> 更に作者の意識問題についてはNo.3840の不沈戦艦さんの下記のような記述など
> 私にとってはナンセンスでしかありません。
>
> > ところで、その根拠は何です?はっきり言いますけど、「イオン・ファゼカス号の
> > 巨大さ」というのは、銀英伝を書いた本人である、田中芳樹すら認識していない「作
> > 中事実」です。作者すら「分かっていない」ことを、登場人物たちが「分かってい
> > る」と言い張るのは、あまりに矛盾していませんかね。
>
> このような事を言うのでしたら私としたら作者は無限補給なんて認識していない
> のだから登場人物が分かるはずがない。移動要塞の議論をする事自体が無粋な事
> として終わってしまう気がします。しかし実際はそうではありません。
「無限補給」については、田中芳樹は自分で意識していて、作品中でそれを根拠とした発言を、キャラクターに行わせているとしか思えませんが。それに対する根拠は、冒険風ライダー氏が何度も説明しているでしょうに。
こういうことを書き込むから、「反対の為の反対」と評されるのですよ。
それとこれは私が思ったことですけど、「無限補給」の出所は、先ず間違いなく「宇宙戦艦ヤマト」でしょうね。「波動エンジンによる航続距離は無限」「ミサイルの類は、艦内工場でいくらでも生産できる」という設定になってましたから。
それとですね、私が言ってること分かってます?「移動要塞否定派の主張が事実だとすると、登場人物が要塞対要塞の戦いにおいて、イオン・ファゼカス号に全く触れないのはあまりに変だ。そんな無理な解釈を行ってまで、イオン・ファゼカス号がワープできなかったのだという結論に持ち込み、無理に無理を重ねて移動要塞論を何が何でも否定しようとするのは、もう止めるべきだろう」ということです。何しろ、数日レスがない程度で、「『新技術』云々に誰も反論がないのだから、議論は否定派が勝ったのだ」などと言い出す人まで出てくるくらいですからね。そんなしょうもない発言をしてどうするんでしょうか。
この件については再度詳細に説明しますが、「移動要塞論否定派」の主張は、
「イオン・ファゼカス号はワープできなかった。だから、シャフトもムライも『新技術』と言ったのであって、そうでなければこの二人の発言に整合性がなくなる。すなわち、要塞のような大質量物体のワープ技術は、ガイエスブルグ要塞の移動要塞化によって開発されたものなので、後でヤンがイゼルローンの移動要塞化改造を命令すれば、簡単に実現できるようなものではない」
ということですよね。ですが、この主張が「作中事実」だと仮定すると、
「銀英伝の登場人物たちのほぼ全員が、イオン・ファゼカス号はイゼルローン要塞に匹敵するような巨大質量物体であるのにワープできなかったが、ガイエスブルグ移動要塞はワープできるので、この両者はこの点において決定的に異なっていると正確に認識している」
ということになります。そこまで強烈にイオン・ファゼカス号のことを「詳しく知っている」のに、何でただの一人も「要塞対要塞」の戦いにおいて、イオン・ファゼカス号の「イ」の字も、話題に出さないんでしょうか。「巨大な質量を有する『宇宙船』」という範疇では、同じなのにもかかわらず。「イオン・ファゼカス号のことをよく知っていたから新技術と言っている」という主張は、この点が決定的に矛盾します。異常なんですよ、「イオン・ファゼカス号のことをよく知っていた」のに、「大質量物体の宇宙船」の実例を目の前で見せつけられているにもかかわらず、イオン・ファゼカス号のことを全く誰も話にも出さないのは。軽口の類でも、出てこないのは不自然です。「新技術」の前に、「イオン・ファゼカス号とは違って」という修飾を、誰かが口にしていないとおかしいんです。「否定派」の主張が「作中事実」だとするのならば。
そんな無理がある解釈よりは、「誰も、イオン・ファゼカス号のことなど考えもしなかったから、何も言っていないのだ。長征一万光年は知識としてはあっても、それに使われたイオン・ファゼカス号の実際の大きさなど、真面目に考えたことはなかったから、そんなことは誰も気にしていないのだ」という方が、「作中事実」としては、整合性があります。「イオン・ファゼカス号のことなど考えもしなかった」のだったら、「新技術」と口走ったところで、おかしなところは何もありますまい。すなわち、「新技術」とシャフトとムライが言ったということを、「移動要塞論の否定」の証拠として取り上げるには、主張が矛盾を来しているので、成立しないということです。
「シャフトもムライも軍人だし、シャフトに至っては技術畑の人間だ。過去の例を知らないのはおかしい」
と言い張ったところで、これもあまり意味はありませんね。実際、二人とも「イ」の字も出していないんですから、そのような過去の例は完璧に忘れ去っている、と見るしかありません。かわぐちかいじの「ジパング」の柳じゃあるまいし、「スペックオタクの戦史マニアの軍人」なんざ、滅多なことでは居やしないというのが現実だということくらい、理解して下さい。それで、シャフトやムライは、「柳もどき」ではありませんよね?銀英伝を読む限りでは。ヤンは歴史には詳しいという設定ですが、「文人系歴史家志向」であって、「スペックオタクの戦史マニア」からは相当離れていますから、更にそんなことには関心がないでしょうね。
銀英伝の登場人物たちが、揃いも揃って「ジパングの柳」のような特殊な趣味の持ち主だという結論では、あまりに無理がありすぎますよ。あるいは、他の表現を取るならば、
「空想科学読本が出版される遙か以前に、ゴジラの体重について真剣に考察する人間」
なんてのが異常の類だというくらい、理解すべきでしょう。「ゴジラの体重は二万トンだ」と言われたら、普通の人間は「ああそうか」と受け止めておしまいですよ。それが、いかにとんでもない重量なのか、考えてみようとかは思わんものなのです。
「建国神話」としての「長征一万光年」の物語には「イオン・ファゼカス号の物理的サイズと質量」などという「空想科学読本的ツッコミ」などは、全く必要ではないのですよ。もちろん、そんなことは、登場人物の誰もが、知りはしないことです。
> 2航続距離が1~2万光年?
>
> 補給船団が破壊されても、後方が遮断されるような事態に陥っても、作中人物の誰も燃料の心配をしていないところから、航続距離は1~2万光年よりも長いと推定されます。
> ラグナロック作戦では、ハイネセンへの進撃をも視野に入れられています。
> フェザーンからハイネセンまで真っ直ぐ進んでも1万光年です。
> そして、不沈戦艦さんが言われたように、往復(進撃および帰還)および目的地での移動(戦闘行動)を考えると、目的地までの距離の3倍以上の航続距離は必要です。
> これだけで、少なくとも3万光年くらいの航続距離はないと、一度は燃料補給をしなければなりません。
> そして、ラグナロック作戦において、補給船団が破壊される前には、ヤンがイゼルローンを放棄している情報も、帝国軍にもたらされています。
> ヤンとの戦闘が容易に終了するとは、帝国軍の誰もが考えてないでしょう。事実、補給船団がヤンによって破壊されたわけでした。
> そして、84箇所の同盟の全補給基地を占領すべき、などという案も検討されていることからしても、戦闘期間および航続距離がどれほどに上るか、まったく予断できないのです。
> 補給基地では、敵に物資を渡すくらいなら自爆する可能性も当然あるわけです。
>
> このような状況下でありながら、つまり、
> ヤンに補給船団が破壊された時点において、
> 帝国軍の将軍たちの誰も、燃料補給の心配をしていないのです。
>
> 人は、食料は無くても水だけで一月くらい生きられるそうですが、
> 宇宙船の航行用燃料が無くなったら、これは致命的です。一光秒先に補給基地があったとしても、たどり着くことはできません(慣性で進んでも止まることはできないし、方向は制御できない)。
>
> 心配すべき優先度の高さとしては、食料の不足よりも燃料の不足なのです。
> 航続距離の半分近くを消費したなら、兵員のモラルの低下は、食糧不足の場合よりもはるかに大きいでしょう。
>
> 艦船が3万光年の航続距離を有していても、機会があれば燃料補給をしておくのは当然のことです。
> ところが、この機会の一つを逃しても、帝国軍の将軍たちの誰も、燃料補給の心配をしていないのです。次の補給船団も確実に届くという保証もないにも関わらず。
>
> 以下において、「航続距離は1~2万光年」どころではなく、もっと果てしなく長く、ほとんど燃費が無視できる、ことに関する論を展開します。
パンツァーさんが上手くまとめてくれてますけど、「宇宙船の航行においては、食料の心配より燃料の心配の方が遙かに優先する」ということを、まさか理解していない方はいらっしゃらなかったでしょうね?これについては、本来は説明するまでもないことですから、触れようとは思わなかったんでしたけど。
例えばの話ですが、艦隊の作戦行動中、食料三日分が不足したとします。大した問題はないでしょう。三日後に補給基地なり補給艦隊に邂逅して、食料の補給が受けられるのであるなら。乗り込んでいる兵員は三日絶食か配給量を減らされる(一日一食等)訳ですから、腹が減って不機嫌極まりなくなるし力も元気も出ないだろうし、という状況に追い込まれはしますが、それくらいで死ぬ人間は先ずいはしません。「腹減って動けね~」と不満タラタラながらも、作戦行動はさほど阻害されることはない。
しかし、燃料三日分が不足したらどうなるのです。艦隊はその場から一歩も動けず(というか宇宙空間ですから慣性航行で定速度状態ですね)になってしまい、味方の補給船団が出張って来て自分の艦隊を捕捉し、補給艦艇を横付けして燃料補給をしてくれない限り、何もなし得なくなってしまいます。もし、こんな無防備な状態で敵に襲われたら、即全滅は免れません。食料と燃料、宇宙用の戦闘艦にとって、一体どっちが大事かなんて、こんなこと言うまでもないことじゃないですか。
宇宙空間を舞台に、敵中深く侵攻した状態で、補給線寸断の危機に晒されていながら、将帥たちが食料の心配をしているのに、燃料の心配を全くしていない、だから銀英伝艦船の航続力は燃料補給の心配をする必要がない程あるのだという結論は、こういう背景があって初めて出てくることなんですよ。
初めて投稿させていただきます。
議論のスキルがあまりなく、またこういった掲示板に書き込みした経験も薄いので的外れなことかもしれませんがどうしても気になったので書き込みさせていただきます。
イオン・ファゼガス号が大質量であるという根拠についてですが、冒険風ライダーさん自身が「数値計算」を行うことによってそれを証明してくださいました。
>このイオン・ファゼカス号の大きさに注目してください、長さ122㎞、幅40㎞、高さ30㎞という数値から体積を算出してみると、このドライアイスの塊が何とイゼルローン要塞よりもはるかに大きな体積を保有していることが判明するのです。イゼルローン要塞とイオン・ファゼカス号の体積をそれぞれ計算してみると、
>イゼルローン要塞の球体体積(単位:立方キロメートル)
>= 60 × 60 × 60 × 3.14 ÷ 6 = 11万3040
>イオン・ファゼカス号の船体体積(単位:立方キロメートル)
>= 122 × 40 × 30 = 14万6400
>となります。
> また、これだけ巨大な船ともなると、当然質量も巨大なものとならざるをえません。イオン・ファゼカス号の質量は、銀英伝2巻の「アルテミスの首飾り」破壊で使用された「1立方キロメートルで10億トンの氷の塊」を参考にすると、単純計算で146兆4000億トンも存在することになりますし、しかも二酸化炭素を成分としているドライアイスは、同じ体積の氷の約1.6倍の重さを持っていますので、実際の質量は実に234兆2400億トンというとんでもない数~~(以下略
しかし、別のスレッドにて冒険風ライダーさんは、
>そもそも、どんなに精密かつ正しい計算を行おうが、たったひとつの作中記述がその計算結果を否定するだけで全てが無意味となってしまうのが「作品論におけるルール」というものなのです。いくら「現代世界の物理法則」に基づいて「無限の自給自足システムは考えられない」というテーマを「物理論・科学論的に」完璧に立証しても、その存在を示す作中記述ひとつで「作品論としては」完全に否定されてしまうように。そして、これは作中記述に書かれている数字をベースにしてさえ決して例外ではないのです。
>
>第一、SF設定的な数値算出が、銀英伝だけでなく田中作品全般でいかに当てにならないシロモノであるかなど、今更改めて言うまでもない事実でしかないでしょう。「あの」田中芳樹が「一貫性のある理系思想」をベースにして作品を作ってなどいるはずもないのですから。そんな作品で、しかも「作品との整合性」を無視して、厳密な数値を厳格に算出した結果をベースに作品中にない裏設定を一方的にでっち上げても、そんなものは不沈戦艦さんも仰っているような「空想科学読本的ツッコミ手法による【精神的余裕のない】作品否定論」にしかなりえないでしょう。
とおっしゃっています。この論法に沿って考えるならば、↑の数値計算によって導き出された「イオン・ファゼガス号は大質量である」といった根拠は空想化科学読本的なつっこみと同じ次元であると言えるのではないでしょうか。
それにもしイオン・ファゼガス号が大質量でなければ、イオン・ファゼガス号がワープできようができまいが、「ガイエスブルク要塞がワープして攻めてくるまでは、大質量ワープは新技術であった」という作品中での記述と矛盾をきたさないと思うのですが、いかがでしょうか。
なかなか書き込みが出来ずにご迷惑をおかけしてます(私事ですが、三月は仕事が時期的に忙しいので)
> 私としては、管理人閣下による移動要塞論全体での大岡裁きを期待しています。管理人閣下が一つの結論なりを出してくれれば、タナウツ住人も移動要塞論への矛を下ろしやすくなると思います。
> ここまで場が荒れたときこそ、管理人閣下が動くときではないかな~と愚考しました。(人任せですねぇ・・・)
私もずっと目を通していましたが、「鶴の一声」や「大岡裁き」で終る話では無いと思います。
両者とも「田中芳樹がやっちまった」という前提は一致しているようですし。
管理者権限で強制終了することは可能ですが、それはやりたくありません。
外野としての感想としては、前に例え話に出ていましたが、「神学論争」というのが今回の正体だと思いますよ。現実問題、既に議論がスコラ的(国語事典参照)になっていますし。
「銀英伝」という聖典から、いかに説得力がある解釈を行うのかと言うことです(誤解を招きそうなのであらかじめ行っておきますが、これはヤンの思想(≠田中芳樹の思想)に帰依するという意味ではなく、銀英伝という「世界」を理解するという意味です)。
「銀英伝」から反するのであれば、科学的にいくら正しくても無意味ですし、その逆もありえます。神学なのですから。
まあ、神学で説得力を持たせようとすれば、行き着くところは究極的に原理主義になるでしょうけど、この論争を「遊び」として捉えられるなら、近代の神学者バルトの聖書への対し方など参照にしてみるのも面白いかも知れません。
RAMです。
あまりのピント外れに回答しようか迷いましたが、一言書いておきます。
No.3853の投稿は「私の議論の前提」について書いてあります。そして、
議論の根拠を求める際に「作者が○○だから」と「根拠を作者に求める事」
を「私にとっては」ナンセンスだと言っています。作者がどうであろうと
銀英伝の記述を追って得られる事が「私にとっては」銀英伝の事実です。
そのような意味で私にとって「空想科学読本的突っ込み」は大いに結構です。
そのような突っ込みを見事解決する設定、解釈を探すことに頭をひねる事
こそ面白く思います。
数値的解釈を出す相手に対して「空想科学読本的突っ込み」として意見を
封殺するような態度は「私にとっては」臭い物に蓋をするようにしか見え
ません。
別に私の議論前提に賛成しろとは言いません。
ただ、再度言わせて貰うと、「移動要塞の議論について私は撤退」させて
貰います。撤退した人に「移動要塞の議論」を振らないでください。
> >そもそも、どんなに精密かつ正しい計算を行おうが、(中略)、厳密な数値を厳格に算出した結果をベースに作品中にない裏設定を一方的にでっち上げても、そんなものは不沈戦艦さんも仰っているような「空想科学読本的ツッコミ手法による【精神的余裕のない】作品否定論」にしかなりえないでしょう。
>
> とおっしゃっています。この論法に沿って考えるならば、↑の数値計算によって導き出された「イオン・ファゼガス号は大質量である」といった根拠は空想化科学読本的なつっこみと同じ次元であると言えるのではないでしょうか。
上の冒険風ライダーさんの指摘は、作品中の一部に示されているデータを元に数値計算を行って論を展開しても、それに反するような事例が出たら、たちまちその論は崩壊する、という指摘でしょう。
例えば、この掲示板の一投稿者であるKenさんが、40.6光秒で敵を発見した事例から、銀英伝世界の索敵能力を40から50光秒が限界とする論を展開していました。
でも、これに明らかに反するような事例や、反するとしか言いようのない事例が出現したならば、たちまち、「索敵能力は40から50光秒が限界」とする理論は崩壊するわけです。
さらに言えば、作中に明確に、「索敵能力は(例えば)500光秒である」、といった記載があったならば、それを絶対視するのはよいでしょうが、一データに過ぎない40.6光秒で、索敵能力一般を語ってしまうのは無理がある、と言うことです。
イオン・ファゼガス号の重量推定に関しては、作中に示されている長さを元にした数値計算ですので、「一データに基づく全体の把握」をおこなっているわけではなく、根本的な間違いを犯す余地がありません。
言うなれば、「偵察艦の索敵能力は500光秒である」といった記載があったとする場合に、100隻の偵察艦があれば、半径500光秒の球を100倍した範囲の索敵が可能である、といった次元の話です。
ドライアイス船に関しては、「偵察艦の索敵能力は500光秒である」という記載に等しい「縦横高さのデータ」が作中に与えられているわけです。
> 数値的解釈を出す相手に対して「空想科学読本的突っ込み」として意見を
> 封殺するような態度は「私にとっては」臭い物に蓋をするようにしか見え
> ません。
>
> 別に私の議論前提に賛成しろとは言いません。
> ただ、再度言わせて貰うと、「移動要塞の議論について私は撤退」させて
> 貰います。撤退した人に「移動要塞の議論」を振らないでください。
だからこんな「泣き言」を書き込んでどうするんですか?みっともない限りですねえ。こんなこと書き散らすくらいなら、最初から参加しない方が良いでしょう。
再度繰り返しますが、冒険風ライダー氏の「移動要塞論」という代物は、
「科学的にはトンデモ設定である銀英伝をベースに、そのトンデモを突き進めていくと、こういうトンデモな結論になる」
と言っている以外の何でもないんですよ。まだ、そのことを理解していない方がいらっしゃるようですが。このように、最初から「トンデモ前提のトンデモ結論」と、言っている本人が自覚している論を、意地になって「科学的見地」から否定しようとするやりようは、滑稽でしかないとは思いませんか。
結局、「銀英伝は科学的見地で書かれている」と言いたいんですか?それとも「ヤンとラインハルトが愚か者」という結論が気に食わないんですか?前者だとしたら「極めつけの文系人間が書いた文系小説」という銀英伝のことがまるで分かっていないとしか言いようがないし、後者だとしたら「亜光速ミサイル論」なんぞは、無意味の極みですよね。あれじゃ、結局は「亜光速ミサイルという極めて有用な兵器があるのに、それを活用することを考えてみようともしなかったヤンとラインハルトは、やはり愚か者である」という結論以外に、なりようがないんですから。「ヤンとラインハルトが愚か者という結論が許せない」のに、「やはりヤンとラインハルトは愚か者だった」という結論になってしまうのでは、何をやっているのか訳が解らんでしょうに。
これ以上続けたところで、意味がないのは明白ですから、そろそろ意地になるのは止めて、打ち切ることを勧告しますけど、いかがですかな「否定派」の皆さん。
始めまして、神楽と申します。
本日、久々にログの続きを読み、最後まで読破しました。
ただ、中盤以降はその移動要塞化戦略に関連した、回廊の戦いに興味を誘われました。
「きっかけ」と「幸運」に関する事で。
軍事というのは、本来ある程度個人的人格に依存するものです。特に昔ともなれば。
それの”良い点”を最大限に発揮する為、戦略がしっかりと練られる事になります。
深い意味では、有能な人材の発掘、組織整備から始まり、戦力の配置に補給の用意…これは既に銀河英雄伝説でも語られていた事です。
まず、ラインハルトの我侭によって引き起こされた戦いである事を、冒険風ライダーさんは、認めていながら理解していません。
確かに我侭(プライド、矜持、その他)によって引き起こされた戦いです。
同時に、今までの敗北から学んだ点の少ない、愚かな判断だったことも確かです。
ですが、我侭とは、周りが見えなくなっているから、我侭と言うのです。
我侭といった行動の精神心理は、それの立脚基盤が非常に脆い事を意味しています。
つまり、いとも簡単に自分の主張の間違いが暴露される危険性を孕んでおり、尚且つ、人間は我侭になった後の段階として”気付く”という機会を与えられます。
では、ヤン=ウェンリーはこの”我侭”に対抗する為には、この間違いを突きつければ良い、となります。
戦略的、軍事的に見れば、或は”軍事の常識”を考えれば、これはナンセンスと言って良いでしょう。
何故ならそれは、冒険風ライダーさんが言われるとうり、一個人の心に期待した戦略であるからです。
しかし、これは現実的に通用する思考でも有るのです。
結局は”神聖なる皇帝”という存在が、このときほど有効に働く事は有りません。
例えば、これが徹底管理された”組織”に対抗した戦いで有ったなら、ヤンはそれこそ愚かな選択をしています。
帝国軍は両回廊の出入り口を閉鎖し、ヤン郎党の降伏か自滅を待つ戦略を取ったでしょう。
勿論、順序だてた考えが大多数を占める、という前提では有ります。
結局、ラインハルトは”愚かな戦争”を始めていたが故に、この戦いはヤンに勝算が現れます。
冒険風ライダーさんの理論における問題は、貴方の戦略理論は、相手が”常識的存在”である事を前提とした”現代戦略”である事です。
銀河英雄伝説の世界は、現代よりも未来の世界ですが、現代とは最も違う、大きな点が有ります。
個人に対して依存するアドバンテージが、極めて高いといった点です。
特に、最終戦は”ヤン軍閥”対”ラインハルト帝国”の戦いなのであり、ラインハルトの決定は皇帝では神の意志として存在し、
ヤンの決定も、少なくともヤン一党の中では信頼を超えた位置に存在します。
つまりは”現代戦略”よりも”中世以前戦略”に近い構造となっているのです。
ある意味で、冒険風ライダーさんの主張は間違いでは有りません、しかし、適用範囲をやや間違えているのです。
確かに”現代戦略”の視点から見れば、愚かな判断に見える事は間違い有りません、事実そうです。
しかしながら、その理論は、実際には曹操も、孔明も、信長も、秀吉も、家康も、歴史的に高い評価を得ている人物全てにいえる事となるのです。
三国時代の郭嘉は「袁家の兄弟は、互いに争うだろう。自滅を待てば良い」と評しました。
彼等は今まで協力し合わなければ曹操に対抗出来ないという事を、嫌と言うほど思い知らされていたにも関わらず、実際に争い、そして衰退して行ったのですから、
これは中世以前の戦略だからこそ通用する考察であって、現代戦略では通用しない考察です。
しかし、先に述べたように、銀英伝は個人アドバンテージの強い、やや中世以前に近い世界構成と成っています。
また、ラインハルトが攻撃を強行したからには、遮二無二攻め立てる可能性が高いと判断すべきとも仰っています。
今までの攻撃失敗の被害を知りつつ、それでも攻撃を開始した。
部下からの進言も全てを退け、握手を拒絶すれば戦うのみ、とまで断言した。
確かにこれだけ揃えば、冒険風ライダーさんのように判断するに十分な要素です。
しかしながら、よくよくラインハルトを観察した人物であれば、それは違うと断言する事もできるのです。
で、ここからが重要です。
ここから以下を特に良く読んで欲しいのです。
ラインハルトが実際に攻撃を強行した我侭の根源、及びその我侭の強度。
これらは、戦略的考察によって測るものでは有りません。
人物的考察によって測るものです。
ヤンはこの点において”戦略的考察”はともかく、”人物的考察”の面において、ラインハルトを見切っています。
ラインハルトを良く理解し、ラインハルトを人物考察の中心に置く事で、その戦略を補強しています。
ここから先は【ラインハルト考察】がメインになる為”現代戦略”から離れて来ます。
なにやら議論が中途半端で勿体無く感じたので、こういった提案をさせて頂きました。
「回廊の戦い」を語る為には、実際の戦略的判断と同時に、ラインハルト個人に対する洞察を行わなければならない、と感じます。
勿論、私なりに考えるラインハルトの精神構造が存在します。
これは【中々答えを出し辛く、人それぞれの感じ方が有る】以上、敢えて触れません。
当時のヤンの「ラインハルト個人に依存した戦略」を愚かだ、と判断するのであれば、ラインハルトの考察から始めるべきではないか、と感じました。
基本の意見は、以上です。
つまり、私が言いたいのは、明確な批判ではなく、ラインハルト個人に対する見解の違いが大きく、判断が分かれたのではないか?
という疑問を感じた為、今回書き込ませて頂きました。
何かの参考にでも成れば幸いです。
やや説明不足でした。
>”我侭”と”気付かせる”事。
気付かせれば良い、と書きましたが、それにも幾つもの方法が有ります。
理論整然と、懇々と説く方が良い事も有れば、一発頬を叩いた方が良いことも有ります。
では、ラインハルトにはどういった手段が有効か?
この点が重要ですが、先の書き込みで既に書いたように、
個人で解釈が大きく離れる事になってしまいますので、私は敢えて述べません。
<まず、ラインハルトの我侭によって引き起こされた戦いである事を、冒険風ライダーさんは、認めていながら理解していません。
(中略)
我侭といった行動の精神心理は、それの立脚基盤が非常に脆い事を意味しています。
つまり、いとも簡単に自分の主張の間違いが暴露される危険性を孕んでおり、尚且つ、人間は我侭になった後の段階として"気付く"という機会を与えられます。
では、ヤン=ウェンリーはこの"我侭"に対抗する為には、この間違いを突きつければ良い、となります。>
その「間違いを突きつければ良い」とやらを実現すればラインハルトが自分と妥協してくれると「何を根拠に」ヤンは考えていたのか、ということが、あの一連の問題の本質なのですけどね。第一、たかだか「この"我侭"に対抗する為」などのために、わざわざラインハルトの戦争狂的性格に付き合った挙句、勝算皆無の絶望的な戦いで貴重な戦力を浪費しなければならない理由と余裕が、当時のヤン一派の一体どこにあったというのです?
そもそも、本当に「ラインハルトの我侭」に対して「この間違いを突きつければ良い」とヤンが考えるのであれば、むしろ逆に、徹底的に戦争を回避することでラインハルトを逆上させ、いたずらに「ヤン打倒」を絶叫させることで周囲の人間に不信と反感を抱かせるように仕向けた方がはるかに効果的ですよ。現にラインハルトの戦争狂的性格については作中でさえ批判の声が上がっていたくらいですし、それに対してラインハルトがあくまでも気づかない、もしくは「気づかないフリをする」というのであれば、それはラインハルトがかつての門閥貴族やルドルフ・フォン・ゴールデンバウムと同レベル以下の「独善」にまで堕ちたということで、ラインハルトの名声と人気に対する大ダメージとなりえるでしょう。
戦争そのものが自己目的化するくらいにラインハルトが戦いを欲していたからといって、質的にも量的にも圧倒的不利なヤン陣営がそんなものに付き合わなければならない理由など、宇宙の果てまで探してもあるわけないでしょう。現代戦略だろうが中世以前戦略だろうが、「ラインハルトと戦い続ければ、ラインハルトは自分と妥協してくれるだろう」という考えを裏付ける、確たる保証などどこにも存在しないのですから。
<つまりは"現代戦略"よりも"中世以前戦略"に近い構造となっているのです。
ある意味で、冒険風ライダーさんの主張は間違いでは有りません、しかし、適用範囲をやや間違えているのです。
確かに"現代戦略"の視点から見れば、愚かな判断に見える事は間違い有りません、事実そうです。
しかしながら、その理論は、実際には曹操も、孔明も、信長も、秀吉も、家康も、歴史的に高い評価を得ている人物全てにいえる事となるのです。
三国時代の郭嘉は「袁家の兄弟は、互いに争うだろう。自滅を待てば良い」と評しました。
彼等は今まで協力し合わなければ曹操に対抗出来ないという事を、嫌と言うほど思い知らされていたにも関わらず、実際に争い、そして衰退して行ったのですから、
これは中世以前の戦略だからこそ通用する考察であって、現代戦略では通用しない考察です。
しかし、先に述べたように、銀英伝は個人アドバンテージの強い、やや中世以前に近い世界構成と成っています。>
その「中世以前に近い世界構成」にしたところで、「(客観的には)非合理的な行動を裏付ける【(主観的には)合理的な理由】」というものがあると思うのですけどね。オウム真理教の狂信的かつ(客観的には)非合理的な行動にも、(教祖や幹部や信者達の主観的には)合理的な理由があったように。その「(客観的には)非合理的な行動を裏付ける【(主観的には)合理的な理由】」を見極め、自分が有利なように政戦両略を推し進めて成功したからこそ、過去の英雄や謀略家達は歴史に名を残しているわけです。
もっと身近な例を挙げてみれば、創竜伝のストーリー進行や竜堂兄弟の「常人には到底理解も納得もできない低能かつおバカで(客観的には)非合理的な行動原理」にしたところで、そこには「奴らはその場その場の刹那的な感情と病的なプライド意識だけで後先考えずに行動している」とか「作者である田中芳樹が個人的なストレス解消目的のためだけに書き散らしている」とかいった類の「(客観的には)非合理的な行動を裏付ける【(主観的には)合理的な理由】」というものが存在するわけです。そういったものは、別に「中世以前に近い世界構成」などと限定せずとも、現代世界にだっていくらでも存在するでしょう。
しかし、「ラインハルトと戦い続ければ、ラインハルトは自分と妥協してくれるだろう」などとヤンが考えられるだけの「(客観的には)非合理的な行動を裏付ける【(主観的には)合理的な理由】」に基づいた根拠なんてどこに存在するというのです? 私が今まで指摘し、あなた自身も「確かにこれだけ揃えば、冒険風ライダーさんのように判断するに十分な要素です」と認めている、あの戦争狂的性格から導き出せる「(客観的には)非合理的な行動を裏付ける【(主観的には)合理的な理由】」からは、「ラインハルト相手に戦争を仕掛ければ仕掛けるほど、ラインハルトを悪戯に喜ばせ、結果として泥沼の消耗戦に陥るだけ」という結論以外に到達のしようがないでしょう。そして、「それも含めて」私はラインハルトとヤンの両方を批判しているのですがね。
それに対して「よくよくラインハルトを観察した人物であれば、それは違うと断言する事もできるのです」などと言い切るのであれば、
<勿論、私なりに考えるラインハルトの精神構造が存在します。
これは【中々答えを出し辛く、人それぞれの感じ方が有る】以上、敢えて触れません。>
<この点が重要ですが、先の書き込みで既に書いたように、
個人で解釈が大きく離れる事になってしまいますので、私は敢えて述べません。>
などと逃げてないで、「中世以前に近い世界構成」なり「(客観的には)非合理的な行動を裏付ける【(主観的には)合理的な理由】」に基づいた「私なりに考えるラインハルトの精神構造」や、それに対するヤンの対抗方法といったものを「自分の価値観や言葉」でもって明確に提示してはくれませんかね? 今のままでは私の解釈しか出ていないわけですから、「個人で解釈が大きく離れる事になってしまいます」以前の問題でしかないのですけど。
「個人で解釈が大きく離れる事になってしまいます」という認識と、それを踏まえた上で個人の解釈をつき合わせて議論するということのは何ら矛盾するものではないと思うのですけど、違いますかね?
申し訳有りませんが、もう一回、私の文章をよく読んで頂けますか?
全くもって的外れなレスを頂いているので、答えるに答えられません。
とりあえずレスしておいた方が良いだろうといった点はレスを返しますが……
何はともあれ、もう一回考えてからにして頂けるでしょうか?
それとも、レスの無い点においては全て了解頂けたと考えても良いのでしょうか?
それからもう一点。
精神学分野と、中世以前の詳細な政治学を学んだ経験はお有りですか?
ひとまず、質問までに。
<申し訳有りませんが、もう一回、私の文章をよく読んで頂けますか?
全くもって的外れなレスを頂いているので、答えるに答えられません。>
「よく読む」も何も、あなたの主張には私の主張に対抗しえるだけのアンチテーゼが何ひとつ示されていないではありませんか。自分から仕掛けておきながら、現時点までのあなたは、ただ単に「見解の相違」だの「個人の解釈」だのといった「魔法のアイテム」を盾に逃げ回っているだけでしかないのですし。
あなたは私の主張に対して「冒険風ライダーさんの理論における問題は、貴方の戦略理論は、相手が"常識的存在"である事を前提とした"現代戦略"である事です」だの「それは違うと断言する事もできるのです」と異を唱えてきたのでしょう? ならばそれを立証できるだけの「ヤン=ウェンリーはこの"我侭"に対抗する為には、この間違いを突きつければ良い」だの「私なりに考えるラインハルトの精神構造」だのといった主張の具体的な内容を、本来「あなたから先に」提示すべきなのですよ。それを全く行おうとしない現時点では、あなたは私に対して実質「何も言っていない」状態でしかない、ということが、あなたは全く自覚できないのですかね?
また、人様の反応に対して「全くもって的外れなレスを頂いているので、答えるに答えられません」などと言い切るのであれば、「何故に」的外れであるかも「自分の言葉で」かつ「客観的な根拠を伴う形で」語るべきでしょう。それとも、これに関しても、また例の「魔法のアイテム」を駆使して逃げ回るおつもりですか?
<それとも、レスの無い点においては全て了解頂けたと考えても良いのでしょうか?>
私の投稿のどこをどう読んだらそう解釈できるのか理解不能ですね。それに何故「レスの無い点においては全て了解頂けたと考えても良いのか」と「私の文章をよく読んで頂けますか」という全く関係のない2つの事象が「二者択一の選択肢」になっているのかも全くもって意味不明ですし。
そもそも現時点でのあなたは私の主張に対して、明確なアンチテーゼも、自分個人の見解や解釈も全く述べてはいないわけですから、議論はそのスタートラインにすら全く到達してなどいないわけで、よって現状では私はあなたの主張に対して賛成も反対もしようがないのですが。
<精神学分野と、中世以前の詳細な政治学を学んだ経験はお有りですか?>
この質問は議論に関係することとは到底思えませんので、回答する必要を認めません。
あしからず。
私が申している事は、貴方の言っている事が的外れだと申し上げているのです。
レスの頂きたいところに関してレスを頂けず、あまり重視していない点にレスを頂いても、私としては本題から剃れてしまいますから、
順序が逆になる事は避けたいのです。
ですから、レスの無い点には賛同いただけたのか、お聞きしたいのです。
賛同して頂いているのであれば、私は明確な話を提示出来ますし、賛同して頂いていないのなら、何故その点に関してレスを頂けないのでしょうか?
対抗するも何も、どちらか片方が正しい理論であるとした主張に、まず、それはおかしくはないか。
それを幾つかの例えを混ぜて述べたつもりです。
もちろん、理論の点においても一切の反論が無いのではありません。
明確な理由を述べていないのは上記の事が有る為です。まず議論をする前に、了解頂きたい点が有るのです。
繰り返しますが、レスの無かった点に関しては、同意頂けたのでしょうか?
或は、レスを返すのが面倒だったのか、それとも読んだのが面倒だったのか、それはこちらから解りません。
レスが無いなら、レスの無い理由を頂けますか?
ただ、理論的な観点のレスに関しては下に続きを。
>精神分野、中世以前の政治
大いに関係が有ります。
この点に関してはふとした疑問から質問させて頂きましたが、冒険風ライダーさんの中世以前か否かに大きな差異は無いとした点と、
ラインハルトがそう判断するに足る根拠、とした点に関係が有ります。
まず、中世以前の政治体系と大きな差異が無いとするのであれば、それを知らなければ断言出来ないかと考えます。
精神分野に関しても、相手の人間的資質を考える為には、一定の勉強が必要です。
人間は計算機では有りませんから、その行動パターンや考えを解釈する為にも、基本くらいは抑えるべきかと考えます。
しかし、その点に関して認識が大きく違ったと考えた為、お聞きしました。
知っているのであれば、特に不利益が無いのであれば、普通に知っているとお答えしても構わないと存じます。
良ければお教え願えないでしょうか?
横レス、失礼します。私はポルトエシュタードと申します。
さて、神楽さんは「的外れ」と仰っていますが、貴方が建設的な議論を望むのなら、第一段階として具体的に示されては如何ですか?「どのレスはこのレスに対して○○の点で的外れである」という感じで。少なくとも私には冒険風ライダーさんのレスの何処が「的外れ」なのか、残念ながら判別できませんので。
私の貧弱な観察力では、おそらく神楽さんは
>で、ここからが重要です。
>ここから以下を特に良く読んで欲しいのです。
を主眼においていたのに、ここにレスが無いから「的外れ」とレスされたと思いますが、その思考における前段部分ですでに破綻しているという指摘が、冒険風ライダーさんのレスではないでしょうか?ならば、貴方はその前段部分について説明するしかないと思います。冒険風ライダーさんが誤解されていると思うのなら、その誤解を解くために説明するのは、貴方の務めではありませんか?それを単に「的外れ」と言われても、【貴方の的】は【貴方にしか】見えていませんから、冒険風ライダーさんが「?」となるのも当然と思います。せっかくですから誰が見ても【的】が分かるように、クリスマスツリーばりに明るくライトアップしてください(笑)。
<私が申している事は、貴方の言っている事が的外れだと申し上げているのです。
レスの頂きたいところに関してレスを頂けず、あまり重視していない点にレスを頂いても、私としては本題から剃れてしまいますから、
順序が逆になる事は避けたいのです。
ですから、レスの無い点には賛同いただけたのか、お聞きしたいのです。>
<繰り返しますが、レスの無かった点に関しては、同意頂けたのでしょうか?
或は、レスを返すのが面倒だったのか、それとも読んだのが面倒だったのか、それはこちらから解りません。
レスが無いなら、レスの無い理由を頂けますか?>
前回も前々回の投稿でも言いましたけど、あなたの「的外れ」だの「レスの無い点」だのといった「決め付け」には、「何故そういう結論が導かれるのか」という「理由」が何も書かれていないのですよ。どこがどう「的外れ」なのか、また自分が重視する主張はどこで、どのような形でレスがつかなかったのか、ということが「あなたの投稿から」明確に提示されないことには、私としてもあなたの主張に対して賛成も反対もしようがないのですが。
あなたにとっては明々白々な理由で私を論難しているのでしょうけど、人様に「文章をよく読め」などと命じる前に、まず自分の文章こそがきちんと他人に伝わるような構成になっているのか、ということを、あなたの場合は特に見直すことを私の方からオススメしますよ。まあ、反論はしたいが言質は取られたくないという理由で、あえて「逃げ」と「防御」の姿勢に徹しているのかもしれませんがね。
あなたの文章は全体的に説明不足な感が否めません。それこそ「議論以前の問題」としか言いようがないくらいに。
<まず、中世以前の政治体系と大きな差異が無いとするのであれば、それを知らなければ断言出来ないかと考えます。
精神分野に関しても、相手の人間的資質を考える為には、一定の勉強が必要です。
人間は計算機では有りませんから、その行動パターンや考えを解釈する為にも、基本くらいは抑えるべきかと考えます。
しかし、その点に関して認識が大きく違ったと考えた為、お聞きしました。
知っているのであれば、特に不利益が無いのであれば、普通に知っているとお答えしても構わないと存じます。
良ければお教え願えないでしょうか?>
「お教え願えないでしょうか」も何も、あなたの言う「中世以前の政治体系」と「精神分野」とは一体何のことを指しているのか、またそれを「学んだ」と定義できる基準とは何か、ということが私にはまるで分からないので、これまた回答のしようがないのですけどね。たとえば、どこぞの大学なりセミナーなりで特定の学問を専攻したり、何らかの資格(精神科医の免許とか)を取得したりしたか、といった類のことを尋ねているわけですか?
定義が非常に曖昧なあなたの質問に対して私が何かを返答したところで、後出しジャンケン的にあなた個人の定義でもって「それは違う」などと一方的かつ勝手気侭に断定され、勝利宣言などされても困るのですよ。この件に関しても、上記の定義について何か具体的な例示なり、あなた個人の見解なりを示してもらわないことには、私としても回答を拒否せざるをえませんし、質問そのものが議論に関係ない事象であるを見做さざるをえないのですけど。
それと、これは逆に私からの質問なのですが、あなたが最初の投稿で強調していた「中世以前戦略」だの「中世以前に近い世界構成」だのといった概念を、私はNo.6124で述べたように「オウム真理教や昨今の田中芳樹のような【(客観的には)非合理的な行動】を裏付ける【(主観的には)合理的な説明】で動く世界」と解釈した上で論を展開していたわけですが、この解釈はあなた的には正しいのでしょうか? もし違っている場合は、私としても対処法を変えなければなりませんので、あなたの主張が具体的にどのようなものであるかを「あなたの言葉で誰にでも分かりやすく」説明して下さい。
私も、神楽さんの論旨が不明確に感じます。
私は、蒸し返し時の「移動化要塞」の議論の参加者の一人ですが、冒険風ライダーさんの主張に基本的に賛成した立場にありました。したがって、偏見を有する部分があるかもしれませんが、客観的根拠に基づく反論には従いたいと考えております。
さて、神楽さんの論旨では、「我侭」なラインハルトに対抗する最も有効な戦略は、「この間違いを突きつければ良い」ということですよね。
> では、ヤン=ウェンリーはこの”我侭”に対抗する為には、この間違いを突きつければ良い、となります。
>
> 戦略的、軍事的に見れば、或は”軍事の常識”を考えれば、これはナンセンスと言って良いでしょう。
> 何故ならそれは、冒険風ライダーさんが言われるとうり、一個人の心に期待した戦略であるからです。
つまり、物理的な実害ではなく、相手の心理にもっとも打撃を与える方策を採るべき、ということですよね。
下の二つの神楽さんの記載より見る限り、そのように思えます。
> 冒険風ライダーさんの理論における問題は、貴方の戦略理論は、相手が”常識的存在”である事を前提とした”現代戦略”である事です。
> つまりは”現代戦略”よりも”中世以前戦略”に近い構造となっているのです。
> ある意味で、冒険風ライダーさんの主張は間違いでは有りません、しかし、適用範囲をやや間違えているのです。
> 確かに”現代戦略”の視点から見れば、愚かな判断に見える事は間違い有りません、事実そうです。
「中世以前の戦略だからこそ通用する」が、「現代戦略では通用しない」例として、三国志の袁家の話が登場します。
> 三国時代の郭嘉は「袁家の兄弟は、互いに争うだろう。自滅を待てば良い」と評しました。
しかし、上のような戦略は、欧米列強の植民地支配や、日本による朝鮮支配などでもあたりまえの例です。僅かな兵力でインカ帝国を滅ぼしたコルテス、インドの分裂を利用したイギリス、など。また、冷戦時代には、米ソは直接戦争をすることはなく、もっぱら諜報機関による謀略行為に走っていたわけですし。敵の内部分裂を利用し、指導者や支配階級層の心理を逆手に取るのは、いつの時代にも通用する戦略です。
一方、冒険風ライダーさんが、「移動要塞」の件で主張した論点の一つは、イゼルローン要塞を、ガイエスブルグ要塞のような移動要塞として、ラインハルト軍の集中攻撃を逃れるべし、というものでした。
これこそ、「我侭」で「”愚かな戦争”を始めてい」るラインハルトをして、疲れさせ、戦争を焦るあまり、ラインハルトの望まぬ戦場で、各個撃破されてしまう恐れを生じさせるものです。帝国軍の同盟領侵攻時に、ヤン率いる1個艦隊により、帝国軍の艦隊が次々と各個撃破されてしまったように。
移動要塞の戦略は、ラインハルト側の選択し得る最上の戦略(「帝国軍は両回廊の出入り口を閉鎖し、ヤン郎党の降伏か自滅を待つ戦略」)に対して有効であるだけでなく、ラインハルトの「我侭」な戦略に対しても、極めて有効です。
ちなみに、
最上の合理的戦略は、「我侭」な戦略、よりも効果的な戦略であるのです。
したがって、「最上の合理的戦略」に対応した策は、言うまでも無く「我侭な戦略」に、さらに有効に対応するのです。上で示したように。
う~ん、冒険風ライダーさんの「移動要塞」が、ラインハルトの”我侭”に対抗する「最も有効な策」でもある以上、神楽さんの論旨は、まったくもって、意味不明ですねえ。
冒険風ライダーさんの移動要塞論は、
質量弾による攻撃の話など、多岐に渡る考察が含まれていますが、
移動要塞そのものに限って言えば、次のような話になります。
ガイエスブルグ要塞がワープ可能で自在に宇宙を移動可能などという設定を設けてしまったら、イゼルローン要塞に関しても同様のことがなりたってしまうことになる。
要塞級の質量体が移動可能などという設定を入れてしまったら、
ヤン率いる一個艦隊による神出鬼没の戦略を、
補給源(イゼルローン要塞)付きで可能としてしまって、
ヤンを屈服させることなどほとんど不可能になってしまうではないか!
といったことです。
この結論が気に食わない人々は、
ガイエスブルグ要塞ではワープ可能であるが、
イゼルローン要塞ではワープ不可能である理由、
を探すことにやっきになっているわけです。
しかし、
要塞級の質量体が移動可能(ワープ可能)としてしまった以上、
質量がたかが数倍程度の違いなど、相対的に見たら小さな差異なんですよ。
普通に考えてですね、
ガイエスブルグ要塞ではワープ可能であるが、
イゼルローン要塞ではワープ不可能である理由、
を探す、
ってのは、明らかに不自然なのじゃありませんか?
逆に言えば、
冒険風ライダーさんの移動要塞論は、
ヤンやラインハルトに感情移入している人々の素朴な感傷を、
決定的に破壊してしまうだけの破壊力を持っている、
恐るべき脅威、
ということなんでしょうね。
心情的には、理解できないわけではありません。
移動要塞の技術問題についてはかなり論議が錯綜した経緯があり、これ以上議論しても得られる所は少ないと思うのですが、以前に言い残したと思えるところもありますので、コメントしたいと思います。
まず最初に、以下の基本的な事実を明確にしたいと思います。それは、
『(大質量)ワープは、我々の世界の技術を超えた高度なテクノロジーであり、それに関する理論も実験データも持たない我々には、その適用範囲や限界等の詳細について信頼できる結論を出すことができない』
という単純な事実です。
ガイエスブルク要塞を移動要塞化できたことは、紛れもない作中事実です。しかし、その事実から直ちに『イゼルローン要塞も同じ要領で簡単に移動要塞化できる』という結論を導き出すことはできないのです。何故かと言うと、上に書いたように、我々は本当は(大質量)ワープの詳細な内容について全くと言っていいほど何も知らないので、その適用範囲や限界等について信頼できる結論を出すことができないからです。
> この結論が気に食わない人々は、
> ガイエスブルグ要塞ではワープ可能であるが、
> イゼルローン要塞ではワープ不可能である理由、
> を探すことにやっきになっているわけです。
> しかし、
> 要塞級の質量体が移動可能(ワープ可能)としてしまった以上、
> 質量がたかが数倍程度の違いなど、相対的に見たら小さな差異なんですよ。
それは違います。
理論検証も実験も抜きで技術の適用範囲を2倍、3倍にするということを、『相対的に見たら小さな差異なんですよ』の一言で済ませるわけには行かないのです。例を挙げて説明します。
A社という建築会社が、既存技術を応用して、従来より高層のビルを建てる技術を開発したとします。A社はこの新技術を利用して、高さ400mのビルを建てることに成功しました。
それを見ていたB社は、その技術の概要を読み取り、パンツァーさんと同様に『たかが数倍程度の違いなど小さな差異』だと考え、高さ800mのビルを建てることに挑戦したとします。B社の試みは成功するでしょうか。
成功するか失敗するか、その技術の詳細を知らない人間には分かりません。ですが、仮にここでは成功したとします。すると、それを見ていたC社はこう思います。『新技術を使って800mのビルを建てることができた。数倍程度の違いは小さな差異だから、1600mのビルだって建てられるはずだ』。C社の試みは成功するでしょうか。
これ以上繰り返す必要はないと思います。この論法を繰り返す限り、月に届くようなビルだって建てられることになってしまいます。現実にはそんなことはありえないのです。必ず、どこかで破綻します。
破綻させないためには、理論検証と実験がどうしても必要なのです。高層ビルを建てる際、どのような問題が存在するのか。新技術は、それらの問題をどのようにクリアしているのか。それ故、その技術の限界はどこまでと言えるのか。それらの調査と確認を行って初めて、『この技術を使えば、1000mまでのビルなら建てる事ができる』というような信頼できる結論を出せるのです。
> 普通に考えてですね、
> ガイエスブルグ要塞ではワープ可能であるが、
> イゼルローン要塞ではワープ不可能である理由、
> を探す、
> ってのは、明らかに不自然なのじゃありませんか?
イゼルローン要塞がワープ可能である可能性はあります。
それは、B社が800mのビルに挑戦して成功するかもしれないのと同様です。
同時に、イゼルローン要塞がワープ不可能である可能性もあります。
それは、C社が1600mのビルに挑戦して失敗するかもしれないのと同様です。
我々に言えるのは『ワープ可能であるかもしれないし、不可能であるかもしれない』というひどく曖昧な結論だけです。
しかし、それはある意味、当然の結果です。
本当は、ワープについて誰も詳しい事を知らないのです。『知らないものは知らない。分からないものは分からない』という結論が出てくるのは当たり前です。
むしろ。
私にはパンツァーさんの自信の方が理解できません。何故、そこまでパンツァーさんは自信満々に可能と考えているのか。その自信は一体何に基づいているのか。
技術系の仕事をしている身から申し上げれば、
『新技術を導入したシステムを構築したい。その技術の詳細は良く分かってないけど、既に動いているシステムの実例は1つある。処理範囲は数倍に拡大するけど、それくらい小さな差異だよな』
などという仕事が来たとしても、到底、即座に可能とはお答えできません。その技術の内容の調査と、できればある程度の実験をしなければ、引き受けかねます。
とりあえず、以上です。
> 理論検証も実験も抜きで技術の適用範囲を2倍、3倍にするということを、『相対的に見たら小さな差異なんですよ』の一言で済ませるわけには行かないのです。例を挙げて説明します。
核心部分たる「相対的」の意味が正しく伝わってないようですね。もう少し、補足説明を行ってみましょう。
ここで「相対」としているのは、戦艦等の質量体と要塞級質量体との重量比に比べたら、要塞同士の質量比など、問題にならない程度に小さい、ということです。
孫引きになりますが、過去の考察ログを見ると、作中には輸送艦の重量が10万トンとか20万トンとかいう記載があるようですね。そこで、多めに見積もって、100万トン(重量トンと仮定)くらいの艦船は、銀英伝世界では普通にワープしているとしましょう。
(艦船に用いられる容積トンと重量トンとの違いが峻別されてないかもしれないが)
ガイエスブルグ要塞は、40兆トンであるとのことでした。
そうすると、100万トンの艦船に対して、4000万倍もの質量を、ガイエスブルグ要塞は持っているわけです。
4000万倍もの質量の増大に対応して、ワープを可能とすることが、作中で設定されてしまっているわけです。
4000万倍もの質量増大における技術的困難に比べたら、数倍程度の質量増大における技術的困難などは、相対的に見て、無いに等しいといっているのです。
Nightさんの上げている400mとか1600mとかのビルの話は、非常に恣意的です。
現実に、400m級のビルぐらいは存在するわけですから、そこから数倍といったら、これは難しい話ですよね。
しかしですねえ、400m級のビルの建造技術しかないと思われているところが、いきなり16億m(16万km:400m×4000万)のビルの建造が可能だ、となったら、32億m(2倍)だろうが48億m(3倍)だろうが、可能に見えてきますよ。
物理学では、天文学とか素粒子とか、桁数の変動規模が大きい分野では一般に、1桁の違い程度は、問題とならないですね。
繰り返しますが、4000万倍もの質量増大における技術的困難に比べたら、数倍程度の質量増大における技術的困難などは、相対的に見て、無いに等しい、ということです。
必要があればレスしますが、帰省するので、ちょっと先になります。
前段部分に対する回答としては不十分だったかもしれないので、追加します。
> 移動要塞の技術問題についてはかなり論議が錯綜した経緯があり、これ以上議論しても得られる所は少ないと思うのですが、
同感です。
そこで、まったく分かりやすい、「移動要塞論」の有利点を、再び列挙しておくことにします。
イゼルローン要塞の移動化(ワープ移動可能)が実現されれば、ヤン一党は、ラインハルト率いる帝国軍に対して、不敗の抵抗体制を築くことができる。これに対して、これ以外の策は愚作である。イゼルローン要塞に篭っての抵抗は、作中にたびたび登場する質量弾攻撃などに対してまったく無力であるばかりか、帝国艦隊による直接攻撃にも圧倒的な数的劣勢のため対抗しえず、非常に危険な策である。ラインハルトの気が(イゼルローン要塞の攻略前でも攻略失敗後でも)変われば、蓋をされて、手詰まり状態に陥るだけである。
したがって、イゼルローン要塞の移動化は、ヤンにとっては、第一に優先すべき検討課題であった。イゼルローン要塞の移動化の実現の可否は、ヤン一党の運命を決定的に変更するものであるのだから。
しかしながら、作中には、ヤンが、イゼルローン要塞の移動化を検討したところが、またくない。補給源に拘束されるためにイゼルローン要塞に篭るという戦略的選択をせざるを得なかったヤンにとって、抜本的な戦略変更を可能とする方策であったにも拘らず。
No.6156で、質量比4000万倍時ワープの技術的困難に比して、質量比数倍時ワープの技術的困難は無視できる(単純比較で0.0001%程度の困難性?)、と言う話をしましたが、これを検討しないのは怠慢でしょう。
ヤンは、ほとんど似たようなこと(ガイエスブルグ要塞の移動化)を目の当たりにしているのです。なにも、要塞級質量体のワープなど誰もやっていない世界で、ヤンに、「お前は抜本的戦略変更のために当然イゼルローン要塞の移動化を思いつくべきだった」、などと言う話をしているのではないのですから。
話のレベル的には、艦船のワープ移動があたりまえの状況における要塞のワープ移動は、コロンブスの新大陸発見などに近いような気がしますね。
コロンブスの時代は、基本的に沿岸航海であって、既知の港間を、その沿岸沿いに進んだり、地中海のような沿岸地形が既知の海域を横断する程度のものですが、コロンブスは未知のアメリカ大陸周辺の西インド諸島まで航海する実例を示したわけです。この実例が示されると、雪崩のように、旧大陸(ヨーロッパ)・新大陸(アメリカ)間の航海が実現されるようになりましたね。
別に、帆船の時代に蒸気船で進んだわけでもなく、船の技術に格段の技術的革新があったわけではなく、基本的には運用の偉大なる先駆、ということになりますね。
(銀英伝でシャフトが技術上の問題は無い、と豪語するように)
この種の偉大なる先駆というものは、通例たちまち広がるものです。携帯電話にメール機能やデジカメ機能をつけたとか。ここでも、コンパクト化など、技術上の課題は当然ありますが、組み合わせの改善と、抜本的な新技術の実現とは、技術的革新のレベルが違います。
上の話に連結すると、ヤンに「この種の偉大なる先駆」になれ、と言っているわけでは全然無く、帆船を蒸気船に進歩させるような「格段の技術的革新」を要するわけでもない、ということです。
(主たる回答は以上です)
それから、以下の話は、以前のKenさんとの議論の蒸し返しになりそうですね。
> 『(大質量)ワープは、我々の世界の技術を超えた高度なテクノロジーであり、それに関する理論も実験データも持たない我々には、その適用範囲や限界等の詳細について信頼できる結論を出すことができない』
この話なんですが、これは以前Kenさんとの議論でも提示したように、大質量を問わず、ワープ自体が未知で現代科学による類推も効かない技術ですので、ここで、「適用範囲や限界等の詳細について信頼できる結論を出すことができない」などといい始めると、なにもいえないことになります。
(1997年ワープは不可能と結論された、なんて話があるようですね。例えば「ワープ」「トリビア」で検索されるとヒットします)
Kenさんに提示した具体例は、もしこのような事を言い出すなら、艦船一般がワープできるという保証すら、ないことになってしまうぞ! というものでした。
作中には、作中で実際に行われたワープ移動の例がありますが、「適用範囲や限界等の詳細について信頼できる結論を出すことができない」と言うなら、これ以外のワープ移動の実現性についても、確からしい、と言い得ないことになるからです。ヤン艦隊が帝国首都フェザーンを攻略する、などという仮定の戦略を考えること自体、不可能となってしまいます。この仮定の戦略の前提条件として、同盟艦隊のフェザーンへのワープの可能性が問われることになると思いますが、同盟艦隊のフェザーンへのワープの実例が作中に示されていない以上、この前提条件自体が崩れてしまいます。
まだ、論点がうまく一致していないようなので、論旨が上手く伝わらなかった点を中心に再度まとめてみたいと思います。
まず、ワープに関する知識の問題について。
議論に際して重要な事があります。それは、分かっている事は分かっている事として、良く分からない事は良く分からない事として、全く分からない事は全く分からない事として、知識をその確からしさと一緒に正しく整理することです。
銀英伝のワープについて分かっていることも色々あります。例えば、それは銀英伝の世界では比較的ポピュラーな技術であること。戦艦、民間船を問わず宇宙船にはワープエンジンが搭載され、それによって恒星間の航行が一般的に行われている事。宇宙船に乗る人員が生命の危険を特に感じていないらしい事からして、通常のワープ航行は特に危険ではないこと、などです。
上に挙げた事実は、銀英伝の記述全般から一般に導き出される知識です。私は、これらの知識の確からしさに異を唱えるつもりは全くありません。例えば、同盟艦隊がフェザーンにワープした事はないかもしれませんが、帝国戦艦や民間の商船が航路に沿ってごく普通にフェザーンにワープしています。だったら、同盟戦艦がワープできないと考える理由は特にないので、同盟艦隊はフェザーン攻略をすることもできたでしょう。
私が前回主張したかった事は『(大質量)ワープは全く未知の技術であり、我々はそれに関する確かな知識を持たないので、その"詳細"について結論を出すことができない』ということです。この"詳細"とは、適用範囲や精度、限界といった、もっと技術の内側に踏み込んだ問題を指します。
今回の大質量ワープに関して、具体例を挙げます。
・この技術がワープさせることのできる質量の理論的な限界値はどの程度なのか?
・質量が増加した場合、ワープエンジンの出力増加で対応するのか? ワープエンジン数増加で対応するのか?
・大質量ワープは、通常のワープに比べて、どの程度危険なのか?
その危険度はワープ対象の質量が増加すると、どのように変化するのか?
(一定値? 比例関係? 指数級数的? それ以外?)
・時空震の問題が帝国側で検討されていたが、具体的にどのような悪影響があるのか?
質量増加と時空震はどのような関係にあるのか?
・12個のワープエンジンを同時動作させるという技術は具体的にどのようなものか?
24個、36個、48個とエンジンを増やした場合、難易度はどのように変化するのか?
上記のような問題は、イゼルローン移動要塞化の実現性について具体的に検討しようと思うなら、避けて通る事はできないものです。しかし、これらについて、我々は理論や実験データといった確かな知識を全く持っていません。根拠とできる確かな知識がないところから、信頼できる結論を出すことはできない、ということを私は言いたいのです。
> > 理論検証も実験も抜きで技術の適用範囲を2倍、3倍にするということを、『相対的に見たら小さな差異なんですよ』の一言で済ませるわけには行かないのです。例を挙げて説明します。
>
> 核心部分たる「相対的」の意味が正しく伝わってないようですね。もう少し、補足説明を行ってみましょう。
>
> ここで「相対」としているのは、戦艦等の質量体と要塞級質量体との重量比に比べたら、要塞同士の質量比など、問題にならない程度に小さい、ということです。
>
> 孫引きになりますが、過去の考察ログを見ると、作中には輸送艦の重量が10万トンとか20万トンとかいう記載があるようですね。そこで、多めに見積もって、100万トン(重量トンと仮定)くらいの艦船は、銀英伝世界では普通にワープしているとしましょう。
> (艦船に用いられる容積トンと重量トンとの違いが峻別されてないかもしれないが)
>
> ガイエスブルグ要塞は、40兆トンであるとのことでした。
> そうすると、100万トンの艦船に対して、4000万倍もの質量を、ガイエスブルグ要塞は持っているわけです。
>
> 4000万倍もの質量の増大に対応して、ワープを可能とすることが、作中で設定されてしまっているわけです。
> 4000万倍もの質量増大における技術的困難に比べたら、数倍程度の質量増大における技術的困難などは、相対的に見て、無いに等しいといっているのです。
>
> Nightさんの上げている400mとか1600mとかのビルの話は、非常に恣意的です。
> 現実に、400m級のビルぐらいは存在するわけですから、そこから数倍といったら、これは難しい話ですよね。
> しかしですねえ、400m級のビルの建造技術しかないと思われているところが、いきなり16億m(16万km:400m×4000万)のビルの建造が可能だ、となったら、32億m(2倍)だろうが48億m(3倍)だろうが、可能に見えてきますよ。
>
> 物理学では、天文学とか素粒子とか、桁数の変動規模が大きい分野では一般に、1桁の違い程度は、問題とならないですね。
>
> 繰り返しますが、4000万倍もの質量増大における技術的困難に比べたら、数倍程度の質量増大における技術的困難などは、相対的に見て、無いに等しい、ということです。
>
上のような主張を聞かされてもなお、私に言えることは変わりません。
『ある新技術により、従来の技術の適用範囲を4,000万倍に拡大できた』ことが事実であっても、それは『その技術を使えば適用範囲を8,000万倍、12,000万倍に拡大できる』ことを証明した事にはなりません。『従来の範囲を何倍に拡大したか』ということと、『その技術自体の限界はどこにあるのか』ということは、本来、全く別の問題だからです。
パンツァーさんはこの二つを同一視して『可能に見えてきますよ』の一言で済ませていますが、これがその感覚的な一言で済ませられる問題なら、証明のための理論も実験も必要なくなり、科学者も技術者も随分楽になると思います。
なお、前回挙げたビルの例は単なる一例です。お望みであれば、出発点となるA社のビルの高さを16万kmにしても構いません。B社はそれを見て32万kmのビルに挑戦するでしょう。C社は64万kmに挑戦するでしょう(もう月軌道を突破してますが……)。あくまで例えに出した話ですから、初期値が何であろうと構わないのです。いずれにせよ、『数倍程度の違いなど、相対的に見たら小さな差異』という荒っぽい論法の先にあるのが無限ループの繰り返しの果ての破綻であるという結論に変わりはありません。
あるいは、計算機の性能の方が例として分かりやすいかもしれません。この分野にLSI技術がもたらした革新は非常に大きなものであり、現代の計算機は、第一世代の計算機に対して、数百万から数千万倍の性能を持っています。
では、Pentium4の2GHzを作る技術があれば、4GHz, 6GHzのCPUも作れるのか?
そんな事はないのです。技術のもたらした革新と、その技術自体の限界は、本来別の問題であるからです。
最後になりますが。
ここから先は大質量ワープの詳細に少し踏み込んだ話になるので、私の推測が幾分混じっています。それを前提に割り引いてお聞きください。
大質量ワープの詳細についても、分かっている事が少しあります。それは、ガイエスブルク要塞をワープさせる為に取り付けられたワープエンジンは12個であり、大質量ワープとは、それら12個のワープエンジンを完全に同時作動させる事によって行われる、ということです。
つまり、単純に考えれば、1個のワープエンジンは、ガイエスブルク要塞の1/12をワープさせる力を持っているということになります。1個のエンジンによるワープは既存技術の範囲ですから、既存のワープ技術の確認できる最大ワープ質量は3.3兆トンです。
パンツァーさんは艦船と要塞の質量比から拡大範囲を4,000万倍とされていますが、この計算によれば、拡大範囲は単に12倍となります。
こういう考え方もある、ということで。
パンツァー様
ROMに徹しており初登場ですが横レス失礼します。
> > 移動要塞の技術問題についてはかなり論議が錯綜した経緯があり、これ以上議論しても得られる所は少ないと思うのですが、
>
> 同感です。
> そこで、まったく分かりやすい、「移動要塞論」の有利点を、再び列挙しておくことにします。
>
> イゼルローン要塞の移動化(ワープ移動可能)が実現されれば、ヤン一党は、ラインハルト率いる帝国軍に対して、不敗の抵抗体制を築くことができる。これに対して、これ以外の策は愚作である。イゼルローン要塞に篭っての抵抗は、作中にたびたび登場する質量弾攻撃などに対してまったく無力であるばかりか、帝国艦隊による直接攻撃にも圧倒的な数的劣勢のため対抗しえず、非常に危険な策である。ラインハルトの気が(イゼルローン要塞の攻略前でも攻略失敗後でも)変われば、蓋をされて、手詰まり状態に陥るだけである。
> したがって、イゼルローン要塞の移動化は、ヤンにとっては、第一に優先すべき検討課題であった。イゼルローン要塞の移動化の実現の可否は、ヤン一党の運命を決定的に変更するものであるのだから。
> しかしながら、作中には、ヤンが、イゼルローン要塞の移動化を検討したところが、またくない。補給源に拘束されるためにイゼルローン要塞に篭るという戦略的選択をせざるを得なかったヤンにとって、抜本的な戦略変更を可能とする方策であったにも拘らず。
>
> No.6156で、質量比4000万倍時ワープの技術的困難に比して、質量比数倍時ワープの技術的困難は無視できる(単純比較で0.0001%程度の困難性?)、と言う話をしましたが、これを検討しないのは怠慢でしょう。
> ヤンは、ほとんど似たようなこと(ガイエスブルグ要塞の移動化)を目の当たりにしているのです。なにも、要塞級質量体のワープなど誰もやっていない世界で、ヤンに、「お前は抜本的戦略変更のために当然イゼルローン要塞の移動化を思いつくべきだった」、などと言う話をしているのではないのですから。
ご自身も指摘されている通り、「作中には、ヤンが、イゼルローン要塞の移動化を検討したところが全く無い」と言うのが要点ではないでしょうか。
作中の記述、出来事から判断すると確かに、帝国軍はガイエスブルグ要塞を実戦に投入できるレベルまで移動化させ得る技術を持っていました。ではイゼルローンはどうか?
ガイエスブルグでは確かに移動要塞を可能としましたが、イゼルローン若しくはそれに等しい質量を移動化させたと言う記述はありません。
ワープの技術的困難性が自身の質量に起因するとしても少なくとも数倍の差があるイゼルローン要塞をガイエスブルグと同列に扱うのは技術的に無理がありすぎると思います(もちろん主観的意見なのですが)
仮に帝国軍に技術的なアドバンテージがあるとしイゼルローン要塞を移動化させ得たとしても同盟軍には可能かどうか、それが問題です。
帝国軍に出来た事が必ずしも同盟軍に出来たとは云えないでしょう。
あくまで要塞の移動化を実現し得たのは帝国軍であったと言うのが重要なポイントだと考えられます。
その帝国軍にした所で数倍の質量を持つイゼルローン(≒相当の質量)を移動化させた記述はありません。
であるならばガイエスブルグに匹敵する質量をワープさせた事も無ければ、イゼルローンの質量を移動さた実績も無い(記述)同盟に、
イゼルローン要塞を移動化させる事が可能でしょうか?
つまり同盟側はそのような要塞級の質量を移動化させる技術を持ち得なかったと言うのが自然な考え方ではないでしょうかと思われます。
だとするならば結局同盟側で、ガイエスブルグ、イゼルローン級に匹敵する質量をワープさせたと言う記述が無い限り
ヤン一党がイゼルローンを移動化させ得る可能性は無かったと考えるのが自然だと思われます。好意的に解釈するなら移動化の検討を行うのも技術的な困難性から選択肢となりえなかったと思われます。
> 話のレベル的には、艦船のワープ移動があたりまえの状況における要塞のワープ移動は、コロンブスの新大陸発見などに近いような気がしますね。
> コロンブスの時代は、基本的に沿岸航海であって、既知の港間を、その沿岸沿いに進んだり、地中海のような沿岸地形が既知の海域を横断する程度のものですが、コロンブスは未知のアメリカ大陸周辺の西インド諸島まで航海する実例を示したわけです。この実例が示されると、雪崩のように、旧大陸(ヨーロッパ)・新大陸(アメリカ)間の航海が実現されるようになりましたね。
> 別に、帆船の時代に蒸気船で進んだわけでもなく、船の技術に格段の技術的革新があったわけではなく、基本的には運用の偉大なる先駆、ということになりますね。
> (銀英伝でシャフトが技術上の問題は無い、と豪語するように)
> この種の偉大なる先駆というものは、通例たちまち広がるものです。携帯電話にメール機能やデジカメ機能をつけたとか。ここでも、コンパクト化など、技術上の課題は当然ありますが、組み合わせの改善と、抜本的な新技術の実現とは、技術的革新のレベルが違います。
>
> 上の話に連結すると、ヤンに「この種の偉大なる先駆」になれ、と言っているわけでは全然無く、帆船を蒸気船に進歩させるような「格段の技術的革新」を要するわけでもない、ということです。
>
> (主たる回答は以上です)
>
> それから、以下の話は、以前のKenさんとの議論の蒸し返しになりそうですね。
>
> > 『(大質量)ワープは、我々の世界の技術を超えた高度なテクノロジーであり、それに関する理論も実験データも持たない我々には、その適用範囲や限界等の詳細について信頼できる結論を出すことができない』
>
> この話なんですが、これは以前Kenさんとの議論でも提示したように、大質量を問わず、ワープ自体が未知で現代科学による類推も効かない技術ですので、ここで、「適用範囲や限界等の詳細について信頼できる結論を出すことができない」などといい始めると、なにもいえないことになります。
> (1997年ワープは不可能と結論された、なんて話があるようですね。例えば「ワープ」「トリビア」で検索されるとヒットします)
> Kenさんに提示した具体例は、もしこのような事を言い出すなら、艦船一般がワープできるという保証すら、ないことになってしまうぞ! というものでした。
> 作中には、作中で実際に行われたワープ移動の例がありますが、「適用範囲や限界等の詳細について信頼できる結論を出すことができない」と言うなら、これ以外のワープ移動の実現性についても、確からしい、と言い得ないことになるからです。ヤン艦隊が帝国首都フェザーンを攻略する、などという仮定の戦略を考えること自体、不可能となってしまいます。この仮定の戦略の前提条件として、同盟艦隊のフェザーンへのワープの可能性が問われることになると思いますが、同盟艦隊のフェザーンへのワープの実例が作中に示されていない以上、この前提条件自体が崩れてしまいます。
結局、この移動要塞論は同盟軍に要塞レベルの質量を移動化させ得た記述が無い限りその後の議論はなんら意味の無いものではないでしょうか。
要塞論否定派が納得し得ないのは、ガイエスブルグの只一例をもって果たして他に適用できるかどうか納得できるかどうかだと思われます。
それを乗り越えない限り、移動要塞の有効性を論じることに意味は無いのです。
もっとも逆説的には、ヤン一党の移動要塞を論ずるよりもライハンルト陣営の移動要塞論の方がはるかに現実的ではないでしょうか