どうも、うまく話が沈静化しないようです。
> Nightさん
> >まず、申し訳ありません。下手な自己フォローでかえって皆様を困惑させてしまったようです。
> その点はお気になさらず。
> ただRAMさんの投稿は正しくNightさんを代弁していたのか、勝手に
> Nightさんがわかっていないという決め付けだったのかは表明された方が
> よろしかったでしょうね。
> >他の関連スレッドも一応読んではいたのですが、あまり私の投稿に関連することが書かれているとは思えなかったので読み飛ばしてしまっていたというのが真実です。以下で、その理由を含めていくつか説明を加えたいと思います。
> >(長くなるので、S.Kさんがまとめて下さった投稿の流れの引用は省略させていただきます。ご了承ください)
>
> 「思えない」で言われても困る、とはRAMさんにもお話しましたが。
> それでいいなら百万言つくしても「思わない」、事実を突き付けても「錯覚だ」で済ませる事とて可能なのですから。
RAMさんの投稿は読みました。『回答がどれか分からない(回答があったとは全く気がつかなかった)』が正しいです。
前回も書いたのですが、私が肯定派の皆さんから反応をもらってないと思ったのは、直レスがなかったのと、他のスレッドにも私の投稿への回答らしき投稿を(私は)見つけられなかったからです。ここに認識のすれ違いがあったのだと思います。
感情的なことでもめるのは全く、私の本意ではないです。このことでS.Kさんが御不快な思いをしたなら、不用意な事を言ったことをお詫びしたいと思います。
ですが、弁明させていただければ、私も千里眼を持っているわけではないのですから、直レスでないところで特に名前を出されたわけでもないのに、「これはあなたの疑問にも回答したつもりだったのだ」と後から言われても、困ってしまうわけです。まして、その「回答」の内容が私の投稿に回答しているように思えないならなおさらです。
> >(1) イオン・ファゼカスは大質量ワープの実例ではない
繰り返しになるのですが、私がここで主張したかったのは
『時系列の関係上、イオン・ファゼカスがワープしたとすると、非常に強引な作品解釈を持ち込まないといけなくなるので、それはよほどのことがない限り避けるべきだ』
ということでした。
はるか昔のイオン・ファゼカスが大質量ワープできたとすると、じゃあ、銀英伝3巻でシャフトがガイエスブルクのワープを新技術であるかのように自慢しているのは何故だとか、どうして同盟の面々は要塞がワープしてきた事にびっくりしてるんだ、ということになってしまうからです。
これを受け入れるには、文明が「健忘症」になって大質量ワープ技術のことを忘れてしまったとするしかありません。しかも、この健忘は「昔はできたことが、今はできなくなってしまいました」という軽度の健忘ではありません。「昔はできていたということそのものを忘れてしまいました」という重度の健忘です。また、大質量ワープのような「単純な」技術についてはなお苦しくなります。単純な技術は失われにくいからです。結局、この健忘(文明の衰退)という解釈は非常に受け入れ難いものになってしまいます。そのような文明の衰退があったという説明は本文中に全くないのですし。
ですから、作品を理路整然と解釈するためには、よほどのことがない限り、イオン・ファゼカスがワープしたと考えるべきではないのです。そのよほどのこととは、例えば「イオン・ファゼカスはワープした」というような直接的記述や、あるいは「イオン・ファゼカスは1年間で1光年以上を移動した」というようなワープ以外の解釈がありえないような強力な間接的記述の存在です。そのような証拠があるなら、いかに強引な作品解釈(文明の衰退)であっても、受け入れないわけにはいかないからです。
今のところ、そのような記述は見つかっていません。ですから、とりあえずイオン・ファゼカスはワープしなかったとみなすべきではないか……私が主張したかった事はそういうことでした。
ですから、私の上の主張への回答は、『いや、ここにイオン・ファゼカスがワープした証拠となる記述がある』というものや、『いや、お前の言っている論理そのものが間違っているのだ』というものだと思うのです。
> > 「イオン・ファゼカス号はワープできなかった可能性がある」とか「ワープできても航続距離が極めて短かったかも知れない」ということを前提にしてそういうことを言うのなら、それは単に「勇気と無謀を取り違えいる」という類でしょう。「賭け」ではなく「自滅願望」としか言いようがありませんね
> (No.3628 不沈戦艦さんレス抜粋)
>
> > <「新しい技術と言うわけでもない。スケールを大きくしただけのことだろう。それも、どちらかというと、あいた口がふさがらないという類だ」言わずもがなの異論を、シェーンコップが唱える>
> >
> > シェーンコップでなくても、現代の我々でも、当然の予測ですね。
> > 「艦船の移動」の証明が終わった時点で、「移動要塞」に関しても大半の証明が終わっているのです。
> > そして、(質量を問わぬ)「物体の移動」に関する理論に、ガイエスブルグ要塞のような大質量を代入してみると、この場合も成立した。つまり、「物体の移動」に関する理論は、大質量の場合でも成立した、ということです。
> >
> > だから、
> > 「艦船(質量数万トン以下の構造物)」であったにせよ、「物体の移動」に関する理論が構築された段階で、大質量に関しても「原理的に可能」の域に、必然的に達してしまうのですよ。
> > そこに、大質量の実例としての、ガイエスブルグ要塞が、ほとんど問題もなく実現された記載が存在しています。
> > 他にも、「艦船(質量数万トン以下の構造物)」よりも大質量の例としては、例の氷塊もあれば、イオンファゼカス号もありますよね。
> (No.3669 パンツァーさんレス抜粋)
>
> > また、イオンファゼカス号に関しても、Kenさんの「仮定」を用いても、少なくとも半光年くらいは移動したのだから、大質量体の移動が、「実際的に可能」とされた例となりますね。
> (No.3685 パンツァーさんレス抜粋)
S.Kさんにまとめていただいた以上の流れには、確かにイオン・ファゼカスというキーワードは入っているのですが、私が上に書いたような時系列に関する話や、イオン・ファゼカスがワープしたという本文中の証拠について議論しているようには見えません。なので、今もこれが私の投稿に対する回答とは思えないのです。というか、上の投稿の流れがあくまで回答であると仰るなら、どのあたりがどのように私の元の投稿に関係しているのか教えてください。(あまり挑発的なことは書きたくないのですが、嘘偽りではなく本当に私には分からないから教えて欲しいんです。誤解があるなら解いておきたいんです)
> 私の抄訳だけご覧になられても目次で本を語るようなものです。
> 「ラグナロック作戦」で双璧が食料の心配はしても燃料の心配はしていない描写がある旨不沈戦艦さんがレスしておられますが見ました?
それは、当時見た記憶があります。調べましたが、No.3518の投稿だと思います。
しかし……これはいわゆる「燃費」に関する議論です。つまり、戦艦は「無限大に限りなく近い長大な航続距離を誇るため、燃費は全く問題にならない」という仮説で、その例として原子力空母が引き合いに出されています。戦艦は一回燃料を入れれば銀河の端から端までいけるから、燃料については気にしないんだろうという議論です。
このことに関しては、私は否定していないんです(正確に言えば、否定できるだけの根拠がない)。そのことは元の投稿にも書いてあります。
無限自給自足艦隊というのは、さらにスケールが大きい話なんです。食料その他も宇宙船レベルの魔法の無限自給自足システムで全部賄えるから、そもそも補給なんて不要なんだという主張です。不沈戦艦さんの投稿がこれについて議論しているものとは、やはり思えなかったし、今も思えません。
> これもシャフト技術総監の「大質量ワープ」というひとくくりで「技術的問題はない」と作中述べている旨紹介されておりますが。
> 少し「思わず」「考えて」から御意見を伺いたく思います。
このシャフトの発言については知っています。3巻P45です。引用してみましょう。
> --イゼルローンに対抗しうる要塞を帝国内に求めるなら、それは昨年の内戦に貴族連合軍の本拠地となった「禿鷲の城」要塞である。放棄されたままのそれを修復し、跳躍と通常航行用のエンジンをとりつけ、一万光年を航行してイゼルローンに要塞どうしの決戦を強いるのだ。現在のワープ・エンジンの出力では、巨大な要塞を航行させることはできないので、一ダースのエンジンを輪状にとりつけ、それを同時作動させることになる。技術上の問題はなく、あとは指揮官の統率力と作戦実施能力の如何による……。
これは軍事上のミッションに関する事前説明という文脈であり、説明を追っていく限り、上でシャフトが保障しているのは、ガイエスブルクをイゼルローンの位置まで持っていく事に技術上の問題はない、ということのように思えます(つまり、発言中にある「巨大な要塞」とは要塞一般という意味ではなく、ガイエスブルクのことを指すと言うことです)。
このただ一言の発言だけを以って、「いかなる要塞も移動要塞化できることのお墨付きである」とするのは違うのではないかというのが私の意見です。(解釈の問題になってしまうかもしれませんが)
> いや、別に併行しても問題ない類の準備でしょう。
> 艦隊の主準備はあの時点で再編成と訓練なのですしエンジン工事については
> 早い話腕さえあればエルファシルの民間企業に作業面は発注したっていいような話ですから。
> そもそもラインハルトが自ら寛大な処置を条件に降伏を呼びかけヤンがエルファシル独立撤回と引き換えに自身の公正な裁判と他の者の罪状不問を要求して投降していれば最善誰も死ななかったし何の物理的準備も不要だったのですが(まあ社会的な根回しは必要だったでしょうが)。
いや……ですから、そういうことに使う余分のお金なり人手なりがあったら、艦隊整備や兵員訓練にさらに力を入れたり、補給物資を多く用意しておいたりした方がいいんじゃないかということなんですが。あと、テストもなしにワープをすることはできないと思いますが、テストをするためにはイゼルローン内の住人を一度どこかに避難させないといけません。その避難のための準備が必要になることを考えると、やはり、並行で進めるのは無理がある作業だと思います。
また、ヤンが投降してしまうと、民主主義が生き延びる可能性がなくなってしまいます。
> 古典SFファンさん
> ローレンツ変換式による解を示します。
>
> [1-(v/c)2]-1/2Tに従い:
> 光速の90%だと、τ=0.19、ウラシマ効果は31%です。
> 光速の80%だと、τ=0.36、ウラシマ効果は14%です。
> 光速の70%だと、τ=0.51、ウラシマ効果は1%です。
数学的正当性を認めます。
その上で「光速航行を行ってワープ可能な帝国艦隊に何回も空域哨戒をかけられるメリットは何も無い」事を思い起こしていただきたく思います。
「光速航行エンジンしかないから光速で逃げるしかない」のはその通りなんでしょうが「逃亡犯が物語の整合性のために全速で逃げない」って理由になります?
しかも資源惑星に心当りがあって直行したなら80~85%加速もそれなりに理由がつくでしょうが、どう考えてもあれは「帝国の追及を逃れる為未知の星域にのりだした」のではないですか?
「一刻も早く追跡から逃れ資源惑星を発見する」には可能な限りの速度を出すべきでしょう。
Nightさん
> どうも、うまく話が沈静化しないようです。
だからといって疑問を撤回して抱え込むのも不本意でしょう?
それを解決する努力まで否定はしません。
> RAMさんの投稿は読みました。『回答がどれか分からない(回答があったとは全く気がつかなかった)』が正しいです。
> 前回も書いたのですが、私が肯定派の皆さんから反応をもらってないと思ったのは、直レスがなかったのと、他のスレッドにも私の投稿への回答らしき投稿を(私は)見つけられなかったからです。ここに認識のすれ違いがあったのだと思います。
> 感情的なことでもめるのは全く、私の本意ではないです。このことでS.Kさんが御不快な思いをしたなら、不用意な事を言ったことをお詫びしたいと思います。
> ですが、弁明させていただければ、私も千里眼を持っているわけではないのですから、直レスでないところで特に名前を出されたわけでもないのに、「これはあなたの疑問にも回答したつもりだったのだ」と後から言われても、困ってしまうわけです。まして、その「回答」の内容が私の投稿に回答しているように思えないならなおさらです。
弁論大会の壇上の演説者は「貴方に」語り掛けているわけではありませんがその内容は「貴方にも」伝わるはずです。
伝わらない理由は二つあって「弁士の力量」が先に疑問視された様なので片手落ちにならないよう「聴者の姿勢」を問うたわけです
> いや……ですから、そういうことに使う余分のお金なり人手なりがあったら、艦隊整備や兵員訓練にさらに力を入れたり、補給物資を多く用意しておいたりした方がいいんじゃないかということなんですが。あと、テストもなしにワープをすることはできないと思いますが、テストをするためにはイゼルローン内の住人を一度どこかに避難させないといけません。その避難のための準備が必要になることを考えると、やはり、並行で進めるのは無理がある作業だと思います。
「余分」ってどう頑張っても戦艦にキャタピラは使えないのですからいちいち材料に戻すより有効活用を考えたらいいじゃないかってレベルの話ですが。
> また、ヤンが投降してしまうと、民主主義が生き延びる可能性がなくなってしまいます。
ヤンのおかげで拾った命で各々が潜伏して思想を守って時を待てばそれでいいのです。
ヤンなしに成立しないのは「ヤン崇拝」というある意味帝政より民主主義から遠い代物だけです。
<「類稀なる僥倖」に関しては前回も説明したので、もう言える事は余り残っていません。重要なのはヤンの善戦の結果、ラインハルトが置かれた状況である。きっかけなど無数にあり、病気も夢もその一つに過ぎなかったということを繰り返すだけです。(その夢にしたところで、たまたま偶然見たのではないのだろうということをヒルダが分析しているのですが)
言うなれば、これは宝くじを買うようなものです。宝くじのどの一枚が当たるかを予測することは、それこそ「類稀なる僥倖」「ご都合主義」でもなければ不可能なことです。ですが、ある程度の量をまとめ買いすれば、この中のどれか一枚くらいは当たるだろうということは予測できます。この時、重要なのは当たるという結果だけであり、どの一枚が当たるかなど、買った人間には分からないし、また、知った事でもありません。私が言いたいのはそういうあたりまえのことに過ぎません。>
宝くじで一等を当てるレベルの「お手軽感覚」で、自分達の命運を左右することになるであろう「戦略構想」を練られては、ヤン麾下の将兵や部下達、およびヤンの軍事活動に命運を託す国および国民にとってはたまったものではありませんね。そもそも、宝くじのようなほとんど「僥倖」に全てを託すしかない「戦略や戦術を十全に整えることなく、運だの天佑だのに全てを委ねる愚行」を否定するところから、先に引用した「戦略には、勘なんかの働く余地はない」云々から始まるヤン・ウェンリー語録が語られていたのではなかったのですか?
こんな言い分が通用するというのであれば、たとえば銀英伝1巻でフォークが提言した同盟の帝国領侵攻作戦などについても「勝算があった」と認めなければならなくなるではありませんか。帝国領侵攻作戦でも、その立案時点では、たとえば「ラインハルトが突然心臓発作で急死する」だの「ラインハルト以外の人間が迎撃の指揮に当たり、同盟軍に敗北する」だのといった「類稀なる僥倖」に恵まれなかったとは限らなかったのですから。宝くじレベルの「全てを運に任せた当たり外れ」を期待することを「事前予測として勝算があった」とみなしてもかまわないとするのであれば、当然フォークが立案したような杜撰な作戦でも「勝算があった」と考えても良いはずでしょう。あなたの主張を突き詰めてみれば、最終的にはこんな愚劣な結論にまで行き着かざるをえないのですけど。
「ヒルダの分析」云々も、論としては非常にバカバカしい限りですね。それは単にラインハルトの「夢の中でキルヒアイスが諌めに来たのだ」などという、下手をすると正気を疑われても文句の言えないラインハルトの脳内で行われた思考過程から推測した心理分析を行った「結果として出てきた仮説のひとつ」でしかなく、「その思考過程【自体】が『類稀なる僥倖』ではなかった」ということの証明には全くなりえないのですから。第一、和平の提案を行った時点におけるラインハルト軍は、むしろ物量作戦の実行によってヤン側を一方的に追い詰めてすらおり、和平を提案しなければならない必然性自体が戦術的にも戦略的にも全く存在しなかったのですがね。
こんなヤンとラインハルトの身勝手な戦略構想などに振り回される部下や将兵達はいい面の皮でしかありませんよ。彼らは自分達の部下の生命を何だと思っているのでしょうか。
<次に、『多大な犠牲が出ることを承知の上の相手とは和平が成立しない』ですが、ラインハルトは多大な犠牲を出す事は想定していなかったでしょう。そこまでの意義がこの戦いにはありませんし、イゼルローンにヤンがあろうとも、帝国軍にもラインハルトがあり、何より、彼我の戦力差はとても大きなものでした。>
<ラインハルトには「本来、この親征はこうあるべき」という当初計画があったのでしょう。『圧倒的多数の兵力を揃えた上でヤンと一大決戦を構え、用兵の妙を以ってこれを打ち倒す。残存兵力については各個撃破してもいいし、降伏させても良い。いずれにせよ、こちらの圧倒的優勢は揺るがないのだから、大きな犠牲は出ないだろう』というような。また、彼我の戦力差を単純に考えれば、この計画そのものは間違っているわけではありません。>
今までのヤンとの戦いで「多大な犠牲を出さなかった話」などほとんどありえなかったことなど、銀英伝の作中キャラクターのほぼ全員が知悉していることでしかないのに、この期に及んでラインハルトが、イゼルローン要塞に2~3万隻の戦力で立て籠もったヤンに対して、未だに「多大な犠牲は出さないであろう」などという希望的観測を前提としていること自体がおかしいのですよ。アムリッツァ、第8次イゼルローン要塞攻防戦、「神々の黄昏」作戦と、圧倒的な戦略的優位を確保していたにもかかわらず、戦術の妙を駆使したヤンとの直接対決で、帝国側がどれほどまでに煮え湯を飲まされたかを、まさかラインハルトは忘れてしまっているわけではないでしょうに。
それにラインハルトは、ヒルダやミッターマイヤー・ロイエンタールなどから「皇帝がわざわざ出兵する必要はない」と忠告されていましたし、マリーンドルフ伯からは「回廊の両端を封鎖して孤立を長引かせれば良いではありませんか、あえて急戦を求めて解決を図る必要はないように思われます」と進言されており、それらの忠告が政治的には全く正しく、しかも自軍の損害を最小限に抑えられる事をも全て承知の上で、わざわざ親征を強行しているのですし、「イゼルローン要塞に籠もる敵と戦えば、最終的に勝てるにしてもその過程で数百万の将兵の生命が失われる」などという予測くらい、ラインハルトでなくても簡単に立てることができる類のものでしかないでしょう。もしラインハルトがその程度の予測すらも満足に立てられずに親征を強行していたとでも言うのであれば、ラインハルトを「軍事的天才」などと評価している作中記述自体が恐ろしくトンデモなシロモノでしかありません。
「回廊の戦い」は、ヤン側・ラインハルト側共に、戦いの前提条件自体が根本的に間違っているのです。愚将同士の愚劣な理由による愚かしい戦い、としか評しようがありませんね。
<それから、上で冒険風ライダーさんが出している事例を「回廊の戦い」にあてはめるのは不適切です。この事例やキュンメル事件のような事例から言えることは、ラインハルトは自己保存欲よりもプライドを優先させる傾向があるということだけです。見苦しく生き延びるよりは潔く死ぬことを選択するというような。
「回廊の戦い」でラインハルトが迫られている選択は、あまり意義のない戦いで無闇に将兵を損なうことを続行すべきか否かということです。守るべき対象が自己か他者かという点で、この二つの選択の性質は大きく違っています。>
あなたもしつこいですね。そもそもラインハルトは、何度も述べているように、「回廊の戦い」も含めて戦略的・政治的には全く無意味な戦いを、しかも将兵が犠牲になることをも全て最初から承知の上で、何度も「個人的矜持とプライドを賭けた戦い」を行っているではありませんか。この時点で、ラインハルトの個人的矜持とプライドが将兵の犠牲よりも優先されていることは明白なのですし、「回廊の戦い」でもそれは明らかに垣間見られたではありませんか。そして「病気」と「夢」という「類稀なる僥倖」がなかったら、ラインハルトはそのまま将兵の多大な犠牲をものともせずに、個人的矜持とプライドを優先させてヤンを殲滅してしまったことは間違いないのです。
本当にラインハルトが将兵の犠牲に配慮するような人物であったのならば、将兵が犠牲になることが最初から分かっている無意味な戦いを強引に遂行するようなことも、バーミリオンで逃亡すらも拒否するような事態もありえなかったでしょう。前者はもちろんのこと、実のところバーミリオンでさえ、ヤンと全面対決に突入することなく、ただひたすら牽制を兼ねた対峙のみを行い続けていれば、本来決して負けるはずのない戦いだったのですから。ラインハルトの権限をもってすれば、将兵を無為に犠牲の羊に供する道を回避することなど簡単に実行しえたことでしかなかったのですよ? だからこそ、オーベルシュタインや一般将兵からでさえも、ラインハルトの「戦争狂」的性格に対する批判の声が上がっているのではないですか。
ラインハルトには「統治者および最高司令官としての責任」があるのですし、犠牲を回避できる道などいくらでも示されていたのです。それらを全て無視し、あえて大量の犠牲が出る無意味な戦いを選択していること自体が、ラインハルトが自らの個人的矜持とプライドのために将兵の生命を極めて粗末に扱っている、何よりの証なのです。
<『勝勢に乗っている時ではなおのこと、和平交渉を自分から提案してくるなどという事態など、本来ならば到底考えられないこと』に関しては、地形や計略を使った善戦によってその「勝勢」を揺るがし、ラインハルトにとっての「本来ならば」を本来でなくしてしまうことこそがヤンの作戦の目的なのですと申し上げるしかありません。>
はっきりと言いますけど、それこそが「根拠のない勘」というものでしかないのですよ。戦略や戦術を万全に構築することなく、「戦い続けていればラインハルトは和平に応じてくれるだろう」だの「犠牲を多く出し続ければ、ラインハルトも翻意してくれるだろう」だのといった「取らぬ狸の皮算用」などを当てにして、普通に戦えば順当に負ける戦争を遂行すること自体、ヤンが全否定する「無能で不誠実な軍人」の所業でしかありません。
「事前予測では勝算が全くなかったのに、奇跡が立て続けに起こって【結果として】勝てるはずのない戦いに勝利してしまった」などという事例は、現実世界にもたくさん存在しますが、それから逆算して事前予測の結果そのものまで捻じ曲げてしまうのは間違っているでしょう。「ラインハルトが翻意したのだから勝算はあったのだ」などという「結果論」から逆算した推論はいい加減に止めにしてはいかがです?
<上で冒険風ライダーさんが仰っていることは全くごもっともと思います。というか、ヤンは当然そのような下工作の類はできる限りしたんじゃないでしょうか。してないという記述も特にありませんし。
銀英伝の記述中に上のような話が見当たらないのは、結局、ラインハルトの意思が変わらなかったからでしょう。その後の話の大筋に変化があるわけでもないので、省略されたというだけではないでしょうか。>
「書かれていない」ことを理由に設定を勝手にでっち上げてもかまわない、などということにはならないでしょう。あなたはどれほどまでに恐ろしいことを自分で述べているのか分かっているのですか?
あなたのような論法を使っても良いのであれば、たとえば銀英伝の男性キャラクター同士で友好的な関係を維持している人物達(たとえばラインハルト=キルヒアイス、ヤン=ユリアン、ミッターマイヤー=ロイエンタールなど)の存在を取り上げて「実は銀英伝世界における男性キャラクターは皆同性愛者ないしは両刃使いであり、毎夜同姓セックスに勤しんでいる」などというトンデモな裏設定をでっち上げても一向に構わないということになります。仮に反論がきたところで「同性愛者であることを否定する描写もないでしょ?」「書かれていないだけで本当はヤッているかもしれないじゃないか」で全てが正当化できてしまいます。二次創作やヤオイ系同人誌のネタとしては面白いかもしれませんが、仮にも作品論を語る際にこんな愚劣な論法を許してしまったら、作品世界の破綻どころの話ではなくなってしまうではありませんか。
もし私が主張していたような和平戦略工作をヤンが実行していたとあくまで主張すると言うのであれば、それを裏付ける作中記述を引っ張り出して提示するべきです。私は作中記述の裏付けのない「書かれていないところからの推論」に付き合う気など一切ありませんので。
<確かに、全く無力な勢力は、強大な勢力に一方的にいいようにされるしかないでしょう。それが弱肉強食というものだからです。ここで私が言いたいのは『弱小な勢力であっても、その弱小なりの力を示す事で、強大な勢力から譲歩を引き出すことができる』ということです。
分かりやすいので、窮鼠猫を噛むの例えを出したいと思います。窮鼠に噛まれた猫は、それ以後は面白半分では鼠に手を出すことはなくなるでしょう。戦えば勝つ事は分かっていますが、つまらないことで怪我をしても全く割に合わないからです。ここで猫から相応の譲歩を引き出すにあたり、鼠は猫より強くなる必要も、猫と対等の立場に立つ必要もありません。
この時点でのヤンとラインハルトの立場も似たようなものです。ヤンの戦力はラインハルトより小さいとはいえ、運用次第では決して無視できるものではありません(というか、それを示すためにこそヤンは善戦する必要があったのです)。戦いを続行すれば、最後に勝つのはラインハルトですが、その場合、ラインハルトは無償で銀河統一を得られる訳ではありません。さらに数十万、数百万の将兵の命と、おそらく数名の提督の命を支払わなければなりません。
ですから、ヤンにはラインハルトから譲歩を引き出す余地があります。それは、上に書いたような「弱小勢力は弱小なりに宇宙の片隅で勝手にひっそり生きていきますので、その許可を頂きたい」というような形になるわけです。
あと、冒険風ライダーさんはここでヤンの戦力をやたら過小評価している割には、『ラインハルトはイゼルローン要塞に籠もったヤンの手強さも、「回廊の戦い」で自他共に多大な犠牲が出ることをも全て承知の上だった』みたいにも書いていて、今ひとつ首尾一貫しているように思えないのですが、どうなんでしょうか。>
だから「イゼルローン要塞に立て籠もったヤンを正面から攻略するのは容易なことではない、最終的に勝てるにしても多大な犠牲を払わなければならない」などということは、過去のヤンの戦績から言っても、今更戦うまでもなく事前に予測できることでしかないでしょう。こんな簡単な予測にすら事前に察知し得なかったというのであれば、ラインハルトは本物の阿呆としか評しようがないのですけど、それで一向に構わないという意見なのですか?
それにイゼルローン要塞に立て籠もったヤンの戦力は、回復力がゼロに等しい状態であるに対して、帝国側のそれはほぼ無限に等しい体制にあります。ヤン側は手持ちの戦力がなくなってしまえばそれで全てが終わってしまうのであり、逆に帝国側は最悪でも消耗戦に突入して味方の損失と等量の被害を敵に与えれば、それで勝利は確実に手に入るのです。ただしそれでは、ヤンの戦術手腕と相まって、味方将兵の被害が甚大なものになることが「事前予測としてみても誰の目にも明らかである」が故に、「イゼルローン要塞に立て籠もって強大な戦力を保持しているヤンを【少数の犠牲で】打倒することは困難である」となるわけです。逆に言えば、最初から味方がこうむるであろう甚大な被害を覚悟の上で消耗戦を展開するつもりであれば、いくらイゼルローン要塞が強大で、ヤンが戦術手腕を振るおうが、最終的に帝国側は確実に勝利しえるのです。
そして「回廊の戦い」では、事前予測から多大な犠牲がでることが予め判明していることをも全て承知の上で、ラインハルトは自軍の犠牲を全く厭わずに遠征してきたのですし、実際の戦いでも、最終的には消耗戦を展開してヤンを物心両面から瓦解させるという戦術を取ってヤンを敗北寸前にまで追い込んでいたではありませんか。ヤン側の戦力回復力がゼロに等しい状態であることもまた、帝国側もヤン側も知り尽くしていたのですから、そんな状態で戦う事を選択したヤンの未来には消耗戦と玉砕の道が待っているだけで、その時点ですでに戦略的敗北が確定したも同然なのです。それを「結果として」救ったのが何であったのかについては、もう今更繰り返すまでもないでしょう。
事前予測としてすら誰にでも簡単に理解できる程度の事態すら考えず、希望的観測のみをベースに杜撰極まりない戦略などを構築するヤンとラインハルトは、「戦争の天才」「魔術師」の異名とは程遠い「真の愚将」でしかないのです。
<バーミリオンの時、ラインハルトは生きるか死ぬかの緊急事態でした。だから、ヒルダや双璧の独走も、それがラインハルトを救ったと言うことで許されたわけです。ですが、回廊の戦いではラインハルトは健在ですぐに生命の危険があるわけではありません。指揮系統も失われていません。部下がラインハルトの意向を無視して勝手に兵を動かすのは明確な命令違反です。その部下がラインハルトの激怒を買って終わりです。
ラインハルトが部下の進言を受け入れたらどうするかですが、なおさらお話になりません。バーミリオンの屈辱をもう一度味わってまで小さな勝利(というか、精神的には明らかな惨敗)を得るより、ラインハルトは素直にヤンに停戦と会談を申し出るでしょう。こんなこと、ラインハルトの性格を考えれば余りに明らかだと思うんですが。>
バーミリオンの時だって、ヤンはラインハルト以外の要素を排除して策を練った結果があの通りだったのですから、「回廊の戦い」ではその二番煎じにならないような策を練るのは、余計な邪魔をされずに目的を達成するためには当然必要とされることではありませんか。「再びバーミリオンのような事態が再現されることは【絶対に】ありえない」などという「100%の保証」が一体誰にできるというのですかね? 私はそこまで盲目的にラインハルトの性格を信用する気になどなれませんが。
それとあなたは本当に「統治者および最高司令官としての責任」および「非常手段」という概念が理解できない人のようですね。ラインハルトにもヤンにも、本来、個人の性格やワガママを抑制してでも果たさなければならない責任というものがあるのです。たとえ個人の感情がどうであろうと、そんなものとは無関係に政治や戦争を遂行していかなければならない、それがヤンやラインハルトの置かれている立場であり、また国家や国民に対する責任というものでしょう。彼らには「個人としての性格」を抑制してでも、成さなければならない責務というものが存在するのです。そんな立場にあるものの性格がいかに高潔なものであろうが、そんなものを当てにして戦略構想などを立てるのは「根拠のない勘」に基づいた「希望的観測」以外の何物でもありません。
そして、「統治者および最高司令官としての責任」を果たすために、本人や周囲が「非常手段」に手を出すという事態は充分に考えられることなのです。現にバーミリオンの例もあるのですし、ラインハルト自身、オーベルシュタインの策を受け入れてブラウンシュヴァイク公による「ヴェスターラントの虐殺」を宣伝の道具に使ったという「前科」が立派に存在するではありませんか。勝利のためには個人の性格などねじ伏せなければならない、という認識など、ヤンもラインハルトも理解しているはずですし、またそうでなければならないのです。
したがって、個人の性格さえ分析していれば非常事態を予測しなくてもかまわない、などということには全くなりえません。
<何というか、これを読んでるとラインハルトはただただ交渉決裂になる事だけを望んでいるように思えるのですが、だったら何故、会談を申し込んだのでしょうか。
交渉がうまく成立する事で益を受けるのはヤンだけではありません。ラインハルトだって相応に得をするのです。これ以上むやみに将兵や提督を失うことなく共和主義者達から物騒なイゼルローンを取り上げ、辺境に追いやる事ができます。
何かどうも、このあたりの感覚が全くかみ合っていない気がしてなりません。>
<そりゃ、ラインハルトは自らが旗を振り上げて始めた親征が中途で終了となれば、面白くはないでしょう。感情を納得させるためにも上のようなことは言いたくなるでしょう。しかし、政略レベルで会談が有効と思ったからこそそれを申し出た訳であり、会談をまとめる気が全くないということにはならないでしょう。>
私が前の投稿で引用した文章の中で、ラインハルト自身がはっきりと述べているではないですか。「予自身が不甲斐なくも発熱したという理由もあるが、将兵も疲労しているし、補給を待つ必要もある。ヤン・ウェンリーとの会談は、そのまま妥協を意味しない。再戦の準備をととのえるため時間をかせがなくてはならぬ」って。
それに何度も言っていますが、事前予測でさえ誰でも一目瞭然に分かることでしかない「多大な犠牲」など最初から承知の上で、ラインハルトは親征を行っていたわけなのですし、実際、消耗戦に移行して勝利する寸前にまで到達しえたのですから、その時点でラインハルトが交渉を提言しなければならない合理的な理由など、「病気」以外にはどこにも存在しないのです。「将兵の疲労」だの「補給問題」だのは、前線と後方の戦力を交代させてしまえばそれで終わる話でしかないのですしね。
あの当時における最善の選択肢は、そのまま消耗戦を続行させてヤンの戦力を殲滅してしまうことだったのです。そうすれば、多大な犠牲と引き換えに、イゼルローン要塞の奪取とヤン一派の殲滅もかなったことでしょう。にもかかわらず、突然「病気」だの「夢」だのに幻惑されて和平をがなりたてるラインハルト。戦場で傷つき、仲間を永遠に失いながら、それでもラインハルトを信じて戦ってきた前線の将兵や部下達にとっては、たまったものではなかったでしょうね。そりゃ「今まで自分達が戦ってきた苦労は一体何だったんだ」と喚きたくもなるでしょう。
こんな愚劣なラインハルトに従わなければならない帝国の将兵達が、私には本当に哀れに思えてならないですね。主君が「戦争狂」などでなければ、死なずにすんだ人もたくさんいたことでしょうに。
<あと、冒険風ライダーさん自身が、最初の方で『あの愚劣な「回廊の戦い」はラインハルトひとりが周囲の反対を押し切って強引に行ったものでしかなく、周囲はことごとくラインハルトの出征に反対していました』というようなことを仰っているのですが……帝国関係者が本当にヤンたちをそんなに障害に思っているなら、当然、親征に賛成する声の方が大きかったでしょう。帝国関係者は親征に賛成だったのか、反対だったのか、いったいどちらなんですか。>
何でこんな簡単なことが理解できないのですかね? 銀英伝7巻後半~8巻前半を読めば、こんなものはすぐにでも理解できることでしかないでしょうに。
帝国関係者のほとんど全ては、ラインハルトの親征については明確に「反対」の意思表示を行っています。そしてミッターマイヤー・ロイエンタールは「自分達が代わりにイゼルローン要塞を攻めます」と述べていますし、マリーンドルフ伯は「回廊の両端を封鎖して孤立させれば良いではありませんか」と諫言しています。いずれもヤンの強大さを知るがために、そしてそれ以上にラインハルトの身の安全を案じ、政治に専念してもらいたいが故に、彼らはラインハルトの親征に「反対」しているのです。
帝国関係者の大部分が抱いている認識は「イゼルローン要塞は取り戻したいし、ヤンは打倒したいが、だからといってわざわざ皇帝自身が危険を犯して親征して今すぐ急戦までしなければならないほどのものでもない、他の方法で代替することは充分に可能である」というものです。そして、その代替案として、回廊封鎖の持久戦だの、ミッターマイヤー&ロイエンタール指揮によるイゼルローン奪還だの、謀略を使ったヤン一派の無力化構想だのが作中でも浮上しているわけです。
これが答えなのですけど、納得頂けましたか?
<ユリアンは未熟だからラインハルトとの交渉を成立させる事ができたのではありません。ヤンの後継者であることを実力で証明してみせたからこそ、それができたのです。また、上記の会話の中でラインハルトは端的に「慈悲をかけるつもりはない」ということを言っています。冒険風ライダーさんの言っている事はまるで正反対です。>
お生憎ですけどね、シヴァ星域会戦でユリアンが「ヤンの後継者であることを実力で証明してみせた」からといって、ラインハルトがユリアンらイゼルローン一派を「何が何でも助けなければならない理由」が一体どこに存在したというのですか? ユリアンがラインハルトのところにたどり着こうがどうしようが、そんなものと関係なしに戦闘を継続させてさえいれば、そのままイゼルローン陣営を壊滅させることができたのですし、名実共に銀河統一を達成することができたことは確実なのです。それをわざわざ助けた時点で「慈悲をかけた」「温情を示す余裕があった」と普通は解釈しませんか?
しかもユリアンは、ラインハルトのところにたどり着いた際にも、完全武装で、しかも「立ったまま御意をえる」などという、不敬罪と皇帝暗殺未遂にも問われかねない態度で対面に臨んでいたわけですから、その時点で殺されたとしても文句は言えないでしょう。これらの作中事実を無視して「ユリアン達は自力でバーラト自治区の支配権を獲得した」などと言われましてもね~。
ユリアンらイゼルローン陣営に対してラインハルトが示した態度は、ラインハルト自身の言葉とは裏腹に、まさに「慈悲をかけた」「温情を示す余裕があった」以外の何物でもないのです。
> 数学的正当性を認めます。
> その上で「光速航行を行ってワープ可能な帝国艦隊に何回も空域哨戒をかけられるメリットは何も無い」事を思い起こしていただきたく思います。
その通りです。
私も、「大質量ワープが可能ならば、使っている」という論理に何の不自然も感じません。
3巻でその技術が開発されるまで「出来なかった」といっているのです。
この点に関しましては、全く意見を変更する必要を感じておりません。
当方の意見の数学的正当性は、既に認めていただきましたし。
> 「光速航行エンジンしかないから光速で逃げるしかない」のはその通りなんでしょうが「逃亡犯が物語の整合性のために全速で逃げない」って理由になります?
おおっと、少々お待ちください(--;;;。
私は、彼らが光速の何割で逃げたかについては述べておりません。
「選択可能なオプションが幾つかあり、エネルギー的にそれがどのような事を意味するか」と述べただけです。
「・・・と思います?」と問われて、技術屋が示す応答というのは、「自然・不自然」じゃないんです。
「必須・不要」か、「可能・不可能」で、私が示した答えに関して申しますと、それは「選択次第で可能」を示しているでしょう?
・・数学的に。
彼らが光速の75~85%を選択し、4~6光年以内の恒星系のどこかに向かった場合、暦年には目立った差異は生じません。
それが答えであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
「彼らがそうしたかどうか?」というのは、書いてない以上誰にも答えられない問いですね?
でも、「それは可能」なのです。
私には、それで十分であり、意見は全く変化しておりません。
なお、傍証として以下のような事も考えられます。
先のτが示すとおり、光速へ接近しようとすればするほど、ほんのちょっとの速度増加のために多大なエネルギーを必要とするようになります。
光速の75%~85%が「得」と言う表現は、そう言うことです。
彼らが全速で逃げない理由には、確かになりません。
が・・・
「彼らが全速で逃げられなかったかも知れない」
という事の傍証には、なりえるでしょう。
ええ。エネルギー不足で。
確か前に、誰か取り込み口100kmのバサード・ラムについて計算してたはずですが、
バサード・ラムは確かに「燃料切れ」の心配はありません。
が、取り込み口になるラムスクープ場のサイズと、あたりの星間ガスの密度の関係で、
「一時に取り込める量には限界がある」
んです。
これは、取り込み口のサイズに関係します。
取り込み口を広げると、取り込み量は増えますが、ラムスクープ場を支えるためのエネルギーは、逆二乗則に従って増大します。
例えば、10倍の燃料を取り込むために10倍のサイズのスクープ場を作ると、・・・取り込みで消費するエネルギーは100倍になってしまうんですよ。
「無尽蔵」でも、蛇口のサイズに限界があるというわけで。
これは、バサード・ラムのテクノロジーから導かれる帰結です。
(「タウ・ゼロ」を読むと、方程式は書いてませんが、このような設定に関しては漏れなく載っています。多分まだ創元文庫で出てますが)
さらに、帝国軍から逃げる時点での話ですが。
> しかも資源惑星に心当りがあって直行したなら80~85%加速もそれなりに理由がつくでしょうが、どう考えてもあれは「帝国の追及を逃れる為未知の星域にのりだした」のではないですか?
> 「一刻も早く追跡から逃れ資源惑星を発見する」には可能な限りの速度を出すべきでしょう。
これに関しては、上述している
「その速度が出せなかった」という可能性が1点。
「出す必要がなかった」という可能性が1点。
私は、以前にこのような発言もしております
>「有効探知距離500~1000光秒の世界」
>では、1000光秒ずつワープして捜索をすることになります。
>
>1000光秒ずつワープ、1000秒以内に捜索、1000秒以内にまたワープ・・・
>を繰り返さない限り、1光日を捜索するのに1日、1光月を捜索するのに1ヶ月掛かり、
>しかも敵の逃走したと推定される範囲は1日ごとに1立方光日ずつ増大していきます。
「探知距離500~1000光秒」では、帝国軍は、ある程度の時間が経過すると、亜光速航行で逃げる船を追跡できなくなるのです。
数学的に、その根拠を示します。
探知距離1000光秒だと、1000光秒ずつワープして探し回る事になります。
1光日は86400光秒。
捜索範囲は1000光秒単位のマス目で、1日で644972.544個に達します。
帝国軍にもこの空間を逃げている船を捕捉するチャンスはあります。
1000光秒を1秒でスキャンし、1秒以内にワープを繰り返したとして、1日目に1000隻の船を集めて捜索を開始したとしたら、捜索完了までは644秒しか掛かりません。
その場合、船が捜索可能な範囲から抜け出す時間はないのです。
しかし、あの作品の中で、そんな速度で探知やワープが行われた事はありません。
ワープ準備に10秒掛かった場合、捜索完了までの時間は6440秒。
その間に、船は探知可能な範囲の6.44倍も進んでしまっています。
2日目には空間の大きさは2×2×2で8倍となります。
3日目には3×3×3で27倍。
10日たてば1000倍です。
実際には移動範囲はとして想定可能な空間は球状なので、これは概算ですが、探知範囲も普通、球状なので、概算としては同じスケールが適用できます。
結論的に、
1.逃走をすぐ発見し
2.逃走した方向を大体でも事前に知っていて
3.捜索に必要な数の船(数千隻以上)を動員して数日以内に網を張り、捜索を完了したら秒単位で次のワープに移れるような体制をとった時
亜光速で逃げるイオン・ファゼカスを捕捉する事は可能となります。
が、これが実際問題として、あの世界で可能かどうかについては、
「無理っぽい」
というのが、私の結論です。
天文学的距離は、イメージが掴みにくいのです。
実際、私もこれを想像するのに計算を用いました。
繰り返しますが、私は技術者です。
イメージを捕えるのに数字を補助に使い、それを不自然に思わないというのは、まあ習い性ですのでご勘弁ください。
>Kenさん
>砂倉さん
>パンツァーさん
今更ですが、初めまして。
少し古本屋で調べてみたのですが、確かに砂倉さんのおっしゃる通り、1996年初版の徳間文庫版及び2000年初版の徳間デュアル文庫版では、件の部分は「1000万トン」に修正されております。これはこちらの事実誤認でした。申し訳ありません。m(__)m
1982年初版のノベルズ版ですが、どうやら途中の版で件の部分の数字が修正されている様です。砂倉さんの55刷、パンツァーさんの53刷では「50億トン」と記載されているとの事ですが、自分が持っているのは79刷で、こちらでは「1000万トン」となっています。冒険風ライダーさんが以前、今の掲示板No.1896で示された件の部分を引用してみますと、
銀英伝1巻 P190上段~下段
<彼らは各艦隊の補給部から食糧を供出するとともに、イゼルローンの総司令部に次のようなものを要求した――五〇〇〇万人分の九〇日分の食糧、二〇〇種に上る食用植物の種子、人造蛋白製造プラント四〇、水耕プラント六〇、およびそれらを輸送する船舶。
「解放地区の住民を飢餓状態から恒久的に救うには、最低限、これだけのものが必要である。解放地区の拡大にともない、この数値は順次、大きなものとなるであろう」
という注釈をつけた要求書を見て、遠征軍の後方主任参謀であるキャゼルヌ少将は思わずうなった。
五〇〇〇万人の九〇日分の食糧といえば、穀物だけで五〇億トンに達するであろう。一〇〇〇万トン級の輸送船が五〇〇隻必要である。第一、それはイゼルローンの食糧生産・貯蔵能力を大きく凌駕していた。
「イゼルローンの倉庫全部を空にしても、穀物は七億トンしかありません。人造蛋白と水耕のプラントをフル回転しても……」
「足りないことは分かっている」
部下の報告を、キャゼルヌはさえぎった。>
となっており、修正後は、
<彼らは各艦隊の補給部から食糧を供出するとともに、イゼルローンの総司令部に次のようなものを要求した――五〇〇〇万人分の一八〇日分の食糧、二〇〇種に上る食用植物の種子、人造蛋白製造プラント四〇、水耕プラント六〇、およびそれらを輸送する船舶。
「解放地区の住民を飢餓状態から恒久的に救うには、最低限、これだけのものが必要である。解放地区の拡大にともない、この数値は順次、大きなものとなるであろう」
という注釈をつけた要求書を見て、遠征軍の後方主任参謀であるキャゼルヌ少将は思わずうなった。
五〇〇〇万人の一八〇日分の食糧といえば、穀物だけで一〇〇〇万トンに達するであろう。二〇万トン級の輸送船が五〇隻必要である。第一、それはイゼルローンの食糧生産・貯蔵能力を大きく凌駕していた。
「イゼルローンの倉庫全部を空にしても、穀物は七〇〇万トンしかありません。人造蛋白と水耕のプラントをフル回転しても……」
「足りないことは分かっている」
部下の報告を、キャゼルヌはさえぎった。>
と変化しています。ちなみにコミック版の1992年の初版では穀物の量は「50億トン」とノベルズの旧版と同じになっていますが、後の版で修正されているかどうかは未確認です。
まあ、やはりこの場合は作者である田中氏の意向が働いているであろう修正後の「1000万トンの穀物」「20万トン級の輸送船50隻」という数字を採用するべきだと思います。
・・・さてと。
ここでちょっと疑問です。
当方としての出発点は、「作中事実」のつもりです。
(1)3巻の時点で、大質量ワープは新技術である
同盟側ではシェーンコップ、ムライたちの会話、帝国側ではシャフトとラインハルトの会話が、この傍証となっています。
ここからの帰結が、
(2)「イオン・ファゼカスは亜光速船である」
という事。
なぜなら、
(3)過去に存在しなかった大質量ワープは、イオン・ファゼカスには使えない
では、
(4)イオン・ファゼカスが亜光速船であるというのは、可能なのか、不可能なのか?
(1)は、私の認識する作中事実です。
(2)~(4)はそれに続く連鎖推理です。
先の想定が崩れれば、後のものは考慮する必要がありません。
全く以って、「ワープが使えれば使う」に違いないのです。
それは論理的な話で、私としても否やはありません。
でも(Nightさんも言っておられましたが)作中で技術の後退も忘却もなかったとすれば、
「まだ出来ていないものは使えない」
のです。
・・思うに、作中事実から引き出せるのは、ここまでです。
作中では、取り立てて技術の後退や消失は記述されていません。
(あったとしても書いてないので)それは傍証に使えないのです。
が。
こちらが論証に使った、アルタイル系付近の天文学的状況、亜光速に伴うウラシマ効果、ローレンツ変換式、バサード・ラムのテクノロジー、
探知距離500~1000光秒をスケールとした捜索方式に関する数学的考察は、そもそも
「作中に書いてない」事の塊です(--;;;。
私は、自分が認識する「作中にある事実を壊さないように」数字を選択しました。
ある程度テクノロジーに仮想が入っていますが、実際に船を建造し、コースを選ぶ時のように。
今までのところ、「イオン・ファゼカスが亜光速船であっても逃げる事は出来る」ように、私には見えています。
でもまあ、これははっきり言って、小難しいのです(笑)。
数字を使いすぎると、技術者自身が錯覚に陥るというのはよくあることです。
討論の内容ややり方について詰める事なく走りすぎた感じがしたので、
「そもそもこう言うのはありなのか?」
という事については、S.Kさんにお尋ねしてみたい気がします。
困ったことに、討論に「作中に明示されていない物理法則を一切使ってはならない」と規定されていれば、私には推測の小道具がなくなってしまいます。
つまり、「意見を変更しようにも、作中で何がどうなっているのか解釈する手段を切り捨てろ」という事に等しいので。
技術屋に数字を読むなと言っても無理ですよ・・。
つまるところ、私とS.Kさんの認識は、
「大質量ワープは銀英伝3巻の時点で出た新テクノロジーであり、それ以前には使えなかった」
「いや、使えた(=可能性はあった?)」
という点で相違していると了解しています。
後のは全て、それに続く流れに過ぎません。
これまでの討論で私が意見を変更していない以上、これは文字通り「解釈の相違」「意見の相違」です。
このまま続けるのも悪くはないと思うのですが(他の人がそれを見て何か面白いのであれば(笑))
当方としてはこのあたりで、「いろいろ小難しい道具ばかり使って話をするしか方法を知らないんですが、いいんですか?」
という事を問うて、何か妥協点を探したいんですが。
別に作中事実の否定などしておりませんよ。
「イオン・ファゼガス号」がワープ可能だった方が歴史のズレの不在や
脱出成功に貢献するから他の航法より妥当だと判断できるだけで。
それとシェーンコップの科白からは「発想の柔軟性さえあれば大質量ワープ自体は現実的至極なものである」という解釈しか出てきませんがこれは私の国語力の問題ですか?
作中事実に基づいて考察する、多いに賛成です。
では「イオン・ファゼガス号」のワープとワープ抜きでの脱走成功、どちらがより不可能事かで再検討いたしましょうか。
所用で2、3日間が空きますが。
> 弁論大会の壇上の演説者は「貴方に」語り掛けているわけではありませんがその内容は「貴方にも」伝わるはずです。
> 伝わらない理由は二つあって「弁士の力量」が先に疑問視された様なので片手落ちにならないよう「聴者の姿勢」を問うたわけです
了解しました。ですが、私は弁士の力量を疑問視したつもりは全くありません。
あと、以前の投稿にも書きましたが、S.Kさんがまとめて下さった投稿の流れのどのあたりがどう私の元の投稿に関係していて、どのような回答になっているかについては教えてください。私としては、釈然としていませんので。
> 「余分」ってどう頑張っても戦艦にキャタピラは使えないのですからいちいち材料に戻すより有効活用を考えたらいいじゃないかってレベルの話ですが。
並行作業は無理ではないかということについては、どうお考えでしょうか。
> ヤンのおかげで拾った命で各々が潜伏して思想を守って時を待てばそれでいいのです。
> ヤンなしに成立しないのは「ヤン崇拝」というある意味帝政より民主主義から遠い代物だけです。
ヤンだって、素直に投降したほうがよっぽど楽なのです。ラインハルトはそう無茶なことは言わないでしょうから。(他の幕僚はどうか知りませんが……)
何故、そうしなかったについては、8巻に書いてあります。今のところ、私としてはそれに付け加えることはありません。
横レス失礼します。
そもそも、大質量ワープと言う技術は、ヤンが移動要塞を一目見ただけで、その原理やら何やら全て分かってしまうと言う代物なのですよね。ようは、あくまでコロンブスの卵的な発想の問題と言うだけで。
文章に直したってほんのわずかです。『複数のワープエンジンを(輪状に?)同調させて動かすことで、大質量をワープさせることができる』。これだけです。
こんな技術、一度思いついてしまったら、忘れたくたって忘れられるようなものじゃありません。あれば色々使えそうな技術ですから、なおさらです。
亜光速の場合、宇宙船を作るだけです。余分な説明は一切不要です。
ですが、大質量ワープの場合、まず発明して、宇宙船を作って、その後忘れなければなりません。その忘れ方の程度も、「細かい内容を忘れてしまったので、もう大質量ワープはできなくなってしまった」というような軽度のものではなく、「大質量ワープって一体なんだっけ?」というような重度のものです。大質量ワープと言う技術が存在したことそのものを忘れないといけないのです。
どちらが無理がある解釈かは火を見るより明らかと思いますが。
> 別に作中事実の否定などしておりませんよ。
> 「イオン・ファゼガス号」がワープ可能だった方が歴史のズレの不在や
> 脱出成功に貢献するから他の航法より妥当だと判断できるだけで。
私も、S.Kさんが作中事実を否定しているとは云っておりません。
(そう聞こえたとしたら、申し訳ないm(__)m)。
「これは解釈の相違である」
と、云っているのです。
つまり、われわれは同じ文章に違う解釈を以ってしているのであって、それ自体は
何ら不自然な事はないのではないでしょうか?
そして、文章に書いていない事について私が敷衍している解釈や、物理的事実は、
全て「その後に続いている」事であるから、この「最初の解釈の相違」が鍵なので
あって、この点が解決されれば、他の部分の解釈について私が考えている事は大した
問題ではないと、判断したという事です。
何度か云ってますが、私の考えは最初の論点が崩れれば崩れるのです。
後の話は自分的に納得できるかどうかを計っているのであって、小難しいからまずは
置いときましょう、というのが先の発言という事で。
> 作中事実に基づいて考察する、多いに賛成です。
> では「イオン・ファゼガス号」のワープとワープ抜きでの脱走成功、どちらがより不可能事かで再検討いたしましょうか。
> 所用で2、3日間が空きますが。
・・「作中事実のみに基づく考察」の限界についても、もしかしたらお話する事になる
かも知れませんが・・。
そも、「作中事実とは何か?」と云う事についてです。
私とS.Kさんは、そもそも事実解釈のやり方が違う事にお気づきですか?
・・私は必ず、ある程度数字を見ます。前の発言に於いても、私は「計算した」ので
あり、多少なりとも都合の良い数字を選択する事はあっても、計算そのものでデタラメ
をした事はありません。
作中事実の解釈についても、私は「その背景には数字がある」と、ある程度は考え
ます。
その結果として解釈に違いが生じた場合、私は前節のように「考えを変えない」
事がありえるのはご了承ください。
要するに決着は「互いの考えに変化なし」で討論が終了するのも、悪くない結末である
と考えます。
(そのネタで観客が面白いのであれば・・)
PS.
> それとシェーンコップの科白からは「発想の柔軟性さえあれば大質量ワープ自体は現実的至極なものである」という解釈しか出てきませんがこれは私の国語力の問題ですか?>
彼は技術者ではありません。
それを云うならムライもそうなのですが、ムライは参謀です。
参謀が事実関係についていい加減な事を発言すると云う可能性と、陸戦の専門家で
あり、明らかに技術者ではないシェーンコップが技術的に正確な事を述べていると
云う可能性を比較するなら、私は躊躇なくムライの方を取ります。
私とS.Kさんの会話で起きた事を考えてみてください。
私は「イオン・ファゼカスが暦年に矛盾を生じずに亜光速航行する事が可能なのは、
方程式が示している」と云いました。
それは作中事実ではなく、物理的事実で、変える事は出来ません。
が、S.Kさんは「その確率は低い」と仰いました。
実はあの方程式(ローレンツ変換)は、やり方を知っていればWindowsの関数電卓で、
数分で計算出来るのです。
技術者であれば、発言する前に計算した筈ですが、S.Kさんは計算しなかったなと、
(もしも計算されたのであれば、予断的発言を謝罪いたします)あの発言を見た時に
思いました。
揚げ足を取るつもりは全くありません、
τが二次曲線的に働く事を前もって知っていなければ、そう云う風に感じても無理は
ないのです。
また、一見面倒そうな方程式を計算しなかったのは無理もありません。
私自身が、やり方を知るまでそうだったのです。
ですが、それは計算しなければ分からないのです。
そして、計算すれば否定できない結果が出るのです。
だから、可能な時には必ず、概算でもいいから計算して、事実の隙間を埋めるのです。
それが、技術者(少なくともその一部)の発想です。
シェーンコップが技術的な裏付けなく、感覚的に大づかみで物事を述べるのは、
彼のバックグラウンドからして当然です。
彼は細かい技術的なことに関わらず、「現場で素早く」判断をする事を求められる
現場指揮官から上がってきた人です。
彼が実際に細かい計算をしてからしか発言や行動をしない人なら、瞬時の判断を求め
られる戦場には向いていません。
彼の発言が技術的なものでないのは、その抽象的内容からして明らかです。
技術者が事実解釈を求められた場合、その応答パターンは大抵「こうすれば出来る」
「ああすれば出来るかも知れない」という具体性や数字のオーダーを含みます。
そのような具体的なものだけが「実現可能性」であり、シェーンコップの発言には
それがありません。
彼の発言だけからでは、技術的実現可能性については一切判断できないのです。
また、彼はそれを求められる立場でもありません。
技術的に間違った事を云っても、責任を問われるキャリアやポジションではないからです。
翻ってムライたちは参謀です。
参謀は事実に基づいて発言しなければなりません。データマンとしての参謀がデタラメ
を口にする事や、数字について間違った事を述べる事の恐ろしさは考えるまでもないでしょう。
同じく技術者ではなくても、彼らの発言はそのポジションに基づいて、それぞれ割り引いて考えなくてはならない、というのが私の発想です。
これは、彼らの発言が瞬間的にでも考えての結果であると考えた場合の解釈です。
彼らの発言が軽口や動揺から出たものであり、そう大した意味を持たないのであれば、
この発言からの解釈もまた、大した重みを持たない事になります。
・・しかし、そう云った場合に付いては、まず、この「ガイエスブルク出現の一幕」
について考察し終わってからでも遅くはないでしょう。
> そもそも、大質量ワープと言う技術は、ヤンが移動要塞を一目見ただけで、その原理やら何やら全て分かってしまうと言う代物なのですよね。ようは、あくまでコロンブスの卵的な発想の問題と言うだけで。
えーと・・・・
すいません、ヤンが大質量ワープの原理を見抜いたかどうかは一切書いてありません。
看破して破壊した発想は、
「移動中にエンジンの一つを撃つ」
です。
これは、車のエンジンでも航空機のエンジンでも宇宙船のエンジンでも、
「複数の推力軸線を合わせる必要があるものなら、動いている時にエンジンを一つ壊せば上手く動けなくなる」
と云う、模型で試してみれば子供にも分かる理屈によるものだと思います。
大質量ワープについて、それを絡ませる必要はないのではないでしょうか。
それと、「発想の転換の問題」だと述べたのはシェーンコップのはずですが、彼は技術者ではなく、
意図的にデタラメは云っていないまでも、
「その発言からは技術的信憑性を計れない」
と、私は考えております。
> 文章に直したってほんのわずかです。『複数のワープエンジンを(輪状に?)同調させて動かすことで、大質量をワープさせることができる』。これだけです。
そう云ったのはシャフトですが、シャフト自身がした発明が「同調」だけであったとしても、
同調を可能にする基礎技術が過去の時代にあったのかどうかが不明です。
例えば、90年代のパソコン用CPUのクロック数は10Mhzです。
今のパソコン用CPUは3.06Ghz.
その速度差は300倍。
(両者は同じIntel製での比較)
外見上今のPCの処理速度があまり変わってないのは、処理するデータが同じく数百倍に増えたためです。
CPUについて基本的に変わったのは「速度」のみです。
が、10年前のPCには絶対出来なかった量のデータを、今のPCは処理しています。
(厳密には出来たかも知れません。1日で終わるものが1年近く掛かっても良いなら・・(--;;)
こう云う場合、実用性に関しては「用途と時間のバランス」の問題なのです。
例えば事務処理に300倍も掛かるんじゃ困りますよね(笑)。
同様に、特に複雑な解釈をしなくても、ヤンたちの時代にはかなり簡単に出来た「同調」が、過去の時代には「使い物にならん」技術であった可能性は十分にあります。
「肝心なものが足りなかった」と云うだけで、それはあり得るのです。
テクノロジーは基本的には日進月歩なのです。
「何百年かの技術格差」は大きいというだけで、私には納得の行くところです。
> こんな技術、一度思いついてしまったら、忘れたくたって忘れられるようなものじゃありません。あれば色々使えそうな技術ですから、なおさらです。
作中事実は一つです。
「3巻の時点では大質量ワープは新技術」
これだけです。
シェーンコップもムライも、可能性はともかくそれを同盟側で運用した実例について知らなかったのは、あの一幕を見ていれば私には明らかな事に思えます。
作中の過去にそれが「あった」か「なかった」かについて決め手はありません。
少なくとも同盟側の彼らはその時点では大質量ワープについて知らず、帝国側ではシャフトが言い出すまで、ラインハルトはそれを視野に入れていなかったのです。
「イオン・ファゼカス亜光速船説」は、上の「新技術」説から出て来る帰結です。
作中ではっきりとそれを否定する記述があれば崩れますが、今のところそう云うことはないと、私は判断しております。
PS.
「イオン・ファゼカスがワープ船であれば何が不都合なのか」と云うのは、これとは別に検討すべき話であるかと、私には思えます。
出発点が違うからです。
・「イオン・ファゼカスはワープ船である」とした場合
【帝国が当時から大質量ワープ技術を持っていたのなら、何故イゼルローンは最初から移動要塞ではなかったのか?何故移動要塞の大軍団を以って、同盟を壊滅させなかったのか?】
というのが、私の疑問です。
・「イオン・ファゼカスはワープ船でない」場合
上記のような疑問は生じません。
私は、途中から半ば意識して、「イオン・ファゼカスはワープ船か?亜光速船か?」と云う問題に絞りました。
で、これまでのところ、亜光速船であっても問題はないと考えています。
が、その検証に使ったパラメータは徹頭徹尾、物理的なものだったので、「作中事実」に絞ってもそれが
「可能」なのか、「不可能」なのか、「判定不能」なのかに話を
絞ろうかと思って、作戦タイムを頂きました。
(これは、「意見が分かれたまま投了」と云うこともありえます。討論とはそう云うものでしょう)
「ワープ船だったら、後の話の展開と合わなくなる」と云うのは、実はこの問題とは違う話なのです。
イオン・ファゼカスがワープ船であったなら、大質量ワープの技術を持ちながら、帝国がそれを腐らせていた理由が、私には分からなくなってしまいます。
この点に関する追求は、また別個の問題としてやってみてもいいのではないでしょうか。
つまり、
「イオン・ファゼカスワープ船説」に基づき、「帝国は何故その技術を腐らせていたのか?」
「技術を忘れた」と云うのが、S.Kさんの回答だったと思います。
「そんなはずはない」と云うのがNightさん説ですね。
コロンブスの卵的発想だったから、シャフト以前に持ち出す奴がいなかったと云う説も、かつてあったような気がします。
あ、逃亡奴隷に出来た事が帝国に出来なかったなどという解釈は、少なくとも私には頂けません。
幾らなんでもそれはないでしょう。
これは、先のような数字的問題を(多分)含みません。
が、正直云って、この事実解釈に関しては、ほとんど多数決の助けでも借りたいところです。
というのは、数字で検証が出来ない問題について、作中に明確に書いていない上、導入すると後で矛盾を孕むような解釈を受け入れるかどうかは、
ほとんど解釈している人の主観に任されるような話だからです。
逆に、「数字的矛盾が大きく出ていないような話で、ある人の主観と別の人の主観を対決させて解が分かれたところで、それを厳しく争う意味などあるのか?」
という気は、しないでもない。
討論がネタとして面白いのは、実際にはそれが「自我の決闘」であるからと言う面も、確かにあるのでしょうがね(笑)。
S.Kさん:
当方として一応、争点(ネタ?)をまとめておこうと思います。
応答を急く気は全く有りませんので、S.Kさん、じっくりと腰を据えてご考察ください(お互いに楽しみが日常の時間を食いつぶしすぎないよう、精神と肉体の余裕を持って対話いたしましょう)。
当方から提示するポイントはこれ。
「作中事実」3巻の時点で、大質量ワープは新技術である
「その帰結」過去に存在しなかった大質量ワープは、イオン・ファゼカスには使えない。故に、イオン・ファゼカスは亜光速船である
どちらから攻略するかは、ご自由です。
類型的に、
「作中事実の認識がおかしい」=前提の誤りの証明が成立した場合、帰結点も自動的に崩壊します。
「イオン・ファゼカスが亜光速船だとすると致命的矛盾が発生する」=推論の誤りの証明が成立した場合、前提がどうあれ、イオン・ファゼカス亜光速船説は崩壊します。
但し、先立つ発言で行った物理学的・天文学的・工学的考証でお分かりかと思われますが、私が示せる回答には常に幅があります。
それを確定するものは、基本的に数字です。
もしも数字を用いず、作中の事実関係のみで可否を争う場合、
「可能」「不可能」の間に、「判定不能」のグレーゾーンが生じて来るのはご了承ください。
作品に書いてある事は作中事実です。
書いていない事は推定、もしくは現実からの類推です。
が、「書いていない事は一切、ひとかけらも用いない」ような討論の組み立て方は、人間の頭では無理でしょう。
われわれは「たとえ」や「モデル」を、「それぞれが日常的に親しんでいる多くの事物」に依存しています。
人間の頭がそう云った多くの「記号」を相関させないと思考出来ないというのは、かなり良く知られた事実なのです。
つまるところ、討論で日常使っている事物を用いた例えや物理理論が出てきたとしても、それが「この場合持ち出すのに妥当であるか、ないか」をケースバイケースで判断していく事が、このような場合には必要であろうという事です。
前節の議論では、この前提が整理されておらず、また論点も順を追っていた訳ではありませんでした。
さらに、証明内容があまりに物理理論に依存しすぎていました。
今少しシンプルな解釈論から出発して、出来るだけ話を拡散させず、分かりやすく話をまとめられないか、と云うのが、当方の意図です。
議論をするのであれば、もう少し読解を確実にしてからにしてください。
何度か読めば、ずいぶん違うと思うのですよ。
一読しましたが、確かに鋭い指摘となっている部分もあります。
が、半分以上が勘違い等で占められているように思います。
どうか、もう少し整理をお願いしたい。
全部に返答するのが面倒なので、上の方の数点について回答します。
これを参考に、投稿内容を整理して、再投稿してください。
一々、この未熟と思われる内容に付き合うのが、はっきり言って苦痛です。
Kenさんにしては、不愉快極まりないでしょうが、私はどうも割りに合わないと思っているんですよ。こっちが一生懸命書いても、ろくに考えず適当に返答しているように思えて、ですね。
これは、私の側の問題だから、これを理由に感情的になってよいという理由にはならないのでしょうが。できる限り、表現は和らげるとしましょう。
☆ポイント1
> 冒険風ライダーさんは、「唯一」だ、などと述べていますか。
> (#3585)
> これはないでしょう。作品の外から「現代世界の物理法則に基づいた要塞の燃費問題」を持ち出してきたのであれば、その正当性や妥当性の立証責任は100%「持ち出してきた側」にあるのです。そしてその証明が「できるかもしれないし、できないかもしれない」で良いはずがないではありませんか。>
銀英伝世界にない物を導入するに際して、その物が銀英伝世界で正当または妥当であるかどうか、の立証責任は100%「持ち出してきた側」にある、と冒険風ライダーさんは、言っているのです。
文章の意味を理解してください。
「銀英伝世界」が議論の前提です。
銀英伝世界は、本を読めば、読者の間で共有可能ですが、
「銀英伝世界にない物」は、それができないでしょう。
「銀英伝世界にない物」を、「銀英伝世界」に通用する扱いとするには、
それなりの立証責任がいると言っているんです。
全然、冒険風ライダーさんの文章が理解できていないのですよ。
☆ポイント2
(#1726-1727)
> 外部からの補給に頼ることができない状態であることを当然承知しているはずのユリアンが「事態の急変には50年の歳月がかかる」と気長な持久戦戦略を述べているのに対して、「イゼルローン陣営における補給の権威」であるキャゼルヌが、孤立無援状態のイゼルローン要塞で50年もの持久戦を行うために必要な諸々の補給物資の調達に関して何ら懸念を抱いている様子がないのです。ということは、イゼルローン要塞で50年もの持久戦を行うに際し、補給事情は何ら問題にはならないということを、イゼルローン陣営の当事者達は当然のように認識していることになります。
> このことから、イゼルローン要塞には100万単位の人口を全て養えるだけの食糧自給能力と、軍隊が戦うに際して必要な戦略物資を全て自給自足で調達することができる能力が備わっていることが判明するのです。しかもこの自給自足能力は、孤立無援状態のイゼルローン要塞の人口と軍隊を半世紀以上も余裕で支えることができるというのですから、ほぼ半永久的に機能し続けるものであると言っても過言ではありません。そして、イゼルローン以外の要塞も、ほぼ同じ自給自足能力を保有していると考えて差し支えはないでしょう。>
イゼルローン要塞が有限の資材しか提供できないとしたら、50年という期間を区切ってみても、有限性が明らかになるのです。
50年経てば、イゼルローン要塞の提供能力の40%を消費するとか、90%であるとか、そういう次元の話になります。
キャゼルヌが「何ら懸念を抱いている様子がない」というのは、提供能力の何%を消費したとかいった計算すらしていない、ということを意味します。
これは、イゼルローン要塞が無尽蔵の生産能力を有しているから、としか考えようがないのです。
☆ポイント3
> これまた詭弁です。あなたは、私が冒険風ライダーさんや不沈戦艦さんと「移動要塞」について論争しているところへ、割り込んできたのでしょう。前後2回にわたる長大スレッドのテーマも「移動要塞」です。そこへ何の説明もなく「静止要塞」の自給能力を持ち出してどうするのですか。あなたが静止要塞のこと「だけ」を論じたいなら、別スレッドを立ててください。静止要塞で得た「小結論」を恒久移動要塞が可能という「大結論」へもってゆきたいなら、言葉のすりかえではなく、演繹なり帰納をやってください。
私は、Kenさんの文章を読む限り、「無限の自給自足能力」は、静止要塞のこととしか取れないといったのです。
「無限の自給自足能力」と「エンジンの燃費の皆無」とをベースにして、「移動要塞」が出来上がる以上、このようにしか読めないではありませんか?
それに、大本のスレッドを立てたのは、そもそも私ですよ。私が、参加するなといったら、Kenさんは、この議論から出て行くのですか?
☆ポイント4
> >同じ艦船であっても、質量の大きなものもあれば、小さなものもあるのです。
> >したがって、単純に考えれば、「物体の移動」に関する信頼性に値する理論が存在する上で、「質量」に関する一変数が相違するだけなのです。
>
> というものです。エアバスは「小質量で成り立つことが、大質量で成り立つとは限らない」ことの一例です。
「物体の移動」に関する信頼性に値する理論(A)が、成り立たないことを分かりやすく例示するために、比較例(B)を用いるわけでしょう?
だったら、Aを批判するに際して、基本的性質が同種のBを用いなければ、Bを用いてAを批判することにはならないのですよ。エアバスをBとしても、基本的性質が異なるので、宇宙船に関するAの性質を否定することになるわけがない、といったのです。
> と言われたので、私は帆船とタンカーの例を出しました。
この例も、全然よい比較ではありません。
銀英伝の冒頭部に、
<人類をして恒星間飛行を可能たらしめた三美神――亜空間跳躍航法と重力制御と慣性制御の技術>
とあります。
イオンファゼカス号にしろ一般艦船にしろ、移動化されたガイエスブルグ要塞にしろ、駆動手段は、この三美神の系列で考える必要があります。ワープエンジンや通常エンジンを備えたもの同士である、ということです。したがって、駆動手段の異なる帆船とタンカーは、基本的性質が異なるので、まったく適切な例ではありません。
> > >(1) イオン・ファゼカスは大質量ワープの実例ではない
>
> 繰り返しになるのですが、私がここで主張したかったのは
>
> 『時系列の関係上、イオン・ファゼカスがワープしたとすると、非常に強引な作品解釈を持ち込まないといけなくなるので、それはよほどのことがない限り避けるべきだ』
>
> ということでした。
> はるか昔のイオン・ファゼカスが大質量ワープできたとすると、じゃあ、銀英伝3巻でシャフトがガイエスブルクのワープを新技術であるかのように自慢しているのは何故だとか、どうして同盟の面々は要塞がワープしてきた事にびっくりしてるんだ、ということになってしまうからです。
> これを受け入れるには、文明が「健忘症」になって大質量ワープ技術のことを忘れてしまったとするしかありません。しかも、この健忘は「昔はできたことが、今はできなくなってしまいました」という軽度の健忘ではありません。「昔はできていたということそのものを忘れてしまいました」という重度の健忘です。また、大質量ワープのような「単純な」技術についてはなお苦しくなります。単純な技術は失われにくいからです。結局、この健忘(文明の衰退)という解釈は非常に受け入れ難いものになってしまいます。そのような文明の衰退があったという説明は本文中に全くないのですし。
>
> ですから、作品を理路整然と解釈するためには、よほどのことがない限り、イオン・ファゼカスがワープしたと考えるべきではないのです。そのよほどのこととは、例えば「イオン・ファゼカスはワープした」というような直接的記述や、あるいは「イオン・ファゼカスは1年間で1光年以上を移動した」というようなワープ以外の解釈がありえないような強力な間接的記述の存在です。そのような証拠があるなら、いかに強引な作品解釈(文明の衰退)であっても、受け入れないわけにはいかないからです。
> 今のところ、そのような記述は見つかっていません。ですから、とりあえずイオン・ファゼカスはワープしなかったとみなすべきではないか……私が主張したかった事はそういうことでした。
> ですから、私の上の主張への回答は、『いや、ここにイオン・ファゼカスがワープした証拠となる記述がある』というものや、『いや、お前の言っている論理そのものが間違っているのだ』というものだと思うのです。
あのですね、「銀英伝世界」では「宇宙船がワープできるのは当たり前」の話ですよね?まさか、これを否定なさる方がいらっしゃるとは思えませんけど。ボリス・コーネフが使っているような小さな貨物用宇宙船ですら、ワープできるのが当然の世界なんです。
そんな世界で「巨大なワープできない宇宙船」が存在し、しかもその宇宙船が「自由惑星同盟の建国にあたって、重要な役割を果たした」のなら、「イオン・ファゼカス号はワープできない宇宙船であったが」という記述がないと変です。本当に「ワープできない宇宙船」であったなら、作中で特筆されていなければならんでしょう。
何か勘違いされている方が何人かいらっしゃるようですが、「記述がない」ということを根拠にすれば、何を主張しても作品論として許される、という訳ではありませんよ。「燃料補給の記述がないから、艦船の航続力は長大である」という主張には、「あれほど補給の重要性について繰り返し繰り返し強調されている作品であるにもかかわらず、有能と評されている将帥たちが、補給線寸断の危機にさらされている状況ですら、食料については心配していても、燃料について全く心配していない」からこそ、「銀英伝世界の艦船の航続力は長大であって、燃料補給の心配はあまりない」という主張が「記述がない」ことを根拠に主張できるんです。
それと、「新技術」云々に関しては、シェーンコップが「新しい技術という訳でもない。スケールを大きくしただけのことだろう。それも、どちらかというと、開いた口がふさがらないという類だ」とまとめてますよね。それに対し、「新しい技術を開発させたと見える」と言っていたムライからの反論はありませんよ。
もう、いい加減に「反対の為の反対」は、お止めになられたらいかがですか。「イオン・ファゼカス号はワープできなかった」論には、無理がありすぎます。
> あのですね、「銀英伝世界」では「宇宙船がワープできるのは当たり前」の話ですよね?まさか、これを否定なさる方がいらっしゃるとは思えませんけど。ボリス・コーネフが使っているような小さな貨物用宇宙船ですら、ワープできるのが当然の世界なんです。
> そんな世界で「巨大なワープできない宇宙船」が存在し、しかもその宇宙船が「自由惑星同盟の建国にあたって、重要な役割を果たした」のなら、「イオン・ファゼカス号はワープできない宇宙船であったが」という記述がないと変です。本当に「ワープできない宇宙船」であったなら、作中で特筆されていなければならんでしょう。
横レスですが、これは、イオン・ファゼカス関連包括ですね?
はっきり申し上げますと・・。
それは、物語が書かれた前後関係で生じた破綻でしょう。
私にとっては、それを埋める試みの1つが、「イオン・ファゼカス亜光速説」である
だけです。
仮想的な問い:
「大質量ワープが3巻時点で可能になった新技術でなかったとしたら=
イオン・ファゼカスの時代からそれが可能であったとしたら、
何故帝国は過去それを使わなかったのか?
何故移動要塞の大軍団が同盟領を襲わなかったのか?」
現実的な答え:
「3巻を書いた時にそう言う事まで取り繕って考えなかった。
要塞対要塞はエンタテイメントとして面白いし、既に作中で出しているギミック
(ワープ理論)をちょっといじくれば要塞を運べるので、やってみた。
作中の過去にその技術が使われた場合どうなるかまで、作者は構っていな
かった。
それに、作者にとってはそう言う歴史を書かなければ、矛盾などは生じないので
ある。」
読者にとっての解釈の余地:
「大質量ワープが過去から可能だったとしたら、使われなかったのは何故か?」
「忘れた」
「使えない理由が出来た」
「必要なかった」
「たまたま金がなかった」
「歴史的状況でそう言う可能性が実現化しなかった」
「実はその技術(大質量ワープ技術)は3巻時点までなかった」
etc・・。
現実的な理由から言えば、書いてないのは当然です。
3巻設定は後付けなのですからね。
1巻が書かれた当時、イオン・ファゼカスはワープ船であったかも知れません。
しかし、3巻が書かれた時点で、それでは都合が悪い事態が生じたのです。
その都合の悪さをどう解決するかについての意見の対立という事でしょう。
> 何か勘違いされている方が何人かいらっしゃるようですが、「記述がない」ということを根拠にすれば、何を主張しても作品論として許される、という訳ではありませんよ。「燃料補給の記述がないから、艦船の航続力は長大である」という主張には、「あれほど補給の重要性について繰り返し繰り返し強調されている作品であるにもかかわらず、有能と評されている将帥たちが、補給線寸断の危機にさらされている状況ですら、食料については心配していても、燃料について全く心配していない」からこそ、「銀英伝世界の艦船の航続力は長大であって、燃料補給の心配はあまりない」という主張が「記述がない」ことを根拠に主張できるんです。
それは、違います。
まず、「何を主張しても許される」などという文脈で語られるような事はやって
おりません。
3巻で大質量物体をワープさせる技術が付加されるまで、1巻でイオン・ファゼカスが
ワープ能力を持っていたのかどうかなどという問題を気にする必要はなかったのです。
記述の有無に寄らず、「ワープ能力がある」と解釈出来ていたのです。
逆に申します。
大質量のワープが特別なものであるという設定が後づけされなければ、そもそも
ワープさせる物体の質量の限界などという事を、読者は考えさえしなかったでしょう。
しかし、現実時間で言えば後で追加されたその設定によって、作中の歴史の流れに
IFが生じてしまいました。
そこで初めて、「イオン・ファゼカスに関するワープ能力の記述がない」事による
別解釈の余地が生じたのです。
作中のどこにでも、何にでも妙な設定を突っ込んだわけではありません。
「要塞の大質量ワープ」という事実の付加によって初めて、同等以上の大質量物体の
ワープが出来たのなら、何故?という謎が生じ、それを説明しえるポイントを探した
結果が「イオン・ファゼカス」にたどり着いたと言うだけの事です。
不沈戦艦さんが(前後しますが)言われる
「そんな事までしなくても説明は出来るだろう」
という趣旨のお話(だと思いますが)は分からなくもありません。
が、ガイエスブルク以前の大質量ワープの実例があるとすれば、それはイオン・ファ
ゼカスだけです。
これを切り捨てると、以後その技術が引き起こすかも知れない問題は全部消えます。
作中歴史のIFは綺麗になくなるのです。
これに取り付いて話を展開する人間が他にも居るのは、私には自明の事と思えます。
そう言うやり方自体が「認められる・認められない」というお話となると、これはもう
主観の相違です。
> それと、「新技術」云々に関しては、シェーンコップが「新しい技術という訳でもない。スケールを大きくしただけのことだろう。それも、どちらかというと、開いた口がふさがらないという類だ」とまとめてますよね。それに対し、「新しい技術を開発させたと見える」と言っていたムライからの反論はありませんよ。
ムライが何も言わなかったのは、当然です。
シェーンコップもムライも技術者ではなく、技術論を戦わせる場所でも状況でもない
からです。
彼らが「これは新しい技術だ」「いや違う」と喧喧囂囂し、結論を出したとしても、
意味がないからです。
そもそも、作中でヤンの幕僚たちが技術論を戦わせていたケースは記憶にありません。
この一幕について事実といえるのは、「二つの意見があった」という事だけでしょう。
しかも、作中で技術者ではないと分かっている人々の。
そして、そこで明示されているのは
「ムライはガイエスブルクのワープについて、新しい技術を開発させたと判断した」
「シェーンコップはスケールを大きくしただけだと判断した」
という事だけです。
双方とも、過去に帝国あるいは同盟が同規模のワープ技術を持っていたかについて、
どちらかといえば否定的印象を、私には与えます。
シェーンコップは「スケールを大きくしただけ」と言う。
しかし、実際にはシャフトは「エンジンの同調」と言う技術を開発しています。
それなしには、要塞のワープが出来ないのは作中で明らかな事です。
つまるところ、シェーンコップには技術的に鍵となる要素が見えていないのです。
彼はワープ技術の専門と言うわけではないから、知らないのは当たり前です。
作中の前後関係からして、明らかに「そう言うことについては大して知らない」
のです。彼は。
ムライもまた、そう言う「情報の欠如」については同じ事でしょう。
しかし、彼は参謀です。
かつてそう言う技術が存在し、また運用されていたとしたら、知っていても
不思議はありません。
しかし、ムライは「知らなかった」。
だから新技術だと言ったのです。
この一幕は、3巻の時点で大質量ワープが新技術扱いされている事について
傍証は与えても、過去それが使われていたかどうかについては示唆しません。
これだけでは「あった」とも「なかった」とも言いかねるのです。
正直言って、冒頭で言ったように、大質量ワープが特別扱いされるまで、こんな
言葉尻をつつくようなぎくしゃくした解釈は一切考える必要がなく、
「あの世界の宇宙船はすべからく全部ワープ船」
で全然問題なかったのです。
しかし、この台詞以降、「大質量ワープがずっとあった」として話を進めると、
かつてそれが使われなかった理由についてのIFが生じてしまいます。
それがなかったならば生じない問題が。
「それは破綻ではない」と仰るのも、また結構な事です。
矛盾を繕う他の手段を提示してくださるのもありがたい話です。
が、「そのような補完の仕方は、作品論としては認められない」というお話
ならば、設定の風呂敷が破れたところを繕うなどという向きの話はもう作品論より
二次創作寄りでしょう。
作品そのものについての検討より、「IF」・・だったら?に踏み込んで
しまっていますから。
私自身がしているのは、作品論ではなく、設定の遊びです。
徹頭徹尾物理理論を使用した「イオン・ファゼカス亜光速説」を書いてしまった
のも、そのあたりからです。
終始「あるべき」「自然」より「可能・不可能」についてしか述べないという
態度を取っているのも、そのためです。
・・あれはあまりにやりすぎたと思ったので、ちょっと論点を引き戻して、
いま少し取り付きやすいIFを出してみたのですが。
そも、この枝が入っているイゼルローンの移動要塞化の話自体、私の目から見れば
純粋なIFであり二次創作なのです。
論者の冒険風ライダー氏自身は、別のお考えかも知れませんが、私には、あれは
設定の遊びの極地に見えます。
作中の事実という仮想から別の仮想を引き出し、その仮想からまた仮想を積み上げて
移動する無敵の巨大要塞にするという、芸術的な空中楼閣です。
・・その要塞を効果的に破壊するミサイルを設計してみたのは、ちょっと悪趣味な
遊びだったかも知れませんが。
> もう、いい加減に「反対の為の反対」は、お止めになられたらいかがですか。「イオン・ファゼカス号はワープできなかった」論には、無理がありすぎます。
ご不快だったら申し訳ありませんしたm(__)m。
しかし、このような趣旨の発言自体が全てルール違反であり、
「観客を楽しませる架空設定の架空戦記的出し物」
としても面白くなく、認め得ざるべきものなのでしょうか?