>銀河帝国の国力に対する根本的な疑問
何で帝国の国力は、あんなに大きいんでしょうか?どうもそこは前から疑問なんですよ。硬直した貴族階級による専制支配体制、長年続く戦争。これで疲弊しているのは同盟ばかり、って設定がどうも疑問でして。社会資本(特に人的なもの)が目を蔽うばかりに弱体化している同盟の惨状が、何で帝国に無いんでしょうか?ラインハルトが貴族階級を一掃した程度のことで、回復するようなものではないと思いますけど。そりゃ、貴族の持っていた財産は好きに出来ますから、ラインハルトの政権(リップシュタット戦役直後くらい)が金に困る事は無いでしょうが、ただでさえ五百年の貴族政治と百年の戦争、しかも国を2つに割った内乱の直後でよくイゼルローンにちょっかいを出したり(ガイエスブルグ要塞をワープさせて、ケンプとミュラーが攻め込んだ話)、ラグナロック作戦を発動できたりしたもんです。何々?「国が同盟より広いし、人口も多い」ですと?本当にそう思います?じゃあ、ソ連は何で直接の戦争もせずに冷戦に敗北してアメリカの軍門に下ったのでしょーか?国は広かったし、人口も多かった(かな?正確には不明)ですよ。むしろ硬直した国家体制が自らに止めを刺してしまったでしょ?ゴルバチョフならぬラインハルトが出てきて国家を刷新しても、ソ連(現在のロシアを見よ!)と同じようになっても不思議ではないんじゃないですかな。皆さんどう思いますか?
>何かこれ、直接の戦闘部隊以外を極めて軽視した帝国陸海軍を彷彿とさせる体質ですね。
士官学校の席次順位の硬直化など、あのバカさ加減(こういう言い方は誤解を招くことは承知だし、個人的な心情からもしたくはないけれど、あえて判りやすくするなら)に関しては、明らかに旧日本軍がモデルだと思います。この点などは、ファンページなどでもたびたび指摘されていますね。
>戦争中のアメリカはそんなんじゃなかったですよ。
あれだけ短期間に膨れ上がった組織を有機的に運用する米軍並の手腕が、同盟にあれば…
>>銀河帝国の国力に対する根本的な疑問
うーん、新たな反銀英伝ネタが出てきましたね。これを合理的に説明するには、どうしたらよいでしょうかね。
確か、近代以降では、絶対君主国家で、強大な国力を持つに至った国はないはずですからね(帝国主義っても、実務に関しては絶対君主制よりも資本主義の方が上だし)。現在では、せいぜいオイルマネーくらいなものですか。
さて、どうしたものか…
どうもありがとうございます
>何で帝国の国力は、あんなに大きいんでしょうか?
どうもそこは前から疑問なんですよ。硬直した貴族階級による専制支配体制、
長年続く戦争。これで疲弊しているのは同盟ばかり、って設定がどうも疑問でして。
これは不沈戦艦さんが後で例をあげた、オイルマネーというのが
案外当たっているのではないでしょうか?
帝国は、ほとんど外への膨張していない
という設定でしたから、(それどころか、人口がへっている)過去のいさんやネットワークをフル活用出来たわけです。調査、採掘、輸送、加工、使用、の全工程を、1から開発することになります。
しかもこちらは人口が一気に増えたという設定ですから、開発のための箱物財政(笑)を続けざるをえない。貴族の腐敗等より、よっぽど強烈な財政もんだいが出てくるでしょう。
本国の支援のない植民地みたいなもんです。
つまり、同盟は最初から敗けていたのでしょう。不沈戦艦さんはソ連を例に上げていましたが、逆に考えれば、あの国も無理な工業化で国力、特にマンパワーをすりへらして自滅しましたよね。そういう事じゃないかと思います。
>士官学校の席次順位の硬直化など、あのバカさ加減(こういう言い方は誤解を招くことは承知だし、個人的な心情からもしたくはないけれど、あえて判りやすくするなら)に関しては、明らかに旧日本軍がモデルだと思います。
確かにアムリッツァに至る一連の過程
・国力を考えない大規模侵攻
・参謀の専横
・補給の軽視
・占領地の住民感情の無視
・兵力分散
・中央司令部が前線の実状を無視
等々はことごとく旧日本軍の失敗と重なりますね。
先ずはドロ改さん、「オイルマネー」は管理人さんの意見ですよ。ごっちゃになってしまったんでしょうか?まあ、大した問題じゃありませんけど。
えー、人口が減っているのと、人口が増えていくのと、どっちが発展するでしょうかね?経済的な面からは、人口の爆発的増加は、膨大な有効需要を生み出すと思います。活発に投資と消費がなされ、同盟の経済はどんどん拡大再生産されていったと思いますがどうでしょう?逆に、帝国は人口が減ってしまったんですよね。有効需要は激減です。しかもその後増えはしなかったという事ですし。しかも貴族なんぞがのさばっています。平民階級は収入は増えず、仕事もなくなりそうな気が・・・塗炭の苦しみになりませんかね。投資も消費もあまりなされずに、資金はタンス預金やほとんど金利のつかない銀行預金でセメント漬け。今の日本のように、デフレスパイラルになったんじゃないでしょうか。最悪だとスタグフレーションになりますが。確かに、今の地球上のように人口が増えすぎるのは問題ですが、開発可能な星系がいくらでもある世界では、相当の人口増加は吸収出来ると思います。地球上の歴史を見ても、国が発展していく時には人口も増加していますから、ドロ改さんの思考実験では却って同盟の方が発展しそうな気がします。金融政策を上手くやれば、インフレもそんなに起こさずに経済成長を続けられたんじゃないでしょうか。うーん、同盟社会の方が明るい気がしますけどどうでしょう。「箱物財政」といっても、今の日本のように必要でもない施設を乱造するのとは違うでしょう。有効需要がいくらでもありますから。製造業・建設業などが大発展しそうに思えませんか?
また、同盟で問題になっていたのは「マンパワー」の減退でした。社会資本を支えるべき人材が次々戦争で失われていく、という条件は帝国でも同じではないでしょうか?しかも、社会の風通しは、現在利益を享受している貴族たちの為に極めて悪いものになりそうです。「ソ連」を例に挙げたのは、銀河帝国の設定だと、ああいう国になる可能性の方が高いんじゃないかと思いまして。硬直化した社会などはそのものではないですかね。ソ連にも「赤い貴族」たちはいましたし。ただ、銀英伝では帝国の平民階級がどうなっているかあまり触れられていないので、田中芳樹自身がどう考えていたのかは解りませんが。
というわけで、やはりルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの最大のモデルはアドルフ・ヒトラーでしょう。
絶望的な不況を打破するための独裁、優生学的な見地からの障害者抹殺など、多くの類似点を感じずに入られません。
しかし、ヒトラーが強気な態度でインフレを打破できたのは、あくまでも当時のドイツ(ワイマール共和国)がヴェルサイユ条約の人類最悪とも言える負債を負っていたから、それを無効とする強権独裁が有効であったのであって、単一国家である銀河連邦では、おそらくは通用しないでしょう。
さて、同盟は民主主義にカテゴライズされていますけれど、民主主義にも種類があり、大まかに「アメリカ型(つまり資本主義)」と「ソ連型(社会主義)」に分けるならば、同盟は明らかにアメリカ型民主主義になります。
私は、初めて銀英伝を読んだときに素朴に「共産主義はどうしちゃったのだろう?(当時はソ連がまだあった)」と思ったものですが、歴史の中で敗北して消えてしまったのでしょうか。
でも、「お前が戦場に行け」という言葉は、大資本(兵器産業)が労働者(兵士)を一方的に犠牲しているという認識でないと、原理的に出てこないんですよね。大資本と労働者は絶対に相容れない存在で、大資本の人間は絶対に戦場には行かず、労働者階級は一方的に戦場に行かされて、という、いわゆるレーニンばりの階級理論ですから。
ま、野暮な話しです
こんにちは、ROMしてましたが、久しぶりに書いてみました。
両国は慢性的な戦争状態にあり、戦略バランスが激変したアムリッツァ以前でも疲弊していたのは同盟のみということですね。
私も以前それについて考えたことがあったのですが、その要因としては純粋に国力の差と戦略的にイゼルローン要塞の存在があったのではないでしょうか。当時の国力比はたしか一巻でルビンスキーが述べていたと思いますが50:38:12ぐらいだったと思います(確認していないので正確ではない)。そのままでもおよそ5:4、戦力二乗則を用いれば5:3となり、消耗戦を続ければ同盟が不利になるのは必定でしょう。
しかし、この国力比で弱者が勝った例が無い訳ではありません。が、帝国が戦略拠点イゼルローンを抑えているのでは。国力的優位にある帝国が唯一ともいえる戦略拠点を抑え戦闘を行なう選択権を得ているのに対し、劣勢の同盟にその選択権が無いのではしょうがないですね。
この事は同盟がイゼルローンを攻略した後の状況にも関係してくるのですが、国力の劣勢を相殺できるほどの戦略的優位を得た後の行動があれでは・・・。
帝国の内政状況については私も興味があります。上で述べた国力比には貴族勢力も入っていると思います(入っていなければ話にならない)が、小説で見る限り反乱軍(同盟)と闘っているのは帝国の当局のみとしか思えない。帝国の政治体制っていったいどうなっているのでしょうか?(同盟の政治体制にも多分に疑問ですが)
確かに不沈戦艦さんの言う通り、人口が増加すれば普通経済は発展するんですよね。私はその利点より、宇宙開発の困難さの方がはるかにお起きと思ったんですが…。今読み返してみたら、ロンゲストマーチの最初に脱出した共和主義者達が、いとも簡単に恒星間航行用宇宙船を建造してるんですよね。確かにこれはちょっと考えを変えなければならないようです。
取り敢えず、戦争での疲弊度は同盟のほうが上なのは確かですから、(国力の違いから、動員兵力や補給の関係で総合損傷度は上がらざるを得ない)後は、なぜ帝国の経済が破綻していないかでしょう。ここで、フェザーンの存在を思い出して見ます。あの国は一人の商人が異常な熱心さで働きかけて成立させた事になっています。と言う事は、帝国内での商人の地位は非常に高くなければならないでしょう。いくら地球教のバックアップがあっても、有力者に話を聞いてもらえる立場で無ければならないのですから。では、何故商人の地位が高いのか?それは、帝国貴族の財産を実質的に管理していたのは、商人だったからではないでしょうか?貴族の財産は、株や有価証券や預金の形でフェザーン商人の手に渡り、その投資先は彼らきめる。要は、貴族が金の行く末に口出ししなければ良いわけですから、この時点で資本の還流体制は出来上がると思います。基本的に帝国貴族は余り施政にねっしんでは無いようですから、領地の惑星の開発も結局は企業が許可を得て開発、税金程度の使用料を払って、分譲するなり採掘をするなりする、と言った所ではないでしょうか?貴族はたんす預金を自ら管理するような面倒な事はしなさそうですし、(石油王の預金率って結構高いそうですし)名目上貴族のものだった資本は、しっかり有効利用されていたのではないでしょうか?経済は余り得意ではないので、粗があるかと思いますが、こんな感じでどうでしょうか?
>というわけで、やはりルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの最大のモデルはアドルフ・ヒトラーでしょう。
直接的なイメージモデルはロシアのイヴァン雷帝だと聞いたことがあります。
それにヒトラーの志向・政策等を混ぜ合わせたのでしょう。
ラインハルトは、アレキサンダーやナポレオンはもちろんですが、30年戦争で活躍したスウェーデンのグスタフ・アドルフⅡ世もモデルの1人だそうです。
いろいろとモデルが取沙汰されるヤンですが、やっぱりキャラ造形の中核に位置するのは「革命の仕上人」こと花神・大村益次郎でしょうね。
もともと武人ではなく学者(医者)志望、
空理空論を廃し、徹底した合理主義と算術に基づく戦略戦術を至上とする態度、
天才的な知略を持ちながら、自らの肉体を使った実技はからっきしダメ(大村は馬にも乗れなかった)、
こだわりの嗜好品(大村の場合は湯豆腐(^^))、
そして狂信的な反動主義者に暗殺されるという最期(致命傷を受けた箇所まで同じ)・・・。
中村梅之助主演の大河ドラマ「花神」のビデオが出てますが、襲われるシーンとかそっくりで笑えます。
あと、軍内部での思想や立場なんかは、ひょっとしたら「ラジカル・リベラリスト」こと井上成美とかも入ってたりして。
名前は南宋の詩人・楊万里からとったとのこと。
銀河帝国の国力についてなんですけど、私は疑問を持ったんですが、意外にその設定に関しては素直に受け入れる方が多かったですね。確かに一見すると国土(と言っていいのやら)は広い、人口は多いで国力がありそうに思えますが、でも現実の地球上を見ると、私には眉唾に見えるんですわ。
国土が広くて人口が大きければ大国だって言うなら、ロシアは世界最強でなければならない筈です。ところが、実際はマフィアが蔓延って、政府に力は無い上に権力争いばかり。貨幣の価値があまり無くなり、下手をすると物々交換などという古典的経済体系になってしまっているでしょう。皆さんが論じられたように、帝国貴族たちはいい暮らしをしていたのでは?というのは解ります。財産と領地はあるのですから、仮に貴族本人に経営の才能が無かったとしても、フェザーン商人にでも財産を預託して運用した上がりを受け取る、という方法もあるでしょうから。
でも、貴族はいいとしても、平民はどうなんでしょうか?財産は無い、制度は硬直化している、おそらく「人権(現代の日本風の人権絶対主義、ではなく)」の概念すらない。こんなことでは、満足に生きていくのも苦しい、かなり悲惨な状況(ライヒスリッターの下級貴族ですら、「食う為に軍人になった【ファーレンハイト】」者がいるくらいですから)だったのではありませんか?そのような、平民が虐げられている(としか思えません)社会に活力がある筈はないし、いくらラインハルトが改革したところで、一気に国家としての活力を取り戻した、ということがあり得るとは思えないんですよ。経済発展する為には、「資本主義の精神」が不可欠です。それを欠いていたが為に、ソ連は崩壊(社会主義国でも必要です。信用を重んじる、納期を守る、自己の労働に対して誠実、などは資本主義の精神です)しましたし、その後のロシアも混迷の状態から抜け出せていません。500年も帝政が続いていたのなら、健全な資本主義の精神が維持できていたとは思えません。「フェザーンがある」と言う人もいるかも知れませんが、フェザーンの歴史はたかだか100年でしょう?フェザーンができた時点ですでに手遅れになっているんじゃないか、という気がします。その上、同盟と同じく、マンパワーの問題はある筈でしょう。正直言ってこの辺、実は田中芳樹はあまり考えないで銀河帝国の国力を設定したのではないか?と思いました。私に言わせりゃ「疑問だらけ」ですから。
弱った同盟と同じ程度、弱った銀河帝国であれば、そんなに疑問はありませんが。
「銀河帝国の国力について」ですけど、これについてはもっと根源的に、そう、帝国を作り上げたルドルフから語らなければならないと思います。
さて、ご存じの通り、ルドルフが独裁権力によって民衆の圧倒的支持を得られた理由の一つに、それまでの閉塞した経済に風穴をあけたことが挙げられます。
このあたりは、ヴェルサイユ体制を破棄して未曾有のインフレを克服し、ワイマール共和国を独裁化したヒトラーがモデルですよね。
ただ、ヒトラーが独裁によってワイマールの人類史未曾有の不況を打破できたのは、当然これまた人類史未曾有の賠償金を課したヴェルサイユ条約の打破が大きいわけです。この点が、唯一絶対政体の銀河連邦との違いであり、ルドルフとアドルフの違いでもあります。
つまり、ルドルフがどのように独裁によって経済を立て直したのか、まったく不明なのですね。
おそらく、帝国の国力の謎は、ここまで遡ることが出来るのではないでしょうか。
逆に、銀河帝国の前身が資本主義の銀河連邦だったため、帝国は制度として資本主義の体系を受け継いでいる可能性は大いにあり得ます。
マルクスが社会主義によって相対化する前の資本主義のように、富が著しく偏向する資本体制にあったとしても、それなりに機能しうるかも知れませんね。
一人の偉大な専制君主のおかげで動脈硬化をおこしていた国家経済が活性化するというのは、中国史などによく見られることですので、おそらくそのあたりをモデルにしているのでしょう。
で、件のルドルフの経済再生ですが、これはソ連の5ヵ年計画あたりが参考になると思います。共産主義者はロシア全土で徹底的な粛清や反乱分子の弾圧、外敵との戦争を継続しながらソ連を世界第二の重工業国に改造しました。また庶民の生活水準が革命以前より向上したことも事実で、一応は国家経済の底上げという目的を達しています。
ラインハルトによる経済改革ですが、帝国の経済支配体制が徳川幕府のようであれば納得はできます。つまり国家としての経済自体は成長しているものの、体制の問題でそれを活かしきれない。(江戸期の日本は国内経済の質の高さという観点からは世界最高水準といっていいレベルでしたが、にも関わらず幕府の財政が破綻していた)
なんだかファンサイトみたいになってしまいました。ごめんなさい。
>一人の偉大な専制君主のおかげで動脈硬化をおこしていた国家経済が活性化するというのは、中国史などによく見られることですので、おそらくそのあたりをモデルにしているのでしょう。
ただ、近代経済に於いて、そこまで単純に行くかどうか…ただ、韓国の高度経済成長「漢口の奇跡」も朴政権の軍事独裁の評価すべき面だという説もありますし。
>で、件のルドルフの経済再生ですが、これはソ連の5ヵ年計画あたりが参考になると思います。共産主義者はロシア全土で徹底的な粛清や反乱分子の弾圧、外敵との戦争を継続しながらソ連を世界第二の重工業国に改造しました。また庶民の生活水準が革命以前より向上したことも事実で、一応は国家経済の底上げという目的を達しています。
大宅壮一が「共産主義のすすめ」という本で、後進国が後進国たる因習・弊習を打破し、国家を近代化する牽引車として共産主義はすぐれた制度だと論じています。閉塞した因習を打破し体質を強引に近代化するカンフル剤としての共産主義・独裁と言う意味では、これはルドルフに近いかも知れません。が、はたして銀河連邦が「後進国(というか比較対象が見あたらないわけだが)」に当てはまるかどうかという疑問は残ります。
先の朴正煕はかつては赤化将校でしたので、実は韓国経済の発展には上記の説が当てはまると思います。台湾の近代化を進めた蒋経国も、ずいぶんと共産シンパでした。このように、共産主義から資本主義にシフトできた体制は、カンフル剤として共産主義を活用できたかもしれません。が、カンフル剤から抜け出せなかった某国なんかの惨状は知ってのとおりです。
ルドルフが独裁(まあ、別に共産主義でなくてもいい)によって経済を立て直したとしましょう。
しかし、そのままでは、間違いなく経済は破綻するはずです。なぜなら、独裁による経済の建て直し・社会変革というものは、あくまでも緊急時のカンフル剤であり、それを引きずって平時の経済は発展しないからです。
>「共産主義のすすめ」という本
じゃなくてこれは小論文です。収録されている本は「『無思想人』宣言」(講談社学術文庫)です。
>大宅壮一が「共産主義のすすめ」という本で、後進国が後進国たる因習・弊習を打破し、
>国家を近代化する牽引車として共産主義はすぐれた制度だと論じています。
中略
>先の朴正煕はかつては赤化将校でしたので、実は韓国経済の発展には上記の説が当ては
>まると思います。台湾の近代化を進めた蒋経国も、ずいぶんと共産シンパでした。この
>ように、共産主義から資本主義にシフトできた体制は、カンフル剤として共産主義を活
>用できたかもしれません。が、カンフル剤から抜け出せなかった某国なんかの惨状は知
>ってのとおりです。
私が主義・主張を評価するにあたって第一に考えるのは、その主張に「ブレーキとなる部分があるか」というところです。
「ブレーキの無い」主義・主張は極めて簡単に集団の意思統一を図ることが出来ますが、そのまま突き進めば最終的に必ず破綻します。
社会主義と資本主義の最も大きな違いはなにか、と問われれば私は
「資本主義はその実践において自らの弊害を前提としているが、社会主義には自らの弊害が含まれていない」
と答えます。
つまり社会主義(正確には「マルクス主義」)は「社会主義が進歩すればするほど世の中は良くなる。共産主義という理想郷に近づいていく」との教えであり、もし問題が発生してもそれは「社会主義の発展と共に順次解消していく」ものとされていました。
勿論、現実がそうでなかったことは今更言うまでもありません。社会主義自身がもたらした数々の問題は、時を経るにつれてより深刻になっていたのはご存じの通りです。
しかしここに重大な矛盾が発生します。社会主義自らが生みだした問題であるにも関わらず、建前上それは「社会主義の発展と共に順次解消していく」即ち「問題があるのは社会主義の発展の度合いが足りないからだ」との結論に達してしいます。これでは問題は永久に解決するはずがありません。
言い換えれば「栄養過多」の患者に「体調が悪いのは栄養が足りないからだ」と言ってるようなモノです。
この点では「負けたのは精神力が足りないからだ」とする旧日本軍も同じでしょう。
では何故、客観的に見て明らかに間違った虚構が絶対的に正しいことになってしまうのでしょうか。
理由は二つあります。まず「その方が楽だから」というところです。
具体例を挙げるとバブル期に、後から見れば素人でもやらないような無茶苦茶な融資をエリート行員が多数行った実例がありますが、その大きな理由は当時「行員の評価にあたって融資した額が異常に重視されていた」からです。
「とにかく多数貸し付ければよい」というのと「相手の経営状況や担保価値、今後の経済の見通しを考えて融資する」のはどちらが楽でしょうか?
前者に決まっています。しかもそれだけやっていれば自分の評価に繋がるのですから、皆々が競って杜撰な融資ばかりにかまけたのはある意味当然でしょう。
スポーツ・政治・経済、何でもそうですが「物事を一つの価値観だけで計る」のは「物事をあれこれ考えて臨機応変に判断する」より遙かに楽な行為でありますが、同時にそれだけでは絶対にうまくいかないことは明白です。
この点は銀英伝1巻にて語られる「民衆が独裁者を熱狂的に支持する理由」と共通する所があります。
もう一つの害悪はは主張する本人が「自分を常に正しい側に置き」しかも「責任を取らなくて済む」点にあります。
精神力や社会主義等それを評価できる客観的な基準の存在しないものに、絶対的価値があると仮定すると、物事が自分の思い通りに進まなくとも「~が足りなかったからだ」「~に反対する連中がいるからだ」と言えば済んでしまいます。それに対する異論は「そんなことを言うのは~が足りないのだ」と非難すれば事足ります。
しかし一端、この論理を振りかざすと、後は「現実との乖離がさらなる乖離を生む」悪循環に突入してしまいます。
上記の「栄養」のように客観的な評価基準が有れば、普通はそんな事態に陥らないのですが、絶対的価値のあるモノに基準が無く、目にも映らない結果として「演出」が重要視されることになります。
当然ながら、ひとつの演出がさらなる演出を生んで、一直線に現実からかけ離れていく結果を招くことになるのです。これは大戦末期の旧日本軍や文革期末期の中国、最近では所謂「自虐系運動家」による「演出」のエスカレート度合いを見れば明らかです。
このあたりは銀英伝の7巻で田中氏が「忠誠心」を題材に取り上げているのとほぼ同じだと言って良いでしょう。
つまるところ「手段と目的の混同」はどれほど頭の良い人間であっても陥りやすい落とし穴であり、そこに厳然たる一線を引けるかどうかが重要なのです。そしてその点において
「マルクス主義」は完全な失敗だというのがっわたしの結論になります。
共産主義というものは、本来資本主義体制がその自己矛盾のため崩壊した後、達する最終的段階だ、というのがマルクスの主張でした。よって、共産主義社会の建設にあたっては、資本主義社会の残した遺産(原資蓄積と資本主義の精神を持った労働者)をそのまま利用できる、というのが前提でした。ところが、不幸なことに革命が起こってマルクスの理論が実践された最初の国は、遅れた農奴社会のロシアだったのです。昨日まで農奴だった連中が、資本主義労働者としての精神など持ち合わせている訳はありません。工業が未発達だった(帝政ロシアは西欧諸国のような産業革命社会とは言えません)都市部の労働者も同じ事です。原資もありませんでした。そこでスターリンが行った工業化は、先ずは原資、これは農民からの収奪。「ツァーは卵を持っていったが、スターリンは鶏まで持っていてしまった」と言わしめる程の話です。ウクライナなどで餓死者が大量発生し、反乱も頻発しましたが、全て鎮圧されて運が良くてシベリア送りというありさま。それを原資に、五ヶ年計画に次ぐ五ヶ年計画の発動によって、一応工業化は成功しました。ドイツとの戦争にも勝ちました。しかし、いくらイデオロギーとシベリア送りで労働者を鼓舞(というか脅迫)しても、もともとキリスト教に基づく「資本主義の精神」を注入することは出来る訳ありません。宗教はアヘン、でしたしね。それゆえ、労働者が職場のものを私物化したりすることに全く罪悪感がありません(何しろ私有財産は否定されていますから、「国のものは俺のもの。俺が持っていようと国が持っていようとどうせ国の財産なのだ」に簡単になってしまう)。仕事中にウオツカを飲んで酔っ払っていることも珍しくない惨状です。「契約」の精神に基づいて、自らの仕事に忠実に働く、という思考は全く無かったので。そして北村さんが指摘したように、「共産主義の無謬神話」がありますし、どんな愚行を行っていても、「間違い」と認めることが出来ません。だから、資本主義社会から見たら馬鹿げたことも平気で行うようになります。一例は、ノルマの達成が、生産物の重量で評価された、などということがありました。そんなこと決めたら、あちこちの工場で生産されるものが、無意味に大きく重くなっていくに決まっているじゃありませんか。その為、普通の人の力じゃとても持ち上げられないような机が大量生産されたりしたそうですよ。そんなもん、軽量化した方が持ち運びも楽だし、原料消費もエネルギー消費も少ないし、いいに決まっているのに。
つまりなんですな、四則演算(言わずと知れた、足し算・引き算・掛け算・割り算)を習っていない小学生に、無理矢理微分積分を教え込んだようなものですよ。それで大学入試問題を解け、と言われても、解ける訳がありません。ここが共産主義の不幸なところでした。しかも、実際は人間ってーのは醜いものでしてね。一日中昼寝しているような人間と、残業までして「労働英雄」になるような人間の給料が同じだったら、精神的に腐っちゃいますよ。「人民は平等」が建前ですからね。それで、馬鹿馬鹿しいからみんな働かなくなる一方になってしまいます。結局共産主義という鎧は、人類が着ると一歩も動けなくなるようなものでしかないということでしょう。神々のサイズの鎧と言った方がいいと思います。神のレベルなら、間違いは起こさないから無謬神話は維持されるし、神々の間には妬みも嫉みもないでしょうから、理想的共産主義社会を実行できるんじゃないでしょうか。でも、「神」のレベルで社会の人員が構成されているのなら、別に共産主義でなくて、資本主義でも大丈夫でしょうから結局何の役にも立っていませんね。
マルクスが「資本主義」として念頭に置いていたのは、十九世紀の産業革命期の資本主義です。それが「崩壊する」と言った訳ですから、それは当たっていますね。とっくの昔にそうなっています。当時は労働組合も8時間労働もないし、福利厚生も保険も年金もありません。労働者はそれこそ搾取される一方、資本家は肥え太る一方だったってことですよ。結局、共産主義が出てきて、資本主義に「このままでは滅びる」と結果的に警告してしまった為、滅びる筈の資本主義が共産主義的政策を取り入れて生き延び、元々抱えていた矛盾を結局解決できなかった共産主義が滅びる、という皮肉な結果になってしまったんですよ。どうもこの辺、日本の「知識人」と言われる人たちは理解していない(若き日に「資本論」を読んで「これこそ私の理想の世界だ!」と感動した元マルクスボーイはたくさんいますから)場合が多いので、共産主義に関しては理想的(実は夢想的)に見てしまう、バイアスがかかった記述が多い、と考えておく方がいいと思います。
えーと、私は以上のような事を念頭に置いているものでしてね、「銀河帝国が五百年も続いている」、と言うとそれこそ帝政ロシアのような遅れた実質的農奴社会になってしまうんじゃないか、と考えてしまうんですよ。そんなもんが、いきなり一応市民社会を実現している自由惑星同盟より上になってしまう、という設定が納得できないんですわ。
>えーと、私は以上のような事を念頭に置いているものでしてね、「銀河帝国が五百年も続いている」、と言うとそれこそ帝政ロシアのような遅れた実質的農奴社会になってしまうんじゃないか、と考えてしまうんですよ。そんなもんが、いきなり一応市民社会を実現している自由惑星同盟より上になってしまう、という設定が納得できないんですわ。
ただ、銀英伝が書かれたのは、十ン年(正確には忘れた)前の、ソ連がアメリカと互角(だと思われていた)ころですからね。
今ほど、資本主義の絶対性が明らかになってない頃の話ですから。
結構なんとかなるんじゃないかと感覚的に思っていたとしても、不思議はないような気もしますね。
銀英伝が書かれた頃でも、ソ連以下の共産主義国の実態がどうであったかを理解するための著作はあったとは思いますが、実際「理解したくない」人だったらそんなものは読みはしない(フォーク准将に「ヤン提督は士官学校の成績は君より下かも知れないが、実戦においては参謀としても指揮官としての能力も実績も、君とは段違いだ。君にヤン提督に対抗できる能力は無い」と客観的理性的に説得しようとしたって、無駄なのと同じでしょう?人は自分が信じたいものしか信じないものです)ですから、共産主義の未来に関して、信頼感を持っていたとしてもそれは不思議ないでしょう。大漫画家手塚治虫だって、「ソ連幻想」には相当毒されていた(「ブラックジャック」でそんな話があったもので)くらいですから、まあそれはいいですよ。
でもそれ、銀英伝に適用できますかな?銀河帝国は共産主義どころか、帝政でしょう。むしろ、共産主義に未来を見た世代ならば、帝政を打倒して一気に共産革命にいってしまう話になってもいいとは思いません?ゴールデンバウム王朝を打倒したラインハルトが、新王朝を樹立する、というのは前にも言った通り易姓革命もいいところですよね。何故かここは中国から持ってきた訳です。まあ中国が好きなのは解りますけどね。むしろそのような考えが田中芳樹の中にあるのなら、ゴールデンバウム朝銀河帝国の国力は、ボロボロに設定してもいいんじゃないかと思いません?何であの設定になっているんでしょうね~。やっぱり解りませんわ。
銀英伝のストーリーそのものはスターウォーズに対するアンチテーゼから出発していると私は思っています。帝国と同盟に軍事的に二分された対決、強大な要塞、ホントは無意味な航空部隊によるドックファイト…。
で、おそらくは『正義と自由』のために戦っていれば絶対勝てるというハリウッドな考えに異論を挙げたかったのでしょう。なにしろ最終的には専制君主のお情けで民主主義はかろうじて命脈を保てるのですから。(ハリウッドじゃ絶対作れっこないですねぇ)
ほかにもそれまでのアニメや小説、コミックなどの戦争ものが戦略や補給の重要性を無視・あるいは軽視していたことへの反発もあると思います。
私見ではありますが、どうも不沈戦艦さんの「なぜ、共産主義のプロガバンダ的な側面をもっと前面にしなかったのか?」というご意見は、田中芳樹の左翼的側面に囚われすぎている様に見受けられます。このころの田中芳樹のスタンスからは後の『創竜伝』の極端な思想的バイアスはないと思いますので、私的にはOKなのですが。(銀英伝程度のバイアスは他の作家にだって広く見受けられますので問題だとは思いません)
>で、おそらくは『正義と自由』のために戦っていれば絶対勝てるというハリウッドな考えに異論を挙げたかったのでしょう
かなりいい着眼点ですね。「ハリウッド的」というか、「アメリカ的」ことに「ベトナム戦争的」思想へのアンチテーゼとして考えれば、疑問が無理なく腑に落ちますね。これ、アンサーかも。
スターウォーズと言うと、銀英伝のアニメのメカデザインのあざとさが連想されてしまって、作品としての関連性まで考えたことはありませんでしたが…
はい。ゲオルグ氏の言われるとおり、銀英伝にはハリウッド的なもの、アメリカ的なものに対する反発が相当あると思っていましたよ。それと、「あのような『アメリカの正義』的なエンターテイメントと逆の話を書いたら面白いんじゃないか」という創作意欲が多分あったと思いますし。その点は私も評価していますね。間違ったって、アメリカ的価値観では悪の専制独裁国家が最終的な勝者で、自由と民主を体現していた体制が実質的に崩壊してお情けで生き残らせて貰っている、なんて話はあり得ませんから。ステロタイプな作品(正義は勝つ!)から脱却している点は、銀英伝の優れたところだと思います。ま、そういう意味で「銀英伝はアメリカに持っていったって受けないだろうな」とは思いましたが。実際の人類の歴史でも、「正義は勝つ!」だなんて到底言えませんからね。ヨーロッパ人(大航海時代以降。この点は田中芳樹の考え方にも賛同できる面があります)が、世界中で働いた悪逆非道の数々。それでも連中が「勝ち組」でしたから。
「なぜ、共産主義のプロパガンダ的な側面をもっと前面にしなかったか」についてですが、田中芳樹のモノの考え方からすると、そのような話になってもいいんじゃないかな、と思っただけのことでして、だから銀英伝がどうしようもない、などと言うつもりはありませんが。あら探しをしているようにしか見えないかも知れませんけど、非難する為に言ってはいないつもりですよ。ここをこうしたら面白い、とかこの点はどう解決するんだろう、とか。特に銀英伝は、ゲオルグ氏の言われるように、「それまでのアニメや小説、コミックなどの戦争ものが戦略や補給の重要性を無視・あるいは軽視していたことへの反発」があるでしょう?国力の設定や経済状況などは充分そのカテゴリーに入ると思いませんか?「反発している割には自分も不備じゃねーの」とは考えていますけどどう思われますか。
>銀英伝のストーリーそのものはスターウォーズに対するアンチテーゼから出発していると私は思っています。
私はてっきりロバート・A・ハインラインの「宇宙の戦士」かと思ってたんですが。「全てお国のためである。我々兵士はただ命令に従って暴力を(!)政治のために提供すれば良いのだ」という、あの強烈な思想を事もあろうにジュブナイルでやってのけ、それが大ヒットするという状況に、かなり反発があったのではないかと思っていたのですが。確か、銀英伝の一巻がでたのと、宇宙の戦士から大きな影響を受けたガンダムの大ヒットは重ったはずですし。
でも銀英伝だと、「暴力は今まで人類にとって最良の問題解決手段であったし、これからもあり続けるだろう。」とか、「子供を育てるのは犬をしつけるのと同じ事だ。言葉など要らない。殴って教育せよ」とかいう、無茶な主張の数々を論破しようとしていないので違うかもしれませんね。特に前者は、どう考えても銀英伝の世界に限って言えば事実になっちゃってますし。あ、ちなみに私はこの作品、吐き気がするほど嫌いです。要するにベトナム戦争支援のプロパガンダ小説ですし。(敵役の宇宙生物って、露骨に共産主義者のカリカチュア)