> 「作中に、遺伝子工学で人造人間を作る技術があるとは、書かれていません。劣悪遺伝子排除法に関連する形で、社会の描写にも影響があるはずなのに、そのような傾向は見られません。また、もし、ラインハルトやヤンの才能の根源が遺伝子工学にあるとするなら、そのように重要なことが作中に一切書かれていないことは、かえって不自然です。」
>
> 私が散々言っている質量とエンジン出力との関係も同様ですよ。
> 「作中に、質量とエンジン出力の関係が異なる質量の大きさ一般で成り立たないとは、書かれていません。もし、ガイエスブルグ要塞のワープが、特別な質量で成立ものであるとするなら、そのような重要なことが作中に一切書かれていないことは、かえって不自然です。」
>
> こういう手法を「科学的に考える」というのなら、私が展開している論も、「科学的に考える」ことになりますよ。
では、人造人間と移動要塞化について、もう一度検討してみましょう。前回は省略した細かい所まで検討するので、非常に長くなります。
まず、『ヤンとラインハルトは人造人間である』という命題の真偽について検討します。
遺伝子工学で人造人間を作る技術、の定義が良く分からないのですが、前回同様、『遺伝子操作を行うことで、優秀な子供を作る技術』と考えることにします。
まず、そのような技術の存在について、作中では一切触れられていません。
ただし、これについては、『証拠の不在は、不在の証拠にあらず』というセーガンの言葉通り、そのような技術はないとも言いきれません。あると考えましょう。
あるとして、それは社会に広く公開された技術なのでしょうか。それとも、社会からは隠蔽された技術なのでしょうか。
社会に広く公開された技術だとします。すると、このような技術の存在は、社会の在り方を大きく変える要因になります。人間を通常の人間と人造人間に区別して考える文化が生まれ、子供を持とうとする親は全員、子供を自然な状態なまま産むか、遺伝子操作を行うかという選択を迫られることになります。
まして、銀英伝の世界には、劣悪遺伝子排除法が存在します。帝国では、子供が劣悪な遺伝子を持たないために遺伝子操作を行うべきであるという社会的な風潮が出来上がるはずです。特に、皇族や貴族の家系では、遺伝子操作を行うのは必然となるでしょう(それを公然と認めるか否かは話が別ですが)。ですが、本編の記述を見れば分かるように、社会にそのような風潮は一切見られず、皇族にも貴族にも正常な遺伝子を持たない人間がいます。これは、不自然です。
次に、これが社会から隠蔽された技術だったとしましょう。しかし、ラインハルトの両親は貧乏貴族で、ヤンの両親は商人です。別に特権階級でもない彼らが、そのような隠蔽された技術に接触できる機会があるとも思えません。仮にあったとしても、そのような隠蔽された技術を使うのには、相応の金銭がかかったはずです。ですが、ラインハルトの両親にそのような経済力があったとは思えず、ヤンの父親は、『息子は無料だったから』という趣旨の発言をしています。これは、不自然です。
それでも、彼らが人造人間であったとしましょう。彼らが人造人間であったことを、周囲の人間は知っていたでしょうか。彼ら自身や本編の記述者(=作者)は知っていたでしょうか。
周囲の人間が知っていたなら、彼らが常人にはない才能を発揮した時、その才能の根源が遺伝子工学という人為的な技術にあることに関して、何らかの感慨を抱かないはずがありません(やはり人造人間は通常人とは違う、など)。それは彼ら自身も、あるいは作者に関しても同じことです。このような背景は当然、銀英伝全編の記述に、多大な影響を与えずにはいられないはずです。しかし、そのような傾向は一切見られません。これは、不自然です。
上記のような検討を経てもなお、彼らが人造人間である可能性はあります。
例えば、ヤンの父親は実は嘘をついていて、こっそり、息子に遺伝子操作を行ったのかも知れません。あるいは、異星人が両親も本人達も知らぬ間に、未知の技術で彼らの遺伝子操作を行ったのかもしれません。こういった可能性を排除することは不可能です。よって、判断結果に絶対性を持たせることはできません。(ただし、これらの材料はあまりに不確かなので天秤には乗せないことにします)
この辺りで止めますが、ここまでで天秤の真の側の皿には、何も乗っていません。逆に、偽の側の皿には、上に『不自然です』と書いた所が全て乗ることになります。これらは、彼らを通常の人間とする直接的な証拠ではありません。しかし、彼らが人造人間だったとすれば必然的に生じるはずの多くの不整合が生じていないということは、彼らが通常の人間であるということの間接的な証拠として考えられるからです。
以上より、『ラインハルトやヤンが人造人間である』という命題はほぼ確実に偽と判定されます。
次に、『イゼルローンを移動要塞化可能である』という命題の真偽について検討します。
まず、この命題に関しては、判断材料が非常に乏しいことが挙げられます。人造人間の方の判断材料が本編の記述のほぼ全域に渡るのに対し、こちらの判断材料は、本編中で大質量ワープに触れられた箇所だけです。
イゼルローンが移動要塞化可能だったとしましょう。これまでの議論で分かる通り、この場合、本編の記述との間に不整合は生じず、不自然ではありません。
イゼルローンが移動要塞化不可能だったとしましょう。本編の記述との間に不整合は生じるでしょうか?
ラインハルトとシャフトの発言について考えてみましょう。もし仮に、イゼルローンが移動要塞化不可能だったとして、彼らの発言内容に変化は生じるでしょうか。彼らはガイエスブルク移動要塞化計画の中で発言していました。彼らの関心の焦点は、ガイエスブルクを本当に移動要塞化できるか否かです。もし仮に、(理論的にか技術的にかは分かりませんが)同じ方法でイゼルローンを移動要塞化できないような事情があったとしても、彼らが発言の中で『イゼルローンをこの方法で移動要塞化できないとは、残念なことだ』などといちいち言う意味も必要もありません。むしろ、いきなりそんなことを言い出す方がかえって不自然です。よって、イゼルローンが移動要塞化不可能であっても、彼らの発言との間に格別な不整合は生じず、不自然ではありません。
本編の他の記述との整合性はどうでしょう? 大質量ワープに関する記述は、雌伏篇(3巻)の一部にしかありません。それらの記述は、集約すれば『ガイエスブルクを大質量ワープさせることはできる』というものです。それを上回る質量に関して、大質量ワープが可能であるとも不可能であるとも書かれていません。よって、イゼルローンが移動要塞化不可能であっても、これらの記述との間に不整合は生じず、不自然ではありません。
ここまでで天秤の真の側の皿には、ガイエスブルクが乗ることになります。ただし、質量その他の条件が異なるため、これはあくまで参考材料に過ぎません。偽の側の皿には、『一般的に、技術的な難易度は扱う対象の規模に従って増大する』という推論が乗ることになりますが、どちらの皿の材料も絶対量が少なく、この問題に関する確からしさも曖昧であるため、最終的な判定は不能となります。
二つの命題が作品全体に持つ意味の重要性について考えてみましょう。
人造人間の方の重要性ですが、言うまでもなく、銀英伝という作品は二人の天才についての物語です。しかし、彼らの才能が人為的な技術の産物であったとしたら、天才とは歴史の流れの中から偶然現れるのではなく、人工的に作ることができるものなのだということになりますから、それは作品全体の主題すら変えかねません。よって、彼らが人造人間であるか否かは本編にとって非常に重要な問題だと言えるでしょう。
移動要塞の方の重要性ですが、それは基本的に乱離編(8巻)の時点でヤンが移動要塞戦略を採用できるか否かの一要素に過ぎません。また、理論的、技術的に移動要塞化が可能であっても、経済的、時間的、人材的といった他の多くの問題をクリアしなければそれは完成しません。結局、完成できないような問題が残ってしまうなら、それは画に描いた餅に過ぎず、ヤンの選択に影響を及ぼすことはできません。よって、イゼルローンが移動要塞化可能であるか否かは、本編にとってあまり重要ではない問題だと言わざるを得ません。
簡単にまとめましょう。
ラインハルトやヤンが通常の人間だったとすると、本編の記述との間に特に不整合は生じません。しかし、人造人間であったとすると、非常に多くの不整合が生じる事になります。判断材料は多く、『ラインハルトやヤンが人造人間である』という命題はほぼ確実に偽であると言えます。
イゼルローンを移動要塞化可能であったとすると、本編の記述との間に特に不整合は生じません。しかし、移動要塞化不可能だったとしても、特に不整合は生じません。判断材料は乏しく、『イゼルローンを移動要塞化可能である』という命題の真偽は判定不能となります。
以上です。私から見れば、この二つの問題は、全く性質の違う問題としか見えません。作品内での重要度も、判断材料の量も確かさも、判断結果も全て異なります。
むしろ、これらに対して『同じだ、ダブルスタンダードだ』と言い出してしまうパンツァーさんの判断の方こそ、不可解です。きちんと検討をしていないか、あるいはこのような思考法に全く慣れていないか、どちらかとしか思えません。
> だから私は、同様の論理を用いて、
> 上のヤンやラインハルトの例で言えば、
> 「ひょっとしたらラインハルトやヤンが人造人間であるという可能性」を否定しきれない以上、
> ラインハルトやヤンが通常の人間であるとは言い切れない、という結論になるのではないか、と言ったのです。
はい、その通りです。ラインハルトやヤンは通常の人間であるとは言い切れません。
詳しくは上の検討を御覧ください。
> Nightさんが行った証明
> 『ラインハルトやヤンが人造人間であるという命題は、ほぼ確実に偽』
> 程度の論理であるならば、
> 私も同様の論理で話をしている、ということです。
同様の論理ではありません。同様の論理だったら、そもそも人造人間問題と移動要塞問題を同一視することなどできるわけがありません。
パンツァーさんは、自分自身の論をきちんと疑っていますか? 証拠の確からしさを検討に入れていますか? 『そう思う』というだけの仮定や願望を確かな証拠として採用していませんか? 不確実な推論の結果を確実なものとして採用していませんか? 判断結果を絶対のものと思い込んでいませんか?
そういうことがお分かりでないのでしたら、そもそも科学的な議論をすべきではありません。
この後、難易度見積もりの具体的な根拠についての話がでてきますが、この見積もりモデルのようなものを、通常は『机上の空論』と呼びます。
ここに出てくる話は全部、自分は頭の中でこう考えたというだけのことです。現実の事例との比較が全く無い。モデルを作る際に最も重要な、『何故、このモデルならば現実をうまく説明できると言えるのか』に関する考察が完全に抜け落ちています。
『質量増大と、困難度との対応を、対数で捉えてます』とありますが、通常の比例でなく対数を採用する根拠は、何ですか? 例えば、『ワープ技術の発展の歴史を最初から追いかけると、ワープ可能な質量の増大と、それを達成するための困難度(例えば、開発期間)との間には、対数関数的な関係が見られる』というようなワープの実情との比較があれば、そのような仮定にはまだしも妥当性があると思われますが、何もない所からいきなり仮定を出しても、それで正しい答が得られる保証は全くありません。
一番肝心な所で適当にお茶を濁しておいて、結果だけは正しいものが得られると信じ込んでいる。現実との比較は一切無い。それは楽観的を通り越して無謀、無茶の類です。これが学術論文だとしたら、このような曖昧なものを良しとする指導教官もレフリーもいるわけがありません。
> > それから、『ベースは質量とエンジン出力の関係ですよ』とありますが、質量とエンジン出力の関係と一口に言っても、色々あるでしょう。ワープ力学(仮名)では、必ずしも質量に対して比例となるかは不明です。ワープにおける質量とエンジン出力の関係が、ニュートン力学や航空力学のそれと同一視できると言うことの根拠は何ですか。
>
> これは、No6174「作品の解釈について」で述べたように、
> ワープ理論について作品に記載の無い部分を、現代の物理学を準用して考えた結果です。シャフトの言の解析でも、そのように読み取れるからです。
なるほど。
しかし、「作品の解釈について」で述べられていた解釈のルールは、以下のようなものだったはずです。
<(1)SFであっても、基本的には現実の我々と同じ世界の物語である。人間の性質や物理法則一般に関してもそのとおり。
(2)作品中で設定されている内容は、(1)の適用の例外事項であって、この例外事項に関しては、当然作品の設定が優先される。>
(1)のルールを適用すると、以下のような形になると思われます。
『銀英伝世界の物体運動も、現実世界の物体運動も、同じニュートン力学が支配する』
しかし、このルールをワープに適用するなら、その結果は以下の形以外考えられません。
『銀英伝世界のワープも、現実世界のワープも、同じワープ理論が支配する』
現実世界に、銀英伝世界のワープとほぼ同様のワープを実現できる理論があるなら、それを解釈に利用することに、あまり異論はありません。しかし、現実世界にそのような理論はありません。よって、この時点で『解釈に使えるものは現実世界には無い』という結論を得て、(1)の適用は終了です。
そこで、(2)を適用してシャフトの「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」という言葉を引用することになります。(2)は、作中設定を引用することしかできませんから、この時点で終了です。
よって、以後は、上のルールに基づかないパンツァーさん独自の解釈になります。パンツァーさんはニュートン力学も「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」という類似点に着目し、ワープ理論とニュートン力学を同様のものとみなすことにしました。
しかし、「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」という言葉は、別に、ニュートン力学のF=maのような一次関数的関係にだけ成り立つものではありません。二次関数的であっても、指数級数的であっても、あるいはもっと複雑な関数であっても、「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」という言葉は成り立ちます。というか、この言葉自体がそもそも大した情報量を持っていないのです。そのような曖昧さが出てくるのは当然のことです。
仮説の段階ならば、これらの関数の中からニュートン力学の一次比例を持ってくることに、特に問題はありません。むしろ、通常空間も亜空間も類似の法則で記述できるのではないか? と期待するのは当然のことです。自然科学の方向性は、できる限り少数の法則で宇宙を記述することですから。
しかし、それが許されるのはあくまで仮説の段階までです。それを確かな理論として周囲に認めさせるには、実験や観察で裏付ける必要があります。
パンツァーさんの論は、そのような裏付けを持っていません。よって、それは『未検証の仮説』に過ぎず、具体的な見積もりや主張に使えるだけの確からしさを持っていません。
> > 先の例に戻りましょう。模型飛行機しか知らない人々が見せられた実用機と言うものが、現代技術で作ることができる最大級の飛行機だったとしたらどうですか(そうでないという保証は全くないでしょう?)。
> > その時も、パンツァーさんは、『3倍程度の実用機が飛べない確率は0.0001%です』と主張されますか。
>
> 「現代技術で作ることができる最大級の飛行機」だと分かっていれば、もちろん、そのような主張は致しません。
> 作品中に、ガイエスブルグ要塞が質量的に、ワープの限界であることを示唆する記載でもあれば、もちろん、このような主張はしない、ということです。
なるほど。
しかし、イゼルローンはガイエスブルクの2~3倍の体積(おそらく質量も)を持っています。別に、ガイエスブルク自身は限界に近くなくとも、それを2~3倍にすれば限界を超えてしまう、ということはさほどおかしくもない話です。(通常、限界ラインの半分以下にあるものは、『限界に近い』とは言わないでしょう)
ガイエスブルクがそのような位置にはない、ということはどのように保証されますか。
> 簡単にまとめましょう。
> ラインハルトやヤンが通常の人間だったとすると、本編の記述との間に特に不整合は生じません。しかし、人造人間であったとすると、非常に多くの不整合が生じる事になります。判断材料は多く、『ラインハルトやヤンが人造人間である』という命題はほぼ確実に偽であると言えます。
> イゼルローンを移動要塞化可能であったとすると、本編の記述との間に特に不整合は生じません。しかし、移動要塞化不可能だったとしても、特に不整合は生じません。判断材料は乏しく、『イゼルローンを移動要塞化可能である』という命題の真偽は判定不能となります。
このような論理にとって致命的な、簡単な例をあげましょう。
銀英伝には、さすがスペースオペラと謳うだけあって、数々の人物が登場しますね。ヤンやラインハルトのような主人公とは異なり、名前だけしか出てこないような人物もたくさんいるわけです。
このような「名だけの人物」は、つまり、Nightさんのいう判断材料が、イゼルローン要塞化関連よりも乏しいわけです。このような人物が人造人間であるか否か、という問いに対して、どのように答えるのでしょうか?
上の論理に従えば、『イゼルローンを移動要塞化可能である』という命題すら判定不能であるならば、判断材料がイゼルローン要塞化関連よりも乏しい「名だけの人物」などは、さらに判定不能であることは自明である、ということになりませんか。
まあ、一つ、うまい言い訳を考えてみてください。
私が正しいと考える作品解釈法は、No6174「作品の解釈について」で述べたとおりですので、再掲する必要は無いですね。
この作品解釈法なら、「名だけの人物」であっても、作品に特別設定がない以上、我々の世界の常識を適用して、当然、通常の人間であることが明らかである、となるわけです。
> 『質量増大と、困難度との対応を、対数で捉えてます』とありますが、通常の比例でなく対数を採用する根拠は、何ですか? 例えば、『ワープ技術の発展の歴史を最初から追いかけると、ワープ可能な質量の増大と、それを達成するための困難度(例えば、開発期間)との間には、対数関数的な関係が見られる』というようなワープの実情との比較があれば、そのような仮定にはまだしも妥当性があると思われますが、何もない所からいきなり仮定を出しても、それで正しい答が得られる保証は全くありません。
> 一番肝心な所で適当にお茶を濁しておいて、結果だけは正しいものが得られると信じ込んでいる。現実との比較は一切無い。それは楽観的を通り越して無謀、無茶の類です。これが学術論文だとしたら、このような曖昧なものを良しとする指導教官もレフリーもいるわけがありません。
結果として、「対数」的な把握になっていたと言うことです。
数学的にうまく説明できれば良いのですが、現時点でどうも、完全に数式でモデルを説明できないので概念で説明します。
質量増大に対して必要な技術レベル(困難度)の向上について考えます。
(1)A:1倍 対 B:10倍
(2)A:10倍 対 B:100倍
(3)A:10000倍(1万倍) 対 B:100000倍(10万倍)
(4)A:100000000(1億倍) 対 B:1000000000(10億倍)
(1)(2)(3)(4)のいずれも、質量差では、10倍の格差です。
しかし、(1)の場合と、(2)の場合、(3)の場合や(4)の場合とでは、格差の重みが違うのですよ。
同じ10倍の格差であったとしても、A側の質量増大量が増加するにつれて、格差の重みが軽くなっていくのです。
(2)の場合、Aの困難度を1と見積もると、Bの困難度は、Aの困難度を2回経ることになるのだから、2と見積もれます。
(3)の場合、Aの困難度を1と見積もると、Bの困難度は、Aの困難度を2回は経る必要がなく、1回と、1/10回分(10000/100000)程度、すなわち、1.1と見積もれます。
特に、(1)の場合、Aの困難度は無です。1倍ということは、技術レベルの向上が不要である、ということです。これに対して、Bには、技術レベルの向上が必要です。したがって、Bに要求される困難度は、もし無であるAの困難度を基準とすると、無限大ということになります。
相対的な達成目標の差(上で言えばAとBの達成目標の差)に10倍の差があったとしても、ベースとなる達成目標(上で言えばAの達成目標)が大きくなるにつれ、格差の重みは小さくなっていくのです。
結果が対数的になったと言うのは、上の考えによる推論の結果です。
私の力量不足を認めますが、これ以上のうまい説明は現時点ではできそうにありません。
それでも、上の(1)の場合の問題のように、格差の重みが、ベースとなる達成目標の大きさによって変化する、ということはおぼろげながらでも、理解していただけるのではないか、と期待しています。特に、技術屋とお伺いしましたから、Nightさんは。
> (1)のルールを適用すると、以下のような形になると思われます。
>
> 『銀英伝世界の物体運動も、現実世界の物体運動も、同じニュートン力学が支配する』
>
> しかし、このルールをワープに適用するなら、その結果は以下の形以外考えられません。
>
> 『銀英伝世界のワープも、現実世界のワープも、同じワープ理論が支配する』
そのようには考えません。
ワープエンジンなるものも、我々が知っているエンジンの同等物と考えるが、その出力結果に関しては、ワープと言う超絶的な空間移動を引き起こす作用がある、と考えるのです。逆にいえば、出力結果だけ、作品設定に従うのです。もちろん、他にも、作品で設定されている部位があれば、それに従います。
このように考えることで、ガイエスブルグ要塞のワープや問題となっているイゼルローン要塞のワープだけでなく、一般の艦船のワープに関しても、問題なく理解できます。
この解釈に従うからこそ、我々が知っているエンジンに指向性(特別な方位だけにしか作用しないとか)などないから、例えば私が例示している同盟軍艦船によるフェザーンへの航行可能性なども、問題なく、可能である、と言う結論になります。
逆に、このような解釈をしなければ、ワープエンジンには実は指向性があるのではないか、とか、特定の質量では作動しないのではないか、とかいろいろな疑義を生じることになるでしょう。このような問題を組み合わせれば、帝国軍の艦船がフェザーンを通過したからと言って、同盟軍の艦船がフェザーンを同様に通過できるとは、いい得ない、という問題も発生するのです。
まあ、人造人間の話と基本的に同列の話ですので、
こちらの話は、
人造人間の話が解決してからでもよいでしょう。
> しかし、イゼルローンはガイエスブルクの2~3倍の体積(おそらく質量も)を持っています。別に、ガイエスブルク自身は限界に近くなくとも、それを2~3倍にすれば限界を超えてしまう、ということはさほどおかしくもない話です。(通常、限界ラインの半分以下にあるものは、『限界に近い』とは言わないでしょう)
> ガイエスブルクがそのような位置にはない、ということはどのように保証されますか。
以前「臨界点」という話がありましたが、これを聞いて私は核反応を思い浮かべましたね。
例えば、原始的な核爆弾(ウラン式)であれば、臨界反応が発生しない質量にウランを分離しておき、起爆させる際に、分離したウランを合体させるわけですね。
で、このような話をしていたらですよ、限界ラインの半分以下だからと言って、気にしないわけにはいかないとおもいますけどね。
蜃気楼さんも、No6178で、
「イゼルローンがワープできないということは、ガイエスブルクのワープが非常に危険かつ困難ということになると思うのですが。」
と言っていたように、普通、こういう場合、大いに気になるものだと思いますが。
シャフトの言を素直に解釈するのが、妥当な解釈だと思いますがね。
なにか示唆するような内容があってのことならともかく、なんの根拠もなく、「素直な解釈」に対する反対解釈を行おうとするのは、非常に主観的な態度だと思いますがね。
> このような「名だけの人物」は、つまり、Nightさんのいう判断材料が、イゼルローン要塞化関連よりも乏しいわけです。このような人物が人造人間であるか否か、という問いに対して、どのように答えるのでしょうか?
> 上の論理に従えば、『イゼルローンを移動要塞化可能である』という命題すら判定不能であるならば、判断材料がイゼルローン要塞化関連よりも乏しい「名だけの人物」などは、さらに判定不能であることは自明である、ということになりませんか。
>
> まあ、一つ、うまい言い訳を考えてみてください。
……。
では、今度は『銀英伝の無名の登場人物の中には人造人間がいる』という命題の真偽について検討しましょう。
まず、遺伝子工学で人造人間を作る技術の存在について、作中では一切触れられていません。
しかし、『証拠の不在は、不在の証拠にあらず』の言葉通り、そのような技術はないとも言いきれません。仮にあると考えましょう。
あるとして、それは社会に広く公開された技術なのでしょうか。それとも、社会からは隠蔽された技術なのでしょうか。
社会に広く公開された技術だとします。すると、このような技術の存在は、社会の在り方を大きく変える要因になります。いちいち前回の検討を繰り返しませんが、それは本編の記述との間に多大な不整合を生じさせます。これは、不自然です。
次に、これが社会から隠蔽された技術とします。当然の結論として、それに接触する機会を持つような人物は限られてくることになります。接触できたとして、それを実際に使用できる人物は、さらに限られることになります。
対象が無名の登場人物なので、これ以上の材料はありません。勿論、異星人の話はありますが、それはもういいでしょう。
ここまでで天秤の真の側の皿には、何も乗っていません。逆に、偽の側の皿には、以下のような形で上記の判断材料が乗ることになります。(少し簡略化して書きます)
『無名の人物が人造人間であるためには、以下の条件を全て満たさなければならない。
(1) 遺伝子工学で人造人間を作る技術が、社会に広く公開されない形で銀英伝世界に存在しなければならない。
(2) 親が、その技術に接触する機会を持っていなければならない。
(3) その技術が使用される条件が整っていなければならない。
(これは、親が人造人間の子供を望み、かつ経済的条件を満たしているというようなことや、もしくは実験台にされるなどの状況があることを指す)』
(1)の条件は、登場人物全てに対して適用されるものです。この条件が満たされる確率は、主に銀英伝世界での遺伝子工学の発達度に左右されますが、これについてはあまり明確ではありません。ただし、劣悪遺伝子排除法の存在にも関わらず、ルドルフの男児やオーベルシュタイン、キュンメル男爵のような人間が存在する事を考慮すると、銀英伝世界の遺伝子工学は現実世界と比べてあまり発展していないと考えられます。よって、(1)の条件が満たされる確率はあまり高くないと言えます。
(2)(3)の条件は、個々の登場人物の背景に関連するものですから、一概に結論を出す事はできません。ですが、隠蔽された技術に接触できる人間は、特権階級に所属するような者や、研究者などの特別な才能を持つ者、あるいは何らかの幸運(もしくは実験台にされるなどの不運)に恵まれた者などだけです。そのような人間達の数は、社会の中ではごく少数に限られることになります(多数であったら、隠蔽された技術ではなくなってしまいます)。
結果として、以上の全ての条件を満たす登場人物は全く存在しないか、いたとしてもごくわずかであることが推論されます。
以上より、『銀英伝の無名の登場人物の中には人造人間がいる』という命題はおそらく偽と判定される事になります。よって、無名の登場人物を任意に一人選んだとしても、その人物が人造人間である確率は相当に低いと言えるでしょう。
今回の判定は、『ラインハルトやヤンが人造人間である』という命題について検討した時より、確実度が落ちています。何故そうなったかと言うと、ラインハルトやヤンの時は、彼らおよび彼らの周囲の人物の挙動や思考、本編の記述者(=作者)が彼らに対してしたコメントなどを判断材料にできたのに対し、今回は推論の適用範囲を大幅に拡大したため、それらを使用する事ができなくなったからです。判断材料が少なくなると、結果を信頼できなくなるということは、私が当初から言っている事です。
しかし、だからと言って判断材料が全く無くなった訳ではない。今回の判定に関しては、残された材料だけでも充分な推論は得られるはずです。
なお、私としては、パンツァーさんとの議論はもう終わりにしたいと思っています。
第一の理由は、これ以上議論をしても時間の無駄だからです。
上に、長々と判定の内容を書きましたが、私の考え方については、これまでできる限りきちんと説明してきたつもりです。しかも、今回の判定の内容は、途中まで前回と全く同じです。なのに、パンツァーさんは冒頭に引用したようなことを言い出してきた。要するに、自分ではきちんと検討していないか、こういった細かい思考法に全く慣れていないか、あるいはその両方かです。この内のいずれであっても、これ以上、パンツァーさんと議論をする意味を見出せません。これから先、いくら議論しても、同じ事が繰り返されるでしょうから。
第二の理由は、これ以上科学的な議論はできそうに無いからです。
私がこれまで説明してきたような懐疑主義的な話は、科学の世界では別に難しい事でも何でもありません。仮説は実験や観察で裏付けられなければ確かなものとはされないとか、そういうことは、論文を書くような研究者や技術者、あるいは理系の学生なら、誰でも知っているような初歩中の初歩です。しかし、パンツァーさんは、そのような初歩すら御存知ないようです。また、無限ループを構成するような推論を妥当なものだと思っていたり、この種の論理的な思考にも全く慣れていないとしか思えない。そのような方と議論を続けても、これ以上、何も得られるところは無いでしょう。
第三の理由は、議論におけるパンツァーさんの態度です。
前々回、パンツァーさんは私にダブルスタンダードと言う疑惑を押し付けてきた。私が、それに対してダブルスタンダードでないときちんと説明したら、今度は『うまい言い訳を考えてみてください』などと言い出した。
つまり、私の言っている事は、パンツァーさんから見れば『言い訳』ということでしょう。はっきり言って『なんだかなぁ』ですよ。
なお、このダブルスタンダード疑惑については、きちんと決着を付けたいと思います。それは、私の名誉に関わる問題ですから。つまり、パンツァーさんがしなければならないことは、『ラインハルトとヤンの人造人間問題と移動要塞問題は確かにダブルスタンダードであると言える』ことを誰もが納得の行くように説明するか、あるいは、自らの発言を撤回するかのいずれかです。これについては、必要なら議論を続けましょう。
最後に。
私がこれまでパンツァーさんの論の証拠の確実性や、推論の妥当性についてしつこく聞いていたのは、別に私が意地悪だからではありません。一つの説の妥当性を科学的に検証しようとする場(例えば、論文の審査、発表)では、不明確な点についてできる限りの質問をするのが当たり前だからです。むしろ、そのようなエラー訂正機構がなければ、誤った学説の蔓延を許す事になりますから、それは必ずしなければならない作業なのです。
私がこれまでに得た回答から得た結論は、パンツァーさんの論は科学的に確かなものとは言えない、という事です。それは、第三者の客観的な検証に耐えうるだけの強固さを持っていません。論文発表の場に出せば、すぐに粉々にされてしまうようなものです。
以上を踏まえて、パンツァーさんに確認したい事があります。
パンツァーさんは、御自分の主張を、『そう思う』という程度の単なる主観的かつ個人的な見解の表明と考えられていますか。それとも、もっと確かな根拠を持つ客観的かつ科学的な説の表明と考えられていますか。
お答えをお願いします。
> それでも、上の(1)の場合の問題のように、格差の重みが、ベースとなる達成目標の大きさによって変化する、ということはおぼろげながらでも、理解していただけるのではないか、と期待しています。特に、技術屋とお伺いしましたから、Nightさんは。
はい、ですから私はこう言います。現実との比較検討がきちんと行われていないモデルは、机上の空論であると。
計算機の世界では、ムーアの法則という法則が良く知られています。
それは、『半導体の集積密度は18~24ヶ月で倍増する』という法則です。大雑把に言えば、計算機の性能が1年半から2年で倍になるという法則ですから、今回のパンツァーさんの対数モデルに近いものは、現実に存在するわけです。
しかし、私は、ムーアの法則は認めても、パンツァーさんのモデルは認めません。それは何故か。
ムーアの法則は、実際に計算機を作る過程から見出された経験則です。つまり、観察から生まれたモデルであり、現実との比較検討が充分になされている。それゆえに信じるに足るモデルになりうるのです。
しかし、パンツァーさんのモデルには、現実との比較検討がありません。全て、頭の中でこう考えてみた、というだけです。ワープの実情を正しく説明できると言える根拠が欠けています。
なお、最近は、ムーアの法則にも限界が来ています。つまり、現実との比較検討をきちんと行ったモデルでさえ、状況の推移によって正しく働かなくなるということの実例です。まして、頭の中だけで考えたモデルがいかなる場合も成り立つと言う道理はありません。
また、蛇足になるかもしれませんが、この見積もり計算に関してずっと気になっていたことについて触れたいと思います。
それは、パンツァーさんの繰り返している4,000万倍という数字の妥当性についてです。No.6161の最後に書いたことの繰り返しになりますが、良く調べてみればそれは単に12倍でしかなかった、ということについてきちんと検討されているように思えません。要は、既存のワープ技術を過小評価している危険性があるということです。
パンツァーさんのモデルは、ワープ可能な質量の上限の推移を表現したものと思われますが、戦艦が100万トンである理由は、燃費や速度や機動性を考慮した結果であるかもしれないわけです。少なくとも、それが既存ワープの上限だからとは言い切れない。そのようなワープとは無関係な事情で決まったかもしれない100万トンという値で、ガイエスブルクの40兆トンを割ってみるという計算に、どの程度の意味があると言えるのか、私には分かりませんでした。
なお、別の投稿でも触れましたが、私はパンツァーさんとの議論を終わらせるつもりです。それでもパンツァーさんが御自分のモデルを信じるというなら、それは個人の自由です。
ただ、これまでの議論の結果により、私はそれを客観的、科学的に確かなものとは認めることができないと言うだけです。
> > (1)のルールを適用すると、以下のような形になると思われます。
> >
> > 『銀英伝世界の物体運動も、現実世界の物体運動も、同じニュートン力学が支配する』
> >
> > しかし、このルールをワープに適用するなら、その結果は以下の形以外考えられません。
> >
> > 『銀英伝世界のワープも、現実世界のワープも、同じワープ理論が支配する』
>
> そのようには考えません。
> ワープエンジンなるものも、我々が知っているエンジンの同等物と考えるが、その出力結果に関しては、ワープと言う超絶的な空間移動を引き起こす作用がある、と考えるのです。逆にいえば、出力結果だけ、作品設定に従うのです。もちろん、他にも、作品で設定されている部位があれば、それに従います。
(1)のルールを『素直に解釈すれば』、作品世界のワープ理論の代用になり得るのは、現実世界のワープ理論だけです。それ以上のことを(1)は言っていません。
そこで、『現実世界にはワープ理論が無いから、ニュートン力学で代用させよう。ワープエンジンの性質も通常のエンジンと同じにしよう』というのは、パンツァーさん独自の解釈です。その解釈が本当に妥当と言えるか否かは、不確実としか言えません。
表層が似ているから、同じものとみなそうと言う解釈は、爆発すると言う結果が同じだからと言う理由で、TNT火薬と原子爆弾と水素爆弾の原理や性質を同一視するような誤りを犯す可能性があります。逆に言えば、そのような誤りを犯さないために、(1)のルールは素直に解釈するべきなのです。
> このように考えることで、ガイエスブルグ要塞のワープや問題となっているイゼルローン要塞のワープだけでなく、一般の艦船のワープに関しても、問題なく理解できます。
> この解釈に従うからこそ、我々が知っているエンジンに指向性(特別な方位だけにしか作用しないとか)などないから、例えば私が例示している同盟軍艦船によるフェザーンへの航行可能性なども、問題なく、可能である、と言う結論になります。
>
> 逆に、このような解釈をしなければ、ワープエンジンには実は指向性があるのではないか、とか、特定の質量では作動しないのではないか、とかいろいろな疑義を生じることになるでしょう。このような問題を組み合わせれば、帝国軍の艦船がフェザーンを通過したからと言って、同盟軍の艦船がフェザーンを同様に通過できるとは、いい得ない、という問題も発生するのです。
以前に述べましたが、およそ全てを疑ってかかることが科学のスタンスです。『疑義が生じるから、他の可能性については考えないようにしよう』というのは、そのスタンスに真っ向から反することになります。
我々が知らないだけで、ワープエンジンには何らかの指向性があるのかもしれない。動作できない質量があるのかもしれない。本編の記述から得られる判断材料だけでは、結局、それらの詳細については良く分からないのです。ですから、『ワープエンジンに指向性は無い』『いかなる質量でも動作できる』という説には、『未検証、確実でない』というラベルをきちんと貼っておかなければならないのです。
ワープに関する命題の真偽については、これまで説明してきた真偽判定を行うしかありません。もう一々繰り返しませんが、同盟艦船がフェザーンに行けることを真とする判断材料は多く、偽とする判断材料はほとんど無い。そのような検討を経た結果、『同盟艦船がフェザーンに行ける』という命題はほぼ確実に真と言えるのであって、『疑義が生じるから、他の可能性については考えない』というような理由で、考えるのをやめるべきではありません。
> シャフトの言を素直に解釈するのが、妥当な解釈だと思いますがね。
> なにか示唆するような内容があってのことならともかく、なんの根拠もなく、「素直な解釈」に対する反対解釈を行おうとするのは、非常に主観的な態度だと思いますがね。
パンツァーさん自身が『ワープエンジンに指向性は無い』『いかなる質量でも動作できる』と考えるのは個人の自由です。というか、一読者として読書を楽しむだけなら、それで何の問題もありません。
しかし、その結論を周囲にも確かなものとして認めてもらいたいなら、それには、誰をも納得させうるもっと確かな証拠が必要です。『その結論は、正しいとは言い切れないのでは?』という批判者の疑問に納得の行く形で答えなければなりません。そのような批判に耐えうることで、初めてその結論は確かなものとして認められるのです。それが科学のルールです。
Nightさんによる命題の真偽判定法は、
No6188の記載では、
「簡単にまとめましょう。」以下の記載で、
「判断材料は乏しく、」という記載に示されるように、
判断材料の多寡を、命題の真偽の判定基準のように書いていたわけですよ。
それでは、判断材料の少ない「名だけの人物」はどうかと問うたのが、
No6194の私の記載ですね。
それに対して、No6197でNightさんは、
「名だけの人物」であっても、それなりに判断材料はある、
と回答したようですね。
ここで、
命題とは例えば、
「ヤンは(遺伝子工学等の改造を受けない)通常の人間である。」
等です。
そして、この命題が「偽」であるとは、
「ヤンが通常の人間とは言い切れない」ということです。
一方、
Nightさんのいう判断材料とは、具体的に何か?
私には、単に、命題に反しない例(記載)がある、といっているに過ぎないように思いますね。これを説明の便宜上、「順例」としましょう。
言うなれば、明らかに命題に反する例(反例)がない、といっているに過ぎないのです。
「ヤンは明らかに普通の人間である」
「査問会はヤンを陥れるための材料を探そうと、ヤンのDNA鑑定を行なったが特に異常は見られなかった」
こういった記載があれば、これは明らかに命題を真とする判断材料ですが、このようなものは見当たりません。
シャフトの言「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」に類するような強力な擁護材料は、「ヤンやラインハルトが人造人間ではない」等の命題に大しては、作品中に存在しないのです。
命題:「「名だけの人物」は普通の人間である」
に関するNightさんの証明部分を検討してみましょう。
*****
『無名の人物が人造人間であるためには、以下の条件を全て満たさなければならない。
(1) 遺伝子工学で人造人間を作る技術が、社会に広く公開されない形で銀英伝世界に存在しなければならない。
(2) 親が、その技術に接触する機会を持っていなければならない。
(3) その技術が使用される条件が整っていなければならない。
(これは、親が人造人間の子供を望み、かつ経済的条件を満たしているというようなことや、もしくは実験台にされるなどの状況があることを指す)』
(1)の条件は、登場人物全てに対して適用されるものです。この条件が満たされる確率は、主に銀英伝世界での遺伝子工学の発達度に左右されますが、これについてはあまり明確ではありません。ただし、劣悪遺伝子排除法の存在にも関わらず、ルドルフの男児やオーベルシュタイン、キュンメル男爵のような人間が存在する事を考慮すると、銀英伝世界の遺伝子工学は現実世界と比べてあまり発展していないと考えられます。よって、(1)の条件が満たされる確率はあまり高くないと言えます。
(2)(3)の条件は、個々の登場人物の背景に関連するものですから、一概に結論を出す事はできません。ですが、隠蔽された技術に接触できる人間は、特権階級に所属するような者や、研究者などの特別な才能を持つ者、あるいは何らかの幸運(もしくは実験台にされるなどの不運)に恵まれた者などだけです。そのような人間達の数は、社会の中ではごく少数に限られることになります(多数であったら、隠蔽された技術ではなくなってしまいます)。
*****
(1)について
現代でも、可能な技術がすべて実行に移されるかというとそうではなく、政治的・倫理的な理由で制限されることはあるわけです。私が提示しているような作品解釈法を取らないとすれば、遺伝子関連の技術も存在するが、実行に移されていない場合が多い、とも考えられますね。
また、「劣悪遺伝子排除法」が存在するからこそ、社会の一部において、強制的に遺伝子的改造をうける人々がいる、という可能性も否定しきれないでしょう。
一方、遺伝子的欠陥は、突然変異的に発生することもあります。ルドルフの男児やオーベルシュタイン、キュンメル男爵のような人間は、代々の欠陥者だったのでしょうか? 突然変異的な発生者であれば、社会背景など、全然関わりがなくなるのではありませんか。
(2)(3)について
上の記載に、「何らかの幸運(もしくは実験台にされるなどの不運)に恵まれた者」なんてありますが、こういう可能性があるのであれば、全然問題なく、遺伝子的改造を受けた人間が発生することになるではありませんか。この場合、そういう人間の数が少数であるか否かは問題ではありませんね。一人でもいるなら、上の命題が潰されるわけですから。「通常の人間とは言い切れない」となって。
上のNightさんの提示した判断材料とやら、
これがいかに主観的なものか、おわかりになるでしょうか?
Nightさんの想像の産物でしかないのですよ。
さらに言えば、
(1)(2)(3)は全部、
順例(命題に反しない例)ですら、ないのですよ。
No6188では「彼らが常人にはない才能を発揮した時」などと、ヤンやラインハルトの実際の行動の記述等を、判断基準にしているようですが、このような順例(つまり、通常の人間と考えてもおかしくない記載)すら、今回の命題(なだけの人物)の真偽判定には、登場しません。
判断材料は乏しく、
「「名だけの人物」は(遺伝子工学等の改造を受けない)普通の人間である」
などとは、とても言い得ないですね。
それから、Nightは、No6188で、
「二つの命題が作品全体に持つ意味の重要性について考えてみましょう。」以下の文章で、
「彼らの才能が人為的な技術の産物であったとしたら、(中略)それは作品全体の主題すら変えかねません。」などと書いてますが、
こんなことは、よくあることですよ。
法律の制定者の予測に反して法律の網が潜られてしまうように、
自分の書いた文章が、違った意味で人に受け取られるように、
作者が意図した設定と、作品から理解できる内容とが、全く異なってしまう場合は大いにあるでしょう。
> 以上を踏まえて、パンツァーさんに確認したい事があります。
> パンツァーさんは、御自分の主張を、『そう思う』という程度の単なる主観的かつ個人的な見解の表明と考えられていますか。それとも、もっと確かな根拠を持つ客観的かつ科学的な説の表明と考えられていますか。
これについては、私は何度も回答しているのです。
No6174「作品の解釈について」で述べているように、
私の作品解釈法は、以下です。
(1)SFであっても、基本的には現実の我々と同じ世界の物語である。人間の性質や物理法則一般に関してもそのとおり。
(2)作品中で設定されている内容は、(1)の適用の例外事項であって、この例外事項に関しては、当然作品の設定が優先される。
この解釈法は、客観的なものですよ。
私がだけがやるというようなものではなく、誰もが作品を読む(解釈する)上で行なっている作業に過ぎないのですから。
(1)において適用する共通常識(人間の性質や物理法則一般等)に関しても、私(パンツァー)個人の主観を適用すべきなどとは当然主張しておらず、一般的なもの(であるが故に共通常識)を採用すべきです。
逆に質問させていただきましょう。
Nightさんは、御自分の主張を、『そう思う』という程度の単なる主観的かつ個人的な見解の表明と考えられていますか。それとも、もっと確かな根拠を持つ客観的かつ科学的な説の表明と考えられていますか。
上で検討したような、Nightさんの主観がありありとあらわれるような判断基準((1)(2)(3)の解説文など)を用いて、「客観的かつ科学的」だといえるとでも思っているのですか?
まず、自分の説が、主観の拘束を離れた客観的な議論であることを、明確に説明するのが筋ではありませんか。
> なお、私としては、パンツァーさんとの議論はもう終わりにしたいと思っています。
もともと、私から挑んだ議論ではありませんので、論じる点がないのなら、終わりにしてください。私も時間の浪費に過ぎないと思いますので。
ただ、ここで議論を放棄するのであれば、今後、この掲示板で、移動要塞関連の議論が起こっても参加されないことを希望します。もちろんこれは、あくまでお願いです。また同じことを説明させられる羽目になるのは容赦していただきたいので。
他の投稿への回答は、少なくともこの枝の議論が終了してからにいたします。
> はい、ですから私はこう言います。現実との比較検討がきちんと行われていないモデルは、机上の空論であると。
私が前回述べたのは、一般論ですよ。
格差の重みというものが、ベースの達成目標が大きくなるにつれて、
軽くなる、という。
この考え方がおかしいと思うのですか?
これは、一つ聞いておきたいですね、是非に。
> それは、パンツァーさんの繰り返している4,000万倍という数字の妥当性についてです。(中略)少なくとも、それが既存ワープの上限だからとは言い切れない。そのようなワープとは無関係な事情で決まったかもしれない100万トンという値で、ガイエスブルクの40兆トンを割ってみるという計算に、どの程度の意味があると言えるのか、私には分かりませんでした。
あの~、私は、100万トンが「既存ワープの上限」なんて、
一度も言ってませんよ。
シャフトの言により理論的には、どんな質量でも可能だけど、
実績が十分あるのは精々100万トンクラスだから、それ以上の質量に関しては、実際に作る際に、困難が伴うのではないか、といっているだけです。
第一、1兆トン級の質量体が普通に飛んでいる世界だったら、40兆トンのガイエスブルグがワープしたって、それほど驚かないでしょう。
> ここで、
> 命題とは例えば、
> 「ヤンは(遺伝子工学等の改造を受けない)通常の人間である。」
> 等です。
> そして、この命題が「偽」であるとは、
> 「ヤンが通常の人間とは言い切れない」ということです。
違います。
論理学の基礎についてきちんと勉強されることをお勧めします。
「ヤンは通常の人間である」という命題が偽であるとは、「ヤンは通常の人間でない」ということを指します。「ヤンが通常の人間とは言い切れない」という文は、「ヤンは通常の人間であるかもしれないし、そうでないかもしれない」というような、真偽をはっきりさせることのできない曖昧な言明ですから、この場合、命題として考えるべきではありません。
> 一方、
> Nightさんのいう判断材料とは、具体的に何か?
> 私には、単に、命題に反しない例(記載)がある、といっているに過ぎないように思いますね。これを説明の便宜上、「順例」としましょう。
> 言うなれば、明らかに命題に反する例(反例)がない、といっているに過ぎないのです。
>
> 「ヤンは明らかに普通の人間である」
> 「査問会はヤンを陥れるための材料を探そうと、ヤンのDNA鑑定を行なったが特に異常は見られなかった」
> こういった記載があれば、これは明らかに命題を真とする判断材料ですが、このようなものは見当たりません。
> シャフトの言「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」に類するような強力な擁護材料は、「ヤンやラインハルトが人造人間ではない」等の命題に大しては、作品中に存在しないのです。
一つの命題を確実に判定する直接的な証拠は、得られないことが多いのです。そのような場合は、間接的な証拠を一つづつ積み上げていくことで、確からしさを上げていくしかありません。
それは白いカラスを探す作業に似ています。我々の周囲にいるカラスは全て黒い。しかし、だからと言って『カラスは黒い』という命題は真と言えるでしょうか。
1000羽のカラスを調べて全て黒くても、1001羽目はそうでないかもしれない。世界中を全て調べても、明日、白いカラスが生まれるかもしれない。結局、『カラスは黒い』という命題が真であることを直接的に証明することはできないのです。これまで調査したカラスに関する間接的な証拠から、『カラスは黒い』という命題はほぼ確実に真、とするところで止まらざるを得ません。
しかし、通常はそれで十分と考えられます。『カラスは黒い』という理論は、間接的な証拠(例えば調べたカラスの量)に応じた確からしさを伴って受け入れられるでしょう。そこで、『それでも、カラスは黒いとは限らないではないか』と言い出す人がいるなら、間接的証拠のどこに問題があるかを証明するなり、白いカラス(反例)を実際に見つけ出してくるなりする責任はその人にあります。
なお、シャフトの言葉が、『ガイエスブルクと同じ要領で、簡単にイゼルローンを移動要塞化できる』ことに関してどれだけあてになるものかは、別の投稿(No.6191)で色々と触れているので繰り返しません。
> (1)について
> 現代でも、可能な技術がすべて実行に移されるかというとそうではなく、政治的・倫理的な理由で制限されることはあるわけです。私が提示しているような作品解釈法を取らないとすれば、遺伝子関連の技術も存在するが、実行に移されていない場合が多い、とも考えられますね。
これに関しては、いちいち書いていると長くなるので省略していました。
第一に、『劣悪な遺伝子を持つ人間など死んでしまえ』というような法律を(形骸化したとはいえ)是とする社会で、今さら、遺伝子操作は倫理的に良くないなどという意見が主体になるとは考えにくいこと。第二に、何らかの理由でその技術の使用が禁止されているとしたら、一般人が容易に接触することができない、という意味で結局は『隠蔽された技術』と同じ扱いになることが挙げられます。結果は同じです。
> また、「劣悪遺伝子排除法」が存在するからこそ、社会の一部において、強制的に遺伝子的改造をうける人々がいる、という可能性も否定しきれないでしょう。
ええ、否定し切れません。このような場合、帝国の登場人物が遺伝子操作を受けて誕生したと言う可能性は確かにあります。
しかし、そもそも、遺伝子の改造を受けなければならない人は、遺伝的な疾患を持つようなごく限られた人々だけです。また、通常、そのような技術は遺伝子治療と呼ぶべきであって、優秀な人造人間を作る技術、とはニュアンスが異なります。
> 一方、遺伝子的欠陥は、突然変異的に発生することもあります。ルドルフの男児やオーベルシュタイン、キュンメル男爵のような人間は、代々の欠陥者だったのでしょうか? 突然変異的な発生者であれば、社会背景など、全然関わりがなくなるのではありませんか。
これは、現実の遺伝子工学からの推論になります。
現在、優秀な人間を作るような遺伝子操作技術はまだ夢物語ですが、出生前胎児の遺伝子検査をする技術は、実現化しつつあります。皇族や貴族にとって、子孫が正常な遺伝子を持っていないことは一大事でしょうから、銀英伝世界で人造人間を作れるほど遺伝子工学が発達しているなら、皇族や貴族が出生前胎児の遺伝子検査を徹底的に行わないはずがありません。そして、通常は、正常でない胎児は中絶されてしまうでしょう(可能なら遺伝子治療が行われるかもしれませんが)。
しかるに、皇族や貴族であっても遺伝子が正常でない人間がいる。これは、銀英伝の世界で遺伝子工学があまり発達していないと言う間接的な証拠であると考えられるわけです。
ただし、この証拠は現実の遺伝子工学からの推論ですから、絶対確実なものではありません。よって、最終的な判定に対しては、確からしさをある程度減じて考慮する必要があるでしょう。
> (2)(3)について
> 上の記載に、「何らかの幸運(もしくは実験台にされるなどの不運)に恵まれた者」なんてありますが、こういう可能性があるのであれば、全然問題なく、遺伝子的改造を受けた人間が発生することになるではありませんか。この場合、そういう人間の数が少数であるか否かは問題ではありませんね。一人でもいるなら、上の命題が潰されるわけですから。「通常の人間とは言い切れない」となって。
私の出した判定結果をきちんと読んでいないとしか思えません。
私が出した結果は、『銀英伝の無名の登場人物の中には人造人間がいる』という命題は『おそらく偽』です。
その前に『以上の全ての条件を満たす登場人物は全く存在しないか、いたとしてもごくわずか』ともきちんと書いてあります。
どこをどう誤読したら、『一人でもいるなら、上の命題が潰される』という結論になるのか全く分かりません。やはり、論理学を基礎からきちんと勉強されることをお勧めします。
> さらに言えば、
> (1)(2)(3)は全部、
> 順例(命題に反しない例)ですら、ないのですよ。
> No6188では「彼らが常人にはない才能を発揮した時」などと、ヤンやラインハルトの実際の行動の記述等を、判断基準にしているようですが、このような順例(つまり、通常の人間と考えてもおかしくない記載)すら、今回の命題(なだけの人物)の真偽判定には、登場しません。
はい、登場しません。
ですから、「今回の判定は、『ラインハルトやヤンが人造人間である』という命題について検討した時より、確実度が落ちています」とか、「判断材料が少なくなると、結果を信頼できなくなるということは、私が当初から言っている事です」というコメントをつけておいたのです。
それでも、これまで上に書いたように、判断材料はあります。要するに、『社会の描写から判断するに、銀英伝の世界に人造人間が一般的に存在するような状況はとても考えにくい』ということです。これだけでも、前回書いたような判定結果を得るには充分です。
> それから、Nightは、No6188で、
> 「二つの命題が作品全体に持つ意味の重要性について考えてみましょう。」以下の文章で、
> 「彼らの才能が人為的な技術の産物であったとしたら、(中略)それは作品全体の主題すら変えかねません。」などと書いてますが、
> こんなことは、よくあることですよ。
> 法律の制定者の予測に反して法律の網が潜られてしまうように、
> 自分の書いた文章が、違った意味で人に受け取られるように、
> 作者が意図した設定と、作品から理解できる内容とが、全く異なってしまう場合は大いにあるでしょう。
何度も書いていますが、一読者として作品をどう解釈するかは、個人の自由です。
私自身は、『もし、銀河英雄伝説という物語が、作られた天才達の物語だとしたら、作者は主題を明確にするためにも、最初からそのような重大な事実については明記し、彼らの出生についても必ずや明らかにしただろう』と思いますし、この推論は多くの方に納得していただける強力な間接的証拠と思いますが、どうあってもこのような推論を証拠としては認めない、という方もいると思います。
ですから、どうしても彼らを人造人間と思いたい方は、お好きなようにされるのがよろしいかと思います。それは個人の自由ですから。ちょうど、現代にあってなお、多くの証拠に耳をふさいで、あくまで『地球は平面である』というような説を信じる人々がいるように。
ただし、そのような人々が、自分の説を『確かなもの』として周囲に流布しようとしたなら、私は、上のような推論を持ち出してきて、それに反論するでしょう。それだけです。
> > 以上を踏まえて、パンツァーさんに確認したい事があります。
> > パンツァーさんは、御自分の主張を、『そう思う』という程度の単なる主観的かつ個人的な見解の表明と考えられていますか。それとも、もっと確かな根拠を持つ客観的かつ科学的な説の表明と考えられていますか。
>
> これについては、私は何度も回答しているのです。
>
> No6174「作品の解釈について」で述べているように、
> 私の作品解釈法は、以下です。
> (1)SFであっても、基本的には現実の我々と同じ世界の物語である。人間の性質や物理法則一般に関してもそのとおり。
> (2)作品中で設定されている内容は、(1)の適用の例外事項であって、この例外事項に関しては、当然作品の設定が優先される。
>
> この解釈法は、客観的なものですよ。
> 私がだけがやるというようなものではなく、誰もが作品を読む(解釈する)上で行なっている作業に過ぎないのですから。
> (1)において適用する共通常識(人間の性質や物理法則一般等)に関しても、私(パンツァー)個人の主観を適用すべきなどとは当然主張しておらず、一般的なもの(であるが故に共通常識)を採用すべきです。
何度も指摘していますが、それは事実と異なります。
パンツァーさんが本当に(1)(2)のルールの信奉者であるなら、『現実世界にはワープ理論がないから、ニュートン力学で埋め合わせよう』とか、『ワープの実情について詳しくは知らないが、とりあえず頭の中で詳しい見積もりモデルを組み立てて計算だけしてしまえ』などと思うはずがありません。(1)(2)の信奉者がワープの詳細について聞かれたら、『実は、詳しくは良く分かりません』と答える筈であり、『実は、ワープ理論とニュートン力学の性質は同じなのです。質量と一次比例です』などと分かったような答えをすることは決してないでしょう。
> Nightさんは、御自分の主張を、『そう思う』という程度の単なる主観的かつ個人的な見解の表明と考えられていますか。それとも、もっと確かな根拠を持つ客観的かつ科学的な説の表明と考えられていますか。
はい、私は自分の主張を、『もっと確かな根拠を持つ客観的かつ科学的な説の表明』と考えています。
私は、私の主張の根拠となる証拠(作中事実)を一つ一つ明らかにし、そこから、何故結論が得られるかと言う過程を明らかにしました。その過程で、『何となくそう思うから』というような主観的で曖昧な証拠や推論を採用したつもりはありません。
もちろん私も人間ですから誤りを犯します。しかし、私の主張に疑問を感じられた方は、私の推論の過程を追いかけて、(今回、パンツァーさんがそうしているように)それに対して批判を投げかけることができます。私は、その批判を的外れと思えばそれに対して反論し、妥当なものと思えば自分の結論を修正するでしょう。そして、どうしても修正が不可能であれば、今回の議論で「臨界点」に対してそうしたように、その結論を撤回するでしょう。
以上のような過程の全てを踏まえて、私は自分の主張を、『もっと確かな根拠を持つ客観的かつ科学的な説の表明』と考えています。
なお、今回の議論で、私は、パンツァーさんの説の根拠となる証拠にいくつか疑問を投げかけたつもりです。パンツァーさんは、自分の説を修正なり、撤回なりする必要があると考えていますか。
それとも、不確実な形でニュートン力学が埋め込まれたワープ理論と、頭の中だけで作られた見積もりモデルをあくまで保持し続けますか。
> 上で検討したような、Nightさんの主観がありありとあらわれるような判断基準((1)(2)(3)の解説文など)を用いて、「客観的かつ科学的」だといえるとでも思っているのですか?
> まず、自分の説が、主観の拘束を離れた客観的な議論であることを、明確に説明するのが筋ではありませんか。
これについては、上を御覧下さい。
なお、客観的とは『普遍妥当性を持っている』ということですから、最終的には、このように二人だけで議論をしている状態では何も解決しないと思われます。おそらく、もっと大勢の議論の場の中で多数決を採るような方法でもない限り、それを実感したり、納得したりすることはお互いにできないと思います。
ですから、今回の議論の結果については、これを現在読んでいらっしゃる方、もしくは、将来、過去ログの形で読むことになられる方(両方とも、もしいればですが)に判断をゆだねたいと思います。それ以上のことはできません。
> > なお、私としては、パンツァーさんとの議論はもう終わりにしたいと思っています。
>
> もともと、私から挑んだ議論ではありませんので、論じる点がないのなら、終わりにしてください。私も時間の浪費に過ぎないと思いますので。
> ただ、ここで議論を放棄するのであれば、今後、この掲示板で、移動要塞関連の議論が起こっても参加されないことを希望します。もちろんこれは、あくまでお願いです。また同じことを説明させられる羽目になるのは容赦していただきたいので。
その御希望には沿いかねます。ここは自由な議論の場と思っていますし、退場勧告を受けたわけでもありませんので。
ただし、時間の浪費は避けたいという思いは私も全く同じですから、同じ議論の繰り返しをするつもりはありません。「過去ログを参照して下さい」で解決が可能なら、そうしたいと思います。
なお、前回、申し上げましたように、ダブルスタンダード疑惑については、きちんと決着を付けたいと私は思っています。ですから、パンツァーさんは、私がダブルスタンダードであることをきちんと証明されるか、自らの発言を撤回されるかを選んでください。
よろしくお願いします。
> > はい、ですから私はこう言います。現実との比較検討がきちんと行われていないモデルは、机上の空論であると。
>
> 私が前回述べたのは、一般論ですよ。
> 格差の重みというものが、ベースの達成目標が大きくなるにつれて、
> 軽くなる、という。
> この考え方がおかしいと思うのですか?
> これは、一つ聞いておきたいですね、是非に。
少なくとも、ムーアの法則(半導体の集積密度は18~24ヶ月で倍増する)に関しては、『ベースの達成目標が大きくなるにつれて格差の重みは軽くなる』という主張は成り立っていません。性能が1倍→2倍→4倍→8倍→16倍→32倍と推移していく時、各推移に必要な開発時間は等しい(つまり、ベースの達成目標がどのような値であっても、そこからさらに2倍にするのにかかる時間は同じ)ということをこの法則は言っているわけですから、『格差の重みは変化しない』ということになります。
また、今後、ムーアの法則が限界に近づくにつれ、性能の向上は困難になってきますから、パンツァーさんの主張とは逆の『格差の重みは重くなる』という状態に徐々にシフトしていくわけです。
よって、私はパンツァーさんの考え方はおかしいと思います。
> > それは、パンツァーさんの繰り返している4,000万倍という数字の妥当性についてです。(中略)少なくとも、それが既存ワープの上限だからとは言い切れない。そのようなワープとは無関係な事情で決まったかもしれない100万トンという値で、ガイエスブルクの40兆トンを割ってみるという計算に、どの程度の意味があると言えるのか、私には分かりませんでした。
>
> あの~、私は、100万トンが「既存ワープの上限」なんて、
> 一度も言ってませんよ。
> シャフトの言により理論的には、どんな質量でも可能だけど、
> 実績が十分あるのは精々100万トンクラスだから、それ以上の質量に関しては、実際に作る際に、困難が伴うのではないか、といっているだけです。
> 第一、1兆トン級の質量体が普通に飛んでいる世界だったら、40兆トンのガイエスブルグがワープしたって、それほど驚かないでしょう。
100万トンは実績が十分にある重量を指す、と。
しかし、ガイエスブルクの40兆トンは、言うなれば実験、試作段階にある数字です。性質の違う二つの数値の比を取ってみることの意味が良く分からないわけです。これも含めて、パンツァーさんのモデルは、もっと詳細を詰める必要があると思いますね。
パンツァーさんのモデルに予め入力しておかなければならないデータは何ですか?
計算の入力は、実績と実験の比なのですか? 実績の推移(新実績値÷旧実績値)や上限の推移(新上限値÷旧上限値)ではないのですか?
計算の出力は、その推移を達成するのに必要な開発期間ですか? 開発人員数と開発期間の積ですか? それ以外の何かですか?
文中に困難度とあるのは、具体的には何を指すのでしょう。これも開発期間ですか? 人員数と開発期間の積ですか? それ以外の何かですか?
結局の所、そういう詳細が良く分からないのです。モデルが何を受け取り、それをどう解釈して、いかなる結果を出すか、というロジックが。
その辺りを細かく詰めて、できればプログラム化して、ムーアの法則を始めとした様々な技術発展の実例に対してそのモデルが正しく答を出すことを確認するというような過程を経れば、それなりに説得力は出てくると思いますね。もっとも、正しい答が出るようになるまでには、何度もモデルの見直しや棄却をしなければならないと思いますし、あるいは『そのような一般的なモデルを作る事は不可能である』という結論が出るかもしれませんが……。
少なくとも、現在のような『頭の中で考えただけ』の状態では、そういう説得力が全くないことだけは確かです。
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」
ということに対する証明に対しては、
Nightさんも言い尽くしたようなので、
それについて、どういう論理なのかを分析してみることにしましょう。
私が、
No6174「作品の解釈について」で述べているような基準を示してくれると、
分かりやすいのですが、そういう要点を述べてくれてないので、このような分析が必要です。
No.6185のNightさんの記載
> ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間かもしれない。
> そのように言われたとしても、日常生活では一笑に付して終わりにします。しかし、科学の世界はそうではありません。可能性はあるのではないか、とひとまずは疑ってみることこそ、科学の基本です。
> 作中に、遺伝子工学で人造人間を作る技術があるとは、書かれていません。劣悪遺伝子排除法に関連する形で、社会の描写にも影響があるはずなのに、そのような傾向は見られません。また、もし、ラインハルトやヤンの才能の根源が遺伝子工学にあるとするなら、そのように重要なことが作中に一切書かれていないことは、かえって不自然です。そのように考えていけば、ラインハルトやヤンを人造人間とする判断材料は全くと言っていいほどなく、逆に通常の人間とする材料は山程あることが分かってきます。よって、ここまで検討して初めて、『ラインハルトやヤンが人造人間であるという命題は、ほぼ確実に偽』という結論を出す事になります。
> お分かりでしょうか。
> 科学的に考える、とはこういうことです。
(以下略)
No.6185やNo.6188で、Nightさんは、
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」
ということに対する証明を、やったと主張しているわけです。
Nightさんの場合、
(1)作品設定との整合性
(2)作品中の参考になる直接的記載
を、どうも、判断材料にしているようですね。
(1)に対応する部分は、上記において、
「作中に、遺伝子工学で人造人間を作る技術があるとは、書かれていません。劣悪遺伝子排除法に関連する形で、社会の描写にも影響があるはずなのに、そのような傾向は見られません。また、もし、ラインハルトやヤンの才能の根源が遺伝子工学にあるとするなら、そのように重要なことが作中に一切書かれていないことは、かえって不自然です。」
のあたりでしょう。
(2)に対応する部分は、上記において、
「逆に通常の人間とする材料は山程あることが分かってきます。」
のあたりですね。
No.6188では、もっと詳細に書いてますね。
次いで、No.6197で、
作品中で、名前だけしか出てこないような「名だけの人物」について、
「この名だけの人物は、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」
ということに対する証明を、やったと主張しているわけです。
ここでは、
(1)に対応する部分しかありません。
では、これから、
(1)(2)がどのような判断基準であるのかを、
検討してみることにしましょう。
(1)については、
これは、明らかに作品設定との整合性を損なわない限り、作品設定を重視するべきではないでしょう。
というのも、Nightさんは、No.6182で、
「この議論では、できうる限り現実世界の科学の手法を議論に取り込むべきであると私は考えています。」
と文章を始め、
「(以下、『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』第2章P43より)
<そして、新しいアイディアが出れば、それがどんなに奇妙なものであっても心を開いて受け止める一方で、新しいアイディアであれ定評ある学説であれ、とことん疑ってみるよう強く迫るのである。こうした思考法は、めまぐるしく変化する時代の民主社会にとっても欠かせない道具になってくれるだろう。>」
と述べて、
「作品設定から素直に読取れない可能性をも検討する必要がある」と主張しています。
また、No.6197でも、
「ただし、これについては、『証拠の不在は、不在の証拠にあらず』というセーガンの言葉通り、そのような技術はないとも言いきれません。あると考えましょう。」
と述べており、同じく、
「作品設定から素直に読取れない可能性をも検討する必要がある」と主張しています。
このような見方をしたい理由は、
もちろん、
「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」
といったことを、
素直に認めないで済むためでしょう。
私がダブルスタンダード(二重基準)の可能性があると主張しているのは、
「イゼルローン要塞のワープ」に関することと、
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」といったような作品の他の内容とで、
Nightさんが、異なる判断基準を用いているのではないか、と
疑っているためです。
Nightさんが、どちらにも同様の基準を適用しているのであれば、
ダブルスタンダードではないでしょう。
で、(1)の検討に戻りますが、
Nightさんは、上のように、「作品設定から素直に読取れない可能性をも検討する必要がある」と主張している以上、
「作品設定との整合性」は、明らかに反する場合を除いては、すべて検討する必要がある、ということなのです。
例えば、作品中に明らかに記載のある「劣悪遺伝子排除法」が実は存在しなかった、とか主張するのであれば、「作品設定との整合性」に明らかに反するでしょうが、そうでないかぎり、どのような想像も可能なのです。
つまり、
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」ということに対する証明において、
「ラインハルトやヤンの才能の根源が遺伝子工学にあるとするなら、そのように重要なことが作中に一切書かれていないことは、かえって不自然」とか、そんなことは、なんの証明の材料にもならないのです。
別な解釈の可能性を制限するものでは、全然ありません。
Nightさんが自分で、「作品設定から素直に読取れない可能性をも検討する必要がある」と主張している以上、
(1)「作品設定との整合性」などは、論理的に明らかに反する場合(「劣悪遺伝子排除法」が実は存在しない等)を除いて、全然、違反しても問題ないのですよ。
(「質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである」という素直な解釈をせずに、「ワープできない質量帯が存在するかもしれない」と主張するのですから。)
次に、(2)の検討に入ります。
「(ヤンやラインハルトは)逆に通常の人間とする材料は山程あることが分かってきます。」
を、
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」ということに対する証明の有力な根拠としていますが、これは間違いでしょう。
ヤンやラインハルトの人間らしい素振りや天才的な思考力を示す作品中の記載は、あくまで、彼らが人間であること、を示す程度のものでしょう。
その人間が、自然の人間か、遺伝子工学的加工を受けた人間か、を特定する材料ではありえません。
私は、No.6185では、既に以下のように述べております。
「それから、上で、
「逆に通常の人間とする材料は山程あることが分かってきます。」
などと書いていますが、
ヤンやラインハルトの日常(および非常)生活の描写などから、「通常の人間」と確定する根拠が見つかるとでも思っているのですか?
例えば、オリンピック選手が筋肉増強剤の使用者か否かを、尿検査等の特定検査を行うことなく、一般の我々が判別することなど、まずできませんよ。違いがどこにあるかなど、分かるものですか!」
繰り返しますが、
作品中の記載に、ヤンやラインハルトが、「人間か非人間か」、を判定する材料はあるとしても、「人間であって、自然の人間か、遺伝子工学的加工を受けた人間か」を特定する材料は、ありません。
カラスの例でいえば、シルエットだけはカラスと分かるが、その羽根の色が黒か白かを特定する材料は何一つない、といったところですね。
したがって、
(1)作品設定との整合性
(2)作品中の参考になる直接的記載
のみを用いて、
「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」ということに対する証明は、できません。
「ラインハルトやヤンは、自然の人間とは言い切れず、遺伝子工学で作り出された人造人間かも知れない」
という結論にならざるを得ないでしょう。
再び、ダブルスタンダードの話に戻りますが、
(A)「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」という命題と、
(B)「異なる質量一般において、質量とエンジン出力の関係、ただそれだけである、が正しい」という命題とで、
Nightさんは、同じ判断基準を用いているのでしょうか?
同じ判断基準を用いているのであれば、
結論は、(A)(B)のどちらも「正しいとは言い切れない」という結論にならざるを得ないと思いますね。
ここで、(A)(B)のどちらも「正しいとは言い切れない」と分かっていながら、あえて、
(B)が証明してみろ!、などと上の判断基準を用いて、主張していたのであれば、これは、ダブルスタンダードですね。
銀英伝の記載内容だけは確からしいことはいえそうにないという結論を隠しながら、自分にとって都合の悪いifである(B)のみを、証明できないものである、と主張していたのですから。
もちろん、(A)は正しいと証明できるが、(B)は正しいと証明できない、
と、説得力のある論拠に基づいて説明できるのであれば、
ダブルスタンダードは発生しません。
しかし、
果たしてそれができますかな。
No.6185やNo.6188、No.6197でのNightさん主張の矛盾を、
上に示しているので、これを打ち破るだけのうまい論を探し出してみてください。
上の内容に対する回答を、私の方より強く要求します。
これで、Nightさんが、私が抱くダブルスタンダードの懸念を打ち破ることもできるのですから。
これ以上、上の質問から逃げないで頂きたい。
この質問こそが、ダブルスタンダードの懸念に対する核心部分なのですから。
No.6204では、下のように書いて、まったくまともな回答をしていないではありませんか。
> > 上で検討したような、Nightさんの主観がありありとあらわれるような判断基準((1)(2)(3)の解説文など)を用いて、「客観的かつ科学的」だといえるとでも思っているのですか?
> > まず、自分の説が、主観の拘束を離れた客観的な議論であることを、明確に説明するのが筋ではありませんか。
>
> これについては、上を御覧下さい。
> なお、客観的とは『普遍妥当性を持っている』ということですから、最終的には、このように二人だけで議論をしている状態では何も解決しないと思われます。おそらく、もっと大勢の議論の場の中で多数決を採るような方法でもない限り、それを実感したり、納得したりすることはお互いにできないと思います。
> ですから、今回の議論の結果については、これを現在読んでいらっしゃる方、もしくは、将来、過去ログの形で読むことになられる方(両方とも、もしいればですが)に判断をゆだねたいと思います。それ以上のことはできません。
「科学的」とか主張している人が、多数決が妥当、だと考えるのですか?
科学的な思考が一般的になったのは、精々近代以降の話ですよ。
中世の暗黒時代とか、多数決で決定したら、どうなると思うのです。
再度繰り返しますが、
Nightさんの説が「客観的かつ科学的」であることを、是非とも説明してください。
(A)「ラインハルトやヤンは、遺伝子工学で作り出された人造人間ではなく、自然の人間である」という証明を、上のような判断材料を元に、どういう論理に従えば、行なうことができるのか、説明してください。
ここで、ダブルスタンダードの懸念に対する決着がつけられるでしょう。
ちなみに、タイトルの「自縄自縛」とは、
「できうる限り現実世界の科学の手法を議論に取り込むべき」として、
「作品設定から素直に読取れない可能性をも検討する必要がある」と主張したことに、
そもそもNightさんの論を破綻させている、
ということを意味するものです。
これがディペートだとしても、Night側の立場には立ちたくありませんね。勝ち目がなさそうですから。
****
それから、私に是非に回答を要求したい点については、
別に列挙しておいてください。
また、後ほど回答していきましょう。
> 少なくとも、ムーアの法則(半導体の集積密度は18~24ヶ月で倍増する)に関しては、『ベースの達成目標が大きくなるにつれて格差の重みは軽くなる』という主張は成り立っていません。性能が1倍→2倍→4倍→8倍→16倍→32倍と推移していく時、各推移に必要な開発時間は等しい(つまり、ベースの達成目標がどのような値であっても、そこからさらに2倍にするのにかかる時間は同じ)ということをこの法則は言っているわけですから、『格差の重みは変化しない』ということになります。
No.6195を読み返していただきたいですが、
私の言っているベースの達成目標とは、
艦船級(100万トンクラス)のワープからガイエスブルグ要塞(40兆トン)のワープを達成する帝国軍と、
100万トンクラスからイゼルローン要塞のワープを達成する同盟軍との比較において、
ガイエスブルグ要塞(40兆トン)のワープの達成のことを言っているんですよ。
上であげてる「ムーアの法則」の例であれば、
A社:1倍→16倍と、
B社:1→32倍との比較で、
A社の達成目標のことを、ベースの達成目標である、といっているのです。
ここで、
1倍→2倍
2倍→4倍
4倍→8倍
8倍→16倍
16倍→32倍
上の5つの場合で、各推移に必要な開発時間は等しい、といっているのですよね。
この開発時間を、1単位の開発時間としましょう。
A社:1倍→16倍には、4単位の開発時間を要するとすれば、
B社:1→32倍には、5単位の開発時間ですね。
B社は、1.25(5/4)倍の時間が掛かるというわけです。
A社:1→2倍に、1単位の開発時間を要し、
B社:2→4倍に、2単位の開発時間を要するとすれば、
B社は、2(2/1)倍の時間が掛かるというわけです。
ベースとなる達成目標が大きくなれば、
格差の重みは、同じ2倍の推移の達成であっても、徐々に軽くなっていくのです。
おお、上のモデルは、
まさに、私が主張している一般論を説明するものです。
論拠の提示、ご支援、ありがとう!!!
> 結局の所、そういう詳細が良く分からないのです。モデルが何を受け取り、それをどう解釈して、いかなる結果を出すか、というロジックが。
別に関係ないでしょう。
例えば、上のムーアの法則の話では、
Nightさん自身が、開発時間を、「困難度」の相当物と見ていたわけですから。
この点については、Nightさんが開発時間を「困難度」の相当物と見ている感覚に、私も一致しています。
どうも、私が回答していないことは、
私の弱点のように勘違いしているようなので、
下の問いにも一応答えて起きましょう。
ちなみに、私が回答していない部分と言うのは、
他の部分のNightさんの回答が終了すれば自然解決する部分なので、
あえて今すぐ論じる必要を認めていないに過ぎません。
何もかも、答えているほど、
時間的余裕もないのですよ。
話の流れの全体像の把握を、Nightさんにお願いしたいところです。
> 以前に述べましたが、およそ全てを疑ってかかることが科学のスタンスです。『疑義が生じるから、他の可能性については考えないようにしよう』というのは、そのスタンスに真っ向から反することになります。
> 我々が知らないだけで、ワープエンジンには何らかの指向性があるのかもしれない。動作できない質量があるのかもしれない。本編の記述から得られる判断材料だけでは、結局、それらの詳細については良く分からないのです。ですから、『ワープエンジンに指向性は無い』『いかなる質量でも動作できる』という説には、『未検証、確実でない』というラベルをきちんと貼っておかなければならないのです。
上のは、ワープエンジンなるものをどう解釈するか、と言う話でした。
私は、普通、作品を読む際は、誰であっても、我々が知っている常識の範囲で先入観を設定して、それを作品の直接的記載に基づいて修正していく、という作業を行っているはずだ、と述べているに過ぎないのです。
ワープエンジンなるものも、我々が知っている「ジェットエンジン」などの同等物だと、とりあえず、考えるに違いない、と言っているのです。
おそらく、小さな艦艇に積んでいるエンジンと、戦艦等の大型艦に積んでいるエンジンとでは、戦艦等のエンジンの方が大型で出力も大きい、くらいのことは自然、当然だと思って、作品を読み進んでいるでしょう。それは、ニュートン力学的解釈をしていることになるでしょう。
「およそ全てを疑ってかかることが科学のスタンス」である、結構でしょう。
であるならば、
そのスタンスにしたがって、ワープエンジンなるものを解釈してみたらよいのです。
> ワープに関する命題の真偽については、これまで説明してきた真偽判定を行うしかありません。もう一々繰り返しませんが、同盟艦船がフェザーンに行けることを真とする判断材料は多く、偽とする判断材料はほとんど無い。そのような検討を経た結果、『同盟艦船がフェザーンに行ける』という命題はほぼ確実に真と言えるのであって、『疑義が生じるから、他の可能性については考えない』というような理由で、考えるのをやめるべきではありません。
だから、
No.6196で私が提示した内容
「この解釈に従うからこそ、我々が知っているエンジンに指向性(特別な方位だけにしか作用しないとか)などないから、例えば私が例示している同盟軍艦船によるフェザーンへの航行可能性なども、問題なく、可能である、と言う結論になります。
逆に、このような解釈をしなければ、ワープエンジンには実は指向性があるのではないか、とか、特定の質量では作動しないのではないか、とかいろいろな疑義を生じることになるでしょう。このような問題を組み合わせれば、帝国軍の艦船がフェザーンを通過したからと言って、同盟軍の艦船がフェザーンを同様に通過できるとは、いい得ない、という問題も発生するのです。」
に、
答えてみてください。
上の記載にも書いていますが、
Nightさんの方で、
「帝国軍の艦船がフェザーンを通過した」からと言って、
「同盟軍の艦船がフェザーンを同様に通過できる」
とする根拠は一体なんですか?
帝国軍の艦船のエンジンと、同盟軍の艦船のエンジンとについて、
なにか関係を示すような記載がありましたか?
「およそ全てを疑ってかかることが科学のスタンス」だというわけですからね。
例えば、
帝国軍の艦艇が、すべての方位に向けてワープできるのかどうかすら、
はっきり言って、わからないのではありませんかね。
作品中に記載されている、ワープの実行された方位については、可能だといいえても、
ひょっとしたら、作品中に記載のない方位へのワープは不可能かもしれませんよ。
特定の質量帯でワープができないかもしれないことも、疑わざるを得ないのですから。
「およそ全てを疑ってかかることが科学のスタンス」を採用するとなると、
この種の疑問にすべて尽く、回答する必要があるわけですよ。
そんなことが果たしてできますかね。
いくらでも、意地悪な質問を考えてみますよ。私は。
はっきり言ってね、
「およそ全てを疑ってかかることが科学のスタンス」を実のところ、
Nightさんは、採用していないように見えますね。