まあ、田中さんに賛成や反対いろんな意見があるもんですねー
ただ思うのは嫌いだったら読まなきゃいいのではないかと思うのですが・・・
創竜伝ってあくまで楽しむものなのでは・・・
自分はある意味あのいい加減な世界観は好きですけど・・・
ドラゴンボールとかだっていい加減な世界観(主人公死んだけどあの世で修行してるし・・・そんで生き返ってるし・・・)
好きですよ。
まあ普通のバランス感覚備えた人なら現実と小説の区別ぐらいつくから問題ないのでは?
(そりゃそうでしょ、現実の世界や人生はもっと複雑だし・・・あそこまででフォメルされていない)
ただまあ今の学生にはプラトンとかドストエフスキーとかもしっかり読んで欲しいけどね
こんにちわ、モーニング息子さん☆
わたしは恵と申します、よろしくお願いしますね。
さて、あなたの
「嫌いだったら読まなきゃいいのではないかと思うのですが・・・」
の根拠が、
「ドラゴンボールとかだっていい加減な世界観(主人公死んだけどあの世で修行してるし・・・そんで生き返ってるし・・・)好きですよ」
と、
「まあ普通のバランス感覚備えた人なら現実と小説の区別ぐらいつくから問題ないのでは? 」
ということですか?
それだけではちょっと根拠が足らないのでは?と思います。
まず、ドラゴンボールですけど、あの作品には設定破綻はあっても、創竜伝のような滅茶苦茶な社会評論はありません。別に特定の人物をデフォルメしてこき下ろす、ということもしていませんよね?そういう意味で、ドラゴンボールは純粋なエンターテイメントですし、「両方とも設定破綻したフィクション作品」というだけで創竜伝と同列にして比べることは、かなり無理があると思います。
次に、「普通のバランス感覚備えた人なら現実と小説の区別ぐらいつく」とのことですけど、社会評論にある読売の渡辺社長(作中では稲垣社長)、インドネシアのマハティール大統領など、明らかに実在の人物をモデルにした評論の存在は、「現実と小説の区別ぐらいつく」とは言いきれない要素ではないでしょうか。(まったくのフィクションではないのですから)そういうことが書きたいなら、フィクション作品にこっそり混ぜるのではなく、堂々と「社会評論」の本として出版すればいいのでは?というのがわたしたちの意見なんですよね。
あと、他の人との議論でも言わせていただいたのですけど、
「刑務所や秘密警察で働く者は高貴ではありえない(大意)」
↑こういう差別的な評論が随所に見られる創竜伝を「自分は現実と小説の区別ぐらいつく」と言って容認してしまったら、それこそどんな「表現上の不適切な描写」もOKということになってしまいませんか?
上記の文章は、実際に公安警察や刑務所で働いている人たちに対する、ほとんど根拠のない中傷ですし、それに対する反論を「嫌なら読むな」と封殺してしまっては、作家が文章を書いた際に発生する「文責」の概念を放棄しているとしか、わたしには思えないのですけど?(「嫌なら読むな」はあなたの意見ですから、わたしは田中氏自身もそう思っているとは思いたくないですけどね)また、作家である前に一人の人間として、田中芳樹氏に著しいモラル意識の欠如も感じます。
モーニング息子さんは、こういうことを踏まえた上で、「嫌いだったら読まなきゃいいのではないかと思うのですが・・・ 」とおっしゃっているのでしょうか?
ちなみに、わたしは創竜伝を全否定するつもりはありません。田中氏のテンポのいい文体、キャラクターたちのかけ合い漫才など、素直に「面白い」と思える要素もあると思います。むしろ、わたしは「好き」だからこそいろいろ苦言を言っているつもりです。単純に「嫌い」だったら、わざわざここにお邪魔していろいろ言うこともなかったと思います。時間と労力の無駄ですからね。
> それだけではちょっと根拠が足らないのでは?と思います。
> まず、ドラゴンボールですけど、あの作品には設定破綻はあっても、創竜伝のような滅茶苦茶な社会評論はありません。別に特定の人物をデフォルメしてこき下ろす、ということもしていませんよね?そういう意味で、ドラゴンボールは純粋なエンターテイメントですし、「両方とも設定破綻したフィクション作品」というだけで創竜伝と同列にして比べることは、かなり無理があると思います。
根拠が足らないって、、、重箱の隅つつきますね。
「両方とも設定破綻したフィクション作品」ということに関しては同列なのでしょ?
それは人の捉え方、例え方の違いだと思います。
揚げ足とっているように感じるのですが。
エンターテイメントに純粋とか不純とかあるのですか?
読者が楽しめればよいと考える私がおかしいのでしょうか?
> 次に、「普通のバランス感覚備えた人なら現実と小説の区別ぐらいつく」とのことですけど、社会評論にある読売の渡辺社長(作中では稲垣社長)、インドネシアのマハティール大統領など、明らかに実在の人物をモデルにした評論の存在は、「現実と小説の区別ぐらいつく」とは言いきれない要素ではないでしょうか。(まったくのフィクションではないのですから)そういうことが書きたいなら、フィクション作品にこっそり混ぜるのではなく、堂々と「社会評論」の本として出版すればいいのでは?というのがわたしたちの意見なんですよね。
私はフィクション作品に「こっそり」混ぜているとは思いません。
思いっきり堂々と織り交ぜているように感じます。
それに何故、フィクション作品の要素の一つとして取り入れてはいけないのですか?
人への影響に関してもある程度歳をとった人が読むものですから、個人的にはあれぐらいは判断してもらいたいと思います。私は、中・高校生は十分大人で責任能力があると考えていますから、これに関して異論は多々有るでしょうけど。
> あと、他の人との議論でも言わせていただいたのですけど、
>
> 「刑務所や秘密警察で働く者は高貴ではありえない(大意)」
私はこれが(大意)と書かれているので原文が分かりませんので何とも言えません。
この言葉を批判するということは、悪役ではなく主人公あたりがいっているのでしょうね。もし、差別的発言と思うのなら出版社や、作者本人に抗議をしてはいかがでしょうか?
既にしていれば、すみません。
私が言いたい事は、誰でも失敗はするものなので揚げ足をとるのではなく、正してあげては?ということです。このサイトで「田中氏が昔は**言っていた」とか書いていますが、人は成長するものです、主義主張も変わっても何らおかしくないのではないでしょうか?
> ↑こういう差別的な評論が随所に見られる創竜伝を「自分は現実と小説の区別ぐらいつく」と言って容認してしまったら、それこそどんな「表現上の不適切な描写」もOKということになってしまいませんか?
> 上記の文章は、実際に公安警察や刑務所で働いている人たちに対する、ほとんど根拠のない中傷ですし、それに対する反論を「嫌なら読むな」と封殺してしまっては、作家が文章を書いた際に発生する「文責」の概念を放棄しているとしか、わたしには思えないのですけど?(「嫌なら読むな」はあなたの意見ですから、わたしは田中氏自身もそう思っているとは思いたくないですけどね)また、作家である前に一人の人間として、田中芳樹氏に著しいモラル意識の欠如も感じます。
モーニング息子さんが、「嫌なら読まなければ良いのでは?」というのは、みなさんが批判する為に本を読んでいるように感じているからではないでしょうか?
率直にいうと、私にはそう感じられます。
> モーニング息子さんは、こういうことを踏まえた上で、「嫌いだったら読まなきゃいいのではないかと思うのですが・・・ 」とおっしゃっているのでしょうか?
> ちなみに、わたしは創竜伝を全否定するつもりはありません。田中氏のテンポのいい文体、キャラクターたちのかけ合い漫才など、素直に「面白い」と思える要素もあると思います。むしろ、わたしは「好き」だからこそいろいろ苦言を言っているつもりです。単純に「嫌い」だったら、わざわざここにお邪魔していろいろ言うこともなかったと思います。時間と労力の無駄ですからね。
それでは、何故こういうことを書くのですか?
ここの評論を少しだけしか読んではいませんが、感想は「トゲが強い」です。そして、みなさんから「自分の主張」を押し付けようとする、押し付けがましさを感じます。
本を読んでいて、「そうかな?」自分の考えは違うがそのまま釈然としないまま本を読み進むときの気持ちに似ています。皆さんの評論の中にも「少しぐらいは」客観的に見ておかしいと思う点もあるのではないですか?みなさん強気に主張して人に押し付けていませんか?
続のように相手を完全に(正しいかどうかはともかく)論破し、叩き潰したいと思っているのでしょうか?でも続はフィクション上の人です。現実で行うと人に与えるストレスは大変大きなものです。
私はこのサイトを読んでいて、人の負のストレスが強くて気分が悪いです。
文章と会話は違います。会話を文章にすると結構嫌な事を言っているものです。
こういう考えもあるということです。
一つ心にとどめていただければ幸いです。
> それでは、何故こういうことを書くのですか?
好きだからこそ、その内容や主張の問題点に対して、黙ってはいられないということでしょう。
> ここの評論を少しだけしか読んではいませんが、感想は「トゲが強い」です。そして、みなさんから「自分の主張」を押し付けようとする、押し付けがましさを感じます。
> 本を読んでいて、「そうかな?」自分の考えは違うがそのまま釈然としないまま本を読み進むときの気持ちに似ています。皆さんの評論の中にも「少しぐらいは」客観的に見ておかしいと思う点もあるのではないですか?みなさん強気に主張して人に押し付けていませんか?
> 続のように相手を完全に(正しいかどうかはともかく)論破し、叩き潰したいと思っているのでしょうか?でも続はフィクション上の人です。現実で行うと人に与えるストレスは大変大きなものです。
> 私はこのサイトを読んでいて、人の負のストレスが強くて気分が悪いです。
> 文章と会話は違います。会話を文章にすると結構嫌な事を言っているものです。
>
> こういう考えもあるということです。
> 一つ心にとどめていただければ幸いです。
管理人さんの主張や、常連さんの良く読んでみてください。たしかにファンの方が突然このページを読めば、強い衝撃と反発を覚えることでしょうけれど、決して「まだ田中ファンなんてやってんのかよ、バカじゃねえの?」などと罵倒するような発言はしていらっしゃらないはずです。管理人さんの主張、それからザ・ベストの議論に目を通した上で、あなたからみて「ここはおかしいのではないか」という部分を、ぜひ教えてくださいませんか。私の発言で、明らかな間違いがあれば、真摯に受け止め、訂正させていただきます。
それから、「人にはそれぞれものの受け止め方があり、何が正しく、何が間違っているかは一概に決められない」といったものの見方・考え方を「銀河英雄伝説」(今でも傑作だと私は思っております)から学びました。実際そのとおりだと思いますし、同時にその定義からは田中芳樹自身と氏の作品も例外ではありえません(過去の私は、無意識に例外扱いしておりましたが)。実生活を送る中で、あるいは真剣に学問を重ねた上で、改めて田中芳樹の主張に触れたとき、このHPの常連さんのような受け止め方をするようになった方々もいらっしゃるということです。ですから、それに対して「人の負のストレス」などと表現するのはあまりに失礼です。では。
どうも、お久しぶりです、オズマです。
らららさんははじめましてですよね。
ではいくつか答えてみたいと思います。
> 私はフィクション作品に「こっそり」混ぜているとは思いません。
> 思いっきり堂々と織り交ぜているように感じます。
> それに何故、フィクション作品の要素の一つとして取り入れてはいけないのですか?
堂々としているなら、なおさら社会論評として発表するべきですね。
このへんの疑問に関してはつい最近も色々ありましたから、そちらの方から検討してみてくださいね。
> 人への影響に関してもある程度歳をとった人が読むものですから、個人的にはあれぐらいは判断してもらいたいと思います。私は、中・高校生は十分大人で責任能力があると考えていますから、これに関して異論は多々有るでしょうけど。
責任能力云々の話とは少し違うんじゃないでしょうか。田中芳樹自身があえて現実以上に、あるいは現実とは全く異なったふうに事実をデフォルメしていたとしても、もし、その間違った社会論評を、あたかもそれが真実であるかのように受け取ってしまう人がいたら、その人は責任能力がないということになるんでしょうか。田中芳樹の小説を信じて某新聞社に殴りこんでも、現実とフィクションの区別がつかないからとすれば責任能力なしとして、減刑されるんでしょうか。そうではないですよね。むしろ自分勝手な犯行としてより重くなるかも(笑)。ですから、責任能力の有無なんていうアプローチは的をはずしているんじゃないでしょうか。それは司法の分野の話です(少し重箱の隅をつついていますか?)。
影響力のある人の、その影響力が大きければ、その人の理解力とは別に受け入れられてしまう危険があると思います。そのよい例がマスコミであり、田中芳樹がそうであるようにベストセラー作家という肩書きです。
ベストセラー作家である田中芳樹の、小説の中の本筋とは関係の無い論評部分があまりに現実に即したものである以上、それを真実だとして受け取ってしまう人もいるでしょうね。
> 私が言いたい事は、誰でも失敗はするものなので揚げ足をとるのではなく、正してあげては?ということです。このサイトで「田中氏が昔は**言っていた」とか書いていますが、人は成長するものです、主義主張も変わっても何らおかしくないのではないでしょうか?
正しているつもりで皆さんこうして発言しているんだと思いますが。
作家の得意技のひとつに「忘却」というものがある、とは冗談交じりにある作家が書かれていましたが、さて田中芳樹の場合はどうでしょう。もし忘却で、単なるくい違い程度の矛盾ならともかく、作品の根本にかかわる矛盾を引き起こしているならば、それはそれで、彼の作家としての力量ですからこれ以上私たちが口をはさむことではありませんが、主義主張の転向だとすれば彼自身にそれを表明する必要があるのでは。
> モーニング息子さんが、「嫌なら読まなければ良いのでは?」というのは、みなさんが批判する為に本を読んでいるように感じているからではないでしょうか?
> 率直にいうと、私にはそう感じられます。
>
> モーニング息子さんは、こういうことを踏まえた上で、「嫌いだったら読まなきゃいいのではないかと思うのですが・・・ 」とおっしゃっているのでしょうか?
嫌いなら読まなければいいのなら、世の中の学問という学問はすべて、研究者の自己満足に終わるでしょうね。小説も同じことです。ましてやここはあくまでも議論の場所ですから。何かについての考えを深めるには、それと対立する考え方との比較こそが最も必要なことのひとつだとは思いませんか。
恵さんも言っておられますが、そもそも、本当に嫌悪さえ抱くようならはなっからそれを正そうなんて誰も思いませんよ。無視すればいいだけですから。ここで発言している方の多くがそう思っていらっしゃるし、今はどうあれ、「一度は好きになった小説だから」こそなんですよ。
> それでは、何故こういうことを書くのですか?
> ここの評論を少しだけしか読んではいませんが、感想は「トゲが強い」です。そして、みなさんから「自分の主張」を押し付けようとする、押し付けがましさを感じます。
> 本を読んでいて、「そうかな?」自分の考えは違うがそのまま釈然としないまま本を読み進むときの気持ちに似ています。皆さんの評論の中にも「少しぐらいは」客観的に見ておかしいと思う点もあるのではないですか?みなさん強気に主張して人に押し付けていませんか?
> 続のように相手を完全に(正しいかどうかはともかく)論破し、叩き潰したいと思っているのでしょうか?でも続はフィクション上の人です。現実で行うと人に与えるストレスは大変大きなものです。
> 私はこのサイトを読んでいて、人の負のストレスが強くて気分が悪いです。
> 文章と会話は違います。会話を文章にすると結構嫌な事を言っているものです。
>
> こういう考えもあるということです。
> 一つ心にとどめていただければ幸いです。
多かれ少なかれ、ここでの発言には皆理論というものがあると私には思います。例えばですよ、単に「田中芳樹の左翼思想にはもう愛想が尽きた。その偏重左翼思想は今すぐやめろ」なんていう意見があるとしますよね。もし、単にそれだけかかれてもそんなものは、低俗な週刊誌の記事と同じで無視に値します。しかし、もし発言者の思想の根底にあるものがそうだとしても、なぜそうなのか、どういう点がそうなのか、ということを明らかにしたうえでなら、それは十分に議論に値します。もっとも、もしそれが理論的に弱ければ、相手に論破されるだけでしょうけど。
前置きが長くなりましたけど、あくまでもここは議論の場です。日常の会話の場ではありません。単なる感想文なら「トゲが強い」という批判もあるでしょうが、それが議論の場における発言である以上、「トゲが強い」という批判で終わらせてほしくはないですね。往々にして議論における対立意見は「トゲが強い」ものですから。そして議論である以上、主張の押し付けになるのもむしろ当然でしょうね。逆に考えてみてください。押しの弱い意見なんか、誰が賛同しますか。そして、その押し付けをいかに理解に変えていくかは発言者のその後の努力にかかっているわけです。先ほどもいいましたけど、その主張に理論が無かったり、弱かったりする場合は、本当に単なる押し付けだけで終わってしまうでしょうけど。
ですから、らららさんも誰かの意見に論理的矛盾を見出したときはその人に対して反論すればいいわけです。そうして生じた議論の中から両者の折衷意見にたどりつければ幸いですし、そうでなくとも、対立意見を吟味するだけでも十分議論の目的のひとつを果たしたということになりますから。
それと、ここにいる皆さん、相手のことをただ叩き潰したいだけの性格破綻者ではないと思いますよ。そりゃ、時に発言の内容が感情的になりすぎる場合もあるかとは思いますが、そういうときは大体第三者が仲裁にはいるようです。そういうときには皆さんそれを受け入れるだけの度量がありますし、誰も、相手を憎んで議論を交わしているわけではまりませんから。私自身そういう性格破綻者とある場で議論したことがありましたけど、それはまあひどいものでした(ここではその詳細は省きますが)。そんな性格破綻者との議論は、それこそストレスだけしか得るものはありませんが、お互いの意見を十分に吟味できれば(その自覚があれば)、有意義な議論を行えると思いますよ。
ではこのへんで。
恵です、レスが遅れてしまいました。その間にわたしに代わって発言してくださったモトラさん、オズマさんに感謝☆です。(ありがとうございま~す(^o^))
> 根拠が足らないって、、、重箱の隅つつきますね。
重箱の隅をつつきますね、ってどういう意味ですか?
わたしは、突然出てきた、「創竜伝もドラゴンボールと同じじゃん」という意見に対して、「それは違うと思います」という理由を挙げただけです。理由なく他者の意見を斬り捨ててしまったら、それは批判ではなく中傷になってしまうからなんです。
後述させていただきますけど、らららさんの意見にはこの種の誤読や勘違いが多いようですね。
> 「両方とも設定破綻したフィクション作品」ということに関しては同列なのでしょ?
> それは人の捉え方、例え方の違いだと思います。
> 揚げ足とっているように感じるのですが。
あのぅ、あなた、ちゃんとこのサイトのトップページ本論や過去ログ(ザ・ベストでも良いですけど)を読んでから発言されてますか?
ここで議論されている創竜伝の問題点は設定破綻だけではないのです。むしろ、社会評論の是非やフィクションのあり方、作家(エンターテイナー)としての姿勢やモラル・責任感などが主に批判されているんですよ?
たとえば、いつか話題にしようと思っていましたけど、徳間書店から夏見正隆氏の「僕はイーグル」という作品が出ています。これ、航空自衛隊物の小説なんですけど、最新刊では企業・官僚・政治家がとってもグロテスクに腐敗している様が描写され、創竜伝の政治家等のデフォルメとけっこうそっくりです。ただ、こちらの作品は作者の声が入っていない分、あくまで「フィクション」作品として、納得できる内容ではあります。
こういう(創竜伝の)問題点の本質的な比較ならともかく、突然、「設定破綻している」という共通点だけで「ドラゴンボールと同じようなもの」と、いきなり結論づけられたことに「かなり変」だとわたしは思ったのです。同列にして比べるなら、もっと作品の意図や質が近いものでないと意味がありません。
あと、↑という理由で、本質的にまったく違うものを違うと指摘することが、どうして「揚げ足とり」なんでしょうか?
> エンターテイメントに純粋とか不純とかあるのですか?
> 読者が楽しめればよいと考える私がおかしいのでしょうか?
「社会評論」という、作者の声が含まれている時点で、わたしはエンターテイメントとして「不純」だと思います(しかも、その内容は偏向したり間違ってたりしてますから)。小説(エンターテイメント)に作者の声が入ってはイケナイというのは、坪内逍遥の定義からすれば基本中の基本のようですし、あなたの「自分が楽しんだからよい」では、それに対するアンチテーゼとしては全然説得力がありませんよ?あなたが個人的にそう思うだけなら自由ですけど、「田中氏を論理的に批判する場」での発言が、「自分が楽しんだからよい」ではまったく「よくありません」し、誰も納得もできません。そういう極端な誤読や勘違いをなさっているから、わたしも細かく指摘させてもらっているんです。これは、議論の姿勢として間違っているとは思えませんし、お互い主張の理由を根拠としてはっきり言い合えないのであれば、それは単なる「誹謗中傷」の応酬でしかありえないのです。ちなみに、わたしはそういうことはまったく望んでいませんので、よく覚えておいてくださいね。
> それでは、何故こういうことを書くのですか?
> ここの評論を少しだけしか読んではいませんが、感想は「トゲが強い」です。そして、みなさんから「自分の主張」を押し付けようとする、押し付けがましさを感じます。
> 本を読んでいて、「そうかな?」自分の考えは違うがそのまま釈然としないまま本を読み進むときの気持ちに似ています。皆さんの評論の中にも「少しぐらいは」客観的に見ておかしいと思う点もあるのではないですか?みなさん強気に主張して人に押し付けていませんか?
> 続のように相手を完全に(正しいかどうかはともかく)論破し、叩き潰したいと思っているのでしょうか?でも続はフィクション上の人です。現実で行うと人に与えるストレスは大変大きなものです。
> 私はこのサイトを読んでいて、人の負のストレスが強くて気分が悪いです。
> 文章と会話は違います。会話を文章にすると結構嫌な事を言っているものです。
>
> こういう考えもあるということです。
> 一つ心にとどめていただければ幸いです。
この主張は、らららさんの感情論ではないでしょうか?
誰のどんな発言が、
「トゲが強い」
「自分の主張を押し付けようとする」
のですか?ここの参加者は(特に常連さんは)、ほとんどの人が「田中氏の~という部分が~という理由でおかしいと思う」
という、具体的な発言のされ方で批判をしています。比べて、らららさんのご意見は「押し付けがましさを感じます」という感情論だけを根拠としたもので、どこがどう「押しつけている」のか、その正当性や理由がまったくありません。そこを具体的にご指摘いただかないと、あなたの主張に共感することはできませんし、あまり一部だけを見てこのサイト全体を判断していただきくありません。(全部読まれずにご意見されているようなので)
それと、
「それでは、何故こういうことを書くのですか? 」
のご質問は、
「好き」だからこそいろいろ苦言を言っているつもりです。
では、答えになっていませんか?
好きなものに対して、「ここがこうなればもっと良くなるのに…」と思うことは自然な心理だと思うのですけど。それが不自然だと思われたら、その理由をぜひご指摘ください。最初から他者の異論をはねつけるつもりも、わたしにはまったくありませんから。(感情論はその限りではありませんけどね)
それと、最後に。
もし、「トゲの強さ」をわたしの指摘の仕方から感じたということなら、それはある意味当然のことなんです。
なぜなら、最初にも言いましたけど、「創竜伝とドラゴンボールを安易に比較する」ことに、わたしは「すごく変」だと思ったからです。何度も言いますけど、両者の問題点は本質的にまったく違うものです。(その理由も、前回ちゃんと書きましたよね)それを、設定破綻してるから、という単純な共通点だけで比較されていたからなんですよ?(設定破綻が創竜伝の最大の問題だなんて、誰も言われてませんし)その勘違いを根拠にしてこのサイトに対する反論とするのは、まったく納得できなかったものですから。
あと、わたしは根拠なく他者の尊厳を貶めるような発言はしないように努力しているつもりですが、どの部分が「トゲが強い」のでしょうか?
「大好きな田中芳樹氏の批判を読んだから反論する」
↑こういうファン心理はよくわかります。でも、こちらもそれなりの理由を明記した上で批判させていただいておりますので、上記のような感情論を省いて反論していただけると、もっと建設的な議論になると思います。
たとえば、
> 「少しぐらいは」客観的に見ておかしいと思う点もあるのではないですか?みなさん強気に主張して人に押し付けていませんか?
こういう主張の裏付けをちゃんと明記してくださいね。でないと、
「何の根拠もない言いがかりですね」で終わってしまいますから。
>根拠が足らないって、、、重箱の隅つつきますね。
根拠のない発言はタダの感情論として議論の場では相手にされません。
重箱の隅を突付く・・・というレベルでは、ないと思うのですが。
ただのファンサイトならともかく、
ここは田中芳樹について色々と議論をする場なので
根拠のない発言は控えたほうが良いと思います。
>私はフィクション作品に「こっそり」混ぜているとは思いません。
>思いっきり堂々と織り交ぜているように感じます。
堂々と混ぜているのならば、
インドネシアの大統領とか国民新聞など遠まわしに書かずに
ハッキリと実名を書いていると思います。
・・・というか、ソレ以前の問題として
中途半端に小説に虚実を混ぜて嘘なんだか本当なんだか、
分かんなくなってしまうのはマズイと思います。
大学生や社会人が主たる読者層ならば未だしも、
何かと影響されやすい中高生が田中作品のメイン読者層なんだし。
>人への影響に関してもある程度歳をとった人が読むものですから、個人的にはあれぐらいは判断してもらいたいと思います。私は、中・高校生は十分大人で責任能力があると考えていますから、これに関して異論は多々有るでしょうけど。
個人的に此処の部分には賛成です。
ですが、上記に書いた通り中高生は何かと影響され易い年頃ですから。
>このサイトで「田中氏が昔は**言っていた」とか書いていますが、人は成長するものです、主義主張も変わっても何らおかしくないのではないでしょうか?
田中氏の場合、成長ではなくて変節だと思うんですけど。
そう思う根拠は既に常連さんが示しているので省略しますが。
まだ疑問が残るところはありますが、取り合えず此処までにします。
既に他の方が指摘されている所も多く、重複している場所もあるので。
その辺はご容赦下さい。
創竜伝で右翼は街宣活動やっても警察は黙ってる、左翼がやると警察が跳んでくるような事、書いてありましたが右翼は街宣活動やるとき(止まっているとき)ギリギリまで端に寄せ回りの車の行動を妨げない様にしています。(歩行者には迷惑ですが、音が)
左翼の街宣で車を寄せるところは見たこと有りません。
また、私は右翼しか街宣中に警察から警告されたところは見たこと有りません。
これは、彼の被害妄想とは思えませんか?
現代日本をモデルとしているとしか思えない作品で政治的な嘘をつくのを読まなきゃ良いで済ませるのは正しい態度とは思えません。
でも、私は創竜伝は巻末座談の立ち読みしかしてません。