個人的に首をかしげたのはこの記述ですね↓
<「まだ温かいコーヒー」などというのは、当時のマスコミが話をおもしろおかしくするためにでっちあげた話にすぎなかったのである。>
新・トンデモ超常現象56の真相(太田出版・2001年)P359~360(文章は皆神龍太郎氏)
<メアリー・セレスト号事件に関しては、当時海事裁判が開かれて発見者らによる証言が行なわれている。こういった古い裁判資料や、保険会社に残されている原資料などを丹念に調べて書かれた『The Story of “The Mary Celeste”』という本がある。この事件に関する根本的な資料のはずなのだが、メアリー・セレスト号事件に関する記事では、めったに引用されない。というのもまともに引用すると、謎でも何でもなくなってしまうからだ。
たとえば同著には、一番最初にメアリー・セレスト号に調べに入ったオリバー・デヴォーという船員が法廷で述べた証言が収録されている。そこで彼は、「船室のテーブルの上には食べ物などなかった」とはっきり述べているのである。それにメアリー・セレスト号には航海日誌が残されており、その記述は11月24日で終わっていた。これは発見される11日前にあたっている。まさか、11日間も飲みかけのコーヒーが冷めないままテーブルに置かれていたわけがない。つまり、「温かい飲みかけのコーヒーカップ」とか、皿に盛られていた「半分に切られた卵」、「火の入ったストーブ」といった「いい話」の類は、いずれも話を面白くするために、後世にでっち上げられた作り話にすぎなかったのである。>
これを見る限りでは、「後世にでっち上げられた作り話」とは書かれていますが、「当時のマスコミが話をおもしろおかしくするためにでっちあげた話」とは上記の引用部分以外にも記述されていません。なお、下の二つのHPのコンテンツでもメアリー・セレスト号事件の詳細が説明されていますが、
http://roanoke.hp.infoseek.co.jp/vanishing%20file/Mary_Celeste.htm
http://www.nazotoki.com/bermuda_triangle.html
<メアリー・セレスト号事件を一際印象深くしている、作りかけの朝食、救命ボートといったものは、後の物語作家達がこしらえた舞台装置に過ぎない>
<さらに、この事件を扱ったオカルト本では、「まだ温かさが残る飲みかけのコーヒーや、パンやバター、皿の上にはベーコンとオートミール、ゆで卵が、今にも食べようとしていたかのように盛られていた」と書かれることが多いが、実際にはこのような事実はなかった。
つまりこの有名なシーンは、オカルト作家たちによる作り話なのである>
と、作家たちによる作り話とは書かれていますが、「当時のマスコミ」については触れられてはいません。マスコミ云々の出典は何なのでしょうか?(日本では「マスコミ」というと普通は新聞、テレビ等のメディアの事を指すと思うのですが、あるいは田中氏は異なる見解を持っているのでしょうか)
<「オカルト・超常現象否定集団」などと一般的に評価されている「と学会」>
一応補足しておきますと,皆神氏や山本弘氏などは「自分たちは超常現象の否定論者ではない」と各所で主張しています。まあ、と学会は解明済な事件を多く取り上げていますので、「オカルト・超常現象否定集団」と思われても仕方のない面もあるかもしれません。
トンデモ超常現象99の真相(洋泉社・1997年)P2(文章は山本弘氏)
<本来、と学会の設立目的は、オカルト批判などではない。むしろ、そうした話を笑って楽しむのが趣旨だったし、何度もそう説明してきた。ところが世間には読解力のない人が多いのか、「と学会はオカルトを否定する団体だ」という誤解が広まっているらしい。>
新・トンデモ超常現象56の真相P3(文章は皆神龍太郎氏)
<本書の内容のほとんどが、最終的に「超常現象のウソ」の指摘になっているからといって、筆者たちを、超常現象嫌いの否定論者などと思わないでほしい。嫌いだったら、元々こんなに労力をかけて、真実を調べたりはしない。超常現象を誰よりも興味深く思っているからこそ、その真実が知りたいのである。>
<作家たちによる作り話とは書かれていますが、「当時のマスコミ」については触れられてはいません。マスコミ云々の出典は何なのでしょうか?(日本では「マスコミ」というと普通は新聞、テレビ等のメディアの事を指すと思うのですが、あるいは田中氏は異なる見解を持っているのでしょうか)>
田中芳樹的には、ゴシップ系の週刊誌や月刊誌なども「マスコミ」に含まれているのではないですかね? メアリー・セレスト号事件が有名になるきっかけとなったアーサー・コナン・ドイルの小説が発表された媒体は「コーンヒル・マガジン」という雑誌ですし、創竜伝や薬師寺シリーズの社会評論でも、週刊誌の記事内容を揶揄しているものが結構あったりしますし。
<一応補足しておきますと,皆神氏や山本弘氏などは「自分たちは超常現象の否定論者ではない」と各所で主張しています。まあ、と学会は解明済な事件を多く取り上げていますので、「オカルト・超常現象否定集団」と思われても仕方のない面もあるかもしれません。>
現実問題として「と学会」の活動で一番有名かつ目立っているのは「オカルト・超常現象否定論の展開」なわけですから、本人達がどう言おうが、そういう評価が一般に定着するのは当然のことでしょう。まあ「と学会」の実態は、その一般的な評価よりもはるかに悲惨な惨状を呈している始末なのですが(苦笑)。
オカルトや超常現象を取り扱う薬師寺シリーズで、そんな団体の著書の、それもオカルト・超常現象否定の記事を作中で肯定的に取り上げることが、作品にどれだけの悪影響を与えるか、ということが何故田中芳樹には理解できないのでしょうかね~。山本弘と対談したことすらある田中芳樹が「と学会」の一般的な評価を知らないということはありえないのですが。
<田中芳樹的には、ゴシップ系の週刊誌や月刊誌なども「マスコミ」に含まれているのではないですかね? メアリー・セレスト号事件が有名になるきっかけとなったアーサー・コナン・ドイルの小説が発表された媒体は「コーンヒル・マガジン」という雑誌ですし、創竜伝や薬師寺シリーズの社会評論でも、週刊誌の記事内容を揶揄しているものが結構あったりしますし。>
http://roanoke.hp.infoseek.co.jp/vanishing%20file/Mary_Celeste.htm
<米英両国を巻き込んだ論争が繰り広げられたものの、結局、メアリー・セレスト号の乗組員の行方は不明のまま、やがて事件は忘れ去られていった。>
http://www.nazoo.org/phenomena/mary.htm
<結局、1873年3月、海事法廷は、この事件を原因不明の海難事故とした。発見当時の船内に暖かい食事が残っていたとか、今まで乗組員がいたかのような不可解な事実もなかったため、特に一般の人に騒がるようなこともなく、失踪事件は忘れ去られていった。>
これらを見る限りでは、メアリー・セレスト号事件発生直後の「当時のマスコミ」は、この事件に関して大騒ぎをした訳ではないみたいです。文脈から見ると「当時のマスコミ」というのはメアリー・セレスト号事件が起こった時期(1872年辺り)のマスコミを指しているとしか個人的には解釈出来ないんですよね。ドイルの小説が発表されたのは1884年ですし、十年以上も後の雑誌を「当時のマスコミ」と表現するのは語弊がある様な気がします。「クレオパトラの葬送」の件の部分ではドイルの小説によるメアリー・セレスト号事件の再発掘については言及されていませんし。
<これらを見る限りでは、メアリー・セレスト号事件発生直後の「当時のマスコミ」は、この事件に関して大騒ぎをした訳ではないみたいです。文脈から見ると「当時のマスコミ」というのはメアリー・セレスト号事件が起こった時期(1872年辺り)のマスコミを指しているとしか個人的には解釈出来ないんですよね。ドイルの小説が発表されたのは1884年ですし、十年以上も後の雑誌を「当時のマスコミ」と表現するのは語弊がある様な気がします。「クレオパトラの葬送」の件の部分ではドイルの小説によるメアリー・セレスト号事件の再発掘については言及されていませんし。>
最大限好意的に考えると、田中芳樹的には「どちらも100年以上昔の話だし、読者から見れば同じようなものだろう」ということで「事件が発生した19世紀【当時のマスコミ】」とでも言いたかったのかもしれませんね。まあ普通に考えれば無茶もはなはだしい苦し過ぎる解釈ですが、そうとでも考えないと全く説明がつきませんし(苦笑)。
実際のところ、田中芳樹はメアリー・セレスト号事件について詳細に調べることなく、件の「新・トンデモ超常現象56の真相」を斜め読みしただけで例の文章を書いたのではないかと私は見ているんですよね。平松さんが指摘している「ドイルの小説に全く言及していない」もさることながら、メアリー・セレスト号の乗組員は行方不明とされているにもかかわらず、「救命ボートが消えていた」という事実だけで「不運にもボートごと大西洋に沈んでしまったのだ」などと断言したりしていますし。宇宙人や怪物云々の説は置いておくにしても、「サメに襲われた」とか「海賊に捕縛された」とかいった他の可能性は無視してかまわないのですかね~(>_<)。
薬師寺シリーズの中でオカルト・超常現象否定をすることにどんな意義があるのかということすら疑問だというのに、それにさえ手抜き文章を書いた挙句に失敗するというのでは世話はないのですけどね。どうせ件の事件を取り上げるのであれば、いっそ怪物の存在を全面的にアピールした上で、「こういう怪物が今回の事件でも関わっているのでは?」的な話にでもすれば良かったのに。
> さて、薬師寺シリーズ4巻「クレオパトラの葬送」を語る際に外すことのできない人物が、上記引用文で紹介されているホセ・モリタです。経歴、特に日本国籍云々の話を見れば一目瞭然なのですが、この人物のモデルが南米ペルー共和国の元大統領アルベルト・ケンヤ・フジモリ氏であることは明白でしょう。「日本史上最大の詐欺師」などという表現が作中で何度も登場しているところから考えても、4巻「クレオパトラの葬送」は、フジモリ氏に対する誹謗中傷を目的に作られたシロモノであると言っても過言ではないのです。
この点だけでも垣野内成美作画の漫画版は評価されていいと思います、何故って流石に「いかにも南米マフィア丸出しの悪そうなデブ」からフジモリ氏を連想する人間は少ないでしょうから。
意外と身内は大抵「この描写ヤバくない?」と思って懸命にフォローしてて、知らぬは大センセイばかりなり、なのかも知れませんね。
<この点だけでも垣野内成美作画の漫画版は評価されていいと
思います、何故って流石に「いかにも南米マフィア丸出しの
悪そうなデブ」からフジモリ氏を連想する人間は少ないでしょう
から。>
「クレオパトラの葬送」におけるホセ・モリタの容姿に関する描写って、原作にしてからが「チョビ髭の下で口もとはほころんでいるが、眼光には毒があった(4巻P45)」「口髭の下で器用に唇をくねらせた(4巻P68)」くらいしか記載がないんですよね。だからこそ垣野内成美女史が自由に設定を作ることもできたわけで、これが細部に至るまで詳細な記述があろうものならば、垣野内成美女史もそれを無視することはできなかったでしょう。
ただ、田中芳樹の作品では、敵味方問わず、容姿に関してはキャラクター紹介の際に詳細な描写をするのが普通なのですが、やはりここは自主規制でも働いたのでしょうか?
<意外と身内は大抵「この描写ヤバくない?」と思って懸命に
フォローしてて、知らぬは大センセイばかりなり、なのかも
知れませんね。>
媒体の違い、という問題もあるのではないでしょうか。田中作品に無意味にちりばめられている社会評論を、マンガ化やアニメ化の際に一体どうやって画像化・映像化するのでしょうか(苦笑)。しかもストーリーの本筋に直接絡むのであればまだしも、全く必要ないどころか有害なシロモノであるとなればなおのこと。
自分の作品(特に創竜伝と薬師寺シリーズ)がマンガ化やアニメ化される際に、自分の作品の社会評論がごっそり削除されていることに関して、田中芳樹がどう考えているのか是非とも知りたいものです(笑)。