はじめまして、そうまと申します、よろしく。
私が銀英伝を初めて読んだのは、中学生の時ですが、それ以来イゼルローン要塞攻略方法について疑問があります。
何故同盟軍は、要塞砲以上の威力を持つ砲艦を製造しなかったのでしょう?小説のなかでは、慣性の法則を無効化できるほどの技術力が連邦時代に完成しており、全長数十キロのレールガンさえ作れるのでは?(別に現地製造をしてもよい。)陸上であれ、宇宙空間であれ、要塞の攻略に最も効果のあるのは要塞砲の射程外からの砲撃だと思うのですが?
そうまさんは書きました
> はじめまして、そうまと申します、よろしく。
> 私が銀英伝を初めて読んだのは、中学生の時ですが、それ以来イゼルローン要塞攻略方法について疑問があります。
> 何故同盟軍は、要塞砲以上の威力を持つ砲艦を製造しなかったのでしょう?小説のなかでは、慣性の法則を無効化できるほどの技術力が連邦時代に完成しており、全長数十キロのレールガンさえ作れるのでは?(別に現地製造をしてもよい。)陸上であれ、宇宙空間であれ、要塞の攻略に最も効果のあるのは要塞砲の射程外からの砲撃だと思うのですが?
大口径砲を設置するのには、ベースにイゼルローンのような要塞が必要、という事ではないでしょうか。ガイエルブルグ要塞相手の「要塞対要塞」の戦いがありましたけど、ガイエスブルグはイゼルローンより小さく、ガイエスブルグの主砲「ガイエスハーケン」は、イゼルローンの「トールハンマー」より威力がやや小さい、という設定だった筈です。つまり、「要塞級のベースがないと、一撃で1000隻単位を消滅させられる大口径エネルギー砲の設置は出来ない」って事だと思いますわ。同盟がそういう事をしようと思ったら、イゼルローンに匹敵する可動要塞を作らなければならない訳で、それはガイエスブルグで初めて実用化されたような技術が必要だった訳ですから、思いついても技術的に不可能だった、という事ではないかと。それに、同盟の方は、そういう「要塞」を作る思想がないみたいですしね。強大さを誇るハードウェアは「アルテミスの首飾り」だけで。国内に他に要塞(ガイエスブルグ・ガルミッシュなど)を持っている帝国とは違うのでしょう。
「カール」だったか「ドーラ」をセヴァストポリ要塞に撃ち込んだドイツ軍か、旅順要塞攻略に、東京湾沿岸防御用の28センチ榴弾砲を使用した日本軍を想定してのご意見だとは思いますが、「トールハンマー」の如き常識外の巨砲は、発射機構が巨大になり過ぎで、簡単に移動できるようなものではない、という結論で多分いいと思いますけどどうでしょうか。
不沈戦艦さん、御返答ありがとうございます。
えーとレス中に可動要塞を作らなければならないとありましたが、イゼルローン要塞の射程外にあらためて作ればよい、と思うのです。
また、銀英伝の中での主要兵器は確か(手元に原作がないので記憶で書いてますが)レーザー水爆、荷電粒子砲、それとレールガンだったように思います。前の二つは威力および技術的な(大きさそのものの)面で困難をともなうが、レールガンは他2例に比べ技術的にもさほどの困難ではないのではないかと思います。レールを装備した艦船を射程外でつなげれば良いだけですし。
さらにいえば必ずしも要塞の外壁をぶち破るようなものを作らなければならないというわけでもありません。イゼルローン要塞内に艦隊が駐留しているということは、要塞単独だけでは防衛が困難ということを意味してると思います。そうとすれば、外で怪しげな作業をしているだけ(かつ帝国側の艦隊よりも勢力の大きな護衛をつけておくことで)で駐留艦隊は無謀の出撃をするか、本国からの増援を待って作業の妨害をするしかありません。同じ事はイゼルローンを奪取されたあとの帝国軍にもいえます。要するに、地球上よりもはるかに巨大建造物の建設の容易な宇宙空間では、機動性の皆無といってよい要塞には何の意味も無いのではないのではないかということなのです(まあ一時的に敵の侵攻を防ぐことは出来ますが、全体の戦力の劣っている側にはあまり意味が無い)。前回の文章ではこう書きたかったんですが拙いもんで、うまく書けませんでした、すいません。
銀雄伝はSFに補給という概念やリアルな戦略・戦術をもちこんだ、と評価する人がいます。もちろん私の軍事的知識はまったくたいしたものではないのですが、その私が見てさえ、田中芳樹氏には近代戦、もしくは民主主義における軍隊の軍事的知識はほとんどないといっていいでしょう。小説の主要キャラクターが作者の反映であるというのはよくあることですが、氏もまさにヤン・ウェンリーと同じで軍事のことが嫌いなのかもしれません。彼の銀雄伝における戦略・戦術などにおける軍事知識の多くは、近代以前、それも三国志以前の古代中国時代の知識がほとんどだと思われます(もちろん、旧日本軍の失敗や、ナポレオンのドレスデンの戦い(アスターテ会戦)などを作品中に取り入れているので、すべてではないですが)。
たとえば、敵兵力をほうっておいて首都を攻撃する、そして首都が陥落したらその国は戦争にまけるという考え方、戦略的勝利をすれば敵兵力の追撃・撃滅などはやるべきではないという考え方、敵を完全包囲するのではなく逃げ道をあけてやりながら攻めるという考え方、これはとても近代以降の軍隊が戦争でやることではありません。近代以降の軍隊が戦争でやらなければならないことはまず第一に敵兵力の完全包囲による撃滅なのです。
さて、そうまさんが思っておられる問題に話題をうつしますと、日本の戦艦大和は、万里の長城やピラミッドとならべられて、無用の長物と言われたことがありました。田中芳樹氏は旧日本軍に対する批判的な態度がそのせいかどうかはしりませんが、どうも大艦巨砲主義はまちがいだとあたまから決めつけているようなところがあります。『七都市物語』などでもこの傾向は見受けられます。
実は現在でも大艦巨砲主義は脈々と生き残っています。
たとえば戦車を見てください。戦車は新型になればなるほど大きな主砲を搭載しています(戦車の場合は接地圧という問題があっていくらでも大きくなるというわけではないですが)。戦闘機だって、F15とゼロ戦の大きさをくらべればいかに大きくなっているかがわかるでしょう。戦艦はなくなりましたが、正規空母も第二次世界大戦のものにくらべて大きくなっています。第二次世界大戦において、間違いになったのは大艦巨砲主義ではなく、航空機の発達によって戦艦がコスト対効果の悪い兵器になってしまったことなのです。大艦巨砲主義の反対は小艦多砲主義でしょう(田中芳樹氏の銀雄伝や七都市物語がこの小艦多砲主義の有効な世界です)。しかし、太平洋戦争においては、戦艦に対して航空機が圧倒的に優勢なのは現実に証明されましたが、小規模で特殊な戦場でならともかく国家の帰趨をはかるような主要な戦場で、大艦巨砲主義よりも小艦多砲主義が有効だというのは、私の知識のレベルでは聞いたことがありません。
田中芳樹氏は大和に象徴される戦艦のアンチテーゼとしての、航空機と小艦多砲主義を混同しているのではないかと思うところが多いです。
日清戦争の定遠・鎮遠が有名ですが、宇宙船などにおいても数万隻の船をつくるのならそのコストをつかって、大きな船を少数つくったほうがおそらく強くなるはずです。ジュトランド海戦でも高速な船の柔軟な運用よりは強力な装甲の方が有効であるという結果がでています。カルタゴの五段橈ガレー船もそうでしょう。しかし、百歩ゆずって、未来の宇宙では大艦巨砲は有効とはいいきれないと、ここではしましょう。実際、未来の宇宙では現在の私の発想からはうかがいしれぬようなことが起こっているかもしれませんから。
しかし、それでも銀雄伝は救われません。なぜなら、銀雄伝は軍事面であきらかな矛盾を持っているからです。その一つが、大艦巨砲主義はまちがいであり、比較的小型宇宙船多数による柔軟な運用が有効だというふうな表現をしていながら、大艦巨砲主義の権化中の権化であるイゼルローン要塞を作品中に登場させてしまったことです。
イゼルローン要塞を作者がなぜ出そうと思ったのか、私は知りません。しかし、たとえばスターウオーズを見たのかもしれません。デススターとイゼルローン要塞は形としてもその主砲の能力においても非常によく似ていると私には思えます。もしかしたらスターウオーズを見て、こういうものを出せば作品が面白くなると思って作者は小説の中にいれてしまったのかもしれません。そのへんは私には知りようのないところですが、ともかくイゼルローン要塞を小説中に登場させることによって、大艦巨砲主義よりも比較的小型の宇宙船を多数運用するほうが有効だという、銀雄伝の軍事的側面の蓋然性の一つは自己崩壊してしまったのです。
もちろん、長い年月の間、限られた相手とだけ戦っているばあい、兵器の運用や戦略・戦術面での考え方に停滞がおきることがあります(中世のヨーロッパの騎士など)。
しかし、ここまで作者が考えていたかどうかは疑問です。なによりも、ヤンやラインハルトのような天才を登場させている上に、より大きな宇宙船、より大きな大砲のほうが強いんじゃないかと思うのは、天才でなくても普通のこどもでも考えつくレベルです。
いってみれば移動できるガイエスブルク要塞はイゼルローン要塞のないところでは、おそらく無敵です。さらに言えば、ガイエスブルク要塞がイゼルローン要塞にやられても、問題点を解消し(推進装置に装甲をほどこしたり、装甲のある本体に内蔵したりすることは技術的に可能でしょう)、第二第三の(それもより巨大な)ガイエスブルク要塞をつくればいいということになります。ガイエスブルク要塞を二個も三個もつくってイゼルローン要塞に対抗するという方法もあります。莫大なコストがかかるでしょうが、国防の危機においてはそれも仕方がありません(大戦前の日本では戦艦を一隻つくるとGNPの5%を消費し、一〇年は不況が続くと言われていたそうです)。
まあ、このあたりはエンターテイメント物語のお約束というところかもしれません。
『ヤッターマン』シリーズなどに代表されるように、敵役はあれやこれやとあたらしいアイデアをもりこんで戦ってきます。そうして、実際に主人公を負かす寸前までいくのですが、ほんの些細なミスやきわめて低い確立でおこる偶然によって主人公に負けてしまいます。それなら、そのアイデアの欠点を修正したりしてもう一度おなじ方法で戦えば勝てる確立は非常に高いと思うのですが、エンターテイメント物語である以上、一度つかったアイデアを二度使うと読者が飽きてしまうというところでしょうか。
ある本の対談で田中芳樹氏が、読者からガイエスブルク要塞をイゼルローンの前ではなくハイネセンの前にワープさせればいいんだと言われたというような内容のことを述べてられていたと思います。こんなことをいわれるのもすべては小艦多砲主義という軍事的蓋然性の自己崩壊に原因があるのではないでしょうか。
そうまさんが疑問に思われることも、一つにはこの自己崩壊した矛盾に原因があるのかもしれませんね。
ながながとした拙い私見ですが、こんな考え方もあるということで、ご理解の一助になれば幸いです。
★ガイエスブルク要塞をハイネセンの前にワープさせるという意見について。
これは余談ですが、首都が陥落し政府の首脳が人質と同様の状態になっても、近代国家が(特にアメリカ型の近代民主主義国家ならより確実に)それだけで敗戦になるということはありません(例として、普仏戦争でのパリ陥落やナポレオン三世が捕虜になったこと、旧日本軍による南京陥落をあげておきましょう)。特にアメリカ型の近代民主主義国家では議会や大統領というものはあくまでも機関や職務であって、特定の建物や人を指すのではありません。人質状態になってしまい、その職務を遂行できなくなった議会や大統領は、すでに議会や大統領としての拘束権や命令権はなくなるわけで、バーミリオンでヤン・ウェンリーがとった行動はシビリアン・コントロールなどではなく、厳密にいえば、考え方の間違いもしくは偏見による戦場放棄です。民主主義をまもるために国民の血税によってまかなわれた戦力、それも勝利できると期待できる十分な戦力を国民からあずかりながら私意や偏見だけで敵前で降伏し戦力をあけわたした軍司令官は、普通の国ではまちがいなく死刑です。(現在の日本の自衛隊の場合はただの職場放棄でせいぜい懲役刑、それも執行猶予がつく可能性がありますが……))
はじめまして。
celetaroさんは書きました
>
> たとえば、敵兵力をほうっておいて首都を攻撃する、そして首都が陥落したらその国は戦争にまけるという考え方、戦略的勝利をすれば敵兵力の追撃・撃滅などはやるべきではないという考え方、敵を完全包囲するのではなく逃げ道をあけてやりながら攻めるという考え方、これはとても近代以降の軍隊が戦争でやることではありません。近代以降の軍隊が戦争でやらなければならないことはまず第一に敵兵力の完全包囲による撃滅なのです。
WW2のナチスドイツ軍の敗因の諸要素として専門家が話題とするものに、独ソ戦初期におけるキエフ大包囲戦があります。
強大な野戦軍が展開するウクライナ方面を捨て置いて、敵首都モスクワ直撃を主張する前線の指揮官に対し、ヒトラー及び軍指導部は60万に及ぶ野戦軍の撃滅とウクライナの確保を重視しました。
結果、ソ連軍主力は壊滅しましたが、ソ連側もこれによって貴重な時間を稼ぐことが出来、野戦軍の再建になんとか成功。モスクワ前面にまで迫った独軍ですが、結局撃退されることになります。
このヒトラーの判断は多くの軍事史家から批判されています。むろん逆に支持するむきもあります。
従って一概に野戦軍撃滅こそが近代軍隊の金科玉条であるとは私は思いません。第一に全盛期の独軍の電撃戦も野戦軍の撃滅というよりは戦線後方への急速な浸透による指揮系統の混乱、軍組織の崩壊にこそ主眼がおかれています。野戦軍の完全包囲撃滅を金科玉条、何よりも優先した軍隊は私の知る限りではソ連軍ぐらいです。1944年のバグラチオン作戦などが好例でしょうか?
>しかし、太平洋戦争においては、戦艦に対して航空機が圧倒的に優勢なのは現実に証明されましたが、小規模で特殊な戦場でならともかく国家の帰趨をはかるような主要な戦場で、大艦巨砲主義よりも小艦多砲主義が有効だというのは、私の知識のレベルでは聞いたことがありません。
WW2後、最大の規模の戦争だったベトナム戦争はどうでしょうか?
北ベトナム軍歩兵が装備する対戦車ロケットが米軍の戦車隊をどれだけ苦しめたか。
同様に中東戦争ではイスラエル駆逐艦がミサイル艇に撃沈され、西側海軍に多大なショックを与えました。後のフォークランド紛争でも英駆逐艦がアルゼンチン軍の放ったわずか2発のミサイル攻撃により撃沈されています。対抗して米軍はイージスシステムを開発するわけですが。
従って、こういった大艦巨砲主義と小艦多胞主義? のどちらが有効かというのはかなり無意味な話です。
なお、本来の意味での大艦巨砲主義は日本海海戦を理想とする一種の戦略論であるといえ、現在では古典以外の何者でもないでしょう。
> 日清戦争の定遠・鎮遠が有名ですが、宇宙船などにおいても数万隻の船をつくるのならそのコストをつかって、大きな船を少数つくったほうがおそらく強くなるはずです。ジュトランド海戦でも高速な船の柔軟な運用よりは強力な装甲の方が有効であるという結果がでています。
「定遠」「鎮遠」の装甲と大火力に頼んだ清の北洋水師は中口径砲の数的優位と速射性、及び機動性において優位にあった日本海軍に敗北したのでは(^-^;
ジュットランドですが、あの海戦での戦訓は『装甲が硬いだけの戦艦は鈍重で役立たず。巡洋戦艦は高速で使い手があるが余りに脆すぎる。両者の利点をかねそろえた高速戦艦が必要』というものでしょう。
実際、一番活躍したのは最初の高速戦艦といえるクィーンエリザベス級の五隻でしたし。
> しかし、それでも銀雄伝は救われません。なぜなら、銀雄伝は軍事面であきらかな矛盾を持っているからです。その一つが、大艦巨砲主義はまちがいであり、比較的小型宇宙船多数による柔軟な運用が有効だというふうな表現をしていながら、大艦巨砲主義の権化中の権化であるイゼルローン要塞を作品中に登場させてしまったことです。
> しかし、ここまで作者が考えていたかどうかは疑問です。なによりも、ヤンやラインハルトのような天才を登場させている上に、より大きな宇宙船、より大きな大砲のほうが強いんじゃないかと思うのは、天才でなくても普通のこどもでも考えつくレベルです。
銀英伝の軍事描写はスペースオペラとして十分すぎる出来だと思いますよ。それこそ真剣に言い出したら、イゼルローン回廊でもう一回ワープして敵国領に直接進入を図ればいいわけで。
>
> 『ヤッターマン』シリーズなどに代表されるように、敵役はあれやこれやとあたらしいアイデアをもりこんで戦ってきます。そうして、実際に主人公を負かす寸前までいくのですが、ほんの些細なミスやきわめて低い確立でおこる偶然によって主人公に負けてしまいます。それなら、そのアイデアの欠点を修正したりしてもう一度おなじ方法で戦えば勝てる確立は非常に高いと思うのですが、エンターテイメント物語である以上、一度つかったアイデアを二度使うと読者が飽きてしまうというところでしょうか。
これに関して弁護(笑)すると、フェザーン占領を前提にすることにより、移動要塞の必要性が少なくなったからでしょう。で、他の要塞をぶつけると言うプランはお蔵入りになったと。
正攻法での勝算が極めて高い以上、移動要塞などという新兵器に頼る必要も無いですから。
> ★ガイエスブルク要塞をハイネセンの前にワープさせるという意見について。
> これは余談ですが、首都が陥落し政府の首脳が人質と同様の状態になっても、近代国家が(特にアメリカ型の近代民主主義国家ならより確実に)それだけで敗戦になるということはありません(例として、普仏戦争でのパリ陥落やナポレオン三世が捕虜になったこと、旧日本軍による南京陥落をあげておきましょう)。
>バーミリオンでヤン・ウェンリーがとった行動はシビリアン・コントロールなどではなく、厳密にいえば、考え方の間違いもしくは偏見による戦場放棄です。民主主義をまもるために国民の血税によってまかなわれた戦力、それも勝利できると期待できる十分な戦力を国民からあずかりながら私意や偏見だけで敵前で降伏し戦力をあけわたした軍司令官は、普通の国ではまちがいなく死刑です。(現在の日本の自衛隊の場合はただの職場放棄でせいぜい懲役刑、それも執行猶予がつく可能性がありますが……))
戦場放棄なら銃殺は当然ですが、当時のヤンがそれにあたるとは思えません。(このへんは解釈の違いだとは思いますが)
WW2の日本の場合を例にしますが、天皇の詔勅はB-29による原爆の脅威によって強制されたものだから従う必要は無いといって支那派遣軍あたりが徹底抗戦を続けても良いということになります。
> > たとえば、敵兵力をほうっておいて首都を攻撃する、そして首都が陥落したらその国は戦争にまけるという考え方、戦略的勝利をすれば敵兵力の追撃・撃滅などはやるべきではないという考え方、敵を完全包囲するのではなく逃げ道をあけてやりながら攻めるという考え方、これはとても近代以降の軍隊が戦争でやることではありません。近代以降の軍隊が戦争でやらなければならないことはまず第一に敵兵力の完全包囲による撃滅なのです。
>
> WW2のナチスドイツ軍の敗因の諸要素として専門家が話題とするものに、独ソ戦初期におけるキエフ大包囲戦があります。
> 強大な野戦軍が展開するウクライナ方面を捨て置いて、敵首都モスクワ直撃を主張する前線の指揮官に対し、ヒトラー及び軍指導部は60万に及ぶ野戦軍の撃滅とウクライナの確保を重視しました。
> 結果、ソ連軍主力は壊滅しましたが、ソ連側もこれによって貴重な時間を稼ぐことが出来、野戦軍の再建になんとか成功。モスクワ前面にまで迫った独軍ですが、結局撃退されることになります。
> このヒトラーの判断は多くの軍事史家から批判されています。むろん逆に支持するむきもあります。
> 従って一概に野戦軍撃滅こそが近代軍隊の金科玉条であるとは私は思いません。第一に全盛期の独軍の電撃戦も野戦軍の撃滅というよりは戦線後方への急速な浸透による指揮系統の混乱、軍組織の崩壊にこそ主眼がおかれています。野戦軍の完全包囲撃滅を金科玉条、何よりも優先した軍隊は私の知る限りではソ連軍ぐらいです。1944年のバグラチオン作戦などが好例でしょうか?
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そうですね。これは時と場合によりけり、という事でいいのでは。この場合は、もしモスクワが陥落していれば、モスクワ周辺にあったT34生産工場が無力化(というかそっくりそのままドイツ軍のモノになりかねない)できるし、更にスターリンの政治的権威が失墜するので、ロシア人が反共になびいて、「スターリンこそ倒すべき相手だ!」とドイツに協力する者が続出しかねない、という状況を受けてもの作戦批判でしょう。史実の展開でも、「スターリン嫌い」から来る対独協力者は結構いた訳ですから。彼らの末路は悲惨でしたけど。
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> >しかし、太平洋戦争においては、戦艦に対して航空機が圧倒的に優勢なのは現実に証明されましたが、小規模で特殊な戦場でならともかく国家の帰趨をはかるような主要な戦場で、大艦巨砲主義よりも小艦多砲主義が有効だというのは、私の知識のレベルでは聞いたことがありません。
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> WW2後、最大の規模の戦争だったベトナム戦争はどうでしょうか?
> 北ベトナム軍歩兵が装備する対戦車ロケットが米軍の戦車隊をどれだけ苦しめたか。
> 同様に中東戦争ではイスラエル駆逐艦がミサイル艇に撃沈され、西側海軍に多大なショックを与えました。後のフォークランド紛争でも英駆逐艦がアルゼンチン軍の放ったわずか2発のミサイル攻撃により撃沈されています。対抗して米軍はイージスシステムを開発するわけですが。
> 従って、こういった大艦巨砲主義と小艦多胞主義? のどちらが有効かというのはかなり無意味な話です。
> なお、本来の意味での大艦巨砲主義は日本海海戦を理想とする一種の戦略論であるといえ、現在では古典以外の何者でもないでしょう。
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> > 日清戦争の定遠・鎮遠が有名ですが、宇宙船などにおいても数万隻の船をつくるのならそのコストをつかって、大きな船を少数つくったほうがおそらく強くなるはずです。ジュトランド海戦でも高速な船の柔軟な運用よりは強力な装甲の方が有効であるという結果がでています。
>
> 「定遠」「鎮遠」の装甲と大火力に頼んだ清の北洋水師は中口径砲の数的優位と速射性、及び機動性において優位にあった日本海軍に敗北したのでは(^-^;
> ジュットランドですが、あの海戦での戦訓は『装甲が硬いだけの戦艦は鈍重で役立たず。巡洋戦艦は高速で使い手があるが余りに脆すぎる。両者の利点をかねそろえた高速戦艦が必要』というものでしょう。
> 実際、一番活躍したのは最初の高速戦艦といえるクィーンエリザベス級の五隻でしたし。
>
軍事ドクトリンは、時代によってコロコロ変わります。大艦巨砲主義、航空機絶対主義、ゲリラ戦、ハイテク電子装備絶対優位、等々・・・・・時代背景を無視して、「これは絶対に正しい」とか「間違い」だとか言っても意味がないと私も思います。または戦場の条件などでも。湾岸戦争では見通しの良い砂漠だったから、圧倒的な結果になりましたけど、いかにハイテク兵器でも、ブッシュの多い熱帯の戦場では、どれくらい威力を発揮できるかどうか解りません。灌木の陰に潜んでいる対戦車ロケット砲を持った歩兵に、ハイテクの重装甲戦車がやられてしまうかも知れませんよ。側方や後方からなら。
> > しかし、それでも銀雄伝は救われません。なぜなら、銀雄伝は軍事面であきらかな矛盾を持っているからです。その一つが、大艦巨砲主義はまちがいであり、比較的小型宇宙船多数による柔軟な運用が有効だというふうな表現をしていながら、大艦巨砲主義の権化中の権化であるイゼルローン要塞を作品中に登場させてしまったことです。
> > しかし、ここまで作者が考えていたかどうかは疑問です。なによりも、ヤンやラインハルトのような天才を登場させている上に、より大きな宇宙船、より大きな大砲のほうが強いんじゃないかと思うのは、天才でなくても普通のこどもでも考えつくレベルです。
>
> 銀英伝の軍事描写はスペースオペラとして十分すぎる出来だと思いますよ。それこそ真剣に言い出したら、イゼルローン回廊でもう一回ワープして敵国領に直接進入を図ればいいわけで。
>
まあ、イゼルローンが「大艦巨砲主義」なのはそうでしょうね。でも、色々な軍事ドクトリンが論争しつつ並立する可能性はあります。帝国海軍だって、大艦巨砲主義者と航空屋と、それぞれ別にいた訳ですよね。
> >
> > 『ヤッターマン』シリーズなどに代表されるように、敵役はあれやこれやとあたらしいアイデアをもりこんで戦ってきます。そうして、実際に主人公を負かす寸前までいくのですが、ほんの些細なミスやきわめて低い確立でおこる偶然によって主人公に負けてしまいます。それなら、そのアイデアの欠点を修正したりしてもう一度おなじ方法で戦えば勝てる確立は非常に高いと思うのですが、エンターテイメント物語である以上、一度つかったアイデアを二度使うと読者が飽きてしまうというところでしょうか。
>
> これに関して弁護(笑)すると、フェザーン占領を前提にすることにより、移動要塞の必要性が少なくなったからでしょう。で、他の要塞をぶつけると言うプランはお蔵入りになったと。
> 正攻法での勝算が極めて高い以上、移動要塞などという新兵器に頼る必要も無いですから。
>
まあ、「要塞」というのは、基本的に「守り」の為のモノですから。侵攻作戦には要らんでしょう。フェザーンが新銀河帝国帝都になった後には、フェザーン回廊の旧帝国側・同盟側両方に要塞を作ろうとしてますし。
>
> > ★ガイエスブルク要塞をハイネセンの前にワープさせるという意見について。
> > これは余談ですが、首都が陥落し政府の首脳が人質と同様の状態になっても、近代国家が(特にアメリカ型の近代民主主義国家ならより確実に)それだけで敗戦になるということはありません(例として、普仏戦争でのパリ陥落やナポレオン三世が捕虜になったこと、旧日本軍による南京陥落をあげておきましょう)。
>
>
> >バーミリオンでヤン・ウェンリーがとった行動はシビリアン・コントロールなどではなく、厳密にいえば、考え方の間違いもしくは偏見による戦場放棄です。民主主義をまもるために国民の血税によってまかなわれた戦力、それも勝利できると期待できる十分な戦力を国民からあずかりながら私意や偏見だけで敵前で降伏し戦力をあけわたした軍司令官は、普通の国ではまちがいなく死刑です。(現在の日本の自衛隊の場合はただの職場放棄でせいぜい懲役刑、それも執行猶予がつく可能性がありますが……))
>
> 戦場放棄なら銃殺は当然ですが、当時のヤンがそれにあたるとは思えません。(このへんは解釈の違いだとは思いますが)
> WW2の日本の場合を例にしますが、天皇の詔勅はB-29による原爆の脅威によって強制されたものだから従う必要は無いといって支那派遣軍あたりが徹底抗戦を続けても良いということになります。
これは私も思いました。ヤンが政府の停戦命令を受け入れたのが軍法会議やら死刑に相当する、というのはいくら何でも無理なのでは。支那派遣軍だけではなく、玉音放送があっても、抗戦意欲を失っていない日本軍部隊はあった訳で。「政府の命令の方が間違っている」といって、戦い続けていい、とはならないでしょう。むしろ、そちらの方が軍法会議や死刑になりかねないのでは。まあ、銀英伝の話では、ヤンが交戦を続けてラインハルトを戦死させてしまえば、自動的に帝国軍は撤退する訳ですから、「政府首脳と首都の住民を犠牲にして、同盟を救う」というオプションはありかも知れませんけどね。「同盟を救う」を最優先させるのなら。その場合、ラインハルトを討ったヤンが、その後に立て直された同盟政府に掣肘される、ということは先ずないと思いますし。
また、首都陥落すれば戦争が終わるとは限りませんけど、それは政府首脳に逃げ場がある場合だけでしょう。南京が陥落しても、蒋介石は重慶に逃げられましたよね。あるいは、二次大戦のドイツ軍のフランス侵攻でも、フランス本国は負けてヴィシー政府が成立しても、ロンドンに逃げたド・ゴールが亡命政権を樹立していますし。結局これらは、敵の手が届かないところに逃げてしまっている訳です。普仏戦争の例は、パリ陥落とナポレオン三世自身が捕虜になることで、結局フランスの負けではないですか。「首都が陥落して政府首脳が人質同様の状態になったとしても、負けとは限らない」の事例としては不適当なのでは?
同盟の件を言うと、同盟政府が逃げる事を考えていない(というか、安全な逃げ場がない)のでは、どうしようもないのではないか?と思いますけどね。もし逃げるのなら、雲隠れしかないでしょう。行き先を極秘にして、同盟政府全員がどこかの小惑星の基地にでも隠れしてしまえば、ミッターマイヤーとロイエンタールは相当困ったとは思いますけど。
最後に、「銀雄伝」って略は、普通は使いませんよ。一般的には「銀英伝」です。何か「銀雄伝」って言葉に、拘らねばならない理由でもあるのでしょうか?
celetaroさんは書きました
>大艦巨砲主義よりも比較的小型の宇宙船を多数運用するほうが有効だ
>という、銀雄伝の軍事的側面の蓋然性の一つは自己崩壊してしまった
>のです。
それはまた別だと思います。
なぜなら「要塞」と「艦隊」の存在意義は全く別のものだからです。
イゼルローン要塞は言うなれば「絶対に敵が通らねばならない地域を防備する」ために存在しているのであり、またそれ以外の要塞の場合、具体的にいかなる戦略的意義があるのかは不明ですが、艦隊基地並びに重要星域との連絡線確保を意図しているのは間違いないでしょう。
そして要塞とは「己の周辺」という限定された地域において威力を発揮すればよいのであり、銀英伝におけるイゼルローン回廊という設定はまさしく要塞にとってうってつけの活躍場所です。
現実の世界においてイゼルローン要塞と同じとまでは言えなくとも、近い要塞としてはかってのジブラルタル要塞が挙げられると思います(他にもっと的確な例があればご指摘下さい)。
双方ともに大艦隊の母港であり、かつ要塞そのものも強大な戦力を有しています。また戦略的には二つの地域・海域(宙域)の接触する交通の要衝に位置しているという点で共通しています。
(大きな違いはジブラルタル要塞自体が直接戦闘をしたことは無い点です)
そこでジブラルタル要塞の第一の意義は当然、艦隊の整備や補給を受け持つ後方支援基地としての存在であり、駐留艦隊による地中海と大西洋の連絡線と両海域の制海権確保という攻撃的役割にあります。
そして第二として駐留艦隊が敗れたときに逃げ込む先であり、そこで周辺海域を要塞の戦力で制圧して敵艦隊を近づけさせず、イギリス本国艦隊の救援を待つ防御的な役割があります。
現実問題としてジブラルタル要塞は第一の働きしかしておらず、要塞機能そのものは特に実績はありません。
では要塞機能は無駄だったのでしょうか?
それは否です。
まず「敗れてもジブラルタルにさえ帰ればどうにかなる」という信頼感は、艦隊の志気を高めます(無論、行き過ぎると今度は積極性が無くなってやはり志気を損ないます。何事も程々が肝心です)。
またジブラルタル要塞の強力な戦力は敵に攻撃をためらわせ、戦闘を抑止する効果を生みます。つまりその存在そのものが敵の作戦を限定する効果があるのです。
要するに要塞は「面(銀英伝では空間ですが)を支配するために、点を絶対に確保する」のが本来の役目と言えるでしょう。
そして確保された「点」を拠点として「面」を支配するのが艦隊だと考えればよろしいかと思います。
言い換えれば要塞はどれ程強大であろうと、面を支配することが出来なければ存在意義はないことになります。
要するに「籠城せねばならない時点で負け」というわけです。
北村賢志さんは書きました
> 現実の世界においてイゼルローン要塞と同じとまでは言えなくとも、近い要塞としてはかってのジブラルタル要塞が挙げられると思います(他にもっと的確な例があればご指摘下さい)。
> 双方ともに大艦隊の母港であり、かつ要塞そのものも強大な戦力を有しています。また戦略的には二つの地域・海域(宙域)の接触する交通の要衝に位置しているという点で共通しています。
> (大きな違いはジブラルタル要塞自体が直接戦闘をしたことは無い点です)
山海関&その前衛の寧遠城なんてどうでしょう?
悲劇の名将・袁崇煥の指揮の下、ポルトガルから導入した新兵器・「紅夷大砲」で清の太祖・ヌルハチを爆殺・・・。
その後も女真族の侵攻を阻止し続けますが、背後の北京が李自成の反乱軍の手に陥ちた為、守将・呉三桂は関を開いて清軍を導き入れてしまいます。(敵手に落ちた愛妾を取返す為という話もあり)
とりあえず二度レスいただいた北村さんと、不沈戦艦さんへのレスです。
(とっしーさんへのレスは、長くなるのでまた今度、遅くなるかもしれませんが必ずします)
★まずは不沈戦艦さんへのレス
> > WW2の日本の場合を例にしますが、天皇の詔勅はB-29による原爆の脅威によって強制されたものだから従う必要は無いといって支那派遣軍あたりが徹底抗戦を続けても良いということになります。
>
> これは私も思いました。ヤンが政府の停戦命令を受け入れたのが軍法会議やら死刑に相当する、というのはいくら何でも無理なのでは。支那派遣軍だけではなく、玉音放送があっても、抗戦意欲を失っていない日本軍部隊はあった訳で。「政府の命令の方が間違っている」といって、戦い続けていい、とはならないでしょう。むしろ、そちらの方が軍法会議や死刑になりかねないのでは。まあ、銀英伝の話では、ヤンが交戦を続けてラインハルトを戦死させてしまえば、自動的に帝国軍は撤退する訳ですから、「政府首脳と首都の住民を犠牲にして、同盟を救う」というオプションはありかも知れませんけどね。「同盟を救う」を最優先させるのなら。その場合、ラインハルトを討ったヤンが、その後に立て直された同盟政府に掣肘される、ということは先ずないと思いますし。
たしかに、旧日本軍では天皇の詔勅に反抗して抗戦することは、制度的に見てもやはり違反でしょう。原爆の脅威は天皇や政府首脳や首都の住民だけといった全体からごく限られた人間だけでなく、大部分の国民を人質にされているようなものですしね。
自分の判断で行動するにしても軍司令官の行動は国益にそっていなければいけません。
わたしはバーミリオンのヤンの責任問題が近代国家すべてにあてはまるとは思わないです。ヤン・ウェンリーの所属する同盟がアメリカのような国家であるということを前提にしています(同盟がアメリカに似ているかどうか、というのは数年前に読んだときの印象だけで書いているので厳密にはちがうかもしれません)。
アメリカの場合、議会や大統領は機能や職務であり、特定の建物や特定の個人ではないとは先に書きました。議会や大統領が人質にとられてしまうと、アメリカではその瞬間に、その建物や個人は議会や大統領ではなくなってしまうのです。
つまりそういった人質にとられた人が命令をだすと、大統領が軍に命令を出しているのではなくて、ただの民間の一個人が命令を出しているのと同じことになるのです。つまり、軍司令官が民間の一個人の命令を聞いて行動するのはおかしいというわけです。
日本と違って、アメリカではそういった有事の時におこる可能性のある緊急事態にたいしては、まえもって細部まではっきりときめられています。政府の首脳が人質に取られたときの軍に対する命令権の序列がはっきりと決まっていたはずです。大統領が人質に取られてしまったときには副大統領が命令を出す、その次には誰々(国防長官? このへんは、はっきりと覚えていません)、その次には誰々、……というふうにです。政府と軍の首脳がみんな人質に取られてしまった場合は、軍司令官が自分の判断でアメリカの国益のために行動することになっていたと思います。
このあたりは、国防でもしものときについてのきまりがあいまいな日本とはかなり違うところです。
そういうきまりのもとで、十分勝利できるだけのみこみのある戦力をもった軍司令官が一民間人同然になってしまった人間の命令で降伏してしまったらどうなったかというのが、わたしが先の文章で頭に想定していたシチュエーションでした。
まあ、同盟軍にはこんな規定はなかったかもしれませんけどね。あったらヤンはともかくフレデリカは覚えてるでしょうし、フレデリカがはっきりといえば、ヤンの性格からしてちゃんと従ってたでしょうから。かといって、たとえ人質になっても命令に従わなくてはならないというような規定もないでしょうが……
このへんはよく考えてみると私自身もあいまいです。いろいろな解釈があると思いますが、こんな意見もあるよ、ということで。
上の記述とも関係しますが、普仏戦争を例にあげたところで、『それだけで敗戦になるということはありません』というのは誤解をまねく言いかただったかもしれませんね。『それだけではすぐに戦争は終わらない可能性があります』と言うべきでした。
普仏戦争の重要な意義はなにかというと、国家元首が捕らえられ首都が陥落してもまだ祖国のために抵抗しようとする戦闘集団が存在しうるということが、ヨーロッパ戦史上はじめてはっきりと確認されたということです。このへんは近代国家になることによってめばえてきたナショナリズムとかとも関係するんでしょう。
わたしが、この例をだしていいたかったのは、首都と国家元首が敵の手にわたっても、『まだ負けじゃないよ』ではなくて、『抵抗した人もいるんだよ』ということでした。
まあ結局、最後に負けてしまったことはまぎれもない事実なんですけどね。
> 「銀雄伝」って略は、普通は使いませんよ。一般的には「銀英伝」です。何か「銀雄伝」って言葉に、拘らねばならない理由でもあるのでしょうか?
『銀雄伝』というのは、たんに仲間うちでそう呼んでいただけです。特に他意はありませんし、こだわりもありません。方言みたいなものだと思ってください。どうやら、みなさんに異様な感じを与えているようなので、銀英伝と表記するようにしました。
★北村賢志さんへのレス
北村さんはじめまして。
著作は発売すぐに読ませていただきました。すばらしいできだと思いました。北村さんほどのかたに自分の意見を論評していただけるのは光栄です。
以下が、銀英伝中の要塞と一般艦船の関係についての私なりの考え方です。
書き込みを見ると、みなさんは要塞と一般艦船をはっきりと区別して考えておられるようです。たしかに現実に存在した要塞と一般の艦船はあきらかに違うものです。
その点において、北村さんのご指摘は、すべてごもっともだとおもいます。
ただ、銀英伝中には現実の戦史上には存在しなかった第三の前提があります。
それは、本格的な要塞が移動可能だということです。
わたし一人の考えが特殊なのかもしれませんが、わたしの解釈では銀英伝の作中での移動宇宙要塞は超巨大な宇宙戦艦と基本的におなじだというものです。
そのため、一般戦艦の大きくなったものの象徴として、わたし自身としては超巨大戦艦と解釈しているガイエスブルク要塞を出したわけです。イゼルローン要塞に対抗するためにはガイエスブルク要塞の大きさかそれ以上のものが必要でしょうが、いつでも要塞ほどの大きさのものが必要だと言っているわけではありませんでした。
人が自分と同じように考えているはずだという思いこみと、わたしの文章力の不足のために、このあたりは、移動要塞と戦艦をはっきり区別されている方との間で解釈の違いがあったようです。
戦艦と航空機はあきらかに違う兵器です。戦車と歩兵もあきらかに違う兵器です。
わたしが大艦巨砲主義をいうときに、このような違った目的もしくは環境の元で使用されることを前提とした兵器どうしの大きさや火力を比較しているのではないということをご了承ください。
しかし、銀英伝中の宇宙戦艦と移動宇宙要塞はどうでしょう。
銀英伝では艦船と要塞はあまりにも大きさが違うのではっきりと区別できます。
では、かりに艦船と要塞の間の大きさの火力と装甲をもった移動兵器があったらどうでしょう。
これは果たして小型移動要塞でしょうか? 巨大宇宙戦艦でしょうか?
私の疑問の一つは銀英伝の作中で、なぜ最大の大きさの艦船があの大きさにとどまっているのかというものです。これが前文で書いた作者の小艦多砲主義にたいする疑問です。
艦隊基地と連絡線確保の点においての(移動)要塞と、一般艦船の区別についてですが、たとえば、要塞の一つの機能として艦隊への補給能力をあげることができると思います。
しかし、これでも移動要塞と超巨大戦艦は区別できにくいと思います。
たしかに要塞は艦隊への補給能力を目的の一つとして基本から設計されているのでしょうが、大型艦船もその大きさ自体によって一種の補給基地としての機能を後天的に果たす任務を負わせられる傾向があります。
たとえば現在のアメリカの大型空母は随行する艦船の燃料を積んでいます。これはアメリカの大型空母が一面として艦隊補給基地としての性向をもっているといっていいでしょう。WW2でも長大な航海のときには航続距離の長い大型艦が随行の駆逐艦などに燃料を補給する可能性はありました。
アメリカ空母はせいぜい随行艦船の数倍から二十数倍程度です。が、超巨大戦艦ならば、大きくなるにつれて、一般艦船の完全なメンテナンスが可能になるなど、どんどん現実の艦隊基地に近づいていくでしょう。
以前にも書きましたが、銀英伝の作者は作中にイゼルローン要塞を出すことにより、大火力大装甲の兵器が一般艦船に絶大なる力を発揮するという前提を提示しました。ならば、要塞が一般艦船に絶大な強さをみせるのと同じように、比較的大きな戦艦は一般の大きさの戦艦にかなりの強さをみせるはずだと思うのです。要塞の大きさそのものを動かすのには技術的な信頼性などの問題があるかもしれません。しかし、とにかくそれだけの技術力があの時点で完成しているのであるのならば、それよりずっとずっと以前に、一般戦艦の二倍三倍あるいはそれ以上の大きさの戦艦をかなりの信頼性をもって運用できるようになっていてもいいとおもうのです。
といって、わたしはすべての艦船が大きくならなければならないというのではありません。大型艦の護衛や、地形や環境・目的によっては、小さな艦船のほうが有効な場合もあるでしょう。実際、大艦巨砲全盛の時代でも戦艦よりも小さな艦船は多数建造されました。
そういったこともありますから、小型艦が有効であるということを私は否定していません。しかし、だからといって作中のものよりも大きな艦が存在しなくてもいいとも言いがたいと思うのです。
二倍の大きさのものは遅くなるかもしれません。しかし、ご存じのように、軍艦が大きくなるのは、主に、火力・装甲・速力・航続力を増大するためであって、大きくなっても火力・装甲・搭載燃料がともにかわらないのなら、速度が増大することもあるわけです(つまり推進装置だけを大型化した)。うまく設計すれば高速戦艦のようなバランスのとれたものができるかもしれません。とにかく二倍の大きさの戦艦は、ガイエスブルク要塞よりははるかに普通の艦船の速度にちかい運動ができるのは確かです。また、二倍の大きさの戦艦がたとえ遅いとしても、コストなどの理由によって要塞のおけないような拠点に対する攻防戦、敵の艦隊の進撃を止める遅滞戦術などのときにはきわめて有効な兵器であると思います。
攻撃側に二倍の大きさの戦艦がなく、防御の側にだけ二倍の大きさの戦艦があったらどうなったでしょう。小説中では大火力大装甲が有効であるという前提がある以上、二倍の大型艦をもっていない陣営は、非常に苦しい立場に立たされると思うのです。
やがて、攻撃側も同じように二倍の大型艦、またはそれ以上のものを建造しようとするでしょう。そうなると大艦巨砲主義の到来です。小型の艦船の建造も続けられるでしょうが、両軍の間でより大きな艦を作ろうという建艦競争がはじまるはずです。そうして、戦いが続く限りは、どんどん大きくなり、戦艦から航空機へのような主力兵器の転換がおこらないかぎり、ある過渡期の一時点には戦艦は移動要塞ガイエスブルクの大きさまで到達するというわけです。
> 北村さんはじめまして。
> 著作は発売すぐに読ませていただきました。すばらしいできだと思いました。北村さんほどのかたに自分の意見を論評していただけるのは光栄です。
ありがとうございます。
celetaroさんのご指摘も決して的はずれとは思っていません。
そこで銀英伝のSF設定を見てみますと、銀英伝で出てくる戦艦は基本的に1気圧、1G下で行動できることを前提としています。
アニメでは惑星上で艦隊が行動するシーンが煩雑に出てきますし、小説でもブリュンヒルトをはじめとして戦艦が各地の惑星に直接降りることが出来ている事を見れば間違いありません。
これは銀英伝では設定上、宇宙空間に「危険宙域」が多々存在し、そう言った空間に近づいてもある程度まで安全性を確保できることもかねていると推測されます。
つまりその環境下で問題なく行動できる艦の最大規模があのサイズということなのではないでしょうか。
また別の理由を考えると、銀英伝の3巻で複数のワープエンジンを同時に動かす技術が確立するまで、船体の大型化よりも必要とされるワープエンジンの大型化の方が勝ってしまっていたとも考えられます。
即ちサイズが2倍の船体を運ぶために必要なワープエンジンは船体の大型化を越えて大きくなり、そのエンジンそのものを運ぶため更にエンジンが大型化し、その結果船体がまた大型化し・・・
という「空想科学読本」的状況を生んでいたのではないでしょうか。
celetaroさんは書きました
>
> 銀雄伝はSFに補給という概念やリアルな戦略・戦術をもちこんだ、と評価する人がいます。もちろん私の軍事的知識はまったくたいしたものではないのですが、その私が見てさえ、田中芳樹氏には近代戦、もしくは民主主義における軍隊の軍事的知識はほとんどないといっていいでしょう。小説の主要キャラクターが作者の反映であるというのはよくあることですが、氏もまさにヤン・ウェンリーと同じで軍事のことが嫌いなのかもしれません。彼の銀雄伝における戦略・戦術などにおける軍事知識の多くは、近代以前、それも三国志以前の古代中国時代の知識がほとんどだと思われます(もちろん、旧日本軍の失敗や、ナポレオンのドレスデンの戦い(アスターテ会戦)などを作品中に取り入れているので、すべてではないですが)。
> たとえば、敵兵力をほうっておいて首都を攻撃する、そして首都が陥落したらその国は戦争にまけるという考え方、戦略的勝利をすれば敵兵力の追撃・撃滅などはやるべきではないという考え方、敵を完全包囲するのではなく逃げ道をあけてやりながら攻めるという考え方、これはとても近代以降の軍隊が戦争でやることではありません。近代以降の軍隊が戦争でやらなければならないことはまず第一に敵兵力の完全包囲による撃滅なのです。
>
> さて、そうまさんが思っておられる問題に話題をうつしますと、日本の戦艦大和は、万里の長城やピラミッドとならべられて、無用の長物と言われたことがありました。田中芳樹氏は旧日本軍に対する批判的な態度がそのせいかどうかはしりませんが、どうも大艦巨砲主義はまちがいだとあたまから決めつけているようなところがあります。『七都市物語』などでもこの傾向は見受けられます。
> 実は現在でも大艦巨砲主義は脈々と生き残っています。
> たとえば戦車を見てください。戦車は新型になればなるほど大きな主砲を搭載しています(戦車の場合は接地圧という問題があっていくらでも大きくなるというわけではないですが)。戦闘機だって、F15とゼロ戦の大きさをくらべればいかに大きくなっているかがわかるでしょう。戦艦はなくなりましたが、正規空母も第二次世界大戦のものにくらべて大きくなっています。第二次世界大戦において、間違いになったのは大艦巨砲主義ではなく、航空機の発達によって戦艦がコスト対効果の悪い兵器になってしまったことなのです。大艦巨砲主義の反対は小艦多砲主義でしょう(田中芳樹氏の銀雄伝や七都市物語がこの小艦多砲主義の有効な世界です)。しかし、太平洋戦争においては、戦艦に対して航空機が圧倒的に優勢なのは現実に証明されましたが、小規模で特殊な戦場でならともかく国家の帰趨をはかるような主要な戦場で、大艦巨砲主義よりも小艦多砲主義が有効だというのは、私の知識のレベルでは聞いたことがありません。
> 田中芳樹氏は大和に象徴される戦艦のアンチテーゼとしての、航空機と小艦多砲主義を混同しているのではないかと思うところが多いです。
>
> 日清戦争の定遠・鎮遠が有名ですが、宇宙船などにおいても数万隻の船をつくるのならそのコストをつかって、大きな船を少数つくったほうがおそらく強くなるはずです。ジュトランド海戦でも高速な船の柔軟な運用よりは強力な装甲の方が有効であるという結果がでています。カルタゴの五段橈ガレー船もそうでしょう。しかし、百歩ゆずって、未来の宇宙では大艦巨砲は有効とはいいきれないと、ここではしましょう。実際、未来の宇宙では現在の私の発想からはうかがいしれぬようなことが起こっているかもしれませんから。
> しかし、それでも銀雄伝は救われません。なぜなら、銀雄伝は軍事面であきらかな矛盾を持っているからです。その一つが、大艦巨砲主義はまちがいであり、比較的小型宇宙船多数による柔軟な運用が有効だというふうな表現をしていながら、大艦巨砲主義の権化中の権化であるイゼルローン要塞を作品中に登場させてしまったことです。
>
> イゼルローン要塞を作者がなぜ出そうと思ったのか、私は知りません。しかし、たとえばスターウオーズを見たのかもしれません。デススターとイゼルローン要塞は形としてもその主砲の能力においても非常によく似ていると私には思えます。もしかしたらスターウオーズを見て、こういうものを出せば作品が面白くなると思って作者は小説の中にいれてしまったのかもしれません。そのへんは私には知りようのないところですが、ともかくイゼルローン要塞を小説中に登場させることによって、大艦巨砲主義よりも比較的小型の宇宙船を多数運用するほうが有効だという、銀雄伝の軍事的側面の蓋然性の一つは自己崩壊してしまったのです。
>
はじめまして。
celetaro氏のおっしゃる通り、「銀英伝」の軍事描写には、様々な矛盾点が見受けられます。
しかし、どうなのでしょう。田中芳樹自身、ある程度、自分に軍事知識がないことを自覚している「部分もある」と思うのですよ。それこそもしも彼がやたらめったら細かくするオタク系作家だったら、かえって「銀英伝」は売れていなかったと思うのですよ。というか、書けなかったのかも知れませんね。
軍事描写の不備についてご立腹される気持ちはよくわかりますが、問題は、そちらではないような気がするのですが。
小生の私感ですが、田中氏は「作家」として、うまく二つの顔を使いわけていますね。ひとつは「軍事戦略に詳しい作家」。もうひとつは、「軍事知識には疎い物語作家」と。これらを交互に入れ替えて、読者を困惑させる、と。
この「執筆戦略」に引っかかった読者は「信者」になり、のらなかった連中は、ここに集まった(爆笑)。
個人的な意見ですが、たとえ作者に軍事知識がなかったとしても、「銀英伝」の物語部分が救われないとは思いません。ただ作者の自己演出のために作品が翻弄され、間違えている部分まで過大評価されているのは、忌々しきことですが。
なお小艦戦略を実現したのは、
・1880年代から、第一次大戦までのフランス
・第二次大戦終結から、ゴルシコフ登場までのソ連
両海軍だけでしょう。
どちらにしても、国家を取り巻く状況が特異な状況だったために、やむなく選択した戦略だと思います。
> アメリカの場合、議会や大統領は機能や職務であり、特定の建物や特定の個人ではないとは先に書きました。議会や大統領が人質にとられてしまうと、アメリカではその瞬間に、その建物や個人は議会や大統領ではなくなってしまうのです。
>つまり、軍司令官が民間の一個人の命令を聞いて行動するのはおかしいというわけです。
> 日本と違って、アメリカではそういった有事の時におこる可能性のある緊急事態にたいしては、まえもって細部まではっきりときめられています。政府の首脳が人質に…
私は、指導者の死亡・重病・精神病・行方不明・そしてこの人質化などが発生した時どのように権力が移行するのか、そしてまたどのようにするのが、民主的理念や実際の利益などから理想とされるべきなのか、というのを個人的なテーマとして考えたり調べたりしています。
で、別に結論が出てないのですが(笑)、もともとこれらは法や制度の世界を必然的に踏み越えてしまうものと考えるべきだろうではないか、という気がします。
カール・シュミットの種々の論考は言わずもがなですが、W・サファイア(元ニクソンスピーチライター、アメリカ保守派重鎮)の架空政治小説「大統領失明す」小松左京「首都消失」井上章一「狂気と王権」などなどは参考になるのではないかと思いここに紹介する次第。
そういえば麻生幾氏も、ペルーゲリラの残党が橋本首相(当時)を人質に取るという架空小説を文芸春秋に掲載したはずだ。
ところで、それをまったく考えずによく与党やってきたなあ、某自民党は。
これは主にNo.1180の発言に対するレスです。とても遅くなりましたが、レスすると書いておいたのでここにのせておきます。
まず、銀英伝はとてもすぐれたエンターテイメントだと思います。
作家が一人の人間である以上、すべての分野に精通するのは不可能で、銀英伝の軍事描写は、エンターテイメントとしては及第点であると思います。
ただし問題なのは、専門家レベルといわず、軍事について少しばかり興味を持っているだけにすぎない私のようなものが見ても、銀英伝の戦略戦術などの軍事面がリアルっぽいが、じつはかなりおかしい作品であるという点です。(これについては過去ログでも発言がありますね)
ちなみに、わたしは『ヤッターマン』もエンターテイメント作品としては、名作だと思っています(^ー^)。
とっしーさんの全ての意見にレスをすると長くなりすぎると思います。末節の部分はともかく、その他の主旨の部分については、他のレスがいくらかの答えとなっていると思いますので、前半の主旨の部分だけ、つまり首都攻撃と包囲殲滅戦だけに焦点をあてて話題をすすめたいと思います。
電撃戦と包囲殲滅戦について。
このことではその後自分なりにいろいろと考えるところがありました。まだ暫定的ですが、以下が現在の私の意見です。
野戦軍の(包囲による)撃滅にたいする反論の事例として、なぜ電撃戦をあげられるのか、私にはよくわかりませんでした。なぜなら、わたしには、電撃戦は野戦軍の包囲殲滅作戦そのものに他ならないと思えるからです。
最初に包囲殲滅作戦の一番有名で典型的でありわかりやすいものとして、カンネーの戦いを例にあげて説明をします。包囲というのは一般に両翼を広げて敵を三方から包みこみ、機動力のある軍(カンネーの場合は騎兵)が敵の背後に回りこんで完成させます。
もちろん敵側でも、騎兵に背後にまわり込まれてはたまりませんから、その機動を止めるために同じように騎兵を対抗させてこの部分で戦闘が始まります。カルタゴ軍はこの騎兵対騎兵の戦いに勝利して、勝利した騎兵隊を敵の背後に回りこませ包囲を完成しました。
確かに全体の戦場からみれば部分的であるこの騎兵同士の戦いだけを見ると、包囲戦ではないように見えます。この場合たしかにカルタゴ側の騎兵をとめようとしたローマ軍騎兵は逃げ散っていて、カルタゴ軍のローマ軍主力に対する包囲の輪の中には入っていません。
しかし、カンネーの戦いは野戦軍の包囲殲滅戦であると見るのが普通ではないでしょうか。それも多くの戦史研究家が理想的とみなす包囲殲滅戦です。
WW2では戦いがカンネーとはくらべようもないほど大規模になっているので、この騎兵対騎兵の部分の戦いだけでも、極めて大規模な戦闘になってます。しかし、この騎兵の機動をじゃましようとする目の前の敵を逃げ散らせる(電撃戦の場合は、敵の指揮系統をずたずたに寸断する)ことは、作戦の主目的ではありません。電撃戦とカンネーの包囲の違いは、この敵の背後へ回りこむ騎兵の役割を戦車を主軸とする機械化部隊が担当しているというだけのことです。
典型的な独軍の電撃戦といえば、ポーランドとフランスに対するそれでしょう。
まさか、ドイツ軍のポーランドに対する攻撃が野戦軍の殲滅を目的とした包囲殲滅戦でなかったとはおっしゃらないでしょう。ポーランドの戦いは、包囲殲滅、包囲殲滅、包囲殲滅の連続です。
ブズラ川の戦いなどは、有名な包囲作戦です。明らかに包囲殲滅戦が戦争の帰趨を決しており、このポーランドでの戦いは、シェリーフェン計画の焼き直しとまで言われているほどです。
次にフランスに対するものですが、電撃戦によりグーデリアンの部隊などは敵軍の背後まで回りこむことに成功します。ドイツは包囲の輪を縮めて、ダンケルクに英仏軍を追いつめています。(ドイツ軍がベルギーから進んでくると予測していたためそこに英仏軍の主力はそのあたりに配置されていました)
この一連の戦いでドイツ軍は勝利します。が、この作戦は一面ではドイツ軍の失敗とされています。それは、包囲が不徹底で、ダンケルクの出口を完全に閉塞できず、英仏軍に逃げられてしまったからです。
つまり、この戦いは敵野戦軍の撃滅主義への反証となるのではなく、包囲が不徹底であったために将来に大いなる禍根を残してしまったという、包囲による敵野戦軍完全撃滅の重要性をさらに例証するような事例にはいるのではないでしょうか。
(なぜドイツ軍に停止命令がでたのかは、さまざまなことが言われていて、私にはどれが真実なのかよくわかりません)
戦史上でも包囲戦というのはそんなにめずらしい戦法ではないと思います。
まず、大規模なものをあげますと、おそらく近代以降の戦いで一番有名な包囲作戦は、シュリーフェン計画でしょう。
大モルトケの包囲理論もその中に含まれるかもしれません。
実際に行われた包囲戦は無数にあって、とてもあげきれないくらいです。もともと前線の成立理由さえ、お互いが包囲するために回りこもう、包囲されないために敵を止めよう、という意図の翼長運動にあるのですから。
WW2のドイツ軍が行おうとしたもので、特に有名で包囲の意図が明らかなものを二つあげておきます。
城塞作戦/クルスク大戦車戦 クルスクの町を中心としたソ連軍の突出部の根元を南北の両方から挟撃し、他地域と切断して包囲殲滅しようとした作戦。
ラインの護り作戦/アルデンヌ攻勢(バルジ大作戦) アルデンヌ近辺から突出しアントワープなどに至り、以北の英第二軍などを包囲殲滅しようとした作戦。
たしかに、包囲殲滅というのはいつも行えるというわけではありません。
基本的に、敵よりも多くの戦力が必要ですし(実際には劣性の戦力で敵を包囲した事例もあります)、敵の背後に回りこむという機動力や全軍が包囲という意図にあわせて柔軟動くだけの能力が必要になります。
戦略を類型化単純化することは、過去の戦史から理論を抽出して今後に役立てようとする一つの方向性ではあるものの、同時にひどい誤謬に陥る危険性をもはらんでいるのはわかります。その後、自分なりに考えてみて、なによりも包囲殲滅をするというのは私の書きすぎだったと思います。
ただ、包囲殲滅ができる状況ならそれをするのが理想であると私には思えます。
次に首都攻撃と野戦軍の撃滅のどちらを優先するかについてです。
ドイツがモスクワ攻撃しなかったことを批判するのなら、成功した作戦である、ポーランドやフランスでも敵の主力の野戦軍の殲滅よりも、首都を優先しなかったのがなぜかという議論があるべきではないでしょうか。
近代改革後のプロイセン軍の対ナポレオン戦争でも、大モルトケの一連の戦争でも、第一次世界大戦のシェリーフェン計画でも、ポーランドやフランスへの電撃戦でも、野戦軍の撃滅が優先で、首都攻撃への優先度はそれ以下だったのに、対ソ戦だけ首都攻撃をしなかったから負けたという論評はどうでしょう?(シェリーフェン計画については実行面でも同じような批判があります。パリを包囲網に入れなかったのが決定的に悪かったというのです。独ソ戦とシェリーフェン計画の実行面で共通することは、この二つの戦いが結局は失敗した戦いであるということです。
ただし、元のシェリーフェン計画は、パリが陥落しても野戦軍への包囲が途中で停止するなどというプランではありませんでした。それだけ、首都陥落よりも野戦軍の殲滅が重視されているということです)
無視できるような弱体戦力ではなく十分強力な野戦軍の主力を放っておいて、首都陥落を優先させ、それで戦いが一気に終局に近づいたという実例なら別です。しかし、ドイツ軍のモスクワ攻撃集中のような実際に行われず、議論が現在でも続いているようなことを反論の例証とされるのは弱いと思います。
野戦軍を撃滅できなかったために、首都陥落が全体の戦局としてはあまり影響がなかったものとして実際にあった例としては、繰り返しになりますが、日本軍の南京陥落があります。
(東部戦線のドイツ軍の戦力をモスクワ方面だけに集中させすぎると、軍の後方の道路や鉄道一本あたりの補給や補充の負荷が大きくなりすぎ、強力とはいえない兵站がさらにひどいものになるため、もともとからこのような集中によるモスクワ侵攻は不可能だったという専門家の研究もありますが、ここでは主題ではないので深くはつっこみません)
銀英伝中のバーミリオンの戦いで、野戦軍相手に苦戦している味方の軍を助けるために、直接その場に救援にはいかず、敵の首都を攻撃して間接的に味方を救うというのは、孫ピンの囲魏救趙からとってきたものでしょう。もちろん、これが近代戦でないことは言うまでもないことです。
首都攻略よりもまず野戦軍の殲滅を優先するという考えは私自身の考えではなく、クラウゼヴィッツの思想です。
実際、WW2の西部の連合軍の攻撃でもベルリンよりもドイツ野戦軍の無力化が優先されています。
この場合ソ連軍はベルリンを優先して進軍するのですが、これはもはや純粋な戦略戦術の分野ではなく、停戦後の西側との交渉をみこした政治的な理由といえるでしょう。
わたしに言わせれば、ドイツ軍の失敗はモスクワ攻撃をしなかったためではなく、結局敵の戦闘態勢にはいっている野戦軍の大部分を殲滅、もしくは無力化できるだけの戦力がドイツ軍になかったことに原因があるというべきではないかと思っています。動員前に動員拠点をつぶして敵の動員を妨害したり、予備軍の集結地点を攻撃したりするのはあたりまえのことですが、同時に予備軍などが集結する前に敵の主力の野戦軍を無力化するのも大モルトケの時代でもその後でも、あたりまえのことではなかったでしょうか。
> これは主にNo.1180の発言に対するレスです。とても遅くなりましたが、レスすると書いておいたのでここにのせておきます。
や。すいません。レス見つけるのに時間食いました(^^;)
メール下さればもう少し早く反応できたんですが。とりあえずごめんなさい
。m(__)m
> まず、銀英伝はとてもすぐれたエンターテイメントだと思います。
> 作家が一人の人間である以上、すべての分野に精通するのは不可能で、銀英伝の軍事描写は、エンターテイメントとしては及第点であると思います。
> ただし問題なのは、専門家レベルといわず、軍事について少しばかり興味を持っているだけにすぎない私のようなものが見ても、銀英伝の戦略戦術などの軍事面がリアルっぽいが、じつはかなりおかしい作品であるという点です。(これについては過去ログでも発言がありますね)
> ちなみに、わたしは『ヤッターマン』もエンターテイメント作品としては、名作だと思っています(^ー^)。
激しく同意。(2ch風)
ただ軍事戦略面はある意味仕方ないでしょう。むしろシャーロキアン的な愛あ
る解釈を試みるほうが私の好みではあります。だってSF考証としてもかなり歪
んだ世界観ですからね、銀英伝は。
> 電撃戦と包囲殲滅戦について。
>
>
> このことではその後自分なりにいろいろと考えるところがありました。まだ暫定的ですが、以下が現在の私の意見です。
>
> 野戦軍の(包囲による)撃滅にたいする反論の事例として、なぜ電撃戦をあげられるのか、私にはよくわかりませんでした。なぜなら、わたしには、電撃戦は野戦軍の包囲殲滅作戦そのものに他ならないと思えるからです。
>
> 最初に包囲殲滅作戦の一番有名で典型的でありわかりやすいものとして、カンネーの戦いを例にあげて説明をします。包囲というのは一般に両翼を広げて敵を三方から包みこみ、機動力のある軍(カンネーの場合は騎兵)が敵の背後に回りこんで完成させます。
> もちろん敵側でも、騎兵に背後にまわり込まれてはたまりませんから、その機動を止めるために同じように騎兵を対抗させてこの部分で戦闘が始まります。カルタゴ軍はこの騎兵対騎兵の戦いに勝利して、勝利した騎兵隊を敵の背後に回りこませ包囲を完成しました。
> 確かに全体の戦場からみれば部分的であるこの騎兵同士の戦いだけを見ると、包囲戦ではないように見えます。この場合たしかにカルタゴ側の騎兵をとめようとしたローマ軍騎兵は逃げ散っていて、カルタゴ軍のローマ軍主力に対する包囲の輪の中には入っていません。
> しかし、カンネーの戦いは野戦軍の包囲殲滅戦であると見るのが普通ではないでしょうか。それも多くの戦史研究家が理想的とみなす包囲殲滅戦です。
カンネー会戦は古代戦史上もっとも成功した包囲殲滅戦術の実例として名高い
ですね。独軍は帝政期もナチス政権時代もこの会戦に興味を抱いており、シュリー
フェンプランなどもモチーフはこの戦いから来ていると言われています。
で、ですね。私には
> 野戦軍の(包囲による)撃滅にたいする反論の事例として、なぜ電撃戦をあげられるのか、私にはよくわかりませんでした。
にこのように突っ込みたいのですが良いですか?
史上稀に見るほどの大成功を収めた包囲殲滅戦で敵野戦軍主力を撃滅したカル
タゴはこの戦争に勝てましたか? と。
なぜよりによってこの戦いを例に出してきたのか理解できないです。私は古代
戦の戦例だからなぁと遠慮してたんですが(^^;)
>
> WW2では戦いがカンネーとはくらべようもないほど大規模になっているので、この騎兵対騎兵の部分の戦いだけでも、極めて大規模な戦闘になってます。しかし、この騎兵の機動をじゃましようとする目の前の敵を逃げ散らせる(電撃戦の場合は、敵の指揮系統をずたずたに寸断する)ことは、作戦の主目的ではありません。電撃戦とカンネーの包囲の違いは、この敵の背後へ回りこむ騎兵の役割を戦車を主軸とする機械化部隊が担当しているというだけのことです。
まぁ電撃戦のポイントはもう2つあって部隊通信の円滑な運用と航空部隊によ
る強力な直協支援が必須なのです。(これが無いからWW1の独軍の浸透戦術は
失敗したわけですが、本題とずれ過ぎるので一旦やめておきましょう。ご希望と
あれば続けます)
> 典型的な独軍の電撃戦といえば、ポーランドとフランスに対するそれでしょう。
ゴミネタですが、レン・デイトンあたりに言わせると真の(至高の?)電撃戦
はフランス戦しかないそうです。
>
> まさか、ドイツ軍のポーランドに対する攻撃が野戦軍の殲滅を目的とした包囲殲滅戦でなかったとはおっしゃらないでしょう。ポーランドの戦いは、包囲殲滅、包囲殲滅、包囲殲滅の連続です。
> ブズラ川の戦いなどは、有名な包囲作戦です。明らかに包囲殲滅戦が戦争の帰趨を決しており、このポーランドでの戦いは、シェリーフェン計画の焼き直しとまで言われているほどです。
対ポーランド戦の帰趨を決したのは明らかにソ連の参戦です。これにより前線
の部隊が奮闘したところで滅亡は間違いないものとなりました。またポーランド
軍の最後の士気を崩壊させたのは首都ワルシャワの陥落です。
首都陥落を知ったポーランド軍諸部隊はほとんどが降伏し、一部の部隊のみが
近隣諸国にかろうじて逃げ延びました。ワルシャワ陥落まではポーランド軍は進
撃してくる独軍に対してかなりの抵抗を示しています。
またポーランド戦の意義自体もワルシャワの早期陥落により東部戦線を片付け、
対英仏の西部戦線に戦力を集中しようというものでした。けしてポーランド軍野
戦部隊を撃滅/無力化すれば良いというものではありませんでした。
> 次にフランスに対するものですが、電撃戦によりグーデリアンの部隊などは敵軍の背後まで回りこむことに成功します。ドイツは包囲の輪を縮めて、ダンケルクに英仏軍を追いつめています。(ドイツ軍がベルギーから進んでくると予測していたためそこに英仏軍の主力はそのあたりに配置されていました)
> この一連の戦いでドイツ軍は勝利します。が、この作戦は一面ではドイツ軍の失敗とされています。それは、包囲が不徹底で、ダンケルクの出口を完全に閉塞できず、英仏軍に逃げられてしまったからです。
包囲が不徹底と言われても、空いてるのは海だけです。陸上の戦線の切れ目を
突破されたわけではありません。
> つまり、この戦いは敵野戦軍の撃滅主義への反証となるのではなく、包囲が不徹底であったために将来に大いなる禍根を残してしまったという、包囲による敵野戦軍完全撃滅の重要性をさらに例証するような事例にはいるのではないでしょうか。
> (なぜドイツ軍に停止命令がでたのかは、さまざまなことが言われていて、私にはどれが真実なのかよくわかりません)
低地諸国制圧という対仏戦の第一段階が終了し、第二段作戦でのパリ攻略の睨
んでいたからだというのがかなり有力です。
当時の独軍にとって貴重極まりない装甲兵力が、英仏軍の一戦部隊が立て篭も
るダンケルクに突入させることによって消耗してしまうことをヒトラーが嫌い、
またゲーリングの政治的横槍が働いたと言うのが私の判断です。
ヒトラーが対英戦略上妥協の余地を残すために突進をためらったという意見も
ありますが、私はこれは副次的なものだと思っています。
なお、対仏戦はパリを防御できないことが明らかになった時点でフランス側の
抗戦意思が決定的に萎えたことにより勝敗が決しています。
独の国家戦略においてまず対仏戦の決着が何より優先されていた以上、ダンケルク突入を行わなかったのはベストではないにしろベターな判
断ではあったのではないでしょうか。
もし装甲部隊がここで損害を受けて第二段作戦で苦戦する羽目になっていたら
独の国家戦略は非常に苦しくなります。某小説にあるようにソ連軍が介入してく
る可能性だってゼロではありませんし。
ダンケルク突進論は見るべきものはあるものの、ある意味史実のフランスの早
期降伏を前提にした論であるわけで、一種の博打といえるでしょう。
>もともと前線の成立理由さえ、お互いが包囲するために回りこもう、包囲され
ないために敵を止めよう、という意図の翼長運動にあるのですから。
ゴミな突っ込みですが、成立したのは『史上初の切れ目の無い戦線』ですね。
前線のほうは人類が集団戦闘を発明した瞬間には存在していた可能性がありま
す。
> たしかに、包囲殲滅というのはいつも行えるというわけではありません。
> 基本的に、敵よりも多くの戦力が必要ですし(実際には劣性の戦力で敵を包囲した事例もあります)、敵の背後に回りこむという機動力や全軍が包囲という意図にあわせて柔軟動くだけの能力が必要になります。
> 戦略を類型化単純化することは、過去の戦史から理論を抽出して今後に役立てようとする一つの方向性ではあるものの、同時にひどい誤謬に陥る危険性をもはらんでいるのはわかります。その後、自分なりに考えてみて、なによりも包囲殲滅をするというのは私の書きすぎだったと思います。
> ただ、包囲殲滅ができる状況ならそれをするのが理想であると私には思えます。
それはそうでしょう。包囲殲滅が可能でそれによるデメリットが無いか、それ
を補って余りある価値をもたらしてくれるならそうすべきです。常識ですね。私
は何も包囲殲滅が無益だとは申しておりません。
『近代軍隊はなにより包囲撃滅を目指すものだ』という貴方の意見に反論して
いるだけです。
> 次に首都攻撃と野戦軍の撃滅のどちらを優先するかについてです。
>
> ドイツがモスクワ攻撃しなかったことを批判するのなら、成功した作戦である、ポーランドやフランスでも敵の主力の野戦軍の殲滅よりも、首都を優先しなかったのがなぜかという議論があるべきではないでしょうか。
以上の私の主張によっても明らかですが、私の両戦役に対する評価はこれとは
違います。よって同意できません。
> 近代改革後のプロイセン軍の対ナポレオン戦争でも、大モルトケの一連の戦争でも、第一次世界大戦のシェリーフェン計画でも、ポーランドやフランスへの電撃戦でも、野戦軍の撃滅が優先で、首都攻撃への優先度はそれ以下だったのに、対ソ戦だけ首都攻撃をしなかったから負けたという論評はどうでしょう?(シェリーフェン計画については実行面でも同じような批判があります。パリを包囲網に入れなかったのが決定的に悪かったというのです。独ソ戦とシェリーフェン計画の実行面で共通することは、この二つの戦いが結局は失敗した戦いであるということです。
え? プロイセン参謀本部の立案した作戦こそ『ナポレオン率いる主力野戦軍
との決戦を回避しつつ首都パリを奪取する』という作戦そのものではないか、と
思うのですが・・・
また大モルトケの戦争計画は両方とも敵首都攻略を目標にしています。
で、普墺戦争でウィーンが攻略されなかったのは、それがビスマルクの戦争だっ
たからです。実際、普墺戦争が独の戦略的勝利に帰結したのはビスマルクの巧み
な政治手腕によるもので、独軍参謀本部の暴走を許していた場合は独の国際的地
位は酷く悪化し、悲願であったドイツ統一が遠のいていた可能性があります。
よってあの戦争の勝因は優秀な独の軍隊以上にビスマルクの存在そのものにあっ
たといったほうが良いでしょう。
> ただし、元のシェリーフェン計画は、パリが陥落しても野戦軍への包囲が途中で停止するなどというプランではありませんでした。それだけ、首都陥落よりも野戦軍の殲滅が重視されているということです)
シュリーフェンプランは実際には実行が非常に困難な観念的な作戦計画である
と思います。まずあんな大胆な戦力配置は真の名将にしか出来ません。
またあんな大規模な機動を支える兵站システムも機動力もありません。
WW1の骨抜きになったシュリーフェンプランはなるべくしてなったと言える
面があるでしょう。第一、作戦上の要請によりベルギー侵攻が必要となり、その
ため当時世界最強の英の参戦を招いているのです。手段と目的が倒置していると
批判されて然るべき出鱈目な作戦案だと思いますね。
> 無視できるような弱体戦力ではなく十分強力な野戦軍の主力を放っておいて、首都陥落を優先させ、それで戦いが一気に終局に近づいたという実例なら別です。しかし、ドイツ軍のモスクワ攻撃集中のような実際に行われず、議論が現在でも続いているようなことを反論の例証とされるのは弱いと思います。
ということでシュリーフェンプランのような
> 実際に行われず、議論が現在でも続いているようなこと
を反論に出してくるのは弱いと思います。
> 野戦軍を撃滅できなかったために、首都陥落が全体の戦局としてはあまり影響がなかったものとして実際にあった例としては、繰り返しになりますが、日本軍の南京陥落があります。
ちなみに南京陥落後、蒋介石は軟化し独の仲介による和平交渉を受託する気で
いたのはかなり有名な史実です。図に乗った日本が和平条件を吊り上げたため、
和平交渉は決裂してしまいましたが南京攻略が戦争上無意味だったわけではあり
ません。結果的に無意味なのと最初から無意味なのとは全く違いますよね。
> (東部戦線のドイツ軍の戦力をモスクワ方面だけに集中させすぎると、軍の後方の道路や鉄道一本あたりの補給や補充の負荷が大きくなりすぎ、強力とはいえない兵站がさらにひどいものになるため、もともとからこのような集中によるモスクワ侵攻は不可能だったという専門家の研究もありますが、ここでは主題ではないので深くはつっこみません)
これに関しては私も懐疑的です。まぁこれまでやり始めるとここが東部戦線サ
イトになってしまうのでやめておきましょうか(^^;)
> 銀英伝中のバーミリオンの戦いで、野戦軍相手に苦戦している味方の軍を助けるために、直接その場に救援にはいかず、敵の首都を攻撃して間接的に味方を救うというのは、孫ピンの囲魏救趙からとってきたものでしょう。もちろん、これが近代戦でないことは言うまでもないことです。
これは現代戦でもあります。というか軍事理論で言うところの典型的な間接ア
プローチですね。例を挙げればWW2でのインド洋や南太平洋で猛威を振るう日
本の航空戦力を少しでも本土に拘引すべく行われたドーリットル隊爆撃、WW1
で西部戦線で攻勢に出た独軍を牽制するために攻勢を行ったロシア軍。
首都そのものじゃないという突っ込みがありそうですね。
だとナポレオン戦争のフランス本土戦役がそのものですね。ナポレオンと対戦
した連合軍の部隊はのきなみ敗退していますが、他の連合軍部隊が首都を脅かし
ているため、追撃が不徹底になってしまっています。このため連合軍はナポレオ
ンに敗れても後方で再編成を終えた後はすぐに進撃を再開できています。
> 首都攻略よりもまず野戦軍の殲滅を優先するという考えは私自身の考えではなく、クラウゼヴィッツの思想です。
でWW1でこの古典的なクラウゼヴィッツ的思想では国家総力戦には戦い抜け
ないことが判明するわけです。
『戦争は軍人に任せておくには余りに重大すぎる』というやつですね。
> 実際、WW2の西部の連合軍の攻撃でもベルリンよりもドイツ野戦軍の無力化が優先されています。
> この場合ソ連軍はベルリンを優先して進軍するのですが、これはもはや純粋な戦略戦術の分野ではなく、停戦後の西側との交渉をみこした政治的な理由といえるでしょう。
政治要素が絡まない首都攻略戦、いや戦争などというものが存在するのでしょ
うか?
大局に影響しない局地的戦闘ではないのです。
> わたしに言わせれば、ドイツ軍の失敗はモスクワ攻撃をしなかったためではなく、結局敵の戦闘態勢にはいっている野戦軍の大部分を殲滅、もしくは無力化できるだけの戦力がドイツ軍になかったことに原因があるというべきではないかと思っています。動員前に動員拠点をつぶして敵の動員を妨害したり、予備軍の集結地点を攻撃したりするのはあたりまえのことですが、同時に予備軍などが集結する前に敵の主力の野戦軍を無力化するのも大モルトケの時代でもその後でも、あたりまえのことではなかったでしょうか。
私はそれを一切するななどとは言っておりません。
ドイツの敗因は結局のところ国力がものをいう国家総力戦にしてしまったこと
に尽きるでしょう。これに関しては本題とはもはや著しく離れてしまいますので
ここでは触れないことにします。
以上が当方の反論になります。