銀英伝考察3-BB

銀英伝の戦争概念を覆す「要塞」の脅威

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収録投稿460件目
board4 - No.6258

「田中芳樹を撃つ」と「読者(心酔者)を撃つ」の違い

投稿者:パンツァー
2005年02月15日(火) 23時55分

銀英伝考察3の反響の大きさ(否定的意見による蒸し返しの頻発)に対して、その原因が何か、ということを一つ考えてみました。それは、どうも次のような理由によるのではないでしょうか。
ここで、田中芳樹氏の著作物の読者のうち、そのキャラクターに相当な思い入れの感情を抱いている人々を、「心酔者」と規定します。以下、この心酔者の心理分析を行ってみましょう。

1.「創竜伝において心酔者が価値を抱く対象」

この掲示板上で、ある方(確か女性)が、創竜伝というお話を次のように捉えている、と述べておられました。
「かっこいい始君たちが、悪者をやっつけるお話」
記憶を頼りに書いているので、表現の異なる部分があるかもしれませんが、大体上の一行のような趣旨でした。

上の内容は次の二つの要素を含んでいます。
A:主人公が(女性読者を引きつけるに十分な)性的魅力を有していること
B:主人公に正義があること

冒険風ライダーさんが展開された創竜伝考察シリーズは、Aの要素に関しては別段述べるところはなく、Bの要素に対しては、痛烈な批判を加えるものでしょう。私は、創竜伝自体を読んでおらず、創竜伝考察シリーズも所々しか読んでおりませんので、誤読・誤解が激しい部分がありましたら、それはどうかご容赦ください。

創竜伝考察シリーズの批判の中には、創竜伝の主人公(始君たち)の掲げる正義が、独り善がりのものであって、この主人公の敵対者(牛種などでしたっけ)と比較して、正義と言いえるかどうかも怪しい、というものがあったかと思います。
さらに、冒険風ライダーさんは、作者たる田中芳樹氏が、創竜伝のキャラクターに仮託して、自ら自身の考える社会批判を展開している、ということも指摘しておられました。

そうすると、創竜伝考察シリーズは、どのような影響力を及ぼすことになるのでしょうか。
主人公(始君たち)の掲げる正義は、客観的に見て正義ではない。

主人公の掲げる正義と、作者たる田中芳樹氏の掲げる正義は同一である。

田中芳樹氏の掲げる正義は、客観的に見て正義ではない。

創竜伝の「主人公に正義があること」を否定することによって、田中芳樹氏の掲げる正義を否定すること、つまり、「田中芳樹を撃つ」という目的が達せられているわけです。

では、創竜伝考察シリーズは、「読者(心酔者)を撃つ」という点においては、どの程度の効果を発揮するのでしょうか。
上にも述べたように、心酔者は、B「主人公に正義があること」にも価値を置いていますが、A「主人公が性的魅力を有していること」に、より一層の価値を置いているものでしょう。

創竜伝考察シリーズ等によって、「主人公に正義があること」がある程度損なわれることになったとしても、「主人公が絶対悪である」などといった結論でも下されない限りは、心酔者は、さほどの痛みを感じないのでしょう。主人公に一体化している作者にとっては、このような他人ごとでは済みませんが、心酔者は、主人公の価値観自体には、必ずしも一体化しているわけではないからです。

しかし、もし、A「主人公が性的魅力を有していること」が損なわれることがあったらどうでしょうか。
例えば、
「四兄弟(始君たち)は、夜な夜な互いに男色を貪り合っていた。」
などという結論が下されたとしたら、どうでしょうか。
これは、恐らく、心酔者にとっては、断じて、許しがたいことでしょう。
始君たちの性的嗜好が、女性に向けられるものではなく、男性に向けられるものであるとしたら、このような始君たちを、始君たちの外見的魅力等に引き付けられている(女性)読者は、許せないのではないでしょうか。

そして、A「主人公が性的魅力を有していること」が損なわれる、ということは、心酔者が、そのお話(創竜伝)に最も価値を抱き、もっとも魅力を感じている部分が、損なわれてしまう、ということを意味するのです。このような結論が、本掲示板上にでも掲載されたなら、轟々たる非難が、集中するのではないでしょうか。

逆に、主人公の価値観とは一体化しているが、主人公が性的魅力などにはさほどの価値をおいていない作者(田中芳樹氏)にとっては、B「主人公に正義があること」が否定されるほどの打撃は受けないのではないでしょうか。

「田中芳樹を撃つ」ということと、「読者(心酔者)を撃つ」ということは、
必ずしも一致しないように思うのです。

2.「銀英伝において心酔者が価値を抱く対象」

次に、上と同様の考察を、銀英伝に対して行ってみましょう。

銀英伝の主人公は、もちろん、ヤンとラインハルトが筆頭です。
銀英伝における心酔者は、ヤンとラインハルトのどういう点に魅力を感じるのでしょうか。

ヤンもラインハルトも、正面の直接的な軍事力による脅威と、後背の政治的な脅威とに、脅かされている存在です。ラインハルトの場合は、門閥貴族の打倒が完了した時点で後背の脅威は消え去り、ヤンの場合は、イゼルローン要塞に立て篭もりヤン・不正規軍を編成する時点で後背の脅威が消え去る、ことになりますが、おかれている状況は似たようなものです。
この二人は状況的に似通っているだけに、読者は、背後の政治体制の違いなどを超えて、この二人に感情移入することができるのしょう。

この状況的に似通ってる二人は、一体、如何なる能力を発揮することで、正面と背後の脅威に屈服されること無く、戦いつづけることができたのでしょうか。
それは、
「天才的な軍事的才能」
これに尽きます。
ラインハルトの場合は、「政治的才覚」も若干働いてはいますが、運命を切り開く最大の力は、やはり「天才的な軍事的才能」でしょう。

つまり、銀英伝において、心酔者が価値を抱く対象は、
ヤンやラインハルトであることは当然ですが、
特に、ヤンやラインハルトの「天才的な軍事的才能」である、
ということでしょう。

この故に、ヤンの価値観に対する痛烈な批判を含む、銀英伝考察1・2などに対しても、心酔者は、さしたるダメージを受けることが無いのでしょう。
ヤンやラインハルトの価値観が少々貶められることがあっても、彼らの価値観が絶対悪であると結論でもされない限り、心酔者にとってはたいした問題ではないのでしょう。
しかし、「天才的な軍事的才能」、これが損なわれてしまうことは、心酔者にとっては、断じて、許しがたいことでしょう。
「主人公の天才的な軍事的才能」これが損なわれるということは、心酔者が、銀英伝に最も価値を抱き、もっとも魅力を感じている部分が、損なわれてしまう、ということを意味するからです。
それゆえに、「ヤンやラインハルトの軍事的才能が、天才であるなどとはとても言い得ない。」と結論する銀英伝考察3に、これまでに見られるような轟々たる非難が、寄せられるのでしょう。これこそが、心酔者が銀英伝に抱く価値の根幹を、徹底的に破壊するものなのでしょうから。

銀英伝考察3は、「田中芳樹を撃つ」という目的で執筆されたものでしょうが、結果としては、「読者(心酔者)を撃つ」という結果を十二分に達成してしまったということでしょうね。

収録投稿461件目
battle1 - No.335

第二次「長征一万光年」について

投稿者:パンツァー
2005年02月16日(水) 01時11分

ヤンの立場で、長征一万光年をもう一度やるって言うのは、私には考えにくいんですよね。
というのも、アーレ・ハイネセンたちの場合は、流刑地に流された共和主義者が、そのままでは野垂れ死にだから、最後の希望をかけて、生死の困難を厭わず、無謀とも思える脱出行を行ったわけです。

これに対して、ラインハルトに追い詰められた状況のヤンは、自分の保身というのを別にすれば、あえて、新天地を求めるほどのモチベーションがないように思うのです。
例えば、帝国による支配があまりにも過酷であって、そのままでは一般民衆の生存が脅かされる、とかいう状況でしたら、第二次長征一万光年をやる動機付けになるでしょうが、ヤンたちは、そういう極限状況には無いと思うのです。だいたい、ヤン自身、名君が出現する限りにおいては、帝政の方がよい政治が行われるのではないか、と考えているくらいですし。
(農奴状態の帝国臣民にはラインハルトの支配はありがたいでしょうが、議会制民主主義とマスコミの恩恵をうける同盟民衆が、例えラインハルトであったにせよ、現状よりましな状況になるとは、とても思えないんですけどね。)

収録投稿462件目
battle1 - No.336

そうでしょうか?

投稿者:不沈戦艦
2005年02月16日(水) 01時31分

> 例えば、帝国による支配があまりにも過酷であって、そのままでは一般民衆の生存が脅かされる、とかいう状況でしたら、第二次長征一万光年をやる動機付けになるでしょうが、ヤンたちは、そういう極限状況には無いと思うのです。だいたい、ヤン自身、名君が出現する限りにおいては、帝政の方がよい政治が行われるのではないか、と考えているくらいですし。

 そうだとすると「回廊の戦い」も全く意味がないってことになりませんかね?「名君が出現する限りにおいては、帝政の方がよい政治が行われる」という状態は、すでにラインハルトの統治によって成立している(色々論考してみた結果疑問はありますけど、一応作中ではそういうことになっているので)訳ですから。

 ヤン抹殺を図った同盟政府といざこざ起こして逃げ出したのは仕方ないにしても、ラインハルトはその後その事実を公表した上で「同盟政府の責任は問うが、ヤンの責任は問わない」と宣言しているんですから、同盟政府消滅後に大人しく出頭して帰順すりゃ良さそうなもんでしょうに。

 という状況ですから「極限状況ではない」というのは当たらないと思います。「何が何でも民主政治を残したいのに、ラインハルトという名君によって民主主義が死滅に瀕してしまっている」というのは、ヤンにとっては十分「極限状況」でしょうよ。そうでなくて、「自分と仲間たちの小市民的幸せが確保できればいいや。幸いにしてラインハルトは名君だし」くらいにしか考えていないんだったら、イゼルローンを奪取して帝国軍と戦うなんて選択をせんでもよろしいでしょうに。モチベーションとしては「回廊の戦い(ご承知の通り、勝算ゼロですからね)」をやるにも「第二次長征一万光年」やるにも、大差はないと思いますがどうでしょう?

収録投稿463件目
battle1 - No.337

ヤン以外の人間が抱く「極限状況」

投稿者:冒険風ライダー
2005年02月16日(水) 02時30分

<「何が何でも民主政治を残したいのに、ラインハルトという名君によって民主主義が死滅に瀕してしまっている」というのは、ヤンにとっては十分「極限状況」でしょうよ。そうでなくて、「自分と仲間たちの小市民的幸せが確保できればいいや。幸いにしてラインハルトは名君だし」くらいにしか考えていないんだったら、イゼルローンを奪取して帝国軍と戦うなんて選択をせんでもよろしいでしょうに。>

 これはヤン以外の人間にとっても同じことが言えるでしょうね。
 エル・ファシル独立政府およびその惑星住民、そしてヤン麾下で戦うことを選択した人達は、ラインハルトの「専制政治」よりも「ヤンと共に戦う」「民主主義を守るために戦う」ことを、自発的にせよ強制されたものであるにせよ、結果的には選択していることになるわけです。自分が併合した旧同盟市民に対しても寛大な措置を取る旨を、征服者たるラインハルトが公に宣言しているにもかかわらず。如何なる動機があるにせよ、彼らにとって、ラインハルトの治世は、それがどんなに寛大かつ安定した生活が約束されたものであったにしても受け容れたくないものであるわけで、充分に「極限状況」に追い込まれていると考えるべきでしょう。
 また、ヤンのような「ある意味非常にもの分かりが良い」人間以外の中には、「もし自分達が負けてしまったら、見せしめにどんな過酷な処置が下るか分からない」と(客観的に分析することなく主観的に)思い込む人もいるでしょう。作中でも、たとえば「薔薇の騎士」連隊などは、バーラトの和約後、自分達が帝国側の報復的処罰の対象にされるかもしれないという不安感を抱いていました(銀英伝6巻 P184)。ヤン以外の人間で同じことを考える人は他にもたくさんいるでしょうね(というか、逆にこういうことを全く考えないのはヤンくらいなのではないかとさえ思うのですが(苦笑))。
 「ラインハルトに帰順する」という「(個々人の主観はどうあれ、客観的には)これ以上ないほど楽かつ安全確実な選択肢」を捨て、わざわざヤンと戦うなどという「絶望的なまでに苦難な道」を選択している時点で、ヤンだけでなく彼らも一種の「極限状況」となっているのであり、そしてヤンには自分の意思とは関係なく、それに応えなければならない義務も存在するわけです。これから考えても「第二次長征一万光年」を躊躇しなければならない要素はどこにも存在しないように思われるのですが、どうでしょうか。

収録投稿464件目
board4 - No.6262

Re:神楽さんの論点の私なりの解釈

投稿者:N
2005年02月16日(水) 23時03分

S.Kさん、レスありがとうございます。いつもこちらの返事が遅れてしまい、申し訳ないです。
よく練られたご意見ですので、私も深く考えさせられます。

人命を第一に、と考えるならば、S.Kさんの仰る通りです。ヤンはそもそも戦うべきではありませんでした。民主主義を諦め、帝国に恭順するのが最善の手段だったと思います。(帝国の体制を立憲君主制とするだけの政治手腕をヤンに期待するのも酷だと思います。ボリス・コーネフなら、或いはやってくれるかもしれません)

しかし、それがヤンだ、とは私には思えないのです。

戦いで兵士が命を落すことについては、用兵家の宿命として、ある程度受け入れていたのではないでしょうか。共和主義者は、その主義にどの程度の価値を与えているのか、というラインハルトの試みは、彼にとっても一定の価値を持つものであったのではないかと思います。ヤンだけが、民主主義を望んでいたわけでもありませんし、彼の部下だけが、戦いで命を落す可能性があったわけでもない、と思います。

収録投稿465件目
battle1 - No.338

優先順位としては

投稿者:パンツァー
2005年02月17日(木) 01時01分

ヤンを含めて同盟の立場としては、政治的目標の優先順位は次のようなものとなるのではないでしょうか。

(1)全宇宙の共和制による支配
(2)旧同盟領全域の共和制による支配
(3)旧同盟領全域の一部領域における共和制による支配
(4)別の宇宙への逃避
(全宇宙とは、銀英伝で主な背景となる旧帝国領および旧同盟領をあわせた領域を指す)

同盟は、アムリッツアの敗戦までは、一応は(1)を目指しているわけです。
アムリッツアの敗戦以降は、(2)を維持することが主目的となるわけで、ビュコック率いる同盟軍やこれに協調するヤン艦隊が、この目標にしたがって、敢闘するわけです。
その後、同盟の降伏により帝国による一応の全宇宙の支配が確立しますが、ヤンは、自らの意図せぬ状況の変化により、イゼルローン要塞に立て篭もるわけですよね。

このときヤン自身、どうしたかったのか、イマイチよく分からないのですが、普通に考えると、なんとか、(2)を達成できるように戦い抜こう、というところなのではないでしょうか。ヤンが選択肢の一つとしていた、ゲリラ戦法(「人民の海」計画?)による帝国に対する抵抗運動というものも、基本的には、(2)を達成する、という方針でしょう。
また、ヤンに追従した人々というのは、基本的に、帝国の支配を潔しとせず、帝国と戦うために、ヤンに追従したのではないでしょうか。もちろん、ヤンの軍事的才能に依存するところ大であって、ヤン亡き後、イゼルローンを去る人々も多数いるわけですが、帝国と戦うという目的自体には変わりないでしょう。帝国と戦う目的は何かと言えば、(2)を達成することのはずです。

ヤンの死亡後は、ヤンと言う軍事的才能の喪失に加えて、兵力の減少(イゼルローンを去る人々)も大きく、まかり間違っても、(2)を達成することすら難しい、とユリアン等ヤンファミリーは考えるわけです。そこで、例の「ラインハルトに認めてもらうことで、共和制の存在を一部に許容してもらう」といった目標が、出てくるわけでした。バーラト自治州とやらが、この(3)に該当しますね。もし、バーラト自治州を目指さないとしても、可能である限り難攻不落の要塞であるイゼルローンに立て篭もりつづける、という選択肢もあるでしょう。イゼルローンを墨守する、というのも、(3)になるでしょう。

ヤンの生存中は、「エル・ファシル独立政府およびその惑星住民、そしてヤン麾下で戦うことを選択した人達」は、ヤンの軍事的才能を利用して、(2)を実現することを目的としていたに違いありません。それが望み得ないとしたら、エル・ファシルとイゼルローン要塞とを墨守すると言う(3)の実現を、第二の望みとするものでしょう。

氷の惑星に流刑された共和主義者たちは、彼らが共和政体の理想を棄てなかったから流刑されたのであって、彼らのみが箱舟に乗って脱出するからと言って、他の民衆を見捨てた、とかいうことにはならないはずです。他の流刑されていない人々は、帝政を受け入れた改宗者たちなのでしょうから。彼らは文字通り、死に瀕していたわけですから、仮に新天地を発見できる望みがほとんど無かったとしても、それに飛びついたのは間違いがありません。だから、この流刑者たちが、(4)を選択するのは、状況的に自然です。

これに対して、「エル・ファシル独立政府およびその惑星住民、そしてヤン麾下で戦うことを選択した人達」は、(2)や(3)が目的で結集しているのであって、(4)が目的で結集しているわけではありません。
この結集後に、ヤンが目的を(2)や(3)ではなく(4)に変更する、となったら、ヤンに従う人々っていうのは、大きく変化することになるでしょう。結集時の目的とは異なる目的に従わされることになるわけですから。
宇宙は広いので、どこかには新天地があるんでしょうけど、かならず、新天地を発見できると言うものでもないでしょう。そういうアヤフヤな目的のために、果たして、どれほどの賛同が得られるのか。もちろん、イゼルローン要塞をワープ移動化したら、補給源には困らないので、アーレ・ハイネセンの逃避行とは比べ物にならないほど、安全にはなるんでしょうけど。加えて、(4)を選ぶと言うのは、同盟の一般市民を見捨てて、自分たちだけ逃避するっていうイメージもありますね。

だから、ヤン自身の考えの曖昧さもさることながら、(4)を目的として、同盟民衆の支持が果たしてどの程度選られるのか、つまりはヤンもしくは他の指導者にしたがって、別の宇宙を目指すと言う冒険に出かける人々が果たして十分な数いたのか、という点が大きな疑問として残るのです。

やはり、(2)も駄目、(3)も駄目となったら、次は、
(3・5)とでも言うべき、地下抵抗活動があって、
これらが尽く失敗して、専制に改宗せぬ筋金入りの共和主義者たちが流刑地にでも集められた後、この流刑者たちが死を覚悟して脱出行を図る、くらいの段階を踏む必要があるのではないか、という気がします。

不沈戦艦さんもどこかで述べておられたと思いますが、戦わずして降伏するっていうのは、上で言えば、(2)や(3)をやり抜かずに、さっさと(4)を選択するっていうのは、実際にできかねるのではないか、と思うのですよ。

もちろん、絶対(4)を、同盟降伏後の第一政治目標に設定するって言うのが、ありえないことである、とまでは主張いたしませんが。

収録投稿466件目
board4 - No.6265

Re:精進せえよ

投稿者:S.K
2005年02月17日(木) 02時30分

> >  あなたに思えないとヤンにどう関係するんですか?
>
> ヤンを実在の人物だと思ってらっしょるようですね。

 非常に高度な疑問文を構築してしまったようで申し訳ありません。
「何が悲しくて執筆当時の田中氏がヤン・ウェンリーの知性の限界をあなたの乏しい理解力の範疇に収める謂れがあったのか?何か、道端で買った怪しいクスリをキメた時に毒電波で田中氏と交信した実感でもあったのか?言っておくけど、それ幻覚だから」と言っていたんですよ。

> ヤンというキャラクターは小説の紙面に縛られた人格に過ぎないのではないですか。
> 文字に現れない部分は常識に基づいて補完するものだと思っていましたが。

 あなたの「思う」限界は何となくわかりました。
 前頭葉が存在する事にあまり意味のない方ですね。

> 考え付く限りありとあらゆる案の是非を数十ページにわたり
> 書き連ねる必要はないということです。
> 一つ例を挙げていろいろ考えた挙句の結論だということを匂わせて終わりで悪いですか?

 あの時点て採択しうる有効なプランと、まあ一応俎上に乗るのも仕方ない愚案とは現実性を踏まえて10程も存在しますまい。
 2ページあればどれだけ真剣に対帝国に臨んだのかのいい描写ができたでしょう。

 それでチラシの裏くらいしか発表場所もないであろうluluさんの無駄プラン質疑では大体何億何万何番目くらいに「修行したシェーンコップがブリュンヒルトに元気玉をぶつける」がくるんですか?
 可哀想な人サービス月間特典として質問してあげます、回答の際は全裸で五点倒立して私に感謝と崇拝を捧げながらレスして下さい。

> >  ひょっとしてあなた銀河英雄伝説という小説を読んだ事がないんじゃないですか。
>
> あなたはあの世界について何でもご存知のようですね。
> 登場人物や作者より詳しいんじゃありませんか。
> さもなければこのように断定することはできないでしょう。

 発表済みの作品なれば「作者より詳しい読者」が存在するからこそ「批評」という文芸ジャンルは存在する訳です。
 ついでに田中氏に妥当性を認められつつかつ銀河英雄伝説内の記述を最大限に尊重しつつもエンサイクロペティアやメカニックデータは田中氏以外の人間が構築した「公式銀英伝設定」です。

 そんなことよりいつになったら「つるのおんがえし」を習った小学生の「夕鶴」に対する理解レベルに銀英伝について到達するのですかあなたは。

> >  設定ミスという概念をご存知ない方が無理な理屈をつける位作品を貶める行為もないもんで。
>
> 設定ミスなら、例えば自由貿易商人が往来するような自由惑星同盟で
> 何故か航路図が機密扱いになっている、などという例ならともかく

 上記は「常識的に当然」でしょうね。
 帝国も同盟も「安全航路とフェザーンの艦隊通行権は抱き合わせで売る気だろう。支払いは商売当事国でない側の核とビームになる事とフェザーンが軍事力を保有していない事実は認識しているな?」と様々に表現、表明してきたに決まっていますので。

> 読者の脳内設定で、設定ミスといわれるのは違うのではないですか。

 鏡に言って下さい、他人の知る所ではありません。

> 世の中にはページの都合というものがあるんですよ。

 宇宙には推敲という行為が存在します、プロのたしなみと言うのも恥ずかしい初歩的概念として。

> ちょっと腹が立ってきました。
> 自分の意見と違う意見を持つ人間には、いつもそのような態度で
> 臨まれるのですか。相手を馬鹿にするような言葉遣いは控えてほしいものです。

> そこまで馬鹿にされなければならないようなものですか?

 「馬鹿」に「される」必要もなく事実としてあなたは「馬鹿」です。
 他人様の形容に責任転嫁なさらないで下さい。
 いえ無駄な物言いなのは存じてますけどね、馬鹿に物申している訳ですから

収録投稿467件目
battle1 - No.341

ですから・・・・

投稿者:不沈戦艦
2005年02月17日(木) 02時54分

> (1)全宇宙の共和制による支配
> (2)旧同盟領全域の共和制による支配
> (3)旧同盟領全域の一部領域における共和制による支配
> (4)別の宇宙への逃避

 ヤン抹殺を図ったレベロの陰謀に端を発した争乱によって帝国軍の侵攻が発生し、しかも背後の事情をラインハルトが全て暴露してしまった情勢に至っては、「(2)」どころか「(3)」の維持すらもはや不可能ではないですか?それに、それが理解できないキャラとして「ヤン・ウェンリー」が設定されていると思いますか?

・「国家」としての同盟は事実上「終わって」しまっている。帝国軍による再度の征服(勝てる可能性はない。事実マル・アデッタで同盟軍は全滅している)後、存続を認められる可能性は絶無。(2)は到底達成できない。
・「エル・ファシル独立政府」に現実的な力はないばかりか、逆にヤンの名声を頼っている有様。ヤンにとってのメリットは「文民政府を守る軍人」としての立場を手に入れることができるという、大義名分だけ。
・帝国軍との客観的戦力差。S.Kさんにも「戦力差で10対1以上、そもそももう『国』ですらない。ジリもドカもなくとっくに『貧』なんですよ。」なんて言われてしまっているくらいなんですが、これで一体どうやって「(3)」の維持が可能なのだと?ヤンという軍人は「イゼルローン要塞というハードウェアに頼れば、永久に帝国軍の攻勢を支えることが可能」という判断をするような設定にはされていませんよね?「自分の小手先の詐術で陥落せしめることができたくらいだし、無限の回復力を持った相手に損害構わず攻撃して来られても維持は不可能だろう」というように考える人物じゃなかったでしたっけ。作中の「回廊の戦い」の流れでも、ヤンがラインハルトとの交渉可能になった理由って、「ラインハルトが熱を出して倒れ、夢枕でキルヒアイスがラインハルトを諫めたから」という「偶然」によるものでしかありません。しかも、フィッシャー提督を失った後でです。ラインハルトが病臥しなかったら、帝国軍の物量によって順当に圧殺されただけじゃないですか。「歴史」に詳しい「ヤン・ウェンリー」という設定になっているのに、それが「ヤンには想像できなかった」というのは、あまりに変でしょう。「正面から戦って敗れた(どうやろうと必敗なのは、パンツァーさんも異論はないですよね?)後、ラインハルトがヤンの主張を認めてエル・ファシルなりハイネセンなり、一部同盟領に民主制を維持することを認めてくれる可能性」なんて「絶無」以外に評価のしようがありますか?というか逆に、いくらラインハルトがヤンを認めていたとしても、「属していた国が滅んだ後、勝算絶無の戦いを仕掛けてきて、味方に無意味な犠牲者多数を出してくれた有能なる敵将」に対して、ラインハルト以外の普通の帝国軍人(軍人に限った話じゃないですけど)が好意的だなんてことがあり得ると思います?「ヤン・ウェンリー一党を戦争犯罪人として縛り首にしろ!」が普通の感情なんじゃないですかね。いくら皇帝本人がヤンに好意的だとしても、「ヤンを死刑に!」と叫ぶ帝国軍人たちの感情を無視して、敗戦後のヤンを免罪するのは難しいのではないでしょうか。「歴史に詳しいヤン」という設定からしても、そういう状況が「予想できなかった」というのも、これも考えにくいと思います。

 そもそも、冒険風ライダー氏の「移動要塞論」ってのは、銀英伝本編の「回廊の戦い」ではもはや「(3)」ですら不可能(絶対に負けるから)と判断した上で考案されたものではないですか。「無限の自給自足能力を持つ移動要塞となれば、永久にでも抗戦可能」という結論を導き出しているのですから。私は以前に「10巻で成立したバーラト星系自治政府は成立すること自体がおかしいし、仮にできたとしても存続不能だ。初代皇帝個人の好意しか担保がなく、彼の死後一体誰がその存続を保証するというのだ?『ローエングラム朝銀河帝国建国の功労者』たちが寿命で死に絶えた後、二世皇帝やら三世皇帝やらが『予は民主主義の自治領などが帝国領内にあることは不愉快だ。そんなものは、予の帝国には必要ではない』と宣言した時点で『おしまい』という以外にないじゃないか」と主張しています。つまり、もともと本編で「初代皇帝個人の好意」で成立している「(3)」なんざあり得ない話なんですよね。これには、冒険風ライダー氏も異論はないと思いますが。その発想があった上での「移動要塞論」です。最低限のものとして「(3)」を成立させる為には、「移動要塞なら無制限に帝国領内を破壊して回ることができるから、その軍事力の行使をしないことを条件に帝国との取引可能」という理屈なんですから。もちろん、この場合「移動要塞の軍事力を背景にした、帝国との和平」を成立させた後、「抑止力」としてヤン側は移動要塞を維持する必要がありますが。

「(2)」が成立しなくなって、無限に抗戦可能な「移動要塞」も実行しようとしないのなら、「(3)」の達成はもはや不可能。「(4)」を考えなければおかしい段階ということです。

> 加えて、(4)を選ぶと言うのは、同盟の一般市民を見捨てて、自分たちだけ逃避するっていうイメージもありますね。

「全同盟市民を帝国の魔の手から救い出し、民主主義体制のもとにつなぎ止める」なんてことは、「(2)」が達成困難になった時点で、物理的に不可能としか言えませんよ。敵に比べ圧倒的に僅少な戦力で、150億人をどうやって守れと言うのです?それに、脱出した後のローエングラム王朝銀河帝国支配下での評判なんざ、どうでもいいじゃないですか。そこには二度と戻らないんですから。「ヤン提督が第二のアーレ・ハイネセンを目指して帝国の支配から脱出したのであれば、俺たちもヤン提督に続こう!」と考える人たちが続出する可能性だってありますし。やらない人間は「帝国の支配下でも仕方ないか」と「運命を受け入れる」という人たちですから、放っておいてもいいでしょう。

> つまりはヤンもしくは他の指導者にしたがって、別の宇宙を目指すと言う冒険に出かける人々が果たして十分な数いたのか、

 それなりの数居れば十分でしょう。無闇に多い方が連れていくのが大変です。「イゼルローンに籠もったところで、帝国軍全軍を打ち負かすことは絶対にできない」とヤンが認識している(認識できていないという方が変ですよね)のなら、「第二の長征一万光年をやる」と方針を決めて、その理由を麾下の人々に説明して説得すべきですね。「同盟軍最強のヤン提督」が「今の状況では、何をどうやろうと帝国軍には勝てない」とはっきり宣言しているのに「敗北主義だ!」なんて喚いたところで意味がないでしょう?それに、そのような「現実と無関係な精神主義」はヤンの最も嫌う要素の筈ですけど。

収録投稿468件目
board4 - No.6266

Re:神楽さんの論点の私なりの解釈

投稿者:S.K
2005年02月17日(木) 03時45分

> S.Kさん、レスありがとうございます。いつもこちらの返事が遅れてしまい、申し訳ないです。

Nさんお気になさらず、暇つぶしに珍獣クンがブザマ踊りで笑いを提供してくれておりましたので。

> しかし、それがヤンだ、とは私には思えないのです。
>
> 戦いで兵士が命を落すことについては、用兵家の宿命として、ある程度受け入れていたのではないでしょうか。共和主義者は、その主義にどの程度の価値を与えているのか、というラインハルトの試みは、彼にとっても一定の価値を持つものであったのではないかと思います。ヤンだけが、民主主義を望んでいたわけでもありませんし、彼の部下だけが、戦いで命を落す可能性があったわけでもない、と思います。

 そうですね、「神楽さんの論点」というあたりに立ち返って一言。

「ヤン・ウェンリーというキャラクターは『主義主張(打倒帝政・民主主義のための戦いは聖戦等)で卑俗な実害(軍国主義下での生活、回避できる戦いでの戦死)を容認しない』人間である。でなくては何故救国軍事会議と戦い、かつバーミリオン会戦で停戦を受諾したのか。『民主主義のため回廊の戦いを行う』というのは、勝てたはずのバーミリオンの戦いの戦死者たちに対する二重の侮辱行為(彼らの死で掴めた筈の勝利を『民主主義尊重』の為に放棄しあまつさえその民主主義の為にその時捨てた勝利をさらなる犠牲を払って掴みなおそうとしている。彼らの死の意味をヤンは何だと思っているのか?)に他ならず、それ以前のヤン・ウェンリーのキャラクター描写を著しく損ねるものである」

 以上ふまえた上で神楽さんの御主張を是となさるのであれば最早道理をもってこれ以上を語る必要を感じません。
 Nさんとしてすでに結論がでているのであればこの上いかな論理的整合性も今更確認し参照していただく意味はおそらくありません、貴方の納得にとっても私の手間隙の意義としても。

収録投稿469件目
battle1 - No.342

「正規軍によるゲリラ戦」の超拡大発展バージョン

投稿者:パンツァー
2005年02月17日(木) 08時34分

私が前提条件としているのは、イゼルローン要塞のワープ移動化ですね。

銀英伝考察3 ~銀英伝の戦争概念を覆す「要塞」の脅威~
3.「移動要塞」の大いなる可能性
<もしもヤンがこの「移動要塞」の技術を駆使して件の「共和革命戦略」を発動したならば、さしものラインハルトも顔面蒼白にならざるをえなかったでしょう。何しろこの戦法は、バーミリオン会戦の前哨戦で帝国軍が散々苦しめられた「正規軍によるゲリラ戦」の超拡大発展バージョンであり、しかも「無限の自給自足能力」を持つ補給基地自体が巨大な火力と装甲つきでヤンに付随しているわけですから、このヤンの軍団を帝国軍が純軍事的に捕捉・殲滅することはほぼ不可能です。>

冒険風ライダーさんの上の指摘にあるように、(2)「旧同盟領全域の共和制による支配」を目指せる以上、(4)「別の宇宙への逃避」をする必要性を感じないのですよ。

「オーベルシュタインの草刈り」というう人質作戦がありましたから、アキレス腱となる同盟のVIPには、イゼルローン要塞に移住頂いて、少しでもこの脅威を軽減する必要はあるでしょうが。

イゼルローン要塞のワープ移動化ができないとしたら、また話が変わってきますけどね。

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battle1 - No.343

なんだ

投稿者:不沈戦艦
2005年02月17日(木) 23時20分

> イゼルローン要塞のワープ移動化

 前提条件が全然違うじゃないですか。私が言っているのは「イゼルローンの移動要塞化」とは関係なく「第二次長征一万光年を考えるべきだった」ということですから。ここでの私の主張の流れって、確かに移動要塞論議に端を発していますけど、それを絶対条件として「ヤンは長征一万光年の再現を考えるべきだった」と言っている訳じゃないですから。というか逆に、「長征再現論」には、「移動要塞論」は入れてません。本編の流れで「どうして再度の長征を行うという話が一切出ないのだろう?」という疑問からですからね。

「移動要塞論」アリの話なら、「ヤンの性格では帝国領内での非戦闘員を含む無差別攻撃なんてことは激しく嫌うだろうから、移動要塞で長征一万光年やるという方向に行くだろう」とは思いますがね。「帝国領内で無差別攻撃することの有効性」を否定するつもりはないですよ。但し、ヤン・ウェンリーというキャラの設定では、おそらくそれは無理でしょうねぇ。「民主主義の理想を達成する為だったら、自分とは無関係な人たちを何億人殺しても知ったことではない」という心理には、絶対になれないキャラですからね。

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battle1 - No.345

ヤンの構想の非現実性と「第二次長征一万光年」の現実性

投稿者:冒険風ライダー
2005年02月18日(金) 02時07分

<ヤンの生存中は、「エル・ファシル独立政府およびその惑星住民、そしてヤン麾下で戦うことを選択した人達」は、ヤンの軍事的才能を利用して、(2)を実現することを目的としていたに違いありません。それが望み得ないとしたら、エル・ファシルとイゼルローン要塞とを墨守すると言う(3)の実現を、第二の望みとするものでしょう。>

 いえ、同盟と袂を分かち、エル・ファシル独立政府に合流して以降のヤンは、己が考える「第一優先の」構想を以下のような形で明確に語っております↓

銀英伝7巻 P190上段
<「全宇宙に皇帝ラインハルトとローエングラム王朝の宗主権を認める。そのもとで一恒星系の内政自治権を確保し、民主共和政体を存続させ、将来の復活を準備する」
 その基本的な構想を説明したとき、エル・ファシル独立政府の首班ロムスキー医師は瞳をかがやかせたりはしなかった。
「皇帝の専制権力と妥協するのですか。民主主義の闘将たるヤン元帥のおことばとも思えませんな」
「多様な政治的価値観の共存こそが、民主主義の精髄ですよ。そうではありませんか?」>

銀英伝8巻 P36下段
<ヤンの構想は、およそ大それたものである。戦術レベルの勝利によってラインハルトを講和に引きずりこみ、内政自治権を有する民主共和政の一惑星の存在を認めさせようというのだ。それはエル・ファシルでもよい、もっと辺境の未開の惑星でもよい。その惑星を除いた全宇宙を専制の冬が支配するとき、ひ弱な民主政の芽を育てる小さな温室が必要なのだ。芽が成長し、試練にたえる力がたくわえられるまで。>

 つまり、あの勝算絶無の「回廊の戦い」などという自殺行為にふけりこんでまでヤンがラインハルトとの絶望的な戦いを渇望したのは、あくまでも「全宇宙に皇帝ラインハルトとローエングラム王朝の宗主権を認め」た上で「内政自治権を有する民主共和政の一惑星の存在を認めさせよう」という意図に拠るもので、パンツァーさんの定義だと、ヤンは最初から(3)を目指していたことになるわけです。このヤンの構想が、どれほどまでに非現実的かつ穴だらけのシロモノであったかは別にして。
 そして私も、ヤンのこの(3)の構想を前提に、あの「『正規軍によるゲリラ戦』の超拡大発展バージョン」を企画したわけで、実のところパンツァーさん定義の(2)レベルの戦略目的はこの構想の中でさえ全く考えてはいないんですよね。移動要塞は「戦略爆撃」や「ゲリラ戦」のような「攻撃」に関しては単体だけでも最強無比の力を発揮しますが、一拠点だけならばともかく、広大な宇宙の「防衛」については、すくなくとも単体では難しいところがあります(複数あればそれでも大丈夫でしょうけど)。不沈戦艦さんも仰るように、圧倒的な戦力を持つ帝国側が、こちらの拠点を複数箇所、それも戦力を分散して同時に攻撃を仕掛けてきた場合、単体だけで全ての攻撃箇所に対処するのは、いくら最大最強の移動要塞といえども物理的に不可能ですから。
 そのため、私が考える「『正規軍によるゲリラ戦』の超拡大発展バージョン」を使った構想では、「ラインハルトの戦争狂的願望を叶えるための戦闘」などという愚劣なシロモノの代わりに「移動要塞の潜在的脅威」を講和に持ち込むための道具とした上で、あとはヤンが考える(3)的構想を実現するなり、「第二の長征一万光年」を遂行したりすることで民主主義の存続を図る、というのが「最終目標」となるわけです。
 したがって、パンツァーさんが考える「ヤンは(2)を目指して戦っていた」に関しては、作中事実から鑑みても前提そのものが間違っているように思われます。

<宇宙は広いので、どこかには新天地があるんでしょうけど、かならず、新天地を発見できると言うものでもないでしょう。そういうアヤフヤな目的のために、果たして、どれほどの賛同が得られるのか。もちろん、イゼルローン要塞をワープ移動化したら、補給源には困らないので、アーレ・ハイネセンの逃避行とは比べ物にならないほど、安全にはなるんでしょうけど。加えて、(4)を選ぶと言うのは、同盟の一般市民を見捨てて、自分たちだけ逃避するっていうイメージもありますね。>
<だから、ヤン自身の考えの曖昧さもさることながら、(4)を目的として、同盟民衆の支持が果たしてどの程度選られるのか、つまりはヤンもしくは他の指導者にしたがって、別の宇宙を目指すと言う冒険に出かける人々が果たして十分な数いたのか、という点が大きな疑問として残るのです。>

 上記でも引用しているように、ヤンは最初から(3)を「第一の目的」に掲げているわけですが、上記のような観点から考えるのであれば、そもそも作中で掲げられているようなヤンの構想でさえ、「同盟民衆の支持が果たしてどの程度選られるのか」はなはだ疑問と言わざるをえなくなるのではないでしょうか?
 何しろ、ヤンの構想は「全宇宙に皇帝ラインハルトとローエングラム王朝の宗主権を認め」た上で「内政自治権を有する民主共和政の一惑星の存在を認めさせよう」というものですからね。当然「内政自治権を有する民主共和政の一惑星」以外の惑星およびそこに住む住民達は、全て「【帝国の支配地】として認めた上で見捨てる」ということにならざるをえないわけです。
 これがいかに「不当な」ものであるかを説明すると、たとえば自由惑星同盟の総人口が130億人であるのに対して、独立を宣言した惑星エル・ファシルの総人口はわずか300万人でしかありません。仮にエル・ファシルが「内政自治権を有する民主共和政の一惑星」として認められたとすると、旧同盟領の残り129億9700万人は「帝国の支配地」として見捨てられることになるわけです。旧同盟領の中ではトップクラスの人口を誇るであろう惑星ハイネセンを対象に考えても、その数はせいぜい10億人、残り120億人はやはり「帝国の支配地」として見捨てられることになります。このような構想では、どこを「内政自治権を有する民主共和政の一惑星」として認めてもらうにせよ、旧同盟領と一惑星の人口比率から見ても「同盟の(それも大部分の)一般市民を見捨てて、自分たちだけ逃避する」という感が否めません。
 しかも、その「内政自治権を有する民主共和政の一惑星」にしたところで、何度も言われているように「皇帝の温情」にすがることでかろうじて成立するような情けない惨状を呈することになるのですから、ヤンが考える(3)の構想は「同盟の一般市民を見捨てて、自分たちだけ逃避する」という点では(4)と比べても五十歩百歩程度の違いしかなく、将来的な危険度に至っては(4)よりもはるかに深刻という愚劣極まりないシロモノでしかないわけです。
 以上のようなことを鑑みれば、「同盟民衆の支持が果たしてどの程度選られるのか」という点においては(3)も(4)も大きな違いはないのではないかと私は考えるのですが、いかがでしょうか。

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battle1 - No.347

移動要塞ゲリラ戦略に対する報復案

投稿者:不沈戦艦
2005年02月19日(土) 02時54分

> 150億

 勘違いしてましたね。同盟は130億でしたから。

> そのため、私が考える「『正規軍によるゲリラ戦』の超拡大発展バージョン」

 ちょっとこちらには、問題があるような気がしてきました。というのは、「移動要塞によるゲリラ戦を帝国領で実施した場合、帝国軍による移動要塞の捕捉撃滅は極めて困難」というのは全くその通りなんですが、「同等の報復」をされた場合、一体どうしたもんだろうかということです。つまり、移動要塞がどこかの惑星を襲撃して帝国に大被害を与えた場合、帝国軍が同盟領の惑星に対して「ヴェスターラント式」の報復攻撃を行った場合、どうすりゃいいんですかね?例えばですがオーディンの住民が移動要塞の攻撃で皆殺しになったら、ハイネセンの住民が帝国軍の熱核攻撃による皆殺しで報復されるということです。「ラインハルトの性格ならそれはない」は、この場合はなしでしょう。そもそもの「帝国領内での有人惑星への攻撃、非戦闘員の大量虐殺」は「ヤンの性格ならそれはない」というシロモノでしかないですから。というか、かくの如き事態が発生した場合、真っ先にオーベルシュタインが「同盟領の有人惑星の住民を殺戮する」という報復案を呈示するのではないでしょうか。それどころか更にエスカレートして、「同盟領の全有人惑星に艦隊戦力を貼り付けて、命令次第熱核攻撃により同盟市民130億全員を抹殺できるようにしておき、それによってヤンを脅迫、屈服させよ」と提案するんじゃないかと。

 この「チキン・ラン」が実行された場合、言うまでもなく帝国軍の方が有利でしょうね。移動要塞一つと駐留艦隊一個しか戦力がないヤン不正規部隊に対し、帝国軍は10倍以上の艦船を保有している訳ですから。「正規軍によるゲリラ戦の超拡大バージョン」とは言っても所詮は「ゲリラ戦」ですから、戦力的には乏しい訳です。なりふり構わない報復作戦に出られた場合、移動要塞という強力な戦力があっても「(3)」ですら難しくなりそうですね。移動要塞があったとしても「(4)」を選択して、さっさと逃げ出した方が良さそうです。全てを捨てて逃げ出した相手に対しては、「残った同盟市民を抹殺する」なんて脅迫は無意味ですし。

収録投稿473件目
battle1 - No.349

「ヤンの戦略方針」にも合致する「移動要塞ゲリラ戦略」の脅威

投稿者:冒険風ライダー
2005年02月20日(日) 01時41分

<ちょっとこちらには、問題があるような気がしてきました。というのは、「移動要塞によるゲリラ戦を帝国領で実施した場合、帝国軍による移動要塞の捕捉撃滅は極めて困難」というのは全くその通りなんですが、「同等の報復」をされた場合、一体どうしたもんだろうかということです。つまり、移動要塞がどこかの惑星を襲撃して帝国に大被害を与えた場合、帝国軍が同盟領の惑星に対して「ヴェスターラント式」の報復攻撃を行った場合、どうすりゃいいんですかね?>

 これに関しては、私が以前にタナウツで議論した際の投稿が回答となるでしょう↓

銀英伝考察3 過去ログE 投稿No. 1840
<この辺りに関してはそれこそ「徹底的に無視する」というのが一番懸命な判断ですね。極端なことを言えば、移動要塞内で民主主義を実現させてしまえば、ヤンが理想としているであろう民主主義の理念は維持できるわけですから、外の世界がどうなろうと知ったことではないのですし。
 外の世界にとっては非常に迷惑な話でしかないでしょうが、そうでもしなければヤンは勝てませんし、ましてや民主主義を死守することなどできないのです。はっきり言って、勝利のためには少々の犠牲(!?)はやむをえない、と開き直るしかないのですよ。
 まああの面々がそんなことに耐えられる強靭な神経を持っているとは確かに思えないのですけどね。自分でもシミュレートしてみてあまりにも非現実的な想定だとは思いましたよ。しかしこんな想定でも「イゼルローン回廊内に閉じこもって回避不能の敗北を喫する」よりははるかにマシだとは思いますけど。>

銀英伝考察3 過去ログP 投稿No. 3683
<すっかり忘れ去られているようですが、同盟崩壊後は旧同盟領といえども法的にも道義的にも立派な「帝国領」であり、旧同盟市民にもまた「帝国民」としての権利と義務が認められます。そして帝国政府には、旧同盟領と旧同盟市民を統治する権利と共に、領土と国民を守る義務もまた新たに課せられるのです。そんなところでわざわざ「自国民」を人質策の同等報復として虐殺するなどという選択は、今後の旧同盟領統治や旧同盟市民の人心掌握の観点から見て明らかに自殺行為でしょう。追い詰められた旧同盟市民側が各地で叛乱と武力闘争を頻発させることによって、今後の統治に重大な支障をきたすことにもなりかねません。帝国が旧同盟領を統治するのではなく、何もかも全て破壊するつもりなのであれば話は別でしょうが。
 それに、実は移動要塞側にとっては、帝国領はもとより旧同盟領でさえも、最悪の場合は切り捨てても一向にかまわない対象でしかありえないのですよ。「民主主義を擁護する」という観点から言えば、極端なところ移動要塞内に居住する人間を除く全ての人類を滅ぼし、誰もいなくなった荒野に改めて民主主義を再建しても、それで充分に目的は達成されるのですから。旧同盟領に対してはひたすら帝国に対する憎悪を煽る宣伝を行い続け、帝国と旧同盟市民を対立させ続ければ、帝国側もそうそう簡単に同等報復に出ることはできないでしょうし、やれば自殺行為となります。仮に帝国側が移動要塞を滅ぼしたところで、前述のように旧同盟領の今後の統治に重大な支障が生じるのは確実ですからね。
 また、仮に万が一そのような事情を黙殺してまで帝国側が「自国民」に対して同等報復を仕掛けてくるというのであれば、予め「旧同盟領の惑星に対して同等報復が行われたことが認められた場合、交渉を行う意志はないものと見なし、我々はすぐさま惑星攻撃を遂行するものとする」といった類の条件を、脅迫する際に一緒に提示しておけば済むことです。そうすれば、移動要塞側が惑星攻撃を行うことになる責任の全てを帝国側に押しつけることも可能となりますし、場合によっては帝国政府内や帝国の国民などから和平を求める声が出てくる可能性すらも出てきます。
 最終的には移動要塞のみを国家として機能させていけば良いだけの「身軽な」移動要塞側と、旧同盟領をも含めた広大な領域を全て「統治」していかなければならない帝国との差がここで出てくるわけです。この差は、彼我の戦力差や戦略的格差などを全て覆すだけの巨大かつ圧倒的な政治的格差たりえるのではないでしょうか。>

 さらに付け加えれば、そもそも他ならぬヤン自身がわざわざ「全宇宙に皇帝ラインハルトとローエングラム王朝の宗主権を認め」た上で「内政自治権を有する民主共和政の一惑星の存在を認めさせよう」などという「同盟の(それも大部分の)一般市民を見捨てて、自分たちだけ逃避する」戦略方針を策定しているのであり、しかもその戦略の中では、将来的には「その惑星を除いた全宇宙を専制の冬が支配する」ことが前提どころか当然視されてすらいるわけです。そうであれば、その「他ならぬ自分自身が見捨てた」はずの人間がどうなろうが知ったことではない、と考えることこそが「ヤンの戦略方針の一貫性」から見ても至極当然のことであるはずでしょう。
 しかも政治的に見ると、その手の帝国による報復戦略が発動された場合、「宇宙的規模の大量虐殺」の発生によって、結果的にはヤンが欲するであろう「その惑星を除いた全宇宙を専制の冬が支配する」状況が出現することにも繋がるわけで、むしろヤンにとっては「己の戦略方針および政治予測にも合致する」願ったり叶ったりな話でさえあるはずでしょう。もちろん、帝国側は「ヤン側の戦略爆撃に対する報復措置であり、全ての責任はヤン側にある」と主張はするでしょうが、この場合、事実や真相はさほど問題ではなく、「帝国が俺達を虐殺しようとしている」という認識と解釈こそが最も重要となるのですし、すくなくとも同盟側に直接手を下すのは事実からしても「帝国」となるわけですから、「虐殺」される旧同盟領の人間の大半が憎悪の目を向けるのは、征服者に対する反発も手伝って、ほぼ確実に帝国とならざるをえないでしょうね。
 かくのごとく自分が望む方向に事態が進展していくのに、そして何よりもヤンは自分から率先して「同盟の(それも大部分の)一般市民を見捨てて、自分たちだけ逃避する」という戦略方針を打ち立てているというのに、何故そこで躊躇しなければならないのでしょうか? もしヤンがその性格故に、他ならぬ自分が見捨てた旧同盟市民に振り下ろされる「圧制と虐殺」に耐えることができずに帝国に屈するというのであれば、それはヤンを信じ、ヤンに付き従ってきた人達、そして何よりもヤン自身とヤンが考案した戦略方針そのものに対する重大な裏切り行為であり、「民主主義を擁護する」以前の問題です。
 本当にヤンが「民主主義の芽を後世に残す」と考えるのであれば、(ヤンの性格とは全く合致しないものであっても)これくらいのことは当然考慮し、また覚悟しておくべきなのですよ。そもそも「オーベルシュタインの草刈り」や、バーミリオン会戦時における「ミッターマイヤー・ロイエンタールによるハイネセン無差別爆撃降伏勧告」の事例を見れば分かるように、その手の「脅迫」の類は別に「移動要塞ゲリラ戦略」の有無に関わりなく出てくる可能性が高いものなのですし。そういうことに耐えられないというのであれば、最初から「民主主義を擁護する」などという「(ヤン自身の言によれば)願望の強力なものにすぎず、なんら客観的な根拠を持つものではない」信念など投げ捨て、とっととラインハルトに降伏なり帰順なりするべきだったのです。それこそが、あの時点では「ヤンの【性格】にも【人命尊重という信念】にも完全に合致する【最も賢明かつ戦争・流血が回避できる方策】」であったことは間違いなかったのですから。
 ヤンは自分が立てた戦略方針がどういうことを意味していたのか、自分で全く分かっていなかったとしか思えないのですがね、私は。

収録投稿474件目
board4 - No.6276

正統性は血を欲す

投稿者:新Q太郎
2005年02月27日(日) 20時39分

私はちょっと間をおいてまとめ読みをしているので、古い話題で恐縮。久々に老兵登場です。

「Re:神楽さんの・・・」シリーズに関し、片方の側の主張を勝手にまとめるとこうだよね?

「トリューニヒトは(自分のエゴながら)『帝国に臣従しつつ、内部から立憲体制を漸進的に薦める』という作戦を、相当順調に進めていた。」

「それが可能なら、(脱出以降の)ヤンの徹底抗戦路線は、死者が多数出るという一点だけでも愚策、下策である」

ということですが、これは非常に合理的な議論だ、
ただ、ここで小生、今は亡き高阪正尭氏の言葉を思い出したのですね。

かつて高阪氏は田原総一朗氏の「サンデープロジェクト」でコメンテーターをやっていたのですが、この番組に「現役自衛官が生出演!!」という回がありました。

さて賛否両論ある、田原氏の突っ込みですが、この日は自衛官らに「結局、あなたは日本の『何』を守りたいの?」と尋ねた。

出演自衛官は、この番組に出るぐらいだから相当優秀な人たちなのだろうが、このある種素朴かつ乱暴な「田原流」の質問にやや動揺、自由な体制、とか国土、とか、やや暴走?して「皇室」という人まで(笑)。

そのとき、故高阪氏は「きみたち、『主権』を守るんだと言えばいいやん。なんでそう言わないの?」と穏やかに、しかしキッパリと助け舟を出したのでした。

しかし、じゃあ「主権」って何なの?と。

(続く・・・かなあ。みな慧眼だし、これで言いたいこと判るだろうし)

収録投稿475件目
board4 - No.6277

我が命、フィクションの為に

投稿者:新Q太郎
2005年02月27日(日) 21時16分

呉智英氏の処女作「封建主義者かく語りき」でも触れられているんだけど、「基本的人権」とか「平和主義」以上に、「国民主権」ちゅーのは判りにくい。要は「持ち主」が誰かということを決めるものだけど、呉智英氏は「貸し家と持ち家」に例えた。
住み心地のいい借家もあれば、すみにくい持ち家もあるように、主権というのは一種気の持ちようでしかない面もある。

しかし、その「主権」のために、命を賭けて闘う場合もある。
一応、ヤン一派はかろうじて同盟が存続していたころに不正規隊を結成し、その後は帝国と戦ったのだから「皇帝陛下の臣民」であった時代はないんだよね。(和平後はどうかな?)

つまり、いかに血を流そうが戦火に人々を叩き込もうが、結局彼らは「主権」というか「自分は皇帝陛下の臣民ではない、一共和国国民である」という。目に見えない、そして実益も実害も無いことのために命を賭けたのではないか? とアタシは考えているんですね。

そして、それは必ずしも無駄ではない。「実害」に関係なく、「我らの国土は独立国である」「我らは自由な●●国の市民、国民である」「XX国の国民にはあらず」という部分で妥協することが大いなる災いをもたらすというのは、例えば台湾の現状を想起してもらえばわかるのではないか。

高阪氏が、自衛官が自他の命を犠牲にしても守るべきものは「主権」だといった意味も、ここにあると思う。

ただ、こう異論を述べる人もいるかもしれない。
「ヤンはバーラト和約で年金生活中、プランの中で『独立は気にしない、結果的に民主体制が残ればいい』と言って『国の独立』を主張する人を否定してなかった?」

うん、実は、ヤンは結局その後の行動によって、あのプランが新婚生活でホヤヤけて書きなぐった(笑)空論プランであったことを認めた、とアタシは考えているのです。

結局、命をかけて、部下に犠牲を強いても、彼は「対等の存在として」帝国に対峙しなければならなかった。干戈を交えるとき、勢力が1対1000でも、ボロ負けしたとしても彼らは”対等”であり”独立”している。そんなフィクションを、彼らは部下の命と引き換える価値があると実は見做している。

そして、それは間違いではない。ヤンが軽蔑していた「国の永遠」をうたい上げる”愛国者”と、フィクションに依拠する点では同類項であるけれども。

これはヤンを貶めるのではなく、この作品で悪役を熱演した”いわゆる愛国者”が、実際のところはもう少し存在価値のあるものだということです。

収録投稿476件目
board4 - No.6286

Re6277:ヤンの本音とは

投稿者:冒険風ライダー
2005年03月01日(火) 03時17分

<つまり、いかに血を流そうが戦火に人々を叩き込もうが、結局彼らは「主権」というか「自分は皇帝陛下の臣民ではない、一共和国国民である」という。目に見えない、そして実益も実害も無いことのために命を賭けたのではないか? とアタシは考えているんですね。>
<ただ、こう異論を述べる人もいるかもしれない。
「ヤンはバーラト和約で年金生活中、プランの中で『独立は気にしない、結果的に民主体制が残ればいい』と言って『国の独立』を主張する人を否定してなかった?」
うん、実は、ヤンは結局その後の行動によって、あのプランが新婚生活でホヤヤけて書きなぐった(笑)空論プランであったことを認めた、とアタシは考えているのです。>

 新Q太郎さんはおそらく全て承知の上で、意図的かつ確信犯的に自説をヤンの行動に当てはめて述べていらっしゃるのだと思いますけど、残念ながら、その推論が銀英伝に適用されることは、作中事実から鑑みて絶望的なまでにありえない話でしょうね。
 何しろヤンは、銀英伝8巻のあの愚かしい「回廊の戦い」時においてさえ、以下のような理由で自らの戦争行為の正当化を行っていたわけですから↓

銀英伝8巻 P33下段~P35上段
<近づく決戦を前に、ヤンは自分の立場を再確認していた。自分はなぜ戦うのか。どうして皇帝ラインハルトから、自治領の成立という約束をもぎとらねばならないのか。
 それは、民主主義の基本理念と、制度と、それを運用する方法とに関して、知識を後世に伝えなくてはならないからだ。たとえどれほどささやかであっても、そのための拠点が必要なのだ。
 専制政治が一時の勝利を占めたとしても、時が経過し世代が交代すれば、まず支配者層の自律性がくずれる。誰からも批判されず、誰からも処罰されず、自省の知的根拠を与えられない者は、自我を加速させ、暴走させるようになる。専制支配者を処罰する者はいない――誰からも処罰されることのない人物こそが、専制支配者なのだから。そして、ルドルフ大帝のような、ジギスムント痴愚帝のような、アウグスト流血帝のような人物が、絶対権力というローラーで人民をひきつぶし、歴史の舗道を赤黒く染色する。
 そのような社会に疑問をいだく人間が、いずれ出現する。そのとき、専制政治と異なる社会体制のモデルが現存していれば、彼らの苦悩や試行錯誤の期間をみじかくしてやれるのではないか。
 それはささやかな希望の種子でしかない。かつて自由惑星同盟が呼号したような「専制主義に死を、民主主義よ、永遠なれ」というような壮大な叫びではない。ヤンは政治体制の永遠を信じてはいなかった。
 人間の心に二面性が存在する以上、民主政治と専制・独裁政治も時空軸上に並立する。どれほど民主主義が隆盛を誇っているかのような時代でも、専制政治を望む人々はいた。他者を支配する欲望によるだけではなく、他者から支配され服従することを望む人がいたのだ。そのほうが楽なのだ。してもよいことと、やってはいけないことを教えてもらい、指導と命令に服従していれば、手のとどく範囲で安定と幸福を与えてもらえる。それで満足する生きかたもあるだろう。だが、柵の内部だけで自由と生存を認められた家畜は、いつの日か、殺されて飼育者の食卓に上らされるのである。
 専制政治による権力悪が、民主政治におけるそれより兇暴である理由は、それを批判する権利と矯正する資格とが、法と制度によって確立されていないからである。ヤン・ウェンリーは国家元首であるヨブ・トリューニヒトとその一党をしばしば辛辣に批判したが、それを理由として法的に処罰されたことはない。いやがらせを受けたことは一再ではないが、そのたびに何か別の理由を見つける必要が、権力者にはあった。それはひとえに、民主共和政治の建前――言論の自由のおかげである。制度上の建前というものは尊重されるべきであろう。それは権力者の暴走を阻止する最大の武器であり、弱者の甲冑であるのだから。その建前の存在を後世に伝えるために、ヤンはあえて個人的な敬愛の念をすてて専制主義と戦わねばならないのだ。>

 これのどこに、新Q太郎さんの仰る「目に見えない、そして実益も実害も無いことのために命を賭けた」という要素が存在するのでしょうか? 「回廊の戦い」でヤンが自らに課した使命とは、上で述べられているように「民主主義の基本理念と、制度と、それを運用する方法とに関して、知識を後世に伝えなくてはならない」というものであり、そのためにヤンは「全宇宙に皇帝ラインハルトとローエングラム王朝の宗主権を認め」た上で「内政自治権を有する民主共和政の一惑星の存在を認めさせよう」という戦略構想(と呼べるかどうかも怪しいシロモノ)を作り上げたわけです。
 そして、もしヤンが本当に「【主権】を守るために戦う」などと本気で考えていたのであれば、こんな述懐を「回廊の戦い」時に紡ぎ出すものですかね↓

銀英伝8巻 P36下段~P37上段
<ヤンの構想は、およそ大それたものである。戦術レベルの勝利によってラインハルトを講和に引きずりこみ、内政自治権を有する民主共和政の一惑星の存在を認めさせようというのだ。それはエル・ファシルでもよい、もっと辺境の未開の惑星でもよい。その惑星を除いた全宇宙を専制の冬が支配するとき、ひ弱な民主政の芽を育てる小さな温室が必要なのだ。芽が成長し、試練にたえる力がたくわえられるまで。
 それにはラインハルトに勝たなければならないとヤンは思うのだが、あるいは負けたほうがむしろよいのだろうか。ヤンが敗北した後には、ラインハルトはヤンにしたがった将兵たちを厚く遇するだろう。最高の礼をもって彼らを送りだし、彼ら個々人の将来に関するかぎり放任してくれるだろう。
 あるいは、ほんとうにそのほうがよいのかもしれない。ヤンにできることには限界があり、ヤンの存在がないほうが、彼の部下たちにとって未来は豊かさをますのではないか。>

 自分が敗北し、歴史上から姿を消すことでラインハルトに部下達の命運を委ね、その庇護の下で「未来の豊かさ」を保障する――こんな考え方は、新Q太郎さんが主張する、

<結局、命をかけて、部下に犠牲を強いても、彼は「対等の存在として」帝国に対峙しなければならなかった。干戈を交えるとき、勢力が1対1000でも、ボロ負けしたとしても彼らは"対等"であり"独立"している。そんなフィクションを、彼らは部下の命と引き換える価値があると実は見做している。>

 という概念とは当然全く相容れないものです。ヤンが「回廊の戦い」に関して「部下の命と引き換える価値があると実は見做している」などという推論は、これらの「ヤンが作中で開陳している思想信条」から見ても到底考えられるものではないでしょう。
 また、新Q太郎さん自身も認めていらっしゃるようですけど、この「【彼らは"対等"であり"独立"している】というフィクション」などという発想は、ヤンが全否定的な評価を下している「愛国主義者」が抱くものと全く同一線上に存在するものですし、そもそもヤンはそういう考え方を「(願望の強力なものにすぎず、なんら客観的な根拠を持つものではない)信念」として徹底的に毛嫌いするような性格および思想信条を有しているはずなのですがね。そのヤンが突然、何の説明もなしに「転向」したというのであれば、言っては悪いですけどそれは「創竜伝における竜堂兄弟のバカさ加減およびダブルスタンダード」と同レベル以下のシロモノでしかありえないでしょう。
 それに「目に見えない、そして実益も実害も無いことのために命を賭け」ることの意義は認めるにせよ、それもある程度は「勝算」というものが成り立って初めて生きてくるものでしょう。何度も言われているように「回廊の戦い」でヤンがラインハルトに対して「自力で」戦略目標を達成できる可能性は、彼我の絶望的戦力・戦略的格差から言っても、ヤンの誇大妄想的な見通しの甘さから考えてもゼロとしか評価のしようがありません。はっきり言いますが、あの状況でヤン側が「目に見えない、そして実益も実害も無いことのために命を賭け」て「回廊の戦い」に身を投じるなど「自殺行為」かつ「無駄死に」以外の何物でもないのです。

収録投稿477件目
board4 - No.6333

イゼルローンへの質量兵器攻撃についての一考察

投稿者:平松重之
2005年03月08日(火) 02時17分

 何ゆえヤン一党が籠るイゼルローン要塞に対し、ラインハルトは質量兵器での攻撃が行わなかったのか?ちょっと理屈を考えてみました。
 それについて言及するためには、まずイゼルローン要塞が存在するイゼルローン回廊について調べてみる必要があります。
 帝国領と同盟領の間には「サルガッソ・スペース」と呼ばれる「変光星、赤色巨星、異常な重力場」(黎明篇第五章Ⅰ、ノベルズ版一巻P114上段)が密集している宙域が横たわっています。イゼルローン回廊はその宙域に存在する、細い一筋の安全地帯であり、帝国領と同盟領を結ぶ数少ないルートの一つです。
 銀英伝世界にはワープ(空間跳躍)航法が存在しますが、このサルガッソ・スペースを飛び越える事は出来ないと思われます(出来るのならそもそもイゼルローン回廊の存在意義がなくなります)。
 また、回廊内でのワープイン及びワープアウトについてですが、

 黎明篇第九章Ⅰ(ノベルズ版一巻P225下段)
<キルヒアイス艦隊の急行動を見て、その進行方向に居あわせた同盟軍の戦艦がパニックに襲われ、大質量のちかくであるにもかかわらず、跳躍したのである。>

 上記の文章はアムリッツァ星域会戦の描写の一節ですが、これを見る限り、大質量の近くでのワープには大きな危険が伴う事が示唆されています。先にも書いた通り、イゼルローン回廊は「変光星、赤色巨星、異常な重力場」といった大質量の天体が密集した宙域の中に存在しますので、当然「回廊内での」及び「回廊内への」ワープは危険であると思われます。
 その証拠の一つとして、第五次イゼルローン攻防戦においての次のような描写が挙げられます。

 外伝「黄金の翼」(徳間ノベルズ「夜への旅立ち」P177)
<五月二日、シトレ総司令官は旗艦ヘクトルの作戦会議室に、一〇〇名をこす幕僚を参集した。
「わが軍は過去、四度にわたってイゼルローン要塞へ直接の攻撃をかけ、四度にわたって敗退した。不名誉な記録というべきだ。今回の遠征は、この記録を中断させるのが目的であって、これ以上の更新はのぞましくない」
 幕僚たちの間から、消極的な笑声がおこった。この宙点からイゼルローン要塞までは、ほぼ九〇時間行程の距離であり、すでに帝国軍の前哨地点とみなさねばならず、シトレ総司令官の冗談めいた口調も、彼らの緊張を完全にほぐすことはできなかった。>

 この文章から見ても、イゼルローン回廊内でのワープは不可能で、通常航行で回廊内を進まねばならない事が分かります。
 また、第六次イゼルローン要塞攻防戦においては、次のような描写があります。

 外伝「千億の星、千億の光」第七章Ⅱ(ノベルズ版外伝第三巻P169上段~下段)
<一方、自由惑星同盟軍は、この年初めに、ヴァンフリート星系で経験した、漫然たる無秩序な消耗戦で、さすがに、多少は学ぶところがあったようである。動員された同盟軍の艦艇は三万六九〇〇隻、これが総司令官ロボス元帥の指揮を受け、きわめて迅速な行軍と、緻密な補給計画によって、帝国軍の機先を制し、一〇月半ばには、イゼルローン回廊の同盟側出入口を扼して、帝国軍の戦術的展開を封じこめてしまった。まことに、幸先よいことに思われた。>

 上記の文章から考えると、出入口を扼した敵の後背に、回廊内からワープして攻撃を仕掛けるという事も出来ないと思われ、これも回廊内での(への)ワープが出来ない事の証拠の一つになりえると考えられます。
 さて、「イゼルローン要塞級の大質量の小惑星にエンジンを取り付けて要塞の火力が届かない遠距離から発射し、ある程度加速がついた所でエンジンを停止させ、そのまま慣性航行によってイゼルローン要塞に衝突させる」という案ですが、イゼルローン回廊は先にも書いた通り「変光星、赤色巨星、異常な重力場」の密集する宙域の中に存在します。また、イゼルローン回廊も自然に形成された宙域である以上、直線的な通路ではなく、多少なりとも曲がりくねった通路であると考えた方が自然です。そうなると、要塞や要塞に駐留する艦隊の目や火力の届かない安全な遠距離から打ち出した場合、イゼルローン要塞に激突する前に「変光星、赤色巨星、異常な重力場」が密集する宙域に突入してしまい、それら大質量の天体の重力に囚われてしまうのではないでしょうか?
 まあ、仮にイゼルローン回廊は直線的な通路であり、質量兵器をそのまま遠距離から突入させても問題なくイゼルローン要塞に衝突するコースを進ませる事が出来るとします。
 まず、「イゼルローン要塞は特定の宙域に固定された要塞である」という認識についてですが、これはやや事実と異なります。

 野望篇第一章Ⅰ(ノベルズ版二巻P11下段)
<イゼルローンは、銀河帝国領と自由惑星同盟領の境界に位置する人工惑星で、恒星アルテナの周囲をまわっている。いわゆる「イゼルローン回廊」の中心にあり、ここを通過しないかぎり、おたがいの領域に軍隊を侵攻させることは不可能だ。>

 この文章を見る限り、イゼルローン要塞は特定の位置に固定された要塞ではなく、恒星アルテナの周囲を公転している事が分かります。となれば、イゼルローン要塞に慣性航行で進む質量兵器を激突させる場合、事前に要塞の公転も計算に入れて発射のタイミングや角度を定めなければなりません。
 ですが、この場合イゼルローン要塞はそのまま予想通りに公転軌道を周るでしょうか?と言うのは、もしイゼルローン要塞が何らかの原因で公転軌道を外れようとした場合に、当然それを修正するための姿勢制御システムのようなものがイゼルローン要塞には存在すると考えられるからです。銀英伝世界では重力制御や慣性制御も実現していますし(黎明篇序章、ノベルズ版一巻P7上段。もしなければ、万が一に公転軌道から外れた場合、宇宙をあてもなく漂流するか、下手をすれば恒星アルテナに突っ込んでしまう危険性があります)。
 となれば、ガイエスブルク移動要塞のような自由自在な機動力は到底望めないにしても、遠距離からの質量兵器の接近を察知し、その姿勢制御システムを駆使して公転速度を停止ないし遅滞させれば、質量兵器には肩透かしを食わせる事が出来るのではないでしょうか(これでは近距離からのビームやミサイルをかわすのはさすがに無理でしょうが)。
 また、「イゼルローン要塞の近距離まで近付き、そこから発射し、ある程度加速がついた所でエンジンを停止させ、そのまま慣性航行によってイゼルローン要塞に衝突させる」という案ですが、先にも書いた通り、回廊内深部へのワープは事実上不可能と思われますので、ワープで要塞近辺に接近する事は出来ません。通常航行で回廊内を航行し、それほどの近距離まで近付こうとした場合、当然要塞より遥かに遠くでイゼルローン要塞の哨戒網(哨戒艦隊や偵察衛星など)に捕捉されます。そうなれば、「エンジンを取り付けた大質量の天体」の存在はいち早くイゼルローン要塞首脳の知る所となり、当然ヤンは質量兵器としての用途を見抜き、駐留艦隊を派遣して阻止しようとするでしょう。質量兵器に護衛艦隊がついていたとしても、小惑星に取り付けられたエンジンを守りつつ応戦するのは困難でしょうし、ヤン艦隊は回廊での戦闘に慣れています(乱離篇第四章Ⅱ、ノベルズ版八巻P84下段)。かくしてエンジンは要塞より遥かに遠い宙域で破壊され、質量兵器としての使用は出来なくなるのではないでしょうか。
 かくして上の様に考えたが故に、ラインハルトはヤン一党の籠るイゼルローン要塞に質量兵器で攻撃を行う事を断念したのではないでしょうか。

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board4 - No.6337

Re6333:銀英伝世界における質量弾攻撃の成功率

投稿者:冒険風ライダー
2005年03月09日(水) 02時27分

<ですが、この場合イゼルローン要塞はそのまま予想通りに公転軌道を周るでしょうか?と言うのは、もしイゼルローン要塞が何らかの原因で公転軌道を外れようとした場合に、当然それを修正するための姿勢制御システムのようなものがイゼルローン要塞には存在すると考えられるからです。銀英伝世界では重力制御や慣性制御も実現していますし(黎明篇序章、ノベルズ版一巻P7上段。もしなければ、万が一に公転軌道から外れた場合、宇宙をあてもなく漂流するか、下手をすれば恒星アルテナに突っ込んでしまう危険性があります)。
 となれば、ガイエスブルク移動要塞のような自由自在な機動力は到底望めないにしても、遠距離からの質量兵器の接近を察知し、その姿勢制御システムを駆使して公転速度を停止ないし遅滞させれば、質量兵器には肩透かしを食わせる事が出来るのではないでしょうか(これでは近距離からのビームやミサイルをかわすのはさすがに無理でしょうが)。>

 これだと、銀英伝2巻でヤンが「アルテミスの首飾り」に10億トンの氷塊を亜光速航行でもってぶつけた「作中事実」にもミソがついてしまうのではないでしょうか?
 あれにしたところで、相手は「太陽の周りを周回している惑星」の、それも「軌道上を自由に動く一二個の衛星」(銀英伝2巻 P186)なわけですし、こちらの場合は、まかり間違って惑星に氷塊が突っ込んでしまった場合は惑星ハイネセン上に存在する億単位の人間が死滅する危険性すらあったものです。その厳しい条件でさえ、例の氷塊質量弾攻撃は百発百中の命中率でもって完璧な成功を収めたというのに、それよりもはるかに自由度が落ちる静止要塞(公転要塞?)が「姿勢制御システムを駆使して公転速度を停止ないし遅滞させ」る程度で「肩透かしを食わせる事が出来る」ことなどできるのでしょうか?
 作中の「アルテミスの首飾り」破壊でさえ完璧な成功が収められるのに、それよりもはるかに条件が緩い小惑星特攻が、それも作戦自体が事前予測で「成功の余地なし」と見做され却下されてしまうほどの高確率で失敗するとは、私にはとても思えないのですけどね。

<また、「イゼルローン要塞の近距離まで近付き、そこから発射し、ある程度加速がついた所でエンジンを停止させ、そのまま慣性航行によってイゼルローン要塞に衝突させる」という案ですが、先にも書いた通り、回廊内深部へのワープは事実上不可能と思われますので、ワープで要塞近辺に接近する事は出来ません。通常航行で回廊内を航行し、それほどの近距離まで近付こうとした場合、当然要塞より遥かに遠くでイゼルローン要塞の哨戒網(哨戒艦隊や偵察衛星など)に捕捉されます。そうなれば、「エンジンを取り付けた大質量の天体」の存在はいち早くイゼルローン要塞首脳の知る所となり、当然ヤンは質量兵器としての用途を見抜き、駐留艦隊を派遣して阻止しようとするでしょう。質量兵器に護衛艦隊がついていたとしても、小惑星に取り付けられたエンジンを守りつつ応戦するのは困難でしょうし、ヤン艦隊は回廊での戦闘に慣れています(乱離篇第四章Ⅱ、ノベルズ版八巻P84下段)。かくしてエンジンは要塞より遥かに遠い宙域で破壊され、質量兵器としての使用は出来なくなるのではないでしょうか。>

 これも無理でしょう。このような前提が銀英伝世界でまかり通るのであれば、そもそも銀英伝3巻の「要塞VS要塞」の戦いが「無事行えたこと自体」に疑問符がついてしまいます。
 そもそも、平松さんの推論のすくなくとも前半部分「それほどの近距離まで近付こうとした場合、当然要塞より遥かに遠くでイゼルローン要塞の哨戒網(哨戒艦隊や偵察衛星など)に捕捉されます」の部分は、銀英伝本編の「要塞VS要塞」で「作中事実として」行われている事なんですよね。

銀英伝3巻 P138下段~P139上段
<戦艦ヒスパニオラ、巡航艦コルドバなど一六隻から成るグループが「それ」を発見したのは四月一〇日のことである。J・ギブソン大佐の指揮するこのグループは、イゼルローン回廊を出て回廊内を哨戒中だった。
(中略)
「前方の空間にひずみが発生」
 オペレーターが報告した。
「何かがワープアウトしてきます。距離は三〇〇光秒、質量は……」
 オペレーターは質量計に投げかけた視線を凍結させ、声を飲みこんだ。声帯を再活動させるまで数秒間を必要とした。>

 で、平松さんの主張だと、「そうなれば、「エンジンを取り付けた大質量の天体」の存在はいち早くイゼルローン要塞首脳の知る所となり、当然ヤンは質量兵器としての用途を見抜き、駐留艦隊を派遣して阻止しようと」し、「かくしてエンジンは要塞より遥かに遠い宙域で破壊され」ることになるのですよね? そうなると、そもそも「要塞をして要塞に当たらせる」というコンセプトで作られたはずの「要塞VS要塞」の戦いそのものが成立しえないものになってしまうのではありませんかね?
 そもそも、移動要塞を考案したシャフトは、イゼルローン要塞に匹敵する火力と装甲を持つ移動要塞をイゼルローン前面に展開することでイゼルローン要塞を陥落させるべしとしてラインハルトに直言したわけですし、その構想では当然、「要塞砲の射程圏内まで移動要塞がイゼルローン要塞に肉迫できること」が前提となっていなければなりません。そして、直言されたラインハルト自身、作戦の成功はともかく、すくなくともそのシャフトの構想を支える前提が実現されるであろう事に関しては何ら疑いを抱いてはいなかったわけです(もし少しでも疑いを抱き、机上の空論と断じていたのであれば、ラインハルトはまさに平松さんの仰る理由で、シャフトが提言する移動要塞開発および運用計画「自体」にNOを突きつけていたことでしょう)。
 そして、実際にこの「回廊内を哨戒中」の索敵部隊が「三〇〇光秒先」で発見した移動要塞は、その後何の抵抗を受けることなく「イゼルローン要塞から60万kmの距離」に布陣しています。

銀英伝3巻 P174下段
<ガイエスブルク要塞の中央指令室では、60万キロをへだてたイゼルローン要塞の姿をスクリーンにながめながら、総司令官カール・グスタフ・ケンプと副司令官ナイトハルト・ミュラーが会話をかわしている。>

 移動要塞を質量弾攻撃として使おうが、「要塞をして要塞に当たらせる」というコンセプトで運用しようが、事前に来襲を察知した迎撃側にしてみれば「エンジンを破壊すれば相手の意図を頓挫させられる」と考えるに決まっているわけですから、当然同じことをしてこなければならないはずですよね? そして、仮にも「要塞VS要塞」の発想に立脚した移動要塞計画を推進するのであれば、シャフトもラインハルトも、当然この手の手段に対する対策というのを事前に講じていなければならないはずですよね?
 平松さんの理論だと、何故この懸念材料を無視してシャフトとラインハルトが移動要塞計画を推進したのか、という「銀英伝という作品の土台そのものを揺るがしかねない根本的な疑問」が発生してしまうことになるわけです。

収録投稿479件目
board4 - No.6343

Re:大質量兵器と移動要塞の運用について

投稿者:平松重之
2005年03月10日(木) 01時11分

<これだと、銀英伝2巻でヤンが「アルテミスの首飾り」に10億トンの氷塊を亜光速航行でもってぶつけた「作中事実」にもミソがついてしまうのではないでしょうか?
 あれにしたところで、相手は「太陽の周りを周回している惑星」の、それも「軌道上を自由に動く一二個の衛星」(銀英伝2巻 P186)なわけですし、こちらの場合は、まかり間違って惑星に氷塊が突っ込んでしまった場合は惑星ハイネセン上に存在する億単位の人間が死滅する危険性すらあったものです。その厳しい条件でさえ、例の氷塊質量弾攻撃は百発百中の命中率でもって完璧な成功を収めたというのに、それよりもはるかに自由度が落ちる静止要塞(公転要塞?)が「姿勢制御システムを駆使して公転速度を停止ないし遅滞させ」る程度で「肩透かしを食わせる事が出来る」ことなどできるのでしょうか?>

「アルテミスの首飾り」(自由惑星同盟の首都星系バーラトにある首都星ハイネセンを守る軍事衛星群)破壊についてですが、「首飾り」はレーダーやセンサーなどの索敵システムで飛来してくる氷塊を捕捉し、その質量とスピードを危険因子とみなしてレーザーやミサイルで「攻撃」を仕掛けていますが、記述を見た限りではどうした事か「軌道上を自由に動」けるはずの「首飾り」は「停止、減速、加速して回避」という選択肢を取った形跡がありません(野望篇第七章Ⅳ(ノベルズ版二巻P189~P190上段)。考えられる理由としては、

1、破壊不可能な大質量兵器による攻撃を想定していなかった

2、回避しても間に合わないと判断し、次善の策として攻撃を行った

 のいずれかが考えられます。1の場合、「首飾り」は宇宙防衛管制司令部によって制御されているので(黎明篇第四章Ⅰ、ノベルズ版一巻P89下段)、いざとなれば地上にあると思われる司令部から回避するよう指示を出す事も出来たと思われるのですが、それも行われなかったみたいです。考えられる理由としては、

A、「『アルテミスの首飾り』というハードウェアに対する信仰」(野望篇第七章Ⅲ、ノベルズ版二巻P180下段)が強烈過ぎて、「氷塊などで破壊出来るはずがない」という迷いが回避の指示を遅らせてしまった。

B、近距離から打ち出された氷塊の探知から衝突までの時間が速過ぎで、回避する指示を与える暇がなかった。

 と言った所でしょうか。
 まあ、「2」や「B」については「氷塊がハイネセンからどのくらいの距離の宙域から発射されたのか?」「発射された氷塊が亜光速に達するまでどの位の時間がかかるのか?」などといった事がもう少し詳しく分からないと何とも言えませんが。
 いずれにせよ、「『比較的安定した宙域と思われるバーラト星系で』『比較的近距離から』『回避という選択肢を与えられ(る暇が)ない無人の衛星に』質量兵器を衝突させる」のと「『大質量・高重力の天体が周囲に密集した宙域で、多少なりとも曲がりくねった通路と思われるイゼルローン回廊で』『遠距離から』『回避という選択肢を持つ有人の要塞に』質量兵器を衝突させる」のとでは、前提条件がかなり異なるのではないでしょうか。

<で、平松さんの主張だと、「そうなれば、「エンジンを取り付けた大質量の天体」の存在はいち早くイゼルローン要塞首脳の知る所となり、当然ヤンは質量兵器としての用途を見抜き、駐留艦隊を派遣して阻止しようと」し、「かくしてエンジンは要塞より遥かに遠い宙域で破壊され」ることになるのですよね? そうなると、そもそも「要塞をして要塞に当たらせる」というコンセプトで作られたはずの「要塞VS要塞」の戦いそのものが成立しえないものになってしまうのではありませんかね?
 そもそも、移動要塞を考案したシャフトは、イゼルローン要塞に匹敵する火力と装甲を持つ移動要塞をイゼルローン前面に展開することでイゼルローン要塞を陥落させるべしとしてラインハルトに直言したわけですし、その構想では当然、「要塞砲の射程圏内まで移動要塞がイゼルローン要塞に肉迫できること」が前提となっていなければなりません。そして、直言されたラインハルト自身、作戦の成功はともかく、すくなくともそのシャフトの構想を支える前提が実現されるであろう事に関しては何ら疑いを抱いてはいなかったわけです(もし少しでも疑いを抱き、机上の空論と断じていたのであれば、ラインハルトはまさに平松さんの仰る理由で、シャフトが提言する移動要塞開発および運用計画「自体」にNOを突きつけていたことでしょう)。
そして、実際にこの「回廊内を哨戒中」の索敵部隊が「三〇〇光秒先」で発見した移動要塞は、その後何の抵抗を受けることなく「イゼルローン要塞から60万kmの距離」に布陣しています。>

<移動要塞を質量弾攻撃として使おうが、「要塞をして要塞に当たらせる」というコンセプトで運用しようが、事前に来襲を察知した迎撃側にしてみれば「エンジンを破壊すれば相手の意図を頓挫させられる」と考えるに決まっているわけですから、当然同じことをしてこなければならないはずですよね?>

「要塞VS要塞」の件は、イゼルローン要塞司令官であるヤン・ウェンリー大将が国防委員会の査問会に呼び出され、首都星ハイネセンに赴いて不在だったと言うのが原因でしょう。ガイエスブルク移動要塞襲来の方を受けた司令官代理キャゼルヌ少将以下、イゼルローン要塞の幕僚達は「ヤン司令官が戻ってくるまで防御に徹し、イゼルローン要塞を維持する」という方針を取っています。いわば名司令官の不在ゆえに能動的な行動を取る事を控えてしまったわけです。
 また、ガイエスブルク移動要塞がイゼルローンの要塞主砲「雷神の鎚(トゥールハンマー)」の射程内まで航行して来たにも関わらず、司令官代理キャゼルヌ少将や要塞防御指揮官シェーンコップ少将らは手をこまねいてそのまま接近を許しています。航行中の移動要塞のエンジンに狙いを絞ってトゥールハンマーを浴びせれば、ヤンの帰還を待たずして決着をつける事が出来たとも思えるのですが、彼らには「航行中の敵移動要塞のエンジンを破壊する」という発想が出来なかったという事なのでしょう。

<そして、仮にも「要塞VS要塞」の発想に立脚した移動要塞計画を推進するのであれば、シャフトもラインハルトも、当然この手の手段に対する対策というのを事前に講じていなければならないはずですよね?
 平松さんの理論だと、何故この懸念材料を無視してシャフトとラインハルトが移動要塞計画を推進したのか、という「銀英伝という作品の土台そのものを揺るがしかねない根本的な疑問」が発生してしまうことになるわけです。>

 しかし、作中では現にガイエスブルク移動要塞のエンジンの一基はヤンの一点集中砲火によって破壊され、移動要塞は航行不能に陥っています(雌伏篇第八章Ⅴ、ノベルズ版三巻P214)。ラインハルトは事前に移動要塞を見ているにも関わらず、移動要塞のエンジン部の脆弱性を見抜く事が出来なかったわけです。
 これはつまり戦術家としての観察力・発想力はヤンの方がラインハルトより上である事を示しており、後のバーミリオン星域会戦でのヤンとラインハルトの直接対決において、ラインハルトが戦術的敗退を喫する事の伏線……だったのかも知れません(^^;)。
 移動要塞の発案者である科学技術総監シャフト技術大将についてですが、敗戦後ラインハルトに呼び出された彼は次のように語っています。

 雌伏篇第九章Ⅲ(ノベルズ版三巻P231下段~P232上段)
<ミュラーに対しては寛容を示したラインハルトであったが、科学技術総監シャフト技術大将に対しては、まったく別であった。彼はシャフトを呼びつけると、
「弁解があれば聞こうか」
 と、最初から糾弾の姿勢を見せた。シャフトは自信満々でそれに応じた。
「お言葉ながら、閣下、私の提案にミスはございませんでした。作戦の失敗は、統率および指揮の任にあたった者の責任でございましょう」>

 つまり、シャフトは「移動要塞の剥き出しになっているエンジン部の脆弱性」は自分の「ミス」ではないと考えていたみたいです(^^;;)。つまりシャフトは予想以上に低能であったと(^^;;;)。

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