>luluさん
> すべては作者の都合。
> ヤンとラインハルトを戦わせたいがためのね。
> それがわかっていて何とか納得できそうな理屈を見つけようとしているNさんと、
> そういった視点切り捨ててヤンを非難しているS.Kさんといったところですかね。
> 私もヤンは嫌いですが、どうも作者の都合という面で行動をゆがめられている
> 部分が嫌いなだけで、人間性とか小ネタの部分は結構好きなのではと思い直してます。
生憎私はヤンを嫌いじゃないですよ?
ヤンを非難している訳ではなく監督に「もう少しいい見せ場ありません?」とお伺いを立てている弱小スポンサーですから(ちゃんと徳間新書版購入いたしましたので)。
「切り捨てる」ってのはどこから引っ張り出してきました?
> 「やれやれ、こんなの私のキャラクターじゃないんだけどねえ」
> 「読者が納得しないから適当な理屈こねてよろしく頼むよ」
> というプロデューサーと出演者の座談会が浮かぶ私は、
> やはり田中芳樹に毒されているのかなあ。
「ちゃんとした理屈がつくでしょ、適当じゃ困る。そら、そっちも安易に流されない。貴方の芸暦なんだよ?」くらいはいいんじゃないですかね。
今回は、何が何でも「第二次長征一万光年」を否定しようと言うような趣旨ではないので、お手やわらに、願いたいと思いますね(笑)。
<A>(1)から(4)の段階変化について
さて、前々回に述べた(1)から(4)の分類は、対立する複数(二つ)の政治的勢力が存在する場合に、どのような段階を踏むことになるか、ということを示したものです。
どちらの勢力にしても、大目標としては全部(1)を望み、それが叶わなければ半分(2)、それも無理なら一部(3)、それさえも無理なら新天地(4)、という順番で目標を設定しそれを志向するものではないでしょうか。また、実際の段階としても、例えば群雄割拠の戦国自体が統一される段取りを考えてみても、まず一部(3)の達成があり、次いで半分(2)、その後に全部(1)の支配が達成されるものでしょう。
アーレハイネセン率いる流刑者たちは、逃避(4)の段階から始めたわけですが、その後継者たちは、勢力を拡張するに伴って、人類の支配地域の全体から見れば、(3)の段階を経て(2)の段階に到達したわけです。が、(1)を狙う過程で、失敗してしまったわけです。
基本的には、
(1)⇔(2)⇔(3)⇔(4)
の四段階において、
状況を許す限り、左を志向し、現状が維持できなければ一段階右へ落ちる、という変化が繰り返されるものではないでしょうか。
ヤン自身の考え方を追跡してみます。
同盟が(2)の段階にあるとき(イゼルローン要塞の攻略以前:1巻:黎明篇)は、シェーンコップとの会話にも描かれているように、イゼルローン要塞の攻略成功が、(2)の維持において大きく寄与するであろう、とヤンは考えています。つまり、(2)の段階で、戦力で圧倒しているわけでもないのに(1)を望むのは危険であって望ましくないが、(2)を維持することには意義がある、と考えているわけです。
同盟が(2)の段階からすべり落ちようとするとき(帝国による「神々の黄昏」作戦の発動時:4巻策謀篇等)は、イゼルローン要塞の放棄からバーミリオン会戦にいたるまでの間は、(2)の段階を維持すべく、ラインハルトの殺害を意図する戦闘を行うわけです。
同盟の全土が一旦帝国に支配されてしまって、(2)はおろか(3)の段階からも滑り落ちてしまったとき(自由惑星同盟の講和受諾:5巻風雲篇:急転)以降は、当面の目標としては、現実的には、(3)にならざるを得ないでしょう。ここで、エル・ファシルの独立の時点で、一応は(3)の状態が現出した、と考えます。
冒険風ライダーさんがわざわざ引用してくださった、「銀英伝7巻 P190上段」、「銀英伝8巻 P36下段」の記載は、一応(3)を志向するものです。(2)からすべり落ちて(3)の段階からも滑り落ちようとする段階の勢力にとっては、(3)の維持を図ろうとするのは、当然の現実的戦略であると思われます。
もちろん、ヤンの意図する(3)、つまり「銀英伝7巻 P190上段」、「銀英伝8巻 P36下段」のような「バーラト自治区」なるものは、形式的には(3)の達成であっても、実質的には(3)が達成されているとは言い得ない点で、確かに愚かであろうかと思います。この点に関しては、過去の議論等に関して異論はありません。
つまり、ヤンの考え方自体も、(2)の段階や(2)からすべり落ちようとする状況では(2)の維持を目指し、(3)の段階や(3)からすべり落ちようとする状況では(3)の維持を目指す、というものです。
> <ヤンの生存中は、「エル・ファシル独立政府およびその惑星住民、そしてヤン麾下で戦うことを選択した人達」は、ヤンの軍事的才能を利用して、(2)を実現することを目的としていたに違いありません。それが望み得ないとしたら、エル・ファシルとイゼルローン要塞とを墨守すると言う(3)の実現を、第二の望みとするものでしょう。>
>
> いえ、同盟と袂を分かち、エル・ファシル独立政府に合流して以降のヤンは、己が考える「第一優先の」構想を以下のような形で明確に語っております↓
> <「銀英伝7巻 P190上段」、「銀英伝8巻 P36下段」の引用>
まあ、一応、私が考えの対象としておりましたのは、「エル・ファシル独立政府およびその惑星住民、そしてヤン麾下で戦うことを選択した人達」であって、ヤン自身ではないので、上の説明に矛盾はないかと思います。
また、上で説明しましたように、ヤン自身の考え方も、状況に応じて、(1)⇔(2)⇔(3)⇔(4)の四段階を、その段階を墨守するか、どちらかに一段階ずつスライドさせる(決して2段階飛び越したりせずに)、というものでしょう。
<B>私(パンツァー)の考えの根幹
「長征一万光年」っていうのは、銀英伝世界においても一種の異常事態であって、通常の選択肢として取りうるものではないように思うところです。
これは、国共内戦に敗れた国民党が台湾に逃れるとか、イギリスの清教徒がアメリカに新天地を求めるとかいうのとは、訳が違います。毛沢東の長征にしたところで、未知の土地を逃亡するわけではなく、農民勢力の存在する土地を辿って、共産党が逃亡するに過ぎません。
銀英伝の「長征一万光年」っていうのは、ベトナム戦争後のボートピープル(ベトナム難民)や、もっとさかのぼれば、大陸から船で日本列島に逃れてきた人々、みたいな感じに見えます。座していれば明らかな死が待つばかりだから、生きられるかどうかまったく不明な博打を打つだけの話のように思えるのです。
第二次長征一万光年を目指す艦隊が、帝国領と同盟領とを分かつ防壁(恒星群の宙域)のような領域に至ってしまえば、やはり、アーレ・ハイネセンらの流刑者が辿ったのと同じような損害を受けることになるでしょう。
そう簡単に、取りうる選択肢であるようには、思えないですね。
軍事的にまったく叶わない状況に陥っても、思想弾圧がきびしくて、共和主義者もしくはそう思われる者が、すべて流刑地にでも送られるような状況にならないと、やろうと言う気にならないとしても、不思議はないような気がします。
<B>イゼルローン要塞の移動化が実現する場合(銀英伝考察3を前提)
<つまり、移動要塞がどこかの惑星を襲撃して帝国に大被害を与えた場合、帝国軍が同盟領の惑星に対して「ヴェスターラント式」の報復攻撃を行った場合、どうすりゃいいんですかね?>
不沈戦艦さんによる上の指摘がありますが、イゼルローン要塞の移動化の意義は、冒険風ライダーさんが指摘されている通り、要塞主砲の移動化よりもむしろ、補給源の移動化にある、と考えます。
要するに、同盟の降伏後も、64箇所の補給基地に相当する(それ以上の)補給効果を、ヤン艦隊が得られることを意味します。
そうすると、状況的には、上で私が述べた、
「同盟が(2)の段階からすべり落ちようとするとき(帝国による「神々の黄昏」作戦の発動時:4巻策謀篇等)」の状況に近いものとなるのです。そうすれば、「ヤンが(2)の段階を維持すべく、ラインハルトの殺害を意図する戦闘を行う」行動に出たとしても、不思議は無いはずです。この場合ももちろん、具体的には、帝国艦隊の各個撃破を目指すものであり、帝国が無視を決め込めない状況に追い込んでいくことになります。ラインハルトが自らに不利な状況で決戦に応じればよいし、決戦に応じてこないのであれば、帝国の威信を低下させることができるでしょう。
帝国としては、ヤンの一個艦隊に、少なくとも二個、望ましくは三個艦隊以上で立ち向かう必要があるでしょう。そうすると、二から三個艦隊が一組となるユニットを組まないと、艦隊を運用できないことになります。帝国が保有する艦隊数は、リップシュタット戦役後、15艦隊程度ではなかったでしょうか。帝国が攻勢作戦を取らない場合、このユニットごとに一星系を守備させるとしたら、イゼルローン回廊の蓋にも一ユニット必要なのでそれを除くと、4から6星系程度しか、守備できないことになるのではないでしょうか。
そうすると、帝国軍の実質的に支配する実質支配宙域(二から三個帝国艦隊の直接守備領域)と、帝国軍の支配力が部分的にしか及ばない緩衝宙域、その緩衝宙域の彼方にある同盟根拠地宙域、なる三宙域に、旧同盟領が分断されるものと思います。
もちろん、帝国は、10個艦隊程度を集中するなどして、同盟根拠地宙域に対する攻勢作戦を行うでしょうが、そのようなことをすると、後方の連絡線、補給線を急襲されて、作戦そのものを頓挫させられてしまうこともあるでしょう。また、実質支配宙域の支配が覆されてしまうかも知れません。
もともと旧同盟領は、帝国に対する忠誠の高い地域ではないのですから、同盟に寝返りやすく、一旦寝返ったなら帝国側は再び実質的な軍事的圧力(艦隊の派遣)等を加えないかぎり、再び占領下に置くことは困難でしょう。
こういう苦しい状況でゲリラ戦を戦い抜くことで、帝国軍が疲弊して、イゼルローン・フェザーン回廊の周辺部にまで撤退する日の到来を、待ち望むわけです。
ゲリラ戦で国土を守り抜く、というのは、現代社会の例であれば、ベトナム戦争だとか、アフガン戦争など、との対比ができるかもしれません。
<そもそもの「帝国領内での有人惑星への攻撃、非戦闘員の大量虐殺」は「ヤンの性格ならそれはない」というシロモノでしかないですから。>
<この「チキン・ラン」が実行された場合、言うまでもなく帝国軍の方が有利でしょうね。>
ヤンの性格うんぬんの話もあるでしょうが、帝国軍の方が結果として有利と分かっていれば、ヤンもこの種の虐殺戦術を採用しないでしょうね。
また、帝国の方が一方的にこの種の虐殺戦術を採用した場合は、帝国自体の内部分裂を誘うことができるかもしれません。そこまで一枚岩ではないでしょう、帝国は。
<C>イゼルローン要塞の移動化を無視する場合(銀英伝考察3を前提としない)
こういう話であれば、別に、ヤンと関わり無く、帝国による「神々の黄昏」作戦の発動時(フェザーン陥落)以降に、同盟の方で船団を編成して、新天地を目指して出発させても良いわけですね。
ヤンはヤンで、その軍事的才能を活かして、同盟領からの帝国軍の撃退を目指してもらう、ということにして。
> ほぼ同時代にドイツ軍がA10ロケットを作れたからといって
> 日本がそれを作れたわけではありません。
できなかったと言う為には作中「どうにもならなかった」描写が必要です。
「絶対できた」とは(移動要塞論を肯定する立場の)誰も言ってませんが。
「ガイエスブルグの事例と関係者の発言から察するに極めて再現率の高い事例ではなかったのか?何故俎上にも上らなかったのだろう」と言っているだけで。
> 長い経験や研究の結果であり一日一夕で完成するものではありません。
悪い観点じゃないですが0からの理論構築と実例はある技術の分析は大分違うでしょうね。
> ガイエスブルグが飛んでからヤンがイゼルローンに来るまで1年あったかな。
> 専門家でもないヤンがそれを当てになると考えるとは思えないですね。
ヤンがやる訳じゃないですよ。
ヤンは「不可能だろうか」と手の届くところにいる専門家各位に聞けばよかっただけで(「『難しい』レベルなら何とか実現させてくれ」くらいは要求しても仕方ないです)。
> ヤンも軍人ですので、失敗すればもう後がないような状況で
> 今まで手を出してなく、経験のないような技術を導入する事などは
> 考えもしなかったのではないかと思います。
たかが敗国の残存艦隊で帝国全軍に「目に物みせろ」という段階で後もへったくれもありません。
あとは掛け金に見合った成果の出る賭け先なら何だっていいんじゃないですか?
以前も言いましたが「それでラインハルト貴下の元帥・上級大将及び揮下艦隊は半減確実」という根拠さえあればあるいはスパルタニアン神風特攻隊だってありえない話じゃなかったんじゃないですか。
> そもそもSFの皮をかぶったファンタジー作品に毒されないでください。
> まじめに考えすぎです。
不真面目に読み捨てて良しとするなら議論系サイトに書き込みなんかなさらないと宜しいのにと思いますよ。
> でも私もラインハルトが死んでから20年後には、帝国では
> シャフトが残した技術が発展して巨大な球形の宇宙船が発達し
> シャフトが悲劇の英雄になってるんじゃないかと妄想したり(笑)
> 銀河帝国もアルコン帝国と改名してたりして。
かも知れませんね。
何か問題でも?
「移動要塞なんか絵空事だ、ガイエスブルグ要塞は今も帝国領にあるんだバンザーイ」みたいな妄想家とその同調者の方々はどう思うのか知りませんが。
> ほぼ同時代にドイツ軍がA10ロケットを作れたからといって
> 日本がそれを作れたわけではありません。
ジェットエンジンやロケットエンジンは、当時の列強国は、基礎研究は大概どこの国もやってましたけど、
実践的レベルではドイツが先んじていましたね。
私が述べているのは、
要塞級質量体のワープに際して、
帝国と同程度の困難しか、同盟の側にもないということです。
> そもそもSFの皮をかぶったファンタジー作品に毒されないでください。
> まじめに考えすぎです。
そうそう、まさにこの点です。
帝国軍は、戦艦級の質量を100万トンと見積もる試算では、
4000万倍の質量増大におけるワープを易々と実現してしまったのです。
はっきり言って、何でもありですよ。
こういう背景がある以上、
同盟の側では、イゼルローン要塞のワープができないと考える方がおかしいです。
こういうファンタジーなのに、むやみやたらと、もっともらしい理由をつけて、できない根拠があると言い張る人々こそ、
「SFの皮をかぶったファンタジー作品に毒され」てるんだと思いますよ!!
<そういうことを考えると、「移動要塞」ってのは原作にも入れない方が良かったネタなんでしょうね。>
要塞対要塞って、絵的には面白いんですよね。
入れないという方向で考えると、質量弾攻撃一般について、再検討する必要がありそうです。
ガイエスブルグ要塞のワープ移動だけ削除しても、質量弾関連の穴がまだたくさん残っていますから。
あと、要塞対要塞の話は、
別にも、矛盾を引起こしていますね。
ラインハルト王朝が成立した際、
ヤンは同盟とラインハルト王朝の共存の可能性を指摘していました。これは、お話では、同盟の亡命皇帝の扱いで失敗したことになっていますが、だいたい、ラインハルトの側には、こんな口実いりませんでした。というのも、なんの脈略もなく、皇帝の亡命以前に、ガイエスブルグ要塞でイゼルローン要塞を攻略しているわけですから。
この辺は、大失敗でしょうね。
> 要塞対要塞って、絵的には面白いんですよね。
> 入れないという方向で考えると、質量弾攻撃一般について、再検討する必要がありそうです。
まあそうですわ。「絵的には面白い」から入れたいというのは解らんでもないです。
質量弾攻撃に対しては・・・・「トールハンマー」を「宇宙戦艦ヤマトの波動砲(小惑星くらいなら軽く粉砕してしまう)」なみの破壊力で連射も可能とでもするしかないですかねぇ。
> ヤンは同盟とラインハルト王朝の共存の可能性を指摘していました。
これも不思議と言えば不思議なんですけど、「移動要塞を使っての再度の長征一万光年」でなくても、何故ヤンは「再度の長征一万光年」の可能性を全く考えなかったんでしょうか?「アーレ・ハイネセンによる実施例」が「銀英伝の歴史上」に光り輝いているにもかかわらず。「ラインハルトのお目こぼしで、民主政治を生き残らせてもらう」より「ラインハルトの手の届かないところに逃げて、民主政治を生き残らせる」方がよっぽど「目」のある賭けではないかと思うんですがねぇ。
そりゃ、「そうしてしまうと話が続かない」ということが最大の理由ではありますけど、仮に「移動要塞」が否定されたところで、この疑問は必ず残ってしまうんですよ。設定の「穴」としてね。「否定派」の言う通り「移動要塞が実施不可能」だとしても「再度の長征一万光年」が不可能だなんて絶対に言えませんからね。徒手空拳に近かった百年以上昔の「奴隷たち」ですら可能だったことが、ヤン一党にできないなんてことがある訳ないんですから。
<さらにA10のロケットとサターンⅤのロケットを比べてみれば
両者のレシプロエンジンからの格差に比べればどうって事ない差かもしれませんが
現実、歴然とした差があるわけで。
飛ばす質量を数倍にすればかかる費用は数十倍になりますし、
ロケットエンジンの頑丈さは材質に依存するため物理的な限界があります。
そこで束ねて使いましたが、故障の問題を考えるといくらでも増やす
というわけには行きません。機械は必ず故障するものであると考えるので。
理論的にはいくらでも大きくできるが現実的ではない理由の一つですね。
軍などで使うような機械は故障する時間当たりの確率が設定されていて
単位時間当たりのオーバーホールと部品交換が義務付けられています。
どれか一つでも故障すれば致命的である場合、そのようなクリティカルな
部品を不用意に増やすのは故障の確率を恐ろしく跳ね上げます。
それをカバーするのが部品の管理体制やチェック体制で
長い経験や研究の結果であり一日一夕で完成するものではありません。>
いいかげん、この手のネタも聞き飽きてきたのですけどね~。この移動要塞論で、私は一体何度この手の反論に同じ回答を行ってきたことやら(>_<)。
私の移動要塞論でしばしば論じられるこの手の技術問題の致命的欠陥は、その内容自体にあるのではなく、そこで語られる「現実世界の科学技術の常識」を銀英伝に当てはめると「銀英伝という作品世界」そのものが瓦解してしまう、というところにあるのですよ。そこが全く理解できないから同じ反論を何度も繰り返してしまうのでしょうけど。
この議論で何度も述べてきたことですけど、シャフトが考案した移動要塞というシロモノは、立案(宇宙暦798年1月下旬頃)から実用化(同年3月17日)まで最大でもせいぜい1ヶ月半~2ヶ月以下の時間を必要としただけで、さらにその後すぐさまイゼルローン回廊で実戦投入されています(同年4月10日)。また、移動要塞と関連付けて論じられた「長征一万光年」のイオン・ファゼカス号も、たかだかひとりのアーレ・ハイネセンの「思いつき」から実行まで、わずか3ヶ月を要しただけです。
そういう「【現実世界的発想から考えれば】ある意味トンデモな概念」を前提に成立している「【現実世界的発想から考えれば】トンデモな世界」に対して、「理論的にはいくらでも大きくできるが現実的ではない理由の一つですね」だの「長い経験や研究の結果であり一日一夕で完成するものではありません」だのといった「【現実世界における】科学技術や物理法則の常識」を当てはめることがどれほどまでに「作品世界を破壊しかねない脅威」となるのかは、本来ならば私などが何度も繰り返し強調せずとも、少し考えれば誰でも簡単に理解できる程度のことなのではないのですかね?
さらにいえば、そもそも作者である田中芳樹自身が、銀英伝を執筆する際には「【現実世界における】科学技術や物理法則の常識」など考えてすらいないことを自ら率先して明言しております。そしてそれは、移動要塞に関しても例外ではないのです↓
銀英伝10巻あとがき P241
<ただ、作者が承知してやっていることもあります。たとえば、一万光年離れた惑星オーディンと惑星ハイネセンとで、同年同月同日ということはありえませんし、第一巻で私は惑星の自転・公転・暦の関係についてすこし書きましたが、後の巻では、よほど特殊な環境の例を除いて、いちいち言及しませんでした。また季節についても、惑星ごとに当然ちがうでしょうし、同じ惑星でも北半球と南半球ではことなります。そもそも地軸が黄道面に対して傾斜していない惑星では、季節の変化がありません。これらをすべてひっくるめて、季節の変化を地球北半球のそれに合わせてしまったのは、この作品においては、とくに回想シーンにおいて、季節感の描写が必要だったからです。フィクションのなかでの約束事として、ご許容ください。>
銀河英雄伝説読本 P49
<――:
「銀英伝」においては、いわゆるSF的な新しい設定作りとかはされませんでしたね。
田中:
それはやりませんでした。ワープなんていうのもいまさらという感じですし、そういうものは、すでにあるものとして、ハード・ウェア的な設定というのは、細かいことは全然やらなかったわけです。戦艦の大きさや装備がどうとか……。僕が書きたかったのは、ソフト・ウェアの方なのでということです。
――:
そもそも、そういうことを書くためのお話ではないということですね。
田中:
そうです。
――:
ですから、たとえばイゼルローン要塞攻撃のために、ガイエスブルク要塞をワープで運んでくる……ならもう一度ワープすれば、ハイネセンまで行けるじゃないかという話も……。
田中:
そうです、できるんですね(笑)。あれは、艦隊VS艦隊、艦隊VS要塞ときたから、一つ要塞VS要塞というのもやってみようということだったんです。ですから、ハード的な必然性なんて全然考えてないです、あれは(笑)。そういうのがけしからんと言われれば、「ごめんなさい」というしかないわけですね。>
そして、私も作者と作品のこういう前提条件を知っていたからこそ、その前提条件に乗った上で、作者である田中芳樹および銀英伝という田中作品が最も書きたがっていた「ソフトウェア」が「ハード的な必然性」によってぶち壊されてしまうという「事実」を指摘し、さらにそれが作品のテーマ(移動要塞論の場合は「補給の概念」)および作中キャラクターの天才性を根底から覆してしまうことまで証明する形で、私は件の移動要塞論を構築していたわけです。
そういう前提条件の中で「【現実世界における】科学技術や物理法則の常識」などという「筋違いかつ異質な前提条件」を、それも「作品擁護の材料として」無理矢理にでも当てはめようとする行為を繰り返すことは、作中における他の御都合主義やトンデモ設定との齟齬が全く生じることのない完璧な理論でも構築できない限り、銀英伝にとっても、作者である田中芳樹に対しても、それこそ大変失礼かつ無礼なことではないかと思うのですけどね、私は。
<ガイエスブルグが飛んでからヤンがイゼルローンに来るまで1年あったかな。
専門家でもないヤンがそれを当てになると考えるとは思えないですね。
ヤンも軍人ですので、失敗すればもう後がないような状況で
今まで手を出してなく、経験のないような技術を導入する事などは
考えもしなかったのではないかと思います。>
上でも述べたように、移動要塞が「発案」されてから「実用化」されるまでの期間は、最大に見積もってもせいぜい1ヶ月半~2ヶ月以下、イゼルローン回廊到達まで含めてさえ3ヶ月以下でしかありません。この短期間で一気に実用化できる程度の兵器であれば、素人だろうが専門家だろうが「こちらでも実用化できないか」と少しでも考えない方がおかしいのでは?
それから、「経験のないような技術」って、ガイエスブルク移動要塞とイオン・ファゼカス号の2例だけでも、すでに充分すぎるほどの「経験」にはなりませんかね?
<そもそもSFの皮をかぶったファンタジー作品に毒されないでください。
まじめに考えすぎです。>
パンツァーさんも仰ってますけど、そのセリフは、上記で述べたような作者と作品と私の論が土台にしている前提条件を無視し、「【現実世界における】科学技術や物理法則の常識」を無理矢理にでも銀英伝に適用することによって何が何でも移動要塞論を否定しようとする人達に対してこそ、言うべきことなのではないのですか?
「SFの皮をかぶったファンタジー作品」に「【現実世界における】科学技術や物理法則の常識」など当てはめようがないことくらい、本来「まじめに考えすぎ」なければ誰でも簡単に理解できそうなことでしかないのですけどね~。
> ほぼ同時代にドイツ軍がA10ロケットを作れたからといって
> 日本がそれを作れたわけではありません。
銀英伝世界の帝国と同盟って、「第二次世界大戦中のドイツと日本」くらいの「科学技術の格差」があるという設定でしたっけ?具体的に該当個所まで指摘はできませんけど、そういう類の「科学技術の格差」は「全くない。どちらも似たようなレベル」という設定だったと記憶していたんですが。「作中事実」からしても、「指向性ゼッフル粒子」の有り無し(もちろん帝国にはあって同盟にはない)くらいしか、存在しないと思ったんですがねぇ。
「表」で館長氏が指摘していた通り、田中芳樹は「ハードウェアSF」が書きたかったのではなく、ソフトウェアの部分が書きたかった訳ですから、「技術的格差あり」なんて設定を盛り込む筈もないんですけど、そういうことを完全無視して「科学的設定」を優先させるってのはスゴイなぁと思ったです。
> 「SFの皮をかぶったファンタジー作品」に「【現実世界における】科学技術や物理法則の常識」など当てはめようがないことくらい、本来「まじめに考えすぎ」なければ誰でも簡単に理解できそうなことでしかないのですけどね~。
luluさんに申し上げますが、
十歩譲って、
「【現実世界における】科学技術や物理法則の常識」
を当てはめるにせよ、どうか、どうか、
帝国と同盟とで、均等に扱って欲しいものです。
まず、要塞級の質量体がワープできた記述の時点で、
「そんなばかな、こんなことがありえるはずが無い!」
と躓いて欲しいものです。
ここで躓かないくせに、
同盟によるイゼルローン要塞のワープだけ問題視するってのは、
フェアじゃないですよ、まったく。
「シャフトが10年間、秘密裏に、実験を繰り返してきた結果」
とかいった記述でもあれば、
同盟も追いつくのに10年間くらい掛かりそうですけどねえ~。
ほんと、
ダブルスタンダード使いばかりで、
困りますね、まったく。
<「正史」の「要塞対要塞」を単に読んだだけだって、ラインハルトが「ぶつけてしまえばいい」と割り切れるんだったら、「何で最初から適当な大きさの小惑星をみつくろって移動させ、イゼルローンに衝突させようとしないんだ?」と疑問持つのが普通でしょう。>
<要塞対要塞って、絵的には面白いんですよね。
入れないという方向で考えると、質量弾攻撃一般について、再検討する必要がありそうです。
ガイエスブルグ要塞のワープ移動だけ削除しても、質量弾関連の穴がまだたくさん残っていますから。>
銀英伝考察3を構成する移動要塞論の中には、一応この手の小惑星特攻や質量弾攻撃についても言及していたはずなのですけど、あれだけ移動要塞論を潰そうと執拗なまでに「筋違いかつ異質な前提条件」を論じていた移動要塞否定派の方々が、この件に関してはただひたすら無視を決め込むばかりなんですよね。もちろん、それはこの問題に関して下手に「筋違いかつ異質な前提条件」を適用などしてしまったら、作品擁護どころか、私の論をすらはるかに上回る「パンドラの箱を開けるがごとき大破局」が銀英伝に襲い掛かることが最初から明々白々だったからでしょうけど。
その理解力の半分でも、移動要塞論全般に振り向けられていれば、あのスレッドもあれほどまでに長くなることもなかったでしょうに (>_<)。
<結局この「移動要塞論」に対する「マトモ」な反論って「ヤンの性格なら、あまりに多数の非戦闘員の死者を発生させることが必至である移動要塞による帝国領内でのゲリラ戦ではなく、第二の『長征一万光年』を始めるのではないか?」くらいでしたね。まあ、この意見には私も賛同ですが。>
まあこれに関しては「反論」された私自身ですら全面的に賛同したくらいですからね。
ただ、これにしても、結局は私の移動要塞論を否定どころかむしろ肯定するものだったわけですから、その後私はこの「反論」をも自説の一部に組み込んで論を強化してしまったわけなのですけど(苦笑)。
<そういうことを考えると、「移動要塞」ってのは原作にも入れない方が良かったネタなんでしょうね。>
アレは作者自身でさえ、「艦隊VS艦隊、艦隊VS要塞ときたから、一つ要塞VS要塞というのもやってみようということだったんです。ですから、ハード的な必然性なんて全然考えてないです、あれは(笑)」などと言っていた程度のシロモノでしかないのですからね(苦笑)。それがいかに無限の広がりを見せるか、ということについては、ハードウェア的視点はむろんのこと、田中芳樹が語りたかったソフトウェア的観点でさえ、考えが及ばなかったのでしょう。
SF設定なんてシロモノは、ちょっとした「変わり種」を入れただけで何もかもが狂ってしまうような「危険物」だということを、私は移動要塞の自給自足論によって徹底的に思い知らされましたからね~(>_<)。
<ラインハルト王朝が成立した際、
ヤンは同盟とラインハルト王朝の共存の可能性を指摘していました。これは、お話では、同盟の亡命皇帝の扱いで失敗したことになっていますが、だいたい、ラインハルトの側には、こんな口実いりませんでした。というのも、なんの脈略もなく、皇帝の亡命以前に、ガイエスブルグ要塞でイゼルローン要塞を攻略しているわけですから。
この辺は、大失敗でしょうね。>
あの移動要塞を使った第8次イゼルローン要塞攻防戦は、作中キャラクター(それもラインハルトの部下であるヒルダ・ミッターマイヤー・ロイエンタールの3人)からさえも批判されていましたから、作者も「ラインハルトの行動が不自然である」ということを意識して書いてはいたのでしょう。おそらくはマル・アデッタ星域会戦や回廊の戦いでも垣間見られた「戦争狂ラインハルト」を描くための伏線として。
ただ、何でこれが作中では肯定7:批判3くらいの割合で扱われ、しかも敵手たるヤンに至っては全面肯定の対象として考えてすらいた(少しでも批判した形跡が全くない)のか、私としては全くもって理解に苦しむのですけど。
<そりゃ、「そうしてしまうと話が続かない」ということが最大の理由ではありますけど、仮に「移動要塞」が否定されたところで、この疑問は必ず残ってしまうんですよ。設定の「穴」としてね。「否定派」の言う通り「移動要塞が実施不可能」だとしても「再度の長征一万光年」が不可能だなんて絶対に言えませんからね。徒手空拳に近かった百年以上昔の「奴隷たち」ですら可能だったことが、ヤン一党にできないなんてことがある訳ないんですから。>
これは逆に「【そういう前例があったからこそ】、帝国もその再来が起こることを恐れ、ヤンを徹底追撃する可能性が否定できなかった」というのが実情だったのではないですかね? 帝国側にしてみれば、また共和主義者達に「長征1万光年」を実行された挙句、第二の自由惑星同盟などを建国されて再び長期にわたる戦乱の時代に突入されてしまうのではたまったものではないでしょうから、当然「長征1万光年」のような行動を起こす組織は何であろうと事前に叩き潰そうと考えるのが自然です。
また、私が移動要塞論の論拠のひとつとしている銀英伝8巻P216でヤンが語っている「定期的な補給の問題」が解決されないという事情もあったでしょう。この問題が常にヤンに憑き纏っていたからこそ、ヤンは「次善の策」としてイゼルローン要塞に立て籠もらざるをえなかったのですし、私もこの問題を解決する方法論として「移動要塞論」を提示したわけですから。
ただ、これにしても、「では一体どうやって長征1万光年は成功したのですか? また仮にそんな方法があるとして、どうしてヤンはそれを使用しなかったのですか?」と問い返されてしまうと、私も上手い擁護論が思いつかないのですけどね。それこそ「移動要塞」のような「彼らには無期限に補給可能な自給自足システムが存在した」というものでもない限り。
<銀英伝世界の帝国と同盟って、「第二次世界大戦中のドイツと日本」くらいの「科学技術の格差」があるという設定でしたっけ?具体的に該当個所まで指摘はできませんけど、そういう類の「科学技術の格差」は「全くない。どちらも似たようなレベル」という設定だったと記憶していたんですが。「作中事実」からしても、「指向性ゼッフル粒子」の有り無し(もちろん帝国にはあって同盟にはない)くらいしか、存在しないと思ったんですがねぇ。>
不沈戦艦さんが仰っている記述は、多分これのことでしょうね↓
銀英伝1巻 P182上段~P183上段
<想像を絶する新兵器、などというものはまず実在しない。互いに敵対する両陣営の一方で発明され実用化された兵器は、いま一方の陣営においてもすくなくとも理論的に実現している場合がほとんどである。戦車、潜水艦、核分裂兵器、ビーム兵器などいずれもそうであるが、遅れをとった陣営の敗北感は「まさか」よりも「やはり」という形で表現されるのだ。人間の想像力は個体間では大きな格差があるが、集団としてトータルで見たとき、その差はいちじるしく縮小する。ことに新兵器の出現は技術力と経済力の集積の上に成立するもので、石器時代に飛行機が登場することはない。
歴史的に見ても、新兵器によって勝敗が決したのは、スペイン人によるインカ侵略ていどのもので、それもインカ古来の伝説に便乗した詐術的な色彩が濃い。古代ギリシアの都市国家シラクサの住人アルキメデスは、さまざまな科学兵器を考案したものの、ローマ帝国の侵攻を防ぐことはできなかった。
想像を絶する、という表現はむしろ用兵思想の転換に際して使われることが多い。そのなかで新兵器の発明または移入によってそれが触発される場合もたしかにある。火器の大量使用、航空戦力による海上支配、戦車と航空機のコンビネーションによる高速機動戦術など、いずれもそうだが、ハンニバルの包囲殲滅戦法、ナポレオンの各個撃破、毛沢東のゲリラ戦略、ジンギスカンの騎兵集団戦法、孫子の心理情報戦略、エパミノンダスの重装歩兵斜線陣などは、新兵器とは無縁に案出・想像されたものだ。
帝国軍の新兵器などというものをヤンは恐れない。恐れるのはローエングラム伯ラインハルトの軍事的天才と、同盟軍自身の錯誤――帝国の人民が現実の平和と生活安定より空想上の自由と平等を求めている、という考え――であった。それは期待であって予測ではない。そのような要素を計算に入れて作戦計画を立案してよいわけがなかった。>
こんなことが銀英伝の作中に堂々と書かれているのに、「しかし実際には、帝国と同盟には隔絶した技術的格差が存在し、同盟は帝国の新兵器に常に圧倒されていた……」なんてことがありうるはずがないんですよね。第一、もしそんなものが仮に存在するのであれば、ヤンがこんな「事実に基づかない」ことを考えるわけがないのですし。
この手の「作中事実にすら明らかに反する理論展開」を何度も執拗なまでに繰り返されると、私としては「彼らはそもそも銀英伝を読んだことがあるのか?」という疑問すら抱きたくなるくらいなのですがね~。
> できなかったと言う為には作中「どうにもならなかった」描写が必要です。
私には無茶だとしか思えません。
小説の中にあれもだめこれもだめと登場人物の思考過程を詳細に
微に細にわたってだらだらと描写しなければならないと?
ある意味ヤンがやらなかったということ自体が不可能であるという
証拠だと考えます。
> 「絶対できた」とは(移動要塞論を肯定する立場の)誰も言ってませんが。
> 「ガイエスブルグの事例と関係者の発言から察するに極めて再現率の高い事例ではなかったのか?何故俎上にも上らなかったのだろう」と言っているだけで。
上ったんじゃないですか?
何らかの理由で却下されただけで。
私はこのような場合、なぜ却下されたのだろうか?と考えるべきで
考えなかったヤンは馬鹿だ、といった方向に考えるのためらいがあります。
> たかが敗国の残存艦隊で帝国全軍に「目に物みせろ」という段階で後もへったくれもありません。
> あとは掛け金に見合った成果の出る賭け先なら何だっていいんじゃないですか?
ジリ貧を恐れてドカ貧になった国が60年ほど前にあったと思いますが。
本人はいいかもしれませんが、そんな判断をする人間が日本以外で
指揮官クラスになれるとは思えないです。
> 以前も言いましたが「それでラインハルト貴下の元帥・上級大将及び揮下艦隊は半減確実」という根拠さえあればあるいはスパルタニアン神風特攻隊だってありえない話じゃなかったんじゃないですか。
そんな簡単なことなら、なぜ今まで誰もやらなかったんでしょうね。
一応私は不可解な事例があれば、作品世界内になんらかに理由があって
そうなるのだろうと考えますので。
> 不真面目に読み捨てて良しとするなら議論系サイトに書き込みなんかなさらないと宜しいのにと思いますよ。
ただ批判するのはマナー不足ではないかなと思ったんですよ。
ありとあらゆる場合について書き連ねるのは不可能なのに
粗をつついて批判されたらたまったもんじゃないなと思ったので。
しかしS.Kさんの言われることももっともです。
まじめにやっている方を茶化してはならないですね。すみませんでした。
> 要塞級質量体のワープに際して、
> 帝国と同程度の困難しか、同盟の側にもないということです。
どうしてそのように判断されるのですか?
ワープエンジンの発展に関して同盟は遅れてるかもしれませんよ。
同盟と帝国とあらゆる技術レベルがまったく等しいなどという記述は
作品中にはなかったかと思うのですが。
> そうそう、まさにこの点です。
> 帝国軍は、戦艦級の質量を100万トンと見積もる試算では、
> 4000万倍の質量増大におけるワープを易々と実現してしまったのです。
> はっきり言って、何でもありですよ。
>
> こういう背景がある以上、
> 同盟の側では、イゼルローン要塞のワープができないと考える方がおかしいです。
確かに同盟は科学力で遅れているという記述はありませんが
というか、そういった方面での記述はありましたっけ?
ないものは作品世界を肯定する方向で考えるべきではないかと。
この問題は創竜伝の破綻とはわけが違うと思うのですが。
> この議論で何度も述べてきたことですけど、シャフトが考案した移動要塞というシロモノは、立案(宇宙暦798年1月下旬頃)から実用化(同年3月17日)まで最大でもせいぜい1ヶ月半~2ヶ月以下の時間を必要としただけで、さらにその後すぐさまイゼルローン回廊で実戦投入されています(同年4月10日)。また、移動要塞と関連付けて論じられた「長征一万光年」のイオン・ファゼカス号も、たかだかひとりのアーレ・ハイネセンの「思いつき」から実行まで、わずか3ヶ月を要しただけです。
なぜシャフトが立案時から一から作り上げたとされるのです?
エンジン部分だけ先に完成していたのを取り付けただけかもしれませんよ。
冒険風ライダーさんの言われるスケジュールだと完全オーダーメイドの
巨大エンジンをわずか1ヵ月で完成させることができることになります。
はっきり言って不可能です。
たとえばイゼルローンなんていうある意味たんなるドンガラつくるのに
どれだけの期間かかっているのやら。
設計チームの編成だけで終わるんじゃないかな。
それを作品の破綻だ、ではなく実験用エンジンを持ってきて取り付けたんじゃないか
と考えるほうがよいと私は考えました。
そんな私の勝手な設定なんて認めないとされるかもしれませんが、
素直に読む限り何らかの理由で実行されなかったのは作中の事実で、
その理由がなんだろうと各個人で好きなように想像して下さいと、
小説とはそういうものなんじゃないかと思ってます。
作者の舞台裏の話を持ってくるのは筋違いではと思うのですが。
冒険風ライダーさんは作品を破綻させるためにこの案を考えたということなので
かみ合わないのも当たり前かもしれません。あと、
> それから、「経験のないような技術」って、ガイエスブルク移動要塞とイオン・ファゼカス号の2例だけでも、すでに充分すぎるほどの「経験」にはなりませんかね?
経験の意味を取り違えているのではないですか。
両者ともヤンの手元にいる技術者が動かしたわけではないでしょう。
なんというか、現場の経験や技術の専門性を軽視しすぎてませんか。
それにヤンの手元に帝国が動員できたような専門家がいるとでも?
> 「シャフトが10年間、秘密裏に、実験を繰り返してきた結果」
> とかいった記述でもあれば、
> 同盟も追いつくのに10年間くらい掛かりそうですけどねえ~。
>
> ほんと、
> ダブルスタンダード使いばかりで、
> 困りますね、まったく。
私にすれば作品中の記述がすべてです。
多分直接書かれていないけれど、
「シャフトが10年間、秘密裏に、実験を繰り返してきた結果」
は正しいんじゃないですか?
少なくとも小説である以上だらだらと設定書きなぐるのは
忌むべきことでしょう。読み手が補完すべきだと思います。
ヤン一党による移動要塞戦略に関しては否定派というより懐疑派のつもりです。
<結局この「移動要塞論」に対する「マトモ」な反論って「ヤンの性格なら、あまりに多数の非戦闘員の死者を発生させることが必至である移動要塞による帝国領内でのゲリラ戦ではなく、第二の『長征一万光年』を始めるのではないか?」くらいでしたね。>
うーむ、当時自分は原作の記述を重視した上で、技術問題のみならず、政治情勢・経済状態・人的資源など、様々な角度から冒険風ライダーさんのご主張に疑問をぶつけてみたのですが、駄目でしたか?(T_T)
> > できなかったと言う為には作中「どうにもならなかった」描写が必要です。
>
> 私には無茶だとしか思えません。
あなたに思えないとヤンにどう関係するんですか?
> 小説の中にあれもだめこれもだめと登場人物の思考過程を詳細に
> 微に細にわたってだらだらと描写しなければならないと?
「人民の海」計画は「金がないから無理」の一言で完全に説明できてますが?
> > 「絶対できた」とは(移動要塞論を肯定する立場の)誰も言ってませんが。
> > 「ガイエスブルグの事例と関係者の発言から察するに極めて再現率の高い事例ではなかったのか?何故俎上にも上らなかったのだろう」と言っているだけで。
>
> 上ったんじゃないですか?
> 何らかの理由で却下されただけで。
> 私はこのような場合、なぜ却下されたのだろうか?と考えるべきで
> 考えなかったヤンは馬鹿だ、といった方向に考えるのためらいがあります。
「じゃないですか?」止まりですね。
「~でできない」と一行書けば作中事実になるのに。
> ジリ貧を恐れてドカ貧になった国が60年ほど前にあったと思いますが。
戦力差で10対1以上、そもそももう「国」ですらない。
ジリもドカもなくとっくに「貧」なんですよ。
ひょっとしてあなた銀河英雄伝説という小説を読んだ事がないんじゃないですか。
> > 以前も言いましたが「それでラインハルト貴下の元帥・上級大将及び揮下艦隊は半減確実」という根拠さえあればあるいはスパルタニアン神風特攻隊だってありえない話じゃなかったんじゃないですか。
>
> そんな簡単なことなら、なぜ今まで誰もやらなかったんでしょうね。
> 一応私は不可解な事例があれば、作品世界内になんらかに理由があって
> そうなるのだろうと考えますので。
設定ミスという概念をご存知ない方が無理な理屈をつける位作品を貶める行為もないもんで。
> > 不真面目に読み捨てて良しとするなら議論系サイトに書き込みなんかなさらないと宜しいのにと思いますよ。
>
> ただ批判するのはマナー不足ではないかなと思ったんですよ。
> ありとあらゆる場合について書き連ねるのは不可能なのに
> 粗をつついて批判されたらたまったもんじゃないなと思ったので。
「前例のある事は可能前提だろう。不可能なら一行描写しておけばいい」
ああluluさんには大変難易度の高い要求なんですね。
田中氏はもとより余人には1分考えて30秒あれば出来る行為なんですが。
確かにありとあらゆる場合の想定は不可能の様ですね、底辺というものには限度がないらしいので。
> しかしS.Kさんの言われることももっともです。
> まじめにやっている方を茶化してはならないですね。すみませんでした。
茶化しといっておけば後から「本気じゃなかった」言い訳になりますからね。
上記真顔で言っていると思うと他人事ながらさぞ恥ずかしいだろうなあと同情いたしますのでそういう事でいいですよ。
ちょっと腹が立ってきました。
自分の意見と違う意見を持つ人間には、いつもそのような態度で
臨まれるのですか。相手を馬鹿にするような言葉遣いは控えてほしいものです。
> あなたに思えないとヤンにどう関係するんですか?
ヤンを実在の人物だと思ってらっしょるようですね。
ヤンというキャラクターは小説の紙面に縛られた人格に過ぎないのではないですか。
文字に現れない部分は常識に基づいて補完するものだと思っていましたが。
> 「人民の海」計画は「金がないから無理」の一言で完全に説明できてますが?
ほかの計画は?たとえば帝国手の届かないところへ脱出し、
第2の自由世界同盟を作るという案に関して何も書かれていませんね。
前例もあり、検討すべき案ではないでしょうか。
これが書かれていないからといってヤンの手落ちではないでしょう。
考え付く限りありとあらゆる案の是非を数十ページにわたり
書き連ねる必要はないということです。
一つ例を挙げていろいろ考えた挙句の結論だということを匂わせて終わりで悪いですか?
> ひょっとしてあなた銀河英雄伝説という小説を読んだ事がないんじゃないですか。
あなたはあの世界について何でもご存知のようですね。
登場人物や作者より詳しいんじゃありませんか。
さもなければこのように断定することはできないでしょう。
> 設定ミスという概念をご存知ない方が無理な理屈をつける位作品を貶める行為もないもんで。
設定ミスなら、例えば自由貿易商人が往来するような自由惑星同盟で
何故か航路図が機密扱いになっている、などという例ならともかく
読者の脳内設定で、設定ミスといわれるのは違うのではないですか。
> 「前例のある事は可能前提だろう。不可能なら一行描写しておけばいい」
> ああluluさんには大変難易度の高い要求なんですね。
> 田中氏はもとより余人には1分考えて30秒あれば出来る行為なんですが。
> 確かにありとあらゆる場合の想定は不可能の様ですね、底辺というものには限度がないらしいので。
世の中にはページの都合というものがあるんですよ。
> 茶化しといっておけば後から「本気じゃなかった」言い訳になりますからね。
> 上記真顔で言っていると思うと他人事ながらさぞ恥ずかしいだろうなあと同情いたしますのでそういう事でいいですよ。
そこまで馬鹿にされなければならないようなものですか?
不愉快です。
> 私にすれば作品中の記述がすべてです。
ときて、すぐ下の文章が
> 多分直接書かれていないけれど、
ここは突っ込み所ですか? 笑うところですか?
移動要塞に関して盛り上がっていらっしゃる様子ですが、作品を其処まで読んでいないながら疑問に思ったのですが
銀英伝の面白みは、ヤンとラインハルトの頭脳戦と艦隊戦もしくは艦隊による要塞攻略戦だと思うのです。
なので二つの要塞がワープし合う展開は銀英伝のお話の面白みとは違う方向に行ってしまう気がします。
実際の戦争の流れよりも、銀英伝そのものの面白さを追求するとしたら、イゼルローンがワープしないのは普通の出来事で、議論する必要が在るのかと思いました。
乱筆失礼いたします。
揚げ足取らないでください。
要旨はストーリーの展開、個人の行動それには合理的な理由があり、
それは必ずしも文章内に記載されているわけではないということです。
> イゼルローンがワープしないのは普通の出来事で、議論する必要が在るのかと思いました。
「イゼルローンはワープしないのが普通の出来事」だと思うのなら、何で「ガイエスブルグもワープしないのが普通の出来事」だと考えないんですか?それならまだ分かります、というか私もその方が「銀英伝の作品としての一貫性」が保てますので、良かったんじゃないかと思っていますがね。「要塞対要塞」のネタは仮になかったところで、銀英伝がつまらなくなる訳じゃないですから。「小惑星クラス以上の一定レベルの大質量体については、何をどうやろうとワープなど不可能」という設定にしておいた方がよろしかったでしょうよ。イオン・ファゼカス号の大きさも、もうちょっと手頃にしておいた上で。
「自分で主張していることに全く一貫性がない」ということを自覚していますか?
> > 要塞級質量体のワープに際して、
> > 帝国と同程度の困難しか、同盟の側にもないということです。
>
> どうしてそのように判断されるのですか?
> ワープエンジンの発展に関して同盟は遅れてるかもしれませんよ。
> 同盟と帝国とあらゆる技術レベルがまったく等しいなどという記述は
> 作品中にはなかったかと思うのですが。
>
> > そうそう、まさにこの点です。
> > 帝国軍は、戦艦級の質量を100万トンと見積もる試算では、
> > 4000万倍の質量増大におけるワープを易々と実現してしまったのです。
> > はっきり言って、何でもありですよ。
> >
> > こういう背景がある以上、
> > 同盟の側では、イゼルローン要塞のワープができないと考える方がおかしいです。
>
> 確かに同盟は科学力で遅れているという記述はありませんが
> というか、そういった方面での記述はありましたっけ?
> ないものは作品世界を肯定する方向で考えるべきではないかと。
> この問題は創竜伝の破綻とはわけが違うと思うのですが。
「場外乱闘掲示板」の方で冒険風ライダー氏が銀英伝本編からコピペしている内容です。
銀英伝1巻 P182上段~P183上段
<想像を絶する新兵器、などというものはまず実在しない。互いに敵対する両陣営の一方で発明され実用化された兵器は、いま一方の陣営においてもすくなくとも理論的に実現している場合がほとんどである。戦車、潜水艦、核分裂兵器、ビーム兵器などいずれもそうであるが、遅れをとった陣営の敗北感は「まさか」よりも「やはり」という形で表現されるのだ。人間の想像力は個体間では大きな格差があるが、集団としてトータルで見たとき、その差はいちじるしく縮小する。ことに新兵器の出現は技術力と経済力の集積の上に成立するもので、石器時代に飛行機が登場することはない。
歴史的に見ても、新兵器によって勝敗が決したのは、スペイン人によるインカ侵略ていどのもので、それもインカ古来の伝説に便乗した詐術的な色彩が濃い。古代ギリシアの都市国家シラクサの住人アルキメデスは、さまざまな科学兵器を考案したものの、ローマ帝国の侵攻を防ぐことはできなかった。
想像を絶する、という表現はむしろ用兵思想の転換に際して使われることが多い。そのなかで新兵器の発明または移入によってそれが触発される場合もたしかにある。火器の大量使用、航空戦力による海上支配、戦車と航空機のコンビネーションによる高速機動戦術など、いずれもそうだが、ハンニバルの包囲殲滅戦法、ナポレオンの各個撃破、毛沢東のゲリラ戦略、ジンギスカンの騎兵集団戦法、孫子の心理情報戦略、エパミノンダスの重装歩兵斜線陣などは、新兵器とは無縁に案出・想像されたものだ。
帝国軍の新兵器などというものをヤンは恐れない。恐れるのはローエングラム伯ラインハルトの軍事的天才と、同盟軍自身の錯誤――帝国の人民が現実の平和と生活安定より空想上の自由と平等を求めている、という考え――であった。それは期待であって予測ではない。そのような要素を計算に入れて作戦計画を立案してよいわけがなかった。>
田中芳樹本人が銀英伝本編で、こう書いているんですがねぇ。これを読んでも、「ワープエンジンの発展について同盟は遅れているかも知れない」と、本気で思いますか?どう解釈したところで、「この作品においては、技術的格差で戦争の勝敗が決するような内容にするつもりは一切ない」と宣言しているとしか言えないのでは?
まあ、私も冒険風ライダー氏がコピペするまで、この部分を一語一句諳んじていた訳じゃないですけど、これを読んだ記憶はありましたので「帝国と同盟の間に技術的格差があると作者は設定していない」と、この「移動要塞論争」云々以前から判断していましたがね。
>不沈戦艦さん
ご指摘ありがとうございます。
ガイエスブルグの方もワープしなければ確かにこうした議論も起こらないのでしょうね。
イゼルローンがワープしないのが普通だと私が考えたのは、其処まで読み進めていないという無知を承知で書かせていただきますが
イゼルローンは元々回廊の端を防衛し、同盟に侵攻させないことを目的として建造されたものと記憶しています。
その後同盟に奪われてからは、イゼルローンを通過しないルートが発見され、イゼルローンはその意義を失いかけていたと記憶します。
私はまだ此処までしか読んでいないため、この後どう動いたのかわかりませんが、イゼルローンの仕事はその回廊からの侵攻を妨げることであり、あまりひょいひょいワープしてしまってはその仕事を果たせないと考えたため、指摘のあった意見を書くに至りました。
> 私にすれば作品中の記述がすべてです。
> 多分直接書かれていないけれど、
> 「シャフトが10年間、秘密裏に、実験を繰り返してきた結果」
> は正しいんじゃないですか?
> 少なくとも小説である以上だらだらと設定書きなぐるのは
> 忌むべきことでしょう。読み手が補完すべきだと思います。
銀英伝「雌伏篇」4章Ⅱの末尾部分
ラインハルトの台詞の一部として、
「(中略)シャフトは自信満々だが、この計画の困難は発案より実行にあるのだ。奴が今の段階でいばりかえる必要はない」
と、あります。
シャフトは単なる発案者であって、
秘密裏の実験など、ぜんぜんやってないようですね。
作品中の記載を曲げてまで、
「読み手が補完すべき」
なんて、バカなことは言わないでしょうね、さすがに。
> 揚げ足取らないでください。
> 要旨はストーリーの展開、個人の行動それには合理的な理由があり、
> それは必ずしも文章内に記載されているわけではないということです。
そんなこと言うとですね、
すべてのキャラクターが皆、
「必ずしも文章内に記載されているわけではない」「合理的な理由」によって、
行動している、ということになりますよ。
例えば、
銀英伝冒頭のアスターテ会戦における
同盟軍の将軍らや、ラインハルトに扱き下ろされる帝国の将軍らも、
「必ずしも文章内に記載されているわけではない」「合理的な理由」によって、行動していたって、ことになりますよ。
この同盟軍の将軍らや、帝国軍の将軍らは、この場面では、一応愚か者ということになっているわけですが、
「必ずしも文章内に記載されているわけではない合理的な理由」
などを、考える必要を認めたら、
愚かなどと断定することすら不可能ですね。
ヤンやラインハルトが天才であると言うのは、
普通、
数多くの選択肢の中から、最良、もしくは最良ではないにしても良策、と言える選択肢を常に選び取っている、と解釈するものでしょう。
ところが、
「ストーリーの展開、個人の行動」にすべて、
「必ずしも文章内に記載されているわけではない合理的な理由」があったとするなら、
要は、決まりきった道を、すべてのキャラクターが選んでいるって、
ことですよね。
実は、彼らは必然に則って動いただけで、たまたまそういう
「数多くの選択肢の中から、最良策や良策を選び取る」って
いう行動自体が否定されてしまいませんか。
つまり、
ヤンやラインハルトも操り人形の類であって、
その行動の軌跡から天才性が浮かび上がってくるのではなくて、
(数多くの選択肢の中から、最良策や良策を選び取る行動)
単に、作者が本文中で、
天才、天才って連呼しているから、天才である、
と結論しているに過ぎないことになりますよ。
あたかも、全能の神によって、
「ラインハルト、君は、何もしなくても、
アスターテ会戦において勝利を収めることができる、期待していたまえ。」
「同盟の将軍たちよ、君たちは不運だが、最善を尽くしながら壊走の憂き目に遭うことになる、覚悟したまえ。」
このように宣告されているように見えますね。
作品を擁護しようとして、作品の世界観をぶっ潰してしまったら、
何の意味もないんですけどね。
> > あなたに思えないとヤンにどう関係するんですか?
>
> ヤンを実在の人物だと思ってらっしょるようですね。
> ヤンというキャラクターは小説の紙面に縛られた人格に過ぎないのではないですか。
> 文字に現れない部分は常識に基づいて補完するものだと思っていましたが。
上の部分は、下の部分が元ですね。
No6241
<私には無茶だとしか思えません。
小説の中にあれもだめこれもだめと登場人物の思考過程を詳細に
微に細にわたってだらだらと描写しなければならないと?
ある意味ヤンがやらなかったということ自体が不可能であるという
証拠だと考えます。>
別に、作中でヤンが取っている行動よりも愚かな策に関しては、
それらを無視する理由を、一々列挙する必要は無いでしょう。
しかし、作中で実際に取っている行動よりも優れた選択肢があったのなら、それを実際に取らなかった理由については、説明しておく必要があるでしょう。
それを説明しないというのは、説明できないからに過ぎず、
つまり、登場人物が思いつかなかったと言うことを、
如実に物語っているのですよ。
繰り返しますが、すべての選択肢を列挙する必要はありません。
説明する必要があるのは、
作中の行動より優れた行動があるのに、
それを選択しない場合、だけです。
「ヤンがやらなかったということ自体が」
ヤンの思考力の範囲では、
「不可能であるという証拠だと考えます」ね、
私は。
> > 「人民の海」計画は「金がないから無理」の一言で完全に説明できてますが?
>
> ほかの計画は?たとえば帝国手の届かないところへ脱出し、
> 第2の自由世界同盟を作るという案に関して何も書かれていませんね。
> 前例もあり、検討すべき案ではないでしょうか。
> これが書かれていないからといってヤンの手落ちではないでしょう。
> 考え付く限りありとあらゆる案の是非を数十ページにわたり
> 書き連ねる必要はないということです。
> 一つ例を挙げていろいろ考えた挙句の結論だということを匂わせて終わりで悪いですか?
だから、これについても、作中に記載がないことから、
ヤンが思いつかなかっただけ、ではありませんか。
思いつかなかったことが、当然記載されていないだけのことです。
普通に(作品に記載のないことは登場人物の想像力の範囲外であると)考えてみたら、如何でしょうか。
<私はまだ此処までしか読んでいないため、この後どう動いたのかわかりませんが、イゼルローンの仕事はその回廊からの侵攻を妨げることであり、あまりひょいひょいワープしてしまってはその仕事を果たせないと考えたため、指摘のあった意見を書くに至りました。>
頼みますから、全巻読んでからにしてください。
銀英伝「風雲篇」第二章Ⅰ
あたりを読めば、
ヤンが、定点防御しかできないイゼルローン要塞を放棄する話も出てきます。
<そんな私の勝手な設定なんて認めないとされるかもしれませんが、
素直に読む限り何らかの理由で実行されなかったのは作中の事実で、
その理由がなんだろうと各個人で好きなように想像して下さいと、
小説とはそういうものなんじゃないかと思ってます。>
そんなことを言っていたら、そもそもこういう議論の場で作品を論じ合うこと自体、全くもって無意味なものになるのでは? 「お前が何を言おうが俺はこの考えで行く、他人の考えや論の妥当性がどうだろうが知ったことではない」というのが「その理由がなんだろうと各個人で好きなように想像して下さい」の実態なのですから。
それに、この理屈ならば、銀英伝どころか、たとえ創竜伝のような作品破綻であっても、「素直に読む限り何らかの理由で実行されなかったのは作中の事実」ということになり、さらに「その理由がなんだろうと各個人で好きなように想像して下さい」と結論付けられることで全てが正当化されてしまうわけですから、ある意味「フィクションだから許される」などよりもはるかに最低最悪な「作品および作者に対する免罪符」に化けてしまう危険性が非常に高いと言わざるをえないのですが、それでもかまわないと言うのですか?
<作者の舞台裏の話を持ってくるのは筋違いではと思うのですが。>
「作者がどのような意図でもって作品を書いたのか?」を論じる際は作者本人の評論やインタビュー記事を当たるのが一番確実であることくらい、誰だって簡単に理解できるはずでしょう。しかも、私は前の投稿でも述べたように、作品と作者の前提条件にあえて乗った上で移動要塞論を構築しているわけですから、その際に作品と作者の意図を正確に検証および尊重した上で論を進めていくのは至極当然のことです。これのどこが「筋違い」だというのですか?
むしろ、あなたのように「作品と作者と私の論の前提条件」をこれだけ明確に提示されながら、それでもなおかつ「【現実世界における】科学技術や物理法則の常識」を銀英伝に当てはめようとする行為こそが、本当の意味での「筋違い」なシロモノでしかないのですよ。作品と作者の前提条件と完全に相反する「異質」な概念を当てはめて、それで本当に作品が破綻しないとでも思っているのですかね?
<経験の意味を取り違えているのではないですか。
両者ともヤンの手元にいる技術者が動かしたわけではないでしょう。
なんというか、現場の経験や技術の専門性を軽視しすぎてませんか。
それにヤンの手元に帝国が動員できたような専門家がいるとでも?>
ガイエスブルク移動要塞の場合、シャフトは移動要塞の提唱こそ行っていたものの、実際の計画は本来全く技術畑ではないはずのケンプとミュラーの指揮によって、しかもあの短期間によって完成したわけですし、イオン・ファゼカス号に至っては、アーレ・ハイネセンという「ひとりの若造の思いつき」と奴隷階級の集団によって(こちらも3ヶ月足らずで)完成したものなのですけどね。これの一体どこにあなたの言う「【現実世界における】科学技術や物理法則の常識」に基づいた「現場の経験や技術の専門性」なるものが存在しているのですか? そして、上記2例が「作中では実現可能だ」と言うのであれば、ヤンが移動要塞を構築することもまた「作中では実現可能」と結論づけて一向に差し支えないのではありませんかね?
何度も言っていますけど、銀英伝はそういう「【現実世界的発想から考えれば】ある意味トンデモな概念」を前提に成立している「【現実世界的発想から考えれば】トンデモな世界」を舞台にした作品なのでしてね。そして、いくら不満だろうが、移動要塞論はこれを前提に話を進めなければ、必然的に「銀英伝という作品の全面否定」に至ってしまうということを、これまた何度も言っていますが、いいかげん理解するべきです。
> ちょっと腹が立ってきました。
> 自分の意見と違う意見を持つ人間には、いつもそのような態度で
> 臨まれるのですか。相手を馬鹿にするような言葉遣いは控えてほしいものです。
>
>
> > あなたに思えないとヤンにどう関係するんですか?
>
> ヤンを実在の人物だと思ってらっしょるようですね。
> ヤンというキャラクターは小説の紙面に縛られた人格に過ぎないのではないですか。
> 文字に現れない部分は常識に基づいて補完するものだと思っていましたが。
何で莫迦にされているかは、ご自分でやっていることを考え直してみた方がよろしいと思います。
> > 「人民の海」計画は「金がないから無理」の一言で完全に説明できてますが?
>
> ほかの計画は?たとえば帝国手の届かないところへ脱出し、
> 第2の自由世界同盟を作るという案に関して何も書かれていませんね。
> 前例もあり、検討すべき案ではないでしょうか。
> これが書かれていないからといってヤンの手落ちではないでしょう。
> 考え付く限りありとあらゆる案の是非を数十ページにわたり
> 書き連ねる必要はないということです。
> 一つ例を挙げていろいろ考えた挙句の結論だということを匂わせて終わりで悪いですか?
これはまさにその通りで、「前例もあり、検討すべき案」なんですよ。ところが、それについての記述は銀英伝本編にはありません。すなわち「ヤンの手落ち」です。言っておきますが、この「アーレ・ハイネセンと同じように逃げる」ことについては、「数十ページにわたり書き連ねる」ような「考えつく限りありとあらゆる案」の範疇ではないんですよ?何しろ、「同盟建国の祖」であるハイネセンが「作中事実」として実行していて、同盟市民には広く知られた話なんですから。それを書いていないということは明らかなる「穴」でしかないです。
> > ひょっとしてあなた銀河英雄伝説という小説を読んだ事がないんじゃないですか。
>
> あなたはあの世界について何でもご存知のようですね。
> 登場人物や作者より詳しいんじゃありませんか。
> さもなければこのように断定することはできないでしょう。
というか、あなたの受け答えを読んでいる限りでは、銀英伝本編の内容を知らないか、読んでいても忘れているかのどちらかとしか思えないからですよ。本編中に明快に作者が書いてあることより、「脳内設定」を優先させて否定したりするから、莫迦にされるということをいい加減自覚して下さい。
> 不沈戦艦さんが仰っている記述は、多分これのことでしょうね↓
やっぱりそういう記述ありましたよね。「帝国と同盟にさしたる科学技術の格差はなし」と憶えていましたが、作者が本編中ではっきり書いているんですから、それに反するような「科学的常識」を持ち込んでどうするんでしょうか。第二次大戦中の日本とドイツの差を持ち出して「同じものを作ることができるとは限らない」って、莫迦なことを主張するもんです。冗談抜きで「銀英伝をロクに読んでいないし、内容も憶えていない」のかも知れませんね。あのザマでは。
それと、再度の「長征一万光年」についてですけど、「実行するだけのリソース(長距離航行用の宇宙船に必要なエネルギー資源、人員の確保や輸送、食料に空気や水の調達など)を揃えることができない」って言い訳になりますか?少なくとも「アルタイルの奴隷」やってた人たちが、ドライアイスから切り出した巨大宇宙船の船体に航行用エンジンや居住区を据え付け、必要物資と人員を確保した後に帝国軍の監視の目を盗んで逃げだし、一旦姿をくらましてどこかの惑星で長距離移動用の宇宙船を建造し、「長征一万光年」を行ったことに比べれば、ヤン一党の方が遙かに条件がいいとしか思えないんですけど。宇宙船はゼロから作らなくても量産されたものを流用できるし、戦闘艦艇まで「ヤン不正規部隊」は確保しています。物資の調達だって、厳しい環境で豊かな生活を送っていたとは思えないような「奴隷たち」が行うより、社会的インフラが整った同盟国内なら、遙かに容易に行えるでしょう。放棄された補給基地なども確保してましたしね。「ヤン提督の指示を受けて行動している。そのうち、行動を起こすから協力してくれ」と説得すれば、ヤン一党に加担する者は同盟軍部内(軍部に限らず、民間でも)にいくらでもいるでしょうし。「ガイエスブルグを移動要塞にできたんだからイゼルローンだってできるはず」よりは「アルタイルの奴隷に長征一万光年ができたんだから、ヤン一党ならもっと容易に同じことが達成できるはず」の方が、よっぽどハードルが低いんじゃないでしょうか。
まあ、こんなことになってしまう理由は「宇宙船さえ作ることができれば帝国から脱出可能」と軽く考えて「長征一万光年」を設定してしまった田中芳樹に最大の原因があるんでしょうけどね。それと「なぜヤンは再度の長征一万光年を実行しようとしなかったのか?」は「作者の都合。ヤンとラインハルトが最後の対決をしないとストーリーとして面白くないから」という身も蓋もない結論になってしまいますけど、「民主主義を担ってきた同盟が専制主義の帝国に併呑されそうな状況で、何とかして民主主義の灯火を後世に残す」ことを最優先にするのなら、「アーレ・ハイネセンの真似して逃げる」ことを第一に考えるべきでしたよ。移動要塞の有無に関係なく。「回廊の戦い」の直前のあたりでも、もう「絶望的戦力差」と言っていい(ヤン側の勝算皆無)でしょうし。
この「穴」について合理的説明をしようとすれば、やはり「ヤンの天才性」に疑問符を付けざるを得なくなりますね。すなわち、「ヤン・ウェンリーは広い戦略眼を持ち戦術にも優れた軍人であったが、それでも近視眼的軍人としての属性を完全に払拭することはできなかった。すなわち、『目の前の敵と戦い、勝利するところを見せつけたい』という願望から、自由になることはできなかったのである。故に、彼は同時代最大最強の軍事的ライバルであるラインハルト・フォン・ローエングラムと直接対決し、それに打ち勝つという極めて困難な命題に、真正面から突き進んでしまったのだ。彼に与えられた戦略的状況の困難さを熟考すれば、『逃げる』という選択肢もあり得たにもかかわらず。それなのに『正面から戦う』という選択をしてしまったことは、彼もまた『軍人』という枠から逃れることはできなかったのだと結論付けられよう。いかに、彼本人が『大量殺人者としての高級軍人』である自分の姿を嫌っていたにせよ」とでも、「後世の歴史家」に論評させるようになるでしょうな。
> イゼルローンは元々回廊の端を防衛し、同盟に侵攻させないことを目的として建造されたものと記憶しています。
別にイゼルローンに限った話ではないのでは?ガイエスブルグだって、もともと「移動要塞」として運用することなんざ、全く考えずに建設されてますよ。「ガイエスブルグ移動要塞」以前に、銀英伝世界にそんなものはどこにもありませんからね。
<それと、再度の「長征一万光年」についてですけど、「実行するだけのリソース(長距離航行用の宇宙船に必要なエネルギー資源、人員の確保や輸送、食料に空気や水の調達など)を揃えることができない」って言い訳になりますか?少なくとも「アルタイルの奴隷」やってた人たちが、ドライアイスから切り出した巨大宇宙船の船体に航行用エンジンや居住区を据え付け、必要物資と人員を確保した後に帝国軍の監視の目を盗んで逃げだし、一旦姿をくらましてどこかの惑星で長距離移動用の宇宙船を建造し、「長征一万光年」を行ったことに比べれば、ヤン一党の方が遙かに条件がいいとしか思えないんですけど。>
全くもって、この「長征1万光年」のエピソードは、本来、銀英伝の主要テーマでもある「補給の概念」とは完全に相反する「作品のアキレス腱」でしかないんですよね(>_<)。「これが成功するのだから、補給の問題なんて大したことないじゃないか」「アーレ・ハイネセンにできることが、何故ヤンにはできないんだ?」と言われても「作中世界では」返す言葉がないのですし。
これを完全に無視したまま、私の移動要塞論「だけ」を目の仇にして「筋違いの前提条件」を叩きつけて否定しようとする人達が、私には笑止に思えてなりませんね。そのような態度がいかに「作品世界を崩壊に追いやりかねない御都合主義的なダブルスタンダード」に陥っているシロモノなのか、少しは自覚してくれても良さそうなものなのですが(>_<)。
<まあ、こんなことになってしまう理由は「宇宙船さえ作ることができれば帝国から脱出可能」と軽く考えて「長征一万光年」を設定してしまった田中芳樹に最大の原因があるんでしょうけどね。>
これは移動要塞や「長征一万光年」の件のみならず、おそらくは銀英伝における全てのSF設定に対して言えることなのでしょうけど、田中芳樹はどうも「ハード的な必然性」というものが作品に与える影響というものを軽く考えすぎていたのではないかという気がしますね。だからこそ、移動要塞や「長征一万光年」のような「トンデモ設定から導き出されるトンデモ理論」が次々と出現して収拾がつかなくなるわけで。
このあたり、本人も自覚してはいるでしょうし、今更な話でもあるのでしょうけど、田中芳樹の作風や発想法は、やはり「純然たるSF作品をきちんとした整合性をもって描く」という方向には向いていないのでしょうね。