パンツァーさん、
>「船体を軽くする」ことを重視したのであれば、そもそも推定重量234兆トンもの塊を切り出す必要がないわけです。
234兆トンの塊は、ハイネセンたちが切り出したのではなく、もともとその形であったのではないでしょうか?
~ハイネセンらが選んだのは、とある峡谷をまるまる埋めつくしたドライアイスの巨大な塊で、長さ一二二キ口、幅四〇キロ、高さ三〇キロという数値であった。~
という記述が、黎明篇の序章にありますから。
>むしろ、耐久性重視を目的として、十分な防壁を備えることを意図した、
>と考える方が自然ではないですか。例えば、宇宙空間航行時における浮
>遊物との衝突等にも耐える必要があるでしょうから。
耐久性を重視した防壁を備えることには、まったく異論がありません。ただ、エンジンの出力等の制限がある場合、耐久と軽量化のどちらをとるかは、設計思想にかかわって来ます。例えば、戦争中の日本は後者の設計思想をもってゼロ戦を作ったのです。アーレ・ハイネセンたちがどちらを選択したのか、銀英伝に記述はありませんが、私なら浮遊物との衝突に備えて重量を増やすよりも、最大限可能な速度で、帝国から逃げるほうを選びます。
ひとつ断っておきたいのは、私が挙げた「厚さ100mの外壁を残してくりぬく」という設定は、計算がやりやすいからそうしてみた、という以上の意味はありません。強度を保ちかつ質量を軽減するのは、質量自体を武器にする特殊例(例えば戦車など)を除いて、「動くもの」なかでも「飛行するもの」を設計するときの基本だと思います。私は、イオン・ファゼカスの質量が宇宙要塞より大きいと断じることはできない、と言いたかったのです。
>A「私たちの世界と同じ物理法則」
>B「私たちの知らない物理法則」
>
>Aは、物理法則というものが存在しているが、私たちが知っているか否かを問いませんよね。
>Bは、物理法則というものが存在している上で、私たちが知っている(現在正しいと認識して
>いる)ものに限定されますよね。
>意味が異なるわけですよ。
言葉どおりの解釈としては、パンツァーさんが言われるとおりです。私がAとして意図したのは、「私たちが知っている物理法則」という意味でした。知っているものでなければ、目的のために使用できません。
>まず、「書かれていない」部分って、具体的に何を指すのですか。
もっとも端的には、
移動要塞には、どれだけのエネルギーを要するのか?
静止要塞には、どれだけのエネルギーを要するのか?
艦船の航行には、どれだけのエネルギーを要するのか?
といったところでしょうか。これらの情報があれば、
艦船が無補給で長期間活動できることが、要塞にも同じことができる証明になるか?
イゼルローンが静止状態で長期間活動できることが、移動要塞にもなりうることの証明になるか?
という考察への道を開くと思います。
>不沈戦艦さんが指摘されましたが、「ワープエンジン」って、Kenさんの言う「私たちの物理法則」
>に当てはまるのですか。「ワープエンジン」の原理に関して、今日我々が知っている物理学で納得で
>きるような説明もありませんよね。
私の理解では、超空間を通過して、宇宙の一点から別の一点まで、通常航行では不可能な短時間に移動する、ということは私たちが知る物理法則に、完全否定はされていないと思います。この点は、例えば永久機関などとは性質を異にします。NASAの故カール・セイガン博士は、一生を疑似科学や神秘主義との戦いに捧げたような人ですが、その彼も「コンタクト」の中で、超空間トンネルを通っての移動を描いています。スティーブン・ホーキング博士も、「スタートレック」のスタジオを訪れたとき、「自分は『これ』を実現させるために、働いています」という言葉を残しました。いわゆる「ブラックホール」は、難しい言葉ですが「空間の連続性が切れる」点なのです。
>つまり、例えば、「艦隊がワープ航行する」という記載に対して、「ワープエンジン」の原理がない部分を、
>「私たちの物理法則を使うこと」で埋める、ということですか。
それはちがいます。私が意図したのは、例えば、上に挙げた移動要塞や静止要塞や艦船の消費エネルギーを、あるいはそれが無理なら、せめて相対的な大小関係を、私たちが知る物理法則で考察できないだろうか、ということでした。
>今日の我々は知らないが、「エネルギー保存則」が部分的に破れる可能性だって否定しきれないわけです。
>上で「質量保存の法則」が破れる場合については説明しました。これだって、一時代前の人類はびっくり、
>ですよ。銀英伝の記述の中で、「可能だ」とされていることに関しては、原理はよく分からないけど、未
>来に認識される物理法則では、説明がつくのかもしれないわけです。
そのとおりです。そしてそういうことを考察するのは、私は大好きです。
ただ、私が言いたかったのは、「どういう物理法則が成り立つのか分からない」という要素を大きくするほど、移動要塞に限らず、どんなことででも「証明」するのは難しくなる、ということです。
>ただし、以下述べる理由で、この討論に関しては、bとcとは実質的に同一であると考えます。
>
>1「銀英伝中の記載」をベースとして「可能なこと」を列挙し、
>2「可能なこと」の組み合わせとして、
>3「移動要塞が可能」
>
>そして、1または2に「誤謬」や「論理の飛躍」があるなら、それを突いてみろ、といっているのです。
>要は、Kenさんが、1または2のどちらかに、納得していないからでしょう。
>その納得していない点を指摘すればよいのです。
その点は、私の方にも誤解はないかと思います。ただ、ライダーさんが「可能だと証明した」と言われることが、私から見ると証明になっていないのです。
たとえば、冒険風ライダーさんは、ガイエスブルグがイゼルローンの位置まで移動した事実をもって、ただちに移動要塞で同盟領への侵攻も可能である、と言われます。しかし、同盟本土までの距離が、イゼルローンまでの距離よりも大きい以上は、ライダーさんの「証明」には穴があるのです。大穴といってもよいでしょう。それに対するライダーさんの反論もよく承知しているつもりです。そしてその反論自体にも穴があるといっているのです。
>「銀英伝世界」の否定につながらない方向で、考えを進めてください。
>「銀英伝世界」の否定に繋がる論を展開するのであれば、そもそも論ずることがありません。
これは「銀英伝世界」をどのような切り口で捉えるか、に関わります。例えば、銀英伝世界を「ガイエスブルグが移動した」世界であると捉えるなら、世界を守るには移動要塞が可能とするしかありません。一方「ガイエスブルグがイゼルローンまで移動した」世界であると捉えるなら、「恒久的」移動要塞を否定しても、世界の崩壊は起こりません。あるいは、銀英伝世界を「エネルギー補給が問題にならない」世界として捉えるなら、恒久的移動要塞の実現可能性は非常に高くなります。一方「艦船のエネルギー補給が問題にならない」世界であると捉えるなら、可能性が一気に低くなります。
そして私が言う「厳密性」とは、「ガイエスブルグが移動した」ことと「ガイエスブルグがイゼルローンまで移動した」ことを、厳密に区別すること等を意味します。
>ジャンボジェットなどの場合は、燃料を残して着陸ができないため、天候等の変化により引き
>返す際には、無駄に空中を旋回して燃料を消費します。つまり、100キロ走って停止、みた
>いなことができません。
>この自動車にしたところで、100キロ走って停止の場合の不測の事態の発生を、どうして、
>以上だけの観測結果から導き出すことができるのでしょうか?
私は、背後の物理法則を考えなくても証明できることもあることの例として「既に走行を実現した距離よりも短い距離を走行できる」ことを挙げたのです。これは論理の精密さを期すために付加したことで、あの発言のポイントは「物理法則を考えないと、最も直接的に観測された以外のいかなることも証明できない」という点にありました。パンツァーさんの指摘は、私自身が挙げた、この論旨への例外的ケースをも否定するものです。その可否はともかく、冒険風ライダーさんとの議論の中の位置付け的には、それでもかまいません。
>ここで、「要塞」の移動可能性に対して、「ピタゴラスの定理の証明」に準じるような検証作業
>を要求するのであれば、例えば、銀英伝中における「艦隊」に対しても同様の検証作業を行って
>欲しいのです。
すみません。この部分とこれに続く部分は、パンツァーさんの言われる意味がわかりません。
艦隊に関しては、既に数千光年の距離を航行した「実績」があるのだから、ヤンがフェザーンを攻略する上でも、「距離」が障害になることはないでしょう。
もう少し具体的に説明していただけると、ありがたいのですが。
a-ruさん、どうもです。
本当なら③を待って返答すべきなんですが都合で今現在の分だけ返答させていただきます。
> ということでS.Kさん、同盟側は「“できるかもしれないのでやってみる価値”がある」といわれますが、それはあなたが後世の人に立場に立っているから言えることです。まずは、「イゼルローンは主戦場であり、帝国もそこを拠点と分かれば追撃してくるのは時間の問題です」そして指揮官は常に最悪の事態を考慮しなければいけません。その最悪の事態とは、「ヤンが考えうる以上に早くイゼルローンに到着すること」ではないでしょうか。
> 例えば、家を建てるとき、雲行きが怪しくなって、台風が来ることは予想できても、いつ来るか分からないとき、現場監督として工事をはじめられますか?そんな危険を犯せますか。そのような状況で成功できる人は、天下無敵の大バカか、大天才か分かりませんが、少なくとも「普通の人」ではないですよね。そんな人を参考にできるのでしょうか。たとえ、賭ける価値があるとして、賭けの相手は天才ラインハルト、負ければ自分を含めて500万人以上の死、勝てば銀河の果てまで逃げつづけることが出来る…どうでしょうか。
前段指揮官の心得については同意いたしますがその後の想定にギャップがあるようです。
「台風の中の建築」ではなく私は「核ミサイル到達前にシェルターを構築できるか」の問題だと思っております。
ヤンに先見の明があればあるほど「篭城して消耗死か工事が不成功に終わって要塞壊滅か」は遅いか早いかの違いでの玉砕に他ならず、唯一の突破口が「イゼルローン要塞ごと逃亡」であると考えるでしょう。
とにかく「回廊の戦い」でヤンの最終的な勝機が限りなく0に近かった事だけは間違いないです。
> あと、空母と移動要塞は設計思想が別のように思います。
> 空母は「戦闘能力の高いが航続距離・時間が短い戦闘機、戦略爆撃機を燃料補給、修理を行って飛行機が継続的に作戦を遂行するために海上から支援する」ものであり、移動要塞は「拠点・自己補給・戦闘」三つの思想(コンセプト)を一つにまとめたものである、と解釈しています。
そうでしょうか?
空母機能を艦隊に適用できて戦闘力も絶大という空母の上級版、超大型戦闘空母(コロニー機能付き)と解釈しておりますが。
> では本論をはじめます。まず、①で書き忘れたことを述べます。
> 「イゼルローン要塞の職業人口比率」について
> イゼルローンの人口構成は作中では、民間人300万人、軍人200万人とのことですが、この中で技術者とよばれる人たちがどのくらいいると言われるのでしょうか。しかも宇宙関連などの高度技術者や熟練技術者はどのくらいいるのでしょうか?記憶があいまいで恐縮ですが、大敗戦以降、同盟は慢性的な人材不足に陥っているという記述が作中にあったと思うのですがどうでしょうか。また、冒険風ライダーさんは民間人技術者の徴収で10万人と見積もっていますが、その数はどこから出てくるのでしょう?技術者の数は早期改造工事の要だと思いますがどのようにお考えになりますか?
> 「ガイセスブルク要塞移動の実現までの計画時間」について
> 帝国の移動要塞計画は、ラインハルトへ提出するまでどれほどの期間を費やしたのかということです。科学技術長官なのか、それとも名もなき天才なのか、もしくは同志が集い議論を闘わせた物なのか、いったいどれほどの時間をかけて計画を練り上げたのでしょう、模型なども作ったのでしょうか…。とにかく、ガイセスブルク要塞を三ヶ月で動かせたのですから、ねじ一本一本のことまで書かれた、稀代の芸術作品的設計図だったではと私は思いを馳せるのです。しかし、同盟でこれが当てはまるのでしょうか、帝国と同盟は技術的に差がないといいますが、差はあります。例えば要塞があるか、ないか、です。要塞建設実績のない同盟に、しかも帝国製の要塞を改造することに困難はないのでしょうか。
> まあ、同盟にも計画が在ったかもしれませんが内容が不明なものを前提に議論を進めて良いのでしょうか。
> ここでの疑問は二つ、「イゼルローン内での技術者の人口(万単位)」「帝国で移動要塞開発計画の発案から提出までの設計・試作期間とそれを同盟にほぼ一致して計画できると言う論拠」です。
これは先に述べた「やるしかない」という事情と先に「ガイエスブルグ要塞という実例を目撃した」実績にかけるしかないでしょうね。
あとガイエスブルグ移動の要は技術ではなく「エンジンの同調」という運用面、ソフトウェアが主眼目である事は原作に繰り返し述べられております。
であればこそラインハルトも工事そのものを「実現性あり」と判断して認可したのですし。
> ②移動要塞が兵器として実際に有用と言えるかについて反論します。
> 氏は、移動要塞の設計思想として「恒久的(少なくとも50年)自給自足可能な拠点兵器」と考えておられると言うことで「補給万能論」者という立場に勝手にしますが宜しいですよね。
> この前提で、私も反論します。私はそれほどまでに補給が万能であるとは思わない立場です。そもそも、補給とは「国力を戦闘力に変換するための一システム」に過ぎないと考えています。例えて言うと、人間の循環系がこれにあたるでしょう。重要でありますが、補給によって戦艦を破壊できるでしょうか、そんな事はないでしょう。つまり、それ以上でもそれ以下でもないことです。
> また補給の優劣が戦術で現われるのは、指揮官、戦力、戦術運用などが両軍同等の力で接近している「接戦」か、国力勝負の「持久戦」かです。
> そして、移動要塞で帝国の補給線を延ばそうという戦術ですが、それが間違っています。断ち切りやすくするために補給線を延ばすのです。ではどのように補給線にダメージを与えるのでしょう。ただでさえ少ない25千の戦艦を割くのですか?要塞の防御はどうなるのでしょう。別働隊の弾薬、食料は?指揮官は?そして何より、同盟だけが無補給可能なわけではありません。帝国にも出来るのです。そして、要塞など作らなくとも、兵器製造艦、食料生産艦など必要な物資を生産できる艦を作ったほうが遥かに運用やコストなどの面で優れていると思います。
私は「イゼルローンを持って逃げよう」と考えているので移動可能な武装コロニーは充分な役割を果たすと判断します。
これを武力で駆逐する為には同等以上の移動戦闘要塞複数個か考えるのも嫌な位の艦隊を銀河全域に配備する他ないでしょう。
それくらいなら「逃げるなら好きにするがいいさ」で諦めた方が帝国には若干の威信の揺らぎはあっても利が大きいのは間違いありません。
では上記補足なども必要でしたら次回③への返答の折に。
> 本当なら③を待って返答すべきなんですが都合で今現在の分だけ返答させていただきます。
いえいえ、私はいろいろと問題をしてくれた方がやる気も出ますし、多くの疑問を指摘することでより深い議論、考証ができると考えているので今後も宜しくお願いします。
> 「台風の中の建築」ではなく私は「核ミサイル到達前にシェルターを構築できるか」の問題だと思っております。
これは、台風=帝国軍、家(外壁工事中)=改造途中の要塞、責任者=ヤンという例えだったのですが、分かりにくかったようですね。
仮に工事をはじめたとするならば、秒単位の競争だということを合意いただける前提の元に話しを進めます。ヤンが持っている帝国に対する判断材料は、①ラインハルトが高い確率で来ること。②ラインハルトがイゼルローン攻略法を持っている可能性があること。③イゼルローンと帝国の前線基地の距離と時間(これは危険材料にもなり得る)。など、私が今考えつくこと限りですけど。そして最も重要で分からないことは、いつラインハルトが進軍するかという事だと思います。これは、単に予測とか曖昧なことではなく、情報の質と速さだけの問題でしょう。それを得る方法がヤンにあるのでしょうか。せいぜい、要塞付近を哨戒するくらいです。
つまり、判断材料が少なすぎるのではないでしょうか。
> ヤンに先見の明があればあるほど「篭城して消耗死か工事が不成功に終わって要塞壊滅か」は遅いか早いかの違いでの玉砕に他ならず、唯一の突破口が「イゼルローン要塞ごと逃亡」であると考えるでしょう。
彼の先見性は銀英伝ナンバーワン(私的に)だと思っているので、その先見した結果、移動要塞にしなかったというのが、私の意見の一つなのです。(笑)
もう一つあります、原作の通りに要塞を出ることです…て出てましたのよね、記憶が曖昧で済みません(恥)。
> とにかく「回廊の戦い」でヤンの最終的な勝機が限りなく0に近かった事だけは間違いないです。
全く仰る通りです。
> そうでしょうか?
> 空母機能を艦隊に適用できて戦闘力も絶大という空母の上級版、超大型戦闘空母(コロニー機能付き)と解釈しておりますが。
設計コンセプトは違うが、運用目的は同じと考えるべきでしょうか。
> これは先に述べた「やるしかない」という事情と先に「ガイエスブルグ要塞という実例を目撃した」実績にかけるしかないでしょうね。
> あとガイエスブルグ移動の要は技術ではなく「エンジンの同調」という運用面、ソフトウェアが主眼目である事は原作に繰り返し述べられております。
> であればこそラインハルトも工事そのものを「実現性あり」と判断して認可したのですし。
それは帝国側ならば、それで問題ないと思います。ガイセスブルク着工前段階(計画立案、模型作成、ソフト面など)あった可能性がありますし、何年、何十年、もしくは何ヶ月か、は解らないですが。
しかし、それをそのまま同盟に当てはめることが出来るとなぜ言えるのでしょうか。
帝国、同盟の技術レベルは同程度といいますけど、二つの国は交戦状態です。技術者の交流があったのですか?確かに亡命者の中には技術者もいた可能性がありますが、要塞関係の技術者が亡命したとするならば、なぜ要塞を作らなかったのかも考えなければならないです。
二つの国は技術の発展の仕方が別ですから、同盟にあって、帝国に無いものもあるでしょうし、帝国にあって、同盟に無い技術も在ったと考えるべきじゃないでしょうか?まあこれは私の推察ですけれども。
> 私は「イゼルローンを持って逃げよう」と考えているので移動可能な武装コロニーは充分な役割を果たすと判断します。
それは、ハード的に問題が発生する可能性を考えなければ可能でしょうね。
> これを武力で駆逐する為には同等以上の移動戦闘要塞複数個か考えるのも嫌な位の艦隊を銀河全域に配備する他ないでしょう。
活動拠点は、おのずと限定されると言うのが私の考えです。それはのちほどに。
> それくらいなら「逃げるなら好きにするがいいさ」で諦めた方が帝国には若干の威信の揺らぎはあっても利が大きいのは間違いありません。
鋭いですね(笑)。というか答えの一つ言われてます。(笑)
このことはかなり重要だと思うんですけど。これも③で詳しく述べます。
後、私見なのですが優れた軍人・戦術家(死傷兵の少ないタイプ)は、いかにミスを少なくし、アクシデントを可能な限り排除する、信頼性の置けない物に対しては、出来る限り頼らないようにする。そのために与えられた条件の中で戦術を練ります。そして、最大限の情報収集を行い、謀略を用い、地形を選び、戦術立案をします。それに頼らない方法を模索するのです、だから大敗も無く、死傷者が少なく出来るのです。 また、③につながることですが、同盟において「移動要塞計画」は政治レベルの話しです。一軍人に過ぎないヤンの一任で決定できることではないのではないでしょうか。
ちょっと目がさめたのでお返事を入れておきます。
> > 「台風の中の建築」ではなく私は「核ミサイル到達前にシェルターを構築できるか」の問題だと思っております。
>
> これは、台風=帝国軍、家(外壁工事中)=改造途中の要塞、責任者=ヤンという例えだったのですが、分かりにくかったようですね。
理解した上で「緊急性と危険度の桁違い」ぶりを表現した訳です。
> 仮に工事をはじめたとするならば、秒単位の競争だということを合意いただける前提の元に話しを進めます。ヤンが持っている帝国に対する判断材料は、①ラインハルトが高い確率で来ること。②ラインハルトがイゼルローン攻略法を持っている可能性があること。③イゼルローンと帝国の前線基地の距離と時間(これは危険材料にもなり得る)。など、私が今考えつくこと限りですけど。そして最も重要で分からないことは、いつラインハルトが進軍するかという事だと思います。これは、単に予測とか曖昧なことではなく、情報の質と速さだけの問題でしょう。それを得る方法がヤンにあるのでしょうか。せいぜい、要塞付近を哨戒するくらいです。
> つまり、判断材料が少なすぎるのではないでしょうか。
そうでもありません。
既に絶望的な戦略的状況にヤン=エルファシル政権はあるのです。
であればこそ「マル・アデッタの戦い」におけるビュッコックの戦死や同盟崩壊は逐次ヤンにも伝わる訳です。
オーベルシュタインに愚挙と酷評される「回廊の戦い」ですがとにかくにももう勝負はついていて帝国側には何一つ隠す必要はないのです。
と申しますかこれは本当に愚挙に属する行いですが暗にラインハルトが「すこしでも五分の条件にしてヤンを打倒したい」と考えて情報管制を行わなかった可能性は極めて高い傍証があります。
先遣艦隊のビッテンフェルトは開戦に先んじて降伏勧告を行っていますが本気でローリスクでイゼルローン陥落を帝国が狙っているならこれは敗戦以上に許されない暴挙です。
つまりヤンは完全ではないにしろそれなりのプランを立てるだけの材料はあったと考える方が物語の史実上妥当です。
つまり「必敗の確定は了解していた」なら投機的行為も充分な説得力を持ちます。
少なくとも「ラインハルトの気が済むまで絶望的消耗戦に付き合って生き延びて和平」よりはまだ自助努力の余地がある分高確率でしょう。
> > 空母機能を艦隊に適用できて戦闘力も絶大という空母の上級版、超大型戦闘空母(コロニー機能付き)と解釈しておりますが。
>
> 設計コンセプトは違うが、運用目的は同じと考えるべきでしょうか。
そうですね。
> > これは先に述べた「やるしかない」という事情と先に「ガイエスブルグ要塞という実例を目撃した」実績にかけるしかないでしょうね。
> > あとガイエスブルグ移動の要は技術ではなく「エンジンの同調」という運用面、ソフトウェアが主眼目である事は原作に繰り返し述べられております。
> > であればこそラインハルトも工事そのものを「実現性あり」と判断して認可したのですし。
>
> それは帝国側ならば、それで問題ないと思います。ガイセスブルク着工前段階(計画立案、模型作成、ソフト面など)あった可能性がありますし、何年、何十年、もしくは何ヶ月か、は解らないですが。
> しかし、それをそのまま同盟に当てはめることが出来るとなぜ言えるのでしょうか。
> 帝国、同盟の技術レベルは同程度といいますけど、二つの国は交戦状態です。技術者の交流があったのですか?確かに亡命者の中には技術者もいた可能性がありますが、要塞関係の技術者が亡命したとするならば、なぜ要塞を作らなかったのかも考えなければならないです。
> 二つの国は技術の発展の仕方が別ですから、同盟にあって、帝国に無いものもあるでしょうし、帝国にあって、同盟に無い技術も在ったと考えるべきじゃないでしょうか?まあこれは私の推察ですけれども。
前記の通り6~8巻(文庫版11~16巻)のヤンは「それでもやるべきだった」のです。
もう一度申しますが「回廊の戦い」でヤンの軍事的勝機は 限りなく0に近いものです。
逆にいえば「何をやっても損はない」状態だったのです。
どんなに不安材料が多くても「移動要塞計画」は成功すればほぼ丸儲けの次善に近い結末だったのですから。
ちなみに最善はロムスキーを説得してエルファシルを投稿させ、レンネンカンプ関連の一連の騒動に対する釈明と正式な裁判をマルアデッタの戦い前にラインハルトに投降して要求する事だったとリスク回避の観点からは考えますが。
> > 私は「イゼルローンを持って逃げよう」と考えているので移動可能な武装コロニーは充分な役割を果たすと判断します。
>
> それは、ハード的に問題が発生する可能性を考えなければ可能でしょうね。
絶対にメルトダウンする原発にたたずむのと整備状態が当てにならない飛行機で避難する事の二択なら飛行機に乗る人間の方が絶対多いとこれは断言できます。
> 後、私見なのですが優れた軍人・戦術家(死傷兵の少ないタイプ)は、いかにミスを少なくし、アクシデントを可能な限り排除する、信頼性の置けない物に対しては、出来る限り頼らないようにする。そのために与えられた条件の中で戦術を練ります。そして、最大限の情報収集を行い、謀略を用い、地形を選び、戦術立案をします。それに頼らない方法を模索するのです、だから大敗も無く、死傷者が少なく出来るのです。 また、③につながることですが、同盟において「移動要塞計画」は政治レベルの話しです。一軍人に過ぎないヤンの一任で決定できることではないのではないでしょうか。
それなので同盟では「回廊の戦い」に限定して論じている訳です。
どうにかして逃げる以外には全滅必至の状況下でどんなに可能性が低くても逃げる方策を考え試みる事はどれほど投機的でも「名将」の名に恥じるものではないですよ。
また、その時点で「一軍人」といううのはヤン個人の気の毒ながら身勝手な願望であって、あの時点のイゼルローン=エルファシル陣営にとってヤンは「最後の希望」「逆転の切り札」に他なりません。
あの状況でヤンが「必要です」といえば極論ですがスパルタニアン隊による神風特攻隊だって結成されたでしょう。
それが「全員生き延びて逃げる方策」となれば従わない人間はまずいないでしょうし、いても相手にされない事を請け合えます。
③に進めないのは、当方の都合なのでお気遣い無く。
一番主張が長くなる予定なのでエネルギーを使うので。
> 理解した上で「緊急性と危険度の桁違い」ぶりを表現した訳です。
そうではないかと思いました。(笑)
私がここで例えたかったことは、近似型(タイプ、パターン)をあげて、ある人(対象)を自分の状況に置き換えることで理解を深める手段だと「台風と家」を例にあげたのです。私の例は出来が悪かったかもしれません。(苦笑)
勢いで言ってしまいますと、私がこの「徹底反論」を投稿したのは、RAMさんが「ホームズ」の例を引用して言われた意見と同じように考えたからです。
私のこれまでの質問・疑問に対する解答は無いものものが結構含まれていると思います。それを分かっていてあえてしたのは、これだけ謎か在る移動要塞を軽軽しく言うべきではないと言いたいのです。今までの賛成派の意見ではまだまだ、説得材料が足りませんし、説得力にも欠けています。なにより、賛成派は「ない」ものを「ある」「できる」と主張しているのですからより精緻な証拠を示さなければなりません(当時の同盟、帝国の状況、時間を元に資金、大衆の人心掌握法など)。
否定派の説得材料より少ない中で説得しなければならないのです。
そして、この議論するならば順序として、移動要塞が何故出来なかったのか?を徹底的に考え、シュミュレーションし出来なかった理由を考えるべきではないでしょうか。そして、それを元に「移動要塞ができる可能性」を探る議論、シュミュレーションをすべきだではないでしょうか。それから…の可能性はというように遊ぶ。これが銀英伝世界で楽しく遊ぶための態度だと私は言いたいのです。(言っちゃった)
最後にRAMさんの至言を聞く方がいなかったのか?堂々巡りの議論も少なくなかったと思います。
③は書き上げるのにかなり力が要るので少しお待ち下さい。
> ③に進めないのは、当方の都合なのでお気遣い無く。
> 一番主張が長くなる予定なのでエネルギーを使うので。
了解です。
> > 理解した上で「緊急性と危険度の桁違い」ぶりを表現した訳です。
>
> そうではないかと思いました。(笑)
悪いですが、ここで示唆されている原作6~8巻のヤンの逆境について①突然アンドロメダ共和国が援軍にくる②ハンサムのヤンは突然起死回生の大魔術を思い付く③なにもない現実は非情である のどれ、もしくはどうだとお考えですか?
> 私のこれまでの質問・疑問に対する解答は無いものものが結構含まれていると思います。それを分かっていてあえてしたのは、これだけ謎か在る移動要塞を軽軽しく言うべきではないと言いたいのです。今までの賛成派の意見ではまだまだ、説得材料が足りませんし、説得力にも欠けています。なにより、賛成派は「ない」ものを「ある」「できる」と主張しているのですからより精緻な証拠を示さなければなりません(当時の同盟、帝国の状況、時間を元に資金、大衆の人心掌握法など)。
何度か出た話ですがガイエスブルグ要塞が移動した事実は認識されてますか?
あと実は冒険風ライダーさんの考察移動要塞論A~Gまでの討論成果をかなり参考にして私は話しておりますがそこにもa-ruさんの求める回答がないかは一度ご覧になるべきでしょう。
記録があるのにあまり既出の説明を2度したい人間は少ないですよ。
> そして、この議論するならば順序として、移動要塞が何故出来なかったのか?を徹底的に考え、シュミュレーションし出来なかった理由を考えるべきではないでしょうか。そして、それを元に「移動要塞ができる可能性」を探る議論、シュミュレーションをすべきだではないでしょうか。それから…の可能性はというように遊ぶ。これが銀英伝世界で楽しく遊ぶための態度だと私は言いたいのです。(言っちゃった)
それは最初の論点が違います。
冒険風ライダーさんは「移動要塞」という作中事実に対して「実は莫大な可能性のあるハードウェアであり、有効活用するとこう」と示すのが目的だったのであり、a-ruさんの論点は検討価値はありますがあくまで冒険風ライダーさんの「移動要塞論」に対するものであり、であればまず最初は「移動要塞の可能性とその使用法、そこにいたるまでのノウハウ説明」に耳を傾けるべきでしょう。
その説明を「理解」した上ではじめて議論になります。
「理解」としたのは「正確な把握を要する」という意味で「納得」「賛同」する必要は必ずしもはないからです。
> 最後にRAMさんの至言を聞く方がいなかったのか?堂々巡りの議論も少なくなかったと思います。
冒険風ライダーさんの説明や他の方の質問内容を考えもせず自分の疑問もしくは主張に固執された論者が複数名残念ながら存在した事が一番長期化と紛糾の原因ではなかったでしょうか。
おそらく、私の論は、肯定・否定の対象となる以前に、非常に分かりにくかったのではないか、と思います。私たちが、日常生活で行っている精神活動とは、一線を隔する思考活動を持ち込んだからです。もちろん完全に理解し、その上で否定なり肯定なりをされた方もいるでしょう。しかし、そうではない方もおられると思いますので、再度論点を整理し、つまるところ私が何を言おうとしていたのか、説明をさせていただきます。
はじめに言っておきたいのは、私は「恒久的移動要塞は不可能である」とは言っておりません。今回の討論に参加した当初は、可能・不可能のどちらへも、天秤を傾斜することはできませんでしたが、冒険風ライダーさんとの議論を経た今では、「可能である」とする側に傾斜しています。この点で、冒険風ライダーさんの構築力と説得力は見事です。また、私がそのように考えていることで、ライダーさんや他の方が「それでよし。この問題は終了」とされるのなら、以降の文章を読んでいただく必要もありません。そういう人たちとは、問題にしている部分が異なるのですから。
************************************************
私たちの議論が紛糾した理由は一つ、恒久的移動要塞が可能であることが「証明された」という論が横行し、そこから「ヤンやラインハルトが愚かである」と展開したことに、私が承服できないからです。ただし、二人の英雄のことは今は論じません。その前提となった「既に証明できた」とする論に対する反論です。
以前に書いたように、冒険風ライダーさんも、ライダーさんと論拠を同じくする人たちも、何かを「証明する」とはどういうことかを誤解しておられます。「ピタゴラスの定理」を持ち出したのは、そのことを分かりやすく解説するためでしたが、あまり役に立たなかったようです。
そんな中で、私が注目したのは、パンツァーさんの投稿にあった以下の記述です。
演繹:自然科学において一般的な法則から当面の特殊な事象に関する結論を導き出す過程「いっそう日常的な例としては、〈毎日太陽は東から昇り、西に沈む〉ということから、今日も、また明日もそうだ、と結論することも、演繹的推理の例である。」
(平凡社:世界大百科事典)
引用をして下さったパンツァーさんには感謝いたします。
ただ、この記述は正しくありません。平凡社の百科事典に本当にそう書いてあるなら、明らかな誤植です。「昨日までずっと、太陽が東から昇り西へ沈んだから、今日以降もそうだろう」というのは、論理学では「帰納(induction)」といい、「演繹(deduction)」とは明確に区別されます。「演繹」とは、例えば次のような論理展開のことです。
1.太陽は東から昇る。
2.太陽は動きつづける。
3.太陽は動く方向を変えることはない。
4.西は東の対極にある。
5.ゆえに、太陽は西へ沈む。
1と2と3と4が前提として正しければ、5が唯一の結論となります。「演繹」とはこういうもので、演繹過程が正しければ、それは「証明」と考えてよいのです。帰納と演繹の対比について、「Microsoft Encarta」百科事典の記述を引用します。(原文は、投稿の末尾にあります。)
~しかし、帰納は非常に重要な点で演繹とは異なる。演繹においては、前提が真なら結論は必ず真でなければならない。一方、帰納においては、たとえ可能性が高い論であっても、前提は真だが結論は偽である可能性が残るのである。~
(カリフォルニア大学リバーサイド校、哲学科助教授ジェノヴィヴァ・マーティ)
「deduction」と「induction」というもともと難解な数学的概念に、「演繹」と「帰納」という難解な訳語を充てたことで、混乱を拡大させた昔の(おそらく徳川末期か明治の)学者の罪は大きいと思います。もっと単純に「deduction」は「証明過程」、「induction」は「類推過程」でよかったのです。あるいは、「de-」と「in-」の対比を活かしたいなら「可能性の絞込み」と「可能性の展開」でよかったのです。
そして、私は、冒険風ライダーさんの論旨に対して、
「証明した」「立証した」といいながら、やっていることは、すべて帰納じゃないか。証明じゃなく類推じゃないか。
と言い続けていたのです。不沈戦艦さんは、私が「・・・かもしれない」という議論ばかりしていると言われました。当然です。私は帰納ではなく演繹を行うことを求めていたのですから。演繹とは(つまり証明とは)、「・・・かもしれない」という疑義の存在を許さないものです。
そして、非常に大切なことですが、演繹と帰納は、科学論であるか作品論であるか、とは、完全に独立した、何の関係もない、100%別個の問題です。物理法則に基づく科学論にせよ、作品の記述に基づく作品論にせよ、演繹は演繹、帰納は帰納です。「証明」とは演繹を行うことです。
ただ、それでは帰納には何の価値もないのでしょうか?それはちがいます。現実世界の科学者は、観察結果を前提とした帰納を、日々実行しています。
私が言いたいのは、科学者は帰納を行うが、帰納「だけ」でことを済ませない、ということです。彼らは観察結果から背後の物理法則を「帰納」し(類推し)、その法則が正しければ観察されるはずの結果を予測し、あらたな観察で予測が正しかったことを確認します。同じ確認が最低一つのの追試でも行われたとき、その法則は当面の真実として受容されます。ただし、演繹にもとづく結論ではないので、いつか覆される可能性は、残ります。パンツァーさんが「質量保存則」を例に挙げられたように。
私が、物理法則の復権を提案したのは、銀英伝の記述に基づいての演繹証明などできるわけがないから、次善策として、現実世界の科学手法を取り入れてみてはどうか、と考えたからです。結果として、それで何かを証明できたかどうかは分かりません。でもやらないよりはましだろうと思ったのです。
しかし、今となっては、余計なことだったかもしれない、と思います。あくまでも「証明」という言葉に、古代ギリシャ以来用いられてきた定義を適用して、押し通した方が、誤解も生じず、論点が明確になったかとは思います。
「Encarta」の原文。
However, induction differs from deduction in a crucial aspect. In deduction, for an argument to be correct, if the premises were true, the conclusion would have to be true as well. In induction, however, even when an argument is inductively strong, the possibility remains that the premises are true and the conclusion false.
Genoveva Marti
Assistant Professor, Department of Philosophy, University of California at Riverside.
> > 最後にRAMさんの至言を聞く方がいなかったのか?堂々巡りの議論も少なくなったと思います。
>
> 冒険風ライダーさんの説明や他の方の質問内容を考えもせず自分の疑問もしくは主張に固執された論者が複数名残念ながら存在した事が一番長期化と紛糾の原因ではなかったでしょうか。
最後配慮不足の表現でしたので追加いたします。
「質問者は既出の質問を読んだ上で誰かへの回答にまとめてもらう配慮があって良かったのではなかったか」という意味です。
事実回答者の冒険風ライダーさんも大きな負担に近いニュアンスの発言をされた経緯もありましたし。
当時の参加者の方々の名誉と不充分なレスを受けたa-ruさんに深くお詫び申し上げます。
> Kenさん
> > 私が記憶する限りでは、ラインハルトが「補給」を問題にするのは、常に戦時です。
>
> いくら何でも「ガイエスブルグ要塞移動」は「ケンプ・ミュラーによるイゼルローン攻略戦」の第一段階、すなわち最初期の「戦中」です。
> 「戦略」とは「戦う前に想定されうるあらゆる事態に万全の準備を整える」事であり、この段階でいきあたりばったりな真似をするようなラインハルトであればそれはアムリッツァのフォークと大差ない代物でしょう。
> 何故そんな酷い侮辱を「常勝の天才」になさるのですか。
特に付け加えることはありません。「平時」と言うのは無理がありますよ。
> > >帝国から脱出し、同盟を建国した人々ってのは、航続距離が案外短く、逃げ切れるかどう
> > >かも分からないような代物で、脱出を敢行するほど「莫迦」なんですか
> >
> > 帝国から脱出し、同盟を建国した人々は、逃げきれるかどうか完全な自信を得るまで、自由を求めての「賭け」に出られないほど、臆病だったのでしょうか?時間が経過すれば、イオン・ファゼカスを利用するより、もっと成功率の高いチャンスがくるという確信があったのでしょうか?
「イオン・ファゼカス号はワープできなかった可能性がある」とか「ワープできても航続距離が極めて短かったかも知れない」ということを前提にしてそういうことを言うのなら、それは単に「勇気と無謀を取り違えている」という類でしょう。「賭け」ではなく「自滅願望」としか言いようがありませんね。
> > 一つ目は、「移動要塞は可能である」ことを証明するための理論に「すき」があることです。不沈戦艦さんは、
> >
> > >数学の定理を証明するような、厳密な科学的考証
> >
> > を求めるのは誤りだと言われました。あるいは、不沈戦艦さんにとって、「現実の物理法則を否定すること」と「厳密な科学的考証を行わないこと」は同義なのかもしれません。
> >
> > しかし、私にとっては、両者は同義ではありません。現実の物理に従う科学論にせよ、銀英伝の記述に従う作品論にせよ、何かを「証明」するには、厳密さが要求されます。それができないのなら、「移動要塞を実現できる可能性がある」という表現にとどめておけばよいのです。
> >
> 事実ガイエスブルグ要塞は移動したんです。
> 移動要塞の実現にこれ以上何が必要なんですか。
> 銀河英雄伝説3巻(最新文庫版5・6巻)お読みじゃないのですか?
これも、特に付け加えることはありませんね。「銀英伝作中ではガイエスブルグ要塞は容易く移動した」という「作中事実」を無視しないでください。
> > 二つ目は、ヤンとラインハルトが愚か者である、という結論です。不沈戦艦さんや冒険風ライダーさんのように、銀英伝の作品設定を最大限重視する人が、なぜこのように、設定を大きく乖離する結論を主張されるのでしょうか?
> >
> 「移動要塞」という「作中事実」が含む「ある重大な可能性に何故気付かなかったのか」という疑問からでしょう。
> 尤もこれについては私も「移動要塞の有用性」を大いに認めた上で「全人類規模で誰も気付かない事での判断で酷評と思う」と3610番の投稿で申しておりますが。
>
> 一度大荒れになった話題をあえてもう一度議題にされているのですからもう少し相手の冒険風ライダーさんの議論姿勢、議論前提を考慮して過去の考察ログを重々点検した上で異議を唱え意見を開陳された方が誰にとっても幸福ではないですか。
「作中事実」から推論した「移動要塞の可能性」が、別の「作中事実」である「魔術師だの天才だのと呼ばれるヤンとラインハルト」ということと、矛盾している訳です。「作中事実」として「魔術師だの天才だの」たちの行動より、もっと優れた行動があり得るのなら、「魔術師に天才という作中の評価」に疑問を持つことは変ですかね。
しかし、これはいずれにしても「作中事実と作中事実の対立」があるからこそ、冒険風ライダー氏の「移動要塞論」が出てくるんでしょ。それに対して反論する根拠が「現実の物理学」だけじゃお話にも何にもなりはしません。だから、何度も「作中事実を根拠にして反論しなければならない」と言っているんですけどね。まだKen氏は理解できないんですか?
議論の対象となっているのは、銀英伝の小説を元にした「仮定」の話です。
この「仮定」の一つとして、冒険風ライダーさんの「移動要塞」論があります。
> 私たちの議論が紛糾した理由は一つ、恒久的移動要塞が可能であることが「証明された」という論が横行し、そこから「ヤンやラインハルトが愚かである」と展開したことに、私が承服できないからです。ただし、二人の英雄のことは今は論じません。その前提となった「既に証明できた」とする論に対する反論です。
ここで、「恒久的移動要塞が可能である」ということの意味が重要ですが、
これは、例えば同盟が、イゼルローン要塞の改造に着手すれば必ず成功する、という意味ではありません。工場で多量生産されている製品の中に不良品が発生することがあるように、100%の成功率を約束するものではありません。
「自給能力(無補給)」と「航行能力」とを備えた「移動要塞」が、原理的に実現可能である、という趣旨です。繰り返しますが、実際に実行してみたら失敗する可能性がない、という意味ではありません。
つまり、実際に実行してみたら失敗する可能性があるからといって、
Kenさんの主張される
「銀英伝の記述だけでは、可能であると証明するにも、不可能と証明するにも、不十分である」<Kenさんの記載(No3599)>
ということには、なりません。
☆検証すべき点
したがって、「自給能力(無補給)」と「航行能力」とを備えた「移動要塞」に関して、
A 「自給能力(無補給)」の検証と、
B 「航行能力」の検証と、
C この両者の組合せの検証と、
を行って問題がなければ、「移動要塞」が「原理的に可能」ということが言える訳です。
実際の運用や施工期間、政治上の問題等の予備的問題では、ここでは当然省略します。
☆「仮定」の検証は、「演繹」により行うべきである。
○「ピタゴラスの定理」の「証明」等の引用により、「演繹」により証明しなければ意味が無い、というのが、Kenさんの趣旨かと考えておりました。
しかし、
Kenさんの記載(No3625)
<私が、物理法則の復権を提案したのは、銀英伝の記述に基づいての演繹証明などできるわけがないから、次善策として、現実世界の科学手法を取り入れてみてはどうか、と考えたからです。>
と今回記載していることから見て、「演繹」により証明すること、は考えていない(もしくは放棄した)、ということですね。
○ここで、私が部分的に「帰納法」と「演繹法」とを取り違えていた部分があることを、述べておきます。
「これは、経験則を重視して、その背後の理論を演繹するという手法ですが」(No3587)
ここで「演繹」とした部分は、「帰納」の間違いです。
○また、以下の指摘に回答しておきます。
Kenさんの記載(No3625)
<ただ、この記述は正しくありません。平凡社の百科事典に本当にそう書いてあるなら、明らかな誤植です。「昨日までずっと、太陽が東から昇り西へ沈んだから、今日以降もそうだろう」というのは、論理学では「帰納(induction)」といい、「演繹(deduction)」とは明確に区別されます。「演繹」とは、例えば次のような論理展開のことです。>
これは、次のような展開になります。
前提「毎日、太陽は東から昇り西に沈む」
結論「今日、または明日も、太陽は東から昇り西に沈む」
つまり、「毎日」という範疇には、「今日」「明日」が含まれるから、
「毎日」において成り立つことは、必然的に、「今日」「明日」においても成立する、といっている話です。この論理展開が「演繹」です。
誤植ではありません。
☆「仮定」の検証は「現実世界の科学手法」により行うべきである。
○私は今回、「演繹」にこだわる(と私が推測していた)Kenさんの論陣に対して、反論を展開するつもりだったので、やや面食らっております。
ともかく、現時点では、Kenさんの言う「現実世界の科学手法」を検証手段とせよ、という趣旨ですね。
Kenさんの記載(No3572)
<科学の本質とは、
観測→考察→普遍化(数式化)→予測
を行うことです。>
Kenさんの言う「現実世界の科学手法」は、上記ですよね。
実際は、
観測→考察→仮説の設定(数式化)→実験(変数の代入)→仮説の立証(変数を変えた場合の予測を可能とする理論の構築)
となるものだと思いますが、
まあ、Kenさんの言う「現実世界の科学手法」に従ってみましょう。
○ここでまず、(No3572)における、Kenさんの言う「現実世界の科学手法」に基づいた検証作業の一例について、考察してみます。
Kenさんの記載(No3572)
<例えば、燃料タンクを半分だけ満たした自動車が、200キロを走行したという「観測結果」があるとします。(中略)その前提としては、「タンク10分の1の燃料で40キロ走った」「4分の1では100キロ走った」「半分では200キロ走った」という観測結果の積み重ねがあり>
「観測」された内容は、この四つですね。
「燃料タンクを半分だけ満たした自動車が、200キロを走行した」
「タンク10分の1の燃料で40キロ走った」
「4分の1では100キロ走った」
「半分では200キロ走った」
Kenさんの記載(No3572)
<「燃料の量と走行距離には、線形の比例関係がある」という、数式化された法則が導かれ、その理論的裏づけとして、>
これが、「普遍化(数式化)」ですね。
Kenさんの記載(No3572)
<「燃焼した燃料の体積と、発生する燃焼ガスのモル数には、化学式が保証する比例関係があり、内燃機関のピストンに外部から加わる力が一定なら、ガスのモル数とガスの圧力には比例関係があり、シリンダの断面積とピストンのストロークが一定なら、ガスの圧力と一回転あたりのエネルギーには比例関係がある」
という、考察がなされているのです。>
「考察」の内容は、上記ですね。
<数式化された法則が導かれ、その理論的裏づけとして、>という記載があるので、「普遍化(数式化)」の後に、「考察」が書かれたものと判断します。
この考察は、「観測」の内容とは全然関係ないんですよね。また、「普遍化(数式化)」の内容とも直接関係が無いですね。
つまるところ、Kenさんの言う「考察」は、「自動車」に関する「考察」を意味するわけですね。
この「考察」は、全然意味のない作業ですよ。
自動車の構造がブラックボックスであったとしても、
「観測結果」を「前提」として考察すれば、「燃料の量と走行距離には、線形の比例関係がある」という「結論」(「普遍化(数式化)」)が、導き出せますよね。
「考察」というのは通例、「前提」より「結論」を導くための思考過程を指すものでしょう。「前提」や「結論」と関わり無い、自動車の構造などを考える過程ではないはずですよ。
Kenさんの記載(No3572)
<科学者は、断じて「半分の燃料で200キロ走ったから、満タンなら400キロ走るだろう」などという、いい加減な推測をしているのではありません。>
とKenさんは書いていますが、「考察」の意味内容を考慮すると、
現実の科学者は、Kenさんの言う「いい加減な推測」をしているわけです。
Kenさんの記載(No3572)
<タンク半分の燃料で200キロ走ったから、タンクを75%満たせば300キロは走るだろう、という予測はできません。なぜなら、そのような観測結果はどこにもないからです。それどころか、タンク75%の燃料で、200キロプラス1メートルを走れる。という予測すらできません。>
そして、Kenさんの言う「現実世界の科学手法」の最終過程の「予測」を、このように述べていますが、このようにはなりません。
Kenさんが「普遍化(数式化)」したのは、
「燃料の量と走行距離には、線形の比例関係がある」
という内容なのですから、
「タンクを75%満たせば300キロは走る」わけです。
つまり、「予測」はできるのです。
もっとも、「実績」はありません。実際に実行してみた場合、「タンクを75%満たせば300キロは走る」のか、どうかは定かではありません。
でも、実際に実行してみた場合の可否を問題にするのであれば、それは、以上の「現実世界の科学手法」とは別の話です。
それにも関わらず、
「燃料の量と走行距離には、線形の比例関係がある」にも関わらず、「タンクを75%満たした場合」の結論が導けないとするなら、
それはどんな理由であるか、私はそこを考えてみました。
パンツァーの記載(No3613)
<これに準じて考えるなら、タンク半分の燃料で100キロ走ることができるか(四分の一の燃料を残して停止すること)、ということすら、予測できないのではありませんか>。
私がこのように書いたのは、Kenさんの主張の意図が、
<「燃料の量と走行距離には、線形の比例関係がある」という、数式化された法則>
があっても、「観測結果」以外の再現は否定する法則なのだ、という風に捉えたからです。例えば、「タンク半分の燃料で100キロ走る」場合は、前記の観測結果のなかにないので、不可能だということかな、と判断したのです。
○「タンクを75%満たせば300キロは走る」だけは否定できるような都合の良い「普遍化(数式化)」ができるかどうか、一つ考えてみてください。
「実績が無い」ということで否定するのであれば、
「タンクを8分の1だけ満たした場合」に関しても、同様に否定されることになるでしょう。
☆Kenさんの思考過程
Kenさんの記載(No3625)
<「証明した」「立証した」といいながら、やっていることは、すべて帰納じゃないか。証明じゃなく類推じゃないか。
> と言い続けていたのです。不沈戦艦さんは、私が「・・・かもしれない」という議論ばかりしていると言われました。当然です。私は帰納ではなく演繹を行うことを求めていたのですから。演繹とは(つまり証明とは)、「・・・かもしれない」という疑義の存在を許さないものです。>
<私が、物理法則の復権を提案したのは、銀英伝の記述に基づいての演繹証明などできるわけがない>
<次善策として、現実世界の科学手法を取り入れてみてはどうか>
○上で、「帰納」と「演繹」を取り違えた、という私が言うのもなんですが、
「帰納」:より個別的で単純な事例の集りから,より一般的な法則を導く
「演繹」:ある一般的法則が与えられた場合,個別的な適用例をその法則の意味から導きだす
といったことですね。
Kenさんの言う「現実世界の科学手法」においても、
「観測→考察→普遍化(数式化)」
の過程では、「帰納」が用いられているわけです。
「普遍化(数式化)→予測」
の過程が、「演繹」に相当しましょう。
結局、Kenさんの言う「現実世界の科学手法」においても、「帰納」を排除することにはなりません。
☆☆「仮定」の検証において考慮すべきこと
私は以下の二点を提案します。
1 「作中事実」より「帰納」的に導ける「要素」は、その仕組み(構造)がブラックボックスであってもよい。
上の例での「自動車」で、自動車の構造がブラックボックスであっても差し支えないように、銀英伝に登場する物に関して、その構造が「私たちが知っている物理法則」で説明がつくか否かは、まったく関わりがありません。
2 「仮定」に適用する「扱い」は、すべての「仮定」で「均等」にすべき
○例えば、
第一の仮定を「艦隊がワープ航法により一般に航行できる」とします。
第二の仮定を「移動要塞もワープ航法により一般に航行できる」とします。
ここで、第一の仮定が「作中事実」より、特殊例を考慮せず、「帰納」的に導けるというのであれば、第二の仮定も「作中事実」より、特殊例を考慮せず、「帰納」的に導けるとして欲しいのです。
○ここで、すべての「仮定」で「均等」にすべき、とするのは、客観的な議論を行う上での必要条件だと考えるからです。そうでないと、場合によっては、厳密な基準を適用し、他の場合には緩やかな基準を適用するなど、恣意的な主張になってしまいます。
○すべての「仮定」で「均等」にするとは、次のようなことです。
例えば、
「ガイエスブルグ要塞の実績以上に、移動化されたイゼルローン要塞が移動できる根拠が無い」というのであれば、
艦隊に関しても、「作中事実とされている航行しか、実行できる根拠が無い」としてください。つまり、艦隊の移動に関する「作中事実」と異なる仮定の一切について、そんな仮定ができる根拠は無い、としてください。
イゼルローン要塞の移動化が「帰納」的に信頼に値しないものだとするならば、以下、
パンツァーの記載(No3598)
「銀英伝中に記載されている事実としての「艦隊の移動」は、記載内容だから認める。しかし、例えば、バーミリオン会戦の時点で、ヤン艦隊がフェザーンを攻略するといった仮定は認めない。艦隊の移動可能性は「証明」されていないのだから、他の記載で「艦隊の移動」が扱われていようとも、「バーミリオン会戦の時点のヤン艦隊」において「艦隊の移動」ができるという根拠にはならない。なぜならば、経験則を重視するだけ(他の記載における艦隊の移動の例の引用だけで)で終わったら、「背後の理論を演繹(「帰納」に訂正)」したことにはならない、からだ。「艦隊が一般に移動可能である」という証明にならないからだ。」
上で、「自動車」について述べたのと同様の理屈です。
「自動車」で「燃料の量と走行距離には、線形の比例関係がある」という「普遍化(数式化)」をするのであれば、実績のない量の燃料を搭載しても成立するのですから。
○特殊例とは、
Kenさんの記載(No3579)
<元々のドライアイスの質量は、240兆トン弱ですが、(中略)当初の塊の2.3%--約5兆トン半になるかと思います。外壁の厚さが50mなら(これでも過大であるように私には思えますが)、さらに1兆トンほど軽くなります。
このようなことを意味します。
もしも、このような特殊な場合に関する考慮も必要であるとするなら、
艦隊の一般の移動可能性についても、特殊な場合に関する考慮により、艦隊は一般に移動可能ではない、という結論を導いてください。
「均等」であるべき、という要請からです。
☆☆現時点の結論として
Kenさんの言う「現実世界の科学手法」を用いて、
「移動要塞」論を、
「銀英伝の記述だけでは、可能であると証明するにも、不可能と証明するにも、不十分である」<Kenさんの記載(No3599)>
としたならば、
銀英伝における一切の仮定(例えばヤン艦隊がフェザーンを攻略するといった仮定)が、
「銀英伝の記述だけでは、可能であると証明するにも、不可能と証明するにも、不十分である」<Kenさんの記載(No3599)>
となるでしょう。
銀英伝そのものを、作中事実以外の一切の可能性を否定すべきだ、という結論でよいのでしたら、何もいうことはありませんが。
パンツァーさん、
はじめに謝罪します。平凡社百科事典の記述を、読み違えたのはたしかに私です。パンツァーさんが言われるとおり、あれは「演繹」です。
ところで、
>私は今回、「演繹」にこだわる(と私が推測していた)Kenさんの論陣に対して、
>反論を展開するつもりだったので、やや面食らっております。
>ともかく、現時点では、Kenさんの言う「現実世界の科学手法」を検証手段とせよ、という趣旨ですね。
これはちょっと違います。私が言いたかったのは、
*物理学的な考察を否定するなら、あとに残るのは数学的な証明(つまり演繹)しか、ないではないか
*でも数学的な証明なんてできないから、そこで議論が終わりになる。
*それくらいなら、私たちが知っている物理法則が通用すると仮定した方が、豊かな考察ができるかもしれない
ということでした。3点目は、私の希望にすぎません。
いまは、とりあえずこれだけを回答させていただきます。次の発言は、パンツァーさんの書き込みを、熟読した上で。
一点だけ。
あなたとは、空転しない議論ができるような気がします。
それでは、私の次の書き込みをお待ちください。
パンツァーさん、
もう一度謝罪します。
言葉は正確に使用せねばなりません。(←自分に言ってるんですよ)
#3625 by Ken
私が、物理法則の復権を提案したのは、銀英伝の記述に基づいての演繹証明などできるわけがないから、次善策として、現実世界の科学手法を取り入れてみてはどうか、と考えたからです。
#3630 by パンツァー
ともかく、現時点では、Kenさんの言う「現実世界の科学手法」を検証手段とせよ、という趣旨ですね。
#3632 by Ken
*それくらいなら、私たちが知っている物理法則が通用すると仮定した方が、豊かな考察ができるかもしれない
「現実世界の科学的手法」と「私たちが知っている物理法則」とは、別物です。後者は前者の産物ですから。
議論の前提条件ですが。
1.恒久移動要塞が可能であると、演繹的に証明する
2.恒久移動要塞が可能であると、私たちが知っている物理法則を使って判断する
3.恒久移動要塞が可能であると、現実世界の科学的手法で、判断する
のうち、どれが達成されても、私たちの間では、恒久移動要塞が可能であると、結論することにしませんか?
1はおそらく無理だと思いますが。
2と3のどちらで、「可能である」という結論へ到達しても、私は大満足です。ぜひ、私を納得させてください。
それでは、次のお返事は明日以降に。
おやすみなさい。
前に(No.3603)、この議論はやめるべきではと書いた者です。
今回の議論も収束しつつあるようですが、過去ログや現在の議論を見てると、どうも気になる点がいくつか出てきたので、前言を翻すようですが、できれば皆さんの意見を聞きたいと思って書き込みます。
なお、私のスタンスは前回同様、「移動要塞の恒久的な運用は、銀英伝の記述だけでは、可能であると証明するにも、不可能と証明するにも、不十分である」のままです。また、以下の記述は、一部、前回の記述と重複する点があります。
(1) イオン・ファゼカスは大質量ワープの実例ではない
過去ログのNo.1923や、No.3497を読む限り、冒険風ライダーさんやパンツァーさんは、イオン・ファゼカスにはワープエンジンがついており、それゆえに大質量ワープの実例であると主張していらっしゃるようですが、私には納得できません。
なぜなら、イオン・ファゼカスがワープしたという記述は銀英伝1巻序章には無いからです。それは冒険風ライダーさんが
> 第一、敵側がワープを使えるのにこちらが使えないのでは、捕捉されたらその時点で一巻の終わりで、そもそも逃げ切ること自体不可能としか言いようがないと思うのですが。
という論理で出した推論に過ぎません。
別に、追撃と捜索を振り切る方法はワープだけとは限らないでしょう。捕捉される前にどこかに隠れるという手もありますし、エル・ファシルの時のヤンのように計略を使って逃れるという手もあります。
何より、イオン・ファゼカスがワープできたとすると、まずいことがあります。銀英伝3巻のワープ実験の描写を見る限り、「大質量ワープ」という技術は、既存技術の応用に過ぎなくとも、この時点における最新の技術であるとしか読めません。この時、明らかに帝国の人々は、40兆トンの質量が本当にワープできるのか否か知らなかったのです。
また、同盟側にとっても大質量ワープは新技術でした。それは銀英伝3巻P140下段の以下のムライ少将の台詞の他、イゼルローンの面々の反応を見れば明らかです。
>「それにしても、とんでもないことを考えたものですな。要塞をワープさせてくるとは……帝国軍は新しい技術を開発させたと見える」
結局、イオン・ファゼカスがワープしたとするには、次のような推論を受け入れる必要があります。すなわち、『銀英伝の宇宙では、かつては奴隷階級の人々でも容易に実現できる大質量ワープの技術が確立されていたが、その後、帝国、同盟の双方でその技術は存在も含めて忘れられ、3巻の時点で再発見された』というものです。
これが非常に強引な推論である事は論を待たないと思います。イオン・ファゼカスがワープできないとしても格段の矛盾が生じない以上、オッカムの剃刀の原則から言っても、どちらの解釈を取るべきかは自明と思います。
また、こう考える事で、ハイネセン達がイオン・ファゼカスから恒星間宇宙船に乗り換えた理由も良く分かります。勿論、ドライアイスは熱に弱いということもあったのでしょうが、未知の宇宙に旅立つために彼らはワープできる宇宙船に乗りかえる必要があった、ということなのでしょう。
(2) 自給自足艦隊は実現できない
過去ログのNo.1912で冒険風ライダーさんは「魔法の自給自足システム」が長征一万光年の80隻の恒星間宇宙船につまれており、それにより自給自足していたと推論しています。さらにそれを受けて、「無限の自給自足能力を持つ宇宙艦隊」が可能であると述べ、
> ヤンやラインハルトも含めた銀英伝世界のキャラクター全てが「軍隊は補給に頼らなければならない」という固定観念に囚われてでもいたのでしょうか。
と、批判されています。
私にはこれは非常に不思議な論理に思えます。銀英伝宇宙で「無限の自給自足能力を持つ宇宙艦隊」など実現できない事は、銀英伝全編の記述から明らかだからです。推論が(作中)事実に合わない場合は、まず推論の間違いの可能性から検討するべきだと思うのですが……。
この問題に関しては、別段、「無限の自給自足能力を持つ宇宙艦隊」を導入しなくとも説明はつくと思います。帝国から脱出した後は戦闘のような激しい消耗行為はないわけですから、後は基本的に水も空気も食料も完全リサイクルの方針で行けばいいわけです。もちろん、相応のエネルギー供給は常に必要になるでしょうが、この燃費問題に関しては冒険風ライダーさん自身がNo. 1923 で原子力空母を例に出して説明をしてくださっているので、私も特に問題はないかと思います。また、銀英伝1巻の記述にあるように、星間物質や立ち寄った星系の無人惑星に物資を求めるという方法もこの世界では確立されているようですから、なお、問題はないかと思います。
いっそのこと、最低限必要な人員を除いて、冷凍睡眠で全員眠らせてしまうという手もあるかもしれません。これなら、自給自足の問題も反乱の問題もかなり解決できるでしょう。勿論、銀英伝世界に冷凍睡眠に関する記述などありませんが、それでも私は、作品全てを破壊してしまう「無限自給自足艦隊」を導入するよりは、「冷凍睡眠」を導入する方がマシだと思います。(あくまで、極端な話としてですが)
なお、長征一万光年については、因果関係についても考えておく必要があると思います。つまり、長征一万光年を成功させたが故にハイネセン達は同盟の礎となることができたのであり、失敗していたら単に宇宙の藻屑になって忘れ去られていたということです(その場合は、幸運な別のハイネセン達が今とは別の同盟の礎になっていたかもしれません)。
つまり、『ハイネセン達の宇宙船や補給体制に多少の不備があったとしても、単に幸運であったが故に長征一万光年は成功したのではないか』という事も考えるべきではないか、ということです。
(3) イゼルローンを本当に移動要塞化できるのか?
同盟側の移動要塞作戦の根底には、次の論理があります。つまり、『ガイエスブルク要塞を移動要塞化できたのだから、同じ要領でイゼルローン要塞も簡単に移動要塞化できる』というものです。
この論理の前半部は紛れもない作中事実であり、疑念を挟む余地はありませんが、後半部は自明の理ではありません。
記述によると、ガイエスブルクの直径は40~45kmで質量は約40兆トン。これに対し、イゼルローンの直径は60km。イゼルローンの半径はガイエスブルクの1.5~1.3倍で、単純に考えれば質量は3.38倍~2.37倍。
過去ログを読む限り、移動要塞肯定派の方々は、ガイエスブルク同様、12基のワープエンジンと通常航行エンジンをイゼルローンに付けることを想定されているようですが、これで本当にうまくいく保障はあるのでしょうか。
・体積・質量が3倍近くになるわけですが、エンジンの数は12基のままで良いのでしょうか? エンジン出力やエンジン数を3倍にする必要はないのでしょうか?
・エンジン出力を3倍にする必要がある場合、従来通りのエンジンをそのまま使えるのでしょうか?
・エンジン数を3倍にする必要がある場合、12基のワープエンジンの同調と36基のワープエンジンの同調の難易度は同等なのでしょうか、格段の差があるのでしょうか?
・ワープエンジンの配置は同じく輪状でよいのでしょうか。それとも二重の輪や球状にするような独創性が必要になってくるのでしょうか?
・通常航行時のエンジンについてですが、質量が3倍になった時、実戦に耐えうる機動性を確保できるでしょうか?
・巨大質量のワープ時の時空震に関して帝国側で懸念されていたようですが、イゼルローンのワープの場合もガイエスブルク同様、問題なしと考えて良いのでしょうか?
・以上の全ての疑問に答えるための理論研究や実験は、ヤン達に与えられた人材、時間、予算で進められるものだったのでしょうか?
ワープの理論も実験データ、その他の細かい事情を知らない我々には、これらの問題に対して「そんな事は簡単だ」とも「難しくて不可能」とも判断することはできません。つまり、これらの問題は移動要塞作戦の不確定要素です。
また、不確定要素は上に挙げただけでなく、理論と運用の違いに関する問題や、工業力の問題、資金の問題、ヤン自身や将兵の心理の問題といった問題が以前の議論で挙げられています。
こういったことを考えると、私にはやはり「イゼルローンの移動要塞化」という作戦は、可能であるとも不可能であるとも言えない、不確定要素の大きなプランと思えるわけです。
ですが、冒険風ライダーさんは「絶対にできたはずなのだから、それをしなかったヤンは無能で愚劣」とおっしゃっているようにしか聞こえない。
そこが、なんとも納得できないわけです。
横レスですが・・
> (1) イオン・ファゼカスは大質量ワープの実例ではない
・・・・・・
> > 第一、敵側がワープを使えるのにこちらが使えないのでは、捕捉されたらその時点で一巻の終わりで、そもそも逃げ切ること自体不可能としか言いようがないと思うのですが。
イオン・ファゼカスが建造されたのがアルタイル星系の外惑星にあたる星だった場合(ドライアイスで地表が覆われているくらいですから、太陽から遠いというのはありそうな話ですが)、そこから先はいきなり、何もない恒星間空間です。
あの世界で長距離探知技術がお粗末なのはよく知られています。
(500~1000光秒の有効探知距離しかないんじゃなかったでしたっけ・・)
もし、イオン・ファゼカスが恒星間空間にワープなしで乗り出したとしたら、宇宙船程度の大きさの物体を発見するのは不可能だったかも知れません。
もっとも、その場合、数光年以内にある恒星系に網を張って(コストを考えると警戒衛星などを置いて)待つと言う手はあったでしょうが、
、恒星系内に入る前にイオン・ファゼカスを乗り捨てて、探知しにくいサイズで偽装を施したダミー隕石などで恒星系内に入る手もあったでしょうし。
アルタイルから手ごろな距離には結構な数の恒星系があったような。
> (2) 自給自足艦隊は実現できない
・・・・・・
> この問題に関しては、別段、「無限の自給自足能力を持つ宇宙艦隊」を導入しなくとも説明はつくと思います。帝国から脱出した後は戦闘のような激しい消耗行為はないわけですから、後は基本的に水も空気も食料も完全リサイクルの方針で行けばいいわけです。もちろん、相応のエネルギー供給は常に必要になるでしょうが、この燃費問題に関しては冒険風ライダーさん自身がNo. 1923 で原子力空母を例に出して説明をしてくださっているので、私も特に問題はないかと思います。また、銀英伝1巻の記述にあるように、星間物質や立ち寄った星系の無人惑星に物資を求めるという方法もこの世界では確立されているようですから、なお、問題はないかと思います。
本スレのどこかで既出ですが、星間物質というのは、本来かなり薄いようです。あの世界でも我々の世界と同程度しか、それがないとしての話ですが・・。
木星型の惑星から水素やヘリウムを取ったり、彗星の巣から彗星を拾ったりすれば、燃料や有機物の原料は足りると言う発言が、それに続いていますが・・「どういう場合にどういう内容の補給が、どのくらい必要か」というのは、原作ではきちんと書いてないので、なんともいえないところですかね・・。
> (3) イゼルローンを本当に移動要塞化できるのか?
・・・・・・
> 記述によると、ガイエスブルクの直径は40~45kmで質量は約40兆トン。これに対し、イゼルローンの直径は60km。イゼルローンの半径はガイエスブルクの1.5~1.3倍で、単純に考えれば質量は3.38倍~2.37倍。
確か60兆トンのはずです。
半径と同程度しか質量増大が見られないと言う事は、中身が詰まっていない・・?
イゼルローンは言わば敵地への前哨基地であり、補給が切れても持ちこたえなければなりませんから、格納スペースが大きく取られているのでしょうか。
> ・体積・質量が3倍近くになるわけですが、エンジンの数は12基のままで良いのでしょうか? エンジン出力やエンジン数を3倍にする必要はないのでしょうか?
質量は1.25倍、体積3倍・・・・
どちらにしても数は増すと考えたほうが合理的でしょうか。
質量に比例するならエンジン数は16、体積に比例するなら36。
技術的にはともかく、エンジン数が3倍に増したら、工数が当然3倍掛かるのは辛かったかも知れませんね。
S.Kさん、確かに内容が噛み合わなくて歯がゆく思っています(特に自分の力の無さに)。しかし、それは仕方なしと言うことです、逆だと反対に怖すぎです(笑)。特に私はあなたとの議論で不快な記憶が無いので、謝られてもただただ恐縮するばかりで。(笑)
あなたの意見を取り入れて、考察などあさってみました。
③に入る前にS.Kさんへ
>悪いですが、ここで示唆されている原作6~8巻のヤンの逆境について①突然アンドロメダ共和国が援軍にくる②ハンサムのヤンは突然起死回生の大魔術を思い付く③なにもない現実は非情である のどれ、もしくはどうだとお考えですか?
手厳しいですね(笑)。
私の例は、実例ではなく、相似、近似例と呼べばよいのでしょうか、そういう類で述べたのです。私のあげた例が、規模が大きくなって、対象の言葉が入れ替わったときに、イゼルローン改造計画に繋がらないかということです。ぜひ、お聞きしたいのですが、このような状況の中でどのように説得するのでしょうか。短期間に説得する方法をお聞きしたいがために例をあげたわけです…て先にそれを言えって感じですけど。
何度か出た話ですがガイエスブルグ要塞が移動した事実は認識されてますか?
これもまた手厳しい。要塞に対する認識の違いでしょうね。
私のガイエスブルグ要塞に対する認識は「固定式砲台を取り外して、普通の船につけた」だけものである。そして、冒険風ライダーさんのいう移動要塞というのは完全な「戦艦」であるという認識です。
ガイセスブルク要塞の失敗は「固定式砲台を取り外して、普通の船につけた」という無理が作中の結果をもたらしたのではないかと分析しているのですがいかがでしょうか。あと以前の、空母と移動要塞設計思想の件ですが、やはり違います。あくまで空母は戦場に巻き揉まれる前に退避する、直接戦闘には参加しないのに対して、移動要塞は危険を侵して、戦場に飛びこむわけですから。空母は、英語の意味では「戦闘機の運び屋」です。
>それは最初の論点が違います。
う~ん、論理の基本は帰納法ではないでしょうか?帰納法で原因を突き止め、演繹法でそれを証明する、それで結果が同じになったときに、はじめて正しいと言う事が証明されるのではないですか。それをいくつも積み重ねて統計を取り、近似値を求め証明されたときに、はじめて予測を立てることが出来るのではないでしょうか。
ではなぜガイエスブルグ要塞があれほど短期間で工事ができたのかという理由について最も合理的な理由はなんでしょうか。私が考えつく理由は「徹底反論」のレスで述べています。他にどんな理由が上げられるか?教えていただきたいです。
>冒険風ライダーさんの説明や他の方の質問内容を考えもせず自分の疑問もしくは主張に固執された論者が複数名残念ながら存在した事が一番長期化と紛糾の原因ではなかったでしょうか。
逆ではないですか。これほどの疑問・批判があるならばもう一度提案を再点検するべきだったと思います。過去のレスでの冒険風ライダーさんの返答は真正面からその疑問に対して答えていないように思いました。
では、③実用化したと仮定して、民主主義をどのように残すのかです。
ここでは、全体をまとめるために、政治、大衆心理、ヤンの思考法などをもとに推論をします。
「望郷の念に囚われることがない要塞の居住システム」について
望郷の念を完全に忘れさせることは難しいのではないでしょうか。
非常手段を用いれば、できるかもしれませんがリスクを伴います。
「イゼルローン要塞の構造的な独裁権力者、ヤン・ウェンリー」について
このことをヤンの責任にするのは無理があるのではないでしょうか。彼は、あくまでもイゼルローン要塞と艦隊長官に過ぎないわけです。この構造を見直すべき責任は、同盟政府であり、議会です。
イゼルローン要塞は、特殊な環境上取り扱いが難しいです。
政府の言い分をあげるとするならば、
①イゼルローンは同盟の最前線であり、常に戦時体制にある。
②イルゼルローン要塞の重要性上、政府直轄地とせざるおえない。
③イゼルローンの民衆は「住民」というよりも「滞在者」と言う性格が強い。などもあげられるでしょう。
イゼルローンの管理は軍が行っているわけですから、地方自治を行うとするならば、軍政の監視が主な役割だと思われます。
要塞改造の政治的可能性について
ヤンは要塞改造ができなかった理由に、「資金」をあげました。大きな要の一つと言えるでしょう。ただ「資金がない」という理由を額面通りにとって良いか、その裏の意図の可能性も考える必要があるでしょう。彼の先見力のことを考えてみればの話しですが。
冒険風ライダーさんは、
<同盟政府&軍首脳部に対して「移動要塞が持つ強大な潜在的脅威と無限の可能性」を報告し、その対策を考えると共に、移動要塞実現のための研究・開発チームを設けさせること。こんな簡単なことすらも行わなかった>
これが簡単なことだと片付けられることでしょうか。私が、イゼルローン要塞改造計画をシュミレーションしてみます。
報告後の大きな決定手順の流れを述べると、まず軍首脳→国防委員会→同盟閣僚会議→同盟議会の順が考えられます。イゼルローン要塞が国防上最重要拠点の一つであることからも、最高機関である同盟議会承認が必要だということには無理は少ないでしょうと認めていただけるでしょう。
しかも、この過程のなかで微塵も思いつかせては行けないことは、「同盟滅亡の可能性」と「イゼルローン要塞ごと亡命する危険性」についてです。可能な限り隠しとおさなければ行けないでしょう。
特に「イゼルローン要塞ごと亡命する危険性」の露見は可能性が高いでしょうし、自己保身能力の高い人ほどこういった事には、敏感に感づくものであることは否定はないと思います。と言うことは自己保身連中との取引なども考えなければならない。
それでも露見した場合は、この議題は紛糾するでしょう。イゼルローンが最も亡命しやすい位置にあるということまで露見すると、ヤンの権限は三つにぐらいに分割することも考えられます。三つに分割された場合、ヤンファミリーで固められることが出来れば問題はありませんがそれがうまく行くのか。うまくいかなければ、今後の戦術上支障をきたすことも予想されます。
議会の承認を得たとします。ここでは、議会の決議がどのくらい要したのかは分かりませんので飛ばします。
改造までの計画立案をする必要がありますが、同盟初の要塞はイゼルローン要塞で、元々は帝国製です。イゼルローン要塞について調査チームを編成が必要です。部品規格は同じなのでしょうか、同じとしておきます。技術チームはこの計画のもとになったガイセスブルク要塞どういう物かを調査する必要がありますが、外観の情報しか分からないでしょう、要塞の質量、大きさなどの情報はあるのでしょうか?
また改造期間中は裸も同然、攻撃を受けたらガイセスブルクの二の舞です。隠蔽方法も考えなければ行けないでしょう。まあそれは、外交や謀略活動でどうにかする以外無いといえるでしょうが、逆に怪しまれる危険もあるので加減が難しいところです。
あと、ガイセスブルクはエンジン一基攻撃を受けただけで爆散したとあったので戦闘時はエンジンを格納する必要があります。格納してしまうと移動は出来ないですけど背に腹は変えられません。格納するにも装甲が薄くなっては意味が無いからそれも考えなければならないです、など調査しました。
設計図を描きました、機械を動かすためのソフト制作。イゼルローン移動要塞模型を作り、実験も行いました、などやっておいた方がいいでしょう。
改造工事を開始します。できる限る短期間で工事を終わらせる必要があり、正確でなければ大変なことになります。
改造工事責任者、どのくらいで工事は完成するのでしょうか?ガイエスブルクは三ヶ月程度らしいですけど、そんなこと知らないですよね。
やっと完成しました。どのくらい、資金をつぎ込んだのか、時間を費やしたのか忘れてしまいました。なぜか同盟も滅んで、民主主義の灯火はイゼルローン移動要塞だけになってしまいました。
そして、新たなる物語が始まるんでしょうね。
では完成した移動要塞、どの様に活躍するのでしょうか?次回シュミュレーションしてみましょう。
駆け出しでございます。
先だってより、要塞の移動化とそれに付帯して、ラインハルトやヤンの有能、無能説まで出てきまして、みなさまの書き込みを興味深く拝読しておりました。
もっとも、科学超絶ドオンチの私としては、字面を追うのが精一杯、というのが、正直なところです。
科学的な考察に関しては、私の出る幕はございませんが、ラインハルトやヤンの能力ということについては、いささか考えるところもあります。
私はラインハルト・フォン・ローエングラムという人のことを考えると、いつもきまってひとりの人物を思いだします。あくまで、私見ですが、似ているな、と思うのです。
それは、上杉謙信です。
謙信については、みなさまもよくご存知だと思いますので、ここでくだくだしくは書きません。
私が考えるラインハルトと謙信の最大の共通点は、両者ともイデオロギーの人である、ということです。
謙信が領土欲ではなく、関東管領の責務として、関東の安定を回復しようと奔走したように、ラインハルトにも、効率や合理性を度外視した、戦いと勝利に対する思想があったように思われるのです。
ガイエスブルグの失敗の後も、要塞の移動化は帝国内部で何度も献策されたのかもしれません。しかし、イデオロギーの人・ラインハルトにとって、その戦術は、彼の好むところではなかったのかもしれません。だから、採用しなかったではないでしょうか。
それが一軍の最高司令官として正しいのかどうか、私にはわかりません。
ただ、私はラインハルトはやはり有能な人物であったと思います。どれほどムダな出征を繰り返し、大義名分に振り回されていたとしても、上杉謙信が無能呼ばわりされることが少ないのと同じ意味で、ですが。
上杉謙信、と来れば、武田信玄です。
私は、ヤン・ウェンリーという人の中に、信玄の影を見ます。とくにイゼルローンを移動要塞としなかった点では。むろん、その他の性癖や言動はまったくちがうのですが。
「銀英」の原形である「銀河(宇宙でしたっけ?)のチェスゲーム」の中で、ヤンという人は、質実剛健な人物として描かれています。
あるいは、田中氏が人物を造形する際に、参考したのでは、と考えたりもします。
失礼しました。
> これもまた手厳しい。要塞に対する認識の違いでしょうね。
> 私のガイエスブルグ要塞に対する認識は「固定式砲台を取り外して、普通の船につけた」だけものである。そして、冒険風ライダーさんのいう移動要塞というのは完全な「戦艦」であるという認識です。
> ガイセスブルク要塞の失敗は「固定式砲台を取り外して、普通の船につけた」という無理が作中の結果をもたらしたのではないかと分析しているのですがいかがでしょうか。あと以前の、空母と移動要塞設計思想の件ですが、やはり違います。あくまで空母は戦場に巻き揉まれる前に退避する、直接戦闘には参加しないのに対して、移動要塞は危険を侵して、戦場に飛びこむわけですから。空母は、英語の意味では「戦闘機の運び屋」です。
前から見てて思ってるんですが皆さん移動要塞が戦闘に参加することを当然と考えてますけど。
冒険風ライダーさんは移動要塞をそんなことに使うとはいってないと思います。
移動要塞は要塞の持つその無限の自給自足能力を使って艦隊に補給を行うもので強力な要塞砲で戦闘するようなものではないのではないでしょうか。
ですから移動要塞が戦闘することを前提にした批判は筋違いです。