はじめまして。創竜伝や銀英伝の話題が多いので恐縮なんですがアルスラーン戦記についてです。
高校生の時はじめて読んで、「自分の周りに、無双の曉勇とか稀代の軍師とか絶世の美女とかが続々と集まってくれたらそりゃ楽しかろうなあー」とおもいつつ、多少?のご都合主義も敢えて無視して七巻まで一気に読みました。
その後も九巻まで読んで、次の巻が出るのを楽しみにしていました。
・・そして六年経ち・・
本屋を見ても、九巻までしか置いてない。
ふざけんなー!!!!、何が「十四巻まで出る予定」だ!!、と怒りをおぼえずにはいられません。
やはりストーリーが破綻して書く気が失せたのでしょうか。
マッハ竹踏さん、こんにちは
>その後も九巻まで読んで、次の巻が出るのを楽しみにしていました。
>・・そして六年経ち・・
>本屋を見ても、九巻までしか置いてない。
>ふざけんなー!!!!、何が「十四巻まで出る予定」だ!!、と怒りをおぼえずにはいられません。
この点はさすがにプロとしての姿勢が問われる所ですね。
田中芳樹ファンでも弁護する人はいないでしょう。売行きが悪くて打切られた訳ではありませんから。
そりゃ出版社に無理矢理書かされたのもあるでしょうが、シリーズ物で完結させているのがたったの2つとはさすがに異常な事態と言わねばなりません。
遅筆と言われてるけど、実は刊行ペース自体から見るととりたてての遅筆というわけではないんですがね。結局生産力に比して戦線を広げすぎた結果各方面で泥沼ににはまってしまっている訳で、なあんだ、自分が「無能・無策」と罵倒している旧日本軍と全く同じじゃん(笑)。
>やはりストーリーが破綻して書く気が失せたのでしょうか。
破綻したから、というわけではないでしょうが、「今書きたいのは中国物だ」というのが本音でしょう。
「タイタニア」、「灼熱の竜騎兵」はもう出ないでしょうね。アルスラーンもかなり危ない。
自らの死期を悟り、肉体の苦痛に耐えながらも大作「私本太平記」を完結させた(かなり端折ったけど)吉川英治の爪の垢でも煎じて呑め!とか。
なお、上記の批判は全て佐藤大輔氏にもあてはまる(爆)。
>結局生産力に比して戦線を広げすぎた結果各方面で泥沼ににはまってしまっている訳で、なあんだ、自分が「無能・無策」と罵倒している旧日本軍と全く同じじゃん(笑)。
ナイスなツッコミですね(笑)。でも、戦況が判った今、いますぐ出来る対応策がありますよ。
やはり、これ以上戦線を肥大化させないこと(もう新シリーズや書き下ろしは休止!)。田中芳樹は歴史に学べるか!?
とはいえ、いくら作家で食っていると言っても、創作意欲の問題ってのはあると思うのですよ。創作意欲ってやつは、その対象がコロコロ変わるし、創作意欲の失せた作品を書き続けるのは単純に苦痛でしょうからね。
私としては、無理にシリーズを書き続けろとは言いませんけど、ケジメだけはつけるべきですね。素直にこういえばいいのです。「読者の方には非常に申し訳ありませんが、私、田中芳樹は「タイタニア(アルスラーン、レッドホットでも可)」にたいする創作意欲が消失してしまい、これ以上書き続けることは出来ません。これ以上読者の方を待たせるわけには行かないので、これでこのシリーズは打ち切らせていただきます」
それこそ、ファンの間では百家争鳴の騒ぎになるでしょうけど、やはりちゃんと告知する義務があると思いますよ。
銀英伝のあとがきで、田中氏は、十巻で終わらせると宣言したにもかかわらず、それ以外の巻で完結するのでは? という噂が出たことに対して、「信頼して貰えなかったのが残念」という趣旨の発言をしていました。ここで、私は田中氏の誠実さと自分の作品への自信に打たれた覚えがあります。
しかし、現在の氏の同様の趣旨の発言に対しては(アルスラーンは14巻完結とか)、誠実さどころか問題を先送りしようと言う不誠実さしか感じることが出来ません。
はじめまして。このカフェの内容の全部には目を通してはいないので、重複する点が多々あるかもしれませんが書き込みさせていただきます。
まずこのカフェを見て思ったのは、「似た事思ってる人、多いなぁ」でした。
実際、創竜伝も途中からくそ面白くない二流政治エッセイと化してしまった。こんな事は管理人さんも言う通り小説で書く事ではないでしょう。本当に政治について語りたいならそういう本を書けばいいし、それを小説で書く事はある種卑怯です。「これは政治批評の本ではなて、小説ですよ」というエクスキューズがなきゃそういう事言えんのか!と思います。
本気で語りたければ政治批評の本を出して、他の政治批評家と同じ土俵で勝負すべきです。そうしない、という事は同じ土俵で勝負する自信がないんとちゃうかと勘繰りたくもなります。
僕は田中氏の政治思想だとかには興味は「全く」ありません。僕が欲していたのは政治批評家の田中芳樹ではなく「作家」田中芳樹でした。他の多くのファンも同じだったでしょう。その期待を裏切った田中氏は作家として「堕ちた」といっていいでしょう。
悲しいかな僕にとって田中芳樹は「過去の」作家となってしまいました。
あと、最近の田中氏の中国史についての本はほとんど読んでないんですが、ざっと見たところの感想です。
はっきり言って、「ページの余白多すぎ」、「文章が単純」です。
ページの上下の余白が広いし、行間も広い。中谷彰宏の本じゃあるまいし。あれって、実際の所、普通の単行本の三分の二程度の原稿しか書いてないでしょ?
文章については「誰々は言った。そして何々した」っていう単文が多かったように思います。また、風景の描写も以前より少ない。率直に言うと「薄っぺらい」文章に成り果ててました。
志茂田かげき(字を忘れました、すいません)みたいに文章を書かずにテープに声を吹き込んで本にしてるんじゃないかって位の薄っぺらさです。
田中氏は小説全般について創作意欲を失ってしまったんでしょうか?
もう一度言います。田中芳樹は作家としては「終わった」人、「過去の作家」であると。
>はじめまして。このカフェの内容の全部には目を通してはいないので、重複する点が多々あるかもしれませんが書き込みさせていただきます。
こんにちは。
>本気で語りたければ政治批評の本を出して、他の政治批評家と同じ土俵で勝負すべきです。そうしない、という事は同じ土俵で勝負する自信がないんとちゃうかと勘繰りたくもなります。
創竜伝では、政治評論家を日本で一番いかがわしい職業みたいな言い方で職業差別していましたが…
>田中氏は小説全般について創作意欲を失ってしまったんでしょうか?
>
>もう一度言います。田中芳樹は作家としては「終わった」人、「過去の作家」であると。
ちょっと前に、私は「タイタニアやレッドホットの続編を書く気がないのなら、打ち切りをはっきり宣言しろ」と書きました。その結果、ファンにボロクソに糾弾されるかも知れませんが、このまま問題を先送りして、むなしい期待をファンに抱かせ続けるよりも、責任ある態度だと思うからです。
現在出ている氏の小説で、銀英伝に匹敵する気迫や密度のある作品は、皆無です。否、人間である以上、それでも構いませんが、問題なのは、現在の氏の小説に片手間というか、趣味で書いているような雰囲気があることです。
公表されている氏の資産を見れば、この後の余生は働かなくても食べていけることは明らかです。もちろん、それはそれで結構なことですが、どうもそれが氏から創作意欲(というよりも勤労意欲)を奪っているような気がします。
義務感で創作を続けるくらいなら、いっそのこと作家を引退されたらどうなのでしょうか。落合だって、打てなくなったら引退です。ラモスだって、動きが付いて行かなくなったら引退です。引退するのは、彼らがプロだからです。技術を見せて食っているからです。草野球や草サッカーならともかく、プロだったら素人には出来ない技術を見せられなくなったら金を取るべきではないのです。
田中氏も、プロの作家としての技術を見せられなくなったら、引退した方が、晩節を汚さないで済みますよ。あなたの尊敬する石橋湛山のように。
田中氏が今書いているような趣味の小説は、コミケのようなところで世に問うた方がよいのではないでしょうか。このままプロの作家にしがみつくより、文章系初の2時間行列でも目指した方がよっぽど健全だと思うけどなぁ。個人的な感想だけど。
(じゃなかったら、あとはインターネットだな)
田中氏の作品がSFと呼び得るのか、という議論はさて置き、ああした架空世界の構築にあまり意欲を見せなくなっているのは確かですね。ただ中国物については、なかなか精力的ですし、作家としてはまだまだ枯れていないんでしょう。
考えてみると、小松左京とか、光瀬龍、豊田有恒や、半村良など(敬称略)、日本SFの屋台骨を支えた作家って、ほとんどが今や評論家や時代小説作家になっていますね。
SF作家の耐用期限なんてものがあるのでしょうか。欧米ではアシモフとか、生涯SF者の作家は多いのですけどね。
石井さん、僕の初めての書き込みにお返事下さりありがとうございます。
ところで、石井さんがおっしゃってた「打ち切り宣言をすべき」という意見には賛成です。
田中氏に作家としてのプロ意識があれば、少なくともシリーズの続きを書くべきですし、書けないのならはっきりとそう言うべきです。
僕の考える「プロ意識」とは、「自分がこれで飯を食っている」というプライドを持っているか、ということです。
作家は歌手やプロスポーツ選手などと同じくエンターテイナーであると僕は考えています。(読者が本を購入してはじめて作家の収入がある以上、この際純文学作家であろうとエンターテイナーでしょう。)
そうである以上、少なくとも作家は読者を意識して本を書くべきなのです。これはもちろん読者に媚びるということではありません。
つまり、「この本は人様に金を払わせる価値がある」という自信がある本を書くべきである、ということです。(これはエンターテイナーであれば最低限必要な意識でしょう。)
こう考えると、このページにおいて「銀英伝」が「創竜伝」より高く評価されている、という理由が見えてくるでしょう。(>小走さん)
銀英伝は新進気鋭の作家のアイデアや上昇志向(悪い意味ではないです。いい言葉が浮かばなくて・・・すみません)があふれていました。
その後、田中氏は銀英伝で作家としての地位をある程度固めたため、その後の本は徐々に読者を意識しない、自分の好きな事を書いた本を書くようになったといえるでしょう。これが「銀英伝」が「創竜伝」より高い評価を得ている1つの理由であると僕は考えます。
そういった意味で、僕は田中氏がもはや「銀英伝」を書いた当時とは全く別の作家であると諦めています。これが、前回僕が言わせていただいた「田中芳樹は過去の作家」、「作家として終わった人」という言葉の真意です。
>最近の田中作品には、やるきの無さと同時に何か
>読者にたいする憤りというか、馬鹿にしているというか、
>そういう物を感じるんです。
なんか、そんなふうに感じることもあります。
ちょっと趣旨が外れるかも知れないですけど、例えば、7巻のP207。
「……竜堂終の歌、ナルサスの絵、と並び称されているのを知らないんですか」
ファンブックの類に載っているサービスのおまけ小説とか、あとがきの対談ならいざ知らず、独立した一作品の本編部分に、このような内輪ネタを載せるプロ作家の意識が知りたいですね。
こういうのは、前にも言ったように、同人誌ででもやればいいんですよ。