管理人さん、冒険風ライダーさん、ありがとうございます。
やはり超能力だけでは権力には勝てないのですね。
謀略を用いずに生き残る超能力者の話は無理な代物みたいですね。
竜堂兄弟に謀略を使わせないことが、創竜伝の悪役を低能にしている
みたいですね。
1度、パトカー強奪などの実際に犯した犯罪で逮捕される竜堂兄弟が見てみたいと思いました。その時彼らはどうするのでしょうかねえ?
冒険風ライダーさんは書きました
>田中芳樹は読者を欺いているのでしょうか?
恐らく「自分自身をも欺いている」のだと思います。
旧社会党の例を考えてください。何十年も「非武装中立」「日米安保絶対反対」を繰り返し、恐らく彼らは主観的には本心からそう思っていたつもりだったはずです。
しかし彼らが政権についた瞬間、それまで口にしていたことの多くは何の総括もなく、あっさり消え去りました。非現実的な空理空論しか頭に無かった彼らは、現実に対して何も出来なかったのです。
要するにその言葉とは裏腹に、旧社会党の主張は現実の肯定と何ら替わりは無かったわけです。
似たようなことは進歩的文化人や戦前戦中の軍部礼賛論者にも言えます。
結局の処、彼らは「そんなことが出来るはずがない」ことを知りながら、自分たちの言葉に酔っていたかっただけと言えるでしょう。
「騙されたい」人間というのは得てして「自分自身を最初に騙す」ものです。田中氏もその一例と言うことです。
冒険風ライダーさんは書きました
> >ふみさとけいたさん
>
> 確かにオーベルシュタインは、ある程度ラインハルトの性格をも考慮し、ラインハルトが自らの謀略を撤回することも計算に入れた上で「オーベルシュタインの草刈り」を実行したのでしょう。しかし、もし仮に「オーベルシュタインの草刈り」がそのまま実行され、ユリアン達が処断されたとしても、オーベルシュタインは何ら痛痒を感じなかった事でしょうし、その場合、オーベルシュタインの権限行使の元である「ラインハルトの全権代理」という立場的な地位によって、最終的にはラインハルトの責任も問われることとなるでしょう。オーベルシュタインの独断専行ということが明らかにならない限り、ラインハルトはオーベルシュタインの行動を追認している事になるのです。これは「ヴェスターラントの虐殺」の被害者が、オーベルシュタインではなくラインハラインハルトを暗殺しようとした事からも明らかでしょう。
確かにそれはそうでしょうね。
> No.511における「オーベルシュタインの草刈りの対処法」の極意は、その弱点を専制攻撃で突き、オーベルシュタインの権限自体に疑問を生じさせることにあります。そうすれば、ユリアン達は、法的に「オーベルシュタインの独断専行」などに従う必要はなくなるのですし、謀略の効果も現れないうちに「オーベルシュタインの独断専行」に対する非難が殺到し、自動的に謀略は消滅せざるをえないのですから。
これについてなのですが、NO.511にある、
>「政治犯を収容して無血開城を迫る、という卑怯卑劣な行為は、皇帝ラインハルトの意思に基づいて行われたものなのでしょうか?」
という問いをユリアンが発信した場合、ラインハルトは果たして「No」と答えるでしょうか。というのは、確かにラインハルトはこの謀略を不快に思っていました。しかし、ラインハルトほどの男がそういった状況で素直に「NO」と答えるかは少し疑問です。ここでの返答で事態がどうなるか、ラインハルトには予測がつくのではないでしょうか。それがみえれば、「YES」と答えたときと、「NO」と答えたとき、どちらがより国家にとって不利益であり、また不名誉であるかは明白になり、ラインハルトとしては、「YES」と答えざるをえないのではないでしょうか。このようなことを言いだすと水掛け論になりそうですが。
> ところで謀略というものは「民意」というものを必要とするのでしょうか? そもそも謀略というものが民衆の圧倒的多数によって支持されるということはまずありえないですし、結果を見れば非難が集中するに決まっています。秦檜の岳飛殺害、徳川幕府の豊臣家に対する策謀なども、はっきり言って一般ウケするものではありませんし、当時も散々非難を受けた事でしょう。
> しかしその結果、民衆はその謀略の結果である「平和と統一」を享受しましたし、謀略をめぐらした黒幕の行為を散々非難しても、その事に基づいた国家に対する反乱などはほとんど起こっておりません。このことは私が主張した「政治責任は結果が全てである」という事を証明していますし、謀略の過程に起こる「民衆の反感」なども、長期的に見れば何ら問題ではない事も証明しているのではないでしょうか。
謀略が民衆の反乱によって敗れたという例は歴史上ないのでしょうか?
僕の拙い知識ではあるともないとも言えません。クーデターを起こしたけれど、民衆の反乱にあってあえなく・・・という話もありそうなのですが。
> ただ、その謀略に最高権力者が関わっているとなると、ある程度政治的にマイナスになるという事も起こり得ます。「ヴェスターラントの虐殺」の被害者が「最終責任者」であるラインハルトの暗殺を企図したように。だからこそ、オーベルシュタインのような「汚れ役」が必要になるのです。
> オーベルシュタインについては、No.487で紹介したMerkatzさんのHPにも詳しい解説がありますので、そちらも参照する事をお勧めします。
はい。その点は異論はありません。
> 「正道」の解釈はまさにその通りだと思います。また、ヤンの「市井の倫理観」が様々な所で矛盾をきたし、ヤンの戦略目的を阻害していることも確かでしょう。
> しかし、ただ「市井の倫理観」を持っているだけでは、ヤンの行動があそこまで矛盾する事はないのです。ラインハルトがその良い例でしょう。ラインハルトも「市井の倫理観」を結構重要視していましたが、ヤンに比べれば謀略の必要性を理解していましたし、実際、嫌っているはずのオーベルシュタインの献策をかなり受けいれています。つまり、双方とも「市井の倫理観」という物を持ち合わせておきながら、ラインハルトは謀略を展開するために「市井の倫理観」をある程度無視する事ができたのに対し、ヤンにはそれができなかったという違いが発生しているのです。
> このヤンとラインハルトの違いは何か? それは「市井の倫理観」をどのくらい絶対視していたかです。その観点から見ると、ヤンはまさに「市井の倫理観」を絶対視しており、その結果として謀略を嫌っていると言えるでしょう。実はこのヤンの「市井の倫理観の絶対視」こそが、私が「信念」と呼んだ部分なのです。
> ヤンの「信念」の定義によれば、「信念とは願望の強力なものにすぎず、なんら客観的な根拠を持つものではない。それが強まれば強まるほど、視野はせまくなり、正確な判断や洞察が不可能になる」ものなのだそうですが、これに従えば、ヤンが「市井の倫理観」を絶対視し、謀略を否定する姿勢こそ、まさにヤンが定義する「信念」そのものなのではないでしょうか。政治に謀略が必要であるということや、謀略が味方の犠牲を少なくする事ができることを、ヤンが理解しているであろうにもかかわらず、「市井の倫理観」に基づいて謀略を否定するというのですから。
> ヤンが本当に戦争による犠牲者を減らしたいと思うのならば、感情や倫理観が大事であるなどという「信念」などさっさと捨ててしまうべきだったのです。ヤンの思想的にも感情的にも、ヤンの謀略否定の姿勢が全く理解できないというのは、そのためなのです。
ラインハルトとヤンの違いは、信念というよりも、軍人や権力に対する価値観というか、見方の違いだと思います。
ラインハルトは常に権力への渇望があった。そして、それと平行として戦いに対する渇望もあった。
しかし、ヤンは一市民でありたかった。思想的にも態度的にも軍人になんかなりたくなかったのでしょうし、謀略などに手を染めて、自分が変わってしまうのも怖かったのではないでしょうか。
断固として気持ちで軍隊を辞め、一市民になりきることも出来なかったのは、信念のなさにその原因があるのではないでしょうか?
一市民でありたかったのに信念が足りなかったために、軍人を辞めることも出来ず、状況に流される結果になってしまった。
僕はそう考えます。
> この部分ですが、ヤンがラインハルトに民主主義の価値を分からせるのは良いとして、その場合、ヤンは一体いつまで戦えば良いのですか? 「ここまで戦ったのならば認める」という明確な基準がなければ、ヤンは死ぬまで戦いつづける事になってしまうではありませんか。
あっ、確かにそうですね。
戦うことによって分からせるといっても、明確にこれという基準があるわけではありませんから、ヤンの考えているレベルとラインハルトの考えているレベルが違う場合は解決しませんね。
しかも
> また目的上、ヤンは戦略的格差をひっくり返せる唯一の活路ともいえる「ラインハルトを殺す」という選択肢がとれないのに対し、ラインハルトはヤンを殺す事もイゼルローン軍を壊滅させる事も可能です。
選択肢においても極端な限定がある。
> かくのごとく絶望的な彼我の戦略的・状況的格差を承知していながら「ラインハルトの来襲を待っているだけ」というのでは、むざむざ叩き潰されるのを待っているようなものですし、現にそうなりかけました。この事がヤンに分かっていなかったとは思えないのですが。
しかし一方でむざむざ「ラインハルトの来襲を待っているだけ」だったかといえば、そうではないのでは?
イゼルローン回廊の地形と要塞をもって少しでも有利な条件で戦う、というのがヤンの構想であったはずです。つまり向こうからやって来て初めて戦いになるわけで、この場合、ラインハルトの来襲を待つ「しかない」のでは?
ヤンの構想からは最初から謀略が全く無視・否定されています。
そうである以上、その方針は「戦場で戦う」以外はあり得ません。戦うからには有利な条件下で勝利を得やすくする必要があります。そのためのイゼルローン要塞であり、「こちらの懐に誘い込んで戦う」が基本となるわけです。
ですがこれは相手がむざむざこちらに飛び込んでくれてこそ意味がある。下手にリアリストになられて回廊を封鎖されてしまっては、何の意味もなくなる。
だがその危険性は少ない。なぜならラインハルトは必ず自分との決着を付けに、罠があるのを承知で飛び込んで来るであろう、というのがヤンの読みでしょう。だから「その意味でラインハルトの気質を熟知した上で相手をしているとは言えるわけです」。
しかし、勝利条件がご指摘の通りきわめて曖昧ですね。果たしてヤンはそのことに気付いていたのか?
ラインハルトが将帥の一人や二人を失ったぐらいで白旗挙げるとは思えない。彼ならすべての将を失い戦場にただ一人になっても、なお戦おうとするでしょうね。
じゃあ結局、ラインハルトを殺すしかない。うーん、本当にラインハルトの性格を読み切っていたのなら、ここの矛盾(価値を認めさせるべき相手を殺さざるを得なくなる)に気が付くはずですが。
いったいヤンはどの程度まで読み切っていたのやら・・・。
> さらに言えば、民主主義をラインハルトに認めさせるために、わざわざラインハルトを満足させる必要はないのです。前述のように勝率は絶望的に低いですし、オーベルシュタインが主張するように「帝国は皇帝の私物ではなく、帝国軍は皇帝の私兵ではない」のですから、ラインハルトではなく帝国政府と帝国軍を対象にして外交交渉なり謀略なりを展開すれば良かったのです。帝国側にも「イゼルローンに遠征する必要があるのか」という意見を持つ穏健派がいたのですから、こちらの方がはるかに現実的だったと思うのですがね。
ヤンの性格上、謀略はあり得ないとしても外交交渉ぐらいはあってもよさそうですね。というか、戦場で血を流すよりは遥かに成功確率が高い策で、しかも汚くないのですから、絶対に使うべきだと思うのですが。何で外交交渉をしなかったんでしょうね?ラインハルトに目が向きすぎて、周りの連中に目が向かなかったんでしょうか?
もっともヤンは「軍人は政治に口出ししてはならない」という固い信念を持っていましたから、責められるべきは、外交交渉という有効な政治手段を取らなかったエル・ファシル革命政府の方ですかね。(そういえば銀英伝の中で戦場での白熱した駆け引きはあっても外交での白熱した駆け引きはなかったような・・・ラインハルトの外交手腕に相手が手玉に取られるというパターンだけだったような気が・・・)
>北村さん
<恐らく「自分自身をも欺いている」のだと思います。
旧社会党の例を考えてください。何十年も「非武装中立」「日米安保絶対反対」を繰り返し、恐らく彼らは主観的には本心からそう思っていたつもりだったはずです。
しかし彼らが政権についた瞬間、それまで口にしていたことの多くは何の総括もなく、あっさり消え去りました。非現実的な空理空論しか頭に無かった彼らは、現実に対して何も出来なかったのです。
要するにその言葉とは裏腹に、旧社会党の主張は現実の肯定と何ら替わりは無かったわけです。
似たようなことは進歩的文化人や戦前戦中の軍部礼賛論者にも言えます。
結局の処、彼らは「そんなことが出来るはずがない」ことを知りながら、自分たちの言葉に酔っていたかっただけと言えるでしょう。
「騙されたい」人間というのは得てして「自分自身を最初に騙す」ものです。田中氏もその一例と言うことです。>
なるほど、その観点は気づきませんでした。私は上記の連中の行動を「信念のない行動である」と規定しておりましたもので。
この「田中芳樹の本音云々」の問題は以前にも話題になったのですが、「では対談やあとがきでの主張は何なの?」という疑問がその時以来離れなかったので、少し主旨からズレると思いつつ質問してみたのですが、非常に納得できる解答を得る事ができました。どうもありがとうございます。
ところで、勝手ながら銀英伝に話を移しますが、ヤンの「信念否定論」に従うと、上記の連中の行動は当然ながら礼賛の対象になるのでしょうが、いくら「信念」に対して批判的だからと言っても、「転向主義者」というものがそれほどまでにスバラシイものなのでしょうか? ヤンは「信念」を否定するあまり、「転向主義者」を歓迎しているようにしか見えないのですが。
>ふみさとけいたさん
<ラインハルトは果たして「No」と答えるでしょうか。というのは、確かにラインハルトはこの謀略を不快に思っていました。しかし、ラインハルトほどの男がそういった状況で素直に「NO」と答えるかは少し疑問です。ここでの返答で事態がどうなるか、ラインハルトには予測がつくのではないでしょうか。それがみえれば、「YES」と答えたときと、「NO」と答えたとき、どちらがより国家にとって不利益であり、また不名誉であるかは明白になり、ラインハルトとしては、「YES」と答えざるをえないのではないでしょうか。このようなことを言いだすと水掛け論になりそうですが。>
その辺りも全くぬかりはありません。実はむしろ「YES」と答えた時の方が弊害が大きいのです。
No.511でも主張したように、「YES」と答えた場合は「オーベルシュタインの草刈り」に対する最終責任を、ラインハルトが負わなければなりません。するとどうなるか?
まず、オーベルシュタインがラインハルトに代わって泥をかぶる、という図式が完全に崩壊し、「オーベルシュタインの草刈り」に対する非難が「内外問わず」ラインハルトに向けられます。オーベルシュタインに反感を抱くビッテンフェルトやワーレンといった将軍たちは、「なぜカイザーはオーベルシュタインごときの策謀を肯定するのか」とか「カイザーはいつからそんな卑怯者になったのだ」といった怒りや非難をラインハルトに向けて展開するでしょうし、一般の兵士達にもラインハルトに対する疑問が生じる事でしょう。最悪の場合、そのような反感を動機とした叛乱が発生するかもしれません。ラインハルトとしてもそれは避けたいでしょうから、仮に「YES」と認めたとしても、その直後に「アレは間違っていた」として、やはり人質の解放を命じざるをえなくなります。
また、自ら「汚れ役」を自認しているであろうオーベルシュタインも、ラインハルトに自分の策謀の責任をかぶせるなどという行為は自らの思想信条から言っても避けたいところでしょう。エゴイストであれば責任転嫁に躊躇する事はないでしょうが、皮肉な事にオーベルシュタインが「無私な人間」であるがために、彼はその矛盾に散々悩まされたあげく、ラインハルトが返答するよりも先に「あれは自分の独断専行である」と認めて人質を自発的に解放せざるをえなくなるのです。
つまり、オーベルシュタインとラインハルトの意思疎通・相互理解が完全にできていない限り、あの発信にどのように帝国側が反応しようとも、結局彼らは自発的に人質の解放を認めなければならなくなるのです。オーベルシュタインとラインハルトの相互信頼関係は非常に悪いですからね。そこにつけ入る隙は大きいのですよ。
<謀略が民衆の反乱によって敗れたという例は歴史上ないのでしょうか?
僕の拙い知識ではあるともないとも言えません。クーデターを起こしたけれど、民衆の反乱にあってあえなく・・・という話もありそうなのですが。>
例え謀略をめぐらしても、失敗したり、政治的結果がズタズタであったりすれば、民衆の反乱が発生する事もあるでしょうね。また謀略が稚拙なものであればすぐに見破られ、逆に痛い報復をくらう事になります。
だからこそ、謀略にもまた様々な才覚や情報・防衛措置などを必要とされるのですし、あくまでも政治的結果のみが評価されるのです。そのあたり、政治や戦略・戦術などとほとんど差がないのですけどね。
<ラインハルトとヤンの違いは、信念というよりも、軍人や権力に対する価値観というか、見方の違いだと思います。
ラインハルトは常に権力への渇望があった。そして、それと平行として戦いに対する渇望もあった。
しかし、ヤンは一市民でありたかった。思想的にも態度的にも軍人になんかなりたくなかったのでしょうし、謀略などに手を染めて、自分が変わってしまうのも怖かったのではないでしょうか。
断固として気持ちで軍隊を辞め、一市民になりきることも出来なかったのは、信念のなさにその原因があるのではないでしょうか?
一市民でありたかったのに信念が足りなかったために、軍人を辞めることも出来ず、状況に流される結果になってしまった。
僕はそう考えます。>
ヤンには信念がなかったのか? これは否ですね。ヤンには「民主主義擁護」や「軍人は政治に関与すべきではない」などといった「立派な信念」があります。彼は一生涯を通じてそれに忠実でありつづけました。また、ヤンは謀略を否定し、それを忠実に守りつづけましたが、この行為だって「信念の行動」そのものでしょう。一市民の夢を持ちつづけながらそれがかなわなかったのは、むしろ「強固な信念」を無自覚・無意識に持ちつづけていた結果であると思います。
ヤンは「信念」を否定しているがために、「他でもない自分自身が信念によって行動しているという現実」を直視できなかったのではないか。そしてそれがあれほどまでの思想的・行動的矛盾につながったのではないか。ヤンの「信念否定論」こそがヤンの最大の矛盾であると私が考える理由はそこにあるのです。
>Merkatzさん
<しかし一方でむざむざ「ラインハルトの来襲を待っているだけ」だったかといえば、そうではないのでは?
イゼルローン回廊の地形と要塞をもって少しでも有利な条件で戦う、というのがヤンの構想であったはずです。つまり向こうからやって来て初めて戦いになるわけで、この場合、ラインハルトの来襲を待つ「しかない」のでは?>
イゼルローン要塞に立てこもる事自体はそれでよいのですが、しかしそれだけではダメです。それだけでは結局のところ、封鎖なり直接攻撃なりで自分達が不利になることに変わりはないのですから。
私が言いたいのは戦術上・戦略上における構想ではなく、政治・外交・謀略関係における構想と「外交を有利にするための政治的効果を使う事」なのですよ。イゼルローン要塞に立てこもり、当時手薄だった帝国領をいつでも攻撃できるという態勢を見せつけた上で外交交渉を提言すれば、まだ「政治的な勝機」は見えてきたはずなのです。
というのも、ラインハルトの「大親征」当時、帝国領にはメックリンガー艦隊以外にまとまった戦力が存在しなかった上、ヤン側の戦力の全貌が帝国側には分からなかったので、「いつでも帝国領を荒らす事ができる」という「脅し」がかなり有効だったのです。そしてその事をヤンは知っていました(銀英伝8巻 P60)。もちろん、ただの「脅し」であり、実際に行う必要はないのですが、こういう「脅し」が政治的には甚大な効果があります。ラインハルトには効かなくても、帝国政府と帝国軍には有効でしょう。これによって、いきなり攻めこむのはもちろん、封鎖も容易ではないと帝国上層部に思いこませ、外交交渉に持っていく事が可能になるのです。
いくら「イゼルローン回廊の地形と要塞をもって少しでも有利な条件で戦う」といったところで、ラインハルトが攻めてくるなりイゼルローン封鎖に訴えられるなりされれば、どれほどヤンが戦術レベルで天才的な才覚を振るったところで、最終的に敗北するのは目に見えています。ラインハルトを見る前に、まずヤンはイゼルローンへの軍事的制裁を封じこめるための方法を優先的に考えるべきだったのです。
<ヤンの構想からは最初から謀略が全く無視・否定されています。
そうである以上、その方針は「戦場で戦う」以外はあり得ません。戦うからには有利な条件下で勝利を得やすくする必要があります。そのためのイゼルローン要塞であり、「こちらの懐に誘い込んで戦う」が基本となるわけです。
ですがこれは相手がむざむざこちらに飛び込んでくれてこそ意味がある。下手にリアリストになられて回廊を封鎖されてしまっては、何の意味もなくなる。
だがその危険性は少ない。なぜならラインハルトは必ず自分との決着を付けに、罠があるのを承知で飛び込んで来るであろう、というのがヤンの読みでしょう。だから「その意味でラインハルトの気質を熟知した上で相手をしているとは言えるわけです」。>
私だったら、いくら少ないからと言って「危険性」を無視する事はしませんね。そもそもヤンの考えは、ラインハルトが他者の意見を全く受けいれず、自分の考えのみで行動する事を前提として考えられたものではありませんか。あの当時、ラインハルトを除くほとんど全ての帝国上層部の人間がイゼルローン遠征に反対していました。彼らの進言が受け入れられた場合の事も、ヤンとしては考慮しなければならなかったはずです。臣下の進言を受けいれたラインハルトが、イゼルローン封鎖に訴えるという事態も考えられるのですし、政治的・戦略的に考えてもそちらの方が自然なのですから。
結局、ヤンの読み通り、ラインハルトが部下の進言を全く受けいれない狭量な人間になってしまっていたので助かりましたが(いや、助かってないか(^_^;))、ヤンはラインハルトだけを見過ぎですね。民主主義擁護の観点から見ても、彼が相手にすべきだったのは「皇帝を中心とした帝国政府と帝国軍」であって「ラインハルト個人」ではなかったはずなのに。
あくまでも「ラインハルトの気質」を利用しようとするのならば、むしろラインハルトに、ヤンの絶望的な政治的命題である「戦う事で民主主義をラインハルトに認めさせるために、ラインハルトを殺す事ができない」ということを教えてやれば良かったのかもしれません。ラインハルトの気勢は大いに削がれ、外交交渉に応じてくれるかもしれませんから。あまりにも非現実的ですが、ヤンが置かれた絶望的な状況に比べればはるかにマシだと思いますけどね。
<もっともヤンは「軍人は政治に口出ししてはならない」という固い信念を持っていましたから、責められるべきは、外交交渉という有効な政治手段を取らなかったエル・ファシル革命政府の方ですかね。(そういえば銀英伝の中で戦場での白熱した駆け引きはあっても外交での白熱した駆け引きはなかったような・・・ラインハルトの外交手腕に相手が手玉に取られるというパターンだけだったような気が・・・)>
まあエル・ファシル独立政府の御歴々に、ラインハルトに対抗できるような外交手腕を要求するのは酷というものでしょう。しかしそれならばなおの事、ヤンは政治に口を出すべきでしたね。要は「形式的には、ヤンが政治に口を出していない」ということをアピールしておきさえすればそれで良いのです。
アルスラーン戦記でも、ルシタニアの王弟ギスカールは「実質的な最高指揮官」でしたが、同時に「形式的な国王の臣下」でもありました。しかし「政治的に」どちらがより重んじられるかと言えば、当然後者になります。だからヤンも「政治の表舞台ではロムスキーを尊重するフリをしておき、裏で政治的助言をする」という形でもとっておけば、ヤンの「信念」や「民主主義の意義」はすくなくとも「政治的には」完全成就されますし、ヤンの最終目標も達成する事ができるのです。何も「信念」をバカ正直に守る必要はないのです。このあたり、ヤンの政治的センスはゼロ以下ですね。
どうせエル・ファシル独立政府はヤンの個人的名声と手腕によってのみ成り立っていたのですし、誰からもそのように見られていたのですから、ヤンはただひたすら「民主主義擁護のための形式」のみを重要視して「実質的な権限」を「影で」振るっておけば良かったのです。実際問題としても、それ以外にヤンの陣営が勝利する方法はなかったでしょうに。
冒険風ライダーさんは書きました
> その辺りも全くぬかりはありません。実はむしろ「YES」と答えた時の方が弊害が大きいのです。
> No.511でも主張したように、「YES」と答えた場合は「オーベルシュタインの草刈り」に対する最終責任を、ラインハルトが負わなければなりません。するとどうなるか?
> まず、オーベルシュタインがラインハルトに代わって泥をかぶる、という図式が完全に崩壊し、「オーベルシュタインの草刈り」に対する非難が「内外問わず」ラインハルトに向けられます。オーベルシュタインに反感を抱くビッテンフェルトやワーレンといった将軍たちは、「なぜカイザーはオーベルシュタインごときの策謀を肯定するのか」とか「カイザーはいつからそんな卑怯者になったのだ」といった怒りや非難をラインハルトに向けて展開するでしょうし、一般の兵士達にもラインハルトに対する疑問が生じる事でしょう。最悪の場合、そのような反感を動機とした叛乱が発生するかもしれません。ラインハルトとしてもそれは避けたいでしょうから、仮に「YES」と認めたとしても、その直後に「アレは間違っていた」として、やはり人質の解放を命じざるをえなくなります。
> また、自ら「汚れ役」を自認しているであろうオーベルシュタインも、ラインハルトに自分の策謀の責任をかぶせるなどという行為は自らの思想信条から言っても避けたいところでしょう。エゴイストであれば責任転嫁に躊躇する事はないでしょうが、皮肉な事にオーベルシュタインが「無私な人間」であるがために、彼はその矛盾に散々悩まされたあげく、ラインハルトが返答するよりも先に「あれは自分の独断専行である」と認めて人質を自発的に解放せざるをえなくなるのです。
> つまり、オーベルシュタインとラインハルトの意思疎通・相互理解が完全にできていない限り、あの発信にどのように帝国側が反応しようとも、結局彼らは自発的に人質の解放を認めなければならなくなるのです。オーベルシュタインとラインハルトの相互信頼関係は非常に悪いですからね。そこにつけ入る隙は大きいのですよ。
僕はラインハルトが「YES」と答えたときに「外」はともかく、「内」ではそれほど不満は起きないのではないかと考えます。ビッテンフェルトやワーレンなど、オーベルシュタイン以外の将は、ある程度の事情を知っているわけですから、「陛下は仕方なく『YES』といった」とすぐにわかるでしょう。兵士たちにしても、ラインハルトの名声が絶大である以上、「陛下はオーベルシュタインの尻拭いをさせられた」と自分たちに都合の良いようにとるのではないかと思います(人は信じたいものを信じるってヤツですね)。また、いったん宣告されたものをすぐに撤回して帝国の威信はどうなるか、という問題もあるでしょうし、オーベルシュタインがラインハルトに泥をかぶせないようにしても、ラインハルトの性格からして、自ら泥をかぶりに行くように思います。最終的な責任がラインハルトにある以上、彼がオーベルシュタインに責任を押しつけるとは考えられないので。
とすれば、後は外の不満ですが…実はここで悩みました。
まあ結局は、ユリアンたちを処刑(おそらくそうなるであろう)したあとは、反乱の芽を一つずつ摘んでいき、それと平行して内政を充実させるといういわゆる「飴と鞭」が無難であろうという結論になりました。
なんだかんだ言っても新帝国の方が圧倒的に有利なので、多少の問題はいくらでも挽回がきくんですよね。ユリアンたちはここで多少なりとも挽回しても運が良くない限りは結局は…ということになるのでしょう。
ちなみに、僕自身の「草刈り」に対する案は、「昂然と胸を張って処刑される」でした。旧同盟の民衆の心にきっちりと「民主主義の芽を植え、今後(十年、百年先)に備える。ラインハルトの心象も良くなるでしょうから(オーベルシュタインはおそらく旧同盟を離れることになるでしょう)、隠れ共和主義者たちも活動しやすくなるだろう、と考えてのものでしたが、ちょっと信頼性に欠けますね。
>
> <謀略が民衆の反乱によって敗れたという例は歴史上ないのでしょうか?
> 僕の拙い知識ではあるともないとも言えません。クーデターを起こしたけれど、民衆の反乱にあってあえなく・・・という話もありそうなのですが。>
>
> 例え謀略をめぐらしても、失敗したり、政治的結果がズタズタであったりすれば、民衆の反乱が発生する事もあるでしょうね。また謀略が稚拙なものであればすぐに見破られ、逆に痛い報復をくらう事になります。
> だからこそ、謀略にもまた様々な才覚や情報・防衛措置などを必要とされるのですし、あくまでも政治的結果のみが評価されるのです。そのあたり、政治や戦略・戦術などとほとんど差がないのですけどね。
よく考えると当たり前のことですが、そのときの政治状況をしっかりと把握しないと成功しようがないんですよね。なんだか変なところで突っかかっていたみたいです。
>
> <ラインハルトとヤンの違いは、信念というよりも、軍人や権力に対する価値観というか、見方の違いだと思います。
> ラインハルトは常に権力への渇望があった。そして、それと平行として戦いに対する渇望もあった。
> しかし、ヤンは一市民でありたかった。思想的にも態度的にも軍人になんかなりたくなかったのでしょうし、謀略などに手を染めて、自分が変わってしまうのも怖かったのではないでしょうか。
> 断固として気持ちで軍隊を辞め、一市民になりきることも出来なかったのは、信念のなさにその原因があるのではないでしょうか?
> 一市民でありたかったのに信念が足りなかったために、軍人を辞めることも出来ず、状況に流される結果になってしまった。
> 僕はそう考えます。>
>
> ヤンには信念がなかったのか? これは否ですね。ヤンには「民主主義擁護」や「軍人は政治に関与すべきではない」などといった「立派な信念」があります。彼は一生涯を通じてそれに忠実でありつづけました。また、ヤンは謀略を否定し、それを忠実に守りつづけましたが、この行為だって「信念の行動」そのものでしょう。一市民の夢を持ちつづけながらそれがかなわなかったのは、むしろ「強固な信念」を無自覚・無意識に持ちつづけていた結果であると思います。
> ヤンは「信念」を否定しているがために、「他でもない自分自身が信念によって行動しているという現実」を直視できなかったのではないか。そしてそれがあれほどまでの思想的・行動的矛盾につながったのではないか。ヤンの「信念否定論」こそがヤンの最大の矛盾であると私が考える理由はそこにあるのです。
「民主主義擁護」と「軍人は政治に関与すべきではない」が、かち合った場合、ヤンは「動くシャーウッドの森」の件では、前者を優先し、その前のトリューニヒトの停戦命令では、後者を優先しました。よって先の二つはいずれも「信念」であるとは言い難いと思います。
また、「謀略」を否定しながらも、彼は同盟のクーデターの時のラインハルトの謀略に賞賛を送っています。いかに、自分の「信念」を人に押し付けないといっても普通、賞賛は送らないのではないでしょうか。
彼の行動は全てにおいて矛盾をはらんでいるように思います。僕がヤンに「信念」は存在しないというのは、そういうわけです。一体どのような視点から見れば彼の人生は一貫性を持ちうるのでしょうか?
はじめてカキコします。以前からこの掲示板は、細々とROMさせて頂かせていたのですが、久しぶりに見に来たところ、あまりにも面白い話題が出ていたので、僭越ながらカキコさせて頂こうと思いました。
なんかもう、だいぶ日にちが過ぎてしまってるようで恐縮なのですが、冒険風ライダーさんが最初におっしゃってる事に対する意見を、二、三書いてみたいと思います。
1、ヤンの国家的謀略に関する対する認識について
ヤンが謀略を否定していたのは、その通りだとは思いますが、私には、この場合、ヤンは戦争と同じように謀略を否定しているのであって、戦争以上に謀略を否定しているとは考えられません。
銀英伝1巻 246ページ
<(前略)そのとき光明に情勢を読んで介入する-たとえば、ブラウンシュヴァイクらと組んでローエングラム侯ラインハルトを挟撃して倒し、返す一撃でブラウンシュヴァイクらを屠る。銀河帝国は滅亡するだろう。
あるいは、ブラウンシュヴァイクに策を授けてラインハルトと五分に戦わせ、両軍が疲弊の極みに達したところを撃つ……自分になら多分できる。ヤン自身はむしろ嫌悪感さえ抱く、彼の用兵家としての頭脳がそう自負するのだ。誘惑を感じる、とヤンが呟いたのはそのことである。
もし自分が独裁者だったらそうする。だが彼は民主国家の一軍人にすぎないはずだ。行動はおのずと制約される。その制約を超えれば、彼はルドルフの後継者になってしまう……。(後略)>
この部分からは、ヤンが戦争はするけど、謀略(この場合は、厳密には謀略ではないかもしれないが)を用いないのは、一軍人である自分の処理範囲外だと考えていたから、ということが分かります。なので、ヤンが戦争以上に謀略を否定していると考えるのは、少々的外れのように思いました。
それでは、次に、エル・ファシルに移った後のヤンが、なぜ謀略を効果的に用いなかったのかという事です。
私的には、これも、ヤンが、政府主席ロムスキーの下にいる一軍人に過ぎなかったから……と言いたいところですが、いやしくも、軍の司令官を「一軍人」とは言えないような気がするので、ちょっと苦しいのですが、下の文章から解釈してみました。
銀英伝7巻 87ページ
<(前略、チュン・ウー・チェンの発言)「ヤン・ウェンリーは何かと欠点の多い男ですが、何者も非難し得ない美点をひとつ持っています。それは、民主国家の軍隊が存在する意義は民間人の生命を守る事にある、という建前を本気で信じこんでいて、しかもそれを一度ならず実行しているということです」
「そう、貴官の言うとおりだ」
ビュコックの老いた顔に、微笑が残照めいたひろがりを見せた。
「エル・ファシルでもそうだった。イゼルローン要塞を放棄するときもそうだった。ひとりとして民間人に犠牲を出しておらん」(後略)>
ようするに、ヤンは帝国の民間人に犠牲を出しかねないような謀略を行なうよりは、帝国の軍人を相手に戦争することを選んだのではないでしょうか。ようするに、ヤンはあくまで自分は一軍人だと考えており、軍人としての大義名分にこだわったのではないかと。
ただ、これは「謀略とは民間人に迷惑を掛けるようなものばかりではない」というつっこみが入ったら終わりです。てゆうか、既にありますね。あはは。
2、信念否定論について
これは、ヤンが「信念」という言葉を全否定するような発言が多いので、ちょっと反論が難しいのですが、それでも、あえて反論するなら、
「ヤンが否定しているのは、あくまで『確固たる不動の信念』だけであり、たぶん『信念』という単語の意味を、すこし狭く取りすぎていて、しかもそれを曲解している。あとラインハルトに肯定的で、トリューニヒトに否定的なのは、単に好き嫌いの問題(笑)」
ということになるでしょうか。
もともと信念という単語の意味は、辞書には「かたく信じて疑わない心、自信の念」とあります。なので、実は「信念」という単語には「絶対的信仰」という意味が、既に半分ほど含まれてはいるのです。多分、ヤンは「信念=かたく信じて疑わない心」の意で使っており、そこから「信念は願望の強力なもの~」と曲解したのではないかと思います。(かなり苦しい)
ですが、ふつうは「自信のある強い意志」程度の意味で使われるように思われます。だから、ここでは「信念=自信のある意志」と勝手に決めつけてしまい、話を進めたいと思います。
さて、ご存知とは思いますが、ヤンの思想の特徴の一つに「絶対というものは絶対にない(笑)」という趣旨のものがあります。これは、色々なところで出てくるのですが、代表的なところでは、ヤンとラインハルトの会話があります。
銀英伝 5巻 239ページ
<(前略、ヤンの発言)「……私は、あなたの主張に対してアンチ・テーゼを提出しているにすぎません。ひとつの正義に対して、逆の方角に等量等質の正義が必ず存在するのではないかと私は思っていますので、それを申し上げてみただけのことです」
「正義は絶対ではなく、ひとつでさえないというのだな。それが卿の信念というわけか」
信念という言葉がきらいなヤンは、補足した。
「これは私がそう思っているだけで、あるいは宇宙には唯一無二の真理が存在し、それを解明する連立方程式があるのかもしれませんが、それにとどくほど私の手は長くないのです」(後略)>
さらに、ヤンは「よりベターなものを選ぶ」という考え方もしています。
銀英伝 6巻 124ページ
<(前略)自分のたとえの極端さを、ヤンは承知している。しかし、ものごとの価値観、正邪の判断の基準がすぐれて相対的なものであるということは、いくら強調しておいてもよいだろう。人間のなしうる最良の選択は、視野に映る多くの事象を比較対照して、よりましと思われるほうに身をおくことしかない。完全な善の存在を信じる人は、「平和のために戦う」という表現にふくまれる矛盾の巨大さをどう説明しうるのか。(後略)>
以上の二つのヤンの思想から考えると、仮にヤンの「民主主義形態を守る」という考え方が「信念」と呼ばれるものであったとしても、その信念は、ヤン自身の完全な自信のもとにある「確固たる信念」だったというわけではなく、あくまでも反対方向に等量等質の正義がある、相対的で「よりましな選択」でしかなかったと考えられます。
ここからは、少し推測が強いのですが、ようするに、ヤンが大胆な行動にでなかったのは、結局、上のような考え方から来る一種の消極的な姿勢、つまりは自分の行動に対する自信の不足、さらには、1でも述べたような、自分の信念による行動によって民間人の犠牲を増加させることを忌避し躊躇する心情によるように思われます。なんかちょっと弱いような気もしますが、いかがでしょうか。
あと、それだと「軍人なら犠牲にしてもいいのか」というつっこみを入れたくなるように思います。というか、私が入れたいです(笑)。この矛盾に対してはヤンの答えはありませんが、理解はしていて、結構苦しんでいるっぽいです(銀英伝1巻232ページなど)
ただ、たぶんヤンは「民主主義の理想」すらも、絶対視してはいなかったと思います。
ちなみに、以下はまったくの印象に過ぎないのですが、ヤンが、ラインハルト好きで、トリューニヒト嫌いなのは、おそらく、多分に、もしかすればほとんど感情的なものなんじゃないかと、私には思われます。
でも、あくまで印象です、これは。
3、シビリアン・コントロールの矛盾について
何も言うこと無いです。というか、私は全く気づいてませんでした。なんか悔しいかも(謎)
冒険風ライダーさんがおっしゃってることは、基本的に大筋で正しいことが多いと私は思います。たしかにヤンは理想主義者であり、にもかかわらず自分の理想に殉じるまでには、自信もやる気も持っていません。たぶん。
あと、ヤンは好き嫌いが激しいという性質を持っており、そのなかの一つに「めんどうなことはきらい」というのがあるように思います。なので、謀略を積極的にしなかったのは、実は、単に「謀略をするのがめんどうだからやだ」、もしくは「謀略は嫌い」という理由だけかもしれないとも、私は思っています。要するに、純粋に嫌いなだけだったと(笑)。
ヤンは、おそらくそういった点(好き嫌いが多く、しかもそれを少なからず公務に反映させている点)も含めて「公人」として失格なんだろうとは思いますが、ただ、そのへんもヤンという人物の魅力の一つになっているのではないかとも思います。
ずいぶんと大急ぎで書いたので(それでも結構かかったけど)、穴などは無数にあると思いますので、誤りなどをご指摘頂ければ嬉しく思います。てゆうか、ただ読んで「馬鹿なこと書いてる奴がいるぜ、ケッ」ぐらいのことでも思ってくださるだけでも、ちょっと嬉しいです。
あと、最期に、この掲示板では田中芳樹がぼこぼこにたたかれてますが、とりあえず、私は「銀英伝を書いた」という一事だけで、めちゃめちゃ感謝してます。だから、べつに田中芳樹がこれからなにを書こうが構いません。(この掲示板で田中芳樹をたたくことで、もう一度銀英伝なみのものを書いてくれるというなら、私も喜んで参加しますが、そんなことは無理でしょう、たぶん)
でも、この掲示板見てると、じつは結構楽しかったりします。
乱文失礼いたしました。では。
(ちくしょう、朝になっちまった)
<僕はラインハルトが「YES」と答えたときに「外」はともかく、「内」ではそれほど不満は起きないのではないかと考えます。ビッテンフェルトやワーレンなど、オーベルシュタイン以外の将は、ある程度の事情を知っているわけですから、「陛下は仕方なく『YES』といった」とすぐにわかるでしょう。兵士たちにしても、ラインハルトの名声が絶大である以上、「陛下はオーベルシュタインの尻拭いをさせられた」と自分たちに都合の良いようにとるのではないかと思います(人は信じたいものを信じるってヤツですね)。また、いったん宣告されたものをすぐに撤回して帝国の威信はどうなるか、という問題もあるでしょうし、オーベルシュタインがラインハルトに泥をかぶせないようにしても、ラインハルトの性格からして、自ら泥をかぶりに行くように思います。最終的な責任がラインハルトにある以上、彼がオーベルシュタインに責任を押しつけるとは考えられないので。>
そうはなりませんよ。というのも、かつてラインハルトは、ユリアン達よりもはるかに強大な脅威であったはずのヤンに対してイゼルローン遠征を敢行してしまった前科がありますからね。いまさら「オーベルシュタインの草刈り」をラインハルト自身が敢行するとなれば、当然その当時に遠征した兵士と、戦没した兵士の遺族が次のように反発する事でしょうね。
「そのような卑劣な策を使うのであれば、どうしてあの時の遠征の前に使わなかったのだ。大量の戦死者を出してまで敢行したあの時の遠征の意味は一体何だったのだ。結局カイザーは自分自身の満足のためだけに我々を死地に追いやったのか」
実際、ラインハルトが病で倒れ、ヤンと話し合うという決定を下した時、相当な不満も起こっていますからね。イゼルローン遠征における潜在的な不満を利用すれば、ラインハルトを揺さぶる事は不可能ではありません。
それに「帝国の威信」というのならば、そもそも帝国側からすれば取るに足りないレベルの民主共和勢力に対して「人質による無血開城を迫る」事の方が、よほど「帝国の威信に関わる」と思う人も多いでしょう。特にビッテンフェルト・ワーレンなどの武断派将軍は、彼らの性格やそれまでの行動から見ても絶対にそう思うでしょうし、その怒りから、オーベルシュタインに対して「お前があのような策を無断で実行するからカイザーが恥をかかれたではないか」と怒りを爆発させるかもしれません。すくなくとも帝国軍内部に亀裂を入れる事ができるのは確実です。さしあたっては、これだけでもこの謀略を展開する価値はあると思いますがね。
まあ謀略というものには絶対の正解というものはありませんし、その時の事情でどう動くかは完全には予測できないでしょうが、しかしそれでも、
<僕自身の「草刈り」に対する案は、「昂然と胸を張って処刑される」でした。旧同盟の民衆の心にきっちりと「民主主義の芽を植え、今後(十年、百年先)に備える。ラインハルトの心象も良くなるでしょうから(オーベルシュタインはおそらく旧同盟を離れることになるでしょう)、隠れ共和主義者たちも活動しやすくなるだろう、と考えてのものでしたが、ちょっと信頼性に欠けますね。>
のように、ただ手をつかねて処刑場に直行するよりもはるかにマシな選択です。ユリアン達のような弱小勢力が「殉教」したところで、せいぜい一部の「後世の歴史家」とやらから同情されるだけでしょう。「民主主義の旗手」としては、ヤンとアーレ・ハイネセンの二人がすでにいますからね。「殉教」したところで、ユリアン達は忘れ去られてしまうかもしれません。
しかも「オーベルシュタインの草刈り」は「平和と統一という政治的結果」を手に入れてしまいますからね。案外、高く評価される事になるかもしれませんよ。
一応この「策略」に関する話題はこれで終わりとしますが、よろしいでしょうか?
<「民主主義擁護」と「軍人は政治に関与すべきではない」が、かち合った場合、ヤンは「動くシャーウッドの森」の件では、前者を優先し、その前のトリューニヒトの停戦命令では、後者を優先しました。よって先の二つはいずれも「信念」であるとは言い難いと思います。
また、「謀略」を否定しながらも、彼は同盟のクーデターの時のラインハルトの謀略に賞賛を送っています。いかに、自分の「信念」を人に押し付けないといっても普通、賞賛は送らないのではないでしょうか。
彼の行動は全てにおいて矛盾をはらんでいるように思います。僕がヤンに「信念」は存在しないというのは、そういうわけです。一体どのような視点から見れば彼の人生は一貫性を持ちうるのでしょうか?>
行動と思想が矛盾しているからといって、「信念ではない」と決めつけられるものではないでしょう。私はむしろ、ヤンが相反する複数の「信念」を持っているがために、行動が矛盾していると考えます。
ヤンの「信念」で一番問題なのは、ヤンの持つ複数の「信念」における優先順位がまるで決まっていない事です。本来ならば、ヤンの最終的な政治目的である「民主主義擁護」こそが一番に優先されなければならないにもかかわらず、他の「信念」がそれを妨害しているのです。
そもそも「民主主義擁護」が「ヤンの最終目的」であるのに対して、「軍人が政治に関与すべきではない」とか「謀略否定論」などは「行動規範」にあたります。そうである以上、双方がぶつかり合った場合は、「政治責任は結果が全て」という観点から見ても、当然ながら「民主主義擁護」こそが優先されなければなりません。しかしヤンの「信念」にはそのような明確な優先順位がなく、その場その場で別の「信念」が自己主張を始めるため、ヤンの行動原理があちこちで矛盾と破綻をきたしてしまうのです。
これから考えると、ヤンは「政治責任は結果が全て」という考え方が受容できず、本来ならば全く重要ではない「政治過程」を重要視しすぎることが、ヤンの欠陥として挙げられるでしょう。マキャベリズム的発想をヤンは著しく嫌っていますからね。謀略否定論もまた、その弊害のひとつだと考えられます。
だからこそ、とにもかくにも自らの目的のために謀略を振るう事ができるラインハルトを「自分にはできない」という意味でヤンは賞賛しているのですよ。そうでなくともヤンはラインハルトに対しては評価眼が甘すぎますからね。批判の余地はたくさんあったと思うのですが。
>yossさん
>銀英伝1巻 246ページ
<この部分からは、ヤンが戦争はするけど、謀略(この場合は、厳密には謀略ではないかもしれないが)を用いないのは、一軍人である自分の処理範囲外だと考えていたから、ということが分かります。なので、ヤンが戦争以上に謀略を否定していると考えるのは、少々的外れのように思いました。>
戦争と同レベルで謀略を否定しているのならば、ヤンは「必要悪」と認識した上で謀略を使用できたはずです。そうなっていないからこそ、私は「ヤンが戦争以上に謀略を否定している」と考えるのですが。
それに本当にヤンが政治・謀略で力を振るおうと思うのならば、実はいくらでも方法はあるのですけどね。政治家と懇意になり、その政治家を裏から操るとか、自分が政界に転出するとか。あるいは自分の意のままに動く謀略・諜報機関などを合法的に設立させるなり、既存の組織を乗っ取るなりして、それを介して謀略を展開するとか。銀英伝でもブルース・アッシュビー提督の故事(対帝国諜報機関の事です)があるでしょう。
そこまでいかなくとも、せめて同盟のお偉方に対して、それとなく自らの謀略案や戦略分析を提示するとか、その程度の事ぐらいはやっても良かったと思うのですけどね。実際、帝国領侵攻作戦の際にフォークがそれと似たような事をやっていますし。あまり誉められた事ではないでしょうが、できない事ではないのですよ。むしろ、ヤンとラインハルトの彼我の戦略的格差を少しでも埋めるためにも、謀略の存在意義を認めた上で積極的に謀略を展開できる環境を整えるべきだったのです。
にもかかわらず、ヤンが謀略の意義を考慮した形跡すら全くないのですからね。これでも私の考えは的外れなのですか?
<「ヤンが否定しているのは、あくまで『確固たる不動の信念』だけであり、たぶん『信念』という単語の意味を、すこし狭く取りすぎていて、しかもそれを曲解している。あとラインハルトに肯定的で、トリューニヒトに否定的なのは、単に好き嫌いの問題(笑)」>
ヤンの「信念否定論」にそのような留保条件はありません。yossさん自身が認めているように、ヤンは「信念」という言葉や概念それ自体を全否定していますし、「不動の信念」と対比して転向主義者を弁護しているような個所すらあります(銀英伝2巻 P178)。
それから、後半の部分は全く反論になっていませんね。私が問題にしているのは「トリューニヒトとラインハルトに対するヤンの人物評価と信念否定論とが相互矛盾している」という命題であって、「人物評価の動機」など全く関係ないのです。第一、「単に好き嫌いの問題」であれば「信念否定論」との矛盾に目をつぶっても良いのですか?
<ここからは、少し推測が強いのですが、ようするに、ヤンが大胆な行動にでなかったのは、結局、上のような考え方から来る一種の消極的な姿勢、つまりは自分の行動に対する自信の不足、さらには、1でも述べたような、自分の信念による行動によって民間人の犠牲を増加させることを忌避し躊躇する心情によるように思われます。なんかちょっと弱いような気もしますが、いかがでしょうか。>
その理屈からいくと、銀英伝5巻のバーミリオン会戦の時や、7巻の「大親征」の際に、なぜヤンはラインハルトに対して降伏しなかったのでしょうか? ヤンが民主主義擁護などという「不動の信念」など発揮する事がなければ、それこそ「勝算ゼロの無益な戦いで軍人も民間人も犠牲になる事はなかった」し「戦争が終わって平和と統一が訪れた」と思うのですけどね。これについてはどう説明しますか?
<あと、ヤンは好き嫌いが激しいという性質を持っており、そのなかの一つに「めんどうなことはきらい」というのがあるように思います。なので、謀略を積極的にしなかったのは、実は、単に「謀略をするのがめんどうだからやだ」、もしくは「謀略は嫌い」という理由だけかもしれないとも、私は思っています。要するに、純粋に嫌いなだけだったと(笑)。>
ヤンの「めんどうなことはきらい」だの「謀略は嫌い」だので、一体どれほどの味方が無為無用に殺されていった事でしょうね。好き嫌いで政治をやられては、国民や一般兵士はたまったものではありません。ヤンがその気になれば、多くの人間が死なずにすんだことでしょうに。
自らの政治目標を達成しようと思うのならば、もう少し感情的に動く事を控えるべきだったと思うのですがね。
>冒険風ライダーさま
<戦争と同レベルで謀略を否定しているのならば、ヤンは「必要悪」と認識した上で謀略を使用できたはずです。そうなっていないからこそ、私は「ヤンが戦争以上に謀略を否定している」と考えるのですが。>
ようするに、「ヤンは戦争も謀略も否定しているが、戦争はしているのに対し、謀略はほとんど一切用いていない」というのが、銀英伝中における史実(?)です。確かに、そこから「故に、ヤンは戦争以上に謀略を否定している」という推測を導き出すのはごく自然ですが、どんなにその確率が高いにせよ、結局、推測は推測でしかないと、私は思います。
その上、その推測が、ヤンの思想と行動の関係における矛盾として出てくる以上、ヤンの「戦争以上に謀略を否定している」という前提を見直してみてはどうか、と、私は言いたいだけです。
それとも、銀英伝の本文中に、ヤンが戦争以上に謀略を否定していると考えている、もしくは述べている部分があって、それを私が知らないだけなのでしょうか。もし、そうだとしたら、こんなこと書いてるのは恥ずかしいので、是非教えて欲しいと思います。(どうも、4巻の例の部分はちょっと違うように思うので)
<それに本当にヤンが政治・謀略で力を振るおうと思うのならば、実はいくらでも方法はあるのですけどね。政治家と懇意になり、その政治家を裏から操るとか、自分が政界に転出するとか。あるいは自分の意のままに動く謀略・諜報機関などを合法的に設立させるなり、既存の組織を乗っ取るなりして、それを介して謀略を展開するとか。銀英伝でもブルース・アッシュビー提督の故事(対帝国諜報機関の事です)があるでしょう。
そこまでいかなくとも、せめて同盟のお偉方に対して、それとなく自らの謀略案や戦略分析を提示するとか、その程度の事ぐらいはやっても良かったと思うのですけどね。実際、帝国領侵攻作戦の際にフォークがそれと似たような事をやっていますし。あまり誉められた事ではないでしょうが、できない事ではないのですよ。むしろ、ヤンとラインハルトの彼我の戦略的格差を少しでも埋めるためにも、謀略の存在意義を認めた上で積極的に謀略を展開できる環境を整えるべきだったのです。>
上のような行動をヤンがしなかったのは、考えがそこまで至らなかったわけではなく、これは間違いなく「感情的に嫌いだった」からでしょう。(銀英伝8巻P144下段)
もちろん、冒険風ライダーさんのおっしゃっているように、ヤンの公人としての無責任さ、やる気の無さはいくらでも非難されるべきでしょうが、少なくとも矛盾はきたしてないだろう、と私には思われます。(ただ、「諜報機関の合法的設立」というのは少しだけ考えさせられます。)
あと、ヤンは謀略の存在意義について全てを否定しているわけではないと思いますよ。(銀英伝7巻P194上段)
<ヤンの「信念否定論」にそのような留保条件はありません。yossさん自身が認めているように、ヤンは「信念」という言葉や概念それ自体を全否定していますし、「不動の信念」と対比して転向主義者を弁護しているような個所すらあります(銀英伝2巻 P178)。
それから、後半の部分は全く反論になっていませんね。私が問題にしているのは「トリューニヒトとラインハルトに対するヤンの人物評価と信念否定論とが相互矛盾している」という命題であって、「人物評価の動機」など全く関係ないのです。第一、「単に好き嫌いの問題」であれば「信念否定論」との矛盾に目をつぶっても良いのですか?>
うーん(笑)、ヤンの「信念」という言葉の全否定を弁護するのは、確かに苦しいと思ってましたし、後半部分は、あくまで印象であって反論ではないので、読み流して欲しかったんですけどねえ(なら書くな!というつっこみは禁止)
とりあえずヤンの「信念」という単語の解釈の矛盾と、人物評価に対する矛盾に関しては言うことはないです。ヤンがそれに気づいていたかどうかはともかくとして。
大体、ヤンの人物評価は信念否定論とは合致しない部分が多いんですよ。アーレ・ハイネセンなんかも、どっちかと言えば信念の人ですし。
<その理屈からいくと、銀英伝5巻のバーミリオン会戦の時や、7巻の「大親征」の際に、なぜヤンはラインハルトに対して降伏しなかったのでしょうか? ヤンが民主主義擁護などという「不動の信念」など発揮する事がなければ、それこそ「勝算ゼロの無益な戦いで軍人も民間人も犠牲になる事はなかった」し「戦争が終わって平和と統一が訪れた」と思うのですけどね。これについてはどう説明しますか?>
これは「多くの犠牲を出してでも民主主義の素を残しておいたほうが、今、犠牲を出さないで、専制者の圧政によるより多くの後世の犠牲を招くよりも『まし』だと考えたから」ではないでしょうか。
もちろん、勝算が少ないことや、失敗すれば、現在においても、未来の圧政者の下においても犠牲が出ることは、ヤンは承知していたと思います。それでも、ヤンが戦うことを選んだというのは、犠牲が出るということと、成功の可能性がごく少ないという事実をかすめさせるくらい、専制者の圧政を忌避、否定すべきだとヤンが考えていたからではないかと、私は考えます。(なぜ、そこまで暴君の出現を恐れたのかは分かりません。ひょっとして信念?)
なんで、仮に信念と呼ぶべきものをヤンが持っていたと考えるなら、それは「民主主義の擁護」ではなく「専制の否定」のほうがよっぽどいいと思いますね。まあ、どっちにしても私はヤンが民主主義を選んだ理由は、専制と秤にかけた結果だけだったと思ってますけど。
ちなみに、ヤンが自分のこの考え方に対して絶対の自信を持っていたという形跡も、もちろん見られません。(銀英伝7巻P196下段~197上段)
あと、無益とは言っても、バーミリオンでも「大親征」でも、類まれなる幸運に恵まれたとはいえ、目的達成の一歩手前までいってる以上、勝算ゼロとまで言うのはどうかと思いますが。政治は結果がすべてなんでしょうから。(んっ、結果がすべてなら失敗か(笑))
<ヤンの「めんどうなことはきらい」だの「謀略は嫌い」だので、一体どれほどの味方が無為無用に殺されていった事でしょうね。好き嫌いで政治をやられては、国民や一般兵士はたまったものではありません。ヤンがその気になれば、多くの人間が死なずにすんだことでしょうに。
自らの政治目標を達成しようと思うのならば、もう少し感情的に動く事を控えるべきだったと思うのですがね。 >
ええ、まったくおっしゃる通りです。ヤン・ウェンリーさんもそう言ってます(笑)(銀英伝7巻P195下段~196上段)
別に、私はヤンが矛盾していないと言いたいわけではありません。私はただ、ヤンの行動というものは、基本的に『その場その場で、もしくはある一定の範囲の中だけを考慮に入れて考え、よりましと思われるものを選び、実行する』という行動規準に基づいており、さらに『よりましと思われるものを選ぶのに、少なからず自分の理想や感情が絡んでしまっている』ということが言いたかっただけなのです。
そして、たぶんこの考え方を地でいっているために、思考、言動、行動に関する矛盾などが、表面的にそれこそ山のように出てきているのではないでしょうか。
さらに、そういった自分の矛盾に、「自己相対化、自己客観化」が一番の趣味であるヤン・ウェンリー氏(笑)が気付いてなかったとは、私には考えにくいのです。
だから少しひどい言い方かもしれませんが、私には、冒険風ライダーさんが、自分の矛盾に気付いてる人間に対して「本人は気付いてないだろうが、あいつは矛盾している」と評価しているように映ったのです。だから「それならヤンを弁護してやろう」と(笑)
でも、やっぱやらないほうがよかったかもしれません。今はちょっと後悔しています。
めんどくさかったら、返事は書かれないで結構です。それでは。
抜粋でのレスですが、ご容赦下さい。
>謀略論
> 一応この「策略」に関する話題はこれで終わりとしますが、よろしいでしょうか?
はい。わかりました。これ以上は僕も、無意味であろうと思います。
>信念否定論
「信念がいくつもある」というところには気がつきませんでした。
確かにその通りですね。納得しました。
ところで、
信念とは願望の強力なものにすぎず、何ら客観的な根拠を持つものではない。
とありましたが、客観的根拠を持ったものは信念とは呼ばないのでしょうか?ヤンの「信念」はまさしく「信念」であろうと、納得していますが、ちょっと疑問に思ったので。
総合的な戦略を考えた場合、おっしゃるとおりただ待つだけでは駄目です。
勝つためには軍事的だけでなく、政治的な状況も考慮せねばなりません。
あそこでヤンの何が問題だったかといえば、あまりにラインハルトのみを見ていたことです。
確かに「帝国政府と帝国軍」と考えれば、対応策はいくらでもあった。
しかし、ヤンはあくまでラインハルトに拘った。実はラインハルトがヤンに拘り続けていたのと同様に、ヤンもまたラインハルトに拘り続けていた。
そのため、一種「武将の一騎打ち」のごとき状況となった。その状況下における判断としては「一応」ヤンの理屈は通っていると思います。
ただ、一歩引いて冷静に考えると(冒険風ライダーさんのように)、実はもっと良い手がたくさんあった。それをヤンが実行していれば、様々な可能性が開けたのでしょうが。
しかし果たしてラインハルトが遠征反対の進言を容れるでしょうか?
いくらローエングラム朝が開明的な体制といっても、所詮は皇帝の意思が何者にも優る専制国家です。ラインハルトがあくまで戦いたいと言い張れば、それを止める手はありません(臣下がクーデターでも起こさない限り)。
ラインハルトは戦略家や政治家である前にまず「戦士」なのだと、たしかメックリンガーか誰かが評していたはずです。
戦士が戦いを忌避することなどあり得ません。ましてやライバルは自分に挑戦状を叩き付けているのですから。
そこまでヤンが読んでいたとしたら凄いんですけどね・・・。
>どうせエル・ファシル独立政府はヤンの個人的名声と手腕によってのみ成り立っていたのですし、誰からもそのように見られていたのですから、ヤンはただひたすら「民主主義擁護のための形式」のみを重要視して「実質的な権限」を「影で」振るっておけば良かったのです。実際問題としても、それ以外にヤンの陣営が勝利する方法はなかったでしょうに。
ヤンに言わせれば、それこそ民主主義の形骸化であり、ルドルフと同じ道を辿ることだとして否定するのではないでしょうか。
ヤンは建前を本気で信じ込む人です。ですから、表向きは取り繕って裏で・・・なんてのは絶対にしないでしょうね。
しかしこうしてみると、ヤンは絶対に歴史の表舞台に立てる人ではありませんね(笑)。
「マンシュタイン計画」のフォン・マンシュタイン元帥でさえ、様々な手を尽くして自身のプランを上申したというのにねえ(実は今「失われた勝利~マンシュタイン回想録」を読んでいる)。
優れた軍事家というのは、少なからず政治力も持っています。政治力のない者は、いかに優れていようともただの戦闘屋レベルの処遇を受けるだけです(意に沿わぬ役を押し付けられたりしてね)。
ヤン・ウェンリーという人物は、作中でも言われていましたがまさに、アーレ・ハイネセンのような巨大な政治力・カリスマを持った人の下で、参謀として働いてこそ真に活躍できた人なのでしょう。
「ラインハルト対ヤン」という構図は、実はヤンにとっては分不相応な役柄だったのかもしれません。
>yossさん
<ようするに、「ヤンは戦争も謀略も否定しているが、戦争はしているのに対し、謀略はほとんど一切用いていない」というのが、銀英伝中における史実(?)です。確かに、そこから「故に、ヤンは戦争以上に謀略を否定している」という推測を導き出すのはごく自然ですが、どんなにその確率が高いにせよ、結局、推測は推測でしかないと、私は思います。
その上、その推測が、ヤンの思想と行動の関係における矛盾として出てくる以上、ヤンの「戦争以上に謀略を否定している」という前提を見直してみてはどうか、と、私は言いたいだけです。
それとも、銀英伝の本文中に、ヤンが戦争以上に謀略を否定していると考えている、もしくは述べている部分があって、それを私が知らないだけなのでしょうか。もし、そうだとしたら、こんなこと書いてるのは恥ずかしいので、是非教えて欲しいと思います。(どうも、4巻の例の部分はちょっと違うように思うので)>
違いません。4巻のあの言動と、銀英伝全編におけるヤンの行動自体が「戦争以上に謀略を否定している」ことを充分に証明しているではありませんか。
あの部分でヤンはこのように評価されているのですよ。
「彼は謀略が成功すること自体に、意義を見出していなかったのである」
と。
それに対して、ヤンは戦争に対していくら嫌悪していても、すくなくとも「成功(勝利)する事自体には、意義を見出している」のです。「民主主義擁護のために帝国と戦争する」という姿勢がそれを証明しているではないですか。もし謀略を戦争と同程度にしか否定していないのであれば、ヤンには謀略の才能がある上に謀略をめぐらす余地は充分にあったのですから、帝国との戦略的格差を埋めるためにも、積極的に謀略を展開しておかなければならなかったはずです。しかし現実には全くそうなっていないし、それどころか、ヤンは最初から謀略という選択肢を放棄しているようにしか見えないからこそ「ヤンは戦争以上に謀略を否定している」と考えるのですけどね。
それでも納得ができないのであれば、これはどうですか?↓
銀英伝7巻 P194上段
<「陰謀やテロリズムでは、結局のところ歴史の流れを逆行させることはできない。だが、停滞させることはできる。地球教にせよ、アドリアン・ルビンスキーにせよ、そんなことをさせるわけにはいかない」>
これってテロだけでなく、充分に陰謀(謀略)まで全否定していると思いますけど。
これでも納得できないのであれば、「ヤンが謀略を戦争と同レベルにしか否定していないし、政治目的のために戦争と同じように謀略を展開している」という根拠を、そちら側こそ提示してください。一方的に「根拠、根拠」と言っているだけでは話が前に進みませんので。
<これは「多くの犠牲を出してでも民主主義の素を残しておいたほうが、今、犠牲を出さないで、専制者の圧政によるより多くの後世の犠牲を招くよりも『まし』だと考えたから」ではないでしょうか。
もちろん、勝算が少ないことや、失敗すれば、現在においても、未来の圧政者の下においても犠牲が出ることは、ヤンは承知していたと思います。それでも、ヤンが戦うことを選んだというのは、犠牲が出るということと、成功の可能性がごく少ないという事実をかすめさせるくらい、専制者の圧政を忌避、否定すべきだとヤンが考えていたからではないかと、私は考えます。(なぜ、そこまで暴君の出現を恐れたのかは分かりません。ひょっとして信念?)>
ここまで書いていて気づかなかったのですか? まさにこれこそが「ヤンが否定しているはずの信念そのものである」という事に。
ヤンの「信念否定論」からすれば、この当時のヤンの「民主主義擁護」という姿勢は「願望の強力なものでしかなく、何ら客観的な根拠をもつものではない」し、ヤンが帝国に降伏・臣従を申し出れば平和と統一が達成されたにもかかわらず、あまりにも強い「信念」のために「視野はせまくなり、正確な判断や洞察が不可能に」なっているがために、ヤンは勝算ゼロの戦いに身を投じて戦争を長引かせ、多くの罪もない人々を死に追いやった、という事になります。
第一、ヤンの考えている未来通りにことが進むとは限りません。将来ローエングラム王朝が、イギリスや日本のように戦争や革命なしで民主主義に移行するということもありえますし、逆に永遠に民主主義が成立しないということもありえるかもしれません。仮に遠い未来に民主主義運動が盛んになっても、その時に肝心の民主共和政府が機能不全に陥っていたり、すでに消滅していたりしたらどうするのです? 却って民主主義運動を盛り下げてしまうことになるかもしれませんよ。
それに比べて、目の前の「平和と統一」はほぼ確実なものです。ヤンが帝国に降伏・臣従を申し出れば、すぐにでも「平和と統一」は訪れたことでしょう。それを蹴ってまで「民主主義擁護」の戦いに走ったヤンは、その場で「信念否定論」について考え直すべきだったのです。結局これは、ヤンが「現在の平和と統一」などよりもはるかに大事なものがあると考え、それに基づいて行動したということを、他ならぬヤン自身が認めたという事なのですから。
だから、
<ちなみに、ヤンが自分のこの考え方に対して絶対の自信を持っていたという形跡も、もちろん見られません。(銀英伝7巻P196下段~197上段)>
この際「ヤンが自分のこの考え方に対して絶対の自信を持っていた」かどうかなど全く問題ではないのです。絶対の自信があろうがなかろうが、ヤンが自分自身の「信念」に基づいて戦ったことは間違いないのですから。私には、「信念否定論」を展開しているはずの自分自身が「信念」に基づいて戦っているという事実をヤンが直視できなかったために、ヤンは自分の考えに「絶対の自信」が持てなかったとしか思えないのですが。
<あと、無益とは言っても、バーミリオンでも「大親征」でも、類まれなる幸運に恵まれたとはいえ、目的達成の一歩手前までいってる以上、勝算ゼロとまで言うのはどうかと思いますが。政治は結果がすべてなんでしょうから。(んっ、結果がすべてなら失敗か(笑))>
ここで私は「戦略予想」について言及しているのであって、「政治的結果」については一言も言及しておりません。あの時点での「戦略予想」ではヤンの側が政治的目的の面から言っても軍事的に見ても圧倒的に不利なのですから、結果から逆算して「勝てる」などと考えるのは間違っていますよ。
もっとも、もしあの時にヤンが「皇帝不予による偶然の勝利」を全て予見した上で「これは勝てる」と考えたのであれば、私の考えは間違っているのでしょうけど。
>ふみさとけいたさん
<信念とは願望の強力なものにすぎず、何ら客観的な根拠を持つものではない。
とありましたが、客観的根拠を持ったものは信念とは呼ばないのでしょうか?ヤンの「信念」はまさしく「信念」であろうと、納得していますが、ちょっと疑問に思ったので。>
これはそもそもヤンの「信念」についての考え方それ自体が間違っているのですよ。
ラインハルトを見れば分かるでしょう。彼が「ゴールデンバウム王朝の打倒」をかかげたのは10歳の頃でしたが、この時点における彼の「信念」はそれこそ「願望の強力なものにすぎず、何ら客観的な根拠を持つものではな」く、極端な事を言えば「10歳の少年の誇大妄想」であるにすぎなったのです。
しかしラインハルトは、この「信念」によってその後の行動方針・最終目標を定め、それに向かってひたすら進む事で「ゴールデンバウム王朝を打倒できる客観的根拠」を手に入れ、自らの「信念」を成就させたのです。
また、ヤンやイゼルローン勢力の御歴々だって、帝国に比べれば圧倒的に弱小であるにもかかわらず「民主主義擁護」という「信念」をかかげ、それに基づいてを必死になって戦ったからこそ、類まれな幸運による結果であるとはいえ「バーラト自治州」に民主主義が認められるに至ったのです。
このように「信念」とはそもそも「客観的根拠に基づかない考え」などではなく、行動方針・最終目標を定めた上で、むしろ後から「客観的根拠」や「結果」をつけるものなのです。もちろんその「結果」がズタズタなものであれば、「信念の内容」に対する批判もアリだと思いますけど(例えばルドルフやヒトラーなど)、だからといって「信念」を持つ事それ自体は否定の対象にはならないと思うのですけどね~。
>Merkatzさん
<あそこでヤンの何が問題だったかといえば、あまりにラインハルトのみを見ていたことです。
確かに「帝国政府と帝国軍」と考えれば、対応策はいくらでもあった。
しかし、ヤンはあくまでラインハルトに拘った。実はラインハルトがヤンに拘り続けていたのと同様に、ヤンもまたラインハルトに拘り続けていた。>
これが非常に不思議なところでして、ヤンは帝国軍の行動方針を読む時に、ラインハルトが他者の意見を受けいれる可能性を全く考慮していないんですね。純軍事的に考えれば、ラインハルトのが考えるであろう行動よりもはるかに有益な戦略がたくさんあるのですから、それを主張する部下の進言が受け入れられて実行される可能性を考えてもよいはずなのですが。
まあ結果的にヤンの予想は当たっていましたけど、万が一外れたらどうするつもりだったんでしょうね?
<しかし果たしてラインハルトが遠征反対の進言を容れるでしょうか?
いくらローエングラム朝が開明的な体制といっても、所詮は皇帝の意思が何者にも優る専制国家です。ラインハルトがあくまで戦いたいと言い張れば、それを止める手はありません(臣下がクーデターでも起こさない限り)。
ラインハルトは戦略家や政治家である前にまず「戦士」なのだと、たしかメックリンガーか誰かが評していたはずです。
戦士が戦いを忌避することなどあり得ません。ましてやライバルは自分に挑戦状を叩き付けているのですから。
そこまでヤンが読んでいたとしたら凄いんですけどね・・・。>
本当はラインハルトも、イゼルローン遠征が自らの「軍事的ロマン主義」の欲求を満たす以外に何の利益も無い事は分かっているのです。だからもう少し反対勢力の力が強ければ何とかなったと思うのですけど、現実には、反対勢力はささやかなものでしたし、あまりラインハルトに反対の意思を強く主張しませんでしたからね~。ヤンはこのあたりの事情も政治的に利用すべきだったと思うのですが。
それにしても、ヤンのこだわりに関するラインハルトの主張の支離滅裂な事。「もしヤン・ウェンリーに敗北することがなければ、予は不老不死でいられるのだろうか」だの「予はヤン・ウェンリーと自ら決着をつけたいのだ」だのと言った、彼が蔑視していたであろう門閥貴族並の低レベルな主張を平気で展開するありさまですからね。理論的に反論して諭す余地はいくらでもあったと思うのですが。
<ヤンに言わせれば、それこそ民主主義の形骸化であり、ルドルフと同じ道を辿ることだとして否定するのではないでしょうか。
ヤンは建前を本気で信じ込む人です。ですから、表向きは取り繕って裏で・・・なんてのは絶対にしないでしょうね。>
確かにそうですね。そして、だからこそヤンは政治家としては失格なのですよ。いくら「建前」を本気で信じて実行したところで、「結果」がダメであれば全てが終わるという事が分からないのですからね。
ましてや「シビリアン・コントロールを厳守する」などと言っておきながら、バーミリオン会戦の後にメルカッツ提督を逃がすのに至っては、その「建前」すら守っていないのですからね。全く、あの時の降伏の意味は一体何だったというのでしょうか。
冒険風ライダーさんは書きました
> >ふみさとけいたさん
> <信念とは願望の強力なものにすぎず、何ら客観的な根拠を持つものではない。
> とありましたが、客観的根拠を持ったものは信念とは呼ばないのでしょうか?ヤンの「信念」はまさしく「信念」であろうと、納得していますが、ちょっと疑問に思ったので。>
>
> これはそもそもヤンの「信念」についての考え方それ自体が間違っているのですよ。
> ラインハルトを見れば分かるでしょう。彼が「ゴールデンバウム王朝の打倒」をかかげたのは10歳の頃でしたが、この時点における彼の「信念」はそれこそ「願望の強力なものにすぎず、何ら客観的な根拠を持つものではな」く、極端な事を言えば「10歳の少年の誇大妄想」であるにすぎなったのです。
> しかしラインハルトは、この「信念」によってその後の行動方針・最終目標を定め、それに向かってひたすら進む事で「ゴールデンバウム王朝を打倒できる客観的根拠」を手に入れ、自らの「信念」を成就させたのです。
> また、ヤンやイゼルローン勢力の御歴々だって、帝国に比べれば圧倒的に弱小であるにもかかわらず「民主主義擁護」という「信念」をかかげ、それに基づいてを必死になって戦ったからこそ、類まれな幸運による結果であるとはいえ「バーラト自治州」に民主主義が認められるに至ったのです。
> このように「信念」とはそもそも「客観的根拠に基づかない考え」などではなく、行動方針・最終目標を定めた上で、むしろ後から「客観的根拠」や「結果」をつけるものなのです。もちろんその「結果」がズタズタなものであれば、「信念の内容」に対する批判もアリだと思いますけど(例えばルドルフやヒトラーなど)、だからといって「信念」を持つ事それ自体は否定の対象にはならないと思うのですけどね~。
なるほど。それはわかりました。では(質問ばかりですいません)「客観的根拠」から行動方針を定めた場合、それはなんと呼ばれるのでしょうか?たとえば、ヤンは民主主義制が専制君主制に勝っている点として、「責任の所在が民衆それ自体にある」というようなことを言っています。
この主張が実際正しいかどうかはおくとして、仮に正しかった場合、「民主主義擁護」は信念と呼べるのでしょうか
<では(質問ばかりですいません)「客観的根拠」から行動方針を定めた場合、それはなんと呼ばれるのでしょうか?たとえば、ヤンは民主主義制が専制君主制に勝っている点として、「責任の所在が民衆それ自体にある」というようなことを言っています。
この主張が実際正しいかどうかはおくとして、仮に正しかった場合、「民主主義擁護」は信念と呼べるのでしょうか>
その「客観的な正しさ」なるものを誰が定義するのかという問題がありますが、そんなものとは関係なしに、ヤンの「民主主義擁護」は充分に「信念」であると断定できます。
そもそも「信念」というのは、「自分の考え方が、すくなくとも別の考え方よりは正しいものである」と信じた上で行動方針や最終目的を立てるものですからね。その「自分の考え方」の根拠が「客観的に正しいか否か」は全く関係ありません。ラインハルトとルドルフを比べて見れば分かるように、「信念」も政治と同じようにあくまでも結果のみで評価されるのです。
第一、ヤンが本当に自分の行動に「客観的根拠」を求めたかったのならば、さっさとラインハルトに降伏して戦争を終わらせる事の方がよほど「客観的根拠に基づいた正しい行動であった」と思いますね。戦争犠牲者が完全に消滅するのが「統計的な数字となって」表れてくるのですから、政治的にも統計的にも、またヤンの戦争否定思想から言っても、これこそが「客観的に正しい」のです。
「客観的根拠」もまた「信念」と同じように多数あるものでして、どれが「絶対的に正しい」のかは結局、その陣営のイデオロギーなり「信念」なりで決められるものなのです。この観点から見ても「信念」を論じる時に「客観的根拠」など全く問題ではないと考えて良いでしょうね。
これで納得いきましたか?
冒険風ライダーさんは書きました
>
> その「客観的な正しさ」なるものを誰が定義するのかという問題がありますが、そんなものとは関係なしに、ヤンの「民主主義擁護」は充分に「信念」であると断定できます。
> そもそも「信念」というのは、「自分の考え方が、すくなくとも別の考え方よりは正しいものである」と信じた上で行動方針や最終目的を立てるものですからね。その「自分の考え方」の根拠が「客観的に正しいか否か」は全く関係ありません。ラインハルトとルドルフを比べて見れば分かるように、「信念」も政治と同じようにあくまでも結果のみで評価されるのです。
> 第一、ヤンが本当に自分の行動に「客観的根拠」を求めたかったのならば、さっさとラインハルトに降伏して戦争を終わらせる事の方がよほど「客観的根拠に基づいた正しい行動であった」と思いますね。戦争犠牲者が完全に消滅するのが「統計的な数字となって」表れてくるのですから、政治的にも統計的にも、またヤンの戦争否定思想から言っても、これこそが「客観的に正しい」のです。
> 「客観的根拠」もまた「信念」と同じように多数あるものでして、どれが「絶対的に正しい」のかは結局、その陣営のイデオロギーなり「信念」なりで決められるものなのです。この観点から見ても「信念」を論じる時に「客観的根拠」など全く問題ではないと考えて良いでしょうね。
> これで納得いきましたか?
はい。やっと納得できました。いろいろお手数をかけさせてしまってすいませんでした。