少し古い投稿に対してですがレスを。
>2021 satokoさん
<あくまで私のみの意見ですが、もし田中芳樹氏がここのHPをみた、またはファンの批判などをきいて作風をまたは持論を曲げるような事があれば(ただ、事実を勘違いしてるとこはいいけど)それこそ私は作家としての田中氏を軽蔑すると思う。それが、私は田中作品の内容についての意見を言わせてもらう事があっても田中氏個人をまたは田中ファンを批判しない最大の理由です。>
作風に関して言えば、田中芳樹はすでにかつての作風を変えてしまっています。そしてそれによって、最近の作品はどうしようもないレベルにまで堕ちてしまっています。これは「薬師寺シリーズ」と「創竜伝11」を読めば分かると思うのですが、作家としてかなりいいかげんな姿勢で小説を書いているのが、あの出来から透けて見えます。だいたい元ネタがマンガやファンタジア文庫や家庭用ゲームというのはともかく、それをあそこまで駄作に仕上げるというのは少しも誉められた事ではないと思うのですが……。
だから大雑把に言えば、「さっさとかつての作風にもどって面白い小説を"早く"書いて」というのが、このサイトの常連一同の願いなのではないでしょうか?
ちょっとファンの話題と関係ない話ですいません(-_-;;)。
「だれもそんなゆーとらんが~!こんなんせつめいするのぶちたいぎ~。」
という気持ちです(この方言がわかる人何人いるんだろう(笑))
すいません錯乱しました^^;
管理人さん、ちょっとひどいですよ(涙)いつ、管理人さんにそんな言い方しました?
書き込みに対して返してますし、文章力がないので誤解を与えてるかもしれませんが、管理人さんに対して私が言ってるのは「田中氏にファンという最大のいい訳をあたえるな。」と言う事は言ってるつもりで、管理人さんがキャラクター楽しむとか、そういうのを否定してるなんて言ってないつもりなんですが・・・。(この論争中に管理人さんも何度も否定している訳ではないとおっしゃってるし)
いろいろな人あてに書いていて誤解を与えたならすいません。そのことに対して特に反論の書き込みがなかったので「そういう風に考えてないのだろう」と勝手に判断してました。すみません。m(__)m
>通りすがりの半端者さん
かばってもらって(?)ありがたいのですが、TAKさんが「おもってるほど相対的じゃない。」というお話べつにおこったりしてないです。自分自身が特に相対的にとか意識していなかったので「私が思ってるほどってどれくらいだろう・・・?」とは思いましたが別に気にするほどの事では・・・(笑)
管理人さんの「~子供たち」と言う言い方についてなんですけど、ここで言う子供たちって「~に影響を受けて育った。」とかそういう意味(だと思うのですが違ったらすいません)での使い方は確かに厳密な意味で言うと他人に対して使うのは失礼な事(となんだかの授業でいってたような気が・・・・自分の事をへりくだって言う言い方だとか云々・・うろ覚え)らしいのですが特にTAKさんが悪意があって使ってる物ではないのはわかるし、これが私たちのおとーさん世代より更に上の人に「あなたも~の子供なんですね。」と言えば大ひんしゅくかもしれないのですが、ここでいうのは仲間意識と言うかフレンドリーないみで使ってるので別にこだわらなくてもいいんじゃないかな・・・。
礼儀にけっこう厳しいかたなのかもしれないですが、できたらそういうことより話の中身をもうすこしはなしあえたらいいなとおもいます^^;
>「田中氏にファンという最大のいい訳をあたえるな。」
確かに田中芳樹にファンを言い訳にさせるわけにはいかないですけど、ファンの責任と田中芳樹の責任はあくまでも別個ではないですか? 一元的に捉えるべきものではないと思いますが。
ここで言うファンの責任と田中氏の責任一元的に捉えれる物ではないかもしれませんが、少なくとも管理人さんの通りすがりのはんぱものさんにあてたレスから私が管理人さんも「小説を読みこむファンが良いファン」と言ってると判断している訳ではないと言う事を書いたのですが・・・、でもやっぱりファンに責任を求めたいと言うならこの解釈も違うようですね。管理人さんのファンの定義にしても極端な事を言えば「その人たちだって楽しみ方のひとつでは?」と言えると思うし、たしかにはむぞうさんのおっしゃっているような田中信者の場合「面白くないのはわかっているが購入しろ。」みたいなの違うでしょうが・・・。
管理人さんのファンの定義、あまりみかけた事はないですがそういう人もいるんだと思います。ただそういう人を総括して田中ファンと言うのはちょっと語弊があると思うのです。
これはお願いで強制とかではないのですが、嫌いで仕方ないのはすごくわかるし、そんな者を薦めるのはなんですが、すこしいろいろなファンサイトをのぞいてもらえないでしょうか?管理人さんが言うような人って結構少数派なのだとわかってもらいたいのです。
で、そういう人達を田中信者と呼びたければ(私はその言い方すきではないが)よぶのもありでしょうし、いちいち書くのは面倒かもしれないのですが「思想的に田中氏に傾倒しているファン」と明確に分けてもらえたら、通りすがりの半端ものさんのような誤解はなくなるのではないだろうかと僭越ながら思わされました。
そーいえば、ファンサイトに来ていきなり「銀英伝に出てくるやつはみんな馬鹿だ。」と言う書き込みをして皆さんを激怒させた人がいました。この人「田中ファンは反論を受け入れたがらない。」みたいなことをおっしゃっていたのですが(ちゅーか冷静にどこをもってそう思うのかという質問をした人解析をした人無視されてたし)、その掲示板ではルールとしてみんなで情報交換して遊ぶための物なので非難中傷記事はやめましょうというものでその場の雰囲気を考えて、そのような言い方で書きこむのはまちがっているぞという指摘も「けっ、田中信者め」らしき態度を取った人がいましたが、そういう誤解が他の田中批判の所に出てくる田中ファン像を作っている訳ではない事を祈ってます。
>冒険風ライダーさん
作風がかわっていくのは文学史を見れば多々ある事で、いいかわるいかとかは思っていないのですが、この場合自発的に作風を変えたのか、周りからの外的な要因で作風を変えたのかが問題だと思うのです。
こんな文豪と比べるのは何ですが、森鴎外が高瀬舟とかを書いていた時期と(何はだったか忘れましたすいません)自然主義に愛想付かして高踏派になった時期の作品って結構違うと思うのですが、その当時それがあわなくなって離れて行ったファンいたと思うんですよね。もちろん抗議する人もいたでしょう。でも、自身が信念を持ってやっている事だからどれほどファンが離れようと抗議が来ようと曲げないのが文学者に有るべき姿かなと思うのです。本来、ファンは作者につくものではなく、作品につく物ですから前期鴎外の作品が好きだったけど後期鴎外は嫌いとかあっていいと思うし(ここのひとたちも田中作品に対しそうなのではないでしょうか)ただ、それが質かどうかってむずかしいとおもうんですよ。
あの文にも書いたと思うのですが、事実の認識として間違っているものは訂正するべきだと思うのですが、自身の思想を書いている部分が面白くないと言うのは「創竜伝」ではよく聞くし、私自身もそう思うのですが、田中氏がその部分に信念があって書いているのなら敢えて曲げる必要はないと思うんです。というか、反論に迎合する形で変えるようなみっともない事をするなら、現在の田中氏のファンに対して失礼だろうし、それ以前にその程度で自分の考えを変えてしまう程度の信念で作品に取り組んでいるという行動をして欲しくないのです。ストーリーそのものがつまらないというのはどうにかするべきだとは思いますが・・・。
すいません、答えになってないか。^^;
私は邪道な楽しみ方は許されないとかいうつもりはないんです。
ただ、あえて分類すればそうなるだろうということで、ファンの楽しみ方を一方的に制限せよと主張するつもりは毛頭無い。
ただ、satokoさんのファンがまったくの無罪だと考えるのはちょっと違うのではと思います。
>作家が落ちぶれたり、つまらない作品をだらだらとだしたりするのはあくまで、作者の責任でファンのせいにするなと言う事が言いたいのです。
これはまったくその通りだと思います。つまらなくなって売れなくなるのは作家の責任です。しかし現実には奇妙な現象が生じているんですよね。
・つまらなくなる→売れなくなる
ではなくて、
・つまらなくなる→それでも売れる
この場合、買う側の責任を免罪できるのでしょうか?
結局そこを免罪するのがsatokoさんのおっしゃる「楽しみ方は自由」という論理ですよね。
でもそれってなんだかおかしくありませんか?「つまらなくても売れるのは作者のせいである」って、買っていくのは読者ですから、作品がつまらない責任と買っていく責任は負うべき所が明白に違うと思います。
あ、でもこういう仮定する前にそもそもsatokoさんは「つまらなくなる→それでも売れる」という状態の責任はどこにあると考えているんでしょうか。
今までの議論からファンを免罪していることは分かるんですが。やっぱり作者?それとも出版社?いやひょっとして「つまらなくなる→それでも売れる」という状態自体を悪いものとは考えていないとか?
需要と供給の関係でそういう状態もアリだと認めていらっしゃるのなら、そもそもこの議論は噛み合いません。私は「つまらなくなる→それでも売れる」という状態を異常なものと認識している(多分管理人さんもそうでしょう)ので、そういういびつな市場を作り出す責任はどこにあるのだろうかと考えるわけです。
で、その中でファンの責任というのは決して軽視できないなと。
ですから、正常な市場原理(良いものが売れ悪いものは淘汰される)を働かそうと思えば、「賢い消費者」というのは絶対に必要なんです。
粗悪品と良品の区別もつかない消費者ばかりでは、決して市場原理が働かないのは分かりますよね?
ただ、世の中には粗悪品と分かっていて買うような方もいるので、そこについては私は否定しない。
ゆえに前回、「正当・邪道」と区別した理由がなんとなく理解してもらえたと思いますが。
つまり、粗悪品と知らずに買っていくのは論外として、問題は知ってて買う人たちなんです。
これが全体の少数であれば、市場原理を害するものでもないでしょうが、圧倒的多数を占めたとき、市場原理が崩壊する。
そりゃ分かってて買うんですから、彼らの勝手でしょうけど、良品を欲しいと思っている消費者にとっては迷惑この上ない。やっぱり良品が売れ、粗悪品は淘汰されるというのが正しい姿ですから。
だから私はファンを全面的に免罪することに否定的なわけです。
少なくとも「作家が落ちぶれたり、つまらない作品をだらだらとだしたりするのはあくまで、作者の責任」って言うためには、正常な市場原理が働いてないとダメなんです。
だってつまらなくても売れていたら、「俺の作品は面白いんだ」って勘違いするでしょう?その状態で「あんたの作品面白くないよ」と作者の責任を言い立てたって、「売れているからそんなことない」って逃げられてしまうじゃないですか。
つまり、作者の責任というものが絶対に問えなくなってしまう。
結論として、供給者と需要者の責任はイーブンに考えるのが妥当と私は思うんですけどね。
>悪貨は良貨を駆逐する
それは知らなかった。(^^;;
私はずっと誤用の意味しか知りませんでした。というか原意で使っているのを見たことありません。これも「虎の威を借る狐」みたいに原意と違う意味が定着した例ですかね。
「虎の威を借る狐」・・・中学のとき習ったことなんで原意がなんだったか忘れてしまいました。(;;)
ただ、今の意味とは違うということだけ覚えています。
>ファンの定義
これは難しいですね。確かにいろんなのを含みますからね。狂信者もそうなら一歩引いているのもそうだし。定義問題を言い出したら泥沼になるのでは?(私は議論の中ではとりあえず、つまらないんだけど惰性で買っている人って考えています。一般に使うときはそのことが好きな人っていう広い意味で使います)
>satokoさん
「薬師寺シリーズ」や「創竜伝11」で突然社会評論が消滅し、ストーリーの作風が変わって駄作になってしまったのは、どうも外的要因が主な原因なのではないでしょうか? 世間の風向きが変わり、自分のストーリーや社会評論が全く受けいれられなくなったということを察したから無理に作風を変えたのではないか、そう私は見ているのですが。あのひどい出来を見ると、作品構成にかなり無理が見えるものですから、何となく「これは田中芳樹本来の作風ではないな」と思えるもので。
それから社会評論についてですが、私が見たところ、創竜伝の社会評論は事実誤認がすくなくとも半分以上ありますし(特に文部省関連と中国礼賛、そして軍事関連)、そもそも社会評論同士が相互矛盾を引き起こしているという例もかなり多いんですよ。例えば「人を思いやる想像力」を散々説きながら社会評論で一方的な評論をしたり(ひどいものは単なる誹謗中傷)、「画一的思想の押しつけはイケナイ」とか言いながら、別の社会評論で画一的思想の押しつけをやっていたりと、どうも社会評論を全部並べると論理が矛盾しているんですね。思想を持つのはかまわないし銀英伝のように洗練されていれば私も賞賛するのですけど、創竜伝の場合は思想・信念云々以前の問題です。そしてそれによって、ストーリーにまで矛盾が発生することこそが、創竜伝をはじめとする現代物の問題点だと私は思うのですが。
書き込むタイミングを、少々逸した気がしますが……。
小説のなかで「フィクションだから許される」部分があるとしたら、「フィクションだから許されない」ことも持ち合わせているはずなんですよ。これを『創竜伝』に置き換えれば、小説のなかの社会評論は前者だとしたら、展開の辻褄が合っていない部分は後者に相当しませんか? 前者で好き放題のことを書きまくるのが許されるとしたら、少なくとも後者は完璧なければならないはずでしょう。
しかし展開はズタズタ(前回の私が出した質問に対する「冒険風ライダー」氏の返答に見られる悪役の変遷など好例)なのに、ピント外れの社会評論は多数入れる……というのは、やはり小説として失格と言われても仕方ありません。
それこそ社会評論なんかまったくなければ、それなりに読める作品になってたと思いますが。
……でも私が理解できないのは、どうして“ファン”と称する方がこの現実に気が付かないかなんですね。「作品を直すかどうかは作家の問題」としても、まずそれ以前の問題として「完成度の高い作品を読者に提供する」のがプロの使命でしょう。違いますか?
逆説的な言い方をすると、“ファン”の人たちの言い分って、「(ひどい作品を出しても心が痛まないような)作家の論理」になってるんだけどなぁ。
“ファン”がそこまで義理立てする必要はありませんぜ。あくまで「読者の論理」でなきゃ。
アタマが立ち上がっていないので、ここまで。
>TAKさん
ベルセルクの作者さんの下積みって、わたし的にはイカシとる「ジャパン」のときとかも入ってるのでしょうか。たしかベルセルクと同じヤング・アニマルに連載されていたと記憶しとります。「ジャパン」を初めて見た時は、なんちゅう話やねんって、その印象だけが残っているのですが、あっという間に消えちゃいましたね。やはりストーリー的にまずかったのでしょうか。とりあえずインパクトだけは凄かったのを覚えとります。白泉社の前はどんな作品をお書きになってたのでしょう。
長い追伸
人間弱いもんで、落ち目の時には人の意見にあれこれ左右されてともすれば自分を見失いがちになるのですが、本当に確信をもっているのならば、近視眼的な妥協を排して敢えて荊の道を選ぶってのも、確かに大成には必要なのかもしれませんね。偉人伝のなかにもそういった例はごろごろ転がっていますし。ただ、その確信というものが、satokoさんのご発言に出てくる編集者の言葉「ひとりよがりの自惚れ屋は絶対つかわん」に代表されるような勝手な思い込みであるのか、見極めが難しいですね。詰まるところこれって主観の部類に入りますから。そのへんのところよく知りませんが、結局は出版社の担当者の眼力による振り分けで、事前に淘汰されるのでしょうね。その際当然、磨けば光るものにはいろんなアドバイスがなされるのでしょうが、そのアドバイスの結果自らの求めるものと異なるものを要求された場合、さあどうしましょ。製造業でも物を作る前に徹底的なマーケティング調査を行いますし、これは出版業も同じでしょう。読み手のニーズに応えないと売れないのですから。わたしなら、安易な道を選んでしまうでしょうね(そう考えると、一概に安易とは言えないかも)。その道を業とするならば。やっぱクリエーターとして金稼いで、尚且つ我を通せるとなるとなかなか大変そうですな。結局、世の中妥協の産物なのは当然であるし、銀英伝にしても田中氏の望むままであったとは限らないでしょう。やりたいことを純粋に追及するならアマチュアやってろってことだし、プロならば読ませてなんぼってなもんでしょ。重要なのは、妥協の中でどこに譲れない部分を線引するかっちゅうことで(つまり両立させるっちゅうことね)、その積み重ねの結果が大御所になるっちゅうことでしょうな。同様に田中氏も大御所になってはじめて好きな中国ものを書けるようになったのだとすれば、中国物に傾注する田中氏を一概に非難できないのかもしれません。しかし、妥協のラインの引き方で銀英伝になったり、創竜伝や薬師寺シリーズになったりするならば、ある程度出版社に影響力を行使できるであろう大御所になっても尚、創竜伝や薬師寺シリーズのような線引きの仕方をとるのはなぜなのでしょうか?その理由はおそらく”やりたいこと”の素直な表現の結果が創竜伝や薬師寺シリーズであったか、もしくは、そこに何か別の思惑があるのかのどちらかになるのですが、田中氏の創作意欲の結実が創竜伝や薬師寺シリーズとは思いたくないので、結局、売るという妥協の中核の産物であったと言わねばなりません。
したがってちょっと話がとりとめなくなってしまいましたが、新人ならばいざしらず、ある程度影響力を行使できるであろう大御所田中氏が昨今のおばか作品量産に走ることの理由及び正当化に、読み手の求めるものを提供するという一種のマーケティング理論だけをプロであるという観点から挙げるのは単純に過ぎるように思います。やりたいから中国物を書くというのであれば文句はありませんが、どうみてもやりたそうに見えない薬師寺シリーズを見ると、俺(田中芳樹)も堕落したねって、まるで、全共闘世代のおやじたちが資本主義にどっぷりつかった自分を見て笑いながらつぶやくような心持ちにならないものでしょうか。
>Markatzさん
う~んと、「面白くなくても売れる=消費者にも責任がある」という理論はわかるんです。確かにそうだろうと。ですが、私の言っているファンは(この定義が固まり難いとは分かってるんですが)面白い(またはかもしれない)と思って買ってるんですよ。
速水さんのおっしゃるように、というか皆さんがおっしゃるように創竜伝のなかにはかなりの矛盾や強引な話の引き戻しなどが多々みられ、結果としてそれが話の面白味をうしなわさせている結果になってます。私や皆さんにとっては。
でも、以前の書き込みにあったような挿し絵が好きな人、戦艦が好きな人、キャラクターだけが好きで飛ばし飛ばしにそのキャラクターが出てくる部分だけ読んでいる人もいます。そういう人達は創竜伝の矛盾など関係なく楽しんでいるはずなんです。そういうひとたちの楽しみ方を否定はなさらないのですよね。
問題はその面白くないとわかっていて、買っている人という人のとらえ方だと思うのですが、ここに来る皆さんが田中氏の新刊が出るたびに買うのはどうしてでしょう?批判のネタを見つけたいから?面白くないと叩き破って(?)やるため?違いますよね。少なくとも読み終わるまでは「面白いかもしれないから買ってみよう。」とおもって買ってみるのでは?
それが惰性と言われれば、まあそうかなとも思いますが、私は田中作品の新刊が出ると「さあ、早く家に帰って読も。」って気持ちで買います。で、家で「くっそ~、買うんじゃなかった。」って繰り返しです。でも、いつも今回こそ面白いはずという気持ちなく買ってはいません。皆さんもそうなのではないでしょうか(というより、そういう気持ちなしで買ってるんなら、ファンの消費活動を批判するに値しない。)
もちろん前回かいたように、はむぞうさんの周りにいた一部いきすぎな田中ファンのように「面白くないのに買え!」と言う人もいるかもしれないですが、そんな人はホントに一部ですし^^;これが全体という訳ではないです。
つまり、面白くないとわかっていながら田中氏の滋養のため本をかわしていただきま~す。という人は批判に値するでしょう。でも、本を買うファンは常におもしろさを期待して買っています。それはファンの本を買うあり方としては間違っていないのではないでしょうか。
で、結局の所それを読んでつまらないと思いながら次の作品こそは面白いはず、という形で続編も売れつづけている事に気づかない(今思ったのですが、周りが気づかせないように気を配ってるってこともあるのかな・・・)田中氏本人の自分の作品に対する客観的な判断能力の欠如が批判に値するのだろうと。
それを気づかせるためにファンは矛盾に気がついたら批判すべきだというのが、速水さんの主張と思うのですが(違ったらすいません)それは、ファンの人それぞれではないでしょうか?私自身はファンが其処までやってやらなくても、自分で気づけというか気づいて欲しいと思います。速水さんやここの人たちのように激しく批判する事で気づかせようとするのがファンとして正しいとされているでしょう。でも、見守ること、支える事で面白い作品を作ってもらおうと考えるファンもいるのでは?
病人に当たった時、医者によってそれぞれ対処法が違いますが、病気をなおして欲しいと思う気持ちはどの医者も同じでしょう。それと田中芳樹とファンの関係って同様なんではないでしょうか?
では田中作品を面白いと感じている人間が問題だという意見もあると思いますが、それはやっぱり人の好き好き、すきにさしてあげようよ。としかいうことはできません。
>冒険風ライダーさん
えーっ、とっても恥ずかしいのですが「薬師寺シリーズ」は最初の2巻だけしか読んでいません。しかも、このくそ忙しい時期に創竜伝ごときを読む暇がなく(田中作品をいつも楽しみにして買っていると言った先からこんなこといってる(笑))11巻は読んでないです^^;
数ある田中作品でもこの2つだけはどうしても笑い話以上の面白さを求める事はできないと思ってしまい、つい滞りがちで・・・。(というかこの二つは飽きたので買わない、従妹に借りて読んでます)それでもここに書きこむので創竜伝だけはだらだらよんではいるのですが10巻までで、11巻はもう少し暇になったら読む気も沸いてくると思いますので、それを読んでから判断してもよろしいでしょうか。
「読み込む人」って、出版社から見るとやっぱり「ごく一部」みたいなんですよ。
そして「一部受け」っていうのは出版社からは
「マニアックな作品」と嫌われます。
雑誌自体がマニアックだと、多くは寿命が短く、すぐ廃刊となります。
出版者自体も危うくなります。
ベルセルクも一部では注目されていましたが、
やっぱり「一般」にまではじけて部数が出たのは
アニメになって広く紹介された、つい最近。
それまでは「マニア受けの苦しい時代」
と言ってもいいと思います。
satokoさんのおしゃっていた
「どんな楽しみ方をしても自由」というのは
ほんとに、ほんとに、正しいと思うんですけど、
私としてはやっぱりもうすこし市場が
「いい物が売れる」状態になって欲しいなあと思っているんです。
(「いい物」の定義も難しいですが(笑))
「ヤマト」も「ガンダム」も初回視聴率はメチャメチャ悪かった。
この手の作品は「何も考えないで見れるお手軽さ」
が犠牲になるためか、視聴者の食いつきが悪いんですよね(笑)。
マニアからの口コミがあって初めて
再放送でブレイク。
ベルセルクだって、銀英伝だって、エヴァだって、状況は似ていると思います。
(マニアの役割って、重要だと思います。)
えーと、アーティスト性、作家性の高い人っていうのは
「こういうのを作りたいんだっ!」
という確固たる物を持っていて、人気が出なくても、
ある意味人を無視してでも、それを見失わない。
対して「エンターテイナー」は
「人を楽しませる事」に喜びを覚える。
田中芳樹さんは、ファンが自分の作品に期待するのは、
「お手軽に読めて、カッコイイ美形キャラに萌え、
ついでに毒舌社会批評でスカッとする」
だと認識して、ファンを楽しませようとして
今の作風になったのでしょう。
だから、個人的には物凄~くイヤですが、
楽しんでいるファンがいる以上
私は田中氏のスタンスを「非難」はしてません。
(これは「ファンに責任を押し付ける」という
ニュアンスとは違う事をご理解下さい。)
ちょっと業界よりの立場からいろいろ言っちゃいましたが、
キャラ萌えのファンに市場への影響力があるのと同様、
こういう批評の場も影響力として重要だと思います。
作家への批判だって、出版社への批判だって、
そしてファンへの批判だって、あってもいいと思います。
全てを「理解」してあげてたら、状況は変わりませんからね。
頑張って下さい。
「作家をかばう」つもりではなく、
こういう立場からの発言もあってもいいかなと思って
参加させていただきました。
ここでお詫び(^^;)。
以前の私の、仕立て屋さん、管理人さんへの発言に
失礼な表現がありました。
悪意は全くなく、どちらかというとシンパシー
を感じていたための表現だったんですが、
軽率でしたね(^^;)。反省しております。
satokoさん、フォローありがとうございました~(^^;;;)。
>あなたの思ってるほどってどれほどだろう
これは完全にこちらの勇み足でした。
お詫びいたします。ごめんなさい~・・・(T_T)。
>satokoさん
<えーっ、とっても恥ずかしいのですが「薬師寺シリーズ」は最初の2巻だけしか読んでいません。しかも、このくそ忙しい時期に創竜伝ごときを読む暇がなく(田中作品をいつも楽しみにして買っていると言った先からこんなこといってる(笑))11巻は読んでないです^^;>
あ、薬師寺シリーズは今のところ、「摩天楼」と「東京ナイトメア」の2つしかでていません。だから読むのは「最初の2巻」だけでいいんです。「摩天楼」のノベルズ本には書き下ろし短篇が収録されていますが、文庫本を持っている私は全然読んでないし(^^;;)。
最近の田中芳樹の現代物は、マンガや小説などから設定をパクってくるというパターンがありますから(創竜伝11にもあります。これはゲームソフトですけど)、「パクリの元ネタを探す」という楽しみ方をお勧めします。ずいぶん邪道な楽しみ方ではありますけど(--;;)、これしか楽しめる材料がないもので。
<11巻はもう少し暇になったら読む気も沸いてくると思いますので、それを読んでから判断してもよろしいでしょうか。>
別に一向にかまいませんよ。そもそもいきなりファンの話と全然関係ない話を持ち出してきたのは私の方ですしね。変な負担をかけてしまっているようですいません。m(__)m
ところでファンの話で少し質問があるのですが、satokoさんは「ファンは面白いと思うから小説を買うのだ」とおっしゃっていますよね? では「原版を持っていながら、再販された小説を買う」という、いわゆるリピーターに関してはどう考えているのでしょうか? 彼らは明らかに「面白いと思っているから買っている」のではなく「ファングッズないしはコレクターとして買っている」と思うのですが(何しろ内容が同じですから)、これについて意見を聞かせてください。今の田中芳樹を支えているのは、創竜伝文庫本の売行きを見ても、どうもこのリピーターのような気がしますので。
冒険風ライダーさんWrote
> ところでファンの話で少し質問があるのですが、satokoさんは「ファンは面白いと思うから小説を買うのだ」とおっしゃっていますよね? では「原版を持っていながら、再販された小説を買う」という、いわゆるリピーターに関してはどう考えているのでしょうか? 彼らは明らかに「面白いと思っているから買っている」のではなく「ファングッズないしはコレクターとして買っている」と思うのですが(何しろ内容が同じですから)、これについて意見を聞かせてください。今の田中芳樹を支えているのは、創竜伝文庫本の売行きを見ても、どうもこのリピーターのような気がしますので。
横からですみませんが、そうとも限らないと思います。うちには「晴れた空から突然に」と創竜伝の1~7がノベル・文庫両方あります。これを買ったのは田中芳樹にどっぷり漬かっていた頃で、理由は「ちょっと違うから」。
バカなファンと言えばそれまでですが、田中芳樹を「発見」し既刊を全て読破した私は田中芳樹の文章に飢えていました。よって、おまけの「文庫版あとがき」だの「文庫版座談会」だのが十分に500円程度に相当したのです。対して、版型を変えただけの文庫化作品は一切手を出しませんでした。要するに、当時の田中芳樹の作品は(今でも評価は変わっていませんが)1冊が5000円位には相当すると考えられ、それで行けば数ページの「新しい文章」に500円くらい払うのは理不尽ではなかったのです。こういった考えで買っていた人間がどのくらいいるかは解りませんが、コレクター根性だけとは限らないと思います。
横から失礼致しました。
リピーターについては創竜伝文庫本の売上自体も証拠になっていると思うのですが、以前ゲームソフト「サウンドノベル 街」がサターンからPSに移植された時、PS版を買ったユーザーの大半がリピーターであったという話を、ゲーム雑誌で開発者自身が話していたのを見た事があったので、再販の売上のかなりの部分を占めているのではないかと考えた次第です。値段が小説と一桁違い、しかも「ハードの壁」が存在するゲームソフトでさえリピーターがかなりいるのですから、小説ではもっと多いのではないかと思います。
第一、いくら何でも創竜伝文庫本の売上全てが新規読者のものであるとは到底考えられません。創竜伝文庫本はかなりの売上を上げているようですが、いくら何でもそこまで長期にわたって新規読者を「大量に」獲得しつづけるものでしょうか? しかも創竜伝の場合、文庫本が出なくともノベルズ本が絶版になっていないのですから、そちらで創竜伝を知る人の方がずっと多いのではないでしょうか? これは他の再販作品にも言える事ですが。
それに私のリピーターの概念は、この場合「原版(原作)を持っていながら、『再販された小説』を買う」という人のことですよ。OVAやマンガを読んでストーリーを楽しむ人やそこから小説を読む人は「リピーター」と定義してはおりません。なぜならOVAやマンガと、小説とでは表現形態が違いますし、彼らもまたストーリーや絵など「内容」をを楽しんでいるという点で「作品を楽しんでいる」ということになりますから。
私が言いたいのは、原作を持っていながら、本論4のように「文庫版あとがき」や「文庫本座談会」などの「オマケのファングッズ」目当てや、単なるコレクター精神で作品を買いあさるようなファンのことです。これはsatokoさんの「ファンはストーリーやキャラクターなど、「内容が面白い」と思うから小説やOVAを見るのだ」という定義から大きく逸脱しているのではないか、そして田中芳樹作品が駄作だらけになっている今もなお再販本の売上を支えつづけている彼らにファンとしての責任はないのか、と私は言っているのです。彼らは創竜伝文庫本の売上を見ても少数派ではないのですから。
ところでsatokoさんは「たかが創竜伝」と作品を貶めながら創竜伝を擁護しておられますが、これは作品に対して不誠実なのではないでしょうか? 「あんなものどうしようもない駄作であるが、田中芳樹作品なんだから仕方なく擁護してやる」と言わんばかりで、どうも私としては腑に落ちないものを感じます。それに「フィクションだから」という弁護論も、私は小説に対する貶めで弁護になっていないと思うのですが。
本当に創竜伝を擁護したいのならば、新Q太郎さんがおっしゃるような「ストーリー矛盾や社会評論の間違いを解決する都合のいい裏設定」を考えるぐらいの気概と理論的説明を、私は創竜伝擁護派に求めたいのですけどね。私には到底無理なので(^-^)。
それとリピーターについてあまり考慮していない様子から見ると、satokoさんが論じているのは田中芳樹ファン全般ではなく、自分たちの周りにいるファンの事なのではないか、今までの投稿を拝見してどうも一貫して感じたのがそれですね。他の事になるとかなり想像混じりになっていますし、それを無視してファン全てを自分たちと重ね合わせて一括して論じるから無理が出るのでは?
ファンの定義でいろいろすれ違いが起きているようですし、ここはひとつ、ファンをいろいろな場合分けをして論じた方が良いのではないでしょうか。
>冒険風ライダーさん
基本的に、「買った動機」として出版社やゲームソフトメーカーが把握しているのはアンケートハガキやファンレターによるものです。そして、アンケートハガキやファンレターと言った物はそのほとんどが熱狂的なファンで占められますから、かなり偏った結果が出てきます。アレだけの内容だったエネミー・ゼロがアンケートの票だけ見ると圧倒的支持を得、飯野賢二を開きなおさせたのは良い例であると思います。ですから、それを基にした数字を当てにするのは非常に危険であると思います。
要するに、普通つまらなかったゲームや本のアンケート葉書など、その場で破ってゴミ箱行きではないか、と言いたいのです。そんな物の為に50円払おうとはしないでしょう。実際私も本当に面白いと感じたものが移植されれば(ベタ移植でなければ)買いますし、そうしたら絶対にアンケートも書きます。逆の場合は、自分で言った通りですが。
>冒険風ライダーさん
リピーターに関するお話で、とにかく他の物から類推してこうであろうと言う記述がここでは多いですよね。誰かが書き込んでいらしたのですが「ファンサイトには気持ち悪くて行く気もしない」(ここまではいってなかったか^^;)と言う人がいてそのことに皆さんとくに反論なさってなかったのですが、はっきり言ってファンの現状を理解なさっている上での発言ではないのではないかなと思わされる事が多いのです。確かに冒険風ライダーさんがおっしゃるようにあくまで「私の周り」のことだけかもしれませんが、少なくともファンサイトなどの意見も読まずに類推で書かれている人よりは、実在するファンの声を多く聞いているとは思っているのですが・・・。
とりあえず、私は自身が数でこの程度のファンの意見を考慮に入れて発言していると言う物を示しておくと(論文書いている途中だから、どうしてもこういうことにうるさくなるのかも(笑))
私が良く行く(2,3個)田中ファンサイトの掲示板などの書き込みの方50~60人
田中関連のメル友15~20人(しかしこれは銀英伝のファンがほとんどなので年齢層が高い)
従妹とその辺(笑)2,3人
私の小説好きの友人5人(ただし、こやつらは文学好きだから、田中氏のみのファンではない)
で、まあ全部足しても100~150と言った所なので「私の周り」だけで判断してると言われればそうですが、とりあえずこれだけの実在しているファンの中の意見ではあるということは分かっておいてください。
「Satokoさんの周りの話をしているだけでは」と言う事をご注意して頂いた後に「たたが、創竜伝と言っておきながら創竜伝を援護するのはどうでしょう・・・・。」はないでしょう(笑)
私はここまで、ファン全体の意見および擁護はしてきましたけど、それとワタシ個人の創竜伝に対する評価は別物じゃないですか。^^;
ここまで、何度も書いてきましたが私は創竜伝や田中氏を擁護している訳ではないんです。私自身が創竜伝をどう思うかは別として、ほかの人がどのような楽しみ方で楽しもうがかまわないではないかと。消費者である以上その小説をどのように楽しもうが人に非難される物ではない。批判をするならそれに便乗してふらふらしている田中氏を批判しろ。という事を言っていて、そこからファンにも責任があるかどうかというはなしになっていたのだと考えていたのですが違うでしょうか?
ちなみにリピーターのはなしなのですが、その人たちをどう考えるかと言うのは具体的に問題にしなければならないという確たる証拠が示されるのを待ちたいと思います。
で、私自身が信じていると言うか、聞いた話というのを書いておきます。これはリピーターと言うのではなく、創竜伝の再版に関してなんで、あんな少女趣味な文庫バージョンになったのかと言う話を知人の出版社の方と話していた時の話で創竜伝が再版されたばかりの事なのでリピーターに関するリサーチがあってのことではないのは先に書いておきます。で、そのかたがおっしゃるには
「田中芳樹の固定ファンと言うのは大体が銀英伝から始まっているんだけど、創竜伝がでてからその世代のファンが田中ばなれを起こしているんだよ。で、出版社としては新しい世代のファン層を作らざるをえない。だから、若い子が新たに手に取りやすいようにああいう形での再版になったんだ。」との事でした。
出版社の狙いとしては、リピーターではなく新しくもう少し低年齢のファン獲得をめざしての物であった事はご理解いただけたるでしょうか。まあ、もちろん出版社の狙いをはずしてリピーターが買いあさっている場合も考えられますし、私は実家に銀英伝がありますが、読みたくてしょうがなくなってしまったので下宿のほうで買ってしまったこともあるので(全巻ではないです。読み終わったらそっこーで古本屋に売ってしまった)そういう人がほかにいないとは言えませんが、上記に書いた人たちの中ではあまり聞かなかったので、特にリピーターを問題にするほど多くはないと考えました。(まあ、学術論文ではアンケートは最低300人は集めろと言われるから、信憑性は低い部類に入るけど^^;)
それに、ドロ改さんが前に書かれていたようにあとがきや座談会に600円くらい払ってもかまわないという方のどこがいけないのか私には良く分かりません。何度も言うようですが、田中氏本人がそういう稼ぎ方が汚いと思っていないからこそ続けるんでしょうし、消費者は何を買おうとそれはその人の勝手ですから。
>そして田中芳樹作品が駄作だらけになっている今もなお再販本の売上を支えつづけている彼らにファンとしての責任はないのか、と私は言っているのです。
責任があるかないかはともかく、ファンに責任を求めることは出来ません。不可能です。責任の内容云々ではなく、「責任をとらせる手段が存在しない」という、きわめて現実的な問題があるからです。
まず法的責任ですが、これは詳しく述べるまでもなく無理ですね。次に道義的責任ですが、これの前提として、責任を問う側と問われる側が共通した道義を持っていなくてはならないですよね。愛国心という道義を持たない人間に非国民であることを責めたり、社会主義を道義とする社会主義者に向かって「サヨク!」と罵倒するのは、ほぼ意味がないようなものです。なぜなら問うべき責任の背景が異なるからです。
田中芳樹ファンに道義的責任を追及するには何を用いたらよいか。私が考えたのは田中芳樹の言葉・思想を道義とすることですね。これは田中芳樹にも通用する点でも有力だと思います。
そう考えて私は過去田中芳樹の矛盾撞着を突いたんですけど、これが通用するのは、いわゆる「田中信者」型ファンに対してだけなんですよね。satokoさんが挙げるような、キャラは好きだけど田中芳樹の思想なぞ気にもとめないタイプのファンに関してはお手上げです(ただ、ファンって言うのかな、とは思いますけど)。
消費者の武器とか権利、という考え方は私個人としては賛同するのですが、別に深く読むでもない大衆的ファンには通用しないでしょう(田中芳樹やノベルスの枠を超えて、小室サウンド隆盛とか、FF8が300万本突破とか、大衆社会そのものの問題になりそうですね)。
結局のところ、我々に出来るのは田中芳樹の腐敗っぷりを提示することによって、特に深く考えずに買っているファンに対して楔を打ち込む事ぐらいなのではないでしょうか。
ちょっと書き込まなかったら、えらく進んでしまいましたね。(^^;;
私としてはファンのあり方について、「こうでないとダメだ」なんて言う気はありませんし、satokoさんのおっしゃる「どのような楽しみ方をしようと勝手」というのも正しいと思います。
ただ、そこで終わらせたくないんですよね。そうすると物事の本質が見えなくなっちゃう。
①作品をどう楽しもうと「ファンの勝手」だから、作品がくだらない責任は作者のもの。ファンが負うべきものじゃない。
これってファン定義とは別次元の問題ですよね。
リピーターとか、狂信的とか、これらは「ファン」というものに対する議論ですが、①は物事の連環について述べたものです。つまり、作者とファンの間に何らかの繋がりがあるかどうかという話なんです。そこにおける「ファン」は別に定義付ける必要はない。一般的意味の「好きな人、消費者」程度と考えればよい。
で、①の理屈がおかしいのは、市場において生産者と消費者がまったく相互に影響しない独立した存在であると考えている点なんです。
常識的に考えて、両者は互いの影響から逃れられるはずがない。市場という枠組みにある限りは。だから商業小説という市場において、作者と読者という関係は相互に影響し合っている。つまり小説家という生産者の作り出す作品は、読者という消費者の影響なしに送り出されることは有り得ないのです。
これを一般に「責任がある」と形容しますね。管理人さんはわざわざ、法的・道義的なんて説明で責任は問えないとおっしゃってますが、そういう言い方はちょっと的外れです。これは一種の状態の形容で、取るべき責任として考えている訳ではないですから。
②良い商品は賢い消費者が生み出す
で、前に私は②のような意味のことを言ったんですが、これは市場における需要と供給の関係から言えば、平凡で当たり前過ぎるものですね。何でわざわざこんなこと言ったかというと、ファンの影響力というものは無視できないよと言いたかったからなんです。
賢い消費者が多くなればなるほど、良い商品が供給される確率は上がり、愚かな消費者が増えれば増えるほど、悪い商品が供給される確率が上がる。この法則にはsatokoさんも異論はないと思います。
ようするに、私は「邪道な楽しみ方はけしからん」と言いたいのでは無く、ごく当たり前の法則を述べたかったに過ぎないのです。客観的な現状分析として、田中芳樹の現状は「愚かな消費者が増えれば増えるほど、悪い商品が供給される」に陥っているのではないかと。
もちろん、その改善策として「賢い消費者を増やす」=「邪道なファンの排除」ということは言えるでしょうが、私はそこまで論じる気は無い。
しかし結局、良い作品の供給を望むなら「無制限な楽しみ方」の結果、愚かな消費者を増やすことはできない。自由に楽しめばいいけど、賢い消費者の妨げにはならない程度でと条件付になる。
そこで、リピーターとか、面白くないのに買っている人とか、そういう人は「賢い消費者」では無い。では実際は面白くないのに面白いと思って買う人は?
これには数種類あると思います。物の価値が見抜けない未熟な人。ほんとはそうじゃないのに面白いんだと思い込んでいる人。邪道な楽しみ方(イラスト、キャラファンなど)をしている人。いずれにしてもこれも「賢い消費者」とは言えませんね。
たとえ同一生産者の商品でも、味が落ちたと感じたら即座に買うのを止める人、それをはっきりと生産者に言える人。これが「賢い消費者」ですよね。
やはり、良質な商品を求めるなら、賢い消費者は多ければ多いほどよい。
繰り返しますが、私は「愚かな消費者」を排除せよと言っているわけではないですよ。ただ、ある種の法則性について言及しているだけです。
さあ、では田中芳樹という生産者の商品の市場を見てみると、賢い消費者が少ない。その必然的結果として商品の質の下落があるわけです。
もちろん生産者の責任もあります。しかし市場において消費者の影響は皆無ではないのですから、これを見過ごすわけにはいかないのです。
結論として、私は「田中芳樹作品の質の低下は、作者の力量の低下と共に、賢い消費者が減って、愚かな消費者が増えた影響もある」という状態の分析が言いたいわけで、愚かな消費者を断固排除せよってことではないです。
もっとも、ファンというやつは往々にして、賢い消費者ではなく愚かな消費者になりやすいものではあると思いますが。
しかしようはどのような食い方をしようと、美味い不味いの味の違いは分かってほしいという話です。
>satokoさん
ファンというものにもいろいろな人がいるものでして、確かにsatokoさんの周りのファンも「ファンとしての一側面」であるでしょうが、私が主張したリピーターや、管理人さんやはむぞうさんが主張したような「社会評論を信棒する田中信者」というのもまた「ファンとしての一側面」なんですね。管理人さんとのファンの論争を見ていたとき、satokoさんがこのあたりを無視して、ファンを何もかもひっくるめて免罪しているかのような論調を展開していたので、ちょっとそのあたりを聞こうかと思って、以前から疑問に思っていたリピーターを持ち出したと言うわけです。ファンの定義も全員まちまちでしたし、ちょっと限定した方がいいのではないかと思ったもので。
「なぜリピーターがいけないのか」という答えは、以前論じられた再販問題も絡んでくるのですが、リピーターがコレクター根性を発揮して作品を買いあされば買いあさるほど、「自分の作品は売れているから面白いのだ」と田中芳樹を免罪させ、しかも「再販本で楽をして金を稼ぐ事ができる」ために田中芳樹の小説に対する創作意欲を失わせてしまうことになり、「結果として」本論4のように「ファンは自分で自分の首をしめて喜んでいる」ということになってしまうのではないか、そう思ったからです。
もちろんリピーターというのもひとつの趣味ですし、リピーターが少数派であるならば問題はないのですが、それが圧倒的多数派になって再販本の売上を支えるとなると、以前Merkatzさんがおっしゃられたように「邪道な楽しみ方をするファンが多勢を占めて」「市場原理が崩壊し」、「内容がつまらないのに売れ」、「売れるから面白いという論理で作家は免罪される」ことになるのです。その場合に、「作品の内容を面白いと思って買っているわけではない」リピーターの「ファンとしての責任」はかなり重いのではないかと私なりに考えたのですが、納得していただけたでしょうか?
それと「創竜伝ごとき」という件に関してですが、今までのsatokoさんの投稿から、私は「創竜伝と田中芳樹擁護派」と認識していたので(社会評論が田中芳樹の本音ではない、なんてファンと何の関係もない弁護もしていましたし)、「貶めながら擁護する」という姿勢に何となく矛盾を感じたんですよ。今までそういう擁護派の人を見たことがなかったものですから。
ちなみに私も、ファンの話と関係ないのを承知で聞いたのですよ(^_^)。まあファンのために創竜伝を弁護するというのならば、本論と乖離した個人的感想で、擁護論と矛盾した事は言わない方がよいのではないでしょうか。私は「これは『擁護するフリをして創竜伝を貶める』ことを計算した上で意図的にやっているのではないか」などと勘ぐってしまったもので(笑)。
ま、いきなりファンの話題と関係ない話を持ってきてしまったのはこちらの不注意でした。本当はもっと以前のレスで言おうと思っていたのですが言いそびれたので、この機会に言ってみたのです。お気を悪くされたらすいませんm(__)m。
ところで管理人さんに「ファンサイトを覗いてくれ」と言っているようですが、管理人さんはファンサイトに「宣戦布告」したという経歴の持ち主ですから(過去ログを見た限りでは)、ファンサイトの事は詳しく知っているのではないでしょうか?
>冒険風ライダーさん
いっぱいあるのでどれからこたえようと考えているうちにごちゃごちゃになってしまってるかもしれません。わかりにくいと思うのですが許して下さい。
リピーターについて
今週号の「ゴー宣」読まれたでしょうか?私は今週のよしりんの主張で賛同できたのは2つだけでした。「この裁判は内容の優劣を判決にしたものではない。」ということと「多数の資料を示したにもかかわらず、少数のものを同列にみなされた。」という部分です。(今週のはちょっとつまんなかったです。じゃあ裁判するなよといいたくなるお粗末なものだったので、読んでなければ特におすすめはしないです^^;)前者は良いとして、後者は冒険風ライダーさんがおっしゃっていることと変わらないような気がします。
たしかにはむぞうさんの接してしまった人などが私のそばにいれば「おいおい・・・。」となるとは思いますしリピーターやコレクターの方もいるとは思います。ですが、その人達はごく少数であるにもかかわらず、通常のファンと「一側面」という言葉で同列に並べるのはどうかと思います。こういう書き方をすると「何だやっぱり正当なファンと邪道奈ファンにわけて邪道の奴だけ攻めろ。といいたいのだろう。」と誤解なさるといけないのでかいておきますと、別に私自身はファンがどんな風に自分のお金であれば楽しもうが勝手だが、一部のファンを全体のようにとらえて話を進めるのはどうか?と思うのです。
前回の冒険風ライダーさんの書き込みから考えてると、リピーターは問題にならない程度に少ないのであればかまわないということですよね。私の知る限りでは問題とされるほどはいません。ですので、この話をもっと進めたいとおっしゃられるのであったら、何らかの正確なデーターに基づいて(とりあえず、わたしのは前回示したものプラス出版社の知人の話です)問題を示していただけないでしょうか?
創竜伝批判について
う~んと冒険風ライダーさんって結構忠義が厚い方なんでしょうか?^^;とりあえず、田中擁護する人が田中氏の全てを理解しなきゃ如何ということはないと思うんですよね。
誤解なさってると思うのですが私は田中氏の言われもないような批判からは田中氏を擁護しますし、田中ファンの擁護の側にも居ますが「創竜伝擁護派」ではないです。たとえに出ていた「創竜伝の中に書かれている田中氏が本当の~」は別の部分を読んで下さると分かると思うのですが、あくまで創竜伝を擁護しているわけではなく「小説的技法(かどうかはまた意見のわかれるとこですが)の可能性のあることのみを根拠に「田中氏の本当の人格」をきめつけてしまうのは間違っているのではないか。」ということを書いていているんです。
ここまで何度も書きましたが、内容を批判するのはどんどんやってください。ただ、それのみを根拠に現実世界のものを批判するのはやめて下さいということをかいて来たつもりなのですが・・・。
最近ファンについて盛り上がっていますが、これは各人によって「ファンの定義」がちがうようで、読んでいて話がうまく噛み合ってないように感じる部分も多いです。例えばリピーターがごく少数派であるか大半を占めるかなど、前提条件が違えば、議論が平行線でも当然かとも思いますが…。
私としては、いろんなファンが存在し、かつ重複している部分も多いと思うのです。田中氏の書く話が好きな人、キャラクターが好きな人、特定の作品についてのみ好きな人、田中氏の作品を集めるのが好きな人など、いろんなパターンがあり、話が好きで且つキャラ好きでありコレクターであるなど何種類も重なり、また重なり方も多種多様だと思います。そしてそこに「他人に迷惑をかける」というフィルターをかけると、田中信者になると私は定義しております。
リピーターについては、私自身の知人にも数人おりますし、書き込みから判断して(思い込みかもしれませんが)他の方々も知っている例があるようですので、日本の人口から比べればごく少数でしょうが、具体的な数字はわかりませんがファンの間で占める割合は少数派とは言えないと考えております。
ただしだからといって、間違っていると全否定するつもりはありません。あとがきなり、わずかに付け加えられた書下ろしなりに、購入する価値を認めているのであれば、それは個人の価値観であるから別にかまわないと思います。またコレクターであっても、その本を手に入れることで満足するのであれば、その人なりの感性でそれでいいと思います。ただし私個人としてはリピーターになるつもりはありません。その存在が好きか嫌いかと尋ねられたら、答えは嫌いです。理由としてはMerkatzさんや冒険風ライダーさんの意見にあるような、売れているが面白い作品が生まれてこないという状況になる危険があるからです。というより現在がそうではないかと思っています。
またキャラ好きな人についても、全員が何も考えてないと言い切れないでしょうが、全員が話を読みこんで理論的に分析している訳でもないと思うのです。10年以上前の例で恐縮ですが、例の信者方の中に特定のキャラ好きの人がいました。そのキャラについては実在の人物のように扱うくらいなのに、肝心のストーリーについては全く理解していないという有様でした。そのキャラのところしか読まなかったのか、全部読んでいるのに理解できていないのかは定かではありませんが、本を読むという行為でもいろんなケースがあるのだと知ったできごとでした。
どんな読み方をし他人から見ると奇妙な楽しみ方でも、人に迷惑をかけなければ個人の自由だと思います。自分も含め、管理人さんやいろいろ田中氏批判の書き込みをする人でも、銀英伝であったりアルスラーン戦記であったり現在もなんらかの作品が好きであれば一種のファンであると思います。でもこれは純粋なファンからみたら邪道と言われるような気がするのですが。
だから人に迷惑をかける「田中信者」は完全否定したいですが、それ以外で田中氏の作品を例えどんな形であれ楽しんでいる人は、それでもいいのではないかと思っています。ただしそれには「面白くない作品でも売れる」「新しく書かなくても売れる」だから「素晴らしいと思える作品が出てこない」と続く危険がひそんでいることを念頭に置いたうえでやって欲しいと思っています。
以前書いた「田中信者」の補足です。私が見た「自分では読んでないけど買え」という人には2パターンありまして、「読んだけどもしくは途中まで読んだけど面白くなかったが、田中氏の作品だから」と、「全く興味がないし興味を持つつもりも無い分野だから、最初から開く気もないが、田中氏の作品はコレクションしなければ」というものです。あまり参考にならないかもしれませんが、一括りにしたくなる中にも多様なパターンがあるという例にまで。
余談ですが、昔、創竜伝の2巻が発売された頃、同人誌の「夜嬢帝国」(知っている人いるかな?)でCLAMPが「始」「続」「終と終子の双子」「残」というある財閥の5人兄弟を主人公にした漫画を描いていて、しかも、続が一見クールな美青年だが実は情熱家。終はやんちゃ坊主。残はおっとりしたお坊ちゃまという設定でした。始と終子は名前がでただけと顔が出ただけだったはずです。思わず読んだ瞬間、「盗作だ!!」と叫んだ記憶があります。同人誌なのだから別に構わないと言えばそれまでなのでしょうが。それが今ではその創竜伝のイラストを描いているので、見るたびに複雑な心境になります。
>Merkatzさん
作家とファンが相互に影響し合っているのはその通りですが、裏を返せばこの関係は完結していると言うことでしょう。つまり、売れている以上は市場の論理から見れば評価されていることになります。「編集王」というマンガではないですが、作品の内容が下劣だろうとなんだろうと売れてナンボでしょう。
「賢い消費者」の判断方法が
>物の価値が見抜けない未熟な人。ほんとはそうじゃないのに面白いんだと思い込んでいる人。邪道な楽しみ方(イラスト、キャラファンなど)をしている人。いずれにしてもこれも「賢い消費者」とは言えませんね。
>たとえ同一生産者の商品でも、味が落ちたと感じたら即座に買うのを止める人、それをはっきりと生産者に言える人。これが「賢い消費者」ですよね。
というのは、論理としては脆弱だと思います。物の価値を見抜くとはどういうことか? 比喩にしても「味が落ちた」の判断はどこでするべきか? 論じるにはそのあたりをはっきりさせるべきだと思います。
> ところで管理人さんに「ファンサイトを覗いてくれ」と言っているようですが、管理人さんはファンサイトに「宣戦布告」したという経歴の持ち主ですから(過去ログを見た限りでは)、ファンサイトの事は詳しく知っているのではないでしょうか?
確かにまともな人がほとんどですが、一方でヤバい人も多いのも事実ですね。個人的には創竜伝のファンサイトには幼稚な人が多く閉鎖的な印象を受けました(重ねて言いますが傾向であって総てがそうだというわけではないですよ)。銀英伝のファンサイトには感心するところも少なくないのですが。
>satokoさん
<たしかにはむぞうさんの接してしまった人などが私のそばにいれば「おいおい・・・。」となるとは思いますしリピーターやコレクターの方もいるとは思います。ですが、その人達はごく少数であるにもかかわらず、通常のファンと「一側面」という言葉で同列に並べるのはどうかと思います。>
あの~、リピーターだのコレクターだのはsatokoさんの基準ではファンではないのですか? これでは論争の前提条件が破綻してしまいます。私は「リピーターもまたファンである」という意味で「ファンとしての一側面」という言葉を使ったのですが。
それに「通常のファン」って何です? satokoさんは、ファンには「通常のファン」と「異常なファン」の2つの種類があり、自分は「通常なファン」の方を述べているという考えなのでしょうか? もしそうであるならば「通常のファン」という言葉に対しての具体的な定義づけをしていただけないでしょうか。そうでないと、都合の悪いファンが論じられた場合、「少数の異常なファン」と勝手に分類されて片付けられてしまう可能性がありますから。
それから、今回(というより最近)の「ゴー宣」は読んでいません。どうも最近面白くなくなってきたもので(-_-;;)。「戦争論」あたりから目新しい主張がなくなってきたし。
<一部のファンを全体のようにとらえて話を進めるのはどうか?と思うのです。>
すいませんが、私が一体いつ「リピーターがファンの「全部」である」と言ったのですか? 「創竜伝文庫本の売上を支えるファンの中ではかなり多数派である」とは言いましたけど、「全部のようにとらえて」はいませんよ。だからこそあえて「リピーターについてどう思うか」と限定して質問してみたのですけど。
そしてゲームソフトなどを例にとって「多数派である」という「状況証拠」(これが弱くはあるのですけどね(T_T))を示してみたつもりですが。以前に挙げたゲームソフトのように「リピーターが売上を支える」例はかなりあるようなので(特に移植と再販を乱発しているものでは)、創竜伝文庫本などの再販本がリピーターによって支えられているというのはそれほど不自然ではないと思ったのですが。それ以外の証拠としては、私の周りにもリピーターがいるという事ぐらいでしょうか。
それに失礼ですが、一連のファン論争で「一部のファンを全体のようにとらえて話を進め」ていたのは、自分の周りのファンだけをもって「これが大半」と論じ、田中信者やリピーターを「少数」と斬り捨ててきたsatokoさんの方だと思うのですが。
<とりあえず、田中擁護する人が田中氏の全てを理解しなきゃ如何ということはないと思うんですよね。>
これは違うのではないでしょうか? 田中芳樹や創竜伝を批判するにせよ擁護するにせよ、全てとは言わないまでも9割がたは理解しなければならないのではないでしょうか。
批判するのに批判対象を理解していないとなれば「根拠なき誹謗中傷」となりますし、田中作品を理解もなしに擁護したとなると創竜伝や田中芳樹に対して失礼になるのではないかと思うのですが。
そもそも「本気で擁護するならば、批判派以上に創竜伝を読みこまなければならない」のではないでしょうか? 以前のアルスラーン戦記の議論で、私は一応の手本を示したつもりですが。
ところでsatokoさんが判断基準として論じているファンのレベルがどれくらいのものなのか知りたいので、差し支えなければ「いきつけのファンサイト」を紹介していただけないでしょうか?
私もYahoo!Japan検索で行けるファンサイト(早大とか)ならいくつか覗いた事がありますが、キャラクター礼賛と業務連絡しかやっていなかったような………。
>冒険風ライダーさん
前回のたとえもそうでしたが、どうして一文のみで判断するのでしょう?ファンを「通常」と「リピーター」に分けたのはここの掲示板で皆さんが理解しやすいようにしているからです。その上、そのすぐ下の文にまさに冒険風ライダーさんのおっしゃってる事のような誤解がないように書き込んでいるではありませんか。
田中氏についての理解
私が言っているのは、田中擁護派だからなんでも許す。となる必要がないと言う事を言っているんです。最近の馬鹿な評論や「朝まで生テレビ」のような議論のための議論を本当の議論だと勘違いしている人が、論争では持論を擁護するためにはそのことそのものをすべて擁護しなければならないと考え込んでいるようですが、本来議論だの批評とはそのような物ではありません。田中氏だろうが、ローマ法王だろうが間違っている事は間違っています。ただ、その中に賛同する物があればその部分に関しては擁護するのでしょう。
ましてや、前回も書いたとおり私は「創竜伝擁護派」ではないのです。
論議の内容ではなく、このような書き込み方をするのであれば冒険風ライダーさんとはこの件に関しては一切議論する気はありません。
>速水さん
どうも一連の論争で、双方のファン及び創竜伝擁護姿勢に対する認識が大きく異なるために、論争が空回りしているようにも思えるのですが……。
そもそも私が何でファン論争に参加したかといえば、まさにsatokoさんがおっしゃるように「一部のファンを全体のようにとらえて話を進めるのはどうか」という点なんです。
ファン論争を横から見ていた時、私にはsatokoさんが自分の周りの、ファン全体から見れば「一部のファン」を「全体のようにとらえて話を進め」ているように見えたんですよ。しかしファンの数だけいろいろな種類があるのに、ファン全体を論じるなんてはっきり言って無理な話です。だからこそ私は「リピーターに限定して論じてはどうか」と考えたのであって、様々なファンの集合体である「ファン全体」など論じてはいないと、前にも同じことを繰り返し主張したはずですが。
しかし一連の投稿を読んでいて思ったのですが、satokoさんはどうも都合の悪いファンを「少数」と斬り捨てる傾向があるようです。田中信者とかリピーターとか。ファンを全て「楽しむのは個人の自由」と免罪するのならば、田中信者だろうがリピーターだろうが、またそれらが少数だろうが多数だろうが「ファンは免罪する」という方針で望まなければならないのではないでしょうか。彼らだってsatokoさんの論じる「ファン」なのですから、「少数だから」という理由で差別するのは明らかにダブルスタンダードでしょう。それともsatokoさんは、ファンを全て免罪してはいないのですか? どうもこのあたりが一連の投稿から読み取る事ができないのですが。
そしてリピーターについては、私もいくつか「多数である」状況証拠を提示しましたし、はむぞうさんの投稿もあるのですから、「少数だから斬り捨てる」というのはどうも乱暴なように思えるのですが。
そして田中擁護についてですけど、確かにsatokoさんは「創竜伝擁護派ではない」のかもしれませんが、田中作品について言っていることは「フィクションだから許される」でしょう? これをsatokoさんは「小説の技法でフィクションだから」と言っていますが、例えば「日本の戦車は道路を走れない」というのは「フィクション」で割り切れるものなのですか? また、このような評論がストーリーと何の関係があるのでしょうか? 「フィクションだから許される」「小説の技法だから許される」というのならば、これらの社会評論が『ストーリー構成に』必要不可欠なものであり、かつ現実世界とは全く無関係である事を証明する事ぐらいは最低必要限するべきではないのですか? ただ「フィクションだから」と言われても、それだけでは「創竜伝の社会評論はヨタばかり飛ばし、フィクションの影に隠れて現実を論じていて、しかもストーリーを破綻させている」という主張に対する反論どころか、補強にしかなっていませんよ。
satokoさんが「創竜伝擁護派ではない」というのならば、せめて「創竜伝擁護派」がよく使う文言である「フィクションだから」という免罪符は使わない方が良いのではないでしょうか? すくなくとも、上記に書いたような事は証明すべきです。そうでないと、あなたの立場がどうであろうと、他人からは「創竜伝擁護派」と見られる事でしょうし、管理人さんや私に対する有効な反論にはなり得ないでしょう。
それから、「小説の内容のみを根拠に現実世界のものを批判するのはやめて下さい」と管理人さんにいうのならば、フィクション小説のお粗末な作品設定を元に「現実世界に対する3流社会評論」ばかり乱発している田中芳樹に対しても同じ主張をすべきなのではないでしょうか。それを「フィクションだから許される」と言うのでは、これもまたダブルスタンダードのように思えるのですが。
最後に質問。satokoさんのファンの定義とは一体なんでしょうか? これはファン論争を進めるのにかなり重要なものだと思うのですが、どうもこの辺りが曖昧なんですよね。ぜひお答え下さい。
>冒険風ライダーさん
もう何を言っても無駄なようなので、結構です。好きなの様に思っていてください。では。
なんだか終わっちゃったみたいですが、ちょっとフォローするなら、そもそもファンの定義に関係なく、作品(小説)を買うという行動は作者に影響を与えるだろうってことです。
以前言ったように、市場において生産者と消費者の関係は相互的なものなのですから、「良いファン」とか「悪いファン」とか関係なく、消費という行動は生産者に影響を与えざるを得ない。
問題は田中芳樹の場合、悪いファンによる悪い影響なのか、良いファンによる良い影響なのかということですね。そこからの話としてリピーターとか狂信者とかいったファンの質が問われるわけです。
つまり、ファン(その質を問わず)が作者に対して無影響というのは有り得ないわけで、その辺をsatokoさんはどう考えているのかなあと思ったんですが。以前、ファンは無関係、作品の良し悪しはただ作者の態度によってのみ決まると主張してたと記憶してたもので。
私は作者とファンの相互関係というのを前提において、じゃあ良い影響・悪い影響どっちだろうかと考えるんですが、リピーターや狂信者というのがどのくらいの割合なのかは分からないので、結論は出せないです。ただ、そういうのが多いんじゃないかなあという感じがするだけで。satokoさんだって、まともなファンが多いというのはそういう感じがするいうだけで、全国で何パ-セントという数字を持っているわけじゃないでしょう。
まあ、田中作品の質の低下からある程度は推測できるわけですが。私は「銀英伝」と「創竜伝」しか読んでないんですが、この2者の質の下落ぶりは、私から見れば明らかなわけです。で、質の低下にも拘らず、ファン数として銀英伝と匹敵するような規模があるというのは、ファンの見る目がないなあということです。
つまりはファンの質の低下も起こっているんじゃないかなと推測できるわけです。「悪いファンが悪い影響を与える」という状態にあるんじゃないかなと。もちろんそれによって作者を免罪しようというものではありませんよ。単に状態の推測を述べているだけです。
管理人さんや冒険風ライダーさんの言いたいことも、結局この「状態の推測」なのではと思います。ファンがけしからんとかそういう話じゃなくて。別にファンをダシに田中芳樹を非難しいるわけではないと思いますよ。