宮城谷昌光の『楽毅』が完結し、最終巻もベストセラー入りしてますが、ふと思ったのが、
「田中芳樹の中国物は実際の所どの程度売れているんだろう?」
ということ。
『海嘯』、『奔流』あたりがベストセラー入りしたという話は寡聞にして知らないのですが、ある程度の重版はかかったのか?
『隋唐演義』がコケた為に“中国歴史ロマンシリーズ”(だったっけ?)は頓挫した、という話も聞きましたが実際どうなのか。
以下私見
① 登場人物の大半が髭面のおやぢの為女性読者が引いてしまう(笑)。
② かといって中高年層の間で話題になっている様子も無い。
③ そもそも小説としてつまらない(爆)
ので、売行きの方も段々と先細りになっていってるのでは、と思いますね。
なぜつまらないのか?
これも私見ですが、やはり国家の興亡と多数の人物の群像・大規模な戦闘を克明に描く型の作品にはある程度の分量が必要なんではないでせうか。
200ページちょいの単行本1冊では、中軸になる視点を定めずに多くのキャラクターを均等に描写しようというのはそもそも無理な気がします。
個人の運命をストーリーの中核に据えた『風よ、万里を翔けよ』がある程度まとまっていたのに対し、『紅塵』、『海嘯』、『奔流』が、なんとなくすっとばし気味で非常に食い足りない印象が拭えないのもそこに原因があるのではないかと。(『運命』は未読ですが)
まあ、出版社がなかなか承知しないってのはあるでしょうけどね。
やっぱり出版社と大多数の読者が望むのは既存のシリーズの続きでしょうから、それをほっぽって
「全10巻の大河歴史ロマン」!!
なんてのをぶち上げる訳にもいかないのかな(^^;;)。
「書きたいもの」と「読者のニーズ(=売れるもの)」との乖離が進む一方で、正に『現代のコナン・ドイル』と化した田中芳樹の明日はどっちだ!?。
> 正に『現代のコナン・ドイル』と化した田中芳樹の明日はどっちだ!?。
「中島梓=栗本薫」みたいに別名義でやった方が良いかも知れないですね。少なくとも、読者としてオヤジ層を無視できない分野である以上は、「田中芳樹」名義はマイナスにしか働かないと思います(創竜伝読んでいるオヤジはいないと思うんだけど)。
オヤジ向け小説の方針で行くと『「書きたいもの」と「読者のニーズ(=売れるもの)」との乖離が進む』という矛盾がまた出て来てしまいますが、プロとして書いている以上は、客を無視していること自体が無理なんですよ。
そろそろお客さんのことを考えて書いてみましょうよ。もう。