私の創竜伝考察9

創竜伝4 四兄弟脱出行

mixiチェック

コンテンツの総収録投稿数5件の内、1~5件目の投稿を掲載

収録投稿1件目
board1 - No.981

私の創竜伝考察9

投稿者:冒険風ライダー
1999年03月30日(火) 01時44分

 創竜伝3あたりから、ひとつひとつの社会評論が非常に長くなってきています。引用する方も大変です。一字一句確かめながら長々と文字をうちこまねばならないのですから(まあ3巻の社会評論は管理人さんがHPで書きこんだものが多かったので、それらを引用していましたが(^_^;))。フィクション小説であんなに長い社会評論を展開していったい何が言いたいのでしょうか。あの作家は。
 それでは今日から創竜伝4の批評に入ります。

創竜伝4「四兄弟脱出行」
1989年4月5日 初版発行

P19下段
<日本は、収賄やインサイダー取引の犯罪者が、平然として、政治改革や道徳教育を説く、ありがたいお国柄である。>

 田中芳樹よ、そんなに日本を侮蔑して何が楽しいのですか? 聞いてて腹が立ってきますね。「収賄やインサイダー取引の犯罪者が、平然として、政治改革や道徳教育を説く」とはよく言ったものです。少なくとも、収賄などの罪で有罪となった人が「平然として」、政治改革や道徳教育を説いているということはないと思いますよ。全く現実と合致していない社会評論を展開して得意げになっている田中芳樹の顔が目に浮かびます。

P26上段~下段
<「ムー大陸伝説」が学問として認められないのは、それを提唱したチャーチワード自身の責任である。そもそもこのチャーチワードという人は、いつどこで生まれてどこで死んだかも不明なのだ。彼の引用には、誰も見たことのない古文書や、いつどこで採集されたか明記されていない「伝説」がたいへん多い。
 「もはや疑う余地はない。ムー大陸は実在したのだ」と主張する人は現在も多いが、そういう人がまた開祖チャーチワードのまねをして、出典を明らかにもせず「古い伝説によると」とか「ある古文書によれば」とか平然と書くのである。こうして「ムー大陸伝説」は学問からどんどん遠ざかり、「ムー教」とでもいうべき一種の新興宗教になりさがっている。>

 田中芳樹は、創竜伝における自分の社会評論が全く同じ姿勢で書かれているのに全然気がついていないようですね。次のように文章を改編してみましょう。
『「創竜伝の社会評論」がまともな社会評論として認められないのは、それを絶叫している田中芳樹自身の責任である。そもそもこの田中芳樹という人は、そのあまりの遅筆のために、今どこで何をしているのか、それどころか今現在生存しているかどうかさえも不明なのだ。彼の引用には、どこかで見たことがある論調や反日資料、いやそれどころか「出典・資料」自体が全く書かれていない例がたいへん多い。
 「もはや疑う余地はない。創竜伝の社会評論は正しいのだ」と主張する人は現在はかなり減ってきたようだが、いまだに残存しているそういう人がまた田中芳樹のまねをして、全く信用ならない資料から「ある人の証言によると」とか「ある新聞の記事によれば」などと引用し、最悪の場合は何も資料を引用せずに平然と反日論文を書くのである。こうして「創竜伝の社会評論」はまともな社会評論からどんどん遠ざかり、「単なる反日アジテーション」とでもいうべき一種の罵倒文章になりさがっている。そのため、よほどの田中芳樹ファンでなければ創竜伝の論調についていけない、という珍現象も発生している』

P32下段~P33下段
<大新聞の政治部が、「ジャーナリズムではなくて政治業界紙だ」と皮肉られるようになって久しい。批判性を失ってしまい、政治家どうしの抗争や方言をおもしろおかしく書きたてているだけで、記事の最後は「今後の成りゆきが注目される」と決まっている。
(中略)
 その結果、首相の私邸や別荘の家賃を合計すると、首相の一年間の収入を超えてしまう、というようなことがおこる。これは首相が、収入を過少申告して脱税しているか、政治資金を私生活に流用しているか、どちらかということになる。その点について野党議員が質問しても、「私生活のことをあげつらうとはけしからん」と、封殺してしまう。近代民主国家の首相や大統領は、こと収入と支出に関してプライバシーなどないのだ、という常識すら、この国の政界では通用しないのである。
 ただ、「政治家は精錬でありさえすればいい」という考えも、いささか危険である。フランス革命のロベスピエールとか、宗教改革時代のカルヴァンとか、日本では江戸中期の松平定信とか、ものすごい思想弾圧や恐怖政治をおこなった政治家は、清廉潔白が売り物だったからだ。むずかしいものである。もっとも、日本国首相の場合は、むずかしいなどという以前の問題で、幼稚園児に「悪いことしちゃいけません」というレベルであるが。>

 いつも思うのですが、なぜ田中芳樹は「日本のマスメディアが政治批判を全くしていない」などと事実に反する主張を何回も展開しているのでしょうか。いいかげんしつこすぎますよ。同じことを何回も聞く羽目になる読者の気持ちも少しは考えてくださいよ。
 「近代民主国家の首相や大統領は、こと収入と支出に関してプライバシーなどないのだ、という常識すら、この国の政界では通用しないのである」というのならば、せめて他国の状況と並べて比較し、日本がどのくらい遅れているかを検証するのが最低限必要なことだと思いますが。これだけ見ていると日本だけが政治家の収入と支出について『「私生活のことをあげつらうとはけしからん」と、封殺して』いるみたいではないですか。確かこれについては、法律の制定によって政治家の資産が公開されるようになったと記憶していますが、これについて知識のある方はいませんか?
 それとなぜ「「政治家は精錬でありさえすればいい」という考えも、いささか危険である」といっておきながら、「日本国首相の場合は、むずかしいなどという以前の問題で、幼稚園児に「悪いことしちゃいけません」というレベルである」などと2重基準的な主張をしているのでしょうか。どうせ自分がやたらと展開している社会評論が「いささか危険である」といわれないための用心なのでしょうが、それにしても幼稚園児と比較されるとは、日本の政治家もなめられたものです。

さて、次は原子力発電についての社会評論ですが、2ページ半にもまたがってあまりに長ったらしいので、3つに分けて論評したいと思います。

P37上段~下段
<一九八八年の末あたりになると、「温室効果」という言葉は、すっかり一般化してしまった。つまり、工場や自動車や火力発電所から排出される二酸化炭素が地球をすっぽり包んでしまい、太陽からの熱を吸収する一方で、地上の熱は外に逃がさない。かくして日本国の気象庁の気候問題懇談会によれば、「地球の気温は三・五度C上昇し、南北両極の氷が溶けて海面は一・一メートル上昇する」とある。事実ならたいへんなことだ。
 ところが、ここに奇妙な符合がある。一九八八年という年は、日本をふくむ世界各地で、原子力発電に反対する運動が、急激に盛りあがった年であった。これは何といっても、一九八六年四月にソ連のチェルノブイリで発生した原子力発電所の大事故が、しだいに実態を明らかにされていき、人々の危機感が高まっていったからだ。
 そのころから、つぎのような意見が目だちはじめた。
「原子力発電は石油や石炭のような化石燃料とちがって二酸化炭素を放出しない。だから温室効果をおこさないためには、原子力エネルギーを使うべきである。その原子力発電に反対するのは、温室効果を促進し、地球の環境破壊に荷担する行為である」
 つまり、
「原子力発電に反対する者は、環境の敵、地球の敵である!」
ということになる。この論法は正しいだろうか。>

 何でフィクション小説を読んでいるのに地球温暖化や原子力発電の問題を考えなくてはならないのでしょうか。まずここで考えてしまうんですよね~。どうせ田中芳樹の趣味なのでしょうけど。
 さて、原子力発電の問題については、その安全性に疑問があるということをよくチェルノブイリを持ち出されて指摘されるのですが、チェルノブイリはソ連の、それもかなり遅れた技術と安全管理がもたらした事故であって、日本の原発がこれよりも何十倍も安全であるということは、いままで一度も大事故が起こっていない事で立証されています。この間の東海村(だったと思います)の事故も、事故といえるほどのものでははなかったそうですし。そもそもソ連を除いてどこも原発事故を起こしていない(少なくとも、大事故と呼べるような事故は起こしていない)事が、原発の安全性を証明しているではありませんか。あれはソ連の原発が異常だったのであって、それにマスコミが過剰反応したのが問題だったのです(特に朝日が)。まあ原発が100%安全だとは断言しませんが、技術向上や安全管理によって、十分に対処できると考えていますし、そうでなくてはならないと思います。
 しかしこの文章、原発反対運動が絶対に正しく、賛成が悪いという主張が見え見えですね。次の文章がそれを証明しています。

P38上段~下段
<現在の人類、ことに先進国民と自称する人々が、石油を乱費し、森林を破壊し、水と大気を汚染し、地球の環境を荒廃させつつあることは事実であり、当然、反省すべきであろう。その結果、エネルギーのむだづかいをへらし、むやみに樹木を伐採することをやめ、自動車の排気ガスをへらすことができれば、けっこうなことだ。一九八九年、「ハーグ宣言」などによりフロンガスの使用が全面禁止にむかったのは、人類の理性が確かに存在することを示すものであった。ところが、原生林を切り開いて自動車道路をつくり、珊瑚礁をたたきつぶして空港を建設するような計画を強引に進めておいて、「環境を守るために原子力を使おう」というのは、すこしおかしいのではないだろうか。>

 すこしどころかめちゃくちゃにおかしいのは、田中さん、あなたの社会評論ですよ。ここではやたらと先進国の環境汚染ばかり取り上げていますが、最近の環境問題ではむしろ発展途上国、特に中国の急速な工業化による環境汚染が深刻な問題となっています。先進国が環境汚染を展開してきたのは確かにその通りです。しかし先進国、ことに日本は、その事を反省して、省エネや環境汚染を防止する技術を開発しつづけ、環境問題や公害問題は少しずつですが消えていっています。そのような努力を、今の中国あたりは全く展開する気配がありません。今の日本の大気汚染の原因のひとつに、中国が燃やす石炭があるということをご存知でしょうか。どうせ批判するのならば、こちらの方も批判してほしいものです。
 そしてお待たせ致しました。いよいよ的外れな日本批判です。

P38下段~P39上段
<一九八九年、日本の科学技術庁は、「原子力発電反対運動に対抗するための宣伝工作費用」として、10億円という巨額の予算を獲得した。これは前年度予算の五倍である。つまり、「原子力発電は安全である」ということを新聞、雑誌、TVで宣伝するわけで、協力してくれる文化人には多額の報酬が支払われる。一部の文化人にとって、原発賛成はいい商売になるのだ。
 なお、電力会社によっては、女子社員を原子炉近くの管理区域まで行かせて、原子力発電の安全性をPRすることがある。こういうのを、昔からの日本語で「猿芝居」という。上役の命令にさからえない弱い立場の社員に、そんなことをさせるのは卑劣というものだ。電力会社の社員が、原子力発電所の敷地内に社宅を建てて、家族といっしょにそこに住みついたら、「原子力発電所は危険だ」などという者は、ひとりもいなくなるだろう。何億円も宣伝費をかけるよりも、よほど説得力があるというものである。できないのは不思議だ。彼らは「日本の原子力発電所は絶対に安全だ」と主張しているのだから、そのていどのことができないはずはない。もっと辛辣に、「東京の都心部に原発をたてたらどうだ、絶対安全なのなら」と主張する人もいるのだから。>

 原発については、以前に首都移転の話で盛り上がっていた時に「原発を受けいれる事」を条件にしたという話を聞いたことがありますね。「電気はほしいが原発はいやだ」というエゴに対して痛烈にきいたとか。
 それにしても「原子力発電反対運動に対抗するための宣伝工作費用」とはこれまた露骨にきましたね。名前だけ見ているとナチス・ドイツの宣伝省の工作費のように聞こえるのは気のせいでしょうか。本当にこんな名前だったのでしょうか。それに原発が安全だと宣伝する事によって利益を得る事がいけないといわんばかりの論調ですが、それのどこがいけないというのでしょうか。彼らも仕事でやっているのですから、利益を得て当然ではないですか。それとも、原発の安全性のPRをする時はボランティアでやれとでもいうのですか?
 それから田中さん、原発がそれほど危険だというのならば、ぜひ原子炉の近くまで行って被爆して来て下さい。「原子力発電所は絶対に安全だ」と主張する人は誰もいなくなりますから。こんなフィクション小説ででたらめな社会評論を展開するよりもずっと効果がありますよ。それができないのは不思議ですね。あなたは「原子力発電が絶対に危険だ」と主張しているのですから、その程度のことができないはずはないでしょうに。
 う~ん、ブラックジョークですね。

 ところで原発について少し補足を。原発の安全性といえば、平時よりも北朝鮮あたりが暴発した時に、原発をターゲットにしたテロやミサイル発射が考えられます。その時の安全性の方がより議論されてしかるべきです。外国では、原発は軍隊が第一に守るべき対象となっています。今の日本の管理体制では、平時の事故は防げても外部からの攻撃には耐えられないと思います。様々な法整備をした上で日本も自衛隊が原発を守れるようにすべきであると、私は考えているのですが。

P40下段~P41上段
<「刑事部長がいってたがね、現在の日本の繁栄を、どうも心から信じることができないとさ。刑事部長が子供のころ、日本は第2次大戦で惨敗して、国じゅう焼野原だった。四、五十年でいつのまにか超大国になっちまったが、逆にいうと、あっというまにまた焼野原になっても不思議はない、とね」
 TV画面にそびえたつビル群をながめながら、虹川が語ると、めずらしく水地がまじめに返した。
「しかし江戸時代初期の浪人たちも、そう思っていたかもしれんぜ。泰平の世なんて、長くつづくはずはない。いつかまた乱世が来る、と……」
「ところが結果的に、泰平は二五〇年もつづいた。江戸の中期、後期なんて、ろくな人材もいなかったのに、矛盾だらけの世ながら、とにかく平和はつづいた。まあ現在の日本もそうなるかもしれん」
 蜃海があごをなでた。
「ただ、あのころは平和にせよ繁栄にせよ、国内だけで完結していた。鎖国の世だからな。いまはそうじゃない」>

 いつもの事ですが、日本は絶対に滅びるという主張を強調するために「四、五十年でいつのまにか超大国になっちまったが、逆にいうと、あっというまにまた焼野原になっても不思議はない」といわせるあたりはさすがと誉めるべきなのでしょうか。
 それにしても250年も平和が続き、教育水準も高く、独自の文化が発展した江戸時代を「矛盾だらけの世」とまで酷評するのは日本人の中でも左翼思想に汚染された者だけでしょうね。外国では江戸時代は結構高く評価されているものです。そもそも江戸時代の江戸が、現在の東京になったのですから、全く否定すべき時代でなかった事は確実でしょう。田中芳樹に限らず、江戸時代を暗黒時代のようにみなす自虐史観派の連中には、歴史を様々な側面から見るという視点が欠如しているのではないでしょうか。

 今回は原発問題でかなり書きこみましたので、40ページも進んでいないのに結構長くなってしまいました。今回はこれで終わりにして、続きはまた今度にしましょう。

収録投稿2件目
board1 - No.992

原発と少し

投稿者:ドロ改
1999年03月30日(火) 18時39分

>冒険風ライダー様

一応アメリカのスリーマイル島では、日本の使っているのと同系統の原発がメルトダウンをやらかしたはずですが?今手元に資料が無いので、詳しい方レスお願いします。寸前で止まったんでしたっけ?確かECCSを(怖くて)使えなかったはずなんですが。
それと、原発批判は本来見た目派手な爆発事故などではなく、「処理方法の無い」核廃棄物の問題から行われるべきであるのに、そちらはせいぜい添え物と化しているのは、トンでもない欠陥だと思います。
それと、ラジオ等で流れる「資源の無い日本で原子力発電は必要・安全です」と言うふざけた広告(に金をかけること)は、いくらでも批判されるべきでしょう。日本はもと(プルトンもウランも)も方法(圧縮技術)も輸入に頼っているのですから。

すいません。この話題は、かなり個人的に入れこむところなので。

ところで、自衛隊の原発警備は「警備行動」の範疇の代表例、とこの前の事件の時東京新聞が書いてましたけど、違うんですか?

収録投稿3件目
board1 - No.1004

たくさんの方へのお返事

投稿者:冒険風ライダー
1999年03月31日(水) 13時19分

ドロ改さんへ、
 スリーマイル島の原発事故は、1979年3月28日に起こった事が分かりました。3日ほど前に20年目を迎えたという事で原発についての特集をやっていた所がありましたもので。その後原発の実情の方に話がいったため、それ以外の詳細はわかりません。実は私がこれを知ったのは、「私の創竜伝考察9」を投稿した直後です。それまではスリーマイル島事件って聞いた事すらなかったのですよ。原発問題はチェルノブイリの方ばかり聞いていたもので。他の方への返事の投稿をする時に訂正しようと思っていましたが、昨日は朝日社説と田中芳樹の批判投稿でちょっと忙しかったもので‥‥。間違った事を主張し、訂正が遅れました事をここにお詫び申し上げます。

 ところで、田中芳樹の原発批判に対する批判の文章はあえて田中芳樹が罵倒する賛成派の立場にたって書かせていただきました。あれほど罵倒されている賛成派のほうにも言い分があるだろうな、と思いましたので。実際、日本では現在、51基もの原発が稼動し、さらに政府はこれからのエネルギー需要に応えるためには、20基の増設が必要だと主張しているそうです。これらの事実を無視して、そして原発に変わる電力発電の代案もなしにただひたすら原発反対を展開しても意味が無いんですね。だから私は、必要悪として原発は存在するのではないかと思ったのです。もちろん、安全のための技術向上は必要ですし、原発批判の全てが間違っていると主張するつもりもありません。確かに、核廃棄物処理問題がおろそかになっている事には、私も問題があると思います。

 CMについては、原発反対派の方も理屈ではなく感情に訴えた現実無視な主張をしたり、運動を展開したりして原発=悪のイメージを一般市民に植え付けようとしていますので(またこれを朝日あたりが煽るのですよ)、どっちもどっちだと思います。少なくとも一方だけが批判されるべきではありません。反対派の方も、自分たちの主張に全く説得力の無い事を反省してほしいと思うのですが、このあたりはどうなのでしょうか?

 自衛隊の問題点については、原発に自衛隊が駐留していないので、いざというときに即応できず(連絡があってから出動していては遅すぎる)、しかも自衛隊の行動が法律上では警察活動の延長でしかないために、犯人射殺ができない(過剰防衛とみなされる)といったことがあるほか、ミサイルは今のところ技術上の問題から完全防御できない、法律の不備のために自衛隊の行動が制約される、といったことがあります。以前「SAPIO」でもこの問題に関する特集をやっていました。この問題とスリーマイル島の事故についてはもう少し詳しく調べてみますので、後日補足説明をいたしましょう。

 私も何もかも知った上で田中芳樹批判を展開しているわけではありませんから、こういう間違いの指摘はたいへんありがたいものです。これからも、おかしな点があればどんどん主張してください。

収録投稿4件目
board1 - No.1005

スリーマイル他

投稿者:極楽トンボ
1999年03月31日(水) 14時21分

>ドロ改様
 スリーマイル島(TMI)事故の原子炉は、日本でも主に関西で使われている加圧水型原子炉(PWR)です。
 ECCSは作動しましたが、運転員の判断ミスで手動停止されたために炉心溶融(全燃料の約47%)が発生しています。
 ただし、圧力容器損傷は無く、放出された放射能も周辺住民に影響を与えるレベルでなかったために、IAEAの事故レベルでも5となっています(ちなみにチェルノブイリは最高のレベル7)。
 まあ、地球温暖化の報道は原発推進派の陰謀とお考えの田中先生のことですから、事故レベルもアメリカの圧力で変えられたとか言いそうですが(実は、事故そのものがアメリカの陰謀説もあるのですが、こっちは書かれてないですね)。

>それと、原発批判は本来見た目派手な爆発事故などではなく、「処理方法の無い」核廃棄物の問題から行われるべきであるのに、そちらはせいぜい添え物と化しているのは、トンでもない欠陥だと思います。

 お説ごもっとも&核廃棄物処分の研究を今の職業としている身には耳が痛いですね。ただ、「資源の無い日本で原子力発電は必要・安全です」て、そんなにふざけてるかなー
 この手の話は始めると大変なことになりますのでこの辺で。

収録投稿5件目
board1 - No.1009

TMI等

投稿者:ドロ改
1999年04月01日(木) 01時58分

>>ドロ改様
> スリーマイル島(TMI)事故の原子炉は、日本でも主に関西で使われている加圧水型原子炉(PWR)です。
> ECCSは作動しましたが、運転員の判断ミスで手動停止されたために炉心溶融(全燃料の約47%)が発生しています。
> ただし、圧力容器損傷は無く、放出された放射能も周辺住民に影響を与えるレベルでなかったために、IAEAの事故レベルでも5となっています(ちなみにチェルノブイリは最高のレベル7)。

補足情報有難うございます。(メルトダウン)やっちゃってたんですね。

> まあ、地球温暖化の報道は原発推進派の陰謀とお考えの田中先生のことですから、事故レベルもアメリカの圧力で変えられたとか言いそうですが(実は、事故そのものがアメリカの陰謀説もあるのですが、こっちは書かれてないですね)。

確か田中芳樹の論は、「地球温暖化を原発推進派は奇貨として利用した」と言うものだったと思います。

>>それと、原発批判は本来見た目派手な爆発事故などではなく、「処理方法の無い」核廃棄物の問題から行われるべきであるのに、そちらはせいぜい添え物と化しているのは、トンでもない欠陥だと思います。ところで、アレにもやっぱり陰謀説があるんですか?よろしければ教えてください。

> お説ごもっとも&核廃棄物処分の研究を今の職業としている身には耳が痛いですね。ただ、「資源の無い日本で原子力発電は必要・安全です」て、そんなにふざけてるかなー

これは、錯誤広告として批判しました。いや、流行の文章改変も「核資源も圧縮技術も無い日本にとって、原発は不適切です」とか簡単にできそうなんで。でもちょっと、言葉が良くなかったようですね。

> この手の話は始めると大変なことになりますのでこの辺で。

確かに(笑)。どうせ話すなら、常温核融合(M粒子と共にガンダム世界を支える)でも語った方が事が平和に運びますな。

私の創竜伝考察シリーズの関連リンク一覧

mixiチェック