初めまして。皆さんの討論、いつも楽しく、そして勉強になるなあと思いながら拝見しています。
特に創竜伝については、それまでは結構楽しんでいたのですが、ここを見るようになってから、かなり懐疑的に読むようになり、『無茶苦茶なこと書いてるなぁ』と思うようになりました。
今日はふと気になったことがあったので、初めて投稿することにしました。
それは夏の魔術についてのことなのです。
この小説の中で能登耕平は実家の病院や財産の相続権を放棄する誓約書にサインし、相続権を放棄していますが(文庫版19p7行目)、現在の日本の民法では相続権を被相続人の生存中に放棄することは出来ないと定められているのです。これは田中氏がそういう法的なことを確認せずにうっかりそういう設定にしてしまった、ということなのでしょうか?
それとも現実を取り扱った小説ではないのだから、そんなことは気にせずに読めばいいのでしょうか?
この場で討論すべき問題ではないのかも知れませんが、皆さんの意見をお聞かせ頂ければ幸いです。
はじめまして。
よろしくお願い致します。
<特に創竜伝については、それまでは結構楽しんでいたのですが、ここを見るようになってから、かなり懐疑的に読むようになり、『無茶苦茶なこと書いてるなぁ』と思うようになりました。>
ありがとうございます。
そう言って頂けると、管理人冥利に尽きますね(^^)。
<この小説の中で能登耕平は実家の病院や財産の相続権を放棄する誓約書にサインし、相続権を放棄していますが(文庫版19p7行目)、現在の日本の民法では相続権を被相続人の生存中に放棄することは出来ないと定められているのです。>
確かにダイスさんが仰る通り、日本の民法では被相続人生存時における相続放棄はできないようですね。
以下のような判例もあるそうですし↓
・ 東京高裁昭和54年1月24日決定(判例タイムズ380-158)
相続開始前における相続放棄は法律上何らの効力も有しないのであるから・・・・相続権を主張することは権利の濫用に当たらない。
・ 東京家庭裁判所昭和52年9月8日審判(判例タイムズ558号255頁)
共同相続人の一人が、被相続人の生前に相続放棄の意思を表示したとしても、生前の相続放棄について規定を設けていない現行法のもとでは、その効力を否定せざるを得ない。
・ 東京地方裁判所平成6年11月25日判決(判例タイムズ884号223頁)
遺産分割は、共同相続した遺産を各相続人に分割するものであり、相続人及び遺産の範囲は、相続の開始によって初めて確定するのであるから、その協議についても、相続開始後における各相続人の合意によって成立したものでなければ効力を生じないというべきである。
相続放棄は、相続開始後一定期間内に家庭裁判所に対する申述によってされなければならず(民法九一五条一項)、また、相続開始前における遺留分の放棄は、家庭裁判所の許可を受けたときに限りその効力を生ずるものであって(同法一〇四三条一項)、これら相続に関する権利の相続開始前の処分が認められないのと同様、遺産分割についても、事前に協議が成立したからといって、直ちに何ら効力を生じるものと解することはできない。
民法九〇七条一項は、いつでも共同相続人の協議で遺産の分割をすることができる旨定めているが、相続開始前の分割協議の効力を認めたものとは解されない。民法九〇九条は、遺産の分割は相続開始の時に遡って効力を生ずる旨定めており、これは、相続開始後に遺産分割協議がされるべきことを当然のこととした規定というべきである。
参考:
http://www.asahi-net.or.jp/~Zi3H-KWRZ/law2soho.html
<これは田中氏がそういう法的なことを確認せずにうっかりそういう設定にしてしまった、ということなのでしょうか?>
<それとも現実を取り扱った小説ではないのだから、そんなことは気にせずに読めばいいのでしょうか?>
まあ素直に解釈すれば前者ということになるのでしょうが、より作品を楽しみたいのであれば、「その矛盾を、奇麗に説明する裏設定」を説明するシャーロキアン的解釈をするというのはどうでしょうか?
件の事例の場合、能登耕平の家族が能登耕平を勘当したがっていたのは確定していますし、兄が能登家の財産を独占したがっていた様子も描写されているわけですから、法的効果がないのを最初から承知の上で、法的問題に無知な能登耕平を家族&弁護士ぐるみでダマくらかすことを意図していたか、あるいは「お前はこの家とは関係ない人間だ」という意思表示を明確にすると共にそのことに対する同意を取り付けておく的な意味合いが強かった、とかいったところになるでしょうか。これだったら法的な問題は無効化できますし、作品論的にも彼らの言動および動機を矛盾なく説明できるのではないかと。
「現実を取り扱った小説ではないのだから、そんなことは気にせずに読めばいい」というのは、タナウツ的にはあまり推奨される読み方ではないですね。矛盾を探し、それを指摘する&シャーロキアン的解釈をするという行為自体は、田中作品に限らず、エンターテイメント作品の楽しみ方のひとつとして充分に通用するものなのですから。
私からの意見はこんなところですが、いかがでしょうか?
> この小説の中で能登耕平は実家の病院や財産の相続権を放棄する誓約書にサインし、相続権を放棄していますが(文庫版19p7行目)、現在の日本の民法では相続権を被相続人の生存中に放棄することは出来ないと定められているのです。これは田中氏がそういう法的なことを確認せずにうっかりそういう設定にしてしまった、ということなのでしょうか?
>
> 皆さんの意見をお聞かせ頂ければ幸いです。
「サインを『言質』として相続権発生後に相続放棄ないしは相続分の親族への贈与」
を行わせる事は可能でしょうし、親族と縁の薄かった耕平もそれを嫌がりはしなかったろうとも推測できます。
冒険風ライダー様、初めまして。
丁寧なレスをありがとうございます。
>法的効果がないのを最初から承知の上で、法的問題に無知な能登耕平を家族&弁護士ぐるみでダマくらかすことを意図していたか、あるいは「お前はこの家とは関係ない人間だ」という意思表示を明確にすると共にそのことに対する同意を取り付けておく的な意味合いが強かった
なるほど。そう考えると法的には矛盾しませんね。
ただ、法的無知につけ込んだ、とするなら、将来、成人した耕平がそのことを知った時、『こんな誓約は無効だ』と家族に対する糾弾の種になりはしないか、とも思ったのですが、考えてみれば、窓辺には夜の歌でも『自分はここにいてはいけないとわかっていたのだから』という描写がありますから、法的に無効である、とわかっても、きっと耕平なら何も言わないだろうなと。
きっと自分だったら追及しまくるだろうなと思いますが。
ご指摘のシャーロキアン的解釈も少しずつ身につけて行きたいと思います。
ありがとうございました。
S.K様 初めまして。
レスありがとうございます。
そうですね。
確かに『言質』としてサインした、と言う可能性もありますよね。
この部分を読んだ時、自分としては『即座に相続権の放棄が行われ、既に法的効力を発揮している状態である』と解釈していたので。
ご意見、ありがとうございました。