私は田中芳樹作品のファンであるが、
田中芳樹作品のファンというより、小説を愛する一個人としてここの掲示板の内容をみて言わせてもらうが「楽しいものは楽しい」それで良いのではないだろうか?
そして、嫌ならば読まなければいいわけだ。
田中芳樹氏が何を書こうが自由であるし、氏が書いた文章に影響を受けようが受けまいが本人の自由である。
それをいちいち、書いてある内容の揚げ足を取るようなことをねちねち語るような必要があるのがろうか?
田中芳樹氏はフィクションを書いてあるのであって氏が歴史、政治などをどう解釈し、氏の作品中に反映させようがが全く関係がない。
ノンフィクションを書いているのであれば話しは別であるが。
>Kazさん
>氏の作品を読んで「面白い」と感じれば読めばいい。嫌なら読まなければいい
たしかにごもっともではありますが、「つまらない」と感じたものでも読むことの出来る、嫌だからこそ読んで批判する、という選択肢(また、その他多数の様々な選択肢)も用意されていなければなりません。人の考えも、答えも、一つではないのですから。
>田中芳樹氏はフィクションを書いてあるのであって氏が歴史、政治などをどう解釈し、氏の作品中に反映させようがが全く関係がない。
>ノンフィクションを書いているのであれば話しは別であるが。
>ここでは氏の政治、歴史などについての捉え方を否定的に書いた文章を目にするが、氏のイメージ(良いイメージや悪イメージすべて)はすべて氏と氏の関係者が作り上げたもの
>氏の政治、歴史に対する考え方云々を批判することは作家としての氏のに対するアンチテーゼではなく、プライベートな氏のアイデンティティを批判することになるのではないか?
これは田中氏自身も認めていることですが、発言には責任が伴わなければなりません。そして、田中氏がフィクション(作品世界)とノンフィクション(現実世界)をごっちゃにして、それをKazさんのような論理で防御することを、私は批判しているのです。
この掲示板でしつこく書いていることですが、過去ログNO.52のどこがフィクションですか。これだけではありません。創竜伝の大体3分の1くらいは、このようなフィクションの皮を被ったノンフィクションではないですか。
明らかにノンフィクションの評論でありながら、しかも、好き勝手を書いておきながら、小説の形態をとって「フィクションなんだ」で免罪されるわけがありません。
だったらフィクション部分の批判はどうなるのか? もちろん、作家として商売をしている以上は、どこでどのように評価されても当然だと考えます。
また、田中氏の政治、歴史に対する考え方についても、売文の構成要素として取り入れた以上は、批判されても仕方ないと私は考えます。
自分の意見に対する批判をアイデンティティの侵害と定義し、アイデンティティを侵害されるのが嫌ならば、自分の意見など発表せねばいいのです。