ベストの中でちょっとだけ触れられてましたが、私もつい最近「坂の上の雲」を読みました。
そこには、銀英伝に書いてある戦略・戦術に関する考え方が全てと言っていいほど網羅されてました。
銀英伝の「超一流の人物が治める専制国家」vs「腐敗した民主国家」というのは、「自分のことを一流と思っている三流の人物が治める専制国家(ロシア)」vs「議会制民主主義を誕生させたばかりの国家(日本)」の丸反対でもあるし。
銀英伝が彼の他の小説に比べ圧倒的に面白く支持が高いのは「坂の上の雲(司馬遼太郎氏)のパクリを上手くやった作品だから」としか私には思えません。
銀英伝の中で語られている戦略・戦術に関する部分は軍事の基礎というより司馬遼太郎氏のオリジナルであり、田中氏がそれをパクっただけなのではないでしょうか?(軍事に詳しくないので良く分かりませんが・・・)
どうも田中氏は司馬遼太郎氏が嫌いなようですが、そうは言いつつも司馬氏の作品は結構読んで影響を受けていると見ました。
こんにちは、KURと申します。
> ベストの中でちょっとだけ触れられてましたが、私もつい最近「坂の上の雲」を読みました。
>
> そこには、銀英伝に書いてある戦略・戦術に関する考え方が全てと言っていいほど網羅されてました。
> 銀英伝の「超一流の人物が治める専制国家」vs「腐敗した民主国家」というのは、「自分のことを一流と思っている三流の人物が治める専制国家(ロシア)」vs「議会制民主主義を誕生させたばかりの国家(日本)」の丸反対でもあるし。
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> 銀英伝が彼の他の小説に比べ圧倒的に面白く支持が高いのは「坂の上の雲(司馬遼太郎氏)のパクリを上手くやった作品だから」としか私には思えません。
> 銀英伝の中で語られている戦略・戦術に関する部分は軍事の基礎というより司馬遼太郎氏のオリジナルであり、田中氏がそれをパクっただけなのではないでしょうか?(軍事に詳しくないので良く分かりませんが・・・)
田中氏は司馬遼太郎作品を読んでいることは間違いないでしょうが、「坂の上の雲」をパクったというのはちょっと考えすぎではないかと。
作品全体の雰囲気がかなり違いますし、少なくとも、意識的に真似したとは思えません。
よく言われているように、「三国志」にスパイスを加えたと言う解釈でよいのではないかと思います。
あと、戦略、戦術に関して司馬遼太郎オリジナルというのは考えにくい気がします。彼、基本的に歴史小説家ですし………
「銀英伝」の戦略、戦術は司馬遼太郎というより、中国や日本や西洋の兵法書からの引用ではないかと思いますね。
あと、私個人の考えとしては田中氏は日本を舞台にした現代物が突出して苦手なだけで、
銀英伝だけが特別良いというわけではないと思います。
「マヴァール年代記」「タイタニア」「七都市物語」 「アルスラーン戦記」
など、いずれも読者をぐいぐい引き込む力を持っていると思いますよ。
まあ、未完の作品が多いのは問題ですが。このあたり、司馬遼太郎の爪の垢でも飲ませたい気分ですな。
それにしても、このあたりの年齢層を対象にした小説家は、売れてくるとてきめんに筆が鈍るのが面白いですね。
やっぱり、本来は「本格文学」を志向していて、お金のために若者向けの作品を書いている人が多いのでしょうか。
> どうも田中氏は司馬遼太郎氏が嫌いなようですが、そうは言いつつも司馬氏の作品は結構読んで影響を受けていると見ました。
田中氏が司馬遼太郎を嫌いと言うのは初めて聞きました。
まあ、司馬氏は日本のかっこいいところをクローズアップする小説が多いので、田中氏の気に食わないのかもしれませんね。
司馬遼太郎の「関ヶ原」を読み返していてちょっと思い出したので、かなり古い話ですが田中氏の「関ヶ原評」について。
田中氏は「中国武将列伝」のあとがきだったかで、「関ヶ原」について触れています。
そこで田中氏は「『関ヶ原』の中で描かれる石田三成、直江兼続、島左近の姿は虚像だ。三成は今で言えば『風紀委員』みたいな嫌な奴で、他の二人も結局戦局に何の影響も与えなかった。つまり全然たいしたことない奴だが、小説というのは虚像を作るのが目的だからそれはそれでいいんだ」(現物が手元にないので語句は不正確かもしれません。)という意味のことを書いていました。
歴史上の人物の評価というのは一面的にはいかないもので、田中氏が彼らを低く評価するのはもちろん自由です。
また小説が虚像を作るものだ、というのもその通りでしょう。
ただこれを読んだ時、わたしは強い不快感を感じました。
というのも、田中氏の書きぶりがまるで、「三成や兼続がたいした人物でもなく魅力的でもない、というのは歴史的に定まった事実だ。司馬氏ももちろんそれを知っているが、小説を面白くする為に『敢えて』彼らを魅力的に書いたのだ」と言っているふうにしか読めないからです。
しかし果たしてそうでしょうか?
司馬遼太郎は松本清張との「関ヶ原の戦い」をテーマにした対談で「政治的なところがない石田三成が好きだ」とはっきり断言しています。
そもそも司馬遼太郎の小説を読んだことのある人なら、彼の小説が彼自身の歴史観と非常に密接な関係を持ち、どこまでがフィクションでどこまでがノンフィクションか分からなくなるような一種独特の緊張感が大きな魅力となっていることはすぐ分かるはずです。(それは欠点にもなりうるのでしょうが。)
田中氏自身も、「秦檜を忠臣として描くことが出来るか検討してみたが
駄目だった」ということを尊敬する陳舜臣先生に言っていたはず。つまり小説とはいえ自分の歴史観と全く無縁にキャラクターを構築するというのは不可能だ、ということを自ら認めているわけで、であるならば「関ヶ原」の三成、兼続、左近のキャラクター造詣にも司馬の歴史観が色濃く投影されている、というのは気づいていたはずです。
ではなぜ、正面きって司馬の歴史観を批判するのではなく、まわりくどい方法でそれを否定するような文章を書くのか?
わたしは間違いなく、彼が大作家司馬遼太郎を批判するだけの度胸がないからだ、と思っています。
それはまあ、分からないでもありません。なんてったって相手は「国民作家」ですから。
でもそれならば、最初から「関ヶ原」のことになんか触れなければいいのです。
正面から責任をとる覚悟もないくせに、いちゃもんだけはつけたがる。
「創竜伝」でいやというほど思い知らされた田中氏の腰抜け&卑怯者ぶりはこんなところでも十分に発揮されているなあ、とつくづく思ったものでした。
私も石田三成は嫌いです。
あの人は近視眼的で戦略眼がなくて徳川家康の敵ではないと思います。
まあこれは私が徳川家康が好きだからそれゆえのひいきも入ってますけど。
ですから田中芳樹の言ってることもわかるし共感します。
でもこれは読み方の違いだと思いますよ。
原文とその前後の文章を見ないとはっきりしたことはいえませんが。
私はこれは司馬遼太郎を褒めてる文章だと思います。
実際の石田三成はくだらない人物だけど「関ヶ原」の石田三成は魅力的だ。
小説というのは虚像を書くものだから魅力的な石田三成を書いた司馬遼太郎の「関ヶ原」はいいものだと言ってると解釈することもできます。
私はそう解釈しました。
というよりも書かれてる文章からではそう解釈するのが妥当だと思うのですが。
ついでに司馬遼太郎の話が出てきたので前から思っていたことを言わせてもらいます。
司馬遼太郎と田中芳樹って実は似てますよね。
たくさんの作品を書いているけどどれも初期の大ヒット作品を超えられていないところとか。
司馬遼太郎なら「竜馬が行く」、田中芳樹なら「銀河英雄伝説」のことです。
自分の作品内に自分の思想を盛り込むところとか。
司馬遼太郎の司馬史観のことです。
田中芳樹の場合はここの閲覧者なら言うまでもないですよね。
実際に司馬遼太郎の後期の作品は司馬史観を盛り込んだものが多いです。
こういうところはこの二人は似てると思います。
こんにちは、倉本さん。
さて、わたしはここで、田中氏や司馬氏の歴史観自体を問題にしているのではありません。
巧妙に議論の次元を変えることで責任を回避している田中氏の姿勢を問題としているのです。
石田三成に関して言えば、たとえば豊臣秀次切腹とその後の虐殺に加担した、ということが「たいしたことない」という評価を与える一因となっています。
しかしこれだって秀吉への絶対的忠誠の現れととる事だって出来るし、また事件後、路頭に迷った浪人を各家に世話し、自らの家にはもっとも多くを引き取るなど、評価できる部分もあります。
また秀吉が創始し、その後の江戸時代を通じて続いた大坂を中心とする流通経済の実質的設計者は石田三成であったとして彼を高く評価することも決して的外れだとは思いません。
つまり三成が「風紀委員みたいな嫌な奴で、全然たいしたことない」というのは田中氏個人の評価であり、別に歴史的な定説というわけではない。
例えば諸葛孔明が赤壁の戦いにおいて果たした役割の正史と演義における違い、といったような、実像と虚像がはっきりしている場合とは違うのです。
それをあたかも自らの評価が完全無欠の事実で、「関ヶ原」が事実に反しているかのように書き、しかもそれに対する反論を巧妙に回避している。それは卑怯だ、と言っているのです。
そもそも小説に描かれるキャラクター像が全て虚像で、一切が自由であるとするならば、田中氏が三国志演義の「曹操悪玉論」に文句をつけたり、某女流作家が武則天を全肯定したことに対して反論したりするのも全部無効ではありませんか。
わたしは歴史小説のキャラクター造詣には多かれ少なかれ作者の歴史観というものが投影されているものであり、それについて議論をすることは決して無駄ではない、と思っています。
しかし田中氏は一方で個人的な歴史観を確定済みの事実であるかのようにミスリードし、正面から「歴史観論議」をすることからは逃げています。だからわたしは批判したのです。
それに。
司馬遼太郎は晩年になっても「韃靼疾風録」や「草原の記」のような優れた小説やエッセイを多く残しました。
まだまだ現役バリバリのはずなのにどうしようもない愚作しか作れなくなっている田中氏と比較するのは司馬遼太郎に対して失礼だと思います。
前半部ですが私はそうは思いません。
石田三成が人望がなかったことは関ヶ原の戦い前に大谷吉継が言っていることですし。
島左近も直江兼続も戦局には何の影響も与えていないというのも歴史的事実です。
ですから田中芳樹が言ってることが間違ってるとは思いません。
しかしそれとは別に司馬遼太郎が「関ヶ原」でこの三人を魅力的に書いているのは小説として間違ったことではない。
むしろ大いに推奨されるべきことであると田中芳樹は言いたいのでしょう。
そしてそれは正しいと私は思います。
後半部についてですが司馬遼太郎の後期の作品にも優れたものがあるのは私も認めます。
でもそれらは世間的に「竜馬が行く」を超える評価を得られましたか。
得られていないでしょう。
ですから「竜馬が行く」を超えられていないと言ってるんです。
あなたがそれらの作品を評価することと世間の評価は違います。
世間の評価するところの司馬遼太郎の代表作は「竜馬が行く」なのです。
そして田中芳樹の代表作は「銀河英雄伝説」なのです。
この二作品はどちらも作家の初期の作品です。
それでありながら二人ともこの作品を超える評価を得る作品を書けていません。
それにプラスして作品内に自分の思想が入ってるところもこの二人は似ています。
ですから私はこの二人は似ているというのです。
ただこれはあくまでも私の私観ですからあなたがそうは思わないと言うのならそれはそれで結構です。
そういう考えの人もいるんだなくらいに心の片隅にでも止めといてください。
うーん、どうも分かってもらえないみたいですね。
わたしは「石田三成は優れた人物だ!!それをたいしたことないなんていう田中芳樹は許せん!!」と言っているのではないのです。
三成の評価にはまだまだ議論の余地があり、田中氏の「嫌な奴でたいしたことない」というのは決定的な事実ではないのにそうであるように思わせている、というところを批判しているのです。
それに、三成に人望がないのも、島左近の奮戦にもかかわらず関ヶ原が西軍の敗北に終ったこともきちんと司馬遼太郎が「関ヶ原」の中で書いています。敗者を魅力的に描いたら全部「虚像」なんですか?
田中氏が「虚像」だと言っているのは歴史的事実で簡単に判断できるようなものではなく、作者の歴史観まで踏む込む重要な問題です。
だから偉そうに高みにたって判定役のようなことを言うのではなく、異論があるならきちんと批判しろ、と言っているのです。
作家司馬遼太郎と田中芳樹についての比較ですが相変わらず無理があるとしかいいようがありません。
司馬に関していえば、「竜馬がゆく」以外にも「坂の上の雲」「燃えよ剣」「関ヶ原」など代表作と言えるものがたくさんあります。
事実、文藝春秋のアンケートでも司馬の作品として1位になったのは「竜馬がゆく」ではなく「坂の上の雲」でした。
司馬を「竜馬がゆく」だけの一発屋作家とする人はわたしは寡聞にして知りません。
しかるに田中氏はどうでしょうか。
田中芳樹を「銀英伝」だけの一発屋と言ってしまうのは少々酷かもしれませんが、作品の完成度からして「銀英伝」とその他の作品において天地の差がある、というのはこのサイトでも既に結論が出ていると言っていいでしょう。
わたしの主観ではなく、世間的な評価においてもこの両者には格段の違いがあり、「似ている」というのはあなたの誤解です。
思想云々にしても既存の思想(戦後民主主義の絶対肯定)から演繹される記述しかできない田中氏とイデオロギーというものに終生懐疑的だった司馬を同列に語るべきではない、と思います。
私は石田三成がたいしたことがない奴だと言うのは歴史的事実だと思います。
そこが私とあなたの違いなのでしょう。
味方をしてくれた友人からも人望がないと言われるような人間がたいした奴だとは思えません。
これが敵からも智勇兼備の勇士とはこういう人間だと言われた楠木正成とかならたいした奴だと言えるのですが。
石田三成はそういう人間ではないと思います。
ですから私は田中芳樹の言ってることに共感を覚えあなたは反感を抱くということでしょう。
同じ文章を読んでも感じることは人それぞれということでしょう。
ですからこの話題はもうやめましょう。
これ以上続けても水掛け論だと思います。
ちなみに田中芳樹と司馬遼太郎の比較についてですが。
私はもう個人的な考えだと断りました。
こういったら私は考えを変えることはありません。
あなたが何と言おうと私にとってこの二人は似ているのです。
つまりおっしゃりたいことは
「石田三成は誰がなんと言おうとも大したことがなく、司馬遼太郎と田中芳樹は誰がなんと言おうとも似てるのだ。いちいち反論するな!!」
ということですね?
それでしたらお心を傷つけてしまい、どうも申し訳ありませんでした。
ただ今後そういったことは公開のBBSではなく、ご自分の日記にでもしたためられるのがよいかと思います。
かみ合ってないですね。
まず。誰がどうした、とか何が起こった、と言うのは誰から見ても同じな「客観的な事実」ですね?
それを元にあいつはたいしたやつだ、いや違う、と言うのは人それぞれ異なる事がありうる解釈であり、主観です。
國臣さんは、田中芳樹氏が彼の主観である事を、いかにも客観的な事実のように言うのはいかがなものかと言ってるわけで。
また、自分で三成弁護派だと名言している司馬氏が、三成を評価してないように取れる言い方はいけないんじゃないかと。
ちなみに、江戸初期までの三成の評価はけして低いものではありませんでした。敵であった徳川氏の中にさえ、「三成を見習え」と言う人がいたほどで。
世に流布されるイメージと、専門の学者の見解が違うのはままある事ですが、明治維新以後の歴史研究では、むしろ三成の評価は右肩上がりと言っていいかと。それ以前の江戸期に落とされすぎたと言うのはもちろんありますが。
> ちなみに田中芳樹と司馬遼太郎の比較についてですが。
> 私はもう個人的な考えだと断りました。
> こういったら私は考えを変えることはありません。
> あなたが何と言おうと私にとってこの二人は似ているのです。
「これは誰にも影響されない確固たる信念である。君たち、私の信念を聞きたまえ」ということでしたら、どうか最初の発言の際にそう書いていただけないでしょうか。
> 味方をしてくれた友人からも人望がないと言われるような人間がたいした奴だとは思えません。
オーベルシュタインのことをどう思いますか?
彼には友人といえる人間はいませんし、「人望がない」などということは今更言うまでもないので誰も面と向かった言ったりはしなかったと思います。