。しかしアメリカ人が「blind」「deaf」「one-eyed」「epileptic」「schizophrenic」等の言葉で特定の人を表現しても、誰も騒ぎません。(言われた本人は、決していい気持ちはしないにも関わらず、です。)
一方、アメリカの人権感覚から見ると、日本には性別や年齢をベースにした、「常識はずれ」の差別があります。そもそも求人広告に「男、25歳から30歳まで」などと堂々と書いてあるのですから。
>別にアシモフを神格化するつもりはありませんが、事実とし
>て知の巨人であり、SFの中興の祖
私は、高校・大学時代に、ほとんど神格化してました。(笑)
多感な時代に巨大な影響を受けたおかげで、それ以後、読む本といったらSFと歴史ばかり。とんでもない偏向人間になってしまって・・・。(嘆息)
> IKさんが、どのような具体事例を念頭において、アメリカには常識はずれの意見が多い、と言われたのか分かりませんので、勝手に想像するしかありませんが(的外れの想像をしていたら、大変申し訳ありません)、例えば、日米が互いに相手を見て「非常識」と感じることに「差別」の問題があるかもしれません。
そこまで大仰な話じゃないです(笑)。ここでいう常識ってのは見解云々じゃなくて主に知識的なものですね。私が接したアメリカ人が悪かったのか(あるいは類友?)。ま、アメリカ人を敵視している訳ではないので。アシモフもチョムスキーもアメリカ人ですからね。
あんまり時間がないので、駆け足になりますが、チョムスキーと言えば、先日、「9・11」が文春文庫に入りました(早いー)。私が言いたいことはだいたいあれに書いてありますので、よかったら読んで見てください。