最近どうも遅筆になってしまってます。時間をかけて書いているといえば聞こえはいいのですが、3月の頃に比べるとやっぱり遅いんですよね(^^;)。まああの頃の執筆速度が異常に早かっただけなのかもしれませんが。
今回はストーリー評論が中心です。では始めましょうか。
P114上段~下段
<拡大する混乱を眺めながら、始は政治犯たちの運命が気になった。兵士たちの銃撃を免れて逃亡したとしても、不毛の荒野で迷うことにならないか。助けてやるべきではないのか。
だが黄老は始の感傷を否定した。
「彼らは幼児ではない。自分の足で立てるはずだ。ひとりひとりの意思と判断とが、彼ら自身を救うだろう。いいかね、お若いの」
黄老の両目が力感をこめてかがやいた。始は圧倒され、黄老の話に聞きいった。
「他人にくっついて後々までめんどうを見てもらおう、などということを考える者は、そもそも革命だの解放だのを志したりはせんのだ。他人に運命やら人生やらを委ねるのが嫌だからこそ、損を承知で戦うのだからな」
他人の背に自分の身体をあずけるのはいいんだな、と、続は皮肉に考えたが、口には出さなかった。始にしかられるだろうし、一言いえば一〇〇倍になって返ってくるのが明白であったからだ。黄老はさらにつづけた。
「まず自分自身を救うことだ。それもできんで他人の運命に干渉する資格なんぞない」
「はい、わかりました」>
はじめに言わせてもらうと、竜堂兄弟に助けられかつ護衛され、しかも「自分の足で立」ってもいない黄老にあんな道徳論を言う資格はありませんね。政治犯たちにしてみれば「何で一人だけ助けられたあいつにあんな事を言われなければならないんだ。俺たちだって死にたくない」というのが本音でしょうに。黄老の道徳論で見殺しにされた政治犯こそいい面の皮です。それに納得する竜堂兄弟もアホですけど。
そもそも「勧善懲悪もどき」の創竜伝で、しかも常識はずれ(それも尋常ではないほどの)の力を持つ竜堂兄弟に対してこんな「常識論」を唱えても全く意味がないのでは? 政治犯を見殺しにしては「勧善懲悪」にならないし、彼らの力をもってすれば、兵士たちを全滅させて政治犯を救出する事は充分に可能です。最後まで面倒を見る必要はないでしょうが、安全な場所まで運ぶぐらいはやっても良かったのではないでしょうか? 政治犯に恩を売ることもできるでしょうし、「政治犯を救出した」と宣伝する事で北京政府のイメージダウンにもなります。「勧善懲悪」を訴えたいのならこれぐらいしなければ。
しかもこの先の記述では、逃亡した政治犯が追手に撃たれ、竜堂兄弟が激発する場面がありますが(P192~P193)、「そこで怒るくらいなら最初から助けておけ!」とツッコミたくなりましたね。しかも自分たちが政治犯たちを見捨てた事については何の反省もありません。このあたり、竜堂兄弟の行動原理はかなり破綻しています。感情のままに動いているからこんなことになるのでしょうけど。
結局のところ、竜堂兄弟の行動原理がその場その場の感情であるというのが最大の問題点ですね。自分の感情に訴えた相手だけを助けたいというのは偽善以外の何者でもありません。50億人抹殺計画「染血の夢」の阻止もどちらかと言えば感情でやっているみたいですし。竜堂兄弟を見ていると「ただ感情にまかせて権力者をなぎ倒す」事しか頭になく、「何のために戦っているのか」という命題が全くないような気がします。これでは「勧善懲悪もの」としては失格ですね。読者に何の共感も与えないのですから。
それと以前から思うのですが、竜堂兄弟の力が尋常なものではないという設定はいいのですが、強大な力を持っているがゆえに自制しなければならないという主張がどこを探してもまったくありません。「特殊な力を持った主人公たちによる勧善懲悪もの」では結構重要なテーマのはずなんですけどね~。「特殊な力」に魅了されて暴走する危険性と常に隣り合っていなければならないのですから。現にそうなっていますしね(^_^)。
P123上段~下段
<「……長兄たる者、楽じゃないのう」
黄老は白髯のなかで微笑した。
「生まれ育った日本を捨てることになっても、知るべきことは知らねばならぬ、か」
「別に日本は惜しくないです」
辛辣な台詞は次男坊続のものである。
「だが日本は繁栄しているのだろう? 世界一といわれるほどに」
「その繁栄とやらは、ギャング級並のモラルしか持たない財界指導者とやらが、法も倫理も、サラリーマンの権利も消費者の幸福も、すべて無視して、外見だけはでに飾りたてた砂のお城ですよ」
「ほう、手きびしいのう」
黄老は笑った。
「すると、こうは思わんのかね。日本はアメリカのいうなりになるのをやめて、独自の道を歩むべきだ、とは」
「日本がアメリカと対決して独自の道を歩むと喚いたところで、どこの国が応援してくれるというんです?」
続の声は、氷点のはるか下にある。
「アメリカを敵にまわすことになっても日本との友情に殉じる。そういってくれる国が地球上のどこにあるというんですか」
「ざまあみろ、ひどい目にあうがいい、と手をたたいて喜ぶ国なら五〇ぐらい心あたりがあるがな」
辛辣な台詞を、悠然たる口調で黄老はいってのけた。>
今現在中国の「圧政と暴政」に苦しんでいる中国国内の50以上の民族や、華僑勢力が牛耳っている東南アジア諸国は、中国がアメリカに敵対した時には、さぞ「ざまあみろ、ひどい目にあうがいい、と手をたたいて喜ぶ」ことでしょうな(^_^)。中国こそ、北朝鮮と並ぶアジアのトラブルメーカーであり、他国から嫌われているという事を知らないのではないでしょうかね。
それにしても田中芳樹は、何か日本の財界に恨みでもあるのでしょうか? あれほど中国礼賛で「長安の繁栄はどこよりも素晴らしい」だの「中国それ自体はりっぱに生き残るさ」などと言っておきながら、日本になると突然冷酷非情になるのはどういう事なのでしょうか。だいたいあなたの言う「ギャング級並のモラルしか持たない財界指導者」が日本のために努力したからこそ、今の日本の経済的繁栄があるのではないですか。すくなくとも全く無意味ではないであろうその成果を「法も倫理も、サラリーマンの権利も消費者の幸福も、すべて無視して、外見だけはでに飾りたてた砂のお城」とまで貶める神経は理解に苦しみます。田中芳樹の小説「夢幻都市」において、
「私はただ自分の職業が不当に侮辱されるのが、がまんできなかったんです。東堂さん、あなたにしても、ご自分の事業が単に金銭もうけのためだと言われれば、愉快ではないでしょう。何かを創る、何かを興すということは、すくなくとも当人にとっては意義があるはずです。それを否定されたとき、へらへら笑っていられる奴は、単なるばかですよ」(P38上段~下段)
と主人公相馬邦生に言わせていたのは何だったのですか? せめて自分で主張した正論ぐらいはきちんと守ってくれませんか?
それと「日本はアメリカから離れて独自の道を……」の方はあまりにもばかばかしすぎて呆れてしまいましたね。今の日本がアメリカに敵対してそもそもどんな利益があるのかという視点が見事に欠如していますし、「日本は世界の嫌われ者」という全く架空の前提で論じています。竜堂続は「親日国家」というものの存在など全く考えた事もないのでしょうね。だいたい今の日本とアメリカが戦争しなければならない必然性が全くないではありませんか。
そして一方では日本を「アメリカの忠実な属国」とののしり、「独自の道を歩めば」と言われれば「日本がアメリカと対決して独自の道を歩むと喚いたところで、どこの国が応援してくれるというんです?」では話になりませんね。現状維持も独立独歩もダメだというのでは一体どうすれば良いというのでしょうか? まさか「中国に征服されれば良い」とは言わないでしょうね(-_-;;)。結局竜堂続は、いかなる口実でもいいから日本を罵りたいだけなのですか。
かくのごとく理論が支離滅裂な竜堂続が「聡明な毒舌家」などと言われるくらいですから、創竜伝全体の知能指数も相当低い水準なのでしょうな(もともと高いとは思っていませんでしたが(^^;))。「ラインハルトと対等の条件で勝負してみたらどうなるか」という命題を「戦略的に無意味な仮定だ」と言ってのけたヤン・ウェンリーの智謀を少しは見習ってもらいたいものですね、あんな会話をしている2人には。
P124下段~P125上段
<一九三一年から四五年まで、中国を侵略した日本軍は非道のかぎりをつくしたといってよい。関東軍特殊部隊による人体実験では、捕虜の身体にコレラ菌やチフス菌を植えつけ、生きたまま解剖して脳や心臓を取り出した。蒙古連合自治政府では大量の麻薬を製造販売し、多くの麻薬中毒患者をつくりだした。そして「三光作戦」。三光とは「殺光、焼光、略光」で、これは「殺しつくし、焼きつくし、略奪しつくす」という意味である。南京で、撫順で、その他の都市や村で、一〇〇〇万にのぼるといわれる中国人が日本軍に虐殺され、財産を奪われ、そして女性は暴行された。>
だから「中国を侵略した」日中戦争は「一九三一年から四五年」じゃなくて「1937年から45年」だってば(T_T)。中高生を対象にしている小説が歴史教科書と違う記述をしてどうするのですか。満州は中国本来の領土じゃないって。あそこが女真族の領土で、しかも漢民族の王朝が領有した事が一度もないという事を「紅塵」を書いている田中芳樹が知らないはずがないのに。
それに「三光作戦」というのは中国共産党が「日本軍の悪行」とやらを断罪するためにでっちあげたプロパガンダですよ。第一「殺光、焼光、略光」って中国語ではありませんか。どこの世界に敵国の言葉を使った作戦名を考える人がいるのでしょうか? 中国通を自認している田中芳樹ともあろうものが、これらの言葉が中国語であると見破れなかったのは不思議な限りですね。
後、日中戦争における犠牲者数は、すくなくとも今の中国政府が存在しつづける限り特定は不可能です。かの国は数字の改竄なんて当たり前なんですから。そもそも田中芳樹自身、「中国は言論の自由がない国だ」とあれほどしつこく主張していたではありませんか(中国批判と言えばこれくらいしかないし)。いくらあなたの大好きな中国であるからといって、そんな国の資料を頭から信用する事自体間違っていませんか?
P125上段
<一九〇四年から五年までの日露戦争で、日本軍は「規律正しく、よく国際法を守るりっぱな軍隊だ」と諸外国から賞賛された。それからわずか三、四〇で、日本軍は、野獣の群れにまで堕ちてしまった。日本軍だけでなく、おそらく大多数の日本人が変わってしまったのだ。一九三〇年代の人気作家が書いた文章を読んでみると、「あの薄よごれた中国人どもと、高貴な日本民族とが、同じ平等な人間であるはずがない」とか「日本が幸福になるために他の国が犠牲になるのは当然だ」とか書いてある。この作家はたぶん正直だったのだろう。だがその正直さは、高貴さとは何の関係もない。>
そりゃ旧日本軍も完全無欠の軍隊ではなかったし、特に軍上層部はかなり愚かであったかもしれませんが、組織や制度のあり方を批判するのではなく、「野獣の群れにまで堕ちてしまった」と道徳的に貶めている上、さらにそれをもって「大多数の日本人が変わってしまったのだ」などと何ら関係のないことを口走っていますね。この2つに一体どんな相関関係があるというのでしょうか? 戦場という特殊な環境における残虐行為(しかも中国の場合、ゲリラ戦ばかりでしたし)をもって一国の国民性を問うという姿勢は、どこか狂っているように見えます。
しかも「一九三〇年代の人気作家が書いた文章」などというシロモノまで取り上げ、さも当時の日本人全てが狂気の集団であったかのような記述をしてもらっては困りますね。一部の発言や著書をもって、さも日本人全部がこのように考えていたと断定するような記述は、田中芳樹が嫌っているはずの「自分に都合のよい情報操作」ではありませんか。この先の社会評論で湾岸戦争でのアメリカの情報操作を批判していながら、自分も同じ事をやっていては説得力はありませんね。
ところで戦前の日本の軍国主義や言論統制を批判するのならば、当時の朝日新聞の主張こそ批判の好材料であるはずなのに、何でそっちの方は取り上げないのでしょうね。やはり何らかのシンパシイがあるのでしょうか?
それでは久々に文章改編をしてみましょうか↓
<一九八〇年代、銀英伝やアルスラーン戦記を世に出した田中芳樹は「面白い小説を書く一流の小説家だ」と読者から賞賛された。それからわずか一〇年足らずで、田中芳樹は、偏向社会評論を垂れ流す三流作家にまで堕ちてしまった。田中芳樹だけでなく、おそらく大多数の読者の、田中芳樹を見る目が変わってしまったのだ。異常なほど中国礼賛にこだわっている一九九〇年代の創竜伝を読んでみると、「あの薄よごれた日本人どもと、高貴な中華民族とが、同じ平等な人間であるはずがない」とか「中国が幸福になるために他の国が犠牲になるのは当然だ」とか書いてある。この作家はたぶん正直だったのだろう。だがその正直さは、高貴さとは何の関係もない。>
どんなに小説の中に事実を捻じ曲げた一方的な偏向社会評論を書き連ねても、高貴さや面白さとは全く関係ないのですよ、田中センセイ。まあ正直ではあるのでしょうけどね(^_^)。
さて、今回はストーリー評論を少し展開してみましょう。
創竜伝の矛盾のひとつに「敵対する陣営の対立原因がわからない」というのがありますが、黄大人率いる華僑組織と四人姉妹との対立もそのひとつです。
黄大人は竜堂兄弟に対して「黄老を救出してくれ」と依頼し、様々な手助けをするのですが、それによって四人姉妹との対立を招いてしまいます。しかし黄大人はともかく、華僑組織にとって四人姉妹を敵にまわしてまで黄老を助ける必要があったのでしょうか?
そもそも華僑組織が四人姉妹と対立すべき理由は何もありません。創竜伝のストーリー上でも、すくなくとも竜堂兄弟をかくまうまでは共存共栄していたのですし、華僑の歴史を見ても彼らは欧米列強と手を組み、植民地の支配階級になっていた歴史があります。むしろ華僑組織と四人姉妹は反日主義という共通項があるのですから、手を組む事さえできるわけです。黄老の救出の件にしても、四人姉妹と手を組んで中国政府を脅せば簡単に返還してくれる事でしょう。何しろ四人姉妹は「中国国家主席」を暗殺する事もできる実力を持っている(創竜伝7 P214)のですから脅すなんて簡単な事です。ましてや、黄老は中国政府にとっては「単なる政治犯」でしかないのですから。
では四人姉妹の陰謀「染血の夢」計画に対してはどうなのか? 実はこれも華僑組織にとっては他人事でしかありません。彼らは相当な資産家ですし、どこで手に入れたのか「染血の夢」計画についてもかなり詳細な情報を持っています。その気になれば自分たちだけ「安全な国」に移住して悠々と生活できるわけです。華僑は土地に対して大した執着もないでしょうから、心理的にも何の障害もありません。華僑組織は四人姉妹の意向に逆らわなければそこそこの繁栄をきずくことができる立場にあり、わざわざ四人姉妹に逆らう事をする必要がないのです。
ではなぜ黄大人は竜堂兄弟をかくまい、四人姉妹と対立したのか? 突き詰めてみると、どうも黄大人の個人的感情が最大の原因のようです。おそらく感情に突っ走って「四人姉妹の手を借りずに兄を救いたい」とでも考えたのでしょう。しかしそれによって彼は四人姉妹を敵にまわし、華僑組織を危機に陥れているわけです。自分の兄に対する感情と、「四人姉妹に頼りたくない」というプライドだけで。はっきり言って彼は組織を束ねる者としては失格ですね。8巻で彼が殺されたのは華僑組織のためにもよかったことです。彼が殺された後、華僑組織は四人姉妹との対立理由が失われてしまい、竜堂兄弟一党と手を切ることになります。結局、ストーリー的には何のために登場したのかも分からないままに華僑組織は黄大人もろとも創竜伝から姿を消してしまいました。
黄老もストーリー的には何のために登場したのか全く理解できません。一応彼には「竜堂兄弟に竜泉郷を案内する」という役目があったのですが、最初は「秘密の地下道を進めばよい」という設定だったはずなのに、竜に変身した竜堂兄弟に対して
「暗い地下の通路を這い進むなど、お前さんたちには似合わぬ。天を翔けよ。高く遠く、天空の路を赴け」(創竜伝7 P210)
などと主張して、結局道案内の役を果たしていません。これでは黄老を助けなくても竜堂兄弟は竜泉郷に行くことができたことになるではありませんか。これからいくと、そもそも何で竜堂兄弟と華僑組織が手を組む必要があったのかという疑問さえわきますね。お互い感情で動くもの同士、さぞかし気が合ったのでしょうけど(^-^)。
もっとも、なぜ田中芳樹が黄大人や黄老、そして華僑組織を登場させたかという理由はとても単純明快なものでして、単に中国礼賛と、中国人による日本断罪論を書きたかっただけなのでしょう。黄老も道案内よりも社会評論の方に熱が入っているし。あんなシロモノを書きたいがためにストーリー矛盾を引き起こすのはやめていただきたいものです。小説で社会評論を展開したいがためにストーリー設定をおろそかにするなど、本末転倒ではありませんか。
銀英伝やアルスラーン戦記などのストーリー設定の矛盾は「いくら指摘しても作品の面白さを損なうものではない」し「むしろ作品の魅力を見直すものである」とさえ言えますけど、創竜伝ではそうはいきませんね。何といっても、ストーリー自体が全然面白くないのですから。社会評論をやりたいがためだけにキャラクターを登場させている可能性が高く(あの社会評論の力の入れようは異常です。ストーリーと何の関係があるのでしょうか)、しかもこんなストーリーの根幹にかかわる矛盾点が創竜伝は多すぎです。社会評論だけでなく、小説のストーリー設定においても創竜伝は三流以下であると断定してよいと思いますね。あれほど設定が充実していた銀英伝にくらべ、何とひどい事か。
それにしてもこのシリーズをやっていて思うのですが、私ほど創竜伝を辛口評価している人はなかなかいないのではないでしょうかね。この掲示板で一番の過激派かもしれない(笑)。
No.1446P125上段
><一九〇四年から五年までの日露戦争で、日本軍は「規律正しく、よく国際法を守るりっぱな軍隊だ」と諸外国から賞賛された。それからわずか三、四〇で、日本軍は、野獣の群れにまで堕ちてしまった。日本軍だけでなく、おそらく大多数の日本人が変わってしまったのだ。一九三〇年代の人気作家が書いた文章を読んでみると、「あの薄よごれた中国人どもと、高貴な日本民族とが、同じ平等な人間であるはずがない」とか「日本が幸福になるために他の国が犠牲になるのは当然だ」とか書いてある。この作家はたぶん正直だったのだろう。だがその正直さは、高貴さとは何の関係もない。
まず、この「諸外国」ってのが曲者ですね。おそらく、当時の諸外国のメインはアメリカやイギリスだったでしょうから。日露と大東亜戦争では友好関係が180度違います。また、前に話題が出ていたと思いますが、これらの国は味方が敵になったとたん思いっきり評価の手のひらを返すことで有名ですからね。
あと、「一九三〇年代の人気作家」などと匿名にするのも謎ですね。漱石や芥川は実名で使っているくせに(笑)。やましいことがなければ実名で批判してもいいはずですけど。