今回より、創竜伝6の批評に入ります。創竜伝6では、四人姉妹による50億人抹殺計画「染血の夢」なるプロジェクトが発動するのですが、竜堂兄弟が感情とヒューマニズムだけで反発しているのが、ストーリーを盛り下げているような気がするのは私だけでしょうか?
それでは批評に入りましょう。
創竜伝6 「染血の夢」
1990年6月15日 初版発行
P18下段~P19上段
<文部省が「教育正常化モデル県」と胸を張った四国のある県では、小学校の給食のとき、「三角食」という食べかたが指導された。給食が配られると、まず子供たちは牛乳をひと口飲み、つぎにパンをちぎって食べ、つぎにおかずをひと口食べる。つぎにまた牛乳をひと口飲み、パンをちぎり、おかずを食べる。この順番がひとつでも狂うと、教師の怒声がとび、子供は平手打ちをくらうことになる。
「パンを食べてから牛乳を飲むとは、何というけしからん奴だ、赦せん!」
さらに、「授業中には顔を正面に向けたままでいること。けっして動かしてはいけない」とも定められた。授業中、校長が教室の後方のドアをこっそり開けて室内に忍びこむ。そしていきなり教室の壁を蹴りつける。その音におどろいて振りむいた生徒は、校長と担任教師の両者から平手打ちをあびせられることになる。
このように、学校と刑務所の区別もつかない狂信的で愚劣な支配体制が、どうやら文部省の理想であるらしい。むろん、竜堂司は、そのような愚劣な管理法を教育だなどとは思わなかった。彼は教育界の大物だったので、晩年に、国から勲章をもらうという話もあったが、あっさりことわっている。「教育と勲章とは、まったく無縁のものだ。勲章なんてものをもらって喜ぶのは軍人と幼児だけだ、と、芥川竜之介もいっている」と司はいい、その発言でますます文部省から憎まれることになったのである。>
いつも思うのですが、田中芳樹は、中高生向けの小説で学校問題の社会評論を展開することで、中高生の読者に「これはウソだ」と見破られる可能性を考えた事はないのでしょうか。学校に通っている中高生は、少なくとも田中芳樹よりは学校の実情を知っているでしょうに。
「三角食」というのは聞いた事がありますね。四国ではありませんが、私が小学生の頃に通っていた学校でもそんな教育をしていました。私の場合、ここに書いてあるような暴力的行為は全くありませんでしたし、ごく自然に受けいれていましたけど。それに「授業中には顔を正面に向けたままでいること。けっして動かしてはいけない」と教える事がそんなに悪い事なのでしょうか。今の学級崩壊の実情を見れば、この教育はむしろ推進すべき事だと思いますけどね。「教師の暴力」などの記述は、読者に悪しきイメージを植えつけるいつもの反日評論のやり口ですから無視してかまわないでしょう。学校がしつけをする事がそんなにいけない事なのでしょうかね。
で、ごく当たり前の教育をしている学校を指して「学校と刑務所の区別もつかない狂信的で愚劣な支配体制」などと一方的な断定をしている神経もスバラシイものがあります。自分が絶対の正義であると思わなければ、こんな断定はできませんものね。しかもご丁寧に「教育と勲章とは、まったく無縁のものだ。勲章なんてものをもらって喜ぶのは軍人と幼児だけだ、と、芥川竜之介もいっている」などと芥川竜之介まで引き合いにだして主張していますが、だとすると教育関係者で勲章をもらっている人は「幼児」なみの思考しか持っていないということでしょうか。教育に携わる人で勲章をもらっている人は結構多いですし、勲章が名誉と思っている教育関係者もいるでしょう。そういった人達を、「ついでに」貶めている軍人といっしょに「幼児」レベルの人間とまで言って恥ずかしくないのでしょうか。「人を思いやる想像力」が欠如していませんか?
田中芳樹よ、世の中はあなたの考えをしている人間ばかりであふれかえっているのではなく、自分の考えが絶対的に正しいなんて事はないという事実を、早く悟っていただきたい、と申し上げておきます。これは私があなたから教わった事なんですけどね。
P30下段
<誰もが目を閉じ、耳をふさぎ、口をつぐみ、記憶を冷凍させることになっていた。「国家級の軍事機密」といういかがわしい一語で、民主主義の総本山でも言論を封じこめることができるというのは、奇怪な事実であろう。>
私に言わせれば、「民主主義の総本山」という理由だけで、何でもかんでも情報公開しなければならないなどと現実無視な主張をする人がベストセラー小説家であるというのは、非常に奇怪な事実なんですけどね~(^_^)。
民主主義の国だからといって何でもかんでも情報公開していたら国が成り立たない事くらい、素人でも分かりそうなことなんですけどね。まあだからといって「何でもかんでも国家級の軍事機密」というのもおかしい事なのでしょうけど。公開すべき情報と公開すべきでない情報を国民によって選別できるのが、本当の民主主義(なんか田中芳樹的な言い方でいやなのですけど)というものなのではないでしょうか? 情報公開と情報秘匿、どっちにしても、行き過ぎは良くないという事です。
P41下段~P42上段
<「そう、私はホイスラーだ。人類に愛と夢をもたらす異次元からの使者だよ。日本にも何度か行ったことがある。ほれ、TVに出演してスプーンを曲げてみせたじゃないか」
「あいにくと、ぼくたちは、食物と食器をたいせつにしよう、という伝統的文化で育ちましたのでね。スプーンが曲がったからといって、愛や夢を感じはしませんね。あなたが念動力とやらでスプーンを曲げたら、アフリカの飢えた子が救われるとでもいうんですか」
日本語が英語になっても、続の毒舌には容赦がない。
(中略)
ようやくホイスラーは反論した。
「小説家だって画家だって、自分の才能を売って金をかせいでいるじゃないか。私が自分の特技を生かして、どこが悪い」
続は冷笑した
「すこしも悪くはありませんよ。あまり権力者にむかって尻尾を振りすぎると、尻尾が痛むんじゃないか、そう思うだけです」>
前半部分だけを取り上げて批判するのは不公平かな、と思って後半部分も取り上げました。
さて、「スプーンが曲がったからといって、愛や夢を感じはしませんね」というのは竜堂続の勝手ですけど、「あなたが念動力とやらでスプーンを曲げたら、アフリカの飢えた子が救われるとでもいうんですか」はいくらなんでも言い過ぎなんじゃないですか? 芸能人などに対する田中芳樹の考えが凝集していますね。この論理を使うと、「田中芳樹よ、あなたが偏向した社会評論を使って小説を書いたら、ユーゴの紛争で苦しんでいるアルバニア難民が救われるとでもいうんですか」って主張できるんですけど。ホイスラー氏も、別にやりたくてスプーン曲げをしているわけではなく、職業上の必要と自分の生活に迫られてやむをえず仕事としてやっているのでしょう。それとも芸能人が仕事をして得た金は、すべて弱者に恵まなければならないのですか? 少なくとも苦労知らずの竜堂続に比べれば、よほどホイスラー氏の方が現実的な正論を主張していると思いますけど。
それと竜堂続よ、あんたの毒舌は結構好きですけど、自分が「創竜伝の権力者」とは全く別の意味での権力者であるという自覚がありますか?
P54下段~P55上段
<フェリーの発着所で新聞を買って、一同は見出しだけでも何か竜堂兄弟に関する手がかりがないかと探した。収穫は無であった。いまさらのことではないが、失望を禁じえず、やつあたりぎみの発言が出る。
「情報過剰の時代だなんていわれるが、そんなことはないな。どうでもいいニュース、たとえば芸能人の離婚とか浮気とかはしつこく報道されても、重要な情報は無視されるものなのさ」
「そういえば、アメリカ航空宇宙局が宇宙探査に関して公表する情報は、全体の四パーセント以下にすぎないそうだな。残りの九六パーセント以上は秘密にされている。まったく、裏で何をやってるんだか、わかったものじゃないな」
虹川が首をふった。
「日本だってそうさ」
蜃海三郎が眉をひそめた。
「日本には記者クラブという世界ただひとつの奇怪な機構があってな。これに参加していないと、大臣の共同記者会見などから締めだしをくらってしまう」
図書館でとってきたコピー用紙をファイルにおさめながら、蜃海の声は吐きすてるようだった。TV記者や外国新聞の記者が記者クラブに参加しようとすると、大新聞がそれを妨害する。そのような信じがたい実例がいくらでもあるのだ。首相の記者会見のときなど、あらかじめ記者クラブのほうから質問予告表を首相の秘書官に手渡す。もし予告表にない質問をした場合、その記者は他の記者によって排除されてしまうのである。
「新聞記者が自分たちの手で言論を統制してやがるんだ。こんな民主主義先進国が、地球上のどこにあるかよ」>
新聞で竜堂兄弟の事が載っていないだけで、何で日本の新聞記者達がここまで罵られなければならないのでしょうかね~(-_-)。本当にやつあたりな発言ですね。
「情報過剰の時代だなんていわれるが、そんなことはないな」って、このあふれかえった情報のどこをみてそんな断定ができるのでしょうか? あなたたちの大好きな「政治家の汚職」や「政治批判」の情報だって腐るほどありますよ。私もこのところそんな情報ばかり見ているので少し食傷気味なくらいです(^^;)。
それと記者クラブの批判は私も同意しますけどね、それをもって「新聞記者が自分たちの手で言論を統制してやがるんだ。こんな民主主義先進国が、地球上のどこにあるかよ」って評するのは、めちゃくちゃに論理が飛躍していませんか? 朝日や毎日の反日ぶりは何なのです? 産経や読売の政治批判は? 言論統制されているならば、これらが大量にあふれかえっているはずがないのですけどね~(^_^)。それから「新聞記者が自分たちの手で言論を統制してやがる」「民主主義先進国」とやらは、本当に地球上のどこにもないのですね? ほかでもない、創竜伝のアメリカの新聞が、四人姉妹のいいなりになって「自分たちの手で」言論統制をしているように見えるのは、私の気のせいでしょうか?(-_-)
P56上段~下段
<「いやねえ、金銭にあかせて土地やビルを買いあさってる日本人が、こんなところまでやってきたわよ。ミシシッピの河岸まで買いしめる気かしら」
そういうささやきが聞こえるような気がするが、これは茉理の意識過剰であるかもしれない。主婦や学生までもが株や不動産の投機に狂奔するような、異常な拝金主義の国からやってくると、ついつい、とがめられているような気分になる。>
「かもしれない」ではなく、本当に「意識過剰」ですよ。「主婦や学生までもが株や不動産の投機に狂奔するような、異常な拝金主義の国」って、それはアメリカの事でしょう。少なくとも日本では、株や不動産に対する投機は少なくともアメリカに比べたら一般化してないのですよ。アメリカと違って、日本では株なんて一般市民にとって遠い世界の出来事でしか、今のところないのですから。平均株価がいくら上がろうが下がろうが、大半の人にとっては景気判断の材料にしかならないのですよ。土地の値段の方も「マイホームを買おうかな」という時ぐらいしか普通は関心がないでしょう。当時だって、主婦や学生が「株や不動産の投機に狂奔する」なんて話を私は聞いた事がないのですけど。
P66上段~下段
<「支配者にとって、民衆は無知であるほうが望ましい。北朝鮮でもアルバニアでも、徹底した情報統制によって、民衆は外の世界を知らされずにいる。徳川幕府二六〇年の平和だって、鎖国によって始めて成立したようなものだ」
そのような話をクラークが持ち出してきたのには、何か理由があるはずだった。相手になったのは蜃海である。
「まさにそのとおりだ。日本人の大半は、自分たちが言論の自由な社会に住んでいると思いこんでいる。知りたいことは何でも知らせてもらえると信じている。あるていどまでは真実さ。日本人の知りたいことといえば、芸能人のスキャンダル、犯罪の被害者のプライバシー、そういったことで、権力者にとっては痛くもかゆくもないからな」>
この会話を聞いている限りでは、両者の日本人に対しての認識にほとんど差がありませんね。いつものことながら、なぜ対立しているのか理解に苦しみます。
それにしても北朝鮮の情報統制と「鎖国」とを同一視されるとは、徳川幕府も気の毒に……(T_T)。そもそも「鎖国」という言い方自体も後世に造られた造語なのだそうで(1810年頃に最初に言われはじめ、言葉として定着したのは明治維新後)、別に徳川幕府が外から来る情報を閉ざしていたわけではないんですよ。中国やオランダから情報を集めていましたし、琉球などからも外国の情報が入ってきたようです。それに北朝鮮と徳川幕府とでは時代背景も政治体制も違うでしょう。全く違うものを、見た目だけで同一視しないでくださいよ。
それともう何回同じようなツッコミをしたかも忘れましたが、「日本人の知りたいことといえば、芸能人のスキャンダル、犯罪の被害者のプライバシー、そういったことで、権力者にとっては痛くもかゆくもないからな」って、日本人がそこまでゴシップ記事ばかり追っているとでも思っているのでしょうか。「権力者」とやらがいつも汚職追及されている光景を見たことが無いんですかねえ。
P69上段~下段
<「心配は無用だよ、ミス・トバ。日本人はほぼ全員、救われることになっているからね」
「信じていいのかしら」
「むろんだとも。日本人は役に立つからね。このごろは欲に目がくらんだ連中が増えて、株は値下がりしないものだ、なんて愚かなことを信じこんでいるらしいけど」
クラークは何十度めかの笑いを波だて、その悪意ある表現に、茉理は反論できなかった。それにしても、クラークは、ミシシッピの河上では単純明快そうな青年に見えたのに、一秒ごとに影が濃く、しかも濁ってくる感じであった。
「だが、それでもまだ日本人は役に立つからね。権力を持った人間にはけっしてさからわないし、大きな矛盾や不正には目をつぶって、与えられた枠のなかで自分の地位を高めようとする。そして確かに勤勉で処理能力はあるしね」
「全くその通りだとは思うが、四人姉妹の一員にいわれると腹がたつよな」>
ますます対立の接点が分からなくなりました。そこで同意してどうするのですか。話が進めば進むほど、四人姉妹と竜堂兄弟たちがなぜ対立しているのかが不明になっていくのでは、小説のストーリー展開そのものに問題があると言わざるをえませんね。そもそも竜堂兄弟一党は、四人姉妹の何がそんなに不満なのでしょうか。反日主義という点では全く同じな上に、四人姉妹の主張や正義に対して、何か論理的な反論を展開している光景がこの先にも全くないので(安っぽいヒューマニズムを唱えて「対抗しているつもり」になっている個所ならありますけど)、単に権力=悪という思いこみと感情だけで対立しているのではないかと考えているのは私だけでしょうか。
ここの記述でも、ランバート・クラークのめちゃくちゃに的外れな日本人論に全面的に同意していますし、日本人を弁護しようとは全く考えていないようです。あまりにも両者の対立の接点がわからないので、四人姉妹の陰謀である「染血の夢」なんてシロモノを設定したのでしょうけど、竜堂兄弟一党がそれに対して論理的な反論ができていないのが、創竜伝のストーリー展開をつまらないものにしていますね。しかも結局、この「染血の夢」の真の目的は何だったのかも分からずじまいです。何がやりたかったのでしょうね、この計画は。
P99下段~P100上段
<かつて日本で遊園地を舞台に、竜堂兄弟は悪漢どもと渡りあい、遊園地の半分ぐらいは営業停止に追いこんでしまった前科がある。あくまでも敵の攻撃に対応してそうなってしまったのだが、はっきりいって竜堂兄弟にとっては、巨大資本が経営する料金すいあげ装置の営業などより、自分たちの自由と生存権のほうがよほどたいせつであった。
だが、病院や老人ホームとなると、話は別である。これは正義の論理とか人道主義思想としてそうなるのではなく、感情としてそうなってしまうのだ。>
語るに落ちた、とはまさにこのことですね。竜堂兄弟の行動原理は感情の所産である、と自ら語ってくれたのですから。病院や老人ホームだと攻撃をためらうのに、「巨大資本が経営する料金すいあげ装置の営業」に携わる人のことは何も考えていないのですね。「巨大資本が経営する料金すいあげ装置」が営業停止になれば、彼らはたいへんな迷惑をこうむるのですよ。それは何も社長やその重役だけでなく、その下で働いている平の従業員や社員も、被害をこうむるという点では全く同じです。彼らだって自分たちの生活の為に「巨大資本が経営する料金すいあげ装置」で働いているということが分かっていないようですね。彼らに対して何も考えない竜堂兄弟の想像力の貧困ぶりには本当に恐れ入りますよ。どうせ彼らを全てひっくるめて「巨大資本の下僕」とでもみなしているのでしょうけど。
まあ私は「正義の論理」も「人道主義思想」も嫌いなんですけどね。内容ではなく、これらの主張が「イデオロギー絶対主義」となっている所が、ですけど。
P111上段~下段
<インサイダー取引の罰は、アメリカでは重く、日本では軽い。日本では、六ヶ月以下の懲役と五〇万円以下の罰金でしかない。アメリカでは一〇年以上の懲役、一〇〇万ドル以下の罰金、さらに民事制裁金として「不当にえた金額の四倍までの金額」を支払わなくてはならない。たとえば、不正なインサイダー取引によって一〇〇億円の利益をえた場合、日本ではたった五〇万の罰金を支払えば、残る九九億九九五〇万円は丸もうけである。だがアメリカでは、最高四〇〇億円の罰金を支払わなくてはならない。不正を防ぐ上で、実効力に大きな差が出てくるのは当然である。>
私は銀英伝の救国軍事会議のお歴々の演説でも聞いているのでしょうか? 「汚職には厳罰を」って、あの連中の主張そのままではないですか。汚職をしたら厳罰を与えさえすれば良いのですか? 厳罰だけで汚職が抑止されるのですか? そして日本とアメリカの違いを、もっと詳しく検証しているのですか? 政治家の大半が裕福な金持ち(資産50~100億が平均でしょうね。ひょっとするとまだあるかも)であるアメリカと、そうではない日本との違いを、少しは考えているのですか? 田中芳樹はいつから戦前の右翼の青年将校のような考えにとりつかれたのでしょうか。
P128上段~下段
<イギリスの探偵小説に、つぎのような皮肉な会話が描かれたことがある。
「どうして、あなたがた政治家は、私たち国民をばかにするんですか」
「君らが私に投票したからさ」
……日本国首相は、「札束や票や株の数字は読めても、文字は読めないんじゃないか」と酷評されるような人で、探偵小説など読んだことがない。だが、イギリスでは小説のなかでのできごととしても、日本ではどうやら違うようであった。>
ちょっとちょっと、日本の有権者をなめるのもいいかげんにしなさいよ。「こんな政治家を採用しやがって。俺なら絶対に落選させるね」という、何とも傲慢な姿勢を感じますよ。田中芳樹には民意というものがよほど愚劣なものとでも思っているのでしょうか。こんな人が民主主義を崇拝していてもねえ……。
P131上段~下段
<「そうそう、福祉といえば……。消費税は社会福祉に使う、したがって消費税に反対する奴は福祉の敵だ。そういう論法を持ち出したら、たちまち反対の声が低くなってしまった。あんなお粗末な論法が通用するとは、正直思わなかったが、いや、たいした効目だったわな」
「何しろ、消費税が福祉に費われるという証拠を見せろ、という者すら、めったにいなかった。福祉というだけで思考停止してしまうんですからな」
「いや、私がひそかに恐れておったのはね。福祉予算は優先的に一般財源から出すようにして、消費税は軍事予算にまわしたらどうだ、という皮肉な意見が出ることだった。そこを衝かれると、たしかに痛いわな。消費税が軍事予算にまわる、なんてことになったら、ま、たいていの人間は、やっぱり反対するわなあ。しかし誰ひとり、そんなことは、いってこなかった。あんまり敵が無能でも、つまらないもんだわな」>
いや~、私もあなたがたの意見に全面的に賛成ですよ。全く朝日の愚か者は「軍隊=悪」で思考停止しているものだから、うまい反論も思いつかずに消費税反対運動が挫折するのですよ。
全くこんな策士な田中芳樹が朝日新聞に入社しなくてよかったですよ。入社していたら、その害悪は創竜伝の比ではなかったでしょうからね。
P132下段~P133上段
<「大統領が債務不履行宣言を出しました!」
部屋に空白が満ちた。それがしりぞくにしたがって、衝撃と恐怖が沁みだしてきた。債務不履行とは、つまり「借金を返さない」ということである。アメリカは外国から借りた金銭をいっさい返さないというのだ。そしてアメリカは日本に対して二兆ドルの債務、つまり借金がある。
「に、二兆ドルの債務が帳消しになる……」
首相はあえいだ。具体的な金額を出されると、想像力がはたらくのである。彼は逆上し、あわててワシントンDCに国際電話をかけたが通じなかった。何度かけてもだめだった。
「やられた。日本は全滅ですよ。海外に投資した資金は全て回収不可能になってしまう」
まだ四〇代の建設大臣がうめいた。>
この債務不履行宣言で一番損をするのは、この宣言を出したアメリカ自身なのではないかと思いますね。信用ががた落ちし、アメリカのダウ平均株価が大暴落するのではないでしょうか。アメリカでは大半の人が株を所有しているので、株が下落すればたちまち不景気になりますし、債務を返さないなんて態度に出たら資金が入ってこなくなるので、あっというまにジリ貧に陥る可能性が高いでしょう。四人姉妹もアメリカの大企業という設定ですから、大打撃を受けて自滅するかもしれません。それに日本経済が「二兆ドルの債務が帳消しになる」程度で、「日本は全滅ですよ」とまでいうほどの大打撃を受けるのでしょうか? 「総量規制」では、日本の土地価格が約660兆円以上も下落し、しかも大量の不良債権が発生したのに、バブルが崩壊して不景気になっただけです(^^;)。債務不履行宣言くらいの損害でそこまで慌てふためく事もないでしょうに。
仮にここの記述が正しいとしても、この宣言で日本だけが苦しんでいるのも理解に苦しみますね。アメリカに金を貸しているのは日本だけではないのですよ。アメリカに金を貸している全ての国が大打撃を受けるという記述が抜けているのでは?
P138上段
<面積一〇〇〇坪をこす七階の全フロアを知事が独占し、そこには総大理石づくりの豪華な浴室があること。発ガン性物質であるアスペストが建築材料に使われていること。その他、知られてはまずいことがいくつも露見してしまった。それまで知事の評判はけっして悪くはなかったのだが、都庁舎のライトアップに毎年二三億円かかるとわかって、ついに皆、怒りだしたのだ。
「エネルギー節約が重要なこの時期に、なにがライトアップだ。そんなに金銭があり余っているなら、都営地下鉄の高すぎる運賃を値下げしたらどうだ。ライトアップに二三億円もかけるくらいなら、日本一高い住民税をさげろ!」>
この国には「贅沢は敵だ」というスローガンがまだ生きているのでしょうか? そりゃ行政の無駄遣いは私も好きではありませんけど、「そんな無駄金があるなら税金を下げろ、値段を下げろ」と露骨に絶叫するのは、はっきり言って自分のことしか考えていないエゴ丸出しな行為です。金持ちの贅沢を見て、「そんな事をする金があるなら福祉に寄付しろ」とか「あんたが贅沢をしている影で、どれくらいの人が貧困で苦しんでいるのか分かっているのか」などといって金持ちを脅すのと全く同次元の発言です。せめて「もっと有効な資金運用ができないのか?」って言えないのですか? 要するに、この連中はせいぜい「弱者」や「貧乏人」の立場にある自分の事しか頭にないのです。「文化は贅沢から生まれる」なんて視点は全くないのでしょう。日本でメディチ家のような資産家が生まれない理由も、これが原因のひとつなのではないか、と最近考えています。
まあ私も料金や税金が下がってくれたら嬉しいのですけどね(^^;)。
今回はこんなものですね。あ~長かった。
次で一気に創竜伝6を終わらせましょう。
お待ちしておりました。
>P18下段~P19上段
<文部省が「教育正常化モデル県」と胸を張った四国のある県では、小学校の給食のとき、「三角食」という食べかたが指導された。給食が配られると、まず子供たちは牛乳をひと口飲み、つぎにパンをちぎって食べ、つぎにおかずをひと口食べる。つぎにまた牛乳をひと口飲み、パンをちぎり、おかずを食べる。この順番がひとつでも狂うと、教師の怒声がとび、子供は平手打ちをくらうことになる。
「パンを食べてから牛乳を飲むとは、何というけしからん奴だ、赦せん!」
さらに、「授業中には顔を正面に向けたままでいること。けっして動かしてはいけない」とも定められた。授業中、校長が教室の後方のドアをこっそり開けて室内に忍びこむ。そしていきなり教室の壁を蹴りつける。その音におどろいて振りむいた生徒は、校長と担任教師の両者から平手打ちをあびせられることになる。
このように、学校と刑務所の区別もつかない狂信的で愚劣な支配体制が、どうやら文部省の理想であるらしい。むろん、竜堂司は、そのような愚劣な管理法を教育だなどとは思わなかった。彼は教育界の大物だったので、晩年に、国から勲章をもらうという話もあったが、あっさりことわっている。「教育と勲章とは、まったく無縁のものだ。勲章なんてものをもらって喜ぶのは軍人と幼児だけだ、と、芥川竜之介もいっている」と司はいい、その発言でますます文部省から憎まれることになったのである。>
また「ある県」ですか。
「ある学校」「ある教師」「ある識者」あるあるある、あるばっかり。
発信源を明らかにしないで「ある学者」「ある記者」「ある識者」では、
信憑性もへったくれもありません。
「ある学者がこう言った」という言い回しを聞いたら、十中八九それは
その人が勝手に作った創作だ、という話を、田中作品で読んだ記憶が
あるのですが、その田中先生ご自身が「ある県」「ある学校」「ある教師」
では、もはや苦笑するしかありません。
> いつも思うのですが、田中芳樹は、中高生向けの小説で学校問題の社会評論を展開することで、中高生の読者に「これはウソだ」と見破られる可能性を考えた事はないのでしょうか。学校に通っている中高生は、少なくとも田中芳樹よりは学校の実情を知っているでしょうに。
そうでもないです。中高生は、それが誇張または虚構であるとわかっていても、
何となく「教師」「学校」「権力」を非難する話には魅せられてしまうものです。
自分もかつてそうでした。
こんな「もず」か「百面相」レベルの文章でも、です。
管理人様が「はしかのようなもの」と表現されていますが、そのとおりだと思います。
> で、ごく当たり前の教育をしている学校を指して「学校と刑務所の区別もつかない狂信的で愚劣な支配体制」などと一方的な断定をしている神経もスバラシイものがあります。自分が絶対の正義であると思わなければ、こんな断定はできませんものね。しかもご丁寧に「教育と勲章とは、まったく無縁のものだ。勲章なんてものをもらって喜ぶのは軍人と幼児だけだ、と、芥川竜之介もいっている」などと芥川竜之介まで引き合いにだして主張していますが、だとすると教育関係者で勲章をもらっている人は「幼児」なみの思考しか持っていないということでしょうか。教育に携わる人で勲章をもらっている人は結構多いですし、勲章が名誉と思っている教育関係者もいるでしょう。そういった人達を、「ついでに」貶めている軍人といっしょに「幼児」レベルの人間とまで言って恥ずかしくないのでしょうか。「人を思いやる想像力」が欠如していませんか?
他人の価値観に一方的にケチをつけると同時に、軍人を蔑んでいます。
これはひどいですね。どうしてそこまで軍人を貶める必要があるのでしょうか。
「○○なんかで喜ぶのは、田中芳樹とサルぐらいだ」と書かれたら、ご本人は
どう感じるでしょうか。少なくとも、無礼極まりない書き方だということは
わかると思います。
>P41下段~P42上段
<「そう、私はホイスラーだ。人類に愛と夢をもたらす異次元からの使者だよ。日本にも何度か行ったことがある。ほれ、TVに出演してスプーンを曲げてみせたじゃないか」
「あいにくと、ぼくたちは、食物と食器をたいせつにしよう、という伝統的文化で育ちましたのでね。スプーンが曲がったからといって、愛や夢を感じはしませんね。あなたが念動力とやらでスプーンを曲げたら、アフリカの飢えた子が救われるとでもいうんですか」
日本語が英語になっても、続の毒舌には容赦がない。
絶句。こいつはいったい何様なんでしょうか。
どうも、田中先生の描く「敵役」は、ワンパターンですね。
自分の立場や名誉を自慢げに話して、それを下品で幼稚な毒舌で罵倒されて、
必死に反論しようとして果たせず、しどろもどろになる。
「創竜伝」という作品の、最も嫌な部分がこれです。
敵役も情けないですよ。反論の価値も無い幼稚な毒舌に対しては、
アッテンボロー氏直伝、「それがどうした」で返してやればいいのに。
>この論理を使うと、「田中芳樹よ、あなたが偏向した社会評論を使って小説を書いたら、ユーゴの紛争で苦しんでいるアルバニア難民が救われるとでもいうんですか」って主張できるんですけど。
あいにくと、ぼくたちは、紙を大切にしよう、という伝統的文化で育ちましたのでね。
他人が名誉に思っていることを蔑み嘲笑する小説を読んだからといって、愛や夢を
感じはしませんね。あなたが、偏向した社会評論を使って小説を書いたら、
アフリカの飢えた子が救われるとでもいうんですか
…と書いてみて、確かに、創竜伝を読んでも愛や夢は感じません。
ただ、他人を妬み蔑み嘲笑するいやらしさしか感じません。
> それにしても北朝鮮の情報統制と「鎖国」とを同一視されるとは、徳川幕府も気の毒に……(T_T)。そもそも「鎖国」という言い方自体も後世に造られた造語なのだそうで(1810年頃に最初に言われはじめ、言葉として定着したのは明治維新後)、別に徳川幕府が外から来る情報を閉ざしていたわけではないんですよ。中国やオランダから情報を集めていましたし、琉球などからも外国の情報が入ってきたようです。それに北朝鮮と徳川幕府とでは時代背景も政治体制も違うでしょう。全く違うものを、見た目だけで同一視しないでくださいよ。
見た目も全然違いますけどね…。
国家が何かを統制することは絶対悪!両者は絶対悪という共通点がある!
…こんなところでしょうか。
しかし、どうして日本の歴史になると、突然、歴史オンチになるのでしょうか。
>P18下段~P19上段
><文部省が「教育正常化モデル県」と胸を張った四国のある県
ってホントですかね? 70年代頃にはあったと言われればあったような気もするし(よくわからんですが。ただ滝川先生とか金八先生とか、だいたいあのあたりですよね)、地方ごとの教育環境については判らないことも多いですけど、この創竜伝が書かれた時期に一般的ではないのは間違いなく断言できます。
まあ、本当にこの記述通りの学校があったら相当酷いもので「ごく当たり前の教育をしている学校」とは思えませんが、あったとしてもごく少数の「問題校」でしょう。
まあ、冒険風ライダーさんのいうように、中高生向けの小説にこんな事を書くのはまさに墓穴掘りだと思うので、むしろ歓迎すべき記述かもしれませんね。
ところで、芥川の発言は真実でしょうか(「事実」とは違うby銀英伝)誰か詳しい人がおられたら情報求めます。
誰もが目を閉じ、耳をふさぎ、口をつぐみ、記憶を冷凍させることになっていた。「殺人犯が少年」といういかがわしい一語で、民主主義の総本山でも言論を封じこめることができるというのは、奇怪な事実であろう。
議論の是非は別にして、別に国家でなくとも言論の封じ込めはあるというハナシ。
>「スプーンが曲がったからといって、愛や夢を感じはしませんね」
現実世界の疑似科学の連中に言っていれば結構気持ちのいい台詞ですけど、ここではホイスラーが哀れで可哀想に思えるだけなのが創竜伝の描写不足でしょうかね。
>そういえば、アメリカ航空宇宙局が宇宙探査に関して公表する情報は、全体の四パーセント以下にすぎないそうだな。残りの九六パーセント以上は秘密にされている。まったく、裏で何をやってるんだか、わかったものじゃないな
なんだかやたらとこだわってますよね。この人。
月に空気があると思っているだろう人が、NASAの情報の何を知りたいのでしょうか。
いやねえ、金銭にあかせて土地やビルを買いあさってる日本人が、こんなところまでやってきたわよ。ミシシッピの河岸まで買いしめる気かしら」
そういうささやきが聞こえるような気がするが、これは茉理の意識過剰であるかもしれない。
この人ははやく病院に行った方がいいと思います。今は良い薬もありますしね。
日本人が金儲けに手を出すことに罪悪感を感じるのは結構ですが、その金儲け日本の世相をネタにしてミリオンヒット飛ばしている人が図々しくそういうことを言うのが凄いですね。同じ日本人として、それこそ羞恥心を感じます。
>「日本人の知りたいことといえば、芸能人のスキャンダル、犯罪の被害者のプライバシー、そういったことで、権力者にとっては痛くもかゆくもないからな」って、日本人がそこまでゴシップ記事ばかり追っているとでも思っているのでしょうか。「権力者」とやらがいつも汚職追及されている光景を見たことが無いんですかねえ。
もしかしてホントに「あれは小物で権力者じゃないんだ。本当は黒幕が居るんだ」と信じているとか? そうすると現実と評論のギャップが腑に落ちるのですが。
>P99下段~P100上段
><かつて日本で遊園地を舞台に……
ついにきましたね。創竜伝中もっとも醜悪な部分の一つ。
冒険風ライダーさんがあらかた言っているので繰り返しになってしまいますが、大企業だって客に夢を与えることを真面目に考えている部分もあるだろうし、病院や老人ホームだってごうつくであこぎな輩だって居るだろうに、「大企業=強者=悪、老人ホーム・病院=弱者=善」というお得意の図式で片づけてしまうあたりはさすがです。
>竜堂兄弟の行動原理は感情の所産である
チャンピオンに連載されている「グラップラー刃牙」に登場する範馬勇次郎という格闘家はその戦闘力が一国の軍隊に匹敵する無茶な設定ですが、竜堂兄弟は一人の戦闘力でそれ以上でしょう。
早い話、一国の軍隊が竜堂兄弟のような論理で動いていると考えると、その危うさがよくわかります。ハッキリ言って、北朝鮮の軍隊だって最低限の規律はあるだろうから(無かったら軍隊という組織にならない)、この兄弟に比べたらまだマシです。
>田中芳樹には民意というものがよほど愚劣なものとでも思っているのでしょうか。こんな人が民主主義を崇拝していてもねえ……
いっそのことラインハルト的言説だったらマジで敬意を払うのですけど。
>P132下段~P133上段
><「大統領が債務不履行宣言を出しました!」
ここらあたりで物語の崩壊が決定的になりますよね。このあとは仙界やらなっちゃんやらにシフトしていきますから。
それにしても説得力が1ミリグラムたりともない設定ですね。
うーん、ちょっと毒が効きすぎたかな。
石井さんへ
>誰もが目を閉じ、耳をふさぎ、口をつぐみ、記憶を冷凍させることになっていた。「殺人犯が少
>年」といういかがわしい一語で、民主主義の総本山でも言論を封じこめることができるというの
>は、奇怪な事実であろう。
田中氏は銀英伝3,4巻にて
「政治家と子供に対しては忍耐は美徳ではない」
「英明の資質があったとしても甘やかされたらスポイルされてしまう」
「少年と言うだけで思考停止する大人の滑稽さ」
を描いていた筈なんですが、現実の教育論では何であんな極端なんでしょう。
最貧国では生涯賃金に匹敵する金を「仲間のカンパで集め」てジュネーブに乗り込み、発展途上国だけで2憶5千万人いると言われている、義務教育を受けられない子供の為の対策を考える会議にて「制服廃止」を訴える日本の女子高生
の事をどう思ってるんでしょうか?ぜひ聞いてみたいですね。
ついでに言うと田中氏がよく非難の時に引き合いに出すヒトラーは「子供の自主性」「子供の純粋な意志」を高く評価し、それが後々のヒトラーユーゲント結成につながりました。
その他、少年十字軍、紅衛兵やイェニ=チェリ(オスマントルコ帝国がバルカン半島支配時に現地のキリスト教徒の子弟を強制的に徴収し造り上げた少年親衛隊)等々、子供の純粋性をもって大人以上に評価するのは大抵、経験が浅く特定のイデオロギーを無条件に信奉してしまいやすい子供を利用しているものです。
ただ「摩天楼」では薬師寺涼子が「卒業式に参加できない」と訴えるコギャル(及びサヨクな連中)をこき下ろすシーンがあるので、ひょっとすると田中氏も少しは反省しているのかも知れません。
芥川龍之介のそれは
「○○の言葉」(諸般の事情によりそのまま書けない(笑))に収録されています。
青空文庫にもあり。
大正デモクラシーとは親不孝と自由恋愛と反軍人だ、と言った人もいましたが、こういうことが平気で書けた時代だったわけですね。乃木をおちょくった「将軍」も書いているわけですし、戦前の一側面です。
それでふと思い出したのですが、O江さんという方がノーベル文学賞と文化勲章に同時に選ばれたのですが、文化勲章は辞退されたんです。
理由はやっぱり天皇制やら憲法うんぬんというものでした(だが、ノーベル賞の元締めもスウェーデン王室のような・・・)。
しかし、ある一市民が彼に手紙を出し、彼のその間違いを諭しました。
「ノーベル賞の賞金は9500万、文化勲章は年金350万。これから二十数年長生きすれば、後者のほうが儲けが大きいんですよ!」
・・・・まことに論座、いや正論ではないか(笑)。
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教育論でひとつ。
あまりにひどかったんで、比喩でなく数ページで投げ出したため、題名すら覚えていないのだが(文庫で、かなり旧作に属する)・・・。
なんだっけか、高校生の男女が作文?の内容が偶然一致しており(前世の記憶のためだったか?)、どちらかがどちらかを盗作したという疑いで職員室に呼び出される。
そのときの女子生徒のほうのセリフがたしか「生徒を信じられない教師なんて、最低だわ」。
・・・(++;)。
おい、断言するけどそうやって生徒のセリフを検証もせず信じる奴は教師失格。そんな奴は「僕たちいじめなんてしてません」「いっしょにふざけてただけです」なんてのを「信じて」しまい、被害者が自殺するまで気付かないでしょう。
森田まさのり「ルーキーズ」の教師だけは例外扱いにしてもいいが(笑)。最近ジャンプは復活してきたなあ。なんの話だ。
M野さん、たいへんお待たせ致しました。今回からチェックをかなり厳しくして何回も書きなおしをしていたのと(今までもチェックはしていましたけど)、創竜伝6の批評を全部まとめて書いていましたから、すっかり遅くなってしまいました。現在、残りの批評の最終チェック中です。
ところでコメントについてちょっと。
<「ある学者がこう言った」という言い回しを聞いたら、十中八九それは
その人が勝手に作った創作だ、という話を、田中作品で読んだ記憶が
あるのですが、その田中先生ご自身が「ある県」「ある学校」「ある教師」
では、もはや苦笑するしかありません。>
その文章と創竜伝の社会評論をならべて「これが悪い見本だ」とでも書いたら傑作でしょうね(^_^)。田中芳樹も、自分で言った正論ぐらいちゃんと守ればいいのに。
<そうでもないです。中高生は、それが誇張または虚構であるとわかっていても、
何となく「教師」「学校」「権力」を非難する話には魅せられてしまうものです。
自分もかつてそうでした。
こんな「もず」か「百面相」レベルの文章でも、です。
管理人様が「はしかのようなもの」と表現されていますが、そのとおりだと思います。>
そういえば私もそうだったような……(^^;)。しかし教科書の記述などのウソはすぐに分かりますからね。私もその部分の社会評論を読んだ後、すぐに自分の教科書を調べて「なんか違うな~」と考えていましたから。学校問題は自分で調べられますから、ウソと見抜く事は簡単ですよ。朝日の誤報はこうはいきませんけど。
<しかし、どうして日本の歴史になると、突然、歴史オンチになるのでしょうか。>
あの人の場合、知識が人並み以上にあるというのは分かるのですけど、見方が「左」に偏っているのと、説明している学説が30年くらい前のものだというのが響いているのではないでしょうか。あと、日本=悪で凝り固まっているようですから、悪意に満ちた見方しかできないのかも(^^)。
それと歴史オンチなのは中国史も同様のようですね。岳飛と秦檜についても明らかに偏った見方をしているし、中国の侵略行為を、全て「遠征」でくくっているし。
新Q太郎さん、
<なんだっけか、高校生の男女が作文?の内容が偶然一致しており(前世の記憶のためだったか?)、どちらかがどちらかを盗作したという疑いで職員室に呼び出される。
そのときの女子生徒のほうのセリフがたしか「生徒を信じられない教師なんて、最低だわ」。
・・・(++;)。
おい、断言するけどそうやって生徒のセリフを検証もせず信じる奴は教師失格。そんな奴は「僕たちいじめなんてしてません」「いっしょにふざけてただけです」なんてのを「信じて」しまい、被害者が自殺するまで気付かないでしょう。>
それは「西風の戦記」です。1988年に初版が出ています。10年以上前の作品ですね。仮想世界と現実世界のギャップがすごすぎる作品ですよ。
>四国のある県
これは・・・・
松山ではないでしょうか。
私はあそこに友達がいるので
その教育事情について
小耳に挟んでおります。
なんでも、イジメや嫌がらせは
皆無であり、排他性がなく、
人と違ったこと押しても白眼視されない
ようです。
そのかわり、勉強が厳しく
成績を競い合い、かなりストレスが
たまるそうで、社会的に公然と
やんきいとかちんぴらとか呼ばれる生徒を
屑呼ばわりして、さげずむそうです。
君が代日の丸は当たり前だそうです。
その友人は朝鮮人に対して多少
差別的な認識があります。
一方・・・
私が住んでるのは平和都市なんですが・・
イジメや嫌がらせは日常茶飯事、
排他性たっぷり、人と違うことをすると
つぶされる、勉強ができる者は淘汰され、
みんなやんきいにあこがれる、といったところです。
君が代日の丸は公立ではかなり抵抗があるみたいです。右翼的な理事がいる私立はやってるみたいですけど。
なんか、天皇崇拝やった方が社会が
良くなるのかもしんない。
なんか評判悪いですね。私は、ジュブナイルとしてはかなり良く出来ていると思うんですけど。現代批判をいれるのは、「物を考える」ことをはじめた読者を対象とするために、良く使われる手法ですし、あの手の「我是正」の体育教師って結構見かけました。'88と言えば、校内暴力等の「鎮圧」が破綻しつつあったころでしょうし、(そしてイジメの方はまだ顕在化していない)あの悪役教師はそれなりに説得力のあるキャラだったのではないでしょうか。私は取り敢えず面白かったです。
不満点はむしろ、あの尻切れなラスト(どうせなら二人が異世界に溶け込む過程【彼らは何も生産的な事を「継続的に」出来ないわけですし】や、あちらの世界の矛盾を見て何かを感じて行くところまで書けば満点だったのでしょうが。っと言うか、てっきり続編があるものだと思いこんで図書館で必死に検索した覚えがあります)や男主人公の悪役教師への反論「盗作したなら全く同じ内容になるはず」(←コンセプトの盗作【パクリ】ならそうは成らないでしょう)でした。
ま、要するにいくら欠点があっても基本的には面白く、「宇宙の戦士」よりは1000倍はまし、と言うのが正直な感想ですが。←これはフォローにならないって。
初めての書き込み、失礼します。
カエルサルさん御指摘の様に、愛媛県(松山は県名ではニャイ。)ではやっておりました。
僕が小学一年生の頃だから、`80年代初頭辺りまででしたか。 他所の学校ではどう
だったかはわかりませんが。
その他の事は、少なくとも僕の周りには、聞いた事無いです。
三角食の詳細についても、細かく順番を指定された記憶もないし。
おかずばっかし食ってパンとか余す児童が多い(子供の食事ってそんなモンでしょ)
のでその様な指導してるって説明受けた様な気が。
別に食べ切れなかったからって怒られる事は無かった(これは教師各人の裁量ですかね)
し。 昼休みに寂しくモフモフとパン食った位です。ちなみにコッペパン。
ああ。 そう言えばフルーツカレーが出た時はみんな(先生も)昼休みに半泣きで食ってた。 関係無いか。
>ゼピュロシア・サーガ
>なんか評判悪いですね。私は、ジュブナイルとしてはかなり良く出来ていると思うんですけど。現代批判をいれるのは、「物を考える」ことをはじめた読者を対象とするために、良く使われる手法ですし
私は映画しか見てないんですが「ぼくらの七日間戦争」みたいなものでしょうかね。あるいは尾崎豊の歌とか。そういう方向のものが思春期・反抗期のココロを捉えるというのは確かにある部分あるとは思います(私は「ぼくら」シリーズにも尾崎にも興味はなかったですが、周りには結構居ました)。
今見るとこの作品の現代部分は文字通りの「蛇足」ですけど、往時は私も結構面白がっていた記憶があります(カセットブックまで買ってたしなー)。ただ、それでもあの極端なストーリー展開には疑問がありましたけど。
>三角食
この件に関しては推測です。
どうも、皆さんの話を聞いていると、三角食という方式が実際にあったのは事実のようです。となると、おそらく文部省は「三角食」に関しては推奨していたのではないでしょうか。それで、「三角食」の推奨と「三角食に関する暴力指導」の推奨を意図的に混同させたのが田中芳樹の記述だったのではないでしょうか。
以上、推測ですので間違ってたら謝罪訂正しますが、大方こんなところであるような気がしますね。