創竜伝6巻以降、中国礼賛の文章が多くなります。中国に対する田中芳樹個人の思い入れが小説の中にかなり入り込んでいるために、中国好きと田中芳樹崇拝の両方の考えを持っていなければ、6巻以降のストーリーを面白く読むのは難しいでしょうね。私も苦痛を感じながら読んでいましたし(^^;)。
では、6巻の残りの批評です。
P164上段~下段
<竜堂兄弟のたがいの結びつきは、本来、べつに誰に迷惑をかけるわけでもないだろう。人それぞれ、兄弟に対する思いはちがう。親の遺産をめぐって殺しあう兄弟もいる。兄弟の存在する数だけ、そのありようはちがう。終が兄弟によせる信頼と連帯感は無条件のものだ。
これが始になると、理屈が多くなる分、終ほど明快で単純な割りきりかたはできにくくなるかもしれない。社会全体とか歴史とか、そういったものが視野にはいってきて、自分たちの境遇というものを相対的に観察しようとするからだ。ただし、それは理性の面であって、感情からいえば、始と終とで、異なる点はない。つまり、「兄弟の敵はおれの敵」である。これはひとつまちがうと、イタリアの犯罪組織コーザ・ノストラ(いわゆるマフィア)のような排他性をもつことになるかもしれない。
実際、べつに正義のために戦っているわけではないのだ。始が考えているのは、まず自分の弟や従妹を守ることである。四人姉妹だろうがアメリカ合衆国政府だろうが日本の公安警察だろうが、竜堂兄弟にちょっかいさえだしてこなければ、やりたい放題にわが世の春を謳歌していたはずだ。それが、権力と栄華に驕り、図に乗って竜堂兄弟に手を出したばかりに、現在のありさまである。>
今までの社会評論や創竜伝の中国崇拝至上主義を見る限りでは、竜堂始にヤン・ウェンリーのような「社会全体とか歴史とか、そういったものが視野にはいってきて、自分たちの境遇というものを相対的に観察」できるような視点なんてどう見てもないんですよね。それができるのならば、中国に対しても「相対的に観察」した評論をしなければおかしいじゃないですか。下で指摘しますけど、日本をあれほどひどい社会評論でずたずたに罵倒しながら、中国の「圧政と暴政」を全く直視せず、弁護どころか礼賛しているような記述を見たときは、「何で日本と中国でこんなに記述が違うんだ!」と思いましたからね。明らかに物事を「相対的に観察」なんかしていませんよ。
それと「べつに正義のために戦っているわけではない」と言う記述と、「権力と栄華に驕り、図に乗って竜堂兄弟に手を出したばかりに、現在のありさまである」という記述は何か矛盾していませんか? 竜堂兄弟は「権力者」たちよりも偉いのですか? 「権力と栄華に驕り」という記述から、竜堂兄弟の一方的かつ独善的な価値観がうかがえますね。竜堂兄弟の行動原理は前の評論で言ったとおり感情であるうえ、安っぽいヒューマニズムと左翼思想が見え隠れしていますから、単純に「正義のために戦っている」よりも醜悪に見えますよ。そして自分たちの一方的な価値観で「悪」と決めつけたものに対する態度は、「イタリアの犯罪組織コーザ・ノストラ(いわゆるマフィア)のような排他性」そのものではありませんか。すでに「ひとつまちが」っていますね~(^^)。内部対立がない分、竜堂兄弟の方がより徹底しているのではないでしょうか。
P174下段~P175上段
<1989年末の歴史的な米ソ首脳会議で当時のアメリカ大統領がソビエト共産党書記長に対し、「私は日本の首相を全く信用しない。彼らは約束を守った事がない。日本人全体がそうなのか、政治家だけがそうなのか‥‥」と語ったのは有名な話である。
「おごれる者久しからず」
そう平家物語に評された平清盛の栄華は、保元の乱の勝利から彼自身の死まで、二五年間である。豊臣秀吉の天下は、織田信長の死から秀吉自身の死まで、一六年間にすぎない。日本の繁栄は、一九六四年の東京オリンピック以来、三〇年をこす。その間、世界の富をかき集め、外国の土地や会社を買いあさり、東南アジアの熱帯雨林を丸坊主にし、鑑賞のためでなく投機のために美術品をかき集めた。
「日本の政治は四流だが経済と技術は世界一だ」という評判も得た。「日本人は繁栄のためなら不正や腐敗など平気な国民だ」と評したのはドイツの新聞であり、「日本人は犯罪者に統治される事をなんとも思わない」と評したのはアメリカの雑誌である。
もう十分過ぎるほど、日本は繁栄をきわめたかに見える。>
田中芳樹は、外国の政治家や新聞雑誌が日本のことを偏見や誤解に満ちた目で見ている、と考えた事はないのでしょうか。当時日本はバブル景気で沸いていましたから、嫉妬混じりの目で見ていたとも言えるでしょう。いずれにしても、外国の視点が絶対的に正しいと考えるのは間違いです。自国が利益になるならば、たとえそれがどれほど愚かな愚策でも、日本の政策を賞賛するでしょうし。
それと「もう十分過ぎるほど、日本は繁栄をきわめたかに見える」という結論を導き出すために、平清盛や豊臣秀吉などといった「個人の栄華」と、日本という「国の繁栄」を比較してどうするのですか。比較すべき対象が全然違うでしょう。平清盛や豊臣秀吉の栄華が300年も続いたら、そっちの方が異常ではないですか。日本の繁栄を比較するのなら、江戸幕府やイギリスなどのような「国家」と比較しなければおかしいでしょう。第一、国家の繁栄というものは、30年も続いたら崩壊しなければならないのですか?
この社会評論は、比較検証をして結論を出したのではなく、最初から決まっていた結論に強引に誘導するためにこんなめちゃくちゃな比較をしているのが見え見えです。とても田中芳樹が尊敬する「歴史家」の態度とは思えません。
P173下段
<「そう、すべて策略さ。アメリカの貿易収支が赤字なのは、四人姉妹の多国籍企業がアメリカ以外の国で生産している製品を本国に輸入しているからだよ。形としてはアメリカの赤字だが、四人姉妹は膨大な利益をあげている」>
おいおい、いくらフィクション小説だからといっても、こんなタワゴトは誰も信じないでしょう。アメリカの貿易収支が赤字なのは、日本や韓国・東南アジア諸国のアメリカへの輸出が主な原因である事くらい誰でも知っていることですよ。アメリカの対日貿易赤字は今でも伸びていますし、日本の企業が東南アジアに進出して安い労働力で製品を造って輸出しているのも大きいでしょうね。田中芳樹はアメリカを過大評価しているのではないでしょうか?
P175上段~P176上段
<かつて日本は、近代において二度の大改革を経験した。一八六八年からの明治維新と、一九四五年からの第二次大戦後の改革である。
その二度の大改革は、どちらも、多数派市民が自発的におこなったものではない。明治維新は、薩摩や長州出身の権力者たちの手によって一方的に断行された。第二次大戦後の改革は日本を占領したアメリカ軍の手で強引に実行された。どちらも、上から力ずくでおこなわれ、しかもそれを日本人はほとんど無抵抗で受けいれたのだ。
「もうチョンマゲの時代じゃない。ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」
「これからは民主主義の時代だ。軍国主義とはおさらばだ。過去のことは忘れて、新しい日本をつくろう!」
日本人にとって、改革とは上から力ずくで押しつけられるものであり、それはたちまち「流行」になってしまう。改革に抵抗するのが悪なのではなく、流行に逆らうのが悪なのだ。それまで全速力で走っていたものが急停止し、まわれ右をして、今度は正反対の方向へと全力で走り出す。全力疾走こそが正義であり、ためらう者や疑問を感じるものは置き去りにされてしまう。
その結果として、改革にともない無用の血が流されずにすんだことも事実である。明治維新のときにも血は流れたが、フランス革命やロシア革命にくらべれば、犠牲者はずっとすくなかった。それどころか、江戸幕府の最後の将軍徳川慶喜は、明治時代になってから公爵に列せられている。旧体制のボスが、革命後、新体制の貴族になっているのだ。>
よく分かっているじゃありませんか。その通りですよ。「多数派市民が自発的におこなった」フランス革命やロシア革命は、数百万~数千万もの犠牲者を出したあげく、できたものは究極の独裁体制だったのですから。それに比べれば、明治維新は大成功を収めた改革でしょうね。大名の特権を奪う廃藩置県を全くの無血で成し遂げたのですから。
それにしても田中芳樹は、「改革」が下から起こるべきものだとでも考えているのでしょうか。別に日本人だけに限らず「改革とは上から力ずくで押しつけられるもの」ですし、それが万人に受けいれられるまでには多大な努力と時間が必要なのですよ。アルスラーン戦記の奴隷解放や、銀英伝のラインハルトの改革だって「上から力ずくで押しつけられるもの」でしたし、「たちまち「流行」になってしま」ったわけでもありません。「改革」をやった人とそれに従った人の苦労が全くわかっていないからこんな気楽な事が言えるのでしょう。明治維新も戦後のGHQの改革も、ともに「いつ独立を失うかわからない」という外圧が存在し、「改革」に逆らって無駄なエネルギーを費やしていてはまずいという認識があったから、不満を押し殺して黙って従っていたのです。日本人がそれほど「流行」とやらに黙って従うというのならば、自分が「改革」をやってみたらどうなのですか? おそらく、よほど熱狂的な田中芳樹ファン以外は誰もついてこないでしょうけど。
P188下段~P189上段
<「中国の歴史は圧政と暴政の歴史だ、だから中国はきらいだ、という日本人もおるそうだが、君たちはどうだね」
「ばかばかしいですね、そんな考えは」
あっさりと始はいってのけた。
「たしかに圧政と暴政の歴史という一面も中国の歴史にはあります。ですが、それは同時に、勇敢な叛逆と崇高な抵抗の歴史でもあるでしょう。天安門虐殺事件のとき、素手で戦車の前に立ちはだかってその前進をとめた若者がいました。中国の未来は、戦車の出動を命じた独裁者なんかの上にではなく、そういう若者たちの上にある、と、おれは信じてますから」>
いや~、申し訳ありません始さん、白状いたしますと私はあなたが言う「ばかばかしい考え」の持ち主なんですよ(^^;)。昔から中国アレルギーがありましてね~。私に言わせれば、あなたの考えの方がよほどばかばかしいのですけど。
あなたが中国の歴史を指して「勇敢な叛逆と崇高な抵抗の歴史」とたたえたのを始めて見た時は、当時田中芳樹を尊敬していた私でさえ唖然としましたよ。そもそも「圧政と暴政」がなければ、「勇敢な叛逆」も「崇高な抵抗」もする必要がないではありませんか。「易姓革命」が起こるたびに一体何百万~何千万の人が死んだと思っているのでしょうか。5巻で「地気が衰えることを心配するより、まともな政治をおこなって人望をえるようにすべきではないのか」なんて言っていたのはなんだったのですか? それともあなたは「圧政と暴政」を倒すための戦争ならば、どんなに犠牲がでても偉大だと考えているのですか? そして誰が今現在おこなわれている政治を「圧政と暴政」と決めるのですか?
さらに「中国の未来は、戦車の出動を命じた独裁者なんかの上にではなく、そういう若者たちの上にある」などと、まるで中国の未来はバラ色であるかのごとく礼賛しているのも鼻白みますね。50年ほど前に「そういう若者たち」がつくった中華人民共和国という国がいかにひどい「圧政や暴政」を展開したのか、今現在もしているのか、知らないわけではないでしょうに。
ここまで思い入れの激しい中国と比べて、何と日本は荒廃した国であることか。日本の若者は「ヴラドと同類」だの「ヒットラーの孫」だのと言われ、「21世紀が本当に楽しみだこと」なんてレディLに言われている始末だし(T_T)。この落差は何なのでしょうかね。
P189上段~下段
<「そういってもらうとありがたい。私は祖国を離れて長くなるが、祖国をすてることはできんでな」
黄大人は目をとじ、記憶の糸をたぐるようすだった。
「一九四九年に中国革命が成功し、中華人民共和国が誕生したとき、わしらは心から拍手したものさ。阿片戦争以来一〇〇年以上たって、ようやく中国は外国勢力の圧迫から解放されたのだ。とね」
黄大人は深い溜息ををもらした。
「周恩来、朱徳、陳毅、賀竜、劉伯承……みな歴史上の群雄にまさるとも劣らない人間的な魅力と迫力があった。彼らに会ったとき、私はまだ青二才だったが、感激で足がふるえたよ。中国は生まれかわったと思った」
黄大人の声に、にがい失意のひびきが加わった。
「だが、いまや広大な中国大陸は、世界最大の強制収容所になってしもうた。外交的にも孤立して、味方は日本政府くらいのものだな」
これはかなりの皮肉に、日本人一同には聴こえた。>
いまどき朝日新聞でさえ、こんな中国礼賛報道は恥ずかしくてできないでしょう。
「一九四九年に中国革命が成功し、中華人民共和国が誕生したとき、わしらは心から拍手したものさ。阿片戦争以来一〇〇年以上たって、ようやく中国は外国勢力の圧迫から解放されたのだ。とね」
「周恩来、朱徳、陳毅、賀竜、劉伯承……みな歴史上の群雄にまさるとも劣らない人間的な魅力と迫力があった。彼らに会ったとき、私はまだ青二才だったが、感激で足がふるえたよ。中国は生まれかわったと思った」
って、あんたは「人民日報」の回し者ですか(-_-)。こんな中国礼賛をしている人物がなぜ「北京政府」と対立しているのかも理解に苦しみますね。「北京政府」にとって模範的な中国人ではありませんか。「北京政府」も泣いて喜んでいる事でしょう。「あなたは素晴らしい愛国者だ!」って(^_^)。
ところで、黄大人とやらの感想には、なぜか国民党についての記述が抜けているのですが、彼らは「外国勢力」の手先として斬り捨てられているのでしょうか。彼らも「1911年に辛亥革命が成功し、中華民国が誕生したとき、わしらは心から拍手したものさ。阿片戦争以来70年以上たって、ようやく中国は外国勢力の圧迫から解放されたのだ、とね」なんて言っていたのでしょうに、かわいそうなものです(T_T)。歴史は繰り返されるのでしょうか(^^;)。
P189下段~P190下段
<「日本の政府には奇妙な癖があるようだ。こと対中外交に関してはな。いつでも、民心を失った過去の政府を応援して、現在と未来を見ようとしない」
一九一一年、辛亥革命がおこり、翌年、二六八年にわたって中国大陸を支配した清王朝が倒れた。中華民国が成立した。すると日本は一九三一年にいわゆる満州事変をおこし、帝位を逐われた清朝最後の皇帝溥儀を強引に満州国皇帝として、中国民衆の怒りを買った。一九七一年に中国が国際連合に復帰するときには、すでに台湾に逐われていた国民政府の側に立ち、中国の復帰を妨害しようと必死に活動して、各国の失笑を買った。その後は態度を急変させて中国べったりになり、一九八九年に天安門虐殺事件がおきると、激しい非難をつづける他の先進諸国を横目に、経済援助をさっさと再開し、日本への亡命希望者を中国に送還した。「送還したら死刑になる。送還をやめるように」というアメリカ下院議員団や西欧諸国の駐日大使らの要請もまったく無視して。そしていった。「中国とつきあうにはイデオロギーより経済を優先するべきだ」と。市民を戦車でひき殺すのはイデオロギーではなく、犯罪であるのに。>
「民心を失った過去の政府」という根拠が全くわかりませんね。一体誰が、どんな基準でそんな判定をしているのですか? それに日本は常に「中国民衆」の顔色をうかがって外交をしろとでも言うのでしょうか。
1931年に満州事変をおこしたのは関東軍の石原莞爾の独走であって、日本政府はそれを追認しただけです。そもそも満州というところは本来、中国の領土ではありません。中国歴代王朝の中で満州を支配していたのは征服王朝である金と清であって、これは満州の女真族がつくった王朝です。漢民族がつくった王朝で満州を支配した王朝はひとつもありません。ここを勝手に清朝から継承した中華民国こそ「満州に対する侵略者」なのですよ。それに清朝最後の皇帝溥儀は、関東軍によって強引に「満州国皇帝」にされたのではなく、自分から望んで皇帝になったのです。当時の国際連盟も、日本の行為を「侵略」とみなしていませんし(反対はあったのですが、その名分は不戦条約違反)、国際法的にも満州は空地とみなされていました。当時これを「侵略」とみなしていたのは中国共産党だけですし、「中国民衆」の怒りなんて買ってませんよ。満州事変は、むしろ日本政府主導でやっていれば、満州の女真族の「民族自決」を訴える事もできたくらいです。
それと亡命者の送還で、「アメリカ下院議員団や西欧諸国の駐日大使らの要請もまったく無視」した事がそんなにいけない事なのですか? 彼らの「要請」は内政干渉に当たりますし、彼らに日本の政治をうんぬんする資格はありません。それにここで亡命者を大量に受けいれたら、中国の火種を抱え込む事になってしまうでしょうし、今後日本が外国からの亡命者を大量に受けいれなければならない根拠にされてしまうではありませんか。第一、亡命者の面倒は誰が見ると思っているのですか?
最後に「現在と未来を見ようとしない」のは、半世紀も昔の、それも解決済みの「戦争責任」とやらにいつまでもこだわる中国の方だ、と申し上げておきましょう。
P190下段~P191上段
<近代日本の経済は、「自由主義経済」ではなく「国家資本主義経済」だといわれる。権力者と資本家が結託して、協力に、また強引に、経済活動をひっぱっていく。たしかにそれは成功したことはしたのだが。
東京都千代田区丸の内の広大なビジネス街は、日本どころか世界経済の中心地といわれるが、ここはもともと江戸幕府の「火除地」であった。つまり、木造の家々が密集した江戸の町にあっては、火事がおこった場合、類焼をふせぐために広大な空地が必要だったのである。当然そこは公有地であったのだが、明治維新政府ができると、岩崎弥太郎という人物が高官と結託して、その広大な土地を払い下げてもらう。もともと公共の財産であるのに、私有地にしてしまったのだ。この他にも、五代友厚という政商が、「北海道開拓使官有物払い下げ事件」というものをおこしている。新政府が、当時の価格で一四〇〇万円かけて建設した工場や値段を、「総額三八万円、無利息の三〇年ローン」で払い下げようとしたのだ。公然たる横領行為であり、激烈な反対がおこったのも当然だった。
「権力者と政商が結託して、公共の財産を横領する」という犯罪行為から出発したのが、近代日本の政治と経済であったといってもよいくらいである。出発点がこうだから、二〇世紀末において、日本の権力者たちに公僕意識が欠けているのは当然かもしれない。「はじめに汚職ありき」。公共の財産を、政治業者と政商とが汚れきった手で分けどりにし、それを恥じもしないのは、明治の偉大な先輩たちのまねをしているからだ。
こうして、経済活動のためには喜んで独裁政権と手を結ぶ、という体質が形成されたというわけである。亡命希望者の生命など知ったことではない、というところであろう。>
そりゃ上の例のように汚職をしていた「明治の偉大な先輩たち」もいたでしょうよ。全ての人間が清廉でいられるわけがないのですから。しかしそんな例だけをあげつらって、全ての「明治の偉大な先輩たち」がそうであったという悪しきイメージを読者に植えつけようとする行為はもっと醜悪ですよ、田中さん。
あなたがそこまで侮蔑している「明治の偉大な先輩たち」のおかげで、今の日本経済があるということが理解できないのですか? しかも現代の政治家の汚職の原点を「明治の偉大な先輩たち」に求めるとは、彼らも哀れなものですね。なんで今の「権力者」の罪を彼らがひっかぶらなくてはならないのでしょうか。
『「権力者と政商が結託して、公共の財産を横領する」という犯罪行為』などというものを強調するよりも、近代日本の政治と経済が世界にどれほどの影響を与えたのか、また我々の生活をどんなに豊かにしたのかを説明する方が、自虐史観にふけるよりもよほど健全だと思いますけどね。少なくとも、創竜伝の対象年齢である中高生にとっては。
P192上段~下段
<植物とは穀物であり、野菜や果実であり、家畜の飼料となる。サハラの周辺地帯が乾燥化し、草が枯れ、餌をうしなった家畜が死んで、人は生きていけなくなった。そのような事実があるのに、木を伐り倒し、ゴルフ場の芝を守るために農薬をまきちらし、海に工場廃水をたれ流して海藻までも死なせてしまう。海藻が光合成をしなくなれば、人間が吸う酸素がなくなるというのに。>
この社会評論は、「ゴルフ場の芝を守るために農薬をまきちらし、海に工場廃水をたれ流して」という記述から、どうも日本の公害問題を言っているようですけど、まるで日本が公害対策を一切やっていないかのような記述ですね。高度経済成長時代の感覚で今の日本の公害問題の批判を展開されては困りますね。日本は省エネ技術と公害対策では世界最高水準なのですよ。最近の日本の大気汚染の原因のひとつに、中国の石炭の煙があるという事実をご存知ないようですね。田中さん、あなたの批判はやるべき相手を間違っていますよ。ぜひとも中国に対して、公害問題の重要性を説いていただきたく思います。
P211下段~P212上段
<能天気で行動力のある人間は、どこの国にもいる。新聞社、TV局、フリーのジャーナリストからアマチュアまで、カメラ類をかかえこんだ男女が金門橋めがけて押しよせた。むろん警察は制止しようとしたが、絶対数で勝負にならない。夜空にむけて数発の銃声がひびいたが、そのていどの威嚇でひるむような群集ではなかった。
(中略)
発進してまもなく、始は気づいた。夜の湾上に進みでたモーターボートは、彼らのものだけではなかったのだ。幾十もの灯火が、闇のなかを走りまわっている。金門橋の上でVTRカメラをまわしている連中と同類であろう。その好奇心の強さにはあきれてしまうが、アメリカ人の場合、「自分の意思でやって、その結果は自分の責任」という考えが徹底しているから、いさぎよいというべきだろう。>
じゃあ日本人は「自分の意思でやって、その結果は自分の責任」という考えが徹底していないと言いたいのですね? 自分の責任をほっかむして逃げられるほど、日本という社会は甘くありませんし、日本人がそれほど意志薄弱な人間の集合体とはとても思えませんけどね。第一、「自分の意思でやって、その結果は自分の責任」という考えがあれば何をしても良いのですか? 竜堂始氏は、信念によって行動する事を否定しているんじゃありませんでしたっけ?
次は座談会批評です。
P224
<続 今回も、文部省発禁候補作「創竜伝」をお買いあげいただき、まことにありがとうございます。
終 発禁になったら読めなくなるよー。買って読むならいまのうちだよ。
始 お前たち、何をわざとらしく宣伝してるんだ?
終 いやー、そろそろ来るんじゃないかと思って。
余 作者のところに、ウソかホントかわからないけど文部省のお役人と名乗る人から手紙が来たしね。「もっと日本はすばらしい国で、政治家はりっぱな人たちだ、と書きなさい」って。
始 ああ、そうか。だけど、そんな連中には勝手にいわせておけばいい。就職情報会社からワイロをもらって、その罪を妻や部下になすりつける。深夜に泥酔して下着姿で道を歩きまわり、注意した警官をなぐりつける。そんなことをやっている連中が何をいってきたって、したがう義務はこちらにはないんだからな。
続 それはそうですね。まともに相手になるだけ、こちらの品性が落ちます。>
それでは創竜伝の社会評論を片っ端から批評している私の品性はとっくに無くなってしまっていますね(T_T)。まあそんなものがあるとは思っちゃいませんが、どうやら「創竜伝が発禁にされる」などと主張しだしたのは、この6巻からのようです。
それはともかく、この手紙に対する「反論」、かなりいかがわしいものがありますね。いくつか指摘してみましょう。
まず、この手紙を「ウソかホントかわからない」などと前置きしておきながら、「文部省のお役人」から来たものと決めつめている事です。「反論」もそれが前提になっています。しかし竜堂余君が指摘しているように、「ウソかホントかわからない」のですから、「文部省のお役人と名乗る人から手紙が来た」という記述は不必要であるばかりでなく余計なものでしかありません。「こんな手紙が来ましたよ」だけで充分ではありませんか。
しかもこれほど内容の薄い手紙にさえ、まともには反論していません。こんな薄っぺらな主張にすら直接反論せず、「文部省のお役人」を根拠のない誹謗中傷で斬り捨て、そのあげく「まともに相手になるだけ、こちらの品性が落ちます」などとほざく始末です。これが論争なら、竜堂兄弟の一方的敗北とみなされるでしょう。相手がどれほど低級な主張をしても、それに対してまともに反論しなければ、相手の主張に対して全面肯定をしたとみなされるのは論争をする時の常識ではありませんか。何応酬か論争を展開してすれ違いになったのならばともかく、田中芳樹に対して異議をとなえた読者を簡単に斬り捨ててはいけません。「バカな主張をしているな」と思うのならば、きちんと自分の言葉で反論しなさいよ。私にはどうも、文部省の悪口を言いたいがためだけにこの手紙を引用したのではないか、としか思えないのですけど。
しかもそれで反論したつもりになって「発禁」うんぬんなどと主張し、さらにそれを自慢しているのですから、連中の知能指数を疑いますね。「文部省のお役人」とやらの独断で、創竜伝が発禁になるわけがないなんて誰でも分かりますよ。さらに笑止な事に、竜堂兄弟は次のような主張を展開しています。
P230
<始 それにしても、この本はいろいろとうるさいことが書いてあるな。お老人には感謝の心を忘れずに。礼儀を守ろう。家長のいうことはよくきこう。未成年者の飲酒はやめよう。いや、ほんとはこれ、ずいぶん教育的な小説じゃないか。発禁どころか、文部大臣賞をもらってもいいくらいだな。(笑)
続 それじゃ、いっそ発禁にしてもらうのをやめて、日本伝奇アクション史上最初の文部大臣賞受賞をめざしましょうか。(笑)>
……冗談にしてはたちが悪いし、本気だとしたら頭がおかしいのではないかと疑いたくなるような主張ですね。創竜伝が教育的な小説? バカも休み休み言いなさいよ。創竜伝の「教育的な」主張は、それを述べている竜堂兄弟が全く守っていませんから説得力がまるでありませんし(「権力者」の老人をいじめ、全く礼儀を守っていないし、相手を思いやる想像力もない)、社会評論では、間違った知識を読者に植えつけているではありませんか。創竜伝が文部大臣賞とやらをもらったら、日本の小説界は世界最低水準となってしまうでしょうね。
創竜伝にふさわしい賞は、朝日新聞賞だと私は思いますけどね(^_^)。反日的なデマを流して読者をだますところなど、そっくりではありませんか。
6巻の批評終わり~。次は少し岳飛と秦檜に対する田中芳樹の認識について述べてみましょう。
>それどころか、江戸幕府の最後の将軍徳川慶喜は、明治時代になってから公爵に列せられている。旧体制のボスが、革命後、新体制の貴族になっているのだ。>
私などは結構な話に思えますけどね。それに、なるべく平和裡に「禅譲」が行われるのが田中芳樹の大好きな中国の、儒教思想では理想ではなかったんですかね?それくらい田中芳樹も知っているだろうに。それに、新体制の貴族になった、と言っていますけど、明治政府に徳川氏が関わったんでしたかね。せいぜい名誉職程度でしょう。明治維新の以後、日本史に徳川氏の影はありませんよ。以前の支配者を遇する方法として、名誉職に就けるというのは不適当とは思えません。むしろ、うまい方法でしょう。
結局、血なまぐさい革命が起こらなかったことが不満なんですかね。ロシア革命みたいに前政権の支配者は皆殺しにせよと?おっとろしぃのぉ。
>それどころか、江戸幕府の最後の将軍徳川慶喜は、明治時代になってから公爵に列せられている。旧体制のボスが、革命後、新体制の貴族になっているのだ。>
確か銀英伝の4巻にてヤンがユリアンに
「旧体制の支配者を新体制が貴族として迎える」
のを
「旧体制の不満を和らげ、反抗の意欲を削ぐ」
うまいやり方だと諭していた筈なんですが…
ひょっとして田中氏自身、忘れてしまったのでしょうか。
だとしたら以前採り上げた「艦隊の数」どころではない失態でしょう。
それとも
「徳川慶喜は成人だから、責任を追及されるべき」
と言うことなんでしょうか?
しかし実際問題として、徳川家が幕府側勢力を糾合して、新政府に対し徹底抗戦していれば国家の分裂・激烈な内戦のみならず諸外国の介入を招き、植民地化の危険も有ったでしょう。
それを考えれば慶喜があっさりと大政奉還を行い、新政府に恭順したことで、そのような事態が避けられたのですから、彼とて功労者の一人でしょう。
しかも当時は旧勢力も隠然たる力があり、慶喜を目に見える形で罰すれば、当然相応の反発と流血が見られたのは間違い有りません。
そもそも徳川慶喜をいかなる大義名分で裁くのか不明です。
まさか「将軍であった」と言うだけで罪に問われねばならなかったのでしょうか?
この辺りは田中氏が
「近代法治国家に生まれ変わる為には、旧体制のボスを法によらず裁くことが必要」
と考えているのでもなければ説明できません。
>「染血の夢」計画
本当にどこ行っちゃったんでしょうね、この計画。
「沈黙の艦隊」の“やまと保険”みたい(笑)。
>北村さん
> 田中氏は銀英伝3,4巻にて
>「政治家と子供に対しては忍耐は美徳ではない」
>「英明の資質があったとしても甘やかされたらスポイルされてしまう」
>「少年と言うだけで思考停止する大人の滑稽さ」
>を描いていた筈なんですが、現実の教育論では何であんな極端なんでしょう。
「躾のされてない子供なんぞ野獣と同じ」
という名ゼリフを吐かせた人と同一人物とは思えませんね。
>不沈戦艦さん
> 結局、血なまぐさい革命が起こらなかったことが不満なんですかね。ロシア革命みたいに前政権の支配者は皆殺しにせよと?
>おっとろしぃのぉ。
これはハッキリ言ってそういう意図があるのでは、と思えちゃいます。
支配者を完全に打倒していない
↓
権力者同士の馴れ合いである
↓
だから明治維新は革命とはいえない。
↓
フランス革命やロシア革命は素晴らしいが明治維新はくだらない。
日本史には革命も独立運動もないから日本人の民度は低いのである。
てな感じではないのでしょうか。
司馬遼太郎先生が聞いたら怒っちゃうでしょうね。
(いや、苦笑するだけかな。)
田中センセーにしてみれば明治政府よりポルポト政権の方が評価の対象なのかも(笑)。
大村益次郎も泣いてるぞ(爆)。
冒険風ライダーさんが引用されてますが、
岩崎弥太郎や五代友厚など日本の資本主義を育てる為に尽力した人たちを犯罪者よばわりしてるのもはっきり言って許せませんね。
たしかにこういう瑕疵もありますが、彼らの功績に比べればおつりが来る位でしょう。
唐の長安とかの話になると、
「無論地上の楽園だった訳ではないが・・・(でも充分に素晴らしい社会だった)」
なんてフォローをしてるのにねえ。
>実際、べつに正義のために戦っているわけではないのだ
大変結構。是非そうしてもらいたいものです。そうすれば創竜伝のよけいな社会評論部分は無くなるだろうし、彼らが正当防衛の反撃(らしい(笑))をしたあとに悪役に対してするユニークなお説教も無くなるでしょうからね。
あと、
>社会全体とか歴史とか、そういったものが視野にはいってきて、自分たちの境遇というものを相対的に観察しようとするからだ
というのも大嘘ですね。別に中国や日本に限らず、全てに置いて浅薄な認識と観察眼しか持っていませんから。ただ、これはキャラクターの責任というよりかは「とうちゃん」の責任ですね。
>「おごれる者久しからず」
この人この言葉好きですよね~。自分に当てはめられないあたりが「社会全体とか歴史とか、そういったものが視野にはいってきて、自分たちの境遇というものを相対的に観察」出来ないという所以なんですが。
この言葉は椎名林檎なんかの方がよっぽど面白く使ってるな~と個人的雑感。
>形としてはアメリカの赤字だが、四人姉妹は膨大な利益をあげている
なんてことがGNPとか外貨の計算であり得るんでしょうか。ちょっとわからないんですが。
>どちらも、上から力ずくでおこなわれ、しかもそれを日本人はほとんど無抵抗で受けいれたのだ。
下からの抵抗もありましたよ。「差別を認めろ」一揆とか「学校反対」一揆とか。
> 一九一一年、辛亥革命がおこり、翌年、二六八年にわたって中国大陸を支配した清王朝が倒れた。中華民国が成立した。すると日本は一九三一年にいわゆる満州事変をおこし、帝位を逐われた清朝最後の皇帝溥儀を強引に満州国皇帝として、中国民衆の怒りを買った。一九七一年に中国が国際連合に復帰するときには、すでに台湾に逐われていた国民政府の側に立ち、中国の復帰を妨害しようと必死に活動して、各国の失笑を買った。その後は態度を急変させて中国べったりになり、一九八九年に天安門虐殺事件がおきると、激しい非難をつづける他の先進諸国を横目に、経済援助をさっさと再開し、日本への亡命希望者を中国に送還した。「送還したら死刑になる。送還をやめるように」というアメリカ下院議員団や西欧諸国の駐日大使らの要請もまったく無視して。そしていった。「中国とつきあうにはイデオロギーより経済を優先するべきだ」と。市民を戦車でひき殺すのはイデオロギーではなく、犯罪であるのに
相変わらずの図式依拠の駄文でうれしくなってしまいますね。
>一九一一年、辛亥革命がおこり、翌年、二六八年にわたって中国大陸を支配した清王朝が倒れた。中華民国が成立した。すると日本は一九三一年にいわゆる満州事変をおこし、帝位を逐われた清朝最後の皇帝溥儀を強引に満州国皇帝として、
って辛亥革命の中心孫文がどれだけ日本の影響を受け日本と親密であったか、知らぬわけではありますまい。だいたいここでは日本が中華民国ではなく清王朝支持だったことを説明するのに辛亥革命と満州国を対比させているあたりがめちゃくちゃです。二十年も離れて居るんですよ。この二者の間には。それと、辛亥革命に日本の影響と支持があったのは前記の通りです。
あまり左翼とか反日のレッテルで批判したくないのですが、それでもしょうがなく中国の批判もするからついでに日本も貶めてしまえという態度は酷すぎます。
>彼らの「要請」は内政干渉に当たります
中国に対しても内政干渉してますね。
>市民を戦車でひき殺すのはイデオロギーではなく、犯罪であるのに。
ってイデオロギーだよ! 犯罪はイデオロギーが決めるんだってば。
結局「人権」という独善的正義の元で他国の文化や政治・思想を無視して実力行使するアメリカと同じメンタリティじゃないか!?
今回も、Yahoo!サーチ禁候補サイト「田中芳樹を撃つ!」においでいただき、まことにありがとうございます。
管理人のところに、ウソかホントかわからないけど中先生の編集者と名乗る人からメールが来ましたしね。「もっと中先生はすばらしい作家で、政治家はあくどい人たちだ、と書きなさい」って。
だけど、そんな連中には勝手にいわせておけばいいですよね。出版会社から他社よりもはやく書くようにワイロをもらって、その責任を編集者や読者になすりつける。深夜に泥酔して下着姿で道を歩きまわり、注意した警官をなぐりつける。そんなことをやっている作家が何をいってきたって、したがう義務はこちらにはないんですからね。
まともに相手になるだけ、こちらの品性が落ちます。
書いていて思ったコト。
>まともに相手になるだけ、こちらの品性が落ちます。
確かにあれだけ政治家や官僚の相手をしてる評論が無くなったら、創竜伝の品性も少しは上がるわな(笑)
>P189上段~下段
> いまどき朝日新聞でさえ、こんな中国礼賛報道は恥ずかしくてできないでしょう。
この巻は、いったいいつの時代に書かれたものなのでしょう。
まるで70年代の文革礼賛記事みたいですよ。
中国様が相手だと、お得意の毒舌も出てこないんですね。
「文革」「チベット」「核実験」「台湾海峡」などなど、
毒舌の材料は、それこそ黄河の砂ほどあるのに。
創竜伝5&6巻の感想です。
5巻は外伝ということで、ほとんど飛ばし読み・斜め読みしちゃいました。
だって水戸黄門じゃないんだから諸国漫遊してどうする。おらが町にも竜堂兄弟がやってきただ~って喜ばれるわけないだろ。ただでさえ遅筆なんだから、余計なもの書く余裕があるくらいなら、本編に集中すりゃあいいのにねえ。
6巻、相変わらず兵器描写は間違いだらけです。もういちいち指摘するのも面倒なんでやりませんが、出版当時、読者からの指摘はなかったのでしょうか?ここまで酷いのはちょっとねえ。
そうそう、以前話題になっていた「90式戦車は橋を渡れない」というやつ。130ページにそのくだりがありますね。「日本国内では道路を走ることも橋を渡ることもできない」っておい、そういいながら3巻で市街地の戦車チェイスを書いていたのはどこの誰だよ。なんで「道路を走る」ことのできないものが「道路を走って」るんだ?
適当に書き散らかしているから、こういう矛盾が生じるんだよなあ。
それにしても田中芳樹の軍事に対する態度は、左翼マスコミに通じるものがあるように思われます。
朝日新聞をはじめとする日本のジャーナリズムも、以外と軍事に疎いんですよね。
天安門事件のときも戦車と装甲車をごっちゃにしてましたし。軍事評論家の江畑謙介氏の本にこういう面白い話が載っていました。
旧ソ連でクーデターが起こったとき、新聞に「戦車出動」とあった。マスコミが日常、戦車と装甲車を区別してないことを知る氏はこう考えた。本当に出てきたのは戦車なのか?戦車ならソ連軍が動いていることになる。しかし装甲車なら、単なる治安部隊だ。なぜなら治安部隊は戦車を保有していないから。ソ連軍が動いたとなると、彼らがどちらに付くかでクーデターの正否が決まる。
結局、戦車が出動していてそれが市民側に付きました。
「戦車」と「装甲車」の違いがこのような重要な事実を含んでいるのですから、馬鹿にできないものです。
かたや報道、かたや小説という違いはありますが、間違った情報が間違った判断を生み出し、それに対して責任を取らないという点は、両者とも共通してますね。
ふと思ったんですが、「創竜伝」って社会評論部分がなかったら本の厚さが半分くらいになってしまうのでは?これは言い過ぎかな。
冒険風ライダーさん
>「中国の歴史は圧政と暴政の歴史だ、だから中国はきらいだ、という日本人もおるそうだが、
>君たちはどうだね」
>「ばかばかしいですね、そんな考えは」
> あっさりと始はいってのけた。
>「たしかに圧政と暴政の歴史という一面も中国の歴史にはあります。ですが、それは同時に、勇敢な叛逆と
>崇高な抵抗の歴史でもあるでしょう。天安門虐殺事件のとき、素手で戦車の前に立ちはだかってその前進をと
>めた若者がいました。中国の未来は、戦車の出動を命じた独裁者なんかの上にではなく、そういう若者たちの
>上にある、と、おれは信じてますから」
私もこの部分には腹立ちました。それでは圧政と暴政の歴史であればあるほど、勇敢な叛逆と崇高な抵抗の歴史ということになってしまいますよね。
こんなもの詭弁にすらなっていないよ、まったく。
ところで小早川奈津子って人はいつ出てくるんですか?どんな人物だろうと楽しみに待っているんですけど、半分終わったのにまだ出てこない・・・。
>それどころか、江戸幕府の最後の将軍徳川慶喜は、明治時代になってから公爵に列せられている。旧体制のボスが、革命後、新体制の貴族になっているのだ。>
銀英伝であれほど政治について正論を主張をしていた人が、何で創竜伝では単純な見方しかできないのでしょうかね。ホントに不思議な話です。そんなに日本で革命が起こってほしかったのでしょうか。革命が起きた国がそれほど素晴らしい国ですかね。田中芳樹流に言えば「悪政があるから革命が起こる」のだから、革命が起きるという事はそれだけ悪政を展開していたという事になるわけで、国にとっては全然誇れる事ではないと思うのですけど。
M野さん、私はあの記述は60年代のシロモノかと思っていました(^^;)。まあどっちにしても時代遅れの文章である事は確かですけど。
この先の記述はさらにエスカレートしていますよ。一体いつの時代の学説だ、とツッコミたくなるような歴史認識がたくさんありますからね。しかも中国に対して批判らしい批判もほとんどやっていないんですよね~。批判らしいものと言えば、「言論弾圧ばかりしている、強制収容所のある国」っていう主張くらいなものです。中国のチベット政策や文化大革命、過去の「侵略行為」などについては全く言及していませんもの。日本批判はかろうじて我慢できるのですが、あの中国に対する慈愛の目だけは私も見ててうんざりしますからね~(-_-)。
何でも創竜伝のキャラクター設定は小学校か中学校の頃に考えたものと、どこかで田中芳樹本人が言ってましたけど、まさかその時に中国礼賛の文章も考えていたのではないですかね?(^^;)
Merkatzさん、「なっちゃん」こと小早川奈津子は、いよいよ7巻から登場します。思想的には花井夫人と全く同じです。この人は道化ぐらいにはなっているのかな~。最初は悪役っぽいのですけど、だんだんキャラクターがお笑いになっていってるんですよね~。
それからこの先の巻は、仙界やらなんやらがごちゃ混ぜに出てきてストーリーの流れがめちゃくちゃになっていますので、相当訳がわからなくなると思います。ストーリーの面白さを期待してはいけません。特に8巻は何度読んでもストーリーの流れが分からなくなりますので(^^;)。
まあ、良いんですけど、中国史関係が出たので…。
石井様曰く
> って辛亥革命の中心孫文がどれだけ日本の影響を受け日本と親密であったか、知らぬわけではありますまい。
孫中山が日本に留学していたことは有名ですが、日本政府が辛亥革命に賛成しなかったのもまあ、有名ですね。
それ以上に、まあ、孫中山(名:文、字:中山、号:逸仙)って人は…。
註:日本では孫文、中国では孫中山、英語圏では孫逸仙と通称されている。類い希な変な人。
辛亥革命は専門外なので何とも言えませんが、辛亥革命での孫中山は実はよくワカランおっさんです。
なんせ、辛亥革命の発端となった武昌蜂起の時は確か、今話題のデンバーにいたんじゃなかったでしたっけ?
ただ、当時でも非常な有名人であったらしく、実際に革命起こした人間たちが御輿に担いだだけ、と言うのが真相のようです。
思想的にもこの当時は(北伐の頃はいざ知らず)実は袁世凱とさして変わりないくらいです。
当時、最も急進的な民主主義者であった宋教仁にもどちらかと言えば懐疑的であったようですしねえ(袁世凱が暗殺しても深く追求しなかった)。
彼自身、少なくとも辛亥革命当時は中国民衆=愚民と言う意識があったらしいのは行動から見て分かるとおりですし…。
まあ、「俺は洪秀全(太平天国の天王)になるんだー」って言って故郷から出てきたぐらいですから大したことない人なのかも…。
辛亥革命では孫中山の中国同盟会は少数派でしたし、日本留学組がいたとしてもイニシアチブ取るほどだったのかは疑問ですよ?
と、いったところで、調べりゃわかるこの程度のこともたぶん、われらが先生!田中よしりんは知らずに書いてるとは思いますけど…。
>宣和堂さん
>孫中山が日本に留学していたことは有名ですが、日本政府が辛亥革命に賛成しなかったのもまあ、有名ですね。
これはそうですね。幕末の欧米列強に対する態度が一転二転するのと同じで、この時期の日本の支那(某知事に便乗するわけではないですが、この時期では特に地域呼称と政体呼称が混乱しがちなので「中国」はふさわしくないと思う)に対する態度は一義的なものではないと思います。
>思想的にもこの当時は(北伐の頃はいざ知らず)実は袁世凱とさして変わりないくらいです。
>当時、最も急進的な民主主義者であった宋教仁にもどちらかと言えば懐疑的であったようですしねえ
彼の三民主義はむしろ儒教の影響下にあると考えた方が合理的でしょうね。
>彼自身、少なくとも辛亥革命当時は中国民衆=愚民と言う意識があったらしいのは行動から見て分かるとおりですし…。
>まあ、「俺は洪秀全(太平天国の天王)になるんだー」って言って故郷から出てきたぐらいですから大したことない人なのかも…
私の場合はむしろここを含めて彼を評価しています。
これもいいんですが、
>管理人さま曰く
>支那(某知事に便乗するわけではないですが、この時期では特に地域呼称と政体呼称が混乱しがちなので「中国」はふさわしくないと思う)
えー、確かにそうですが、大学の師匠は
「混乱を避けようにも違った誤解を招き、いらん衝突を招きやすい」
ということで、英語で「インナー・チャイナ」と言った方が実は一番スッキリ行くと言ってました。他にも色々呼び方はあるみたいですけど、自分も一番わかりやすいと思います。
今時分“支那”は誤解と混乱招きかねないですから、弟の怨霊に支えられた知事先生に私淑する人でなければ、避けとくに越したことはないですよ。
支那の語源についてこのページに解説があります。http://www2.justnet.ne.jp/~yoshiro/no_frame/history/honbun/cina.html
呉智英氏も同じこと言ってましたが、私も賛成です。支那は支那です。自分たちでそう呼称した歴史がありながら、差別用語だと主張するその神経が、私には理解できません。
チャイナも彼らの主張でいけば差別用語となるはず。だから「インナーチャイナ」も不可ですね。
さあ困った、あの国はなんと呼べばいいんでしょう。
>Merkatzさん
あくまで私個人の見解ですが・・・
差別語というものは語源云々よりも使用する側が差別的な意図を持って使っているかどうか、という点が問題なのでは、と思います。
欧米人が「チャイナ」という時に差別的な意図を持って言ってる訳はありませんが、残念ながら石原氏が「支那」と言う時に、彼の意識の中にその意識が全く無い、とはとても言えないの
ではないでせうか。
百歩譲って66歳の彼にその意図が無かったとしても、少なくとも戦後生まれで、一般には「支那」を使う機会がほとんどなくなった時代に生きている世代がわざわざ使う理由があるのだろうか、と思いますね。
>自分たちでそう呼称した歴史がありながら、差別用語だと主張するその神経が、私には理解できません。
それで言ったら日本も「倭」と呼ばれることを少なくとも過去においては自ら認めていたわけで・・・。
ただ、井沢元彦氏の言う通り、「東シナ海」を「東中国海」と言い換えたり「帰化人」を「渡来人」(残念ながらこっちは定着してきてしまいましたが)と言い換えたりするのは馬鹿らしい、と思いますが。
どうも脇道にそれがちですが
前回に続き、また脇道にそれがちな話題をふってしまいました。
脇道の議論がこの場にふさわしくないというだけで、議論自体がふさわしくないわけではないのですが…脇道用の掲示板でも用意した方がいいのかな。でも、そうすると、このサイトのコンセプトがわからないか。うーむ。
チャイナが何で問題であるかと言えば、Chinaをローマ字読みすればわかるとおり、支那そのものであるということでしょうね。「支那」「シナ」と日本字表記するのはいけなくて、「china」とアルファベット表記すれば許されると言うのは、不公平かつ不徹底ですね。
あと、向こうがそう呼ばれたくないから呼ばない方がいい、という意見はそれなりに意義のあるものですが…
いわゆる中華民国は民間レベルならともかく、公的には一度も自らを「台湾」と公称したことはありません。もちろん、そう呼ばれたいと思っているはずがありません。でも、他国は(日本も含めて)公的にも「台湾」を使っていますよね。
これも不公平かつ不徹底だと思います。
中華が「華の中心」という意味で逆差別的だというのであれば、「日の本の国」や「朝のように鮮やかな国」も逆差別的です。この程度ならば健全なナショナリズムの範囲内であると私は考えています。
もっとも私の場合は「いらん衝突を招きやすい」から必要な議論をするとき以外は「中国」を使います。ただ、「支那」自体は不正のない正当な呼称であると思っています。
まず最初にお断りをば。私は石原氏の支持者ではありません。
「支那」呼称問題については「よけいな衝突を招きやすい」という考えのもと、臆病になっている点がおかしいと思った。
「支那」という言葉そのものには差別的意味はない。にもかかわらず中国は「差別的用語である」と文句をつけてくる。
なぜか?それはこれが対日外交カードとして使われているからです。
彼らは何かと言えば歴史認識を問題にします。それを外交カードとして対日交渉を有利に運ぶためです。つい先日もそれでがっぽり稼いでいましたね。
支那問題もあきらかにその一環なわけです。
であるなら、「彼らが差別だと言うし、無用な衝突は避けるに越したことはない」と思えば思うほど、彼らの思う壺になってしまう。
ですから逆に毅然とした態度で主張した方が、かえって良いのです。「支那というのは歴史の古い呼び方で、差別的意味はその起源において微塵も無い。伝統的・歴史的呼称として、敬意を持って我々は支那という呼称を使用しているのだ」と。
卑屈になればなるほど、中国は「歴史認識」という外交カードをますます振りかざしてきます。一方的に卑屈にならねばいけない関係が、まともな国家の付き合いと言えるでしょうか。真に日本が中国の友人たらんと思うのなら、毅然とした態度で友人の悪癖を注意してあげれば良いのです。ミッターマイヤーとロイエンタールのようにね。媚びへつらいから真の友情は生まれません。
現在の彼らを何と呼ぶかは、私は「中国」でよいと思います。中華人民共和国、略して「中国」。で、歴史事実や地名なんかは「支那」を使うべきだと思う。日中事変ではなくて「日支事変」ね。孫文の革命のあたりなんかも「支那」で全然構わないと思います。
支那うんぬんより、石原氏の中国蔑視の感情自体が問題だというのはまったく賛成です。彼の場合、そもそも中国に対する差別感情があって、それを言うのに言葉の起源も知らない「支那」という語句を使用しているのでしょう。
中国が支那は差別用語だと言うから、じゃあ使ってやれという幼稚な発想ではないでしょうか。こういう輩が伝統的な言葉を差別用語に転落させてしまうんですよね。困ったものです。
台湾については正統性の問題ではないでしょうか。
建前上は中華人民共和国が正統(つまり中華民国から権力を継承している)なのだから、台湾の政府が「中華民国」「中国」と呼ばれたらおかしいのでは?あくまでも自称、僭称でしょう。「銀河帝国正統政府」といっても、実際はラインハルトの方にあって、彼らは逆賊でしかなかったみたいに。
国際的に中華人民共和国が正統と認められているわけですから、彼らだけが中国と呼ばれて、台湾は「台湾」と呼ばれるのは当然だと思います。台湾を「中華民国」と呼ぶことは中華人民共和国の正統性を認めないぞと公言するようなものでしょう。
台湾が「台湾」と公称しないのは、自分で自分を「逆賊」と言わないことと同じでしょう。しかし公的には中華人民共和国=正統政府、台湾=逆賊ですから、「中国」、「台湾」となって当然でしょう。
今、創竜伝7巻を読んでいるんですが、あまりの中国礼賛にぶち切れ状態。で、タイムリーなことに掲示板に「支那」について書いてあったから、つい書き込んでしまいました。
ですから私には、田中芳樹と全然無関係でもなかったわけです(うぅ、苦しい言い訳・・・)。