はじめまして。
最近このサイトの存在を知り、一週間ほどかけて過去ログに目を通しました。サイトが長く続いてるから当然でしょうけど、過去ログは莫大な量ですね! 不沈戦艦さんや冒険風ライダーさんの機知豊かな連載(?)は掲示板というものの上だけでなく、一冊の本にしたとしても充分読み応えがあると感じました。スゴイです。
田中芳樹氏の作品は「アルスラーン」から読み始め、「銀英伝」「創竜伝」「マヴァール戦記」「その他の一冊完結物、短編集」という具合に読んでいました。創竜伝だけは八巻辺りで「なんかつまらないんだよな・・・・・・不愉快なんだよな・・・・・・・・・」と読むのを止めてしまい、それ以来触れていません。
このサイトの過去ログを読むうちに、自分がなぜ創竜伝を読むのを止めたのかわかった気がしました。私の場合、「でたらめな社会評論に嫌気が差した」というより「訳知り顔でものを言う(ように受け取れる)作者の執筆姿勢」がイヤだったのだと思います。夜見返してみると銀英伝にもそういう姿勢は垣間見えるのですが、小説としての完成度が(というとうさんくさいけど、要は私をのめり込ませてくれたかどうか)それを帳消しにしていたのかもしれません。とすると、私にとって創竜伝は単に「ヘタな小説」とも言えます。
ところで、過去ログをざっと見た後に私がふと思いついたことについて書かせていただきます。田中芳樹氏のキーワードであるところの「作中に盛り込まれる社会評論」、「日本人蔑視」、「最近寡作の小説家」、というキーワードから、私はすかさず島田荘司氏を連想したのですが。ここに書き込まれている皆様のなかで、そういう思いつきをされた方はいませんか? 単に私が島田氏のファンでもあるから結び付けただけかもしれませんが(+_+)。島田氏の場合、「社会評論が盛り込まれることにより小説がつまらなくなった」というわけではなく、むやみやたらと同人誌界にすりよろうとする最近の姿勢をいかがなものか、と感じてしまうのですが。それはともかく、両者を比較して論じたら面白そうだなあ、と思いました。「じゃあやってみて!」と言われたら色々悩んで知恵熱でそうですが(^_^)。考察、検証の類は苦手なんです。その点からも常連の方々はスゴイ、と思います。本当に。
長々と書いてしまいました。
これからもちょくちょく覗かせていただきます。よろしくお願いします。
初めまして。駆け出しでございます。
>島田荘司氏を連想したのですが。ここに書き込まれている皆様のなかで、そういう思いつきをされた方はいませんか?
島田氏との比較考証はなかなかに興味深いですね。
私は以前より、ともに衒学的であり、漫画・アニメ好きであり、ヒット作が講談社より発行されているという理由で、田中氏と京極夏彦氏を比較すると面白いのでは、と思っていました。
あと、ほぽ同世代で、中国指向ということで宮城谷正光氏との比較も興味深いです。
もうひとつ、作品の世界観や執筆態度が、田中氏とは対極にあるという理由で宮部みゆきさんとの比較はいかがですか。
どなか詳しい方はいらっしゃらないでしょうか。
はじめまして、Millsさん。
島田荘司氏が話題に挙がってますので、遅ればせながらですが参加させてくださいね。
<「作中に盛り込まれる社会評論」、「日本人蔑視」、「最近寡作の小説家」、というキーワードから、私はすかさず島田荘司氏を連想したのですが。ここに書き込まれている皆様のなかで、そういう思いつきをされた方はいませんか?>
ご指摘されるまで気づきませんでしたが、言われてみると「結構近いものはあるかも…」と思います。
ただ、島田荘司氏の著作は「御手洗潔(ご存じない方のための注「みたらいきよし」と読みます)シリーズ」以外は二、三作品しか私は読んでいませんので、それを先にお断りしておきますね。
確かに、御手洗潔のメンタリティーは竜堂兄弟の、特に年長組に似ているとは感じました。
他人を小馬鹿にした言動、特に社会的地位が高い人や有名人に対してする事が多いとか、妙に反骨精神が旺盛なところとか。
でも私の場合、御手洗潔はまだ許容範囲内に収まってます。
「占星術殺人事件」や「異邦の騎士」「数字錠」などでの彼は好きですから。
<田中芳樹氏と比較して論じたら面白そうだなあ、と思いました。「じゃあやってみて!」と言われたら色々悩んで知恵熱でそうですが(^_^)。考察、検証の類は苦手なんです。>
自分から話もふらず、人様の話の尻馬に乗っかってる私が言うのも何ですが、具体的な例、つまり根拠を述べる事から始めないと、比較する事すらできないと思うのですが、いかがでしょう?
まず、Millsさんから見た島田荘司氏の「作中に盛り込まれる社会評論」「日本人蔑視」についてお話していただけませんでしょうか。
そこから、田中芳樹作品との比較、考察、検証と展開させられると思うのですが。
それでは、また。
駆け出しさんへ
レスありがとうございます。
>私は以前より、ともに衒学的であり、漫画・アニメ好きであり、ヒット作が講談社より発行されているという理由で、田中氏と京極夏彦氏を比較すると面白いのでは、と思っていました。
京極夏彦氏の作品は第一作しか(「うぶめ」って漢字が出ない…。)読んでいないです。田中氏と比較をするために、というわけではなく、もう少し色々読んでみようと思います。一作しか読んでいないけれど、確かに衒学的だとは思いました。
>あと、ほぽ同世代で、中国指向ということで宮城谷正光氏との比較も興味深いです。
うっ、名前も初耳です(T_T)。ここの皆さんのログを読むと、私の小説の嗜好って狭すぎるよな、としみじみ痛感します。もっと本を読もう!私!
>もうひとつ、作品の世界観や執筆態度が、田中氏とは対極にあるという理由で宮部みゆきさんとの比較はいかがですか。
執筆態度が対極にあるというのは、わかる気がします。宮部みゆきさんはコンスタントに大作を送り出していますよね。 でも、世界観というのは? 彼女の作品を読んでいたのは結構昔で、しかもミステリーとして楽しんでいたのでよくわからないです。一方、田中氏の世界観というのは「創竜伝」に集約されるアレなのでしょうか。
あけみさんへ
レスありがとうございます。
>ただ、島田荘司氏の著作は「御手洗潔(ご存じない方のための注「みたらいきよし」と読みます)シリーズ」以外は二、三作品しか私は読んでいませんので、それを先にお断りしておきますね。
>確かに、御手洗潔のメンタリティーは竜堂兄弟の、特に年長組に似ているとは感じました。
>他人を小馬鹿にした言動、特に社会的地位が高い人や有名人に対してする事が多いとか、妙に反骨精神が旺盛なところとか。
>でも私の場合、御手洗潔はまだ許容範囲内に収まってます。
>「占星術殺人事件」や「異邦の騎士」「数字錠」などでの彼は好きですから。
私も島田作品を網羅しているというわけではないです。ノンフィクションや社会評論(そういえば島田氏は都市や車についての社会評論を出版している)、あと光文社文庫で出ている作品は結構見落としている気がします。
御手洗潔については私も文句ないです。御手洗潔の口を借りて天下国家をこき下ろすようなことは、島田氏はしていません。「田中氏との比較」という観点で御手洗シリーズを読み返していたのですが、なんというか、違うのです(我ながら語彙に乏しい…)。島田氏の作品は、「社会評論」の具体例をつまみ出すことが出来ない。社会評論が作品の核になっていて、小説の中にしっかり根を張っている感じ。「僕がこう言いたいから書いちゃうよ」という印象の(要するに行き当たりばったりな)田中氏のそれとはぜんぜん違う。
例えば島田氏の「ら抜き言葉殺人事件」という作品がありますが、この内容はタイトルそのままです。ら抜き言葉についてちまたで賛否両論溢れていた頃に書かれたもので、「ら抜き言葉は是か非か」という問題に対する(おそらくは)作者の見解が作品中に含まれています。さらに、「ら抜き言葉」というキーワードから発展し、何をもって善悪を判断するのかが曖昧な日本人社会を描き出しています。いわゆる「社会派」と呼ばれる作品ですが、この作品から仮に「ら抜き言葉という社会評論キーワード」を取ると、小説としてはまったく成り立たなくなります。(色々引用した方が説明しやすいのですが、推理小説なのでうかつに引用してはマズイのかな…)
島田氏にしても田中氏にしても、その作品を面白いと思うかどうかは(過去ログで色んな方が言われているように)人それぞれだと思います。けれど、例えば島田氏の前述の作品を「小説なのに、無意味な社会評論読まされてうんざりだよ」と言う人はいないでしょう。田中氏が作中に盛り込む社会評論は、「的外れ」以前に「作中で有機的に機能していない」ことによる空々しさが問題だと思います。創竜伝が手元にないのでびしっと指摘は出来ませんが、あの作品中の社会評論はたいてい「脈絡もなく」「登場人物の理屈っぽい思考回路の中で」「大なり小なり独善的に」展開されていませんか?
うーん、自分の思うことを他者にきちんと説明するのって難しいです。知恵熱出ます。
今度からはもっと上手に論じられるように勉強します。
駆け出しでございます。
>一作しか読んでいないけれど、確かに衒学的だとは思いました。
くわえて申しあげますなら、田中作品も京極作品も、同人誌作家に多くのネタを提供していますね。
私としては、ぜひ、京極堂に田中氏の憑きものを落としてもらいたい気もします。
>執筆態度が対極にあるというのは、わかる気がします。宮部みゆきさんはコンスタントに大作を送り出していますよね。 でも、世界観というのは? 彼女の作品を読んでいたのは結構昔で、しかもミステリーとして楽しんでいたのでよくわからないです。一方、田中氏の世界観というのは「創竜伝」に集約されるアレなのでしょうか。
そう申しあげてよいかと。宮部さんもご自分の作品の中で社会批判をなさっています。ただ、それが田中氏ように、批判のための批判になっていないあたり、上手いと思わされます。
一例を。
――いや、それが当然なのだ。なにかの形でハンディを背負っている人間が生きやすいようにできていなければ、文明国とは言えまい。
事故や、病気や、あるいはただ歳をとっていくだけでも、人は弱くなる。生きていくうえで、さまざまな支えを必要とするようになる―中略―電気仕掛けで卵を泡立てる機械を作れる国なのだから、なぜもっと、本当に〈便利さを必要としている〉人間のためになるように、その技術を活かすことを考えないのだろう。自分でなんでもやれる人間を甘やかし、怠惰にさせる道具ばかり発明しているくせに、ある一点、二点で機械や動力の補助を必要としている人間に対しては、やれ強くなれの、やれ我慢しろのと平気で言っているような気がする。たとえばテレビ電話が早く実用化されれば、聴覚障害者はどれだけ助かるか――(竜は眠るより)
これはれっきとした日本の社会に対する批判だと思います。それもかなり辛辣な。でも、田中氏とはずいぶんとちがうと思われませんか?
私が申しあげた世界観のちがいとは、つまりこのことです。
Millsさん、レスありがとうございます。
<あと、ほぽ同世代で、中国指向ということで宮城谷正光氏との比較も興味深いです。>
<うっ、名前も初耳です(T_T)。ここの皆さんのログを読むと、私の小説の嗜好って狭すぎるよな、としみじみ痛感します。もっと本を読もう!私!>
宮城谷正光作品は「王家の風日」(わたしが持っているのは文春文庫版)なら、わたし読みました。
これは殷周革命を題材にした話です。
もし週間少年ジャンプに連載していた藤崎竜氏の「封神演義」をご存じなら、「王家の風日」もより楽しめると思います。(「おっ!元ネタは、ここからか!?」といったエピソードが色々あるので・・・)
そして現在、図書館で借りてきた「太公望」全三巻を読んでる真っ最中なわたし(*^o^*)
<御手洗潔については私も文句ないです。御手洗潔の口を借りて天下国家をこき下ろすようなことは、島田氏はしていません。「田中氏との比較」という観点で御手洗シリーズを読み返していたのですが、なんというか、違うのです(我ながら語彙に乏しい…)。島田氏の作品は、「社会評論」の具体例をつまみ出すことが出来ない。社会評論が作品の核になっていて、小説の中にしっかり根を張っている感じ。「僕がこう言いたいから書いちゃうよ」という印象の(要するに行き当たりばったりな)田中氏のそれとはぜんぜん違う。>
<例えば島田氏の「ら抜き言葉殺人事件」という作品がありますが、この内容はタイトルそのままです。ら抜き言葉についてちまたで賛否両論溢れていた頃に書かれたもので、「ら抜き言葉は是か非か」という問題に対する(おそらくは)作者の見解が作品中に含まれています。さらに、「ら抜き言葉」というキーワードから発展し、何をもって善悪を判断するのかが曖昧な日本人社会を描き出しています。いわゆる「社会派」と呼ばれる作品ですが、この作品から仮に「ら抜き言葉という社会評論キーワード」を取ると、小説としてはまったく成り立たなくなります。>
はい~島田氏が御手洗潔に言わせる事が多いのは「社会評論」というより「日本人批判」ですね。
Millsさんが上記で例に挙げている「ら抜き言葉殺人事件」のように、「これ」を取ったらストーリーもテーマも成り立たない、というものに関しては何も言うことはないのですが・・・
これのように↓・・・
引用「眩暈」講談社ノベルズ版99ページ上段より
(横浜にある御手洗潔と石岡和己の住まいを、東京大学の理学部化学課の古井教授が訪問してきた時の雑談、というか長い前振りの一節・・・(^-^;))
(石岡が)紅茶茶碗を持って戻ってくると、二人は、こんどは私にもいくぶん理解できるような話をしていた。
「御手洗さん、君はなかなか先見の明があった。今や自然科学の最先端は、分子生物学になった観があるよ。物理学や遺伝学はもはや過去の学問だといわんばかりの状況だ。もう物理学者がノーベル賞を取れる時代じゃないね」
「そういうことですね。でも日本では未だに遺伝学に生物科学でしょう?」
すると古井教授は苦笑した。
「すべて君の言う通りになった。日本に分子生物学なんか置いてる大学はないよ」
「日米の米問題が起こって、専業農家がほとんどなくなった現在においても、農学部をなくす大学などどこにもない」
「それだけじゃないよ。ポスドクなんて制度は日本にはないしね、私もアメリカの学者や研究家の現状をつぶさに見てきてね、衝撃を受けたよ。研究家の鍛えられ方が、日本とアメリカとではまるで違っている。日本のはねえ、徒弟職人の制度とまったく同じだね。大学院で、院生に系統だった知識と技術を冷静に授け、鍛えるということがほとんどないんだね。みんななんとなく教授の下についてね、バイブリダイゼーションのやり方とか、アイソトソープを使ったラヴェリングのやり方なんかを、見よう見まねで憶えるんだね」
「そう、タルベッコの研究室から、第一線の情報が電話で入ってくるなんてこともないしね」
「まあだからね、日本からノーベル賞学者がなかなか出ないわけだと思うね。こりゃまるで違ってる。学生の鍛えられ方が違うよ、日本とアメリカじゃね」
「高校まではね、アメリカより日本の学生が大きくリードしています。でも大学に入ったら、日本の圧倒的リードはあっという間に逆転するんです。日本の場合、大学にはいることが目的なんです。大学内で何を勉強し、どんな研究成果をあげるか、なんてことは問題ではない」
「そういうことだね」
古井教授は、私の淹れた紅茶をすすりながら言う。
「すへてが徒弟制度的枠組の中で、教授になって偉くなることが目的ですから、農学部でも理学部でも、なんだっていいんですよ。田舎に帰れば、そんなこと誰にも判りはしませんから。だからここ何十年かの科学の前進の速度を見ると、日本の知的期間の遅れぶりは強烈なものがありますね。アメリカでは古い学部を潰して、新しい学部を作っていますよ。そうやって、学問の先端の要求に対応しているんです。日本の知的将来は暗澹としたものがありますね」
「この国では、学者は学問の最先端じゃなく、後ろの方ばっかり見て、偉くなって威張ることを第一に考えるからね。しかし今、おまえんところの学部は潰して分子生物学教室にして、利根川さんを教授に持ってくるからおまえはクビだと言われてもね、私は路頭に迷ってしまうからね。あんまり賛成はできないというのが正直なところだね」
(後略)
*注意:この話は1992年9月に講談社から出たハードカバー本が初出です。
よって島田荘司氏が執筆したのは、それより以前ですから、現在の日本の大学・研究機関事情とはそぐわないとことも考えられます。
上記の文では「タルベッコの研究室から、第一線の情報が電話で入ってくるなんてこともないしね」とありますが、現在ならインターネットも発達してますし、あちこちの研究機関同士で頻繁な情報交換が行われているかも知れませんし。
(引用文の最後に名前が出た利根川進教授はノーベル医学生理学賞を先日授賞したから~って思ってたら、利根川氏は現在マサチューセッツ工科大学の教授で、日本の大学教育の現状について辛辣な批判をしてましたわ~)
上記の文は「眩暈」のストーリーにも、設定、謎解きにもまったく関係ないシロモノです。
「ストーリーにも話の設定にもぜんぜん関係ない日本の大学・研究機関批判」を延々とされたときには「おいっっ!待てやコラ!」(-_-#)となってしまいました・・・
ちなみに、ストーリーの主軸である「ある青年の手記」を古井教授から御手洗と石岡に知らされたのは、この「ストーリーにも話の設定にもぜんぜん関係ない日本の大学・研究機関批判」から、更に4ページも後のことです。
「ある青年の手記」に御手洗たちが関わり、その手記に書かれた惨劇に秘められた真相を御手洗が嗅ぎつけるまでの道程に「ストーリーにも話の設定にもぜんぜん関係ない日本の大学・研究機関批判」やら、その他の省略なり簡略なりしても差し支えないような文章がやたらと長くてこれには参りました~
ただ、それでも「創竜伝」のように、ストーリーや作品世界設定を崩壊させてしまうような(ソビエト連邦崩壊にまつわる様々な矛盾や歪みなど)「評論を小説に入れる」ことはないだけ島田作品の方がマシなのでしょうか・・・
<(色々引用した方が説明しやすいのですが、推理小説なのでうかつに引用してはマズイのかな…)>
これは悩みますよねぇ~
わたしの場合、犯人やトリック、事件の謎を解くキーに相当するもの、は書き込まないようにしています。
だから前回、なぜ「占星術殺人事件」「異邦の騎士」「数字錠」での、御手洗潔が好きなのか書き込めませんでした。(思いっきり3つのどれかに引っかかってしまうので)
<例えば島田氏の前述の作品を「小説なのに、無意味な社会評論読まされてうんざりだよ」と言う人はいないでしょう。>
たとえ、しっかり調査を行い、深く考察し、正鵠を射た評論や批判であっても、上の「眩暈」の例のような、ストーリーにも、作品世界設定にもまったく関係ないような話は「もうちょっとどうにかならんか~」とは正直な感想ですね~。
<田中氏が作中に盛り込む社会評論は、「的外れ」以前に「作中で有機的に機能していない」ことによる空々しさが問題だと思います。創竜伝が手元にないのでびしっと指摘は出来ませんが、あの作品中の社会評論はたいてい「脈絡もなく」「登場人物の理屈っぽい思考回路の中で」「大なり小なり独善的に」展開されていませんか?>
はい、Millsさんのおっしゃる通りだと思います。
未来の宇宙空間でもなく、異世界でもない、今わたしたちが暮らしている「現世界」にしろ「田中氏の独善的な現世界に似て非なるパラレルワールド」にしろ、読者であるわたしを上手に騙してくれたら何も言うことはないのですが・・・
<うーん、自分の思うことを他者にきちんと説明するのって難しいです。知恵熱出ます。
今度からはもっと上手に論じられるように勉強します。>
本当にそうですね。
自分の考えや思いを相手に伝えるって難しいですけど、わたしもこの掲示板に書き込まれる常連の方々のご意見の意味や趣旨をよく考えて理解した上で、上手に論じられるように・・・なれるといいなあ・・・←願望かいっっ!って、こればっかりは甘えてないで精進あるのみ、ですね。
わたしも修行に励みます!
長文失礼しました&お付き合いありがとうございます。
田中芳樹氏に対して「そんなに日本がイヤならどうして中国に移住しないんでしょうね~」という皮肉をこちらの掲示板で何度か目にしました。
そういえば島田氏はロスに住居を構えています。
田中芳樹氏に対して「実際には何もしていないくせに作中での評論はやたら高飛車」という感じの意見も見たような気がします。
そういえば島田氏は死刑廃止論を熱心に唱え、実在の死刑囚を題材にしたノンフィクションを発行しています。
島田氏がいかに日本人をこきおろそうと、「ちっ、何様のつもりだ」と思えないのは、なんというか「有言実行」のスタンスに敬意を表してしまうからかもしれません。(しかしまぁ「眩暈」をあらためて見返すと、確かに不要な学術論がどっさりありましたね(^^ゞ)
島田氏と比べて、田中芳樹氏って作中で言っていることに自分がどれだけ責任を取れるのか、すごく怪しいと思うんですよね。別に左翼運動家になれってわけじゃないけど、文章から感じられるそこはかとない「無責任感」がイヤですね、私は。