私も田中芳樹氏の1ファンなのですが、それはそれとしておいといてもらって。
こういうHPって批判という名を借りた中傷じゃないんですか?
管理人さんや様々な方が田中芳樹氏を嫌いなのはそりゃ人間ですから仕方ないとは思うのですが、あまりに大人気ない気がします。田中氏が何か犯罪を犯したり100%どこからみても悪いことをしているというのなら分かりますが、ただ自分で考えていることや感じていることを小説という形で書いているだけです。田中氏には失礼かもしれませんが、結局は娯楽のひとつです。少し脱線しましたが、私が言いたいのは何の権利があって赤の他人をそこまで批判できるのでしょう?ということです。不思議でなりません。
というような意見の私は書き込まなきゃいいじゃん、とか言われるかもしれませんが、一目見ただけでちょっと言いたくなってしまったので、失礼させていただきました。
管理人さんへ。批判するなら一人でやってください。こんなHPに労力を注ぎ込むよりやるべきことはあるはずです。嫌いな人だからある程度何言っても良いんだ、っていう考えは嫌いな人だから殴っても良いんだ、っていうのと大差ないと思いますが。
はじめまして、ふみ女さん。
わたしは恵と申します、以後よろしくお願いいたします。
<私も田中芳樹氏の1ファンなのですが、それはそれとしておいといてもらって。>
わたしも一ファンとして、こちらの掲示板にちょこちょこ書き込ませていただている身です(最近、ちょっとご無沙汰してましたけど…)
<こういうHPって批判という名を借りた中傷じゃないんですか?>
「中傷」というのは、何の根拠もなく他人を悪し様に言う行為のことです。こちらで論議されている内容は、一部の不見識な方の投稿を除いては、「批判」の根拠となるものを、考察なり論客同士の(根拠を示しあった)対話なりできちんと表現されているはずです。
つまり、なぜ氏と作品を批判するのか、その理由を「(感)情」ではなく「理(性)」で示しているのがこちらのコンテンツであり掲示板の議論であると、わたしは解釈しています。
「中傷」という言葉の本当の意味をご存じで、何の根拠もなく田中氏を攻撃しているコンテンツや投稿があるなら、ぜひ具体的に指摘してみてください。それができないのなら、(つまり感情論だけで田中氏を擁護し、明確な根拠なくこちらのサイトを攻撃なさるなら)そのあなたの行為こそ「中傷」にあたるのではないのですか?
<管理人さんや様々な方が田中芳樹氏を嫌いなのはそりゃ人間ですから仕方ないとは思うのですが、>
わたしは「好きだからこそ」の「愛の鞭」としての批判もアリだと思うんですけど。誰も彼も「嫌いだから」という理由だけで、ここで悪口言って憂さを晴らしているわけではありませんよ、念のため。(本当に嫌いで腹が立つだけなら、こんなサイトは作ってない、と管理人さんも明言されています)
<あまりに大人気ない気がします。田中氏が何か犯罪を犯したり100%どこからみても悪いことをしているというのなら分かりますが、ただ自分で考えていることや感じていることを小説という形で書いているだけです。>
当人にとっては、
「ただ自分で考えていることや感じていることを小説という形で書いているだけ」
かもしれませんけど、↓のように
「秘密警察や刑務所で働く者たちの精神は高貴ではありえない(大意・創竜伝より)」
などと無邪気に職業蔑視的な表現を「小説」に混ぜたりすれば、本当に刑務所で勤務している人たちにとっては本気で腹が立つでしょう。別の小説で相馬邦夫という主人公に、
「自分にとっては意義のある(自分の)職業を馬鹿にされて怒らないやつは馬鹿でしょう(大意)」
と正論を言わせたのは何だったのですか、とわたしなどは疑問や矛盾が噴出してくるわけです。
わたしの考えとしては、「小説」なら「小説」らしく自分の素の考え・思想(社会批判)などは露骨にストーリーに混ぜず、それこそ純粋に「娯楽」として安心して読める作品を田中氏には書いていただきたいと願っております。創竜伝など、そんな不純物がなくても十分に面白い作品だとわたしは思っていますから。
(※社会評論の内容が偏向していたり間違っていたりしている事実は、各コンテンツや過去ログに詳しいです。興味がおありでしたらそちらをご覧になってみてください)
あ、それと、何か犯罪を犯したり100%どこからみても悪いことをしない限り、その人に対して「批判」という行為をしてはイケナイのでしょうか?余談ですけど、犯罪を犯したわけでもないのに、連日のように各マスコミから政策等を「批判」される小泉首相などはいい面の皮ですね、あなたの理論の通りですと。そのような感情論だけの「反論封じ」がどこまで健全な発想なのか、ちょっと視点を変えてみるとよくわかるではないでしょうか?
<田中氏には失礼かもしれませんが、結局は娯楽のひとつです。少し脱線しましたが、私が言いたいのは何の権利があって赤の他人をそこまで批判できるのでしょう?ということです。不思議でなりません。>
何の権限があって、田中氏はわたしが上で挙げたような職業蔑視表現が許されるのでしょうね?不思議でなりません、わたしも。
「批判」は自由なのです、わたしもあなたも、田中氏もその他大勢の方々も(もちろん自由なのは「批判」であって「中傷」ではありませんよ)。ただ、何らかの意志をもって世間に「小説」という形で自分の考えを開陳した以上、「評価」を受けるのもまた、当然の成り行きでしょう(評価を受けない商業作品など、わたしは寡聞にして知りません)。ご自分はさんざん他人をこき下ろしておいて、「いや、あれは娯楽(小説)だから」などと逃げるのでは、作家として相当にプロ意識が低い証拠ではありませんか?
こちらのサイトでも何度も議論され尽くした意見ですけど、自分が批判されたくないのなら、そもそもストーリーに関係なく展開する社会批判など、最初からしなければよいはずです。
「自分(田中氏)だけは何を書いても許される」という了見は、かな~~り甘ったれた考えでしょうね。
<というような意見の私は書き込まなきゃいいじゃん、とか言われるかもしれませんが、一目見ただけでちょっと言いたくなってしまったので、失礼させていただきました。>
いいえ、ふみ女さんの問題提起自体は意味のあることだと思います。本当に、田中氏に対しての誹謗中傷表現がこちらでまかり通っているのであれば、襟を正してあなたのご意見を真摯に受け止め、わたしたちも反省せねばならないのでしょう。でも、今回のように「一目見ただけ」の印象論で物議をかもし出されるのはどうでしょうか。
何度も言いますけど、誰のどんな意見が、どうのように「中傷」であり「不適切」なのか、「(感)情」ではなく「理(性)」でもって示されることをお勧めいたします。ご存じなかったかもしれませんけど、それが唯一といっていい、こちらの掲示板の「ルール」なのですから(批判相手の引用や根拠の提示ですね)。
<管理人さんへ。批判するなら一人でやってください。こんなHPに労力を注ぎ込むよりやるべきことはあるはずです。嫌いな人だからある程度何言っても良いんだ、っていう考えは嫌いな人だから殴っても良いんだ、っていうのと大差ないと思いますが。>
これは管理人さん宛の内容ですけど、少し。
<「嫌いな人だからある程度何言っても良いんだ」
「嫌いな人だから殴っても良いんだ」
っていうのと大差ないと思います>
あのぅ…、大差ありすぎです、これはいくらなんでも(-.-;;)。
何か(誰か)を言論によって「批判」すること(その理由なり根拠なりが明確にされている前提で)と、誰かに「暴力」を振るうことが、「嫌い」という共通キーワードだけで、どうやったら「大差ない」という結論にできるんですか?
また、いつから「批判」が「暴力」と対価となったのか、ぜひ教えてください。そんな理屈が通るなら、田中氏の作中で繰り返し行われている「社会批判」(特に特定個人を指しているもの)なども、同様に「暴力(嫌いな人だから殴っても良い)」を行っているということになりますけど?
田中氏がフィクション世界ではなく、明らかに現実世界の出来事を批判対象にしている以上、「あれは小説(娯楽)だから」という逃げは通用しないとわたしは思っています。
基本的に、ふみ女さんが(田中芳樹氏のファンとして)初めてこちらのホームページを拝見して反感を持たれる気持ちというのは、わたしにも理解できます。なぜなら、わたしも最初はそうでしたから。
ただ、いくら反感を持たれたとはいえ、擁護にせよ批判にせよ、あまり根拠も説得力も見受けられない感情論だけで意見してしまうと、それは閲覧者の共感に値する意見とはならないのです。つい最近も同じようなご意見を拝見しましたけど、やはり「(感)情」と「理(性)」は別々に論じなければ、最終的には単なる罵りあいしにかならないでしょう。
せっかく意義のある問題提起になるかもしれないのに勿体ないと思い、久しぶりに長々と書いてしまいました。乱文失礼いたします。
恵さんへ
はじめまして、すばらしいご意見の数々をありがとうございます。
さっそくですが。「中傷」ということについてですが、「一部の不見識な方の投稿」に対して書いたつもりでした。どうやってかきこむべきか悩みながら、結構切り貼りをして書き込みをしてしまったので、主語が抜けてしまったようです。大変失礼いたしました。
> 「秘密警察や刑務所で働く者たちの精神は高貴ではありえない(大意・創竜伝より)」
>
> などと無邪気に職業蔑視的な表現を「小説」に混ぜたりすれば、本当に刑務所で勤務している人たちにとっては本気で腹が立つでしょう。別の小説で相馬邦夫という主人公に、
>
> 「自分にとっては意義のある(自分の)職業を馬鹿にされて怒らないやつは馬鹿でしょう(大意)」
>
> と正論を言わせたのは何だったのですか、とわたしなどは疑問や矛盾が噴出してくるわけです。
私はこの恵さんの意見は納得がいきます。確かにそうです。
しかし、そう表現したのはあくまでも登場人物の性格を表現する為なのではないですか?田中氏が差別意識をもって表現したとは思えないのですが…。
あ、そうか。それを同じ本の中の他の登場人物が正したりしていれば、問題ないんですよね。いかにもその職業を選んだ人たち全員がそうだ、という印象を与えかねないから問題だってことでしょうか?(理解力がないもので、すいません)
それでも…うーん…。
実際、一般的に日本ではそういう職業の方の印象は、田中氏が表現していることと酷似したことをする人も一部いますよね。政治家の汚職や警官のセクハラとか。でもそれは全政治家が汚職をやっているとは誰も思っていないんじゃないかなあ、と思うのです。むしろ正しいことをやっているから目立たず、汚職政治家の方が目立ってしまい、そちらの比重のほうが大きく見えてしまうことの方が多いのではないでしょうか?
そして、普通それらの人々に対して私たちは何もできません。言いたいことも言えない。私たちの声を代弁するはずの代議士の一部もそういうことをしているわけですから。田中氏は小説の中で彼らを悪役として設定し、叩きのめす?ことによって、それを代弁しようとしているのではないですか?
そんな田中氏の本が売れている、という事実こそ、私たち国民の本当の声を国のトップに伝えられるような気がするのですが…。
> あ、それと、何か犯罪を犯したり100%どこからみても悪いことをしない限り、その人に対して「批判」という行為をしてはイケナイのでしょうか?
いいえ、私は「批判」ではなく、「中傷」はしてはいけない、といいたかったのです。申し訳ありません、これも切り貼りしているうちに主語がどこかへ飛んでしまいました。
実はこういうところに書き込むのって初めてなんです…
だから許してっていうことではないのですが、難しいですね。
もっと気を引き締めて書き込みます。申し訳ありません。
ここに書き込むべきではないかもしれませんが、ぜひ恵さんにもご意見をお聞きしたいと思って書き込みます。
他の書き込みをされている方で、田中氏本人または出版社に抗議するべきではないか、という方がいらっしゃいますが、それはどう思われますか?
私もここで批判される方がいない場所で批判論を展開するよりも、直接田中氏と話し合う?ことをしなければ本末転倒のような気がするのですが…。
あっ、これを忘れてはいけません。それと、管理人さん宛に私が吐いた暴言について。
管理人さんが「なあ、田中芳樹」等書き込まれている箇所があることはご存知かと思います。
私はそれを読んで、とてもいやな気分になりました。
他の文章がとてもキレイな分、非常に悪意に満ちた一言に見えてしまったのです。小学生のけんかじゃないんですから、もう少し違う表現をしていただきたいな、と思います。私はそれで少し(実はかなり)このHPのことを誤解しました。
最後になってしまって大変恐縮ですが、私の乱文に書き込み下さり、本当にありがとうございました。
こんなに見事に論破されると気持ちがいいですね。
自分が間違っていたのに気持ちいいとは何事か、というご意見もございましょうが、正論の道?にやんわりと軌道修正してもらった感じがしてとても嬉しかったのです。
あまり頻繁にこちらのHPには顔を出せないと思いますが、その時はまた宜しくお願いいたします。
長々と、乱文失礼いたしました。
こんにちわ、恵です。
ふみ女さん、こちらこそ、ご丁寧なご返事をありがとうございます。
<はじめまして、すばらしいご意見の数々をありがとうございます。
さっそくですが。「中傷」ということについてですが、「一部の不見識な方の投稿」に対して書いたつもりでした。どうやってかきこむべきか悩みながら、結構切り貼りをして書き込みをしてしまったので、主語が抜けてしまったようです。大変失礼いたしました。>
なるほど、そういうことだったんですね。それなら、大筋でふみ女さんのお話も納得できます。
<私はこの恵さんの意見は納得がいきます。確かにそうです。
しかし、そう表現したのはあくまでも登場人物の性格を表現する為なのではないですか?田中氏が差別意識をもって表現したとは思えないのですが…。
あ、そうか。それを同じ本の中の他の登場人物が正したりしていれば、問題ないんですよね。いかにもその職業を選んだ人たち全員がそうだ、という印象を与えかねないから問題だってことでしょうか?(理解力がないもので、すいません)
それでも…うーん…。>
そうですね、たぶん田中氏ご本人は、特別な差別意識をもって書いたわけではないのだと思います(だから“無邪気に”と前回表現したんです)。ただ、ふみ女さんもおしゃるように「いかにもその職業を選んだ人たち全員がそうだ、という印象を与えかねないから問題」なのであって、これは創竜伝における社会批判のほぼすべてに共通する問題点なのだと思います(社会批判には、ごく稀に、他にもちゃんといいことをしている現場の人間もいる、というようなフォローは一応入っていますけどね。でも結局、現場(下部の方々?)の人だけなんですよね、田中氏が認めてるのは…)
そして、『夢幻都市』の相馬邦夫発言の正論のこともさることながら、『夢幻都市』と『創竜伝』が決定的に異なるのは、『創竜伝』の場合は主人公(始)の頭を借りた現実社会に対する『田中氏自身』の社会批判が存在する、ということなんです。前回も書きましたけど、その内容が間違ったり偏向したり、読者に一方的な情報だけでミスリードを与えるだけのものなら、そもそもなくてもいいんじゃないんですか?というのがわたしの考えです。個人的には、創竜伝は社会批判などなくても、竜堂兄弟のかけ合い漫才と活劇だけでも十分に面白い作品になると思うんですけどね(^.^)
<実際、一般的に日本ではそういう職業の方の印象は、田中氏が表現していることと酷似したことをする人も一部いますよね。政治家の汚職や警官のセクハラとか。でもそれは全政治家が汚職をやっているとは誰も思っていないんじゃないかなあ、と思うのです。むしろ正しいことをやっているから目立たず、汚職政治家の方が目立ってしまい、そちらの比重のほうが大きく見えてしまうことの方が多いのではないでしょうか?
そして、普通それらの人々に対して私たちは何もできません。言いたいことも言えない。私たちの声を代弁するはずの代議士の一部もそういうことをしているわけですから。田中氏は小説の中で彼らを悪役として設定し、叩きのめす?ことによって、それを代弁しようとしているのではないですか?
そんな田中氏の本が売れている、という事実こそ、私たち国民の本当の声を国のトップに伝えられるような気がするのですが…。>
創竜伝の世界観は、実際わかりやすい図式だとは思いますし(特に中高生世代には)、汚職政治家を竜堂兄弟がなぎ倒していく展開自体には、わたしもそんなに違和感を感じていません(政治家の方々を擁護する気もまったくありませんし)。問題は、その経過に混入している田中氏の素の思想である「社会批判」にあるとわたしは考えています。
<いいえ、私は「批判」ではなく、「中傷」はしてはいけない、といいたかったのです。申し訳ありません、これも切り貼りしているうちに主語がどこかへ飛んでしまいました。
実はこういうところに書き込むのって初めてなんです…
だから許してっていうことではないのですが、難しいですね。
もっと気を引き締めて書き込みます。申し訳ありません。>
いえいえ、今後気をつけていただければ、それで問題ないことだと思います(^.^)
いろんな方々が自分の文書を読んでいる、ということを常に意識されて、ご主張の論旨を明確にされればそれでよいかと存じます。
<ここに書き込むべきではないかもしれませんが、ぜひ恵さんにもご意見をお聞きしたいと思って書き込みます。
他の書き込みをされている方で、田中氏本人または出版社に抗議するべきではないか、という方がいらっしゃいますが、それはどう思われますか?
私もここで批判される方がいない場所で批判論を展開するよりも、直接田中氏と話し合う?ことをしなければ本末転倒のような気がするのですが…。>
そうですね、この問題についてはわたしも思うことがいろいろとあります。
まず、田中氏本人に対するこのホームページの告知案内というのは、管理人さん自身が開設当初にすでに行っている(講談社宛で)、という事実があるんです。講談社が告知自体を握りつぶしていない限り、田中氏本人はこちらの存在を間違いなく知っているはずなんです。わたしも田中氏の心の中まではうかがい知ることはできませんけど、現状としては何らかの意図があって黙殺しているんでしょう。こちらの方々が「いない場所で批判論を展開している」というより、あちらが明らかにこちらのフィールドに立つ意志がないだけなのではないでしょうか?でなれば、掲示板に書き込むなり、管理人さんに直接メールするなり、著書や公の場でこちらの批判を反論するなり、リアクションをすることはいくらでも可能なはずです。それをされないのは、できないのではなくて「する気がない」だけでしょう。
それともう一つ、わたしがこちらの掲示板を最も高く評価しているのは、「批判相手がいない状況で悪口を言い合って憂さを晴らしている」のではなく「明確な論旨・筋の通った論理を美徳とし、明確な根拠や引用でもって(田中作品に対する)批判を展開していく」を標榜、実践の場として運営されていることです。
これって、実はとても素晴らしいことだと思いません?場違いな書き込みや誹謗中傷を除いては、どこのどんな人でも「批判」に限らず田中作品について語り合える『オープントークスペース』…それがタナウツ掲示板(ここの略・笑)なんです。わたしなどは、もしかしたら田中氏ご本人や関係者の方も見ているかもしれない、という緊張感を常に念頭において、こちらに書き込ませていただいているつもりです。そういった気概で運営されるスペースでの、お互いを認め合った参加者同士の対話から生まれるテーゼ(結論)が本末転倒とはわたしはまったく思いませんし、わたしたちが田中氏に暴漢のごとく(笑)つめ寄っていかなくても、ご本人はどこかで見ておられるだろうし、わたしたちののような1ファン同士の会話から生まれる共通の結論や認識に、きっと何か意味がある…と、わたしは信じております。
長々と書いてしまいましたけど、特に後半に書いた、尊敬のしあえる参加者同士で織りなす「何か」に意義を感じて、わたしはこちらに投稿しているのでしょう。それはもしかしたら、田中氏に直接文句を言うことより意義があることなのかもしれません。少なくとも、わたしにとっては、ですけど。
<あっ、これを忘れてはいけません。それと、管理人さん宛に私が吐いた暴言について。
管理人さんが「なあ、田中芳樹」等書き込まれている箇所があることはご存知かと思います。
私はそれを読んで、とてもいやな気分になりました。
他の文章がとてもキレイな分、非常に悪意に満ちた一言に見えてしまったのです。小学生のけんかじゃないんですから、もう少し違う表現をしていただきたいな、と思います。私はそれで少し(実はかなり)このHPのことを誤解しました。>
そうですね、そういったやや「不適切」な表現は確かにコンテンツにあり、わたしも最初はイヤな気持ちになったのを覚えています。ただ、管理人さんもそれはご自分の若き日の過ちとはっきり認めておられますし、あえてそのままにして晒しているのだと、何かの機会でおっしゃっていました。わたし個人の意見としては、表現を修正されるか注釈を加えるかしたほうが、ふみ女さんのように最初に誤解を受ける方が減って良いように思うんですけど…こればかりは管理人さん次第ですから(^.^;;)。
<最後になってしまって大変恐縮ですが、私の乱文に書き込み下さり、本当にありがとうございました。
こんなに見事に論破されると気持ちがいいですね。
自分が間違っていたのに気持ちいいとは何事か、というご意見もございましょうが、正論の道?にやんわりと軌道修正してもらった感じがしてとても嬉しかったのです。
あまり頻繁にこちらのHPには顔を出せないと思いますが、その時はまた宜しくお願いいたします>
いえいえ、とんでもないですf(^^;;)
ふみ女さんにお説教だとか、論破してやろうとか、わたしもそういった気持ちで書き込んだわけではありませんから(本当にそうなら「勿体ない」なんて書きませんしね)。気持ちはわかる部分もあったので、感情論だけではなく、論理的な考え方をしていただければもっと良い文章になるのに、と思って老婆心からご忠告させていただいただけなのです。
こちらこそ、またお相手をよろしくお願いいたしますね。
では、乱文長文、失礼いたしました。
> <ここに書き込むべきではないかもしれませんが、ぜひ恵さんにもご意見をお聞きしたいと思って書き込みます。
> 他の書き込みをされている方で、田中氏本人または出版社に抗議するべきではないか、という方がいらっしゃいますが、それはどう思われますか?
> 私もここで批判される方がいない場所で批判論を展開するよりも、直接田中氏と話し合う?ことをしなければ本末転倒のような気がするのですが…。>
>
> そうですね、この問題にについてはわたしも思うことがいろいろとあります。
> まず、田中氏本人に対するこのホームページの告知案内というのは、管理人さん自身が開設当初にすでに行っている(講談社宛で)、という事実があるんです。講談社が告知自体を握りつぶしていない限り、田中氏本人はこちらの存在を間違いなく知っているはずなんです。わたしも田中氏の心の中まではうかがい知ることはできませんけど、現状としては何らかの意図があって黙殺しているんでしょう。こちらの方々が「いない場所で批判論を展開している」というより、あちらが明らかにこちらのフィールドに立つ意志がないだけなのではないでしょうか?でなれば、掲示板に書き込むなり、管理人さんに直接メールするなり、著書や公の場でこちらの批判を反論するなり、リアクションをすることはいくらでも可能なはずです。それをされないのは、できないのではなくて「する気がない」だけでしょう。
> それともう一つ、わたしがこちらの掲示板を最も高く評価しているのは、「批判相手がいない状況で悪口を言い合って憂さを晴らしている」のではなく「明確な論旨・筋の通った論理を美徳とし、明確な根拠や引用でもって(田中作品に対する)批判を展開していく」を標榜、実践の場として運営されていることです。
> これって、実はとても素晴らしいことだと思いません?場違いな書き込みや誹謗中傷を除いては、どこのどんな人でも「批判」に限らず田中作品について語り合える『オープントークスペース』…それがタナウツ掲示板(ここの略・笑)なんです。わたしなどは、もしかしたら田中氏ご本人や関係者の方も見ているかもしれない、という緊張感を常に念頭において、こちらに書き込ませていただいているつもりです。そういった気概で運営されるスペースでの、お互いを認め合った参加者同士の対話から生まれるテーゼ(結論)が本末転倒とはわたしはまったく思いませんし、わたしたちが田中氏に暴漢のごとく(笑)つめ寄っていかなくても、ご本人はどこかで見ておられるだろうし、わたしたちののような1ファン同士の会話から生まれる共通の結論や認識に、きっと何か意味がある…と、わたしは信じております。
>
> 長々と書いてしまいましたけど、特に後半に書いた、尊敬のしあえる参加者同士で織りなす「何か」に意義を感じて、わたしはこちらに投稿しているのでしょう。それはもしかしたら、田中氏に直接文句を言うことより意義があることなのかもしれません。少なくとも、わたしにとっては、ですけど。
このHPのコンテンツの「管理人の妄文 関連議論集1」をご覧になってみて下さい。
http://tanautsu.duu.jp/honron99_aa.html
以前、ここの管理人氏が、
>「大逆転シリーズ」とは、主に第二次大戦で
>枢軸国が連合国に勝つというアレで、田中芳
>樹あたりは大嫌いだと思うが(私も嫌い
>だ)、歴史をねじ曲げてまで日本を勝たすアレ
と評したのに対し、「大逆転 ミッドウェー海戦」など、大逆転シリーズの著者である檜山良昭氏から、自分の作品について意見(管理人氏が言っているような内容とは違う、というものです)が送られてきたことがありました。
檜山良昭氏や出版社に対してアクションを起こした訳でもないのに、こういう反応が返ってきたのですから、田中芳樹を名指しで出版社に対してHPの存在を通知している以上、田中芳樹本人がここの存在を知らないということはないのではないでしょうか。田中芳樹本人がインターネットやパソコンにあまり関心がないとしても、出版社の人間がこういう世界を知らないとは考えにくい(今どき、HPも持っていないような出版社なんてありませんからね)ので、「先生を批判するHPがあって、それを先生に伝えてくれと直接言って来ました」という程度のことは、伝える筈ですよ。「嫌な情報は先生に教えなくてもいい」という姿勢でない限り。
恵さん、こんにちは。
またまた大変丁寧なお返事をありがとうございました。
> そうですね、たぶん田中氏ご本人は、特別な差別意識をもって書いたわけではないのだと思います(だから“無邪気に”と前回表現したんです)。ただ、ふみ女さんもおしゃるように「いかにもその職業を選んだ人たち全員がそうだ、という印象を与えかねないから問題」なのであって、これは創竜伝における社会批判のほぼすべてに共通する問題点なのだと思います(社会批判には、ごく稀に、他にもちゃんといいことをしている現場の人間もいる、というようなフォローは一応入っていますけどね。でも結局、現場(下部の方々?)の人だけなんですよね、田中氏が認めてるのは…)
> そして、『夢幻都市』の相馬邦夫発言の正論のこともさることながら、『夢幻都市』と『創竜伝』が決定的に異なるのは、『創竜伝』の場合は主人公(始)の頭を借りた現実社会に対する『田中氏自身』の社会批判が存在する、ということなんです。前回も書きましたけど、その内容が間違ったり偏向したり、読者に一方的な情報だけでミスリードを与えるだけのものなら、そもそもなくてもいいんじゃないんですか?というのがわたしの考えです。個人的には、創竜伝は社会批判などなくても、竜堂兄弟のかけ合い漫才と活劇だけでも十分に面白い作品になると思うんですけどね(^.^)
ううん、そうか…。奥が深くて難しいですね;
確かに社会批判が入らなくてもいいかも知れないですね。
私個人としては、田中氏と同じような考えなので、
それをバシバシ言ってくれるのは非常に爽快です。
*創竜伝に書いてあるほど偏って考えては居ませんけれど;
創竜伝では私の考えをこれでもか!!と誇張してくれ、
さらにそれが主人公たちによって肯定されるので
それが面白いのだと思います。あくまで私個人のことですが。
私は「これは娯楽だ。現実のことでは全くない」と思って読んでいるので、その社会批判については深く考えませんでした。
でも自分でそうは思っていても、中高生などは少なからず影響を
受けるかもしれないですね。それは問題かもしれません。
最近は、与えられた情報を確かめもせずに信じ込む青少年が多い
ですしね。まあ、それも個人がしっかりすれば済むのではないか、と思いますが。
うっ、話がずれました。すみません。えーと…
うまくまとまらないので、上記の恵さんのご意見に対しての私の意見は、下記のご意見とあわせて、書き込ませていただきます。
未熟だなあ…申し訳ないです;
> 創竜伝の世界観は、実際わかりやすい図式だとは思いますし(特に中高生世代には)、汚職政治家を竜堂兄弟がなぎ倒していく展開自体には、わたしもそんなに違和感を感じていません(政治家の方々を擁護する気もまったくありませんし)。問題は、その経過に混入している田中氏の素の思想である「社会批判」にあるとわたしは考えています。
なるほど。うーん。
私は創竜伝の文庫本しか持っていませんが、確か後付かどこかに「これはフィクションです」って明記されていた気がするのですが…。今手元にない(実家にあります;)ので確かめられず恐縮ですが。
でも影響を受けられた方本人にも責任があると思います。中学生だから、高校生だからといって誤った情報にただ流されるのは、それは本人の責任だと思うのです。
誤った情報を流すことにも責任はありますが、それ以上にその情報を受け取った側で、判別することの方が非常に大事だと思います。情報化しているからこそ、いろいろな方法で少し調べれば、すばらしいお仕事をなさっている方もいらっしゃるのだ、ということがわかるはずですから。
なので、私は間違った情報の発信者だけに責任を追及するのはおかしい、と思います。(発信者を擁護しているわけではありません。念の為)
> そうですね、この問題にについてはわたしも思うことがいろいろとあります。
> まず、田中氏本人に対するこのホームページの告知案内というのは、管理人さん自身が開設当初にすでに行っている(講談社宛で)、という事実があるんです。講談社が告知自体を握りつぶしていない限り、田中氏本人はこちらの存在を間違いなく知っているはずなんです。わたしも田中氏の心の中まではうかがい知ることはできませんけど、現状としては何らかの意図があって黙殺しているんでしょう。こちらの方々が「いない場所で批判論を展開している」というより、あちらが明らかにこちらのフィールドに立つ意志がないだけなのではないでしょうか?でなれば、掲示板に書き込むなり、管理人さんに直接メールするなり、著書や公の場でこちらの批判を反論するなり、リアクションをすることはいくらでも可能なはずです。それをされないのは、できないのではなくて「する気がない」だけでしょう。
すいません。私が言いたかったのは、恵さんがおっしゃることとは少し違うのです。
ここで議論されているのは、失礼して簡単にしてしまうと、「田中氏の社会批判や思想」を小説の中に無理に入れるな、ということですよね?
ならば、田中氏の明確な思想や社会批判を知った上でないと何も結論が出ないのでは、と思うのです。
ひとつの結論に達しなければ意味がない、という考えではありませんが、何だかすっきりしないのです。(我儘!?)
そんなん小説みりゃわかるじゃん、とおっしゃるかもしれませんが、小説で登場人物が言う意見が全て田中氏の意見とは限らないですよね。読者から見たら田中氏の意見にみえても、実は違うってことがあると思うのです。
ならば、生の田中氏の声を聞かなければ、何も変わらない気がして…。何だろう、堂々巡りといいますか、こんなにいろいろな方が(私はその中に入れませんが、、、考え浅いし)、いろいろなすごい意見を言い合っていても、むなしいような感じがしてしまうのです。残念だな、って。
> それともう一つ、わたしがこちらの掲示板を最も高く評価しているのは、「批判相手がいない状況で悪口を言い合って憂さを晴らしている」のではなく「明確な論旨・筋の通った論理を美徳とし、明確な根拠や引用でもって(田中作品に対する)批判を展開していく」を標榜、実践の場として運営されていることです。
> これって、実はとても素晴らしいことだと思いません?場違いな書き込みや誹謗中傷を除いては、どこのどんな人でも「批判」に限らず田中作品について語り合える『オープントークスペース』…それがタナウツ掲示板(ここの略・笑)なんです。わたしなどは、もしかしたら田中氏ご本人や関係者の方も見ているかもしれない、という緊張感を常に念頭において、こちらに書き込ませていただいているつもりです。そういった気概で運営されるスペースでの、お互いを認め合った参加者同士の対話から生まれるテーゼ(結論)が本末転倒とはわたしはまったく思いませんし、わたしたちが田中氏に暴漢のごとく(笑)つめ寄っていかなくても、ご本人はどこかで見ておられるだろうし、わたしたちののような1ファン同士の会話から生まれる共通の結論や認識に、きっと何か意味がある…と、わたしは信じております。
>
> 長々と書いてしまいましたけど、特に後半に書いた、尊敬のしあえる参加者同士で織りなす「何か」に意義を感じて、わたしはこちらに投稿しているのでしょう。それはもしかしたら、田中氏に直接文句を言うことより意義があることなのかもしれません。少なくとも、わたしにとっては、ですけど。
「批判相手がいない状況で悪口を言い合って憂さを晴らしている」とは私も思っていません。そういうことではないのは、ひとつ上の意見を見ていただければお分かりになるかと思いますが、自分の文章に自信がないので…念の為。ああ、恥ずかしい。。。
私もこのご意見には大賛成です。
筋道を立てて意見を言う、ということは自分を整理することに直結します。これは普段の日常生活でできるようで、なかなかできないことですよね。
でも、それなら何も田中氏・田中氏の作品を相手取ることはないのではありませんか?
管理人さんの思うところが、私にはちょっとわかりにくいです。
明確には示せませんが、どこか腑に落ちないのです。
それはそれでいいのですけど。管理人さんの考えが悪いとか嫌だとか全然わからん、というわけじゃないので。
ただ、私には理解しづらいだけです^^;
理解される方が大勢いらっしゃるみたいですので、私も理解できるように努力してみます。頭が固い自分を広げる一環にもなると思うので☆
> そうですね、そういったやや「不適切」な表現は確かにコンテンツにあり、わたしも最初はイヤな気持ちになったのを覚えています。ただ、管理人さんもそれはご自分の若き日の過ちとはっきり認めておられますし、あえてそのままにして晒しているのだと、何かの機会でおっしゃっていました。わたし個人の意見としては、表現を修正されるか注釈を加えるかしたほうが、ふみ女さんのように最初に誤解を受ける方が減って良いように思うんですけど…こればかりは管理人さん次第ですから(^.^;;)。
そうですね。何かお考えがあってのことでしょう。
このあたりも過ちと認めていながら、訂正しないっていうのも私の信念とは違うので、理解できませんけれど。
でも信念なんて、個人の問題ですものね。
その過ちを敢えて晒すことで自分を戒める、という方法も何も悪いところはないと思います。というか、すごい勇気ですよね。小心者の私はできません~~;
私は誤解されるのがものすごく嫌いなので、誤解されるとそれを解くのに死に物狂いになります。解ける誤解をそのままにしておくのは自分を否定される第一歩のような気がしてしまって;あー、本当に小心者です。でも自分のことは好きですけれど(笑)
自分が好きって言えるのってすごく幸せですよね。今の自分を作ってくれた方々・ものに、いつも感謝しなくては、と思います。
ああ、また脱線…;
長々と、しかも脱線しまくってしまって、申し訳ありませんでした。お付き合いくださって、ありがとうございました。
それでは、またお伺いしますね。失礼いたします。
こんにちわ、恵です。こちらこそ、ご丁寧なお返事ありがとうございます。
ふみ女さん、今回も懲りずにお相手よろしくお願いいたしますね。
<なるほど。うーん。
私は創竜伝の文庫本しか持っていませんが、確か後付かどこかに「これはフィクションです」って明記されていた気がするのですが…。今手元にない(実家にあります;)ので確かめられず恐縮ですが。
でも影響を受けられた方本人にも責任があると思います。中学生だから、高校生だからといって誤った情報にただ流されるのは、それは本人の責任だと思うのです。
誤った情報を流すことにも責任はありますが、それ以上にその情報を受け取った側で、判別することの方が非常に大事だと思います。情報化しているからこそ、いろいろな方法で少し調べれば、すばらしいお仕事をなさっている方もいらっしゃるのだ、ということがわかるはずですから。
なので、私は間違った情報の発信者だけに責任を追及するのはおかしい、と思います。(発信者を擁護しているわけではありません。念の為)>
☆「フィクション」・「受け手側の問題」
確かに、創竜伝には「この物語はフィクションです。実際の団体とは~」の文言は、しっかり明記されています。
ただ、「フィクション」と銘打ってあればどんなことを書いてもいいのかというと、わたしにはそうは思えないのです(例の職業差別表現や、容易に想像できる現実の特定個人を揶揄侮蔑する表現、偏向した社会批判など)。
社会批判そのものの問題にしても、ちょっと簡単にご説明しますと、
A.「フィクション世界の政治家が(フィクション世界の)主人公たちになぎ倒される・批判される」
は別段問題とは思えないけど
B.「フィクション世界の主人公たちが、明らかに現実の世界の社会・特定人物を批判する」
のは、「これはフィクションなのかノンフィクションなのか?」という疑問と、物語の構成的にも矛盾が生じる結果になって、おかしいと思うのです。現に、創竜伝の時間軸は冷戦崩壊前(90年代前半or21世紀を何年後かに控えた?)に始まった設定なのに、今ではストーリーとは直接関係のない社会批判の展開のためだけに2003年現在の社会情勢に無理矢理合わされています。何かストーリーを面白くするための必然というならこの無理な時間経過もまだ納得できるのですけど、ただただ、作中で(間違い・偏向の混じった)社会批判がしたいだけ、というのでは目もあてられません(ストーリー的には、90年代のままでもまったく問題ないはずです)。本当に社会に対して疑問があって世に何かを問いたいのなら、何もフィクション小説内のマス目を必死に埋めずとも、ノンフィクションの評論本として出版されればいいと思いませんか?実際、そういう作家さん(村上龍氏、落合信彦氏、柳美里氏etcetc.)はたくさんおられるんですけどねぇ…(ため息)。
また、社会批判は単なる作品のスパイス(副次的なもの)ではないのか?というご意見もあるでしょうけど、料理に限らず「スパイス」という存在は主となる「料理(創作物)」に対して量と質を適度に抑えて扱うからこそ副次的効果を発揮するのでしょうし、スパイスのためだけに料理そのもののバランスを壊すような行為は、それこそ本末転倒であるとわたしは思います。ソ連がいつの間にか消滅したり、登場人物たちが年をとらないのに、明確な説明もなく社会情勢が時間軸を超えて一気に変わったりすることが、少なくとも「創竜伝」という伝奇活劇小説に必要なのか、わたしにはとても疑問です。それらストーリーの時間経過の整合性をぶち壊している唯一の理由が「(間違い・偏向の混じった)社会批判がしたいだけ」というのは、どうもわたしには筋の通った(または質の高い)作品創りの姿勢には思えないのです。
また「受け手側の問題」ですけど、これはふみ女さんのご意見はわたしにはやや乱暴なものに思え、少し疑問を感じます。
<情報を受け取った側で、判別することの方が非常に大事だと思います。情報化しているからこそ、いろいろな方法で少し調べれば、すばらしいお仕事をなさっている方もいらっしゃるのだ、ということがわかるはずですから。>
このご意見は正論だとわたしも思います、わたしたち成人した社会人に対しては、ですけど。
でも、この論法で物事をまだ多面的・相対的に見ることに慣れていない「中高生」たちにも罪を着せるようなご意見はどうでしょうか。
確かに正論ですし、情報の多様化の事実もその通りです。でも、「ある情報に対して何が正しくて何が間違っているのか」を判断するという行為は、「そもそもこの情報は正しいのだろうか?」という疑いを持つ概念自体をインプットしていなければ行えない行動です。感受性豊かで、社会知識もまだ豊富でない中高生の年代は、残念ながらそういう概念自体を持っている人のほうが少ないのではないでしょうか?(わたしはそうでした。創竜伝の社会批判の受け売りで親に何の疑問もなく同じ社会批判を披露していましたし…(←恥ずかしい記憶です(-.-::))
普段目にすることの多いテレビのようなマスメディアでも「我々(の情報)を疑いなさい」などとは、まず言わないですしね。ましてや、「物事の相対化」などは学校では教えてくれないものでしょう。普通の人は、大人への人格成長の上で、徐々に経験則として理解していくはずです。その概念がない上に、(好きな作家、芸能人などから)特に影響の受けやすい年代ですから、そういう子らを対象にした小説は書き手のほうこそ、それなりに慎重な姿勢を求められるべきだとわたしは思います。そして、そもそも、正論も偏向論も入り混じっていることが「創竜伝」の社会批判の業の深さであり(これは皆さんの言われる「ミスリード」ですね)、全部が荒唐無稽・デタラメな内容なら、中高生とはいえ、さすがに信じ込む人のほうが少数なのではないでしょうか?
わたしは中学生のとき、創竜伝のディテールに対して「この情報は間違っている、この情報は正しい」という細かな判別は(「小説」の情報を頭から信じていたので)まったくできておりませんでしたけど、ふみ女さんご自身はどうでしたか?難しい問題ですけど、
「(巧妙な)嘘(フィクション)を教える大人(作家)」
と
「(巧妙な)嘘(フィクション)を見抜けない思春期の中高生」
という図式において、後者にも問題あり、というご意見には、残念ながらわたしは賛成できません(自分がそうだったから、というだけではないですよ、念のため)。
もちろん、ふみ女さんのおっしゃるように、ただ流されるだけというのも情けない話ではあるのでしょうけど、上記のような信じ込みやすい条件が揃っているという前提でのお話ですから。高校生にもなってウルトラマンが本当にいると無条件に信じている、というような次元の問題ではありませんからね。
教育を含めた今の社会システムが、思春期の年代からの(もっともらしい)情報に対しての判別化の概念をすでに常識化している、というなら話は別なんですけど…。
<すいません。私が言いたかったのは、恵さんがおっしゃることとは少し違うのです。
ここで議論されているのは、失礼して簡単にしてしまうと、「田中氏の社会批判や思想」を小説の中に無理に入れるな、ということですよね?
ならば、田中氏の明確な思想や社会批判を知った上でないと何も結論が出ないのでは、と思うのです。
ひとつの結論に達しなければ意味がない、という考えではありませんが、何だかすっきりしないのです。(我儘!?)
そんなん小説みりゃわかるじゃん、とおっしゃるかもしれませんが、小説で登場人物が言う意見が全て田中氏の意見とは限らないですよね。読者から見たら田中氏の意見にみえても、実は違うってことがあると思うのです。
ならば、生の田中氏の声を聞かなければ、何も変わらない気がして…。何だろう、堂々巡りといいますか、こんなにいろいろな方が(私はその中に入れませんが、、、考え浅いし)、いろいろなすごい意見を言い合っていても、むなしいような感じがしてしまうのです。残念だな、って。>
ふみ女さんは、「イギリス病のすすめ」という田中氏の対談本の存在はご存じでしょうか?こちらのHPでも、トップページから行ける「考察シリーズ(冒険風ライダーさんという方が執筆された田中作品の考察集です)」でも紹介されているのですけど、創竜伝の社会評論がご自分の素の考えであることを裏付ける発言がいろいろ載っているようです(わたしもそちらの引用でしか読んだことがないのですけどね)。
それと、ここでお考えいただきたいのは、創竜伝の社会批判が田中氏の本当の思想であってもそうでなかったとしても、前者なら(こちらが一番問題ですけど)果たしてフィクション小説の中に書く妥当性はどうなのかという問題と、物語の時間軸構成をぶち壊して作品の完成度を低下させている問題、後者でもフィクションであったとしてもフィクションなら何を言っても(書いても)いいのか(偏向・間違い等)、という問題などが大きくある、ということです。対談本はこの疑問(フィクション・ノンフィクション)の決着をつける傍証の一つとなるでしょうし、例えそれが傍証でしかない(こちらでの議論が)決定的証拠のない推論・一考察であったとしても、論理的妥当性を追求する限りは、(前回も書いた通り)わたしには皆さんの姿勢は意味のある行為だと思えます。
ファンの形や意見は様々ですから、ふみ女さんが間違っていてわたしや他の方々が正しいというわけでは決してないのですけどね。わたしはわたしなりの根拠をもって、自分の1意見を提示させていただいているだけですから。むなしい、ということはないと思いますよ。あくまでここは、みんなで意見を出しあって考えたりするところですから。それ以上でもそれ以下でもないんだと思います。
<私もこのご意見には大賛成です。
筋道を立てて意見を言う、ということは自分を整理することに直結します。これは普段の日常生活でできるようで、なかなかできないことですよね。>
こちらの「場」としての価値や考え方を認めて
いただいて、ありがとうございます(…まるで管理人さんのような台詞ですね・笑)。
<でも、それなら何も田中氏・田中氏の作品を相手取ることはないのではありませんか?
管理人さんの思うところが、私にはちょっとわかりにくいです。
明確には示せませんが、どこか腑に落ちないのです。
それはそれでいいのですけど。管理人さんの考えが悪いとか嫌だとか全然わからん、というわけじゃないので。
ただ、私には理解しづらいだけです^^;
理解される方が大勢いらっしゃるみたいですので、私も理解できるように努力してみます。頭が固い自分を広げる一環にもなると思うので☆>
そうですね、普通に考えたら批判対象は何も田中氏だけでもいいはずなのですけどね。ただ、それこそ現在の政治や社会を批判するサイトはたくさんありますし、そういうことを議論したいだけなら、自分の趣味・思想に合ったサイトに行くべきなんでしょうね。わたしが今でも田中作品を好きで、期待しているからこそ、“こちらでだけ発言の機会をいただいている”のと同じように。
無理にこちらのすべてを理解したり、すべてに共感される必要はないと思いますよ。人はそれぞれ違っていて当然ですし、常連同士でも忌憚のない意見を言い合うことができるのがこちらの良いところなんですから。
<長々と、しかも脱線しまくってしまって、申し訳ありませんでした。お付き合いくださって、ありがとうございました。
それでは、またお伺いしますね。失礼いたします。>
いえ、こちらこそ、また長~~い文章になってしまいました(笑)わたしの悪い癖なのですけど、言葉足らずの文章にだけはしたくないので、ついつい、いつも説明の長い長文になってしまいます。
こちらこそ、いつも読みにくい長文におつき合いくださってありがとうございます。
それでは、失礼いたしました。
恵さん、こんにちは。お返事が遅くなってしまって申し訳ありません、、、
いつもいつもお相手ありがとうございます。
お暇なときにでもお相手くだされば幸いです。今回もよろしくお願いいたします。
> ☆「フィクション」・「受け手側の問題」
>
> 確かに、創竜伝には「この物語はフィクションです。実際の団体とは~」の文言は、しっかり明記されています。
> ただ、「フィクション」と銘打ってあればどんなことを書いてもいいのかというと、わたしにはそうは思えないのです(例の職業差別表現や、容易に想像できる現実の特定個人を揶揄侮蔑する表現、偏向した社会批判など)。
> 社会批判そのものの問題にしても、ちょっと簡単にご説明しますと、
>
> A.「フィクション世界の政治家が(フィクション世界の)主人公たちになぎ倒される・批判される」
>
> は別段問題とは思えないけど
>
> B.「フィクション世界の主人公たちが、明らかに現実の世界の社会・特定人物を批判する」
>
> のは、「これはフィクションなのかノンフィクションなのか?」という疑問と、物語の構成的にも矛盾が生じる結果になって、おかしいと思うのです。現に、創竜伝の時間軸は冷戦崩壊前(90年代前半or21世紀を何年後かに控えた?)に始まった設定なのに、今ではストーリーとは直接関係のない社会批判の展開のためだけに2003年現在の社会情勢に無理矢理合わされています。何かストーリーを面白くするための必然というならこの無理な時間経過もまだ納得できるのですけど、ただただ、作中で(間違い・偏向の混じった)社会批判がしたいだけ、というのでは目もあてられません(ストーリー的には、90年代のままでもまったく問題ないはずです)。本当に社会に対して疑問があって世に何かを問いたいのなら、何もフィクション小説内のマス目を必死に埋めずとも、ノンフィクションの評論本として出版されればいいと思いませんか?実際、そういう作家さん(村上龍氏、落合信彦氏、柳美里氏etcetc.)はたくさんおられるんですけどねぇ…(ため息)。
>
> また、社会批判は単なる作品のスパイス(副次的なもの)ではないのか?というご意見もあるでしょうけど、料理に限らず「スパイス」という存在は主となる「料理(創作物)」に対して量と質を適度に抑えて扱うからこそ副次的効果を発揮するのでしょうし、スパイスのためだけに料理そのもののバランスを壊すような行為は、それこそ本末転倒であるとわたしは思います。ソ連がいつの間にか消滅したり、登場人物たちが年をとらないのに、明確な説明もなく社会情勢が時間軸を超えて一気に変わったりすることが、少なくとも「創竜伝」という伝奇活劇小説に必要なのか、わたしにはとても疑問です。それらストーリーの時間経過の整合性をぶち壊している唯一の理由が「(間違い・偏向の混じった)社会批判がしたいだけ」というのは、どうもわたしには筋の通った(または質の高い)作品創りの姿勢には思えないのです。
なるほど。確かにそうです。そういうことなんですね。
よくわかりました^^*
> また「受け手側の問題」ですけど、これはふみ女さんのご意見はわたしにはやや乱暴なものに思え、少し疑問を感じます。
>
> <情報を受け取った側で、判別することの方が非常に大事だと思います。情報化しているからこそ、いろいろな方法で少し調べれば、すばらしいお仕事をなさっている方もいらっしゃるのだ、ということがわかるはずですから。>
>
> このご意見は正論だとわたしも思います、わたしたち成人した社会人に対しては、ですけど。
うっ…すみません。私、まだ成人しておりません。
成人していなくても、学校では「情報に流されるな」と教えてくれる先生も居ます。中高生も例外ではない、という時代になっているのでは、と思います。
> でも、この論法で物事をまだ多面的・相対的に見ることに慣れていない「中高生」たちにも罪を着せるようなご意見はどうでしょうか。
> 確かに正論ですし、情報の多様化の事実もその通りです。でも、「ある情報に対して何が正しくて何が間違っているのか」を判断するという行為は、「そもそもこの情報は正しいのだろうか?」という疑いを持つ概念自体をインプットしていなければ行えない行動です。感受性豊かで、社会知識もまだ豊富でない中高生の年代は、残念ながらそういう概念自体を持っている人のほうが少ないのではないでしょうか?(わたしはそうでした。創竜伝の社会批判の受け売りで親に何の疑問もなく同じ社会批判を披露していましたし…(←恥ずかしい記憶です(-.-::))
> 普段目にすることの多いテレビのようなマスメディアでも「我々(の情報)を疑いなさい」などとは、まず言わないですしね。ましてや、「物事の相対化」などは学校では教えてくれないものでしょう。普通の人は、大人への人格成長の上で、徐々に経験則として理解していくはずです。
実は、そんなことはないのです。少なくとも私が通っていた高校は、「情報に流されるな」とよく言われました。
疑え、というわけではないのですが、すべて鵜呑みにするようなマネはするな、ということだと思います。
> わたしは中学生のとき、創竜伝のディテールに対して「この情報は間違っている、この情報は正しい」という細かな判別は(「小説」の情報を頭から信じていたので)まったくできておりませんでしたけど、ふみ女さんご自身はどうでしたか?難しい問題ですけど、
>
> 「(巧妙な)嘘(フィクション)を教える大人(作家)」
>
> と
>
> 「(巧妙な)嘘(フィクション)を見抜けない思春期の中高生」
>
> という図式において、後者にも問題あり、というご意見には、残念ながらわたしは賛成できません(自分がそうだったから、というだけではないですよ、念のため)。
> もちろん、ふみ女さんのおっしゃるように、ただ流されるだけというのも情けない話ではあるのでしょうけど、上記のような信じ込みやすい条件が揃っているという前提でのお話ですから。高校生にもなってウルトラマンが本当にいると無条件に信じている、というような次元の問題ではありませんからね。
> 教育を含めた今の社会システムが、思春期の年代からの(もっともらしい)情報に対しての判別化の概念をすでに常識化している、というなら話は別なんですけど…。
恵さんのおっしゃることはもっともだと思います。
しかし、中学生だから、高校生だから、といって、甘受してしまっていい問題ではないのではないでしょうか。それに、そんなに巧妙に作られているとは、私は感じませんでした。新聞を読んで、親(父が法学部出身なので)と食事中にでもその話題をすれば、それは間違いだとわかりましたから。
とはいえ、確かに信じてしまう子達の方が多いでしょう。しかし、恵さんのおっしゃるような条件下でも、自分の本当の意見をしっかり持つということを訓練しなければいけないと思います。新聞やTVの情報ならともかく、フィクション小説の内容を現実のひとつとして頭から信じてしまうのはいかがなものか、と思います。大人になっていくにつれて、というのは少し悠長なご意見のような気がしてしまいました。
でも、5:5の割合で受け手側が悪いというわけではないのです。9:1の割合で、その情報の受け手にも責任がある、と私は思うのです。
とかえらそうにいいながら、私も一時期は創竜伝からの情報を頭から信じていました。17の時だったかな。情けないですね。
モラトリアムに甘んじている私が、社会人の方にえらそうに言える立場では全くありませんが、私は十代の頃から訓練しなければいけないことだと思います。
> ふみ女さんは、「イギリス病のすすめ」という田中氏の対談本の存在はご存じでしょうか?こちらのHPでも、トップページから行ける「考察シリーズ(冒険風ライダーさんという方が執筆された田中作品の考察集です)」でも紹介されているのですけど、創竜伝の社会評論がご自分の素の考えであることを裏付ける発言がいろいろ載っているようです(わたしもそちらの引用でしか読んだことがないのですけどね)。
> それと、ここでお考えいただきたいのは、創竜伝の社会批判が田中氏の本当の思想であってもそうでなかったとしても、前者なら(こちらが一番問題ですけど)果たしてフィクション小説の中に書く妥当性はどうなのかという問題と、物語の時間軸構成をぶち壊して作品の完成度を低下させている問題、後者でもフィクションであったとしてもフィクションなら何を言っても(書いても)いいのか(偏向・間違い等)、という問題などが大きくある、ということです。対談本はこの疑問(フィクション・ノンフィクション)の決着をつける傍証の一つとなるでしょうし、例えそれが傍証でしかない(こちらでの議論が)決定的証拠のない推論・1考察であったとしても、論理的妥当性を追求する限りは、(前回も書いた通り)わたしには皆さんの姿勢は意味のある行為だと思えます。
> ファンの形や意見は様々ですから、ふみ女さんが間違っていてわたしや他の方々が正しいというわけでは決してないのですけどね。わたしはわたしなりの根拠をもって、自分の1意見を提示させていただいているだけですから。むなしい、ということはないと思いますよ。あくまでここは、みんなで意見を出しあって考えたりするところですから。それ以上でもそれ以下でもないんだと思います。
あぁ、そういうことなんですね。
毎回毎回、ご丁寧にご説明、本当にありがとうございます。やっと理解できました。うう、長かった…;
ちなみに、イギリス病のすすめは読んでいません;
対談形式の本って、いくら好きな小説家の方がでいていても最後まで読めないのです…何でだろう??多分、あわないんですね。
> そうですね、普通に考えたら批判対象は何も田中氏だけでもいいはずなのですけどね。ただ、それこそ現在の政治や社会を批判するサイトはたくさんありますし、そういうことを議論したいだけなら、自分の趣味・思想に合ったサイトに行くべきなんでしょうね。わたしが今でも田中作品を好きで、期待しているからこそ、“こちらでだけ発言の機会をいただいている”のと同じように。
> 無理にこちらのすべてを理解したり、すべてに共感される必要はないと思いますよ。人はそれぞれ違っていて当然ですし、常連同士でも忌憚のない意見を言い合うことができるのがこちらの良いところなんですから。
恥ずかしいです、私、視点を広げすぎました…。
他の社会批判や他の小説家やライターの方を批判したければ、他のHPにいくなり作るなりすればいいのですよね。突っ走りすぎてここがどこだか忘れていたようです。申し訳ありませんでした;
いつもご丁寧にご返答くださって、本当にありがとうございます。私は理解力があまりないので、長く書いてくださったほうがとてもありがたいですよ~!!読み応え?もすごくあるし、お忙しいでしょうに毎回こんなにきちんと相手してくださって…、と感謝させていただいております。
まだまだ未熟者、半熟にもなっていないような私ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
では、またお会いできるのを楽しみに☆乱文失礼いたしました。
こんにちわ、恵です。
こちらこそ、回を追うたびに新鮮で有意義な意見交換ができて嬉しい限りです。なるべく手短に書こうと思いますので(笑)、今回もよろしくお願いします。
<なるほど。確かにそうです。そういうことなんですね。
よくわかりました^^*>
ご理解いただき、ありがとうございます。
この(フィクション・社会批判)問題の極論を言えば、どのような表現手法(社会批判など)であっても、「真に質の高い作品創り」のためであるなら、あえてよしとする考えもあるとは思います。ただ、残念ながら創竜伝という伝奇活劇小説においては、現実における特定の職業・個人を侮蔑してまでそのような表現手法(社会批判)にこだわる必要はない(つまり、それ以外の魅力で小説として勝負できる)とわたしは思っています。
☆余談:
個人的に、ストーリー展開にまったく関係なく始or続さんがいきなり「茉理ちゃん、日本にはこんな制度があるんだよ……この国のどこが近代民主国家なんだか」などと口走りはじめたら、わたしは読んでいて「あぁ、また(社会批判が)始まった…(-.-;;)」と渋い顔になります(苦笑)唐突でまったく必然性のない長い社会批判は、読んでいてストーリーに集中できないという弊害もあるんですよね、実際には(社会批判がほとんど直接関係ない話だけに)。
<うっ…すみません。私、まだ成人しておりません。
成人していなくても、学校では「情報に流されるな」と教えてくれる先生も居ます。中高生も例外ではない、という時代になっているのでは、と思います。>
あ、ごめんなさい!大変失礼いたしました。
しっかりした文章を書いておられるから、てっきり社会人の方かと勝手に思ってしまいました。ご無礼、お許しいただければ幸いです。
<実は、そんなことはないのです。少なくとも私が通っていた高校は、「情報に流されるな」とよく言われました。
疑え、というわけではないのですが、すべて鵜呑みにするようなマネはするな、ということだと思います。>
なるほど、わたしは学校を卒業してからけっこう経ってしまっているので(年がバレそう…)、ふみ女さんのように今の詳しい教育事情は知りませんでした。今の学校は、ちゃんと「情報の扱い方」の概念(危険性?)のようなことは教えておられるんですね。
ただ、前回の発言はわたしも、ある程度普遍性のある理屈ではないかな、と自分なりに思ってお話していたつもりです。(このあたりはまた後で書きますね)
<恵さんのおっしゃることはもっともだと思います。
しかし、中学生だから、高校生だから、といって、甘受してしまっていい問題ではないのではないでしょうか。それに、そんなに巧妙に作られているとは、私は感じませんでした。新聞を読んで、親(父が法学部出身なので)と食事中にでもその話題をすれば、それは間違いだとわかりましたから。
とはいえ、確かに信じてしまう子達の方が多いでしょう。しかし、恵さんのおっしゃるような条件下でも、自分の本当の意見をしっかり持つということを訓練しなければいけないと思います。新聞やTVの情報ならともかく、フィクション小説の内容を現実のひとつとして頭から信じてしまうのはいかがなものか、と思います。大人になっていくにつれて、というのは少し悠長なご意見のような気がしてしまいました。
でも、5:5の割合で受け手側が悪いというわけではないのです。9:1の割合で、その情報の受け手にも責任がある、と私は思うのです。
とかえらそうにいいながら、私も一時期は創竜伝からの情報を頭から信じていました。17の時だったかな。情けないですね。
モラトリアムに甘んじている私が、社会人の方にえらそうに言える立場では全くありませんが、私は十代の頃から訓練しなければいけないことだと思います。>
そうですね、9:1ぐらいの割合なら、ふみ女さんのおっしゃるように受け手側の責任もそれぐらいは問われるべきかもしれませんね(てっきり6:4ぐらいの感覚でおっしゃっているのかと思いましてf(^.^))。また、これもおっしゃるように、ご両親に聞けば明確に社会批判の是非がわかる(実際はそれも親の視点という主観でしかありませんけど)というふみ女さんのご家庭の事情も特殊な部類に入るのでしょう(わたしの親は、素面で話を聞いてくれたためしがありませんでした…うぅ(T-T))。
わたしが上で述べた「普遍性」というのは、まさに思春期におけるモラトリアムそのもののだと思うのです。
ちょっと大ざっぱに例えてみましょう。キムタクが好きな16歳のAさんと、同じようにキムタクが好きな30歳のBさんがいるとしましょう(とりあえず二人とも未婚だと仮定します)。ある日、キムタクが社会的なメッセージを、メディアを通じて真摯に語ったとして、それをほぼ無条件に受け入れやすいのは、果たしてAさんとBさんのどちらでしょうか?
これは普通に考えれば、たぶんAさんのほうですよね。AさんがBさんに比べて知性が劣る、という問題ではもちろんなくて、自分の好きな対象に大きな影響を受け、その対象を信じて疑わない思考こそが、モラトリアムの発露だとわたしは思うのです。程度の差はあれど、多くの方がこれに当てはまるのではないでしょうか?(わたしやふみ女さんの過去を含めて)
ふみ女さんの「十代の頃から訓練する」というご意見は、理想論としては素晴らしく、大いに賛成なのですけど、現実には誰もが通る道だけになかなか難しく、それ故に創竜伝の場合などは「これはちょっと仕方ないのでは?」と思ったのです。悠長に思えるかもしれませんけど、思春期の感情を理性によって完全にコントロールするのはかなり困難だとわたしは考えます。まぁ、だから何をしても(言っても)許されるとはまったく思いませんし、これからの中高生世代には、ぜひ頑張って創竜伝(の社会批判)を疑ってもらいたいものですよね(笑)。
<あぁ、そういうことなんですね。
毎回毎回、ご丁寧にご説明、本当にありがとうございます。やっと理解できました。うう、長かった…;
ちなみに、イギリス病のすすめは読んでいません;
対談形式の本って、いくら好きな小説家の方がでいていても最後まで読めないのです…何でだろう??多分、あわないんですね。>
ご心配なく、これはわたしもそうなんですよ。作品のあとがきならともかく、田中氏自身の素の「対談」にはどうも興味がもてません。アニメ創竜伝のおまけ収録の田中氏本人語りも、途中で飽きて止めてしまったくらいですし(笑)。
ただ、ここで重要なのは、もし「対談」で田中氏が創竜伝の社会批判と同じ内容のことを語っておられれば、それは創竜伝の社会批判が「フィクション」ではないという有力な証拠になるのでは、ということなんです。「あれは主人公たちの思想(フィクション)なんだからさ!」と田中氏を擁護したい人たちにとっては、致命的な「物証」となるはずで、かなり重要な事実なんですよね。(本当は、これを書いてるわたしも引用だけじゃなくて、ちゃんと全文読まないといけないんですけどねー、なかなか機会がなくて…(-.-::))
<恥ずかしいです、私、視点を広げすぎました…。
他の社会批判や他の小説家やライターの方を批判したければ、他のHPにいくなり作るなりすればいいのですよね。突っ走りすぎてここがどこだか忘れていたようです。申し訳ありませんでした;>
どーいたしまして、です(^.^)
今自分がどこに立っているのか…シンプルな認識ですけど、誰でも時々忘れてしまうこともあるでしょう。これはわたし自身も、自分の言葉に襟を正したいと思います。調子に乗って、いつか失敗してしまいかねないですから。
<いつもご丁寧にご返答くださって、本当にありがとうございます。私は理解力があまりないので、長く書いてくださったほうがとてもありがたいですよ~!!読み応え?もすごくあるし、お忙しいでしょうに毎回こんなにきちんと相手してくださって…、と感謝させていただいております。
まだまだ未熟者、半熟にもなっていないような私ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
では、またお会いできるのを楽しみに☆乱文失礼いたしました。>
こちらこそ、今後もよろしくお願いいたしますね。
つい長く書いてしまう悪癖に今回もおつき合いいただき、ありがとうございました。
さて、お互いに意見の相違点もかなり埋まったようですし、わたしのほうからはこのスレッドにおける投稿は、そろそろお開きにしようかと思います。ダラダラ続けるのも皆さんのお目汚しになりますし(あ、これにレスつけていただいた分はちゃんと拝読させていただきますからね!念のため)。
ふみ女さん、是非また、真面目な話題から田中作品のファン根性丸出しの話題まで(笑)、幅広く忌憚のない話題のご提供をお待ちしております。その時はぜひまたレスをつけさせていただきたいと思いますし、わたしも機会があればいつかチャレンジしてみたい話題はあるので(実現しないかもですけど(-.-::))、その時はレスしていただけると、とても嬉しいです。
ではでは、また違う機会でお会いできるのを楽しみにしています。こちらこそ、毎度乱文失礼いたしました。