今回は創竜伝から少し離れて、銀英伝を論じてみたいと思います。
あまりにも創竜伝批判のネタが多すぎ(笑)、なかなか銀英伝にまで手が回らなかったのですが、思想的に銀英伝にはかなり大きな疑問点があります。特にヤン・ウェンリーの思想に関してなのですが、どう考えても説明できない思想を開陳したり、自らの思想信条と相反するような行動を取ったりしているために、どうしてもヤンの思想に対する疑問を消す事ができず、思想的にはあまり感情移入できるキャラではありません。性格的にはかなり好きなキャラなのですが。
銀英伝全体を通じて見ると、ヤンは基本的に民主主義者以前に理想主義者ですね。政治におけるマキャベリズム的発想をかなり嫌っているふしがあります。このことが、ヤンが政治を語る際に思想的矛盾となって現れてきています。
その思想的矛盾とは次の3つに大別されます。
1. 国家的謀略に対する認識
2. 信念否定論
3. シビリアン・コントロールの矛盾
他にも「ヤンの国家に対する認識」というものがありますが、これは以前にも語られた事なので省略しましょう。
私がヤンの3つの矛盾に注目したのは、これが全く最悪の形で創竜伝に受け継がれており、しかも創竜伝のストーリー破綻にも少なからず影響していると考えるからです。まあヤンと竜堂兄弟に思想的共通項があるのは当然といえば当然なのですが。
ではその思想的矛盾とは何か、それを検証していく事にしましょう。
1. 国家的謀略に対する認識
ヤンの思想のひとつに「戦争否定論」があります。「戦争は多くの流血を伴う空しいものであり、だから否定されるべきだ」というシロモノで、一部例外はあるものの、ヤンの基本思想として貫かれています。まあこれ自体は特に間違った思想というわけでもなく、むしろ普遍的な思想といえるものでしょう。
しかしヤンの考え方で全く理解できないのは、「より多くの流血を避ける事ができる謀略」という考え方を、「多くの流血を伴う戦争」以上に否定した事です。それが最もよく表れているのが、下の文章です。
銀英伝4巻 P180下段
<ヤンは明らかに謀略家としての才能を有していたが、才能だけが資質のすべてではなかった。性格や志向もさることながら、彼は謀略が成功すること自体に、意義を見出していなかったのである。彼にとって最高の価値観が、戦争と謀略による国家的利益の追求になかったことも明白であり、職業軍人、しかも若くして高い地位を得た軍人としては尋常ではなかった。>
しかし、ただ「謀略否定論」だけが問題であるのならば、ヤンに限らずラインハルトも似たような思想信条を持っていますし、オーベルシュタインを除く帝国軍の将軍達のほとんど全てが、政治的謀略に対しては否定的な態度を取っています。したがって表面的には、ヤンの謀略に対する否定的態度はそれほど奇異なものには見えないかもしれません。
しかしラインハルトや帝国の将軍達の場合、その謀略否定の態度の理由として、「謀略家であるオーベルシュタインに対する反感」「ラインハルトの潔癖な性格」「常勝不敗の帝国軍としての矜持」などと明確に説明できるのに対し、ヤンの謀略否定の態度は理解不能であると言わざるをえません。ヤンは「多くの流血を伴う戦争」を否定していたはずなのですから、それを回避する手段としての謀略に価値を見出す事はそれほど異常な事ではありません。それに感情の問題にしても、そもそも同盟は戦争をやっているのであり、毎年戦場で多くの人間が死んでいくのですから、それを防ぐために謀略をめぐらすという事は、むしろヤンの思想から言っても人道にかなう事であるはずです。さらにヤンは自分を「常勝不敗の名将」などと規定してもいなかったのですから、そもそもヤンには理論的に謀略を否定しなければならない理由がないのです。
むしろ戦争を否定するのならば、その分謀略を肯定し、積極的に謀略を張り巡らすぐらいでなければならないはずです。それこそが、ヤンの嫌う「戦争による流血」を防ぐ最善の手段だったでしょうに。それともヤンは、戦争における死を直視する事はできても、謀略による死というものは直視できないというのでしょうか? どちらも同じ「人の死」ですし、数の上で言えば圧倒的に謀略の方が、すくなくとも味方の犠牲を少なくすることができるはずですがね。
そもそも謀略の目的とは何か? それは最小限の犠牲で政治的課題を克服することです。ヤンは常に戦争を嫌い、そして戦争を遂行する立場にある自分自身を嫌悪していました。そうであるならばなおのこと、ヤンにとって、謀略というものは肯定して然るべきものだったのではないでしょうか? 謀略を使えば、南宋における秦檜のように、たった一人の人間を無実の罪に陥れるだけで、平和と経済的繁栄を享受する事だってできるのです。歴史をよく知っているであろうヤンの事ですから、この秦檜の事例を知らないはずもなく、ヤンには謀略家としての才覚も充分にあったのですから、「流血を回避するため」という一事のために、謀略家の道を歩む事だってできたはずではありませんか。別に「国家のためである」と考える必要はないのです。
銀英伝でも、ヤンの死後になりますが、「オーベルシュタインの草刈り」が行われる過程で、オーベルシュタインが次のように主張しています。
銀英伝10巻 P78下段
<「軍事的浪漫主義者の血なまぐさい夢想は、このさい無益だ。一〇〇万の将兵の生命をあらたに害なうより、一万たらずの政治犯を無血開城の具にするほうが、いくらかでもましな選択と信じる次第である」>
また、ミュラーの反論に対してこうも言っています。
銀英伝10巻 P79下段~P80上段
<「軍務尚書はご自信をお持ちのようだが、人質を盾に開城をせまるような手段を、誇り高い皇帝がご承知になるでしょうか。吾らに艦隊をひきいさせ、この地まで派遣なさったからには、皇帝の御意は堂々たる正面決戦にあること、明らかではありませんか。軍務尚書は、あえてそれを無視なさると?」
「その皇帝の誇りが、イゼルローン回廊に数百万将兵の白骨を朽ちさせる結果を生んだ」
「……!」
「一昨年、ヤン・ウェンリーがハイネセンを脱してイゼルローンに拠ったとき、この策を用いれば、数百万の人命が害なわれずにすんだのだ。帝国は皇帝の私物ではなく、帝国軍は皇帝の私兵ではない。皇帝が個人的な誇りのために、将兵を無為に死なせてよいという法がどこにある。それでは、ゴールデンバウム王朝の時代と、何ら異ならぬではないか」>
ここにおけるオーベルシュタインの主張ほど、謀略の存在意義を見事に表現した部分はないでしょう。そして、オーベルシュタインのラインハルト批判は、ほぼそのまま、戦争以上に謀略を否定したヤンにも当てはまります。もちろん、オーベルシュタインの謀略重視の姿勢は、市井の倫理観から言えば全く誉められたものではないでしょうが、政治・軍事に携わるものとしては当然すぎる態度です。むしろ感情だの倫理観だので政治を行えばロクでもない結果を導くことは歴史が証明していますし、銀英伝でもアムリッツァとラインハルトのイゼルローン遠征という2つの事例があるではありませんか。歴史に詳しいヤンが、この事を知らないはずがありません。
もちろん、謀略によって犠牲になる人が全くのゼロというわけにはいかないでしょうし、謀略が失敗して却ってひどい目に遭うという例もないわけではありませんが、それは戦争の駆け引きにしても同じ事ですし、すくなくとも戦争よりもはるかに少ない犠牲者で事が収まることは確実でしょう。ヤンには謀略の才覚と、先見の明があったのですから、ヤンが本気になって謀略の分野に辣腕をふるえば、戦争による犠牲者を大幅に減らし、ひいては民主主義を守る戦いもはるかに容易になっただろうに、なぜ「流血を回避できる謀略の利点」を顧みる事がなかったのか。
ヤンの戦争否定の思想から言っても、私にはそれが不思議でならないのです。
2. 信念否定論
私が田中芳樹作品を読んでいく過程で一番最初に疑問を抱いたもの。それがヤン・ウェンリーの「信念否定論」です。
ヤンの信念についての考え方は、下の文章に代表されるようなものです。
銀英伝2巻 P178上段~P179上段
<「人間は誰でも身の安全をはかるものだ。この私だって、もっと責任の軽い立場にいれば、形勢の有利なほうに味方しよう、と思ったかもしれない。まして他人なら、なおさらのことさ」
歴史を見ても、動乱時代の人間というものはそういうものだ。それでなくては生きていけないし、状況判断と柔軟性という表現をすれば、非難することもない。むしろ、不動の信念などというしろもののほうが、往々にして他人や社会に害を与えることが多いのである。
民主共和制を廃して銀河帝国皇帝となり、専制政治に反対する人民四〇億人を殺したルドルフ・フォン・ゴールデンバウムなど、信念の強さでは誰もおよばない。現にいま、ハイネセンを占拠しているクーデター派の連中も、信念によって行動しているはずだ。
人間の歴史に、「絶対善と絶対悪の戦い」などなかった。あるのは、主観的な善と主観的な善との争いであり、正義の信念と正義の信念との相克である。一方的な侵略戦争の場合ですら、侵略する側は自分こそ正義だと信じているものだ。戦争が絶えないのはそれゆえである。人間が神と正義を信じているかぎり、争いはなくなるはずがない。
信念といえば、ヤンは、「必勝の信念」などという台詞をきくと、鳥肌がたつのである。
「信念で勝てるのなら、これほど楽なことはない。誰だって勝ちたいんだから」
ヤンはそう思っている。彼に言わせれば、信念とは願望の強力なものにすぎず、なんら客観的な根拠を持つものではない。それが強まれば強まるほど、視野はせまくなり、正確な判断や洞察が不可能になる。だいたい信念などというのは恥ずかしい言葉で、辞書にのってさえいればよく、口にだして言うものではない。>
この「信念否定論」ほど、ヤンの思想的矛盾が最もよく表れているところはないと言っても良いでしょう。銀英伝全編におけるヤンの行動が、「信念否定論」と全く合致しないのですから。
まず、上記のように信念を完全否定しているはずのヤン自身が「民主主義は理想的な政治形態」であるという「信念」を持ち、それに基づいて帝国と戦争を行っているというのがあります。ヤンのこの「信念」に基づいて、一体どれほど多くの人が敵味方を問わず殺された事でしょう。ヤンの主張に従えば、ヤンの行動は「民主主義形態を守る」という「強力な願望による根拠のない信念」に盲従したものでしかなく、無益かつ無駄な戦いでしかないのだから、「信念」など投げ捨ててさっさと帝国に降伏した方が良かったという事になるではありませんか。
また、ヤンはラインハルトを非常に高く評価していましたが、そもそもラインハルトの行動は「ゴールデンバウム王朝を滅ぼし、公正な政治を実現させる」とか「全銀河を統一する」といった「信念」に基づいたものなのではないでしょうか? そしてこのラインハルトの「信念」のためにどれほど多くの人が殺されたか分からないし、銀英伝8巻のイゼルローンの遠征などでは「全銀河を統一する」などという「余計な信念」のもとに、無益な戦いで無為無用に大量の戦死者を出すに至りましたが、ヤンがこれを批判した形跡がどこにもありません。自分の否定的思想が目の前で実行されたにもかかわらずです。
さらに、ヤンがあそこまで「信念」を否定するということは、逆にいえば「信念のない人間は理想的である」という事になりますが、それではその「信念のない人間」というものをヤンがどのように評価したのか?
銀英伝における「信念の全くない人間の代表格」と言えば、私は真っ先にヨブ・トリューニヒトを挙げます。この御仁はその場その場の状況でコロコロと主張を変えます。ある時は好戦主義者的な主張をし、またある時は反戦主義者に転向する。民主主義を崇拝していたかと思えば、同盟降伏後はさっさと帝国に仕官し、そこで権力を握ろうとする。さらにバーミリオン会戦時には、「余計な信念」を全く発揮することなくさっさと降伏を申し出て、惑星ハイネセンの10億の民衆を帝国軍の手から救いました。まさにヤンが理想とするであろう「信念の全くない人間」であると言えます。
その「ヤンの信念否定の思想からすれば理想的な人間」であるはずのトリューニヒトを、ヤンは徹底的に嫌いぬきました。しかもその理由はというと「あいつはいつも主張をコロコロ変えるから」とか「徹底的なエゴイストだから」と言った、まさに「信念欠如の行動原理」が原因だというのですから、ヤンの人物評価は、自らの主張であるはずの「信念否定論」を全く厳守していないと言わざるをえません。
ルドルフを批判するための手段として「信念否定論」を展開しておきながら、それを自分自身に対して適用できないというのでは、ダブルスタンダードのそしりは免れないでしょう。いくらルドルフを否定したいからといって、これではルドルフが気の毒なのではないでしょうかね。
ヤンの「信念否定論」というのは、実はここまでヤンの行動や人物評価と乖離しているのですが、ではなぜ、このような矛盾が発生するのか? おそらく理由は2つでしょう。
ひとつは、ルドルフの行動が信念に基づくものであるという「固定観念」があったがために、信念の内容に全く言及することなく「信念を持つ事それ自体が悪」と規定してしまった事。
確かにルドルフの弱者撲滅政策や自己神格化などは「自分の考えは絶対に正しい」という信念に基づいて行われた事でしょう。しかしルドルフの考えの致命的な間違いは、「強固な信念」を持っていた事それ自体にあるのではなく、自らの「信念」が絶対的に正しいと思いこみ、他者を顧みる事も、自らの思想の検証も全くやらなかった事にあるのですし、民衆の圧倒的な支持によって独裁者となることで強大な権力を握り、反対者を徹底的に弾圧する事ができる立場にあったことで、議会やマスメディアのチェック機能が全く働かず、それによっていっそうルドルフの暴走を加速させたというのが、ルドルフがあそこまで「悪」となった真相なのではないでしょうか。
そもそもヤンの「信念」に対する定義「願望の強力なものにすぎす、なんら客観的な根拠を持つものではない」というのは、それこそ「信念の一断面」のみを見ただけのものでしかないし、「何ら客観的な根拠をもつものではない」のです。「信念」というのは確かに「強力な願望」という一面もありますが、それと同時に「行動指針」「行動方針の最終目標」という一面もあるのです。これは特に政治を行うときには重要なものです。これがないと、そもそも何をすれば良いのかさえ分からないのですから。
ラインハルトの「信念」などはその好例でしょう。彼の「ゴールデンバウム王朝の打倒と全銀河の統一」という「信念」がなかったら、銀河帝国は衰退の一途をたどったあげく、多くの小国家に分裂していた事でしょう。帝国と同盟の100年以上にわたる戦争を終結させ、ローエングラム王朝が成立したのは、ラインハルトの「信念」が常にその方向を指し示し続け、ラインハルトがひたすらそこを目指す事によって見事に成就したからではありませんか。
ラインハルトの例とトリューニヒトの例を比較してみれば、人間が政治を行う場合、多かれ少なかれ「信念」を持って政治をしなければならないという結論に達するでしょう。何らかの理念を持ち、国民を説得しなければ政治はできませんし、「惰性」や「その場の雰囲気」や「人気取り」などで政治をやられては国民はたまったものではありません。したがって、政治を行う際に「信念」を持つ事それ自体は決して悪い事ではないし、むしろ推奨すべき事なのです。
もうひとつは、「では信念がない人間というものがいかに醜悪であるか」という点に対する考察が全く欠けていた事。
これはトリューニヒトのあの「厚顔無恥な転向ぶり」を見ていればすぐに分かると思うのですけどね。トリューニヒトだけでなく、トリューニヒトの取り巻きの政治家を見ても、汚職と保身にふける彼らに「確乎たる信念」というものがかけらでも見出せたでしょうか? 彼らはむしろ、ヤンの主張とは逆に「信念」というものがなかったがために、政治の方向性を見出す事ができず、腐敗していたのではないでしょうか。ただひとり、銀英伝5巻におけるアイランズ国防委員長のみは「民主国家を守る」という使命に突如目覚め、末期の同盟を引っ張る姿勢を見せましたが、これこそ「信念に基づいた行動」以外の何物でもありません。
また、帝国と同盟は100年以上にもわたって惰性的な戦争を行っていましたが、この期間の間に「戦争を止めなければ」という「確乎たる信念」を戦争指導者達が持っていれば、双方が停戦するという形で戦争を止める事ができたかもしれません。これなどはヤンの考え方とは全く逆の現象ですね。現実には、原理主義者や主戦論者が幅をきかせていたためにダメだったようですが。
さらに、これは現実世界の話になりますが、現在、リベラル・平和主義の代表格と言われる朝日新聞は、戦前はそれこそ「右翼の軍国主義」的な言動ばかり繰り返して日本を戦争に導いたあげく、敗戦を迎えるや、自らの言動の総括や反省を何ら行わず(←これが重要)に現在の路線に「転向」するという、まるでトリューニヒトのような行動をやってのけたのですが、これが果たして誉められた行為なのでしょうか? まあ処世術に長けていると言われれば全くその通りなのですが(笑)。
このように「信念が全くない」というのも「信念が強すぎる」と同程度、あるいはそれ以上に問題があると言わざるをえません。そもそもヤンにはトリューニヒトという「信念の全くない人間」とも言うべき人物が目の前にいたのですから、すこしは自分の「信念否定論」がいかにおかしいのか、気づく余地は充分にあったと思うのですがね。
ただ、私はヤンの「信念否定論」にも一定の理はあったと思うのです。「強すぎる信念、自らの考えを絶対のものであると盲信する信念」というものは確かに害を及ぼします。しかし一方では「信念」という概念も必要不可欠である。
だから私は、「信念」を頭ごなしに否定するのではなく、「信念」が「絶対的な信仰」に陥る事がないように常にチェックするという事こそが、重要であると思うのですが。
3. シビリアン・コントロールの矛盾
銀英伝5巻、バーミリオン会戦において、ヤンはラインハルトを射程に収めながら、トリューニヒトの停戦命令を受けいれました。これが「ヤンはシビリアン・コントロールに忠実であったからこそ停戦したのだ」と評価されています。しかしヤンの行動は、本当にシビリアン・コントロールの原則にかなったものだったのでしょうか?
これが問題になるのは、停戦を受けいれた後のヤンの行動です。
まず彼は、いずれ帝国に引き渡さなくてはならないからという理由でメルカッツ提督を逃しました。そしてそれにともない、何隻かの戦艦およびそれに伴う燃料・食糧・人員を持たせ、そのことを戦場で失われたということにして偽装報告を行いました。
ヤンのこれらの行動は、政治的には正しいものであったかもしれません。しかしシビリアン・コントロールの観点から見れば、実にとんでもない話であるといわなければなりません。
そもそもヤンは、政府の命令ないしは許可を得ていないにもかかわらず上記のような行動を行っているのです。それどころか、この場合の同盟政府(正確には同盟元首トリューニヒト)の命令は「無条件停戦命令」です。つまりこの命令を受けたヤンは、ラインハルトに対する攻撃を停止しなければならないだけでなく、全ての軍事行動を止めなければならないのです。
その状況下でメルカッツ提督を、ある程度の戦力を伴わせて逃がすという事は何を意味するのか? それは一定の軍事力を隠蔽するという事であり、その部隊に戦闘を継続させるということです。しかもヤンはそんな命令を同盟から受けたわけではないのですから、これは明らかに「無条件停戦命令違反」でしょう。しかも戦艦や人員などを「政府の命令なしに無断で」隠蔽し、それを「戦場で失われた」などと報告する事は、同盟の国防軍基本法における職権濫用にあたり、また背任横領罪と公文書偽装の罪にもあたります(銀英伝6巻 P132)。
シビリアン・コントロールの原則を守るということは、政治家の命令を忠実に守るというだけでなく、法を忠実に守るという事もその中に含まれるのです。停戦受けいれ後のヤンの行動は、このシビリアン・コントロールの原則から大きく逸脱していると言わざるをえません。帝国に降伏してまでシビリアン・コントロールを厳守したかったのならば、同盟軍を全面武装解除した上で、メルカッツ提督を帝国に引き渡して「自分は同盟元首の命令に忠実である」ということを示すべきだったのです。そこまでの覚悟がないのならば、さっさとラインハルトを砲撃で吹き飛ばしてしまうべきでした。これでは一体何のためにヤンは帝国に降伏したというのでしょうか。
さらに奇怪なのは、これほどまでにヤンの思想を覆しかねないであろう重大な事実に、ヤンを含めた銀英伝のキャラクターの誰ひとりとして気がつかなかったという点です。上記のような「違反行為」を列挙していけば、銀英伝6巻にてレンネンカンプないしレベロは、ヤンを合法的に逮捕する事ができたのです。しかもその「罪状」には「シビリアン・コントロールの逸脱」というオマケまでつきます。ヤンの民主主義思想に対する大ダメージとなったことは疑いの余地がないでしょう。同盟市民にも、ヤンの民主主義思想が全くの偽りであるという印象が与えられたかもしれません。何も「反和平活動防止法」などという「事後法」を使わずとも、この方がはるかに効果的ではありませんか。完全に事実なのですし、法的にも万全なのですからヤンもさぞかし困る事でしょう。まあ証拠集めに少々てこずるかもしれませんが、公文書偽装の線から攻めていけば、これも楽勝でしょう。全く証拠が挙げられない、という訳ではないのですから。
民主主義とシビリアン・コントロールの概念は銀英伝の重要なテーマのひとつだったはずですし、それからいくと「法の問題」というのは避けて通れない場所であるはずです。それなのに、なぜこれほどまでに肝心なところが抜けてしまっているのでしょうか?
ヤンの思想と行動原理がこれほどまでに乖離しているのは、結局のところ、ヤンに「自らの思想に殉じる覚悟」が欠如していたからなのではないでしょうか。民主主義の理想を唱えつつ、「敵味方を徹底的に利用し、目的を果たす」というところまで冷酷になる事ができない。それこそがヤンの思想的矛盾の根本にあるのではないかと思います。
このヤンの思想的矛盾の最も最悪な部分を最悪な形で受け継いだのが、創竜伝の竜堂兄弟でしょう。連中の「感情に基づく行動原理」の起源が、ヤンの理想主義的な甘さにあるのではないかと考えるのは私だけでしょうか?