管理人さん(以後、この名で統一しますね)、私の投稿への厳しい御指摘、ありがとうございます。やはり少し飛ばし過ぎでしたかね。朝日社説批判と同じスタンスでやっているので、ついつい余計な事を言ってしまうようです。推論批判は以後慎みます。それと船津忠厳の言葉を持ち上げたのは、謝罪外交を推進する政治家に怒りを覚えていたからですが、極論ではありましたね。私を右翼だと誤解しないでくださいね(^^;)。
しかし自衛隊については、2巻と3巻でもストーリー上結構かかわってきますし、社会評論でも散々ののしっていますので、バカ正直にこれからも言及したいと思います。これからも「私の創竜伝考察シリーズ」の厳しいチェックをよろしくお願い致します。
それでは、創竜伝2を検証していきましょう。
創竜伝2 「摩天楼の四兄弟」
1988年4月5日 初版発行
P22下段
<自分たちは国家利益のために働いている。一般国民は税金を納めて自分たちを養えばいい、そして災厄が生じたときには権力者を守って死ぬべきだ。そう考えている者が、人間世界で最も残忍にふるまうことができる>
竜堂兄弟や現実世界の左翼連中の得手勝手な振る舞いを見ていると、
「自分たちは権力を振りかざす悪党を懲らしめるために働いている。一般国民はただ自分たちを支持していればいい。そして災厄が生じたときは自分たちが助けてやる。そう考えている者が、人間世界で最も残忍にふるまうことができる」
というのが正しいような気がしますが。だいたいこれは権力を持っている人間に対する偏見を、読者に植え付けようとする記述ではないですか。そもそも田中芳樹は、権力がなぜ存在するのかを考えた事があるのでしょうか。権力=悪で思考停止していませんか?
P28下段
<現代の日本では、不正を追及する者は、嘲笑の対象にしかならないのだ。
「世の中なんてそんなものさ」
という、現状肯定、思考停止がはびこり、とくに政治ジャーナリズムの批判精神は、腐りはてて影も形もないありさまだった。>
田中さん、「現代の日本では、不正を追及する者は、嘲笑の対象にしかならないのだ」って、現代日本のどこを見てそのような結論に達したのですか? 政治や行政、企業などの不正も常に追求されているし、不正を追及する者も嘲笑の対象どころか、むしろマスコミが徹底的に持ち上げて尊敬するでしょう。私は不正を追及する者が嘲笑されたという話を聞いた事がないのですが。
また、日本にいつ「現状肯定、思考停止がはびこり」ましたでしょうか? 左翼連中を含め、日本は良かれ悪しかれ批判精神にあふれかえっていますよ。現状を肯定し、思考停止している人など私は見たことがありません。特に政治ジャーナリズムは、いつも聞き飽きるくらい過剰なほど政治批判をしています。「とくに政治ジャーナリズムの批判精神は、腐りはてて影も形もない」などと考えているのは田中芳樹と竜堂兄弟だけです。
P38上段
<権力病の重症患者にとって、どのような妄想も妄想とは思われないのだ。>
これは私がこう言いなおしましょう。
「左翼全共闘病の重症患者にとって、どのような妄想も妄想とは思われないのだ」
P46下段
<現代の日本人は、滅亡期のローマ人のように、イベントを、あらゆる価値の最上に置く。イベントのために、どれほど非常識なことがおこなわれても当然だと考える。イベントに反対する者は、変人あつかいされるだけですむなら幸運というべきだ。>
田中芳樹の、自分を除く一般的な日本人に対する考えがよく分かる一文です。要するにこの人は日本人を愚か者と蔑み、いずれローマ人のような末路をたどると思っているのでしょう。「イベントに反対する者は、変人あつかいされるだけですむなら幸運というべきだ」じゃあ普通はどんな目にあうのでしょうか? まるで日本人が批判する者の存在を否定しているかのようですね。日本人もなめられたものです。
P51上段
<続が兄に応じた。
「国民の税金で養ってもらっているくせに、国民を害しようとしている奴らが権力をほしいままにしている国です。そのうち人間が四つんばいになって、犬が立って歩くようになるでしょう」
「犬の時代だな」
「犬以下ですよ。犬だって3日も餌をもらえば恩を感じる。ところが公安警察って奴らは、電話は盗聴する、市民運動家の家を口実をつけては捜索する、ひどいものですからね」>
あまりにも下劣な主張ですね。彼らは自分たちを何様だと思っているのでしょうか。まるで自分たちが日本の主人みたいな言い方です。「国民の税金で養ってもらっているくせに、国民を害しようとしている奴らが権力をほしいままにしている国」って、何を根拠に日本という国がそこまで低く見られなければならないのでしょうか。この論調を聞いていると、日本の権力者全てが国民を害しようとしているように聞こえてきますね。一種のマインド・コントロールではないでしょうか。かつて私もこの論調に洗脳されていたし(^^;)。
それと日本の公安警察が電話を盗聴する事は法律上できませんし(最近法改正の動きがありますが)、この場合の「市民運動家」というのは「左翼運動家」の事でしょう。「口実をつけては捜索」しなければ、どんな事をされるか分かったものではありません。だいたいその口実自体、普通は法的には何の問題もないものでしょう。あまり公安には詳しくありませんが、少なくとも竜堂兄弟に「犬以下」とまで呼ばれなければならないほど悪い存在とは思えませんが。
P56上段
<「世の中の人たちは、ほとんどすべてが、権力とそれに裏づけされた暴力の前には無力です。このごろでは、無実の罪で死刑になりかかった人が国家に賠償を求めても、その裁判で負けてしまうほど、日本の政治権力は非民主的で硬直化しています。法ですら、しばしば市民を見捨てます。法を定める連中が、結局、ほしいままにふるまい、人の権利を侵す……」>
これは竜堂続氏の発言ですが、「無実の罪で死刑になりかかった人が国家に賠償を求めても、その裁判で負けてしまう」からといって、即「日本の政治権力は非民主的で硬直化しています」などと決めつけてはいけません。裁判には裁判の事情があり、「無実の罪で死刑になりかかった人」の主張が全面的に正しいというわけでもありませんし、一方の警察の方も言い分があるでしょう。原告の主張が間違っていたかもしれませんし、双方和解したのかもしれないではないですか。それとも原告の主張が全面的に通らなければ、民主主義は崩壊するのですか?
そもそもこんな事が現実世界で実際にあったのでしょうか? 朝日や毎日のようなマスコミが、その「無実の罪で死刑になりかかった人」に肩入れしないわけがありませんから、実際にそんな事があればいやでも情報が入ってくると思うのですが、私は聞いた事がありません。この辺りの事情に詳しい人はいませんか?
P80上段~下段
<1980年代の後半、東京を中心にして日本の土地価格は高騰した。(中略)悪質な不動産業者を、背後から、さらに悪質な金融機関があやつり、それを政府が平然として放置し、社会問題が発生した。日本のように狭い国では、土地に対する投機を禁じるべきなのに、政府は全く何もしなかった。それどころか、土地問題をあつかう国土庁の長官が、不動産業者や建設業者から政治献金をうけとり、しかも大半のマスコミはそれを批判しようともしないというありさまだった。>
なんかこれだけ見ていると、当時の赤旗の新聞記事を見ているような錯覚を覚えるのは私だけでしょうか? 少なくともフィクション小説に書くべき事ではありませんね。それにこの論調、銀英伝でヤン・ウェンリーが否定した救国軍事会議の連中の主張とまったく同じではありませんか。政府が土地投機を禁じるべきだという点など、そのもっともたるものです。実際にそうしたら(1990年、総量規制という通達が大蔵省銀行局長の名で発行され、銀行は土地売買ができなくなった)土地価格が大暴落して(当時の土地価格の3割が一瞬にして消滅したそうです。約660兆円ほどが消えた事になります)日本が不景気になってしまったのですよ。田中芳樹はかつて自分が否定していた連中と全く同じことを言っているのに気づいているのでしょうか?
それから、いつもの事ですが、マスコミが批判していないというのは大嘘ですね。それどころか、朝日あたりは「バブル追放キャンペーン」でもやっていたのではないのですか?
社会評論が多すぎる!! まだ100ページにも達していないのに~。今回はこれで終わりにしま~す。2巻批判の続きはまた今度に。
PS.考えてみると、創竜伝の1と2がでた頃って、私はまだ小学生だったのですよね~。月日のすぎるのの早い事。
>管理人さん(以後、この名で統一しますね)
ややこしくてすみません。基本的に、私的見解を述べるときには本名を使っています(当然ながらその基準は曖昧です)。
「田中氏」と「田中芳樹」も、彼の行動によって使い分けしてあります。(評価できる作家としては「田中氏」、駄文を書き連ねる売文業者としては「田中芳樹」あるいは「田中センセ」)。
>私の投稿への厳しい御指摘、ありがとうございます
こちらこそ、少々厳しすぎかなと思いながらの作業でしたので、そういっていただけると助かります。
やはり好き放題書き捨てている文章の批判だからこそ、公正で理知的にありたいものです。
それと、不用意な批判の言質をとられて「ウヨクの自尊史観の人が創竜伝の批判ページを作ったようですよ。僕たちも立派になりましたね」「いよいよ発禁候補作だな」とか、創竜伝の座談会で続と始あたりに言わせるような事態には絶対したくないというのもあります。お互い、そんな言い逃れが絶対出来ないような批判を展開していきましょう(とはいえ、「何で俺が田中芳樹の弁護してるんだろう?」という忸怩たる気持ちはありましたよ。やっぱり(^_^;))。
>P22下段
同感です。ちなみに後ほどの日本人論への批判とも重なりますが、自分と違う考えをもつ「一般国民」を愚民視して罵倒するあたりは素晴らしいですね。結局、自分と同じ考えを持つ人間だけが「庶民」で民主主義を知っていると思っているのでしょう。このあたり、銀英伝の救国軍事戦線と全く同じですね。
ところで、4巻にこれを酷くしたような場面があって、いつかそれについて書こうと思っていたのですが、冒険風ライダーさんの楽しみのために取っておきます(言い訳かな~)
>P28下段
思考停止しているのはお前だろ、という感がありますね。
>P38上段
まさに権力と反権力は表裏一体です。
>P46下段
これは酷いですよね。
>要するにこの人は日本人を愚か者と蔑み、
というのは、その通りだと思います。彼の目に日本人がどのように映っているかの告白文章のような感じですが、「日本人」を「中国人」に置き換えたらそれこそ発禁もののサベツ文章の出来上がりですね。日本人って、つくづく寛容だと思いますよ。
ところで、このあと「イベント至上主義」とやらの日本人は事件に巻き込まれて怪我人や死人が多数出ていますよね。この世界を創造した作家(神)様は、キリスト教の神様に負けず劣らず恣意的で残酷なようです。
>P51上段
公安の評価が保守派の間でも悪いことは確かにありますが、オウム事件のときなど、評価出来ることも結構あります。というか、オウム事件の時につくづく思っていたのですが、公安が動かなかったり、人権を無視した強制捜査を行わずにあのまま第二第三のサリン散布が行われていたら、普段それらを非難否定している田中芳樹とかはどうやって責任をとるつもりだったんでしょうかね。
「市民運動家」については、戦後民主主義のバカさ加減の最たるものだと思います。だってそうでしょう? 「市民運動家」ってのは、「プロの日曜大工」と同じようなもので、本質的にあり得ないんですから。職業でやったら、それは市民運動ではありえないんですよ。
P56上段
これについては、つねづね私も聞いてみたいと思っていました。っていうか、具体例を挙げろよな。イメージだけを植え付ける、相変わらずの手段ですね。
>P80上段~下段
まあ、土地投機の行き過ぎに対しては確かに問題が多かったのも事実です。ただ、
>少なくともフィクション小説に書くべき事ではありません
というのはいちいちもっともですし、
>しかも大半のマスコミはそれを批判しようともしないというありさまだった
というのはバカ過ぎですね。
バブルの時は「日本は儲けすぎ」と政府を批判し、不況になると「不況は無策のせい」と政府を批判しますからね。マスコミは。
創竜伝は、前編の方が社会評論が多いですね。おそらく、バブルで日本が強かったので、叩きがいがあったのでしょう。日本が不況で苦しんでいるとなると、なかなか「日本人バカ論」は書きづらいですからね(せいぜい「日本の企業は非人道的」という類の事しか書くことが無くなる。)。
結局、田中芳樹も逆説的にバブルを享受して、甘えていたのだとしか思えませんね。