それでは本論(?)の、移動要塞の実現可能性に関する考察です。銀英伝の記述と矛盾を生じない「隠れた設定」としてこれまで発言してきたことを再度整理します。内容的にはこれまでに述べたことの繰り返しで、問題自体の技術的な性質と、私自身の貧弱な説明力のせいで、多くの人には読むだけでも苦痛なものになるかもしれません。「ガイエスブルグが動いた実績があるんだから、それでいいじゃないか」と言われる方が多くでるだろうとは思います。しかし、冒険風ライダーさんが提唱された仮説を証明するには、どうしてもこれらの点をクリアする必要があると思います。
冒険風ライダーさんが、移動要塞を恒久的に活用できると主張される根拠としては、
1.イオン・ファゼカスの前例がある
2.宇宙船が、長期に無補給で活動できる
3.イゼルローンが、無補給で50年は活動できる
4.(短工期であったことも含めて)ガイエスブルグの実績がある。
5.ラインハルトやシャフトをはじめ、誰もエネルギーを問題にしない
の5点があるかと思います。
はじめにイオン・ファゼカスから。
1-(1):イオン・ファゼカスの質量
元々のドライアイスの質量は、240兆トン弱ですが、「内部をくりぬいた」という記述があり、「どれだけくりぬいたか」という定量的な記述はありません。一体、どれほどくりぬいたのでしょうか?
まず、銀英伝の記述にあるように、搭乗者と設備のためのスペースが必要です。しかしそれだけでしょうか?「くりぬいたのはそれだけ」という明確な記述がない以上は、「それ以上にくりぬいた」と解釈しても、原文との矛盾は生じないはずです。
アーレ・ハイネセンたちの立場に立って考えてみましょう。エンジンの出力が無限でない以上、船体強度が許容する限りイオン・ファゼカスを軽くしようとするのではないでしょうか?イオン・ファゼカスが行うべき航行にはいろいろな種類があってひととおりではありません。私に考え付くだけでも、(a)アルタイル7の重力圏離脱、(b)宇宙空間での通常航行の加・減速、(c)(できた、という明確な記述はないが)ワープ航行、(d)帝国軍を発見したときの回避行動、(e)同じく、危険な自然現象(異常な重力場とか)を発見したときの回避行動または「慎重な前進」、等が考えられます。これら予想しうること、あるいは予想できないことにできるだけ対処するには、イオン・ファゼカスは身軽でなければなりません。それには、設備や人員の搭載に必要な分以上に「くりぬく」のが一番です。
そこで、船体強度を維持するために必要な船体外壁の厚さが100メートルだと仮定します。通常の宇宙船はもちろんこんな馬鹿げた厚さの外壁を持ちませんが、材質がドライアイスであることを考慮して、この程度は必要(と、ハイネセンたちは考えた)とします。
この場合、ドライアイス本体の質量は、当初の塊の2.3%--約5兆トン半になるかと思います。外壁の厚さが50mなら(これでも過大であるように私には思えますが)、さらに1兆トンほど軽くなります。
1-(2):イオン・ファゼカスの航行距離
いうまでもなく、ハイネセンたちは、バーラト星系までイオン・ファゼカスに乗っていったのではありません。アルタイル星系を出て、「無名の一惑星」に降り立ったのです。そこまでの距離が千光年なのか、十光年なのか、それとも半光年なのか、具体的な記述がないので、例えば、1~2光年という短距離だった、と解釈しても矛盾は生じないはずです。
1-(3):文明の衰退
そして、なんといっても大きいのはこれです。なにしろ人口が3000億から250億まで減るくらいですから、科学技術もどんどん衰退してゆく、まるで「ナウシカ」のような世界であった、という解釈が可能です。この点は、むしろ、そのように考えない方が、銀英伝の作品世界との乖離が大きいように、私には思われます。
以上の理由から、黎明篇序章に描かれるイオン・ファゼカスの事蹟は、ラインハルトの時代に、移動要塞で長駆同盟領を衝くことの現実性を保障するものではなく、それどころか「真面目な検討に値する」ことの現実性を保障するものですらないと思います。
次は、宇宙船と要塞の違いです。私は以前に、
艦船は宇宙空間からエネルギーを補給できるが、質量の大きい要塞はそれではエネルギー収支が赤字になり、外部からの補給が必要。
という解釈を提唱しました。この考察は、「バサード・ラム・ジェット」という、我々の現実世界で提唱される技術について述べたもので、その点は論証の道筋に修正を必要とします。しかし、銀英伝の記述は、作品世界が我々の世界と同じ物理法則に従うことを保障しませんが、異なる法則に従うという明示的な記述もありません。よって宇宙船がバサード類似の技術で長期の無補給活動を可能にし、それが要塞には適用できないという「裏の設定」と置いても、それ自体が、銀英伝の記述とは矛盾しないと思います。
ただし、この主張に対して冒険風ライダーさんは、上記の第3点、すなわちイゼルローンの例があるではないか、という反論をされたかと思います。そこで、この点に関する説明ですが、私はアメリカ一国のエネルギー消費量と、要塞を移動させるエネルギーを比較して、前者の方が桁違いに小さいという結論を得ました。たしかに、この考察は作品世界の物理法則が、我々のものと同じであるという前提に立っています。しかし、銀英伝の記述は、そのことを保障もしませんが、否定もしていません。したがって、静止状態のイゼルローンが50年活動できることをもって、移動しながら同じことができるという証明にはならないと思います。
4点めは、ガイエスブルグが移動した、という実績です。
冒険風ライダーさんが指摘された、ガイエスブルグが、貴族連合の本拠地からオーディンを経て、イゼルローンまで航行したという実績は、ルートの大半が帝国本土であったので、帝国製のエンジンに対する補給のインフラがあった、という解釈が可能です。したがって、この「実績」をもって、要塞にはエネルギーの外部補給が必要という設定も、無補給で同盟領まで航行する能力はないという設定も、これを否定し去ることはできません。この設定を覆すには、
(1)ガイエスブルグと同等以上の質量を
(2)同盟領までと同等以上の距離を
(3)無補給で
航行させたことを証明する記述が必要です。イオン・ファゼカスの例は、(3)については、ライダーさんが言われるとおり、おそらく満足しています。しかし(2)については何のデータもなく、(1)については、そうかもしれないし、(上記の1-(1)の考察どおりなら)そうでないかもしれません。しかも(文明の衰退が起こっている可能性の高い世界での)3世紀も昔の話です。ガイエスブルグ自体の例は、(1)は自明、(2)の正しさはライダーさんが指摘されたとおり、しかし(3)に関する証明をしていません。
最後に、ラインハルトたちが、ガイエスブルグをイゼルローンまで航行させるにあたって、エネルギーの心配をしていない件です。私の理解では、これこそが、冒険風ライダーさんの論拠の最大の核心であろうと思います。
この理論に瑕瑾があることは、現実世界の戦術を考えてみれば、理解しやすいかと思います。(繰り返しになりますが、現実世界の物理法則が、銀英伝世界でも絶対通用するのだ、と主張しているわけではありません。ただ「まったく異なる法則がある」とも書かれていない以上は、同じであると仮定しても、銀英伝の記述と矛盾しないだろうと言っています。)
時節柄、あまり良い例ではありませんが、北朝鮮のミサイルを考えてみましょう。「Rodong」という名を持つミサイルは、既に日本を飛び越えて太平洋に着水した実績があります。つまり、北朝鮮が将来、日本をミサイルで攻撃する場合、キム・ジョンギルや彼の将軍たちは、ロドングの航続距離に関して、あらためて検討する必要はありません。「話題にものぼらない」と考えてよいでしょう。
しかし、アメリカを攻撃するとなると、話は変わります。ロドングの航続距離は1500キロ程度のはずですから、どう間違っても米本土へは届きません。そうであれば、米本土への攻撃兵器として、ロドングは初めから除外されるはずです。
つまり、ロドング・ミサイルの実用性を見た場合、攻撃対象が日本であれば、エネルギーを問題にする必要はまったくありません。一方、対象が米本土であれば、ロドングの使用は、はじめから話題にものぼりません。
ロドングを移動要塞に、日本をイゼルローンに、そして米本土を同盟領に置き換えれば、銀英伝の記述と矛盾しない設定が成立するのではないでしょうか?
ご回答・ご説明ありがとうございます。
移動要塞肯定派の方がどのような考えなのかやっと分かりました。
以下に一連のやり取りから私が読み取った範囲で移動要塞否定派
の考えを述べたいと思います。
> 移動要塞肯定派は「ためにする」議論をされていないと思いま
> すよ。
移動要塞を肯定した先の何かの主張は無いということですね。了解しました。
しかし、肯定派の方にそのつもりが無くても、お手軽ポンに
移動要塞が出来るという事実からヤンとラインハルトが無能・
凡才・愚者であるという事実を演繹できることを忘れないでく
ださい。それは1万光年の彼方の事実では無く手の届く範囲で
演繹できる事実です。
「移動要塞」と「天才」のどちらの設定を大切にするかと考えた
場合、「天才」の設定を取ったのが移動要塞否定論派だと思います。
> 移動要塞が軍事的に莫大な潜在能力を秘めているのは一目
> 瞭然だと見るほうが素直な見方ではないでしょうか。ここから
> 敷衍して、その可能性を無視した形になっているラインハルト
> の判断は理解し難いなあ、という結論に到っているのが肯定派
> の方々であると、私は思います。あらかじめラインハルトを貶
> めるためにしているのではないことはお分かり下さい。冒険風
> ライダーさんもそうだと思いますけど、これは私の勝手な観測
> ですから…。
私個人の考えとしては移動要塞の実現の困難度を特に考えなけ
れば肯定派です。移動要塞を実現できる可能性を踏まえた上で
移動要塞否定論派の立場をとります。少なくとも技術・予算・
人員・燃費・政治・キャラクタの性格の何らかの理由により
作品上で目立った不整合を作らないような設定を考えたいと
思います。
上記は私の考えですが、移動要塞肯定論派の多くも移動要塞の
可能性を踏まえた上で否定しているのではないでしょうか?
> 対して、否定派の方々は「ラインハルトは天才である」という
> 前提を擁護するために、「そのために」議論を展開されている
> ように思われます。何もここで党派根性をむき出しにするつも
> りはないのですが(^^)、天才=全能と捉えるのが間違いではな
> いでしょうか。
ラインハルトとヤンが全能であるとは誰も考えていないと思います。しかし、軍事面に限っては全能に近いとは考えています。
そして、移動要塞は軍事面に直結しています。
そんなにお手軽に出来る物を見逃すほどの愚者では無い設定で
あると思っています。
> 「ハードウェアによって戦争に勝利した例はない」とこれは
> ヤン提督のお言葉ですが、軍人としてのモラールは同盟・帝国
> 双方に共通点が多いことから、これは、ラインハルトを含む、
> 軍人の一般的な信念になっていると思われます。
> 職人さんは機械よりも自分の腕を信用する傾向がありますから
> とかく新技術を否定的に見たがるのと、同じことですね。
> ヤン提督のこの言葉は、「暗殺によって歴史が動いたことはな
> い」という言葉と並んで、鋭い真実を突いているように見えな
> がら、反証がいくらでも出てくる「格言」の双璧のように思わ
> れます。
「ハード~」の格言をもって新ハード全てを否定している立場を
明言しているとは思えません。ハード「だけ」に頼っても勝てな
い、最後は人間力だという事がヤンの真意だと考えます。
兵器の運用の違いにより勝敗の差が出ることはままあります。
私は軍事的天才には(少なくとも設定的には)兵器の目利きも
含まれているのではないかと思っています。
> ラインハルトは軍事的天才にもかかわらず、新技術の運用を考
> 慮することが出来なかった、というよりは、軍事的天才であっ
> たがゆえにそれが出来なかったと考えることは出来ないでしょ
> うか。
軍事的天才のプライドにより簡単に出来る移動要塞戦法では
満足できなかったというなら私個人としては満足します。
(その妥当性については細かく検討してはいないですが、一案としてです)
軍事の天才である以上、考えの端にも上らないというのは信じられないのです。
> 移動要塞肯定派の人たちは、それによってラインハルトの「無
> 能」を浮かび上がらせたいのではなく、作品の記述を擁護する
> ことによって、ラインハルトを神聖視出来なくとも、作品その
> ものを擁護しようとしているのだと考えますが、いかがでしょ
> うか。
移動要塞否定論派の多くは肯定論派の出す結論の先を見て論議を
しているように思います。議論をしているフェーズが違うので
こんなに荒れるのではないでしょうか?少なくとも私がそうでした。
まず第一段階としての移動要塞の実現性が落ち着くまでは静観
しようと思います。その後、そこから演繹されるヤンとラインハルト
の凡才問題についての議論があるかはわかりませんが。
どうもご説明ありがとうございました。
No3468関連のレスですが、
> >パンツァーさん
> はじめまして。
ずいぶん遅れましたが、初レスになります。
こちらこそ、はじめまして。
> まずは、どちらかと言えば私の移動要塞説には反対意見の方がタナウツ掲示板で圧倒的多勢を占める中、私の論の方に賛意を示してくださり、ありがとうございます。
賛成意見が少ないのは、私も妙な気がしていました。
もっとも、賛成の場合はレスを返す必要性がなく、しかも自分が新規な意見を提示できるわけでないとなると、投稿する内容がない、ためかもしれません。
それから、タナウツって、「田中芳樹を撃つ」のことなんですね。しばらく(他の掲示板のことかと勘違いして)理解しておりませんでした。日本では四音節の省略形が多く、外国人が戸惑う(辞書等に記載されないから)らしいですね。
> 議論に限らず、一対多数で勝負するというのは結構きついものがありましてね (-_-;;)。
それはそうでしょう。銀英伝考察3の後半部など、大変な精神力を発揮されたものと思います。
☆移動要塞の無補給に関して
私としては、「無補給」という状態を、ワープエンジン等SFでおなじみのレベルにまで引き落として説明できるのではないか、という先入観があって、論を展開したのですが、却って「小説中の世界観を援用するならば、」という当初の記載を混乱させることになったでしょうか。
確かに、No3517の不沈戦艦さんの指摘
<「剣と魔法のファンタジー作品と同類である」、とお考えになってみてはいかがですか。>
というほどの峻別までは、自分にはできてなかったようですね。
「常識」の拘束は、恐ろしいものですね。
☆「6.イゼルローン要塞の構造的な独裁権力者、ヤン・ウェンリー」に関して
<私個人は別に最初から意図していたわけでもないのですが、1~3までの銀英伝考察シリーズには、多かれ少なかれ「ヤンは民主主義の擁護者どころか破壊者である」というテーマがありましてね。これも、その一環として作った議題であるわけです。>
全般の趣旨とはしては、まったく同意します。
No906
<バーミリオン会戦後におけるヤンのシビリアン・コントロールの逸脱行為(政府の命令と同盟の国内法に背いてまで、独断でメルカッツ提督と自軍の一部戦力を隠蔽した事)>
この指摘はまったく見事ですね。
(少なくとも私はまったく意識しませんでしたので)
1.同盟政府の命令に従って、バーミリオン会戦でラインハルトに止めを刺さない。2.同盟政府の命令なく(無視して)、戦力を隠蔽する。
1のみを考慮すると、確かに、客観的に主張しうる「民主国家における軍人のあるべき姿」に則っているかのように見えます。
しかし、2は「将来に対する備え」であるにせよ、「亡命者への人情」であるにせよ、「個人的な判断」であって、「民主国家における軍人のあるべき姿」から外れています。戦略上意味があるとしても。
つまり、ヤンがしたがっている原則は、作中で公言されているような「民主国家における軍人のあるべき姿」(客観的に認められる原則)ではなく、極めて個人的な原則、であると考えられます。
このようにヤンが、「個人的な原則」にしたがって動いているとするならば(大抵の人間はそうだが)、「民主国家における軍人のあるべき姿」そのものは、無視してしまっている、という結論が導き出されます。
1に関しても、ヤン自身が、「民主政体」と「専制政体」とを天秤に掛けて考え見たり、ラインハルトの政治的判断に好意を寄せている部分を考慮すると、
「ラインハルトを殺したくなかった」ところに、「同盟政府の停戦命令」が来たので、大義名分をもってそれに乗ってしまった、かのように見えます。
どうもヤンには、同盟を防衛するための積極的な覚悟が見られないですね。
ただ、
イゼルローン赴任時のヤンに関して、ヤンの地位そのものを指して、ヤンをとがめるべき点があるかというと、疑問符を持ってしまうのです。
A.イゼルローン要塞は、一行政単位として扱いうるか。
No. 1726-1727
<これっておかしくありませんか? イゼルローン要塞の軍事面における最高責任者に過ぎないはずのヤンが、500万人もの人口を擁する「大都市イゼルローン」の最高責任者をも兼ねているのです。これは「大都市イゼルローン」の地方行政が、中央から派遣された一軍人によって、住民の自由意思とは無関係に運営されていることを意味します。つまり「大都市イゼルローン」は、たかだか一軍人に過ぎないヤンが都市行政の最高責任者として事実上の政治・行政権力を合法的に掌握しているため、民主主義の基礎である「地方自治の原則」が一切機能していないことになるのです。>
前回はあまり考えず安易に投稿したので見落としておりましたが、この点(イゼルローン要塞が一行政単位なのか)が疑問です。人口規模から言えば確かに大都市相当(500万人)ではありますが。
というのもイゼルローン要塞の場合は、軍隊の駐屯地があって、その駐屯地に軍属としての軍人の家族が同居している、という構図ですよね。
そもそも住民がいて、その住民の居住区に軍隊が駐屯している、という構図とは、意味が異なると思うのです。
在日米軍基地との比較が銀英伝考察3中にありましたが、この対比は興味深いですね。というのも、在日米軍基地の敷地は、日本の治外法権地帯であっても、アメリカの領土ではなく、アメリカ人の居住地域ではありません。したがって、この敷地内の居住者による自治体が存在するとは思えないからです。自治が行われうる政体ではありえないでしょうから。軍による行政は存在するでしょう。
普通、住民票の所在地で、地方行政の代議士の選挙権(および被選挙権)が獲得できるものでしょうが、例えば、在日米軍基地にいる軍人の家族は、どこの住民票を持っているのでしょうか。
もっとも私は、例えば沖縄の米軍基地の実際がどうなのか知りませんので、私の推測は事実に反しているかもしれません。
B.交戦状態における前線での戒厳の可能性
前回述べたのは、この可能性です。
同盟の法体系に戒厳令が存在するなら(わが国のような特例を除けば)、もっとも敵の攻撃を受けるであろうイゼルローン要塞は、全住民が軍の管理下におかれたとしても不思議はありません。これは、地方自治が行われている場合において、の可能性である。したがって、軍の施設と考えられるイゼルローン要塞に限らず、どこかの星であっても同じです。
> まあイゼルローン要塞にヤンが赴任したのは、同盟の場合にせよ、エル・ファシル独立政府の場合にせよ、政府の命令によって行われているわけですから法的には何ら問題は生じないでしょうが、やはり「ヤンがその気になればいつでも独裁者になれる基本的構造」(これは作中でも言及されています)と「イゼルローン要塞およびヤン麾下の艦隊戦力が持つ潜在的脅威」を考慮すれば、ヤンが政府から独立を宣言してしまう可能性や、ヤンがその強大な武力を背景にルドルフ・フォン・ゴールデンバウム的な独裁者と化してしまう可能性も(ヤンの主観的要素を排除して客観的に見れば)充分に考えられる事態ではあるわけなのですから、民主主義の理念や同盟の安全保障の観点から言って危険であったことはほぼ間違いないのではないかと。
これに関しては、そういう危険があろうとも、それは同盟のシステム上の問題であって、ヤン個人に問われる問題ではないかと思います。
つまり、イゼルローン要塞におけるヤン自体に関しては、
「ヤンは民主主義の擁護者どころか破壊者である」
とまでは言い得ないのではないか、といったところでしょうか。
IKさん、こんばんは。
しばらくぶりに、お名前をおみかけして、安心しました。
>否定派の方々は「ラインハルトは天才である」という前提を擁護するために、
>「そのために」議論を展開されているように思われます。何もここで党派根
>性をむき出しにするつもりはないのですが(^^)、天才=全能と捉えるのが間
>違いではないでしょうか。
「否定派」が誰を指すのか具体的に書いておられませんが、この数日は、「質」はともかく「量」の面では私の発言が多いので、「一応」私のことであると仮定して回答をさせていただきます。
はじめに、「ラインハルトとヤン・ウェンリーの英雄としての名声を守りたい」という感情が私の中にあり、それが私に議論を続ける気力を与えていることは否定しません。この点、私に関してはIKさんが言われるとおりです。
ただ、否定派の背後にあるのは「それだけ」と言われるのであれば、その部分は訂正をお願いしたく思います。
簡単に言いますと、私はここの掲示板は「シンポジウム」的な性格が非常に強いと思っています。もちろん、その時々に議論されるテーマによりますが、移動要塞の現実性を論じる今回の議論は、私の認識ではまさしくシンポジウムです。
そして、「移動要塞の高い実現性を忘れた二人の銀河英雄は、実は愚か者である」という提言をされた冒険風ライダーさんは、いわばシンポジウムでの発表者です。これに対して、私はそのセッションで発表を聞いている参加者の一人です。
そして、シンポジウムの参加者には、発表内容を厳しく冷酷に吟味し、僅かな瑕瑾があれば容赦なくそこを攻める「責任」があります。これに対して発表者には、どんな批判や疑問にも、自説が答えうることを証明する責任があります。議論は「厳しく」「冷たく」そしてなによりも「しつこく」あるべきで、そうでなければシンポジウムとはいえません。
私は、このような認識のもとに議論をおこなっています。前述のように、ヤンやラインハルトを弁護したい「感情」はありますが、議論の中には、「彼らは英雄だから、批判をひかえるべきだ」などという要素を混入させたつもりはありません。
なお、言うまでもありませんが、シンポジウムでの発表者として今回の主張を掲げられた冒険風ライダーさんは、「一般参加者」である私などよりも、はるかに「たいした仕事」をされています。
ふと、思いついたのですが。
ひょっとしたら、冒険風ライダーさんと私とでは、「証明する」という言葉に異なる定義をしているのではないでしょうか?
例えば、ライダーさんが、
>ガイエスブルク移動要塞に関しても燃費の問題が全く提示されていないという
>「作中事実」がすでに証拠として提示されている
と、言われるのが、私にはなんとしても理解できません。「なぜそのことが、普遍的な法則として、要塞に燃費問題がないという結論に直結するのだろう?」と、ずっと頭をひねってきたのです。そして、ある仮説にいたりました。
冒険風ライダーさんにとって、ある事象を証明するとは、「それに反する事実を見つけられない」ということと同義なのではないでしょうか?
もしもそうなら、それは私の中の「証明」とは、定義が異なります。私にとって「証明」とは、既に観測された事実だけではなく、「将来にわたっても、それに反する事実が現れない」ことの保証を意味するからです。
分かりやすい(と思われる)例を挙げてみます。私たちは、「ピタゴラスの定理」を教わったはずです。
「直角三角形の直角を挾む二辺の二乗和は、斜辺の二乗と等しい」
このことを「証明せよ」と言われたとき、冒険風ライダーさんは、いろいろな直角三角形を持ってきて、それらのすべてに上記の事実が成立することを示し、もって「証明」とされるのではありませんか?
私にとっては、これは「証明」ではありません。この定理の「証明」は、2000年以上前にピタゴラスが行ったように、三角形の三辺のそれぞれを一辺とする正方形を描き、それぞれの正方形を三角形に分割して面積を計算し、直角を挾む二辺が作る正方形の面積の和が、斜辺が作る正方形の面積と等しいことをもって行われるものです。
ピタゴラスの定理の「証明」を、ライダーさんのように行えば、学校のテストでは零点です。「科学」の世界でも同様です。
しかし、我々が生活する世界は、そこまできれいなものではありません。むしろ冒険風ライダーさんがやっておられるような形で動いているものが多くあります。
であれば、今回の論争は、いくら続けても結論にはいたらないのではないか、という気がしますが、どうでしょうか?あるいは、続けるにせよ、まず、
「証明」するとは、何を意味するのか
という定義に関して合意をする必要があるように思います。
>Kenさん
<冒険風ライダーさんは、作中に書かれていない設定を持ち出すこと自体に異を唱えておられるのではなく、作者がそれを行った結果、作品世界の設定が崩れることを問題にされているのだと考えてよろしいでしょうか?最初に書かれていない設定の追加でも、書かれている内容と矛盾しなければよいのだと?>
何も考えず、ただ単に「法の抜け穴を探す」がごとく「未記載部分の穴埋め」をしさえすれば良いというものではありません。他にも「作者が描く作品の世界観や、作品世界における常識などについても考え、それらの存在とも矛盾することなく完璧に合致する」とか「その裏設定を使って何らかのシミュレートを行っても、ストーリーやキャラクターの言動や行動、それに作品テーマなどの全てに全く矛盾が発生しない」とかいった要素も必要不可欠です。作品擁護論というものは、すくなくともKenさんが「弁護士の理論」などで軽く考えておられるほど簡単なものでは決してないことだけは確かですよ。
本来ならば、作品擁護論もまた、作品批判論と同じようにひたすら記述を使って「この記述からこのような結論が導き出せる」といった形で論を構築していくことが望ましいくらいなのです。そうしなければ、たとえその論の内容自体がどれほどまでに完璧なものであったとしても、作品世界にどれくらい合致するのかを「客観的に」示すことができませんから、せっかくの論も結局は「個人の解釈」レベルで終わってしまうだけです。これでは個人的な考えとして満足するだけならともかく、他人を納得させるだけの「客観的な」説得力を持たせることは不可能でしょう。
また、「書かれていないこと」を推察するに際しても、「作品世界の世界観や常識」を常に意識し、それと合致した推論を作り上げ、さらに論自体の作品世界における整合性なども問われなければなりません。その辺りのことを考えずに「書かれていないことについてはどのような設定を追加してもかまわないだろう」ではあまりにも乱暴なやり方ですし、それこそ「あらゆる反論を封殺するための愚劣な作品擁護論」に堕する可能性をすら秘めていると言わざるをえないでしょう。作品擁護論では、裏設定自体の説得力よりも、それがいかに作品内容と合致し、何の違和感もなく作品の中に綺麗にはめ込められるかが一番重要なことなのです。
その意味では、Kenさんが移動要塞論関連で展開なされている「書かれていないことからの推測」のみに基づいた作品擁護手法はあまり感心できたものではないですね。あれは下手をするとただの「あげ足取り」の類にしかなりませんし、「文明衰退論」を除いては作品設定や作中記述の裏付けが全く存在しない「Kenさん個人のでっち上げ推論」でしかないのですから。その「Kenさん個人のでっち上げ推論」を「客観的な説得力を持つ作品擁護論」へとランクアップさせるためには、やはり「作品設定や作中記述に基づいた自説の正当性の立証」が必要不可欠となるのではないでしょうか。
私自身、批判・擁護を問わず、作品論を展開する際には、できるだけ記述を引用して、「この記述からはこういう話が導き出せるのではないか」といった論法で記述や設定の補完をしていくよう、常に心がけているのですよ。議論を不毛な上げ足取り合戦などにもつれ込ませることなく、建設的な議論と作品擁護を行いたいのであれば、Kenさんもまた、私と同じやり方を通して自説の正当性を論じる必要性が絶対にあるのではないと思うのですが。
<作者と批判者の強弱については、ご指摘のような有利さが、作者側にあるというのは分かります。しかし、批判者の方にも作者にない有利な点があるのではないでしょうか?私などには、むしろこちらの方が、フェアな対局を不可能にするほど重大なもののように思われます。
一つは、批判は常に作品よりも後から出てくることです。批判者は、必要に応じて作品を俯瞰することも、細部を綿密に検証することも自由にでき、作者の論点を完全に理解した上で、いくらでも時間をかけて「弱点」を探せるでしょう。しかし、作者の側は、予めすべての批判を予測して防御策を講ずるのは不可能です。
もう一つ、作者と批判者は、例外を除いて、常に一対多の関係にあることも、指摘したいと思います。この点では、一人で多数を相手にするのは非常に疲れることだということを、(私の記憶が正しければ)冒険風ライダーさんご自身が、どこかで発言されていたように思いますが、私の記憶違いでしょうか?
以上の理由で、作者が批判者よりも常に「強者」であるとは限らない、というのが私の考えなのですが。>
その論法でいくならば、この一連の議論で「予めすべての批判を予測して防御策を講ずるのは不可能」であるはずの私に対して「いくらでも時間をかけて「弱点」を探」した批判を「後から出」してきた挙句、「常に一対多の関係」を強いてきた人達のひとりであるKenさんは、当然のことながら私よりもはるかに強い「強者」ということになってしまいますね。その力関係ではなおのこと、圧倒的格差を是正するためにも、Kenさんには当然私よりも多くの立証責任が課されなければならないということになるでしょう。
……って自分で書いていて気がつきませんでしたか? Kenさんが述べている「批判者の強み」が他でもない自分自身に当てはまることに。第一、この議題は「作品批判論と作品擁護論の力関係」がテーマなのであって、「新規設定をいつでも勝手にでっち上げられる」という点において作者も作品擁護派も全く同じ扱いなのですけど。なぜ同じような境遇にある私と作者とで力関係に変化が生じなければならないのですか?
そもそも、この手の「作者側の不利」などというものは、「作者が作品を発表した責任上、必然的に発生する、多かれ少なかれ背負わなければならないリスク」というものなのであって、別に特別な「不利」と呼べるようなシロモノなどではないでしょう。確かに私自身も同じような目に遭っていますので「疲れるものだ」とは思いますけど、だからといってそれは「弱者の証」などと言われるようなものでは決してありません。
田中芳樹自身、銀英伝をはじめとする田中作品を世に発刊して以来、自分の元に多くのファンレターや手紙が届いたことでしょう。その中には応援や励ましの手紙もあれば、寸鉄釘を刺す批判もあったでしょうし、もっとひどいものになると、単なる誹謗中傷や「銀英伝を題材にしたヤオイ系同人誌を作りましたので読んでみて下さ~い」とかいった「確信犯的な嫌がらせ」の類などもあったかもしれません。しかし、それ「自体」は田中芳樹が自分の作品を世に発刊した責任として、全て受け止めなければならないリスクというものでしょう。その反響に賛成したり、反論したり、無視したりといったリアクションに関しては、田中芳樹自身が自らの責任において決めれば良いでしょうが、そのリスク「自体」を背負うのがイヤなのであれば、そもそも作品そのものを発表しなければ良いのであって、これが作品論における作者側の強大さを否定することにはなりえないのです。
以前の「発言権論争」ではありませんが、発表された作品に対して、読者が(その内容はともかく)作品批判を述べること「自体」は自由なのですから、その後どのような対応を取るにせよ、作者は自らに批判が集中するリスク「自体」は引き受けなければならないし、それは当然のことでしかないと思うのですが、どうでしょうか。
<それは、作品批判自体も公の場で発表された一つの「作品」ではないか、という点です。今回の場合、いわばライダーさんは「ラインハルトたちは、移動要塞を継続的に使用できることを知りながら、迂闊にも忘れたのである」という仮説をシンポジウムの場で発表されたのだと思います。それ自体は大変にすばらしいことで、私などは「やれ」と言われてもできません。
しかし、シンポジウムで仮説を発表すれば、批判が寄せられます。批判者たちは、発表者(この場合は、冒険風ライダーさん)が提示した仮説に「穴」を見つけようとし、発表者は自分の仮説の正しさを証明する責任を、原則として一人で負わねばなりません。田中氏の作品に対するとき、ライダーさんは「批判者」です。しかし、田中氏の作品を題材にした批判であっても、ひとたび自分の意見を発表すれば、ライダーさんの立場は「批判者」から「作者」に変わり、「銀英伝批判論」という自己の「作品」の正しさを証明する責任を、原則として一人で背負うことになると思うのです。説明足らずであったことは、何重にもお詫びいたしますが、私が、ライダーさんに証明責任がある、と書いたのには、このような考えもあったのです。>
ちょっと待って下さい、これは私をバカにしているのですか? あなたにいちいち言われるまでもなく、私はとっくの昔から自説の立証責任をひとりで背負ってきましたよ。特に以前に行われた移動要塞関連の議論などでは、私は終盤近くまで文字通りずっと「一人」で多くの相手と議論を重ねてきたのですけど。あなたが面倒臭がって最後まで読もうともしなかったログを全て閲覧してみれば、こんなことはすぐにでも理解できることであるはずでしょうに。
だいたい、あなたは作品批判論にとって作品擁護論がどれほどまでに恐ろしいものなのか、口先だけでなくて本当に分かっているのですか? 私が自説をいくら完璧に整え、万人を納得させる説得力を付加させたところで、それは所詮「田中作品から派生した二次作品」すなわち「田中作品という『釈迦の掌の上で踊る孫悟空』」に過ぎません。忠実に作品設定に沿った作品批判論を展開しなければならない中で、肝心の作品内容が勝手に改竄されるという事態は、論自体の知識ミスや記述ミスなどの類と違って、自己責任の及ぶところでは全くないのですよ。作品批判論というのは、二次作品の中でも特に一次作品に強く「寄生」しているところのあるジャンルなわけですから、田中作品のような「それ自体が独立している一次作品」とは、力関係において単純な比較ができるはずもないでしょう。
というわけで、作品批判論には「刑事裁判」における行政権のごとき圧倒的な力格差が存在しない以上、立証責任をすくなくとも5~7割以上、裏設定の「客観的な」正当性と妥当性に関する立証責任に至っては100%全て、作品擁護側こそが背負うべきである、という私の意見には賛同して頂けますね? それが、両者が「単なるあげ足取りの記述抜け穴合戦」などに陥ることなく建設的な議論を行うことができる、唯一の道なのですから。
で、本編の移動要塞論に入るわけですが、こちらも言うべきことはほとんど述べ尽くしてしまいましたし、「文明衰退論」を除くと、Kenさんの主張のほとんどは「書かれていない」「否定も肯定もされていない」ことを良いことに「現代世界の物理法則」に依存したものばかりでしかありませんので、正直、私としてはあまり好意的になれないんですよね。まさに「書かれていないことについてはどのような設定を追加してもかまわないだろう」という論法で反論を封殺する、作品擁護論の持つ最悪の側面を具現化していますし。
「書かれていないこと」「否定も肯定もされていない」にひたすら依存するのではなく、少しは「書かれていること」をベースとした論を構築してみてはどうでしょうか? そうでないと、あなたの主張は私の論に対する「あげ足取り」としてしか見られないのではないかと思うのですが。
1-(1):イオン・ファゼカスの質量
<アーレ・ハイネセンたちの立場に立って考えてみましょう。エンジンの出力が無限でない以上、船体強度が許容する限りイオン・ファゼカスを軽くしようとするのではないでしょうか?イオン・ファゼカスが行うべき航行にはいろいろな種類があってひととおりではありません。私に考え付くだけでも、(a)アルタイル7の重力圏離脱、(b)宇宙空間での通常航行の加・減速、(c)(できた、という明確な記述はないが)ワープ航行、(d)帝国軍を発見したときの回避行動、(e)同じく、危険な自然現象(異常な重力場とか)を発見したときの回避行動または「慎重な前進」、等が考えられます。これら予想しうること、あるいは予想できないことにできるだけ対処するには、イオン・ファゼカスは身軽でなければなりません。それには、設備や人員の搭載に必要な分以上に「くりぬく」のが一番です。>
ハイネセン達がそう考えたという記述も保証もどこにもありませんから、これが正しいとは限りませんよ。そもそも原作の記述には「動力部や居住部からの熱を遮断させることさえできれば、かなりの長期間にわたって飛行が可能である」とありますから、熱対策のためにドライアイスの掘削をあえて必要最低限のみに絞ったことも考えられますし、そもそも制限時間がたったの3ヶ月しかなく、しかも帝国の監視下に置かれていたあの奴隷階級の面々に、そんな余計なことをしている時間的余裕はないと思うのですが。
そんなことをするくらいならば、そもそも最初から長さ122㎞、幅40㎞、高さ30㎞などという超巨大なドライアイスの塊をそのまま使うのではなく、いっそ10分の1ぐらいに小さく「切り分けた」上で掘削作業に入った方がはるかに効率が良く、Kenさんの主張にも合致するのでは?
1-(2):イオン・ファゼカスの航行距離
<いうまでもなく、ハイネセンたちは、バーラト星系までイオン・ファゼカスに乗っていったのではありません。アルタイル星系を出て、「無名の一惑星」に降り立ったのです。そこまでの距離が千光年なのか、十光年なのか、それとも半光年なのか、具体的な記述がないので、例えば、1~2光年という短距離だった、と解釈しても矛盾は生じないはずです。>
1-(3):文明の衰退
<そして、なんといっても大きいのはこれです。なにしろ人口が3000億から250億まで減るくらいですから、科学技術もどんどん衰退してゆく、まるで「ナウシカ」のような世界であった、という解釈が可能です。この点は、むしろ、そのように考えない方が、銀英伝の作品世界との乖離が大きいように、私には思われます。>
それでも「燃料が全く調達できない状態」かつ「無補給」という最悪の条件を抱えながら、あのような超巨大物体がとにもかくにも航行できたという「作中事実」は極めて重大ですよ。これは銀英伝世界において「現代世界の物理法則」が必ずしも適用できないことを意味するのですから。
文明衰退論に関しても、たとえば銀英伝2巻に出てきた「惑星成層圏という『超近距離』からしか惑星の様子を観測できない観測システム」などに関しては私も当てはまると思うのですが、「艦船の燃料無補給」に関しては昔と変わらず成立しているのですから、必ずしも当てはまるようには思えないのですけどね~。
>移動要塞の燃費問題
で、私とKenさんの議論における一番の争点となっているこの問題についてですけど、これはKenさんの「現代世界の物理法則」を前提とした論の方が明らかにおかしいのですよ。「科学的に」ではなく「作品論的に」。
そもそも、私が「移動要塞は無限の自給自足システムによって最強の戦略が展開できる」という論を作ったのに対して、Kenさんが「現代世界の物理法則の観点から」不可能であるという反論をし、それに対して私は「銀英伝世界における艦船には燃費の問題が存在しない」という再反論を行ったわけです。この時点で、私はKenさんの反論に対する第一の立証責任をすでに果たしています。
それに対してKenさんが本来やらなければならなかった反論は、艦船が燃料無補給だからといって要塞が燃料無補給とはなりえないという「作中事実」を、作品設定や作中記述を使って立証するか、あるいはKenさんが依存している「現代世界の物理法則に基づいた要塞の燃費問題」が「銀英伝世界に『100%』当てはまること」を、これまた作品設定や作中記述を使って証明することであったはずです。そのような反論であれば、Kenさんが「勝手に作品の外から」持ち出してきた要塞の燃費問題の正当性と妥当性を立証する責任は果たされ、Kenさんの論はすくなくとも一定の説得力をもって私の前に立ちはだかったことでしょう。
しかしKenさんはそのどちらも全く立証することなく、「できるかもしれないし、できないかもしれない」などという極めて曖昧な仮定に基づいて、相も変わらず「現代世界の物理法則に基づいた要塞の燃費問題」を掲げ続けているのです。「勝手に作品の外から」設定を作り出しているにもかかわらず、それが「100%銀英伝世界に当てはまる」という証明を行っていないわけです。
これはないでしょう。作品の外から「現代世界の物理法則に基づいた要塞の燃費問題」を持ち出してきたのであれば、その正当性や妥当性の立証責任は100%「持ち出してきた側」にあるのです。そしてその証明が「できるかもしれないし、できないかもしれない」で良いはずがないではありませんか。仮にも議論をするのであれば「できる」か「できない」かの二者択一しかありえませんよ。「できるかもしれないし、できないかもしれない」などというのは、「できる」「できない」の議論を見ているROMが、個人個人でそれぞれ勝手に判断すれば良いことです。
こんな論法が通用するのであれば、私もKenさんに対して「あなたの論は成立するかもしれませんし、しないかもしれませんね。でも100%ではない以上、私は『成立しない』という方を選ばせていただきます」とでも述べて議論をお終いにしますよ。これは議論相手に対しても大変失礼な話ですし、そのような論で相手の論を否定しようとする自分自身をも貶めることになりかねないではありませんか。
もしあくまでも「現代世界の物理法則に基づいた要塞の燃費問題」が正しいと主張するのであれば、それが「100%」銀英伝の世界で成立しえることを、作品設定や作中記述に基づいた「作中事実」を使って、そちらが先に立証してからにして下さい。「現代世界の物理法則」だけでは、それが100%銀英伝世界に当てはまるという保証がないため、何ら根拠として機能しません。
もしこれが全く立証できないにもかかわらず、あくまで私の主張に対してひたすら細かい根拠を求めるような投稿を続けた場合、私はKenさんが議論を混乱させるための「あげ足取り投稿」を意図的かつ確信犯的に行っているものとみなし、議論を一方的に打ち切らせていただきます。
それと、移動要塞におけるラインハルトの無反応に関しては、
「アレほどまでに『艦船の燃料問題』が話題にならない銀英伝世界で『移動要塞の燃費問題』が突然浮上するのであれば、そのこと【自体】が一種の『非常識』であり、絶対に作品中で問題として取り上げられなければならない」
↑これが答えとなります。
「宇宙艦船における燃料無補給」ということが常識となっている人間にとって、「移動要塞には燃費の問題が存在し、慢性的に補給を受け続けなければならない」という問題は一種の「非常識」であり、それは「アレほどまでに補給を重んじる」ラインハルトなどにとっては「エンジン同期の問題」と同等程度、あるいはそれ以上に決して無視してはならない問題であるはずです。宇宙艦船にある「あの常識」がまかり通っているのであれば、この問題は銀英伝世界にとって、今まで全く存在しなかったはずの「特異な」問題となりえるのですから当然のことです。それが作中でも全く言及されていないということは、結局のところ「宇宙艦船における燃料無補給」が移動要塞にもまた適用できることを作中人物達が知っていたという「事実」の、極めて有力な証拠のひとつになりえるのです。
これは銀英伝世界の作品設定や補給のテーマ、それに銀英伝世界における一般常識などにも関わってくる問題ですし、「移動要塞の燃費問題説」を完璧に立証したいのであれば、やはり「作品設定や作中記述を使って」証明する必要があるでしょう。「移動要塞の燃費問題説」は、その一方に「宇宙艦船における燃料無補給」が「常識」として存在し、移動要塞運用に関してもその「常識」を覆す異変を示す描写が特に何も存在しない以上、その常識が引き続き移動要塞にも適用されると見るのが自然なのです。Kenさんの主張と「書かれていない」という証拠だけでは、作中キャラクターの言動や常識、それに補給重視思考の作品テーマと整合性が取れないのではありませんか?
某北朝鮮のミサイル射程距離云々の話に至っては、例によって例のごとく「現代世界の物理法則」を前提としたものでしかなく、それ自体が銀英伝世界に完全に適応できるか否かという判定自体が極めて曖昧なものでしかない以上、証拠能力は全く皆無なシロモノと言わざるをえません。
仮にも「宇宙艦船における燃料無補給」がまかり通っている世界で「移動要塞の燃費問題」が存在すること「自体」の異常性を、もう少し考えてほしいものなのですが。
P.S.
八木さんとパンツァーさんへのレスは、また後日とさせて頂きます。
> 1.イオン・ファゼカスの前例がある
イオン・ファゼカスの前例は決定的だと思われるので、この点に関して述べてみます。
> 1-(1):イオン・ファゼカスの質量
> この場合、ドライアイス本体の質量は、当初の塊の2.3%--約5兆トン半になるかと思います。外壁の厚さが50mなら(これでも過大であるように私には思えますが)、さらに1兆トンほど軽くなります。
これは、建築に関する構造強度の点から言ってありえません(我々の知っている物理学を適用すれば)。
40mのウルトラマンを支える足を、人間の足と同じ組成では構成できないのと同じことです。もっと分かりやすい例では、豆腐を1mも積むことができるかどうか、考えてみてもらえればよいでしょう。
1-(2):イオン・ファゼカスの航行距離
> いうまでもなく、ハイネセンたちは、バーラト星系までイオン・ファゼカスに乗っていったのではありません。アルタイル星系を出て、「無名の一惑星」に降り立ったのです。
手元に銀英伝の小説がないので、これに関しては、私はなんとも申し上げられません。
ただ、これは「無補給」の否定証明になっているのでしょうか。Kenさんの主張される論理がよく分かりません。
> 1-(3):文明の衰退
> そして、なんといっても大きいのはこれです。なにしろ人口が3000億から250億まで減るくらいですから、科学技術もどんどん衰退してゆく、まるで「ナウシカ」のような世界であった、という解釈が可能です。
対象とすべきは、イオン・ファゼカス号による脱出の時期から、ヤン達のいる同盟の時代でしょう。この間に、技術的衰退があったとまじめに主張する人が多いのに驚かされます(こんなことまで根拠にしないと論が維持できないためでしょうか)。
もし、この間に、技術的衰退があったとすれば、数多くの星からなる「同盟」の成立そのものが危うくなりませんか。
大体、帝国との間に長期にわたる戦争状態もあるわけで、通例、歴史の教えるところでは、戦時においてこそ、技術は革新するものです。
これの反例がありましたら、どうか教えていただきたいものです。
少なくとも1(1)と1(3)に関しては、無茶な反論ですよ。
> 「直角三角形の直角を挾む二辺の二乗和は、斜辺の二乗と等しい」
>
> このことを「証明せよ」と言われたとき、冒険風ライダーさんは、いろいろな直角三角形を持ってきて、それらのすべてに上記の事実が成立することを示し、もって「証明」とされるのではありませんか?
これは、経験則を重視して、その背後の理論を演繹するという手法ですが、これを使っては駄目だということでしょうか。
そうすると、銀英伝の小説中において、Kenさんの主張する「証明」を有する信頼に値する「内容」っていうものが、どの程度存在するのでしょうか?
例えば、戦艦の航行に関しても、その移動原理が読者一般に実現可能と実証できる程度まで「証明」しなければ、ならなくなるのではありますまいか。
例えば、何かひとつでも、Kenさんの主張する「証明」をクリアしている「小説中の内容」について、まずは教えていただきたいものです。
つまるところ、冒険風ライダーさんに反論するために、銀英伝世界そのものを破壊しようとしているように思えるのですが。
> IKさん、こんばんは。
>
> しばらくぶりに、お名前をおみかけして、安心しました。
うるさいくらいに書き込んでいる方だと思いますけど(^^)
ただ年末にかけて顰蹙をかうくらい書き込んでしまったので、少し休んでいたということはあります。Kenさんと対話できることは私にとっても大きな喜びです。今回もよろしくお願いします。
> >否定派の方々は「ラインハルトは天才である」という前提を擁護するために、
> >「そのために」議論を展開されているように思われます。何もここで党派根
> >性をむき出しにするつもりはないのですが(^^)、天才=全能と捉えるのが間
> >違いではないでしょうか。
>
> 「否定派」が誰を指すのか具体的に書いておられませんが、この数日は、「質」はともかく「量」の面では私の発言が多いので、「一応」私のことであると仮定して回答をさせていただきます。
えーと、具体的に誰と言うことはないんです。話の流れを見ていてそうではないかなーと思っただけで。でも確かにKenさんが一番精力的に発言されていますね(^^)
> はじめに、「ラインハルトとヤン・ウェンリーの英雄としての名声を守りたい」という感情が私の中にあり、それが私に議論を続ける気力を与えていることは否定しません。この点、私に関してはIKさんが言われるとおりです。
>
> ただ、否定派の背後にあるのは「それだけ」と言われるのであれば、その部分は訂正をお願いしたく思います。
刺激的な表現でしたでしょうか(^^)
このスレッドは過去にかなり荒れた経緯がありますのでなるべく言葉遣いには気を配っていたのですが、野良の本性が出てしまったかも知れません(^^) 訂正し、伏してお詫びいたします。
ただ、「荒れる」というのもこのスレッドがそれだけ重要だからだと思いますね。ここに着目した冒険風ライダーさんはさすがだと思います。
> 簡単に言いますと、私はここの掲示板は「シンポジウム」的な性格が非常に強いと思っています。もちろん、その時々に議論されるテーマによりますが、移動要塞の現実性を論じる今回の議論は、私の認識ではまさしくシンポジウムです。
>
> そして、「移動要塞の高い実現性を忘れた二人の銀河英雄は、実は愚か者である」という提言をされた冒険風ライダーさんは、いわばシンポジウムでの発表者です。これに対して、私はそのセッションで発表を聞いている参加者の一人です。
>
> そして、シンポジウムの参加者には、発表内容を厳しく冷酷に吟味し、僅かな瑕瑾があれば容赦なくそこを攻める「責任」があります。これに対して発表者には、どんな批判や疑問にも、自説が答えうることを証明する責任があります。議論は「厳しく」「冷たく」そしてなによりも「しつこく」あるべきで、そうでなければシンポジウムとはいえません。
>
> 私は、このような認識のもとに議論をおこなっています。前述のように、ヤンやラインハルトを弁護したい「感情」はありますが、議論の中には、「彼らは英雄だから、批判をひかえるべきだ」などという要素を混入させたつもりはありません。
うーん、ここは前提が違うような気が…。
以前述べたかも知れませんが、私は議論と言うのはディベート、つまり勝ち負けではなくて、より合理的な共通認識へと到る共同作業だと考えているのですね。
もちろん厳しくされるのも結構なんですが、厳しくするのが目的の厳しさというのは、ちょっと違うような気がします。
この辺りはちょうど冒険風ライダーさんとの議論でも焦点になっているようなので、そちらで議論して下さい。
興味深くROMしておりますので。
RAMさん、こんにちは。
> 移動要塞を肯定した先の何かの主張は無いということですね。了解しました。
> しかし、肯定派の方にそのつもりが無くても、お手軽ポンに
> 移動要塞が出来るという事実からヤンとラインハルトが無能・
> 凡才・愚者であるという事実を演繹できることを忘れないでく
> ださい。それは1万光年の彼方の事実では無く手の届く範囲で
> 演繹できる事実です。
>
> 「移動要塞」と「天才」のどちらの設定を大切にするかと考えた
> 場合、「天才」の設定を取ったのが移動要塞否定論派だと思います。
これは私には性質の違うふたつのものを無理に二者択一にしているように見えます。
移動要塞が現に存在するのは事実(笑)ですから、ここは動かせません。少なくとも「作品論的」に正否を論じること自体、無意味です。そういう作品なんですから。
一方、ラインハルトが天才であるというのは「解釈」ですよね。ここは動く余地が充分にある訳ですし、後世の歴史家とやらが否定的な見方をしていた場面もあったと思うのですが。少なくとも、事実と解釈がぶつかった時、譲るべきは解釈であるように私には思えるのですが。
お手軽だろうが何だろうが、事実として移動要塞は存在してしまった。そこから議論を始めるべきだと思いますが。その上で、ラインハルトの天才性を救出する合理的な論理を構築すること、その方がよほど建設的に私には思えます。
ただし、その論理が構築できないならば、移動要塞が実際に「お手軽に」作られてしまった事実は動かせない以上、RAMさんが述べておられる通り、ラインハルトはこの点においては「愚者」だったと結論づけることもあり得ますよね。その結論が不愉快だと言って、事実は動かせないのです。それは移動要塞肯定派にしてもどうにもならないことですよ。
こういう結論が出てきて、私はいささか悲しい気分でいます。要塞対要塞は場面を諳んじれるほど、「お気に入り」のエピソードですから。「見たか、奇跡のヤンの力を!」。ほれぼれするようなヤン提督の智謀です。出来れば合理的に現象と理論を統合できればいいと思っているのですが…。
> 私個人の考えとしては移動要塞の実現の困難度を特に考えなけ
> れば肯定派です。移動要塞を実現できる可能性を踏まえた上で
> 移動要塞否定論派の立場をとります。少なくとも技術・予算・
> 人員・燃費・政治・キャラクタの性格の何らかの理由により
> 作品上で目立った不整合を作らないような設定を考えたいと
> 思います。
上記のような理由で期待しております(^^)
> ラインハルトとヤンが全能であるとは誰も考えていないと思います。しかし、軍事面に限っては全能に近いとは考えています。
> そして、移動要塞は軍事面に直結しています。
>
> そんなにお手軽に出来る物を見逃すほどの愚者では無い設定で
> あると思っています。
未来から過去を見れば「見逃す」ということになるでしょうが、その時点時点ではそれは「存在していない」のだから見逃すということは必ずしもあたらないかも知れません。誰ぞの歌ではないですが「人々を変えるものに人々は気づかない」ものですから。もちろん気づいても不思議ではないですが、評価と言うのはまた別のものがありますからね。
第2次ポエニ戦争で軍事思想の転換の鍵となったのは、騎兵の突撃力ではなく、機動力に着目するという点でした。これを具体化したハンニバル・バルカは軍事的天才のひとりだと私は思いますが、その彼にして騎兵の供給が絶えた時、それを立て直すことが出来ず、結果としてザマの戦いでは象の突撃力を活かすという奇策に走らざるを得なかったのですが、スキピオ・アフリカヌスに封じられ、敗れたのでした。勝利の上に勝利を重ねた上で最後の一戦に敗れたハンニバルは愚将でしょうか。その敗因の根源が、未熟な騎手をも騎兵として活用できる「あぶみ」という道具に思い至らなかったということが、ハンニバルの愚かさの証明となるでしょうか。
先日、スペースシャトルの悲劇的な事故がありましたが、宇宙開発で用いられている技術は、それが可能ならば、必ずしも最先端ではない、信用性の高い技術です。冒険よりは確実性をとるというのは立派な見識です。
ラインハルトは戦略の根幹に信頼性の薄い技術を据えるのを忌避したという可能性もあります。ただしこれでは、どうして継続して移動要塞の研究を続けなかったかという疑問も生じますが、書かれていないだけでやっていたのかも知れないですよ。ただ、彼の銀河制覇の速度がそれを上回ったということかも知れません。これはひとつの推測ですね。
> 「ハード~」の格言をもって新ハード全てを否定している立場を
> 明言しているとは思えません。ハード「だけ」に頼っても勝てな
> い、最後は人間力だという事がヤンの真意だと考えます。
ああ、ここはそうかも知れないですね。
ただしハードウェアをもう少し高く評価してもいいような気もしますが。爆撃機に竹槍で抵抗しようとしたような例もありますしね。
> 兵器の運用の違いにより勝敗の差が出ることはままあります。
> 私は軍事的天才には(少なくとも設定的には)兵器の目利きも
> 含まれているのではないかと思っています。
そうですねえ、ここは難しいところですね。「改良」と言うことならばその通りでしょうが、何せ移動要塞は戦略の根源から覆す可能性があった訳ですから、全体として優位に立っているならば戦略を根源からいじりたくないという考えもあるでしょうね。
リトルボーイを完成させてから、ソ連が原爆を開発するまでのアメリカの軍事・外交政策などが参考になるかもしれませんが、本論からずれますので、きょうのところは止しておきます。
> 移動要塞否定論派の多くは肯定論派の出す結論の先を見て論議を
> しているように思います。議論をしているフェーズが違うので
> こんなに荒れるのではないでしょうか?少なくとも私がそうでした。
>
> まず第一段階としての移動要塞の実現性が落ち着くまでは静観
> しようと思います。その後、そこから演繹されるヤンとラインハルト
> の凡才問題についての議論があるかはわかりませんが。
肯定派もその先を見ていますよ。ただ「解釈」よりは事実を優先させているだけだと思います。
また、移動要塞の可能性とラインハルトとヤンの凡才問題(?)は密接にリンクしているのでなかなか分けるのが難しいように思います。
なるべく荒れることなくスレッドが盛り上がって欲しいと私は思っています(^^)
> RAMさん、こんにちは。
IKさん、こんばんは。また、よろしくお願いします。
> これは私には性質の違うふたつのものを無理に二者択一にしているように見えます。
> 移動要塞が現に存在するのは事実(笑)ですから、ここは動かせません。少なくとも
> 「作品論的」に正否を論じること自体、無意味です。そういう作品なんですから。
> 一方、ラインハルトが天才であるというのは「解釈」ですよね。ここは動く余地が
> 充分にある訳ですし、後世の歴史家とやらが否定的な見方をしていた場面もあったと
> 思うのですが。少なくとも、事実と解釈がぶつかった時、譲るべきは解釈であるよう
> に私には思えるのですが。お手軽だろうが何だろうが、事実として移動要塞は存在
> してしまった。そこから議論を始めるべきだと思いますが。その上で、ラインハルト
> の天才性を救出する合理的な論理を構築すること、その方がよほど建設的に私には思
> えます。
少なくとも私は2者択一とは考えていません。両立できたら良いと考えています。
ガイエがある以上、移動要塞が出来る事は既定の事実です。ですが、お手軽かどうかは
「明記」はされていないと思います。あくまで書かれている日時、数量等からの推測
です。しかし、書かれていない所に何がしかの裏設定を入れて「移動要塞」と「天才」
が両立する事ができるでしょ、と言うのが私の考えです。
今の肯定派の論調から行くと両立は出来ない所にまで追い込んでいるように読めました。
そこまでする事は皆さんにとっても不毛では無いでしょうか?
作品の中に矛盾点がある事は了解しています。銀英伝に限らず他の作品でもあります。
ホームズには多くの矛盾点がありますが、それをもってホームズは予知が出来るだの
平行世界の出来事だのとは言っていないと思います。それは作品コンセプトがそうな
っていないからです。それと同様に銀英伝のコンセプトもバカとバカの伝説がコン
セプトではないでしょ?と言いたいです。
> ただし、その論理が構築できないならば、移動要塞が実際に「お手軽に」作られてし
> まった事実は動かせない以上、RAMさんが述べておられる通り、ラインハルトはこの
> 点においては「愚者」だったと結論づけることもあり得ますよね。その結論が不愉快
> だと言って、事実は動かせないのです。それは移動要塞肯定派にしてもどうにもなら
> ないことですよ。
>
> こういう結論が出てきて、私はいささか悲しい気分でいます。要塞対要塞は場面を
> 諳んじれるほど、「お気に入り」のエピソードですから。「見たか、奇跡のヤンの力
> を!」。ほれぼれするようなヤン提督の智謀です。出来れば合理的に現象と理論を
> 統合できればいいと思っているのですが…。
「お手軽に」と言う部分には頷けませんが、書いてある事実からの「推定」で
作品コンセプト自体を潰すのならそれは不毛では無いのですか?
上記でホームズの例えを出しましたが、ホームズには多くの日付の間違いがあります。
だからこれは偽証であり、全くの虚偽の発言でホームズの世迷言だと言っているのと
移動要塞が出来るのにも気付かない大バカの低能な争いと言っているのは作品コンセ
プトを潰すという観点からは同義に見えます。
ですので、そんな事を言わずに両立出来る方法を考える方が有意義ではないですか?
ちなみに、シャーロキアンの中では日付違いはワトスンの記述ミスという結論になって
いるようです。
> 未来から過去を見れば「見逃す」ということになるでしょうが、その時点時点では
> それは「存在していない」のだから見逃すということは必ずしもあたらないかも知れ
> ません。誰ぞの歌ではないですが「人々を変えるものに人々は気づかない」ものです
> から。もちろん気づいても不思議ではないですが、評価と言うのはまた別のものがあ
> りますからね。
銀英伝の世界の当時において完全な盲点な発想であるという解釈(裏設定)でしたら
私は何も言いません。天才といえども気付かない部分があるというだけで収まります。
しかし、これまでの論調では全く盲点では無く、気付かない方が愚かという主張に読め
ましたが…
> ああ、ここはそうかも知れないですね。
> ただしハードウェアをもう少し高く評価してもいいような気もしますが。爆撃機に竹槍
> で抵抗しようとしたような例もありますしね。
それは言えますね。
> そうですねえ、ここは難しいところですね。「改良」と言うことならばその通りで
> しょうが、何せ移動要塞は戦略の根源から覆す可能性があった訳ですから、全体とし
> て優位に立っているならば戦略を根源からいじりたくないという考えもあるでしょうね。
上に書きましたが、肯定論派の論調では盲点では無く、気付かない方が愚かという主張
に読めました。
> 肯定派もその先を見ていますよ。ただ「解釈」よりは事実を優先させているだけだと
> 思います。
> また、移動要塞の可能性とラインハルトとヤンの凡才問題(?)は密接にリンクして
> いるのでなかなか分けるのが難しいように思います。
私は事実より作品コンセプトを大切にしたいと思います。創竜伝のように悪質な問題
にも見えないのでなるべく作者の意を汲みたいと考えています。
> なるべく荒れることなくスレッドが盛り上がって欲しいと私は思っています(^^)
私も同意です。
>「作者が描く作品の世界観や、作品世界における常識などについても考え、それらの存在とも矛盾する
>ことなく完璧に合致する」とか「その裏設定を使って何らかのシミュレートを行っても、ストーリーや
>キャラクターの言動や行動、それに作品テーマなどの全てに全く矛盾が発生しない」とかいった要素も
>必要不可欠です。
あるいは、私たちはずいぶんと低次元の争いをしているのかもしれませんね。
私が、いろいろと持ち出した「隠れ設定」
と
銀河「英雄」伝説を代表する二人の英雄が、実は愚か者であったという設定
の、どちらが作品世界や、作品テーマからより大きく乖離しているのか、という。
ただ、私は今、冒険風ライダーさんと私の間で、本当にこのような形で議論を続けていってもよいのだろうか、と思っているのです。私たち二人は、このような議論をする前に、そもそも議論のやりかた、検証のやりかた、証明のやりかたについて合意することが必要では、と思うのです。
私たち二人の、これまでの議論を振り返ると、つまるところ下に記述したものと、同種の論争をしているように思われてなりません。
ライダー「私は、直角三角形の二つの短辺の2乗和が、長辺の2乗に等しくなることを、証明しました」
Ken「どのように証明されたのですか?」
ライダー「形も大きさも異なる直角三角形千個を測定し、そのすべてに上の条件が成立することを確かめました」
Ken「でも、それはあなたが測定した千個の話でしょう?千一個目がそうはならないとどうしていえるのです?」
ライダー「それは揚げ足とりです」
一ヵ月後・・・
ライダー「先に提唱した法則が正しいことを、今度こそ完全に証明しました」
Ken「どのように証明されたのですか?」
ライダー「一万個の直角三角形を測定しました。大きさも形も同じ組み合わせは、一つもありません。そしてその一万個の中にひとつの例外もなく--いいですかひとつの例外もなくですよ--先の法則が成り立つことを確認しました」
Ken「でもそれは、その一万個についてはそうだった、ということでしょう。その次の一個が別の結果にならないと、どうやって証明するのですか?」
ライダー「いい加減にしてください。だいたい、そこまで言うのなら、私が提唱する条件に合わない直角三角形を、一つぐらい自分で見つけてきたらどうですか。私の証明を否定するなら、それくらいはやるべきでしょう」
Ken「・・・できません。だいたい、なぜ私がそんなことをやらないといけないんですか」
さて、上の議論を見て、冒険風ライダーさんは、あるいはこの掲示板を見ている皆さんは、どう思われるでしょうか?
私の想像ですが、大部分の人はライダーさん(もちろん私が作った「架空」のライダーさんですが)の主張に理があり、Kenの方が無理難題を言っていると思われるのではないでしょうか。それが人間の感情としては自然なものだと思います。
でも、私は言わねばなりません。上の議論で、科学的に正しいことをいっているのは、Kenの方なのだ、と。「架空」ライダーさんが言っていることでは科学的な証明にはなっていないのです。だからこそピタゴラスは、私たちが中学で教わった証明法を考案せねばならなかったのです。上の論争で「架空」ライダーさんが述べている直角三角形の性質は、ピタゴラスの時代よりもはるかに昔から知られており、測量などに利用されていました。ピタゴラスの「証明」を聞いた当時の人の多くは「なにをいまさら、あたりまえのことを」と思ったかもしれません。
しかし、この法則はいま「ピタゴラスの定理」として知られています。なぜ彼だけが、彼の業績だけが、特別な評価を受け、後世に不朽の名を残したのでしょうか?
それは、ピタゴラスより前の知識は「科学」ではなかったからです。科学へといたる重要なステップではありました。ピタゴラス以前の人々が行った観察の積み重ねがあったからこそ、ピタゴラスは「この法則はきっと証明できる」と信じて、知恵を絞り執念をもって命題に取り組めたのでしょう。それはたしかです。しかしそれでも、科学でなかったものを、科学に変えたのはピタゴラスでした。
私は、以前の発言で、科学の本質とは、
観察→考察→普遍化→予測
だと書きました。
事実を観察し、
なぜそうなるのかという理由を考察し、
そこから、既に観察された対象も、観察されていない対象も包括する、普遍則を構築し、
最後に、観察より前に予測し、観察結果がそのとおりであることを確認する。
そして、この「考察」と「普遍化」をより完全なものにするため、科学議論は、しばしば、多くの人には「揚げ足とり」としか聞こえないような発言を含みます。
「私が発明した超合金Zは、最強の金属です。直径1ミリのワイヤが100トンの重量を吊り上げます。新しい正義のロボットに、ぜひ採用してください」
「実験で確かめたのですか?」
「もちろんです」
「その時の環境は?」
「環境ですか?気温摂氏20度、1気圧でした」
「では、気温30度、1.5気圧の時にも、1ミリが100トンを吊り上げるとどうして言えるのですか?」
「・・・・・」
「100トンの重量は、どれくらいの時間、吊り上げたのですか?」
「100時間です」
「では100時間ではなく、1000時間を経過しても大丈夫だとどうしていえますか?」
この「超合金Z」の発明者は、自分の製品を採用してもらうために、何をすればよいのでしょうか?ありとあらゆる条件を、すべての温度で、すべての気圧で、すべての実験時間で、すべての実験者で、すべての計測機器で、実験を行うのでしょうか?
まさか、そんなことはできません。
結論を言えば、ここにこそ「物理法則」が、「数学の法則」が、「科学理論」が入ってくるのです。有限個の実験結果から、その背後にある「理由」を考察し、その理由が正しければ次の実験で出るはずの結果を予測し、そして実験結果がそのとおりであることを確認するのです。
例えば、あらゆる温度・気圧条件で実験をするのではなく、温度・気圧と金属材料の間に、どのような関係があるのかを考えます。大気中に含むことができる水分の量は、温度と気圧で変化します。そして、湿度とは大気中に含むことのできる水分と、実際に含まれる水分の比率です。湿度が高いほど、その中の金属は水分に濡れ、水分中の酸素によって腐蝕が進行します。腐蝕速度は、「超合金Z」のイオン化しやすさ、超合金Zの原子何個と酸素原子何個が結合して酸化「超合金Z」を作るかによって支配されます。
このような理論があるおかげで、私たちは温度と気圧と金属材料の「強さ」の間に、普遍的な関係があることを予測し、やみ雲な実験ではなく、ポイントを絞り込んだ実験で、人を納得させる結論へといたることができるのです。
私にとっては残念なことに、私たちの議論に「物理法則」を持ち込むことは、冒険風ライダーさんによって否定されています。そのことは仕方がありません。銀英伝は、田中芳樹氏が作り出した「架空の世界」ですから、その世界に現実世界の物理法則を強制するのは誤りだ、と主張されたら、私には強力な反論材料がありません。
しかし、物理法則を使うことを否定されたら、「超合金Z」の発明者は、無限の多様さを持つ条件を、すべて一つ一つ実験して、結果を確認せねばなりません。摂氏1度から100度まで、1度ずつ区切りながら、100とおりの条件で実験をしても、「20.5度での結果は確認してないだろう」といわれたら、反論ができません。「ある温度で、強度が突発的に変化することはない」というのは、いわゆる「常識」ではありません。そもそも科学の世界に「常識」というものはないのです。理科や数学の教科書の中に、この言葉を使って、何かを証明しているのを見たことがありますか?
材料強度の突発的な変化を否定するのは、常識ではなく物理理論です。これを否定すれば、1度から100度までを100万個に分割してもまだ十分ではありません。
この議論は非常に厳しく、というよりも意地悪く聞こえるかもしれません。しかし、科学とは、科学的検証とは、そういうものなのだ、と容認していただくしかないのです。
冒険風ライダーさんは、恐ろしく困難な(ライダーさんの言葉を借りれば、「苛烈なまでに厳しい超高難度」の)証明を自らに課しておられる、私が言うのは、このような事情に言及したものです。
私自身も、「物理法則」を禁じられたことで、この議論を通じて何かを証明することはできなくなってしまいました。できるのは、冒険風ライダーさんが「証明」と呼んでおられるものが、実は証明になっていないことを指摘するという、ネガティブな所業だけです。「一万と一個目の三角形は、違う結果になるかもしれないだろう」という類の発言です。私も、物理法則の否定に同意したとき、そのことで、ここまで議論が不毛になるとは、正直予想していませんでした。
先の投稿で、いろいろ述べた「隠れ設定」は、半ば以上は、物理法則の適用を否定する冒険風ライダーさんに、できればスタンスを変えて、現実世界の物理法則を認めてほしいという気持ちが混入していました。そうすれば、議論がはるかに冷静で、建設的で、「すっきり」したものになると思うからです。ワープ航法のような、現実世界にないものが実現しているのは、あくまでも我々と同じ物理法則の中で、それを利用した未来技術であると考えればよいのです。そして(完全な証明はできませんが)、作者である田中氏の意図もそこにあったのではないかと、思います。
今回の「移動要塞」の件について、冒険風ライダーさんと私の間で、これ以上の議論に意味を持たせるとしたら、以上に述べた理由で、物理法則を復権させるしかないのでは、と私は思います。そうでなければ、少なくとも私にできるのは、前回の発言で散々述べたような「隠れ設定」を際限なく持ち出し、ライダーさんを不快にさせるだけのようです。この提案にご賛同いただけないのであれば、今回の投稿をもって、冒険風ライダーさんとの「移動要塞論争」を終了させていただきたく思います。
パンツァーさま、こんばんは。
>これは、建築に関する構造強度の点から言ってありえません(我々の知っている物理学を適用すれば)。
>40mのウルトラマンを支える足を、人間の足と同じ組成では構成できないのと同じことです。もっと分かりやすい例では、豆腐を1mも積むことができるかどうか、考えてみてもらえればよいでしょう。
これの計算はさして難しくありません。
人間の身長が180センチ、ウルトラマンが40メートルとすると、ウルトラマンが22倍です。ご存知のように、体型と密度が同じで身長が22倍なら、身体各部の断面積は22の2乗倍、体重は22の3乗倍になりますので、単位面積あたりの足の断面が支える荷重は、ウルトラマンの方が、22倍大きくなります。
一方、私の考察では、「くりぬく」前のイオン・ファゼカスは、2.34x10^14トンの重量を4.88x10^9平米の底面積で支えるので、1平米あたりの重量は約48,000トンです。くりぬいた後に最も過酷な荷重にさらされるのは側壁の最下部で、ここが側壁と天井の重量を支えます。計算では、2.3x10^12トンの重量を3.24x10^7平米の断面積が支え、1平米あたりの重量は約7万トン、くりぬく前に比べてほぼ50%の増加です。増加には違いありませんが、22倍に増加したウルトラマンと同列に論じるのは無理ではないでしょうか?
(注:イオン・ファゼカスの重量計算は、1Gの重力を前提にしていますが、くりぬく前とくりぬいた後の比率は、どんな重力下でも同じです)
>もし、この間に、技術的衰退があったとすれば、数多くの星からなる「同盟」の成立そのものが危うくなりませんか。
私たちが、つい忘れがちなのは、星間国家の維持に欠かせないワープ航行は、我々にとっては未来の超技術ですが、銀英伝の作中人物にとっては、1000年以上も前に確立された「古技術」である点です。我々にとって、1000年ほど前に現れた技術といえば、例えば石炭の利用があります。仮に私たちの文明がこれから衰えてゆき、核エネルギーの利用技術などが失われても、石炭を掘り出して燃やす方法まで忘れられるとは、なかなか考えにくいのではないでしょうか?その意味では、銀英伝世界でも、文明の衰退がワープ航法の喪失に直結するという結論へいたるのは慎重であるべきでしょう。
>大体、帝国との間に長期にわたる戦争状態もあるわけで、通例、歴史の教えるところでは、戦時においてこそ、技術は革新するものです
私が、「文明衰退」の歴史上の実例として挙げるのは、3世紀頃から400年ほど続いた前期中世ですが、この時代にも戦争は大量にありました。私は、文明の発展または衰退が、戦争の有無によって決まると考える根拠を持っていません。ただ言えることは、最近の500年のように文明が長足の進歩をとげる場合は、戦争が契機となって技術文明が進むし、中世のように文明が衰退するときは、むしろ戦争によって文明の蓄積が失われてゆくのでは、と考えています。
>いろいろな直角三角形を持ってきて、それらのすべてに上記の事実が成立することを示し
>
>これは、経験則を重視して、その背後の理論を演繹するという手法ですが、これを使っては駄目だということでしょうか。
いろいろな直角三角形をもってきて測定し、ピタゴラスの定理が普遍的に成立するという推測をするのは、たしかに経験則を重視することで、それ自体は大切なことです。ただ、それだけで終わったら、それは「背後の理論を演繹」したことにはなりません。「経験」と「科学」を分ける、第一の境界はそこにあります。
パンツァーさん、
すみません。先ほどの投稿で、私にとっては大事な点をひとつ言い忘れました。
文明の衰退に関するパンツァーさんの指摘に対する私の答えは、自由惑星同盟の文明も衰退したように聞こえますね。失礼しました。これは私の見解とは異なります。
私は、デモクラシーの国フリー・プラネッツまで、専制帝国のように技術文明が衰退したという認識はもっておりません。その点は、パンツァーさんと認識を共有しております。
ただ、自由惑星同盟は、冒険風ライダーさんが繰り返し指摘されるように、「逃亡奴隷」が作った国です。銀河連邦の技術遺産を継承できた銀河帝国に対し、出発点で非常なハンディがあったのではないでしょうか?しかも初期の人口はわずか16万でした。
この出発点でのハンディのせいで、建国後270年を経ても、同盟の技術力が帝国を大きく凌駕していない、というのが私に思いつく最もストレートな解釈です。
尤も、田中氏が同じ認識をもって銀英伝世界を設定したか、となると、それとは違うのでは、とも思うのです。むしろ田中氏は冷戦、それも宇宙開発など一部の分野でソ連がアメリカに先行していた時代をモデルに、帝国対同盟の抗争を書いたのでは、と私は想像しております。
こんな風な反論なら、多分、冒険風ライダー氏も納得するでしょ。賛成するかどうかはともかく。
えーとですね、ガイエスブルグが潰された後、移動要塞が再度採用されなかった理由は、ヤンがあまりに簡単にガイエスブルグを破壊してしまったことによるのでは、ということはないかと考えますが。
つまり、艦隊を繰り出して、移動中の移動要塞の同調させたエンジンの一基に集中砲火を加えれば、推力バランスを失って激しく回転を始め、自滅してしまうということです。このようなどうしようもない弱点を抱えているのでは、「移動要塞は今後は使えない」という強固な固定観念を、ヤンにもラインハルトにも与えてしまったということはありませんかね。いくら要塞が強力だと言っても、ある程度空間に分散させた艦隊を、要塞砲の一撃で完全に仕留めるのは無理ですからね。敵艦隊が犠牲覚悟で突進して来た場合、エンジンを破壊させないのは難しいでしょう。銀英伝作中にも、ロイエンタールによる「ラグナロック前の嫌がらせに近いイゼルローン攻撃」のような実例もあることですし。外部に剥き出しになっているエンジン部は、攻撃には弱いでしょうし。仮に、敵艦隊に接近された場合は、エンジンをカットし移動しない運用にしたとしても、それでもエンジンを一基でも破壊されてしまった場合は、敵艦隊を追い払って修理に十分な時間が取れるようにしなければならないし、エンジン修理用の部品は要塞内にそれなりに常備しておかなければならないし、修理している間は文字通り身動き取れないし、と移動要塞最大の「売り」である機動力が大幅に殺がれるので、ヤンもラインハルトも「あまり実用的な兵器ではない」と判断したとしても不思議はないのでは?
「イゼルローンを移動要塞に改造後、帝国領内をゲリラ的に行動すれば捕捉されることは先ずない」ということは否定しませんが、「万が一にでも、艦隊規模の相手に捕捉された場合」、ということをヤンが考えてしまった場合、そういうことをやる気が失せるということになりませんかね。「最悪の場合」を考えないヤンということはないでしょうし、自分がやった手で今度は自分が叩き潰される、というのはヤンでなくても嫌でしょう。
RAMさん、こんにちは。
おおよそ同意なので感想だけ。
ベーカー・ストリート・イレギュラーズは、ワトソンがいて幸せだなあ(笑)
矛盾する記述はワトソンの記憶違いということで決着をつけて、ホームズの聖性は守れるのですから。自分の奥さんのことも忘れるなんて、ワトソン博士、健忘症が激しいんじゃないの? と思いますが(^^)
銀英伝にはワトソンがいないですからねえ。何らかの理屈をみつけるしかない訳です(あるいはこの議題から撤退するか)。