いつか出てくるんじゃないかな、と思っていましたが、ついに出てきましたか。
>P121上段~下段
><「伯卿さま、趙普という人物を、どうごらんになりました?」
> ひかえめに太真王夫人が問うと、青竜王は何度めかの溜息をついた。
>「好きにはなれぬ。だが、あの冷徹、あの剛毅、あの自尊、とうていおれのおよぶところではないな。まさしく五百年にひとりの大宰相。天下を統一し、世界一の文化と経済をきずいただけのことはある」
> 五十歩ほど、三人は無言で歩みつづけた。
>「趙普のいったことは正しい、と、大可はそう思うのか?」
> 白竜王の問いに、やはり溜息まじりの返答がかえってきた。
>「人倫として正しいとは思わぬ。廷美にしろ徳昭にしろ、政治の犠牲となるほうは、たまったものではあるまい。趙普のいうことはあくまでも権力者の論理でしかない。だが、その論理が、私心のなさに裏づけされたとき、それに対抗するのは容易なことではないだろうな」
> 夜空の星々に、青竜王は視線を送った。
>「覚悟がちがう――そういうしかないような気がする。闘って身を守る覚悟がなければ、権力者の思いのままに処分されるだけだ。いまさらのように思い知った」
> 白竜王と太真王夫人が、左右からそっと青竜王の横顔を見あげた。天界での青竜王は、玉帝と天宮からの圧迫をかわし、平和と一族を守るために腐心している。趙普と語りあって、自分の立場に苦いものを感じたようであった。>
私は趙普が出てきたとき、創竜伝には珍しいキャラクターであることに着目すると共に、とある人物のことを思い出しました。
その、とある人物とは、彼です。
>9巻P201上段~下段
><バルーフ・ゴールドシュタインというユダヤ人がいた。ニューヨークに生まれ、イスラエルに移住した。彼は医師だったが、イスラム教徒の治療を拒否していた。一九九四年二月、彼は多額の生命保険に加入した上で、イスラム教の礼拝堂にはいっていった。そこでは多くのイスラム教徒たちが頭を床につけて神に祈っていた。むろん丸腰である。ゴールドシュタインは自動小銃を取り出し、祈っている人々の背中に銃弾をあびせた。四〇人以上の人々が殺された。「ヘブロンの虐殺」である。
> 銃弾がつきたところで、ゴールドシュタインは激怒したイスラム教徒に包囲され、乱打をあびて死んだ。彼は「死を恐れず、生命がけで」、神に祈っている人々を一方的に虐殺したのである。これは「何でも生命がけでやればえらい」という通俗道徳を信じる人々にとっては、なかなか厳しい返答であろう。やることの意味を考えずに生命を軽んじるような者は、異なる価値観を持つ者に利用されるのが落ちである。>
>
多分…いや、絶対、ゴールドシュタインに自白剤…じゃなかった(笑)「昏神香」を使って尋問しても、『それでもなお冷静で剛毅な態度はくずれ』なかったでしょう。
『ゴールドシュタインのいうことはあくまでも信仰者の論理でしかない。だが、その論理が、私心のなさに裏づけされ』ているのですから。
もちろん、趙普とゴールドシュタインでは、為したことに天と地の差があります。結果から見れば、趙普のほうは正しいと言える。しかし、為し遂げた結果ではなく「その論理が、私心のなさに裏づけされたとき、それに対抗するのは容易なことではないだろうな」なんて理由で趙普を否定できないのであれば、始君にゴールドシュタインを否定することは不可能でしょう。
…「覚悟がちがう――そういうしかないような気がする」のですから。
>これは「何でも生命がけでやればえらい」という通俗道徳を信じる人々にとっては、なかなか厳しい返答であろう。
自分自身で証明していますね(笑)。
どうも、冒険風ライダーさんの考察にはいつも唸らされております。
レスではなく、タイトルどおり傍論で申し訳ありません。
> 「それにさ、趙匡義は即位した年のうちに改元してる。十二月だというのにさ。開宝九年から太平興国元年にかえちまった」
> 皇帝が死んだら、その年のうちには改元しない。年が明けて正月一日になってから、あたらしい年号をもちいるのが伝統である。それが先帝に対する礼節というもので、君主が死んだ年のうちにさっさと改元するなど、無知無学な野蛮人か、簒奪者か謀反人のやることだ。あえて趙匡義はそれをやってのけた。
中国を誉めるためには、日本を無知無学な野蛮人呼ばわりすることも厭わず、か(深読み…じゃないとおも)。「改元に死後間を置くのが礼儀」なら、昭和天皇崩御の時、田中芳樹はきっと日本政府の無教養に腹を立てたことでしょう。「偉大なる中国に由来する元号の伝統を踏みにじるとは、無教養役人どもが!」と。でもまあ、崩御されたその日のうちに新元号を発表し、翌日から使用するという、無知無学な野蛮人なれど、肝心の中国で既に存在しない伝統を今に伝えるだけでも、賞賛に値する事だと思います。今後その点さえ見直されれば「元号、全然オッケー☆」ですよね? それから、こともあろうに「偉大なる中国より賜った由緒正しい元号」の、即刻廃止を訴える政治勢力に対して、当然、田中芳樹は憤りを覚えているに違いありません。
元号について検索してみたら、ここがちょっと勉強になりました(というか、とっかかりですね^^;)
http://www.meijijingu.or.jp/intro/qa/13.htm
てんてんdwpです。
えーと、私の記憶ではクイと呼ばれる中国版吸血鬼伝説があったような。
前に水木しげる先生の挿し絵で見ただけなので詳しいことは知りませんが。
てんてん dance with penguin
>管理人さん
> 多分…いや、絶対、ゴールドシュタインに自白剤…じゃなかった(笑)「昏神香」を使って尋問しても、『それでもなお冷静で剛毅な態度はくずれ』なかったでしょう。
>『ゴールドシュタインのいうことはあくまでも信仰者の論理でしかない。だが、その論理が、私心のなさに裏づけされ』ているのですから。
> もちろん、趙普とゴールドシュタインでは、為したことに天と地の差があります。結果から見れば、趙普のほうは正しいと言える。しかし、為し遂げた結果ではなく「その論理が、私心のなさに裏づけされたとき、それに対抗するのは容易なことではないだろうな」なんて理由で趙普を否定できないのであれば、始君にゴールドシュタインを否定することは不可能でしょう。
>…「覚悟がちがう――そういうしかないような気がする」のですから。
そもそもあそこで言われていた「私心のなさ」の「私心」というのは一体何のことを指しているのでしょうか?
もしそれがただ単に「カネに対する執着心」とか「個人としての自己一身の利益を得る」と言ったことを指しているだけであるのならば、創竜伝における牛種や四人姉妹にもそんなものは一切存在していませんから、竜堂兄弟が牛種や四人姉妹を否定することもまた不可能であるということになります。彼らが目的としているのは趙普と同じ「自分達の体制の維持」であり、「染血の夢」も「竜王一派の排除」もそれに基づいて行っていることです。そしてそれらの推進に際して、彼らが相当な「覚悟」を持っている事もまた疑問の余地がないでしょう。
また、この論理を使えば、銀英伝の救国軍事会議クーデターのお歴々や、5・15事件、2・26事件を起こした旧日本陸軍の青年将校を否定することすらもできなくなってしまいます。すくなくとも彼らは自分達の主観的には「私心」など全くなかったばかりか、「自らの私利私欲によって政治を壟断している汚職政治家を抹殺する」という断固たる「覚悟」まで持っていたわけですから。そして彼らの行った所業がどんな結果をもたらしたかについては今更言うまでもないことですね。
あの考え方をあくまでも堅持したいと考えるのであれば、竜堂兄弟やその前世であるところの竜王一派のお歴々は上記に挙げた事例も全て肯定しなければなりません。何しろ彼らの行動は全て「私心のなさ」と「覚悟の違い」に裏付けられているわけなのですから。
まああの連中にそのような「主義主張の一貫性」を求めるのが無理なのは最初から分かっている事なのですけど(笑)。
>モトラさん
>中国を誉めるためには、日本を無知無学な野蛮人呼ばわりすることも厭わず、か(深読み…じゃないとおも)。「改元に死後間を置くのが礼儀」なら、昭和天皇崩御の時、田中芳樹はきっと日本政府の無教養に腹を立てたことでしょう。「偉大なる中国に由来する元号の伝統を踏みにじるとは、無教養役人どもが!」と。でもまあ、崩御されたその日のうちに新元号を発表し、翌日から使用するという、無知無学な野蛮人なれど、肝心の中国で既に存在しない伝統を今に伝えるだけでも、賞賛に値する事だと思います。今後その点さえ見直されれば「元号、全然オッケー☆」ですよね? それから、こともあろうに「偉大なる中国より賜った由緒正しい元号」の、即刻廃止を訴える政治勢力に対して、当然、田中芳樹は憤りを覚えているに違いありません。
日本でも平安時代以降の元号は、天皇崩御直後からしばらく間を置いて改元していたようなのですが(まあ明治以前の改元は崩御以外の時でも頻繁に行われていましたが)、明治以降の改元は「一世一元」の行政官布告に基づいて行われ、明治→大正・大正→昭和の改元時には天皇崩御「当日」から新しい年号が用いられています。大正は1912年7月30日、昭和は1926年12月25日(共に天皇崩御の日)から始まっています。
昭和→平成の改元は、1979年に定められた元号法に基づいて行われたもので、これには「元号は皇位継承があった場合に限り改める」と規定されています。当時の政府内部では、「区切りのよい日から実施する」として、翌月一日や翌年元日から改元しようかという動きもあったようなのですが、結局「新天皇になってからも、旧元号が続くのはまずい」ということになって翌日改元となったわけです。
まあ中国の元号についてはともかく、田中芳樹が日本の元号について実際にどう考えているのかは分かりませんけどね。元号云々よりも、田中芳樹は「民主主義真理教」に基づいて「天皇制」それ自体に反対しそうな気がしてなりませんし。
> 日本でも平安時代以降の元号は、天皇崩御直後からしばらく間を置いて改元していたようなのですが(まあ明治以前の改元は崩御以外の時でも頻繁に行われていましたが)、明治以降の改元は「一世一元」の行政官布告に基づいて行われ、明治→大正・大正→昭和の改元時には天皇崩御「当日」から新しい年号が用いられています。大正は1912年7月30日、昭和は1926年12月25日(共に天皇崩御の日)から始まっています。
> 昭和→平成の改元は、1979年に定められた元号法に基づいて行われたもので、これには「元号は皇位継承があった場合に限り改める」と規定されています。当時の政府内部では、「区切りのよい日から実施する」として、翌月一日や翌年元日から改元しようかという動きもあったようなのですが、結局「新天皇になってからも、旧元号が続くのはまずい」ということになって翌日改元となったわけです。
明治神宮のページにたどり着く過程で、法令のページで元号法についてもチェックし、翌日からとあるのを確認しましたが、昭和→平成以前は当日に改元されていたのですか。そもそも、いつの時点から新元号を使用するかについては、あくまでも運用上の都合に過ぎず、どちらが正しいだの間違っているだのという問題ではないと思います。「一定の期間を置かずに改元するのは不敬にあたる」というのであれば、当の昔、明治憲法時代に問題となっていたことでしょう。もしかして、なったことがあるとか?
> まあ中国の元号についてはともかく、田中芳樹が日本の元号について実際にどう考えているのかは分かりませんけどね。元号云々よりも、田中芳樹は「民主主義真理教」に基づいて「天皇制」それ自体に反対しそうな気がしてなりませんし。
言うまでも無く、649番は田中芳樹が元号、天皇制ともに快く思っていないであろうことを見越した皮肉です。このあたり田中本人に突っ込んでいけば、あっさりダブルスタンダードの袋小路へと追い込めるように思えます。
> 明治神宮のページにたどり着く過程で、法令のページで元号法についてもチェックし、翌日からとあるのを確認しましたが、昭和→平成以前は当日に改元されていたのですか。そもそも、いつの時点から新元号を使用するかについては、あくまでも運用上の都合に過ぎず、どちらが正しいだの間違っているだのという問題ではないと思います。「一定の期間を置かずに改元するのは不敬にあたる」というのであれば、当の昔、明治憲法時代に問題となっていたことでしょう。もしかして、なったことがあるとか?
探してみた限りでは特に混乱はなかったようです。今と昔では元号の使い方が違うということでしょう。
そもそも元号の本質というのは、専制君主が直接・間接に支配している領域内の民衆に対する時間支配です。その歴史的背景から、元来「元号」というのは、君主の時間支配に基づいて「年の呼び方」を定めるものであり、「何月何日から始まる」という概念自体がそもそもなかったのです。昔は西暦と元号の並立などなかったわけですから、元号こそが唯一の「年の呼び方」であり、またそれが君主による時間支配の象徴でもあったのです。これは中国における一世一元制でも基本的には全く同じです。
つまり元来、元号が時間支配として重視していたのは「年」なのです。皇帝が即位する「年」から新元号による「君主の時間支配」が始まり、死去ないしは退位した「年」をもって旧元号の役割は終わる。これが中国や日本の明治時代以前における元号の使い方だったわけです。だからこそ、君主が死去した「年」の内に改元を行うのは、前君主に対して非礼であるという考え方が出てきたのでしょう。
日本の明治時代以降における元号の特徴は「年」ではなく「日」が重視され、さらに天皇崩御の瞬間をもって「君主の時間支配」が終わると定義したことです。つまり、今上天皇が即位なされた「日」から新元号による「君主の時間支配」が始まり、崩御なされた「日」をもって旧元号の役割は終わり、すぐさま次の天皇即位による元号が定められることになっているわけで、だからこそ大正・昭和・平成と、天皇が崩御なされてからほとんどすぐに改元するようになっているのです。平成に移行する際には昔の慣習でやろうという動きもあったらしいのですけどね。
これが崩御なされた前天皇に対する非礼になっているのかどうかは微妙なところですね。明治以前の慣習と伝統に従うのであれば間違いなく非礼なのでしょうが、明治以降、元号の概念それ自体が全く変わってしまいましたからね。新しい概念では非礼にならないということも当然ありえるわけです。
だから昔の改元の規則や礼儀をもって、今の日本の改元における礼儀を云々するのはちょっと難しいように思いますね。旧い概念が新しい概念に取って変わるというのであれば話は別ですけど。
ただ、問題となっているあの社会評論の場合、あくまでも「宋王朝の初代皇帝・趙匡胤に対する非礼云々」の問題を指しているだけであるのならば、言っている事は充分に正しいと言えるわけですよ。あの当時には確かにそのような常識が存在したわけですから。これが暗に現代日本の改元を揶揄していると言うのであれば論外というしかありませんが。
>言うまでも無く、649番は田中芳樹が元号、天皇制ともに快く思っていないであろうことを見越した皮肉です。このあたり田中本人に突っ込んでいけば、あっさりダブルスタンダードの袋小路へと追い込めるように思えます。
しかし田中芳樹って、天皇制関連に関してはほとんどと言って良いほど言及したことがないんですよね。かろうじて天皇と関連がありそうな記述がひとつあるだけです。
創竜伝4巻 P159上段
<一九八八年末に、皇居の門前で記帳がおこなわれたとき、その列に並んだ女子高校生が明言した。「こういう風潮には、進んで乗らなきゃ」と。風潮に疑問をいだいたりしてはいけない。バスに乗りこんで、乗りこもうとしない人々を罵倒するのが、日本人としての正しいありかただ、ということである。乗りこんだバスの行方など考えもしないのである。>
例の「流行大好き日本人」を揶揄している個所で、当時の昭和天皇の御容態を心配する人々が記帳するのを罵倒しているところから、かろうじて「天皇もしくは天皇制に対して何か不満に思うところがあるのか」と推測できるだけです。
天皇制について書くと後々面倒なことになるから、あえて避けて通ったというところでしょうか。あの作家の「民主主義真理教」から考えると、多分天皇制に対して否定的に見ているだろうなとは容易に推測することができるわけですが。
ども、凄く久しぶりです。
冒険風ライダー様曰く…
> 問題はここからです。創竜伝8巻および9巻において、これほどまでに「宋と遼との大戦に対する七仙の人界・歴史介入」が「伏線」として強調されている以上、当然創竜伝12巻には上記で挙げたエピソードが挿入されていなければなりません。ところがいくら創竜伝12巻を読み返してみても、このエピソードが挿入されている個所がどこにも存在しないのです。いや、それどころか、当時北宋出身の人間であった曹国舅を除く七仙の誰ひとりとして、創竜伝12巻の主要舞台である中国・北宋時代には全く登場しておりません。
この辺全くその通りですね。自分はあたりがついていたので、10巻あたりで、“あそこら辺”を翻案するんだろうなぁ…と思ってました。
と云うのも、呂洞賓・漢鍾離と宋遼戦と来れば、『楊家将』と『東遊記』になるわけで、コレを下敷きにしたスケールのデカイモノを書いてくれるのかなぁ…と思っていたのですが…アレですからねぇ…。ナエナエですわ…。本当は仙人同士のたわいもない喧嘩が、スケールのデカイ代理戦争になるハズなんですけどねぇ…。
まあ、コレも、元がたわいもない喧嘩ですから「千年前に地上に介入した…」と云うぐらいに重い話ではないんですけどねぇ…。八仙別に仲間割れしないし(呂洞賓と漢鍾離の術比べだけ…)、牛もでてこないし…。
多分、思いつきで、こう云うのが面白かろうと云うプロットを思い浮かべたのに、詳しく調べてみたら意外につまらなかった…のかも知れませんねぇ…。もしくは本当に力尽きたのかも知れませんねぇ…。それか調べて書いても貶されるだけだと気がついたとか…。どう考えてもプラス要因の方向変換ではないことは確かですね…。
曹國舅…9巻ではさわりだけでてくるのにねぇ…。
> 創竜伝12巻座談会 P233
> <余 今回はチャイニーズ・ファンタジーだったね。
> 続 内容的には9巻のラストからのつづきということになりますね。
> 終 もっと八仙が出てくるのかと思ったけど、そうでもなかったな。
> 始 ここで八仙を出すと、一〇〇〇枚書いても足りなくなるからな。割愛したそうだ。>
正直、自分もコレには呆れました。しかも、別段歴史よりに書いてるわけでもないですしねぇ…。読んでくうちに、出てくる出てくる妙な間違い…(主に勘違い…)。取りあえず、「コレは作中世界で中国と呼ばれている国の、宋という時代の話で、自分の研究した宋代とは違う世界だ!」と云うことにしておきました。だってほら、中国史モノと違ってこの小説、フィクションですから。よく似てるけど違うんですよ…多分。
>東海青竜王陛下。
中国や日本では王様には殿下!デス…。あんまり意味無いかな…。陛下は皇帝に使われます。仙界でも玉皇以外に陛下と呼ばれる人(?)はいないです(多分)。
あと元号の改元のタイミングが日本と中国と違う点ですけど、宋・太宗の時は年を改めずに改元しているのは、中国ではやはり異常です(靖難の役の際には永樂帝ですらやってない…建文と云う年号は“無かったこと”にしてしまったけど…)。
でも、日本での場合は慣例の違いですから、コレについて田中芳樹が日本批判をすることはないです。また、春秋戦国あたりの国の中では日本と同じ改元方法を採るところもあった!と云う学説もあります。実際、『史記』の中でもこの辺は年号の矛盾が多いのだそうです(読んでないから知りませんが…)。でも、何で日本がそう言う改元方法を採ったのか…というのは説を読んだこと無かったデスなぁ…(不勉強)。
まあ、色々書きましたが、要するに小説としてつまんなかったですねぇ…。何で吸血ゾンビ出すのかも分からなかったしなぁ…。
でも、もしかしたら、創竜伝で宋代のリターンマッチはあるかも…(と云うのが、呂洞賓と漢鍾離が喧嘩する説話の時代設定は眞宗の代の話なので…)。
> 中国や日本では王様には殿下!デス…。あんまり意味無いかな…。陛下は皇帝に使われます。仙界でも玉皇以外に陛下と呼ばれる人(?)はいないです(多分)。
日本で「国王陛下」「女王陛下」という敬称を使用するようになったのは、明治開国期に圧倒的に強国であるイギリスや西欧諸国の元首(国王)が、天皇より下位扱いされるのはマズいという外交上の配慮から、だったと思います。
ともあれ、古代の支那の王に対して「陛下」というのは、それこそ諸葛亮孔明並にヤバイんじゃないでしょうか。
このへんを曖昧にすると、日本が植民地化した朝鮮の皇族を王族にしたヤバさなんかはわからないんじゃないでしょうかねぇ(もちろん、日本としては最大限の厚遇だったのですが)
> 中国や日本では王様には殿下!デス…。あんまり意味無いかな…。陛下は皇帝に使われます。仙界でも玉皇以外に陛下と呼ばれる人(?)はいないです(多分)。
そうだったのですか。それは知りませんでしたね。私は創竜伝の記述が連中の呼称でやたらと「陛下」を強調していたので、それに従って「陛下」という呼称を使っていたのですが(^^;;)。
竜堂続に至っては、自分達が「陛下」と呼ばれる身分であることを堂々と誇示するようなことを、よりによって四人姉妹の幹部相手に行っていましたからね。
創竜伝2巻 P172下段~P173下段
<「あなたは、わたしの愛にふさわしい若者だわ。わたしのパートナーになって、わたしとともに極東の支配者におなりなさい。あなたには、それができるわ」
「四人姉妹の下で?」
「こだわっているの? 四人姉妹は、いったん権限をゆだねた相手に、無用の干渉はしないわ。極東一帯で、どんなことでもできるし、世界全体を動かす事業にも参画できるのよ。それどころか、いつかはそれ以上の……」
「すいませんが、マダム……」
首にまわされた女の両手を、続はひややかにもぎ離した。
「ぼくは面食いなんです。ですから、マダム、あなたのお誘いを受けるのは、ぼくにとって耐えられないことなのです」
美貌を誇る女性に対して、これほど痛烈な拒絶の返答は、他にないであろう。続の美しい両眼には霜がおりていた。
対照的に、レディLの両眼には、熱湯がわきたっていた。やがて肉感的な唇から押し出された声は、平静さをよそおおうとして失敗し、ひびわれていた。
「そう、わたしを拒絶するのね」
「ご理解いただけて光栄です。マダム」
「再考の余地はないの?」
「あなたを抱くのも、四人姉妹に抱きこまれるのも、ごめんこうむります。あなたはぼくを南海紅竜王陛下と呼んだ。陛下と呼ばれる者が、誰かにひざを屈し、飼われてこころよしとするはずがないではありませんか」
言いすてると、立ちつくすレディLにはもはや一瞥もくれず、続は緋色の絨毯を踏んでドアにむかった。>
↑コレコレ。
「王を『陛下』と呼んではならない」となると、このやり取りの前提もまた完全に崩壊することになってしまいますね。まあココのやり取りはすでに内容からして崩壊してしまっているのですけど(笑)。
まあ連中自身、せっかく「陛下」と呼称したがっているのですし、今までそれで押し通してきているので、私は創竜伝に関する限り、これからも連中を「陛下」と呼んでいくことにします。今更「殿下」に変えても違和感ありすぎますし。
> でも、もしかしたら、創竜伝で宋代のリターンマッチはあるかも…(と云うのが、呂洞賓と漢鍾離が喧嘩する説話の時代設定は眞宗の代の話なので…)。
もう今更出てくる余地もなさそうに思えるのですけどね。第一、このエピソードを書いたらそれこそ執筆量が1000枚を超えてしまうでしょうし(笑)。
> > 中国や日本では王様には殿下!デス…。あんまり意味無いかな…。陛下は皇帝に使われます。仙界でも玉皇以外に陛下と呼ばれる人(?)はいないです(多分)。
念のために手元にある『新字源』角川書店 で“陛下”を調べてみたところ…
(1)天子の宮殿の階段の下。
(2)天子の敬称。(後略)
(3)[国]天皇・皇后・皇太后・太皇太后の敬称。
と言うことになり、自分の解釈としては、専制制度下に於ける主権国家の君主の敬称…ぐらいになりますかねぇ…。日本のニュースで「天皇皇后両陛下」と言う言い回しは日本国内でしか通用しない事を初めて知りました。中国だと、皇后も多分殿下なんでしょうね…。
話がそれましたが、つまり、帝国制だと、皇帝=天子一人が主権者でありますから、王と呼ばれる人は…
(1)皇族の内で王に封じられた者(親王)
(2)功臣の内で王に封じられた者
(3)朝貢国の中で王に封じられた者
…と、多分、この三種類しかいないハズなんですね…。
この点は地上世界を反映して、天上世界も同じハズです(天上世界は詳しくないので、断言できないのが歯痒いですが…)。
ですから…冒険風ライダー様の書かれるように
> 創竜伝2巻 P172下段~P173下段
(中略)
> 「あなたを抱くのも、四人姉妹に抱きこまれるのも、ごめんこうむります。あなたはぼくを南海紅竜王陛下と呼んだ。陛下と呼ばれる者が、誰かにひざを屈し、飼われてこころよしとするはずがないではありませんか」
というやり取りは、記憶が戻っていないとは言え、ちょっと不味いですよね…。この場合、続はレディLの言葉を
「それに私は玉皇に封じられた身分のハズだから、南海紅竜王“殿下”と呼んで頂かなくては、呼びかけに応じることも出来ないではないですか」
ぐらいの言葉で否定しないといけないはずですよね…。
何せ、コレで否定しないと、続は玉皇を主権者として認めていない!玉皇から王に封じて貰ったわけではなく、自ら天意を受けて王の位に昇ったのだ!玉皇の天意は去った!我こそは天意を得た天子となるのだ!陛下と呼ばれて当然なのだ!と言うことになってしまうんですよねぇ…。まあ、コレが「実は竜王達が玉皇に対する叛乱を起こす伏線なのです!壮大な構想なのです!」なんて事は……まあ、まかり間違ってもないですよね…。コレで続は人に中国についての蘊蓄は語れないです。良かった良かった…。
>「王を『陛下』と呼んではならない」となると、このやり取りの前提もまた完全に崩壊することになってしまいますね。まあココのやり取りはすでに内容からして崩壊してしまっているのですけど(笑)。
>まあ連中自身、せっかく「陛下」と呼称したがっているのですし、今までそれで押し通してきているので、私は創竜伝に関する限り、これからも連中を「陛下」と呼んでいくことにします。今更「殿下」に変えても違和感ありすぎますし。
この辺理解いたしました(しかもイタイほど)。本文中にこういう記述があるなら皮肉として通用しますね…。「中国にお詳しい紅竜王“陛下”…」牛頭の首領あたりに言って欲しいですね…。
しかし、コレまでにも増して田中芳樹のちゃらんぽらん中国理解度を思い知ってしまい、ちょっと落胆しましたね…。まあ、この手の間違い指摘したら、某作家センセに逆ギレされて大いに困惑したことあるので、やるせないですね…。
> > でも、もしかしたら、創竜伝で宋代のリターンマッチはあるかも…(と云うのが、呂洞賓と漢鍾離が喧嘩する説話の時代設定は眞宗の代の話なので…)。
>
> もう今更出てくる余地もなさそうに思えるのですけどね。第一、このエピソードを書いたらそれこそ執筆量が1000枚を超えてしまうでしょうし(笑)。
いえいえ、それこそ分かりませんよ…。竜王兄弟が仙界に帰った後で代理戦争に明け暮れる大人げない仙人達…。……やっぱりなさそうですね…。
まあ、詳しく語られることもないでしょうねぇ…。でも、冒険風ライダー様ご指摘の通り、ここら辺で何かないと広げた風呂敷が畳めないはずですから、余の夢の中ぐらいで出てくるのではないでしょうか?申し訳程度に…(それも数行で終わる程度の分量の…)。でも、最近の傾向から、もう取材が必要な記述を創竜伝ではしないかも知れませんねぇ…。最近、田中芳樹、まともに中国史の資料も読んでないみたいですから…。
そう言えば、東海竜王は松永君の本当の飼い主と殴り合いしてて地上に落っこちたんでしたっけ(うろ覚え)?
私は創竜伝をもはや読む気もうせてるので、ストーリーあんまり追えないんですが、投稿の内容を読む限り、思い出したのが銀英伝「レベロ、ヤンの謀殺を企む」のくだりですね。
レベロも「私心なく」同盟の平和のためにヤンを殺そうとしたわけで。
実はあのときの否定論はシェーンコップの「家族や自分へは、そうしないだろう」というある種跳躍した論理に頼り…いや「頼らざるを得なかった」のですね。
田中氏も、例えば「戦乱の芽をつむ為、罪がなくとも客観的に危険と見なされる人物を排除する」という理屈に(「銀英伝」のストーリーを離れたところでは)なにがしかの理を感じており、すくなくともそれをこの作品の中で展開したと考えるのは穿ち過ぎでしょうか。
ちなみにこの手の謀略肯定論を「おおっぴらに」語っているのが塩野七生女史(笑)。しかもムソリーニ伝で(さらに笑)
> 日本で「国王陛下」「女王陛下」という敬称を使用するようになったのは、明治開国期に圧倒的に強国であるイギリスや西欧諸国の元首(国王)が、天皇より下位扱いされるのはマズいという外交上の配慮から、だったと思います。
そうなんですか。
初めて聞きました。
日本人が敬称の使い方に疎いだけだと思ってました。
まあしかし、日本語と中国語の敬称の使い方が同じである必要も無いですし。
これはこれでいいんじゃないでしょうか。
> ともあれ、古代の支那の王に対して「陛下」というのは、それこそ諸葛亮孔明並にヤバイんじゃないでしょうか。
> このへんを曖昧にすると、日本が植民地化した朝鮮の皇族を王族にしたヤバさなんかはわからないんじゃないでしょうかねぇ(もちろん、日本としては最大限の厚遇だったのですが)
しかし、朝鮮に皇族がいたのって日清戦争から韓国併合までの短期間なんですよね。
韓国皇帝という人は1人しかいないんです。
日清戦争以前は中華の属国で韓国国王でした。
宣和堂さんがいう(3)に当てはまる位置ですね。
元に戻ったというか、もとより良くなってるんですよね。
王の地位というのも宣和堂さんがいう(1)(2)(3)の順に低くなっていくわけで、
今まで(3)の位置だったのが(1)の位置になったんですから良くなってるんですよね。
> 話がそれましたが、つまり、帝国制だと、皇帝=天子一人が主権者でありますから、王と呼ばれる人は…
> (1)皇族の内で王に封じられた者(親王)
> (2)功臣の内で王に封じられた者
> (3)朝貢国の中で王に封じられた者
> …と、多分、この三種類しかいないハズなんですね…。
> この点は地上世界を反映して、天上世界も同じハズです(天上世界は詳しくないので、断言できないのが歯痒いですが…)。
天界の制度もそれで良いはずです。創竜伝7巻の座談会で連中はこんなことを言っていましたから↓
創竜伝7巻 P231
<余 天界には学校はあるのかな?
終 いやな質問するなよ、お前。
続 天界には官僚制度も学校もちゃんとあります。神様たちだって
昇進試験を受けなきゃならないのです。
終 いやな世界だなあ。何で人間世界の悪いまねをするんだろう。
始 逆だよ。天界のシステムが人間世界に植えつけられたんだ。>
ここまで断言しているのですから、その天界の制度の中でも最重要な制度であるとも言える王の序列制度だけが例外であるなどということはありえません。むしろ、ここで言われているように、創竜伝では天界のシステムこそが人間世界(まあこの場合は中国なのでしょうが)における諸制度の始祖という設定になっています。連中がこの件に関して言い逃れをすることはできますまい。
> 何せ、コレで否定しないと、続は玉皇を主権者として認めていない!玉皇から王に封じて貰ったわけではなく、自ら天意を受けて王の位に昇ったのだ!玉皇の天意は去った!我こそは天意を得た天子となるのだ!陛下と呼ばれて当然なのだ!と言うことになってしまうんですよねぇ…。まあ、コレが「実は竜王達が玉皇に対する叛乱を起こす伏線なのです!壮大な構想なのです!」なんて事は……まあ、まかり間違ってもないですよね…。コレで続は人に中国についての蘊蓄は語れないです。良かった良かった…。
いや、これって案外正しいのかも知れませんよ(笑)。すくなくとも牛種と玉皇大帝にとっては。
つまり、竜王一族は自分達の無知さゆえに、自分達が「陛下」と呼ばれていることが玉皇大帝に対する不敬の大罪に相当するということに気がついておらず、そのため不敬の大罪で竜王一族を処罰しようとしている牛種と玉皇大帝に対し「なぜ自分達が排除されなければならないのだ」という疑問をひたすら発しているというわけです(笑)。牛種&玉皇大帝と竜王一族との対立の真相というのは案外これが真相なのかもしれません(爆)。
これならば、創竜伝における一連の前世話の辻褄が全て綺麗に整合されます。全て「竜王一族の無知」が諸悪の根源であったということで(笑)。
> いえいえ、それこそ分かりませんよ…。竜王兄弟が仙界に帰った後で代理戦争に明け暮れる大人げない仙人達…。……やっぱりなさそうですね…。
> まあ、詳しく語られることもないでしょうねぇ…。でも、冒険風ライダー様ご指摘の通り、ここら辺で何かないと広げた風呂敷が畳めないはずですから、余の夢の中ぐらいで出てくるのではないでしょうか?申し訳程度に…(それも数行で終わる程度の分量の…)。でも、最近の傾向から、もう取材が必要な記述を創竜伝ではしないかも知れませんねぇ…。最近、田中芳樹、まともに中国史の資料も読んでないみたいですから…。
アレだけ大々的に「伏線」としてふれ回っておきながら、結末がその程度で終わってしまうというのならば「竜頭蛇尾」もいいところですね。かと言って、今更「伏線」を1000枚近くも執筆するというのはさらにありそうにないですし。
いっそ文献をごっそり作り変えて全くオリジナルな話でも作成してしまえば却って良かったのではないかと思うのですけどね。それこそ「フィクション小説」としての利点を生かす事だってできるでしょうに。何で田中芳樹はああまで文献・歴史に無理矢理でも忠実であろうとするのでしょうか? 見ていて滑稽でしかないのですけど。
> そう言えば、東海竜王は松永君の本当の飼い主と殴り合いしてて地上に落っこちたんでしたっけ(うろ覚え)?
創竜伝9巻・P114~P117で、例の犬の前世の飼主である赤城王との一騎討ちで「時空のはざま」に落ちてしまい、創竜伝12巻の舞台である中国・北宋時代にタイムトラベルしてしまったという設定となっています。ちなみに赤城王もまた青竜王と同時に「時空のはざま」に落下しており、唐王朝前期・7世紀の終わり頃にタイムトラベルしているようです。
赤城王という人物は、創竜伝を読んだ限りでは「一応牛種ないしは玉皇大帝の命令に従ってはいるが、彼らの方針には反発を覚えている」というタイプの性格であるようですね。
また出てきました。どもです。
冒険風ライダー様曰く…
> 天界の制度もそれで良いはずです。創竜伝7巻の座談会で連中はこんなことを言っていましたから↓
道教的世界だとどうなのかなぁ…と思ったのですが、引用されてる文章見る限り、創竜伝世界での仙界は自分の解釈通りで良いはずですね。
> ここまで断言しているのですから、その天界の制度の中でも最重要な制度であるとも言える王の序列制度だけが例外であるなどということはありえません。むしろ、ここで言われているように、創竜伝では天界のシステムこそが人間世界(まあこの場合は中国なのでしょうが)における諸制度の始祖という設定になっています。連中がこの件に関して言い逃れをすることはできますまい。
ここら辺はちゃんと下っ端から上まで用意されていてさすがと思うんですが、道教的世界だと最高神が必ずしも玉帝と言うわけではないあたりが、本来問題なんですけどねぇ…。まあ、そこら辺の矛盾は、かる~く無視してますけど…。
そう言えば、玉帝の住む水晶宮(でしたっけ?)って初期FFを思い出す設定ですね。
> これならば、創竜伝における一連の前世話の辻褄が全て綺麗に整合されます。全て「竜王一族の無知」が諸悪の根源であったということで(笑)。
そうか…彼らの罪は不敬罪だったのですね…。でもそうすると、四兄弟は諦めてお縄につくんですかねぇ…。やっぱり追いつめられて反逆者になるんじゃないかなぁ…。で、孫悟空に退治されると…(マイナーなところで彼の娘の孫[月孛]星か?と言う説も…)。
そう言えば、自分の家頁でかなり前に、小早川奈津子=実は孫悟空説と言うのがありましたねぇ…。竜堂四兄弟に前世があるなら、小早川奈津子にもないとおかしいと云うことになって…。最終決戦ではドラゴンボールの魔人ブーのように縮むか、実は精巧に作られたパワードスーツで、中から人が出てくるかするんだろう!と言うところで落ち着いたんですけどねぇ…。
> いっそ文献をごっそり作り変えて全くオリジナルな話でも作成してしまえば却って良かったのではないかと思うのですけどね。それこそ「フィクション小説」としての利点を生かす事だってできるでしょうに。何で田中芳樹はああまで文献・歴史に無理矢理でも忠実であろうとするのでしょうか? 見ていて滑稽でしかないのですけど。
まあ、背伸びして読んでるかどうか分からない文献巻末に並び立ててる頃は良かったんですが、最近は辞書の類を作中で出してくるぐらいですから、怠慢も良いところですよ…。
> 創竜伝9巻・P114~P117で、例の犬の前世の飼主である赤城王との一騎討ちで「時空のはざま」に落ちてしまい、創竜伝12巻の舞台である中国・北宋時代にタイムトラベルしてしまったという設定となっています。ちなみに赤城王もまた青竜王と同時に「時空のはざま」に落下しており、唐王朝前期・7世紀の終わり頃にタイムトラベルしているようです。
> 赤城王という人物は、創竜伝を読んだ限りでは「一応牛種ないしは玉皇大帝の命令に従ってはいるが、彼らの方針には反発を覚えている」というタイプの性格であるようですね。
あ、えーと…。みなさんご存じだと思っていたんですけど、実は赤城王って実は顕聖二郎真君のコトなんですよね…(『封神演義』でおなじみの…って本当はちょっと違うんだけど…)。ですから、松永君の正体は哮天犬なんですよね…。
で、実は赤城王と言う名前は、唐の玄宗が彼を王に封じたときの封号なので、まあ、唐代に落っこちたというのも納得ですね…。宋代の眞宗の時に清源妙道真君に封じられてますからねぇ…(と言うことで、実は神様の封爵を行うのは道教好きの皇帝と相場は決まっているのです。実際的には玉帝じゃないんですよ…)。ここら辺も巧いこと汲むことが出来れば、面白い小説になったかも知れないんですけどねぇ…。
で、何故二郎神が唐代に落ちたかというと、井上祐美子『長安異神伝』に登場するためか?と穿った見方したのですが、ワザワザ調べるのも馬鹿馬鹿しいですね…。
冒険風ライダー様曰く…
> それとさらに言わせてもらうと、この社会評論の前置きとなっている太真王夫人のセリフ「中国では吸血鬼の話を聞かない」ですけど、実はここからすでに事実関係が間違っているんですよね(笑)。中国にも吸血鬼の話は存在しますし、それどころか、かつて日本でも大ブームを起こして広く知られたことがあるのです。まあ連中が「つんぼ」で中国版吸血鬼の話を聞かなかったとでも言うのであれば、連中がその話を知らないのも当然ではあるのですけど(笑)。
> 1985年、香港で「霊幻道士」という映画が製作され、しばらくして日本でも公開されました。この「霊幻道士」という映画の特徴は「キョンシー」という中国版吸血鬼を売りにしていたことで、ホラーであるにもかかわらず、その珍しい格好や手を前に突き出してジャンプするユニークな歩き方などで多くの人を惹きつけ、当時ホラー映画ブームとなっていた日本で大人気となりました。そしてその2年後の1987年1月には、その「霊幻道士」のパクリであると言われている「幽幻道士」が、当時のTBS系列番組「月曜ロードショー」で放送され、これが小中学生の圧倒的人気を獲得、キョンシーブームは一気に爆発したのです。
と言うわけで、僵屍(きょうし)のコトも調べてみました。
自分のイメージとしては、僵屍はゾンビーとか、マミーのようなイメージだったので、吸血鬼というのは違和感を覚えたので、篠田耕一『幻想世界の住人たちIII〈中国編〉』新紀元社 と実吉達郎『中国妖怪人物事典』講談社 で調べてみたところ、やはり、僵屍には吸血鬼としての側面もあるようですね…。
しかし、バンパイアと違うのは首筋から優雅に血を吸うのではなく、狙いを定めた人間を襲って殺し、力任せに首をへし折って、溢れる血を乾くまで飲み干すようです(嗚呼おっかない…以上『幻想世界の住人たち』)。しかし、数ある僵屍の伝承の中でも、この吸血説話に関しては非常に希らしく、時代的にも比較的新しくて、どうも明代以降のお話になるようです。
また、ヴァンパイアと違って僵屍は生前の配偶者を訪れることが多く、配偶者が浮気でもしていようモノなら、それこそ血の惨劇になる…という、優雅の欠片もないスプラッタでサイコなモノのようです。そのせいか、血を吸うと言うよりは、“取り殺す”という伝承になってしまうようで、その辺を『中国妖怪事典』は強調してます。また、僵屍の不死性も血には関係なく、“何故か死後硬直が解けて死んでからも動き回る死体”なわけですから、一概にヴァンパイヤとは比較できないと思います。とは言え、一次史料の数をこなしたわけではないですから、曾孫引きの結果での感想ですが…。
それと、文献読んだ限りでは僵屍に噛みつかれて仲間を増やす、という記述に当たらなかったので、或いは映画化の時にゾンビかドラキュラでも参考にしたモノと思われます。向こうの映画は常にパクリ倒しますからねぇ…。向こうではパロディーとして通じても、外国から見たら流石にモトネタ知らないだけにそう言うもんだと思っちゃいますからね…。今も昔もそう言うのは難しいです。
おそくなりましたが。
> ただ、問題となっているあの社会評論の場合、あくまでも「宋王朝の初代皇帝・趙匡胤に対する非礼云々」の問題を指しているだけであるのならば、言っている事は充分に正しいと言えるわけですよ。あの当時には確かにそのような常識が存在したわけですから。これが暗に現代日本の改元を揶揄していると言うのであれば論外というしかありませんが。
しかし「現代の日本とは違い、この時代は、それが常識であった」ということを示す何らかのフォローも無しに、中国史に明るくない読者がこの部分に触れれば、否応無く日本における改元を想起し、その他の社会評論との流れで「ああ、だから日本は…」となってしまう可能性が高いのではないでしょうか。
> しかし田中芳樹って、天皇制関連に関してはほとんどと言って良いほど言及したことがないんですよね。かろうじて天皇と関連がありそうな記述がひとつあるだけです。
>
> 創竜伝4巻 P159上段
> <一九八八年末に、皇居の門前で記帳がおこなわれたとき、その列に並んだ女子高校生が明言した。「こういう風潮には、進んで乗らなきゃ」と。風潮に疑問をいだいたりしてはいけない。バスに乗りこんで、乗りこもうとしない人々を罵倒するのが、日本人としての正しいありかただ、ということである。乗りこんだバスの行方など考えもしないのである。>
>
> 例の「流行大好き日本人」を揶揄している個所で、当時の昭和天皇の御容態を心配する人々が記帳するのを罵倒しているところから、かろうじて「天皇もしくは天皇制に対して何か不満に思うところがあるのか」と推測できるだけです。
> 天皇制について書くと後々面倒なことになるから、あえて避けて通ったというところでしょうか。あの作家の「民主主義真理教」から考えると、多分天皇制に対して否定的に見ているだろうなとは容易に推測することができるわけですが。
天皇制に関しては、その他だと「七都市物語」で、サンダラーと何処かの都市の交戦が終了した後に行われた要人同士の会談にて、「昭和天皇の戦争責任問題」を髣髴させるやりとりがあったように記憶しております。確か、勝利した方の代表が「戦争責任が、国家元首に無いと言うのは問題ですな」などと発言していたはず。こちらは、冒険風ライダーさんの引用例以上に遠まわしですけれども。
> しかし「現代の日本とは違い、この時代は、それが常識であった」ということを示す何らかのフォローも無しに、中国史に明るくない読者がこの部分に触れれば、否応無く日本における改元を想起し、その他の社会評論との流れで「ああ、だから日本は…」となってしまう可能性が高いのではないでしょうか。
これは、中国史に明るくない読者が悪いんじゃないでしょうか?
私は、かえって「現代の日本とは違い、この時代は、それが常識であった」などと入れる方が小説を政治(評論)に刷り寄せているようで問題だと思います。
> 天皇制に関しては、その他だと「七都市物語」で、サンダラーと何処かの都市の交戦が終了した後に行われた要人同士の会談にて、「昭和天皇の戦争責任問題」を髣髴させるやりとりがあったように記憶しております。確か、勝利した方の代表が「戦争責任が、国家元首に無いと言うのは問題ですな」などと発言していたはず。こちらは、冒険風ライダーさんの引用例以上に遠まわしですけれども。
これもさすがに田中氏がかわいそうではないかと。
それを言ったら国家元首の戦争責任を問うフィクションは書けなくなってしまいますよ。
> これは、中国史に明るくない読者が悪いんじゃないでしょうか?
> 私は、かえって「現代の日本とは違い、この時代は、それが常識であった」などと入れる方が小説を政治(評論)に刷り寄せているようで問題だと思います。
この件に関しては、その通りですね。私が甘えていました。ただ、
> これもさすがに田中氏がかわいそうではないかと。
> それを言ったら国家元首の戦争責任を問うフィクションは書けなくなってしまいますよ。
こちらは、発表されたのが「小説ハヤカワ『ハイ!』」1号(「SFマガジン」1989年4月増刊号)でしたので、時期的に、タイムリーな話題を遠まわしに折りこんだのではないかと判断しました。事実、サヨクにかぶれていた私は(リアルタイムではなく単行本刊行時ですけど)そのくだりを読んだ時に、「昭和天皇の戦争責任問題」を想起しましたし。
最初の元号関連に関しては管理人さんからのレスで納得なされたみたいですので、私はもうひとつの七都市物語の方にのみ言及することにしましょう。
> 天皇制に関しては、その他だと「七都市物語」で、サンダラーと何処かの都市の交戦が終了した後に行われた要人同士の会談にて、「昭和天皇の戦争責任問題」を髣髴させるやりとりがあったように記憶しております。確か、勝利した方の代表が「戦争責任が、国家元首に無いと言うのは問題ですな」などと発言していたはず。こちらは、冒険風ライダーさんの引用例以上に遠まわしですけれども。
七都市物語 P248
<二月半ば、サンダラー市長のヘンドリック・セイヤーズ氏が和平交渉のためにタデメッカ市を訪れた。彼は二一九一年四月、前任者ワン・シューの引退にともなってサンダラーの元首となった人だが、今回の出兵が軍部の主導によっておこなわれたこと、自分は出兵に一貫して反対であったことを執拗に訴えた。
「そうかもしれませんな。ですが、他人がやったことでも、当人にとって不本意なことであっても、それが国家の名においておこなわれた以上、最高責任をとらねばならないのが元首の立場というものです。戦争をおこした国家の元首に戦争責任がないとしたら、人の世に戦争責任など存在しませんよ」
タデメッカ市の総裁はそう答えた。オブザーバーとして出席していた(させられていた)リュウ・ウェイは考えた。りっぱな発言だ、願わくば発言者自身がその立場に置かれたとき、発言にふさわしい行動をとってほしいものだ、と。>
モトラさんが挙げていた七都市物語の記述というのは↑これのことなのでしょうが、しかしこれを普通に読んでも「天皇制はケシカラン」といったメッセージは特に伝わってこないのですけど。
この記述は別に「天皇制」について一言半句も触れてなどいませんし、「戦争責任云々」についても、タデメッカ市の総裁がサンダラー市長に対してお説教するためだけに出しているとしか、普通に読んだら解釈のしようがないでしょう。それにリュウ・ウェイの皮肉がサンダラー市長ではなく、発言者のタデメッカ市長に向けられているところを見ても、この一連の記述は「戦争責任云々」よりも「普段偉そうなことを言っている権力者の言行不一致」に対する皮肉なのではないかと私は解釈したのですけど。これと同じような皮肉は七都市物語中の別の記述(「ペルー海峡攻防戦」と「ブエノス・ゾンデ再攻略戦」)にもいくつかありましたし。
仮にモトラさんが仰るように、
> 時期的に、タイムリーな話題を遠まわしに折りこんだ
という説が正しかったとしても、このエピソード自体はきちんと小説内で完結しているのですから、特に問題にしなければならないような記述とは言えないのではないでしょうか。
> > 時期的に、タイムリーな話題を遠まわしに折りこんだ
>
> という説が正しかったとしても、このエピソード自体はきちんと小説内で完結しているのですから、特に問題にしなければならないような記述とは言えないのではないでしょうか。
このサイトで主目的として取り上げている問題は、田中芳樹が左翼(ご当人はそうは思っちゃいないでしょうけど)であることではなく、彼自身の思想が小説を破壊し、かつ無責任な手法で社会評論をやっていると言うことです。
話題が、元号の件から天皇制の認識へと変わってしまい、申し訳ありません。
> モトラさんが挙げていた七都市物語の記述というのは↑これのことなのでしょうが、しかしこれを普通に読んでも「天皇制はケシカラン」といったメッセージは特に伝わってこないのですけど。
> この記述は別に「天皇制」について一言半句も触れてなどいませんし、「戦争責任云々」についても、タデメッカ市の総裁がサンダラー市長に対してお説教するためだけに出しているとしか、普通に読んだら解釈のしようがないでしょう。それにリュウ・ウェイの皮肉がサンダラー市長ではなく、発言者のタデメッカ市長に向けられているところを見ても、この一連の記述は「戦争責任云々」よりも「普段偉そうなことを言っている権力者の言行不一致」に対する皮肉なのではないかと私は解釈したのですけど。これと同じような皮肉は七都市物語中の別の記述(「ペルー海峡攻防戦」と「ブエノス・ゾンデ再攻略戦」)にもいくつかありましたし。
> 仮にモトラさんが仰るように、
>
> > 時期的に、タイムリーな話題を遠まわしに折りこんだ
>
> という説が正しかったとしても、このエピソード自体はきちんと小説内で完結しているのですから、特に問題にしなければならないような記述とは言えないのではないでしょうか。
受け取る側である私のパーソナリティーが、問題ありだったということでしょうかね。自分が考えていた以上に、偏執的なサヨク信者だったのかな…ただ、このことはずっと以前から気になっていたものの、私の周囲に、ほとんど田中芳樹の読者が居らず、意見を聞く機会もなかったので、今回、他の方々のそれが頂けたことは嬉しく思います。
蛇足ながら、この話題で思い出したことなど。
「七都市物語」の少し前に刊行された、現実世界と接点の無い作品「タイタニア」にも「暴走する原子炉のように~」という、比喩表現が有りました(タイタニアの支配する時代に利用されている原子炉というより、やはりこれは、刊行当時、社会問題になっていた、広瀬隆「危険な話」によって火のついた反原発運動の隆盛を意識したものでしょう)。読み返せばまだ見つかるかも。当時、思想的な面も含めてファンであった方々、もしくは現役の田中芳樹ファンの皆さんは、このような社会事象を下敷きとしたと思える表現を、どのようにとらえていらっしゃったのでしょうか。「おいおい、こんなところにまで社会問題持ちこむなよ」とツッコミ入れるのに、私は長い年月を要しましたが。
> > > 時期的に、タイムリーな話題を遠まわしに折りこんだ
> >
> > という説が正しかったとしても、このエピソード自体はきちんと小説内で完結しているのですから、特に問題にしなければならないような記述とは言えないのではないでしょうか。
>
> このサイトで主目的として取り上げている問題は、田中芳樹が左翼(ご当人はそうは思っちゃいないでしょうけど)であることではなく、彼自身の思想が小説を破壊し、かつ無責任な手法で社会評論をやっていると言うことです。
確かに、サイトの趣旨とズレのある指摘になってしまいましたね。この話題をふりかえって実感しましたが、どうにも私の場合、田中芳樹については、自分が進歩的価値観にはまっていた時期、その作品に触れたという事実の影響が、思っていた以上に大きなものであったようです。あとは、自分でケリをつけます。お相手してくださった冒険風ライダーさん、宣和堂さん、そして管理人さん、どうもありがとうございます。