今回は「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」(以下「薬師寺シリーズ」)を「パクリ」「社会評論」「ストーリー描写」の3つのジャンルに分けて論評したいと思います。
最初に「パクリ」ですが、「薬師寺シリーズ」は、よく言われるように「スレイヤーズ」と「GS美神 極楽大作戦」(以下「極楽大作戦」)のパクリです。
ではどのあたりがパクリなのか? それを検証してみましょう。
まずは薬師寺涼子のキャラクター設定について。
彼女は「スレイヤーズ」のリナ・インバースや「極楽大作戦」の美神令子の性格や特徴をそのまま持ってきたかのようなキャラクターで、しかも田中芳樹にしては非常に珍しく、「エリート出身」という設定が追加されています。一言で言えば「才色兼備の自己中心的なキャラクター」といったところでしょうか。創竜伝風に言えば「小早川奈津子を上品にして左傾化させたキャラクター」もしくは「竜堂続の女版」でしょうね。
実際、ストーリー中の彼女のセリフがそれを裏付けています。
「あらゆる怪事件の真相と犯人は、例外なくあたしの前にひざまずきますのよ!」(摩天楼 P13)
「あたしにさからう奴に人権などない!」(摩天楼 P35)
「思い知った? 正義はかならず勝つ。いえ、正義とはあたしが勝つことよ!」(摩天楼 P215)
次にストーリーの語り部でもあり、「薬師寺シリーズ」の事実上の主人公でもある泉田準一郎。
ことあるごとに「自分は不幸だ」と嘆きながら、ご主人様(笑)こと薬師寺涼子に対して忠勤に励むその姿は、明らかに「極楽大作戦」の横島忠夫でしょう。性格は一番最初の記述に表れているように、田中芳樹自身の美化された(笑)性格が投影されているものと思われます。でもあの設定を完全には捨ててはいないようで、横島忠夫の性格を別のキャラクターに投影しています。
薬師寺涼子のライバル、室町由紀子。
この設定を見ただけで私がとっさに思い浮かんだのは「極楽大作戦」の小笠原エミです。美神令子のライバルで、何かと対立していたキャラクターです。しかし「極楽大作戦」本編では最近では忘れ去られたキャラクターとなってしまってます(笑)。私も名前思い出すのに苦労しました(^^;;)。
室町由紀子の性格はいたってまじめなキャラクターです。このシリーズの良識派代表といったところでしょうか。
その室町由紀子の部下、岸本明。
泉田準一郎で投影されなかった横島忠夫の性格設定が、このキャラクターに投影されています。オリジナルの笑いの部分だけを凝集してさらに醜悪にしたようなキャラクターであると言えばわかりやすいでしょうか。
最後にストーリー。
最初の方のストーリーを見た時は「ああ、刑事もので犯人を追う推理系のストーリーなのか」と考えたものですが、さすが田中芳樹、やってくれますね。ストーリーの途中から何やら得体の知れぬ妖怪が登場し、それを倒すストーリーにスライドしてしまいました(-_-;;)。正直な所、これこそが「ああ、パクリか」と考える決め手になってしまった(笑)。妖怪退治は「極楽大作戦」と「スレイヤーズ」のお題目ですものね。
田中芳樹は週刊少年サンデー連載のマンガ「名探偵コナン」の愛読者であると聞いた事がありますから、そこから「極楽大作戦」の材料を取ってきたのでしょう。「スレイヤーズ」の方は確か創竜伝文庫本で神坂一と対談していたぐらいですからよく知っていたのでしょう。パクリの元はこのあたりからですね。
しかしただ「パクリ」と言うだけで「薬師寺シリーズ」があそこまで悪し様に酷評されるとは思えません。ではなぜ「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」は「パクリゆえに駄作」と言われるのか?
それは社会評論とストーリー描写に問題があるからです。
「薬師寺シリーズ」にも、「創竜伝」ほどではありませんが社会評論があります。特に第一作目である「摩天楼」に多いですね。
「創竜伝」と「薬師寺シリーズ」のそれぞれの社会評論には
1.ストーリーの必然性もないのに書かれている。
2. 著しい偏向が目立つ。
3.それによってストーリー構成が崩壊もしくは矛盾している。
といった共通点がありますが、「薬師寺シリーズ」の場合、特に3の要素が問題です。というのは、「薬師寺シリーズ」には、上の「パクリ編」で指摘しているように「スレイヤーズ」や「極楽大作戦」の要素があちこちにありますが、これと社会評論とが本来相反するものであるために、ストーリー描写やキャラクター設定がおかしくなってしまうんですね。
「スレイヤーズ」ないしは「極楽大作戦」を少しでも知っている方は単純に考えてみてください。リナ・インバースや美神令子が創竜伝に見られるような「反権力・弱者救済」的な社会評論を大声で語っている様を(笑)。もうこれだけでストーリー矛盾としては充分すぎるほどでしょう。
「薬師寺シリーズ」のヒロインこと薬師寺涼子はエリート出身という設定な上、「自己中心的な性格」というオマケつきです。このテのキャラクターはどちらかと言えば「自分こそが絶対権力」とでも言うような設定に必然的になってしまいます。リナ・インバースも美神令子もそういう設定ですよね。そういうキャラクターが「反権力・弱者救済」的なことをする時は、「あいつが気に入らない」という自己中心的な性格を発揮させて「権力対権力」という構図にするか、分かりにくいようにこっそりと人助けをするかのどちらかでないと、かなり設定がおかしくなってしまいます。すくなくとも「大声で反権力・弱者救済を唱えながら、自分たちがやっつけた『悪党』に対して『被害者の心情』をお説教する」など論外もいいところです。
ひとつ例を挙げてみましょうか。
摩天楼 P194~P195
<あるとき、涼子は何とかという文芸評論家と対談した。どんな凶悪な事件でもかならず加害者を正当化して、一部のマスコミから進歩派だの人権派だのと持ちあげられている男だ。この男は、上機嫌でこんなことをいった。
「ボクはたとえ、自分の妻や子がサリンで殺されても、犯人の人権は守りますよ、生命がけでね。それが知識人としてのつとめですから」
すると涼子は、あくびをひとつしてから応じた。
「つまりあなたは、自分の奥さんや子供さんには、サリンをまかれたりせず平和に生きる権利などない、とおっしゃるんですね。父親に見殺しにされる子供さんのご意見を、ぜひうかがいたいわ」
またあるとき、「男女同権、家庭の民主的運営」を主張する女性評論家と対談した。彼女の家では、サラリーマンである夫が、料理から洗濯、掃除、あとかたづけまで大半の家事をやってくれるという。これこそ民主的な家庭のあるべき姿だ、という評論家に涼子は答えた。
「ふうん、ダンナに経済力がないというだけの事実を、よくまあそんなに美化できますね。だいたい、家庭のありかたに一種類しかない、という考えのどこが民主的なんですか」
さらにあるとき、制服をつくりかえて髪を金髪に染め、鼻と唇にピアスをしたため卒業式に出席するのを禁じられた高校生に会ったときには、こういった。
「何でそんなに卒業式なんかに出たがるの? あんなに退屈でばかばかしくてくだらないものはないわよ。あたしなんか、高校でも大学でも卒業式になんか出なかったけど、あなた本気で校長の長たらしい挨拶とか聞きたかったわけ? バカじゃないの!」>
「薬師寺シリーズ」の社会評論の内容自体は創竜伝ほどひどいものではありませんが、「語る」という事自体に問題があると言わざるをえませんね。なまじ「スレイヤーズ」と「極楽大作戦」の世界観を中途半端にパクっているから余計にストーリーとのずれが創竜伝以上に目立っているのではないでしょうか。
キャラクター造形については、田中芳樹自身も「アップフェルラント物語」のあとがきで次のように主張しているはずなんですけどね↓
アップフェルラント物語あとがき P261~P262
<さて、こういう形の物語を書いたのは私としては初めてのことで、試行錯誤の連続でしたが、「ふうん、こうなってしまうのか」と自分自身で納得してしまったのは、フリーダ・レンバッハ嬢のキャラクター造形に関してでした。当初、私は、この少女をあんまり「いい子」にはしないようにしようと思ったのですが、結果は読者がご存じのとおりです。これはもう、「悪漢によって幽閉される」という状況を設定してしまうと、ほとんど必然的にキャラクターが固定してしまうのでした。にくたらしい女の子だったら、男の子が生命がけで救い出そうとする意欲をそいでしまい、そもそも物語自体が成立しなくなります。なるほど、テーマがキャラクターを規定するというのはこのことなのかな、と思ったものでした。>
と、このように言っておきながら、薬師寺涼子のキャラクター設定と社会評論が相互矛盾を引き起こすことが読めないとは……。
創竜伝でも言える事なのですけど、なぜ田中芳樹は小説の中に社会評論を組み込むのでしょうね。それがストーリー構成と矛盾したりする可能性を少しは考えているのでしょうか。
さて最後のストーリーですが、これは人それぞれでいろいろあるでしょうから、とりあえず私が感じた矛盾点を少し。
まず泉田準一郎の不幸ぶりが伝わってきません。彼は作中、ことあるごとに「自分はこんな上司(薬師寺涼子)の下につけられて不幸だ」などとモロに横島忠夫のパクリを口走っていますが、薬師寺涼子ってそこまで部下をいびるような人間なのでしょうか? 確かに上司に対してやたらと反抗的ではあるし、気に入らない人間に対して毒舌をたたくところなどは「矛先が自分に向いたら」という不安感があっても不思議ではありませんが、「薬師寺シリーズ」を何度読んでも薬師寺涼子が部下をいびっている光景がありません。薬師寺涼子と泉田準一郎との関係はむしろ「理想的な上司と部下」の関係であって、田中芳樹が意図したであろう「極楽大作戦」のような「女王様とその下僕」のような関係に全くなっていません。「失敗したら部下に責任をかぶせる」という事もありませんしね。
察するに、田中芳樹は泉田準一郎に感情移入しすぎて、「極楽大作戦」の横島忠夫のような「不幸ぶり」が表現できなかったのではないでしょうか。どうせパクリならば、いっそ徹底的に模倣してしまった方がより面白くなったと思うのですけどね。
次に妖怪退治の設定があまりに無理がありすぎます。「スレイヤーズ」や「極楽大作戦」の「妖怪がでて当たり前の世界観」であれば、妖怪がでても何ら不思議ではありませんが、どうも「薬師寺シリーズ」を読んでいると、現代世界に無理矢理「妖怪がでて当たり前の世界観」を入れたような感がぬぐえません。妖怪が出てくることに何の必然性もないものですから、世界観と全く矛盾しているんですね。
たとえば1巻「摩天楼」では高層ビルで怪事件が発生しますが、普通この手の事件が起こった場合、まずは「人間の仕業」と考え、次に「どのような手段でこのような事件を起こしたのか」と考えるのが自然なはずなのですが、薬師寺涼子の場合、不必要な社会評論を展開したあげく「妖怪の仕業だ!」などと論理もへったくれもない結論に到達してしまっています。それが当たるのは別に薬師寺涼子の洞察力が優れているからではなく、単なる作品設定上の御都合主義というものでしょう。「既成概念に侵されていない柔軟な思考」と言えば聞こえはいいんですけど、「刑事もの」ないしは「推理もの」と思わせておいていきなり「妖怪退治」の方にシフトするやり方には非常に無理があると思うのですが……。
そして2巻の「東京ナイトメア」のストーリーにはホントにうんざりさせられましたね。ストーリーが何かと似ているなと思ったら、創竜伝1巻の「影の支配者」というのをそのまま焼き直しているだけのシロモノでしかないではありませんか。夏の魔術シリーズの「白い迷宮」でも同じネタを使っていましたし、田中芳樹には「影の支配者」という描写以外に敵が書けないのでしょうか。しかも敵キャラ自体も「船津忠義のクローンか」と言いたくなったほどのベタベタなキャラクターでしかないし。
創竜伝と似たり寄ったりな同じネタを何回も使用されてもねえ……。
と、「薬師寺シリーズ」の矛盾点をいくつか長々と指摘してみましたが、この作品が駄作である事を証明するには、次の文章を引用してみればよいだけだったりします。
摩天楼あとがき P221
<中国歴史関係の仕事が増えました。漢字だらけの資料に埋もれて毎日をすごしていると、ストレスがたまって、まったく別方面の作品を書いてみたくなります。ちょうど講談社文庫の新企画を依頼されましたので、ストレス解消のためにこんな作品を書いてみました。もっとも、仕事として一作書けば一作分の苦労がともなうもので、やはりいつものように原稿が遅れてしまいました。担当編集者のYさんには、警察関係の取材をしていただいただけでなく、私の分までストレスを負担していただき、申しわけなく思っております。またイラストの垣野内成美さんには、ご多忙の中、華麗な絵で拙文を飾っていただき、大変感謝しております。今回の仕事が終わって、ストレスがなかったのは、たぶん本編のヒロインだけでしょう。彼女はいずれ巷談社、ではなかった、講談社の雑誌「メフィスト」にも乱入する予定になっております。もちろんこの作品はまったくのフィクションですので、実在の人物および組織とはいっさい関係ありません。またタイトルは誤字や誤植ではありません――どちらも念のため。>
まあ本人も「ストレス解消のためにこんな作品を書いてみました」と言っているように、動機からして相当に不純ですし、やる気も全く感じられませんから、ストーリー設定が穴だらけになるのは当然といえば当然でしょうか(^-^)。正直、あとがきで堂々と「ストレス解消」を主張するところまで堕ちてほしくはなかったのですけどね~。
ストレス解消でもなんでもいいですけど、きちんとやる気を出して名作書いてくださいよ。田中センセイ。
私は薬師寺シリーズは読んでいないし、実は『スレイヤーズ』や『GS美神』も殆ど読んでないんですけど(^^;;)、解説読むとコレ『古畑任三郎』も入ってますよね。「泉田純一郎」という名前も明らかにパクリかパロディだし。思うに最初は推理物で始めるつもりだったのかも…。
>ストーリーの途中から何やら得体の知れぬ妖怪が登場し、それを倒すストーリーにスライドしてしまいました(-_-;;)。
宣和堂さんの
「彼の小説は戦争か妖怪が出てこないと話が進まない」
ってのは言い得て妙ですね。
>摩天楼 P194~P195
げげーっ、こんなコト言ってるんですか?
どう見ても創竜伝での主張から転向してるようにしか思えないんですケド。
一瞬横山信義作品のセリフかと思ってしまった(笑)。
オウム事件の顛末を見て創竜伝で書いたことはまずかったと思ったのかも知れないけど、何の釈明や説明も無いのは、文革やクメール・ルージュを擁護していながら、後になって突然批判を始めた某ホンカツ先生に似てる(^^;;;)。
せめて小林よしのり程度には「転向の経緯」を説明してほしい…。
<私は薬師寺シリーズは読んでいないし、実は『スレイヤーズ』や『GS美神』も殆ど読んでないんですけど(^^;;)、解説読むとコレ『古畑任三郎』も入ってますよね。「泉田純一郎」という名前も明らかにパクリかパロディだし。思うに最初は推理物で始めるつもりだったのかも…。>
おそらくそうでしょう。田中芳樹は「名探偵コナン」の愛読者であるという話を聞いたことがありますし、シャーロック・ホームズも好きだったようですから、推理物を書きたいという気持ちはあったと思います。結局書けなかったようですが。
「薬師寺シリーズ=古畑任三郎」というラインは気づきませんでした。「妖怪退治」ということですっかり「スレイヤーズ」と「極楽大作戦」の線で固まってしまっていましたが。言われてみれば確かにそちらの雰囲気もありますね。
そちらの線で考えてみると
薬師寺涼子=古畑任三郎
泉田潤一郎=今泉慎太郎
というところでしょうかね。他にもいるかもしれないですけど、「古畑任三郎」のキャラクターってあまり知らないもので(-_-;;)。「スレイヤーズ」の方も、知っていたのはリナ・インバースとガウリィぐらいでしたからね。だから「パクリ編」では「極楽大作戦」を中心に取り上げてみたんですね。ほとんど当てはまったし(^-^)。
他にも「これはここからパクッた」という意見があるならぜひ聞いてみたいのですけどね。何しろ「薬師寺シリーズ」って、これだけしか楽しみがないので(-_-;;)。
<げげーっ、こんなコト言ってるんですか?
どう見ても創竜伝での主張から転向してるようにしか思えないんですケド。
一瞬横山信義作品のセリフかと思ってしまった(笑)。
オウム事件の顛末を見て創竜伝で書いたことはまずかったと思ったのかも知れないけど、何の釈明や説明も無いのは、文革やクメール・ルージュを擁護していながら、後になって突然批判を始めた某ホンカツ先生に似てる(^^;;;)。
せめて小林よしのり程度には「転向の経緯」を説明してほしい…。>
あれの高校生をあてこすっている評論は、どうも所沢高校のアノ騒動の元凶ではないかと私は見ています(笑)。時期がちょうど一致しますし。
しかしあれは「転向」ではないと思いますよ。「犯罪者は責任を取れ」なんて言動は創竜伝3巻や5巻でも、あの論理破綻な社会評論で散々主張していますし、何よりも「摩天楼」の中に創竜伝の社会評論をそのまま持ってきたかのようなシロモノもありましたからね。
サンプルをお見せしましょう。
摩天楼 P151~P152
<埋立地全体に光点の群が押し寄せつつある。パトカーや装甲輸送車があれだけ数が多いはずがない。湾岸副都心で大事件がおこっていると知って、見物人が殺到してきたにちがいなかった。神戸で巨大地震がおこったときも、富士山麓に毒ガス工場が発見されたときも、見物人が子供づれで押し寄せたものだ。被害者の迷惑になるだろう、とか、もし毒ガスが洩れたらどうしよう、とか、そういった想像力とは無縁の人間たちが、暇を持てあましているのだからどうしようもない。まあ今回の場合、ベイシティプラザに出かけたまま帰ってこない家族の安否を気づかって車を飛ばしてきた人もいるかもしれないが‥‥。>
これなんか創竜伝の「日本人はイベント大好き民族」と全く同じシロモノですからね。田中芳樹も全く反省の色がないようで‥‥。こんな事を書けば読者の神経を逆なでするという「そういった想像力とは無縁の人間」に、こんな偉そうな説教を垂れられる覚えは全くないのですけどね。
まあさすがの田中芳樹も、あれはやはりまずいと思ったのでしょう。最近の作品では全く社会評論を語っていませんから。しかし何で社会評論を止めると、さらに物語が面白くなくなるのでしょうね。あっても全然つまらないけど。
今日発売のサンデーによると、某作家の某作品に影響を与えたらしい(笑)、「極楽大作戦」が来週で最終回を迎えるそうですね。
なかなか感無量。
はからずも今日は、「BSマンガ夜話」という番組で藤子・F・不二雄の「ドラえもん」特集をしていたのですが、センス・オブ・ワンダーをきちんとした起承転結の中に溶かし込むことができるという点で、一見無関係のようでいて実は正統なる後継者・・・ホスロー征服王とアルスラーン解放王のような関係に両者はあると思う(うわあ強引なつなげ方(笑))。
ただ、セルフパロディによる批評や、あまりにきちんとまとまりすぎるために逆に熱狂的なファンがいないという気がするが・・。
えーとね、だから「魔○楼」がパクリしたのは田中氏が悪いというわけではなく、この作品がそれに値するほど面白く、またクオリティが高いからだ、と考えてほしいのです。
かなり長期連載なので、買えとは言わないからマンガ喫茶ででも覗いてくださいな。
<今日発売のサンデーによると、某作家の某作品に影響を与えたらしい(笑)、「極楽大作戦」が来週で最終回を迎えるそうですね。
なかなか感無量。>
これは今始めて知りました。何しろうちの地元では「週刊少年サンデー」の発売日は木曜日ですから(-_-;;)。地方の情報遅れは悲しいものです(T_T)。1日の差は大きすぎる……。
あの本は従弟が全単行本を持っていましたから結構面白く読んでいましたし、サンデー連載のマンガの中でもかなり高い評価でしたからね~。私も感無量だわ。
<ただ、セルフパロディによる批評や、あまりにきちんとまとまりすぎるために逆に熱狂的なファンがいないという気がするが・・。>
「薬師寺シリーズ」の検証をするためにファンサイトをYahoo!検索してみたら、ファンサイトが1つしかなかった……(-_-;;)。ここまで少ないのも珍しいですね。
<えーとね、だから「魔○楼」がパクリしたのは田中氏が悪いというわけではなく、この作品がそれに値するほど面白く、またクオリティが高いからだ、と考えてほしいのです。>
その通りですね。私も「ただパクリだから面白くない」という考えには反対です。私が書いた『検証!「薬師寺シリーズ」』の批判の眼目は「社会評論編」と「ストーリー描写編」の2つであって、「パクリ編」は「なぜパクリと呼ばれるのか」という検証をやってみただけのものです。実際、「パクリ編」にも↓
<しかしただ「パクリ」と言うだけで「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」があそこまで悪し様に酷評されるとは思えません。ではなぜ「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」は「パクリゆえに駄作」と言われるのか?
それは社会評論とストーリー描写に問題があるからです。>
と最後の方できちんと書いております。「薬師寺シリーズ」の問題点はパクリではなく、パクリをうまく料理できない田中芳樹のストーリー展開にあるというのが私の考え方でしたから。
そもそも私は、基本的にはパクリ作品に対してはどちらかと言えば好意的な方です。ここで私が始めて田中芳樹作品に対して投稿したテーマは「田中芳樹作品のゲームへの影響力」(過去ログNo.879)で、田中芳樹作品をパクッたゲームの紹介でしたし、MerkatzさんのHPでも「パクられるという事はそれだけ大衆受けが良いという事で、田中芳樹にとっては大変名誉なことだ」と主張していますしね。
そしてそれとは別に、「パクリ探し」って非常に面白いんですよ。元ネタがどこにあるのか、そしてどのように変わっていったかを調べていくのはとても面白いし楽しい事です。
ただし「薬師寺シリーズ」は、ストーリーがあまりにもくだらないためにこれしか楽しみがないというのが問題なのですが。
本日書店をのぞいていると光文社カッパノベルズから田中芳樹の
新作が出ていました。しかも薬師寺涼子でした。
立ち読みでぱらぱら見た感じでは今までと全く同じのようでした。
それどころか怪物が人の脳みそをすするという、すでに創竜伝で
でてきたものでした。(姿は違う)
それにしても本が出るの早いですねえ。Yahoo!株のねたが
あったのですが、これって結構最近の話ですよね?
アルスラーンの後にすぐ書いたのでしょうか?もしそうだとしたら
恐るべき生産力です。他の作品にも発揮して欲しいものです。
けど薬師寺涼子ってここまで需要のあったものなの?
> 本日書店をのぞいていると光文社カッパノベルズから田中芳樹の
> 新作が出ていました。しかも薬師寺涼子でした。
> 立ち読みでぱらぱら見た感じでは今までと全く同じのようでした。
> それどころか怪物が人の脳みそをすするという、すでに創竜伝で
> でてきたものでした。(姿は違う)
このシリーズって講談社でしたけど、どうしたのでしょうか? 徳間から移籍というのなら納得がいくのですが…
講談社から放逐(もしかして講談社「を」か??)? それとも光文社の引き抜き?
とりあえず実物をみてみなくては…
最近古本屋でこのシリーズを見つけたんで買ったんですけど…
一番良かったのは、アンケートはがきが入っていた事かな(オイ)
小早川奈津子はこのキャラクターを思いついた時点で田中芳樹の価値でしたけど(創竜伝そのもののダメさ加減をさておけば)、薬師寺涼子はこのキャラクターを主人公にしようと思った時点で敗北だと思います。
> それにしても本が出るの早いですねえ。Yahoo!株のねたが
> あったのですが、これって結構最近の話ですよね?
> アルスラーンの後にすぐ書いたのでしょうか?もしそうだとしたら
> 恐るべき生産力です。他の作品にも発揮して欲しいものです。
> けど薬師寺涼子ってここまで需要のあったものなの?
来月あたりのノベルス売り上げに注目ですね。個人的には田中芳樹のブランドでも売るのが辛い作品のように思われるのですが…
> 薬師寺涼子
別の本を買いに行ったら、ちょうど隣に並んでいたのでちょっと見てみました。
> すでに創竜伝ででてきたものでした。(姿は違う)
なんか「日本が世界を支配」などどぬかす悪役や「いったい誰が喜ぶの」という反応など、まるっきり創竜伝パターンで、おもわずいかりや長助の定型句を口にしたくなりました。
> それにしても本が出るの早いですねえ。Yahoo!株のねたがあったのですが、これって結構最近の話ですよね?
> アルスラーンの後にすぐ書いたのでしょうか?もしそうだとしたら恐るべき生産力です。他の作品にも発揮して欲しいものです。
地域振興券なんてちょっと古めのネタもあったんで同時進行だったのかも。
次は「創竜伝」みたいですよ・・・。
> けど薬師寺涼子ってここまで需要のあったものなの?
私が立ち読みしている間に二人の女性がレジに持っていきました。読者は女性の方が多いのかな。
> このシリーズって講談社でしたけど、どうしたのでしょうか? 徳間から移籍というのなら納得がいくのですが…
> 講談社から放逐(もしかして講談社「を」か??)? それとも光文社の引き抜き?
「夏の魔術」が徳間から講談社に移ったらしいので、「から」の方が正解かも。
発行元の方は光文社への「出向」と書いてあったので、基本は
これからも講談社から出るのでしょう。
ところで邪推なんですけど、もしかしたら田中芳樹は創竜伝よりも
薬師寺涼子のほうを今では気に入っているのではないでしょうか?
染血の夢や富士山の噴火やらで大好きな社会批判がやり難くなった
のに対し、薬師寺涼子の世界はまだ現実世界が舞台になっています
から。
内容のほうで追加です。アシスタントの女の子(メイド)が増えて、
GS美神度がアップしていました。
参考までに、都内某書店の週間ベストセラーです。
1:「巴里・妖都変」田中芳樹
2:「撃つ薔薇」大沢在昌
3:「長崎ぶらぶら節」なかにし礼
4:「人生の目的」五木寛之
5:「国民の歴史」西尾幹二
以下、伊藤家のナントカ、新・旭日のカントカなど。
・・・発売週に1位になるくらいは売れているようです。
2位の「撃つ薔薇」も同じくカッパ・ノベルズで、主人公もなぜか同じ「警視庁」の「涼子」さんというわけで、W涼子で売れています。って、まさかこのための「出向」だったりして。
> 発行元の方は光文社への「出向」と書いてあったので、基本は
> これからも講談社から出るのでしょう。
「出向」って、てっきりリストラの言い換えかと思ってました(^^;
> ところで邪推なんですけど、もしかしたら田中芳樹は創竜伝よりも
> 薬師寺涼子のほうを今では気に入っているのではないでしょうか?
> 染血の夢や富士山の噴火やらで大好きな社会批判がやり難くなった
> のに対し、薬師寺涼子の世界はまだ現実世界が舞台になっています
> から。
創竜伝はもう収拾がつかなくなっているので、早々に切り上げてしまいたいんじゃないかと思いますね。ちょっと見ただけですけど、薬師寺涼子のほうは嬉々として書いている感じがします。
> 1:「巴里・妖都変」田中芳樹
> 2:「撃つ薔薇」大沢在昌
> 3:「長崎ぶらぶら節」なかにし礼
> 4:「人生の目的」五木寛之
> 5:「国民の歴史」西尾幹二
> 以下、伊藤家のナントカ、新・旭日のカントカなど。
>
> ・・・発売週に1位になるくらいは売れているようです。
いや「くらい」って、充分凄いことだと思います(^^;)
本当に、どんな人が買っているんだ!? この薬師寺シリーズの続きが読みたいって人がそんなにいるって事!?
物語の好き嫌いにあれこれ言うのは野暮だとは思うが…いやはや。
それにしても、私も喜んで書いていると思います。このシリーズ。
少なくとも、私のまわりでは好評です。
何がって、泉田クンとお涼のラブラブカップルぶりが(…………)。
ま、楽しみ方はそれぞれですし。
知人たちの中では、政治についてどーだこーだ書いてあるのは、無かったかのようになってますし。
政治のアレ等。そんなこと書かれても、ほとんど誰も気にしてないんじゃないでしょうかねー。
私としては、感想はまあまあ。
あのマンネリ化を何とかすれば、の話ですがね。
くらりさんは書きました
> 少なくとも、私のまわりでは好評です。
> 何がって、泉田クンとお涼のラブラブカップルぶりが(…………)。
> ま、楽しみ方はそれぞれですし。
> 知人たちの中では、政治についてどーだこーだ書いてあるのは、無かったかのようになってますし。
> 政治のアレ等。そんなこと書かれても、ほとんど誰も気にしてないんじゃないでしょうかねー。
> 私としては、感想はまあまあ。
> あのマンネリ化を何とかすれば、の話ですがね。
そうですねぇ。私もよく書きこんでいるyahooの掲示板でも
お涼トピックがありまして、みなさんなごやかに談笑している
のですけど。
思わせぶりな二人の絡みとか
強気な女主人公の胸のすくような活躍ぶりとか
その辺が人気の原因のようです。
でもどう読んでもパクリの部分「しか」楽しまれていないようで
何だか田中氏がかわいそうに思えてきました。
パクリがどうのとか話は出ていないので
その辺でどう思っているのかは分かりませんが
ひょっとしたら読者層はこれっぽっちもたぶってないのですかね。
♯別に私もパクリだからあかんとは思わないですけど
♯設定を丸ごと頂き、形容描写さえそのまんま取る
♯のはどうかと。
もう限界どころか、それを通り越しているとも思えるのですが
アルスラーンの最新刊は再開前と比較しても
遜色はないと感じましたし。
最近ふと思ったのですが、あーなったのは
バブルで大損ぶっこいたからとかですかね。
借金に追われてるからとにかく金が欲しい。
んで売れ線狙いの安直な作品。
さらにはバブルを招いた政治家や資本家ども
(&日本人的体質)にも腹が立つ
んで小説中で憂さ晴らし。
NNGさんは書きました
> 内容のほうで追加です。アシスタントの女の子(メイド)が増えて、
> GS美神度がアップしていました。
美神のパクリだったのか。
美人でやり手だけど、わがままなヒロイン+こき使われる男とい
うパターンからしてそうじゃないかと思っていたが(なお、私は読
んでいません)。芳樹も出尽くしているね。
私は友人から「お前って、横島そっくり」と言われています。
しかし、私は堂々とセクハラはしません。また、ああいうタカビ
ー女にはもう懲りています。横島と違って、美神タイプの女と結婚
できるまで、耐えられる自信はありません。
《副題:椎名高志再論》
> > アシスタントの女の子(メイド)が増えて、
> > GS美神度がアップしていました。
> 美神のパクリだったのか。
> 美人でやり手だけど、わがままなヒロイン+こき使われる男とい
> うパターンからしてそうじゃないかと思っていたが
-----------------
前にも書きましたが、椎名高志の作品はGS美神も含め売れちゃーいるんでしょうが、どうも作品の評価があまり高くないような気もする。
しかし、サブタイトルや種々のシーンに古典映画や古典小説のパロディを使うところから察せられるように、椎名氏は古今東西の「お話」を貪欲に吸収し、自分のものにした上で骨組みのしっかりしたストーリーを作っている作家です(全盛期の田中氏と通じる)。
これも前に書いたのですが、そのストーリーの正統的面白さが、椎名氏自身が「極楽」で選択した「パロディこみのハチャメチャギャグ」という形式で覆われ、また制限されたために見えにくくなっているんですよね。
試みに、極楽大作戦から「美神のがめつさ、ヒキョーさ」と「横島のスケベ、臆病さ」という性格に起因するギャグを排除してみてください。簡単に骨太なSFサスペンスが出来ます。で、美神・横島コンビで、もう少し美神が横島にを思い遣りを見せ、横島が騎士道精神を見せたら(現実味がないなァ(笑))まあ簡単に少年少女が憬れる?ようなカップルが誕生すると。
そういう点で、他人の創作意欲を刺激するような一設定を椎名氏が生んだ、その凄さゆえに田中氏が、その前に膝を屈した、と。
そういうことで良いんじゃないすか?銀英伝やアルスラーンも色々な影響を世間に与えたようだし、「イタダキ・シルクロード」(by岡田斗司夫)は続くよ、ってことで。
【参考】
椎名インタビュー
http://www.so-net.ne.jp/SF-Online/no15_19980525/interview_Mizutama.html
岡田斗司夫『オタク学入門』から「パクリを探せ!」
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/otakugaku/No2.html
(紙版単行本では、図形化された「イタダキシルクロード」があります)
> そういう点で、他人の創作意欲を刺激するような一設定を椎名氏が生んだ、その凄さゆえに田中氏が、その前に膝を屈した、と。
>
> そういうことで良いんじゃないすか?銀英伝やアルスラーンも色々な影響を世間に与えたようだし、「イタダキ・シルクロード」(by岡田斗司夫)は続くよ、ってことで。
パクリ自体は良いと思います。
しかし、新Q太郎さんが紹介されている岡田氏のサイトにある、「確かに盗作したが、俺の方が面白い」というA・デュマの言葉が、この問題の所在を端的に表しているように思います。
ネタが明らかに判るようなパクリは、そのオリジナルのネタとの勝負になってしまうと思うのですよ。
オリジナルよりも明らかに面白ければ、「上手く料理した」と評価してもらえる。しかし、同等・もしくはそれ以下のデキの場合、「タチの悪いパクリ」と言われても仕方がないと思います。
「極楽」と「薬師寺」の場合、新Q太郎さんが指摘されているとおり、「極楽」というオリジナルは巨大ですが、それに比べ、「薬師寺」は設定もストーリーも劣悪な再生産でしかありません。
「真似」というのは、オリジナルを凌駕するパナソニック製品になって初めて評価されるのであり、劣悪なパチモノは軽蔑の対象になるのも仕方がないと思います。
それにしても、このパチモノが売り上げ一位になる状況はどのようなものかと思います。
一応、薬師寺シリーズ読んでみましたが、ひどいものですねぇ。ストーリーの展開や敵の妖怪が出てくる背景などまるで無視。
特に摩天楼はビルの支配人の伏線が全く無視されてジャンプの打ち切りマンガみたいな終わり方になっています。くだらない読み切り(中学生の文芸部だってもっとまともなものを書くのでは?)を載せる暇があったらちゃんと筋が通るストーリーに書き直せっての。
あ~、買ったのが古本で良かった…
設定で1つ。
GS美神にはオカルトGメンっていう組織がありますよね。
これに相当する組織が薬師寺涼子に存在しないのが納得できません。
あれだけ怪物が出てきているならあってしかるべきだと
思うのですが。
NNGさんは書きました
> 設定で1つ。
> GS美神にはオカルトGメンっていう組織がありますよね。
> これに相当する組織が薬師寺涼子に存在しないのが納得できません。
> あれだけ怪物が出てきているならあってしかるべきだと
> 思うのですが。
多分、田中氏は極楽大作戦ぽい作品を書いてみたかっただけなので、そのあたりは何も考えずに極楽を踏襲しているだけだと思います。
極楽は、現実世界とパラレルだけど霊や妖怪が当たり前の世界というのを自然に処理していますよね。
そういう背後の部分を考えずに表面だけ真似るとヘッタクソな同人誌みたいな涼子が出来上がるのでしょう。
まあ、それでも妖怪がオカルトを否定し馬鹿にするという、分裂症のような状況の創竜伝に比べればマシですけど。
つくづく現代伝奇ものの才能がない人ですね。
> まあ、それでも妖怪がオカルトを否定し馬鹿にするという、分裂症のような状況の創竜伝に比べればマシですけど。
もし本気で竜の化身やら仙界の住人がオカルト否定をするのなら、おそらくは人間が人間を否定した「寄生獣」の広川みたいな雰囲気が漂うような気がします。
それはそれで読んでみたい気がしますし、実はとんでもなく深いテーマではないでしょうかねぇ…
本当に余談でした。